今年は、沖縄の基地建設反対闘争が正念場を迎える。自分のできることで沖縄の運動に参加したいと思う。まずは、下記のURLを開いて、高江オスプレイパッド建設反対のリーダー山城博治さんの釈放を求めるネット署名をお願いしたい。
15000人目標の賛同者が、今11731人の賛同者を得て、残り3269人となっているという。できることなら、あなたのお気持ちを、一言なりともコメントしていだたきたいし、このネット署名を拡散しようではないか。
https://www.change.org/p/savehiroji
署名の要請文は以下のとおりだ。
「ふるさとの自然を守りたい」「当たり前のくらしを守りたい」「米軍施設はいらない」??ただそれだけの思いで、高江の住民や沖縄の人たちは必死の座り込みを続けています。座り込みは、「非暴力で」「自主的に」「愛とユーモアを」のガイドラインが徹底され、強制排除にあっても、住民側にケガ人は続出しましたが、機動隊側を誰一人傷つけることはありませんでした。
それなのに、いま、山城博治さんら、反対運動のリーダーたちが、こじつけとしか思えない理由で、不当逮捕され、次々に別の理由に切り替わり、長期に拘留されています。最新の理由は、10ヶ月前の、1月28日から30日にかけて、辺野古・キャンプシュワブのゲート前にブロックを積み、工事車両の通行を妨げたというものです。なぜ、10ヶ月も前に行われた抗議行動について、いま、逮捕勾留なのでしょうか。警察は、その場にいて、見ていたにもかかわらず、何の行動も起こしていませんでした。
これは運動を委縮させ、運動のイメージを傷つけるための不当逮捕としか言いようがありません。
山城博治さんらの釈放を求めるため、年明けに以下の要請文を提出します。ぜひ賛同して要請者になってください!
要請者:鎌田慧、澤地久枝、佐高信、落合恵子、小山内 美江子
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那覇地方裁判所御中
那覇地方検察庁御中
山城博治さんらの釈放を求める要請書
前略
私たちは、沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に反対する人々に対する政府のすさまじい弾圧に深い憂慮の意を表明し、逮捕・勾留されている山城博治さんらの釈放を強く求める者です。
沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に沖縄の県民の多くが反対をしています。沖縄の基地負担軽減では全くなく、新たな基地を作り、基地機能を強化するものでしかないこと、また、貴重なふるさとの自然を守りたい、平穏な生活を守りたいという気持ちから、非暴力の座り込みが続けられています。こうした中、反対運動を続ける沖縄平和運動センター議長である山城博治さんたちがこじつけとも思われる理由で逮捕され、次々と罪名が切り替わり、長期の勾留が続いています。現場で行動を指揮する山城博治さんに対する勾留は、2016年12月25日で、70日にも及んでいます。山城博治さんは、10月17日、ヘリパッド建設予定地周辺の森の中におかれた有刺鉄線を切断したとして器物損壊罪で逮捕されましたが、那覇簡裁は20日にいったん勾留請求を却下しました。すると、警察は、同じ20日に、9月25日に公務執行妨害と傷害を行ったとの容疑で再逮捕しました。勾留を続けるために再逮捕したのです。11月11日には、山城さんは、公務執行妨害と傷害の罪で起訴されました。しかし、起訴の翌日の琉球新報は、山城さんは、「現場で市民の行動が過熱化したり、個別に動いたりすることを抑制し、」「勝手に機動隊員らと衝突したりしないように繰り返し呼びかけていた」と報じています。さらに、山城さんが2015年4月に闘病生活に入り、辺野古のキャンプシュワブゲート前の抗議行動に参加できなくなった後の県警関係者の話として、「暴走傾向の人を抑える重しとして山城さんは重要だった」と話していたと報じています。現場で、警察官が傷害を負った事実が仮にあるとしても、それを山城さんの責任とすることは筋違いです。
さらに、11月29日には、今度は、山城さんは威力業務妨害罪で逮捕されました。この逮捕の容疑は、10ヶ月前の、1月28日から30日にかけて、ゲート前にブロックを積み、工事車両の通行を妨げたというものです。なぜ、10ヶ月も前に行われた抗議行動について、いま、逮捕勾留なのでしょうか。警察は、その場にいて、見ていたにもかかわらず、何の行動も起こしていませんでした。
山城博治さん他運動関係者らに対する逮捕、勾留は、高江のオスプレイパッド建設、辺野古の新基地建設を強行するために、その反対運動をつぶすために行われているものです。沖縄の人々の、基地とヘリパッド建設反対のやむにやまれぬ行動に対して、これを力でねじ伏せるような一連の検挙は、不当な弾圧であり、決して許されてはなりません。
私たちは、山城博治さんたちの早期釈放を求めます。保釈が認められるべきです。同じ被疑事実で逮捕された他の人たちの何人かは、起訴されず釈放されています。罪証隠滅の恐れなどないことは明らかです。もちろん逃亡の恐れもありません。勾留を続ける法的な理由がありません。
とりわけ山城博治さんの健康状態が心配です。山城博治さんは、2015年に大病を患い、病み上がりの状態です。今も、白血球値が下がり、病院に通院し、治療を受けなければならない状態です。勾留理由開示公判で山城さんを見た、市民からも、山城さんの健康を危惧する声が上がっています。健康を害していることが、明らかな状態のもとで、長期の勾留が続けられています。さらに、山城博治さんのみ接見禁止がついていて、市民が面会に行くこともできず、弁護士としか会えない状態が続いています。山城博治さんの健康を害し、生命の危険すらもたらしかねない長期勾留は、人道上も決して許されることではありません。山城博治さんたちの一刻も早い釈放を求めます。
記
1.山城博治さんほか沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に反対する活動に関連して勾留されている人々の保釈または勾留執行停止を強く求めます。
2.山城博治さんに対する接見禁止措置を直ちに解除することを求めます。
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賛同者の署名簿は、那覇地方裁判所と那覇地方検察庁に届けられる。私は、この署名の呼びかけ人である鎌田慧、澤地久枝、佐高信、落合恵子、小山内美江子の各位を、尊敬し信用している。長期拘留が、基地建設反対運動への弾圧であることは自明であるとも考えている。このような事態を放置しておいてはならない。
なお、昨年暮れ(12月28日)に発表された「山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明」も併せて掲載しておきたい。
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山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明
沖縄平和運動センターの山城博治議長(64)が、70日間を超えて勾留されている。山城氏は次々に3度逮捕され、起訴された。接見禁止の処分に付され、家族との面会も許されていない山城氏は、弁護士を通して地元2紙の取材に応じ、「翁長県政、全県民が苦境に立たされている」「多くの仲間たちが全力を尽くして阻止行動を行ってきましたが、言い知れない悲しみと無慈悲にも力で抑え込んできた政治権力の暴力に満身の怒りを禁じ得ません」と述べる(沖縄タイムス2016年12月22日、琉球新報同24日)。この長期勾留は、正当な理由のない拘禁であり(憲法34条違反)、速やかに釈放されねばならない。以下にその理由を述べる。
山城氏は、?2016年10月17日、米軍北部訓練場のオスプレイ訓練用ヘリパッド建設に対する抗議行動中、沖縄防衛局職員の設置する侵入防止用フェンス上に張られた有刺鉄線一本を切ったとされ、準現行犯逮捕された。同月20日午後、那覇簡裁は、那覇地検の勾留請求を棄却するが、地検が準抗告し、同日夜、那覇地裁が勾留を決定した。これに先立ち、?同日午後4時頃、沖縄県警は、沖縄防衛局職員に対する公務執行妨害と傷害の疑いで逮捕状を執行し、山城氏を再逮捕した。11月11日、山城氏は?と?の件で起訴され、翌12日、保釈請求が却下された(準抗告も棄却、また接見禁止決定に対する準抗告、特別抗告も棄却)。さらに山城氏は、?11月29日、名護市辺野古の新基地建設事業に対する威力業務妨害の疑いで再逮捕され、12月20日、追起訴された。
