(2021年8月16日)
私の父・澤藤盛祐(1914年1月1日生)は2度陸軍に徴兵され、海軍には徴用されている。彼自身が生前に残したメモによるとこんな具合だ。
第1回招集 3年7か月
帰郷 10か月
海軍徴用 9か月
第2回招集 1年3か月
第1回の招集は1939年5月のこと。弘前の聯隊からからソ満国境の愛琿の守備隊に配属されている。除隊になってから長子である私が生まれたが、その直後に横須賀海軍工廠造兵部に徴用されている。そして、第2回の招集で横須賀から弘前に直行して青森の小さな部落で終戦を迎えたようだ。
父は、兵営から妻(私の母)に頻繁にハガキを出している。達筆でもあり、得意の絵や版画の出来はなかなかのもの。演習の兵隊や現地の風物、動植物を描いている。我が父ながら、実に器用な人なのだ。満州の様子を書いた兵士のハガキは貴重ではないだろうか。ハガキには自分で番号を付けていたようで、№188というものもあるが、残されているものは30枚にみたない。
その中に1枚だけ、「澤藤統一郎殿」という宛名のハガキがある。「昭和20年3月7日」付のもの。差出人は、「青森縣弘前市 東部第五十七部隊本部 澤藤盛祐」となっている。「検閲済」の印があり、文面は次のとおり。
「毎日 お父さんの写眞の前に行って おじぎをしてゐるとは愛い奴ぢゃ 余は満足に思ふぞ」
これに、後年のメモが付されている。
「統一郎はこの頃一歳半。その後赤羽の祖父や光子と毎日のように八幡さんや護国神社にお詣りしたとも聞いた。」
光子は私の母である。旧姓は赤羽。その生家は盛岡の八幡神社や護国神社にほど近い。このあと、盛岡も規模は小さいながらも空襲を受けることになる。2歳に満たない子どもを抱えての銃後。「愛い奴ぢゃ 余は満足に思ふぞ」などと言ってる余裕はなかったろう。「心細かった。必死だった」と、母は繰り返して言っていた。お詣りはその心細さの表れであったろう。
父の残した戦後のメモの中に、こんな一節がある。
「8月15日敗戦
兵器を納め、部隊解散までには少々間があり、村人の作った濁酒を飲み、9月末に貨車に乗って盛岡に帰った。」
「軍隊生活とは、私にとってなんであったろうか。
まったく聖戦だと思っていたし、
実弾の下をくぐったこともなく、
白刃をふるったこともなく、
演習につぐ演習。
辛くはあったが、軍隊を地獄と思ったことはない。
身体を鍛えてもらっただけでも、
私は恵まれた星の下において頂けたのだと思う。」
「休憩時の話といえば、召集解除とおいしかった食べもののこと」などいうメモもあるが、父は実戦の惨劇に遭遇することはなく、現地の人々に危害を加えることも加えられることもなく、郷土部隊の中で居心地の悪からぬ軍隊生活を送ったようなのだ。兵から軍曹になり、最後は曹長になった父の軍隊内の地位も影響しているのだろう。
父と母とでは、戦争に対する嫌悪の温度差が大きかった。私も弟たちも、戦争に対する反省の足りない父には大いに不満ではあった。取りわけ加害責任の意識が希薄なことを問題にはした。さりとて、父を責めることはいたしかねた。この微温的な態度が、実は国民的な規模のものであったのかも知れない。今なお、われわれはあの戦争の責任を詰め切れていないのだから。
どの人も、どの家族も、必ずあの戦争の歴史を引きずっている。しかし、その記憶は薄れつつあり、記録は散逸しつつある。今残っているものを意識的に残しておきたい。父の兵営からのハガキなどもそれなりに何らかの形で、保存しておきたいと思う。
(2021年8月15日)
戦後76年目の8月15日。日本武道館で恒例の全国戦没者追悼式が行われた。出席した天皇(徳仁)の挨拶の内容は比較的穏やかなものだった。その最後の一節が次のとおり。
「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」は、憲法の理念に沿ったものと言ってよい。もっとも、この「反省」と「責任」を最も深く負うべきは、睦仁以来の天皇の家系である。そのことの自覚がどれほどあるだろうか。
これに対し、首相の式辞では「反省」の言葉は聞かれなかった。むしろ、「積極的平和主義」などという、物騒な「アベ語」を久しぶりに聞かされて白けた。ただ、次の一節にだけは注目した。
「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。」
「遺骨をふるさとにお迎えする」とは、遺骨を遺族に返還するということだろう。これを「国の責務として全力を尽くす」と言ったのだ。この言葉は重い。
同じ今日。靖国神社社前で一人の沖縄県人が昨日来のハンガーストライキを決行して話題になっている。沖縄は、先の戦争で国内唯一の地上戦が行われた地。とりわけ沖縄本島南部が激戦地となって、多くの県民の遺骨がいまだに地中に眠っている。この遺骨を発掘し収集して遺族に返還しようという運動を息長く続けてきた市民団体が「ガマフヤー」。その代表を務めるのが具志堅隆松さん。既に、40年もこの活動に携わってきたというから、頭が下がる。この人が靖国神社でのハンスト決行の人である。
ハンストの目的は、辺野古の米軍基地建設の埋立に、今も遺骨が眠る沖縄本島南部の土を使わないよう訴えてのこと。辺野古基地の埋立予定地に軟弱地盤があることが発覚し、これまでの計画を上回る大量の土砂が必要になった。そのため、防衛省は埋立用土砂の採掘先として沖縄本島南部を追加した。こうして、遺骨の眠っている南部の土が掘削されて、辺野古の埋め立て工事に使われる可能性が生じているという。
具志堅さんの南部の土砂使用に反対するハンストは今年3月と6月にも沖縄で実行された。今回が3回目とのこと。昨日(8月14日)から本日の夕刻までのハンストを行っている。生憎の降雨の中だが、訴えのための座り込みが続けられている。
具志堅さんは、この防衛省の計画について、本島南部の土砂に多くの戦没者遺骨が遺されている点を踏まえて、「国家のために犠牲となった戦没者の遺骨が混じる土砂を基地建設に使うのは、人道上の問題だ」「人道に反するものとして許せない」と厳しく批判している。「基地建設賛成か反対かではなく人道上の問題だ」「靖国神社に参拝に訪れる人たちには戦没者への強い思いがあるはず。関心を向けてほしい」「国が戦没者の尊厳を冒すこの問題を一緒に考えてほしい」と話しているという。
