澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

DHCスラップ2次訴訟口頭弁論の傍聴をー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第110弾

DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)の口頭弁論期日は12月15日(金)。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。

閉廷後の報告集会の場所が決まりました。東京弁護士会504号室(5階)です。

報告集会では、木嶋日出夫さん(長野弁護士会)に、伊那太陽光発電スラップ訴訟の教訓について、ご報告いただきます。

以下は当日のスケジュールです。

13時30分 東京地裁415号法廷(民事第1部)
       反撃訴訟訴状(反訴状)の陳述
       光前弁護団長が反訴の要旨を口頭陳述
       澤藤が反訴原告本人として意見陳述

閉廷後  14時?16時 報告集会
     東京弁護士会504号室(5階)
     光前さん・小園さんから、訴状の解説。
     木嶋日出夫さん 伊那太陽光発電スラップ訴訟代理人報告と質疑
     澤藤(反訴原告本人)挨拶 

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伊那太陽光発電スラップ訴訟概要
(長野地裁伊那支部・2015(平成27)年10月28日判決)
 原告(反訴被告)片桐建設
 被告(反訴原告)土生田さん
 被告(反訴原告)代理人 弁護士木嶋日出夫さん
 本訴請求額 6000万円 請求棄却
 反訴請求額  200万円 50万円認容
 双方控訴なく確定

☆長野県伊那市の大規模太陽光発電所の建設計画が反対運動で縮小を余儀なくされたとして、設置会社が住民男性(66)に6000万円の損害賠償を求めた事件。
長野地裁伊那支部・望月千広裁判官は本訴の請求を棄却し、さらに男性が「反対意見を抑え込むための提訴だ」として同社に慰謝料200万円を求めた反訴について、「会社側の提訴は裁判制度に照らして著しく正当性を欠く」と判断し、同社に慰謝料50万円の支払いを命じた。

☆判決は、最高裁判決の論理を前提とし、「(片桐建設の)本件訴えの提起は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められる」「本件訴えの提起が違法な行為である」と判示して慰謝料50万円を認容した。
また、「少なくとも、通常人であれば、被告の言動を違法ということができないことを容易に知り得たといえる」「原告において、真に被害回復を図る目的をもって訴えを提起したものとも考えがたいところである」との判示が注目される。

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木嶋日出夫弁護士紹介。
1969年 – 司法研修所入所(23期・澤藤と同期)
1971年 – 司法研修所卒業 弁護士登録(長野県、旧林百郎事務所)
1974年 – 自由法曹団長野県支部事務局長
1976年 – 日本弁護士連合会公害対策委員
1979年 – 長野県弁護士会副会長
1990年 – 第39回衆院選当選(日本共産党公認・旧長野3区・1期目)
1996年 -第41回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・2期目)
2000年 – 第42回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・3期目)

(2017年11月16日)

反動・石田和外最高裁長官が鍛えた23期司法修習の仲間たち

一昨日(11月13日)奈良で、心許す仲間だけの同期会を開いた。
参加者は、1969年4月から71年4月までの修習をともにした23期の13人。当時の修習生活動をともにした仲間。最初の出会いが、48年前のことである。当時はみんな二十代。今は、全員古稀を超えている。

幹事役から、「弁護士13名が元気で参加できたことは現地幹事としてうれしい限り」「恒例の通り、大声で、楽しく、笑い、茶化しながらの同窓会が終了しました」というメーリングリストへの報告があった。話が尽きない。時間が足りない。あとは次回への持ち越し。

昔の仲間と会うことは、あの頃の自分と出会うこと。あの頃の自分を思い出し、あの頃の志と向かい合うことでもある。

確かに、みな髪は薄くなり、白くはなったが、話を始めるとすぐにあの頃に戻る。みんな、昔と少しも変わっていない。その変わりのなさに驚ろかざるを得ない。

13人のうちの11人は、弁護士ひとすじで今年が47年目となる。2人が裁判官として任官して今は弁護士。あの頃の志を頑固に職業生活に生かし続けてこられたということは、恵まれたことであり、贅沢なことでもあると思う。

皆、清貧に生きてきたとも見えないが、富貴を望まず、名利を求めずの姿勢を貫いてきたことがよく分かる。政権にも資本にも迎合することなく、弱者の立場で強者に抵抗を試みてきた弁護士たちだ。

参加者の気持を代弁した発言があった。
「あの頃、司法行政は我々の運動を弾圧して、7人の裁判官希望を拒否し、さらにその抗議の声をあげた阪口徳雄君の罷免までした。しかし、同時にそれは我々を鍛え、団結させることでもあった。」「23期が初志を貫いてこられたのは、政権と一体になった反動石田和外や最高裁当局のお陰でもある。」

私も、そう思い続けてきた。もう50年に近い昔のことなのに、あの頃のことを思うと、新たな怒りが吹き出してくる。理不尽なものへの憤り。負けてなるものかというエネルギーの源泉。

事後に、こんなメールもいただいた。
「憲法改悪が具体的日程にのぼっているなかで、私たちのこれまでのあり方の真価(進化)が問われているように思います。防戦では無く「安倍政治」に決着をつけるときが迫っていると思うと、少しドキリとしませんか?ドキリこそ若返りの秘訣です。」「具体的な話題をわかりやすく提供していくこと、「老害」と言わせないためにも、いつまでも「青春」でいるためにも、心がけたいものです。」

その通り。今は、怒りのエネルギーを安倍改憲阻止に向けなければならない。

 

さて、先日ご紹介した1000年前の同窓会の詩を、あらためてもう一度。本当にこのとおりだったという事後の感想を込めて。

 同榜同僚同里客
 班毛素髪入華筵
 三杯耳熱歌声発
 猶喜歓情似少年

読み下しは以下のとおりかと思う。

 同榜 同僚 同里の客
 班毛 素髪 華筵に入る
 三杯 耳熱くして歌声発す
 猶お喜ぶ 歓情の少年に似たるを

(註 「同榜」は合格掲示板に名を連ねた同窓。「素髪」は白髪頭。「班毛」はごま塩頭。いずれも老人を指す。「華筵」はにぎやかな饗宴のこと)

拙訳はころころ変わる。今は、こんなところ。

 口角に泡を飛ばした若き日の
 同期の友らと宴の席に
 飲んではしゃいで語って熱い
 おれもおまえも変わらない

気持は変わらない。しかし、志においては、北宋の詩人よりも我々の方が格段に高い。それは誇るにたりることだ。
(2017年11月15日)

安倍首相の「加憲的九条改憲論」に欺されてはならない。

本日は定例の「本郷・湯島九条の会」の街頭宣伝行動の日。だが、あいにく、私は東京にいない。代わって、澤藤大河がマイクを握った。下記の内容であったという。

ご通行中の皆さま。恒例の「本郷・湯島九条の会」からの訴えです。

安倍首相は、今年の5月以来憲法9条改正を明言しています。
どのような形になるか、具体案はまだ明らかになってはいませんが、現行の憲法9条の1項と2項をそのままにして、9条に第3項を付け加える意向と伝えられています。たとえば「前項の規定にかかわらず、自衛隊を違憲と解釈してはならない」などという第3項案が漏れ聞こえてきます。

安倍首相のねらいは、国民の改憲に対する抵抗感をできるだけ小さくすること。そして、それでいて国政の選択肢をしっかりと拡げることにあります。はっきり言えば戦争という選択肢をもつ国家を作ること。自衛隊を戦争のできる組織に変えようということなのです。

国民の抵抗感を薄めるために、安倍首相は、「9条を改憲しても、自衛隊の実態は変わらない」とか、「国ができることは同じまま」などと言っています。しかし、本当に、「変わらない」のでしようか。「同じまま」なのでしょうか。

改正しても、政府のできることが今と全く同じなのであれば、巨額の費用をかけて憲法改正など行う必要はないはずです。安倍首相の言葉の裏には、今の憲法ではどうしてもできないことを、何とかできるようにしたいという、狙いが隠されています。安倍首相の言葉をそのまま信じてしまうことは危険です。この隠された政権側の強い衝動を見抜かなければなりません。

憲法とは、国家に対する規範です。
国がしてはいけないことを規定することで国の暴走を止め、そのことによって国民を守るための規範です。憲法9条も、「国は絶対に戦争をしてはならない」、「戦争をしないたいための保証として、軍隊を持ってはならない」という規範なのです。

しかし、9条は戦後保守政権の度重なる解釈改憲によって、危機にさらされてきました。日本には巨大な米軍基地と強大な自衛隊があります。そして、安保法制のなかで集団的自衛権の行使までが認められるに至っています。

