澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

石原宏高議員選挙違反続報

16日「毎日」の夕刊は、「事務員がビラ配り」と見出しをつけて、以下の記事を報道している。
「石原宏高衆院議員(東京3区)が昨年12月の衆院選で、大手遊技機メーカー「ユニバーサルエンターテインメント」(UE社)から社員3人の派遣を受けた問題で、石原氏側が3人を有権者に直接働きかけのできない「事務員等」として東京都選挙管理委員会に届け、報酬を支払っていたことが分かった」「石原氏側が東京都選管に提出した選挙運動費用収支報告書によると、石原氏側は3人を「事務員等」として届け、それぞれに1日1万円(1人当たり選挙期間中計12万円)の報酬を支払った」「石原氏はこれまで『3人はボランティアで、選挙運動員としてビラ配りをしてもらった』と説明していた」

この記事は極めて具体的で、信憑性が高い。石原宏高選挙事務所の総括主宰者・出納責任者は公選法221条1項1号(運動買収)・3項(加重要件)に該当して、最高刑は懲役4年の犯罪に当たる。石原宏高議員自身が関与していれば同罪である。また、UE社から派遣された3人は、221条1項1号の被買収罪に該当して最高刑は懲役3年の犯罪となる。

選対陣営が選挙運動員に金をやって選挙運動をさせることは典型的な買収罪(運動買収)に当たり、選挙運動員が選対陣営から金をもらうことも対抗犯として犯罪に当たる。予め届け出た事務員に日当を払うことは認められているが、証紙貼りや、宛名書きなどの純粋の事務作業に限る。事務員としての届出をしておいて日当を払った者に電話の応対やビラ配りをさせたり、作戦会議に出席させるなどの選挙運動をさせれば、犯罪になる。石原陣営も、金をもらったUE社の3人も完全にアウトだ。

17日「朝日」の朝刊は、「選挙応援『勤務扱い』」という見出し。こちらの記事では、さらに悪質な石原陣営とUE社の癒着が報道されている。

「朝日新聞は、UE社内で作成された『3人は通常勤務扱いとし、残業代を支給する』などの記載がある内部文書を入手した。石原議員は疑惑発覚後、『有給休暇中のボランティアだった』として公職選挙法違反(運動員買収)の疑いを否定しているが、説明と矛盾する内容だ」という。

朝日が入手したという「選挙応援の件(ガイドライン)」と題する文書は、UE社の人事部門が作成したもので、「衆院選当日までの約1カ月間、社員3人を選挙応援として動員する」として、「対応策(ガイドライン)」7項目が列挙されている。犯罪構成要件との関係で重要なのは、選挙運動中の賃金はUE社が支払うことが明記されていること。「選挙事務所にて残業(超過勤務)等が発生した場合には、残業代を支給する」とまでされている。交通費など経費の精算の際には「現地市場調査等」という名目にするとの指示もある。

石原陣営もUE社も、口裏を合わせて「有給休暇中のボランティア」としての選挙運動であったという。カムフラージュの常套手段だ。「選挙応援の件(ガイドライン)」には、「あくまでもボランティアを募集して行わせる体裁をとる」ことが明記されている。実態が違法であることを認識していた証左といえよう。

UE社の人事担当者について運動買収罪が成立し、賃金保障で選挙運動をした3人も被買収罪が成立する。いずれも最高刑は懲役3年である。

石原候補の選挙運動をしたUE社の3人。朝日の報道ではUE社から賃金保障を受け、毎日の報道では、選対から日当を受けていたという。どうやら、二重取りだった様子。とはいえ、所詮は宮仕えの身。同情の余地はある。選挙に絡んで金をもらうことの恐ろしさが身に沁みることであろう。この3人に金をばらまいた石原選挙事務所、賃金保障をしたUE社、いずれも罪が深い。
(2013年3月19日)

