(2023年3月7日)
日韓関係を象徴する徴用工問題。主要なアクターは4者である。日本の政権と民衆をA・Bとし、韓国のそれをC・Dとする。Dの中に、被害者本人や遺族、そして広範な支援者が含まれている。
AとCとは、十分に事前の摺り合わせの上、問題解決のスキームを作った。そして昨日、Cがこれを発表しAが直ちに呼応して歓迎の旨を表明して、事態の打開を図ろうとしている。しかし、BとDとはいずれもこのスキームでの解決を支持する雰囲気にない。とりわけ、Dは拒否反応を示している。昨夜、ソウルではこのスキームに反対するロウソク・デモが行われた。
Dが最も望むものは、Aの謝罪である。正確には、Aと一体となった国策企業の真摯な謝罪である。理不尽な被害を被った者の加害者に対する当然の要求である。しかし、これに対するAとBの態度は、およそ真摯さとはほど遠いもの。だから、Dが反発している。
今朝、寝床でラジオを点けたら、民放の複数の番組から野蛮な論評が聞こえて来た。「問題はもう、全て解決済みなんですよ。今さら蒸し返されるべきことではない」「もう、二世代も昔の話ですよ。こんなこといつまで繰り返すんでかね」「1965年の請求権協定で、完全かつ不可逆的に日本の責任はないことになった。あとは全て韓国の国内問題ですよ」「あの国は、日本が譲歩すればゴールポストを動かすんだから」「もう、有償無償併せて5億ドルも払って解決済み」…。こういう発言が、Dを刺激するBの態度であり、この姿勢こそが問題の解決を妨害するものと知らねばならない。
得々とこう言う論者は、徴用工問題に関する韓国大法院判決をよく理解していないのではないか。判決は、必ずしも原告の言い分を全部認めたわけではない。賃金支払い請求を棄却して、慰謝料請求だけを認めたのだ。今、この意味は小さくない。
原告側の主たる主張は、1965年日韓請求権協定によって原告(元徴用工)の権利がいささかの影響も受けるものではないということだった。個人として日本企業に対して有する請求権を、頼みもしないのに、国家(韓国)が処分できるはずはない。ましてや、民意に基づかない当時の軍事政権に交渉の代理権はない、というものだった。
しかし、判決は当時の国際慣行に照らして、この主張を排斥した。その上で、国際法の推移を詳細に検討して、「企業の虐待による慰謝料請求権は、日韓請求権協定の協議対象に含まれていない」として、慰謝料の請求だけを認めたのだ。この意味が、今クローズアップされることになっている。
「日本企業の賠償義務肩代わり」と言われる「賠償義務」とは、日本製鉄などの企業が元徴用工に負う損害賠償債務である。その内容は慰謝料(精神的損害の賠償)である。これを第三者である、韓国の財団が弁済しようということなのだ。そんなことができるものだろうか。
大法院の判決が確定して、債務者・日本製鉄が、債権者・元徴用工に対して慰謝料支払いの債務を負担している。この債務を、債務者・日本製鉄以外の第三者に弁済させることを許してよいものだろうか。誰が考えても違和感が残るところではないか。
第三者に弁済させても問題のない債務もあるだろう。しかし、慰謝料は加害者に支払わせてこそ意味がある。第三者に慰謝料を支払わせた加害者が涼しい顔をしていたのでは、被害者の精神的な損害は慰謝されることにならない。
本来慰謝料とは、被害者の精神的な損害を金銭に評価して支払わせるものである。小さな精神的被害には少額の慰謝料、大きな精神的被害には高額の慰謝料を支払わせることになるが、いずれにせよ加害者に支払わせて、被害者の精神的被害を慰謝することとなる。債権者(元徴用工)の承諾なしに、第三者による弁済を許してよいことにはならない。
本件の元徴用工にとっては、自分を虐待して使役した加害者日本製鉄に支払わせてこそ、慰謝料の意味がある。他の第三者に弁済させたのでは、慰謝料としての意味がなくなるのだ。求償権は行使しない、などと言われればなおさらのことだ。元徴用工本人の明確な意思として第三者による弁済を認めない限り、第三者弁済は認められない。元徴用工の日本製鐵に対する債権は強制執行力あるものとして生き続けることになる。
結局のところ、今回発表のスキームで解決するためには、元徴用工やその遺族の意向を十分に尊重し、その精神的慰謝ができるように取り計らわねばならない。そうでなければ、「韓国政府が日本の強制連行加害企業の法的責任を免責させることに加担している」と批判されることになる。
結局は、A(日本政府)とC(韓国政府)との裏舞台の合意だけでは、このスキームは成功しない。まずはD(韓国の民衆)が納得できるスキームに調整し、これをBが支持するものとしなければ解決には至らないのだ。
(2023年3月6日)
本日の「ソウル聯合ニュース」は、こう伝えている。「韓国政府は6日、日本による徴用被害者への賠償問題をめぐり、2018年の韓国大法院(最高裁)の判決で勝訴が確定した被害者に対し、政府傘下の財団が日本の被告企業の賠償を肩代わりして支払うことを正式に発表した。朴振(パク・ジン)外交部長官が記者会見を開き、政府の解決策を発表した。ただ、日本の被告企業が賠償に参加しない方式であるため、『中途半端な解決策』という声も上がる。一部被害者は強く反発している」
これに日本側も呼応した。岸田首相は参院予算委員会で「日韓を健全な関係に戻すためのものとして評価する」と韓国の対応を歓迎。「日韓、日米韓の戦略的連携を一層強化する」とも語った。バイデン米大統領も日韓の対応を評価する声明を出した。
とは言え、韓国の「一部被害者は強く反発している」だけではない。日本の「一部加害者も強く反発している」のだ。何よりも、債権者(元徴用工)の意に反する第三者(財団)の弁済は原則認められない。事態はけっして甘くない。解決までの途は遠い。
当然のことながら、日韓関係は難しい。政府間関係はさほどではなくとも、国民感情は複雑で微妙である。ロシアとウクライナの関係に照らせばよく分かる。仮に今停戦が実現したとしても、あるいは講和条約が締結されたにせよ、侵略者ロシアに対するウクライナ人民の怨嗟がにわかに解消されるはずはない。とりわけ、家族を殺された人、傷付けられた人、家を焼かれ壊された人、故郷を追われた人、辱められた人…にとっては。
近代日本の天皇制権力は、富国強兵を掲げて侵略戦争遂行を国是とした。侵略戦争の結果としての植民地支配を国力強盛の証しとして誇示さえした。恥ずべき強盗の論理と言ってよい。強盗国家は、台湾を侵略し、朝鮮を侵略し、満蒙から、華北に侵略の手を伸ばして泥沼の戦争に陥った。