それでも憲法9条が歯止めとして働いて、許していないことは大きいのです。なによりも、憲法9条がある限り、米軍基地や強大な自衛隊の存在を違憲として批判できます。集団的自衛権の行使を認める安保法制を違憲とする訴訟が進行中です。

また、安保法制が集団的自衛権の行使を認めるに至ったとはいえ、それは「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という「存立危機事態」に限定されています。安倍政権としては、日本が米軍とともに世界に出て行って戦争をすることに、フリーハンドがほしいのです。

憲法9条に、安保法制によって性格を変えた自衛隊を明記することは、原理的に集団的自衛権行使を任務とする軍事組織を憲法上の存在として認めることにほかなりません。結局は、米軍の弾よけにされ、世界中で戦争をすることができるようになるのです。けっして、9条改憲を許してはならないと思うのです。

これに対して、現実には自衛隊が存在しているのだから、自衛隊を憲法に書き込むことで、政府の統制をしっかりと自衛隊に及ぼすべきだと主張する人もいます。自衛隊を憲法に根拠を有する組織とすることで、立憲主義的統制ないし文民統制を及ぼすべきだというのです。

しかし、これは、本末転倒の議論です。
法律というのは、規範であり、規範というのは現実を規律するものです。
現実に妥協して、規範を現実に合わせてしまっては、規範の意味がありません。
たとえば、刑法199条は殺人罪を定めて、人が殺されることを防止しようとしています。しかし、残念ながら殺人はそれでもなくなりません。そんなとき、私たちは、社会から殺人がなくならない現実に合わせて、殺人罪をなくし、殺人を合法化しようとするでしょうか。

法は理想を追求し、現実をリードし規律するものです。法が、現実に屈してあきらめてはならないのです。平和の理想を捨てることは、現実をさらに危険な方向に動かすことになります。

あるいはまた、日本の軍事力を強化することで、平和を守るべきだという人もいます。そのために9条が邪魔だというのです。

しかし、これは戦争を違法化する国際法の努力を見過ごした議論です。
国際法上、戦争は基本的に違法であり、特に侵略戦争は絶対に違法化されています。
戦争を憎み平和を愛する諸国民の国際世論や、戦争を違法化する国際法の到達点を無視し、軍事的な威圧が平和をもたらすというのは、あまりに偏った見方です。
現に、日本には、毎年5兆円の防衛費をかけ、20万人以上公務員を有する巨大組織である自衛隊が存在していますが、それが軍事的均衡や平和をもたらしているのでしょうか。北朝鮮のミサイル開発を止めることができたのでしょうか。
これでは、足りないというのであれば、あと、何兆円かけ、何万人の定員の組織にすれば、ミサイルを止められるというのでしょうか。

憲法9条は、日本に軍隊を持たせず、戦争をさせないための規範です。
軍隊を持たず、交戦権もなければ、戦争を起こせるはずがないからです。
他国からの侵略を防ぐためにも、憲法9条は、有効なのです。他国を軍事的に威圧しなければ、他国から脅威と思われないからです。
9条を遵守し、本当に他国に脅威を与えなければ、日本が標的にされることはありません。

今、日本の外交は、トランプに寄り添い、トランプに追随するばかりです。
真に平和を目指すのであれば、9条を遵守し、積極的に軍事的緊張を緩和すべく、あらゆる地域で平和外交を進めるべきです。

日本が第二次世界大戦後戦争をしていないことは、外交上とても大きな財産です。
さらに、唯一の被爆国として、また、戦争を放棄し軍備の不保持を宣言した平和国家として、世界的な権威を獲得することが可能です。そうすれば、平和外交による自国の平和も維持できます。それが、本来の憲法9条の理念にほかなりません。

この憲法9条の平和主義の理念は、けっして空想的なものではなく、現実的な平和維持の手段として理解すべきなのです。
(2017年11月14日)

「核兵器のない世界を求めてー反核平和をつらぬいた弁護士 池田眞規」出版記念の会

池田眞規さんが亡くなられたのは、昨年の今日・2016年11月13日。
池田さんをご存じない方は、当ブログの下記記事(2016年11月16日)をご覧いただきたい。

池田眞規さんを悼む
https://article9.jp/wordpress/?p=7705

没後1年の今日(2017年11月13日)を発行日付とする下記の書が日本評論社から発刊された。
「核兵器のない世界を求めてー反核平和をつらぬいた弁護士 池田眞規」
池田眞規著作集刊行委員会の編になるもの。反核平和をつらぬいた、一人の弁護士の人生とその情熱がこの一冊に凝縮されている。没後一年をかけて、反核法協を中心とする後輩弁護士が中心となって編集したもの。

一昨日(11月11日)、この書物の出版記念会があった。被爆者・反核運動・弁護士・医療者等々の多彩な関係者の集いだった。湿っぽさのない「楽しい集会」と言って不謹慎でないのは、池田さんの人徳だろう。

会の冒頭に池田さんの生涯がスライドで紹介された。朝鮮の大邱で生まれ、釜山の中学生だった池田さんがどのように敗戦を迎え、どのように戦後を生きたか。なぜ、何を目指して弁護士となり、どのようにして「反核」弁護士となったのか。どのように人との輪を作り、繋げていったのか。よくできたナレーションだった。

資料を集めてこのスライドを作った佐藤むつみさん、この書物の中で「池田眞規小伝」を書いた丸山重威さんらが、「さながら、戦後史を見るような人生」と言っていたのが印象に深かった。

個人的には、懐かしい顔ぶれとも出会うことができ、文字には残せないエピソードの数々も聞けて、楽しいひとときだった。眞規さん、ありがとう。
(2017年11月13日)

第48回 日民協・司法制度研究集会ご案内

日本民主法律家協会の秋の行事として定着している司法制度研究集会(「司研集会」)が、今年で48回目となる。今回のテーマは、「憲法施行70年・司法はどうあるべきか―戦前、戦後、そして いま」。

憲法施行70年というスパンで日本の司法制度を俯瞰しようという試み。よく知られているとおり、戦後民主化の過程で裁判官にパージはなかった。天皇の名による裁判に従事した戦前の裁判官が、そのまま戦後の日本国憲法の砦と位置づけられた司法を担ったのだ。昨日までは不敬罪を裁き治安維持法で有罪を宣告し、あるいは京城の裁判所で朝鮮独立運動弾圧に一役買っていた裁判官たちが、人権の守り手たるべき地位に就いた。昨日までは国体の護持のために、今日からは基本的人権擁護のために…。この転身はどのくらい成功したのだろうか。

それから70年。戦後の司法は何をし、何をしなかったのか。この70年、憲法の理念に照らして、ふさわしい司法であったであろうか。政権によって露骨な憲法攻撃が行われている今、司法はどうすれば憲法理念の守り手としての本来の使命を達成できるのだろうか。この実践的課題に興味をもつ方のご参加を呼びかけたい。

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日本民主法律家協会(日民協)では,次のとおり,「第48回司法制度研究集会」を開催します。

日時:11月23日(木・祝)午後1時?5時
場所:全国町村会館ホールA(地図は下記URLをご覧下さい)
http://www.jdla.jp/shihouseido/2017.pdf
テーマ:憲法施行70年・司法はどうあるべきかー戦前・戦後,そしていま
基調講演:内田博文先生(九州大学名誉教授・神戸学院大学教授)

プログラム
受付開始 ………… 12 :30
開 会  ………… 13 : 00
開会の挨拶?? 右崎正博(日本民主法律家協会理事長)
基調報告…………………13 : 10?1 4 : 40
内田博文(九州大学名誉教授/神戸学院大学教授)

…………休憩…………

■特別発言 ………………………14 : 55~15 : 40
内田先生の基調報告をうけ、花田政道先生(元裁判官・弁護士)、岡田正則先生(早稲田大学教授・行政法研究者)などからの特別発言を予定しています。
■質疑応答・討論……………15 : 40~16 : 45
■集会のまとめ………………16 : 45~17 : 00
新屋達之(日本民主法律家協会司法制度委員会委員長)

 