山城氏は、以上の3件で「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」(犯罪の嫌疑)と「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」があるとされて勾留されている(刑訴法60条)。
しかし、まず、犯罪の嫌疑についていえば、以上の3件が、辺野古新基地建設断念とオスプレイ配備撤回を掲げたいわゆる「オール沖縄」の民意を表明する政治的表現行為として行われたことは明らかであり、このような憲法上の権利行為に「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があるのは、その権利性を上回る優越的利益の侵害が認められた場合だけである。政治的表現行為の自由は、最大限尊重されなければならない。いずれの事件も抗議行動を阻止しようとする機動隊等との衝突で偶発的、不可避的に発生した可能性が高く、違法性の程度の極めて低いものばかりである。すなわち、?で切断されたのは価額2,000円相当の有刺鉄線1本であるにすぎない。?は、沖縄防衛局職員が、山城氏らに腕や肩をつかまれて揺さぶられるなどしたことで、右上肢打撲を負ったとして被害を届け出たものであり、任意の事情聴取を優先すべき軽微な事案である。そして?は、10か月も前のことであるが、1月下旬にキャンプ・シュワブのゲート前路上で、工事車両の進入を阻止するために、座り込んでは機動隊員に強制排除されていた非暴力の市民らが、座り込む代わりにコンクリートブロックを積み上げたのであり、車両進入の度にこれも難なく撤去されていた。実に機動隊が配備されたことで、沖縄防衛局の基地建設事業は推進されていたのである。つまり山城氏のしたことは、犯罪であることを疑うべき行為でも、身体拘束できるような行為でもなかったのである。
百歩譲り、仮に嫌疑を認めたとしても、次に、情状事実は罪証隠滅の対象には含まれない、と考えるのが刑事訴訟法学の有力説である。?の件を除けば、山城氏はあえて事実自体を争おうとはしないだろう。しかも現在の山城氏は起訴後の勾留の状態にある。検察は公判維持のために必要な捜査を終えている。被告人の身体拘束は、裁判所への出頭を確保するための例外中の例外の手段でなければならない。もはや罪証隠滅のおそれを認めることはできない。以上の通り、山城氏を勾留する相当の理由は認められない。
法的に理由のない勾留は違法である。その上で付言すれば、自由刑の科されることの想定できない事案で、そもそも未決拘禁などすべきではない。また、山城氏は健康上の問題を抱えており、身体拘束の継続によって回復不可能な不利益を被るおそれがある。しかも犯罪の嫌疑ありとされたのは憲法上の権利行為であり、勾留の処分は萎縮効果をもつ。したがって比例原則に照らし、山城氏の70日間を超える勾留は相当ではない。以上に鑑みると、山城氏のこれ以上の勾留は「不当に長い拘禁」(刑訴法91条)であると解されねばならない。
山城氏の長期勾留は、従来から問題視されてきた日本の「人質司法」が、在日米軍基地をめぐる日本政府と沖縄県の対立の深まる中で、政治的に問題化したとみられる非常に憂慮すべき事態である。私たちは、刑事法研究者として、これを見過ごすことができない。山城氏を速やかに解放すべきである。
*呼びかけ人(50音順)
春日勉(神戸学院大学教授) 本庄武(一橋大学教授) 前田朗(東京造形大学教授) 森川恭剛(琉球大学教授)
*賛同人(50音順)
足立昌勝(関東学院大学名誉教授) 雨宮敬博(宮崎産業経営大学准教授) 石塚伸一(龍谷大学教授) 内田博文(神戸学院大学教授) 内山真由美(佐賀大学准教授) 梅崎進哉(西南学院大学教授) 大場史朗(大阪経済法科大学准教授) 大藪志保子(久留米大学准教授) 岡田行雄(熊本大学教授) 岡本洋一(熊本大学准教授) 垣花豊順(琉球大学名誉教授) 金尚均(龍谷大学教授) 葛野尋之(一橋大学教授) 斉藤豊治(甲南大学名誉教授) 櫻庭総(山口大学准教授) 佐々木光明(神戸学院大学教授) 島岡まな(大阪大学教授) 鈴木博康(九州国際大学教授) 関哲夫(國學院大学教授) 高倉新喜(山形大学教授) 豊崎七絵(九州大学教授) 新倉修(青山学院大学教授) 新村繁文(福島大学特任教授) 平井佐和子(西南学院大学准教授) 平川宗信(名古屋大学名誉教授) 福島至(龍谷大学教授) 福永俊輔(西南学院大学准教授) 松本英俊(駒澤大学教授) 水谷規男(大阪大学教授) 宗岡嗣郎(久留米大学教授) 村田和宏(立正大学准教授) 森尾亮(久留米大学教授) 矢野恵美(琉球大学教授) 吉弘光男(久留米大学教授) 他3人
*計 41 人(12月28日13:00 第1回集約)
(注) 引き続き賛同を呼びかけ、2017年1月中旬に次回集約の予定。
以 上
今年・2017年は、ロシア革命から100週年の年である。
その年の十月革命から内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立した。各国からの干渉戦争を乗り越え、ナチスドイツとの大戦に勝利して、戦後はアメリカ合衆国と対峙する超大国として世界に君臨したが、結局は官僚独裁の弊によって1991年に崩壊した。崩壊はしたが、資本主義の矛盾を克服しようとする人類史上の壮大な試みとして、その意義を否定することはできない。
若いころの私には、マルクスもレーニンも毛沢東もそしてカストロも、輝く魅力にあふれる存在だった。社会主義陣営にこそヒューマニズムがあり未来があるものと感じていた。必ずや「東風が西風を圧する」ものと思いこんでもいた。
否応なく自分の身の回りに見える資本主義社会の矛盾は明らかだった。社会には大きな経済格差があり貧困があった。多くの人々が、低賃金や失業や生活の不安におののいていた。資本の利益に適うとされる限りで、人は人たるに値する処遇を期待することができるが、資本の利益に資することのないとされる人は、切り捨てられ見捨てられる。
人は、人として遇されるのではない。資本に利潤をもたらす労働力としてのみ価値あるものとされる。そのことを当然とし馴らされた国民が保守政党を支持することで、この国の政治が成り立っている。政党政治も民主主義も醜悪な欺瞞以外のなにものでもないと映った。
これに比較して、資本主義の矛盾を克服する試みとしての、社会主義の理念の正しさに疑いはなく、ソ連や中国の社会主義もまぶしいものに見えた。スターリンの粛正も、毛沢東の経済政策の失敗も、当時はよく知らなかった。あるいは、よく知ろうとはしなかったというべきだろう。結局は、ソ連や中国の実態に触れることのないままの観念的な思い込みに過ぎなかった。
中国はいち早く「改革開放」という名の資本主義化に舵を切り、さらにソ連が崩壊するに至って、社会主義の壮大な実験の失敗が明らかとなった。
現実の社会主義建設の試みは失敗したが、そのことによって、克服すべき資本主義の矛盾が解決されたわけではない。むしろ、競争者がなくなったことで、資本主義の傲りは著しいものになったと言えよう。
資本主義の矛盾への対処は、革命というドラスティックな処方が唯一のものではない。資本主義という猛獣を退治しようとしたのが社会主義革命だが、退治するのではなく、その牙を抜き訓育しようという種々の策が各国で試みられている。民主主義的政治原理で、経済の制度や運用をコントロールしようという試みといってよい。ここには、法や人権の観念が大きな役割を果たすことが期待されている。
資本主義の原初の姿が、搾取の容認であり競争の放任である。すべてを市場の原理に任せて良しとするのだ。その破綻は、既に誰の目にも明らかであって、資本の放縦への規制が必要なのだ。資本の行動に枠をはめ、まずは労働者の保護と公正な市場の管理が不可欠なのだ。そして、資本の回転の各過程で、下請け企業の保護や消費者の保護、環境の保護などが必要となる。
