澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「浜の一揆」訴訟 ― 12月1日(金)結審へ

盛岡地裁での「浜の一揆」訴訟は、いよいよ大詰め。12月1日(金)13時30分開廷の口頭弁論期日で原被告双方の最終準備書面を陳述して結審となる予定。その次の期日には判決言い渡しである。

この訴訟は、サケ漁の許可をめぐってのもの。岩手の河川を秋に遡上するサケは、三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。沿岸漁民がこのサケで潤っているだろうと思うのは早とちりで、実は三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収という罰則まで用意されている。

では誰がサケを獲って潤っているのか。大規模な定置網業者なのだ。漁協であったり、漁協幹部のボスであったり、株式会社だったり。零細漁業者は閉め出されて、大規模業者だけがサケを獲っている。これっておかしくないか。

岩手沿岸の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねたが、なんの進展も見ることができなかった。

そこで漁民が「浜の一揆」に立ち上がったのだ。嘉永・弘化の昔なら、「小○」のむしろ旗を先頭に藩庁を目指して押し出したところだが、今の時代のそれに代わる手段が行政手続であり行政訴訟の提起である。だから、この訴訟は「一揆」の心意気なのだ。

原告が本訴訟を「浜の一揆」と呼んでいるのは、岩手県の行政を、かつての南部藩の苛斂誅求になぞらえてのことだ。また、漁業の民主化とは名ばかりのこと、実は浜の社会構造は藩政時代の身分的秩序と変わらないではないか、との批判もある。当然に、県政にとっては面白くない批判である。県政の庇護のもと既得権益をむさぼっている浜の有力者や漁協の幹部たちにとっても愉快なことではなかろう。

このことについて、被告の最終準備書面で一言あった。やっぱり気にしているのだ。このネーミング、多少は効いているんだ。

原告らが本訴訟を「一揆」と呼んでいることについて、被告岩手県は最終準備書面において、こう述べている。
「原告は、本件訴訟を『県当局が漁民らを不当弾圧していることへの浜の一揆』だと主張している」。「仮に、原告らが『地域の漁業関係者の理解のもと固定式刺し網漁業によりサケの採捕を自由に行い地域に貢献しつつ幸せに暮らしている光景』なるものが過去に存在し、それを被告が不当な事情で踏みにじったなどという事情が存在するのなら、それを改めようという紛争は、『一揆』と表現するに相応しいのであろう。」「しかし、固定式刺し網漁業によるサケの採捕の禁止は、かつて漁民らが自由に行っていたものを禁止したのではなく、何十年も前から漁業者内部で行われるべきではないものという共通認識がなされていたものを当時の漁業者の総意を受けて明文化したものに過ぎない」

私流に被告の言い分を翻訳すれば、次のようなことだ。
「仮に、三陸の漁民が『漁業界のボスたちの了解のもとにサケの捕獲を自由に行い、県政からも咎められずに幸せな漁民としての暮らしを送っているという光景』なるものが過去に存在し、それを県政がぶち壊したというのなら、それを「元に戻せ」という紛争は、『一揆』と表現するに相応しい」。しかし、「そんな過去の光景はなかったではないか。」「零細漁民は、何十年も前から、ずっと漁協やボスの支配下にあって、大っぴらにはサケを獲ってはならないとされていたのだ。」「県政のサケの採捕の禁止は、それを明文化したものに過ぎない。」「だから、一揆というのは怪しからん」

また、この点についての原告最終準備書面の一節を引用しておこう。
「被告は『原告らは、固定式刺し網によるサケの採補が認められていないせいで本県の漁業後継者の育成及び漁業の継続が不可能になると主張するが、本県では従前から固定式刺し網によるサケの採補は認められていないから、原告らの主張をあてはめると本県漁業関係者はすでに壊滅的な状態になっているはずで、そうした非現実性に照らしても、原告らの主張は理由がない。』という。

しかし、被告(岩手県)作成の漁業センサス確報2013年版によれば、1988年岩手県の漁業経営体の数は8129であった。これが、10年後の1998年は6080になった。2008年には5313に、そして2013年には3365に減少している。

25年間で経営主体数の6割が減少しているのである。もはや、「壊滅的」と表現するほかはない。経営が成り立たず、後継者もいないことから、多くの漁師が毎年廃業している現実を、被告県は、全く重大視していないのである。原告らは、原告本人尋問などで、その苦しい経営状況を明らかにした。…貴裁判所には、現実を凝視した上での判断を要望する。」

かつての一揆の原因には、まず困苦があった。そして藩政の非道への怒りがあった。さらに、多数人の反骨と組織力があっての決起である。浜の一揆も同様である。今のままの漁業では食っていけない。後継者も育たない。どうして、漁協と浜のボスだけにサケを獲らせて、零細漁民には一切獲らせないというのだ。こんな不公平が許せるかとの怒りだけではない。原告らには知恵も団結力もあるのだ。こうして成立した浜の一揆なのだ。

一揆の参加者は、ちょうど100人である。沿岸漁民が、2014年に3次にわたって岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をし、これが不許可となるや所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。その提訴が2015年11月のこと。以来、2年で結審となる。

訴訟の請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。

請求の根拠は次のようなものだ。
三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点である。漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。

この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられたもっともな理由があれば、その自由の制約も可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。

この合理性・必要性に支えられた理由を法は2要件に限定している。漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができるとする。それ以外にはない。

これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。

したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。

このうち、「水産資源の保護培養の必要」は比較的明確な概念で、この理由がないことは明確になったといってよい。問題は、「漁業調整の必要」という曖昧な理由の有無である。その指導理念は、漁業法に特有の「民主化」でなくてはならない。本件では、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することの正当性が問われている。いったい、漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるのか。

定置網漁業者の過半は漁協。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」という。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。

弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。漁民と漁協、その主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想にほかならない。

また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」。これが漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。

「漁民あっての漁協」であって、「漁協あっての漁民」ではない。万が一にも、裁判所が「漁協栄えて漁民が亡ぶ」などという倒錯した主張を採用してはならない。
12月1日(金)結審の「浜の一揆」訴訟にご注目いただきたい。
(2017年11月28日・連日更新第1703回)

市民と野党の共闘候補に「隠れ改憲派」はふさわしくない。

10月20日投開票の第48回総選挙。あれから既に1か月余が過ぎた。自分なりに腑に落ちる総括をしなければと思いつつ、なんとも落ちつかぬままで、まとめきれない。総括の最重要問題は共闘のあり方だ。

世論調査に表れた民意はけっして改憲支持ではなく、とりわけ9条改憲に賛成ではない。ところが、1996年総選挙で小選挙区制導入以来、憲法擁護を掲げる少数野党は勢いを殺がれ、今や議席の80%超が「改憲派」である。明らかに、民意と議席数に乖離が生じている。国会の中に「3分の1の堅固な壁」が築かれていたのは、はるか昔語りのこと。

小選挙区制を所与の前提とする限り、改憲を阻止するには、改憲阻止を掲げる政党や無党派市民との共闘が不可欠である。しかし、現実の問題として共闘は難しい。小選挙区候補として誰を立てるべきか。当然に、改憲阻止の一点で党派を超えた信頼を勝ち得る人物であるべきだが、これがなかなか人材を得にくい。

私の地元(東京2区、文京・台東・中央・港)の経験は一つの典型ではないか。貴重な教訓でもあると思う。

東京2区では共産党と立憲民主党との共闘が成立した。自民候補(辻)と、共闘候補(松尾)、そして希望の党候補(鳩山)の三つどもえとなり、自民党(公明推薦)候補が勝った。野党共闘候補は次点となって、比例復活もならなかった。新人としては健闘したとの評価もある。注目すべきは、比例代表の共産党票は激減した。その結果もあって、改憲阻止の政治戦において貴重この上ない東京比例区からの共産党候補の当選者は2名にとどまった。前回3名からの後退である。

観念的には、野党共闘の必要性は当然のことだ。問題はその候補者。東京2区で、ばたばたと決まった候補者選定の経過の詳細は知る立場にない。共産党が突然に予定候補を下ろして立憲民主党公認の松尾明弘という若い弁護士を政策協定ないままに、共闘候補者とした。この候補者、これまでどんな分野でどんな活動をしてきた人物かはまったく知らない。人権や平和に関する活動をしてきた人ではない。なにを訴えたくて、政治家を志したのか、選挙が終わったいまも、よく分からない。

松尾明弘の選挙用ホームページには、「護憲」の2文字はない。「改憲阻止」も、「憲法理念の実現」もない。安倍改憲阻止が最大の政治課題となっているときに、これに触れるところがないのだ。

彼が政策のトップに掲げるのは、次のレベルである。
1. 安全保障(外国の脅威から国を守る)
現実的で抑制的な安全保障政策を進めます。「専守防衛に徹し、近くは現実的に、遠くは抑制的に、人道支援は積極的に」との基本理念に基づき、日米同盟の深化を図ります。
2. 憲法について(国家の暴走を許さない)
未来志向の憲法を積極的に議論します。立憲主義を守りながら「新しい人権」や「統治機構改革」など時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに積極的に議論します。

これなら、踏み絵を踏んで希望の党に行ける。私はかつて彼のこの言を「明らかに付け焼き刃の護憲派」と評したが、訂正しなければならない。今の政治状勢において、こんなことをスローガンに立候補する者は、「改憲派」の範疇に入れなければならない。この候補者の擁立は、護憲指向の有権者の票を掠めとろうというに等しい。

この候補者、選挙中の東京新聞候補者アンケートに、「改憲・賛成」「9条改憲・賛成」「憲法9条の2項を残したまま自衛隊を明記することに・賛成」「安倍政権下で成立した安全保障関連法、特定秘密保護法、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法についての評価は・評価できるものも評価できないものもある」と答えて物議を醸した。

なにしろ、売りは長身と靴のサイズ。およそ共感できる候補者ではない。こんな候補者だが、私も票読みをした。今にして、恥ずかしい。不明を恥じいるばかり。

私はこれまで、選挙では一貫して共産党を支持してきたが、それは憲法擁護の立場からだ。明文改憲にも、解釈壊憲にも、最もぶれずに頼りになる存在と評価すればこそのこと。その共産党に実益なく、共産党の票も議席も大きく減らした共闘のあり方を、「大義」や「大局」の見地から素晴らしいなどと言っておられるかという思いが強い。

北海道や新潟など共闘成功実感例の報告もあるが、東京2区では「長続きするであろう共闘の成果」は、見えていない。まさか、次回も同じ候補者で、となろうはずはなかろうが。

なお、「市民と野党の共闘」において、東京2区で市民の中核をなしたのは、「みんなで未来を選ぶ@文京台東中央」(通称 ぶたちゅう)だった。

その総括が送られてきた。以下のとおり、紹介に値する立派なものと思う。自覚し自立した市民の運動が選挙を支えていることに感動を覚える。

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??????????????????????? 2017年衆議院選挙を振り返って

