(2021年8月9日)
昨夜は台風9号が九州を襲った。コロナ禍はさらに深刻な様相。東京五輪の喧噪は昨日ようやくにして終わったが、五輪禍はまだ続く。昨日の万能川柳に、「おもてなし出来ず おみやは五輪株」(吹田 のんさん)とあるとおりだ。世の中、安穏ではない。
コロナ禍を押しての東京五輪強行の理由はいくつか数えられるが、その中の一つに、政権浮揚の思惑があったことは間違いない。明らかに政権は、国民やメディアを舐めていた。「オリンピック開催に突っ込めば、メディアは感動の記事一色だ。国民の関心も意識も変わる。そうすれば、低迷する内閣支持率も復活する」との読みである。
この読みは、半分は当たった。確かに、メディアは「メダルラッシュ」「感動大安売り」の記事で埋められた。しかし、沈みかけた政権の浮揚の思惑は当て外れとなった。本日発表の朝日世論調査、内閣支持率28%・不支持率53%という結果である。政権の危機、いよいよ深刻である。
太平洋戦争末期の事情に似ていなくもない。敗戦必至の戦況となって、近衛文麿が天皇(裕仁)に「早期の敗戦受容」を勧告した。しかし裕仁はこれに従わず、「もう一度戦果をあげてから」と講和の時期を失した。そのため、彼は厖大な国民の生命損失に有責の刻印を押されることとなった。なくもがなの、その後の各地の大空襲、沖縄地上戦、2発の原爆投下によってである。菅義偉も、衆院の解散時期を失することになりそうな雲行きである。もっとも、こちらは裕仁ほどの責任の重さはない。
ところで、誰が言ったか「8月は 6日9日15日」。今日はその9日、長崎の原爆投下の日。長崎市が主催する「被爆76周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が挙行された。
本日も、菅義偉は来賓の立場で挨拶を述べたが、針のムシロの心境だったろう。3日前の広島の式典で、信じがたい失態を犯したばかり。被爆者団体から、「不誠実極まりない」と叱責を受けた身だ。彼は、確かに心ここにあらず、ボーっとしていた印象だった。無能総理というだけではなく、不誠実の烙印も消えることはないだろう。
それだけではない。広島・長崎の両市長も被爆者団体も声を揃えて、「日本も核禁条約の締結を」「せめて、条約締結国会議にはオブザーバー参加を」と悲痛なまでの声を上げているが、菅はまったく無視の姿勢を崩さないのだ。
それでも菅は、式典出席見合わせとは言えない。やはり、イヤでも出席せざるを得ないのだ。式典出席が、圧倒的な世論の求める内閣総理大臣としての任務なのだから。思い出す。安倍晋三という人物、沖縄の平和勢力からは蛇蝎の如く嫌われている。それでも、6月23日「慰霊の日」の「沖縄全戦没者追悼式」には出席せざるを得なかった。On-line出席で済まそうとて、できることではない。
安倍晋三は(菅義偉もだが)、沖縄の民意に逆らって新基地建設を遮二無二強行する首謀者。言わば、本土のエゴで沖縄に戦争リスクの負担を押し付けているのだ。だから、「沖縄平和祈念」の式典にはまったく似つかわしくない。それ故に、式場周辺からあからさまに、「何しに来たのか」「カエレ、カエレ」と罵倒されることになる。それでも、「じゃあ帰るよ」とは言えない。罵倒されながらも、式典出席を継続せざるを得ない。これが、民心と離れ、心服されることのない為政者のつらいところ。
菅義偉は、本日長崎の式典に遅刻はしたようだが、読み飛ばすことなく、挨拶の原稿全文を恙なく読み通したという。よくできた。それくらいの能力はあるんだ。ねえ、菅君。人間、優れていることよりは、真面目であることが大切なんだよ。真面目にやればちゃんと仕事ができるじゃないの。
社会人には、「有能ー無能」、「誠実ー怠慢」の評価軸がある。できることなら、有能で誠実と言われたいものだが、なかなかそうはいかない。菅君も、努力次第で「有能」の評価を獲得することは可能だが一朝一夕には無理なこと。任期を考えると間に合いそうもない。一方、緊張次第で「誠実」の評価は得やすいのだが、広島での菅君、君は無能で怠惰と評価せざるを得なかった。今日長崎の君は、まずまず誠実といってよい。だって原稿読めたのだから。
では菅君、君は有能か。総理大臣として求められる能力とは、何よりも官僚が作成した原稿を滑舌よく、聞いてる人に分かるよう朗読できることだ。安倍晋三のように、漢字が読めなかったり、読み間違えたりしなければ立派なものだ。今日の君については、原稿を間違いなく読めたのだからまずまず合格点としたい。採点としては、「可」だ。
今日の式典で、田上富久市長も、被爆者代表の岡信子さんも、切実に訴えていた、核兵器禁止条約の署名と批准そして第1回締約国会議にオブザーバーとして参加することを真剣に考えなくては。それができたら、「良」の判定になるよ。がんばりたまえよ、菅君。残りの任期は長くもないんだから。
(2021年8月8日)
東京オリンピックが本日で終わる。コロナ禍の中での五輪禍。あらためて、オリンピックというものの愚劣と危険が浮き彫りになった。中止に追い込むことができなかったことが残念の限り。
東京オリンピックとアスリートの愚劣を象徴する事件が、「豪選手団が帰国便で大騒ぎ ー 泥酔しマスク拒否」と報道されたもの。
「オーストラリアの東京五輪代表選手らが、帰りの日本航空(JAL)機内で泥酔してマスクを拒否するなどの騒ぎを起こした。騒ぎを起こしたのは、サッカーと7人制ラグビーの男子代表選手ら。選手らが搭乗した日本航空の飛行機は、2021年7月29日に羽田空港を出発し、約10時間のフライトを経て、翌30日朝に豪シドニーに到着した。選手らは機内で、酒を飲んで歌い始め、客室乗務員がマスク着用や着席を求めても拒否した。しかも、機内に保管してあった酒類を勝手に持ち出し、乗務員らが止めても応じなかったという。また、トイレで嘔吐して床などを汚し、トイレが使えなくなったケースもあった。機内には、一般客も搭乗しており、選手らの行為は迷惑だったとメディアの取材に話したという。」
取り立ててオーストラリア選手のモラルが低いということはありえない。これがオリンピック選手の平均レベルだろう。スポーツが人間性を育てるなどというのは、真っ赤なウソ。むしろ、一流と言われるアスリートの特権意識が鼻持ちならない。
スポーツを嗜む人と無縁な人。それぞれのグループに人格者もいれば、非人格者もいる。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」は、罪の深い迷信である。私は、アスリートに対する敬意の念を持ち合わせていない。むしろ、「体育系」といわれる人々の精神構造に嫌悪感をもち続けてきた。
「昔軍隊、今体育系」は至言である。日本の「体育」は軍事訓練のルーツをもっている。ご先祖様である天皇の軍隊と同様、体育系は不合理の巣窟。イジメ・暴力・体罰・私的制裁・上命下服・精神主義・面従腹背・勝利至上主義・非科学性、非知性、権威主義・ナショナリズム…。個人主義よりは全体主義に親和性を持ち、同調圧力に弱い。人権思想や民主主義感覚との対極にある。体育系は批判精神に乏しく盲目的に指導者に従う。
だから、体育系の精神構造は企業には歓迎される。親はそれを知っているから、子どもにスポーツをやらせる。そんな風に育つ子どもたちのトップエリートとしてオリンピック選手が生まれるのだ。格別にアスリートに敬意をもつべき理由とてあり得ない。
