澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

軍需産業とアベ政権、持ちつ持たれつの緊密な関係

民主主義とは、理性にもとづく熟議によって、最大多数の幸福の実現を目指す政治過程である。これをカネの力で撹乱してはならない。少数の持てる者が、カネの力で世論を誘導し、自分に有利な有権者の投票行動に影響を与えるという現実がある。政治はカネで動くのだ。

企業や企業人は、このカネの力で政治を動かそうする衝動をもつ。企業が政治に注ぎこむカネのうち、目に見えるものを政治献金といい、裏で動く隠れたカネをワイロという。

企業の「政治献金」と「ワイロ」と、この二者は本質的には違わない。政治献金とは、実は、日常用語における賄賂だ。私はそう考えている。

ちなみに、ワイロ(賄賂)とは何か。刑法における定義ではなく、日常用語として。

広辞苑の語釈はこうだ。「不正な意図で他人に金品を贈与すること。また、その金品」。新明解は、「公務員などが職権を利用して業者に便宜をはからうことに対して受けとる、不正な金や物」。
そのほか、「職権を利用して特別の便宜を計ってもらうための、不正な贈物」「自分に有利なようにはからってもらうために贈る金品」「 自分の利益になるようとりはからってもらうなど、不正な目的で贈る金品」など。

語感は、これでつかむことができよう。要するに、「不正な見返りを求めての金品の提供」がワイロの本質と言ってよい。ならば、政権政党への企業献金は、ズバリ賄賂にほかならない。

そのような視点で、本日の毎日のトップ記事をお読みいただきたい。

「防衛献金 自民60%増」「安倍政権下 15年3.9億円 工業会31社」「予算は増加続く」という見出し。これを繋げて補うと、「安倍政権下で、防衛関連企業31社の自民党への政治献金年間額が60%増となっている」「その額2015年で3.9億円となり、防衛関連予算の増加が続いている」というもの。

安倍自民党への防衛産業からの政治献金が顕著に増加し、そのカネは防衛予算というかたちで、十分な効果を生んでいるというのだ。政治献金という名の賄賂は、政治を歪める。民主主義政治過程を撹乱すると言うだけではない。平和をも蝕むのだ。

毎日トップ記事の本文はこうだ。
「防衛装備品メーカーなどが加盟する『日本防衛装備工業会』(JADI)の会員31社が2015年、自民党の政治資金団体『国民政治協会』に計3億9000万円余を献金したことが分かった。安倍晋三内閣が15年9月に安全保障関連法を成立させたこともあり、防衛予算は増加が続く。これに歩調を合わせるように、会員による企業献金は旧民主党政権時代から60%増加しており、以前の自民党政権下の水準にまで回復した。」

「JADIは国内の防衛装備品の製造や修理などを手がける136社(正会員)が加盟し、三菱重工業会長の大宮英明氏が会長、旧防衛庁元装備本部長の野津研二氏が専務理事を務めている。15年の政治資金収支報告書によると、会員のうち31社が、自民党の企業献金の受け皿である同協会に献金していた。」

献金会社は、トヨタ自動車・キヤノン・新日鉄住金・三菱重工・日立など。いずれも「防衛装備品」の大手納入業者である。

「09年の3億8000万円余がピークだったJADI会員による同協会への献金は、民主党への政権交代によって減少。12年は約2億4000万円だったが、自民党の政権復帰後の13年に上昇に転じた。一方で会員の大半は、政権担当時を含めて民主党の政治資金団体には献金していない。国の防衛関係予算は12年度の約4兆7000億円から16年度は5兆円超まで増えており、防衛産業界の意向と政策が重なる傾向もある。JADI会員が委員に名を連ねる経団連防衛生産委員会(現防衛産業委員会)は14年2月、国の武器輸出を原則禁じた「武器輸出三原則」の見直しを自民党に提言。約2カ月後に「防衛装備移転三原則」が閣議決定され輸出が拡大した。」

以上が毎日の報道の要点。貴重な記事ではないか。主権者として、次のことを心得ておきたい。

軍需で潤っている企業がアベ自民党に献金し、アベ政権は軍事予算を増額して防衛産業を潤わせている。こうしてこそ、さらなる献金を期待できることになる。軍需産業とアベ政権、持ちつ持たれつの腐臭漂う関係なのだ。さらに、類は友を呼ぶ。軍需産業とアベ政権の腐臭に引き寄せられる者も現れる。

昨年(2016年)9月18日の当ブログが、「『弁護士バカ』事件で勇名を馳せたイナダ防衛大臣の夫は防衛産業株を保有」という記事。一部を転載しておきたい。

https://article9.jp/wordpress/?p=7458

防衛大臣が「夫名義で防衛産業株」をもっているのだ。近隣諸国との軍事的緊張が高まれば防衛予算が増額となる。そうすれば、三菱重工業・川崎重工業・IHIなどの持ち株の株価が上がる。イナダ夫妻は儲かることになる。これは、「風が吹けば桶屋が儲かる」の類の迂遠な話ではない。「雨が降れば傘屋が儲かる」ほどに必然性のある分かり易い話。防衛大臣イナダは、軍事緊張をつくり出すことで儲けることができる立場にある。反対に、近隣諸国との緊張が解けて平和な環境構築が進めば、防衛予算は削られ、防衛関連株の株価下落は避けられない。防衛大臣夫妻は、軍事緊張なくなれば損をすることになるのだ。到底「国務大臣等の公職にある者としての清廉さを保持し、政治と行政への国民の信頼を確保する」ことはできようもない。

軍需産業の献金増ではこうなる。

軍需産業献金増⇒軍需予算増⇒軍需産業好決算⇒株価騰・配当増⇒イナダ夫妻の笑み…

何度でも言わねばならない。イナダさん、防衛大臣おやめなさい。あなたにはふさわしくないのだから。
(2017年1月8日)

耳を澄ませば?「少女A(ソウル)」と「少女B(釜山)」のつぶやき

少女像A 釜山のBさん。こんにちは。私が、ソウルの日本大使館前で坐り続けている「平和の少女A」よ。

少女像B あら、ソウルのお姉様。私が、釜山の日本領事館前で坐りはじめた、「平和の少女B」です。よろしくね。

少女像A? 暮れにはハラハラしてたのよ。せっかくのあなたのデビューの日に、強制撤去されて、運び去られたと聞いたものですから。

少女像B そうなんです。12月28日「日韓慰安婦問題合意」1周年抗議の日が、私の最初のお目見えの日。この日の午後1時前に私は、初めて公使館前に姿を現したの。でもね、4時間後には釜山市と東区の職員40人もが「違法だから撤去する」と、人々を蹴散らして私をトラックに乗せて運び去ったんですよ。とてもこわかった。

少女像A 恐かったでしょうね。でも、国中の人が声を上げてあなたを帰せと言ったのね。

少女像B? その電話やメールの数がすごかったみたい。釜山市のインタネットサイトがパンクしてしまったほどですって。

少女像A それで、30日には元の場所に戻されたのね。

少女像B 12月31日の午後9時から除幕式を行うことが決められていたの。もしかしたら、私のいないさびしい除幕式になるかも知れないと悲しい思いだったけど、市民の力で像を取り返して領事館前に設置できるとなって、釜山は55000人の大集会で盛りあがった。その集会参加者がデモ行進して除幕式に駆けつけてくれたの。とても感動的で素敵なセレモニーだった。

少女像A あなたが連れ去られた12月28日は水曜日で、ソウルの私のまわりにもたくさんの市民が「水曜デモ」に集まっていた。その皆さんが、あなたのことをとても心配していたわ。その人たちも、釜山市や東区に電話でお願いや抗議をされたのでしょうね。

少女像B ところで、ソウルのお姉様はいつから、日本大使館の前に坐っていらっしゃるの?