今年は,憲法施行70周年の年です。
安倍首相の9条改憲案,共謀罪の強行採決,臨時国会招集請求の放置,突然の解散総選挙,与党3分の2の議席獲得等々,あまりにも反憲法的な動きがあわただしく,忘れられているようですが……。
このような情勢の下,今年の日民協の司法制度研究集会は,戦前の司法制度・治安維持法,そして戦後の法制史の研究者でもある内田博文先生をお招きして,いまの状況が戦前と似ていないか,そもそも戦前の司法の責任が果たして新憲法下で反省・克服されてきたのだろうかという視点から,憲法施行後の70年の日本の司法を振り返っていただき,人権の砦としての司法を国民の手に取り戻すにはどうしたらよいかという問題提起をしていただきます。
元裁判官や行政法学者にもコメントをいただいた上で,会場からの質疑応答やご意見にもたっぷり時間をとる予定です。
どなたでも参加できますので,ぜひご参加下さい。
なお,資料準備などのため前記URLを開いて添付の申込み用紙で事前に参加申込をいただければ有り難いのですが,事前申込みがなくても自由にご参加いただけます。
みなさまのご参加を心からお待ちしております。
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日本民主法律家協会・第48回司法制度研究集会
「憲法施行70年・司法はどうあるべきか―戦前、戦後、そして いま」おさそい
日本国憲法施行70年の今年は、安倍首相による憲 法9条改憲のメッセージ、共謀罪法の強行採決、臨時国会冒頭での衆議院解散、与党が再び3分の2を維持と激動の年になり、私たちはまさに9条の改憲・戦争への道を許すのかどうかの岐路に立たされています。
こうした情勢の下、昨年の辺野古訴訟の高裁・最高裁判決などを見ると、司法が「政治」に積極的な支持を与えており、トランプ政権下のアメリカの司法と比べても、日本の司法の「弱さ」を痛感させられます。
そこで、今年の司法制度研究集会は、戦前・戦後の司法制度に詳しい内田博文教授(神戸学院大学・九州大学名誉教授)をお招きして、旧憲法下の「戦時司法」が、戦後、日本国憲法の制定により、果たして反省・総括され克服されたのかという視点から、憲法施行後70年の日本の司法を振り返っていただくと共に、人権保障の砦としての司法を国民の手に取り戻すにはどうしたらよいかという問題提起をしていただきます。
また、講演を受けて、元裁判官、行政法研究者等の方々からそれぞれの視点でご発言をいただくことを予定しております。
どなたでも参加できます。ふるってご参加下さい。

内田博文先生略歴
(九州大学名誉教授/神戸学院大学教授)
九州大学法学部教授を経て、2010年より神戸学院大学法科大学院教授。日本刑法学会、ハンセン病市民学会(共同代表)等を歴任。著書に「刑法と戦争 戦時治安法制のつくり方」(2015年 みすず書房)、「治安維持法の教訓 権利運動の制限と憲法改正」(2016年 みすず書房)、「治安維持法体制を問う―刑事法の戦後」(近刊予定岩波書店)等多数。
日 本 民 主 法 律 家 協 会
〒160-0022 東京都新宿区新宿1-14-4 AMビル2階
TEL 03-5367-5430 FAX 03-5367-5431
(2017年11月12日)

DHCスラップに反撃の反訴状提出 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第109弾

昨日(11月10日)、DHCスラップ第2次訴訟弁護団は、東京地裁民事第1部に損害賠償請求の反訴状を提出した。平成29年(ワ)第30018号債務不存在確認請求事件(原告DHC及び吉田嘉明・被告澤藤)を本訴とする反訴であるが、これでようやく攻守ところを変えて、私(澤藤)が反訴原告、DHCと吉田嘉明の両名が反訴被告となった。反スラップ訴訟の水準を示す内容の訴状となっている。

この反訴を、とりあえず「DHCスラップ反撃(リベンジ)訴訟」とネーミングしておこう。この反撃の経過をしっかりと公開して、あらゆるスラップ訴訟被害者の参考に供したい。この反訴状は本文20頁、訴状としては簡潔なものとしたが、全文掲載にはやや長文なので、抜粋して紹介する。

請求原因に記載の一連の経過は、DHC・吉田嘉明の前件スラップ提訴が言論の萎縮を狙ったものであることをあらためて浮き彫りにしている。この典型的なDHCスラップに対する反撃訴訟での勝訴は、スラップの抑止に大きな役割を果たすことになる。弁護団の意気込みと力量も十分で、私にも勇気と闘志が湧いてくる。
(2017年11月11日)
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第1 請求の趣旨
1 反訴被告ら(DHCと吉田嘉明)は,反訴原告(澤藤)に対し,連帯して660万円及びこれに対する2014年8月29日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え
2 訴訟費用は反訴被告らの負担とする
3 仮執行の宣言

第2 請求の原因
1 当事者
(1) 反訴原告
反訴原告は,東京弁護士会に所属する弁護士である。1971年に弁護士登録し,これまで日本民主法律家協会事務局長,日弁連消費者問題対策委員長,東京弁護士会消費者委員長などを務めてきた。
2013年3月からインターネット上に「澤藤統一郎の憲法日記」と題するウェブサイト(以下「本件ウェブサイト」という。)を開設し,現在に至るまで1日も欠かすことなく,市民の基本的人権にかかわる様々な社会問題についての意見をブログに掲載している。
(2) 反訴被告ら
反訴被告株式会社ディーエイチシー(以下「反訴被告DHC」という。)は,化粧品の製造販売等を目的とする,資本金33億7729万円の会社であり、反訴被告吉田嘉明(以下「反訴被告吉田」という。)は,反訴被告DHCの代表取締役会長である。

2 反訴被告らによる前訴提起と請求の拡張
(1) 反訴被告吉田の告白事実に対する反訴原告のブログによる批判
反訴原告は、2014年3月27日発売の雑誌「週刊新潮」に掲載された反訴被告吉田の手記(反訴被告吉田が、「みんなの党」の党首であった渡辺喜美衆議院議員(当時。以下「渡辺議員」という。)に密かに8億円余りを貸し付けていたこと等を暴露し、同議員の不明瞭な貸付金使途や変節等を批判するもの。以下「本件手記」という。乙1)や、これに反論した同議員の「ヨッシー日記」と題するウェブサイト上に掲載された同年3月31日付のブログ(乙2)、さらには、同議員の「みんなの党」の党首辞任を取り上げた同年4月8日付の全国紙6社の社説について、本件ウェブサイトに以下の3本のブログ記事を掲載した(乙3の1?3)。
? 2014年3月31日付けの「『DHC・渡辺喜美』事件の本質的批判」と題するもので、反訴被告吉田が渡辺議員に密かに8億円ものカネを貸し付けた行為は、政治を金で買おうとしたものであり、渡辺議員とともに反訴被告吉田の行為も徹底的に批判すべきであるとし、政治資金・選挙資金を透明化する必要性を訴えたもの(乙3の1。以下「本件ブログ1」という。)。
? 同年4月2日付の「『DHC8億円事件』大旦那と幇間 蜜月と破綻」と題するもので、渡辺議員が「ヨッシー日記」に記載した反訴被告吉田からの金銭受領に関する種々の弁明を批判するとともに、政治家とこれを金で操る資本家(スポンサー)との関係を批判したもの(乙3の2。以下「本件ブログ2」という。)。
? 同月8日付の「政治資金の動きはガラス張りでなければならない」と題するもので、渡辺議員が党代表を辞任したことに関する全国紙の各社説が、政治家とそのスポンサーの密かな金のやり取りの問題や、政治資金規正法の不備について論じないことを批判したもの(乙3の3。以下「本件ブログ3」という。)。

(2) 反訴被告らによる訴訟の提起
2014年4月16日、反訴被告らは、別紙訴状を東京地方裁判所に提出して反訴原告に対する訴訟を提起し(乙4)、反訴原告の本件ブログ1ないし3における記述が反訴被告らの名誉を毀損するとして、反訴原告に対し、反訴被告各自に対する1000万円(計2000万円)の支払いと、名誉毀損部分の記述削除、謝罪広告等を求めた(同裁判所平成26年(ワ)第9408号。以下「前件訴訟」という。)。

(3) 前件訴訟に対する反訴原告による批判
反訴原告は、前件訴訟は、反訴被告吉田に対する批判的な言論を封じることを目的とする、いわゆる「スラップ訴訟」であるとして、以下の3本のブログを本件ウェブサイトに掲載した(乙5の1?3)。
? 2014年7月13日付の「いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾」と題するもので、前件訴訟の提訴対象となったブログ1?3の内容を紹介し、民主主義社会における言論の自由、批判の自由の重要性を述べた上で、反訴被告らによる前件訴訟の提起が反訴原告の言論を封殺しようとしたものであると批判したもの(乙5の1。以下「本件ブログ4」という。)。
? 同月14日付の「万国のブロガー団結せよ?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾」と題するもので、市民ブログによる情報発信の今日的意義や重要性を説き、経済的強者が市民の意見表明の委縮させる意図をもって行うスラップ訴訟への反対表明を呼びかけたもの(乙5の2。以下「本件ブログ5」という。)。
? 同月15日付の「「言っちゃった 金で政治を買ってると」?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第3弾」と題するもので、毎日新聞の読者川柳欄に投稿・掲載された「言っちゃった 金で政治を買ってると」という句(乙5の4)や丸山眞男の著述を引用しながら、前件訴訟の本質と、市民の政治的権力が一部の経済的権力によって蹂躙されないための批判の自由の重要性、その批判を封じようとするスラップ訴訟への批判の重要性を述べたもの(乙5の3。以下「本件ブログ6という」。)。