ロシアのウクライナ侵略は、1年余である。近代日本の朝鮮侵略は、1876年の江華島事件以来の歴史をもつ。けっして日韓併合後の36年だけではない。積年の怨念が並大抵のものではないことを理解しなければならない。
朝鮮の侵略のために、日本の軍隊が朝鮮の人民をどれだけ殺戮したか。甲午農民戦争(1894年1月 – 1895年3月)だけで殺戮者数は3万?5万人とされている。また、「1919年、1年間で実に1542回にわたり行われたデモで、全国でおよそ7600人が死亡、1万6000人がけがを負い、4万6000人が逮捕・拘禁された」というのが、韓国政府の公式見解である。この「7600人の死亡」とは、日本の官憲による非武装のデモ参加者に対する虐殺ではないか。
人民の被害だけでなく、韓国の権力側にも被害が大きい。閔妃(明成皇后)の暗殺は、ナショナリストには衝撃であったろう。立場を替えれば、朝鮮の軍人が皇居に侵入し皇后を暗殺したのだ。
さらには、創始改名を強要し、民族のアイデンティティである言語まで奪おうとした。もう過去のこと、十分に謝ったじゃないか、何度蒸し返すんだ、と居丈高となるのは、歴史に学ぼうとしない態度というほかはない。
私見では、韓国大法院の徴用工判決は、穏当で説得力あるものとなっている。これに従うべきが本筋だと思う。が、日本側が真摯な態度を見せることで解決に至るのであれば、もちろん、望ましいところ。戦後の日韓交渉は困難を極めたが、交渉が進展したのは韓国側が保守政権の時に限られている。今、支持率低迷しながらも、親日保守政権である。日本側に問題解決の意思があれば、誠意を見せるべきであろう。誠意を見せる相手は、韓国の政権ではなく、植民地支配に虐げられた当事者としての民衆でなければならない。
「ソウル聯合ニュース」は、こうも伝えている。
「一部の被害者はこれまで韓国政府傘下財団による賠償肩代わり案に強く反発してきた。政府の正式発表でも被告企業の資金拠出は盛り込まれておらず、批判の声が相次ぐ見通しだ。」
本日、朴振外交部長官は被告の日本企業が参加しない「中途半端な解決策」との批判について、「コップに例えると、コップに水が半分以上は入ったと思う。今後続く日本の誠意ある呼応によってコップはさらに満たされると期待する」と述べたという。
果たして、「韓国側によってコップに半分の水が入った」だろうか。また、「日本側は、このコップに十分な水を注ぐ」ことになるだろうか。そもそも、この水は、植民地支配の辛酸を余儀なくされた人々を癒す滋味に溢れたものと言えるだろうか。
(2023年3月5日)
戦前、廣田弘毅内閣時代の帝国議会で、古参議員と陸軍大臣との間で「腹切り問答」と言われたやり取りがあった。2・26事件翌年の1937年1月21日衆議院本会議でのこと。立憲政友会の浜田国松(議員歴30年、前衆議院議長)が、軍部の政治干渉を痛烈に批判する演説を行った。そのさわりは以下のとおりである。
「近年のわが国情は特殊の事情により、国民の有する言論の自由に圧迫を加えられ、国民はその言わんとする所を言い得ず、わずかに不満を洩らす状態に置かれている。軍部は近年自ら誇称して…独裁強化の政治的イデオロギーは常に滔々として軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険がある」
「恪循」とは、何とも難しい言葉だが、ことさらに分かり難い言葉を選んだのかも知れない。「謹んで従う」という程度の意味のようだ。
これを聞いた寺内寿一陸相は答弁に立って「軍人に対しましていささか侮蔑されるような如き感じを致す所のお言葉を承り」と反駁。浜田は2度目の登壇で逆襲した。「私の言葉のどこが軍を侮辱したのか事実を挙げなさい」と逆質問。寺内は「侮辱されるが如く聞こえた」と言い直したが、浜田は執拗に3度目の登壇で「速記録を調べて私が軍を侮辱する言葉があるなら割腹して君に謝罪する。なかったら君が割腹せよ」と厳しく詰め寄った。これに寺内は激怒、浜田を壇上から睨みつけたため、議場は怒号が飛び交う大混乱となったという。
議会は停会となり、陸海軍の確執なども絡んで、結局広田内閣は閣内不統一を理由に総辞職した。閣内に、陸軍大臣・海軍大臣などが存在し、天皇大権を背に威を張っていた時代の椿事である。
時は遷って一昨日、3月3日参議院予算委員会でのこと。スケールは小さいが、よく似た「事件」が生じた。役者は代わって、小西洋之(立憲民主党)と高市早苗(元総務相・現経済安保相)である。
小西は2日「総務省職員から提供を受けた内部文書」として、A4用紙78ページの文書を公表した。「総務省の最高幹部に共有され、超一級の行政文書」だとしている。小西自身が総務省(当時は郵政省)出身だということが、この文書の信憑性に一役買っている。内容は、「個別の番組への介入を可能とする目的」で、放送法の行政解釈を変更するよう、安倍政権が総務省に圧力をかけたものだという。真面目な総務官僚が不当に行政を枉げられたという義憤からの情報提供という構図。
これをもとに2014〜15年に、安倍政権や総務大臣が放送メディアに政治的圧力を掛けたという。政権による表現の自由への介入として大問題であるし、アベ政治の負のレガーシーとして書き加えなければならない。
同資料には当時の礒崎陽輔首相補佐官が総務省幹部に放送法の解釈をただしたやり取りが記されていただけでなく、当時の高市総務相、安倍晋三首相への報告記録なども含まれている。
そう言えばその頃、高市が居丈高に停波の可能性などに言及していたことが忘れがたい。安倍は過去の人になったが、いまや、高市問題となっている。
3日の参院予算委員会で、小西はこの文書に基づいて高市に質疑。「安倍総理からは今までの放送法の解釈はおかしい旨の発言、実際に問題意識を持っている番組を複数例示」と内容に言及。『サンデーモーニング』(TBS系)などの具体的番組名が出てくる。
ところが高市は、「全くのねつ造文書だ」と突っぱねた。「信ぴょう性に大いに疑問を持っている」「礒崎氏から放送法について私に話があったことすらない」と強調した。安倍氏と「放送法について打ち合わせやレクをしたことはない」とも明言した。そして、「本物なら閣僚や議員を辞職するか」問われて「結構だ」と明言した。腹は切らないが、首を懸けるというのだ。
具体的なやり取りは次のとおり。
小西洋之 「仮にこれが捏造文書でなければ、大臣そして議員を辞職するということでよろしいですね。」
