澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

君が代不起立に対する懲戒処分には、理由付記不備の違法という取消事由もある。

(2023年3月24日・連日更新満10年まであと7日)
 昨日、東京「君が代」裁判・5次訴訟の第9回口頭弁論期日が開かれ、原告は準備書面(12)を陳述した。これが、新しい処分違法事由の主張となっている。

 「行政手続法」上、公権力の行使としての不利益処分には処分理由の付記が要求される。その理由付記に不備があれば、それだけで当該の不利益処分は違法とされ、取消されることになる。そのような制度の趣旨を、最高裁は「行政庁の判断の慎重と合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を名宛人(処分対象者)に知らせて不服申立てに便宜を与える趣旨に出たもの」と説明している。

 問題は、どこまでの理由付記が求められるかである。理由付記の制度の趣旨に鑑みて、最高裁は抽象的にはこう言っている。「当該処分の根拠法令の規定内容、当該処分に係る処分基準の存否及び内容並びに公表の有無、当該処分の性質及び内容、当該処分の原因となる事実関係の内容等を総合考慮して決定すべきである」。こう言われても、よく分からない。

 しかし、同じ最高裁が、一級建築士に対する免許取消の処分についての具体例において、必要とされる付記理由の範囲を、「処分の原因となる事実及び処分の根拠法条に加えて、本件処分基準の適用関係が示されなければ、処分の名宛人において、上記事実及び根拠法条の提示によって処分要件の該当性に係る理由は知り得るとしても、いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかを知ることは困難であるのが通例であると考えられる」(第3小法廷2011年判決)との判断を示した。

 つまりは、付記すべき理由としては「処分の原因となる事実及び処分の根拠法条」だけでは足りない。これに加えて、「本件処分基準の適用関係」を示さなければならない。そうでなくては、「いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかが分からない」という。換言すれば、「いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかが分かるように、本件処分基準の適用関係まで理由を付記せよ」と言っているのだ。その観点から、最高裁は一級建築士に対する免許取消処分を、理由付記に不備の違法があるとして取り消した。

 もっとも「行政手続法」の当該条項は、公務員の懲戒処分には直接適用はないこととされている。しかし、行政機関が公務員に対して懲戒処分をおこなうに際し、その手続的な適正・公正が同様に確保されなければならないことは、憲法31条(適正手続の保障)に照らして、当然のことというべきである。

 最高裁判決が説く処分理由付記が求められる根拠と具体的な範囲は、君が代・不起立で懲戒処分を受けた本件原告ら各教員の件においても、「処分の名宛人において、当該処分が選択された理由を知ることができる程度の理由の記載が求められる」とした前記最高裁2011年判例の判示が妥当するものというべきである。

 ところで、都教委が公表している服務事故に対する「懲戒処分及び措置の基準」としては、大別して、「措置(文書訓告)、指導、懲戒処分(免職、停職、減給、戒告)」により行政責任が問われるとされている。

 ということは、本件原告ら教員に対する処分理由として、「なにゆえに、措置(文書訓告)でも、指導でもなく、地公法上の『懲戒処分』が必要と判断されたか」まで付記しなければならないが、それはない。したがって、原告らがその理由を読み取ることはできない。このことは、明らかな最高裁が求める理由付記の不備であり、手続上の違法である。

 整理をすれば、こんなところである。
 公務員に対する地方公務員法上の懲戒処分においても、「処分の名宛人において、上記事実及び根拠法条の提示のみならず、いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかを知ることができる程度」の理由の記載が要求されているとところ、本件において原告らに交付された各処分説明書においては、これが欠けることが明らかである。原告らは、いかなる考慮を踏まえて文書訓告や指導に止まらない懲戒処分が選択されたかを知り得ず、理由付記として十分ではない。したがって、本件各懲戒処分は理由付記不備の違法があり、手続的に公正・適正を欠くものとして取り消されなければならない。

 準備書面(12)は以上の主張を前提に、いかなる考慮を踏まえて、文書訓告や指導に止まらない懲戒処分が選択されたかを中心に、被告都教委に対して詳細な求釈明をしている。

 この訴訟では、君が代不起立に対する処分を違憲違法とし、また処分権限の逸脱濫用と主張してきた。それに加えて、本準備書面において、理由付記不備の手続き的違法を主張するものである。

「人がみな 同じ方角に向いて行く」 ー WBC過熱を憂うる。

(2023年3月23日・連日更新満10年まであと8日)
 連日のメディアにおけるWBCの扱い方が異常である。過剰なナショナリズムに不気味さを感じざるをえない。本日の報道の中に、「列島歓喜」という見出しを打ったスポーツ紙があった。「列島」は歓喜しない。「列島に暮らす人々皆が歓喜した」というのなら、日本チームの応援をしない者は非国民と言わんばかり。ならば、喜んで非国民となろうではないか。

 皇室に慶事があったからとて、祝意の強制なんぞまっぴらである。皇室の弔事にも安倍国葬にも、弔意の強制は御免を蒙る。たかが野球で「列島歓喜」という感性が理解しかねる。いや、うす気味悪いというしかない。
  
 古代ローマの支配者は、人民にパンとサーカスを与えておくことで、支配の安泰をはかった。いまも事情はたいして変わらない。皇帝がしつらえた円形闘技場での見世物が、今は資本の提供する「オリンピック」「ワールドカップ」「WBC」に形を換えられているに過ぎない。