(4) 反訴被告らによるブログによる批判活動中止の要求と請求額の増額
ア 反訴原告の本件ブログ4ないし6について、反訴被告らは、前件訴訟の2014年7月16日付第1準備書面(乙6)において、反訴原告は反訴被告らへの名誉毀損を繰り返し、前件訴訟が不当提訴である旨を一般読者に訴えかけ、反訴被告らの損害を拡大させているとして、反論は裁判で述べれば足りると主張し、本件ブログによる批判の中止を求めた。
イ これに対して反訴原告は、反訴被告らの要求は言論(批判)の自由を封殺するものであるとの意見を前件訴訟において述べるとともに、本件ブログにおける反訴被告らへの批判を継続した。
同年8月8日には「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第15弾」と題するブログ記事を掲載して、改めて政治資金規正法の立法趣旨を説き、反訴原告吉田から渡辺議員に密かに交付された8億円は政治資金でありながら届出がなされない点において「裏金」であり、その授受を規制できないとする解釈は政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならないと批判し、さらに、この批判は主権者として期待される働きであり反訴被告らが前件訴訟を提起したのは間違っている、と論じた(乙7。以下「本件ブログ7」という。)。
ウ そうしたところ、反訴被告らは、同年8月29日、別紙訴えの追加的変更申立書を裁判所に提出し、本件ブログ4及び7における記述が反訴被告らの名誉を毀損するなどとして請求の原因を追加するとともに、反訴原告に対する従前の請求額を三倍増し、請求金額を反訴原告各自につき3000万円(計6000万円)に拡張した(乙8の1。以下「本件請求拡張」という。)。
なお、本件請求拡張後の請求の原因については、同日付の「原告第2準備書面」(乙8の2)が全面的に引用されている。

3 前件訴訟の経過と顛末
(1) 反訴被告らの敗訴確定
2015年9月2日、東京地方裁判所は、反訴原告の訴え却下の申し立ては斥けた上で、反訴被告らの請求を全面的に棄却する判決(甲1。以下「本件一審判決」という。)を下した。
反訴被告らは、本件一審判決を不服として、2015年9月15日、東京高等裁判所に控訴を申し立てた。
2016年1月28日、東京高等裁判所は、反訴被告らの控訴を棄却する判決(甲2。以下「本件控訴審判決」という。)を下した。
2016年2月12日、反訴被告らは、本件控訴審判決を不服として最高裁判所に上告受理申立書を提出した。
最高裁判所は、同年10月4日付で上告不受理決定(甲3)をなした。これにより、前件訴訟における反訴被告らの敗訴が確定した。

(2) 関連訴訟等
ア 反訴被告らは、前件訴訟の提起と同時期に、反訴被告吉田の告白記事を契機としてなされた反訴被告らの言動を批判するブログもしくは雑誌記事に対し、反訴原告が知り得たものだけでも9件の名誉毀損訴訟を提起している。これら訴訟は、概ね反訴被告らが敗訴している。
イ また、反訴被告らは、前件訴訟の控訴審判決が出るや、2016年2月12日、反訴被告DHCのウェブサイト上に、反訴被告吉田が執筆した「会長メッセージ」と題する文章を掲載した。
上記文章において、反訴被告吉田は、政界、官僚、マスコミ、法曹界には在日が多く、裁判官も在日、被告側も在日のときには提訴したこちら側が100%の敗訴になる、と主張した(乙9の1)。
ウ さらに、同月21日には、反訴被告らは、反訴被告DHCのウェブサイト上に、反訴被告吉田が執筆した「スラップ訴訟云々に関して」と題する文章を掲載した。
上記文章において、反訴被告吉田は、反訴原告を「虚名の三百代言ごとき」「反日の徒」などの侮辱的表現を用いて罵倒したうえ、「どこの国の人かわからないような似非日本人が跳梁跋扈している世の中には私は断固反対します」と述べていた(乙9の2)。

4 前件訴訟提起と本件請求拡張の違法性
(1) 最高裁判所の判例
最高裁1988(昭和63)年1月26日判決(民集42巻1号1頁)は、訴訟提起が違法となる場合について、以下のとおり判示している。
「民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」

(2) 前件訴訟等の違法性
前件訴訟において反訴被告らが主張した権利が事実的、法律的根拠を欠くものであったことは、すでに反訴被告らの請求を棄却する判決が確定したことによって明らかであるが、反訴被告らの前件訴訟の提起及び本件請求拡張(以下、両者を合わせて「前件訴訟等」という。)は、わが国の判例法理を無視した正当な論評に対する不合理(敗訴必然)な訴訟行為であり、通常人であれば、反訴被告らの主張する権利等が事実的、法律的根拠を欠くものであることを、容易に知り得たものである。
また、仮にそうでないとしても、反訴被告らの前件訴訟等は、勝訴判決により権利を回復することを主たる意図としたものではなく、反訴被告らに対する批判者を被告の席に座らせること、また、その可能性を示すことによる批判言論の封殺を意図してなされたものであり、上記最高裁判決が言うところの「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」違法な行為に当たるものである。とりわけ、本件請求拡張による請求額の増額は、この点が顕著である。
以下、詳述する。

(3) 反訴被告らの主張する権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
ア 本件ブログ1ないし3を対象とする請求について
(ア)本件ブログ1ないし3が論評であること
本件ブログ1は、反訴被告吉田が本件手記により週刊誌に自ら告白した事実をもとに、反訴被告吉田の行為は政治を金で買おうとしたものであり、渡辺議員とともに反訴被告吉田の行為も徹底的に批判されなければならない、との意見を表明したものである(乙3の1)。
また、本件ブログ2及び3は、本件手記の内容と関連のある渡辺議員の「ヨッシー日記」や全国紙の社説の論評について反訴原告の意見を表明するとともに、これに付随して、本件ブログ1で述べた反訴被告吉田の告白事実に対する批判を再述したものに過ぎない(乙3の2?3)。
本件ブログ1ないし3が、いずれも、主に反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実を前提とする、反訴原告の意見を表明した論評であり、反訴被告吉田の告白事実とは無関係な事実の一方的な摘示や、告白された事実とは無関係な事実を前提になされた批判でないことは、本件ブログの一般的な読者において容易に認識しうるものであった。
(イ)公正な論評の法理が確立した判例となっていること
意見表明による名誉毀損の場合には、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であるときには、論評の範囲を逸脱したものでない限り、違法性はなく、むしろ健全な民主主義の発展にとっては必要不可欠な行為だとするのが「公正な論評の法理」であり、わが国における確立した判例(最高裁1989(平成元)年12月21日判決(民集43巻12号2252頁など)となっているところである。
(ウ)権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
本件ブログ1ないし3において反訴原告が行った論評は、政治家と規制の厳しい健康食品を製造・販売する大企業の代表者との不明朗で多額な金銭貸付の違法性、政治資金規正法を厳格化する必要性の有無など、いわゆる「政治とカネ」の問題に関係する、民主主義の根幹に関わる極めて公共性の高いテーマに関する主張であった。これが公益目的の論評であることは、その内容からしても、また、本件ウェブサイトがこれまでに取り上げてきたテーマとその真っ当な論述内容からしても、疑う余地のないところである。
そして、反訴原告が論評の前提とした事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実や、公刊されている新聞紙上に掲載された記事、反訴被告DHCにおいて過去に存在した事実、又は公知の事実であったから、論評の前提事実の真実性については、前件訴訟等においてそもそも検討する必要のないものであった。
このように、本件ブログ1ないし3は、公益目的であること、前提事実に真実性があることがいずれも明らかであったから、公正な論評の法理により違法性が否定されることも明らかであった。
したがって、反訴被告らの、前件訴訟等における、本件ブログ1ないし3が反訴被告らの名誉を毀損する旨の主張は、事実的、法律的根拠を欠くものであることを、通常人であれば容易に知ることができた。
(エ)反訴被告らがあえて前件訴訟を提起したこと
反訴被告らは、本件ブログ1ないし3が反訴被告吉田の告白事実を邪推して誤った事実を摘示するものだと主張し、その表現の一部を捉えて反訴被告らの名誉を侵害しているとし、さらに加えて、各論評は公共の事実に関するものではなく、公益目的でもないとまで強弁して、前件訴訟を提起した。
反訴被告らは、その主張する権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえて前件訴訟等を行ったものである。