ところが、今また、規制を排し資本に無限の自由を与えようという、新自由主義の潮流がはびこっているではないか。労働者の使い捨ては容認され、格差はますます拡がり、貧困はさらに深刻の度を深めている。100年前のロシア革命は、「人間を大切した社会主義」の樹立に成功しなかったが、それに代わって眼前にあるのは「人間を大切にしない野放図な資本主義」である。
私は、人間の尊厳こそが最優先の価値と考える。民主々義的政治過程によって資本を規制することを通じて、「人間を大切にした節度ある社会」を目指したいと思う。ロシア革命は失敗したが、人類は資本主義の基本構造の変革という現実の選択肢をもっているとを示した点に、その意義を見出すべきだろう。
(2017年1月3日)
関東は、暮れから新年の晴天に恵まれた。風は穏やかで、街の喧噪はない。夕暮れには、とびきり明るい宵の明星と三日月とのランデブーが目を楽しませている。暖かな、申し分のない「よいお正月」である。
この数日、あちこちを歩いている。空気はきれいで、路上に人が少ない。正月は、どこもかしこも、さわやかな散歩道だ。
街を歩くと、あらためて神社仏閣が目につく。大伽藍の神社や寺院も魅力的だが、路地裏の小さな社や石像にこころ惹かれる。中でも、目立つのが稲荷神社とお地蔵様だろう。稲荷神社は、江戸時代に伏見稲荷が全国に飛脚便を用いて、積極的に分霊・勧請を行ったと言われている。これが事実なら、画期的な神様の通信販売。何しろ、お稲荷様は、商売の神様。さもありなんと思わせる社の数である。「伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれたほどなのだ。
これに比して、お地蔵様の方には、慎ましやかな敬虔さがある。今日、瓦葺きのお堂に納められた単体の大きな地蔵菩薩にめぐり逢った。人気のない街はずれに、なにやら、かたじけなくもありがたい慈愛の雰囲気。そして、しばらく歩いて、お揃いの赤ずきんとよだれかけの六地蔵にもお目にかかった。
末法思想では、釈迦の入滅後56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうという。その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う役割を果たすのが、地蔵菩薩であるという。
また、十王思想(後世では十三王思想)というものがある。今日もらったパンフレットによると「地獄十王経」が出典とされる説明がなされている。かなり詳細なその記述を要約すれば、以下のようなもの。
人は死すると冥府の十王に裁きを受ける。初七日(死後7日目)から、七日ごとに各王にまみえて生前の罪業について審判を受け、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)のどこに転生するかについて宣告されることになる。その五・七日(死後35日目)にまみえなければならないのが、あの閻魔王である。実は、その閻魔王とは地蔵菩薩の化身なのだという。中世に一般化した本地垂迹説によれば、現世で衆生を救済する地蔵菩薩が本地で、死後の世界で人を弾劾する閻魔はその変化の姿なのだそうだ。
十王思想では、閻魔は裁判官役ではない。六道の転生先を決する処断者は、七・七日(死後49日目)の太山王であって、閻魔は主席検察官役と言ったところ。閻魔王庁には淨玻璃の鏡が置かれている。この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるという。そのため、閻魔の前ではいかなる隠し事もできないとされているのだ。事実上、ここで事実認定と罰条が決せられることになる。
六地蔵とは、いずれも地蔵菩薩の分身で、人が死後に送られた、地獄,畜生,餓鬼,修羅,人,天という六道のそれぞれにおいて,衆生救済のために配されものという。この各分身にも名がつけられており、檀陀,宝印,宝珠,持地,除蓋障,日光というのだそうだ。民間信仰や民間説話としての豊穣さがとても興味深い。
六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)の輪廻は、人々の願いでもあり、戒めでもあったろう。もう少しマシな人生をやり直すことや、あるいはそれ以上の仏の加護は苦しい現実に生きざるを得なかった多くの民衆の願いであったろう。善行を積むことによって人道や天道に転生が可能であるとの教えは救いであったろう。できることなら、人道や天道に転生するために、浄玻璃の鏡で暴かれるような悪行は慎もうと自戒したのだ。
しかし、凡夫はあくまでも凡夫である。浄玻璃の鏡に照らして一点の曇りもない人生を送ることなどは、現実にはなし得るところではない。しかも、戦乱や領主の収奪や洪水や飢饉など、自らの責めに帰すことのできない現実の不幸は無数にあった。
厳格な裁きの閻魔ではなく、救済の仏が求められたのだ。民衆の救済を求める心情が慈愛の地蔵菩薩の信仰を生んだに違いない。しかも、一体だけでは足りずとして、六道それぞれに配置するための六地蔵の変化としたのだ。天道や人道ではいず知らず、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道でこそ、救済の慈悲の仏が必要ではないか。まさしく、「地獄に仏」である。
地蔵の信仰を生み地蔵を祀ったのは、不幸を強いられた民衆の心情だった。日本中至る所に素朴な地蔵を造り、これを祀り続けてきたのも同じ民衆の心だ。私が今日出会ったお地蔵様も、そのように守り伝えられてきたものなのだ。
いまも、事情は大きくは変わらない。シリアやアフガンやガザなどには地獄道が展開されている。ブラック企業やアンフェアトレードの世界は餓鬼道というべきだろう。従軍慰安婦問題をもみ消そうという輩は畜生道に落ちねばならない。自・公・維などの改憲陣営は修羅道に生きる勢力である。
民主主義や立憲主義が行われべき人道、さらには誰もが豊かに、その尊厳が守られるべき天道(あるいは天上道、天界道とも)の世を実現したいと思う。
正月である。お地蔵様にはそのように願ったが、ただ微笑んでいるばかりだった。
(2017年1月2日)
あらたまの年の初めである。目出度くないはずはない。街は静かで人は穏やかである。誰もが、今年こそはという希望をもっている。欠乏や飢餓や恐怖は、見えるところにはない。が、その目出度さも、「ちう位」というしかない。
今年(2017年)の5月3日に、日本国憲法は施行70周年の記念日を迎える。この70年は、私の人生と重なる。振り返れば、その70年の過半は、希望とともにあった。漠然したものではあれ、昨日よりは今日、今日よりは明日が、よりよくなるという信念に支えられていた。「よりよくなる」とは、すべての人の生活が豊かになること、人が拘束から逃れて自由になること、そして貧困が克服されて格差のない平等が実現し、人が個性を育み自己実現ができること、その土台としての平和が保たれることであった。
敗戦ですべてを失った戦後の歩みは、平和を守りつつ豊かさを取り戻す過程であった。自由や平等や人権保障の不足は、「戦前の遅れた意識」のなせる業で、いずれは克服されるだろうと考えられていた。楽観的な未来像を描ける時代が長く続いた。しかし、明らかに今は違う。今日よりも明日がよりよくなり、上の世代よりも若い世代が、よりよい社会を享受するだろうとは思えない。いつから、どうしてこうなったのだろうか。
私が物心ついて以来、民主主義信仰というものがあった。戦前の誤りは、一握りの、皇族や軍部、藩閥政治家や財閥、大地主たちに政治をまかせていたからである。完全な普通選挙を実施したからには、同じ過ちが繰り返されるはずはない、というもの。天皇を頂点とする差別の構造も、官僚や資本の横暴も、民主主義の政治過程が深化する中でやがてはなくなる、そう考えていた。
しかし、経済格差のない男女平等の普通選挙制度が実現して久しい今も、多くの人が政権や天皇批判の言動を躊躇している。官僚や資本の横暴もなくなりそうもない。それどころか、平和さえ危うくなってきた。民主主義信仰は破綻した。少なくとも、懐疑なしに民主主義を語ることはできなくなった。
政治や制度が多数派国民の意思に支えられていることを民主主義と定義すれば、民主主義的な搾取や収奪の進行も、民主主義的な戦争もあり得るのだ。人種差別も思想差別も優生思想もなんでも「民主主義」とは両立する。トランプの登場やアベの政治は、そのことに警鐘を鳴らしている。