第五福竜丸平和協会理事会。

本日は公益財団法人第五福竜丸平和協会の理事会。私は、監事として出席。
新年度の事業計画と、2012年度の決算案・13年度の予算案について、川崎昭一郎理事長からのまことに丁寧なご説明を受ける。いつものことながら、透明性が確保されていること、出席者全員に良く分かるようにとの行き届いた配慮が心地よい。多くの善意が集まって、少額の予算ながらも、反核平和の運動に大きく寄与する活動がなされていることを実感する。

石原知事が去って猪瀬知事に交替したこと、オリンピックの誘致が実現した場合の「夢の島」の変貌と展示館のあり方に話題が集まる。第五福竜丸展示館が東京都からの委託事業である以上、都政のあり方に関心を寄せざるを得ない。

ところで来年は、ビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被災してから60周年に当たる。来年の春に記念シンポジウムの提案があって了承された。
コンセプトは、「ビキニ水爆実験と第五福竜丸被災の今日的な意味を明らかにし、核と人類の関係についての問題提起とする」というもの。次のようなテーマの研究発表集会になるはず。
・アメリカの太平洋核実験による世界規模のフォールアウトの実態。
・放射能の雨による被曝と漁業被害の実態。
・放射線被曝による人体への影響の解明。
・ビキニ事件と市民の平和意識の覚醒、その今日的意味。
・核兵器と原子力エネルギー利用問題。
・核と人類の未来
これから、専門家との共同作業が始まる。

また、60周年を期して、ブックレットのシリーズを刊行していくことに。
?第五福竜丸ものがたり。
?久保山愛吉さんの死と乗組員の被曝を解明する。
?木造漁船第五福竜丸に見る船大工の技
?私とビキニ事件
?第五福竜丸保存史 など。
絵本もつくろう。各地での巡回企画展を呼び掛けよう。その事業のための募金活動を成功させよう。

すがすがしい、理事会であった。

近隣諸国から日本はどう見えるのか

本日は、東京弁護士会「憲法問題対策センター」の学習会。名古屋大学の愛敬浩二さんのレクチャーを拝聴した。憲法9条についての「非武装主義的解釈の意義」というテーマ。講演後の率直な意見交換における、大要以下のような発言が印象に残った。

中国や韓国の姿勢が挑発的というご意見がありましたが、立場を代えて向こうから見れば、日本こそ挑発的ということになるのかも知れません。
同じ敗戦国で、同じく経済発展を遂げたドイツは、自国の戦争責任を徹底して償った。たとえば、西ドイツのブラント首相がポーランドを訪問し、雨の中ワルシャワ・ゲットーの前でひざまずいてナチスの犯罪に対して深い謝罪の姿勢を示すわけです。こうして、ヨーロッパの中で再びドイツが近隣と紛争を起こす国となることはあり得ないという信頼を勝ち得ているのです。しかし、日本は近隣諸国への謝罪をしてこなかった。再びアジアの脅威となることはあり得ないという信頼を勝ち得てはいないのです。
近隣諸国からそのような日本を見れば、この重苦しい時期に、先祖返りのように旧体制を象徴する人の孫を首相に据えたということになる。従軍慰安婦などはなかったと言って河野談話を破棄しようという人物を首相にすることだけで、十分に挑発的ととられることを理解すべきではないでしょうか。

まったく同感。立場を代えてものを見てみよう。きっと、ちがった景色が見えてくるだろう。北朝鮮にも、イランにも言い分はある。それに耳を傾けることからしか、相互理解も平和も築けない。

金権・金まみれの選挙運動を糾弾する

金権・金まみれの選挙運動を糾弾する

選挙とは投票日だけのものではない。有権者が投票行動を決める過程において、自由な言論戦が保障されなければならない。これが選挙運動であり、選挙運動の自由は最も重要な場における言論の自由として保障されなければならない。選挙運動の自由(戸別訪問・文書の掲示頒布)に対する権力的規制は不当な弾圧にほかならず、この弾圧はもっぱら革新陣営を対象としてなされる。

一方、選挙の公正が金の力でゆがめられてはならない。金がものを言うこの世の中で、買収・供応等の金権選挙・企業ぐるみ選挙を許してはならない。経済的な格差を投票結果に反映させてはならず、取り締るべきは当然のこと。その摘発は、もっぱら保守陣営を対象としてなされ、現実にけっこうな数にのぼっている

