12月11日の当ブログで「マイナンバー さわらぬ神に 祟りなし」を掲載した。
https://article9.jp/wordpress/?p=7814
その記事では、番号法(正確には「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」)やマイナンバー制度の理念的なものに関する、私なりの基本姿勢を明確にした。本日は、その再論であるが、個人のマイナンバー提供(通知)義務、事業者の収集義務の有無と強制性についてだけ整理して補充しておきたい。
結論から言えば、形式的には特定の場合にマイナンバーの提供(通知)義務があり、事業者にマイナンバーの収集義務がある。しかし、その義務を強制する制度は設けられていない。もちろん、刑事的にも行政的にも罰則はなく、その義務の不履行による不利益はまったくない。実質的には義務ありとは言いがたいのだ。むしろ、この義務を履行することによる不利益が極端に大きい。
番号法の管轄は内閣府であるが、その利用は税務分野と社会保障分野であって、税務分野の利用については国税庁が、社会保障分野では厚労省が管轄することになる。
まずは、国税関係である。
前回ブログでも触れた「税経新人会」のマイナンバー制度に関するリーフレットの「Q&A」を再度引用しておこう。マイナンバーを利用する必要はさらさらないのだ。
Q2 番号は提出しなければ不利益があるのでしょうか?
番号法では、個人に提出義務を規定していませんし、提出しないことによる不利益の記載もありません。番号を記載しなければならないというのは、国税通則法や年金法などに記載されていますが、罰則はありません。漏えいの危険があり、悪用される危険がある番号を出しませんという意思表示をしましょう(収集を求める方は、その内容を記録に残せばよいことになっています)。
Q3 事業者は、従業員の番号を収集しなければならないのでしょうか?
番号法では、事業者に対し、収集の義務を規定していません。事業者は、番号を取集した場合は、漏えいしないように「安全管理措置」をとるために経費が増大し、神経を使うことになります。また漏えいした場合は、報告義務、刑事罰・罰金など責任は増大します。これらの負担と責任を考えると収集しないことが一番の「対策」です。
以上のとおり、番号法はマイナンバーの利用について、何の義務付けも行っていない。義務規定は税務に関する法律を根拠にする。このことを踏まえて、国税庁のホームページでは、次のように述べられている。全文をじっくりとお読みいただきたい。
番号制度概要に関するFAQ
(2)税務関係書類への番号記載
Q 2-3-1 申告書や法定調書等を税務署等に提出する場合、必ずマイナンバー(個人番号)・法人番号を記載しなければなりませんか。
(答)番号法整備法や税法の政省令の改正により、税務署等に提出する申告書や法定調書等の税務関係書類にマイナンバー(個人番号)・法人番号を記載することが義務付けられました。
したがって、申告書や法定調書等を税務署等に提出する場合には、その提出される方や、扶養親族など一定の方に係るマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載が必要となります。
Q 2-3-2 申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号を記載していない場合、税務署等で受理されないのですか。
(答)税務署等では、社会保障・税番号<マイナンバー>制度導入直後の混乱を回避する観点などを考慮し、申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合でも受理することとしていますが、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載は、法律(国税通則法、所得税法等)で定められた義務ですので、正確に記載した上で提出してください。
なお、記載がない場合、後日、税務署から連絡をさせていただく場合があります。
Q 2-3-3 税務署等が受理した申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合や誤りがある場合には、罰則の適用はありますか。
(答)税務署等が受理した申告書や法定調書等の税務関係書類にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合や誤りがある場合の罰則規定は、税法上設けられておりませんが、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載は、法律(国税通則法、所得税法等)で定められた義務ですので、正確に記載した上で提出をしてください。
もう一つ。同じ国税庁ホームページに、「法定調書に関するFAQ」として次の記載がある。
(1)法定調書関係(総論)
Q 1-2 従業員や講演料等の支払先等からマイナンバー(個人番号)の提供を受けられない場合、どのように対応すればよいですか。
(答)法定調書の作成などに際し、従業員等からマイナンバー(個人番号)の提供を受けられない場合でも、安易に法定調書等にマイナンバー(個人番号)を記載しないで税務署等に書類を提出せず、従業員等に対してマイナンバー(個人番号)の記載は、法律(国税通則法、所得税法等)で定められた義務であることを伝え、提供を求めてください。
それでもなお、提供を受けられない場合は、提供を求めた経過等を記録、保存するなどし、単なる義務違反でないことを明確にしておいてください。
経過等の記録がなければ、マイナンバー(個人番号)の提供を受けていないのか、あるいは提供を受けたのに紛失したのかが判別できません。特定個人情報保護の観点からも、経過等の記録をお願いします。
なお、税務署では、番号制度導入直後の混乱を回避する観点などを考慮し、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合でも書類を収受することとしていますが、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載は、法律(国税通則法、所得税法等)で定められた義務であることから、今後の法定調書の作成などのために、今回マイナンバー(個人番号)の提供を受けられなかった方に対して、引き続きマイナンバーの提供を求めていただきますようお願いします。
以上で尽きている。税務当局は番号記載は申告者の義務だと言い、事業者への番号提供(通知)も「義務」だという。しかし、義務の程度には濃淡がある。法は、その義務の履行を実現するための何の措置も用意していない。罰則もなければ、番号記載のない書類は受付けないとも言えない。
「税務署等では、社会保障・税番号<マイナンバー>制度導入直後の混乱を回避する観点などを考慮し、申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合でも受理することとしています」「税務署では、番号制度導入直後の混乱を回避する観点などを考慮し、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合でも書類を収受することとしています」と、国税庁がマイナンバー不記載でも書類は受け付けると繰り返し明言していることに意味がある。
もしかしたら、運の悪い人には、税務署から「マイナンバーの記載がございませんが、記載が義務だということをご存じでしょうか。」「何か、義務の履行ができないご事情でもございますか」と問合せあるかも知れない。その場合は、臆せず堂々と、「私は義務とされていることは知っています」「しかし、私は自分の人格がナンバーによって管理されることが不愉快なのです」「私のナンバーが漏洩して、悪用される恐れが否定し得ないのですから、ご協力はできません」といえばよいだけのことなのだ。