少女像A 韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が、日本軍「慰安婦」問題解決のために、日本大使館前で水曜デモをはじめたのが1992年1月8日。2011年12月14日がその1000回目を迎えたときに私がつくられ、それ以来私は坐り続けているの。ただ黙って、大使館をじっと見ているだけなのだけど。
歩道に埋め込まれた石碑には、「水曜デモ1000回を迎えるにあたり、その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する」と韓国語・日本語・英語で刻まれてるのよ。

少女像B お姉様も私も、キム・ソギョン、キム・ウンソンご夫婦が制作されたブロンズ像よね。姉妹は今なん人いるのかしら。

少女像A 私とあなただけが有名だけど、それだけじゃない。韓国内に55人。アメリカのグレンデール市など、国外にも15人がいるそうよ。その中で、あなたが一番若いことになるけど、12月28日前には、あなたは秘密だったの?

少女像B? そうではないのよ。2015年12月に日韓慰安婦合意が「成立」した直後に、若い世代を中心に「未来世代が建てる平和の少女像推進委員会」が立ち上げられて、16年1月から募金活動をはじめているの。多くの人が、当事者を抜きにしたままで、両国の政府と政府が勝手なことをしたという怒りが大きかったのだと思う。

少女像A カンパはどのくらい集まったの?

少女像B? 目標が7500万ウォン(724万円)だったけど、8500万ウォン(820万円)が集まったの。カンパをしてくれたのは168団体、19学校、そして5138人の個人。

少女像A 私はまったく無許可だったけど、あなたの方は、像を領事館前に置くことの許可は得なかったの?

少女像B 委員会は昨年の3月から東区に対して、日本領事館前の歩道に少女像の設置を許可してほしいと要請したの。釜山市民8100人の署名を提出もした。でも、東区は少女像が道路法上の施設には該当しないという理由で建設を許可しなかった。

少女像A 本当の理由はどんなことでしょう。

少女像B 委員会と交渉した東区の区長は、最初は「日本領事館前ではダメだ。それ以外のところならどこでも許可する」と言っていたんだけど、この区長さん日本領事と面会してからは、「どこもダメ。一切ダメ」となったんですって。

少女像A それで、私と同じように、許可の無いままの設置となったというわけね。

少女像B たくさんの人の電話やメールのおかげで、立派な除幕式ができてとても嬉しい。

少女像A 年が明けてからの日本政府の対応を、あなたどう思う。

少女像B 私、日本の政府って恐い。特に、あの日本の首相は恐い。

少女像A 大使と公使を一時本国に引き揚げる、と言って実行したものね。

少女像B 「約束を実行しない韓国の方が悪い」と言うんだけど、ヘンな約束をしたのは、日本の政府と韓国の大統領でしょう。韓国の国民は、大統領のやり方を認めていない。国民も当事者も関与してないのに、「最終的かつ不可逆的に解決される」ってあり得ない。おかしいですよね。「日本大使館近くの少女像については、韓国政府が適切に解決されるよう努力する」って、これもおかしい。政府の努力ではどうにも解決できないことでしょう。

少女像A 日本の首相のものの言い方を聞いていると、「謝ってあげた」「ホントは悪いと思っていないけれど、問題を解決しなければならないから謝ることにする」「謝ったから、もうこれで終わりだ」「これ以上、うるさいことを言うな」と聞こえるのよね。この人、日本が朝鮮や韓国に何をしてきたかを真面目に知ろうとしたことがあるのかしら。

少女像B 「いいか、一回だけ謝るぞ。一回こっきりだぞ」「二度とは謝らないから、蒸し返さないと約束しろ」と、こう言うんでしょ。これ、本当に謝る人の言葉ではあり得ない。

少女像A 問題は、従軍慰安婦だけのことではないのよね。日本は、国を奪い、文化を奪い、姓や言葉まで奪おうとした。植民地化以後の独立運動に対する大弾圧、関東大震災後の在日朝鮮人の虐殺…、そのすべてを「未来志向での解決を」という言葉でごまかそうとしてもね…。

少女像B? 日本政府もひどいけど、韓国大統領も問題よね。よく分からないのは、朴大統領が、どうしてこんな「合意」を承諾したのかしら。

少女像A きっと、雲の上にいて、国民の気持ちが分からなくなってしまっているんだわ。

少女像B ね、私たちいつまで、ここに座り続けなけれぱならないのでしょうか。

少女像A 日本が、ドイツのような誠実な姿勢を見せてくれれば、私たちは、博物館か農家の庭先にでも引っ込んで余生を送ることができるんだと思うよ。私たちのとなりには、一脚の椅子があるでしょう。作者は、老いた元慰安婦の座るべき場所を象徴したそうだけど、そこに、子どもでも老人でも休ませてあげる。

少女像B でも、日本の今の首相じゃあ見込みはなさそうね。今の日本の保守政党が政権を握っているうちも無理のようね。

少女像A しばらくはこのまま、市民に守られてじっとしていましょうね。もうすぐの大統領選挙で、もう少しマシな政権になるでしょうし。

少女像B 日本の政権も変わってほしいわね。そして、韓国の国民だけでなく、日本の国民もご一緒に、私たちを暖かく見守ってくださると、とても嬉しいわ。
(2017年1月7日)

2017年通常国会の対決テーマは「共謀罪」だ

1月20日に第193通常国会が開会予定である。その最大の対決テーマは、「共謀罪」となる。アベ内閣の反憲法的姿勢は止まるところを知らない。改憲策動や沖縄での平和運動弾圧と連動するかたちで、来たる国会では「共謀罪法案」成立を目指すことになる。「共謀罪国会」では、アベ凶暴政権と民主主義陣営が対決することになる。

本日(1月6日)の東京新聞トップの大見出しが、「『共謀罪』通常国会提出へ」。これに「野党・日弁連は反対」とサブタイトルが付けられている。以下に、記事本文の一部を抜粋する。
「安倍晋三首相は五日、犯罪計画を話し合うだけで処罰対象とする「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案を二十日召集の通常国会に提出する方針を固めた。共謀罪に関しては、国民の思想や内心の自由を侵す恐れがあるとの批判が根強い。捜査機関の職権乱用などによって人権が侵害されるとして、日弁連や共産党は反対している。民進党内でも反対論が強く、提出されれば国会で激しい議論になる。」

そして、社会面に関連記事が掲載されている。「共謀罪法案提出方針に批判」「市民活動萎縮させる」「警察が恣意的運用も」「テロ対策『歯止めが必要』」との見出しで、東京新聞の「共謀罪批判本気度」がよく分かる。

「日刊ゲンダイ」の本気度も相当なもの。多少品位には欠けるが、分かり易い。

見出しが「安倍政権 『共謀罪』大義に東京五輪を“政治利用”の姑息」というもので、記事本文は以下のとおり。

「何でもかんでも『五輪成功のため』は通らない。安倍政権は今月20日召集の通常国会で、「共謀罪」の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を提出する方針だ。3年後の東京五輪開催に合わせ、『テロ対策』の性格を前面に打ち出そうと必死で、悪名高い名称を『テロ等準備罪』に変えたが、しょせんは姑息な手段だ。悪評ふんぷんの共謀罪の成立にまで、五輪の政治利用は絶対に許されない。」
「共謀罪は、実際に犯罪を犯していなくても相談しただけで罰せられてしまう。極論すれば、サラリーマンが居酒屋談議で『うるさい上司を殺してやろう』と話しただけで、しょっぴかれる可能性がある。権力側が市民の監視や思想の取り締まりに都合よく運用する恐れもあり、03、04、05年に関連法案が国会に提出されたものの、3度とも廃案に追い込まれた。」「五輪の成功を名目に、こんなウルトラ危険な法案を懲りずに通そうというのだから、安倍政権はイカれている。」