2017年1月、安倍政権の暴走を止めるため文京区、台東区、中央区の市民が集まり「みんなで未来を選ぶ@文京台東中央(以下、「ぶたちゅう」という)」が発足しました。設立集会では「立憲主義の回復」、「安保法制の廃止」、「個人の尊厳を擁護する政治の実現」を目指し、衆議院小選挙区東京2区で安倍政権に対峙する野党統一候補の実現と後押ししていくことが確認されました。
発足後は月1回のペースで統一候補に求める政策について議論を続け、9月には8項目の政策案が決定しました。単に自公の候補者に勝てればよい、野党統一候補が決まれば誰でも応援するということではありません。ぶたちゅうは私たちの掲げる政策案8項目の実現を目指す候補者を「市民と野党の候補者」として後押ししていくことを確認しました。
また政策協議と並行して市民と野党の共闘の雰囲気を盛り上げようと、7月9日に「二日遅れの七夕ウォーク」と称し、民進党(当時)の松尾明弘氏、共産党の石澤憲之氏と市民が一緒に文京区内を練り歩き野党共闘をアピールしました。政党の垣根を超え市民と一緒に行動した第一歩でした。

○統一の経緯
松尾氏、石澤氏へぶたちゅうの政策案を提示し、さらに協議を進めていこうとしていた矢先、衆議院の解散総選挙が決まりました。そして希望の党の発足、民進党の分裂と松尾氏を取り巻く環境が激変しました。希望の党の理念と合いいれないとした松尾氏は希望の党からの出馬を断り民進党から離党。これまで野党統一候補の実現に向けて歩んできた私たちの努力も無に帰したかに思えたその時、立憲民主党が立ち上がり松尾氏は立憲民主党からの出馬を決意しました。公示直前の10月6日、共産党が小選挙区の候補者であった石澤氏を比例の候補者に回すことを決断、東京2区における野党候補者の一本化が実現しました。これは、私たち市民が諦めずに野党共闘を求め活動を続け、政党が応えた結果に他なりません。ただし、公示日直前の一本化ということもあり、ぶたちゅうと松尾氏との間で政策協定を結ぶことはできませんでした。候補者との政策協定がなかったことが最後の最後まで確信をもって候補者を応援することに躊躇させる要因となり、これは今後の活動を考える上でも大きな教訓となりました。
公示日直前、10月7日の全体会において、候補者一本化という目的を達成したこと、実際の選挙においては、ぶたちゅうとしてではなく、個々人がそれぞれ選挙ボランティアとして選挙に関わっていこうと確認をして公示を迎えることになりました。

○選挙戦
実際、立憲民主党からの出馬とは言うものの、選対も万全な体制ではなく、必然ぶたちゅうの中心メンバーもネットワークを活用して松尾候補を応援することになりました。候補者カーへの同乗、ポスターや証紙貼り、政策パンフレットのポスティング、電話かけなどSNSによる選挙ボランティア募集に応じて次々に市民が選挙事務所を訪れ松尾候補を盛り上げました。まさに市民が直接選挙を作り上げていく選挙となりました。また民進党、共産党、社民党、無所属の区議が一緒になって松尾候補を街頭で応援し、市民が松尾候補の応援スピーチを行いました。
政党同士連携して国政選挙を戦うという初めての経験のため、ところどころ連携不足が生じていました。問題が起きるたびにぶたちゅうを始めとした市民が候補者や選対に率直に意見を上げ、政党間の認識のずれを埋める役目を果たしました。安倍政権を倒すためにはこの選択肢しかない、立憲野党の候補者を勝たせたい、立憲民主党に対する期待、人々の思いが一致点となり選挙最終日まで闘いぬくことができたのです。
結果的には自民辻候補に2万票余りの差をつけられ、比例でも惜敗率で惜しくも復活当選はなりませんでした。この結果をどうとらえるのか。今回の辻候補の得票率は46%、松尾候補は37%、鳩山17%。前回2014年の得票率は辻43%、中山(民主)・石沢(共産)37%、大熊(維新)18%です。混乱の中で迎えた衆院選挙でしたがふたを開けてみれば東京2区においては前回の選挙とほぼ同じ構図となりました。立憲民主党への追い風はありましたが、所詮は反安倍政権、共産党を含めたリベラル層の中での票の移動であり、希望の党ができたことで野党は分断され、自公の候補者と立憲野党という一対一の対決構図に持ち込めなかったことが敗因となりました。前回と変わりのない低投票率では選挙に関心のある人の中での票の移動では決して自民党候補には勝てません。この3年の間に安保法制、共謀罪法、モリカケ問題などがあっても票数を増やした自民党に対抗していくにはどうすればいいのか。保守3割、リベラル2割、残りの5割は無党派層と言われ、これから求められるべき運動はその5割の人にどう投票所に足を運んでもらうかにかかっています。

○これから
この選挙から私たち市民が学んだことは「統一候補者が決まれば終わりではない。野党共闘をかかげれば勝てるわけではない。」ではないでしょうか。
市民が直接候補者と関わり支えることで、政党同士の手を繋ぐ役目を果たし闘った初めての選挙となりました。
正直、私たちぶたちゅうもこのような選挙になるとは思っていませんでした。候補者は一晩にして地盤を失い、何もない中での選挙戦のスタート。結果的に市民が選対にどっぷりと入り込むことになり、市民の立場から候補者や選対へも遠慮なく要望を伝え、時にはダメ出しをして選挙を作り上げていきました。もしも政党が敷いた従来の選挙スタイルにお客様感覚で選挙ボランティアに行っていたらこのような選挙は生まれなかったでしょう。
市民と政党、候補者が同じ立場で政策や戦略を練り上げていくことがこれからの選挙には求められています。ぶたちゅうの目的は「統一候補の実現」でしたが、奇しくもそれだけでは選挙に勝つためには足らないことを学び、この経験を今後のぶたちゅうの運動をどう発展させるか考える一助としていきたいです。
そして組織票を意識した闘いはもちろんのこと、どれだけ多くの無党派層に政治に関心を持ってもらい、自分たちの生活と政治が直結しているのだと気づいてもらうこと、選挙時だけでなく普段から政治にコミットできる場を作っていくことが私たち市民に求められているのだと思います。
ぶたちゅうは主権者としてこれからも政治に関わり、不断の努力を続けて参ります。

以上
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もっとも、運動に参加した無党派市民の中には、この総括とはやや違った感想をお持ちの方もいる。そのような方のお一人のご意見をご紹介したい。(原文のままではないが、文意を損ねてはいない)

朝日新聞の候補者アンケート(10月14日)に対して、
共闘候補の松尾明弘氏は、「憲法改正に『どちらかと言えば賛成』」、「防衛力強化に『賛成』」と答えています。ここまでは、東京新聞アンケートからすれば想定の範囲内でした。しかし「原発再稼働に『賛成』」には驚き(辻自民党候補、鳩山希望の党両候補は「どちらとも言えない」)、先制攻撃論に「どちらかと言えば賛成」にはぶっ飛びました(辻は「賛成」、鳩山は「どちらとも言えない」)。こんな回答をする立憲民主の候補はもちろん他に一人もいません(東京新聞アンケートと同じ結果)、希望ですら24人中、1区松沢、15区柿沢、17区西田、20区鹿野、23区伊藤の5人だけです(松原仁や長島昭久のほうがましな回答でした)。松尾候補は、希望のなかに入ってもかなり「右」ということになります。

自民党候補ですらだれでも「先制攻撃に賛成」しているわけではありません。(たとえば、1区山田、3区石原、4区平、5区若宮は賛成していない)。

新聞アンケートの回答について「政治家として未熟」という意見がありましたが、そんな次元の問題ではなく、これは松尾氏の国防に関する「信念」なのではないかと考えます。

防衛力を強化し、先制攻撃までできるようにするには、日本は建前では防衛用の兵器しかもっていないので、今後は攻撃用の武力も整備することになります。「非核三原則堅持」(辻も同じ)とはいうものの、北朝鮮の核に対抗し、プルトニウムもあり余っているのだから、日本も核武装しようという道筋になるのではないかと思われます。

もちろんぶたちゅうの「8項目の候補予定者に求める政策」
1.安倍政権での下での憲法「改悪」に反対し、すべての人の人権を大切にする社会をめざす
3.武力による解決を否定し、憲法の精神に立脚した真の平和外交をめざす
6.原発に頼らないエネルギー政策、電力自給率における再生可能エネルギーの割合の増加につながる経済政策と、法整備の推進を求める
および、以前の7項目の統一候補に求める政策ともかけ離れています。(略)

選挙期間中に不特定多数の文京・台東・中央・港の有権者に松尾候補を推薦したわたくし自身の責任を大いに感じています。

松尾氏が次回も立候補するというご意向なら、立憲や希望ではなく、自民党から立候補すべきだと思います。

 

まったく同感である。みんなが右へならえで、「もう一息だったね。今度は当選のために頑張ろうね」などと言うのではなく、一人ひとりが自立する市民として意見を述べていることが素晴らしいと思う。

なお、私は松尾明弘候補は、立憲民主党内の「隠れ改憲派」であると指摘せざるを得ない。東京2区で改憲阻止の立場から選挙に携わった方に、「次回も松尾明弘候補」はあり得ないことを確認していただきたいと切実に願う。
(2017年11月27日・連日更新第1702回)

会計検査院報告書を読むーやはり背任罪は成立する

会計検査院のホームページに、検査報告書「学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果について」が掲載されている。

http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/29/h291122.html

表紙と目次(5頁)を除いて本文117頁のボリュームだが、読みにくさはない。多くの人によく読んでもらいたいとする起案者の情熱が感じられる。また、「要旨」として32頁にまとめたものも発表されている。これだけでもよく分かる。普段は注目されることのない会計検査院の、「今こそ出番」という意気込み。これは、調査対象事実がそうさせたのだ。

国有財産が、なんともムチャクチャな経過で、ただ同然の払い下げとなった。そのことに、会計検査院も憤っているのだ。こんな理不尽は通常あることではなく、その異常さは、財務省と国土交通省の両省の関与者が十分に意識していたことだ。だからこそ、交渉記録を大急ぎで修復不可能なまでに廃棄し、情報公開請求にも最初は隠し通そうとしたのだ。

報告書自身が言及しているわけではないが、こんな特例的な国有財産処分の背景には、権力中枢から違法な指示があっただろうと思わせるに十分な内容となっている。仮にそのような指示がないとすれば、忖度があったに違いない。しかも、両省にまたがる多数関係者の阿吽の呼吸での忖度。明治藩閥政治以来の、有力政治家による国有財産私物化という「麗しき日本の伝統」がまだ生きていたのだと思わせる。

なにしろ、憲法(90条)上の存在である会計検査院が国会の要請に基づいて正式に作成した文書だ。さすがの安倍内閣も、これを「怪文書」と呼ぶことはあるまい。この報告書は、安倍内閣への突っ込みどころ満載だ。明日(11月27日)からの各院委員会審議が楽しみでならない。

