本日(5月15日)は、沖縄の「本土復帰」の日である。1972年のあの日から、もう47年にもなる。
当時を思い起こせば、復帰によって、本当に「沖縄が本土並みになるのか」が問われた。むしろ、「本土の沖縄化に道を開くことになるのではないか」との懸念も論じられた。
「沖縄の本土化」論も、「本土の沖縄化」論も、復帰によって沖縄が本土と政治的・経済的に一体となり、当然に文化的・心理的な一体感も醸成されるだろうとの前提では一致していた。なお、当時、沖縄をアメリカに売り渡した、昭和天皇(裕仁)の沖縄メッセージという犯罪的行為は明らかになっていなかった。
47年を経てなお、変わったことよりは、変わらなかったことの方が多いという印象を拭えない。とりわけ、昭和天皇(裕仁)の沖縄メッセージが、沖縄を犠牲に差し出して本土の生き残りをはかろうという、戦前からの変わらぬ本土側の本音であるとすれば、今なお旧態依然ではないか。
本日(5月15日)の沖縄タイムス・コラム[大弦小弦]欄に、「復帰とはね、継母から母の元に帰ることなんだよ」という、反語的でシニカルな、それゆえにまことに的確な指摘の論説が掲載されている。
「復帰とはね、継母(ままはは)から母の元に帰ることなんだよ」。3月まで沖縄国際大教授を務めた稲福日出夫さん(68)は幼いころから、学校で教えられた。継母は沖縄を支配していた米国。母は日本国だ
▼母と信じた日本政府は、2013年に「主権回復の日」式典を開いた。沖縄が日本から切り離されて米軍の統治下に置かれた「4・28」を、国際社会に復帰した記念日と位置づけた
▼沖縄では同じ日に抗議集会があり、稲福さんも足を運んだ。会場の金網に「日本国にもの申す! もはや親でもなければ子でもない」と書かれた布がくくりつけられていたのを覚えている。「基地撤去の言葉より、政権批判より心に刺さった」。ウチナーンチュの率直な感情の発露と捉えた
▼記念日では、ほかにも歴史の皮肉がある。米軍の輸送機「オスプレイ」が沖縄に配備された12年は、復帰40周年だった。配備反対の県民大会があり、全41市町村の代表らが東京での抗議行動に参加した
▼県議だった故玉城義和さんは、撤去を求める文書を「建白書」と命名した。初代知事の屋良朝苗さんが復帰前、米軍基地撤去などを日本政府に求めた「建議書」の精神を継承する意味があった
▼建議も建白も為政者への意見具申だが、実現していない。きょうは47回目の復帰の日。「母」の愛情より、苛烈さが目につく。(吉田央)
まことに、言い得て妙ではないか。継母のもとで苛められていた子が、47年前に、実母のもとに帰ってきた。ところが、この実母、実は自分の保身のために、継母にこの子を売り渡していたのだ。そんな事情を知らないから、子は実母のもとに帰れたことを素直に、喜んだのだ。
しかし、次第に子は悟る。「この実母は継母にばかり気を使って、いまだに続く継母のイジメにガマンしなさいというだけ」「いや、継母と一緒になって私をイジメようとしている」「この冷たい実母は、私に寄り添う人ではない」「私を犠牲にして身の安全をはかろうとしているのだ」。「結局のところ、47年前に継母のイジメが実母の虐待に変わっただけなのだ」。
問題は、46人の同胞たちの姿勢である。腹黒い親は見捨てても、兄弟姉妹は運命共同体である。沖縄を見捨ててはならない。
(2019年5月15日)
本日、お午過ぎ。恒例になった「本郷・湯島九条の会」の街頭宣伝行動。雨もようのなか、「9条改憲問題」と「天皇代替わり問題」と。参加者は少なかったが、とても励まされる「ちょっと良い話」があった。
下記が、世話役の石井彰さんからの、ご苦労さんメール。
各位
「本郷・湯島九条の会」石井 彰
ご参加くださった方々、お疲れ様でした。
本郷三丁目交差点を渡ろうとしていた白服の10人ほどの中学生にチラシを渡し話しかけました。皆さんチラシを食い入るように見入っていました。太平洋戦争も知らないようでした。
9条もまた然り。わたしたちの責任の重さを痛感させられた一幕でした。
わたしたちは毎月一回、第2火曜日の昼街宣をここ本郷三丁目交差点、かねやす前でおこなっていますが、”THE BIG ISSUE”を路上販売している方がいつからか街宣の準備を手伝ってくださるようになり、きょうはとうとうチラシ配りまでしてくださいました。担当が巣鴨になったのでこれから行きますが、来月のきょうもこの時間にここへ来てチラシ配りに参加するとのこと。仲間は大喜びです。
天皇代替わりに伴う改元改憲を許さないたたかいの大切さを訴えました。天皇制についてもしっかり戦前の絶対主義的天皇制下での侵略戦争の事実を訴えていこうと思います。
ご参加のみなさま、ほんとうにごくろうさまでした。次回は6月11日(火)昼、多くのみなさまのご参集をお待ちしています。
以上
本郷三丁目交差点・「かねやす」前は、ビッグイシューの売り場。担当の販売員が常時立っている。私たちはこの人に遠慮しながら街宣活動をしてきたが、考えて見れば、この人が私たちのスピーチを最も良い場所ですべてを聞く立場にあったのだ。しかも、1年余にわたって。その人が、私たち9条の会のスピーチに好感を持ってくれたことがこの上なく、嬉しい。そればかりか、最近巣鴨駅前に担当場所が変更になったのに、今日はわざわざ本郷三丁目まで来ていただいて、ビラ配りにご参加なのだ。
一同、すっかり嬉しくなったが、街宣が終わるとそそくさと姿を消した。「来月も参加しますよ」と言葉を残して。
思いもかけなかった、ちょっと良い話。
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ところで、石井彰さんがどんな人か、ご紹介しておきたい。彼は、親しい仲間からは、「社長」と呼ばれている。渾名のようで、渾名ではない。正真正銘の社長さん。株式会社国際書院という出版社を経営している。しかし、誰をも搾取したことはなさそう。自他共に許す「晴れ男」。石井さんのおかげで、われわれは街宣時に雨天の難を逃れ続けている。今日も、雨のはずが、街宣時だけは何とかもった。
国際書院のURLは、以下のとおり。
http://www.kokusai-shoin.co.jp/
最近、同窓会誌にユニークな論稿を寄稿されているので、その冒頭と末尾を抜粋して紹介の文とさせていただく。
ひとり出版社の果てない旅
45歳の時ひとりで国際書院という出版社を始めた。3年が経っていた。新橋の知人の事務所に間借りをしていた。その日は霙(みぞれ)が降っていた。12月28日の夕方、知人はいきなり、「石井さん、3年の間仕事をみてきましたが、あなたは経営者にはなれない。今日中にここを出てください」。電撃がわたしの体を走った。この間、10点ほど新刊を出してきたが一向に売れる気配が無い。印刷・紙・製本、倉庫代がたまる一方であった。間借り賃も滞りがちだった。当然のこどであった。国際法・国際政治・法文化といった専門書と格闘しながらの毎日ではあったが、所詮お金が入らないことには話にならないのだ。言い捨てて彼は事務所を後にした。