革新陣営を対象とする買収・供応等の実質犯の摘発事件がないのは、革新陣営には金がないからだ。多少のカンパが集まっても、法定ビラや電話代に消える。金で票を集める、金で運動員を集める、運動員に日当を出すという発想がそもそもない。まず金を集めて始める保守の選挙との根本的な違いがある。

本日の「朝日」一面のトップ記事。見出しは、「石原宏高議員側が運動員要請 UE社派遣、法抵触の疑い」とつけられている。分かりにくいが、「石原宏高議員に公選法上の買収の疑い」がある、ということだ。警察や検察が動いているという記事にはなっていないが、常識的に当局からのリークと見るべきであろう。一面トップの扱いは、朝日が、本件を摘発必至と判断したということだ。

公選法上の買収には、「投票買収」と「運動買収」との2種類がある。「投票買収」は金で票を買うという古典的な形態だが、いまどきそんな事案はほとんどない。摘発されているのは、もっぱら「運動買収」である。これは、人に金を渡して選挙運動をさせるということ。選挙運動員に金を渡せば、運動買収になって刑事責任を科せられる。

選挙が金で動かされてはならない。選挙運動とは金をもらってするものではない。この潔癖さが、保守陣営にはない。石原宏高選挙がその見本である。純粋のボランティアで選挙運動員が集まるはずはなく、金をばらまくしか運動員を確保できないのだ。

例外がないわけではない。当不当の議論は別として、純粋に単純労務を提供する者は所定の日当をもらっても良いことになっている。ウグイス嬢・手話通訳者・ポスター貼り・封筒の宛名書きなど。この人たちの名と日当額とは選管に届出ることになる。もし、この人たちが、単純労務の範囲を超えて、電話受けをしたり、ビラ配りをするなど、少しの時間でも選挙運動をすれば、運動買収(日当買収ともいう)が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動員も、ともに刑事罰の対象となる。

朝日の報道では、
(A)「UE社は3人の社員を派遣して12月16日の投開票日まで選挙の手伝いをさせた。応援の期間、3人については、UE社が給与のほか、選挙運動で遅くなったときの宿泊代や交通費、食事代なども負担した」
(B)「石原議員側が都選挙管理委員会に届け出た選挙運動費用収支報告書には、UE社の社員3人が「事務員等」と記載されている」
(C)「石原議員側からUE社役員に選挙を手伝う社員を出すよう依頼があった」という。
これを、金権体質の金まみれ選挙という。

(A)の文脈における「UE社」側の行為は、公選法221条1項1号の「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をした」に当たり、買収罪として最高刑は禁固3年の犯罪となる。また、「UE社」から派遣された社員3名は、同条1項4号の「第1号の金銭の供与を受けた」にあたり、同じく最高刑は禁固3年となる。

(B)の文脈における刑事責任は、これだけでは判然としない。労務提供の事務員としての登録者に選挙運動をさせていたということのようだが、石原陣営からの金銭の供与がともなっていれば、選挙運動を総括主宰した者あるいは出納責任者の刑事責任が生じ、最高刑は懲役4年となる。

(C)の文脈では、「UE社役員に選挙を手伝う社員を出すよう依頼をした」という石原議員側の人物に刑事責任が生じる。221条1項6号の「前各号に掲げる行為に関し周旋又は勧誘をしたとき」に当たるか、あるいは依頼行為が教唆罪(刑法61条1項)に当たるからである。
石原議員自身が「周旋又は勧誘をした」とされる場合には、候補者であるが故の加重要件に該当して最高刑は懲役4年となり、有罪の確定と同時に公民権の停止も行われて議員資格を失う。選挙運動の総括主宰者あるいは出納責任者が有罪になった場合にも、連座制の適用によって石原議員の資格が剥奪される。

選挙運動は金をもらってやるものではなく、選挙運動者に金を渡せば、渡した方も受けとった方も犯罪なのだ。また、当然のことだが、「法律を知らなかった」は言い訳にならない。アルバイト募集に応募したところが選挙運動をさせられ、結局有罪になったという気の毒な実例もある。「UE社」側のみならず、派遣社員の有罪も動かしがたい。