「人道上の問題」とは、こんな意味ではないだろうか。
遺骨を野に晒しておくのは、遺族にとっては忍びないこと。不本意な死を強いられた遺骨は、せめては遺族のもとに返して追悼し埋葬すべきが人道に適った当然のあり方。沖縄本島南部で、遺骨を掘り、これを同定して遺族のもとに返してきた実績のある具志堅さんらにしてみれば、本気になって遺骨の採集をすれば、もっとたくさんの遺骨を遺族に返すことができる。しかし、この土を遺骨ごと辺野古の基地建設のための埋立に投棄すれば、「戦没者の遺骨は永遠に海に捨てられてしまうことになる」。それは「遺骨に2度目の死をもたらす」ことになる。
政府は戦没者の遺骨について今年秋からDNA鑑定の対象を拡大し、身元の特定につながると期待されているという。南部の土砂使用計画はこれに逆行し、「戦没者の遺骨を永遠に遺族から遠ざける」ことになる。
遺骨を遺族に返還することが人道的な配慮である。遺骨まじりの南部の土砂を辺野古の海に沈めるのは、遺骨と遺族を永遠に引き離す非人道的行為なのだ。
(2021年8月14日)
明日8月15日が敗戦の日である。76年前に国民が敗戦を知らされた日は、文字どおり新国家誕生の日。あるいは、神権天皇制の欺瞞の上に築かれていた旧体制を清算しての新生日本再出発の日。私たちの国の歴史の転換と、新生日本の成り立ちの原理を噛みしめ考えなければならない。
しかし、例年8月15日は、戦後長く続く保守政権とそれを支える勢力の復古の願望をアピールする日となっている。その象徴が、靖国神社への政府要人の参拝である。
靖国とは、天皇の神社であり、軍国神社であり、侵略の神社である。合祀されている祭神は、天皇が唱道する戦争で、天皇の将兵として戦い、天皇のために命を捧げた人物の霊である。これを英霊として尊崇する「靖国の思想」とは、天皇も戦争も侵略も美化するものにほかならない。
憲法20条が定める政教分離における、「政」とは国家と地方自治体を含むすべての公権力機関を言い、「教」とは形式上は宗教一般のこと。しかし、政治権力と分離を求められている宗教とは、何よりも天皇の祖先を神とし天皇自身を現人神とする荒唐無稽な「天皇教」(国家神道)を意味するもの。政府の要人が、「天皇教」(国家神道)の軍国主義を象徴する靖国との関わりを持ってはならないのだ。
にもかかわらず、安倍政権も菅政権も、折りあらば隙あらば、靖国に参拝したくて仕方がない。これは、日本国憲法の理念を理解しようという姿勢がないからだけではなく、支持勢力が右派に偏っているからなのだ。
今年はどうだろうか。報道では菅義偉自身の参拝はないようだ。また、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は、今年もコロナ蔓延に配慮して一斉参拝を見送るという。
ところが、昨日(8月13日)午前、西村康稔経済再生相が靖国神社を参拝した。菅内閣の現職閣僚で初の参拝だという。西村と言えば、《新型コロナウイルス感染症対策担当大臣》ではないか。政府のコロナ対策担当は、込み入って分かりにくいが、ここまでのコロナ対策の失敗に大きな責任をもつべき立場。
報道によると、西村は8月12日新型コロナの感染拡大の事態に、記者団の取材に対して「お盆の季節になっているが、ぜひとも自宅で家族でステイホームでお願いをしたい」と話していたという。「汝人民、自宅を出るな、ステイホームを実行せよ」と宣いつつ、「オレは別だ」と思ったか、「靖国はこの限りあらず」と思ったか。いずれにせよ、国民に対する説得力はない。
さらに、同日の午後、岸信夫防衛相が靖国神社を参拝した。岸信夫、安倍晋三の実弟で現職の防衛大臣の参拝。軍国神社に防衛大臣の参拝だから、穏やかでない。
この人、神社内で記者団の取材に応じ、「国民のために戦って命を落とされた方々に対して尊崇の念を表するとともに、哀悼の誠を捧げた。また不戦の誓い、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという決意を新たにした」と語ったという。弁解の決まり文句だが、とうてい納得しがたい。
この言葉には反省の弁がない。無益で悲惨な戦争を起こしたことについての反省は語られない。国家が国民の命を奪ったことへの悔恨の弁が欠けている。侵略先の民衆の厖大な被害への謝罪の念が見えない。「国民のために戦って命を落とされた方」は、間違いだろう。飽くまでも『君のため国のため』に戦ったとされているのだ。「尊崇の念を表する」が根本の間違い。「尊崇」は「皇軍」と結びついてのことなのだ。「哀悼の誠」は、誤った国策の犠牲となったこととに対してでなくてはごまかしに過ぎない。そして「不戦の誓い」も不自然極まりない。靖国の境内は、不戦の誓いにふさわしいところではない。「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」とは、「軍備を増強して次の戦争では勝つ」と聞こえる。
以下は、「政教分離の侵害を監視する全国会議」の穏やかな、要望である。お読みいただきたい。
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首相は靖国神社玉串料奉納及び参拝をしないでください
内閣総理大臣 菅義偉殿
私たち「政教分離の侵害を監視する全国会議」は、首相や閣僚らが靖国神社に玉串料等を奉納、参拝する毎に抗議を続けています。特に「内閣総理大臣」および「自民党総裁」等の公職の肩書を提示して、靖国神社に玉串料奉納等を行う首相らの行為は、政府と同神社が特別な関係にあることを印象づけ、援助、助長、促進する効果をもたらす公人としての行為と言わざるを得ず、日本国憲法の定める政教分離原則の違反に当たるものです。私費で奉納料を支払ったとしても、公的肩書、政府関係者随行及び代行、更には公的立場を背景とする報道にて宣伝することは「公的」な行為との疑義は免れ得ません。