格差と貧困が拡がり深まる社会にあって、「お目出度とう」とは言いがたい。国民一人ひとりの尊厳が大切にされて、こころから「おめでとう」と言い合える、「ちう位」ではない目出度い正月をいつの日にかは迎えたいと思う。
立憲主義大嫌いのアベ政権である。今年の憲法記念日に、憲法施行70年を盛大に祝うとは到底思えない。このことは、一面「怪しからん」ことではあるが、権力によって嫌われる憲法の面目躍如でもある。日本国憲法は、政権から嫌われ、ないがしろにされ、改悪をたくらまれていればこそ、民衆の側が護るに値する憲法なのだ。
今年も、憲法改悪を阻止と、憲法の理念を実現する運動の進展を願う。その運動の進展自身が、民主主義を支える自立した市民を育むことになる。微力ではあるが、当ブログもその運動の一翼を担いたいと思う。
(2017年1月1日・元旦)
大晦日である。間もなく今年も暮れてゆく。世のならいにしたがって、2016年を振り返ってみたい。
私は、古い人間だから、修身・斉家・治国・平天下の順に、つまりは個人・家族・国内情勢・国際情勢の順に、感想を略記する。
個人的には今年も大過なく健康で過ごせた。そのおかげで、ブログは366日一度も途切れることなく書き続けることがてきた。本日で、3年と9か月、1371日の連続更新となる。それなりに、毎日意味のある情報や見解を発信し得ているつもりだ。拙いブログも、継続することで真摯さをアピールし、それなりの社会への発信力を獲得しているものと自負している。
もっとも、かつては「憲法」キーワードでのグーグル検索で、「澤藤統一郎の憲法日記」はトップページに位置していた。順位一ケタだったのだ。ところが、次第に後退して、今は9?10頁目に落ちついている。そんなものだろう。ことさらに目立ちたがらず、「二ケタ台」の順位をキープしていることに満足したい。
今年特筆すべきは、DHCスラップ訴訟勝利の年となったこと。バカバカしい訴訟の被告とされて以来、こんないい加減な訴訟での敗訴はあり得ないと思いつつも、6000万円請求の被告とされていることの心理的負担は小さくはなかった。弁護士である私にしてこうなのだから、スラップ訴訟による言論萎縮効果は看過しえない。被告として請求棄却判決を得ただけでは、まだなすべきことをはたしてはいない。来年は、DHCと吉田嘉明らに反撃の提訴をすることになる。「言論の自由」という大義の旗を掲げての訴訟の原告となって、新たな判例を作りたい。
家族も息災に元気で過ごせた。何よりの家内安全である。
国内情勢としては、相も変わらぬアベ一強政治が続いていることが不思議でもあり、残念でもある。アベ政治の継続の中で、戦前を知る人々の多くが、「今は戦争直前の空気に似ている」「意識的に政権に対峙しないと、いつの間にか再びの過ちを繰り返しかねない」と警告を発するようになった。この点に心したい。
戦争に突入する前の、ドイツと日本の歴史を再確認しなければならない。戦争は、ヒトラーだけで、あるいはヒロヒトだけでなし得たことではない。程度の差こそあれ、多くの国民が、戦争を支持し加担したのだ。
たとえば、教育者もである。高知で国民学校の教師をしていた竹本源治は戦後「戦死せる教え子よ」と痛恨の詩を遺している。
逝いて還らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ!
君を縊ったその綱の
端を私は持っていた
しかも人の師の名において
嗚呼!
慙愧 悔恨 懺悔を重ねても、
それが何の償いになろう。
逝った君はもう還らない
…
「慙愧 悔恨 懺悔を重ねても、それが何の償いになろう」という慨嘆は重く深い。アベやイナダや維新への批判に手を抜いて、その結果としての「慙愧 悔恨 懺悔」の事態を招いてはならない、と痛切に思う。
都政では、思いもかけぬ舛添バッシングと小池劇場を見せつけられた。舛添を支持するつもりはさらさらないが、あのバッシングのボルテージは違和感つきまとうものだった。私も舛添批判はしたが、今になってみれば、小池百合子を都知事に据える藪蛇の結果となったのは、恐いことだと思う。
明らかに、舛添よりは小池の方が数段危険度の高い存在である。小池流のパフォーマンスを「都民寄り」などと持ち上げて、小池の影響力を高めることに手を貸してはならない。その右翼的な危険な本質を見失ってはならない。
そして、憂うべきは世界である。トランプ、プーチン、ドゥテルテなどの言動を見れば、明らかに民主主義がその本来の機能を果たしていない。熟議のない政治、少数意見を切り捨てる政治、人権を無視しし理性を欠いた、正常ならざる事態が進行するのではないか。仮に、この流れにヨーロッパが続くようなことがあれば危機的状況といわねばならない。
この民主主義の危機的状況は国内でも、アベ、橋下現象として先行している。理性を備えた自立した市民を担い手と想定する民主主義が、その主体を欠いて機能不全を起こしていることをまず認識しなければならない。
もっとも、すべてが悪いことばかりではない。各地で、市民と野党との共闘の動きは進んでいる。沖縄は、米軍とアベ政権に抗して頑張り続けている。両院の憲法審査会の実質審議は進展していない。今夏の参院選で、衆参両院とも改憲勢力の議席数が3分の2に達し、自民党議席が過半数に達したにもかかわらず、である。籾井は、NHK会長職を辞せざるを得なくなった。政権側の思惑も、なかなか実現してはいないのだ。
「理性を備えた自立した市民」育成の鍵は、教育とメディアにある。これをどう権力の恣意から防衛するか。長いスパンでの努力を積み重ねなければならない。
そのような思いのうちに、今年が去年になる。この1年、「憲法日記」お付き合いいただ読者に心から御礼を申し上げて、行く年のご挨拶といたします。御身大切に、よいお歳をお迎えください。
そして、来たる年もよろしくお願いします。
(2016年12月31日)
明日は大晦日という年の瀬。風は冷たいが、この上ない晴天に恵まれた絶好の散歩日和。幸いに、今日の上野公園は、動物園も博物館も美術館も休園・休館で人の出は少なく、申し分のないすがすがしさ。満開のジュウガツ桜や、ふくらみ始めた梅の蕾などが目を楽しませる。
上野精養軒に隣接のパゴタのある丘を「大仏山」というようだ。かつては、ここに像高6メートルの大仏(釈迦如来坐像)があった。しかし、度重なる罹災によって損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存・展示されている。その胴体は国家総動員法に基づく金属類回収令によって供出対象となり、永久に失われた。「顔だけの大仏」にも戦争の歴史が残されている。
何とはなしに、上野大仏の尊顔をしげしげと眺め、案内の掲示をよく読んでみた。
寛永8年(1621)、越後の国村上城主堀丹後守藤原直寄公がかつて自分の屋敷地としていたこの高台に土をもって釈迦如来の大仏像を創建し、戦乱にたおれた敵味方将兵の冥福を祈った。その後尊像は政保4年(1647)の地震で破損したが、明暦、万治の頃、木食僧浄雲師が江戸市中を勧進し浄財と古い刀剣や古鏡を集め青銅の大仏を造立した。(略)天保14年4月、堀丹波守藤原直央公が大仏を新鋳し、また仏殿も再建された。慶応4年(1868)彰義隊の事変にも大仏は安泰であったが、公園の設置により仏殿が撤去されて露仏となった。大正12年、関東大震災のとき仏頭が落ちたので寛永寺に移され、仏体は再建計画のために解体して保管中、昭和15年秋、第二次世界大戦に献納を余儀なくされた。
この大仏は一名「合格大仏」という。「これ以上落ちない」として合格祈願に訪れる受験生が多いからだ。たびたび落ちて縁起が悪いとするのでなく、「これ以上落ちようがない」とされているのが面白い。たくさんの合格祈願の絵馬が掛けられていた。
注目すべきは、「戦乱にたおれた敵味方将兵の冥福を祈った」とされていること。堀直寄は、秀吉に臣従し、後家康に仕えた武将で、大坂夏の陣の武功で名高い。その武将が、「戦乱にたおれた敵味方将兵の冥福を祈る」ために大仏を建立しているのだ。これが、当時の日本人の戦死観であった。死者を鞭打つ思想も、死んだ者までを差別する感情もなかった。「怨親平等」として、死しての後は敵味方の別はないとしたのだ。
