(2023年3月14日)
本日の朝刊各紙に、大江健三郎さんの死去が報じられています。亡くなられたのは3月3日のこと、享年88でした。「戦後文学の旗手」「反戦平和を訴え続けた生涯」などと紹介されています。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
彼は、2004年6月、日本国憲法を守る「九条の会」の結成に参画しています。加藤周一や井上ひさし、奥平康弘、鶴見俊輔らとともに、その活動の中心メンバーとして活動しました。東日本大震災以後は反原発の運動にも参加しています。
九条の会は、上命下服とは無縁の市民運動です。行動の統一方針などはありません。まったくの自発性に支えられて、平和・日本国憲法・第九条を大切に思う人々が寄り合って名乗りさえすればよいのです。全国の地域に、職場に、業界に、学園に、学界に、7500もの「九条の会」が、それぞれのスタイルで結成され、活動を続けています。
私たち「本郷・湯島9条の会」も10年前の春に、そのようにして結成され、細々ながらも、途切れなく活動してまいりました。
2004年に9人の呼びかけで始まった「九条の会」運動。呼びかけ人9人の内、存命なのは澤地久枝さん、お一人となりました。淋しいことではあります。しかし、各地の「九条の会」は、呼びかけ人9人から「指令」も「指導」も受けていたわけではありません。呼びかけの理念に共鳴して、平和・憲法・九条を擁護する自発的な運動を続けていたのですから、大江さんが亡くなっても、九条の会運動がなくなることも、衰退することもありません。
「本郷・湯島9条の会」も、今後とも、自発的な運動を継続してまいります。ご支援をよろしくお願いいたします。
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なお、「九条の会」呼びかけ人・9人のプロフィールは下記のとおり。
井上ひさし 1934?2010年
劇作、小説の両方で大活躍。日本ペンクラブ第14代会長。
梅原猛 1925?2019年
古代史や万葉集の研究から築いた「梅原日本学」で著名。
大江健三郎 1935?2023年
核時代や民衆の歴史を想像力を駆使して小説で描いてきた。ノーベル文学賞受賞。
奥平康弘 1929?2015年。
「表現の自由」研究の第一人者。東京大学名誉教授。
小田実 1932?2007年。
ベトナム反戦などで活躍。地元・兵庫で震災被災者の個人補償求め運動。
加藤周一 1919?2008年。
東西文化に通じた旺盛な評論活動を展開。医師でもあった。
澤地久枝 1930年生まれ。
戦争による女性の悲劇を次々発掘。エッセーも。
鶴見俊輔 1922?2015年
『思想の科学』を主導。日常性に依拠した柔軟な思想を展開。
三木睦子 1917?2012年。
故三木武夫元首相夫人。アジア婦人友好会会長を務めるなど国際交流活動で活躍。
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以下は、「九条の会」発足時に採択されたアピール。
「九条の会」アピール
日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。1990年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
20世紀の教訓をふまえ、21世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日
井上 ひさし(作家) 梅原 猛(哲学者) 大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家) 加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家) 鶴見 俊輔(哲学者) 三木 睦子(国連婦人会)
(2023年3月13日)
人の世の悲劇の形はさまざまだが、冤罪ほどの悲惨は稀であろう。ましてや、冤罪による死刑宣告の確定は悲劇の極みである。その悲嘆、絶望、恐怖、神への呪い、社会への憎悪、近親への慮り…、いかばかりであろうか。
人権とは、権力との関係において語られるべきもの。人間としての尊厳を権力に蹂躙されてはならないのだ。死刑冤罪とは、権力が無辜の人の命を奪うことである。これに過ぎる人権侵害はない。
本日、東京高裁は「無実の死刑囚・袴田巌さん」の再審開始を決定した。検察は、これを受容して再審に応じ無罪の論告を行うべきである。それが、公益を代表する検察のあるべき姿といわねばならない。
本日の決定で注目すべきは、決定理由中に、「捜査機関が証拠を捏造した可能性が極めて高い」と踏み込んだことにある。
決定は、犯行時の犯人の着衣とされる5点の衣類について「事件から相当期間を経過した後に捜査機関がみそタンク内に隠した可能性が極めて高い」と指摘し、静岡地裁の再審開始決定に続いて捜査機関による証拠捏造の可能性を認めた。
この事件は、1966年6月に静岡県清水市(当時)で一家4人が殺害・放火され、現金20万円などが奪われたもの。県警は、同年8月、元プロボクサーでこの会社の従業員だった袴田さんを逮捕した。袴田さんは捜査段階で自白したとされたが、静岡地裁で裁判が始まると否認に転じた。
否認事件として審理進行中の67年8月、別の従業員が会社のみそタンクの底から、血痕のついたTシャツやズボンなど5点の衣類を発見した。検察はこれが袴田さんの犯行時の着衣だったと主張。地裁は、衣類に袴田さんと同じ血液型の血がついていたことなどから「衣類は袴田さんのもので、犯行時の着衣」と認め、68年に死刑を言い渡した。死刑判決は80年に最高裁で確定した。
2008年に申し立てられた第2次再審請求審で、静岡地裁は14年に再審開始を決定した。「血痕は袴田さんとは別人のもの」としたDNA型鑑定結果の信用性を認めたほか、「衣類を約1年間みそに漬けると血痕は黒褐色になるのに、発見時の衣類に赤みが残っているのは不自然」という、再現実験に基づく弁護側の主張を認めた。
確定判決は5点の衣類の血痕の色は「赤みがある」ことを前提にしていたが、弁護側は独自にみそ漬け実験を行い「みそ漬けされた血痕は黒褐色に変わる」と矛盾する結果を得た。静岡地裁はみそ漬け実験の信用性を認めて再審開始決定の根拠の一つとした。また、衣類については「発見直前に捜査機関が投入した捏造証拠の疑いがある」とも述べ、袴田さんの死刑の執行停止と釈放も決めた。