また、政教分離原則は、戦前・戦時下における国家神道体制の弊害の深い反省を基に、政府と宗教の厳格な分離を定めたものです。特に靖国神社の参拝を国民に一律に強いることを通して、日本政府は国民全体に皇軍として戦死することの意義を押し広め、戦没者の死を「英霊」として顕彰することにより軍国主義を徹底する思想統制を行いました。そのような役割を担った神社に、首相や閣僚らが、玉串料等の奉納及び参拝を行うことは、戦前の国家神道体制を再び導入しようとする意図を思わせ、国家神道体制の再来を防止するために定められた政教分離原則の趣旨を顧みないことと言わざるを得ません。靖国神社は、戦後も、戦前と同様の教義を広め、推進することを目的としており、首相らが公的な立場をもって行う参拝や奉納行為が、日本国政府が靖国神社と同じ見解に立つことを印象付けるものとなっています。アジア・太平洋戦争にて日本帝国の侵略によって甚大な被害を受けたアジア諸国が日本国政府に抗議するのも、同様の効果を感じ取っていることによるものです。首相個人の価値観はいずれであっても、公的立場での首相らの行為は日本国政府の見解を代表するものとして受け止められるのが当然です。
国政の長である首相や閣僚は、憲法尊重擁護義務を負う立場にある者として、政教分離原則を厳格に遵守し、8月15日の敗戦を記念する日に公的立場での靖国神社への参拝や玉串料奉納を決して行わないように強く求めます。
2021年8月12日
政教分離の侵害を監視する全国会議
代表幹事 木村庸五、古賀正義
事務局長 星出卓也
(2021年8月13日)
本日の新規コロナ感染者数、東京都が過去最多の5773人、重症患者も最多227人となった。全国では20293人と初めての2万人の大台超え。感染者の暗数は分からない。率直な感想として、この事態は恐ろしい。そして、こうまで事態をこじらせた政権や都政の無能に憤らずにはおられない。
腹の立つ名を順に挙げれば、安倍晋三・菅義偉・小池百合子、そしてトーマス・バッハである。私はこれまでバッハのことを疫病神と言ってきたが、今日からは呼び名を変更しよう。悪魔だ。尻尾のあるあの邪悪の象徴。
この悪魔が、祭の東京に来て笛を吹いた。政権も都政も制御できなかった。笛の音に合わせて、コロナが踊り出し蔓延し跋扈した。そして、祭が終わった今、東京5000、全国2万の新規感染者である。いったい誰だ、こんな愚劣な祭をやったのは。悪魔を呼び寄せたのは。悪魔に笛を吹かせたのは。
バッハの嫌われっぷりが凄まじい。分に過ぎたホテルに泊まっていると叩かれ、広島に行って嫌われ、挨拶が長いと嫌われ、広島原爆投下の日に選手の黙祷を要望されて拒否したと嫌われ、銀座をうろついてたたかれ、何をしても嫌われっぱなし、叩かれっぱなし。いまは、広島訪問「警備費」を県と市に押し付けたとして、国民的な悪役となり、悪罵を受け続けている。
念の入ったことに、丸川珠代が、五輪担当相として『銀ブラ・バッハ』擁護を呟いて大炎上とのことである。なにせ、「不要不急か否かはご本人が判断」との発言。国民の怒りが爆発するのは当然であろう。傲慢なバッハを嫌う国民感情は健全なものだ。そのバッハ擁護論へのバッシングも健全なものではないか。
それだけでない。この悪魔は笛を吹いて、アルファ株だけでなく、デルタ株を呼び寄せた。祭のさなかに、東京の感染は爆発し医療は着実に崩壊し続けた。さらに、国内初のラムダ株にまで、出番を与えた。さすが、悪魔の笛である。
ペルーに滞在歴があった大会関係者の女性(30代)が、7月20日に羽田空港に到着して、新型コロナウイルスの変異株で南米ペルー由来とされる「ラムダ株」の初感染者と確認された。ところが、その事実が一部メデイアに報道されたのが、8月6日のこと。それまで伏せられていたのだ。しかも、当人が大会関係者と発表されたのは、本日8月13日になってからのこと。
ラムダ株は致死率が高いとされている。2週間も報告しなかったのは、オリンピックの閉幕まで伏せていたのではないかとの疑惑がつきまとう。自民党外交部会長の佐藤正久は、テレビ番組で「もっと早く問い合わせがあれば答えた」と釈明したという。
すべては、祭のさなかに吹き続けられていた悪魔の笛の調べのなせる業。再びの祭はごめんだ。再びの悪魔も、その笛も。
(2021年8月12日)
アヘン戦争で中国から割譲された香港は、1997年7月1日再び強引に中国に編入された。2047年まで50年間の「一国二制度」による高度の自治を約束されてのことである。イギリス統治の時代に、香港に根付いた民主的な諸制度は、50年間は安泰である…はずだった。
当時はこう思われていただろう。50年も経てば、中国も変わっているに違いない、21世紀中葉には中国にも香港並みの民主主義が育って円満な香港統合が実現することになるだろう。つまりは、「中国が香港化する」ことを期待されての「一国二制度」だった。しかし、現実はそうなっていない。野蛮な強権支配の中国が、民主的な香港を呑み込む形で、「一国二制度」は既に事実上崩壊している。香港の自治は潰え、中国の強権支配が香港の民主主義を蹂躙しているのだ。嘆かわしいと言うほかはない。
さらに、追い打ちをかけるようなニュースが続いている。「香港 教員組合解散 中国政府の圧力受け」「香港の教員組合解散 国安法のもと『巨大な圧力』」「香港民主派の教員組合が解散 デモ扇動と中国側が批判」という報道。
野蛮な強権中国は、香港の教育に介入を強めてきたが、とうとう教育労組の弾圧に乗り出した。香港最大の教員組合(「香港教育専業人員協会」)が、中国の圧力に抗えず、一昨日(8月10日)解散に追い込まれたというのだ。教員組合弾圧は、労働運動の弾圧というにとどまらず、教育の自由への権力介入として強く批判されなければならない。
民主主義社会では教育の自由が当然視される。真理の伝達が権力の統制を受けてはならない、という自明の大原則が尊重される。国家は教育条件の整備に責任をもつが、教育の内容に介入してはならないのだ。これに対して、専制国家ほど教育に介入し、教育を統制して国家の僕とする。
戦前の天皇制日本が、典型的な教育統制国家であった。何しろ、非科学的な神話と信仰を国家の成り立ちの基礎としている。教育の制度も教育の内容も、強権的なデマゴギーを国民に吹き込む手段とする以外に、国家の権威を保つ術がなかったのだ。この戦前日本の神聖な天皇制神話を、現代中国の神聖共産党無謬神話に置き換えると、やってることの共通性が理解可能となる。どちらも、「愛国教育」にことさらに熱心である。愛国の名で、天皇の名による統治や、中国共産党による支配を貫徹しようというのだ。