 為政者にとっては、野球にせよサッカーにせよ、スポーツに夢中になる国民は大歓迎なのだ。ウクライナでの戦争を忘れ、大軍拡大増税も忘れ、南西諸島への軍備配置も、統一教会と政権与党との癒着も忘れての「列島歓喜」。さながら「鼓腹撃壌」で世は事もなげではないか。現行の社会秩序の維持のために、これ以上のお膳立てはない。

 先日、「九条の会」の街宣活動で、私より前にマイクを取った仲間がこう言った。「私は野球が大好きです。毎日WBCを楽しんでいます。こういう楽しみも平和があればこそ。戦争が始まれば、いや戦時色が強まれば野球どころではなくなります。そんな世の中は御免です。野球を楽しむためにも、平和を壊すような動きには、一つひとつ反対していこうではありませんか」

 なるほど、そう言った方が人の耳に入る言葉になるとも思ったが、私は一切テレビを見ない。「野球を楽しむためにも平和を」などと無理に言うと、きっと舌を噛んでしまうに違いない。

 「侍ジャパン」というチーム名も面白くない。「侍」とは人斬りである。人を斬る技術を錬磨したテロリスト集団ではないか。常時凶器を携帯した危険人種でもある。支配階級の一員として、政治機構を独占し被支配者に君臨する存在。自らは生産に従事せず、人民を搾取し収奪する一員である。そして、自らの君主には絶対服従して腹を切ってみせる狂人でもある。

 そんな「侍」たちの活躍に、大多数の日本人が喝采を送っている。そんなときには、誰かが冷ややかな発言をしなければならない。そう、石川啄木のように。

 人がみな
 同じ方角に向いて行く。
 それを横より見てゐる心。
      
 (「悲しき玩具」より)

岸田文雄はモスクワを訪問せよ。プーチンとも会談をすべきだ。

(2023年3月22日)
 岸田文雄はウクライナを訪問し、習近平はプーチンを訪ねた。両者ともに安易な訪問先の選択である。本来の外交は、その逆であるべきではないか。

 岸田がモスクワに足を運べば、世界を驚かす「電撃訪問」となっただろう。たとえ成功に至らずとも、プーチンに撤兵を促し、和平の提言をすることで日本の平和外交の姿勢を示しえたに違いない。国際政治における日本の存在感を世界にアピールすることにもなったろう。訪問先がキーウでは、インパクトに欠ける。平和へのメッセージにもならない。NATO加盟国首脳のキーウ訪問に必然性はあろうが、日本の首相がいったいなぜ、何のための訪問だろうか。

 また、習がプーチンより先にゼレンスキーと会談していれば、停戦仲介の本気度をアピールできたであろう。しかし、落ち目のプーチンと会うことで、恩を売ろうとの魂胆丸見えの訪露は、やはりインパクトは薄い。

 チャップリンの「独裁者」を思い出す。徹底的に俗物として描かれたヒトラーとムッソリーニ、その両者の会談の場面。お互いにマウントをとろうとする所作の滑稽さが、「独裁者」の内面を炙り出す。この映画の公開が、ヒトラー死の5年前、1940年の公開だというから驚かざるをえない。言うまでもなく、習もプーチンもその同類でしかない。

 米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは「きょうのウクライナは、あすの東アジアかもしれない」との岸田の発言を引用。「ウクライナ侵攻や中露接近が、台湾有事を警戒するアジアの米同盟国をより結束させている」と報じている。岸田のウクライナ訪問は平和を求めてのものではなく、軍事同盟強化のための外交と受けとめられているのだ。

 【ワシントン時事】の報道では、米欧メディアは、岸田と習の動きを、「自由民主主義陣営と専制主義陣営との対比」として描いているという。「日本はウクライナ政府への多額の援助を約束したが、中国は孤立を深める戦争犯罪容疑者のプーチンを支える唯一の声であり続けた」と。岸田も習も、それぞれのブロック強化のために動いているに過ぎず、けっして和平のための戦争当事国訪問ではない、という理解なのだ。

 外交は難しいが、戦争よりはずっと容易である。そして、戦争を避けるためには外交を活発化する以外にない。小泉純一郎は、北朝鮮との国交回復に意欲を見せ、日朝ピョンヤン宣言の成立まで漕ぎつけた。今振り返って、あの宣言内容の到達点を立派なものと称賛せざるをえない。惜しむらくは、その後の信頼関係の継続に失敗した。無念でならない。

 あのとき、北朝鮮との信頼関係構築のチャンスだった。これを潰したのは、右翼勢力を背景とした安倍晋三である。以来北朝鮮との関係を硬直せしめ、拉致問題解決に進展が見られないことの責任の大半は、安倍晋三とその取り巻きにある。

 北朝鮮は、人権思想も民主主義も欠いたひどい国ではあるが、それゆえ外交がなくてもよいことにはならない。積極的に接触を試み、相互に対話を積み上げていく努力を重ねなければ、常時軍事的衝突を憂慮しなければならない不幸な関係に陥るばかりである。

 中国も同様である。野蛮な中国共産党・習近平体制を肯定してはならないが、外交は活発にしてしかるべきである。媚びることなく、へつらうことなく、もちろん見下すこともなく、対等平等に意見交換を重ねなければならない。合意のできることをみつけ、協働の実績を積み上げなければならない。官民を問わず、あらゆるレベルで、頻繁に。それこそが、常に安全保障の基本である。

祝! 袴田事件再審決定の確定。「再審格差」を乗り越えて諸事件の救援を。

(2023年3月21日)
 死刑確定囚の袴田巌さんは、冤罪を雪ぐために再審を求めて闘ってきた。
 紆余曲折経て再審を認めた3月13日東京高裁決定への特別抗告の期限が昨日20日。この日、東京高検は最高裁への特別抗告断念を弁護団に通知した。これでようやく、本当にようやく、再審開始が確定した。