社会保障分野でも、仕組みはまったく同じことだ。厚労省のホームページから、下記を引用しておきたい。
サイトの標題は、「社会保障・税の手続書類へのマイナンバー(個人番号)の記載について、事業主・従業員の皆さんのご協力をお願いします。」というもの。飽くまで、「ご協力のお願い」なのだ。
1 事業主の皆さんへ
◆ 社会保障・税に関する手続書類の作成事務を処理するために必要がある場合に限って、従業員にマイナンバーの提供を求められます。
また、従業員から受け取ったマイナンバーは適切に管理する必要があります。
2 従業員の皆さんへ
社会保障・税に関する手続書類へのマイナンバーの記載は、法令で定められた事業主の義務となっており、事業主は、マイナンバー法に基づき、従業員に対してマイナンバーの提供を求めることができます。
◆ 従業員も、事業主から、法律に基づく正当なマイナンバーの提供の求めがあった場合には、これに応じていただくようお願いいたします。
《事業主に提供したマイナンバーの取扱い》
事業主は、法律で限定的に定められている場合以外の場合に、従業員のマイナンバーや、マイナンバーと結びついた情報を利用したり、第三者に提供することはできません。
また、事業主は、従業員のマイナンバーや、マイナンバーと結びついた情報の漏えい、滅失等の防止その他の適切な管理のため、必要かつ適切な「安全管理措置」を講じなければならないこととされています。
Q3 勤務先から、マイナンバーを提供しないと、解雇したり、賃金を支払わないと言われたのですが・・。
社会保障・税に関する手続書類へのマイナンバーの記載は、法令で定められた事業主の義務であり、事業主は、マイナンバー法に基づき、従業員に対してマイナンバーの提供を求めることができます。このことをご理解いただき、事業主から、法律に基づく正当なマイナンバーの提供の求めがあった場合には、これに応じていただくようお願いします。
一方で、マイナンバーを提供しないことを理由とする賃金不払い等の不利益な取扱いや解雇等は、労働関係法令に違反又は民事上無効となる可能性があります。
職場で起きた労働問題については、都道府県労働局や労働基準監督署内に設置されている総合労働相談コーナーにご相談ください。
特に解説は要らないだろう。漏洩したらたいへんなマイナンバーである。うっかり他人に知られるのは恐いことだ。また、うっかり番号を預かると、漏洩の罰則が恐い。知らないのが一番。知らせない、預からない、提供しない、提供を求めない、に徹するに如くはない。その方が安全なのだ。
あらためて、
マイナンバー さわらぬ神に 祟りなし
マイナンバー さわってしまえば 祟りあり
そして、
マイナンバー みんなで拒否すりゃ 恐くない
マイナンバー ひとりで拒否も 恐くない
(2016年12月25日)
今宵は、クリスマスイブ。キリスト教世界だけではなく、全人類が平和というプレゼントを待ち望んでいる。しかし、いま世界は憎悪と諍いに満ちている。「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という詩人の直感のとおり、この世に平和がない限り、人々の幸福の実現はない。その平和は、いま急速に遠のいている印象が強い。とりわけ、核という絶対悪が、存在感を増している。各国為政者それぞれの愚かな言い分が、もしかしたら世界を破滅に追いやるかも知れないのだ。
☆まずは、愚かなトランプ(次期米大統領)の言い分はこんなところだ。
「世界は、あるべき核に関する良識を持ち合わせていない。核に関する良識が世界に浸透するいつの日か先の先まで、米国は核能力を大いに強化・拡大しなければならない。
世界の現状を冷静に見つめれば、核が不要な時代は遠い先のことだ。前任のオバマは、就任早々プラハ演説で『核なき世界』を掲げたが愚かなことだ。さらに任期切れ間近になって、被爆地・広島を訪問して核軍縮を訴えたが、そんなことが平和にも米国の安全にもつがりはしない。私は同じ愚を繰り返すことはしない。
何よりも優先すべきは米国の安全だ。そのためには、核能力の強化・拡大が不可欠なことは分かりきったこと。民主党政権が安閑としている内に、ロシアに比較して米国の核開発計画は後れをとっているではないか。これはよいことではない。米政府はこうしたことを許すべきではない。核軍拡でロシアに後れをとってはならない。
ロシアは、米国のミサイル防衛(MD)システムによって迎撃されない核ミサイルの開発・配備を進める考えを強調しているではないか。それなら、米国は、ミサイル防衛(MD)システムをより高度なものとし、ロシアのミサイル防衛システムによって迎撃されない核ミサイルの開発・配備を進めなければならない。
そのような発想は、止めどのない核軍拡の競争を招くという批判もあるが、軍拡競争になってもいいじゃないか。米国は、どんな国にも核能力強化競争で負けることはない。どんな局面でも必ず優位に立って見せる。以上が、一昨日(12月22日)のツィッターと昨日(23日)MSNBCニュース番組で私が語ったことのあらましだ。
もっとも、大きな声では言えないが、核軍拡の理由は実はそれだけじゃない。核開発も、核兵器運搬手段の製造も、米国の巨大重要産業だ。核軍縮は景気の後退と失業の増大をもたらす。仮想敵国との緊張はなくてはならないし、テロの脅威が持続することも大切だ。私が大統領でいる限り、国内経済を活性化するために、核軍拡はどうしても必要な政策なのだ。」
☆あの油断ならぬプーチンの言い分はこんなところだ。
「ロシアは飽くまでも平和を願う立場だ。世界最強の米軍と争う考えはない。だから、自国の資産を費やす軍拡に引き込まれるような愚かなことはしない。アメリカの次期政権と友好的な関係を築くことも大歓迎だ。
しかし、現実の米ロ関係は甘いものではない。アメリカとの軍拡競争は、何もいま始まったことではなく、MD整備のために米国がABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約から離脱した2002年からのことで、全面的にアメリカに責任がある。
そのような現実を踏まえれば、自国の防衛のためには安閑としてはおられない。一昨日(12月22日)、「戦略核の3本柱の強化」を命じたところだ。3本柱とは、ロシアの核戦力を新しいレベルに引き上げる必要性に応えるための、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、戦略爆撃機、核搭載原子力潜水艦による核攻撃手段のことだ。米国が配備を進めているミサイル防衛(MD)システムに対抗するための措置であり、このわれわれのシステムは、米国主導のMDよりはるかに効果的なのだ。
アメリカがMDを整備すれば、ロシアはこれを破る核攻撃力を構築する。アメリカのMDが進歩すれば、こちらもかならずさらに進歩して打ち負かす。アメリカは核能力の開発競争ではどこにも負けないと言っているか、ロシアも負けてはおられないのだ。だから、核軍拡競争の泥沼に陥りたくはないが、どうなるかはアメリカ次第だ。」
☆冷戦の負の遺産として、米ロ両国は今も多数(米9000余、ロ13000)の核弾頭保有を公言している。外務省のホームページには、2001年12月現在のSTART Iに基づく義務履行完了時点で、米国の戦略核弾頭保有数は5949発、ロシアは5518発であるという。そこから、核軍縮の進展が止まっている。
両国ともに、自国の安全のために、相手国に対抗せざるを得ないという「理屈」を振りかざしている。両国ともに、相手国を上回る「戦略核兵器の戦闘能力増強」なければ、自国の防衛は危ういという。これでは、永久核軍拡路線のスパイラルを抜け出すことができない。まさしく、核のボタンを握る大国の為政者が、正気を失っている事態だ。