ところが、同じ上野公園敷地に、まったく別の思想の遺物がある。上野戦争における彰義隊士の「墓碑」と「彰義隊墓表之来由」の石碑。この石碑の文字を読んでみたがあまりの長文で、正確には読み切れない。分からないながらも、明治政府への怨念だけは読み取れる。その怨念は、敗戦によるものではなく、戦死者に対する冒涜によるものである。官軍側が死者の埋葬を許さなかったとする恥辱に対する怨みである。
維新政府軍の死者は100余名。直ちに手厚く埋葬された。これに対して、彰義隊士の遺骸266体は上野の山に放置されたという。これを見かねた芝増上寺(徳川家の菩提寺)や、縁故者等が遺骸の引き取りを申し出たが、官軍側はこれを許さなかったと明記されている。この石碑を建てた小川興郷という彰義隊生き残りの人物は、明治政府に対する怨みを後世に残したのだ。
上野戦争についての古老の伝承として、戦争後の上野の山には彰義隊側戦死者の死骸が放置されて悲惨な状態だったとされる。小塚原(南千住)の円通寺23世仏麿和尚と、寛永寺の御用商人であった三河屋幸三郎なるものがこれを見兼ね、戦死者を上野で荼毘に付したうえ、ようやく官許を得て遺骨を円通寺に埋葬したというが、遺体の放置がどのくらいの期間続いたかはよく分からない。
矢田挿雲「江戸から東京へ」第1巻に、「彰義隊戦死者の墓のあるところは、上野戦争の折、賊の死骸を山とつんで焼いた跡、それから久しい間、ただ一本の卒塔婆が建っているばかりだったが、明治8年、山岡鉄舟が有志と謀って、現在の如き墓標を建て、これまた悲しき脱線組の霊を弔った」とある。「これまた悲しき脱線組」とは、「賊軍としての脱線」の彰義隊と西郷隆盛を指している。
現在残されている、山岡建立の「墓碑」は、明治8年ではなく15年(1882年)が正しい。明治8年まで死体が放置されたわけはなかろうが、「賊の死骸を山とつんで焼いた跡、それから久しい間、ただ一本の卒塔婆が建っているばかり」で、長く墓も建てられなかったのだ。なお、山岡鉄舟の筆になる碑銘は「戦死之墓」とされ、彰義隊の文字はない。「賊」軍を、彰「義」隊とは書けない時代だったことが見てとれる。
この、「死者の差別」が靖國の原理的思想である。靖國神社は改称前は東京招魂社と言った。戊辰戦争の官軍は、賊軍の死者の埋葬を禁じて、官軍の死者だけを祀った。これが招魂祭。友軍の死者の霊前に復讐を誓う血なまぐさい儀式であった。招魂祭では、西南諸藩の官軍を「皇御軍」(すめらみいくさ)と美称し、敵となった奥羽越列藩同盟軍を「荒振寇等」(あらぶるあたども)」と蔑称した。天皇への忠死者は未来永劫称えられる神であり、天皇への反逆軍の死者は未来永劫貶められる賊軍の死者としての烙印が押される。
招魂祭を行う場が招魂社となり、靖國神社となった。靖國神社とは、その出自において国家の宗教施設ではなく、天皇軍の宗教施設である。そして、怨親平等とは相容れない死者を徹底して差別する思想を今も持っている。その軍事的宗教施設が今も生き残って、アベやイナダと親しくしているのだ。
すがすがしいはずの散歩が、おどろおどろしいものになってしまった。しかし、民衆は官に弓引くからこそ、彰義隊や西郷隆盛、あるいは白虎隊、将門びいきである。一揆も謀反も叛乱もである。「勝てば官軍」は、嫌われ者と相場が決まっている。そう考えて、気持を持ち直そう。
(2016年12月30日)
本日(12月29日)午前、イナダ防衛相は靖国神社を参拝した。防衛省によると、2007年1月の省昇格後、防衛相の靖国参拝は初めてだという。防衛庁時代からだと、2002年8月15日の中谷元・防衛庁長官の参拝以来のこと。言うまでもなく靖國神社は戦前の国家神道における軍国主義の側面を代表する軍事的宗教施設である。その宗教施設への防衛相の参拝が、近隣諸国の国民の神経を刺激することになるのは当然のことだ。
多くのメディアが、「中国、韓国両政府は稲田氏の対応を批判。北朝鮮の核・ミサイル開発をにらんだ韓国との防衛協力や、中国との防衛交流にも影響」と報道している。共同通信に至っては、「稲田朋美防衛相による靖国神社参拝について、オバマ米政権は公式な反応を示していないが、日米首脳が連れ立って真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する歴史的なハワイ・真珠湾訪問の直後に、中韓などが軍国主義礼賛の象徴と見なす靖国を重要閣僚が訪問したことに、強い不快感を抱いているとみられる」「稲田氏の参拝は米国側には、両首脳の真珠湾訪問に冷や水を浴びせる行為と映りかねない」と配信している。
参拝後、イナダは記者団に「今の平和な日本は祖国のために命をささげられた方々の尊い命の積み重ねの上にある。未来志向に立ってしっかりと日本と世界の平和を築いていきたいという思いで参拝した」「家族とふるさとと国を守るために出撃した人々の命の積み重ねのうえに今の平和な日本があるということを忘れてはならないし、忘恩の徒にはなりたくないと思っています」などと語っている。
自衛隊員からも公然と、「少々頼りない」と言われるイナダである。国会で野党議員からの追及にべそをかく醜態も演じている。「少々頼りない」の批判に過剰に反応して、「強い防衛大臣」という姿勢を見せようと、結局暴走してしまったようだ。記者団へのコメントも、ナショナリズムの感情だけは語られているが、そのことがなぜ靖国参拝に結びつくかの論理に欠け、説得力も迫力もない。
それより問題は、違憲・違法の点にこそある。イナダは弁護士だというではないか。自分の行為が違憲でも違法でもないことをきちんと説明すべきだろうが、情緒的な語り口に終始して、違憲を回避する法的根拠を語りえていない。
イナダが玉串料を私費で支払ったと言っていることからすると、参拝は私的なもので、閣僚としての公的な資格に基づくものではない、と主張したい如くである。
しかし、記者団が確認したところでは、「防衛大臣 稲田朋美」と記帳がなされているというではないか。これは、イナダが「防衛大臣」という公的資格をもって靖國神社に参拝したことにほかならない。肩書記帳とは、そのようなものだ。
人は、私人であるだけでなく、幾つもの立場をもっている。肩書の記帳とは、参拝を受け入れる側である宗教法人靖國神社に対して、参拝者の立場を明示するものだ。私人としての参拝であれば、氏名だけでよい。私人としてでなく、特定の団体のメンバーとしての立場であれば、その団体名を書くことなる。公的な資格での参拝であれば、その資格を明記する。靖國神社はその肩書きにしたがった参拝として遇することになる。宗教的な意味合いからは、靖國神社の祭神にどのような立場、資格でまみえるかは、肩書き記帳以外にはないのだ。
イナダは、「防衛大臣」の肩書を記帳することで、「防衛大臣」の公的資格をもって参拝することを靖國神社に伝えたのだ。私的な参拝であれば、肩書は不要である。この一事で、私的参拝でないことは明らかと言ってよい。
イナダは、「防衛大臣である稲田朋美が一国民として参拝したということだ」と弁明したそうだが、姑息千万。「防衛大臣である稲田朋美」は私人でない。「一国民としての私的な」立場であるためには、「防衛大臣」という肩書を外すことが必要条件である。もちろん、肩書を外せば私的参拝になるわけではないが、「防衛大臣」の肩書を記帳して、「実は私人としての参拝」とは、見苦しいにもほどがある。通用する言い訳になっていないではないか。自分を支援する右翼団体に向けて、涙を浮かべた今夏の醜態を挽回のつもりだろうが、かえって恥の上塗りだ。「頼りない」レベルではない。「到底信用のおけない卑怯な振る舞い」と言わねばならない。
かつて、自民党内閣は、「私的参拝4条件」を明確にしていた。政教分離に違反した違憲の公的参拝であるとの批判を避けるためには、「公用車不使用」「玉串料を私費で支出」「一切の肩書きを付けない」「職員を随行させない」の全部が必要というものであった。不十分ではあれ、それなりに真面目に違憲を避けようとの配慮が感じられる。今の政権には、このような真面目さがない。とりわけ、今回のイナダの参拝はひどい。
総理や閣僚の靖國神社公式参拝について、その合違憲判断の基準に関する最高裁判決はまだない。高裁レベルでは、1991年1月10日の岩手靖国違憲訴訟控訴審判決が詳細な検討の結果、違憲と断じている。長大な判決理由の、結論部分だけを引用する。
靖國神社の宗教性