イ 本件ブログ4及び7を対象とする請求について
(ア)本件ブログ4及び7が論評であること
本件ブログ4は、反訴被告らが前件訴訟を提起したことを前提事実として、民主主義社会における言論の自由、批判の自由の重要性を述べるとともに、前件訴訟の提起は反訴原告の言論を封殺しようとするものだと批判する意見を表明したものである(乙5の1)。
本件ブログ7は、政治資金規正法の立法趣旨から、反訴原告吉田から渡辺議員に8億円もの貸付を行った行為が規正できないのでは政治資金規正法をザル法に貶めることになると批判し、さらに、そのような批判の声を挙げることは主権者として期待される働きであり、これに対して反訴被告らが前件訴訟を提起したことはスラップであり間違っている、との意見を表明したものである(乙7)。
本件ブログ4及び7が、いずれも反訴被告らが前件訴訟を提起した事実や反訴被告吉田の告白事実を前提とする、反訴原告の意見を表明した論評であることは、本件ブログの一般的な読者において容易に認識しうるものであった。
(イ)権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
本件ブログ4及び7において反訴原告が行った論評は、本件ブログ1ないし3でも論じた政治とカネの問題に加え、そのような問題について批判し声を上げることが重要であることや、経済的強者が批判を封じる目的で提起するスラップ訴訟が許されるべきでないという、表現の自由と裁判制度のあり方の問題に関するものであり、いずれも公共性の極めて高いテーマに関する主張であって、その内容に照らし、公益を目的とする論評であることは明らかであった。
また、反訴原告が論評の前提とした事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実に加え、反訴被告らが前件訴訟を提起した事実であり、真実性に疑いの余地はなかった。
このように、本件ブログ4及び7は、公益目的であること、前提事実に真実性があることがいずれも明らかであったから、公正な論評の法理により違法性が否定されることも明らかであった。
したがって、反訴被告らの、前件訴訟等における、本件ブログ4及び7が反訴被告らの名誉を毀損する旨の主張は、事実的、法律的根拠を欠くものであることを、通常人であれば容易に知ることができた。
(ウ)反訴被告らがあえて本件請求拡張を行ったこと
反訴被告らは、前件訴訟はスラップ訴訟であり訴権を濫用するものだとした反訴原告の本件ブログ4ないし6による論評に対して、反訴被告らの名誉侵害を拡大するもので許されないとしてその中止を求め、反訴原告がこれに異議を述べて批判を継続するや、本件ブログ4及び7に反訴被告らの名誉を棄損する部分があるとして、従前の請求額を三倍増する本件請求拡張を行った。
反訴被告らは、その主張する権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえて本件請求拡張を行ったものである。

ウ 小括
以上のとおり、反訴被告らの前件訴訟等は、権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえてなされたものであるから、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く違法なものというべきである。

(4) 前件訴訟等の主たる目的が批判的言論の封殺にあったこと
ア 十分な検討を行った形跡がないこと
反訴被告らの請求に事実的、法律的根拠があるか否かについて、反訴被告らが十分な検討を行った形跡はない。
反訴原告が本件ブログ1ないし3を掲載したのは、それぞれ、2014年3月31日、同年4月2日、同月8日のことであった。これに対して、反訴被告らが前件訴訟を提起したのは同月16日、本件ブログ3の掲載からわずか8日後であった。
また、反訴原告が本件ブログ4及び7を掲載したのはそれぞれ同年7月13日、同年8月8日であったが、反訴被告らが本件請求拡張を行ったのは同月29日であり、本件ブログ7の掲載から21日後であった。
このように、反訴原告が本件各ブログを掲載してから反訴被告らが前件訴訟等を行うまでの期間は極めて短かった。
また、この種の事案においては、訴訟提起前に本件各ブログの削除を求める通知を送付するなどして事前交渉を行うことが通常となっているが、反訴被告らは、事前交渉を経ることなく、突然前件訴訟を提起している。
反訴被告らが十分な検討を行った形跡がないことは、前件訴訟等が反訴被告らの権利救済を目的とするものではなく、反訴原告を提訴による精神的、経済的負担によって威嚇し、反訴原告の批判的言論を封殺する目的のものであったことを裏付けるものである。

イ 本件請求拡張を行ったこと
反訴被告らは、前件訴訟の提起後、前件訴訟はスラップ訴訟であって裁判の濫用であるとした反訴原告の論評(本件ブログ4ないし6)に対して、反訴被告らの名誉侵害を拡大するもので許されないとしてその中止を求め、反訴原告がこれに異議を述べて批判を継続するや、本件ブログ4及び7が原告の名誉を毀損するなどとして、従前の請求額を三倍増する本件請求拡張を行った。
しかし、本件ブログ4及び7における吉田の告白事実に対する批判部分は、本件ブログ1ないし3の再述(要約)にすぎず(反訴原告はブログ中にこのことを明記している)、論旨の中核はスラップ訴訟批判である。
しかるところ、前件訴訟がスラップ訴訟に当たるという指摘は、論評以外の何物でもない。この論評の前提事実に真実性が備わり、論評の公共性、公益目的性の各要件を充足していることも論を待たない。
結局、反訴被告らは、反訴原告のスラップ訴訟に関する論評を封じる目的だけの理由から、その請求額を、名誉毀損の裁判では到底容認される見込みのない6000万円にまで増額し、反訴原告を威圧しようとしたのである。

ウ 反訴被告らが前件訴訟等を含め合計10件の訴訟を提起していたこと
反訴被告らは、本件名誉毀損訴訟を提起した際、これとほぼ同時に、反訴被告らに対する批判的言論を行った者に対する9件の名誉毀損訴訟を提起していた。
この事実は、反訴被告らが、反訴被告らに対する批判的な言論を許容しないという姿勢をとり、批判的言論の具体的内容いかんにかかわらず名誉毀損訴訟を提起する方針をとっていたことを示している。

エ 本訴における反訴被告らの主張
反訴被告らの前件訴訟等の目的が反訴原告の言論封殺にあったことは、本訴の訴状における文言の端々にも現われている。
例えば、反訴被告らは、本訴訴状の請求の原因第5項において、反訴原告の本件ブログについて「このような事実無根の誹謗中傷をネットに書き散らす行為が許容される事態は社会的に問題である」と主張しているが、この主張は、正当な論評とそれによる社会的評価の低下に関する判例法理に対して反訴被告らが未だに無理解であることを露呈させており、今後も反訴被告らを批判する正当な論評に対して反訴被告らが名誉棄損訴訟を提起するおそれのあることが懸念される。
さらに、請求の原因第7項には、反訴原告が「自身のブログにおいて、性懲りもなく、未だに原告らの提訴がスラップ訴訟である旨主張し続けており」との記載がある。前件訴訟等がスラップ訴訟であるか否かに関する本件ブログの記載が適法な論評であったことは、すでに判決において正当に認定されたところであるが、「性懲りもなく」との表現は、あたかも反訴原告の方が違法な行為をしているかのように示唆するものである。
これら請求の原因の記載は、反訴被告らが、反訴被告らに対する論評が適法なものであるか否かに関わらず許容する意志がなく、「事実無根の誹謗中傷」として提訴対象とする姿勢を有していることを示している。
なお、反訴原告は、健全な司法制度の維持、発展のためには、弁護士として、引き続きそのことを主張し続ける必要があると考えている。その内容の妥当性は、賢明な読者が判断するものである。

オ 小括
以上に述べた事実に加え、反訴被告らが前件訴訟等において本件ブログの公共性や公益目的性に関して行った不合理な強弁などに照らせば、反訴被告らは、批判的な言論を行った反訴原告を訴訟の被告とすることによって精神的、経済的その他の負担をかけることによる威圧効果を狙って前件訴訟等を提起したものと考えられる。
すなわち、前件提訴等は反訴原告の言論を封殺することを主たる目的としてなされたものであり、反訴被告らの権利救済を意図したものではなかった。
このような裁判の利用は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものであり、前掲の1988(昭和63)年最高裁判決が違法と判示するところである。
なお、反訴被告らは、本訴の訴状において、前件訴訟が不適法却下されなかったことをもって前件訴訟等の違法性を否定する主張をしているが、訴訟の却下要件と違法提訴の判断基準は異なるものである。
そもそも、裁判所が反訴原告のスラップ訴訟の主張を容れず実体判断に至った理由には、わが国でのスラップ訴訟に関する裁判例が乏しいことも一因としてあったと考えられるが、何よりも、(スラップ訴訟を規制する立法により訴訟却下の要件が法律により定められている諸外国の場合とは異なり)原告の請求がスラップ訴訟に該当するかどうかを判断するためには結局のところ本案の実体判断に入らざるを得ないというわが国の訴訟法の構造上の問題がある。
本件一審判決における実体判断の説示内容は、反訴被告らが名誉毀損に当たると主張した記述は反訴被告らに関係のない記述か、又は、反訴被告吉田の告白事実に関する意見であった、ということで一環しており、本件が、勝訴の見込みのないスラップ訴訟であったことを十分に窺わせるものとなっている。本件高裁判決の説示は、この点がなお一層顕著である。