呆然としていても時間が過ぎてゆく。相変わらず霙が事務所の窓を打っていた。本郷で友人がプロダクションの仕事をしていて、いないだろうと思いつつ電話をした。彼はいた。「久しぶりだな」、高い声が返ってきた。事情を話すと急に低音になり、「まあとにかく来いよ」と言った。
三田線の御成門から春日まで荷物を持って三往復した。渋い顔の友人は、「とりあえず、その隅に荷物を置けよ」と言ってテーブルにお茶を出し、「話してみてくれ」と言った。予想通りの答えが返ってきた。「言ったじやないか。初めから博士号論文などといった専門書はやめておけって。まず何でもいいから教科書とかあるいは売れ筋のものでカネを稼いでから、自分の出したいものを出していけって」。その通りなのだ。わたしは答えることができない。
「年を越したらすぐ出て行くから少しだけ置かしてくれ」、そう頼むしかない。そして翌年どころか、またしても3年という歳月が流れていた。
業を煮やした友人は、「石井、いいかげんにしろ。おまえには経営するってことは向いていない。商売替えをしたらどうだ」。そしてその年の暮れ、本郷の一室にヤドカリのように引っ越していった。当然カネはない。とにかく拝み倒して本郷の知り合いに借りた。毎月の家賃を支払うあてなどない。6年の月日が経っていた。以降、経営と生活のどん底と貧困は果てしなく続くのである。
(この間20数年分略)
この30年、「人類の平和的生存」を追い求めてきた。執筆くださっている研究者の方々とこの一点で仕事を続けてきた。夢と現実生活との葛藤を通してこの思いは一層募るようだ。『国連法序説』を執筆してくださった秋月弘子氏が国連の女性差別撤廃委員会の委員に選出され、そのお祝いの宴を国際法・国際機構研究会の方々が主催し、湯島の東京ガーデンパレスでおこなった。わたしも招かれ席に連なった。嬉しいことだ。宴の終わりの直前に、研究会の中心になっている渡部茂巳氏がいきなり立ち上がり、「石井さんに感謝状を差し上げたいと思います」と言ってこれまでの国際書院の事績をあげ、ここにいるみなさんはみな教授です。国際書院から単著を世に出していただいたからです。30年お付き合いさせていただき感謝する、といった趣旨の口上だ。
驚いたことに続いて法文化学会から11月に淵野辺にある大会のあった桜美林大学で「感謝状」が岩谷十郎理事長から渡された。純粋に学問を通して歴史の歯車を一歩でも前へ進めようとしている研究者の方々を心から尊敬している。その方たちからいただいた「感謝状」だ。何より嬉しい。あと100年を30回ほど経過したら国際法というものが実定化し地球を舞台とした人類は平和のうちに生活できる時が来るのかもしれない。わたしの仕事もその礎石のひとつになっていれば良かれと思う。わたしの旅路はまだまだ果てなく続く。
(2019年5月14日)
巻を措く能わずという形容のとおり、読み始めたらやめることができず、一気に読み通した。もう4年前に出た本。その前には、岩波の『図書』に連載されていたものというから、もっと早くに読めたのにようやく今ごろ…。もっと早く、読んでおくべきだった。
一人の誠実な活動家の生き方の記録としてだけでも読むに値するが、歴史の証言としての内容は、幾重にも衝撃的である。とりわけ、「4・3事件」を生き延びた当事者としての生々しい描写に息を呑む。若い彼は、犠牲者総数3万人を超えるとも言われている事件の全体像を語る立場にはないが、弾圧された側の運動を支えた精神を最も鮮明に語りうる活動家の一人ではあった。
結局蜂起は失敗に終わり、無惨な報復的虐殺の嵐が荒れ狂うことになる。なぜ、チェジュ島でこれほどの暴虐が恣にされたのか。十分には理解しえないもどかしさは残るが、どうしても若い彼の行動と気持に感情移入して、はらはら、ドキドキせざるを得ない。敗北の苦い経験だが、傍観者の事後的評価は慎むべきだろう。「4・3蜂起」といわれる彼らの決起行動を「未熟な冒険主義」などと、傲慢に非難する気持にはなれない。
「賽は投げられる寸前でした。座して死を待つか。立って戦うか。祖国分断への単独選挙が目前に迫るなかで、ぎりぎりの選択が党員(「南労党」)全員にかかってきました。」という、回想が胸に迫る。
彼は、「4・3事件」に決起していったん逮捕され釈放の後、再度の任務を遂行して今度こそ進退窮まる。このときに、普段は飄々としている父親が奔走して、日本への密航船を手配する。父親は別れの時に、こう言ったという。
「これは最後の、最後の頼みでもある。たとえ死んでも、ワシの目の届くところだけでは死んでくれるな。お母さんも同じ思いだ」
こうして、彼は、母がつくった炒り豆の弁当と、日本の50銭紙幣の束と、イザというときのための青酸カリをしのばせて、粗末な密航船に乗り込んだ。上陸は瀬戸内の舞子の浜あたりだったという。こうして、その後の人生を在日として生きることになった。
彼は、日本統治下の済州島で、皇民化政策の申し子として育つ。心底からの、天皇崇拝の皇国少年だったと回想している。1945年の「解放」時は、数えで17才。努力して朝鮮人としての自覚を獲得する。ハングルも解放後に学んだという。
彼は、日本へ脱出の後も、アメリカとその傀儡である李承晩政権が圧政を敷く南朝鮮に深く失望し、北に強い憧憬の念を抱く。しかし、次第に北朝鮮の実情を知るに至ってこちらにも失望する。そして、終章の最後をこう締めくくっている。
「新たな戸籍と大韓民国国籍を晴れて取得しました。30年にわたって民衆が闘い続けた民主化要求が実って、民主主義政治が実現した大韓民国の国民のひとりにこの私がなれたことを、心から手を合わせて感謝しています」
2003年のこのとき著者は74才になっている。なお、これに「あとがき」が続き、次のような胸に刺さる一節がある。
「この連載を機に、…今更ながら、植民地統治の業の深さに歯がみしました。反共の大義を殺戮の暴圧で実証した中心勢力はすべて、植民地統治下で名をなし、その下で成長を遂げた親日派の人たちであり、その勢力を全的に支えたアメリカの、赫々たる民主主義でした」
金時鐘氏、1929年の生まれ。在日の詩人。今年90才になる。まぎれもなく、貴重な歴史の生き証人である。
(2019年5月13日)
昨日(5月11日)は、森友事件の刑事告訴と検察審査会の議決を話題にした。首相とその妻の関与疑惑濃厚の「国有地タダ同然払い下げ不正」被疑事実が背任告発であり、その疑惑が明るみに出ぬよう蓋をせんとした証拠隠滅、公文書変造、公用文書毀棄・隠匿の諸告発である。告発された被疑者総数は38名に及ぶ。
首相にまつわる忖度派ご一統以外の圧倒的な国民が、徹底した疑惑解明を望み、起訴あってしかるべきだと考えている。犯罪の構成要件を充足する事実の存在は明らかといってよい。ところが、大阪地検特捜部は、その全部を不起訴とした。忖度による犯罪を、忖度によって不起訴とした、と評されて返す言葉もなかろう。
その反対に、首を傾げざるを得ない起訴と長期勾留が問題となってもいる。「えっ? こんな事件を起訴するの?」「こんな微罪で、こんなにも長期勾留するの?」という、これも検察の政権への忖度が疑われる処分。その典型が「倉敷民商弾圧事件」と「香港人の靖国神社建造物侵入被告事件」である。