そして、ゲンダイの記事は、こう結んでいる。「『五輪成功』にかこつけて、希代の悪法成立を許してしまうのか。メディアの真価が今こそ問われている。」

「メディアの真価」どこ吹く風? の典型が例によって産経である。
「『共謀罪』法案名変更で通常国会提出へ テロ対策を主眼に」という見出しでこう述べている。
「政府は5日、テロ対策として『共謀罪』の構成要件を一部変更する組織犯罪処罰法正案を、20日召集の通常国会に提出する方針を固めた。法案名も2020年東京五輪・パラリンピックを見据え、テロ対策が主眼であることが明白となるよう変更する見通しだ。」
「国連は2000年に『国際組織犯罪防止条約』を採択し、すでに180カ国以上が締結しているが、日本は批准条件となっている共謀罪が存在しないため締結に至っていない。このまま法整備が進まなければ、国際社会から「テロ対策に消極的」との批判を浴びかねない状況だ。」

共謀罪法案は、下記のとおり、3度国会に提出となり、3度とも廃案になった。
2002年 法制審議会で検討
2003年 3月 第156回通常国会に法案提出(廃案)
2004年 2月 第159回通常国会に法案再提出(継続)
2005年 8月 衆議院解散に伴い廃案
2005年10月 第163回特別国会に法案提出(継続)
2009年 7月 衆議院解散により廃案

これまでの刑事法の常識に照らして異常な立法と、野党や世論の反発を招いたからである。「現代の治安維持法」とまで言われて廃案の運命をたどった。政府の説明は、<国際組織犯罪防止条約>批准のために必要というものだが、法案の内容は明らかに過剰に処罰範囲を広げるもので、説明との整合性を欠いている。

今度は論拠にオリンピックが持ち出された。オリンピックも迷惑だろう。本当に、テロの危険が差し迫っている東京五輪なら、やめてしまうに越したことはない。

さて、「共謀罪」とは何か。日弁連のリーフレットの解説が分かり易い。

「『共謀罪』とは、2人以上の者が、犯罪を行うことを話し合って合意することを処罰対象とする犯罪のことです。具体的な『行為』がないのに話し合っただけで処罰するのが共謀罪の特徴です。しかし、単なる『合意』というのは、『心の中で思ったこと』と紙一重の段階です。

近代刑法は、犯罪意思(心の中で思ったこと)だけでは処罰せず、それが具体的な結果・被害として現れて初めて処罰対象になるとしています。『既遂』処罰が原則で、『未遂』処罰は例外、それ以前の『予備』の処罰は極めて例外、しかも、いずれも『行為』があって初めて犯罪が成立するというのが刑法の大原則です。

共謀罪は、この『予備』よりもはるか以前の『合意』だけで、『行為』がなくても処罰するというものです。このように処罰時期を早めることは、犯罪とされる行為(構成要件)の明確性を失わせ、単に疑わしいとか悪い考えを抱いているというだけで人が処罰されるような事態を招きかねません。」

だから、「現代の治安維持法法」と悪評が高いのだ。治安維持法は、「結社の目的遂行の為にする行為」を犯罪とした。「結社の目的」とは、「國體の変革」(天皇制打倒)と、「私有財産制の否定」(社会主義思想の実現)の二つを言うが、「その目的遂行の為にする行為」とは、漠然としてどうにでも解釈できる。だから、共産党員の慰安維持法違反事件を弁護した弁護士の行為も、心の中の意図を忖度して、治安維持法違反として逮捕され、起訴され、有罪となった。「共謀罪法案」成立によって、新たにつくり出される犯罪は600余とされている。恐るべき監視社会が生み出されることになる。

もしやあなたの心の片隅に、こんな考えがありはしないか。
「世の中には善人と悪人の2種類の人がいる。法による処罰を恐れるのは悪人だけで、私は善人のグループにいるのだから、法も処罰も恐れることはない。むしろ処罰の範囲を拡大してくれれば、社会は平穏で住みやすい社会になる」

この考え方は大きく間違っている。この間違いを「なんと愚かな」と見過ごしてはならない。民主主義社会においては、堕落した危険な考え方として徹底して批判されなければならない。このような考え方こそ、権力者を喜ばせ、権力者をより傲慢にさせるものにほかならない。その結果、権力の監視の目が隅々にまで行き届く社会を作り出し、自分を善人と思っている人々をも含めて、「生きにくい窮屈な世の中となった」と慨嘆させることになり、挙げ句の果てには全体主義の完成を招くことになる。
治安維持法のはたした役割を思い、ニーメラーの慨嘆を思い起こそう。

「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は共産主義者ではなかったから

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
 私は社会民主主義ではなかったから

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は労働組合員ではなかったから

 そして、彼らが私を攻撃したとき
 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

(2017年1月6日)

伊勢神宮での内閣総理大臣年頭記者会見

皆さん、明けましておめでとうございます。
アベ・シンゾーから、新年のご挨拶を申しあげます。
憲法学界や宗教界からは、憲法20条3項に定める政教分離原則に違反ではないかという強いご指摘あることは重々承知の上で、今年も年頭には伊勢神宮に参拝し、内閣総理大臣としての年頭記者会見は、ここ伊勢神宮で行います。内閣記者クラブの皆様方には、一言のイヤミも問題提起もなく、快くこの地まで足を運んでいただきましたことに、厚く御礼を申し上げます。

昨年は、災害が相次いだ年でした。被災された皆様には心よりお見舞いを申し上げます。本年は、どうか平穏で、豊かな一年を過ごせるように、との思いで、先ほど伊勢神宮を参拝してまいりました。私の理想とするところは、まさしく天皇を戴く国をつくることにあります。その国では、国家・国民の幸せと皇室の弥栄とが不即不離一体の美しい形をなし、皇室の祖先神をはじめとする神々のご加護が満ちあふれるのです。ですから、年頭の伊勢神宮参拝と、この地での記者会見は私にとって欠かせないものであることをご理解ください。

世の中には、社会のためにあるいは恵まれない人々のために、献身的な活動をされている多くの立派な人々がいます。しかし、この際そのような方を一切無視して、自衛隊の諸君にだけ敬意と感謝を表したいと思います。遠く離れたアフリカの地には、PKO5原則が整わぬままに送り出された国連PKO部隊参加の自衛隊員がいます。その駆けつけ警護の任務では、明日にもなにが起こるか分からない事態なのですから、その強い使命感と責任感に感謝しなければなりません。今に、すべての学校で、日の丸を掲げ君が代を唱うだけではなく、「兵隊さんのおかげです。兵隊さんよありがとう」と歌う日が来るよう、願うものです。

さて、本年は酉(とり)年であります。酉年は、しばしば政治の大きな転換点となってきました。本年も、変化の一年となることが予想されます。そうした先の見えない時代にあって、大切なことは、ぶれないこと。頑迷固陋に最初の方針を変えないことが大事なのです。大日本帝国も軍部も、大東亜戦争を始めたら戦局不利となっても、ぶれずに最後までよく闘ったではありませんか。

アベノミクスは失敗だという声が巷に満ちていますが、けっしてぶれることなく、金融政策、財政政策、そして成長戦略の三本の矢をうち続けてまいります。刀折れ矢が尽きても、アベノミクスをふかしつづけます。

また、内政だけでなく、外交も失敗続きだという悪評にめげることなく、積極的な地球を俯瞰する外交を展開してまいります。ときどき、自分でも何をやっているのか分からなくなりますが、一枚も二枚も上手の鵺どもを相手にしているのですから、まあ、成果のないのもいたしかたないと自分を慰めています。

あの昭和20年も酉年でありました。我が国の戦後が始まった年です。戦争で全てを失い、見渡す限りの焼け野原が広がっていました。しかし、先人たちは決して諦めませんでした。廃墟と窮乏の中から敢然と立ち上がり、戦後、新しい憲法の下、平和で豊かな国を、今を生きる私たちのため、創り上げてくれました。