オリンピックとは、「体育系」精神の集大成としての興行である。本質において偉大なる愚劣と言うべきであろう。ところが、この愚劣なイベントが、きらびやかな装いをもって多くの人々の関心を惹き付ける。それ故に無視し得ない危険をはらむものとなっている。
東京オリンピック開催強行は、人々のコロナへの関心を相対的に稀薄化し対策を弱体化して、既に感染爆発を招いている。しかしこれでは終わらない。このさきの潜伏期間経過後に、さらなる感染拡大を覚悟しなければならない。「メダルラッシュ」「感動の大安売り」の代価はとてつもなく高価なのだ。
オリンピックは、それだけではない危険をはらんでいる。あの安倍晋三が、得々とそのオリンピックの危険性を説明してくれている。「月刊Hanada」(飛鳥新社)8月号に掲載された、櫻井よしことの対談。そこで安倍晋三は、東京五輪開催に反対する世論を「反日的」と攻撃しているのだ。なるほど、そうすると私も「反日」なんだ。
安倍晋三・櫻井よしこという極右コンビとオリンピックとは、とても相性がよいのだ。この右翼政治家は、オリンピックを自分に親しいものとして、こう語っている。
「この『共有する』、つまり国民が同じ想い出を作ることはとても大切なんです。同じ感動をしたり、同じ体験をしていることは、自分たちがアイデンティティに向き合ったり、日本人としての誇りを形成していくうえでも欠かすことのできない大変重要な要素です」「日本人選手がメダルをとれば嬉しいですし、たとえメダルをとれなくてもその頑張りに感動し、勇気をもらえる。その感動を共有することは、日本人同士の絆を確かめ合うことになると思うのです」「(前回の東京五輪では)日本再デビューの雰囲気を国民が一体となって感じていたのだと思います」
自身が繰り返してきた「復興五輪」「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、完全な形で、東京オリンピック・パラリンピックを開催する」などのフレーズはどこへやら。要するに、安倍晋三にとって東京五輪の開催は「日本人としての誇りを形成」「日本人同士の絆を確かめ合う」「日本再デビュー」などという全体主義、国粋主義鼓吹の道具なのだ。おそらくは、これが本音である。
確認しておこう。安倍や櫻井にとって最も重要なのは、「親日」か「反日」かの分類である。東京オリンピック開催に賛成するのが「親日」、反対意見は「反日」なのだ。その理由は、オリンピックというイベントを通じて、ナショナリズムの喚起が可能となるからだ。安倍晋三の言うとおり、これがオリンピック危険の本質なのだ。
(2021年8月7日)
表題の句、残念ながら私の作ではない。朝日川柳欄に掲載の一句。作者は兵庫県・大西哲生、これは秀逸だ。
五輪・コロナ・バッハ・菅が、今の新聞時事川柳の主要ネタである。魂胆ありげな安倍も案外多く、小池は精彩を欠いて少ない。それぞれのネタが、深刻ではあるが、いかにも川柳的なのだ。掲載句はさすがにどれも達者、とうてい真似できない。
テーマが重複し分類は難しいが、このところの毎日仲畑万能川柳と朝日川柳とから、いくつかを並べてみた。
? まずは東京五輪を詠んだ句。東京五輪を手放しで肯定する駄句はない。東京五輪開催強行を問題にする句が主流だが、始まれば興味をそそられるというアンビバレントな心情が句になっている。
スローガンコロコロ替わる五輪です 本庄 支持拾六
五輪後は他国のコロナ置き土産 東京 小政
ゴリ押しは「五輪押し」と書くこれからは 栃木 風倒人
感動や興奮よりもホッとしたい 山口 葉と根
反発と祈りが交差する五輪 下野 咲弥アン子
国のためじゃなくて走れキミのため 鴻巣 雷作
国別のメダル数より感染者 福島 烏賊人参
コロナから菅とバッハに菌メダル 静岡 ミノチャン
見なくても非国民ではない五輪 駒ケ根 早次郎
テレビでは五輪とコロナもう飽きた 下関 畠中英樹
開催後東京誤輪なりそうね 北九州 皿倉さくら
皆の者そこのけそこのけ五輪が通る 茅ケ崎 ゴト師妻
無観客体力測定みたいだな 和泉 今倉大
間際まで命と金のせめぎ合い 東京 カズーリ
五者協議つまりはやりたい人で決め 東京 立肥
悪いことしているような聖火リレー 草加 石川和巳
2020撤去忘れのよな看板 熊本 ピロリ金太
夢・希望・感動押しつけられ苦痛 八王子 テイク5
お祭りはみなの笑顔があってこそ 北九州 半腐亭
金メダル選挙前だよ栄誉賞 鳴門 かわやん
単純にコロッと感動するんだろ 札幌 紅帽子
オリパラのテレビ意地でも見るものか 豊田 けにち
「中止しろ」聖火が来たら「がんばれ?」 伊豆 シロくん
流行語「安心安全」入りそう 西条 ヒロユキン
感動も二つ三つほどが良い(岐阜県 中野和彦)
煮沸して天日干しする金メダル(宮城県 田所純一)
表敬は金メダルチョコ代用し(東京都 堀江昌代)
日本では寝込んだ時分(ころ)の聖火かな(京都府 藪内直)
反対とあれほど嫌った五輪見る(茨城県 加納楯夫)
アスリート私たちよりどこ偉い(東京都 古賀雅文)
金メダル タイタニックに積み上げて(広島県 高橋滋)
ニュース読むアナウンサーに顔二つ(愛媛県 吉岡健児)
この博打(ばくち)やればやるほど負けが込み(埼玉県 西村健児)
喰(く)えぬ子を余所(よそ)に弁当ドッと捨て(神奈川県 朝広三猫子)
? そしてコロナを詠んだ句。コロナそのものについてではなく、コロナを巡る政権の無為無策無能に目が向けられている。
ついに出たコロナ在宅死の勧め(愛媛県 木村瞳)
歓喜の畳 辛苦のベッド(茨城県 五社蘭平)
2回目の前に勧める3回目(宮城県 鈴木正)
アナウンサー飛沫(ひまつ)の量は増すばかり(大阪府 玉田一成)
若者の怖くないよに怖くなり(群馬県 樺澤信雄)
現実に引き戻される過去最多(徳島県 井村晃)
知りました政治無力で人が死ぬ 埼玉 孫六
もしかして「安心・安全」おまじない? 伊勢原 大原龍志
ワクチンの在庫も見ずに百万回 群馬 からっ風
GoToをせずにワクチンやってれば 東京 寿々姫
首長が競わされてる接種率 川西 水明
ウイルスが教える日本途上国 田川 下降の天使
まん延をしてから防止するコロナ 福岡 朝川渡
最初から「人の流れ」と言えばどう? 富士見 不美子
挨拶は「予約取れたか」「うん取れた」 東京 ほろりん
来週に打つこと決まりワクワクチン 沼津 まさみ
副反応報告しあう接種後(あと) 川崎 さくらの妻
接種日に出会った人と一期二会(神奈川県 田中ゆう子)
第5波も6波もきっとやって来る 大阪 ナナチワワ
援助せず酒は出すなよ金貸すな 鎌倉 狩野稔
息できる人は自宅の恐ろしさ(東京都 内田昌廣)
言うなれば汝(なんじ)人民家で死ね(兵庫県 大西哲生)
Amazonに酸素ボンベはあるのかな(埼玉県 田口尚孝)
崩壊を自宅療養と言い逃れ(東京都 村田正世)
鉄面皮患者切り捨ての策に出る(神奈川県 大坪智)
罹(かか)っても自助です五輪は続けます(東京都 土屋進一)
言っとくよ 自宅療養 あなたもよ(大阪府 緒方よしこ)
? 次いで、IOCのバッハ。こんなにも短期間で評価が下がった人物も珍しい。これまでは、ベールの彼方にその姿がよく見えなかった。今回よく見えるようになったら、なんというお粗末なお人柄。贅沢極まる金銭感覚と意識だけは貴族趣味の奇妙な香具師。