しかし、地裁の再審決定を不服として、検察官が申し立てた抗告審での東京高裁決定は、弁護側「みそ漬け実験」の信用性を否定して地裁決定を取り消した。これに対して、特別抗告審における最高裁決定は血痕の色調の変化に関する審理が足りないとして、高裁に差し戻した。
こうして、差し戻し審の争点は「5点の衣類」に付着した血痕の色調の評価となった。弁護側、検察側の双方が新たに「みそ漬け実験」を実施。弁護側は「短期間で血痕は黒褐色に変わる」、検察側は「条件によっては血痕に赤みが残る」とそれぞれ主張していた。
本日の決定は、「みそ漬け」された「犯行時の着衣」の血痕の色調について、弁護側の実験の信用性を認めて「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」と判断した。
本日の決定は朗報である。多くの人の労苦の賜物である。だが、無辜の人物の逮捕からここまで57年の年月を要している。袴田さんと、その近親者の人生はこの間奪われたに等しい。失われたものはあまりに大きい。
のみならず、冤罪を晴らすことは難しい。再審は「開かずの扉」と言われ続けた。この扉をこじ開けて、ラクダが針の穴を通るほどに困難とされる死刑囚の再審無罪を勝ち取った先例は4件。袴田事件がようやく5件目となる。日弁連のホームページから、なにゆえに誤った死刑判決が確定したのか、抜粋しておきたい。冤罪は、けっして過去のものではない。
1 免田事件 (1948年12月に熊本県人吉市で発生した一家4人が殺傷された強盗殺人事件。51年3月死刑確定。第6次再審請求で、83年7月無罪確定)
捜査機関は、極端な見込み捜査により、別件で免田さんを逮捕し、暴行、脅迫、誘導、睡眠を取らせない等の方法により、免田さんに自白を強要しました。免田さんは当初からアリバイを主張しており、移動証明書や配給手帳等により裏付けられていましたが、全て無視されました。
裁判所も、自白を偏重して全面的にこれを信用し、免田さんのアリバイを無視して、有罪判決を言い渡し、再審請求を棄却し続けました。
2 財田川事件(1950年2月、香川県三豊群財田村(当時)で発生した強盗殺人事件。57年1月死刑確定。84年3月再審無罪確定)
捜査機関は、地元の風評以外に何の根拠もないのに、谷口さんを犯人と確信し、別件逮捕を繰り返して、極めて長期間、代用監獄に谷口さんの身体を拘束して、食事を増減したり、暴行を加えたりして、谷口さんに自白を強要しました。
また、裁判所も自白を偏重し、当時法医学の権威とされた古畑種基・東京大学教授の鑑定を安易に信用するという誤りを犯しました。再審開始決定において、古畑鑑定は、検査対象とされた血痕は事件後に付着した疑いがある等から、信用できないものとされました。
3 松山事件(1955年10月、宮城県志田郡松山町(当時)で殺人・放火事件。84年7月再審無罪確定)
捜査機関は、斉藤さんを別件逮捕したうえ、斉藤さんの同房者である前科5犯の男性をスパイとして利用し、自白するように唆すという謀略的な取調べを行っています。
また、「掛布団襟当の血痕」が自白を補強するものとされましたが、再審では、血痕の付着状況が不自然であり、捜査機関によって押収された後に付着したと推測できる余地を残しているとされました。
4 島田事件(1954年3月10日、静岡県島田市内の幼児強姦殺人事件。1960年12月死刑確定。89年1月再審無罪確定)
捜査機関は、見込み捜査により、別件で赤堀さんを逮捕し、暴行、脅迫等により、赤堀さんに自白を強要しました。赤堀さんは、事件当時には東京にいたというアリバイを主張していましたが、全て無視されました。
また、自白によると凶器は石とされ、当時法医学の権威とされた古畑種基・東京大学教授の鑑定がこれを裏付けているとされていました。しかし、再審で、被害者の傷痕が石では生じないことが明らかになりました。
更に、この事件では、捜査機関は約200名にのぼる前科者、放浪者等を取り調べており、警察の強引な取調べのため、赤堀さん以外にも自白した者がいます。
(2023年3月12日)
安倍晋三という重しがとれて、安倍政権時代の負のレガシーの覆いが少しずつ剥がれつつある。「放送法解釈変更問題」の行政文書流出はその典型だろう。官邸の理不尽な圧力に切歯扼腕していた人物が、ようやくにして外部に訴える決断をしたものと推察される。安倍晋三、なおこの世にあればこの決断はできなかったのではないか。
この文書を一読すれば、官邸の圧力は至るところに無数にあって、この文書はその氷山の一角に過ぎないことがよく分かる。例えば、この文書は2015年5月12日、参院総務委員会での高市早苗による『放送法4条解釈変更答弁』で終わっているが、続編があったに違いない。翌16年2月8日衆院予算委員会での「停波言及答弁」についても、これに至るやり取りがあったはずである。おそらくはその議論は、より熾烈なものであったと推察される。
総務省に限らず、官邸からの圧力を苦々しく思っていた良心的官僚諸氏による内部通報が続いて、アベ政治の負のレガシーの清算が行われることを期待したい。
本日、朝日・毎日両紙の社説が、この安倍政権時代の放送法解釈変更問題を取りあげた。切り口はそれぞれのもので、問題把握の視点が異なる。
朝日はストレートに「(社説)放送法の解釈 不当な変更、見直しを」という表題。朝日の見識を示すものとなっている。
この社説の基本は、放送法4条不要論である。「政治的公平であること」や「報道は事実をまげないですること」などを求めている同条が、政治権力の放送番組作成への介入の口実を与えている、という認識。少なくも、安倍政権時代に高市がその手先となって変更した《放送法4条の政権寄りの骨抜き解釈》を元へ戻せ、と言っている。
「2015年、当時の高市早苗総務相は、放送番組が政治的に公平かどうか、ひとつの番組だけで判断する場合があると国会で明言した。これは、その局が放送する番組全体で判断するという長年の原則を実質的に大きく転換する内容だった。放送法の根本理念である番組編集の自由を奪い、事実上の検閲につながりかねない。民主主義にとって極めて危険な考え方だ」「本来は国会などでの開かれた議論なしには行うべきでない方針転換が、密室で強行された疑いも持たざるをえない」「こうした経緯が明らかになった以上、高市氏の答弁自体も撤回し、法解釈もまずはそれ以前の状態に戻すべきだろう。制作現場の萎縮を招き、表現の自由を掘り崩す法解釈を放置することを許すわけにはいかない」