高市早苗 「結構ですよ。…小西委員から頂いた資料を見ましたけれども、ご指摘の文書、私の名前出て来るの4枚だったと思うんですが、私が行ったとされる発言について、私はこのようなことは言ってませんし、当時の秘書官も同席してましたので確認しましたが言ってません」
高市の閣僚としての地位のみならず、議員としての地位がいつまで保つのか。まだ分からない。
このやり取りは、森友学園をめぐる公文書偽造問題を思い出させる。2017年2月17日、安倍晋三は、国会で「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と明言した。が、彼は自分の言葉に「恪循」しなかった。世上、こういう人物を卑怯者という。少なくも、信用できる人物ではない。高市が、自分の発言に責任をもつ人物であるか否か、見極めなければならない。
(2023年3月4日)
本日は、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の原告団会議。遠慮のない意見交換の場でありながら、和気藹々たる雰囲気が心地よい。訴訟進行に伴っての、こまごまとした打合せのあとに、メインの議題として、訴訟に提出する各原告の陳述書の内容の検討がされた。
最初の検討対象が、Sさんの第2稿。第1稿に対する意見を反映したものだが、私の第一印象は「よくできてはいるが、長い」ということ。ワープロソフトで字数を数えると、3万0673字、400字詰原稿用紙換算で77枚、裁判所提出用の標準書式では35ページとなる。ミニ卒論並みではないか。しかし、大方の意見は「長いが、よくできている」という評価。
「裁判官が読む気になってくれるだろうか」というのが、私の危惧だったが、反論が相次いだ。「いや、流れるような文章で読み易い」「どこかをカットして短くするのは難しいのでは」「野球部の顧問としての活動に相当のスペースが割かれているが、省くとすればここかも」「いや、日の丸・君が代にこだわる教員が、実はごく普通の教員だということを理解してもらうためには省かない方がよいと思う」「第1次訴訟では100ページを越す陳述書もあった。それにくらべて、異常に長いというほどではない」。結局は、これ以上長くはせぬよう、更に本人の推敲を期待するという結論に。
次いで、Kさんの第4稿。これはほぼ完成稿だが、結構な長文である。2万5722字、400字詰めで65枚分。この人特有の問題があって長文とならざるを得ないことで了解。この陳述書のなかの「校長が教員に卒業式の(起立・斉唱の)職務命令書を渡しているところを目にしました。若い教員が『かしこまりました。しっかり務めます』と言って、恭しく職務命令書を受け取っていました」という個所がひとしきり話題となった。
「昔の都立高では考えられない風景」「上司からの指示や命令には服従すべきが、当然と思っている雰囲気」「自分の頭でものを考えることを教員が放棄している」「教育現場も、まるで警察や軍隊と同じ上命下服の世界だと思わされている様子だ」「それにしても、最近若い教員が『かしこまりました』というのが気になる」「そう、教員たるもの、かしこまってはいかんのじゃないか」「研修マニュアルで教え込まれているようだが、反射的にこういう言葉が出て来る」「やはり、異議を述べる言葉を準備して、とっさの場合に言えるようにしておかねば」
どういう言葉を準備して、なんと言えばよいだろうか。
まずは、「校長、お言葉ではございますが…」と切りかえそう。
「この職務命令、まさか校長の本心とは思えません」
「すこし、考えさせてください」
「まだ納得いたしかねます」
「せっかくですが、お請けいたしかねます」
「教師を志した私の良心が、起立斉唱を許しません」
「ご了解ください。生徒を裏切ることはできません」
「主体的に生きよ、大勢順応に陥るな、と教えている自分です。到底、この命令に承服できません」
以下に、陳述書の話題提供の個所を抜粋する。やや長文だが、分かり易い。よくお読みいただくようお願いしたい。
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ロシアでは以前から卒業式などで国歌を流していましたが、義務ではありませんでした。けれど、ウクライナ侵攻を背景に、愛国心教育が強化され、2022年9月から小学校で週の初めの授業前に国旗掲揚と国歌斉唱が義務化されました。民主派への弾圧が続く香港では、中国式愛国教育を徹底して浸透させるため、2022年から国旗掲揚が授業日に義務化されました。ロシアや香港で起こったことは、国旗国歌の強制が、国民の愛国心を強化して戦争に向かわせようとすることや、民主主義の弾圧につながることをはっきり示しています。
先日、職員室で、校長が教職員に卒業式の(起立斉唱の)職務命令書を渡しているところを目にしました。若い教員が「かしこまりました。しっかり務めます。」と言って、恭しく職務命令書を受け取っていました。職務命令書が渡されることに何の疑問も感じていない様子でした。
沖縄修学旅行の際、元ひめゆり学徒の方や沖縄平和ネットワークの方が繰り返し言っていたのは、「真実を見極めてほしい。情報を鵜呑みにしないで、自分の頭で考えて、自分の考えを持ってほしい。」ということでした。それが平和を守るために一番重要なことなのです。しかし、今の都立高校で、真実を見極める力や批判力を身に付けさせることは出来るのでしょうか。評論家・吉武輝子の女学校の教員は戦後彼女に「批判のない真面目さは悪をなします。」と語ったそうです。最近の若い教員はとても真面目です。上司の命令には、どんなことでも素直に従いますし、従わなければならないと考えているようです。けれど、これはとても恐ろしいことなのではないでしょうか。
私は上司の命令が良心に照らして間違っていると判断された場合は良心に従うべきだと考えます。ドイツでは、過去の戦争において、上司の命令の下に非人道的な行為が繰り返されホロコーストの悲劇が起こったことの反省にたって、軍隊でも「上司の命令が自分の良心に照らして間違っていると判断される時は、命令に従ってはならない」と教育されるそうです。軍隊においてすらそうなのですから、ましてや人間を育てるという崇高な目的を持った教育現場において、教員はたとえ上司の命令であっても良心に照らして間違った命令には従ってはいけないと私は考えます。公教育に携わる者として、自分の未来よりも、この国の未来を考えなければならない、未来に責任を持てる行動をとらなければならないと考えた時、私はとうてい起立することができなかったのです。