バッハ出て風呂から出たらまだバッハ(神奈川県 細田幸代)
民宿でいいよ言わないバッハさん 別府 タッポンZ
スイートに泊まるらしいねIOC 幸手 百爺
IOC東京終わればハイ次と 東近江 佐太坊
おもてなしIOC(あっち)が主賓だったのね 春日部 猫文庫
? 国内の人物では、当然ながら菅義偉。この人のやることなすこと、ひねりの必要なくそのまま川柳なのだ。こんな人は、却って句にしにくいのではないか。
テロップがついて行けない読み飛ばし(三重県 山本武夫)
式典で上告下げたを自賛する(埼玉県 渡辺梢)
「これまでに経験のない」無策かな(千葉県 高師幸広)
難しいことは地方へ投げてやる(栃木県 井原研吾)
総理即自宅療養させなさい(奈良県 横井正弘)
菅総理目耳口頭もうあかん(福島県 菅野はるか)
女房がしゃしゃり出ぬのがマシなだけ(福岡県 河原公輔)
ガースーのそばだけ人が減っており(神奈川県 みわみつる)
人流が減ったと見える不思議な眼(め)(兵庫県 河野敦)
支持率が落ちたので止(や)む黒い雨(大阪府 首藤媾平)
人心を摑めず人事掌握し 桶川 句意なし
うけ狙い外す総理と似た自分 相模原 せきぼー
今回も説明せずになし崩し 札幌 ヨーちゃん
質問を聞かずに食べる山羊総理 東大阪 きくさん
菅総理きっとくしゃみも「ワックチン」 府中 火星人
先手だとおっしゃいますが後手後手ヨ 佐倉 桜人
かみ合わぬ受け答え引き継ぐ総理 今治 てんまり
打ち勝った証どころか宣言下 京都 みぞれ
質問の前に答弁始めてる 別府 タッポンZ
メモなしの球児宣誓観る総理 大津 石倉よしを
? この時期に安倍晋三に言及している句が少なくない。物欲しそうな風情が見えるからなのだろう。
反安倍が反日だとは限らない 福岡 朝川渡
安倍流で言えば6割反日に 東京 三神玲子
耳打ちすアベちゃん逃げた日もうすぐよ(岡山県 木田昌)
尻尾無いトカゲ見つけて調査中(福岡県 西野豊)
安倍マリオ ヒラだ今度は公平に(山形県 渡部米助)
沈む船マリオ船長どこ行った(神奈川県 一柳直貴)
重い腰軽い責任無い記録 大分 赤峰ユキ
? 対して小池百合子の句は少ない。もう、旬の人ではなくなったようだ。
サル山に天井無かった雌のボス(富山県 中居純)
菅さんに ねえ立たないのと小池さん(愛知県 牛田正行)
(2021年8月6日)
あの日から76年、例年のとおり猛暑の8月6日。例年と違うのは、コロナ禍のさなか、そして五輪禍のさなかでの広島である。菅義偉にとっては初めての(そして、おそらくはこれが最後の)広島平和式典(「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」)出席であり、核禁条約が発効して初めての8月6日でもある。
広島市長は、事前にIOC会長バッハに対して、原爆犠牲者へのこの日の黙祷を要請した。具体的には、下記の内容である。
「選手村などそれぞれ居られる場所において8月6日午前8時15分に黙祷を捧げることで、心の中で同日開催される広島での平和記念式典に参加するよう呼び掛けていただくことはできないものでしょうか。」
が、ささやかなこの願いは聞き届けられなかった。オリンピックとは何なのだろうか。IOCとは何者だろうか。これが平和の祭典のあり方とは思われない。
菅義偉は、暑いさなかをいやいや式典に出席して、いつもながらの原稿棒読みだった。最近何もかもうまく行かないという苛立ちもあったのであろうか、最初から少しおかしかった。冒頭「広島市」を「ひろまし」と噛み、原爆を「げんぱつ」と読み違えた。さらに、原稿1ページ分を読み飛ばし、ほかに「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」とのくだりも読まなかったという。
毎日新聞によると、「私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない……」と読み上げた後、「世界の実現に向けて力を尽くします、と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、核兵器のない世界の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく」という部分を読み飛ばした、という。
一番大事なところの読み飛ばしである。しかも、これでは文意が通らない。被爆者や遺族に対して礼を失することこの上ない。コロナ禍・五輪禍に加えての「菅義偉禍」と指摘せざるを得ない。
コロナ感染を警戒して、出席者の人数は制限されていたが、首相挨拶以外は真っ当だった。松井市長の平和宣言では、以下のとおり、核禁条約の締結要望が明示された。
「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。」
そして、恒例の子ども代表が「平和への誓い」を読み上げた。もちろん、読み飛ばしなどはなく。印象深いその一部を引用しておきたい。
「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。
私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。
私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。
私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。
そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。
誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません。
争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます。
広島で育つ私たちは、使命を心に刻み、この思いを次の世代へつないでいきます。」
菅義偉よ。この子どもたちの清浄な決意を聞いたか。平和への使命の発言に耳を洗ったか。
実は私も、戦後広島で育った一人だ。小学校1年生を市内の3校に通った。いずれも爆心地に近い幟町(のぼりちょう)小学校、牛田(うした)小学校、三篠(みささ)小学校である。その間にピカ(原爆)の絶対悪を確信した。
1945年8月6日午前8時15分をもって、人類史は二分される。私は、漠然としてではあるが、少年時代からそう思ってきた。あの原爆が炸裂した瞬間、人類は疑いなく自殺の能力をもち、そのことを自覚したのだ。
以来、人類が身につけた自らを滅ぼす能力を封じ込めることが人類が取り組むべき最大の課題となった。核廃絶こそが人類共通の願いであり、最大の課題としてあり続け、事態は今も変わらない。
にもかかわらず人類は、核廃絶どころか核軍拡競争を続けてきた。原爆は水爆となり、多様な戦術核が開発された。核爆弾の運搬手段は飛躍的に性能を向上させ、人類は核戦争による絶滅の恐怖とともに生存してきた。人類は、いまだに首をすくめ息を潜めた「萎縮した小さな平和」の空間で生き延びている。