本年は、その日本国憲法の施行から70年という節目の年に当たります。この70年間で経済も社会も大きく変化しました。かつては素晴らしかった日本国憲法も、完全に時代遅れのものとなりました。日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しています。こうした困難な課題から、もはや目を背けることはできません。戦後を創り上げた70年前の先人たちに倣って、今を生きる私たちもまた、こうした課題に真正面から立ち向かわなければなりません。未来への責任を果たさなければなりません。

そのために何をなすべきか。いうまでもなく、憲法を変えなくてはなりません。どのように変えるべきか。いうまでもなく、戦後レジームから脱却して、美しい明治憲法の精神に立ち返ることです。そのようにして、億兆国民が元首たる天皇陛下のもとに心を一つにして、どこの国にも負けない強い日本をつくることが肝要です。

国防こそが、政治の要諦です。次なる70年を見据えながら、未来に向かって、今こそ辺野古にも高江にも、強力な米軍基地を作らねばなりません。それだけではなく、産業も学問も教育もメディアも、すべての国民の営みが強い国家を作るため、国防のためのものでなくてはなりません。今年こそは、そのよう観点から新しい国づくりを進めるべきときです。

私は、積極的平和主義の旗を高く掲げます。私の言う「積極的平和主義」を、憲法の平和主義と同じものだと誤解する向きもあるやに聞いていますが、とんでもないことです。憲法の平和主義とは、いかなる事態においても闘うことを放棄した敗北主義ではありませんか。これは私の採るところではありません。積極的に、軍備を充実し戦争を辞さないとする構えを崩さないこと。これが平和を守ることになるのです。本気になった戦争の準備こそが、平和を守ることになります。軍備を充実し戦争ができるよう法制を整える。これが、私の言う積極的平和主義なのですから、くれぐれもお間違えなきよう願います。

こうして、日本を世界の真ん中で輝かせる。そのような輝く国の子供たちこそが我が国の未来そのものではありませんか。子供たちの誰もが、家庭の事情にかかわらず、尊敬される軍人になって国家に貢献するという夢と希望を持ち、それぞれの夢に向かって頑張ることができる、そういう日本を創り上げていく決意であります。

私たちの未来は人から与えられるものではありません。私たち日本人が自らの手で自らの未来を切り拓いていく、その気概が今こそ求められています。私たちの子や孫、その先の未来を見据えながら、本年安倍内閣は、国家主義原理の憲法改正を見据え、国民の皆様が具体的に改憲の論議のできる環境作りを本格的に始動してまいります。

最後となりましたが、本年が国家と皇室と政権と、そして憲法改正のために素晴らしい一年となりますことを心から祈念いたしまして、年頭における所感とさせていただきます。
(2017年1月5日)

高江オスプレイパッド建設反対のリーダー山城博治さんを釈放せよ

今年は、沖縄の基地建設反対闘争が正念場を迎える。自分のできることで沖縄の運動に参加したいと思う。まずは、下記のURLを開いて、高江オスプレイパッド建設反対のリーダー山城博治さんの釈放を求めるネット署名をお願いしたい。

15000人目標の賛同者が、今11731人の賛同者を得て、残り3269人となっているという。できることなら、あなたのお気持ちを、一言なりともコメントしていだたきたいし、このネット署名を拡散しようではないか。

https://www.change.org/p/savehiroji

署名の要請文は以下のとおりだ。
「ふるさとの自然を守りたい」「当たり前のくらしを守りたい」「米軍施設はいらない」??ただそれだけの思いで、高江の住民や沖縄の人たちは必死の座り込みを続けています。座り込みは、「非暴力で」「自主的に」「愛とユーモアを」のガイドラインが徹底され、強制排除にあっても、住民側にケガ人は続出しましたが、機動隊側を誰一人傷つけることはありませんでした。

それなのに、いま、山城博治さんら、反対運動のリーダーたちが、こじつけとしか思えない理由で、不当逮捕され、次々に別の理由に切り替わり、長期に拘留されています。最新の理由は、10ヶ月前の、1月28日から30日にかけて、辺野古・キャンプシュワブのゲート前にブロックを積み、工事車両の通行を妨げたというものです。なぜ、10ヶ月も前に行われた抗議行動について、いま、逮捕勾留なのでしょうか。警察は、その場にいて、見ていたにもかかわらず、何の行動も起こしていませんでした。

これは運動を委縮させ、運動のイメージを傷つけるための不当逮捕としか言いようがありません。

山城博治さんらの釈放を求めるため、年明けに以下の要請文を提出します。ぜひ賛同して要請者になってください!

要請者:鎌田慧、澤地久枝、佐高信、落合恵子、小山内 美江子

——————————————–
那覇地方裁判所御中
那覇地方検察庁御中

山城博治さんらの釈放を求める要請書

前略
私たちは、沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に反対する人々に対する政府のすさまじい弾圧に深い憂慮の意を表明し、逮捕・勾留されている山城博治さんらの釈放を強く求める者です。
沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に沖縄の県民の多くが反対をしています。沖縄の基地負担軽減では全くなく、新たな基地を作り、基地機能を強化するものでしかないこと、また、貴重なふるさとの自然を守りたい、平穏な生活を守りたいという気持ちから、非暴力の座り込みが続けられています。こうした中、反対運動を続ける沖縄平和運動センター議長である山城博治さんたちがこじつけとも思われる理由で逮捕され、次々と罪名が切り替わり、長期の勾留が続いています。現場で行動を指揮する山城博治さんに対する勾留は、2016年12月25日で、70日にも及んでいます。山城博治さんは、10月17日、ヘリパッド建設予定地周辺の森の中におかれた有刺鉄線を切断したとして器物損壊罪で逮捕されましたが、那覇簡裁は20日にいったん勾留請求を却下しました。すると、警察は、同じ20日に、9月25日に公務執行妨害と傷害を行ったとの容疑で再逮捕しました。勾留を続けるために再逮捕したのです。11月11日には、山城さんは、公務執行妨害と傷害の罪で起訴されました。しかし、起訴の翌日の琉球新報は、山城さんは、「現場で市民の行動が過熱化したり、個別に動いたりすることを抑制し、」「勝手に機動隊員らと衝突したりしないように繰り返し呼びかけていた」と報じています。さらに、山城さんが2015年4月に闘病生活に入り、辺野古のキャンプシュワブゲート前の抗議行動に参加できなくなった後の県警関係者の話として、「暴走傾向の人を抑える重しとして山城さんは重要だった」と話していたと報じています。現場で、警察官が傷害を負った事実が仮にあるとしても、それを山城さんの責任とすることは筋違いです。
さらに、11月29日には、今度は、山城さんは威力業務妨害罪で逮捕されました。この逮捕の容疑は、10ヶ月前の、1月28日から30日にかけて、ゲート前にブロックを積み、工事車両の通行を妨げたというものです。なぜ、10ヶ月も前に行われた抗議行動について、いま、逮捕勾留なのでしょうか。警察は、その場にいて、見ていたにもかかわらず、何の行動も起こしていませんでした。
山城博治さん他運動関係者らに対する逮捕、勾留は、高江のオスプレイパッド建設、辺野古の新基地建設を強行するために、その反対運動をつぶすために行われているものです。沖縄の人々の、基地とヘリパッド建設反対のやむにやまれぬ行動に対して、これを力でねじ伏せるような一連の検挙は、不当な弾圧であり、決して許されてはなりません。
私たちは、山城博治さんたちの早期釈放を求めます。保釈が認められるべきです。同じ被疑事実で逮捕された他の人たちの何人かは、起訴されず釈放されています。罪証隠滅の恐れなどないことは明らかです。もちろん逃亡の恐れもありません。勾留を続ける法的な理由がありません。
とりわけ山城博治さんの健康状態が心配です。山城博治さんは、2015年に大病を患い、病み上がりの状態です。今も、白血球値が下がり、病院に通院し、治療を受けなければならない状態です。勾留理由開示公判で山城さんを見た、市民からも、山城さんの健康を危惧する声が上がっています。健康を害していることが、明らかな状態のもとで、長期の勾留が続けられています。さらに、山城博治さんのみ接見禁止がついていて、市民が面会に行くこともできず、弁護士としか会えない状態が続いています。山城博治さんの健康を害し、生命の危険すらもたらしかねない長期勾留は、人道上も決して許されることではありません。山城博治さんたちの一刻も早い釈放を求めます。