(2023年3月3日)
統一地方選が間近である。これまで、あまり話題にならなかったが、地方政治の保守勢力と統一教会との連携は、中央以上に緊密な模様である。さすがに、中央政界では、どの政党も統一教会との関係は断絶しなければならないと姿勢を正している。しかし、地方でその姿勢を貫いくことは至難の業なのだ。再びの蜜月の関係を求めて、地方の統一教会と保守勢力とが、蠢動しているようだ。
昨日の毎日新聞朝刊トップに、「特定宗教の遮断回避を 101地方議会に陳情書」という調査報道。そして、社会面の関連記事に「陳情 保守系との断絶危惧」という見出し。
「特定の宗教との関係を遮断する決議や宣言をしないことや、特定の宗教と議員らとの関係を調査しないことを求める陳情書や要望書が、少なくとも30都道府県の101議会に提出されていたことが、毎日新聞のアンケート調査で判明した。提出者が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)や関連団体の関係者と確認できたのは18議会だったが、他の陳情書や要望書も文面が酷似しており、教団との関係を断つ動きが地方議会で進むことに対抗しようと提出された可能性がある」
これは分かりやすい。調査対象とされた全国の主要な330自治体中の101議会である。組織的な動きであることに疑問の余地はない。これまで保守勢力と連携していた統一教会は、議会決議の蔓延を恐れている、「保守系との断絶を危惧」しているのだ。
毎日は、「国政と同様に地方でも、保守系政治家との気脈が断たれかねない現状への危惧や不満が背景にある」としているが、実は「保守勢力の側も統一教会との断絶を危惧している」というのが、毎日報道から読みとるべきところ。当然のことながら、反転攻勢の意図も読みとらねばならない。
以下の毎日の関連記事に注目せざるを得ない。
「2022年11月中旬。栃木県議会や県内全市町の計26議会宛てに、同じ内容の陳情があった。『議会が特定の宗教や関連団体との関係を遮断することは、思想・良心の自由や請願権の侵害』と訴え、そうした決議をしないよう求めていた。提出したのは『基本的人権を守る栃木県民の会』。代表の増渕賢一(としかず)氏(76)は県議通算9期で県議会議長や自民党県連幹事長も務め、15年に引退した地元保守政界の重鎮だ」
言うまでなく、陳情書の「特定の宗教」は、旧統一教会を指す。彼は、統一教会と地元政界のつながりについて、「互いに利があって近づくんだろう」と言う。自身は信者ではないが、「国際勝共連合栃木県本部」の幹事長を長く務めている。「教団関連とは分かっていた。入ったのは反共という理念が一致したから」。教団信者の選挙支援も受けた。「ビラのポスティングを黙々とやってくれて助かった」。「県内で政治家と教団の窓口になったのは、全部私。教団は存在をアピールして理念を広めるため、政治家は票になるため、お互いに近づく」。
この人物の行動は、統一教会の指示であるよりは、保守陣営の要求によるものと言うべきだろう。むしろ、両者がここまで密着し一体化していることに愕然とする。今さら、切っても切れぬ仲になっているのだ。
これまで、この両者がどれほど密接な関係にあったか。その一端を、本日の毎日記事が教えてくれる。「旧統一教会系イベントに地方議員170人参加か 旅費負担も」というもの。
「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体が2020年2月に韓国で主催したイベントに、日本から多くの地方議員らが参加していたことが議員らへの取材で判明した。参加した元市議は「関係者から約170人が参加したと聞いた」と証言。議員らは教団側に旅費を負担してもらったり、公費の政務活動費(政活費)で処理したりしていた。取材に対し、政治活動に対する教団の影響を否定したが、専門家は不適切だと指摘している。」
このイベントは、UPF(天宙平和連合)が主催「ワールドサミット2020」。教団の創始者・文鮮明の生誕100年を記念する行事。170か国から政治家や宗教指導者、学者ら6000人以上が参加したという。教団トップの韓鶴子総裁が「全ての国家が天の父母様の子女になればこれ以上の戦争と葛藤はあり得ません」とあいさつする場面もあったという。
毎日は、参加した議員の多くに取材しているが、その中に兵庫県西宮市の市議会議長のコメントがある。「UPFの旅費負担で参加。国会議員秘書時代から付き合っているUPFの知人に誘われた。5万?6万円とされた旅費を「今回は結構です」と言われて受け入れたという。問題発覚後、費用を精査して9万7200円を返還。取材に「軽率だった」と釈明する一方、個人的な行動で「違法ではない」と強調した」との記事になっている。
また、政務活動費で処理しあとで返還したというケースもある。これに関して、政治資金の問題に詳しい神戸学院大の上脇博之教授(憲法学)が「教団側の費用負担により議員は教団への弱みができる。持ちつ持たれつの関係になりかねず不適切だ。また、政活費は議会活動の調査などに支払われるものだが、イベント参加はそのためのものではない。違法支出の可能性が高い」とコメントしている。
統一教会と保守勢力、反共という理念で結ばれているのか、あるいは「互いに利があって近づいた」のか。いずれにしても相当に深みに陥っている腐れ縁。国民の監視の目を光らせておかなければ、たちまちにして再度の癒着を許すこととなる。
(2023年3月2日)
権力者はレガシーを欲する。その地位を退いたとき、あるいは棺を覆ったとき、そのレガシーが定まる。立派なレガシーもあれば、とんでもない負のレガシーもある。承継するにせよ、批判し反省材料にするにせよ、まずはこれを正確に見定めるべきが国民の責務である。
ところが、最低の為政者は、負のレガシーを正直に国民の目に晒してはならじと覆い隠そうとする。安倍晋三がその典型であり、今はその負のレガシーの隠滅に安倍後継政権が必死になっている。
安倍晋三という政権担当者は、自分のしていることがよほど疚しかったと見える。ウソとゴマカシと隠蔽の手口で知られた。それゆえにこそ、いったい彼が何をしたのか、正確に検証しなければならない。ところが、その隠蔽体質が、政権を退いたあとの負のレガシーの総括を困難にしている。その最たるものが、無為・無策・無能の極致と揶揄されたアベノマスク問題である。