しかし、本年11月22日付近畿財務局長告発の代理人となった私の立場からは、この報告書には大きな不満が残る。重要な論点がすっぽりと抜け落ちていると指摘せざるを得ない。それは、本件国有地の値引きの根拠とされた「瑕疵」の有無についてまったく考察がされていないことである。

報告書64頁に、「(3) 売却価格の算定」という項があり、次のように述べられている。
「(2016年)3月11日に、森友学園から杭工事の過程において新たに地下埋設物が発見されたとの連絡を受けた近畿財務局は、大阪航空局とともに、同月14日に現地の確認をして、今回確認した廃棄物混合土は、森友学園から連絡があったとおり、貸付合意書で対象としていた地下埋設物に該当しない新たな地下埋設物であると判断したとしている。そして、近畿財務局は、大阪航空局に地下埋設物の撤去・処分費用の見積りを口頭により依頼し、その額を本件土地の評価において反映させることとした。また、本件土地に関する隠れた瑕疵も含む一切の瑕疵について国の瑕疵担保責任を免除し、森友学園は売買契約締結後、損害賠償請求等を行わないとする特約条項を契約に加えることとした。」

ここに述べられた、近畿財務局の「論理」は次のようなものである。

「地下埋設物」(廃棄物・混合土)の存在の確認⇒売主としての瑕疵担保責任の負担を認識⇒地下埋設物の撤去・処分費用分を値引き⇒瑕疵担保責任の免除を得た

国有財産の処分は適正価格ですることを義務づけられているのだから、値引きを正当化するためには、その値引き金額(8億1900万円)が、瑕疵担保責任としての損害賠償(想定)額と正確に見合うものでなくてはならない。

近畿財務局は、条件反射のごとく、次のように考えたということなのだ。
(1)「地下埋設物」あるというのだから土地に瑕疵があることになる。
(2)瑕疵あれば、瑕疵担保責任として撤去費用相当額の損害賠償義務を負う。
(3) その損害賠償相当額を値引きして、損害賠償義務を免れよう。

報告書が紙幅を割き、詳細に書き込んでいるのは、値引き額の根拠とされた「地下埋設物」撤去費用の算定根拠の驚くべき杜撰さである。
しかし、論理的に、その前提となるべき、「(1)本当に土地に瑕疵があるといえるのか」、「(2)果たして、瑕疵担保責任として国は、撤去費用相当額の損害賠償義務を負うのか」という疑問については、報告書が関心を寄せた形跡がない。完全に素通りしているのだ。看過したのか、それとも、この点については会計検査院に何らかの忖度があったのだろうか。

瑕疵担保責任とは、民法570条に出てくる、売買契約における売主に課せられた特別の責任。
「売買の目的物に隠れた瑕疵があったときは、第566条の規定を準用する。」と素っ気ない条文。そこで、第566条を見ると、こう書いてある。
「第566条 売買の目的物が地上権、永小作権、地役権、留置権又は質権の目的である場合において、買主がこれを知らず、かつ、そのために契約をした目的を達することができないときは、買主は、契約の解除をすることができる。この場合において、契約の解除をすることができないときは、損害賠償の請求のみをすることができる。」

出来の悪い不親切な条文の作り方で面倒だが、両者を合体させると、こうなる。
「売買の目的物に『隠れた瑕疵』があった場合、その『瑕疵』のために契約をした目的を達することができないときは、買主は契約の解除をすることができる。契約の解除をすることができないときは、損害賠償の請求のみをすることができる。」

もう少し分かり易く噛み砕くと、
「売買の目的物に普通じゃ分からない欠陥が発見された場合、
そんな欠陥があったのでは契約の目的を達することができないと言えるときは、買主は契約の解除(遡って契約をしなかったことにすること)ができる。損害が残れば、その賠償請求もできる。
欠陥があって契約の解除をすることができないときは、損害賠償の請求だけをすることができる。」

契約締結後に瑕疵(欠陥)が発見された場合を想定して条文ができている。本件は、借地契約が先行し途中で売買に切り替えて、その売買契約締結の際に瑕疵担保責任を想定して契約条項を定め値引きをしているから話が分かりづらくなっている。国有財産の適正管理という視点からは、不明確な想定による値引き自体が大きな問題なのだ。

本件で校舎建築のための掘削工事の最中に地下埋設物が見つかったとして、法的には、当該の地下埋設物が民法570条にいう「隠れた瑕疵」にあたるかどうかが、真っ先に問われなければならない。

その答が「NO」なら、地下埋設物撤去の必要はない。撤去費用相当という損害もない。一切の値引きが許されない。

「yes」の場合についてのみ、次のような効果がしようじる。
「地下埋設物の存在によって土地購入の目的が達せられない」⇒解除と損害賠償が可能
「地下埋設物の存在によっても土地購入の目的は達せられる」⇒損害賠償のみ可能

「瑕疵」とは、契約の趣旨からみて当該の目的物が通常備えるべき品質や性状を欠いていることをいう。また、「隠れた瑕疵」とは、取引における通常の注意をもってしては発見できないものをいう。
だから、小学校建設用地に、地下埋設物が確認されたというだけでは、瑕疵にあたるか否かは速断しがたい。どのような地下埋設物であるか、どのような量であるか、本当に撤去を要するものなのかが、吟味されなければならない。この吟味による確認なくして、いきなり不確定な想定を根拠に撤去費用見積もりを依頼した近畿財務局の態度は、上からの指示か、自らの忖度を抜きにしては理解し難い。

その地下埋設物について、報告書が述べるところは、以下のとおりである。(報告書64頁)
「本件土地の貸付けを受け、森友学園が小学校校舎の建設を始めたところ、森友学園は、杭工事において廃棄物混合土が排出されたり、廃材等が掘削機の先端に付着したりしたことを理由に、28年3月11日に、近畿財務局に対して、貸付合意書で対象としていた地下埋設物に該当しない新たな地下埋設物が発見されたと連絡していた。

近畿財務局及び大阪航空局は、全ての杭の施工が完了した後の同月14日に現地確認を行った。その際、両局は、本件土地の敷地内に廃棄物混合土が広範囲にわたり散在して積み上げられていたことを確認し、同席した小学校校舎の設計業者から、これらの廃棄物混合土は、長さ9.9mの杭工事の過程において発見されたものであると説明を受けたとしている。また、近畿財務局は、同月30日に、新たな地下埋設物の確認のため小学校校舎の建設工事の工事業者(以下「校舎建設工事業者」という。)が試掘した箇所について現地で確認し、廃棄物混合土があったことを確認したとしている。さらに、近畿財務局と大阪航空局は、同年4月5日に現地の確認を行っており、その際、大阪航空局は、校舎建設工事業者が地下1.6mから4mまで新たに試掘した8か所について確認し、廃棄物混合土があったことを確認したとしている。」

まだるっこしい書き方だが、近畿財務局が報告を受けあるいは確認したのは、「廃棄物混合土が排出されたり、廃材等が掘削機の先端に付着したり」の限りなのである。

ここにいう「廃棄物混合土」とはなにか。

報告書24頁以下に、「土地の履歴及び地下構造物の調査」という項があり、そのなかに次の記載がある。

「地下構造物調査
大阪航空局は、換地後の土地の地下埋設物の状況把握を目的として、21年10月に「大阪国際空港豊中市場外用地(野田地区)地下構造物状況調査業務」を調査会社へ発注して実施していた。本件業務の特記仕様書によれば、…現地踏査により、地表面の状況や構造物等を把握し、整理するとともに、地中レーダ探査、試掘等により地下埋設物の状況を調査することとされており、レーダ探査の深度は3m以内、試掘深度は、原則として地山深度(地下埋設物がなくなる深度)とされた。

そして、請負業者から大阪航空局に提出された報告書によれば、試掘した深度はおおむね3mとされており、換地後の土地のうち西側の本件土地では、地下構造物等のほかに、廃材、廃プラスチック、陶器片、生活用品等のごみ(以下「廃材等」という。)が土砂と混ざった状態の土(以下「廃棄物混合土」という。)が、平均して深度1.5mから3.0mまでの層において確認されている。また、土間コンクリートや基礎コンクリートが一部において確認されており、コンクリート殻(コンクリート破片)は 全域にわたって確認され、深度数十?から1.5m程度までの層において点在しているとされている。また、公園用地においても、本件土地と同様の地下埋設物が確認されている。」

上記のとおり、報告書では、「廃材、廃プラスチック、陶器片、生活用品等のごみ」を「廃材等」と言い、「廃材等」が土砂と混ざった状態の土を「廃棄物混合土」と言っている。

つまりは、原則として地山深度(地下埋設物がなくなる深度)までは試掘して確認したところ、「深度1.5mから3.0mまでの層において」、「廃棄物混合土」の存在が確認されているというのである。

地下埋設物は2層の深度において区別されなければならない。
「深さ 0?3.8m」の深度の地下埋設物は、売買契約以前の定期借地契約時代に、森友学園側で撤去し、その撤去費用は有益費として国(近畿財務局)が一括して全額を支払済みなのである。この深度を超えた「深さ3.8m?9.9m」の地下埋設物だけが問題となるところ、その存在自体が極めて疑わしい(確認されていない)。少なくも、校舎建設工事の支障になる埋設物の確認はなく、むしろ、支障がないことの国会証言があり、現実に工事は進行し、躯体工事は完了済みである。

なお、報告書25頁に次の記載がある。

「請負業者から大阪航空局に提出された報告書によれば、換地後の土地には、土壌汚染の原因となる有害物質を取り扱う可能性のある企業の立地は確認されなかったこと、周囲がフェンスで囲われ、施錠されていて不法投棄等は確認されなかったことなどから、汚染された土壌が存在するおそれはないと評価されている。このため、更に詳細な調査は実施されていなかった。」

本件国有地の「深さ 0?3.8m」の層においては、校舎建設工事に支障をきたすことから撤去を必要とした地下埋設物が存在したことが納得できる。その撤去の費用は借地契約における有益費として、既に国から森友学園に支払われ、処理済みとなっている。

しかし、「深さ3.8m?9.9m」の層においては、地下埋設物の存在自体疑わしい。その撤去の必要はなかった。これを法的な瑕疵ありとして、8億1900万円もの幻の撤去費用相当分を値引きした近畿財務局長には、その任務に反して国に損害を与えた責任のあることが明らかというべきである。しかも政権に忖度を示すことは、将来の出世に有利との思惑ないしは自己保身が目的であって、自分の利益をはかる目的があったと考えざるを得ないではないか。

判例は、地下埋設物が存在したとしても、それが、建築工事に支障のない程度のものであれば、軽々に「隠れたる瑕疵」にあたるとは認めない。このことは、告発状に記載したとおりである。

https://article9.jp/wordpress/?p=9499

以上の観点からの、安倍政権への厳しい追求も期待したい。
(2017年11月26 日・連日更新第1701回)

 

本夕澁谷で慰安婦に献げるキャンドルアクション 「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にちなんで

