(2021年8月18日)
横浜は巨大都市である。夜間人口の比較では大阪市を大きく上回る。多面・多様な相貌をもつ魅力的なこの街にカジノが必要だとはとうてい考え難い。その街に、いまコロナの蔓延が急である。その横浜の市長選挙が、今週末の日曜日・8月22日に迫っている。これまで、争点はカジノとコロナだと言われてきた。
東京近郊の自治体の選挙は盛り上がりに欠ける。住民の地元意識が希薄で、自治意識に欠けるからだと言われる。投票率も低い。横浜も、東京のベッドタウンという側面をもっている。今は昔のことだが、私も磯子区の杉田に住んで東京の端に位置する蒲田まで通勤していたことがある。朝夕、東京湾に浮かぶ船と対岸の房総半島を眺めて暮らした。そのときは、横浜市の住民として市長選にも神奈川県知事選にも選挙権を持ってはいたが、社会的な活動の舞台は東京で自治体選挙には関心の薄い「横浜都民」の一人だった。
ところが、今回は事情が違うのだという。「横浜都民」にも、市長選投票のモチベーションができたとして俄然注目された選挙となっている。場合によっては、この市長選の結果が菅内閣の命運を決することになるかも知れないというのだ。
本日の朝刊を開いて、週刊文春の広告が目に入った。なんと、「菅 9・6『首相解任』 横浜市長選敗北で引導」というのだ。凄い見出しだが、ホントかね。
私は、週刊文春は広告を見るだけ。あるいは、無料のオンライン記事に目を通す程度。絶対に買わない。なにせ、植村隆バッシングに狂奔した前科のある週刊文春である。一円の支払いもするものかという信念を堅持している。
その広告には、《菅ハイテンション「パラ直後に解散」に周囲は唖然》《菅“官邸ひとりぼっち”医療ブレーンも切り捨て》《自民党幹部が小誌に「菅・二階では戦えない」》《安倍動き出した「菅さんじゃダメと若手が…」》《安倍 麻生極秘会談で岸田推し河野は出馬準備》などという内容。これだけでほぼ分かる。本文を読む必要はない。
このあたりのことは、毎日新聞の名物コラム「水説」(古賀攻)が落ちついた解説をしている。「首相血眼の市長選」というタイトル。もちろん、選挙結果を断定などしていない。
https://mainichi.jp/articles/20210818/ddm/002/070/020000c
そのコラムの書き出しが、「内閣総理大臣の命運が、単一自治体の首長選に左右される―。…22日投票の横浜市長選は実態としてそうなりつつある。しかも、進んで仕向けているのが菅義偉首相というから驚く」というもの。以下、抜粋である。
「小此木八郎さんが閣僚ポストをなげうって出馬。しかも首相と一緒に旗を振ってきたカジノ誘致を「取りやめる」と公約した。はしごを外された現職の林文子さんは「カジノ継続」で参戦し、自民党系市議は30対6に分裂している。菅軍団(元菅秘書の市議5人を指す)もとうとう小此木支持3人、林支持2人に割れた。焦ったのだろう。首相は7月半ばから公然と介入を始めた。」
「首相には冷静に考えて選挙と距離を置く選択肢もあった。それを拒み、市長選を政治上の最高ランクに高めたのは自身の行動だ。『カジノよりコロナ』と訴える無名の野党系候補が追い上げているという。どんな結果が出ようと首相は無傷ではいられない。」
今回の横浜市長選、立候補者は異例の8名。しかも、売名目的の泡沫候補はなく、それなりの候補者ばかりだという。水説も言うとおり、注目は菅を背後霊に背負う小此木八郎の当落のみである。その他の誰が当選するかはまったく注目されていない。言わば、横浜・東京圏の300万有権者による菅政権に対する信任投票となっている。
とすれば、「安倍後継の菅政権」の信任を拒否する真っ当な感覚をもつ有権者の合理的投票行動は、小此木以外の最有力候補者に投票を集中することにならざるを得ない。水説が「『カジノよりコロナ』と訴える無名の野党系候補が追い上げている」というのが、その事情を物語っている。