香港の教育界は、医療や法律界とともに民主派が圧倒的な基盤を持っていた。「香港教育専業人員協会」(略称は「教協」)は1973年に設立され、約9万5千人の教員を擁する最大の教職員組合。有力民主派団体として、香港や中国本土の民主化運動を支援してきた。当然に権力側には嫌われる存在。同組合は国安法(「香港国家安全維持法」)が求める「愛国教育」に関連して、警察が摘発を示唆していたという。
権力に従順な親中派メディアは、教協を「反中で香港を乱す」組織とレッテルを貼って、連日大々的な批判キャンペーンを続け、警察幹部も「確実に捜査する」と述べていた旨報じられている。
権力支配貫徹を目論む中国政府や党から見れば、教協はその邪魔者。「学生らを洗脳して反政府活動に駆り立てた」ということになる。7月31日、中国の国営新華社通信や中国共産党機関紙・人民日報は「教協というがんを取り除かなければならない」と題する論評を発表。「反中と香港の混乱とを助長」し、「香港に災いをもたらす震源地」などと批判したという。同論評を受け、香港政府教育局は教協との関係を停止すると発表、香港当局の独立性などはまったく存在しないことを示した。
どうして、中国国内に、香港の民主派と連帯する勢力が育たないのだろうか。どうして中国国内から、香港の民主主義弾圧に抗議する声が上がらないのだろうか。暗澹たる気分になるばかりである。
(2021年8月11日)
不定期刊の「風のたより」を送ってくれる石川逸子さんから、新刊書をいただいた。「もっと生きていたかった ー 風の伝言」という33編の詩集。
出版した一葉社の解説には、「『生きたいのに生きられなかった 数え切れないほどの ひとたち』― 打ち捨てられた死者たちに想いを馳せてきた詩人・石川逸子の哀悼小詩集。」とある。
あとがきにはこうある。「この国はなんと歴史に学ばない国でしょうか。一旦、世界に目を転じれば、其処にも、かしこにも、いわれなく殺戮され、恐怖に怯えるひとびとがいて…。(性懲りもなく、再び屍の山を築く気かよ)――地底から聞こえてくる、もっと生きていたかった、ひとびとのかすかな呟きに耳を傾けねばと思うこの頃です。」
この世に生を受けた誰もが望むことは何よりも生きること、生きながらえること。できることなら、家族の愛に包まれて育ち、親しい友と交わり、友人とともに学び、そして人を愛し働き、また家族をなして子をもうけ育てること。そのような生を断ち切られた人々を静かに見つめ、その思いを代弁する33編。
生を断ち切られた人は、さまざま…。戦没者、ナチスの収容所で犠牲となったユダヤ人、日本軍に殺された朝鮮人、従軍慰安婦とされた女性、終戦間近の特攻兵、沖縄戦の犠牲者、広島・長崎の爆死者、ナバホ族の放射線死者、パレスチナで殺された少年、イラク戦空爆の死者…。ヒトでないのは、ひそひそとささやき交わす福島の牛の遺体。どの詩からも、「もっと生きていたかった」というつぶやきが聞こえる。
一編だけ、笑っている遺骨の詩がある。他とは異なる不思議な宗教詩ともいうべき雰囲気の詩。これだけを紹介させていただく。
笑 い 声
輜重兵特務一等兵 キタガワ・ショウゴ
1937年5月14日 銃弾に左胸部を貫かれ
戦死 享年24
幼い甥・姪たちへの手紙
「いまかうして戦ひあってゐる人々の中には
一人もいけない人は居やしない
ただ戦争だけがいけないことなのだ」
若者は 一発の銃も「敵」にむけないことを
おのれに課した
中国の子どもたちとのんびり遊び 里人にタバコを分ける
家の中に彼を 招待し 飴をもてなし
入浴まですすめる 里人たち
「おじさんは 憎い敵兵はただ一人も見やしなかった」
「おじさんは 戦友に文句を言われても 自分では
とてもいい気分なのさ」
「次には ロバの話 水牛の話 豚の話を書こう」
記した 若い「おじさん」は
小さな骨になって 生家に帰ってきた
骨は(だれ一人殺さずに済んだ)と
嬉しそうに 笑っていた
「僕は一つの解決を射止めて、気軽に帰ってきた。
この嬉しそうな白木の箱の中で、赤ん坊のように
喚き立てている僕の声を聴いて呉れたまへ」
夜更け耳をすまし ひそやかな若者の
笑い声を聴こう
発売日:2021年07月12日
著者/編集:石川 逸子
出版社:一葉社 価格1100円
ご注文は下記に
https://honto.jp/netstore/pd-book_31083493.html
(2021年8月10日)
8月は、あの戦争を振り返り、平和を語るべきとき。まさしく、そのような8月の企画として、「平和を願う文京・戦争展」(主催・日中友好協会文京支部)が今年も開催された。一昨年、昨年に続く3回目の企画である。
文京・真砂生まれの故村瀬守保の貴重な「日本兵が撮った日中戦争」の写真展示を中心に、「重慶爆撃と東京大空襲」を組み合わせた、戦争加害と被害両面の実相を訴える写真展。コロナ禍のさなかではあったが、8月7・8・9日の3日間の日程での企画が終了した。
あの戦争は侵略戦争だった。だから、主たる戦争被害は「外地」に生じた。中国、仏印、ビルマ、インド、フィリピン、そして南洋諸島。辛いことではあるが、あの戦争を振り返ることは、まずは我が国の戦争の加害責任を確認することとなる。次いで、敗戦間近となってからは日本の国土が戦地となり、あるいは非人道的な無差別大空襲と原爆投下の被害が生じた。その悲惨は、忘れようにも忘れられるものではない。何度でも繰り返し、戦争の実相をあるがままに語り続けなければならない。
「平和を願う文京・戦争展」は、戦争の実相を知るための企画として、この上ないものである。文京区(教育委員会)が、自ら主催してもおかしくはない。少なくとも、後援を求められれば、当然に後援してしかるべきである。ところが、文京区教育委員会は、展示企画主催者の後援申請(正式には、「後援名義使用申請」)を今年も不承認とした。なんということだ。
文京区は、1979年12月に、「文京区平和宣言」を発出している。宣言の文言は、下記のとおりである。