「倉敷民商弾圧事件」については、以前に触れた。
「未決勾留428日の民商職員に、一審有罪破棄(差戻し)の控訴審判決」(2018年1月15日)
https://article9.jp/wordpress/?p=9762
本日は、後者を取りあげたい。支援組織の名称が、「12.12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会」という。これに倣って、「靖国抗議見せしめ弾圧」事件と呼ぶことにしよう。
事件は、昨年(2018年)12月12日の早朝に起きた。南京大虐殺の日として記憶される日(12月13日)の前日にあたるこの日の午前7時ころ、香港人の郭紹傑(55)と厳敏華(26)ら2人が、靖国神社の敷地に正当な理由なく立ち入ったとして警視庁に現行犯逮捕された。その後、12月16日に建造物侵入の罪名で起訴され、引き続く勾留が現在に至っている。この間4回の保釈申請がいずれも却下され、身柄の拘束は既に5か月を超えた。
公訴事実は、「被告人両名は、共謀の上、正当な理由がないのに、…(靖国神社の)「外苑」と称される敷地内に同神社神門前、参道入り口から侵入した」というもの。これだけが挙証対象であり、比較的微罪(最高刑懲役3年)でもある。およそ、実害はない。表現の自由侵害の側面は否定しがたい。まさしく「見せしめ弾圧」というにふさわしい。ゴーンのケースよりも、はるかに深刻な「人質司法」弊害の典型例というべきだろう。
第1回公判の罪状認否では、郭被告は「戦争責任を認めないことへの抗議行動で、表現の自由の範囲内だ」と主張。厳被告は「香港のラジオ局から頼まれて郭被告の抗議を撮影したが、取材の自由に当たる行為だ」と述べたと報道されている。
サンデー毎日(牧太郎)によれば、二人の行為は、「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳で『南京大虐殺を忘れるな! 日本の虐殺の責任を追及する』と中国語で書かれた横断幕を広げ、東條英機元首相の位牌を模した紙を燃やし、もう一人はそれを撮影していた」のだという。また、「郭被告は香港の民間団体『保釣(ほちょう)行動委員会(中国に尖閣諸島の領有権がある!と主張する団体)』のメンバー。「南京事件(1937年)の賠償を、日本政府は被害者に行っていない!」と主張していた。香港のネットでは「この男は反中国活動家で、雨傘革命の先頭にいたのではないか?」などと話題になった。
また、被告人郭は、「昨年12月「長期勾留」に抗議して、約100時間絶食し、その結果、同27日体調不良で検査のため病院に運ばれたりした」という。
これまでの法廷傍聴者からは、次のような報告がなされている。
「2人に対して罵声を浴びせるためだけに、右翼が大量に動員をかけて10人ほど入りこんでいたと思います。その彼らは、法廷の終了が宣告されるや否や、被告に対して差別的な暴言を繰り返しました。その中には、私たちの集会などにも日常的に「カウンター」をかけてくるレイシストも含まれていました。」
また、法廷通訳(北京官話ではなく、広東語)の水準が不十分だとも聞く。
この事件の被告人二人の立場は極めて弱い。天皇代替わりで日本のナショナリズムが沸騰しているこの時期、政権と靖国を直接の敵にまわしているのだから。日本社会の圧倒的多数派世論と敵対的な関係にあるということだ。しかも、外交的に困難な事情として、中国は味方になってくれないということもある。
しかし、最も弱い立場の人権こそが擁護されなければならない。まずは、保釈が認められてしかるべきだ。ゴーンのように注目されないこの事件に、世論の関心を期待したい。
5月22日午前10時から、第3回公判が予定されている。この日には、検察側証人として警察官二人が証言する。なお、傍聴抽選は、同日9時半締め切りとのこと。
(2019年5月12日)
昨日(5月10日)、森友問題での刑事告発人らや代理人弁護士らが、大阪地検特捜部の担当検察官と面会し、厳正な再捜査と起訴を要望した。
学校法人「森友学園」への国有地タダ同然売却問題、そしてそのことを隠蔽するための決裁文書改ざんや国会答弁問題で相次いだ告発がすべて不起訴となった。この安倍政権への忖度処分を不服として、大阪検察審査会への審査申立がなされ、その一部が「不起訴不当」の議決となった。大阪地検(特捜部)は、誠実に再捜査を遂げ、今度こそ政権への思惑を捨てて、厳正に起訴をすべきである。
共同配信記事は、こう伝えている。
大阪第1検察審査会が佐川宣寿前国税庁長官ら10人について不起訴不当と議決したことを受け、審査を申し立てていた醍醐聡東大名誉教授らは10日、大阪地検特捜部検事と面会し、厳正な再捜査と起訴を求める文書を出した。
約40分間の面会終了後、大阪市で報道陣の取材に応じた醍醐氏は「地検の不起訴理由と検審の議決内容は著しく食い違う」と強調。検事は醍醐氏らに対し「ご要望として承る」と応じたという。
醍醐さんの報告では、短い時間に準備した資料を検事に提示して、4点を強調して発言したとのこと。その中心は下記のとおり。
「安倍首相は2017年3月6日の参院予算委における答弁で『ゴミを取ることを前提に1億数千万円で売った」と答弁した。しかし、森友学園は埋設物をそのままにして校舎を完成した。特捜は安倍首相と、開学に向けた森友の工事の実態の重大な食い違いに強い関心を持って再捜査に当たると考えてよいか?」また、「上記の発言の中で安倍首相は何度も『ゴミがあるからディスカウントした』『瑕疵担保責任というのはそういうこと・・・』と発言している。専門家の特捜部が瑕疵の対象物を『ゴミ』などと世間話のレベルで捉えておられるとは、無論思わないが、国会でもマスコミでも、ゴミが、ゴミが、と語られてきた。私たちがこれまでに提出した申入文書で指摘したように、瑕疵担保責任が問題になる地下埋設物とは、買い受けた土地を目的の用に供する工事をする際に障害となる物を指すという解釈は判例でも定着している。特捜部は、瑕疵担保責任をこのような厳密な法的意味で解釈していると理解してよいか?」(以上は、参議院予算委の議事録の該当箇所を示しての発言)
これに対する検事の応答は、「ここで、こちらの考えを話すのは控える。ご要望として受け取める。」「4月1日にみなさんが提出された申入書は私も受け取っている。その他のことはご要望として受け止める。」というものだったという。
また、NHK記者時代に事件を追っていた相澤冬樹さんが次のように、報告している。
森友事件を一貫して追及してきた大阪の阪口徳雄弁護士は、応対する蜂須賀検事に見覚えがあった。12年前、奈良県生駒市の前市長が逮捕される背任事件があった。前市長が現職当時、タダ同然の山林を親しい業者から市の公社を使って1億3480万円で買い上げた。これが市に損害を与えた背任として立件された。阪口弁護士は市長が替わった後の生駒市の顧問で、新市長の意向を受けて特捜部にこの件を持ち込んだ。これを受けて大阪地検特捜部で捜査にあたったのが蜂須賀検事だったのだ。
阪口弁護士)あなた、生駒市の背任事件を担当したんじゃないですか?