(5) 本件提訴等は条理(「裁判を受ける権利」に優越する「言論の自由」)に違反する行為であったこと
仮に、反訴被告らに反訴原告の言論を封殺しようという目的があったとまでは認められないとしても、以下に述べるとおり、前件訴訟等は、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」というという条理に違反してなされた違法な行為(「裁判を受ける権利」に優越する「言論の自由」の侵害)であった。

ア 条理の存在
(ア)高度に公共的な事項や公人に対する批判的な意見ないし論評の重要性
憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。
表現の自由を支える社会的価値として、?個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値(自己実現の価値)と、?言論活動によって国民が政治的意志決定に関与するという民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)があり、これによって表現の自由は、他の諸権利よりも優越的な地位にあるものと位置付けられている。
さらに、表現の自由の意義として、各人が自己の意見を自由に表明し競争することによって真理に到達することができる、という「思想の自由市場論」が提唱されており、ここからも表現の自由の優越的地位を導くことができる。
高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は、権力者や社会的強者に対して主権者たる市民が世論を喚起して対抗するための重要な手段であり、表現活動の中でも特に「自己統治の価値」の側面を強く有するものである(本件ブログ6で引用されている丸山眞男の著述参照)。
したがって、高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は、表現行為の中においても特に重要なものとして手厚い保障を与えるべきとされる。
(イ)名誉毀損訴訟が表現活動を抑圧し萎縮させる効果を持つこと
公共的な言論に対して名誉毀損訴訟が提起されると、表現活動を行った者は否応なく被告の立場に置かれ、応訴を強いられることになる。訴訟を提起されることは、弁護士であるか否かを問わず、万人にとって極めて不快なことであり、応訴のために費やさなければならない金銭、時間、労力は決して小さなものではない。
さらに、提訴された当事者に限らず、社会一般の表現活動に萎縮効果をもたらすことも重大である。被提訴者がいわば見せしめとなり、同様の見解を持っていたマスコミや市民は「同じ目には遭いたくない」と思いから萎縮し、公共的な言論を控えることで世論は不活性化し、市民は共同体意識を失って民主主義は衰退するのである。
(ウ)小括
健全な民主主義を維持、発展させるためには、高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は表現行為の中においても特別に保護される必要があるが、他方、裁判制度にアクセスし易い公人や経済的強者は、自己の批判を名誉毀損訴訟で封ずる誘惑に駆られることが多い。しかし、このような訴訟の提起を常に容認することは、表現者に過酷な応訴負担、マスコミを始めとした社会一般に言論萎縮の効果をもたらす結果となり、個人の自己統治、自己統治された個人の参加による民主主義の実現を失わせることとなる。
ここから、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」との条理が導かれるものである。

イ 前件訴訟等の対象がいずれも高度に公共的な事項や公人に対する批判的な意見ないし論評であったこと
本件ブログ1ないし3は、反訴被告吉田が週刊誌に公表した手記(国会議員に対する8億円という巨額資金の密かな貸付)を題材に、政治の過程における政治と金銭、いわゆる「政治とカネ」の問題について反訴原告の批判的な意見ないし論評を記載したものである。
「政治とカネ」の問題は、民主政の根幹に関わる重大なテーマであり、高度に公共的な事項といえる。
また、反訴被告DHCは、健康食品業界におけるトップ企業の一つとして社会に広く知られ、反訴被告吉田はそのオーナーかつ代表者で、政治家に対して8億円もの貸付けを行ったことを週刊誌に公表した者なのであるから、いずれも公人ないし公人に準ずる者であり、政治をその資金力で左右する可能性を持つ経済的強者である。
本件ブログ4及び7は、反訴被告らの本件提訴等について、これが言論封殺の効果を有するいわゆる「スラップ訴訟」に当たるとの観点から、批判的な意見ないし論評を記載したものである。
スラップ訴訟は、裁判制度のあり方や、表現の自由と裁判制度の関わり方に関するものであり、高度に公共的な事項に当たる。

ウ 前件訴訟等が条理に違反すること
以上のとおり、反訴原告の本件各ブログは、いずれも高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評であったところ、前件訴訟等は、この批判的な意見ないし論評に対して提起された名誉毀損訴訟である。
反訴原告の本件各ブログの前提事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら告白した事実や、前件訴訟が提起された事実などであり、いずれも真実性は明らかであった。
したがって、本件提訴等は、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」という条理に違反してなされたものであり、違法な行為であった。

5 反訴原告の損害
(1) 前件訴訟等に応訴するための弁護士費用:500万円
反訴被告らが前件訴訟を提起し、さらに本件請求拡張を行ったことにより、反訴原告は、弁護士を代理人として反訴被告らの請求を争わなければならなかった。本件名誉毀損訴訟では、計110名の弁護士が反訴原告の代理人に就任しているが、これら代理人に対する弁護士費用の支払いは、前件訴訟等の提起がなければ発生することのなかった費用である。
(旧)日弁連報酬等基準規程によれば、経済的利益の額が6000万円の場合における弁護士費用の標準額は、着手金249万円、報酬金498万円とされている(いずれも税別)。上記規定は2004年4月1日に廃止されたが、適正な弁護士費用を算定するための基準として、現在も広く用いられている。
本件名誉毀損訴訟では、反訴被告らの請求額6000万円が経済的利益の額となるから、記述の削除や謝罪広告等の請求を考慮しない場合でも、標準的な弁護士費用は着手金249万円、請求を排斥したことによる報酬金498万円(いずれも税別)である。
したがって、本件名誉毀損訴訟に応訴するための弁護士費用として反訴被告らの不法行為と相当因果関係のある損害は、少なくとも500万円を下るものではない。

(2) 精神的損害:500万円
反訴被告らが不当な前件訴訟等を行ったことにより、反訴原告は、応訴による肉体的、時間的、精神的負担を余儀なくされた。しかも、請求額が6000万円という高額なものだったことから、反訴原告の精神的負担は極めて大きなものとなった。
この反訴原告の精神的損害に対する慰謝料の額は500万円を下らない。

(3) 本訴訟提起のための弁護士費用:100万円
反訴被告らの不法行為に対する損害賠償請求のため、反訴原告は本件反訴を提起せざるを得なかった。反訴被告らの不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は100万円を下らない。

9 結語
よって、反訴原告は、不法行為に基づき、反訴被告らに対して、上記損害の一部請求として、連帯して660万円及びこれに対する反訴被告らが本件名誉毀損訴訟における請求を拡張した日である2014年8月29日から支払済みまで年5%の割合による遅延損害金の支払いをもとめる。
以上

日本軍による久米島住民虐殺事件

本日のブログは、宮川泰彦さんの論稿「日本軍による久米島住民虐殺事件」の転載。
宮川さんは、かつて東京南部法律事務所という共同事務所で席を並べた同僚弁護士。沖縄出身で、父君も自由法曹団員弁護士と聞いていた。沖縄出身の弁護士といえば、まずは徳田球一である。そして、古堅実吉、照屋寛徳なども。闘士然としたイメージがまとわりつくが、宮川さんは温厚な人柄。少し前まで自由法曹団東京支部長で、それを降りた後に日朝協会東京都連会長を務めている。

宮川さんの母方のルーツは久米島とのこと。久米島は、「沖縄本島から西に約100km、沖縄諸島に属する島で、最も西に位置する島である。人口は1万人弱で、行政上は島全域が久米島町に含まれる。面積は59.53K?で、沖縄県内では、沖縄本島、西表島、石垣島、宮古島に次いで5番目に大きな島である。(ウィキペディア)」という。島は、元は二つの村からなり、宮川さんの祖父に当たる方が、一村の村長だったという。その島で、終戦時に複数の住民虐殺事件があった。加害者は本土の軍人。宮川さんならではの押さえた筆致が、生々しい。