天下の愚策アベノマスクの、製造と配布と保管と廃棄に、いったい幾らのカネがかかったのか。誰がどれだけ儲けたのか。それが正当なものなのか否か。どのような規準と経緯で業者を選定し、どう単価を設定し、どのように契約の履行を確認し、違約にはどんなペナルティを科したのか。コストに見合う成果があったのか。その検証をしようにも、基礎資料がない。
なんということだろう。すべては国民が拠出した公金である。細大漏らさず、国民には知る権利がある。怪しい安倍晋三の息のかかった公金の支出であればなおさらのことである。行政が進んで事情を明らかにしないのだから、情報公開制度の利用に頼らざるを得ない。
制度に精通した神戸学院大学の上脇博之教授が、安倍晋三の在任中から、アベノマスク問題に取り組んだ。ところが、開示請求をしても、なかなか文書が出て来ない。ようやく出てきたものも、肝心なところが墨塗りなのだ。あるいは、あるはずの資料がないとされる。やむなく弁護団を組んでの大阪地裁への行政訴訟の提起となった。
その訴訟は二つあった。
?単価や数量を不開示とする決定を争い開示を求める訴訟(「単価訴訟」、2020年9月28日提訴)
?契約締結経過に関する文書を不存在とした決定を争い開示を求める訴訟(「契約締結経過訴訟」、2021年2月22日提訴)
「単価訴訟」について、一昨日(2月28日)大阪地裁は判決を言い渡した。慰謝料を求める国家賠償請求を除いて、開示請求に関しては完勝となった。45通の文書の一部不開示をすべて違法とし、開示を命じたのだ。その意義は大きい。
この日の原告と弁護団の声明はこう言っている。
「判決は、政府の「アベノマスク」の購入単価や数量は情報公開法5条2号(法人情報)や同条6号(国の事務事業情報)の非開示情報には該当しないとし、これらを不開示とした厚生労働大臣(当時加藤勝信氏)及び文部科学大臣(当時萩生田光一氏)の各決定を違法として取り消し、同部分の開示を命じました。」
「約500億円もの巨額な税金を使用し、一部の業者にのみ随意契約で巨額の利益を与え、国民の大半が利用しなかった安倍政権のコロナ対策の典型的な失敗事例である「アベノマスク」配布事業について、キチンと全ての情報を国民に明らかにし国民的総括、反省をする機会を、政権及び中央官庁は隠蔽し奪ってきました。本判決は、司法が政権・中央省庁のこのような隠蔽体質を断罪し、これらの情報をすべからく国民に明らかにすることを命じたものであり、重要な意義があります。」
また、会見で弁護団(阪口徳雄団長)は、「500億円という巨額の税金が投じられた政策について、まずはデータがないと是非を検討すらできません。2年半かかって長いトンネルの入口にやっと立てた。これからが本丸です」と語っている。
3年前の「アベノマスク」配布を思い起こそう。当時の首相安倍晋三の思いつきで全戸配布した布マスク。汚れや虫の混入が発覚して大騒ぎになり、予定より遅延して配布したころには、既に市場に不織布マスクの供給が戻り始めていた。介護施設や妊婦向けを含め計約2億9000万枚を調達し、21年度末までに少なくとも約502億円を投じた。厚労省の調査では、検品対象の15%に当たる約1100万枚が不良品。国は22年、余った約7100万枚を希望者に配って在庫を処分した。
この巨費を無駄にした愚策の経過を徹底して明らかしなければならない。そして、こんな人物を責任ある立場に就けた国民の判断の過ちも、しっかりと確認しなければならない。
岸田文雄首相は1日の国会で「(控訴について)さまざまな観点から適切に判断する」と述べているが、控訴は止めた方がよい。その方が、内閣支持率を幾分かでも回復することになるだろう。上脇教授の言うとおり、「国民の大半が使わなかったアベノマスク事業を総括する必要がある。国は控訴しないで、まずは国民に情報を開示した上で、第三者による検証を進める」のが妥当なところ。
上脇さんの行動は、怒りをエネルギーにしているように見える。不正に対する怒り、民主主義を壊すものへの怒りである。願わくは、国民全体で、この不正な為政者に対する怒りを共有したいものと思う。アベノマスク訴訟が、アベ政治の巨大な負のレガシー総括の端緒となり、国民の怒りの口火になってもらいたいとも願う。
(2023年3月1日)
1月はとっくに行き、2月も逃げて、本日から3月。「3・1ビキニデー」でもあり、「3・1独立運動記念日」でもある。例年のとおり、暖かい陽射しの中で庭の白梅がひっそりと香しい。人もかくありたいと願えども、とうてい無理なこと。せめては、落ちついて考え、発言したいと思う。
ところで、第2次安倍内閣の発足を機に、毎日更新を広言して発足した当ブログ。事情あって、現状の形式で連載を開始したのが2013年4月1日。以来、昨日までの連載が、9年と11か月。毎日の連続更新が3621回となった。あと1か月で、満10年となる。
はからずも安倍政権が長期政権となって、当ブログの連載も長期となった。それでも、さすがに2020年9月にはこの悪名高い政権も終焉を迎えた。ところが、その後もなおアベ政治は継続して今日に至っている。そして安倍晋三銃撃死事件である。なんとなく、当ブログの終わりのメドが付かないままに、満10年になろうとしている。このあたりで区切りを付けなくてはならない。
当ブログの連載は今月末で閉める予定。その後のことは、まだ考えていない。今日から31日間の毎日、心して書き続けたい。取りあげたいテーマはいくつもあるが、まずは、統一教会問題である。
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「世界日報」と言えば、統一教会の広報担当紙。その2月25日号に、「旧統一教会叩きと違憲訴訟」という記事が掲載されている。地方議会に広がった教団との「断絶決議」を対象として起こされた「違憲訴訟」に言及するもの。これは、興味深い。興味深いという理由は、統一教会と右翼の縁の深さの確認というだけではない。その両者を結ぶものが、安倍晋三であるということの再確認ということである。この記事に付されている、二つの小見出しの一つが、「『安倍氏の名誉挽回』図る原告代理人」というのだ。
この「断絶決議」に関しては、昨年12月24日付の当ブログで記事にした。「富田林市議会の統一教会との関係根絶決議にイチャモン提訴」という標題でのこと。
富田林市議会の統一教会との関係根絶決議にイチャモン提訴
その事件の第1回口頭弁論が本年2月22日に大阪地裁で開かれた。