米ロ両国に限らない。5大国(米・ロ・英・仏・中)が同じ理屈だ。イスラエルも、北朝鮮も、インド・パキスタンも同様だ。それぞれの国の為政者が、「邪悪な敵からの自国の安全を守る」として、核をもてあそんでいる。しかも、唐突な核をめぐる米ロ両大国首脳の危険な発言。
さて、クリスマスイブである。神を信じる者は、核なき世界の実現を祈るがよい。神を信じぬ者は、反核の世形成を決意するしかない。
(2016年12月24日)
1915年生まれの私の母は、現天皇(明仁)出生時に2度鳴ったサイレンを聞いたと言っていた。サイレンの2吹は男児出生の合図だったという。1933年12月23日、83年前の今日のこと。北原白秋作詞・中山晉平作曲の唱歌「皇太子さまお生れなつた」も覚えていた。
その3番だけを引用する。
日の出だ日の出に 鳴つた鳴つた ポーオポー
サイレンサイレン ランランチンゴン
夜明けの鐘まで
日本中が大喜び みんなみんな子供が
うれしいなありがと 皇太子さまお生れなつた
昭和天皇(裕仁)の第1子から第4子までは女児であった。女児の誕生は「失望」と受けとめられていた。第5子にして初めての男児誕生が、「日本中が大喜び」「うれしいなありがと」と、目出度いこととされたのだ。もっとも、今退位を希望している天皇である。男児として生まれたことを自身がどう思っているかは窺い知れない。
私の母は、自分の心情として「嬉しかった」とは言わなかったが、「みんなが喜んでいた。嬉しがっていた」とは言っていた。おそらくは、お祭り同様の祝賀の雰囲気が巷に満ちていたのだろう。
天皇制は、不敬罪や治安維持法、あるいは宮城遙拝強制・徴兵制・非国民排斥・特高警察・予防拘禁・拷問などの、おどろおどろしい制度や強制装置によってのみ支えられたのではない。天皇制を内面化した民衆の心情や感性に支えられてもいたのだ。
「日本中が大喜び みんなみんな子供が うれしいなありがと 皇太子さまお生れなつた」という民衆の素朴な祝意は紛れもなく天皇制の根幹をなすものだった。北原白秋も中山晉平も大いにその演出に貢献したのだ。
本来他人事に過ぎない天皇家の慶事に「目出度さの押しつけは御免だ」とは言えなかった。天皇家の弔事の際には歌舞音曲を慎まなければならなかった。いや、多くの民衆が天皇制を内面化し、天皇家の慶事も弔事も、わがこととしたのだ。こうした民衆の心情が天皇制を支えた。
ポツダム宣言の受諾と日本国憲法の成立によって、天皇制を支えていた大逆罪も不敬罪も治安維持法も国防保安法もなくなった。軍隊も特高警察も、徴兵制もなくなり、いまや神社参拝・宮城遙拝強制もない。天皇を誹謗したとして非国民扱いを受けたり、予防拘禁や拷問をされることもない。天皇制を支えていた、おどろおどろしい制度や強制装置はなくなった。しかし、天皇制を内面化し、天皇制の根幹を支えた民衆の意識は生き残った。それが、本日の「天皇誕生日祝う一般参賀」38000人という数字に表れている。
いうまでもなく、天皇制は日本国憲法体系の例外であり夾雑物である。憲法の基本である国民主権・民主主義・人権尊重の立場からすれば、天皇制の存在を極小化することが望ましい。とりわけ、国民が自立した主権としての意識を徹底するには、内面化された天皇制の払拭が必要である。
天皇制を廃止するには改憲手続きを必要とするが、その存在を限りなく小さくし、予算も最小限に削減する運用は国民の意思でできることである。
臣民に天皇制を鼓吹し、内面化させたものは、教育とマスコミであった。その教育は学校と軍隊で行われた。今軍隊はなく、天皇制鼓吹の学校教育は一応姿を消したことになっているが、日の丸・君が代強制などはこれに代わるものといって良い。
そして、いまメディアにあふれる「日本中が大喜び みんなみんな うれしいな ありがとう 天皇誕生日」のトーン。天皇や天皇制は、批判しにくい聖域として定着しつつある。これは、自立した主権者意識を育むための、大きな支障と言わねばならない。
(2016年12月23日)
本日(12月22日)、沖縄県名護市の万国津梁館で、日米両政府が主催する米軍北部訓練場の返還式・祝賀会が行われた。この返還面積(4010ヘクタール)は、1972年に沖縄が本土復帰して以降最大規模のもの。日本側からは菅義偉官房長官やイナダ防衛大臣らが、米国側からはケネディ駐日米大使やマルティネス在日米軍司令官らが出席した。
もちろん、沖縄県知事も県議会議長も出席していない。名護市長もだ。知事はこの式典には出ずに、同じ名護市で行われたオスプレイ不時着事故の抗議集会に参加した。ここで、オスプレイ配備撤回だけでなく、普天間基地の早期返還と辺野古基地建設反対を4200人の聴衆に熱く語りかけた。
翁長知事が、返還式と祝賀会に「出席見合わせ」を発表したのは12月12日夜のこと。欠席の理由は、訓練場内のヘリパッド建設の強引で拙速な進め方と、宜野座村城原区で県などの抗議にもかかわらずオスプレイつり下げ訓練が継続されていることなどにあった。「高江周辺でもこのようなことが起こり得ることが容易に予想され、県としては到底容認できない。北部訓練場の返還には私のみならず、多くの県民が理不尽な思いを抱いている」と述べている。オスプレイの墜落事故は、その翌日、12月13日のことである。
県議会議長の欠席決定は、オスプレイ墜落事故のあとのこと。自民党議員団だけが出席を主張し、各会派で意見がまとまらないため議長が欠席を判断したとのこと。
この返還の記念式典には在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官が出席している。オスプレイの墜落事故について、「沖縄県民は住民への事故を回避したパイロットに感謝すべきだ」と発言して、物議を醸した人物。当日のスピーチは伝えられていないが、忌憚なくしゃべらせたらどんなことを言ったか。興味津々。たとえば、以下のようなものだったろう。
「この返還は、沖縄の住民にとって、とても重要なもので、沖縄の状況を改善して負担を軽減するものだ。
基地が、住民にとっていかに危険で、不安のタネとなっているかはよく知っている。もちろん騒音もひどい。とりわけオスプレイの騒音が耐えがたいのは分かりきったこと。私の家族には、基地の側には絶対に住まわせたくはない。
だから、このたびの広大な訓練場の返還に対しては、沖縄の住民は『沖縄の負担軽減』としてアメリカに感謝すべきではないか。にもかかわらず、知事は式典出席を拒否して、抗議集会に出席だとのことではないか。せっかく返してやったのに、ありがとうとも言えないのか。無礼きわまる態度ではないか」
「もっとも、大きな声では言えないが、本当のところこの返還は私たち在沖米軍にとっては、痛くも痒くもない。問題は基地の面積ではなく、基地機能の強弱にある。その点、今回の『返還』は明らかに基地機能の強化をもたらすものとして我々にとっても、ハッピーなのだ。なにしろ、『北部訓練最大で51%の使用不可能な土地を返還し、新たな施設を設け、土地の最大限の活用が可能になった』のだから。実のところ、お祝いは、米軍にとってのものなのだ」
「北部訓練場の半分の引き換えに我々は、新たな着陸帯6カ所の提供を受けた。MV22オスプレイの使用は、その6カ所の合計で年間2520回が見込まれている。また、東村高江周辺の新設ヘリパッドは、宇嘉川の河口部に設けた訓練区域と連動する形で、海からの上陸作戦や人員救助などの訓練を実施できるようになる。世界唯一のジャングル戦闘訓練施設として重用されてきた北部訓練場に、新たな上陸作戦訓練機能が加わるのだ」
「これまで、北部訓練場内では既設22カ所と2015年に米側に引き渡したN4の新設2カ所を合わせ24カ所のヘリパッドがあった。このうち、今回の返還に伴って閉鎖されるのが7カ所。新たに、N1(2カ所)とG、Hの計4カ所を新たに提供することで、ヘリパッドは21カ所になる。その21カ所の内の15カ所でオスプレイを運用。年間の使用回数は計5110回に上る。高江集落6カ所のヘリパッドの発着数2520回は確かに多いが、訓練の実施は必要不可欠なものだ。もちろん、あらゆる必要な訓練が予定されている。オスプレイの低空飛行ルートも設定され、地上15?60メートルの地形追従飛行を年25回実施する」