蜂須賀検事)よく覚えてますねえ。
阪口弁護士)私は生駒市の顧問としてあの事件を特捜部に持ち込んだんですよ。たしかあのころお会いした記憶がある。
蜂須賀検事)あの事件は私も記憶に残っています。
阪口弁護士)あのころ、奈良市の市議会議長が贈賄で逮捕される事件もあったでしょう。あれも私が持ち込んだんですよ。
蜂須賀検事)あれも私が担当しました。
阪口弁護士)あのころの大阪特捜は頑張ってましたねえ。
この皮肉に、蜂須賀検事はただ笑っているだけだったが、雰囲気は和やかだった。阪口弁護士としては、かつて公職者の背任を手がけた検事に再び頑張ってほしいという思いもあった。申し入れはそこからが本題だ。ここから阪口弁護士は厳しく迫った。
・大阪地検がこれまで政治家や公務員の犯罪に毅然と対処し起訴に踏み切ったことを関西の我々は知っているし、期待もしてきた。
・しかし検察審査会は今回の検察の捜査について極めて恣意的で不十分だと指摘している。
・有権者から無作為に選ばれた委員がこのように判断したということは、これが国民の大多数の意向を反映したものだ。
・法律的にも、この事件は起訴して無罪になることなど、およそあり得ない。むしろ検察の不起訴の理由の方がとってつけた屁理屈としか思えない。
・検察が適当にお茶を濁す再捜査をして、またも不起訴にするなら、国民の信頼は喪失されるだろう。政権の関係者が関与するとして注目されるだけに、なおさらである。
・検察審査会の「不起訴不当」の議決は多くの国民の検察に対する批判、叱咤激励と受けとめ、徹底的に再捜査して起訴するよう強く要請する。
同じく申し入れを行った醍醐聰東大名誉教授は安倍首相の答弁の齟齬を指摘して捜査を求めた。
・森友事件が発覚した2年前の当初、安倍首相は国会で問題の国有地について「ごみを撤去することを前提に(8億円あまりを値引きして)1億3400万円で売却した」と答弁している。実際にはごみは撤去されていないのだから現実との間に重大な齟齬がある。
・あの土地にごみがあるというが、工事の妨げになるようなごみがなければ値引きの理由にはならない。実際にはごみは撤去されていない。
・「土地の瑕疵(欠陥)を見つけて価値を下げていきたい(値下げしたい)」などと、財務局側が値引きが背任にあたるという認識を持っていたことを示す証拠がある。
特捜部の蜂須賀検事は申し入れに対し、次のように答えたという。
・検察審査会の議決が出たことは重々承知しています。議決書を踏まえて適正かつ慎重に再捜査します。
・ご指摘の点はご要望として受けとめました。ここで我々がどうかはお答えすることができません。
ほぼこの答えを繰り返すだけだった。申し入れの参加者は、検察がひたすら慎重な姿勢に終始し、揚げ足をとられないようにしていると感じた。
国家公務員がなぜこれほどの不正行為に及んだのか? 政権や政治家に忖度したのか? 政権側の関与はないのか?小学校の名誉校長を務めていた安倍昭恵首相夫人の存在はどのように影響したのか?
すべては当事者を起訴しなければ法廷で明らかにされない。そして起訴されるかどうかは、国民世論が高まるかどうか、国民1人1人の声が大阪地検に届くかどうかにかかっている。森友事件を追及してきた阪口徳雄弁護士は、そう考えている。
共同通信配信
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/418296
「関西NEWS WEB」(動画付き)
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190510/0015393.html
相澤冬樹さん記事
https://news.yahoo.co.jp/byline/aizawafuyuki/20190510-00125569
森友問題を「再捜査し起訴を」不起訴不当で弁護士ら要望
https://www.asahi.com/articles/ASM5B4RKKM5BPTIL00Z.html
なお、醍醐さんらが提出した、申し入れ書は以下のとおり。
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?2019年5月10日
大阪地方検察庁特捜部 御中
申 入 書
大阪第一検察審査会の議決を真摯に受け止め、背任の嫌疑について厳正な再捜査のうえ、起訴処分を求める
平成30年大阪第一検察審査会審査事件(申立)第13号
審査申立人 醍醐 聰 他18名
申立人ら代理人弁 護 士 澤 藤 統一郎
同 佐 藤 真 理
同 杉 浦 ひとみ
同 ?澤 藤 大 河
被疑者 池田 靖(近畿財務局管財部統括国有財産管理官・当時)
私たちは本年4月1日、貴庁に対し、「大阪第一検察審査会の議決を真摯に受け止め、真相解明のために厳正な再捜査と起訴処分を要望します」と題した申入書を提出しました。
貴庁特捜部が、森友学園への国有地売却に係る背任の嫌疑につき、大阪第一検察審査会(以下、「大阪検審」)が示した不起訴不当の議決を受けて再捜査をされるにあたり、改めて申入れをいたします。
1. 本件土地には値引きで補償すべき法的意味での瑕疵は実在しなかったこと、その事実を被疑者は十分認識していたことを徹底究明されるよう求める。
貴庁は、本件土地売買契約書に、買主が今後、損害賠償請求をできなくする特約が盛り込まれたことを理由に挙げて、被疑者には違法な値引きをした背任があったとはいえないとして、被疑者を不起訴処分としました。