石原議員とUE社の行為を「このくらいのことで、金権・金まみれの選挙というのは大袈裟ではないか」「懲役・禁固は厳しすぎるのでは」という意見もあるだろう。しかし、金の力で選挙の公正をゆがめてはならないとする公選法の理念を理解しない者の謬見と斥けざるを得ない。飽くまでも、選挙運動とは、個人が無償で行うべきものなのだ。企業の出る幕はなく、金をもらってする選挙運動はないものと知るべきである。

自民党改憲草案の全体象と96条改正

本日は、ネットテレビ(IWJ)での自民党改憲草案批判の鼎談。これが4回目。準備不足ではあるが、しゃべっているうちに考えが整理されてくる。

日本国憲法の理念は3本の柱にたとえられます。国民主権、基本的人権の尊重、そして恒久平和主義。この3本の柱が、立憲主義という基礎の上にしっかりと立てられています。堅固な基礎と3本の柱の骨組みで建てられた家には、国民の福利という快適さが保障されます。いわば、国民のしあわせが花開く家。それが現行日本国憲法の設計図です。

今、自民党の改憲草案は、そのすべてを攻撃しています。

(1) まず、基礎となっている立憲主義を堀り崩して、これを壊そうとしています。つまりは、憲法を憲法でなくそうとしているということです。国家権力と個人の尊厳とが厳しい対抗関係に立つことを前提として、個人の尊厳を守るために国家権力の恣意的な発動を制御するシステムとして憲法を作るという考え方が、近代立憲主義。これをねじ曲げて、国民に憲法尊重の義務を課し、あるいは国民にお説教をする憲法に変えてしまおうという意図がありありです。

(2) 3本の柱のどれもが細く削られようとしています。腐らせようとされているのかも知れません。
?まずは、「国権栄えて民権亡ぶ」のが改正草案。公益・公序によって基本的人権を制約できるのですから、権力をもつ側にとってこんな便利なことはありません。国民の側からは、危険極まる改正案です。
?9条改憲を実現して、自衛隊を一人前の軍隊である国防軍にしようというのが改正案。現行法の下では、自衛のための最低限の実力を超える装備は持てないし、行動もできません。この制約を取り払って、海外でも軍事行動ができるようにしようというのが、改正草案の危険な内容。
?国民と主権を争う唯一のライバルが、天皇という存在です。その天皇について、「日本国は天皇を戴く国家」とするのが改正草案前文の冒頭の一文。第1条では、「天皇は日本国の元首」とされています。現行憲法に明記されている天皇の憲法尊重・擁護義務もはずされています。恐るべきアナクロニズム。

(3) その結果として大多数の国民には住み心地の悪い家ができあがります。とはいえ、経済的な強者には快適そのものなのです。自分たちの利潤追求の自由はこれまで以上に保障してくれそうだからです。日本国憲法は、経済的な強者の地位を制約し弱者には保護を与えて、資本主義社会の矛盾を緩和する福祉国家を目標としました。今、政権のトレンドは新自由主義。強者の自由を認め、弱肉強食を当然とする競争至上主義です。自助努力が強調されて、労働者の労働基本権も、生活困窮者の生存権も、切り詰められる方向に。

臆面もなくこのような改正案を提案しているのが、安倍自民党です。かつての自民党内の保守本流とは大きな違い。おそらくは、提案者自身も本気でこの改正案が現実化するとは思っていないでしょう。しかし、96条の改正手続条項の改正だけは、現実に改正まで漕ぎつけたい。そう思っているにちがいありません。

憲法改正のハードルを低くし、一度改憲の実績をつくってしまえば、そのあとは本格改正に道を開くことができる。あわよくば、9条改憲まで。96条の改正は、内堀を埋めるようなもの。本丸の落城が危ぶまれることになりかねません。その意味で、96条の改正問題は重要だと思います。

96条改正だけを見るのではなく、96条改正のあとに押し寄せようとしている大津波を警戒されるよう訴えます。

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