「だからまあ、翁長知事が祝賀式典を欠席して、抗議集会に出席する気持もわからなくもない」
菅官房長官はこう語った。
「今回の返還は沖縄の本土復帰後、最大規模のもので、アメリカ軍専用施設のおよそ2割が減少し、沖縄の基地負担軽減に大きく資するものだ。ヘリコプター発着場の移設で地元には引き続き負担をかけることになるが、両村から強い要請があった、返還後の財政措置や地域振興策は確実に実施することを約束する」
以上の発言は、「私は地元に対し、カネの問題についての約束はできるがそれ以上はできない。オスプレイの騒音の軽減もできないし、墜落の不安への対処もできない。」との含意と理解すべきなのだ。また、「もうすぐ、佐賀にも木更津にも、そして横田の上空にもオスプレイが飛ぶことになる。その場合も同様に、『騒音の軽減もできないし、墜落の不安への対処もできない』」と言っているのだ。
翁長知事は、オスプレイ墜落後わずか6日での飛行全面再開のときに、「言語道断」に続けて「政府はもう相手にできない」との姿勢を明らかにした。本日、知事の姿が返還祝賀式になく、抗議集会にあったことが、「沖縄県民は、日本政府を相手にせず」の姿勢を印象づけた。
米軍とアベ政権とは、オール沖縄との全面対決を強いられている。仮想敵国との戦争準備の前に、沖縄県民との闘いを余儀なくされているのだ。周囲を「敵」なる住民に包囲されて、基地が機能できるはずはない。防衛や安全保障政策の実行ができるはずもなかろう。
(2016年12月22日)
わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く
よく知られたこの啄木の歌。詩的な情緒に欠けて無味乾燥ではあるが、この世の真理を衝いている。自分の身に当て嵌めて思い当たる。私の抱く思想も、すべて金なきに因して形づくられた。金あるものは金あるにふさわしい考えを、金なきものは金なきが故の思想を抱くのが、世の常ではないか。
私は、典型的な苦学生だった。その苦学生に、法曹は魅力的な進路だった。司法試験の受験資格は誰にも開かれている。法学部の学生ではなかった私も受験に差し支えはなかった。これに合格すれば、司法修習生として採用され、給与を得ながらの修習ができる。その身分は、準公務員である。修習専念義務を課せられるが、その見返りに定額の給与を保障されて、みっちり2年間、法曹としての見習いができるのだ。
費用のハードルを意識することなく、苦学生だった私は司法修習生となり、修習終了時に弁護士への途を選択して職業生活を開始することになった。こうして、金なきに因して形づくられた思想を抱いたまま私は弁護士となることができた。今は昔の話である。
金なきに因した思想を抱いた若者を法曹にさせたくないとすれば、法曹資格の取得までに多額の金がかかるような制度設計をすればよい。そうすれば、金のない苦学生などは、費用のハードルに足をすくわれてゴールできなくなる。法曹界への「悪い思想」侵入に対する防御策となり得る。
制度設計の意図はいざ知らず、現在の法曹養成の制度は、貧乏学生を閉め出すものとなっている。そもそも苦学生は、法曹を目指す意欲をもてないだろう。私も、今の制度では弁護士を目指さなかった。仮にその意欲あっても、実現できたとは思えない。
今、法曹を志す者は、大学卒業後に法科大学院での2年ないし3年の就学を必要とする。もちろんこの間の学費の支払いが必要である。司法試験に合格さえすれば給料がもらえたのが昔の話。今は、法科大学院の入学試験に合格すれば、学費を支払わねばならない。
法科大学院を卒業すれば、司法試験の受験資格を得ることができる。首尾よく司法試験に合格して司法修習生となっても給与はない。修習専念義務だけがあって、アルバイトは禁止だが、生活費の保障はない。希望者に生活費の貸与はあるが、当然借金となり返還の義務を負うことになる。
貧乏学生は、「学部時代の奨学金」「法科大学院での奨学金」、そして「司法修習時代の貸与金」返済の債務を背負って職業生活を始めることになる。その額1000万円を超える者もいるという。債務弁済のために、若手の弁護士が金の儲かる割のよい仕事を漁ることにもなり得よう。
司法修習が無給になったのは、2011年からである。私はこの制度変更は、法曹の性格と修習生の意識を変えたと思う。それまで、裁判実務に携わる法曹(裁判官・検察官・弁護士)とは、公的な理念に支えられ、公費で養成されるにふさわしい使命を持った職業と位置づけられていた。司法修習生には、自ずからその自覚が求められた。
ところが、2011年以来、司法修習生の給費制度が廃止されるや、弁護士はビジネスになった。人権擁護と社会正義を擁護する使命はかたちだけのものとなり、司法修習生の意識も、「弁護士となって高給を食み、弁護士になるまでのコストを回収しなけばならない」と変わった。
だから、日弁連も、心ある市民も、司法修習の給費制復活を願った。ことは、けっして法曹志望者に酷だからというにとどまらない。国民の権利擁護に直接携わる実務法律家の質や意識に関わる問題なのだ。法曹の出身階層を、一定以上の経済的地位にある者に限定して、経済的に困窮の立場にある階層を閉め出すことの問題性は明らかではないか。
この問題に、ようやく明るさが見えてきた。一昨日(12月19日)、来年の司法試験合格者から「給費制」を事実上復活することを法務省が発表した。現在の案では、月額に一律13万5000円を支給し、アパートなどを借りる必要がある修習生に対しては、住居費として月額3万5000円を上積みするという。制度導入にあたり必要となる裁判所法改正案を、来年(2017年)の通常国会に提出予定とのこと。
これを受けた、日弁連会長談話の抜粋を引用しておきたい。
2011年に司法修習生に対する給費制が廃止され、修習資金を貸与する制度に移行してから5年が経過した。この間、司法修習生は、修習のために数百万円の貸与金を負担するほか、法科大学院や大学の奨学金の債務も合わせると多額の債務を負担する者が少なからず存在する。近年の法曹志望者の減少は著しく、このような経済的負担の重さが法曹志望者の激減の一因となっていることが指摘されてきた。
司法制度は、三権の一翼として、法の支配を社会の隅々まで行き渡らせ、市民の権利を実現するための社会に不可欠な基盤であり、法曹は、その司法を担う重要な役割を負っている。このため国は、司法試験合格者に法曹にふさわしい実務能力を習得させるための司法修習を命じ、修習専念義務をも課している。ところが、法曹養成の過程における経済的負担の重さから法曹を断念する者が生じていることは深刻な問題であり、司法を担う法曹の人材を確保し、修習に専念できる環境を整備するための経済的支援が喫緊の課題とされてきたものである。
このような状況を踏まえ、法務省が新たな経済的支援策についての制度方針を発表した意義は重要である。日弁連はこれまで、法曹人材を確保するための様々な取組を行ってきており、その一環として、修習に専念しうるための経済的支援を求めてきたものであり、今回の司法修習生に対する経済的支援策についてはこれを前進と受け止め、今後も、法曹志望者の確保に向けた諸々の取組を続けるとともに、弁護士及び弁護士会が司法の一翼を担っていることを踏まえ、今後もその社会的使命を果たしていく所存である。
修習生の側が、社会からの拠出を原資とする給付であることを自覚して、職業生活を通じて社会に還元すべき責任を果たさなければならないことは当然である。が、法曹を志す者だけの問題ではなく、国民の裁判を受ける権利をよりよく実現する制度設計の問題として、また、裁判を受ける際には接することになる実務法律家の質をどう確保するかの問題としてお考えいただきたい。金なきに因する思想を持つ法律家を閉め出すような法曹養成制度は甚だしく歪んでいるのだから。