 これから、静岡地裁で袴田巌さんの誤判を覆すための再審公判が開かれる。そして、間違いなく無罪判決が言い渡される。おめでとう、袴田さん。おめでとう、ひで子さん。そして、弁護団長の西嶋さん。

 とは言うものの、失われたもの、取り返しのつかないものはあまりにも大きい。誤判を繰り返さないために、間違っての死刑執行を防ぐためにも、刑事訴訟制度・再審制度の再点検が行われなければならない。

 誰もが感じているように、袴田事件の再審請求には世論の援護があった。世の人々の目が、裁判所の背中を押し、検察官の足を止めたと言えるだろう。「袴田事件再審決定は世論の勝利」とは、一面素晴らしい教訓ではあるが、他面、それでよいのかという問題を考えなければならない。

 最近、「再審格差」という言葉を聞く。何を「格差」というかは必ずしも明確ではない。担当裁判官の姿勢次第で生まれる「格差」もある。のみならず、世に注目され世論の後押しを受ける事件と、必ずしも注目されず世論の後押しを受けない事件との「格差」も否定しえない。冤罪を訴える者の「人権」や「真実」を論じる立場から、「格差」は容認しえない。平等なルールの設定が必要である。

 喫緊の課題は、再審請求の手続きにおける証拠開示のルール化である。検察官手持ちの全証拠の開示をどう実現するか。ことは、再審請求事件だけの問題ではない。

 日弁連は、2019年10月の人権擁護大会で、
 ?再審請求手続における全面的な証拠開示の制度化の実現、
 ?再審開始決定に対する検察官による不服申立ての禁止
を含む再審法の速やかな改正を求める決議を採択した。そして、これを盛り込んだ刑訴法改正案を公表している。早期の法改正の実現が強く望まれる。

 そしてまた、5件目の死刑再審無罪判決を機に、死刑存廃の議論が巻きおこらねばならない。国家が刑罰権の行使に過つことがあったとしても、取り返しのつかない死刑執行は絶対に避けなければならない。その観点からの死刑廃止論がリアリティをもって考えよと迫っている。

 日弁連は、1959年の徳島事件以来再審支援に取り組んでいる。これまでに34件の再審事件を支援し、そのうち18件について再審無罪判決を獲得しているという。

 現在再審請求中の支援事件は、以下のとおりである。

☆名張事件 1969年9月 名古屋高裁死刑判決 1972年6月確定
☆袴田事件 1968年9月 静岡地裁死刑判決 1980年11月確定
☆マルヨ無線事件 1968年12月 福岡地裁死刑判決 1970年11月確定
☆大崎事件 1980年3月 鹿児島地裁懲役10年1981年1月確定
☆日野町事件 1995年6月 大津地裁無期懲役 2000年9月確定
☆福井女子中学生殺人事件 95年2月 名古屋高裁金沢支部 懲役7年 97年11月確定
☆鶴見事件 1995年9月 横浜地裁 死刑判決 2006年3月確定
☆恵庭殺人事件 2003年3月 札幌地裁 懲役16年 2006年10月確定
☆姫路郵便局強盗事件 2004年1月 神戸地裁姫路支部 懲役6年 06年4月確定
☆豊川事件 2004年3月 名古屋高裁 懲役17年 08年9月確定
☆小石川事件 2002年3月 東京地裁 無期懲役 05年6月確定
☆難波ビデオ店放火殺人事件 2009年12月 大阪地裁 死刑判決 14年3月確定

再審無罪確定事件は以下のとおりである(無罪確定順)。

○吉田事件 無期懲役 1963年2月 名古屋高裁 再審無罪判決
○弘前事件 懲役15年 1977年2月 仙台高裁 無罪判決
○加藤事件 無期懲役 1977年7月 広島高裁 無罪判決
○米谷事件 懲役10年 1978年7月 青森地裁 無罪判決
○滝事件 懲役5年 1981年3月 東京地裁 無罪判決
○免田事件 死刑 1983年7月熊本地裁八代支部 無罪判決
○財田川事件 死刑 1984年3月 高松地裁 無罪判決
○松山事件 死刑判決 1984年7月 仙台地裁無罪判決
○徳島事件 懲役13年 1985年7月 徳島地裁 無罪判決
○梅田事件 無期懲役 1986年8月 釧路地裁 無罪判決
○島田事件 死刑判決 1989年1月 静岡地裁 無罪判決
○榎井村事件 懲役15年 1994年3月 高松高裁 無罪判決
○足利事件 無期懲役 2010年3月 宇都宮地裁 無罪判決
○布川事件 無期懲役 2011年5月 水戸地裁土浦支部 無罪判決
○東電OL殺人事件 無期懲役 2012年11月 東京高裁無罪判決
○東住吉事件 無期懲役 2016年8月大阪地裁 無罪判決
○松橋事件 懲役13年 2019年3月 熊本地裁 無罪判決

なお、下記は日本国民救援会が支援している「再審・冤罪事件」の事件名一覧である。
●秋田・大仙市事件
●山形・明倫中裁判
●宮城・仙台北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件
●栃木・今市事件
●東京・三鷹事件
●東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件
●東京・小石川事件
●東京・乳腺外科医師冤罪事件
●長野・冤罪あずさ35号窃盗事件
●長野・あずみの里「業務上過失致死」事件
●福井・福井女子中学生殺人事件
●静岡・袴田事件
●静岡・天竜林業高校成績改ざん事件
●愛知・豊川幼児殺人事件
●三重・名張毒ぶどう酒事件
●滋賀・日野町事件
●京都・長生園不明金事件
●京都・タイムスイッチ事件
●兵庫・えん罪神戸質店事件
●兵庫・花田郵便局強盗事件
●岡山・山陽本線痴漢冤罪事件
●高知・高知白バイ事件
●鹿児島・大崎事件
●米・ムミア事件