「文京区は、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、ここに平和宣言を行い、英知と友愛に基づく世界平和の実現を希望するとともに人類福祉の増進に努力する。」
さらに、1983年7月には、下記の文京区非核平和都市宣言を発している。
「真の恒久平和を実現することは、人類共通の願いであるとともに文京区民の悲願である。文京区及び文京区民は、わが国が唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないことを強く主張するものである。
文京区は、かねてより、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、平和宣言都市として、永遠の平和を確立するよう努力しているところであるが、さらに、われわれは、非核三原則の堅持とともに核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴え、「非核平和都市」となることを宣言する。」
文京区も、形の上では平和を希求する姿勢をもつている。戦争を考える企画を自ら主催することもないわけではない。しかしその企画は、戦争被害についてだけ、あるいは日本に無関係な他国間の戦争についてのものにとどまり、日本の加害責任に触れる企画はけっしてしようとしない。後援すら拒否なのだ。
本音は知らず。その表向きの理由は、教育委員会議事録から抜粋すると次のとおりである。
教育長(加藤裕一)「皆さんのご意見をまとめますと、中立公正という部分と、あと見解が分かれているといったところ、あるいは政治的な部分、そういったところを含めて総合的に考えると、今回についてお受けできないというご意見だと思います。それでは、この件については承認できないということでよろしいでしょうか。(異議なし)それではそのように決定させていただきます。」
この結論をリードしたのは次の意見である。
坪井節子委員(弁護士)「今の情勢の中で、この写真展、南京虐殺があった、あるいは慰安婦の問題があったという前提で行われる催しに教育委員会が後援をしたとなりますと、場合によってはそうでないという人たちから同じようなことで文京区の後援を申請するということが起きることは考えられると思います。シンポジウムをしますからとか、文京区は公平な立場であるのであれば、あると言った人も後援したんだから、ないと言っている人も後援しろというジレンマに陥りはしないか。そういうところに教育委員会が巻き込まれてしまうのではないか。そこにおいて私は危惧をするんです。教育の公正性ということを教育委員会が守るためには、シビアに政治的な問題が対立するところからは一歩引かないとならないんじゃないかと…。」「そういう意味において、今回の議案については同意しかねるという風にさせていただきたい。」
この「中立・公正」論は、いま全国で大はやりである。歴史修正主義者の主張を口実に、真実から目をそらす手口なのだ。結果として、歴史修正主義に加担することになる。
たとえば、ナチスのホロコーストの存在は歴史的事実と言ってよい。しかし、ホロコースト否定論は昔からある。動かしがたいナチスの犯罪の証拠に荒唐無稽な否定論を対峙させて、「中立・公正」な立場からは、「両論あるのだから歴史の真実は断定できない」と逃げるのだ。
小池百合子の「9・1朝鮮人朝鮮人犠牲者追悼」問題も同様である。右翼団体に、「自警団による朝鮮人虐殺はウソだ」「朝鮮人が暴動を起こしたのは本当だ」と騒いでいることを奇貨として、それまで毎年追悼式典に出していた都知事による追悼文を撤回する口実に使った。
天動説と地動説、両論あるから「中立・公正」な立場からは真実は不明と言うしかない。科学者は進化論を真理というが人間は神に似せて作られたという考えも有力だ。「中立・公正」な立場からは、どちらにも与しない。
教育勅語は天皇絶対主義の遺物として受け容れがたいと言う意見もあるが、普遍的道徳を説いたものという見解もある。放射線は少量であっても人体に有害という常識に対して一定量の放射線は人体に有益という異論もある。「中立・公正」な立場から、立ち入らない。
中華民国の臨時首都であった南京で、皇軍が行った中国人非戦闘員や投降捕虜に対する虐殺には多くの証言・証拠が残されている。その規模についての論争は残るにせよ、この史実を否定することはできない。日本軍従軍慰安婦の存在も同様である。個別事例における強制性の強弱は多様であっても、日本軍の関与は否定しがたい。あったか、なかったかのレベルでの論争が存在するという文京教育委員諸氏の発言が信じ難く、その認識自体が、政治学的な研究素材となるべきものと指摘せざるを得ない。
今年の「戦争展」では、来場者に文京区長宛の「要望書」(2020年12月14日付)が配布された。A4・7ページの分量。南京事件も、従軍慰安婦も、史実である旨を整理して分かり易く説いたもの。この件についての歴史修正主義者たちのウソを明確に暴いている。
「史実」の論拠として挙げられているものは、まずは外務省のホームページを引用しての詳細な日本政府の見解。そして、家永教科書裁判第3次訴訟、李秀英名誉毀損裁判、夏淑琴名誉毀損裁判、本多勝一「百人斬り訴訟」などの各判決認定事実の引用、元日本兵が残した記録や証言、南京在住の外国人やジャーナリスト、医師らの証言、この論争の決定版となった偕行社(将校クラブ)のお詫び、日中両国政府による日中歴史共同研究…等々。
それでも、文京区教育委員会は頑強に態度を変えなかった。この展示の中で、一番問題となったのは、揚子江の畔での累々たる死体でも、慰安所に列をなす日本兵の写真でもなく、中国人捕虜の写真に付された下記のキャプションであったという。
捕虜の使役 「漢口の街ではたくさんの捕虜が使われていました。南京の大虐殺で世界中の非難を浴びた日本軍は漢口では軍紀を厳重に保とうとして捕虜の取り扱いには特に気を使っているようでした。捕虜の出身地はいろいろです。四川省、安徽省などほとんど全国から集められているようで、中には広西省の学生も含まれていました。貴州の山奥に老いた母と妻子を残してきたという男に、私はタバコを一箱あげました。」