(2016年12月21日)
「あたらしい憲法のはなし」を、ときおり読み返す。今日は、辺野古訴訟の最高裁判決を受けて、その「十一 司法」を読んでみた。
日本国憲法の施行が1947年5月。その年の8月に、新制中学校1年生用の社会科教科書として文部省が編纂したのが、この「あたらしい憲法のはなし」。当時、文字通り、できたての「あたらしい憲法」だったのだ。その後副読本に格下げされ、1952年以後は使われていない。
内容は細部を見れば不十分ではあるが、「民主的な平和憲法」の精神を国民に普及しようという、時代の空気や清新な意気込みが伝わってくる。全十五章。各章の標題は以下のとおり。
「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」
「十一 司法」は短い。全文をご紹介する。
「司法」とは、爭いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。この司法という國の仕事は、國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。
裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめております。ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられないことになっているのです。これを「司法権の独立」といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるのです。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。これも憲法ではっきりときめてあります。
こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。
みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。
新憲法の特徴として違憲立法審査権が解説されているほか、「公平」という裁判の理念を実現するために、「司法権の独立」(その内実としての「裁判官の独立」)の重要性が強調されている。さて、「司法権の独立」は70年後の今日、現実のものとなっているだろうか。
司法の独立とは、最高裁を頂点とする裁判官たちが、国家や公権力からの有形無形の圧力から自由であることを意味する。今の司法が、国や政権におもねることなく、法と良心のみに従った裁判ができているか。答は「ノー」というしかない。
日本の裁判官諸氏の廉潔性は信頼に足りる。裁判官の私的利益獲得の思惑で判決の内容が左右されることはない。しかし、その廉潔な裁判官が、権力からの圧力に屈せぬ気概をもち、現行の支配の秩序が求めるものから自由であるかといえば、到底肯定し得ない。
最高裁だけでなく下級審の判決も、丁寧で精緻ではある。しかし、支配の秩序の根幹に関わる事案においては、どうしても「反権力」とはなり得ない。九条・安保・基地・沖縄・天皇・日の丸・君が代・家制度などに関わるテーマとなれば、憲法の理念を貫くという姿勢が腰砕けとなってしまう。
本日(12月20日)の最高裁辺野古訴訟判決はその典型と言ってよい。さすがに、原審・福岡高裁那覇支部判決のような「安保公益論」の思い込みの説示はなかったものの、4人の裁判官の全員一致の結論で反対意見も補足意見もなかったという。
先に引用した、「あたらしい憲法のはなし」は、国民に、
國会には信頼を
裁判所には尊敬を
求めている。これは、間違いだろう。民主主義本来の理念からは、
國会には国民の猜疑を
裁判所には国民の監視を
こそ、求めねばならない。
しかし、当時の文部省は、裁判所を「じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかた」と描いたのだ。いざという時の「国の味方」としての裁判所は想定外だったのだ。国の肩をもって、戦争のための恒久的な海兵隊の揚陸艦接岸基地建設を認め、環境破壊も治安の悪化も騒音も我慢せよという、住民いじめの判決を書く裁判所が現れようとは思いもよらなかったのだ。
まことに、権力から独立した「そんけいにあたいする最高裁」が切実に求められている事態ではないか。
(2016年12月20日)
オスプレイ飛んだ
名護まで飛んだ
名護まで飛んで
浅瀬に墜ちた
オスプレイ墜ちた
やっぱり墜ちた
撃たれもせぬに
こわれて無惨
オスプレイ墜ちた
墜ちてもけろり
風、風、吹くな
日本中飛ばそ
日本を震撼させたオスプレイの墜落が12月13日の夜9時半。現地の不安と恐怖が癒える間もなく、本日(19日)在沖米軍はオスプレイの飛行を全面的に再開した。防衛大臣や官房長官は「防衛省・自衛隊の知見、専門的見地などから、合理性があるということだ」と言い、地元沖縄知事は「事前の説明がないまま一方的に飛行再開を強行した日米両政府の姿勢は、信頼関係を大きく損ねるもので、到底容認できない」(沖縄タイムス)と述べている。米軍と日本政府が、緊密なタッグを組んでの沖縄県民いじめの図ではないか。
この上なく頼りないだけでなく邪悪なイナダよ。おまえはどこの国の防衛大臣なのだ。米軍の言い分鵜呑みがおまえの仕事なのか。アベ政権よ、日本の主権はどこに行ったのか。県民感情は踏みにじっても、米軍へのおもねりが大事だということか。
翁長知事の最初の言葉が「言語道断だ」であった。この事態にまことにふさわしいが、痛切な響きをもつ。次いで、「そういう(オスプレイ飛行是認の)政府はもう相手にできない。法治国家ではない」と言っている。知事の会見では、「日本政府は県民に寄り添うと繰り返しながら、米側の考えを優先して再開を容認した」「県民不在で、日米安保に貢献する県民を一顧だにしていない。強い憤りを感じる」「あらゆる機会を通じてオスプレイの配備撤回と飛行停止を求める」と厳しい。
名護の稲嶺市長も、記者団に「言語道断」と言っている。
「まだ十分な検証ができていない中、政府が、飛行再開について『わかりました』というのが理解できない。沖縄県民の生命と財産を軽んじている。言語道断だ」
イナダは15日午後に、上京した翁長知事と防衛省で会っている。知事が「不安が現実のものとなり大きな衝撃を受けている。配備に強く反対してきたオスプレイが、このような事故を起こしたことに怒りを禁じ得ず、直ちに飛行中止と配備撤回を強く要請し、強く抗議する」と述べ、イナダは、「在日アメリカ軍の司令官と電話会談し、沖縄県や国民が安全性に重大な関心を寄せているオスプレイの事故は非常に遺憾だと伝え、政府や国民に透明性を持った情報開示をしてほしいと申し入れている」「住民の住んでいる近くで起きたことなので、防衛省としてもしっかり情報収集や公表を行い、安全確認や理解を頂くことが前提だと思っている」応じている。
その舌の根も乾かぬ内の、オスプレイ飛行再開是認の発言であり、自らが県民をしっかり説得しようとまで言っている。開いた口が塞がらない。よくもまあ、恥知らずなことを言えるものと、呆れるほかはない。
翁長知事の反論が厳しい。「安全を確認するのならば、しっかりと中身を含めて具体的に説明するべきで、『アメリカから丁寧な説明があり、日本政府が検証した結果理解した』という報告ではとても納得がいかない。これだけ安全保障を沖縄が背負っているのに、県民に説明しない形で物事にふたをするのはありえない」
この沖縄の怒りのなか、明日(20日)に辺野古訴訟最高裁判決が言い渡される。
(2016年12月19日)