すべての武力が有害で無意味であるが、核兵器こそは絶対悪である。今日、8月6日はそのことを確認すべき日。「この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続け」ようと思う。
(2021年8月5日)
戦争の悲惨と不合理を語り、平和の尊さを確認すべき8月。ところが、今年はコロナ禍に強行された東京五輪のことばかりを語らざるを得ない。あの戦争について何か書かねばならないと思っているところに、たまたまドキュメンタリー映画の「制作協力のお願い」というリーフレットが舞い込んできた。その映画の題名は、「戦争の足跡を追ってー北上・和賀の十五年戦争」という。これは、協力しなければならない。
私の母方のルーツは盛岡だが、父方のルーツは北上(旧町名・黒沢尻)である。父(澤藤盛祐)は黒沢尻で生まれ、ここで徴兵検査を受け、招集されて兵役に就いている。にもかかわらず、その北上(黒沢尻)と戦争との関係を私はまったく知らなかった。この地域に日本最大の軍用飛行場があったこと。かつて、アルミを国産化しようという国策会社があったこと。その軍需工場を標的とした空襲があったこと。そして、いま「北上平和記念展示館」が開設されていること…。
このリーフの中に、こんな一文がある。「東北のヘソに位置する北上市には、たくさんの戦争遺跡や遺物、歴史が残されている。戦争を二度と繰り返さないという平和への強い願いを後世に伝えるべく…」「ここには15年戦争の縮図がある。北上・和賀地方には戦時中、国産アルミニウムをつくる工場や、特攻機を製造する疎開工場などがありました。そして、和賀町藤根の後藤野飛行場からは、敗戦 6日前に特攻機が飛び立ち、3名の若者が帰らぬ人となっています。終戦直前の空襲や、残された7千通の軍事郵便など、この地方には戦争に関する様々な事柄が集中しています。」
下記の公式ホームページからは、映画作成の意図がよく伝わってくる。
http://longrun.main.jp/footsteps_war/index.html
規模は大きくなかったが盛岡も空襲を受けた。人々は空襲警報が鳴るたびに防空壕に避難した。1945年の夏、2歳に満たない私はひどいハシカだった。母は、むずかる私を背負って何度も防空壕に逃げ込んだという。物心ついて以来、母から「あんな心細い思いはしたくない。もう、2度と戦争はイヤだ」と聞かされた。それが、私の戦争観の原点となった。
岩手では、釜石の戦争被害が大きかった。凄まじい艦砲射撃で製鉄所が破壊され町が焼かれた。その衝撃音は、100キロ余も離れた盛岡にも聞こえたという。が、北上・和賀の空襲は知らなかった。この映画を制作している都鳥伸也・拓也兄弟の祖父がこう語っていたという。「戦争の頃、北上には軍需工場があって、アメリカ軍の空襲を受けたことがある。国見山の方からグラマンの編隊が飛んできたのが見えたんだ」。戦争の爪痕は、日本のどこにもあるのだ。その気になって探しさえすれば。
アジア・太平洋戦争は、天皇の軍隊による侵略戦争だった。だから、悲惨な戦場は基本的に外地にあった。最も悲惨な民衆の被害も外国でのもので、加害者は皇軍だった。15年続いた戦争の最終盤で、戦地は国内となり、多くの日本人非戦闘員戦争被害が噴出した。こうして、東京大空襲、沖縄地上戦、広島・長崎の原爆被害が、語られている。
しかし、この大規模被害も、厖大な戦争被害の一部に過ぎない。それぞれの人にとって、「自分の町にも戦争があった」のだ。日本の各地域には同じように戦争の足跡が眠っている。それを意識して掘り起こそうというのが、この映画の意図なのだ。そうすることで、すべての人に他人事ではない戦争の惨禍を思い起こさせる。
あの戦争が終わって76年目の夏である。直接に戦争を語れる人も、戦争の爪痕を語れる人も、少なくなっている。今、意識的に、戦争体験の承継と戦争の遺跡の保存が必要である。そのような試みの一つとして、この映画の制作に微力ながらも協力したい。リーフレットにはこう記されている。
現在、映画の製作、公開に必要な経費850万円が不足しており、一口5,000円での製作協力金の募集を始めました。映画の完成、公開に向けて皆さまのご協力を何卒、よろしくお願い致します。
ご協力いただいた方々には、完成作品の試写会招待券(指定の試写会のみ使用可)と個人視聴用DVD(上映には使用不可)をプレゼントします。
また、映画の公式サイトにお名前を掲載いたします。
試写会、劇場公開のスケジュールは決定次第ご連絡します。
DVDのプレゼントは全国上映の普及のため、劇場公開から2年後を予定しております。
5,000円以下も受け付けますが、プレゼントは試写会の招待状のみとなります。
振込先
郵便振替 口座番号 02230?3?138259
口座名義 有限会社ロングラン
通信欄 『戦争の足跡を追って』協力金、と必ずご記入ください
(参照 http://longrun.main.jp/footsteps_war/support.html)
(2021年8月4日)
かつて政権は、東京五輪開催の意義を「人類が新型コロナに打ち勝った証し」とノーテンキに説明した。コロナには勝てそうもないと分かってからはこの開催意義の看板は引っ込められたが、コロナ禍を顧みない無謀な五輪の開催には固執し続けた。五輪開催の意義なんぞ所詮はお飾り、どうでもよいことなのだ。そして、東京五輪開催強行の今、「政権がコロナに打ち負かされた、無能の証しとしての東京五輪」が現実化しつつある。
また、菅は何度も、「安全安心な東京五輪」を強調してきた。「国民の命と健康を守るのは私の責務で、五輪開催を優先させることはない」とも言っている。しかし今、感染爆発のコロナ禍の実態は、東京五輪を「安全安心」の対極のものとしている。取り返しのつかない事態となる前に、直ちに聖火を消せ。《コロナに打ち負かされた証しとしての東京五輪》を中止せよ。
政権も都知事も、そしてバッハも組織委員会も、コロナに打ち負かされたことを潔く認めなければならない。その上で、多くの人の命と健康を守るために、聖火を消して速やかに東京オリンピックを中止し、円滑な事後処理に移行しなければならない。
コロナに負けたことは、バブルの外側でも内側でも顕著である。一昨日以来の、「重症入院患者以外は原則自宅療養」という政府と都の方針変更が、事実上の敗北宣言にほかならない。医療態勢逼迫を超えて、医療崩壊を自白したに等しい。我が国の医療態勢はかくも脆弱だったのだ。
そして、本日の新規感染者数である。東京4166人、全国1万4207人と過去最高になった。これでも第5波のピークは見えていない。本日の閉会中審査・衆院厚生労働委員会で、政府のコロナ対策分科会会長尾身茂は、東京都の新型コロナ感染症の新規感染者数が1日1万人を超える可能性を肯定している。
東京都を中心に医療状況の深刻さは新規感染者数に表れているばかりではない。都内の入院患者数はすでに3351人(3日時点)まで増え、過去最多だった1月12日の3427人に迫りつつある。都で感染拡大時に最大で確保できる病床6406床に対する病床の使用率は2日時点で50%と、最も深刻な「ステージ4」(感染爆発段階)に達した。
また、1週間平均の1日当たり新規感染者数は3337人(3日時点)と過去最多を更新し続けており、入院者数が急増する懸念が生じている。療養者数も2万7千人を超え、自宅療養者数は1万4千人を上回っている。