同社説は、最後にこう力説している。「解釈変更は、政府与党が放送局への圧力を強めるなかで起きた。文書からは、安倍氏が礒崎氏の提案を強く後押ししていた様子もうかがえる。責任は高市氏や礒崎氏だけではなく、政府与党全体にあると考えるべきだろう。放送法ができた1950年の国会で、政府は『放送番組に対する検閲、監督等は一切行わない』と述べている。近年のゆゆしき流れを断ち切り、立法の理念に立ち返るべきときだ。」
毎日は、アベ政治の危険性や報道の自由の問題ではなく、行政文書の重要性を強調して、これをないがしろにする高市早苗批判に徹している。表題が、「高市氏の『捏造』発言 耳を疑う責任転嫁の強弁」というもの。要旨は以下のとおり。
「放送法の『政治的公平』を巡る第2次安倍晋三政権内部のやりとりを記した総務省の文書について、当時の総務相だった高市早苗・経済安全保障担当相が『捏造だ』と繰り返している」「行政文書は、公務員が業務で作成し、組織内で共有、保管される公文書だ。政策の決定過程が分かるやりとりを残すことは、法律で義務付けられている。総務省幹部は『一般論として行政文書の中に捏造があるとは考えにくい』と国会で答弁した」
「ありもしない事実を公文書に記したのなら、犯罪的行為である。疑惑を掛けられた総務省は徹底調査すべきだ。高市氏は立証責任は小西氏にあると言うが、事実解明の責任を負うのは本人である。高市氏は発言者に確認を取っていないことを理由に「正確性が確認されていない文書」だと強調する。だが、それだけで当時の部下が作成した文書を「捏造」だと決めつける強弁は耳を疑う」
「公文書は政策決定の公正さを検証するために不可欠な国民の共有財産だ。自らの発言でその信頼性を損なわせた高市氏である。閣僚としての適格性が問われている。」
この毎日社説の趣旨に異議はない。が、結論が甘いのではないか。「閣僚としての適格性が問われている」だけではない。この人、議員の職も賭けたのだ。議員も辞めてもらわなければならない。もちろん、社会人としても失格である。
アベ政治に厚遇を得て、ぬくぬくとしていた一群の人たち。いま批判の矢面に立たせねばならない。民主主義擁護の名において。
(2023年3月11日)
すでに、「名のみの春」ではない。マンサクも、ボケも、アンズもツバキも、モクレンも満開となった。チンチョウゲやミツマタの香りが鼻をつく。道行く人々の動きも伸びやかである。
しかし、毎年この頃は気が重い。昨日3月10日は東京大空襲の日、本日3月11日は、東日本大震災の日である。戦争の被害と自然災害による被害。その警告を正確に受けとめなければならない。戦争被害は避けることができたはずのものであり、津波の被害ももっと小さくできたかも知れない。何よりも、津波にともなう最悪の原発事故の教訓を学び、生かさねばならない。
災害の被害の規模は、死者数で表現される。「東京大空襲では、一晩で10万人の死者を出した」「東日本大震災での死者・行方不明はほぼ2万、そしていまだに避難を余儀なくされている人が3万人」と。一人ひとりの、一つひとつの悲劇が積み上げられての膨大な数なのだが、数の大きさに圧倒されて具体的な悲劇の内容を見過ごしてしまいかねない。数だけからは、人の痛みも、熱さも、苦しさも、恐怖も伝わりにくい。どのように被害が生じたのか、生存者の記憶を語り継がねばならない。
昨日そして今日、多くのメデイアが、1945年3月10日における数々の悲劇と、2011年3月11日の生々しい被災者の記憶を伝えている。そして、「忘れてはならない」「風化させてはならない」「記憶と記録の集積を」と声を上げている。日本のジャーナリズム、健在というべきであろう。
私は生来気が弱い。具体的な悲劇を掘り起こす報道に胸が痛む。涙も滲む。それでも、目を通さねばならない。
昨日の赤旗「潮流」が、公開中のドキュメンタリー映画「ペーパーシティ」を紹介している。その一部を引用しておきたい。
「78年前のきょう、一夜にして10万人もの命を奪った無差別爆撃。おびただしい市民が犠牲となりました。…しかし政府は空襲被害者の調査も謝罪も救済もしていません。元軍人や軍属には補償があるのに▼老いてなお国の責任を問う被害者たち。命あるかぎりの運動には、二度と戦争を起こさせないという固い誓いがあります▼過ちの忘却とのたたかい。江東区の戦災資料センターでは今年も犠牲者の名を読み上げる集いが開かれ、東京大空襲の体験記をまとめた『戦災誌』刊行50周年の企画展も行われています▼都民が編んだ惨禍の記録集。それを支援した当時の美濃部亮吉都知事は一文を寄せました。『底知れぬ戦争への憎しみとおかしたあやまちを頬冠(かぶ)りしようとするものへの憤りにみちた告発は、そのまま、日本戦後の初心そのものである』
そして、本日の沖縄タイムスの社説が、「東日本大震災12年 経験の継承で風化防げ」という表題。原発事故の教訓をテーマとしたもの。これも、抜粋して引用しておきたい。
「世界最悪レベルの福島第1原発事故によって周辺住民の多くが今も避難生活を余儀なくされている。復興庁が発表した2月現在の全国の避難者数は3万884人。原発事故は今も被災地を翻弄(ほんろう)している。
ところが岸田政権は原発依存をやめようとしない。12年前、制御困難の原発事故の恐怖と直面した私たちはエネルギー政策の転換を迫られた。政府は2012年、「原発に依存しない社会」という理念を掲げ、30年代に「原発ゼロ」とする目標を国民に示したはずである。ところが岸田政権はそれとは逆の方向に進んでいる。この目標を放棄すべきではない。
岸田政権はロシアのウクライナ侵攻を背景とした「エネルギー危機」を理由に、原発の運転期間を「原則40年、最長60年」とする現行の規制制度を改め、「60年超運転」を可能とする方針を決めたのである。現在ある原発を最大限活用する方針への転換を図ったのだ。
「原発回帰」へと突き進む岸田政権に対する国民の目は厳しい。多くの国民は岸田政権のエネルギー政策転換を拒否している。私たちは大震災で得た教訓から巨大地震や大津波に耐えうるまちづくりとともに、原発に代わるエネルギーの確保を追求したのだ。政府はその教訓を忘れたのか。目指すべきは「原発回帰」ではなく「原発ゼロ」である。
看過できない岸田政権の方針は他にもある。増額する防衛費の財源として大震災の復興特別所得税の一部を転用するというのである。被災地は今も復興への重い足取りを続けている。それを支えるのが政府の責務ではないのか。復興費を防衛費に回すなど、もってのほかである。ただちに撤回すべきだ。」