「靖国神社は明らかに宗教法人法における宗教団体であり、また、憲法上の宗教団体である。そして、神社は神祇(神霊あるいは祭神)を奉祀し、祭典を執行して、公衆の参拝に供するものである。また、祭神は神社の主体、根本をなす中心的要素であって、祭神に対する拝礼は、神の存在を認め、神に対する畏敬崇拝の念を表す行為であるというべきである。靖国神社の祭神は、多数にのぼること前記のとおりであるが、それは、靖国神社が戦時事変の殉難戦死者を祭神としているからであって、そのことによって、靖国神社の宗教団体性が他の神社と区別されるいわれはない」
参拝行為の宗教性
「参拝の宗教的意義ないし宗教性について考えてみるに、神社参拝という行為は、祭神を奉斎した神社に赴いて、祭神に対して拝礼することを意味する行為であるから、まさに、宗教的行為そのものというべきである。」
私的参拝は自由だが、公的参拝は許されない
「参拝は、祭神に対する拝礼であるから、もともと参拝者の内心に属する宗教的行為というべきであり、したがって、それが私的なものとして行われる限り、何人もこれに容喙することは許されないが、右参拝が公的資格において行われる場合には、右参拝によって招来されるであろう国家社会への波及的効果を考慮しなければならないから、憲法20条3項の規定する宗教的活動の該当性が吟味されるべきものと考える。」
追悼又は慰霊を目的とする公式参拝も許されない
「追悼又は慰霊を目的とする公式参拝は非宗教的行為といえるかどうかについて検討することとする。内閣総理大臣等が公的資格において参拝することは、その主観的意図ないし目的が戦没者に対する追悼(それ自体は非宗教的なものとして世俗的なものと評価されよう。)であっても、これを客観的に観察するならば、右追悼の面とともに、特定の宗教法人である靖国神社の祭神に対する拝礼という面をも有していると考えざるをえない。(略)公式参拝については、その主観的意図が追悼の目的であっても、参拝のもつ宗教性を排除ないし希薄化するものということはできないといわざるをえない。」
結論
「天皇、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的資格においてなされる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、右公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えるものと断定せざるをえない。したがって、右公式参拝は、憲法20条3項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為といわなければならない。」
イナダは、謙虚に、心してこの判決を熟読せねばならない。この判決は、天皇と内閣総理大臣の公式参拝について触れているが、閣僚についてもまったく同様である。以下のとおりに読み替えができるのだ。
「防衛大臣の靖国神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国の機関として、特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的資格においてなされる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、右公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えるものと断定せざるをえない。したがって、イナダ防衛大臣の防衛大臣として肩書を付した靖國神社参拝は、憲法20条3項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為といわなければならない。」
(2016年12月29日)
パールハーバーでのアベ晋三の、なんとも面妖な17分間の演説。朝、ラジオで聞いていて、神経に障った。不愉快極まりない。
なるほど、詐欺師と総理大臣とは、平気で嘘をつかねば務まらない。「アンダーコントロールでブロック」のときも呆れたが、今度は戦争と平和についての問題として、さらに深刻だ。
演説の内容は、3つの部分からなる印象。
(1) どうでもよい、情緒的で無内容なつまらぬ部分。
(2) それ自体間違ってはいないが、「そんな演説をする資格があるのか」と突っ込まねばならない部分。
(3) そして、本音の問題発言部分。
(1) 「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入江。」「耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。」「あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で、死んでいった…」
誰が書いた文章なのかは知らないが、こんな浮わついた駄文の朗読を聞かされる身にもなって見よ。耳が痒くなる。尻が落ち着かない。それが、「日本国民を代表して」と繰り返されての発言なのだから、目から火が出るほどに恥ずかしい。日本とは、この程度の首相しか出せない国なのだ。
それはともかく、驚いたのは次のくだりだ。
(2) 戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。
「日本国総理大臣として」の部分を除けば、このように演説のできる人、このような演説を口にして違和感のない人物は、保守革新の立場を問わず、日本に少なからずいる。しかし、そのような人は、アベ政権とその周囲にはいない。「不戦の誓いを貫いてまいりました」と言える人は、例外なくアベ晋三の批判者である。政敵であるといってもよい。
「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない」とは日本国憲法の根幹の理念である。一貫して憲法を敵視し、とりわけ九条改憲に執着してきたアベの口から出れば、デマゴギーである。あるいはマヌーバーなのだ。教育基本法を改悪し、特定秘密保護法や戦争法の制定を強行し、日本を戦争のできる国にしたばかりか、非核三原則や武器輸出三原則をないがしろにして、防衛予算だけを聖域化してきたアベではないか。どの口からどの舌をもって「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ、この不動の方針をこれからも貫いてまいります」などと言えるのか。
(3) さらに、「勇者は、勇者を敬う」の引用が愚かしくも危険極まりない。アベは、奇襲した側の皇軍の兵士も、奇襲を受けたアメリカ軍の兵士も、ともに「勇者」として称えているのだ。靖国の思想に通底する。戦争を徹底して愚かなものと見ないのだ。それぞれの祖国のために勇敢に闘った勇者と勇者。そのように美化する戦没兵士観。これは同盟国同士の戦意高揚演説ではないか。
最大の問題点は、平和を語っていたのが、いつの間にか日米の同盟の賛美を語りはじめる点だ。この演説の本音はここにある。同盟(alliance)とは、軍事に関わる用語ではないか。共通の仮想敵国を想定しての軍事同盟(military alliance)を意味しているのだ。そのような理解で読めば、文意が明瞭になる。
「歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた(軍事的)同盟国となりました。」「それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の(共通の仮想敵国がもたらす)困難に、ともに立ち向かう(軍事)同盟です。明日を拓く、『(軍事的勝利という)希望の同盟』です。」というもの。
こんな軍事同盟はやめて、どこの国とも積極的に友好関係を結ぶべきではないか。そうすれば、特定国との軍事同盟の必要は無くなる。そのような姿勢こそ、「不戦の誓いを貫く」ものとして、誇るに足りるものではないか。
ところで、この演説の中に何度も出て来る「日本国民」とは、はたして沖縄県民を含んでいるのだろうか。いや、沖縄県民に共感してアベ政権を批判する多くの全土の国民を含んでいるのだろうか。アベ政権は、「不戦の誓いを貫く」とは正反対の行動として、沖縄に新軍事基地を建設しようと狂奔している。アベのパールハーバー行の最中に、名護市辺野古大浦湾埋め立て承認の「取り消し処分」が取り消され、日米軍事同盟を強化して、戦争のための基地建設工事が再開された。