とある受任事件の中間報告である。客観的には重大事件ではない。しかし、どんな紛争も当事者にとっては深刻である。しかもこの事件がもつ問題の普遍性が高い。この事件の解決如何が影響するところは、広く大きいと思う。
私の依頼者(複数)は、語学学校の講師である。もっとも、びっちりと授業時間が詰まっているわけではなく、受講者が講師を指名してマンツーマンでの指導が行われるという形をとっている。だから、指名がなければ講師としての仕事はなくなる。使用者は、宣伝広告によって受講者を募集し、授業時間のコマ割りをきめ、定められた受講料のうちから、定められた講師の賃金を支払う。労働時間、就労場所、賃金額が定められている。これまでは、疑いもなく、労働契約関係との前提で、有給休暇も取得されていた。
ところが、経営主体となっている株式会社の経営者が交替すると、各講師との契約関係を、「労働契約」ではなく「業務委託契約」であると主張し始めた。そして、全講師に対して、新たな「業務委託契約書」に署名をするよう強要を始めた。この新契約書では有給休暇がなくなる。
経営側が、「労働契約上の労働者」に対する要保護性を嫌い、保護に伴う負担を嫌って、業務請負を偽装する手法は今どきのトレンドといってよい。しかし、弱い立場の勤労者の生計を守る必要を基本とする市民法であり、労働者保護法制ではないか。本件のような、「請負偽装」を認めてしまっては労働者の権利の保護は画餅に帰すことになる。
とはいうものの、本件の場合講師の立場は極めて弱い。仕事の割り当ては経営者が作成する各コマのリストにしたがって行われる。受講者の指名にしたがったとするリストの作成権限は経営者の手に握られている。このリストに講師の名を登載してもらえなければ、授業の受持はなく、就労の機会を奪われて賃金の受給はできない。これは、解雇予告手当もないままの事実上の解雇である。やむなく、多くの講師が不本意な契約文書に署名を余儀なくされている。
それでも、中には少数ながらも経営者のやり口に憤り、「断乎署名を拒否する」という者もいる。「不当なことに屈してはならない」というのだ。たまたま、そのような心意気の人との接触があって、まずは交渉を受任することとなった。
本題は、ここからだ。こうして、私は講師を代理して、経営者に内容証明郵便による受任通知と、交渉の申し入れを行った。ところが、なんの返答もない。当事者の講師には、なおも署名の強要が続けられる。再度の内容証明郵便を発送したが、またもなしのつぶて。電話をしても、責任者はけっして出ようとしない。労基署への申告をして、その旨の通知もした。私の依頼者に口頭で「会社側の誰が弁護士との交渉担当になるのか特定してくれ」と言ってもらったところ、「誰と交渉すべきかについては返答を拒否する」との回答だったという。
普通は、こんなとき経営側に弁護士がついてくれないかなと思う。少なくとも話が通じる。無用の軋轢は回避できる。そんな折に、経営者が本件に関して弁護士を選任して労働基準監督官との交渉を委任し、講師との交渉に関してもその指示を仰いでいる様子が見えてきた。ところが、奇妙なことにこの弁護士は、通常のどの弁護士もするような振る舞いをしない。私に何の連絡もせず、むしろ当事者間での交渉を急がせているように見受けられる。これは、弁護士にあるまじき行動として、問題は大きいのではないか。
「弁護士職務基本規定」というものがある。かつては「弁護士倫理」と言っていた、弁護士がよるべき職務上の行動規範である。その第52条は「相手方に法令上の資格を有する代理人が選任されたときは、正当な理由なく、その代理人の承諾を得ないで直接相手方と交渉してはならない」と相手方本人との直接交渉の禁止を明確にしている。その理由は、代理人を通じての円滑な交渉の進展を阻害するというだけでなく、法律に通暁した代理人を選任して自らの権利を擁護しようとした相手方当事者の権利を不当に侵害することになるからである。
本件の場合、労働者は私という弁護士を選任した。経営側の弁護士は、私という労働者代理人の弁護士を無視してはならないのだ。ことは、弁護士という法律専門職の制度を創設した趣旨に関わる。法が弁護士という人権擁護の使命をもった法律専門家としての資格を創設して、弱い立場の人権を擁護しようとしたのだ。その制度の意味を失わせてはならない。
本件の場合、私が労働者側に付いたことを通知して以来、私の依頼者本人と交渉したのは弁護士ではなく経営者ではある。しかし、経営側の弁護士が直接交渉を指示し、あるいは許容したのであれば、生じる事態に差はない。本件の紛争が労働契約関係をめぐるものであり、彼我の交渉力量の歴然たる格差の存在に鑑みれば、当該弁護士の行為は、実質的に弁護士職務基本規定第52条に違反し、弁護士法第56条1項に定める「弁護士としての品位を失うべき非行」に該当するものといわざるを得ない。
さらに、経営者は、労働基準監督官の経営者に対する事情聴取の席に立ち会ったあとの当該弁護士の発言として、「行政は労働者性を完全に否定している」「争っても勝ち目はない」として、「業務委託契約書」への署名強要の手段としている。
弁護士の発言は伝聞の限りであって、どのような内容であったかを断定はし得ない。しかし、経過を知る弁護士が、事態の推移を黙認していること自体が問題ではないか。弁護士職務基本規定第5条は「弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする」として、弁護士に信義誠実の原則に従って業務を行うべき義務を課している。これに違背する非行も、懲戒事由に当たるものと考えられる。
弁護士とは人権擁護の任務を負うものである。労働者、あるいは消費者、患者、住民など、定型的に弱い立場の人権を擁護すべきが本来的任務というべきである。経営者・事業者・医療機関・公害企業など、その相手方にも弁護士が選任されることが想定されてはいる。しかし、強者の側の弁護士も人権擁護の任務を負っている。その任務の一側面として、十全なものとしてなされるべき弱者側の弁護士の活動を不当に阻害してはならないというべきである。そのことは、弁護士という職能創設の制度の趣旨が求めるところである。
(2016年12月18日)
友愛政治塾は、〈友愛を心に活憲を!〉をモットーに、季刊『フラタニティ』の執筆者を講師に招き、それぞれの専門領域での最新の知識を学ぶ場として開設されます。講師団と塾生によるシンクタンク=知的拠点としても活動し、時には講師団全員の賛同を得たうえで政策的提言を発することもあります。
私も、講師を担当いたします。ぜひご参加ください。
塾長:西川伸一 (明治大学教授)
開講場所 東京都内
第3日曜日午後
☆時間配分 午後1時20分から 講義:90分 質疑討論:70分
☆講師は確定。テーマと開講日は変更の可能性あり。
☆12月は番外、望年会も、自由参加。
☆受講料 通し1万円
単回は無し(途中からは別途割引)
登録受講者が欠席の場合にはその友人が1人出席可能。
受講手続き:事前申込必要→入金
主催:友愛政治塾? Fraternity School of Politics
事務局:村岡到
連絡先住所:〒113-0033? 東京都文京区本郷2-6-11-301
ロゴスの会 TEL:03-5840-8525
Mail : logos.sya@gmail.com
郵便口座:00180-3-767282 友愛政治塾
2017年の講師団 (講義順)
西川伸一 明治大学教授
進藤榮一 筑波大学名誉教授
下斗米伸夫 法政大学教授
松竹伸幸 かもがわ出版編集長
丹羽宇一郎 元駐中国大使
伊波洋一 参議院議員
澤藤統一郎 弁護士
浅野純次 石橋湛山記念財団理事
岡田 充 共同通信客員論説委員
孫崎 享 東アジア共同体研究所所長
村岡 到 『フラタニティ』編集長
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2017年日程
? 1月22日(日)
西川伸一 明治大学教授 自民党の特徴と安倍政権