問題は、反小此木票の受け皿と意識されている「無名の野党系候補」である。この人が素晴らしい立派な候補だという話はトンと聞こえてこない。この人の政治信条も、人柄も、情熱も、政策も伝わってこないのだ。しかし、この人ひたすらに消去法での集票で有力候補となって、当選に近いとされている。つまりは、反「安倍・菅」の風が作り出した、選挙情勢なのである。これも、民主主義の一断面なのであろうか。ともあれ、菅政権の命運に関わる選挙として、22日の投開票に注目せざるを得ない。
(2021年8月17日)
一昨日(8月15日)には、政府主催の式典だけでなく、東京都と都遺族連合会共催の戦没者追悼式が都庁で開かれている。知事や遺族ら90人が参列した。
遺族を代表して追悼の言葉を述べたのは、遺族会女性部幹事の木村百合子さん。木村さんの父は、1944年の終わりに出征。当時、妻のおなかにいた木村さんの顔を見ることなく、45年4月にフィリピン・ルソン島で戦死したという。
木村さんは「どんなに待っても、何年待っても、父は帰ってこない。毎日父を思っています。この心境は遺族でなければ分からない。戦争に行った兵隊さんだけでなく、留守を預かった母たちも大変だったことを伝えたい」と報道陣に語っている。誰もが、共感せざるを得ない。
その木村さんは、式では献花台の前で「安らかにお眠りください」と追悼の言葉を述べ、最後に「お父さん、教えてください。なぜ戦争に行ったのですか」と問いかけた。これは悲痛な言葉だ。この問は、次のように続けることができよう。
お父さん、なぜ母や私を残して戦争に行ったのですか。お父さんが戦争に行くことさえなければ、母にも私にも、もっと幸せな別の人生があったはず。どうして見たこともない遠い外国にまで戦争に行ったのですか。どうして戦争に行くことを拒否しなかったのですか。どうして戦争が起きたのですか。誰が、なぜ、戦争を起こしたのですか。どうして、皆で戦争を止められなかったのですか。
その問いは、今なお生々しく、新鮮である。
明治政府は国民の抵抗を排しつつ国民皆兵の制度を確立していった。1873年に陸軍省から発布された徴兵令を嚆矢として累次の法整備を重ね、1927年4月1日に徴兵令全文改正の形式で兵役法の制定に至っている。
その第1条は、「帝国臣民タル男子ハ本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス」と、男子の国民皆兵制度を定めていたが、当時は例外の範囲が広かった。しかし、アジア太平洋戦争の進展とともに、徴兵免除の範囲は狭められ、兵役の年齢幅は拡げられていった。徴兵の忌避には次のとおり、同法での罰則が科せられていた。
第74条 兵役ヲ免ルル為逃亡シ若ハ潜匿シ又ハ身体ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作為シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ三年以下ノ懲役ニ処ス
第75条 現役兵トシテ入営スベキ者正当ノ事由ナク入営ノ期日ニ後レ十日ヲ過ギタルトキハ六月以下ノ禁錮ニ処シ戦時ニ在リテ五日ヲ過ギタルトキハ一年以下ノ禁錮ニ処ス
徴兵逃れの涙ぐましい工夫や、信仰上の信念からの徴兵忌避の事例はけっして少なくはない。しかし、多くの国民にとっては、徴兵は「しかたのないこと」「とうてい抗うことのできない宿命」として受けとめられた。「世間」は、徴兵による出征を「御国のための名誉」として送り出し、戦死さえも「名誉の戦死」と褒め称えた。その同調圧力には抗すべくもなく、徴兵逃れは法的に処罰の対象とされただけでなく、社会的に「非国民」の所業と指弾されたのだ。
維新政府は、そのような軍事国家体制を作りあげた。天皇を利用し、教育とマスコミを統制することによって。