この文章の中の「大虐殺」「世界中の非難」がいけないのだという。とうてい信じがたい。2年前の8月2日東京新聞朝刊の記事をあらためて思い出す。「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。
主催者のコメントとして、「このままでは歴史の事実に背を向けてしまう。侵略戦争の事実を受け止めなければ、戦争の歯止めにならないと思うが、戦争加害を取り上げることに、行政は年々後ろ向きになっている」との懸念が掲載されている。
戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民全体が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」に不承認というのは、あまりの不見識。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得してでも、後援実施してこその教育委員の見識ではないか。
「戦争の被害実態はともかく、加害の実態や責任に触れると、右翼からの攻撃で面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。
不名誉な教育委員5氏の氏名を明示しておきたい。すこしは、恥ずかしいと思っていただかねばならない。そして、ぜひとも、来夏にはその汚名を挽回していただきたい。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
(2021年8月9日)
昨夜は台風9号が九州を襲った。コロナ禍はさらに深刻な様相。東京五輪の喧噪は昨日ようやくにして終わったが、五輪禍はまだ続く。昨日の万能川柳に、「おもてなし出来ず おみやは五輪株」(吹田 のんさん)とあるとおりだ。世の中、安穏ではない。
コロナ禍を押しての東京五輪強行の理由はいくつか数えられるが、その中の一つに、政権浮揚の思惑があったことは間違いない。明らかに政権は、国民やメディアを舐めていた。「オリンピック開催に突っ込めば、メディアは感動の記事一色だ。国民の関心も意識も変わる。そうすれば、低迷する内閣支持率も復活する」との読みである。
この読みは、半分は当たった。確かに、メディアは「メダルラッシュ」「感動大安売り」の記事で埋められた。しかし、沈みかけた政権の浮揚の思惑は当て外れとなった。本日発表の朝日世論調査、内閣支持率28%・不支持率53%という結果である。政権の危機、いよいよ深刻である。
太平洋戦争末期の事情に似ていなくもない。敗戦必至の戦況となって、近衛文麿が天皇(裕仁)に「早期の敗戦受容」を勧告した。しかし裕仁はこれに従わず、「もう一度戦果をあげてから」と講和の時期を失した。そのため、彼は厖大な国民の生命損失に有責の刻印を押されることとなった。なくもがなの、その後の各地の大空襲、沖縄地上戦、2発の原爆投下によってである。菅義偉も、衆院の解散時期を失することになりそうな雲行きである。もっとも、こちらは裕仁ほどの責任の重さはない。
ところで、誰が言ったか「8月は 6日9日15日」。今日はその9日、長崎の原爆投下の日。長崎市が主催する「被爆76周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が挙行された。
本日も、菅義偉は来賓の立場で挨拶を述べたが、針のムシロの心境だったろう。3日前の広島の式典で、信じがたい失態を犯したばかり。被爆者団体から、「不誠実極まりない」と叱責を受けた身だ。彼は、確かに心ここにあらず、ボーっとしていた印象だった。無能総理というだけではなく、不誠実の烙印も消えることはないだろう。
それだけではない。広島・長崎の両市長も被爆者団体も声を揃えて、「日本も核禁条約の締結を」「せめて、条約締結国会議にはオブザーバー参加を」と悲痛なまでの声を上げているが、菅はまったく無視の姿勢を崩さないのだ。
それでも菅は、式典出席見合わせとは言えない。やはり、イヤでも出席せざるを得ないのだ。式典出席が、圧倒的な世論の求める内閣総理大臣としての任務なのだから。思い出す。安倍晋三という人物、沖縄の平和勢力からは蛇蝎の如く嫌われている。それでも、6月23日「慰霊の日」の「沖縄全戦没者追悼式」には出席せざるを得なかった。On-line出席で済まそうとて、できることではない。
安倍晋三は(菅義偉もだが)、沖縄の民意に逆らって新基地建設を遮二無二強行する首謀者。言わば、本土のエゴで沖縄に戦争リスクの負担を押し付けているのだ。だから、「沖縄平和祈念」の式典にはまったく似つかわしくない。それ故に、式場周辺からあからさまに、「何しに来たのか」「カエレ、カエレ」と罵倒されることになる。それでも、「じゃあ帰るよ」とは言えない。罵倒されながらも、式典出席を継続せざるを得ない。これが、民心と離れ、心服されることのない為政者のつらいところ。
菅義偉は、本日長崎の式典に遅刻はしたようだが、読み飛ばすことなく、挨拶の原稿全文を恙なく読み通したという。よくできた。それくらいの能力はあるんだ。ねえ、菅君。人間、優れていることよりは、真面目であることが大切なんだよ。真面目にやればちゃんと仕事ができるじゃないの。
社会人には、「有能ー無能」、「誠実ー怠慢」の評価軸がある。できることなら、有能で誠実と言われたいものだが、なかなかそうはいかない。菅君も、努力次第で「有能」の評価を獲得することは可能だが一朝一夕には無理なこと。任期を考えると間に合いそうもない。一方、緊張次第で「誠実」の評価は得やすいのだが、広島での菅君、君は無能で怠惰と評価せざるを得なかった。今日長崎の君は、まずまず誠実といってよい。だって原稿読めたのだから。
では菅君、君は有能か。総理大臣として求められる能力とは、何よりも官僚が作成した原稿を滑舌よく、聞いてる人に分かるよう朗読できることだ。安倍晋三のように、漢字が読めなかったり、読み間違えたりしなければ立派なものだ。今日の君については、原稿を間違いなく読めたのだからまずまず合格点としたい。採点としては、「可」だ。