原告・UPF大阪側は、訴状で「議会請願に必要な議員の紹介を得られなくなって、請願が著しく困難になった」「特定の宗教団体の信仰を理由にした差別的な決議で、信教の自由や法の下の平等にも反する」と主張した。これは、メディアの報道だが、原告はメディアにこれ上のことを説明していない。率直な感想だが、本人訴訟であればともかく、よくもまあ、弁護士が就いていてこんな提訴をしたものだと思わざるをえない。
大阪市と富田林市は、型のとおり「議会の意思を示す決議に法的拘束力はなく、取り消し訴訟の対象とはならない」「請願に賛成し、橋渡しをする紹介議員になるかどうかは各議員の判断である」「決議は信仰の自由を規制するものではなく、憲法違反ではない」とした。極めて常識的な反論。判決も、常識的にこうなるに決まっている。むしろ問題は、こんな敗訴確実の訴訟を意識的に提起して、自治体の決議の拡がりを阻止しようとしたUPF大阪と原告代理人の責任にある。
その3日後の世界日報記事によると、月刊「正論」3月号に、「旧統一教会信者なら人権侵害していいのか」と題した論考が載った。執筆者は弁護士の徳永信一。この標題が、「断絶決議が旧統一教会信者の人権を侵害している」という無理筋の主張を物語っている。「憲法の保障する信教の自由と請願権を侵害され差別的扱いを受けたとして、決議取り消しと自治体に損害賠償を求め提訴したのである」のだという。その誤謬は、間もなく判決で明確になる。
なぜ、右翼弁護士がこんな事件を引き受けたか。世界日報記事は、「徳永氏は、教団関連団体と『深い関係を築いてきた』市議たちが行った『断絶決議』が憲法違反であることを法廷で示すことで、…『旧統一教会との繋がりを揶揄された安倍元首相の名誉挽回』を図ろうとしているのである」という。なるほど。
統一教会と右翼とは、理念の上では反共という黒い糸で強く結びついている。その黒い糸を操っていたのが、岸・安倍の三代であることが知られている。いまなお、統一教会と右翼とを、亡き安倍晋三がつなげているのだ。
右翼としては亡き安倍晋三の名誉挽回のための提訴であり、統一教会としては市議会や世論を牽制する意図での提訴である。勝ち目のない訴訟と分かっていながらの、原告本人と代理人にはそれぞれ別の動機を持っての提訴。まさしく「イチャモン訴訟」である。
ところで、本日東京地裁が注目すべき判決を言い渡した。説明がやや複雑になるが、関連する訴訟が二つある。まず先行訴訟があって原告の請求が全部棄却となって終わった。次いで攻守ところを替えた反撃訴訟が提起され、本日、反撃訴訟の一審判決で先行訴訟の提訴自体が不法行為として認められたという経過である。
アイドルグループのメンバーだった16歳の女性が自死したことについて、遺族が原告になって、所属会社と代表取締役を被告として、自死の原因を作った責任を問う損害賠償請求訴訟を提起した。これが先行訴訟。しかし、遺族の請求は全部棄却となって確定した。
次いで、攻守ところを替えた反撃訴訟が提起された。今度は会社と代表取締役が原告となって、遺族らに違法な提訴をしたことの責任を問う損害賠償請求訴訟。これが、反撃訴訟。そして本日東京地裁は計567万円の支払いを命じた。
注目すべきは、先行訴訟の代理人となり記者会見で発言した弁護士も被告とされて、不法行為責任が認められたということである。UPF大阪と大阪市・富田林市の事件になぞらえれば、両市が原告になっての「反撃訴訟」で、UPF大阪とその代理人弁護士を訴えて勝訴したことになる。
両市の市民は、統一教会側によって市が被告とされたことによって応訴の費用を負担しなければならない。この損害の補填を求める方法はあるのだ。
(2023年2月28日)
自由民主党総裁、岸田文雄です。本日、2月26日という特別に意義の深い日を選んでの第90回党大会であります。まずは、我が党が依拠する国民の代表として経団連十倉会長のご臨席を賜っていることをご報告し、しっかりと丁寧に、御挨拶を申し上げます。
昨年7月、安倍晋三元総裁が、選挙期間中に銃撃され、お亡くなりになるという未曽有の事件が起こりました。安倍元総裁の下「日本を取り戻す」なんて大袈裟なことを言いつつ、当時の民主党から政権の座を奪還したのは今から10年前のことです。
この「日本を取り戻す」という訳の分からぬスローガンによれば、当時日本は誰かに奪われていたのです。奪われていた「日本」とは、安倍晋三元総裁が本来あるべきと考えた富国強兵の日本であり、軍事大国の日本であり、中国や朝鮮を侮蔑する傲慢な一等国日本であったかと思われます。少なくも、戦後民主主義に汚染される以前の、美しい帝国日本であったことには間違いありません。
だからこそ、この10年、安倍元総裁の強力なリーダーシップの下、私たちは多くの仲間とともに「平和」や「民主主義」や「人権」と闘い、憲法改正のために死力を尽くしてまいりました。もちろん、闘う相手は「国民」です。頑迷に憲法改正に反対する勢力との闘いの道半ばで倒れた安倍元総裁のご遺志を継いで、私も憲法改正に邁進する覚悟であります。
さて、遺憾ながら、アベノミクスの失敗は誰の目にも明らかで、この10年、日本の国力は大きく低下しました。「日本には未来がないのでは」とささやかれた時代は過ぎ、今や誰もが大っぴらに経済政策の失敗を語り合う事態を迎えています。しかし、こういうときにこそ、安倍元総裁の得意技を思い出していただきたいのです。そうです、「ご飯論法」と「嘘とゴマカシ」、「あるものもない」という安倍流政治手法です。どこかいいとこだけの統計数字を拾ってきて、あたかも全体がうまく行っているように印象操作をするあの悪徳商法まがいの得意技。虚心坦懐にこれを見習い、実行し、頑張って、統一地方選挙も、衆議院の補選も乗り切っていこうではありませんか。
選挙での訴えの基本は二つだけ。一つは、なんでも悪いことは、あの悪夢の民主党時代の悪政の結果と決めつけることです。もう一つは、なんでも良いことは、我が党の努力による「前進の10年」の成果だと断言すること。照れたり、恥ずかしがって小さい声で言うのではなく、堂々と大声で、安倍晋三さんをお手本に、ウソでも平気で「アンダーコントロール」と自信ありげに言うことがコツなのです。
とは言え、現実には日本が置かれている状況は厳しく、課題は満載です。コロナ後の日本経済再生、かつてないエネルギー危機、その中でのエネルギー安定供給と脱炭素の両立、変化する国際秩序の中での外交安全保障、最大の未来への投資であるこども・子育て政策。正直なところ、安倍さんの責任は重大ですが、そう言っていけません。