「國體の本義」も「臣民の道」も、天皇カルトのマインドコントロール本である。

(2023年3月20日)
 書庫の整理をしていたら、「國體の本義 文部省」「文部科学省編纂 臣民の道」「陸軍省兵務課編纂 教練教科書 學科之部」の抜粋が出てきた。40年も前に、岩手靖国違憲訴訟の甲号証として提出したもの。それぞれに甲第141?143号証の号証が付されている。甲第143号証の巻頭に「軍人勅諭」、次いで「戦陣訓」が掲載されている。

 靖国訴訟に携わった頃、懸命にこの種の資料を読みあさった。天皇崇拝だの、国体思想だの、招魂だの英霊だのという「思想」が理解できなったからだ。実は今にしてなお呑みこめない。これは「思想」などというに値するものではない。カルトのマインドコントロールの対象でしかないと割り切ると、何を言っているのかすこしは分かる気がする。

 国家神道(天皇教)とはカルト以外の何ものでもなく、これを全国の学校を通じて臣民に吹き込んだ教育こそはマインドコントロールであった。これは、統一教会の「教義」と「布教手法」によく似ている。

 統一教会の信者にとっては、死後の霊界でのあり方が最大の関心事だという。繰り返し畳み込まれると、一定確率で、地獄に落ちる恐怖から逃れるために何もかも犠牲にして献金をする新たな信者が現れる。この信者の心情を他者が理解することは困難だが、それは間違いだと論理を持って説得することも難しい。これがマインドコントロールというもの。天皇制も国体も英霊も、まったく同じことである。

 マインドコントロールの道具としては「國體の本義」が出来のよいもののようだ。無内容な虚仮威しを美辞麗句で飾りたて、論証のできないことを無理にでも信じさせようという内容。「原理講論」の先輩格と言ってよかろう。

 「國體の本義」中の、「第一 日本國體」「三、臣節」の長い長い文章の中のごく一部を抜粋してみよう。

 「我が国は、天照大神の御子孫であらせられる天皇を中心として成り立つてをり、我等の祖先及び我等は、その生命と流動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我等の歴史的生命を今に生かす所以であり、こゝに国民のすべての道徳の根源がある。

 忠は、天皇を中心とし奉り、天皇に絶対随順する道である。絶対随順は、我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。この忠の道を行ずることが我等国民の唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。されば、天皇の御ために身命を捧げることは、所謂自己犠牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御稜威に生き、国民としての真生命を発揚する所以である。天皇と臣民との関係は、固より権力服従の人為的関係ではなく、また封建道徳に於ける主従の関係の如きものでもない。それは分を通じて本源に立ち、分を全うして本源を顕すのである。天皇と臣民との関係を、単に支配服従・権利義務の如き相対的関係と解する思想は、個人主義的思考に立脚して、すべてのものを対等な人格関係と見る合理主義的考へ方である。個人は、その発生の根本たる国家・歴史に連なる存在であつて、本来それと一体をなしてゐる。然るにこの一体より個人のみを抽象し、この抽象せられた個人を基本として、逆に国家を考へ又道徳を立てても、それは所詮本源を失つた抽象論に終るの外はない。」

 これは恐い。「天皇のために死ぬことは自己犠牲ではない。むしろ、それこそが国民としての真の生き方であり、天皇と一体となった真の生命の獲得方法である」という。これは死の哲学である。あるいは死のカルト。「国民はアリのように、女王アリのために死ね」というのだ。一匹のアリの価値、一人の国民の価値など眼中にない死のカルト。美化した自己犠牲を強要するとんでもない天皇教カルトなのだ。

 「皇祖と天皇とは御親子の関係にあらせられ、天皇と臣民との関係は、義は君臣にして情は父子である。この関係は、合理的義務的関係よりも更に根本的な本質関係であつて、こゝに忠の道の生ずる根拠がある。個人主義的人格関係からいへば、我が国図の君臣の関係は、没人格的の関係と見えるであらう。併しそれは個人を至上とし、個人の思考を中心とした考、個人的抽象意識より生ずる誤に外ならぬ。我が君臣の関係は、決して君主と人民と相対立する如き浅き平面的関係ではなく、この対立を絶した根本より発し、その根本を失はないところの没我帰一の関係である。それは、個人主義的な考へ方を以てしては決して理解することの出来ないものである。我が国に於ては、肇国以来この大道が自ら発展してゐるのであつて、その臣民に於て現れた最も根源的なものが即ち忠の道である。こゝに忠の深遠な意義と尊き価値とが存する。」

 ここに語られているのは、天皇と臣民の関係である。「義は君臣にして情は父子という、合理的義務的関係よりも更に根本的な本質関係」は、「西欧流の、個人を至上とし個人の思考を中心とした誤った考え方」からは理解できない、と言うのだ。理屈は抜きで、ともかく、おのれをなげうって天皇に忠を尽くせと、繰り返す。

 おそらくは、疑うことなく、この文部省編纂本を受け入れた国民が多数に及んだのであろう。天皇カルトのマインドコントロールは大きな成功をおさめたのだ。その害悪は、今なお消えていない。