この事態に、世論の反発は強い。国民は、やる気のない無能な、この政権・この都政を継続させ続ける限りは、自分たちの命と健康が危ないことに気付き始めているのだ。
一方、バブルの内側も、危うい。まずは、「選手村の敷地内で飲酒し騒ぎ」「選手ら複数人か 警察官が出動」という話題。
31日午前2時と言えば、深夜である。東京五輪選手村の警備関係者から「選手村の敷地内で飲酒して騒いでいる人がいる」と、警視庁月島署に連絡があった。屋外の共有スペースで大人数の選手らが、マスクを外し酒を飲みながら騒いでいたという。署員が駆けつけた時にはそれらしい人たちの姿はなく、騒ぎを聞きつけた関係者数十人が現場に集まっていたという。負傷者がいるとの情報もあるが、被害届は出ていない。
なお、選手村では新型コロナウイルス対策で、大勢が利用する共用スペースでの飲酒は禁じられている。違反した場合は競技への出場可否に影響する可能性がある。
この騒ぎで、昨日(8月3日)「組織委員会が、関連する7?8の各国・地域オリンピック委員会(NOC)に注意喚起した」「組織委は、非常に目に余る状況としてNOCに注意をした」と報道されている。具体的なNOC名は明かされていない。騒ぎを主導した選手の所属NOCから謝罪があり、既に競技を終えている対象選手については今大会の離村ルールである「競技後48時間」を待たずに“強制帰国”させる措置を取ったという。また、他にも飲酒騒ぎがあったとする報道が出ている。
さらに本日、「選手村で初クラスター」「ギリシャ、5人陽性」と報じられている。
東京五輪・パラリンピック組織委員会は4日、ギリシャのアーティスティックスイミングの選手4人と関係者1人が新型コロナウイルス検査で陽性が確認されたと発表し、併せて「クラスター(感染者集団)と言わざるを得ない」との見方を示している。5人は東京・晴海の選手村に滞在しており、選手村でのクラスター発生は初となる。これまでの五輪関係者の累計陽性者数は300人を超えた。
バブル方式とは、選手が国外から持ち込んだウイルスを閉じ込め外の世界への感染を防止する狙いだけでなく、反対に外からの選手への感染を防止する効果もあるだろう。しかし、既にバブルの内も外も清浄ではない。日本社会も国際社会も、そして五輪そのものも、完全にコロナに負けているのだ。
(2021年8月3日)
今朝の報道で知った。「五輪車両 当て逃げか」「ボランティア 関係者乗せ」「車2台に追突、走り去る」「女性2人負傷」「側壁にも衝突」「大破したまま『送迎優先』」などと各紙が見出しを打った事件。一昨日(8月1日)夕方のこと。
そこのけそこのけ五輪が通る、と言わんばかりの不愉快。これは、例外事象ではあるまい。むしろ、五輪関係者の意識や姿勢を象徴する事件ではないか。
東京オリンピックの大会スタッフ(関係者)を乗せた乗用車が1日夕、東京都内の首都高速道路で車両2台に相次いで追突する事故を起こし、そのまま走り去っていた。警視庁は道交法違反(事故不申告)などの疑いで、東京オリンピック大会ボランティアとして車を運転していた神奈川県に住む会社員(50代男性)から事情を聴いている。
警視庁によると、事故は1日午後6時ごろ、首都高の台場出入り口(港区)―葛西出入り口(江戸川区)付近で発生。立ち去った車両はボランティアの50代の男性会社員が運転。車両は都内から千葉県に大会スタッフ1人を運ぶ途中で、男性は警察に対し「オリンピックのスタッフを送ることを優先した」と話している。
大会スタッフを乗せた乗用車は、前を走っていたトラックと軽ワゴン車に追突したほか、前後して複数回にわたって側壁にも衝突した。軽ワゴン車に乗っていた女性2人が病院に搬送され、軽傷を負った。
乗用車は前部が大破したまま十数キロ走り続け、千葉県内のインターチェンジを降りたところで同県警が停止を求めて運転手の男性に職務質問した。男性は事故を起こしたことを認めた上で「(乗せていた)大会スタッフの送迎を優先した」と話しているという。
大会組織委員会は「本来、ただちに警察へ報告するなど事故の初動対応にあたるべきところ、当該ドライバーは現場を離れてしまったとの報告を受けており、組織委としても重ねておわび申し上げる。事故の再発防止に努める」としている。
大会関係者が絡む交通事故は、五輪が開幕した7月23日以降、75件発生。軽傷の人身事故が1件あり、そのほかは物損事故だった。今回の事故を含めると76件となる。事故以外にも一時不停止や違法駐車の放置などの交通違反が28件確認されている。(以上、主に「毎日」の記事による)
消防車や救急車の交通優先権は誰もが認めるところ。清掃車や道路工事車両、福祉施設車両への敬意も惜しまない。例外はあるにせよ警察車両も同様である。市民社会全体の共通の利益のためとの合意も信頼もあるからである。しかし、たかがオリンピックにそのような合意も信頼もない。怪しげなボッタクリ連中と政権とがつるんだ不要不急のイベント。そのスタッフの送迎のための車両に、何の公共性があろうか。
「オリンピックのスタッフを送ることを優先した」という、このボランティアの責任は重い。「市民の怪我の手当よりもオリンピックが大事」と言っているのだから。しかし、さらに責任を問われるべきは、この車両に乗車していた「大会スタッフ」という人物である。事故後は直ちに自ら被害者の安否確認を最優先とし、救急車を呼び警察に通報すべきであった。あるいは、運転者にそのように指示しなければならない立場であった。にもかかわらず、「前部が大破したまま十数キロ走り続け」とは、いったい何を考えていたというのだ。まさしく、「そこのけそこのけ五輪が通る」の姿勢ではないか。
報じられている大会組織委員会の弁明も通り一遍、他人事のごとくではないか。この点について本日の「毎日」に、「ボランティア 笑顔消え」「不慣れな運転・道 ストレス」の大きな記事。中に、次の一節(要約)がある。
「2日にはボランティア運転手の男性が首都高速道路で追突事故を起こし、そのまま走り去っていたことが報じられた。女性(ボランティアの一人)は事故が起きたことには驚かなかった。組織委は運転手が足りないと多くのボランティア応募者に伝え、都心の運転に不安があると答えた人には『カーナビに従うだけなので大丈夫』などと安全性に欠ける説明をしていたからだ。
事前研修は30分ほど運転するだけ。『職業ドライバーではない私たちが不慣れな道を走るのはストレスが多い』。英語に不慣れな運転手もいるのに、行き先を指定するアプリにも不具合が続いていたという。
ボランティアから笑顔が消え、義務感で参加する人も生まれた大会は後世にどう語り継がれるのだろうか。」
(2021年8月2日)
本日の毎日朝刊コラム「風知草」に、山田孝男が「五輪で学んだこと」を書いている。その中に次の一節がある。
「日本人は、大会開催に至る過程で、IOC(国際オリンピック委員会)が、国際公務員を擁する善意の公共機関などではなく、営利に敏感で透明性の低い、厄介なスポーツ興行団体であることも学んだ。
IOC会長と有力理事は各国の知名士や大企業と結びつき、<貴族化>している。バッハ会長は今、1泊300万円(値引きで250万円とも)というホテルオークラのスイートルームにいる。ほぼ全額を大会組織委員会が払う契約が露見し、IOCの全額負担になったという報道もある。