ご存じだろうか。本日11月25日は、国連で定めた「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にあたる。本日澁谷で、この日にちなんだ従軍慰安婦に献げるキャンドルアクションが行われる。

この日の由来は、ドミニカの独裁者ラファエル・トルヒジョの命令によって、ドミニカ共和国の政治活動家ミラバル三姉妹が惨殺されたこと。その日が1960年11月25日だったという。世界各地の女性団体は、1981年からこの日を女性に対する暴力撤廃デーとして共同の活動を始め、1999年に至って国連がこの日を「女性に対する暴力撤廃の国際デー」と定めた。以来、毎年11月25日から12月10日(世界人権デー)までの16日間、女性への暴力の撤廃を呼びかける催しが世界中で取り組まれているという。

本日、ソウル清渓広場ではこの日にちなんで大規模なキャンドル集会が開かれる。「女性に対する暴力」の象徴的被害者である、従軍慰安婦とされた女性に灯が献じられる。そして、その場が全ての日本軍「慰安婦」被害者への女性人権賞授与の式場になるという。

これに呼応して、東京渋谷でも、キャンドルアクションが行われる。主催団体は、次のように呼びかけている。

「慰安婦」問題は外交問題ではなく、女性の人権問題です。戦時中、日本軍の「慰安婦」になることを強要された女性たちの名誉回復も未だになされていません。私たちは、戦後半世紀もの間沈黙を強いられてきた女性たちが、1990年代以降、勇気を持って名乗り出たことの意味を深く受け止めます。この声に応答することこそ、今、一番やるべきことだと考えています。性暴力のない社会、被害を受けた人が声を上げやすい社会を一緒に築くため、このキャンドルアクションにご参加ください。

とき:11月25日(土)
   リレートーク&歌:18時30分 19時30分
発言者
柴洋子(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)
田中雅子(上智大学教員/16 Days Campaign-Sophia University)
池田恵理子(女たちの戦争と平和資料館(wam)館長)
伊藤和子(ヒューマンライツ・ナウ事務局長)
佐藤香 (女性と人権全国ネットワーク共同代表)
亀永能布子or柚木康子(安保法制違憲訴訟・女の会)
青木初子(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)

キャンドルアクション:19時、19時30分
 青信号の間、キャンドルを持って、交差点を埋め尽くします(2回ずつ)
 集合場所:渋谷駅 ハチ公広場
※キャンドルは配布します
※主催 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動
参照下記URL
http://www.restoringhonor1000.info/

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※賛同団体募集
賛同団体は、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動のブログにて
公表します。賛同金(任意)1口千円(複数口歓迎)
郵便振替口座
加入者名 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010
口座番号 02760-1-84752
「11.25キャンドルアクション賛同金」とご記入ください。
領収書は振込取扱票右側の振替払込受領証をもって替えさせていた だきます。

他銀行から振り込む場合
ゆうちょ銀行 店番279
店名:二七九(ニナナキユウ)
口座番号:当座 0084752

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最近慰安婦問題日韓合意(2015年12月28日)の破綻を物語る報道が増えている。問題の真の解決を回避して、見せかけだけの解決をはかろうとしても無理なことが明確になりつつあるのだ。被害者を置き去りにした解決ができないことは当然のこと。加害者側の形だけの「謝罪の振り」も見透かされている。「真の解決」とは何か。「被害者に受けいれてもらえる真の謝罪」とは何か。それを探る真摯さが重要ではないか。

昨日(11月24日)、韓国国会は、毎年8月14日を『日本軍慰安婦被害者の日』とする法案を採択した。

【ソウル聯合ニュース】韓国の国会は24日の本会議で、毎年8月14日を「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」とし、慰安婦被害者への支援を拡大することを盛り込んだ慰安婦被害者生活安定支援法の改正案を可決した。
 改正案は8月14日を法定記念日とし、慰安婦問題を国内外に伝え、被害者を記憶するための行事などを行う内容が盛り込まれている。8月14日は故金学順(キム・ハクスン)さんが1991年に慰安婦の被害を初めて公の場で証言した日だ。
 また、政府が被害者に関連した政策を策定する場合、被害者の意見を聴取し、政策の主な内容を国民に積極的に公開するようにした。
 追悼施設設置などの事業を支援し、被害者の死去時に遺族へ葬儀費を支給することなども盛り込まれた。

これは、日本にとっても大きなインパクトをもつ重大ニュースだ。

また、昨日には、大阪市長がサンフランシスコ市に慰安婦像を市有化した問題で、姉妹都市解消を表明したことも報道されている。

戦後今日まで、侵略戦争や植民地支配について、我が国の国民が真に反省せず、被害者の琴線に触れる謝罪も償いもしてこなかったことのツケなのだ。加害者側からの居丈高な対応は問題をこじらせるだけ。加害者は、真摯に被害者の心情を汲む努力をしなければならない。
(2017年11月25 日・連日更新第1700回)

東京高裁『スラップ違法判断紙一重』判決の紹介 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第111弾

一昨日(11月22日)東京高裁第11民事部(野山宏裁判長)が名誉毀損訴訟で注目すべき判決を言い渡した。私は判決書きを入手していないので、複数報道を読む限りでのことだが、判決中の説示とされているものが裁判官の心証をよく表している。この判決はスラップの提訴を違法と言うに紙一重だ。あるいは、スラップ違法にもう一歩、という印象なのだ。

訴訟の内容は、週刊文春の記事によって名誉を毀損されたとするイオンが提起した損害賠償等請求事件。一審はイオンの勝訴だったが、控訴審では実質的に逆転判決となった。ここまでを時系列で整理してみる。

☆「週刊文春」2013年10月17日号が、「『中国猛毒米』偽装 イオンの大罪を暴く」とする、記事を掲載。記事は、三重県の卸売会社が中国産米を混ぜた米を国産米と偽装して販売していた問題をめぐって、「イオンが偽装米の納入に関与して、この米を使った弁当やおにぎりなどを販売していた」と報じるもの。この号の広告を新聞やウェブサイトにも掲載した。

☆イオンが、文春記事に対抗する形で、反論の社告や意見広告を掲載。

☆イオンが「週刊文春」発行元の文芸春秋社を被告として、東京地裁に1億6500万円の損害賠償請求訴訟を提起。損害として、信用毀損相当額だけでなく、「文春記事に対する反論の社告や意見広告掲載料」を計上したことで高額請求訴訟となった。また、ウェブサイトの広告掲載の削除も求めた。

☆2016年12月16日 東京地裁一審判決(沢野芳夫裁判長)。
文春に2490万円の支払いと、ウェブ広告の削除を命じた。文芸春秋は即日控訴。
同判決は、「見出しを含めた記事と広告の大部分が真実とは認められず、名誉毀損に当たる」と判断。「社会的信用を失わせた損害として600万円」、「イオンが新聞紙上に社告や意見広告を出すためにかかった広告掲載料の一部約1670万円」も、文芸春秋の不法行為と因果関係を有する名誉回復に必要な損害と認めた。

この判決に対する被告文春側の対メディア・コメントが次のとおり。
 「この判決は、大企業が資金力に物を言わせて報道に圧力をかけることを容認するものだ。著しく不当な判決」「イオンの意見広告は、イオンが独自の判断で出したものであり、当社がその費用を負担する理由はない」

☆2017年11月22日? 控訴審判決
判決は、当該記事本文の内容を真実と認定して逆転の判断となった。但し、タイトルについてだけ、「イオンによる猛毒米の販売という誤った印象を抱かせる」と名誉毀損を認めて、110万円の損害賠償と「猛毒』の2文字についてだけの削除を命じた。反論のためイオンが新聞各社に掲載した意見広告費用の賠償については、「言論や表現を萎縮させ、好ましくない」と述べ排斥した。

興味深いのは、NHKが報じた《「記事は真実」 東京高裁 週刊文春の賠償額を大幅減》という次の記事。
「22日の2審の判決で東京高等裁判所の野山宏裁判長は、記事の内容は真実だとして1審の判決を変更したうえで『食品の安全に関して問題を提起する良質の言論で、裁判を起こすことで萎縮させるのではなく、言論の場で論争を深めていくことが望まれる』と指摘しました。」

産経も《「訴訟ではなく言論で対抗を」東京高裁裁判長、異例の言及 名誉毀損、二審は大幅減額 文春のイオン中国産米報道》というタイトルで、判決書中の次の判示を報じている。
「野山宏裁判長は記事本文は真実で『問題提起をする良質の言論』だとして違法性はないと判断。名誉毀損は広告の一部のみに認め、約2490万円の賠償などを命じた1審東京地裁判決を変更、認容額を110万円に大幅減額した。」
「野山裁判長は記事『食品流通大手に価格決定権を握られた納入業者が中国産などの安価な原料に頼り、食の安全にリスクが生じているのではないかと問題提起するもの』と指摘。表現の自由は憲法で保障されており、『訴訟を起こして言論や表現を萎縮させるのではなく、良質の言論で対抗することで論争を深めることが望まれる』とした。」

高裁野山判決が興味を惹くのは、原判決に対する被告(文春)のコメント、「この判決は、大企業が資金力に物を言わせて報道に圧力をかけることを容認する著しく不当な判決」に、向きあった判断をしていることだ。この文春コメントは、イオンの提訴をスラップと評しているに等しい。
この点を野山判決は次のように判示した。
「記事本文は真実で『食品流通大手に価格決定権を握られた納入業者が中国産などの安価な原料に頼り、食の安全にリスクが生じているのではないかと問題提起する良質の言論』と評価し」たうえ、これを憲法で保障された表現の自由の範疇の言論ととらえて、『訴訟を起こして言論や表現を萎縮させるのではなく、良質の言論で対抗することで論争を深めることが望まれる』」

形の上では、イオン側の一部勝訴だから、提訴の全部をスラップとは言い難い。それでもなお、東京高裁の判決が、「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させるのではなく、良質の言論で対抗せよ」と言ったことの意味は重い。

判決は、敢えて「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させる」という言葉を用いている。「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させる」ことこそ、スラップの意図であり効果にほかならない。資力において対抗言論を行使し得ない人はともかく、資力十分な者が言論で批判された場合には、「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させてはならず、『良質の言論には良質の言論で対抗せよ』」というのだ。これが、表現の自由を保障した社会の真っ当なあり方なのだ。

DHCスラップ訴訟は、この見地から、提訴自身を違法というべきである。私のブログは、まぎれもなく「良質な政治的言論」である。「政治とカネ」「規制緩和と消費者の利益」などについて問題提起をするものであり、DHC・吉田に対する「良質な言論による批判」にあたる。これに対して、条件反射のごとく、スラップ訴訟を提起したのがDHC・吉田であった。東京高裁野村判決は、これをたしなめ、「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させてはならない」「良質の言論には良質の言論で対抗せよ」と言っているのだ。これが、訴訟実務の現下の趨勢であることに間違いがない。