朝に「プーチンに逮捕状」と聞き、夕に「トランプの逮捕」を耳にする。

(2023年3月19日)
 昨日(3月18日)は奇妙な日だった。早朝のニュースで「プーチンに逮捕状」と聞き、深夜就寝前のニュースが「来週火曜日にトランプ逮捕」と言った。いずれも寝床でのラジオが語ったこと。東と西のゴロツキが法の名において断罪されようということなのだから、これが実現すればこの上ない慶事だが、さてどうなるか事態は混沌としたままである。

 トランプは18日、自ら立ち上げた独自のSNS「トゥルース・ソーシャル」に「共和党の最有力候補でありアメリカ合衆国の元大統領が来週の火曜日に逮捕される」などと投稿した。トランプ自らによる、トランプ逮捕予告の記事である。真偽のほどは不明だが、「検察からの違法な情報漏洩」があったことを根拠にしてのことだという。逮捕を免れようと、「抗議しろ、私たちの国を取り戻せ」と自身の支持者に呼びかけている。理性に欠けた狂信的支持層の反応が懸念される。とうてい、民主主義を標榜する社会のあり方でない。

 朝に「プーチンの戦争犯罪」を断罪し、夕べに「トランプの破廉恥と、民主主義への敵対姿勢」を確認した日となった。

 トランプの投稿は、逮捕の被疑事実や捜査の進展など詳しい経緯には触れていない。それでいて、「抗議しろ、私たちの国を取り戻せ」なのだ。いったい何をどう抗議せよというのか。おそらくは、そんなことはどうでもよいのだ。ともかくも、愚かな自分の支持者を煽動して抗議の声を上げさせさえすれば、逮捕の実行はなくなるだろうという傲り、あるいは願望が透けて見える。こんな人物が、アメリカの大統領だった。そして再選を狙う候補者なのだ。

 伝えられているところでは、最も可能性の高いトランプの逮捕理由は、2016年に不倫関係にあったとされるポルノ女優ストーミー・ダニエルズに「口止め料」を支払った問題で、以来今日まで、ニューヨークのマンハッタン地区検察官が捜査を続けてきた。この件について、米メディアは「捜査が大詰めを迎えている」と報じていたという。

 問題となっている元ポルノ女優は、かつてトランプと不倫関係にあったとされる。トランプはその関係が明らかになることで大統領選に影響が出ることを懸念し、弁護士を通じて13万ドル(約1700万円)を支払った疑いがかけられている。ニューヨーク州法では、選挙に影響を与える一定額以上の寄付が禁じられており、この口止め料が抵触する可能性が指摘されてきた。トランプを起訴するかどうかは、地区検察官が招集した大陪審が決める。

 起訴された場合は、トランプはいったん出頭して逮捕される手続きとなるという。米メディアによると、地区検察官はトランプに対し、大陪審の前で証言する機会を提示したが、トランプは拒んだ。ニューヨーク・タイムズはこうした経過を根拠に「起訴が近いことを示している」と報じた。

 トランプを巡っては、脱税疑惑もあり、20年大統領選の結果を覆そうとした疑惑や公文書を私邸に持ち出した疑惑など、複数の案件で捜査が進められている。さすがに「容疑者が大統領」ではシャレにもならない。こんな人物を大統領候補にしているのが、アメリカの一断面なのだ。

 思い出す。トランプの顧問弁護士だったマイケル・コーエンのことを。彼は、トランプの代理人として、2016年の米大統領選期間中にトランプとの不倫関係を公表しようとしていたポルノ女優と米男性誌「プレイボーイ(Playboy)」元モデルに口止め料を支払い、これで選挙資金法に違反したとして有罪となった。禁錮3年である。

 ポルノ女優のストーミー・ダニエルズと、米男性誌「プレイボーイ」元モデルのカレン・マクドゥーガル両名への不正口止め料の支払いの金額は計28万ドル(約3200万円)と供述していた。コーエンは、この金額はトランプと調整し、最終的にトランプの指示で支払ったもので、当然にトランプも違法を認識していたと述べている。しかし、いまだにトランプは「違法行為を指示したことはない」と否認し続けている。

 このコーエン弁護士。安倍晋三・昭恵の夫婦に乗せられながら、途中で切って捨てられて今は下獄している籠池夫妻に似ていなくもない。

 ここまで来れば、トランプも退くに退けない。司法当局と争わざるを得ない立場となった。当面は、大陪審の面々に圧力をかけ、徹底して脅すしかない。ということは、ニューヨークの一般市民を敵にまわすということでもある。結局は、偉大なアメリカの実現のために「法の支配」「民主主義」と果敢に闘う大統領候補になるということなのだ。プーチンとトランプ、なんとまあ、よく似ていることか。

プーチンに逮捕状。彼は、国際指名手配犯となった。

(2023年3月18日)
 早朝、寝床でラジオのスイッチを入れて驚いた。「プーチン・ロシア大統領に逮捕状が発行されました」と聞こえた。逮捕状を出したのは国際刑事裁判所(ICC)、被疑事実はウクライナでの戦争犯罪。大勢のウクライナの子どもたちの誘拐ということだ。

 プーチンに逮捕状とは素敵なニュースだが、現状では逮捕状の執行が不可能に近い。本来であれば、逮捕状発付は、プーチン逮捕、プーチン起訴、プーチンの公判、プーチン有罪の判決、そして刑の執行と進行する予定の最初のステップ。だが、その見通しは暗い。プーチンの身柄の確保が困難なことは百も承知での逮捕状の請求があって、逮捕状の執行困難を自覚しながらの逮捕状の発付である。このことにいったいどのような意味があるのだろうか。