安倍晋三首相は繰り返し「憲法改正は自民党の党是」だと主張しているが、本当なのか。自民党史やこれまでの自民党大会の決議ではどのように書かれているのか。自民党の特質と安倍政権の特徴を明らかにする。
? 2月19日(日)
進藤榮一 筑波大学名誉教授 アジア力が開く新世紀
中国は今やGDPでアメリカに次ぐ第二位で第三位の日本の二倍となっている。アジア諸国の経済成長も目覚ましい。〈アジア力〉の台頭は、400年に渡る近代を超える世紀を切り開きつつある。この現実を直視する。
? 3月19日(日)
下斗米伸夫 法政大学教授 ロシア革命と宗教(古儀式派の存在)
ロシア革命100年を迎えた。「宗教はアヘンだ」という教条に災いされて知られることがなかったが、実はロシア革命には「古儀式派」という宗教の流れが連綿として強く作用していた。政治と歴史にどう影響したのか。
? 4月16日(日)
松竹伸幸 かもがわ出版編集長 日本会議をいかに批判すべきか
近年の日本政治の危険な右傾化の陰で強い影響を発揮している右翼勢力=日本会議への批判はどうあるべきか。単に彼らの「欠点」を暴くだけではない、柔軟で包摂的な批判こそが強く求められている。
? 5月21日(日)
丹羽宇一郎 元駐中国大使 日本と中国の友好外交の道
「中国の脅威」がしきりに煽られているが、14億人の中国の歴史と現状を知らなくてはならない。そして、動かすことのできない隣国とどのように付き合うことが求められているのか。友好外交の道を探る。
? 6月18日(日)
伊波洋一 参議院議員 沖縄の歴史的位置と課題
第二次世界大戦での日本の敗北のなかで、米軍基地の理不尽な押し付けは、どうして生じたのか。琉球王国いらいの沖縄の歴史を捉え返し、沖縄がどのように苦しんできたのか、その理解に踏まえてあるべき姿を展望する。
? 7月16日(日)
澤藤統一郎 弁護士 言論の自由の時代状況
そもそも言論の自由とはどのような権利なのか。今、日本の言論の自由はどのような状態ににあるのか。DHCから6000万円請求のスラップ訴訟被告とされた体験を通じて、「表現の自由」の本質を再確認しつつ、言論封殺の圧力に抗する方法について論じる。
? 9月17日(日)
浅野純次 石橋湛山記念財団理事 マスコミの影響力と責任
マスコミは「第四の権力」といわれ、現代の政治を動かす大きな要因となっている。日本の現在のマスコミはどうなっているのか。市民の立場に立った情報源として有効に機能しているのか。その責任を問う。
? 10月15日(日)
岡田 充 共同通信客員論説委員 日本・中国・台湾はどうなる
日中関係はどうなっているのか。実は台湾も視野に入れて総体的な関係を掴まなくてはならない。台湾の政治はどうなっているのか。マスコミの視野からは抜け落ちる諸関係を歴史的に明らかにする。
? 11月19日(日)
孫崎 享 東アジア共同体研究所所長 日米関係の深層
「アメリカが日本を守っている」──多くの日本人がそう思っているが、本当なのか。真実は一つ。アメリカには日本を防衛する義務はない。敗戦後に作られた〈対米従属〉の分厚い壁からどうしたら脱却できるのか。
番外 12月17日(日)(自由参加)
村岡 到 『フラタニティ』編集長 日本左翼運動の軌跡と意味
左翼は依然として小さな勢力に留まっている。政治を動かす大きな力になれないのは何故なのか。新左翼として生きてきた自らの体験に踏まえて戦後左翼の歩みをふりかえり、その根本的欠陥・弱点を抉り出す。
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よびかけ
日本も世界も不安定さを増しつつ大きく変化しています。日本では、昨年(2015年)9月に安保法制が違憲であることが明確であるにもかかわらず強行採決され、今年(16年)7月の参院選の結果、民意を歪曲する選挙制度も作用して壊憲を進める自民党など与党勢力が総議席の3分の2を超えました。経済では、非正規労働者がほぼ2000万人で被雇用者の約40%に増え、子どもの6人に1人が貧困家庭となる深刻な〈格差社会〉となっています。また、福島原発事故の深刻な実害や今後の災害の可能性を顧慮することなく、原発の再稼働が進んでいます。〈脱原発〉も最重要な課題です。
世界では中国がGDPでアメリカに次ぐ第2位で、第3位の日本のほぼ2倍へと大きく成長し、アジア各国の成長も著しく、アジアの世紀が到来すると言われています。アメリカの衰退は不可避です。戦後の日本を一貫する〈対米従属〉から脱却し、友好と平和の創造をめざす〈東アジア共同体〉を展望しなくてはなりません。
森羅万象と言われるように複雑さを増し、その事象が瞬時に目の前に伝達される情報革命の進展のなかで、日本政治の劣化は著しく、基礎的な認識の獲得がいっそう求められています。
友愛政治塾は、〈友愛を心に活憲を!〉をモットーに、季刊『フラタニティ』の執筆者を講師に招き、それぞれの専門領域での最新の知識を学ぶ場として開設されます。講師団と塾生によるシンクタンク=知的拠点としても活動し、時には講師団全員の賛同を得たうえで政策的提言を発することもあります。
ぜひご参加ください。
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本日は、フラタニティの編集会議。その席上、ハーグ陸戦条約(正確には、「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」及び條約附屬書である「陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則」。1899年採択、1907年改定。日本は1911年に批准)が話題になった。伊波洋一さんが、参議院議員として有する国政調査権を行使して、米軍の沖縄に対する違法行為を洗い出す構想を持っているのだそうだ。
なるほど、ハーグ陸戦条約は戦時国際法として、戦争そのものを止められないとしても、無用の殺傷や戦争被害を最小限にすることを交戦当事国の義務としている。これに照らして、米軍が戦時中に行ったこと、占領中に行ったことの違法の有無を点検することは、今につながる意義のあることであろう。
同条約から、関係あると思われる条文を抜き出してみた。(なお、訳文はネットに掲載されている神川彦松,横田喜三郎共編『国際条約集』を適宜補い句読点を加えた。)
「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」
第三條 前記規則(各締約国が国内法化した本条約に適合する訓令)ノ條項ニ違反シタル交戰當事者ハ、損害アルトキハ之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戰當事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行爲ニ付責任ヲ負フ。
「陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則」(條約附屬書)
第二款 戰闘
第一章 害敵手段、攻圍及砲撃
第二二條 交戰者ハ、害敵手段ノ選擇ニ付無制限ノ權利ヲ有スルモノニ非ス。
第二三條 特ニ禁止スルモノ左ノ如シ。
イ 毒又ハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト
ロ 敵國又ハ敵軍ニ屬スル者ヲ背信ノ行爲ヲ以テ殺傷スルコト
ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト
ニ 助命セサルコトヲ宣言スルコト
ホ 不必要ノ苦痛ヲ與フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト
ト 戰争ノ必要上萬已ヲ得サル場合ヲ除クノ外敵ノ財産ヲ破壊シ又ハ押収スルコト