われわれなら克服できる、いや、われわれにしかできない。皆さん、そう思いませんか? なぜなら、われわれ自由民主党には良き伝統があるからです。議論を尽くし、知恵を持ち寄り、そしていったん決めたなら、一致団結して成し遂げる。そう、「民主集中制」という組織運営の大原則です。この良き伝統の下、難題に一つ一つ答えを出し、着実に実行していこうではありませんか。
真っ先に取り組まなければならないことは、アメリカの指示に従っての防衛力の抜本的強化。そして、そのための経済的な裏付けです。即ち、大軍拡・大増税。これを断固として実現しなければなりません。もちろん、財布の大きさには限りがありますから、当然のことながら、大軍拡・大増税は、福祉や教育、子育てへの予算に皺寄せを及ぼします。でも、正直にそう言ってしまっちゃあオシマイですから、「異次元の少子化対策」「教育費倍増」「子供予算倍増」などと、中身がなくてもいいのです。口先だけで吹聴してください。みんなで、口を揃えて、繰り返し言うことが大切です。そうすれば、確実に票がとれます。なに、選挙までの、短い期間のことです。これで乗り切りましょう。
そして、物価高を乗り越え、経済成長を実現するため、新しい資本主義の柱である、「投資と改革」にも全力を挙げます。GX、DX、科学技術・イノベーション、スタートアップ等の分野に、官の投資を呼び水に、民の投資を集めてまいります。地域の未来を創る、地方創生の取り組みも加速化させていきます。何のことだかよく分からぬことを、早口で喋ることが大切です。私も中身はよく分からないのですが、この頃口だけは回るようになりました。
そして、子供たちに「取り戻した日本」を着実に引き継ぐため、憲法改正に取り組んでまいります。自衛隊の明記、緊急事態対応、合区解消、教育の充実。いずれも先送りのできない課題ばかりです。時代は、憲法の早期改正を求めています。維新や国民は、改憲の同志的政党ですから、その力もお借りしながら、国会の場における議論を、一層積極的に行ってまいります。
また、伝統右翼の皆様が大切だと思っていらっしゃる皇室問題も待ったなしです。このままでは、大切な皇位の絶滅を危惧しなければなりません。安定的な皇位継承を確保するための方策への対応は先送りの許されない課題であります。国会における検討を進めてまいります。
本音を言えば、何ごとも行き詰まり、うまく行きそうもありません。戦後長く続いた保守政権の無策の結果がこの事態です。そう思っても、口に出してはなりません。「この歴史の転換点に臨み、今一度、10年前の政権奪還の原点、野党転落のどん底から毅然と立ち上がった原点に立ち戻りたいと思います」と言いましょう。こうして、選挙を乗り切れば、あとは気楽な「黄金の2年」が待っています。
支持率の低迷の岸田政権ですが、なんとかなります。統一教会問題やら、選択的夫婦別姓の問題やら、LGBT問題やら、税制の不均衡やら、原発増設やら、都合の悪いことにはできるだけ口をつぐみましょう。これまでも、我が党に投票した国民ではありませんか。大切なことを忘れっぽく、同調性が高くて体制順応の国民性を信頼しましょう。こうやって、何とか選挙と危機を乗り越えましょう。ご支援、よろしくお願いいたします。
(2023年2月27日)
私は、爆心地近くの広島市立幟町小学校に入学している。「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんの母校。小学校一年生だった私は、原爆ドームの瓦礫の中で遊んだ。広島が被爆して4年目のこと。そして、同じ広島市内の牛田小学校に転校し、さらに三篠小学校から、宇部の小学校に転校した。どこの小学校だったか、集合写真が1枚だけ残っている。もう、70年以上も昔のこと
私は、戦争のさなかに盛岡に生まれ、盛岡で終戦を迎えたのだから被爆の体験はない。が、原爆の爪痕の残る広島の姿は、おぼろげながらも記憶している。市民の「ピカ」に対する無念と恐怖の感情も。
私の平和志向は、あとで聞かされた戦時中の母の苦労と、この広島での生活体験が原点となっている。原爆こそは絶対悪である。けっして人類と共存することはできない。原爆を無くさなくては、人類が滅亡する。6歳での被爆体験を持つ中沢啓治の思いも同様であったろう。そして、はるかに強烈なものであったろう。
私は「はだしのゲン」には、思い入れが強い。感情を移入せずには読むことができない。広島市教育委員会が、平和教育の小学生向け教材から「はだしのゲン」を外す方針を決めたという報道が無念でならない。広島市よ、おまえもか。
広島市教委は2023年度、市立の全小中高の平和教育プログラム「ひろしま平和ノート」を初めて見直す。その際、小学3年向けの教材として、これまで採用していた漫画「はだしのゲン」を削除。別の被爆者の体験を扱った内容に差し替えるという。
「ゲン」を教材として採用した趣旨は、「被爆前後の広島でたくましく生きる少年の姿を通じて家族の絆と原爆の非人道性を伝える狙いで、家計を助けようと路上で浪曲を歌って小銭を稼いだり、栄養不足で体調を崩した身重の母親に食べさせるために池のコイを盗んだりする場面を引用している」(中国新聞)と報道されている。
これについて、教材の改訂案を検討した大学教授や学校長の会議で「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」との指摘が出たという。市教委も同調。その上で、漫画の一部では被爆の実態に迫りにくいとして、もう1カ所あった、家屋の下敷きになった父親がゲンに逃げるよう迫る場面も新教材には載せないという。
戦争は悲惨である。原爆の被害は、その最たるもの。悲惨な場面の描写は避けて通ることができない。被爆者の団体も教材としての使用の維持を求めている。
市教委の今回の措置は実のところ、「悲惨な描写」が理由ではあるまい。「ゲン」がもつ「反戦」の姿勢が不都合なのだ。あるいは『反日』のしせい。戦争とは、加害と被害がないまじったものである。永く続いた日本の保守政権は、過去の戦争の被害の訴えには積極的だが、加害の反省にはまことに消極的である。地方自治体も、戦争の被害者性の訴えには寛容だが、戦争における日本の加害者としての描写には極めて非寛容となる。南京大虐殺にも、シンガポールの大検証にも、三光作戦にも、平頂山事件にも、731部隊にも、従軍慰安婦にも…。
広島・長崎への原爆投下を、それ自体としてだけ見れば、明らかなアメリカの過剰な加害行為で、日本の市民は甚大な被害者である。だから、原爆の被害を訴える展示や集会には、広島市に限らず地方自治体は寛容である。