戦争も津波も原発事故も、その被害の悲惨さ深刻さを、リアルに語り継がなければ、なにもかにも風化してしまいかねない。意識的に「過ちの忘却とのたたかい」を継続しなければならない。そうしなければ、またまた「御国を護るために戦いの準備が必要」とか、「豊かな暮らしのためのベースロード電源として原発が必要」などとなりかねない。今、国民の記憶力が試されているのだ。
(2023年3月10日)
「西暦表記を求める会」です。国民の社会生活に西暦表記を普及させたい。とりわけ官公庁による国民への事実上の強制があってはならないという立場での市民運動団体です。
この度は、取材いただきありがとうございます。当然のことながら、会員の考えは多様です。以下は、私の意見としてご理解ください。
私たちは、日常生活や職業生活において、頻繁に時の特定をしなければなりません。時の特定は、年月日での表示となります。今日がいつであるか、いつまでに何をしなければならないか。あの事件が起きたのはいつか。我が子が成人するのはいつになるか。その年月日の特定における「年」を表記するには、西暦と元号という、まったく異質の2種類の方法があり、これが社会に混在して、何とも煩瑣で面倒なことになっています。
戦前は元号絶対優勢の世の中でした。「臣民」の多くが明治政府発明の「一世一元」を受け入れ、明治・大正・昭和という元号を用いた表記に馴染みました。自分の生年月日を明治・大正・昭和で覚え、日記も手紙も元号で書くことを習慣とし、世の中の出来事も、来し方の想い出も、借金返済の期日も借家契約の終期も、みんな元号で表記しました。戸籍も登記簿も元号で作られ、官報も元号表記であることに何の違和感もなかったのです。
戦後のしばらくは、この事態が続きました。しかし、戦後はもはや天皇絶対の時代ではありません。惰性だけで続いていた元号使用派の優位は次第に崩れてきました。日本社会の国際化が進展し、ビジネスが複雑化するに連れて、この事態は明らかになってきました。今や社会生活に西暦使用派が圧倒的な優勢となっています。
新聞・雑誌も単行本も、カレンダーも、多くの広報も、社内報も、請求書も、領収書も、定期券も切符も、今や西暦表記が圧倒しています。西暦表記の方が、合理的で簡便で、使いやすいからです。また、元号には、年の表記方法としていくつもの欠陥があるからです。
元号が国内にしか通用しないということは、実は重要なことです。「2020年東京オリンピック」「TOKYO 2020」などという表記は世界に通じるから成り立ち得ます。「令和2年 東京オリンピック」では世界に通じません。
それもさることながら、元号の使用期間が有限であること、しかもいつまで継続するのか分からないこと、次の元号がどうなるのか、いつから数え始めることになるのかがまったく分からないこと。つまりは、将来の時を表記できないのです。これは、致命的な欠陥というしかありません。
とりわけ、合理性を要求されるビジネスに元号を使用することは、愚行の極みというほかはありません。「借地期間を、令和5年1月1日から令和64年12月末日までの60年間とする」という契約書を作ったとしましょう。現在の天皇(徳仁)が令和64年12月末日まで生存したとすれば110歳を越えることになりますから、現実には「令和64年」として表記される年は現実にはあり得ません。そのときの元号がどう変わって何年目であるか、今知る由もありません。天皇の存在とともに元号などまったくない世になっている可能性も高いと言わねばなりません。
令和が明日にも終わる可能性も否定できません。全ての人の生命は有限です。天皇とて同じこと。いつ尽きるやも知れぬ天皇の寿命の終わりが令和という元号の終わり。予め次の元号が準備されていない以上、元号では将来の時を表すことはできません。
今や、多くの人が西暦を使っています。その理由はいくつもありますが、西暦の使用が便利であり元号には致命的な欠陥があるからです。元号は年の表記法としては欠陥品なのです。現在の元号がいつまで続くのか、まったく予測ができません。将来の日付を表記することができないのです。一貫性のある西暦使用が、簡便で確実なことは明らかです。
時を表記する道具として西暦が断然優れ、元号には致命的な欠陥がある以上、元号が自然淘汰され、この世から姿を消す運命にあることは自明というべきでしょう。ところが、現実にはなかなかそうはなっていません。これは、政府や自治体が元号使用を事実上強制しているからです。私たちは、この「強制」に強く反対します。公権力による元号強制は、憲法19条の「思想良心の自由の保障」に違反することになると思われます。
今、「不便で非合理で国際的に通用しない元号」の使用にこだわる理由とはいったい何でしょうか。ぼんやりした言葉で表せばナショナリズム、もうすこし明確に言えば天皇制擁護というべきでしょう。あるいは、「日本固有の伝統的文化の尊重」でしょうか。いずれも陋習というべきで、国民に不便を強いる根拠になるとは到底考えられません。
ここで言う、伝統・文化・ナショナリズムは、結局天皇制を中核とするものと言えるでしょう。しかし、それこそが克服されなければならない、「憲法上の反価値」でしかありません。
かつてなぜ天皇制が生まれたか、今なお象徴天皇制が生き残っているのか。それは、為政者にとっての有用な統治の道具だからです。天皇の権威を拵えあげ、これを国民に刷り込むことで、権威に服従する統治しやすい国民性を作りあげようということなのです。今なお、もったいぶった天皇の権威の演出は、個人の自律性を阻害するための、そして統治しやすい国民性を涵養するために有用と考えられています。
元号だけでなく、「日の丸・君が代」も、祝日の定めも、天皇制のもつ権威主義の効果を維持するための小道具です。そのような小道具群のなかで日常生活に接する機会が最多のものと言えば、断然に元号ということになりましょう。
ですから、元号使用は単に不便というものではなく、国民に天皇制尊重の意識の刷り込みを狙った、民主主義に反するという意味で邪悪な思惑に満ちたものというしかありません。
(2023年3月9日)
フランスの「年金デモ」が、その規模の大きさで話題となっている。「内務省によると3月7日の抗議デモに全国で128万人が参加」だが、「主催者発表によると全国300カ所で、合計参加者は350万人」だという。7日のパリのデモは70万人の規模、デパートや高級ブティックが並ぶパリ中心部の通りを市民のデモ隊が埋め尽くした。注目すべきは、デモの参加者の多くが、ストライキを決行して職場から街頭に出ているということだ。