しかし、大阪検審議決は、問題にされた地下埋設物撤去費用試算にあたって、検察官が小学校校舎建設を前提とする検証をしていないことを指摘し、今後、客観性のある捜査を尽くすべきだとしています。この指摘は、当然に当該地下埋設物は校舎建設にあたって、撤去を必要とするようなものではなかったこともありうることを示唆しています。国交省航空局長も国会で同様の答弁をしています。
また、大阪検審は森友学園の代理人弁護士も、被疑者ら自身も、かりに森友学園が国を相手に損害賠償の訴訟を起こしても訴えが認められる可能性は極めて低いことを認識していたと指摘しています。
私たちも過去の類似の事案の判例等をもとに、本件土地には、法的な意味で損害賠償を必要とするような瑕疵(それを撤去しなければ土地を目的の用に供せないような地下埋設物)はなかったこと立証する資料を提出しました。
再捜査にあたっては、これらを証拠資料として、本件土地には瑕疵にあたるものは実在しなかったこと、被疑者らはその事実を十分、認識していたことを明らかにされるよう、強く求めます。
2.限りなく起訴相当に近い大阪検審の議決の重みを真摯に受け止め、公判で事の真相を明らかにする徹底した審理が行われ、公正で社会的正義を踏まえた判決に道を開くよう、起訴処分を求める。
大阪検審の議決要旨は随所で、具体的な事実を上げながら、貴庁の不起訴処分に強い疑問を投げかけています。そして結びでは、本件背任の嫌疑について公判の場で真実を明らかにする意義がきわめて大きいと指摘しています。長期にわたる審査を経て大阪検審が示したこのような指摘は極めて重いものです。
また、本件は、国会審議の報道などを通じて社会的にも大きな関心を集め、各種世論調査において、政府や財務省当局の説明に納得できないと答える人々は一貫して7割を超えています。
貴庁におかれましては、こうした世論を納得させるためにも厳正な再捜査を尽くされるよう要望します。そのうえで、公判で事の真相を明らかにする審理が行われ、公正な判決に道を開くよう、起訴処分を求めます。
さらに私たちは、被疑者に係る背任の捜査を端緒として、被疑者らに背任の罪を負わせるような力がどこから、どのように働いたのか等についても毅然と解明され、社会正義にかなった判断を示されるよう、強く要望するものです。
以上
(2019年5月11日)
衆議院は,昨日(5月9日)午後の本会議で、天皇の即位に祝意を示す「賀詞」を全会一致で議決した。共産党も出席して賛成した。残念でならない。
共同配信は「平成の際の賀詞は昭和天皇逝去に伴う1989年1月の皇位継承時ではなく、90年11月に行われた『即位礼正殿の儀』に合わせて議決した。当時、天皇制廃止を掲げていた共産党は反対した」とし、産経は「平成の御代替わりの際の賀詞に反対した共産党も、今回は賛成した」と書いている。
その「賀詞」なるものの全文は次の通り。
「天皇陛下におかせられましては、この度、風薫るよき日に、ご即位になりましたことは、まことに慶賀に堪えないところであります。
天皇皇后両陛下のいよいよのご清祥と、令和の御代の末永き弥栄をお祈り申し上げます。
ここに衆議院は、国民を代表して、謹んで慶祝の意を表します。」
「陛下」「おかせられましては」「風薫るよき日」「ご即位」「慶賀に堪えない」「天皇皇后両陛下」「ご清祥」「令和の御代」「末永き弥栄」「お祈り申し上げます」「国民を代表して」「謹んで慶祝の意を表します」。一言々々が、耳にざらつく。天皇制に阿諛追従のこんな決議が議院の全会一致で成立とは、これは悪夢だ。一人の議員の反対もないのか。嗚呼、共産党までが…。
戦前の大政翼賛下の議会を彷彿とさせる。同時に、9・11直後に、たった一人反対票を貫いた米下院のバーバラ・リー議員を思い起こさせる。
2001年9月14日、9・11同時多発テロ事件3日後のこと。米連邦議会の上下院は、ブッシュ大統領に対しテロへの報復戦争について全面的な権限を与える決議を成立させた。これに対し、上下両院を通じてただ一人これに反対票を投じたのが、カリフォルニア選出のバーバラ・リー(Barbara Lee)民主党下院議員だった。私は、この一票を、議会制民主主義に生命を吹き込んだものとして高く評価する。
その「ただ一人反対を貫いた下院議員」の議会での発言の一節がこうであったという。
私は確信しています。軍事行動でアメリカに対する更なる国際的なテロを防ぐことは決して出来ないことを。この軍事力行使決議は採択されることになるでしょう。(それでも、)…誰かが抑制を利かせなければならないのです。誰かが、しばし落ち着いて我々が取ろうとしている行動の意味をじっくり考えなければならないのです。皆さん、この決議の結果をもっと良く考えて見ませんか?
昨日の衆院では、非力でも、孤立してでも、誰かがこう言わなければならなかった。
私は確信しています。天皇制を賛美することが、国民主権や民主主義と相容れないものであることを。この賀詞決議は多数決で採択されることになるでしょう。それでも誰かが、抑制を利かせなければならないのです。誰かが、しばし落ち着いて、新天皇の即位に祝意を述べるという議会決議の意味をじっくり考えなければならないのです。皆さん、過熱している新元号制定や新天皇即位の祝賀ムードが、国民の主権者意識とどう関わるものなのか、もっと深くよく考えて見ませんか?