 国際刑事裁判所(ICC)は、オランダ・ハーグにある常設国際機関。冷戦終結後、旧ユーゴスラビアやアフリカのルワンダでの集団虐殺などをきっかけに、常設の国際刑事裁判所の設置を求める声が高まり、2003年に設立された。日本を含む123の国と地域が参加しているものの、ロシアやアメリカ、中国などは管轄権を認めていない。要するに、自国が訴追される恐れのある国は参加していないのだ。アメリカがその典型と指摘されてきたが、今回のプーチンへの逮捕状発付をアメリカは積極的に支持している。「逮捕状にはとても説得力がある」「戦争犯罪を犯したのは明白だ」なんちゃって。
 
 ICCが管轄する犯罪は、いわゆる「ジェノサイド」や、一般市民への組織的な殺人や拷問などの「人道に対する犯罪」、戦場での民間人の保護や捕虜の扱いなどを定めた国際人道法に違反する「戦争犯罪」など。

 ウクライナへの軍事侵攻をめぐって、国際刑事裁判所は、去年3月、ウクライナ国内で行われた疑いのある「戦争犯罪」や「人道に対する犯罪」などについて捜査を始めると発表し、現地に主任検察官を派遣するなどして調べを進めてきた。

 そのICCが、ウクライナのロシア占領地域から子どもたちをロシア領に移送したことが国際法上の戦争犯罪にあたり、しかもプーチンがこれに関わったことが証拠上明らかと判断した。戦時の文民保護を定めたジュネーブ諸条約は、住民の違法な移送や追放を禁じている。裁判所のホフマンスキ所長は声明を発表し「国際法は占領した国家に対し住民の移送を禁じているうえ、子どもは特別に保護されることになっている」「逮捕状の執行は、国際社会の協力にかかっている」と述べ、プーチンの身柄拘束への協力を訴えた。

 ICCのカーン主任検察官は、少なくとも数百人の子供が孤児院や施設から連れ去られ、多くはロシア国籍を押し付けられて養子に出された疑いがあると発表した。なお、ロシアで養子縁組を進めたマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表に対しても逮捕状が発令されている。

 ICCが現職の国家最高指導者に逮捕状を出したのは、スーダンのバシール大統領(2009年)、リビアのカダフィ大佐(11年)に続く3度目。国連安全保障理事会の常任理事国元首では、もちろん初めてとなる。国家元首が戦犯容疑者となったことで、ロシアの国際的な孤立が強まることになった。

 当然のことながら、ロシアは強く反発している。ということは、逮捕状発付の影響を無視し得ないと受けとめているのだ。「言語道断で容認できない」「この種のいかなる決定も法律上の観点からロシアでは無効だ」「ロシアはICCに加盟しておらず、何の義務も負っていない。何の意味もない」と述べて非難している。それはそのとおりだ。ウクライナに対する侵略も、民間人の虐殺も、非軍事組織の破壊も、ロシア国内では非難される行為ではない。しかし、ロシア国内での判断がどうあろうと、国際道義がロシアの行為を許さないとしているのだ。「この種のいかなる決定も法律上の観点からロシアでは無効だ」という、ロシアの独善性が批判されていることを知らねばならない。

 ボロジン露下院議長は「プーチン氏への攻撃はロシアへの攻撃とみなす」と主張。露国営メディア「RT」トップのシモニャン氏も「プーチン氏を逮捕する国を見てみたいものだ。その国の首都までの飛行時間はどれくらいだろうか」とミサイル攻撃を示唆した。恥ずかしくないか。このような発言、このような姿勢こそが、ロシアの野蛮を証明し、ロシアの国際的威信を貶めているのだ。

 なお、ロシアはウクライナから多数の子どもたちをロシアに連れ去っていること自体は否定していない。「連れ去りではなく保護した」「危険な戦闘地域から避難させた」と主張している。その上で、ウクライナの子どもをロシア人の養子にする取り組みを進め、ロシアの主張に沿った愛国教育を行っていると報道されている。プーチンはこれらの取り組みを推進する大統領令に署名しているという。

 一方、これも当然ながら、ロシアの責任追及を訴えてきたウクライナはICCの決定を歓迎している。ゼレンスキーはSNS上に公開したビデオメッセージで、「歴史的な決断だ。テロ国家の指導者が公式に戦争犯罪の容疑者となった」と述べている。また、シュミハリ首相もSNSに、「プーチン大統領に逮捕状が出されたことは正義に向けた重要な一歩だ。この犯罪やその他の侵略の犯罪に責任があるのはプーチン大統領だ。テロ国家の指導者は法廷に出てウクライナに対して犯したすべての犯罪について裁かれなければなない」と投稿した。

 ウクライナの司法当局は、ロシアの軍事侵攻が始まって以降、東部のドネツク州、ルハンシク州、ハルキウ州、それに南部ヘルソン州であわせて1万6000人以上の子どもがロシアによって連れ去られたことが確認され、実数はさらに多い可能性があるとされている。コスティン検事総長は、17日、「ロシアは子どもたちを連れ去ることでウクライナの未来を奪おうとしている」と述べた。

 メディアに、国際刑事裁判所の元裁判官だった、中央大学の尾崎久仁子特任教授の指摘が紹介されている。「あえて逮捕状を出したと公表したのは子どもの連れ去りがいまも引き続き行われているので、こうした犯罪が繰り返されることを阻止するとともに、ほかの非人道的な行為を抑止する狙いもある」「ロシアという国連安保理の常任理事国である大国の現職の大統領がこういった犯罪で逮捕状を請求され、正式に被疑者になることが国際社会に与える影響は大きい。いままでロシアに対して中間的な対応をとってきた国々に一定のインパクトを与えるだろう」。なるほどそうなのだろう。