このデモの要求は、政府の年金制度改革案に反対で、スローガンは「受給年齢引き上げに反対」「64歳の年金受給にノン」「フランスを停止させる」というもの。主要8労組が呼びかけたもので、1月以来今回が6回目。パリ市内ではストの影響で7日朝から鉄道の運行数が大幅に減少。全国の小中学校では3割以上の教員がストに参加した。一部の労働組合は改革案の廃止まで無期限のストを呼びかけており、市民生活の混乱が続く可能性があると報じられている。
政府は1月、年金の受給開始年齢を62歳から段階的に引き上げ、2030年に64歳にする方針を発表。これが、労働者の逆鱗に触れた。フランスでは年金制度が充実している。「一刻も早くリタイヤして、優雅な年金生活を夢みて来たのだ。2年も余計に働かせようとは、何たる理不尽」というわけだ。
もちろん、政府の言い分は財政の逼迫にある。この制度改革なしには、年金財政の赤字が累積し年金制度の維持ができない、と言う。これに対する議会内の野党連合「環境と社会の新人民連合(NUPES)」やスト参加者の主張は、「国民の負担ではなく、大企業・富裕層への応分の負担で賄うべきだ」というもの。具体的には、大企業の社会保障負担の引き上げや、超過利潤への課税強化、富裕税などを提案しているという。
政府は強行採決をほのめかしているが、そうなれば、社会の混乱は必定である。ストの主力は、交通や電力などの基幹産業の労働組合なのだから。主催8労組は、次回の11日をはじめ、今後10回の全国行動の日程を決定している。
フランスだけではない。イギリス全土でも「大規模ストライキ」「大規模デモンストレーション」が続いている。
こちらは深刻なインフレーションに対する政府の無策に抗議し、物価の高騰に見合う賃上げの要求である。
英国では昨年後半からインフレ率が10%を超え、国民生活を圧迫し、賃上げを求める公共部門のストは拡大の一途をたどっている。交通や医療などの公共部門のストライキから始まって、教師や公務員の組合が加わり、大学教員、医者、ナース、救急隊員、郵便局員、そして消防士までストに参加したという。ピーク時には、小中高校の85%の授業に支障が生じたという。
イギリスでの、ストとデモのスローガンは、「政府の提示額はインフレ率に見合わない」「スナクは給料を上げろ! われわれは10%を要求する」というもの。
ストは、国民生活に影響が大きいが、世論のストに対する支持は厚い。社会全体に「ストライキは労働者の当然の権利」という意識が浸透しているという。ストやデモは、健全な民主主義の証である。議会を通じての代議制民主主義とならぶ、人民の政治参加であり、意思表示の有効な手段なのだ。
我が国でも、政治的な要求のデモはときおり起こる。だが、大規模なデモは、ほとんどが土曜か日曜、あるいは休日である。ストは平日にする。企業や官庁の機能を一時的に停めるのだ。職場を離脱した人々が、集会場に、あるいは路上に隊列を組む。ここしばらく、そのようなストを組めなくなっている現状を淋しいと思う。
フランスやイギリスの若々しいエネルギーを羨ましいと思う。社会を変える力の中核は、本来組織労働者にあるのだから。
(2023年3月8日)
3月2日夕刻、立憲民主党の小西洋之参院議員が記者会見で公表した《放送法の「政治的公平」に関する文書》、7日の午前までは「小西文書」だったが、同日の午後には総務省の「行政文書」という折り紙が付いた。
公文書管理法や情報公開法で定義されている「行政文書」とは、「行政機関の職員が職務上作成し又は取得した文書で、組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」と言ってよい。堂々たる「公文書」である。捏造文書でも、怪文書でもない。
公文書の内容が全て正確であるかといえば、当然のことながら、必ずしもそうではない。しかし、公務員が職務上作成した文書である。その偽造や変造には処罰も用意されている。特段の事情がない限りは、正確なものと取り扱うべきが常識的なあり方である。
内容虚偽だの一部変造だのという異議は、異議申立ての側に挙証責任が課せられる。ましてや、高市早苗は総務大臣であり、この文書を管轄する責任者であった。しかるべき理由なくして、「捏造」などと穏当ならざる言葉を投げつけるのは醜態極まる。単に、不都合な内容を認めたくないだけの難癖なのだ。
この文書、総務省のホームページに公開された。下記のURLで、誰でも読める。これを一読したうえでなお、捏造論に与する者がいるとは思えない。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000866745.pdf
全体を通読すれば、真面目な総務官僚が、放送法の理念(とりもなおさず、「表現の自由」「報道の自律性」)を擁護しようと、理不尽な官邸からの圧力に抵抗して、必ずしも本意でない結果を招いたとするストーリーが見えてくる。せめて、その経過を正確に残しておきたいという気持が滲み出ている。捏造や改ざんの動機は、まったく窺うことができない。
この文書は、A4用紙で78枚のまとまったもの。《「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)》と表題が付いている。この文書中での、悪役は礒崎陽輔(首相補佐官)である。もちろん安倍晋三が究極の黒幕だが、その威を借りて、民主主義の仇役を演じているのが礒崎。高市は自主性に欠けた脇役という役どころ。際だった悪役を演じているわけではない。官邸からの圧力に呼応して、その支持に従っただけのことなのだ。ところが、「怪文書」「捏造文書」「首を懸ける」と騒いだために、自らの存在をクローズアップして墓穴を掘った感がある。こうなれば、潔く議員辞職するしかないだろう。頼りの安倍晋三は既に亡いのだ。
《「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)》では、ジュゲムジュゲムだ。「安倍官邸の放送法解釈介入圧力記録文書」が正確なところだが、これも長い。「放送法解釈介入記録」くらいで良しとしよう。その記録の冒頭2頁が経過の要録となっている。年号を西暦に直して、ここだけを抜粋しておきたい。