現実には、こう発言する議員も政党もなく、あたかも国民は、新天皇即位に祝賀一色のごとく後世に記録されたことを残念に思う。
本日(5月10日)の赤旗が、党委員長の記者会見記事を掲載している。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-05-10/2019051002_04_1.html
以下に、志位委員長発言のポイントを抜粋して、これにコメントしておきたい。
志位 天皇の制度というのは憲法上の制度です。この制度に基づいて新しい方が天皇に即位したのですから、祝意を示すことは当然だと考えています。私も談話で祝意を述べました。国会としても祝意を示すことは当然だと考えます。
いつもの理路整然たる共産党の発言とは思えない、驚くべき非論理ではないか。「われわれは現行憲法を尊重する立場であり、天皇が憲法上の制度である以上、新天皇即位を妨害しない」なら、論理として分かる。しかし、「祝意を示すことは当然」とは論理的にあり得ない。
内閣総理大臣は憲法上の制度ではあるが、安倍首相就任に祝意は当然だろうか。最高裁長官や下級審裁判官についてはどうだろうか。これに、いちいち「国会としても祝意を示すことは当然」はなりたちえない。
「現行憲法を丸ごと擁護する立場から、憲法上の制度とされている天皇を認める」としても、その天皇の役割を制約し存在感を極小化しようとする立場に立つのと、天皇の役割の拡大を容認する立場に立つことの間には、天と地ほどの差異がある。政党は、とりわけ共産党は、自らの立場を明確にしなければならない。
志位 ただ、(賀詞の)文言のなかで、「令和の御代」という言葉が使われています。「御代」には「天皇の治世」という意味もありますから、日本国憲法の国民主権の原則になじまないという態度を、(賀詞)起草委員会でわが党として表明しました。
そのことは知らなかったが、共産党も、少なくとも賀詞の文言の問題点は認識していたわけだ。それならば、「『令和の御代』との文言を削除しない限り、日本国憲法の国民主権の原則になじまないのだから、わが党としては反対」という選択はありえたのだ。文言をそのままで、賛成をしてしまったのは、どうしたことか。
志位 (前天皇の即位の賀詞に反対した)当時の党綱領は「君主制の廃止」を掲げていました。その規定は2004年の綱領改定のさいに変えたわけです。改定した綱領では、天皇条項も含めて現行憲法のすべての条項を順守する立場を綱領に明記し、「君主制の廃止」という規定は削除しました。そういう綱領の改定に伴って、こういう態度を取ったということです。
「現憲法下で、憲法のすべての条項を順守する立場」と、「新天皇即位への賀詞決議に賛成」という態度とは、必ずしも結びつかない。むしろ、「現行憲法を順守する立場」は、国民主権や人権という憲法体系の基軸部分と、天皇制という周辺部分とに、ことの軽重のメリハリをつけてしかるべきではないのか。新天皇の賀詞決議に反対したところで、新綱領違反になるわけはない。
志位 私たちの綱領では、将来の問題として、日本共産党としては、天皇の制度は「民主主義および人間の平等の原則と両立するものではない」として、「民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記しています。同時に、天皇の制度は憲法上の制度ですから、その「存廃」は「将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきもの」だということを綱領では書いています。
全体の論理は分からないではない。しかし、「その『存廃』は『将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきもの』」というのは、「前衛」を自負する共産党の姿勢として、あまりに第三者的・傍観者的なものの言い方ではないか。社会を、歴史の発展の方向にリードしていこうという主体性に欠けることにはならないか。
志位 そして同時に、憲法上の制度である以上、「その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべき」だと述べているわけですから、綱領のこの規定は、「私たちの立場はこうです」――つまり将来的にこの制度の存廃が問題になったときには、そういう立場に立ちますと表明していますが、同時に、わが党として、この問題で、たとえば運動を起こしたりするというものではないということです。
えっ? これは一大事だ。「共産党として、天皇制廃止問題で運動を起こしたりはしない」というのだ。天皇制に関連する、元号使用反対運動、「日の丸・君が代」反対運動、紀元節復活反対などなどはどうなるのだろう。まさか、こうした運動のすべてが、「将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべき」というわけではあるまい。
あらためて思う。天皇とは、まぎれもなく日本社会の旧態依然たる保守勢力の社会意識に支えられた「権威」である。その対極の進歩の陣営における「権威」が永く共産党であった。共産党の権威は、果敢に天皇制の権力と権威に対峙して闘ったことによって勝ち得たものである。天皇制と闘わない共産党は、自ら権威を捨て去ることにならないか。残念でならない。
天皇制と闘わない共産党とは、形容矛盾に見える。大衆運動をリードしようとしない「前衛」も同様である。泉下の多喜二が嘆いている。そしてこう呟いているのではないか。「天皇制とは、時の権力に使い勝手よく利用されるところに危険性の本質がある。いつの時代も甘く見てはならない」と。
(2019年5月10日)
早朝不忍池の周りを散策。花の季節は去って、遅く開花したダイゴジジュズカケサクラも散りおわった。ハスの浮葉が水面をおおって、既に緑濃い初夏の風景である。インバウンドの人影も少なく、穏やかな連休明け。今月(19年5月)はじめて、五條神社に足を運んだ。
今、境内に見るべき花はない。見たいものは、二つ。その一つは、善男善女が奉納の絵馬。マジックで、健康と病気回復、手術成功などの切実な願文が認めてある。関心は、その年月日の表記。実は、元号が圧倒ということではなく、西暦表記が意外に多いのだ。平成はあったが、令和は目につかなかった。これは面白い。
そしてもう一つ、見たいものは、社頭に月替わりで掲示される「生命の言葉」。実は、東京都神社庁が作成して配布し、傘下の各神社が掲示しているもの。 天皇代替わりの今月はどんな言葉かと、興味津々だった。普通は三十一文字で、代替わりにふさわしいものとして、どの天皇の歌を引いてくるのだろうかと思いきや、歌ではなかった。掲示されていたのは、次の4文字。
天 壌 無 窮
敗戦までは、教育勅語の一節にあったから、全小学生が暗記しなければならなかった言葉。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という一節の中の4文字。
「天壤無窮」は、音で読めば「テンジョウムキュウ」だが、訓で読み下せば「あめつちとともにきわまりなかるべし」と読むのだろう。要するに、天と地とが永遠であるごとく、天皇の治世にも終焉はない、ということ。もう少し付け加えれば、祖先神アマテラスの子孫であり、自らも神であるという神聖天皇の治世の永遠性のことである。
これは、天孫降臨の神話に由来している。天孫とはニニギノミコトのこと。女性神アマテラスの孫である。日本書紀には、アマテラスが、ニニギに語ったという、次の一節がある。
「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無けむ」
分かり易く、意訳すれば、こんなところか。
「ほら、あそこに見える日本という国はね、神様である私の子孫が王となるよう決められたところなの。さあ、私の孫よ。あんたが行って治めるのよ。うまくやってね。私の家系が栄え続けることはね、天地がある限りずっとずっと永遠なの。」
もちろんこれは、たわいもない神話である。どこの世界、どこの民族にも、神を起源とすることで自らを権威付けようと神話を作りあげた一族がいる。他方に、この一族と闘い、あるいは抗って破れた対抗勢力も存在するのだ。
「あの国はお前のものだから、さあ行って切り従えて治めなさい」とは、何とムチャクチャな神さま。天皇一族だけに好都合なこんな荒唐無稽な作り話が史実であるはずもなく、権威や権力の正統性の根拠として語り継がれることは、嗤うべき後進性というほかはない。嗤われているのは、われわれ日本人と知らねばならない。
この天孫降臨の際にアマテラスからニニギに皇位の印として与えられたものが、三種の神器だという。いまだに、剣爾等承継の儀として、神器の承継にこだわる皇室の権威なるものの滑稽さは如何ともしがたい。さらに滑稽なのが、恭しくもったいぶってこれを伝えるマスメディアの醜態。
日本国憲法は、神権天皇制を否定した。天皇は象徴として残したがこれを再び神としてはならないという趣旨で厳格な政教分離の規定を設けた。果たして、宝祚(あまつひつぎ⇒皇位)は、今なお「天壌無窮」なのだろうか。
2019年5月、新天皇即位の月の「命の言葉」は、今なお皇位の承継は「天壌無窮」であるぞ、という宣言なのだろうか。あるいは、憲法や政教分離やらの制約を取り払って、戦前の「天壌無窮」を取り戻したいという願望の表明なのだろうか。
「そんなもの見て、そんなことを考えているのは、あなただけですよ」と、神社のハトが、クククと笑った。そして、こう付け加えた。「実はね、天皇だけでなく、ハトだってカラスだって万世一系で天壌無窮なんですよ」。
(2019年5月9日)
令和という字は「命令に和せよ」と書くのね
「お上に従順に」という嫌みな言葉ね
それが、今風の生き方かも知れないけれど
とても使う気持ちにはなれないから
熨斗を付けてお返しするわ
サヨナラ 令和
令和という字は「冷和」に似てるわ
冷たい日本ということなのね
「冷倭」ともよく似ているね
冷酷な日本人ということなのかもね
弱者に冷たい時代を受け入れたくはないから
熨斗を付けてお返しするわ
サヨナラ 令和
令和の由来は文選の「歸田賦」だそうね
「歸田」は腐敗した宮仕えに嫌気の詩なのよね
令和の令には、「へ」と「マ」が読めるけど
こんな元号選定は政権のヘマじゃないかしら
忖度政治にはもうウンザリだから
熨斗を付けてお返しするわ
サヨナラ 令和? 永遠に
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「元号さよなら声明」への賛同署名運動を展開中。ご協力を。
署名は、下記のURLから。
http://chng.it/7DNFn7sCfz
目標は10000人。是非とも、拡散のご協力をお願いいたします。
「元号さよなら声明」
もう使わない、使わされない!