 ウクライナのコスティン検事総長は「逮捕状が出されたということは、プーチン大統領は、ロシア国外では逮捕され裁判にかけられるべき人物となったことを意味する。世界の国々の指導者は、プーチン大統領と握手をしたり、交渉したりすることをためらうようになるだろう。これはウクライナと、国際法の秩序全体にとって歴史的な決断だ」と発言した。

 折よくというべきか、あるいは折悪しくか、明後日(20日)には、このタイミングで中国の習近平がロシアを訪問する。さて、習は、逮捕状の出ている「国際指名犯・プーチン」と躊躇なく握手をするだろうか、あるいはためらいを見せるだろうか。

はたして日本は文明国か。文明国の価値観を受け容れることが出来るのか。

(2023年3月17日)
 昨日の東京新聞朝刊トップに、「日本はLGBTQ法整備を」「2月に首相宛促す書簡 差別禁止訴え」「先進6カ国+EU駐日大使」という大見出し。

 東京新聞のネット版では、「日本除いた『G6』からLGBTQの人権守る法整備を促す書簡」「首相宛てに駐日大使連名 サミット議長国へ厳しい目」という見出しになっている。いずれにしても、日本は「G7」の中で、たった一国の人権後進国扱いなのだ。G6とEUからの「議長国なんだろう。恥ずかしくないのか。この際何とかしろよ」という苛立ちが伝わってくる。

 日本の政府は、この申入に「内政干渉だ」と条件反射してはならない。それでは中国政府並みの政権の実態が見透かされてしまうのだから。「我が国の醇風美俗を害する申入れ」と無視してはならない。それでは、文明国の仲間に入れてもらえないのだから。「うつくしい日本を壊そうとする陰謀だ」などと反発して見せる必要はない。「うつくしい日本を取り戻そう」と目を光らせている人は既に世にないののだから。そして、「同性婚を認めても、LGBTQ差別禁止法を認めても、けっして社会が変わることはない」のだから。

 記事の概要は、以下のとおりである。

 「先進7カ国(G7)のうち日本を除く6カ国と欧州連合(EU)の駐日大使が連名で、性的少数者(LGBTQ)の人権を守る法整備を促す岸田文雄首相宛ての書簡を取りまとめていたことが、分かった。元首相秘書官の荒井勝喜氏の差別発言をきっかけに、エマニュエル米大使が主導した。G7で唯一、差別禁止を定めた法律がなく、同性婚も認めていない日本政府に対し、今年5月の首脳会議(広島サミット)で首相が議長を務めることも踏まえ、対応を迫る内容だ。」

 「日本でLGBTQの権利を守る法整備が遅れていることを念頭に『議長国の日本は全ての人に平等な権利をもたらすまたとない機会に恵まれている』と指摘し、国際社会の動きに足並みをそろえることができると求めた。」

 「『差別から当事者を守ることは経済成長や安全保障、家族の結束にも寄与する』と強調。ジェンダー平等を巡り『全ての人が差別や暴力から守られるべきだ』と明記した昨年のG7サミットの最終成果文書に日本が署名したことにも触れ、『日本とともに人々が性的指向や性自認にかかわらず差別から解放されることを確かなものにしたい』と訴えた。」

 「大使らは当初、公式な声明を出すことを検討したが、内政干渉と受け取られることを懸念し、非公式に各国の意向を示すことにした。書簡のとりまとめに先立ち、エマニュエル氏は2月15日に日本記者クラブで会見し『(LGBTQの)理解増進だけでなく、差別に対して明確に、必要な措置を講じる』ことを首相や国会に注文した。」

 さて、「日本はG7で唯一、婚姻の平等を認めていない。LGBTQの差別禁止法も持たない」ことが、あらためて浮かび上がっている。これまで、「人権や民主主義という共通の価値観」を基盤に、自由主義陣営や民主主義同盟が形作られてきた。いま日本は、その一員であるという資格が問われている。

 同日の東京新聞2面の「核心」欄に、「同性愛者を公表している日系のマーク・タカノ米下院議員は首相秘書官(荒井勝喜)の発言に反応し『日米は同盟を動機づける共通の価値観を忘れてはならない。LGBTQの権利に敵対的なのは専制主義者だ』とツイッターに書き込んだ」とある。

 選択性夫婦別姓さえ認めないのが自民党の保守派である。さあ、岸田文雄よ。ここがロードスだ、跳べ。ここがルビコンだ、渡れ。自民党保守派総帥の亡霊と決別して、独自の路線に踏み切らねば、政権に明日はない。いや、日本に明日はないのだから。

三好達や石田和外が教える、「最高裁とはこんな程度のもの」

(2023年3月16日)
 三好達が亡くなった。3月6日のことという。95歳だった。元最高裁長官であり、元日本会議会長であった人。最高裁と日本会議、両組織の相性の良さを身をもって証明した人物である。

 最高裁とは、本来は政治勢力から独立した憲法の砦であり人権の番人なのだが、その現実は長期保守政権の番犬と言われる存在。日本会議とは、日本の右翼勢力の総元締め。保守政権を支える岩盤支持層の実働部隊である。この両者、それぞれが保守政権を支えることに、協力し合っている。だから、元最高裁長官が日本会議会長とは、少しも意外なことではない。日本会議と最高裁との関係の緊密さを物語っているだけのこと。

 三好は、東京都出身、東京高裁長官などを経て1992年3月から最高裁判事。95年11月に第13代長官となって、97年10月に定年退官した。その後、2001年から15年までの長きにわたって、日本会議の会長を務めた。さらに、退任後は亡くなるまで名誉会長に就いていた。