とりわけ、終戦後に朝鮮出身者の一家7人がいわれなき差別観から、皆殺しの惨殺(後記の?事件)に至っていることが、なんともいたましい。驚くべきことは、戦後加害者に謝罪も反省の弁もないことだ。沖縄の住民の本土に対する不信の念の根はこんなところにあるのだろう。そして、言い古されたことだが、「軍隊はけっして住民をまもらない」ことをあらためて確認すべきだろう。

論稿は、自由法曹団東京支部の「沖縄調査団報告集」の末尾に掲載されたもの。
自由法曹団東京支部は、今年(2017年)9月16日(土)から18日(月・祝)にかけて、沖縄本島に支部所属の若手団員及び事務局員等総勢23名からなる調査団を派遣し、関係各所を訪問した。若手とは言いがたい宮川さんもその一員として訪沖し、久米島(戦争)犠牲者追悼碑に祖父(久米島具志川村長)の名を確認し手を合わせたところから筆が起こされている。以下に、宮川さんのご了解を得て転載する。
(2017年11月10日)

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日本軍による久米島住民虐殺事件

みやがわ法律事務所 宮川 泰彦

「平和の礎」久米島犠牲者追悼碑に刻まれた濱川昌俊(私の祖父・久米島具志川村長)と濱川猛(伯父・軍医)の名を確認し手を合わせた。
その際にガイドの横田政利子さんから「この久米島の追悼碑には、軍によって殺された島民の名も刻まれている」との説明を受けた。私の母の故郷である久米島で日本軍による虐殺があったことはきいてはいたが、正しくは知らない。そこで簡略ではあるが、自分なりに確認してみた。

<久米島の日本軍と米軍無血上陸>
久米島は沖縄本島の西、那覇市から約100キロにある周囲48キロの島。島には日本海軍が設置したレーダーを管理運営する通信兵の守備隊30名ほどが配置されていた。隊長は鹿山海軍兵曹長。
1945年6月に入り、米軍は久米島を攻略するために偵察部隊を上陸させ、情報収集するため島民を拉致し情報を得た(後記?事件)。さらに、米軍は、後記?事件の仲村渠らからの情報も得ており、久米島には通信兵などの守備兵がわずかしかいないことを把握していたことから、艦砲射撃などは行なわず、無血無抵抗のまま6月26日間島に上陸し占鎖した。久米島守備隊は何ら抵抗せず、山中に引きこもった。

<スパイ容疑虐殺方針>
米軍は、無血上陸前の6月13日夜、ゴムボートで偵察隊を島に送り、比嘉亀、宮城栄明ら3名を連行した。翌14日解放された宮城は農業会仮事務所へ行き、米軍に連行された事実を報告した(後記?事件参照。)。

鹿山隊長は、その翌日6月15日付で、具志川村・仲里村(当時の久米島の2村)の村長、警防団長宛てに「達」を発し、さらに軍布告で「拉致された者が帰宅しても、自宅にも入れず、直ちに軍駐屯地に引致、引き渡すべし。もしこの令に違反した場合は、その家族は勿論、字区長、警防班長は銃殺すべし」とした。
以降悲惨な虐殺が続く。

? 6月27日 安里正二郎銃殺
久米島郵便局に勤務していた安里正二郎は上陸した米兵に見つかり、アメリカの駐屯地に連行され、鹿山隊長宛ての降伏勧告状を託された。安里は隊長のもとに持参したところ、鹿山隊長に銃殺された。鹿山は1972年に行なわれたインタビューで「島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするための断固たる措置」だったと語っている。見せしめにしたのだ。

? 6月29日 宮城栄明、比嘉亀の家族、区長、警防団長ら9名虐殺
比嘉一家4人、宮城一家3人、さらに区長と警防団長も責任をとらされ、9名が銃剣で刺殺された。9名は宮城の小屋に集められた。刺殺した鹿山らは、火を放って立ち去った(廃山は火葬だと言い放っていたそうだ。)。黒焦げの死体は針金で縛られ、それぞれ数か所穴があいていた。

? 8月18日 仲村渠(なかんだかり)明勇一家虐殺
明勇は、海軍小禄飛行場守備隊に配属され、6月はじめに捕虜となり収容所に入れられた。部隊で負傷し米軍に収容されていた比嘉氏とともに、我々の一命にかえても久米島への攻撃を中止させたいということを、通訳を通して米軍に懇願していた。その結果「君たちふたりが道案内するならば艦砲射撃は中止する」ということになった。明勇は、米軍の久米島攻略に道案内として同行し、久米島は無防備の島であることを説明した。そして久米島は米軍の総攻撃の難を逃れた。明勇は、住民に対し、「戦争は終わった、安心して山から帰宅するように」と声をかけまわった。
しかし、仲村渠明勇は鹿山隊に捕まり、米軍のスパイとして、妻、1歳の子とともに、手りゆう弾で爆殺された。

? 8月20日 谷川昇一家7名虐殺
朝鮮釜山出身の行商人谷川(戸籍名は具仲会)は、妻ウタ(旧姓知念)と長男(10才)、長女(8才)、二女(5才)、二男(2才)と赤ん坊の7名の家族。日本軍からは、谷川は朝鮮人だからスパイをやりかねないと早くから目をつけられていたうえに、行商の品物が米軍からの供与品ではないかと疑われ、谷川はおびえていた。地元の警防団長は一家がかたまっているのは危険だから、散らばって身をひそめるようアドバイスした。8月20日夜になって日本軍は捜索にやってきた。谷川は長男を連れて逃げたが捕えられ、首にロープをかけられ数百メートル引きずられて死亡した。長男は銃剣で刺殺された。妻のウクは赤ん坊を背負い、2歳の二男を抱いて逃げたが捕えられ首を斬られ、泣き叫ぶ二男と赤ん坊もウタの死体の上に重ねて切り殺された。長女と二女は、裏の小屋に隠れていたが、不安にかられて外へ出たところを捕えられ、両親のいる方向へ連れていかれる途中で斬殺された。この日は月夜で、月光の下での虐殺を多くの住民が目撃している。

<これらの事件の特徴>
(1) 赤ん坊から大人まですべてがスパイ容疑者とされ、虐殺されたこと。
(2) すべての虐殺が、1945年6月23日(牛島中将と長参謀長が自決した日)の日本軍が組織的戦闘を終えた日、沖縄戦の終結の後に行なわれていること。上記?、?の虐殺は8月15日の太平洋戦争終結(天皇の玉音放送)の後であること。
(3) 何故戦争が終わっても住民を虐殺したのか。
この点につき、鹿山は「われわれの隊は30名しかいない。相手の住民は1万人いる。地元の住民が米軍側についたら、われわれはひとたまりもない。だから、見せしめにやった」とマスコミのインタビューに答えている。なお、鹿山は1972年のインタビューで、「私は悪くない」「当然の処罰だったと思う」などと、平然と答えている。
日本軍の正体を率直に表していると思う。

以上、佐木隆三「証言記録沖縄住民虐殺」新人物往来社、大島幸夫「沖縄の日本軍」新鮮社、編者・上江洲盛元「太平洋戦争と久米島」、wikipedia「久米島守備隊住民虐殺事件」などから引用して整理してみた。

ありがとう。みんなあなたのおかげです。

叩かれ続けて逃げまくり
それでも選挙に勝てたのは
北朝鮮のおかげです
核とミサイルぶっ放す
金正恩さんよありがとう

改憲発議の議席数
危ない選挙でとれたのは
北朝鮮のおかげです
核とミサイルもてあそぶ
金正恩さんよありがとう。

防衛予算を拡充し
兵器をたくさん買えるのも
北朝鮮のおかげです
核とミサイル大好きな
金正恩さんありがとう

憲法9条改正し
ああ堂々の自衛隊
国防軍にもできるのは
北朝鮮のおかげです
金正恩さんありがとう

大浦湾を埋め立てて
辺野古の新基地作るため
デモ隊弾圧できるのも
北朝鮮のおかげです
金正恩さんありがとう

ホントは誰が悪いのか
ホントは誰のおかげやら
かんがえ出すと難しい
それでもこの際
当てつけに
北朝鮮のおかげです
金正恩さんありがとう

甘い日本だけでなく
渋い韓国ともどもに
兵器買わせてボロ儲け
こんな商売できるのも
北朝鮮のおかげです
金正恩さんありがとう

平和な世界は儲からぬ
緊張緩和は儲からぬ
テロがなくては儲からぬ
儲けのタネをばらまいた
北朝鮮よありがとう
金正恩さんありがとう
ホントにホントに
ありがとう。