この一連のストーリーの発端は、放送事業を監督する立場の総務省に対して、官邸側(礒崎)から「放送法における「政治的公平」解釈」についての「整理」をすべきという要求。官邸が納得するような回答が得られるまで、総務省から礒崎へのレクチャーが繰り返された。ようやく官邸の圧力で放送を萎縮させるに足りる解釈が得られると、総務委員会で自民党の議員にデキレースの質問をさせて、予定どおりの高市大臣答弁となる。これが、2014年11月26日から、翌15年5 月12日までの半年間のこと。
そして、この文書には出てこないが、翌16年2月8日衆院予算委員会での「政治的公平が疑われる放送が行われたと判断した場合、その放送局に対して放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性を否定しない」という、高市の「停波処分もあり得る」という、恫喝発言につながる。この段階では、高市は脇役から主役に躍り出ている。おそらくは、これについても、官邸からの介入の裏面史があったのだろう。
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「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)
2014年11月26日(水)
磯崎総理補佐官付から放送政策課に電話で連絡。内容は以下の通り。
・ 放送法に規定する「政治的公平」について局長からレクしてほしい。
・ コメンテーター全員が同じ主張の番組(TBS サンデーモーニング)
は偏っているのではないかという問題意識を補佐官はお持ちで、「政治的公平」の解釈や運用、違反事例を説明してほしい。
28 日(金):磯崎補佐官レク
磯崎補佐官から、「政治的公平」のこれまで積み上げてきた解釈をおかしいというものではないが、?番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか、?1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか、という点について検討するよう指示。
12 月 18 日(木)、25 日(木):磯崎補佐官レク
さらに前向きに検討するよう指示。(補佐官は年明けに総理に説明したうえで、国会で質問したいとのこと。)
2015年
1 月 9 日(金):磯崎補佐官レク
総務省からの説明を踏まえた資料を補佐官側で作成するので、本資料に関する協議を事務的に進めるよう指示。
16 日(金)、22 日(木):磯崎補佐官レク
総務省からの補佐官資料に対する意見は先祖帰りであり、前向きに検討するよう指示。
29 日(木):磯崎補佐官レク
補佐官了解。今後の段取り(国会質問等)について認識合わせ。
2 月 13 日(金):高市大臣レク(状況説明)
17 日(火):磯崎補佐官レク(高市大臣レク結果の報告)
24 日(火):磯崎補佐官レク(官房長官レクの必要性について相談)
3 月 2 日(月):山田総理秘書官レク(状況説明)
厳重取扱注意
3 月 5 日(木):磯崎補佐官から安倍総理に説明(今井・山田総理秘書官同席)
※3/5 山田総理秘書官から、3/6 磯崎補佐官から、総理への説明模様を報告。
9 日(月):平川参事官から安藤局長に連絡(高市大臣と安倍総理の電話会談結果)
13 日(金): 山田総理秘書官から安藤局長に連絡(高市大臣と安倍総理の電話会談結果)
4 月 1 日(水)?4 月 7 日(火):答弁案の調整
※山口補佐官付と放送政策課・西潟補佐の間でやりとり。
5 月 12 日(火):参・総務委員会
(自)藤川政人議員からの「政治的公平」に関する質問に対し、磯崎補佐官と調整したものに基づいて、高市大臣が答弁。
以上の5月12日総務委員会での高市答弁までに、関係者間にどんな発言があったか。朝日新聞の熱のはいった報道の中で、次のようなものが指摘されている。
総務省の行政文書に記された主なやりとり(肩書はいずれも当時)
●礒崎陽輔首相補佐官「『全体でみる』『総合的に見る』というのが総務省の答弁となっているが、これは逃げるための理屈になっているのではないか」(2014年11月28日)
●礒崎陽輔首相補佐官「政治的公平に係る放送法の解釈について、年明けに総理にご説明しようと考えている」(2014年12月18日)
●高市早苗総務相「そもそもテレビ朝日に公平な番組なんてある?」「官邸には『総務大臣は準備をしておきます』と伝えてください。(中略)総理も思いがあるでしょうから、ゴーサインが出るのではないかと思う」(2015年2月13日)
●山田真貴子首相秘書官「今回の話は変なヤクザに絡まれたって話ではないか」「どこのメディアも萎縮するだろう。言論弾圧ではないか」「結果的に官邸に『ブーメラン』として返ってくる話であり、官邸にとってマイナスな話」「総務省も恥をかくことになるのではないか」(2015年2月18日)
●礒崎陽輔首相補佐官「これは高度に政治的な話。官房長官に話すかどうかは俺が決める話。局長ごときが言う話では無い。この件は俺と総理が二人で決める話」「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」(2015年2月24日)
●安倍晋三首相「政治的公平という観点からみて、現在の放送番組にはおかしいものもあり、こうした現状は正すべき」「(NHKの)『JAPANデビュー』は明らかにおかしい」(2015年3月5日)
●礒崎陽輔首相補佐官「けしからん番組は取り締まるスタンスを示す必要があるだろう。そうしないと総務省が政治的に不信感を持たれることになる」(2015年3月6日)
これは民主主義の根幹に関わる大事件である。安倍晋三とその取り巻きによる、報道の自由への介入という重大事であって、高市のクビや、礒崎の尊大さなど、実は傍論でしかない。
(2023年3月7日)
日韓関係を象徴する徴用工問題。主要なアクターは4者である。日本の政権と民衆をA・Bとし、韓国のそれをC・Dとする。Dの中に、被害者本人や遺族、そして広範な支援者が含まれている。
AとCとは、十分に事前の摺り合わせの上、問題解決のスキームを作った。そして昨日、Cがこれを発表しAが直ちに呼応して歓迎の旨を表明して、事態の打開を図ろうとしている。しかし、BとDとはいずれもこのスキームでの解決を支持する雰囲気にない。とりわけ、Dは拒否反応を示している。昨夜、ソウルではこのスキームに反対するロウソク・デモが行われた。
Dが最も望むものは、Aの謝罪である。正確には、Aと一体となった国策企業の真摯な謝罪である。理不尽な被害を被った者の加害者に対する当然の要求である。しかし、これに対するAとBの態度は、およそ真摯さとはほど遠いもの。だから、Dが反発している。