「しかたなかったと言うてはいかんのです」は至言である。「しかたなかった」と言わざるを得なくなる前に、国民に不幸を強いる国家を拒否しよう。再び、不幸な子が、亡き父に「お父さん、教えてください。なぜ戦争に行ったのですか」と問いかけることのないように。
(2021年8月16日)
私の父・澤藤盛祐(1914年1月1日生)は2度陸軍に徴兵され、海軍には徴用されている。彼自身が生前に残したメモによるとこんな具合だ。
第1回招集 3年7か月
帰郷 10か月
海軍徴用 9か月
第2回招集 1年3か月
第1回の招集は1939年5月のこと。弘前の聯隊からからソ満国境の愛琿の守備隊に配属されている。除隊になってから長子である私が生まれたが、その直後に横須賀海軍工廠造兵部に徴用されている。そして、第2回の招集で横須賀から弘前に直行して青森の小さな部落で終戦を迎えたようだ。
父は、兵営から妻(私の母)に頻繁にハガキを出している。達筆でもあり、得意の絵や版画の出来はなかなかのもの。演習の兵隊や現地の風物、動植物を描いている。我が父ながら、実に器用な人なのだ。満州の様子を書いた兵士のハガキは貴重ではないだろうか。ハガキには自分で番号を付けていたようで、№188というものもあるが、残されているものは30枚にみたない。
その中に1枚だけ、「澤藤統一郎殿」という宛名のハガキがある。「昭和20年3月7日」付のもの。差出人は、「青森縣弘前市 東部第五十七部隊本部 澤藤盛祐」となっている。「検閲済」の印があり、文面は次のとおり。
「毎日 お父さんの写眞の前に行って おじぎをしてゐるとは愛い奴ぢゃ 余は満足に思ふぞ」
これに、後年のメモが付されている。
「統一郎はこの頃一歳半。その後赤羽の祖父や光子と毎日のように八幡さんや護国神社にお詣りしたとも聞いた。」
光子は私の母である。旧姓は赤羽。その生家は盛岡の八幡神社や護国神社にほど近い。このあと、盛岡も規模は小さいながらも空襲を受けることになる。2歳に満たない子どもを抱えての銃後。「愛い奴ぢゃ 余は満足に思ふぞ」などと言ってる余裕はなかったろう。「心細かった。必死だった」と、母は繰り返して言っていた。お詣りはその心細さの表れであったろう。
父の残した戦後のメモの中に、こんな一節がある。
「8月15日敗戦
兵器を納め、部隊解散までには少々間があり、村人の作った濁酒を飲み、9月末に貨車に乗って盛岡に帰った。」
「軍隊生活とは、私にとってなんであったろうか。
まったく聖戦だと思っていたし、
実弾の下をくぐったこともなく、
白刃をふるったこともなく、
演習につぐ演習。
辛くはあったが、軍隊を地獄と思ったことはない。
身体を鍛えてもらっただけでも、
私は恵まれた星の下において頂けたのだと思う。」
「休憩時の話といえば、召集解除とおいしかった食べもののこと」などいうメモもあるが、父は実戦の惨劇に遭遇することはなく、現地の人々に危害を加えることも加えられることもなく、郷土部隊の中で居心地の悪からぬ軍隊生活を送ったようなのだ。兵から軍曹になり、最後は曹長になった父の軍隊内の地位も影響しているのだろう。
父と母とでは、戦争に対する嫌悪の温度差が大きかった。私も弟たちも、戦争に対する反省の足りない父には大いに不満ではあった。取りわけ加害責任の意識が希薄なことを問題にはした。さりとて、父を責めることはいたしかねた。この微温的な態度が、実は国民的な規模のものであったのかも知れない。今なお、われわれはあの戦争の責任を詰め切れていないのだから。
どの人も、どの家族も、必ずあの戦争の歴史を引きずっている。しかし、その記憶は薄れつつあり、記録は散逸しつつある。今残っているものを意識的に残しておきたい。父の兵営からのハガキなどもそれなりに何らかの形で、保存しておきたいと思う。