今日の式典で、田上富久市長も、被爆者代表の岡信子さんも、切実に訴えていた、核兵器禁止条約の署名と批准そして第1回締約国会議にオブザーバーとして参加することを真剣に考えなくては。それができたら、「良」の判定になるよ。がんばりたまえよ、菅君。残りの任期は長くもないんだから。
(2021年8月8日)
東京オリンピックが本日で終わる。コロナ禍の中での五輪禍。あらためて、オリンピックというものの愚劣と危険が浮き彫りになった。中止に追い込むことができなかったことが残念の限り。
東京オリンピックとアスリートの愚劣を象徴する事件が、「豪選手団が帰国便で大騒ぎ ー 泥酔しマスク拒否」と報道されたもの。
「オーストラリアの東京五輪代表選手らが、帰りの日本航空(JAL)機内で泥酔してマスクを拒否するなどの騒ぎを起こした。騒ぎを起こしたのは、サッカーと7人制ラグビーの男子代表選手ら。選手らが搭乗した日本航空の飛行機は、2021年7月29日に羽田空港を出発し、約10時間のフライトを経て、翌30日朝に豪シドニーに到着した。選手らは機内で、酒を飲んで歌い始め、客室乗務員がマスク着用や着席を求めても拒否した。しかも、機内に保管してあった酒類を勝手に持ち出し、乗務員らが止めても応じなかったという。また、トイレで嘔吐して床などを汚し、トイレが使えなくなったケースもあった。機内には、一般客も搭乗しており、選手らの行為は迷惑だったとメディアの取材に話したという。」
取り立ててオーストラリア選手のモラルが低いということはありえない。これがオリンピック選手の平均レベルだろう。スポーツが人間性を育てるなどというのは、真っ赤なウソ。むしろ、一流と言われるアスリートの特権意識が鼻持ちならない。
スポーツを嗜む人と無縁な人。それぞれのグループに人格者もいれば、非人格者もいる。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」は、罪の深い迷信である。私は、アスリートに対する敬意の念を持ち合わせていない。むしろ、「体育系」といわれる人々の精神構造に嫌悪感をもち続けてきた。
「昔軍隊、今体育系」は至言である。日本の「体育」は軍事訓練のルーツをもっている。ご先祖様である天皇の軍隊と同様、体育系は不合理の巣窟。イジメ・暴力・体罰・私的制裁・上命下服・精神主義・面従腹背・勝利至上主義・非科学性、非知性、権威主義・ナショナリズム…。個人主義よりは全体主義に親和性を持ち、同調圧力に弱い。人権思想や民主主義感覚との対極にある。体育系は批判精神に乏しく盲目的に指導者に従う。
だから、体育系の精神構造は企業には歓迎される。親はそれを知っているから、子どもにスポーツをやらせる。そんな風に育つ子どもたちのトップエリートとしてオリンピック選手が生まれるのだ。格別にアスリートに敬意をもつべき理由とてあり得ない。
オリンピックとは、「体育系」精神の集大成としての興行である。本質において偉大なる愚劣と言うべきであろう。ところが、この愚劣なイベントが、きらびやかな装いをもって多くの人々の関心を惹き付ける。それ故に無視し得ない危険をはらむものとなっている。
東京オリンピック開催強行は、人々のコロナへの関心を相対的に稀薄化し対策を弱体化して、既に感染爆発を招いている。しかしこれでは終わらない。このさきの潜伏期間経過後に、さらなる感染拡大を覚悟しなければならない。「メダルラッシュ」「感動の大安売り」の代価はとてつもなく高価なのだ。
オリンピックは、それだけではない危険をはらんでいる。あの安倍晋三が、得々とそのオリンピックの危険性を説明してくれている。「月刊Hanada」(飛鳥新社)8月号に掲載された、櫻井よしことの対談。そこで安倍晋三は、東京五輪開催に反対する世論を「反日的」と攻撃しているのだ。なるほど、そうすると私も「反日」なんだ。
安倍晋三・櫻井よしこという極右コンビとオリンピックとは、とても相性がよいのだ。この右翼政治家は、オリンピックを自分に親しいものとして、こう語っている。
「この『共有する』、つまり国民が同じ想い出を作ることはとても大切なんです。同じ感動をしたり、同じ体験をしていることは、自分たちがアイデンティティに向き合ったり、日本人としての誇りを形成していくうえでも欠かすことのできない大変重要な要素です」「日本人選手がメダルをとれば嬉しいですし、たとえメダルをとれなくてもその頑張りに感動し、勇気をもらえる。その感動を共有することは、日本人同士の絆を確かめ合うことになると思うのです」「(前回の東京五輪では)日本再デビューの雰囲気を国民が一体となって感じていたのだと思います」
自身が繰り返してきた「復興五輪」「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、完全な形で、東京オリンピック・パラリンピックを開催する」などのフレーズはどこへやら。要するに、安倍晋三にとって東京五輪の開催は「日本人としての誇りを形成」「日本人同士の絆を確かめ合う」「日本再デビュー」などという全体主義、国粋主義鼓吹の道具なのだ。おそらくは、これが本音である。
確認しておこう。安倍や櫻井にとって最も重要なのは、「親日」か「反日」かの分類である。東京オリンピック開催に賛成するのが「親日」、反対意見は「反日」なのだ。その理由は、オリンピックというイベントを通じて、ナショナリズムの喚起が可能となるからだ。安倍晋三の言うとおり、これがオリンピック危険の本質なのだ。
(2021年8月7日)
表題の句、残念ながら私の作ではない。朝日川柳欄に掲載の一句。作者は兵庫県・大西哲生、これは秀逸だ。
五輪・コロナ・バッハ・菅が、今の新聞時事川柳の主要ネタである。魂胆ありげな安倍も案外多く、小池は精彩を欠いて少ない。それぞれのネタが、深刻ではあるが、いかにも川柳的なのだ。掲載句はさすがにどれも達者、とうてい真似できない。
テーマが重複し分類は難しいが、このところの毎日仲畑万能川柳と朝日川柳とから、いくつかを並べてみた。
? まずは東京五輪を詠んだ句。東京五輪を手放しで肯定する駄句はない。東京五輪開催強行を問題にする句が主流だが、始まれば興味をそそられるというアンビバレントな心情が句になっている。
スローガンコロコロ替わる五輪です 本庄 支持拾六
五輪後は他国のコロナ置き土産 東京 小政