しかし、「はだしのゲン」は、原爆被害だけを描いていない。原爆被害を素材としながらも、侵略戦争を引き起こした日本の加害者としての戦争責任にも遠慮なく踏み込んでいる。天皇への怨嗟も、軍部の横暴も描いている。戦時下の言論統制にも異議を唱えている。そして、アメリカの戦後責任にも。これが「反戦」の基本姿勢である。そして、ある種の人々から見れば『反日』でもある。これこそが、「ゲン」が単なるマンガを超えて多くの市民から支持された理由であり、同時に右翼や政府や自治体からは疎まれ煙たがられてきた原因なのだ。真実を語ればこその受難というべきであろう。
「はだしのゲン」を読み継ぐということは、日本の加害者としての責任を自覚し続けるということであり、反戦の思想を守り続けることでもある。「はだしのゲン」を大切に読み続けよう。
(2023年2月26日)
昨日、公益財団法人第五福竜丸平和協会の役員懇談会。来年2024年は、ビキニ事件・第五福竜丸被ばくから70年になる。その翌々年2026年は、展示館開館50周年。どのような基本理念で、どのような企画をなすべきか。「ビキニ事件を直接知らない世代が圧倒的多数となる時代に対応する取り組み」についてのフリートーキング。
最初に、奥山修平代表理事から語られたのが、「核兵器の使用も原発への攻撃も、今差し迫った問題となっており、終末時計が1分30秒前まで進行している現状。一方、ビキニ事件を直接には知らない世代が圧倒的多数となっている。こんな時代の節目の時に、どのような事業をなすべきか率直にご意見を伺いたい」という問いかけ。
この冒頭挨拶の中に、こんなエピソードが添えられた。「ある大学の教員が、学生に三つのキーワードでの作文を求めた。『英霊』『真珠湾』『B29』。もちろん日本の戦争への加害と被害の認識を問うたものだが、期待した反応は少なかったという。中には、『英霊とは英国の幽霊』『真珠湾とは、伊勢の養殖真珠産地』『B29とは特別に濃い鉛筆』というコメントもあって、愕然としたという。大切な戦争体験の承継ができていない。ビキニ事件も、記憶を失ってはならないし、失わされてはならない」
この冒頭発言に続く提案として、「映像世代の若者をターゲットに、動画やユーチューブサイトの活用を」「若者には、アニメが訴える力を持っている。自主作成援助の企画を」「平和の折り鶴という固定観念を打ち破るドラゴンの折り紙はできないか」「来年は辰年、ドラゴンのオブジェに、ウロコにたくさんのメッセージを書いてもらう参加型イベントはどうだろうか」「フィールドワークの充実を」と意見が飛び交う。いちいちもっともで、私なんぞが口出しのしょうもない。
ところで、本日は2月26日。1936年の今日、雪の降る東京で陸軍の一部がクーデターを起こしている。翌2月27日「戒厳」が宣せられ、同月29日に鎮圧されている。この事件で陸軍の統制派が権力を掌握して軍部独裁を確立し、国家総動員法(38年)から大政翼賛会(40年)、そして太平洋戦争(41年)へと転げ落ちていくことになる。
5・15事件も、2・26事件も、しっかりと記憶を新たにし、教訓を噛みしめておかねばならない。若者が『英霊』も『パールハーバー』も『B29』もよく分からないというのでは、戦前の過ちを繰り返さぬような社会を作れるのか、心もとない。2・26事件では、戒厳令の危険を知ってもらわねばならない。
戒厳令問題は、過去の話ではない。自民党改憲草案(2012年4月27日)の緊急事態条項(「第9章」98条・99条)には、国家緊急権発動の一態様として「緊急事態宣言」が書き込まれている。戦争・内乱・大災害等の非常時に、憲法を一時停止して政権の専横を可能とするもの。自民党は、明文会見によって「戒厳令」の復活をたくらんでいるのだ。
大江志乃夫「戒厳令」(岩波新書・1978年)は、今読み直されるべき書である。戒厳令についての詳細を理解し、自民党改憲案の危険に警鐘を鳴らすために。
この書では、2・26事件の顛末を次のとおり、簡明にまとめている。
「いわゆる皇道派に属する青年将校が部隊をひきいて反乱を起こした「政治的非常事変勃発」である。反乱軍は、首相官邸に岡田啓介首相を襲撃(岡田首相は官邸内にかくれ、翌日脱出)、内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清、教育総監陸軍大将渡辺錠太郎を殺害し、侍従長鈴木貫太郎に重傷を負わせ、警視庁、陸軍省を含む地区一帯を占領した。反乱将校らは、「国体の擁護開顕」を要求して新内閣樹立などをめぐり、陸軍上層部と折衝をかさねたが、この間、2月27日に行政戒厳が宣告され、出動部隊、占拠部隊、反抗部隊、反乱軍などと呼び名が変化したすえ、反乱鎮圧の奉勅命令が発せられるに及んで、2月29日、下士官兵の大部分が原隊に復帰し、将校ら幹部は逮捕され、反乱は終息した。事件の処理のために、軍法会議法における特設の臨時軍法会議である東京陸軍軍法会議が設置され、事件関係者を管轄することになった。判決の結果、民間人北一輝、西田税を含む死刑19人(ほかに野中、河野寿両大尉が自決)以下、禁錮刑多数という大量の重刑者を出した。」
この書の冒頭に、2・26事件を起こした反乱青年将校たちが自分たちの政治綱領として信ずることの厚かった『日本改造法案大綱』の第一条が紹介されている。
「天皇ハ全日本国民ト共二国家改造ノ根基ヲ定メンガ為ニ、天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ両院ヲ解散シ、全国ニ戒厳令ヲ布ク」
これは、初めてクーデターの手段としての戒厳を公然と主張したものだという。天皇親政を実現するために、憲法を停止する。具体的には、「貴衆の両院を解散し、全国に戒厳令を布く」というのだ。これが、皇道派青年将校が企図したクーデターだった。
自民党改憲草案も読み較べておきたい。
第99条1項 「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。」
緊急事態宣言下、内閣は国会を無視して独裁者として振る舞うことができる。国民は内閣のいうことを聞かねばならなくなる。内閣は、政令を作って「集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト」ができる。もちろん、テレビの放送の停波など簡単なこと。
広島も長崎も、ビキニも第五福竜丸も、そして5・15も2・26も、忘れぬようにしよう。国民が忘れたと見るや、為政者は欺しにかかってくるのだから。