DHCスラップ2次訴訟の先行きに、明るい兆しが見えている。憲法21条「表現の自由の保障」の旗は我々の側にある。堂々と訴訟を進行させたいと思う。

言論の自由を大切に思う多くの人たちのご支援を期待している。

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私(澤藤)自身が被告とされているDHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)。事実上の第1回口頭弁論期日は12月15日(金)。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。

閉廷後の報告集会は東京弁護士会504号室(5階)で行います。
報告集会では、木嶋日出夫弁護士(長野弁護士会)に、伊那太陽光発電スラップ訴訟の教訓について、ご報告いただきます。

以下は当日のスケジュールです。

13時30分 東京地裁415号法廷(民事第1部)
       反撃訴訟訴状(反訴状)の陳述
       光前弁護団長が反訴の要旨を口頭陳述
       澤藤が反訴原告本人として意見陳述

閉廷後  14時?16時 報告集会
     東京弁護士会504号室(5階)
     光前さん・小園さんから、訴状の解説。
     木嶋日出夫さん 伊那太陽光発電スラップ訴訟代理人報告と質疑
     澤藤(反訴原告本人)挨拶 

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伊那太陽光発電スラップ訴訟概要
(長野地裁伊那支部・2015(平成27)年10月28日判決)
原告(反訴被告)片桐建設
被告(反訴原告)土生田さん
被告(反訴原告)代理人 弁護士木嶋日出夫さん
本訴請求額 6000万円 判決は請求棄却
反訴請求額  200万円 判決は50万円認容
双方控訴なく確定

☆長野県伊那市の大規模太陽光発電所の建設計画が反対運動で縮小を余儀なくされたとして、設置会社が住民男性(66)に6000万円の損害賠償を求めた事件。
長野地裁伊那支部・望月千広裁判官は本訴の請求を棄却し、さらに男性が「反対意見を抑え込むための提訴だ」として同社に慰謝料200万円を求めた反訴について、「会社側の提訴は裁判制度に照らして著しく正当性を欠く」と判断し、同社に慰謝料50万円の支払いを命じた。

☆判決は、最高裁判決の論理を前提とし、「(片桐建設の)本件訴えの提起は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められる」「本件訴えの提起が違法な行為である」と判示して慰謝料50万円を認容した。
また、「少なくとも、通常人であれば、被告の言動を違法ということができないことを容易に知り得たといえる」「原告において、真に被害回復を図る目的をもって訴えを提起したものとも考えがたいところである」との判示が注目される。この点は、DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)に生かせると考えられる。

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木嶋日出夫弁護士紹介。
1969年 司法研修所入所(23期・澤藤と同期)
1971年 司法研修所卒業 弁護士登録(長野県、旧林百郎事務所)
1974年 自由法曹団長野県支部事務局長
1976年 日本弁護士連合会公害対策委員
1979年 長野県弁護士会副会長
1990年 第39回衆院選当選(日本共産党公認・旧長野3区・1期目)
1996年 第41回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・2期目)
2000年 第42回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・3期目)

(2017年11月24 日・連日更新第1699 回)

日民協・司研集会に、司法の嵐の時代を想う

本日は、第48回の日本民主法律家協会・司法制度研究集会。今回はこれ以上はない大きなテーマ。「憲法施行70年・司法はどうあるべきか―戦前、戦後、そして いま」。戦前・戦後の司法制度に詳しい内田博文教授(神戸学院大学・九州大学名誉教授)の講演がメインだった。旧憲法下の「戦時司法」が、戦後、日本国憲法の制定により、果たして反省・総括され克服されたのかという視点から、憲法施行後70年の日本の司法を振り返っていただく。そして、人権保障の砦としての司法を国民の手に取り戻すにはどうしたらよいかという問題提起をしていただく、という内容。

その講演にサブタイトルが付けられた。「戦前司法への回帰?ー「公共の福祉」論から「公益及び公の秩序」論へ」というもの。戦前と比較してみて、安倍政権の今の動向は、相当にやばいところまできている、という危機感横溢した報告だった。

語られたことは、天皇の名において行われた戦前の法と司法が、新憲法下においても連続の契機を多く持っているということ。実定法の分野では治安維持法や国防保安法、戦時刑事特別法などの戦時法体系が、戦後の平時法体系に伏在していること。そして、司法を担う裁判官は、そのまま職にとどまって戦後司法の担い手となった。

戦後の司法は、国家からの独立の気概をもたなかった。現在の司法の基礎が築かれた時期(50年代)に10年にわたって2代目最高裁長官を務めた田中耕太郎がその象徴といってよい。彼は、強烈な反共主義者で、自ら「国家の番犬」を任じた。その国家が、アメリカの僕だったのだから、日本の司法はアメリカの番犬でもあった。こうして、砂川事件における在日米軍の存在を容認する「論理」が構築されたのだ。

田中耕太郎後の60年代には、少しはマシになるかに見えた司法であったが、70年代には「司法反動」の時代を迎える。この時代を代表する人物が石田和外。そして、時代を代表する事件が宮本判事補の再任拒否だ。本日、宮本さんと同期の元裁判官が、当時の裁判所の空気についてフロアーから発言をした。

「宮本裁判官の再任拒否が噂された時期、多くの裁判官がよもやそんなことはあるまいと思っていた。宮本さんの上司の裁判官も『そんなことはあり得ない』と言っていた。それだけに、宮本再任拒否の衝撃は大きかった。多くの裁判官が萎縮を余儀なくされた。以前は、自分の考えだけで判決を出すことができたが、宮本再任拒否以後は明らかに変わった。すこしでも政治がらみと思われる事件の判決に筋を通すには、身分上の覚悟を要することとなった。」

宮本さんが、13期。私が23期である。宮本さんが10年の裁判官生活を経て再任を拒否された1971年4月。時期を同じくして、23期の裁判官任官希望者7人が任官を拒否された。うち、6人が青年法律家協会の会員だった。我々にとっては明らかな、思想信条による差別だった。

差別された思想とは、裁判所・裁判官は憲法の求めるものでなくてはならないという当たり前の考え方。もう少し具体的には、裁判官は、毅然として国家権力や時の政権から独立していなければならない、とする憲法に書き込まれた思想だ。

憲法理念に忠実でなければならないとする若手の裁判官や司法修習生は青年法律家協会に結集していた。時の自民党政権には、これが怪しからんと映った。当時続いた官公労の争議権を事実上容認する方向の判決などは、このような「怪しからん」裁判官の画策と考えられた。

いつの世も、まずお先棒をかつぐ輩がいる。当時の反共雑誌「全貌」が特集で青年法律家協会攻撃を始めた。自民党がこれに続き、石田和外ら司法の上層部はこの動きに積極的に迎合した。こうして、裁判所内で「ブルーパージ」と呼ばれた、青年法律家協会会員への脱会工作が行われ、これが宮本再任拒否、23期任官拒否となった。23期の修了式で任官拒否に抗議の発言をした阪口徳雄君の罷免という事態も加わって、「司法の嵐」といわれる時代を迎えた。

最高裁の暴挙には当然大きな国民的抗議の世論が巻き起こった。そのスローガンは、「司法の独立」であった。行政権からも立法権からも独立して、多数決原理とは異なる理性の立場から、人権を擁護し憲法理念に忠実な司法を形づくらねばならない、という大きな世論の形成があった。政府の番犬ではない、国家権力から独立して、主権者国民に奉仕する司法が求められたのだ。

1971年以後、裁判官の多くは、青年法律家協会とは絶縁して無難にその職業生活を全うした。しかし、いつの世にも、どこの世界にも、少数ながら硬骨漢といわれる人物はいる。そのような裁判官は差別的な処遇に甘んじた。昇格昇給や任地で差別され、政治的に影響の大きな事件の担当からは排除され、合議体の裁判長からも外されることで後輩裁判官との接触を絶たれた。

先日、そのような境遇で筋を貫き通した同期の元裁判官と話をする機会があった。裁判官としての仕事は充実し能力にも自信をもっていたが、明らかに任地で差別され出世が遅れていた。その彼に、裁判官生活の最後の一年を「所長に」という話があったという。即答せずに妻と相談したら、即座に反対されたそうだ。「これまで筋を通してきたのだから最後までその姿勢を貫いたらいい」。その一言で、結局所長にはならず終いだったという。立派なものではないか。

46年前の4月に司法修習を終えた23期は、「司法の嵐」のさなかに、船出をはじめた。同期の多くの者にとっては、憲法の理想とはほど遠い反動的最高裁との対決が、法曹としての職業生活の原点となった。この原点としての姿勢を貫いている仲間の存在は、痛快であり希望でもある。安倍自民党の策動、軽視はし得ないが、それに対抗する力量も各界に存在しているはずではないか。

本日の報告の全体像は、「法と民主主義」12月号に特集される。ぜひ、これをお読みいただきたい。
(2017年11月23日・連日更新第1698回)

本件では瑕疵担保責任は生じないー森友学園への土地譲渡に代金値引きの理由はない。

?森友学園事件も加計学園事件も、うやむやのうちに幕引きをしてはならない。徹底した追求が必要だ。世論もメディアも矛を収めてはならない。国会も会計検査院も本気にならねばこの国は腐ってしまう。そして、最後の切り札が刑事司法。そろそろその出番ではないのか。

そんな問題意識で、本日(11月22日)醍醐聡さん以下の「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」有志が、近畿財務局長を背任で告発した。告発状は以下のとおり。

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 発 

2017年11月22日

東京地方検察庁 御中

 

告発人   醍醐聰以下別紙告発人目録に記載のとおり

 

被告発人  美並義人(財務省近畿財務局長)

 

告発人ら代理人弁護士 澤藤統一郎

同          澤藤 大河

同          杉浦ひとみ

 

第1 本件告発の概要と背景事情

1 本件は、いわゆる森友学園事件の一連の経過における疑惑の一端について関係者の刑事訴追を求めるものである。

森友学園事件は、我が国の最高権力者の行政私物化を象徴する事件として、国民から徹底的な疑惑解明を切望されているにもかかわらず、説明責任を負う行政が政権に対するおもねりの故に事実の隠蔽に終始して全容の解明にはほど遠い実情にある。疑惑の中心にある安倍晋三首相とその夫人の疑惑解明への熱意も乏しい。このままでは、いくつもの疑問を残したまま疑惑解明に幕が下ろされるのではないかと危惧せざるを得ない。

この事態において、告発人らは行政から独立し、不偏不党の立場にあって一切の忖度や行政からの介入に無縁の存在としての刑事司法に疑惑の全容解明を期待して、本告発に及ぶものである。

2 森友学園をめぐる一連の疑惑の核心は、学校法人森友学園が小学校建設予定地とした国有地の極端な低額譲渡にある。この国有地の極端な低額譲渡は、必然的に当該国有財産の管理担当官の国に対する背信行為の存在を疑わしめ、背任罪の成否解明を必要とする。