ゴリ押しは「五輪押し」と書くこれからは 栃木 風倒人
感動や興奮よりもホッとしたい 山口 葉と根
反発と祈りが交差する五輪 下野 咲弥アン子
国のためじゃなくて走れキミのため 鴻巣 雷作
国別のメダル数より感染者 福島 烏賊人参
コロナから菅とバッハに菌メダル 静岡 ミノチャン
見なくても非国民ではない五輪 駒ケ根 早次郎
テレビでは五輪とコロナもう飽きた 下関 畠中英樹
開催後東京誤輪なりそうね 北九州 皿倉さくら
皆の者そこのけそこのけ五輪が通る 茅ケ崎 ゴト師妻
無観客体力測定みたいだな 和泉 今倉大
間際まで命と金のせめぎ合い 東京 カズーリ
五者協議つまりはやりたい人で決め 東京 立肥
悪いことしているような聖火リレー 草加 石川和巳
2020撤去忘れのよな看板 熊本 ピロリ金太
夢・希望・感動押しつけられ苦痛 八王子 テイク5
お祭りはみなの笑顔があってこそ 北九州 半腐亭
金メダル選挙前だよ栄誉賞 鳴門 かわやん
単純にコロッと感動するんだろ 札幌 紅帽子
オリパラのテレビ意地でも見るものか 豊田 けにち
「中止しろ」聖火が来たら「がんばれ?」 伊豆 シロくん
流行語「安心安全」入りそう 西条 ヒロユキン
感動も二つ三つほどが良い(岐阜県 中野和彦)
煮沸して天日干しする金メダル(宮城県 田所純一)
表敬は金メダルチョコ代用し(東京都 堀江昌代)
日本では寝込んだ時分(ころ)の聖火かな(京都府 藪内直)
反対とあれほど嫌った五輪見る(茨城県 加納楯夫)
アスリート私たちよりどこ偉い(東京都 古賀雅文)
金メダル タイタニックに積み上げて(広島県 高橋滋)
ニュース読むアナウンサーに顔二つ(愛媛県 吉岡健児)
この博打(ばくち)やればやるほど負けが込み(埼玉県 西村健児)
喰(く)えぬ子を余所(よそ)に弁当ドッと捨て(神奈川県 朝広三猫子)
? そしてコロナを詠んだ句。コロナそのものについてではなく、コロナを巡る政権の無為無策無能に目が向けられている。
ついに出たコロナ在宅死の勧め(愛媛県 木村瞳)
歓喜の畳 辛苦のベッド(茨城県 五社蘭平)
2回目の前に勧める3回目(宮城県 鈴木正)
アナウンサー飛沫(ひまつ)の量は増すばかり(大阪府 玉田一成)
若者の怖くないよに怖くなり(群馬県 樺澤信雄)
現実に引き戻される過去最多(徳島県 井村晃)
知りました政治無力で人が死ぬ 埼玉 孫六
もしかして「安心・安全」おまじない? 伊勢原 大原龍志
ワクチンの在庫も見ずに百万回 群馬 からっ風
GoToをせずにワクチンやってれば 東京 寿々姫
首長が競わされてる接種率 川西 水明
ウイルスが教える日本途上国 田川 下降の天使
まん延をしてから防止するコロナ 福岡 朝川渡
最初から「人の流れ」と言えばどう? 富士見 不美子
挨拶は「予約取れたか」「うん取れた」 東京 ほろりん
来週に打つこと決まりワクワクチン 沼津 まさみ
副反応報告しあう接種後(あと) 川崎 さくらの妻
接種日に出会った人と一期二会(神奈川県 田中ゆう子)
第5波も6波もきっとやって来る 大阪 ナナチワワ
援助せず酒は出すなよ金貸すな 鎌倉 狩野稔
息できる人は自宅の恐ろしさ(東京都 内田昌廣)
言うなれば汝(なんじ)人民家で死ね(兵庫県 大西哲生)
Amazonに酸素ボンベはあるのかな(埼玉県 田口尚孝)
崩壊を自宅療養と言い逃れ(東京都 村田正世)
鉄面皮患者切り捨ての策に出る(神奈川県 大坪智)
罹(かか)っても自助です五輪は続けます(東京都 土屋進一)
言っとくよ 自宅療養 あなたもよ(大阪府 緒方よしこ)
? 次いで、IOCのバッハ。こんなにも短期間で評価が下がった人物も珍しい。これまでは、ベールの彼方にその姿がよく見えなかった。今回よく見えるようになったら、なんというお粗末なお人柄。贅沢極まる金銭感覚と意識だけは貴族趣味の奇妙な香具師。
バッハ出て風呂から出たらまだバッハ(神奈川県 細田幸代)
民宿でいいよ言わないバッハさん 別府 タッポンZ
スイートに泊まるらしいねIOC 幸手 百爺
IOC東京終わればハイ次と 東近江 佐太坊
おもてなしIOC(あっち)が主賓だったのね 春日部 猫文庫
? 国内の人物では、当然ながら菅義偉。この人のやることなすこと、ひねりの必要なくそのまま川柳なのだ。こんな人は、却って句にしにくいのではないか。
テロップがついて行けない読み飛ばし(三重県 山本武夫)
式典で上告下げたを自賛する(埼玉県 渡辺梢)
「これまでに経験のない」無策かな(千葉県 高師幸広)
難しいことは地方へ投げてやる(栃木県 井原研吾)
総理即自宅療養させなさい(奈良県 横井正弘)
菅総理目耳口頭もうあかん(福島県 菅野はるか)
女房がしゃしゃり出ぬのがマシなだけ(福岡県 河原公輔)
ガースーのそばだけ人が減っており(神奈川県 みわみつる)
人流が減ったと見える不思議な眼(め)(兵庫県 河野敦)
支持率が落ちたので止(や)む黒い雨(大阪府 首藤媾平)
人心を摑めず人事掌握し 桶川 句意なし
うけ狙い外す総理と似た自分 相模原 せきぼー
今回も説明せずになし崩し 札幌 ヨーちゃん
質問を聞かずに食べる山羊総理 東大阪 きくさん
菅総理きっとくしゃみも「ワックチン」 府中 火星人
先手だとおっしゃいますが後手後手ヨ 佐倉 桜人
かみ合わぬ受け答え引き継ぐ総理 今治 てんまり
打ち勝った証どころか宣言下 京都 みぞれ
質問の前に答弁始めてる 別府 タッポンZ
メモなしの球児宣誓観る総理 大津 石倉よしを
? この時期に安倍晋三に言及している句が少なくない。物欲しそうな風情が見えるからなのだろう。
反安倍が反日だとは限らない 福岡 朝川渡
安倍流で言えば6割反日に 東京 三神玲子
耳打ちすアベちゃん逃げた日もうすぐよ(岡山県 木田昌)
尻尾無いトカゲ見つけて調査中(福岡県 西野豊)
安倍マリオ ヒラだ今度は公平に(山形県 渡部米助)
沈む船マリオ船長どこ行った(神奈川県 一柳直貴)
重い腰軽い責任無い記録 大分 赤峰ユキ
? 対して小池百合子の句は少ない。もう、旬の人ではなくなったようだ。
サル山に天井無かった雌のボス(富山県 中居純)
菅さんに ねえ立たないのと小池さん(愛知県 牛田正行)