1.山城博治さんほか沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に反対する活動に関連して勾留されている人々の保釈または勾留執行停止を強く求めます。

2.山城博治さんに対する接見禁止措置を直ちに解除することを求めます。

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賛同者の署名簿は、那覇地方裁判所と那覇地方検察庁に届けられる。私は、この署名の呼びかけ人である鎌田慧、澤地久枝、佐高信、落合恵子、小山内美江子の各位を、尊敬し信用している。長期拘留が、基地建設反対運動への弾圧であることは自明であるとも考えている。このような事態を放置しておいてはならない。

なお、昨年暮れ(12月28日)に発表された「山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明」も併せて掲載しておきたい。

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山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明
沖縄平和運動センターの山城博治議長(64)が、70日間を超えて勾留されている。山城氏は次々に3度逮捕され、起訴された。接見禁止の処分に付され、家族との面会も許されていない山城氏は、弁護士を通して地元2紙の取材に応じ、「翁長県政、全県民が苦境に立たされている」「多くの仲間たちが全力を尽くして阻止行動を行ってきましたが、言い知れない悲しみと無慈悲にも力で抑え込んできた政治権力の暴力に満身の怒りを禁じ得ません」と述べる(沖縄タイムス2016年12月22日、琉球新報同24日)。この長期勾留は、正当な理由のない拘禁であり(憲法34条違反)、速やかに釈放されねばならない。以下にその理由を述べる。

山城氏は、?2016年10月17日、米軍北部訓練場のオスプレイ訓練用ヘリパッド建設に対する抗議行動中、沖縄防衛局職員の設置する侵入防止用フェンス上に張られた有刺鉄線一本を切ったとされ、準現行犯逮捕された。同月20日午後、那覇簡裁は、那覇地検の勾留請求を棄却するが、地検が準抗告し、同日夜、那覇地裁が勾留を決定した。これに先立ち、?同日午後4時頃、沖縄県警は、沖縄防衛局職員に対する公務執行妨害と傷害の疑いで逮捕状を執行し、山城氏を再逮捕した。11月11日、山城氏は?と?の件で起訴され、翌12日、保釈請求が却下された(準抗告も棄却、また接見禁止決定に対する準抗告、特別抗告も棄却)。さらに山城氏は、?11月29日、名護市辺野古の新基地建設事業に対する威力業務妨害の疑いで再逮捕され、12月20日、追起訴された。

山城氏は、以上の3件で「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」(犯罪の嫌疑)と「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」があるとされて勾留されている(刑訴法60条)。

しかし、まず、犯罪の嫌疑についていえば、以上の3件が、辺野古新基地建設断念とオスプレイ配備撤回を掲げたいわゆる「オール沖縄」の民意を表明する政治的表現行為として行われたことは明らかであり、このような憲法上の権利行為に「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があるのは、その権利性を上回る優越的利益の侵害が認められた場合だけである。政治的表現行為の自由は、最大限尊重されなければならない。いずれの事件も抗議行動を阻止しようとする機動隊等との衝突で偶発的、不可避的に発生した可能性が高く、違法性の程度の極めて低いものばかりである。すなわち、?で切断されたのは価額2,000円相当の有刺鉄線1本であるにすぎない。?は、沖縄防衛局職員が、山城氏らに腕や肩をつかまれて揺さぶられるなどしたことで、右上肢打撲を負ったとして被害を届け出たものであり、任意の事情聴取を優先すべき軽微な事案である。そして?は、10か月も前のことであるが、1月下旬にキャンプ・シュワブのゲート前路上で、工事車両の進入を阻止するために、座り込んでは機動隊員に強制排除されていた非暴力の市民らが、座り込む代わりにコンクリートブロックを積み上げたのであり、車両進入の度にこれも難なく撤去されていた。実に機動隊が配備されたことで、沖縄防衛局の基地建設事業は推進されていたのである。つまり山城氏のしたことは、犯罪であることを疑うべき行為でも、身体拘束できるような行為でもなかったのである。

百歩譲り、仮に嫌疑を認めたとしても、次に、情状事実は罪証隠滅の対象には含まれない、と考えるのが刑事訴訟法学の有力説である。?の件を除けば、山城氏はあえて事実自体を争おうとはしないだろう。しかも現在の山城氏は起訴後の勾留の状態にある。検察は公判維持のために必要な捜査を終えている。被告人の身体拘束は、裁判所への出頭を確保するための例外中の例外の手段でなければならない。もはや罪証隠滅のおそれを認めることはできない。以上の通り、山城氏を勾留する相当の理由は認められない。

法的に理由のない勾留は違法である。その上で付言すれば、自由刑の科されることの想定できない事案で、そもそも未決拘禁などすべきではない。また、山城氏は健康上の問題を抱えており、身体拘束の継続によって回復不可能な不利益を被るおそれがある。しかも犯罪の嫌疑ありとされたのは憲法上の権利行為であり、勾留の処分は萎縮効果をもつ。したがって比例原則に照らし、山城氏の70日間を超える勾留は相当ではない。以上に鑑みると、山城氏のこれ以上の勾留は「不当に長い拘禁」(刑訴法91条)であると解されねばならない。

山城氏の長期勾留は、従来から問題視されてきた日本の「人質司法」が、在日米軍基地をめぐる日本政府と沖縄県の対立の深まる中で、政治的に問題化したとみられる非常に憂慮すべき事態である。私たちは、刑事法研究者として、これを見過ごすことができない。山城氏を速やかに解放すべきである。

*呼びかけ人(50音順)
春日勉(神戸学院大学教授) 本庄武(一橋大学教授) 前田朗(東京造形大学教授) 森川恭剛(琉球大学教授)

*賛同人(50音順)
足立昌勝(関東学院大学名誉教授) 雨宮敬博(宮崎産業経営大学准教授) 石塚伸一(龍谷大学教授) 内田博文(神戸学院大学教授) 内山真由美(佐賀大学准教授) 梅崎進哉(西南学院大学教授) 大場史朗(大阪経済法科大学准教授) 大藪志保子(久留米大学准教授) 岡田行雄(熊本大学教授) 岡本洋一(熊本大学准教授) 垣花豊順(琉球大学名誉教授) 金尚均(龍谷大学教授) 葛野尋之(一橋大学教授) 斉藤豊治(甲南大学名誉教授) 櫻庭総(山口大学准教授) 佐々木光明(神戸学院大学教授) 島岡まな(大阪大学教授) 鈴木博康(九州国際大学教授) 関哲夫(國學院大学教授) 高倉新喜(山形大学教授) 豊崎七絵(九州大学教授) 新倉修(青山学院大学教授) 新村繁文(福島大学特任教授) 平井佐和子(西南学院大学准教授) 平川宗信(名古屋大学名誉教授) 福島至(龍谷大学教授) 福永俊輔(西南学院大学准教授) 松本英俊(駒澤大学教授) 水谷規男(大阪大学教授) 宗岡嗣郎(久留米大学教授) 村田和宏(立正大学准教授) 森尾亮(久留米大学教授) 矢野恵美(琉球大学教授) 吉弘光男(久留米大学教授) 他3人
*計 41 人(12月28日13:00 第1回集約)
(注) 引き続き賛同を呼びかけ、2017年1月中旬に次回集約の予定。
以 上