バッハ以上に尊大な印象を与えてやまないコーツ副会長も同じホテルにいるらしい。我々は、差別解消をうたう五輪憲章の総元締IOCが、社会的格差という時代の課題に無頓着である現実も学んだ。
84年の米ロサンゼルス大会以来、ひたすら商業化路線を突き進んできた五輪に大きな転機が訪れた。さまざまな未熟さが露見し、成熟が問われている。不格好だが、時代を画する大会になっている。」
端的に言えば、パンデミック下の東京五輪で学んだことは、「IOCの正体見たり ぼったくり」ということである。ないしは「尊大な興行師」、あるいは「たかり屋」でもあろうか。授業料は3兆3000億円と、とてつもなく高くついたが。
ぼったくり連中が五輪の正体を教えてくれる以前の日本人のオリンピックについてのイメージは、聖なるものではなかったか。
私自身も、教えられたとおり、オリンピックには長い間プラスイメージを持っていた。古代ギリシャではポリス間の戦乱が絶えなかったが、4年に1度のオリンピアードの際には戦をやめて、この平和の祭典に参加した。その勝者には、名誉を表す月桂樹の冠だけ、その余の賞金も賞品もなかった。近代オリンピックは、その古代ギリシャの崇高な平和の祭典を復興したものである。国際協調主義、人種や民族を超えた平等の理念で貫かれている。
そのオリンピックの正体とは、国威発揚、商業主義、そして政権の浮揚策である。中でも目に余るのがボッタクリ精神横溢の商業主義。国費を使いまくってのたかり屋への奉仕。祝賀資本主義という言葉をよく聞くようになった。本日の赤旗に、「コロナ禍 問う五輪」の記事。安保法制に反対する学者の会などが開催したオンラインシンポの紹介である。こちらは、7人の学者による多角的なオリンピックの徹底批判。胸に落ちる。以下は、その7学者発言の要約である。
広渡清吾・東大名誉教授 「政権浮揚のための東京五輪強行」
新型コロナは収束の兆しが見えず、その対処に人類の英知が問われている。市民の命と暮らしを守るのが政治の役割だが、日本政府と東京都、組織委員会は、その見識を失っている。政権浮揚のための東京五輪強行だが、事態は十分にハルマゲドン化している。これを切り開く議論を行おう。
鵜飼哲・一橋大名誉教授 「祝賀資本主義の収奪」
五輪という「祝祭」は、「資本を再建する祭典」である。同時に、「招致された非常事態」であり、略奪のメカニズムでもある。商業主義を加速させるが、祝祭の後は必ず不況となり、さらなる規制緩和や増税のダブルパンチが待っている。
井谷聡子・関西大准教授 「五輪後に福祉カット」
近代五輪の第1回大会は女性を排除した。クーベルタンの近代五輪の理念には、色濃く優生思想がある。近年の「五輪の肥大化」の中で、東京大会でも施設の大規模化の一方で、野宿者らが排除されている実態がある。五輪後には、財政再建の名による福祉カットが起きるだろう。声を上げなければならない。
大沢真理・東大名誉教授 「母子家庭の貧困深刻」
五輪とコロナ禍の前から、日本の生活保障制度が低所得者と社会的弱者を冷遇し、保健所体制を大幅削減してきた。コロナ禍での若い女性の自殺増を招いており、命と暮らしの危機だ。とりわけ、母子家庭の貧困が深刻になっている。
岡野八代・同志社大教授 「自由束縛する菅政権」
学問の営みとは、残酷さを避けること、最悪の事態を避けることに眼目がある。五輪とコロナ禍をめぐって菅首相をはじめとした政治家の自己中心的な振る舞いが際立っている。教訓を引き出すためにも、異論や批判を排除しない学問の自由が必要だ。
石川健治・東大教授 「緊急事態条項の危険」
加藤勝信官房長官は、コロナ禍を「憲法に緊急事態条項を新設する絶好の契機だ」と発言している。しかし、元来の緊急事態の法理は、英国で発達した「客観的緊急事態理論」であって独裁権力を想定するものではない。独裁権力を作るために生まれた「主観的緊急事態理論」とは別物なのだ。
佐藤学・東大名誉教授 「人間の尊厳を取り戻すたたかいを」
コロナ・パンデミックという「惨事」と、五輪という「祝賀」が同時進行している現状。社会的に弱い立場の女性や子どもにしわ寄せが及んでいる。奪われている私たちの自由と人権と人間の尊厳を取り戻すたたかいが必要だ。
このパネルディスカッションの司会は、中野晃一・上智大教授だった。
(2021年8月1日)
8月である。平和を語るべき季だが、今年はコロナ禍と五輪禍の重なった特別の8月。猛暑も一入身に沁みる。
五輪禍とは、コロナ蔓延阻止に怠惰で、コロナ蔓延に手を貸している政権の姿勢を意味するだけではない。もっと積極的な諸悪、商業主義・国家主義・政権の便乗主義をいう。開催国日本の「五輪禍」は顕著だが、香港にも特別な形での「五輪禍」が及んでいる。
香港の人々がテレビに映った表彰式の中国国歌にブーイングをした。これを煽ったとして一人の男性が逮捕された。このイヤなニュースに胸がふたぐ。戦前の皇国日本と、中国共産党が支配する現代中国と、どうしてこうまで似ているのだろうか。「神聖な君のため国のため」の滅私奉公と、「無謬の党が指導する偉大な中華民族のため」という精神構造が酷似しているのだ。もちろん、自然にこうなるはずはない。両者とも、念の入った教育プログラムの成果である。
1936年のベルリン五輪のマラソンでは、朝鮮人孫基禎は日本選手としての出場登録を余儀なくされ、金メダルを獲得した。当然のことながら、孫の勝利は朝鮮民族の栄光だった。地元の「東亜日報」が表彰台に立つ孫の写真を加工しユニホームの日の丸を消して掲載したことが事件となった。記者の逮捕や新聞の発行停止の弾圧に発展した。孫自身が、民族意識が強く世界最高記録樹立時の表彰式でも「なぜ君が代が自分にとっての国歌なのか」と涙ぐんだという。天皇制日本、甘くはなかったのだ。
時は下って、2021年香港。一昨日(7月30日)、香港当局は、ショッピングモールで東京オリンピック(五輪)の表彰式を見ていた際に中国国歌にブーイングしたとして、警察が40歳の男性を逮捕したことを発表した。天皇制日本と同様、中国も甘くはないのだ。
この男性は、26日にショッピングモールで大勢で表彰式のライブ配信を見ていた際、中国国歌を「侮辱」した疑いが持たれているという。映像には、フェンシングの張家朗(エドガー・チョン)選手が香港で25年ぶりの金メダルを獲得した様子が映っていた。中国国歌が流れた際に「私たちは香港だ」などと抗議の大合唱が巻きおこったという。「私たちは香港だ」という大合唱は、「私たちは共産党が指導する中国(国民)ではない」という含意であったろう。逮捕されたのは、このブーイングを煽ったとされる男性。
警察の側から見れば、ジャーナリストを名乗るこの男性は、中国国歌「義勇軍行進曲」を「侮辱」したということになる。昨年6月施行の国歌条例に違反した疑いで逮捕された。同条例に違反の逮捕第1号で、有罪となれば法定刑の最高刑は禁錮3年だという。
あらためて思う。これこそ、「五輪禍」であろう。オリンピックの競技が、ナショナリズムを煽る舞台となつている。これは不正常な事態なのだ。国家代表ではなく、個人・個々のチーム単位の競技にあらためるべきであり、表彰式での国旗掲揚も国歌演奏もやめようではないか。
(2021年7月31日)
ことあるごとに思い起こそう。忘れぬように繰り返そう。
モリ・カケ・桜・クロカワイ・アベノマスクにIR