具体的には、国有財産法や財政法に定められた、国有財産を適正に管理し、これを譲渡する場合には客観的に適正な価格を以てするよう職務上の義務を負う近畿財務局担当官の背任罪の成否である。

その被疑事実に関しては、すでに木村真豊中市議らによる背任罪での刑事告発が先んじ、さらに本年7月13日付で、「国有地の低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会」の阪口徳雄弁護士(大阪弁護士会)や上脇博之神戸学院大学教授らが、詳細な理由を付した告発状を大阪地検に提出してこれに続いている。

また、本件告発人と重なる「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」有志103名が、本年10月16日に御庁に対して池田靖近畿財務局統括国有財産管理官(当時)を背任で、佐川宣寿財務省理財局長(当時)を証拠隠滅で告発したところでもある。しかし、現在まで告発対象の被疑事実について見るべき捜査の進展はない。

3 詳細は後述するが、当該国有地の極端な低額譲渡は、買主(森友学園)から売主(国)に対する瑕疵担保責任に基づく損害賠償相当金額を予め控除するとの口実をもって実行された。具体的には、瑕疵とは当該土地に地下埋設物が存在するということであり、損害賠償相当金額とは地下埋設物の撤去費用とされた。

しかし、瑕疵担保責任とは、売買対象物に「隠れたる瑕疵」が事後的に発見された場合の民事的責任(民法570条)である。事後的に高額な損害賠償責任を負担せざるを得ない場合があることはともかく、予め売主において瑕疵の有無や程度を確認することなく瑕疵担保責任を認めて、幻の地下埋設物の撤去費用相当の損害賠償を認めるなどは考え難い。しかも、契約締結時点において確認されていない瑕疵を原因として、土地価格の85%もの金額の損害賠償を認めたのである。これは、合理的な取引主体としてありうべからざる行為というほかはない。

4 なお、本件において問題となるべきは、合理的な地下埋設物撤去費用の算定如何ではない。本告発は、そもそも本件売買対象地には(法的意味における)瑕疵は存在していないことを指摘するものである。

したがって、背任罪は埋設物の撤去費用算定を必要とせずに成立し、その損害額は、地下埋設物撤去費用相当額として譲渡代金から控除された全額である。

本告発は、以上の視点から、被告発人の本件国有地売却を背任罪に問擬して刑事訴追を求めるものである。

5 繰り返すが、本告発は森友事件疑惑の一部についてのものに過ぎない。告発人らは、本件被疑事実の捜査を端緒とする厳正な刑事司法の発動によって森友学園をめぐる疑惑全容の解明を期待するものである。

 

第2 告発の趣旨と告発事実

被告発人美並義人の下記行為は、背任(罰条:刑法第247条)に該当するので、同被疑事実について厳正な捜査の上、刑事上の処罰を求める。

  被告発人は、財務省近畿財務局長の任にあって、国に対して、国有財産法、財政法等の規定に基づき、所管の国有財産を適正に管理しこれを譲渡する場合には客観的に適正な対価をもってすべき任務を負う者であるところ、

2016年6月20日、大阪府豊中市野田町1501番(8770.43?)の国有地(以下、「本件国有地」という)について、売払人国の契約担当官として、買受人学校法人森友学園との間に国有財産売買契約を締結するに際して、

本件国有地の地下埋設物撤去費用を過大に評価しこれを控除する費用が必要との外観を装うことによって、極端に低廉で不適正な対価をもって譲渡しようと企図し、

本件国有地には、契約の目的に支障となる地下埋設物の存在が確認されていないことを知悉しながら、これあるとの架空の想定の下、不要な地下埋設物撤去費用8億1900万円を計上し、

森友学園の経済的利益または自己の身分上の利益を図る目的のもと、

時価評価額9億5600万円から、不要な地下埋設物撤去費用8億1900万円を控除する名目をもって、売買代金を金1億3400万円と定めて、もってその任務に違背して国に金8億1900万円相当の損害を与えたものである。

 

第3 本件被疑事実と告発に至る事情

1 国有財産法第9条1項は、「国の財産は、法律に基く場合を除く外、これを交換しその他支払手段として使用し、又は適正な対価なくしてこれを譲渡し若しくは貸し付けてはならない」と定める。

当然のことながら、国有財産の譲渡は、適正な対価をもってしなければならない。換言すれば、当事者の交渉による任意の価格設定はあり得ず、担当官には客観的に適正な対価での譲渡が義務づけられている。このことが、確認しておくべき大原則である。

民有財産の売買においては、売買対象物の処分権限をもつ売主がどのような思惑にもとづいて価格設定をしても問題にはならない。価格交渉の妥結点がいかなるものであっても、刑事上なんの問題も起きない。しかし、国有財産の譲渡における対価は、自由な価格交渉によって決することを許されていない。国有財産の管理を任務とする公務員が、適正な対価を下回る価格での譲渡をすれば、国に対する関係で、背信行為となり、損害を与えたことにもなって背任罪が成立する。

2 本件では、時価9億5600万円の土地の売買代金が、地下埋設物撤去費用相当額8億1900万円を控除することによって1億3400万円となっている。実に、土地価格の85.67%の値引きである。

本件における背任罪成否の焦点は、この値引きに根拠があるかの1点にかかるものであるが、そのような値引きの根拠はあり得ない。

仮に、適正な撤去費用相当額を8億1900万とする地下埋設物が存在したとすれば、そのような地下埋設物の種類や量、埋設場所などの確認と記録が不可欠であり、金額算定の根拠も明示されなければならない。しかし、そのような資料も根拠も残されてはいない。

3 この点について、政府委員として国会での答弁を担当した佐川宣寿理財局長(当時)は、この8億1900万円は、本件国有地売買における瑕疵担保責任免除の対価である旨を繰り返し答弁している。

その趣旨は、民法570条の瑕疵担保責任について特約を締結し、民法上の瑕疵担保としての地下埋設物撤去費用相当分の損害賠償債務を負わないとするものであるから、値引額である8億1900万円は埋設物の撤去費用相当額として適正なものでなくてはならない。

地下埋設物撤去費用金額の妥当性を判断する前に、2段階の問題が存在する。まず、果たして地下埋設物が存在するか。そして、仮に地下埋設物が存在するとして、それが損害賠償を必要とする瑕疵に当たるか。前者が事実の問題であり、後者が法的評価の問題である。

この両者が共に肯定された場合にはじめて、損害賠償金額つまりは撤去費用相当額の妥当性が問われることになる。いずれかが否定されれば撤去費用相当額を特定する必要なく、値引きの8億1900万円全額が背任の被害額となる。

4 まず、地下埋設物の有無の問題である。

国(近畿財務局)と森友学園間の、本件国有地についての「国有財産売買契約書」において、本件土地に存在すると確認された埋設物は「陶器片、ガラス片、木くず、ビニール等のごみ」のみ(第42条第4項)であって、校舎建設のための杭打工事に支障となるコンクリート片などは発見されていない。

また、近畿財務局の依頼を受けて2016年5月31日に「不動産鑑定評価書」を同局宛てに提出した担当不動産鑑定士も評価書の中で、「地中埋設物として廃材、ビニール片等の生活ゴミが確認されている」と記しており、校舎建設のための杭打工事に支障となるコンクリート片などは挙げていない。

さらに、国土交通省大阪航空局が作成した「参議院予算委員会視察時資料」(2017年3月16日)は、本件国有地の断面図(イメージ図)を添付している。それによると、深さ3.8mまでに汚染土のほか、配水管、マンホール・アスファルト・コンクリートガラ等が存在したと記しているが、それらは国が森友学園に精算払い済みの「有益費の支払い対象」と明記している。

その上で、大阪航空局は、深さ3.8m?9.9mまでに存在すると想定された廃材等が、本件国有地に係るごみ撤去費用の見積もり対象となると記しているが、9.9mの掘削工事中に「掘削機の先端部に絡みつくほどの廃材等」が目視されたことを廃材が地中に存在する根拠としたに過ぎない。

しかし、仮にその想定が当たっているとしても、大阪航空局の前掲資料によれば、2009年8月に行われた土地の履歴調査等から、深さ9.9mあたりのの地中は昭和40年代初頭まで池や沼で、その後宅地化されたものと推定している。こうした経過で深さ9m前後の地中に存在すると推定された廃材等が校舎建設工事に支障をきたすとは、およそ考えられない。

5 次いで、瑕疵に当たるかという問題である。

「陶器片、ガラス片、木くず、ビニール等のごみ」の存在は、瑕疵担保責任の根拠としての「瑕疵」に該当することになるであろうか。

この点、佐藤善信国土交通省航空局長(当時)も、こうした廃材、生活ごみが存在していても「工事の施工には問題はございません」(参議院予算委員会、2017年2月28日、会議録)と答弁している。森友学園の籠池理事長(当時)も2017年2月20日に放送されたTBSの単独インタビューにおいて、「運動場の下は取り出さなくていいんですから、さわっていないんだから、そこにお金がかかることはありません」と明言している(衆議院財務金融委員会、2017年2月21日、会議録)。現に、森友学園は2017年4月の小学校開校に向けて、地中深くから廃材等を取り出すことなく、校舎の建設工事を続けてもいた。

6 類似案件の下級審判例として、神戸地裁、昭59・9・20判決(『判例タイムズ』No.541, 1985年2月1日、180頁)がある。

「鉄筋三階建ての分譲マンションを建築する目的で買い受けた造成地の地下にビニール片等の廃棄物が混入していたとしても、杭打工法により予定どおりのマンションを新築して買受目的を達している場合には、右造成宅地に瑕疵があるとはいえないとされた事例」と紹介されている。

その理由として同判決は、「本件土地にはビニール片等の廃棄物が混入していたため、当初予定していたベタ基礎工法を杭打工法に変更を余儀なくされたにせよ、現にこれを新築することができてその買受目的を達していたこと、工法の変更が必要不可欠なものであったという確証はない」ことを挙げている。

「造成地の地下にビニール片等の廃棄物が混入していたとしても、現にこれを新築することができてその買受目的を達していた」場合には、瑕疵はないというものである。

7 売主の瑕疵担保責任として、撤去費用相当額の損害賠償責任を認めた下級審の代表的判決例として次のものを引用しておきたい。

「宅地の売買において、その地中に、大量の材木等の産業廃棄物、コンクリートの土間や基礎が埋設されていたことが、土地の隠れた瑕疵になるとされた事例」(東京地裁平4・10・28判決、『判例タイムズ』No.831,1994年2月1日、159頁)

その理由として東京地裁は、「本件の場合、大量の材木片等の産業廃棄物、広い範囲にわたる厚さ約15センチメートルのコンクリート土間及び最長2メートルのコンクリート基礎10個が地中に存在し、これらを除去するために相当の費用を要する特別の工事をしなければならなかったのであるから、これらの存在は土地の瑕疵にあたるものというべきである」と指摘している。

つまり、地下埋設物が存在したこと自体ではなく、買主が土地を買受の目的に充てる工事を遂行する上で、埋設物が障害になったという事実にもとづいて「瑕疵」に当たると判断し、当該地下埋設物の撤去に要した費用を売主が賠償すべき損害と認定したものである。