今朝、寝床でラジオを点けたら、民放の複数の番組から野蛮な論評が聞こえて来た。「問題はもう、全て解決済みなんですよ。今さら蒸し返されるべきことではない」「もう、二世代も昔の話ですよ。こんなこといつまで繰り返すんでかね」「1965年の請求権協定で、完全かつ不可逆的に日本の責任はないことになった。あとは全て韓国の国内問題ですよ」「あの国は、日本が譲歩すればゴールポストを動かすんだから」「もう、有償無償併せて5億ドルも払って解決済み」…。こういう発言が、Dを刺激するBの態度であり、この姿勢こそが問題の解決を妨害するものと知らねばならない。
得々とこう言う論者は、徴用工問題に関する韓国大法院判決をよく理解していないのではないか。判決は、必ずしも原告の言い分を全部認めたわけではない。賃金支払い請求を棄却して、慰謝料請求だけを認めたのだ。今、この意味は小さくない。
原告側の主たる主張は、1965年日韓請求権協定によって原告(元徴用工)の権利がいささかの影響も受けるものではないということだった。個人として日本企業に対して有する請求権を、頼みもしないのに、国家(韓国)が処分できるはずはない。ましてや、民意に基づかない当時の軍事政権に交渉の代理権はない、というものだった。
しかし、判決は当時の国際慣行に照らして、この主張を排斥した。その上で、国際法の推移を詳細に検討して、「企業の虐待による慰謝料請求権は、日韓請求権協定の協議対象に含まれていない」として、慰謝料の請求だけを認めたのだ。この意味が、今クローズアップされることになっている。
「日本企業の賠償義務肩代わり」と言われる「賠償義務」とは、日本製鉄などの企業が元徴用工に負う損害賠償債務である。その内容は慰謝料(精神的損害の賠償)である。これを第三者である、韓国の財団が弁済しようということなのだ。そんなことができるものだろうか。
大法院の判決が確定して、債務者・日本製鉄が、債権者・元徴用工に対して慰謝料支払いの債務を負担している。この債務を、債務者・日本製鉄以外の第三者に弁済させることを許してよいものだろうか。誰が考えても違和感が残るところではないか。
第三者に弁済させても問題のない債務もあるだろう。しかし、慰謝料は加害者に支払わせてこそ意味がある。第三者に慰謝料を支払わせた加害者が涼しい顔をしていたのでは、被害者の精神的な損害は慰謝されることにならない。
本来慰謝料とは、被害者の精神的な損害を金銭に評価して支払わせるものである。小さな精神的被害には少額の慰謝料、大きな精神的被害には高額の慰謝料を支払わせることになるが、いずれにせよ加害者に支払わせて、被害者の精神的被害を慰謝することとなる。債権者(元徴用工)の承諾なしに、第三者による弁済を許してよいことにはならない。
本件の元徴用工にとっては、自分を虐待して使役した加害者日本製鉄に支払わせてこそ、慰謝料の意味がある。他の第三者に弁済させたのでは、慰謝料としての意味がなくなるのだ。求償権は行使しない、などと言われればなおさらのことだ。元徴用工本人の明確な意思として第三者による弁済を認めない限り、第三者弁済は認められない。元徴用工の日本製鐵に対する債権は強制執行力あるものとして生き続けることになる。
結局のところ、今回発表のスキームで解決するためには、元徴用工やその遺族の意向を十分に尊重し、その精神的慰謝ができるように取り計らわねばならない。そうでなければ、「韓国政府が日本の強制連行加害企業の法的責任を免責させることに加担している」と批判されることになる。
結局は、A(日本政府)とC(韓国政府)との裏舞台の合意だけでは、このスキームは成功しない。まずはD(韓国の民衆)が納得できるスキームに調整し、これをBが支持するものとしなければ解決には至らないのだ。
(2023年3月6日)
本日の「ソウル聯合ニュース」は、こう伝えている。「韓国政府は6日、日本による徴用被害者への賠償問題をめぐり、2018年の韓国大法院(最高裁)の判決で勝訴が確定した被害者に対し、政府傘下の財団が日本の被告企業の賠償を肩代わりして支払うことを正式に発表した。朴振(パク・ジン)外交部長官が記者会見を開き、政府の解決策を発表した。ただ、日本の被告企業が賠償に参加しない方式であるため、『中途半端な解決策』という声も上がる。一部被害者は強く反発している」
これに日本側も呼応した。岸田首相は参院予算委員会で「日韓を健全な関係に戻すためのものとして評価する」と韓国の対応を歓迎。「日韓、日米韓の戦略的連携を一層強化する」とも語った。バイデン米大統領も日韓の対応を評価する声明を出した。
とは言え、韓国の「一部被害者は強く反発している」だけではない。日本の「一部加害者も強く反発している」のだ。何よりも、債権者(元徴用工)の意に反する第三者(財団)の弁済は原則認められない。事態はけっして甘くない。解決までの途は遠い。
当然のことながら、日韓関係は難しい。政府間関係はさほどではなくとも、国民感情は複雑で微妙である。ロシアとウクライナの関係に照らせばよく分かる。仮に今停戦が実現したとしても、あるいは講和条約が締結されたにせよ、侵略者ロシアに対するウクライナ人民の怨嗟がにわかに解消されるはずはない。とりわけ、家族を殺された人、傷付けられた人、家を焼かれ壊された人、故郷を追われた人、辱められた人…にとっては。
近代日本の天皇制権力は、富国強兵を掲げて侵略戦争遂行を国是とした。侵略戦争の結果としての植民地支配を国力強盛の証しとして誇示さえした。恥ずべき強盗の論理と言ってよい。強盗国家は、台湾を侵略し、朝鮮を侵略し、満蒙から、華北に侵略の手を伸ばして泥沼の戦争に陥った。
ロシアのウクライナ侵略は、1年余である。近代日本の朝鮮侵略は、1876年の江華島事件以来の歴史をもつ。けっして日韓併合後の36年だけではない。積年の怨念が並大抵のものではないことを理解しなければならない。
朝鮮の侵略のために、日本の軍隊が朝鮮の人民をどれだけ殺戮したか。甲午農民戦争(1894年1月 – 1895年3月)だけで殺戮者数は3万?5万人とされている。また、「1919年、1年間で実に1542回にわたり行われたデモで、全国でおよそ7600人が死亡、1万6000人がけがを負い、4万6000人が逮捕・拘禁された」というのが、韓国政府の公式見解である。この「7600人の死亡」とは、日本の官憲による非武装のデモ参加者に対する虐殺ではないか。