ウソとゴマカシをもっぱらとし、政治を私物化した安倍晋三を忘れてはならない。度しがたい歴史修正主義者で改憲論者の安倍、その長期政権をわれわれは許してしまった。
昨日(7月30日)は、安倍の数々の悪行のうち、「桜」を思い起こさせる日となった。検察審査会事務局から「審査申立事件についての『議決の要旨』をお渡ししたい」旨の連絡があって、午後1時半頃に受領した。その全文が後記のとおりである。(但し、安倍晋三ら被疑者4名の肩書は、原文にはない。澤藤が告発状から引用した。なお、「晋和会」は、政治家安倍晋三の資金管理団体である)
審査申立事件は、「桜を見る会」前日の夕食会をめぐるもの。特捜は、公設第一秘書であり、安倍晋三後援会代表者・同前会計責任者でもあった配川博之だけを後援会の政治資金収支報告書不記載罪だけで立件し、被疑者安倍晋三を不起訴とした。安倍は、尻尾を切って難を逃れたのだ。
これを不当とする東京検察審査会への審査申立の議決が、告発被疑事実の2件について、不起訴不当の結論となった。起訴相当ではなかったが、この民意は重い。11人の検察審査員に敬意を表したい。
安倍晋三が尻尾を切って難を逃れた、昨年(2020年)12月24日、私はブログに要旨こう書いた。
日本国民の民度なるものの寸法が、安倍晋三という人物にぴったりだったのであろう。国民は、この上なくみっともない政権投げ出しのあとの安倍の復権に寛容であった。のみならず、何と7年8か月もの長期政権の継続を許した。
その安倍晋三、一見しおらしく、本日の記者会見で、「国民のみなさま」に謝罪した。「深く深く反省するとともに、国民の皆さまにおわび申し上げます」と頭を下げたのだ。
安倍晋三によると、「会計責任者である私の公設第1秘書が、(桜を見る会前夜祭での)政治資金収支報告書不記載の事実により略式起訴され、罰金を命ぜられたとの報告を受けた」。「こうした会計処理については、私が知らない中で行われていたこととはいえ、道義的責任を痛感している。深く深く反省するとともに、国民の皆さまにおわび申し上げます」「今般の事態を招いた私の政治責任はきわめて思いと自覚しており、真摯に受け止めている」という。
難解なアベ語を翻訳すると、こんなところだろうか。
「これまでずっと、繰り返しウソをつき続けてきたんだけど、ばれちゃったから一応ゴメンネって言うの。でも、あれはみんな秘書がやったことなの。その秘書が罰金100万円の責任とったんだから、もう問題済んだよね。ボク、な?んにも知らなかったんだから、しょうがないでしょ。ただね、みんな怒っているようだから、取りあえず『政治責任を自覚』って言ってみたんだ。どういうふうに、政治責任をとるかって? そんなこと、なーんにも。口だけ、口だけ。これまでそれで通ってきたんだから,今回もそれでいいでしょ。今回ちょっとまずかったから、これからはバレないように気をつけなくっちゃね」。
「桜を見る会」とは何であったか。各界の功労者を招いて総理大臣が主催する、公的行事である。これを安倍晋三は,露骨なまでに私的な後援会活動に利用した。これを許したのは山口4区の選挙民の民度である。下関・長門両市民は大いに恥ずべきである。石原慎太郎を知事にした、かつての東京都民と同様に。
しかし、公的行事である「桜を見る会」の私物化が明らかになっても、国民の民度は十分な安倍批判をなしえなかった。やむなく、「桜を見る会」ではなく、「桜を見る会」とセットにされた後援会主催の「前夜祭」の、その収支報告書の不記載という、本筋ではないところに問題の焦点を宛てざるを得なかった。そして、本来であれば、国民の怒りをもって国政私物化政権を糾弾しなければならないところ、検察への告発という形で安倍晋三を追い詰めようとしたのだ。(以下略)
もう一つ、忘れてはならないのが、安倍晋三のウソつきぶり。「桜を見る会」の前夜祭の費用を安倍晋三が補填していた問題をめぐり、安倍が国会で事実と異なる答弁を少なくとも118回繰り返していたことが、衆院調査局の調査で明らかになっている。調査は立憲民主党が同局に依頼し、結果を公表したもの。2019年11月?20年3月までの計33回の衆参本会議や委員会での答弁を対象としたもの。内訳は、「事務所は関与していない」との趣旨の答弁が70回、「明細書はない」との趣旨が20回、「差額は補てんしていない」との趣旨が28回で、計118回という。こんな人が政治家になり、こんな人を首相にまでさせたのが、わが国における民主主義の実態なのだ。
昨日発表の議決で、安倍を「不起訴不当」とした被疑事実は二つある。
その一つは、安倍による夕食会の費用補塡は、選挙区内での寄付にあたるという公職選挙法違反。不起訴の理由は、「寄附を受けた側に,寄附を受けた認識があったことを認定する十分な証拠がない」とのことだが、議決は「秘書や安倍氏の供述だけでなく、メールなどの客観的資料も入手して犯意の有無を認定すべきだ」と証拠収集の不十分さに言及している。
もう一つは、安倍の資金管理団体「晋和会」の会計責任者だった西山猛(元私設秘書)の政治資金収支報告書の不記載について、安倍が選任監督の責任を怠ったという政治資金規正法25条2項違反。
その詳細については、「憲法日記」の2020年12月21日号「『桜・前夜祭収支疑惑』で、安倍晋三を第2次告発」をご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=16066
なお、25条2項の法定刑は、最高罰金50万円に過ぎない。しかし、被告発人安倍晋三が起訴されて有罪となり罰金刑が確定した場合には、政治資金規正法第28条第1項によって、その裁判確定の日から原則5年間公民権(公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権)を失う。その結果、安倍晋三は公職選挙法99条の規定に基づき、衆議院議員としての地位を失う。この結果は、法が当然に想定するところである。いかなる立場の政治家であろうとも、厳正な法の執行を甘受しなければならない。
検審議決の命じる本件告発への捜査に、検察の威信がかかっている。安倍政権時代の黒川弘務東京高検検事長問題で、検察の威信は大いに失墜した。国民の検察に対する信頼を回復する大きなチャンスではないか。検察は安倍晋三らに対する厳正な捜査を徹底して起訴すべきである。そうして初めて、国民の検察に対する信頼を回復できることになる。
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令和3年東京第一検察審査会審査事件(申立)第8号
申立書記載罪名 公職選挙法違反,政治資金規正法違反
検察官裁定罪名 公職選挙法違反,政治資金規正法違反
議決年月日 令和3年7月15日
議決書作成年月日 令和3年7月28日
議 決 の 要 旨
審査申立人 澤 藤 大 河,澤 藤 統一郎
被 疑 者 安 倍 晋 三 (衆議院議員・晋和会代表者)
被 疑 者 配 川 博 之 (安倍晋三後援会代表者・同前会計責任者)
被 疑 者 阿 立 豊 彦 (安倍晋三後後会会計責任者)
被 疑 者 西 山 猛 (晋和会会計責任者)
不起訴処分をした検察官
東京地方検察庁 検事 田 渕 大 輔
議決書の作成を補助した審査補助員 弁護士 宇田川 博 史