8 以上の常識的見解から、本件国有地の埋設物が土地の「瑕疵」当たらないことが明瞭である。その性状が、「陶器片、ガラス片、木くず、ビニール等のごみ」のみ(第42条第4項)であって、コンクリート土間やコンクリート基礎などではないのである。校舎建設のための杭打工事に支障となる性状のものは発見されていない。

なお、この点について、近畿財務局からの依頼に基づいて不動産鑑定士が作成した前記不動産鑑定評価書の中に、「最有効使用である住宅分譲に係る事業採算性の観点からは地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難く、正常価格の観点から逸脱すると考えられる」との指摘がある。杭打ちが可能でさえあれば瑕疵には当たらず、その撤去費用を控除して本件国有地の評価を大きく下げることは、正常な価格評価から逸脱するとの考えと理解される。

9 また、本件国有地の売買契約締結に至る過程での価格交渉の席上、近畿財務局の担当者が「土地の瑕疵を見つけて価値を下げていきたい」などと発言していた事実がある(「新たなメモ見つかる」『報道ステーション』2017年8月3日)。これに照らせば、近畿財務局は正常な売買交渉ではないことを十分認識しながら、森友学園に利益を得させるため、瑕疵担保責任を故意に拡大解釈し、異常な廉価での売却を実行する背任を犯したと言わざるを得ない。御庁の捜査において、この点を厳重に究明されるよう強く要望する。

 

以上、本件告発は、森友学園事件疑惑の全容解明を期待する国民世論を代表しておこなうものである。御庁検察官は、権力に屈しない毅然たる姿勢をもって、本告発にかかる事案について厳正な捜査を遂げ、さらに権力中枢の関与についてまで、国民が納得できるよう十分な捜査をされるよう望む次第である。

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記者会見で配布した解説のメモも紹介しておきたい。

森友学園事件関連・美並義人近畿財務局長告発メモ

☆ 告発罪名背任(刑法第247条)

☆ 2016年6月20日付「本件国有地」売り払いにおいて、根拠なく、地下埋設物撤去費用名下に8億1900万円の値引きをして、国に対して同額の損害を与えたことが、背任罪に当たる。

☆ 地下埋設物撤去費用の妥当性が問題なのではなく、土地に瑕疵がないのに値引きをしたこと自体が問題で、値引き額の全額が国の損害となる、というのが本告発における指摘。

☆ 佐川理財局長の国会答弁では、「瑕疵担保責任を免れるための対価を値引きした」とされているが、瑕疵担保の要件としての地下埋設物はない。あっても、瑕疵に当たるようなものではない。

☆ 地下埋設物は2層に区別。
深さ 0 ?3.8m  借地契約時代に有益費として支払済み。
深さ3.8m?9.9m ? こちらだけが問題。
工事の支障になる埋設物の確認はない。
むしろ、支障がないことの証言があり、現実に工事は進行した。
小学校敷地であることを考えても、
深さ3.8m?9.9mの埋設物は問題にならない。

☆ しかも、「地下埋設物撤去費用名下に8億1900万円の値引き」というスキームは、近畿財務局側からの提案であった。

(2017年11月22日・連日更新第1697回)

 

どう考えても、「国旗・国歌(日の丸・君が代)」強制は違憲だ

東京「君が代」裁判(第4次訴訟)の控訴理由書提出期限が12月18日とされて、俄然忙しくなっている。

課題として獲得すべき判決は二つ。「日の丸・君が代」強制が違憲であることの判決。あるいは、停職・減給だけでなく戒告も裁量権濫用に当たるとして処分を取消す判決。いずれもけっして低いハードルではないが、原告団も弁護団も元気だ。

違憲論の組み立ても幾つか試みられているが、「国旗・国歌(日の丸・君が代)に対する敬意表明の強制は、憲法19条が保障した思想・良心の自由を侵害する」という構成が本命だと思う。どうして、司法はこのシンプルな常識的論理を認めようとしないのだろうか。

私たちの主張は、どんな内容の思想もどんな良心も、19条の効果として国家の権力作用を拒否できると考えているわけではない。国民個人に対する国家の権力発動を「思想良心を侵害するものとして拒否できる」のは、個人の人格の中核にあって、その尊厳を支えている思想や良心を侵害する場合に限定されるものではあろう。

歴史的には、近世のキリシタン弾圧や近代の天皇崇拝の強制、あるいは特高警察による思想弾圧の対象となった信仰や思想。今の世では、まさしく、「日の丸・君が代」強制を拒否する思想こそが、個人の人格の中核にある思想として国家権力の発動による侵害から守られなければならない。

いうまでもなく、憲法とは権力を統制する手段である。国家と国民個人の関係を規律して、権力の恣意的発動から個人の人権を擁護するためにある。したがって、憲法が最も関心を寄せる課題は、国家権力と国民個人の関係である。

国旗・国歌(日の丸・君が代)に対する起立斉唱の命令とは、国旗・国歌が象徴する国家と個人が対峙する局面において、権力の発動によって個人に国家の優越を認めるよう強制するということなのだ。憲法の最大関心テーマであって、これを措いて思想良心侵害の場面を想定しがたい。

この強制を合憲だという最高裁の論理はかなり複雑である。シンプルには、合憲と言えないことを物語っている。
最高裁判決の論理は以下のとおり
(1) 「日の丸・君が代」への敬意表明という外部行為の強制は、個人の思想・良心を直接侵害するするものではない。
(2) しかし、間接的な制約となる面があることは否定し得ない。
(3) その制約態様が間接的なものに過ぎないから、合理性・必要性があれば間接制約は許容される。
(4) 合理性・必要性を認めるキーワードとして、国旗・国歌(日の丸・君が代)に起立して斉唱するのは、「儀式的行事における慣例上の儀礼的所作」に過ぎないことが強調されている。

ここで、「儀式的行事における慣例上の儀礼的所作」は、「起立や斉唱という身体的(外部的)行為」と「思想良心(内心)」との不可分一体性を否定するために使われている。しかし、果たして本当にそう言えるのだろうか。

「儀式」も「儀礼」も宗教で重んじられる。信仰という精神の内奥にあるものの表出としての「儀式」「儀礼」という身体的外部行為は、内心の信仰そのものと切り離すことができない不可分一体のものではないか。

いかなる宗教も、その宗教特有の儀式においてそれぞれの宗教儀礼を行う。信仰を同じくする多数人が、同一の場に集合して、同じ行動をし、同じ聖なる歌を唱う。声を合わせて信じる神を称える。そのことによって、お互いに信仰を確認し、信仰を深め合う。そのように意味づけられた行為である「儀式」「儀礼」は宗教に欠かせない本質的な要素である。

しかも、そのことは、実は宗教儀式と非宗教的な儀式において、本質的差異はないのではないか。ナチの演出による聖火行事。あるいは、国家主義的な演出としてのマスゲームなど。最高裁がいう「儀式的行事における慣例上の儀礼的所作」が思想や信仰と無縁であるということではない。

戦前の国家神道の時代。臣民に神道的な儀式や儀礼が強制された。身体的な動作の強制を以て、望ましい臣民の精神形成がはかられたのだ。その伝統はなくなったのか。まさしく国旗・国歌(日の丸・君が代)への起立・斉唱の強制として、今も生きているというべきだろう。

かつてはご真影と教育勅語を中心とした学校儀式が、今は国旗・国歌(日の丸・君が代)に置き換えられている。天皇を「玉」と呼んで、その権威利用を試みた明治政府は、国家神道を発明して、国民精神を統一する道具に使って成功を見た。

戦後の保守政権も、便利な国民統合の道具として国旗・国歌(日の丸・君が代)を使い続けているのだ。国民統合とは、部分的には企業の統合であり、各官庁や公的組織の一体感獲得の方法でもある。国旗・国歌(日の丸・君が代)に従順な国民精神の形成はこの国の支配層の要求に合致しているのだ。だから、「10・23通達」は国民世論に大きな反発を受けなかったのだ。

しかし、国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制は、明らかに。国家を個人のうえに置くものとして反憲法的といわざるを得ないし、そのような強制が拒絶する人格に向けられたときには思想良心の侵害となることは明らかではないか。

さて、12月18日までに、裁判所に受けいれられるような文体で、文章にしなければならない。
(2017年11月21日・連日更新第1696回)

『ふるさとを返せ 津島原発訴訟』弁護団紹介

そのときどきに時代を映す訴訟というものがある。志ある若手弁護士は、その時代にふさわしい「時代を映す事件」に取り組む。それは、公害であったり、薬害であったり、大規模消費者被害であったり、情報公開請求訴訟であったり。あるいは、いじめ・体罰、過労死、基地問題、ヘイトスピーチ、天皇の代替わりにともなう政教分離訴訟…などなど。

今なら、まぎれもなく原発訴訟だろう。時代を映す問題としてこれ以上のものはない。文明論としても、人類史上の大事件としても、弁護士として取り組むに値する大事件。

とはいうものの、私には声がかからない。その余裕も力量もないからやむをえない。代わって、澤藤大河が「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」にどっぷりと浸かっている。ずいぶんと時間も労力も使っているようだ。

弁護団はホームページを開設している。
http://www.tsushima-genben.com/

「『ふるさとを返せ 津島原発訴訟』は,2011年3月11日の福島第一原発事故に伴う放射能汚染によって「ふるさと」を追われた,浪江町津島地区の住民による集団訴訟です。

津島地区の住民は、代々培われてきた伝統芸能や先祖が切り拓いた土地を承継しながら、地区住民がひとつの家族のように一体となって、豊かな自然と共に生活してきました。

ところが、津島地区は、現在もなお放射線量の高い帰還困難区域と指定され、地区全域が人の住めない状況となっています。

津島地区の住民は、いつかはふるさとに帰れると信じながらも、いつになれば帰れるか分からないまま、放置されて荒廃していく「ふるさと」のことを遠く避難している仮住まいから想う日々です。

国及び東京電力は、広範囲の地域の放射能汚染という重大事故を起こしておきながら、原発事故に対する責任に正面から向き合おうとしません。

国及び東京電力のこのような姿勢に堪えかねた津島地区住民の約半数となる約230世帯700名の住民が立ち上がり、2015年9月29日、国及び東京電力を被告として、福島地方裁判所郡山支部に集団提訴をしました。」

そのホームページに「弁護団加入Q&A 」があって、こんな問と答がある。

「Q 弁護士の活動実費、弁護士報酬などはどう保障されるのでしょうか。
A 訴訟の弁護士報酬について
まず、着手金はありません。勝訴(確定)の場合には、弁護士報酬をその関与の度合いを勘案してお支払いすることになります。もっとも、津島訴訟のような、社会的な訴訟においては、弁護士費用獲得やその多寡が目的でありません。弁護士として社会の役に立ちたいという高い志をもった方の参加をお待ちしています。」