 三好の会長時代に、日本会議は活発に動いた。その「成果」の筆頭は、教育基本法改悪(2006年)と言われる。安倍第一次内閣の時代。三好は、安倍晋三ともすこぶる相性が良かったわけだ。

 そのほかにも、改憲推進運動、夫婦別姓反対運動、靖国に代わる国立追悼施設反対運動、自衛隊イラク派遣激励活動、人権擁護法案反対運動、靖国神社20万参拝運動、女系天皇・女性宮家創設反対運動、天皇即位20年奉祝行事、外国人参政権反対運動などを行ってきた。

 彼はその著書『国民の覚醒を希う』(明成社、2017年)でこう言っているという。「私が日本会議会長となってまず直面したのが「夫婦別姓」問題でした」(初出:『正論』2007年11月号)。「この法律が成立し、施行された場合、夫婦の一体感が喪失され、ひいては家庭の破壊を招き、家庭の最も大切な役目であります子女の育成機能まで低下させる」「多くの国民は、『私は別姓にしたいとは思わない、しかし、この法律が出来て、別姓にしたい人がそうするというのなら、その人の自由にさせたら、いいのじゃないの』というような考え、つまり「私には関わりのないことだけど」といった気持ちの方が多いように見受けられるのです」(以上、塚田穂高・上越教育大学大学院准教授による)

 こういう人物が、最高裁長官だった。最高裁やその判例を盲信してはならない。こういう人物が司法のトップにいることを許すこの社会の力関係を見抜かなければならない。

 なお、よく似た先輩がいる。5代目の最高裁長官、それも「ミスター最高裁長官」と言われた石田和外である。戦前は思想判事、生涯を通じての天皇主義者だったから知性には欠ける人物だった。長官時代に裁判所の中の青年法律家協会への弾圧で名を上げた。その際には「裁判官には現実に中立・公正であるだけでなく、公正らしさが必要だ」と言いながら、退職後には「英霊にこたえる会」の初代会長となって、世人に最高裁の体質をアピールした。「最高裁というのは、そんなものであり、その程度のもの」なのだ。三好達や石田和外がそう教えている。

弁護士会懲戒委員の皆様に、代理人として、総論的な意見を申し上げます。

(2023年3月15日)
 対象弁護士(被懲戒請求人)代理人の東京弁護士会の澤藤と申します。23期です。1971年4月に弁護士となって以来、司法はどうあるべきか、司法の一翼を担う弁護士は、あるいは弁護士会は如何にあるべきかを考え続けてきました。その立場から本件綱紀委員会の議決を拝読して、どうしても一言したいと思い立ち、その機会を得ましたので、意見を陳述いたします。

 まず申しあげたいことは、弁護士の社会的発言に対して、とるべき弁護士会の基本姿勢についてです。弁護士会が、弁護士の品位保持の名のもとに、軽々に弁護士の表現の自由を規制してはならないということです。

 弁護士の言論に対して、権力的な、あるいは社会的な圧力があった場合に、断固として当該弁護士を擁護すべきが弁護士会本来の責務です。綱紀委員会の議決には、その基本姿勢が欠落していると指摘せざるを得ません。

 今の状況を大局的に見れば、対象弁護士がツィッターで少数者の人権を擁護する立場からの社会的発言をし、これを快しとしない社会の多数派を代表する形で、懲戒請求人がその表現の規制を求めて弁護士会に懲戒請求をしている、という構図です。

 本件綱紀委員会議決の理由にも意識されていますが、一般の「表現の自由保障範囲」と、弁護士がその使命である基本的人権擁護のためにする「表現の自由の保障範囲」とは自ずから異ならざるを得ません。弁護士が弁護士であることを前提に社会的な発言を行うに際しては、それに対する異論があることは当然として、その表現の自由はより広く保障されなければなりません。「弁護士の表現の自由は制約されてしかるべき」などと、弁護士会が言ってはなりません。

 いま本件において貴弁護士会がなすべきことは、少数者の人権擁護を趣旨とする対象弁護士の当該発言の自由を保障する立場を貫くとともに、懲戒請求者と社会に対して、その理由の説明を尽くすべきことと考えます。

 弁護士法1条1項に定める弁護士の使命としての「基本的人権の擁護」は、けっして法廷活動のみにおいてなされるものではありません。弁護士は、多面的な社会的活動に携わります。その中で最も貴重なものは、埋もれている新たな人権を見つけ、育て、確立して行く活動です。対象弁護士がいま携わっているのは、まさしくそのような活動です。

 少数者の人権は、権力や社会的な多数者の圧力と抗う中で、育まれて確立に至ります。今、生成中の新たな人権の芽を、弁護士会が摘むことに加担してはなりません。

 弁護士法1条1項は、『弁護士の使命』として「人権の擁護」を掲げています。56条によって弁護士に求められる「品位」という要請は、人権の擁護という大原則の遂行に附随して求められるものです。本来、弁護士の使命である人権擁護の姿勢に徹することを以て、弁護士の品位評価の基準となると考えるベではありませんか。

 「人権の擁護」と「品位の保持」。この両者を統一的に理解すべきではありますが、しからざるものとしても、両者の重みの違いを十分に認識しなければならないところです。弁護士の活動の根幹と枝葉とを混同することのないよう、お願いする次第です。

 人権擁護活動の一端である対象弁護士の行為を、極めて曖昧で分かりにくい「品位に欠ける」との評価で、懲戒処分を科するようなことをしてはなりません。

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