上記被疑者安倍晋三に対する公職選挙法違反,政治資金規正法違反被疑事件(東京地検令和2年検第18325号),被疑者配川博之に対する公職選挙法違反被疑事件(同第18326号),被疑者阿立豊彦に対する政治資金規正法違反披疑事件(同第18327号),被疑者西山猛に対する政治資金規正法違反被疑事件(同第32650号)につき,令和2年12月24日上記検察官がした不起訴処分の各当否に関し,当検察審査会は,上記審査申立人の申立てにより審査を行い,次のとおり議決する。
譜 決 の 趣 旨
本件各不起訴処分は,
1 被疑者安倍晋三について,
(1)公職選挙法違反(後援団体関係寄附)及び政治資金規正法違反(晋和会代表者の会計責任者に対する選任監督責任)は不当である。
(2)政治資金規正法違反(後援会の収支報告書不記載,晋和会の収支報告書不記載,晋和会代表者の重過失責任)については相当である。
2 被疑者配川博之について,公職選挙法違反(後援団体関係寄附)は不当である。
3 被疑者阿立豊彦について,政治資金規正法違反(後援会の収支報告書不記載)は相当である。
4 被疑者西山猛について,政治資金規正法違反(晋和会の収支報告書不記載)は不当である。
議 決 の 理 由
1 被疑事実
(1)公職選挙法違反(後援団体関係寄附)
都内のホテルで,桜を見る会に先立ち行われた「安倍晋三後援会桜を見る会前夜祭」において,選挙区内の後援会員に対し,飲食代金不足分を補てんしたことが後援団体関係寄附に当たるという被疑者安倍及び被疑者配川に対する公職選挙法違反
(2)政治資金規正法違反(後援会の収支報告書不記載)
前記前夜祭に関する収入及び支出を後後会の収支報告書に記載せず,選挙 管理委員会に提出したという被疑者安倍及び被疑者阿立に対する政治資金規正法違反
(3)政治資金規正法違反(晋和会の収支報告書不記載)
前記前夜祭に関するホテルに支払うべき代金の補てん分として,後援会に代わり,晋和会が支払ったことにつき,晋和会の収支報告書に支出及び収入を記載せず,総務大臣に提出したという被疑者安倍及び被疑者西山に対する政治資金規正法違反
(4)政治資金規正法違反(晋和会代表者の会計責任者に対する選任監督責任)
被疑事実(3)事件につき,晋和会の会計責任者である被疑者西山の選任及び監督につき,相当の注意を怠ったという被疑者安倍に対する政治資金規正法違反
(5) 政治資金規正法違反(晋和会代表者の重過失責任)
被疑事実(3)事件につき,重大な過失があったという被疑者安倍に対する政治資金規正法違反
2 被疑者安倍及び被疑者配川に対する公職選挙法違反(後援団体関係寄附)について
前夜祭における会費収入を上回る費用が発生し,その不足額を後援会側が補てんした事実が認められるものの,寄附を受けた側に,寄附を受けた認識があったことを認定する十分な証拠がないとする。
しかしながら,寄附の成否は,あくまで個々に判断されるべきであり,一部の参加者の供述をもって,参加者全体について寄附を受けた認識に関する判断の目安をつけるのは不十分と言わざるを得ない。
また,実際に提供された飲食物の総額を参加人数で除すると1人当たりの不足額は大した金額ではなく,参加者において不足分があることを認識し得なかったとも考えられるが,都心の高級ホテルで飲食するという付加価値も含まれているのであるから,単純に提供された飲食物の内容だけで寄附を受けたことの認識を判断するのは相当とは言えない。
さらに,被疑者安倍の犯意について,不足額の発生や支払等について,秘書らと被疑者安倍の供述だけでなく,メール等の客観的資料も入手した上で,被疑者安倍の犯意の有無を認定すべきである。
以上のとおり。寄附を受けた側の認識及び被疑者安倍の犯意のいずれについても,十分な捜査を尽くした上でこれを肯定する十分な証拠がないとは言いがたく,不起訴処分の判断には納得がいかない。したがって,被疑者安倍及び被疑者配川両名とも不起訴処分は不当である。
3 被疑者安倍及び被疑者阿立に対する政治資金規正法違反(後援会の収支報告書不記載)について
被疑者安倍は,後後会の会計責任者でも会計責任者の職務を補佐する者でもなく,被疑者配川と意を通じ,後援会の収支報告書の不記載の罪を実行したと言えるような,共謀の事実を認定することは困難と思われるため,不起訴処分はやむを得ないと判断する。
被疑者阿立については,仮にも内閣総理大臣の後後会の会計責任者という立場を自覚していたはずであり,責任を問われないことには納得がいかないが,犯意を認定することは困難であり,不起訴処分はやむを得ないと判断する。
4 被疑者安倍及び被疑者西山に対する政治資金規正法違反(晋和会の収支報告書不記載)について
前夜祭の主催者は後援会であるとしても,前夜祭の開催には,被疑者西山が主体的,実質的に関与していたと認められるから,晋和会による政治資金規正法違反(収支報告書の不記載)の事実が認められるか否かについては,慎重な捜査が行われなければならない。
また,領収証は,一般的には宛名に記載された者が領収証記載の額を支払ったことの証憑とされるから,宛名となっていない者が支払ったという場合は,積極的な説明や資料提出を求めるべきであり,その信用性は,慎重に判断されるべきである。
以上のとおり,晋和会の資金による支払があったかどうかについて,十分な捜査が尽くされているとは言いがたいため,不起訴処分の判断には納得がいかず,被疑者西山の不起訴処分は不当である。
被疑者安倍にっいては,今後捜査を尽くしても収支報告書の不記載につき,認識があったという証拠を入手できる見込みが大きいとは考えにくいことを踏まえ,不起訴処分は相当と判断する。
5 被疑者安倍に対する政治資金規正法違反(晋和会代表者の会計責任者に対する選任監督責任,晋和会代表者の重過失責任)について
前述のとおり,政治資金規正法違反(晋和会の収支報告書不記載)について,被疑者西山の不起訴処分は不当であり,今後,同事実に関し再検査が行われるのに併せて,被疑者安倍の会計責任者被疑者西山に対する選任監督に対する注意義務違反の有無の捜査も行われるべきであり,不起訴処分は不当である。
なお,被疑者安倍の収支報告書不記載に関する重過失責任については,今後捜査を尽くしても重過失を裏付ける新たな証拠を入手できる見込みが大きいとぱ考えにくいことを踏まえ,不起訴処分は相当と判断する。
6 まとめ
よって,上記趣旨のとおり議決する。
付言すれば,「桜を見る会」は税金を使用した公的な行事であるにもかかわらず,本来招待されるべき資格のない後援会の人達が多数参加しているのは事実であって,今後は,候補者の選定に当たっては,国民からの疑念が待たれないように,選定基準に則って厳格かつ透明性の高いものにしてもらいたい。
また「桜を見る会前夜祭」の費用の不足分を現金で補てんしているが,現金の管理が杜撰であると言わざるをえず,そういった経費を政治家の資産から補てんするのであれば,その原資についても明確にしておく必要があると思われ,この点についても疑義が生じないように証拠書類を保存し,透明性のある資金管理を行ってもらいたい。
最後に,政治家はもとより総理大臣であった者が,秘書がやったことだと言って関知しないという姿勢は国民感情として納得できない。国民の代表者である自覚を持ち,清廉潔白な政治活動を行い,疑義が生じた際には,きちんと説明責任を果たすべきであると考える。
東京第一検察審査会 印