要するに、手弁当で活動するというのだ。これで、よく弁護団を組めるものと感心せざるを得ない。

最近の法廷は11月17日、先週の金曜日。「原告ら第27準備書面?結果回避可能性について?」を陳述し、30頁に近い準備書面の要旨を、訴訟代理人澤藤大河が口頭で述べたという。それが以下のとおり。
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1.概要
本準備書面は,本件事故前に,被告らが何をしていれば結果を回避できたのか,主に甲B194号証の1「渡辺意見書」(工学博士渡辺敦雄氏が作成した意見書)に基づいて,結果回避可能性を指摘することを目的とする。
法は,不可能を要求しないため,前提として結果回避可能性が必要となる。そこで,事故の回避可能性があったことを明らかにする。

2.原子力発電所の危険性
まず,原子力発電所が原理的に内包する不可逆的かつ壊滅的危険性について,指摘しておく。原発の重大な危険性が被告らの注意義務を加重するからである。
重大事故が生じれば,広範な周辺住民の生命健康財産を侵害し,本件原告らの居住地のように,長期に渡り,立ち入りすら制限されることにもなりかねない。
このような原子力発電所が原理的にもつ危険の重大性から,絶対の安全性を確保することが,被告らに求められる。「危険が明らかな限りで対策をすればよい」のではなく,「安全と立証されない限り運転は許されない」のが,原子力発電所を運転する際に求められる基本姿勢である。
さらにすすんで,危険の見積りに不正確さがあれば,予想される幅の中で最も安全側の対策を採らねばならないし,本質的に安全であることが保証できないのなら,原子力発電所は運転してはならないはずである。

3.渡辺意見書
渡辺意見書は,工学博士渡辺敦雄氏が作成した意見書である。
渡辺敦雄氏は,東京大学工学部を卒業後に,株式会社東芝に入社し,原子力部門で基本設計を担当してきた。福島第一原発の1?3号機,5号機も担当したことがある。原子力技術者としての専門的知識は勿論,福島第一原発の現場を知る専門家である。
渡辺氏の専門分野は,機械であり,津波が襲来しても,原子炉の冷却機能を保持するために,具体的に,いかなる設備・対策を調えておくべきかが,渡辺意見書の趣旨である。
原子炉は,核燃料が内部に存在する限り,熱が発生し続けるので,冷却し続けなければならない。重大な事故を回避するための要諦は,?電力を安定的に確保すること,?冷却水を循環させること,である。

4.具体的対策工事
渡辺意見書が具体的に述べるところは,浸水高が2mの津波を想定して対策工事をしてさえいれば、2011年の実際の津波においてなお冷却機能を喪失せず,事故は避けることができたというものである。
敷地を2m浸水させる津波を想定した場合になすべきことは,建屋扉の浸水防止対策,外壁開口部の水密化,建屋貫通部の浸水防止,建屋内の重要機器室の浸水防止対策,重要機器類の高所配置,海水ポンプ室の水密強化等である。
原子力発電所の危険性を考えれば,電力が失われることに備えて,多重防護を考えることも必要である。予備の電源を確保するため,津波の影響のない高所に十分な出力の発電機と燃料を設置しておくことが考えられるし,移動式電源車を配備することも考えられる。
また,海水への最終的な熱の排出ができなくなることに備えて,淡水貯槽,空冷熱交換器を備え,熱を逃がす別の系統の整備もするべきである。冷却水の循環ポンプが動かなくなっても,冷却機能が維持できるようにするために車載式注水ポンプ車の配備も考えられる。
事故対策作業を現場において実際に行えるようにするための対策も重要である。原子炉制御室の作業環境確保,放射線エリアモニタの設置,放射線遮へい対策等の強化などをしなくては,作業員が対策のための活動を十分に行うことができない。
また,緊急時用資材倉庫の高台設置,がれき撤去用重機の配備等の対策を行うことが考えられる。
以上の対策は,全て可能で、かつ浜岡原発で現実に実施されていることでもある。
これらの工事の工期は,最長でも3年である。本準備書面で指摘した工事の項目は全部で11件となっているが,これらの対策を,遅くとも2006年に始めていれば,2011年までに十分に対策を完了させ,本件事故を回避することができたのである。

5.結論
以上のとおり,被告らの結果回避義務の前提として求められる結果回避可能性が存在していたことは明らかである。
(2017年11月20日・連日更新第1695回)

時代を映す入学試験問題ー戦時と今と

旺文社「蛍雪時代」は、私の世代には懐かしい大学受験情報誌。とりわけ、田舎の非進学高にあって国立大学進学を夢みていた私にとっては、唯一の受験情報源だった。なめるように読んだ憶えがある。世話になったという思いは強い。

だから旺文社社長の赤尾好夫の名は印象に深いが、その人となりは知らなかった。後年、右翼だったと知る。

ウィキペディアには、こう書かれている。
「戦時中に戦意高揚を煽った廉で、敗戦後は公職追放を受けた。かつて旺文社の労組で赤尾と対立した音楽評論家の志鳥栄八郎は『赤尾社長は、だいたいが右翼系で、そちらのパージになったこともある人だけに、赤いものは、赤旗はもちろんのこと、赤い腰巻きまで嫌がった』と語っている。」

「蛍雪時代」は、1932年通信教育会員の機関誌『受験旬報』(通信添削会員向けの通信誌)として創刊され、1941年10月号から、現誌名に改題されているそうだ。つまり、太平洋戦争期の受験雑誌だった。当時ライバル誌といえるほどの存在はなかったろう。

戦時下の蛍雪時代がどんな記事を載せていたか。講談社が運営するサイト「現代ビジネス」のそんな記事が興味深い。タイトルは、「大学受験が『聖戦』? 戦時下の受験生はこんな問題を解いていた。当時の受験雑誌を読んでみると…」というもの。筆者は、「不思議な君が代」の著書もある辻田真佐憲。若い(30代前半)ライター。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53490

興味深いのは、たとえば、次のような記事。
「戦時受験の主役は、旧制中学校の上級生や卒業生だった。かれらは、旧制高等学校や、陸軍士官学校、海軍兵学校など上級の学校に進むため、切磋琢磨した。旧制高校は、帝国大学につながり、エリートの登竜門だったのである。
日本最古の受験雑誌のひとつである『螢雪時代』も、現在こそ大学受験の雑誌だが、当時はこの層をターゲットとした。」

「時局ともっとも縁遠そうな数学でさえ、時代の影響をまぬかれなかった。
『螢雪時代』1943年7月の懸賞問題には、つぎのようなものもあった。

時速50粁の航空母艦が其の搭載機を以て海岸にある都市を爆撃せんとし、一直線に目標に向つて進み、途中其の搭載機を放つて直ちに逆行するものとする。搭載機は母艦より目標に向つて直進して之に到達した後30分間其の上空を飛翔して爆撃し、更に母艦の後を追つて飛行帰還するものとすれば目標から幾何の距離に於て母艦を出発したらよいか。但し搭載機の性能は時速450粁、航続時間10時間である。(出題者 旺文社数学部々長 高橋数一)

この問題は、航空母艦の機能や役割を知っていなければ答えられない。現在ならば、まずお目にかかれない出題だろう。」

「旺文社(欧文社)からは、受験参考書として「国体の本義」「臣民の道」「戦陣訓」などの解説書も盛んに刊行された。もちろんそれは、口頭試問や筆記試験に対応するためにほかならなかった。そして同社の広告も『受験生は本書の徹底的研究を絶対必要とする』『皇軍のように志望校を突破せよ!』とその狙いを隠そうとしなかったのである。」

「もっとも生々しかったのは、受験生たちの投稿欄である「読者の声」のコーナーだった。
『全国の海兵党諸賢に次ぐ。[中略]月月火水木金金などは未だ小手先の芸当で、一路海兵打倒と定めた日から、俺は夜も眠らぬことにした(とは少し大ゲサかな)。大東亜を、否全世界を真の一宇的精神に光被せしめるための海軍として、帝国海軍は今や文字通りの天来の神兵艦隊である。此の艦隊の一員たらんとする以上、我々の決意も亦至浄至雄なるものでなければならぬ。(第二の軍神)』」

著者の締めくくりは、以下のとおりである。
「受験雑誌は驚くほど時代の変化に敏感だった。戦時下もそれは変わらなかった。現代の受験雑誌や通信添削のペンネームや読者投稿欄も、実はどこよりも現代を的確に映し出しているのかもしれない。」

「受験雑誌は驚くほど時代の変化に敏感だった」は、そのとおりだろう。もう少し正確に言えば、「入学試験」そのものが時代の変化に敏感で、受験雑誌も受験生も、その変化を受けいれざるを得ないのだ。

最近の大学受験事情はよく知らない。が、とある高校教師から上智大学の今年の入試問題の紹介を受けて驚いた。「近代日本の女性と国家」についての問。18歳の受験生に課されている問題のレベルとしては、あまりに高い。最近、上智に出かける機会が多い。これまでは、なんとのんびりした学生ばかりと思っていたが、この入試の洗礼を受けてきた学生たちと思えば、見方が変わる。

その入試問題は、一問でA4・4頁。しかも9ポの2段組み。問題文を読み通すだけで一苦労のボリューム。

問題文は、「現代における女性の社会的地位は、いったいどのようなものだろうか。」から始まる。一見女性は優遇されているようで、実は敢えて優遇措置をしなければならない現実があり、女性の地位は低いまま。日本の女性たちが歩んできた過去をしっかりと見つめなければならない。という問題提起があって、3つの例題文が提示される。

《例題文1》は、家族制度と絡めた「存娼派」と「廃娼派」の論争。存娼派の代表として福沢諭吉紹介され、公娼制を必要としながら、そこで働く女性を「人類の最下等にして人間社会以外の業である」という彼の論の一節が引かれる。アジア女性センターのブックレットからの引用。

《例題文2》は、富国強兵と良妻賢母をセットの国策ととらえた文脈における「新しい女性」像の問題。貞操論争、堕胎論争、廃娼論争などの議論を紹介し、青鞜などの女性解放運動が実は後年の女性を家庭に囲い込むジェンダー規範を作り出した側面をもっていると指摘する。

そして、《例題文3》が最も長文で最も重い内容。沖縄戦での女性の悲劇を描いたもの。純潔を強要された沖縄の女性が、敵に性的暴行を受けよりはと集団自決を選んだ経緯を考えさせる内容となっている。本土の兵士のための、県内女性と朝鮮人女性の慰安婦の問題もきちんと述べられている。

上智の受験生は、この問題文と格闘したことによって、意識が変わったのではないだろうか。

つくづく思う。戦争や国家主義鼓吹の受験勉強などをしなければならない時代はまっぴらだ。「受験生は、驚くほど入学試験の傾向に敏感」なのだから、「聖戦突破」ではなく、「近代日本の女性と国家」型の普遍性ある入試問題を歓迎したい。暗い時代を繰りかえさせてはなない。
(2017年11月19日)

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