元号の強制、元号への誘導、押し付けはごめんです。
また元号が変えられました。私たちは、一生の間にいったいいくつの元号を使わされるのでしょうか?
いま多くの人が元号はもう使いたくないと感じています。グローバル化が進んだ今日、日本国内にしか通用せず、また国内でも複数の年の間の年数をかぞえるにも元号は実に不便です。
日本の手帳には年齢早見表がついています。いくつもの元号にまたがって年数を数えるのは厄介だからです。グローバル化の時代に日本でしか通用しない元号は不便です。
それだけではありません。公的機関が元号だけを使っているため、改元の度に必要となる情報システムの改修には莫大な費用がかかり、IT社会は絶えずこのシステムの不安定性に振り回されます。
元号を使うことは義務ではありません。しかし現実には、それが当然であるかのように元号を使うことを求められたりします。
元号を使いたくない人、元号を知らない人に元号を使うよう「協力を求め」たり、無理強いをしないでください。また、誰もが使ったり見たりする公的な文書や手続き書類は、元号を使いたくない人でも困らない、元号を知らない人でも分かるものにして下さい。
私たちは元号を使いたい人が元号を使うことを妨げようとしているのではありません。ただ私たちは、次の三つのことを求めたいのです。
1.届出や申し込みの用紙、Web上のページなどにおける年の記載は、利用者が元号を用いなくても済むものとし、また利用者に元号への書き直しを求めないこと。
2.公の機関が発する一切の公文書、公示における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。
3.不特定多数を対象とする商品における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。
* 上記の1・2は、衆参両院議長、内閣府、最高裁判所事務総局、地方自治体に要請します。また同じく3は、元号表示しかしていない金融機関や企業などに対して、各地の賛同者の皆さんと共に要請します。
(2019年5月8日)
5月3日、有明での憲法集会の中央ステージで、東京朝鮮中高級学校合唱部の皆さんが、胸に響く訴えをされ、美しい歌声を聞かせてくれた。
集会後、その生徒たちがコーラスのCDを販売していた。そのうちのお一人にサインをしてもらって、1枚買った。「東京朝鮮中高級学校合唱部『ウリハッキョ ? 私たちの学校、私たちのふるさと』」というタイトル。2018年12月の収録で、1800円。これが素晴らしい。1枚といわず、もっと買っておけばよかった。
「私たちは朝鮮高校にも無償化が適用されるよう、運動を行っています。このCDの売上の一部がその運動資金に充てられます。」という訴えに応えるというだけでなく、「どこまでも澄んだ泉のような美しい歌声、心洗われるハーモニー」という惹句が、そのとおりなのだ。人にも薦めたくなる。
これまでは起床して朝食までの毎朝のBGMは、古きよき時代のアメリカンポップスだった。いま、「ウリハッキョ」がこれに代わった。「米」から「朝」にである。しばらくは、毎朝これを聞き続けることになる。
収録されているのは、下記の10曲。
このうち、「4. 声よ集まれ、歌となれ」「5. アリラン?赤とんぼ」「8. 花」の3曲が、日本語の歌詞で唱われ、その他は朝鮮語で意味は分からない。訳詞を読みながら聞いている。
1. 故郷の春
2. 私の故郷
3. 子どもたちよ、これがウリハッキョだ
4. 声よ集まれ、歌となれ
5. アリラン?赤とんぼ
6. 月夜の星芒
7. アリラン
8. 花
9. あじさい
10. 私たちのふるさと ? ウリハッキョ
題名からも分かるとおり、「故郷」の歌が多い。唱われているのは、しみじみと懐かしい故郷。遠い異国で懐かしむ故郷は、美しい自然の調和に恵まれ、豊かさをもたらす労働の喜びと自由に溢れた平和な里である。隣国からの侵略もなく、南北の分断も克服された、理想郷として追い求める彼らの故郷。それは同時に、人類共通の願いでもある。
なお、東京朝鮮中高級学校のホームページの閲覧をお勧めしたい。そこでの彼らの祖国の旗は、南北統一旗となっている。いうまでもなく、その南北分断には日本が大きな責任があるのだ。
http://www.t-korean.ed.jp/
このアルバムのほとんどが、しみじみとした、あるいはやるせない曲調である中で、日本語で唱われる「4. 声よ集まれ、歌となれ」だけが異色。労働歌の趣き。運動の歌、闘いの歌なのだ。「いますぐその足をどけてくれ。4・24(サ・イサ)の怒りがよみがえる。踏まれてもくりかえし立ち上がる」という歌詞の生々しさに、ギョッとさせられる。もしかして、私も足を履んでいる側にいるのではないだろうか。
声よ集まれ、歌となれ
どれだけ叫べばいいのだろう
奪われ続けた声がある
聞こえるかい? 聞いているかい?