第二五條 防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス。
第二七條 攻撃及砲撃ヲ爲スニ當リテハ、宗教、技藝、學術及慈善ノ用ニ供セラルル建物、歴史上ノ記念建造物、病院竝病者及傷者ノ収容所ハ同時ニ軍事上ノ目的ニ使用セラレサル限之ヲシテ成ルヘク損害ヲ免レシムル爲必要ナル一切ノ手段ヲ執ルヘキモノトス。
第二八條 都市其ノ他ノ地域ハ、突撃ヲ以テ攻取シタル場合ト雖、之ヲ略奪ニ委スルコトヲ得ス。
第三款 敵國ノ領土ニ於ケル軍ノ權力
第四三條 國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶對的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ囘復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ。
第四六條 家ノ名譽及權利、個人ノ生命、私有財産竝宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ之ヲ尊重スヘシ。
私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ス。
第四七條 掠奪ハ之ヲ嚴禁ス。
第五五條 占領國ハ敵國ニ屬シ且占領地ニ在ル公共建物・不動産・森林及農場ニ付テハ其ノ管理者及用益權者タルニ過キサルモノナリト考慮シ、右財産ノ基本ヲ保護シ且用益權ノ法則ニ依リテ之ヲ管理スヘシ。
日本の皇軍が占領地で行った無法ぶりを免責することができないことは当然としても、そのことが米軍の行為を正当化することにはならない。「銃剣とブルドーザー」で、島民の土地を強奪する行為が違法であることは明らかではないか。伊波さんには、頑張っていただき成果をあげていただきたい。
(2016年12月17日)
最近の毎日新聞「みんなの広場」(投書欄)は充実していると思う。これだけ質の高い豊富な意見が寄せられれば、読み応えがある。担当者もやりがいがあるだろう。
その内の一つ。本日(12月16日)朝刊の「関西大の軍事研究禁止に賛同」と題する大阪府河内長野市在住の高井正弘さん(80)の投書。
関西大学が軍事研究を禁止する方針を打ち出したことを伝える記事を読んだ。その姿勢に賛同の拍手を送りたい。
防衛装備庁が防衛装備品に応用できる研究を公募して資金提供する「安全保障技術研究推進制度」について、学内の研究者が申請することを禁止する方針を決めたとのことだ。研究者を軍事研究に引き込もうとする政府の思惑に対し、関大は「基本的人権や人類の平和・福祉に反する研究活動に従事しない」と定める研究倫理の原則に沿って判断したという。
現在、大学や研究機関は過剰な業績主義にさらされ、研究者は研究費獲得などに駆り立てられている。その果てに論文不正や研究費をめぐる不正まで生じている。安倍政権は特定秘密保護法、安全保障関連法の制定を強行したうえ、国是としてきた武器輸出三原則や原子力の研究・利用3原則をほごにした。危機的な国情に対して、一私学が学問研究の理念を堂々と表明したことを称賛したい。
http://mainichi.jp/articles/20161216/ddm/005/070/012000c
多少の補足をしたい。問題とされているのは、「安全保障技術研究推進制度(競争的資金制度)」である。防衛装備庁が始めた応募型軍事技術研究助成制度。軍事技術の研究に1件3000万円(程度)の研究費を付けて募集する。その成果は、防衛省が「我が国の防衛」「災害派遣」「国際平和協力活動」に活用するものだが、研究費不足の大学や研究機関において、3000万円の研究費助成は大いに魅力的である。思わず手が出ようというもの。関西大学はこの誘惑を自ら断ち切ったのだ。
具体的なイメージは、防衛装備庁の下記募集要項でつかめるのではないか。
「平成28年度は、以下の20件の研究テーマについての技術的解決方法(研究課題)を公募します。各研究テーマの細部について確認した上で応募をお願いします。なお、研究テーマは毎年更新します。
1. 革新的な反射制御技術を用いた光学センサの高感度化に関する基礎技術
2. レーザシステム用光源の高性能化
3. 光波等を用いた化学物質及び生物由来粒子の遠隔検知
4. 機能性多孔質物質を活用した新しい吸着材料
5. 再生エネルギー小型発電に関する基礎技術
6. 赤外線の放射率を低減する素材
(以下略)
この制度は、2015年度に3億円の予算規模で始まった。翌2016年には6億円に増額され、来年度(2017年度)にはなんと110億円の概算要求となっている。3年目の予算が初年度の30倍を超えるという恐るべき大判振る舞い。科学技術やその研究を軍事に取り込もうという露骨さなのだ。
これには、科学者・研究機関の良心をかけて阻止しようという反対運動が巻きおこっている。その効果もあって、2015年には109件だった応募総数が、予算倍増の16年には44件に減少している。予算規模を一気に拡大した2017年が大きな制度定着か否か、攻防のヤマ場を迎えることになるだろう。
幅広く研究者が参集して、「軍学共同反対連絡会」が結成されている。
http://no-military-research.jp/
その喫緊の課題が、全国の科学者や大学・研究機関への、「安全保障技術研究推進制度への応募拒否」の呼びかけである。「軍学共同反対連絡会」のサイトでは、次のように解説されている。
防衛装備庁は、軍事技術に関する研究助成制度である「安全保障技術研究推進制度」を2015年度に創設しました。この制度の狙いは、防衛装備(兵器・武器)の開発・高度化のために、大学・研究機関が持つ先端科学技術を発掘し、活用することです。2015年度に3億円の予算規模で始まった本制度は、2016年には6億円に増額され、来年度(2017年度)においては当初の30倍超の110億円を概算要求しています。大学予算や科学予算が減額され続けている中で、軍学共同を推進するための予算のみが大幅に増額されようとしていることは極めて異常と言わざるを得ません。そして本制度によって大学・研究機関や科学者が軍事研究に取り込まれてしまうことが強く懸念されます。
この制度が大学・研究機関に浸透すれば、科学は人類全体が平和的かつ持続的に発展するための学術・文化ではなくなり、特定の国家や軍に奉仕するものへと変質させられてしまうでしょう。それは、大学・研究機関が本来行ってきた民生目的での研究・開発を歪めてしまうことになります。また、大学院生やポスドクなどの若手研究者が軍事研究に参加することが当然予想され、次世代を担う人間を育てる高等教育の在り方を変質させ、これまでせっかく築き上げてきた大学・研究機関の健全性への市民の信頼に傷をつけてしまうことは明らかです。さらに、戦時中に科学者が軍に全面協力したことへの痛烈な反省から導かれた「軍事研究を行わない」という戦後の日本の学術の原点をも否定することに繋がります。
以上の趣旨を踏まえて、下記のとおりの新しい署名運動が呼びかけられている。研究者だけでなく、毎日新聞への投書に見られるとおり、市民の意思表示も重要だと思う。呼びかけに応えて署名を成功させたいと思う。これも、平和憲法擁護運動の重要な側面である。
? 私たちは、本制度によって、大学・研究機関や科学者が軍事研究に取り込まれてしまうことを強く懸念しています。来年度に、各大学・研究機関がこの制度に応募することのないように各大学・研究機関宛てに提出する緊急署名を実施中です。
? 第一次の署名集約は2017年2月末を予定しています。皆様のご賛同をお願いいたします。また、周囲の方々にも広げていただければ幸いです。
署名のフォームは以下のURLから。
http://no-military-research.jp/shomei/
(2016年12月16日)