100年前にロシア革命があった。

今年・2017年は、ロシア革命から100週年の年である。
その年の十月革命から内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立した。各国からの干渉戦争を乗り越え、ナチスドイツとの大戦に勝利して、戦後はアメリカ合衆国と対峙する超大国として世界に君臨したが、結局は官僚独裁の弊によって1991年に崩壊した。崩壊はしたが、資本主義の矛盾を克服しようとする人類史上の壮大な試みとして、その意義を否定することはできない。

若いころの私には、マルクスもレーニンも毛沢東もそしてカストロも、輝く魅力にあふれる存在だった。社会主義陣営にこそヒューマニズムがあり未来があるものと感じていた。必ずや「東風が西風を圧する」ものと思いこんでもいた。

否応なく自分の身の回りに見える資本主義社会の矛盾は明らかだった。社会には大きな経済格差があり貧困があった。多くの人々が、低賃金や失業や生活の不安におののいていた。資本の利益に適うとされる限りで、人は人たるに値する処遇を期待することができるが、資本の利益に資することのないとされる人は、切り捨てられ見捨てられる。

人は、人として遇されるのではない。資本に利潤をもたらす労働力としてのみ価値あるものとされる。そのことを当然とし馴らされた国民が保守政党を支持することで、この国の政治が成り立っている。政党政治も民主主義も醜悪な欺瞞以外のなにものでもないと映った。

これに比較して、資本主義の矛盾を克服する試みとしての、社会主義の理念の正しさに疑いはなく、ソ連や中国の社会主義もまぶしいものに見えた。スターリンの粛正も、毛沢東の経済政策の失敗も、当時はよく知らなかった。あるいは、よく知ろうとはしなかったというべきだろう。結局は、ソ連や中国の実態に触れることのないままの観念的な思い込みに過ぎなかった。

中国はいち早く「改革開放」という名の資本主義化に舵を切り、さらにソ連が崩壊するに至って、社会主義の壮大な実験の失敗が明らかとなった。

現実の社会主義建設の試みは失敗したが、そのことによって、克服すべき資本主義の矛盾が解決されたわけではない。むしろ、競争者がなくなったことで、資本主義の傲りは著しいものになったと言えよう。

資本主義の矛盾への対処は、革命というドラスティックな処方が唯一のものではない。資本主義という猛獣を退治しようとしたのが社会主義革命だが、退治するのではなく、その牙を抜き訓育しようという種々の策が各国で試みられている。民主主義的政治原理で、経済の制度や運用をコントロールしようという試みといってよい。ここには、法や人権の観念が大きな役割を果たすことが期待されている。

資本主義の原初の姿が、搾取の容認であり競争の放任である。すべてを市場の原理に任せて良しとするのだ。その破綻は、既に誰の目にも明らかであって、資本の放縦への規制が必要なのだ。資本の行動に枠をはめ、まずは労働者の保護と公正な市場の管理が不可欠なのだ。そして、資本の回転の各過程で、下請け企業の保護や消費者の保護、環境の保護などが必要となる。

ところが、今また、規制を排し資本に無限の自由を与えようという、新自由主義の潮流がはびこっているではないか。労働者の使い捨ては容認され、格差はますます拡がり、貧困はさらに深刻の度を深めている。100年前のロシア革命は、「人間を大切した社会主義」の樹立に成功しなかったが、それに代わって眼前にあるのは「人間を大切にしない野放図な資本主義」である。

私は、人間の尊厳こそが最優先の価値と考える。民主々義的政治過程によって資本を規制することを通じて、「人間を大切にした節度ある社会」を目指したいと思う。ロシア革命は失敗したが、人類は資本主義の基本構造の変革という現実の選択肢をもっているとを示した点に、その意義を見出すべきだろう。
(2017年1月3日)

正月にめぐりあったお地蔵様に

関東は、暮れから新年の晴天に恵まれた。風は穏やかで、街の喧噪はない。夕暮れには、とびきり明るい宵の明星と三日月とのランデブーが目を楽しませている。暖かな、申し分のない「よいお正月」である。

この数日、あちこちを歩いている。空気はきれいで、路上に人が少ない。正月は、どこもかしこも、さわやかな散歩道だ。

街を歩くと、あらためて神社仏閣が目につく。大伽藍の神社や寺院も魅力的だが、路地裏の小さな社や石像にこころ惹かれる。中でも、目立つのが稲荷神社とお地蔵様だろう。稲荷神社は、江戸時代に伏見稲荷が全国に飛脚便を用いて、積極的に分霊・勧請を行ったと言われている。これが事実なら、画期的な神様の通信販売。何しろ、お稲荷様は、商売の神様。さもありなんと思わせる社の数である。「伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれたほどなのだ。

これに比して、お地蔵様の方には、慎ましやかな敬虔さがある。今日、瓦葺きのお堂に納められた単体の大きな地蔵菩薩にめぐり逢った。人気のない街はずれに、なにやら、かたじけなくもありがたい慈愛の雰囲気。そして、しばらく歩いて、お揃いの赤ずきんとよだれかけの六地蔵にもお目にかかった。

末法思想では、釈迦の入滅後56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうという。その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う役割を果たすのが、地蔵菩薩であるという。

また、十王思想(後世では十三王思想)というものがある。今日もらったパンフレットによると「地獄十王経」が出典とされる説明がなされている。かなり詳細なその記述を要約すれば、以下のようなもの。

人は死すると冥府の十王に裁きを受ける。初七日(死後7日目)から、七日ごとに各王にまみえて生前の罪業について審判を受け、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)のどこに転生するかについて宣告されることになる。その五・七日(死後35日目)にまみえなければならないのが、あの閻魔王である。実は、その閻魔王とは地蔵菩薩の化身なのだという。中世に一般化した本地垂迹説によれば、現世で衆生を救済する地蔵菩薩が本地で、死後の世界で人を弾劾する閻魔はその変化の姿なのだそうだ。

十王思想では、閻魔は裁判官役ではない。六道の転生先を決する処断者は、七・七日(死後49日目)の太山王であって、閻魔は主席検察官役と言ったところ。閻魔王庁には淨玻璃の鏡が置かれている。この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるという。そのため、閻魔の前ではいかなる隠し事もできないとされているのだ。事実上、ここで事実認定と罰条が決せられることになる。

六地蔵とは、いずれも地蔵菩薩の分身で、人が死後に送られた、地獄,畜生,餓鬼,修羅,人,天という六道のそれぞれにおいて,衆生救済のために配されものという。この各分身にも名がつけられており、檀陀,宝印,宝珠,持地,除蓋障,日光というのだそうだ。民間信仰や民間説話としての豊穣さがとても興味深い。

六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)の輪廻は、人々の願いでもあり、戒めでもあったろう。もう少しマシな人生をやり直すことや、あるいはそれ以上の仏の加護は苦しい現実に生きざるを得なかった多くの民衆の願いであったろう。善行を積むことによって人道や天道に転生が可能であるとの教えは救いであったろう。できることなら、人道や天道に転生するために、浄玻璃の鏡で暴かれるような悪行は慎もうと自戒したのだ。

しかし、凡夫はあくまでも凡夫である。浄玻璃の鏡に照らして一点の曇りもない人生を送ることなどは、現実にはなし得るところではない。しかも、戦乱や領主の収奪や洪水や飢饉など、自らの責めに帰すことのできない現実の不幸は無数にあった。

厳格な裁きの閻魔ではなく、救済の仏が求められたのだ。民衆の救済を求める心情が慈愛の地蔵菩薩の信仰を生んだに違いない。しかも、一体だけでは足りずとして、六道それぞれに配置するための六地蔵の変化としたのだ。天道や人道ではいず知らず、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道でこそ、救済の慈悲の仏が必要ではないか。まさしく、「地獄に仏」である。