怒りが今また声となる
声よ集まれ 歌となれ
声を合わせよう ともに歌おう
聞こえないふりに傷ついて
?かすれる叫びはあてどなく
?それでも誰かと歌いたいんだ
一人の声では届かない(だから)
ふるえる声でも 歌となる
声を合わせよう ともに歌おう
ただ当たり前に生きたいんだ
ただ当たり前を歌いたいんだ
いますぐその足をどけてくれ
4・24(サ・イサ)の怒りがよみがえる
踏まれてもくりかえし立ち上がる
君といっしょならたたかえる
声よ歌となれ 響きわたれ
声を合わせよう ともに歌おう
この歌詞の中に出て来る「4・24(サ・イサ)の怒り」とは、次のできごとを指す。
「連合軍総司令部(GHQ)の指示により、文部省(当時)は1948年1月24日、各都道府県宛に『朝鮮人設立学校の取り扱いに関する文部省学校教育局長通ちょう』(第1次閉鎖令)を通達。従わない場合は学校を閉鎖するよう指示した。
同胞らは各地で抗議活動を広げ、48年4月24日、兵庫では県知事に閉鎖令を撤回させた。
しかしその夜、GHQが『非常事態宣言』を発令し、いわゆる『朝鮮人狩り』が始まった。大阪の同胞たちは26日、府庁前で3?4万人規模の集会を行い、朝鮮人弾圧と閉鎖令の撤回を訴えた。大阪市警は放水・暴行で取り締まり、射撃まで行った。大勢の同胞らが不正に検挙されただけでなく、警察が発砲した銃弾によって、当時16歳の金太一少年が犠牲となった。
民族教育を守るための同胞たちの闘いは、閉鎖令の撤回を勝ち取った4月24日の兵庫での闘いに象徴的な意味を込め『4・24教育闘争』と呼ばれるようになった」(「朝鮮新報」〈在日本朝鮮人総聯合会機関紙〉記事)
以上は、ブログ「アリの一言」(鬼原悟さん)からの引用だが、同ブログは「GHQ(実質はアメリカ)と日本による暴力的な民族(教育)弾圧に対する朝鮮人の闘いの象徴が『4・24教育闘争』です。それは日本人にとって、戦後の朝鮮人差別・弾圧の象徴的な加害の歴史なのです。しかも、決して70年前の「過去のこと」ではありません。文字通り今日的な問題です。」と続けている。まったくそのとおりなのだ。
「4・24(サ・イサ)の怒りがよみがえる」という、「声よ集まれ、歌となれ」は、2013年に朝鮮大学校生によってつくられ、朝鮮高校への「無償化」適用を訴える文科省前「金曜行動」のテーマソングとなっているという。文字通り、闘いの歌として生まれ、闘いの中で唱い継がれている。私も、毎朝これを聞いて、思いを重ねることにしよう。
東京朝鮮中高級学校合唱部「ウリハッキョ – 私たちの学校、私たちのふるさと」購入希望の方は、下記にお申し込みを。
?http://www.ongakucenter.co.jp/SHOP/CCD946.html
価格: 1,800円 (本体 1,667円)
【発送手数料(送料)について】
発送手数料(送料)は、別途490円が必要となります。
(2019年5月7日)
5月3日の東京新聞22面(第2社会面)に、こんな見出しの記事が掲載されていた。
「美智子様の言葉」「『憲法のはなし』毎年家族で熟読」「復刻本発行者・田中さんが感銘」
「美智子様」とは生前退位した前天皇の妻(旧姓・正田)のこと。「憲法のはなし」とは、文部省が日本国憲法施行間もなくの時期に、新制中学校1年生用社会科の教科書として発行された新憲法の解説書。正確には「あたらしい憲法のはなし」である。1947年8月2日文部省検査済とされている。「田中さん」とは、政府に不都合として絶版とされたこの教科書を復刻した出版社「童話屋」の創業者とのこと。
その復刻版『あたらしい憲法のはなし』を、前天皇の一家が毎年憲法記念日には、家族で熟読していたというのだ。これも、「国民とともに憲法を守る」姿勢を見せた、前天皇にまつわるあたらしい神話の一つ。
前天皇の家族が熟読という、その「家族」の範囲はよく分からない。もちろん、、「熟読」の程度も不明だが、この「教科書」をどう読んで、どう理解していたのか、聞いてみたいところではある。
これまで、当ブログでは「あたらしい憲法のはなし」の各章を取りあげて論じてきた。戦力不保持の決意など評価すべき点がないわけではない。しかし、今どき、こんなものを有り難がってはならない。この「憲法のはなし」には、国民と国家、人権と権力の緊張関係が描かれていない。つまりは、立憲主義という憲法の基本構造の解説が抜け落ちているのだ。解説が抜け落ちているというよりは、個人主義・自由主義という近代憲法の根本理念に対する理解がない。
つい、この間まで神とされた天皇の権威と権力が、国民の思想や信仰や政治活動に、あれ程の弾圧の猛威を振るったことへ反省の言葉が一つとしてない。侵略戦争や植民地支配の加害責任を語って、再び同じ過ちを繰り返さないことを宣言したはずの憲法制定の趣旨が語られていない。
特に、「五 天皇陛下」の叙述があまりにもひどい。
冒頭、「こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。」という一文で始まる。最後が、「ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、国を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が、天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。」と締めくくられている。分かるはずはない。この文章の起案者自身が、天皇制の呪縛から逃れ得ていないこと、象徴天皇とは何かについて何も分かっていないことが、よく表れている。
この書は、戦後民主主義の不徹底の墓碑銘として、読まねばならない。国民が天皇の政治責任・戦争責任を追及し得なかったことの慚愧の証言でもある。マッカーサーの、占領政策に天皇の権威を利用しようとした意図そのままの憲法解釈なのだ。
しかし、いつからのことかは分からないが、次代の天皇の家族が、この書物を読みながら、象徴天皇のありかたを考えていたとすれば、示唆的ではある。
この短い文書の中に、まとまりなく論理のつながらない、こんな文章がある。
「つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本国民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本国民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、国民ぜんたいをあらわされるのです。」「天皇陛下は、けっして神様ではありません。国民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。」
こんな文章を「熟読」して、前天皇は、「象徴としての勤めとは、小さな町のすみにも行って、国民と接することだ」と思い立ったのだろうか。また、この文章に決定的に欠けているものは、過去の天皇制が果たした対内的な弾圧体制への反省であり、侵略戦争や植民地支配の天皇の加害責任である。結局のところは、この熟読した書物に書かれていなかったことには、思い及ばなかったということであろうか。
なお、当ブログでの、「あたらしい憲法のはなし」についてのコメントは、以下のとおりである。
「あたらしい憲法のはなし 『天皇陛下』を読む」
https://article9.jp/wordpress/?p=11417
「『新しい憲法のはなし』のはなし」
https://article9.jp/wordpress/?p=11686
「あたらしい憲法のはなし 『戰爭の放棄』を読む」
https://article9.jp/wordpress/?p=11701
「あたらしい憲法のはなし 『主権在民主義』を読む」
https://article9.jp/wordpress/?p=11779
「あたらしい憲法のはなし 第7章 基本的人権」を読む。
https://article9.jp/wordpress/?p=12292
(2019年5月6日)