こうしてアベ政権と沖縄県民との基地建設の工事をめぐる攻防も再開された。到底、ここに「自由で民主的な国」の姿はない。「法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました」とは、ぬけぬけとよくも言ったもの。「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ」る事態とはほど遠い。
翁長知事は今後も、あらゆる手段で辺野古新基地建設を阻止する考えに変わりないことを強調している。地元の理解や協力なくして、防衛も安全保障もあり得ない。
これを見れば、米軍とアベ政権のパールハーバーでの共同セレモニーは、結局のところ、国民を無視しての支配層同士・軍部同士の、日米軍事同盟強化のパフォーマンスだったと言うべきではないか。
(2016年12月28日)
ワタクシ、おなじみのアベです。いま、パールハーバーを訪問しています。
「右翼の軍国主義者と呼びたいのなら、そう呼んでいただきたい」と大見得を切ったこともあるワタクシです。歴史修正主義グループの頭目と批判され続けてきたワタクシでもあります。何ゆえ、今頃、パールハーバーへ。いったい何をしに来たのか、と不審に思われるのももっともでゴザイマス。これには深いわけがあるのでゴザイマスが、なかなか自分でも上手にお話しできません。アチラを立てればコチラが立たずなのでゴザイマス。その辺はお察しください。
ワタクシの歴史認識においては、中国との戦争は五族協和の大東亜を作るための聖戦であり、アメリカとの戦争は自存自衛のやむを得ざる防衛戦争だったのでゴザイマスから、パールハーバーが卑怯なだまし討ちだったとしても、その犠牲者に謝罪の必要は認めません。ワタクシは、東条内閣の商工大臣だったお祖父さまの教えのとおり、東京裁判史観全面否定を貫く覚悟なのです。靖国派と言われる人々からのご支援あればこその今のワタクシであることをよく心得て、飽くまでも靖國神社参拝にこだわらざるを得ないこともご承知のとおり。そのワタクシが、よりにもよって、なぜパールハーバーなのか。
「真珠湾の前に、まず南京だろう」「柳条湖ではないか」「平頂山にせよ」「いやタプコル公園にこそ行くべきだ」。いろいろ、ご意見のあるところでゴザイマショウ。いろんな疑問や議論の全部にお答えすることは到底できません。たまたま、日米の著名な歴史学者ら53人が、12月25日付でワタクシの歴史認識を問いただす「公開質問状」を発表しています。質問は、かなり意地の悪い3点。これにお答えすることで責めを塞ぐことといたします。
公開質問状質問事項(1)
あなたは、1994年末に、日本の侵略戦争を反省する国会決議に対抗する目的で結成された「終戦五十周年議員連盟」の事務局長代理を務めていました。その結成趣意書には、日本の200万余の戦没者が「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたとあります。この連盟の1995年4月13日の運動方針では、終戦50周年を記念する国会決議に謝罪や不戦の誓いを入れることを拒否しています。1995年6月8日の声明では、与党の決議案が「侵略的行為」や「植民地支配」を認めていることから賛成できないと表明しています。安倍首相、あなたは今でもこの戦争についてこのような認識をお持ちですか。
これはまた、政治家に思想・信条をお訪ねになろうという野暮なご質問。普段は、大嫌いな日本国憲法ですが、こういう場合には19条をしっかりと援用させていただきましょう。
「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」とは、内面の思想や良心の表白を強要されない権利と考えられています。ワタクシの歴史認識を問い質そうということが憲法違反の野暮というものなのです。
ワタクシは政治家ですから、自分の思想や信条のままに動くことはありません。状況次第で、右ともいい、左とも言うのです。第1次アベ内閣の時代には、ワタクシは未熟だった。ワタクシの歴史認識や信条を前面に出すことに性急で、結局失敗したわけでゴザイマス。で、今は当時と比べれば老成し柔軟になっていることはお認めいただけるものと自負しております。政治家などというものは、結局は国民次第。ワタクシが、皇国が反省すべき「侵略的行為」や「植民地支配」を行ったと認めるわけはありませんが、今そのようなことを口にして支持率を落とすがごとき愚をおかすこともいたしません。
仮にワタクシが侵略戦争や植民地支配の誤りを認めて謝罪したとしましょう。たちまちワタクシは、強固な支持層である右翼・国家主義者たちの離反によって、今の地位を危うくします。もし、ワタクシがその反対に、反省も謝罪も不必要と明言すれば、国民の過半を占めるリベラル層からの厳しい指弾を受けざるを得ません。
結局のところは、「謝罪」「反省」「責任」などの言葉を禁句とし、「未来指向の和解による平和の構築」とか、「両国の戦没者を慰霊し、その尊い犠牲を無にすることなきよう不戦を誓う」くらいの無難なことをいうしかないのです。
繰り返しますが、ワタクシの本心などは問題ではありません。飽くまで、ワタクシが何を言うか、何を言えるかだけが問題であって、それはひとえに国民の意識にかかっているのです。
質問事項(2)
2013年4月23日の国会答弁では、首相として「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁しています。ということは、あなたは、連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争と、すでに続行していた対中戦争を侵略戦争とは認めないということでしょうか。
前問の回答とも関連しますが、この問にイエスかノーのどちらかで答える愚は避けたいと思います。風姿花伝の世阿弥の言葉を引用しましょう。「秘すれば花」ではありませんか。まさしく、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」なのです。この分け目を知ることが、政治の要諦なのです。
同行のイナダ防衛大臣は、ワタクシに劣らぬ靖國神社参拝推進派として知られていましたが、秘することなく露骨に靖國神社参拝強行を説いていたばかりに、野党議員から「閣僚になった途端に信条を曲げて靖国参拝を見送るのは言行不一致」と追及されて泣きべそをかいたことは皆さまご存じのとおりです。ですから、勢いに任せて勇ましいことは言わぬが花なのです。
なお、この質問は、過去の戦争を侵略と認めて反省することなしには、将来の平和の構築はないというドグマを前提とするものの如くです。しかし、はたして「過去に目をつむるものは現在に盲目」でしょうか。過去は不問に付して、将来を見つめることだって、できないはずはない。それがワタクシの信念です。今回のパールハーバー行も、それでよいのだという事前の確認があつたからこそ実現したことを申しあげておきます。
このくらいで、十分なお答えになっていると思います。あとはどのように忖度していただいても結構です。
質問事項(3)
あなたは、真珠湾攻撃で亡くなった約2400人の米国人の「慰霊」のために訪問するということです。それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。
これも、ワタクシではなく、主権者である国民が決めることです。ワタクシの身体は私のものであって私のものではない。国民の意思が、明確に望むことであれば、そのようにしたいと思いますが、いま、必ずしもそのような判断には躊躇せざるを得ません。国民は、何よりも日本人戦没者の英霊に尊崇の誠を捧げることを望んでいると思います。
靖國神社が軍人軍属の死者だけを祀るものとなって、民間の戦争犠牲者には何の儀礼もなく、死者の遺族にも補償もないことが著しい差別と批判されますが、これも国民が選択してきたことではありませんか。
今回の「慰霊行」が、アメリカだから国民に違和感がないという側面は否定し得ないと思います。なにしろ、ヘイトスピーチの横行を許している国民ではありませんか。中国や韓国・北朝鮮の戦争被害者の「慰霊行」を国民感情が許すかどうか。ワタクシには見極めがつきかねます。
要は、正しいか否かではなく、国民の支持を取り付けられるかどうかだけが、メルクマールなのです。それがナニカ?