地蔵の信仰を生み地蔵を祀ったのは、不幸を強いられた民衆の心情だった。日本中至る所に素朴な地蔵を造り、これを祀り続けてきたのも同じ民衆の心だ。私が今日出会ったお地蔵様も、そのように守り伝えられてきたものなのだ。

いまも、事情は大きくは変わらない。シリアやアフガンやガザなどには地獄道が展開されている。ブラック企業やアンフェアトレードの世界は餓鬼道というべきだろう。従軍慰安婦問題をもみ消そうという輩は畜生道に落ちねばならない。自・公・維などの改憲陣営は修羅道に生きる勢力である。

民主主義や立憲主義が行われべき人道、さらには誰もが豊かに、その尊厳が守られるべき天道(あるいは天上道、天界道とも)の世を実現したいと思う。

正月である。お地蔵様にはそのように願ったが、ただ微笑んでいるばかりだった。
(2017年1月2日)

明けましておめでとうございますー「目出度さもちう位也この春は」

あらたまの年の初めである。目出度くないはずはない。街は静かで人は穏やかである。誰もが、今年こそはという希望をもっている。欠乏や飢餓や恐怖は、見えるところにはない。が、その目出度さも、「ちう位」というしかない。

今年(2017年)の5月3日に、日本国憲法は施行70周年の記念日を迎える。この70年は、私の人生と重なる。振り返れば、その70年の過半は、希望とともにあった。漠然したものではあれ、昨日よりは今日、今日よりは明日が、よりよくなるという信念に支えられていた。「よりよくなる」とは、すべての人の生活が豊かになること、人が拘束から逃れて自由になること、そして貧困が克服されて格差のない平等が実現し、人が個性を育み自己実現ができること、その土台としての平和が保たれることであった。

敗戦ですべてを失った戦後の歩みは、平和を守りつつ豊かさを取り戻す過程であった。自由や平等や人権保障の不足は、「戦前の遅れた意識」のなせる業で、いずれは克服されるだろうと考えられていた。楽観的な未来像を描ける時代が長く続いた。しかし、明らかに今は違う。今日よりも明日がよりよくなり、上の世代よりも若い世代が、よりよい社会を享受するだろうとは思えない。いつから、どうしてこうなったのだろうか。

私が物心ついて以来、民主主義信仰というものがあった。戦前の誤りは、一握りの、皇族や軍部、藩閥政治家や財閥、大地主たちに政治をまかせていたからである。完全な普通選挙を実施したからには、同じ過ちが繰り返されるはずはない、というもの。天皇を頂点とする差別の構造も、官僚や資本の横暴も、民主主義の政治過程が深化する中でやがてはなくなる、そう考えていた。

しかし、経済格差のない男女平等の普通選挙制度が実現して久しい今も、多くの人が政権や天皇批判の言動を躊躇している。官僚や資本の横暴もなくなりそうもない。それどころか、平和さえ危うくなってきた。民主主義信仰は破綻した。少なくとも、懐疑なしに民主主義を語ることはできなくなった。

政治や制度が多数派国民の意思に支えられていることを民主主義と定義すれば、民主主義的な搾取や収奪の進行も、民主主義的な戦争もあり得るのだ。人種差別も思想差別も優生思想もなんでも「民主主義」とは両立する。トランプの登場やアベの政治は、そのことに警鐘を鳴らしている。

格差と貧困が拡がり深まる社会にあって、「お目出度とう」とは言いがたい。国民一人ひとりの尊厳が大切にされて、こころから「おめでとう」と言い合える、「ちう位」ではない目出度い正月をいつの日にかは迎えたいと思う。

立憲主義大嫌いのアベ政権である。今年の憲法記念日に、憲法施行70年を盛大に祝うとは到底思えない。このことは、一面「怪しからん」ことではあるが、権力によって嫌われる憲法の面目躍如でもある。日本国憲法は、政権から嫌われ、ないがしろにされ、改悪をたくらまれていればこそ、民衆の側が護るに値する憲法なのだ。

今年も、憲法改悪を阻止と、憲法の理念を実現する運動の進展を願う。その運動の進展自身が、民主主義を支える自立した市民を育むことになる。微力ではあるが、当ブログもその運動の一翼を担いたいと思う。
(2017年1月1日・元旦)

2016年の暮れに思う

大晦日である。間もなく今年も暮れてゆく。世のならいにしたがって、2016年を振り返ってみたい。

私は、古い人間だから、修身・斉家・治国・平天下の順に、つまりは個人・家族・国内情勢・国際情勢の順に、感想を略記する。

個人的には今年も大過なく健康で過ごせた。そのおかげで、ブログは366日一度も途切れることなく書き続けることがてきた。本日で、3年と9か月、1371日の連続更新となる。それなりに、毎日意味のある情報や見解を発信し得ているつもりだ。拙いブログも、継続することで真摯さをアピールし、それなりの社会への発信力を獲得しているものと自負している。

もっとも、かつては「憲法」キーワードでのグーグル検索で、「澤藤統一郎の憲法日記」はトップページに位置していた。順位一ケタだったのだ。ところが、次第に後退して、今は9?10頁目に落ちついている。そんなものだろう。ことさらに目立ちたがらず、「二ケタ台」の順位をキープしていることに満足したい。

今年特筆すべきは、DHCスラップ訴訟勝利の年となったこと。バカバカしい訴訟の被告とされて以来、こんないい加減な訴訟での敗訴はあり得ないと思いつつも、6000万円請求の被告とされていることの心理的負担は小さくはなかった。弁護士である私にしてこうなのだから、スラップ訴訟による言論萎縮効果は看過しえない。被告として請求棄却判決を得ただけでは、まだなすべきことをはたしてはいない。来年は、DHCと吉田嘉明らに反撃の提訴をすることになる。「言論の自由」という大義の旗を掲げての訴訟の原告となって、新たな判例を作りたい。

家族も息災に元気で過ごせた。何よりの家内安全である。

国内情勢としては、相も変わらぬアベ一強政治が続いていることが不思議でもあり、残念でもある。アベ政治の継続の中で、戦前を知る人々の多くが、「今は戦争直前の空気に似ている」「意識的に政権に対峙しないと、いつの間にか再びの過ちを繰り返しかねない」と警告を発するようになった。この点に心したい。

戦争に突入する前の、ドイツと日本の歴史を再確認しなければならない。戦争は、ヒトラーだけで、あるいはヒロヒトだけでなし得たことではない。程度の差こそあれ、多くの国民が、戦争を支持し加担したのだ。

たとえば、教育者もである。高知で国民学校の教師をしていた竹本源治は戦後「戦死せる教え子よ」と痛恨の詩を遺している。

逝いて還らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ!
君を縊ったその綱の
端を私は持っていた
しかも人の師の名において
嗚呼!
慙愧 悔恨 懺悔を重ねても、
それが何の償いになろう。
逝った君はもう還らない

慙愧 悔恨 懺悔を重ねても、それが何の償いになろう」という慨嘆は重く深い。アベやイナダや維新への批判に手を抜いて、その結果としての「慙愧 悔恨 懺悔」の事態を招いてはならない、と痛切に思う。

都政では、思いもかけぬ舛添バッシングと小池劇場を見せつけられた。舛添を支持するつもりはさらさらないが、あのバッシングのボルテージは違和感つきまとうものだった。私も舛添批判はしたが、今になってみれば、小池百合子を都知事に据える藪蛇の結果となったのは、恐いことだと思う。

明らかに、舛添よりは小池の方が数段危険度の高い存在である。小池流のパフォーマンスを「都民寄り」などと持ち上げて、小池の影響力を高めることに手を貸してはならない。その右翼的な危険な本質を見失ってはならない。