なにをおっしゃるトランプさん
それにくっつくシンゾーさん
平和でこまるはお互いさまよ
緊張あるから国がもつ
緊張あればの権力安泰
お二人さんには大感謝
トランプさんよありがとう
シンゾーさんもありがとう
ホントにホントに
ありがとう。
(2017年11月9日)

学校儀式における「日の丸・君が代」の呪縛

本日(11月8日)の赤旗「学問文化」欄に、有本真紀立教大学教授の「学校儀式」に関する論文が掲載されている。連載企画「統制された文化」の一論稿。タイトルは、「権力を追認させ批判くじく」とつけられている。簡潔に学校儀式の歴史をまとめて述べた後、「集団化徹底の卓越した技術」との小見出しで次のようにまとめられている。

「儀式は、参加者に様式化された身体行為を課し、批判的な思考をくじく方法である。人びとが儀式に参集し、同じ対象に向かって一緒に同じ所作を行い、同じ言葉を発する。それ自体が権力を成立させ、追認させるのだ。さらに、儀式にはタブーが伴い、その徹底が聖性を生み出す。

人びとは、価値観や信念など共有していなくても、儀式でともに行為し、タブーを守ることによって、連帯する集団の一員と化してしまう。『一同礼』『斉唱』と声がかかれば、それに応じないという行為が、その人の人間性や能力、主義主張の現れだとみなされる。日本の学校は、儀式という卓越した集団化、国民統合の技術を駆使してきた。

儀式の時空において、ともに同じ行為をくり返すことで、子どもの身体は『ぼくたち/私たち』の身体へと束ねられた。
祝日大祭日儀式や教育勅語が廃止されて70年余り。しかし、学校は儀式の呪縛から解かれたのだろうか。人間社会から儀式が消滅することはないが、改めて現代の学校儀式を問い直す必要があるだろう。」

まったく同感であり、優れた論稿だと思う。論者の専門は、「歴史社会学」だという。論稿には、戦後の学校儀式の中心に位置している「国旗・国歌」あるいは「日の丸・君が代」への言及がない。しかし、まさしく国旗・国歌(日の丸・君が代)斉唱の強制こそが、問い直されなければならない。
私なりに再構成させてもらえば、次のようなことになろう。
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「日の丸に正対して起立し君が代を斉唱するという儀式的行為は、参加者に様式化された身体行為を課し、批判的な思考をくじく方法として有効であればこそ、全国で採用され、強制されている。人びとが卒業式という学校儀式に参集し、号令のもと一斉に起立して国家の象徴である国旗(「日の丸」)に正対し、威儀を正して一緒に声を揃えて国家の象徴である国歌を唱う。同一の集団に属する者が、同じ所作を行い同じ言葉を発すること、それ自体がその集団に属する者に対する権力を成立させ、あるいは国家主義的権力を追認させるのだ。
さらに、儀式にはタブーが伴う。仰ぎ見ることを強制される国旗(「日の丸」)は、大日本帝国の国旗でもあった。帝国が国是とした侵略戦争の象徴でもある。この旗の真紅は、戦争に倒れた無数の人々の犠牲の血を連想させるが、これを口にしてはならない。国歌(「日の丸」)は天皇への讃歌だ。神の子孫であり、自らも現人神と称したその天皇を讃える聖歌。かつての臣民が天皇を貴しとして唱った歌が、国民主権の今の世にふさわしからぬことは自明なのだが、それを口にしてはならない。そのタブーを共有し徹底することが儀式の聖性を生み出す。

生徒も父母も、校長も教員も、そして来賓も、つまりは学校を取り巻く社会が、一人ひとりは価値観や信念など共有していなくても、卒業式で、起立して一緒に君が代を唱うという行動を通じ、国家や天皇や現行社会秩序への抵抗をもたないと宣誓することによって、連帯する集団の一員と化してしまうのだ。『一同起立』『国歌斉唱』と声がかかれば、それに応じないという行為が、その人の人間性や能力、そして、国家や社会に従順ではない主義主張の現れだとみなされる。

世界に冠たる「踏み絵」という内心あぶり出しの技法を編み出した日本の権力者の末裔は、学校という場において、学校儀式という卓越した集団化、国民統合の技術を開発し駆使してきた。その儀式の時空において、ともに同じ行為をくり返すことで、子どもの身体は個性主体性を削ぎ落とされて、『ぼくたち/私たち』の身体へと束ねられた。かつては臣民の一人として。今は従順なる国家権力の僕として。
(2017年11月8日)

トランプを歓迎した日本政府と、トランプに抗議する韓国の民衆。

歓迎すべからざる不作法な人物が、慌ただしく東から来て、名残惜しげに西に去った。
ほぼ48時間の滞日中のなんとも不躾な振る舞いは、とうてい大国の大統領とは思えない。どう見ても、ふてぶてしい殺戮兵器の悪徳商法セールスマン。自分で戦争の緊張を煽っておいて、心配だろうから際限なく武器を買えという、この上ない厚かましさ。

この厚かましい悪徳セールスマンに、プライドを捨てて腰をかがめ、にやけた表情を崩さなかった情けない男が、我が国の首相である。これまた、一独立国のトップの姿とは思えない。まことに、ジャイアンとスネ夫の関係を彷彿とさせる。

イバンカ、トランプ、メラニーのもてなしぶりは、屈辱以外の形容をもたない。日本国民として赤面せざるを得ない。

そのトランプの世論調査による支持率について、米紙ワシントン・ポストが5日伝えるところでは、「過去70年で最低 支持率37%」だという。「就任から同時期の過去約70年の歴代大統領で最低の37%だとする世論調査結果を発表した。不支持率は59%だった。」「35%が業績を高く評価すると答えたが、65%は否定的な見解を示した。前政権が導入した医療保険制度(オバマケア)の見直しなど重要公約が軒並み停滞していることが主因。北朝鮮対応で、51%がトランプ氏を『全く信用できない』とした。」

アメリカ国民の過半が『全く信用できない』というトランプとの会見の結果が、以下のとおりである。
「この2日間にわたり、ドナルドと国際社会の直面する様々な課題について、非常に深い議論を行うことができました。その中でも圧倒的な重要性を占めたのは北朝鮮の問題です。十分な時間を掛けて北朝鮮の最新の情勢を分析し、今後とるべき方策について、完全に見解の一致を見ました。
日本は、全ての選択肢がテーブルの上にあるとのトランプ大統領の立場を一貫して支持しています。2日間にわたる話合いを通じ、改めて、日米が100%共にあることを力強く確認しました。」(官邸の公式ホームページから)

トランプは、「北朝鮮との戦争を選択肢として排除しない」と明言し、アベは、戦争という選択肢を含んで、「100%共にあることを力強く確認」したというのだ。かたや、なんたる醜悪。そして、こなた、なんたる邪悪。

悪徳セールスマンの本領は、日本に米国製の防衛装備品をさらに購入していくことの押しつけに表れた。トランプはアベに、「非常に重要なのは、日本が膨大な兵器を追加で買うことだ」と具体的な武器の名を挙げてたたみ込み、「そのことが米国での雇用拡大と日本の安全保障環境の強化につながる」とのセールストークを続けた。これにアベは何と答えたか。「日本の防衛力を質的に、量的に拡充していかなければならない」としたのだ。いったい誰の金を使って、誰の命を奪おうというのか。

史上最低支持率大統領を、過剰なオモテナシで歓待したのが日本政府であり、彼にふさわしい対応をしようとしているのが、韓国の民衆である。220余りに上るいわゆる市民運動を糾合して結成された「NOトランプ共同行動」が、7?8日に大々的な反トランプ都心集会を相次いで開催するという。光化門広場?青瓦台周辺?宿泊予定地を動線に合わせてついて行き反米・反戦を叫ぶ計画という。「トランプ国会演説阻止行動」まで予告し警察は最高非常体制となっており、集会の届け出はすでに100件を超えているという。そのスローガンは、「ノー・ウォー、ノー・トランプ」だ。

「戦争反対・トランプ出ていけ」「我々は戦争に反対だ。だから、戦争の危険を煽っているトランプに抗議する」「トランプよ、おまえの存在こそが戦争への危機だ」という含意。

韓国には、1年前に朴槿恵を退陣に追い込んだ「路上の民主主義」が根付いている。その草の根民主主義が、トランプに「ノー・ウォー、ノー・トランプ」を突きつけているのだ。

トランプが日本では歓待受けて居心地よく、韓国では抗議の針のムシロということのようだ。韓国の民主運動の高揚と、日本の民主運動の低迷を思うとき、韓国の民衆に敬意を表するのみである。
(2017年11月7日)

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