なお、53氏の質問状の最後はこう締めくくられています。
首相としてあなたは、憲法9条を再解釈あるいは改定して自衛隊に海外のどこでも戦争ができるようにすることを推進してきました。これがアジア太平洋戦争において日本に被害を受けた国々にどのような合図として映るのか、考えてみてください。
考えてみましたよ。その結論は、「日本による被害を受けた国々の国民」よりは、日本国民の感情を優先しなければならないということでゴザイマス。「アジアへの侵略を認めて謝罪をする」ことは、ワタクシの拠って立つ政治基盤を自ら掘り崩すこと。到底できることではありません。これだけは明確に申しあげておきます。だいたい、アメリカに頭を下げるのは昔から慣れていることでもありますしね。えっ? それがナニカ?
(2016年12月27日)
暮れも押し詰まった本日、DHCスラップ訴訟弁護団会議が開かれた。
テーマは下記の3点。
☆ 勝利報告文集作成の件
☆ 1月28日勝利報告集会の持ち方
☆ 反撃訴訟提起の件
以下に、各テーマごとの協議の概要をご報告する。
☆報告文集の作成と内容の件
・報告文集のコンセプト
勝利を記録し世に広める。
スラップ対策実務に役立つものとする。
読者対象は、ジャーナリスト+市民+弁護士。
・発行主体はDHCスラップ訴訟弁護団(光前団長)
編集は株式会社プラスワンに依頼
1500冊を作成
B5版 横組み 本文144頁+表紙
1頁1500字の見当
・ただし、1月28日報告集会配布には間に合わない。
1月16日第1次入稿で、順次1月28日集会報告を含めて原稿を追加し、
2月末発刊のスケジュールとする。
・内容の概要(4部構成)
(1) 経過報告
(2) 論文
(3) 感想・祝意・メッセージ
(4) 資料
(1) 経過報告(30頁見当)
団長挨拶(2頁)
本人挨拶(2頁)
スラップについて
本件の経過(10頁)
(2) 論文(全40頁見当)依頼先
*弁護団論文(各4?8頁見当)
1 名誉毀損訴訟判例の推移の中にDHCスラップ訴訟を位置づける。(光前)
2 スラップ訴訟対策のノウハウ(小園)
3 名誉毀損裁判とは何か(神原)
4 政治とカネ 政治資金に対する監視と批判の重要性(阪口)
5 規制緩和と消費者問題(中川)
*研究者論文(各6?8頁見当)
1 田島泰彦さん(メディア法) 講演報告を兼ねて
2 右崎正博さん(憲法)
3 内藤光博さん(憲法訴訟)
*スラップ体験者等(各2頁見当)
1 三宅勝久さん
2 北健一さん
3 烏賀陽弘道さん
4 ネットユニオンさん
5 今瞭美さん
6 新里宏二さん
(3) 感想・祝辞・コメント・メッセージ(30頁見当)
(1頁×30)
(4) 資料(全40頁見当) 分量は適宜調整とする
ブログ抜粋
週刊新潮記事(内容の引用とする)
本件訴訟資料
判決(1審・2審・上告不受理決定)
参考判例の抜粋
弁護団長陳述書
本人陳述書等
可能であれば、反撃訴訟の訴状を掲載する。
・この報告集は、販売して売り上げを弁護団費用に充てる。
原価400円ほどになり500冊は無料配布することになるので、頒価は1000円(+消費税)とする。
・弁護団員や御世話になった方には郵送献本する。
☆報告文集のタイトルを募集
以上の報告文集のタイトルが決まらない。
副題は「DHCスラップ訴訟・勝利の記録」くらいでよい。
メインタイトルは、固すぎず、面白そうで、読んでみようと思わせるものを。
「表現の自由を求めて」「言論の自由の今」「社会の健康に」などが候補にあがったが、いずれも没。広く、衆知を集めようということになった。よいお知恵を。
☆1月28日勝利報告集会の持ち方
・日時 2017年1月28日(土)午後(1時30分?4時)
場所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
「スタジオプラス小ホール」にて
・進行
司会は佐藤・山本
弁護団長挨拶 15分
田島先生記念講演 30分
+質疑 15分
常任弁護団からの解説(各10?15分)
神原(名誉毀損訴訟の構造)
中川(サプリメントの消費者問題)
小園(反撃訴訟の内容)
会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
澤藤挨拶
・資料 資料集を配布する。
報告文集の主要な原稿の抜き刷りを100部作成して配布資料とする。
資料代として500円のお支払いをお願いする。
☆ DHC・吉田に対する損害賠償訴訟(反撃訴訟)の構想について
・提訴予定日
DHCスラップ訴訟の提起が2014年4月16日
時効を考慮して2017年4月16日以前の提訴が望ましい。
候補日を最初のブログ掲載の日から3年目の3月30日(木)として準備する。
・被告は、DHC・吉田嘉明の両名だけとするか、
あるいは原告訴訟代理人となった弁護士も被告とするか。
スラップ訴訟や不当懲戒請求事件の代理人となった弁護士の責任を追及した事案についての報告があり、検討したが本日は結論に至っていない。
・訴額 請求額は660万円。
・訴額の根拠は、6000万円請求のスラップに対抗して応訴するための弁護士費用がその10%の金額として主損害を600万円とし、その請求のための弁護士費用10%を付加しての660万円。つまり、スラップ応訴のために被告(澤藤)が本来支払うべき弁護士費用(着手金+成功報酬)の妥当額が600万円、そして、反撃訴訟の弁護士費用がその10%の60万円。これなら妥当というべきではないか。
・違法性を基礎づけるキーワードは、
(1) DHC側の「調査義務懈怠」
(2) 6000万円の過大請求
(3) 合計10件もの濫訴
DHC・吉田の本件提訴は、原告の権利・利益の実現のための民事訴訟という、制度本来の提訴ではない。自分への批判の言論を封殺する目的をもった損害賠償請求訴訟である。わけても、政治的批判の対象とされた「公人」は、批判の言論に寛容を要求され、客観的に当該言論を封殺する結果となる高額損害賠償請求訴訟の提起には慎重でなくてはならない。そのため、批判の言論を萎縮せしめる違法・不当に訴訟ではないかとの検討に関して高度の調査義務が課せられる。その言論封殺の威嚇効果を狙った提訴として、違法を支える根拠たる事実が(1) ?(3) である。
・スラップ訴訟の原告が違法とした、3本の吉田嘉明批判のブログの最後の掲載が、2014年4月8日「政治資金の動きはガラス張りでなければならない」というもの。これを違法とする2000万円の損害賠償請求訴訟の東京地方裁判所への提訴が同年4月16日である。到底、政治的言論の自由に配慮して提訴の可否を検討した形跡はない。しかも、DHC・吉田の提訴のしかたは、事前の交渉も通知もない、いきなり提訴の乱暴極まりないやり方。さらに、一審で敗訴しても、成算のない控訴審、そして最高裁への上告受理申立とフルコースを付き合わされたのだ。
・提訴が不法行為となるべき判断についてのリーディングケースとされている1988年(昭和63年)最高裁判決の枠組みは、表現の自由という価値に無関係の不動産取引における紛争事例である。提訴が変える意気込みが必要。
・調査義務違反の主体は、むしろ本人よりは弁護士ではないか。DHC・吉田の代理人となった弁護士こそ専門家責任を負うものとして被告にすべきではないか、という強い意見もあったが、前述のとおり本日は結論に至らなかった。
ご支援いただいた皆さまには、報告文集への寄稿をお願いします。感想・コメント・メッセージなんでも結構。できるだけ、1月16日までに。1500字程度を歓迎しますが、長短あっても極端でなければ差し支えありません。そして、1月28日集会へも、是非ご出席ください。
さて、新たな年には新たな訴訟が始まる。今度はこちらが攻める立場だ。被害回復の訴訟であるとともに、スラップを許さず言論の自由を擁護する闘いでもある。新たな弁護団員を募集し、新たな弁護団費用捻出のためのカンパ活動にも着手しなければならない。
新たな年には、新たなご支援を、どうぞよろしく。
(2016年12月26日)