そして、憂うべきは世界である。トランプ、プーチン、ドゥテルテなどの言動を見れば、明らかに民主主義がその本来の機能を果たしていない。熟議のない政治、少数意見を切り捨てる政治、人権を無視しし理性を欠いた、正常ならざる事態が進行するのではないか。仮に、この流れにヨーロッパが続くようなことがあれば危機的状況といわねばならない。

この民主主義の危機的状況は国内でも、アベ、橋下現象として先行している。理性を備えた自立した市民を担い手と想定する民主主義が、その主体を欠いて機能不全を起こしていることをまず認識しなければならない。

もっとも、すべてが悪いことばかりではない。各地で、市民と野党との共闘の動きは進んでいる。沖縄は、米軍とアベ政権に抗して頑張り続けている。両院の憲法審査会の実質審議は進展していない。今夏の参院選で、衆参両院とも改憲勢力の議席数が3分の2に達し、自民党議席が過半数に達したにもかかわらず、である。籾井は、NHK会長職を辞せざるを得なくなった。政権側の思惑も、なかなか実現してはいないのだ。

「理性を備えた自立した市民」育成の鍵は、教育とメディアにある。これをどう権力の恣意から防衛するか。長いスパンでの努力を積み重ねなければならない。

そのような思いのうちに、今年が去年になる。この1年、「憲法日記」お付き合いいただ読者に心から御礼を申し上げて、行く年のご挨拶といたします。御身大切に、よいお歳をお迎えください。

そして、来たる年もよろしくお願いします。
(2016年12月31日)

上野公園に見る靖國思想の源流

明日は大晦日という年の瀬。風は冷たいが、この上ない晴天に恵まれた絶好の散歩日和。幸いに、今日の上野公園は、動物園も博物館も美術館も休園・休館で人の出は少なく、申し分のないすがすがしさ。満開のジュウガツ桜や、ふくらみ始めた梅の蕾などが目を楽しませる。

上野精養軒に隣接のパゴタのある丘を「大仏山」というようだ。かつては、ここに像高6メートルの大仏(釈迦如来坐像)があった。しかし、度重なる罹災によって損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存・展示されている。その胴体は国家総動員法に基づく金属類回収令によって供出対象となり、永久に失われた。「顔だけの大仏」にも戦争の歴史が残されている。

何とはなしに、上野大仏の尊顔をしげしげと眺め、案内の掲示をよく読んでみた。
寛永8年(1621)、越後の国村上城主堀丹後守藤原直寄公がかつて自分の屋敷地としていたこの高台に土をもって釈迦如来の大仏像を創建し、戦乱にたおれた敵味方将兵の冥福を祈った。その後尊像は政保4年(1647)の地震で破損したが、明暦、万治の頃、木食僧浄雲師が江戸市中を勧進し浄財と古い刀剣や古鏡を集め青銅の大仏を造立した。(略)天保14年4月、堀丹波守藤原直央公が大仏を新鋳し、また仏殿も再建された。慶応4年(1868)彰義隊の事変にも大仏は安泰であったが、公園の設置により仏殿が撤去されて露仏となった。大正12年、関東大震災のとき仏頭が落ちたので寛永寺に移され、仏体は再建計画のために解体して保管中、昭和15年秋、第二次世界大戦に献納を余儀なくされた。

この大仏は一名「合格大仏」という。「これ以上落ちない」として合格祈願に訪れる受験生が多いからだ。たびたび落ちて縁起が悪いとするのでなく、「これ以上落ちようがない」とされているのが面白い。たくさんの合格祈願の絵馬が掛けられていた。

注目すべきは、「戦乱にたおれた敵味方将兵の冥福を祈った」とされていること。堀直寄は、秀吉に臣従し、後家康に仕えた武将で、大坂夏の陣の武功で名高い。その武将が、「戦乱にたおれた敵味方将兵の冥福を祈る」ために大仏を建立しているのだ。これが、当時の日本人の戦死観であった。死者を鞭打つ思想も、死んだ者までを差別する感情もなかった。「怨親平等」として、死しての後は敵味方の別はないとしたのだ。

ところが、同じ上野公園敷地に、まったく別の思想の遺物がある。上野戦争における彰義隊士の「墓碑」と「彰義隊墓表之来由」の石碑。この石碑の文字を読んでみたがあまりの長文で、正確には読み切れない。分からないながらも、明治政府への怨念だけは読み取れる。その怨念は、敗戦によるものではなく、戦死者に対する冒涜によるものである。官軍側が死者の埋葬を許さなかったとする恥辱に対する怨みである。

維新政府軍の死者は100余名。直ちに手厚く埋葬された。これに対して、彰義隊士の遺骸266体は上野の山に放置されたという。これを見かねた芝増上寺(徳川家の菩提寺)や、縁故者等が遺骸の引き取りを申し出たが、官軍側はこれを許さなかったと明記されている。この石碑を建てた小川興郷という彰義隊生き残りの人物は、明治政府に対する怨みを後世に残したのだ。

上野戦争についての古老の伝承として、戦争後の上野の山には彰義隊側戦死者の死骸が放置されて悲惨な状態だったとされる。小塚原(南千住)の円通寺23世仏麿和尚と、寛永寺の御用商人であった三河屋幸三郎なるものがこれを見兼ね、戦死者を上野で荼毘に付したうえ、ようやく官許を得て遺骨を円通寺に埋葬したというが、遺体の放置がどのくらいの期間続いたかはよく分からない。

矢田挿雲「江戸から東京へ」第1巻に、「彰義隊戦死者の墓のあるところは、上野戦争の折、賊の死骸を山とつんで焼いた跡、それから久しい間、ただ一本の卒塔婆が建っているばかりだったが、明治8年、山岡鉄舟が有志と謀って、現在の如き墓標を建て、これまた悲しき脱線組の霊を弔ったとある。「これまた悲しき脱線組」とは、「賊軍としての脱線」の彰義隊と西郷隆盛を指している。

現在残されている、山岡建立の「墓碑」は、明治8年ではなく15年(1882年)が正しい。明治8年まで死体が放置されたわけはなかろうが、「賊の死骸を山とつんで焼いた跡、それから久しい間、ただ一本の卒塔婆が建っているばかり」で、長く墓も建てられなかったのだ。なお、山岡鉄舟の筆になる碑銘は「戦死之墓」とされ、彰義隊の文字はない。「賊」軍を、彰「義」隊とは書けない時代だったことが見てとれる。

この、「死者の差別」が靖國の原理的思想である。靖國神社は改称前は東京招魂社と言った。戊辰戦争の官軍は、賊軍の死者の埋葬を禁じて、官軍の死者だけを祀った。これが招魂祭。友軍の死者の霊前に復讐を誓う血なまぐさい儀式であった。招魂祭では、西南諸藩の官軍を「皇御軍」(すめらみいくさ)と美称し、敵となった奥羽越列藩同盟軍を「荒振寇等」(あらぶるあたども)」と蔑称した。天皇への忠死者は未来永劫称えられる神であり、天皇への反逆軍の死者は未来永劫貶められる賊軍の死者としての烙印が押される。

招魂祭を行う場が招魂社となり、靖國神社となった。靖國神社とは、その出自において国家の宗教施設ではなく、天皇軍の宗教施設である。そして、怨親平等とは相容れない死者を徹底して差別する思想を今も持っている。その軍事的宗教施設が今も生き残って、アベやイナダと親しくしているのだ。

すがすがしいはずの散歩が、おどろおどろしいものになってしまった。しかし、民衆は官に弓引くからこそ、彰義隊や西郷隆盛、あるいは白虎隊、将門びいきである。一揆も謀反も叛乱もである。「勝てば官軍」は、嫌われ者と相場が決まっている。そう考えて、気持を持ち直そう。
(2016年12月30日)

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