人民の被害だけでなく、韓国の権力側にも被害が大きい。閔妃(明成皇后)の暗殺は、ナショナリストには衝撃であったろう。立場を替えれば、朝鮮の軍人が皇居に侵入し皇后を暗殺したのだ。
さらには、創始改名を強要し、民族のアイデンティティである言語まで奪おうとした。もう過去のこと、十分に謝ったじゃないか、何度蒸し返すんだ、と居丈高となるのは、歴史に学ぼうとしない態度というほかはない。
私見では、韓国大法院の徴用工判決は、穏当で説得力あるものとなっている。これに従うべきが本筋だと思う。が、日本側が真摯な態度を見せることで解決に至るのであれば、もちろん、望ましいところ。戦後の日韓交渉は困難を極めたが、交渉が進展したのは韓国側が保守政権の時に限られている。今、支持率低迷しながらも、親日保守政権である。日本側に問題解決の意思があれば、誠意を見せるべきであろう。誠意を見せる相手は、韓国の政権ではなく、植民地支配に虐げられた当事者としての民衆でなければならない。
「ソウル聯合ニュース」は、こうも伝えている。
「一部の被害者はこれまで韓国政府傘下財団による賠償肩代わり案に強く反発してきた。政府の正式発表でも被告企業の資金拠出は盛り込まれておらず、批判の声が相次ぐ見通しだ。」
本日、朴振外交部長官は被告の日本企業が参加しない「中途半端な解決策」との批判について、「コップに例えると、コップに水が半分以上は入ったと思う。今後続く日本の誠意ある呼応によってコップはさらに満たされると期待する」と述べたという。
果たして、「韓国側によってコップに半分の水が入った」だろうか。また、「日本側は、このコップに十分な水を注ぐ」ことになるだろうか。そもそも、この水は、植民地支配の辛酸を余儀なくされた人々を癒す滋味に溢れたものと言えるだろうか。
(2023年3月5日)
戦前、廣田弘毅内閣時代の帝国議会で、古参議員と陸軍大臣との間で「腹切り問答」と言われたやり取りがあった。2・26事件翌年の1937年1月21日衆議院本会議でのこと。立憲政友会の浜田国松(議員歴30年、前衆議院議長)が、軍部の政治干渉を痛烈に批判する演説を行った。そのさわりは以下のとおりである。
「近年のわが国情は特殊の事情により、国民の有する言論の自由に圧迫を加えられ、国民はその言わんとする所を言い得ず、わずかに不満を洩らす状態に置かれている。軍部は近年自ら誇称して…独裁強化の政治的イデオロギーは常に滔々として軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険がある」
「恪循」とは、何とも難しい言葉だが、ことさらに分かり難い言葉を選んだのかも知れない。「謹んで従う」という程度の意味のようだ。
これを聞いた寺内寿一陸相は答弁に立って「軍人に対しましていささか侮蔑されるような如き感じを致す所のお言葉を承り」と反駁。浜田は2度目の登壇で逆襲した。「私の言葉のどこが軍を侮辱したのか事実を挙げなさい」と逆質問。寺内は「侮辱されるが如く聞こえた」と言い直したが、浜田は執拗に3度目の登壇で「速記録を調べて私が軍を侮辱する言葉があるなら割腹して君に謝罪する。なかったら君が割腹せよ」と厳しく詰め寄った。これに寺内は激怒、浜田を壇上から睨みつけたため、議場は怒号が飛び交う大混乱となったという。
議会は停会となり、陸海軍の確執なども絡んで、結局広田内閣は閣内不統一を理由に総辞職した。閣内に、陸軍大臣・海軍大臣などが存在し、天皇大権を背に威を張っていた時代の椿事である。
時は遷って一昨日、3月3日参議院予算委員会でのこと。スケールは小さいが、よく似た「事件」が生じた。役者は代わって、小西洋之(立憲民主党)と高市早苗(元総務相・現経済安保相)である。
小西は2日「総務省職員から提供を受けた内部文書」として、A4用紙78ページの文書を公表した。「総務省の最高幹部に共有され、超一級の行政文書」だとしている。小西自身が総務省(当時は郵政省)出身だということが、この文書の信憑性に一役買っている。内容は、「個別の番組への介入を可能とする目的」で、放送法の行政解釈を変更するよう、安倍政権が総務省に圧力をかけたものだという。真面目な総務官僚が不当に行政を枉げられたという義憤からの情報提供という構図。
これをもとに2014〜15年に、安倍政権や総務大臣が放送メディアに政治的圧力を掛けたという。政権による表現の自由への介入として大問題であるし、アベ政治の負のレガーシーとして書き加えなければならない。
同資料には当時の礒崎陽輔首相補佐官が総務省幹部に放送法の解釈をただしたやり取りが記されていただけでなく、当時の高市総務相、安倍晋三首相への報告記録なども含まれている。
そう言えばその頃、高市が居丈高に停波の可能性などに言及していたことが忘れがたい。安倍は過去の人になったが、いまや、高市問題となっている。
3日の参院予算委員会で、小西はこの文書に基づいて高市に質疑。「安倍総理からは今までの放送法の解釈はおかしい旨の発言、実際に問題意識を持っている番組を複数例示」と内容に言及。『サンデーモーニング』(TBS系)などの具体的番組名が出てくる。
ところが高市は、「全くのねつ造文書だ」と突っぱねた。「信ぴょう性に大いに疑問を持っている」「礒崎氏から放送法について私に話があったことすらない」と強調した。安倍氏と「放送法について打ち合わせやレクをしたことはない」とも明言した。そして、「本物なら閣僚や議員を辞職するか」問われて「結構だ」と明言した。腹は切らないが、首を懸けるというのだ。
具体的なやり取りは次のとおり。
小西洋之 「仮にこれが捏造文書でなければ、大臣そして議員を辞職するということでよろしいですね。」
高市早苗 「結構ですよ。…小西委員から頂いた資料を見ましたけれども、ご指摘の文書、私の名前出て来るの4枚だったと思うんですが、私が行ったとされる発言について、私はこのようなことは言ってませんし、当時の秘書官も同席してましたので確認しましたが言ってません」
高市の閣僚としての地位のみならず、議員としての地位がいつまで保つのか。まだ分からない。
このやり取りは、森友学園をめぐる公文書偽造問題を思い出させる。2017年2月17日、安倍晋三は、国会で「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と明言した。が、彼は自分の言葉に「恪循」しなかった。世上、こういう人物を卑怯者という。少なくも、信用できる人物ではない。高市が、自分の発言に責任をもつ人物であるか否か、見極めなければならない。