(2021年8月15日)
戦後76年目の8月15日。日本武道館で恒例の全国戦没者追悼式が行われた。出席した天皇(徳仁)の挨拶の内容は比較的穏やかなものだった。その最後の一節が次のとおり。
「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」は、憲法の理念に沿ったものと言ってよい。もっとも、この「反省」と「責任」を最も深く負うべきは、睦仁以来の天皇の家系である。そのことの自覚がどれほどあるだろうか。
これに対し、首相の式辞では「反省」の言葉は聞かれなかった。むしろ、「積極的平和主義」などという、物騒な「アベ語」を久しぶりに聞かされて白けた。ただ、次の一節にだけは注目した。
「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。」
「遺骨をふるさとにお迎えする」とは、遺骨を遺族に返還するということだろう。これを「国の責務として全力を尽くす」と言ったのだ。この言葉は重い。
同じ今日。靖国神社社前で一人の沖縄県人が昨日来のハンガーストライキを決行して話題になっている。沖縄は、先の戦争で国内唯一の地上戦が行われた地。とりわけ沖縄本島南部が激戦地となって、多くの県民の遺骨がいまだに地中に眠っている。この遺骨を発掘し収集して遺族に返還しようという運動を息長く続けてきた市民団体が「ガマフヤー」。その代表を務めるのが具志堅隆松さん。既に、40年もこの活動に携わってきたというから、頭が下がる。この人が靖国神社でのハンスト決行の人である。
ハンストの目的は、辺野古の米軍基地建設の埋立に、今も遺骨が眠る沖縄本島南部の土を使わないよう訴えてのこと。辺野古基地の埋立予定地に軟弱地盤があることが発覚し、これまでの計画を上回る大量の土砂が必要になった。そのため、防衛省は埋立用土砂の採掘先として沖縄本島南部を追加した。こうして、遺骨の眠っている南部の土が掘削されて、辺野古の埋め立て工事に使われる可能性が生じているという。
具志堅さんの南部の土砂使用に反対するハンストは今年3月と6月にも沖縄で実行された。今回が3回目とのこと。昨日(8月14日)から本日の夕刻までのハンストを行っている。生憎の降雨の中だが、訴えのための座り込みが続けられている。
具志堅さんは、この防衛省の計画について、本島南部の土砂に多くの戦没者遺骨が遺されている点を踏まえて、「国家のために犠牲となった戦没者の遺骨が混じる土砂を基地建設に使うのは、人道上の問題だ」「人道に反するものとして許せない」と厳しく批判している。「基地建設賛成か反対かではなく人道上の問題だ」「靖国神社に参拝に訪れる人たちには戦没者への強い思いがあるはず。関心を向けてほしい」「国が戦没者の尊厳を冒すこの問題を一緒に考えてほしい」と話しているという。
「人道上の問題」とは、こんな意味ではないだろうか。
遺骨を野に晒しておくのは、遺族にとっては忍びないこと。不本意な死を強いられた遺骨は、せめては遺族のもとに返して追悼し埋葬すべきが人道に適った当然のあり方。沖縄本島南部で、遺骨を掘り、これを同定して遺族のもとに返してきた実績のある具志堅さんらにしてみれば、本気になって遺骨の採集をすれば、もっとたくさんの遺骨を遺族に返すことができる。しかし、この土を遺骨ごと辺野古の基地建設のための埋立に投棄すれば、「戦没者の遺骨は永遠に海に捨てられてしまうことになる」。それは「遺骨に2度目の死をもたらす」ことになる。
政府は戦没者の遺骨について今年秋からDNA鑑定の対象を拡大し、身元の特定につながると期待されているという。南部の土砂使用計画はこれに逆行し、「戦没者の遺骨を永遠に遺族から遠ざける」ことになる。
遺骨を遺族に返還することが人道的な配慮である。遺骨まじりの南部の土砂を辺野古の海に沈めるのは、遺骨と遺族を永遠に引き離す非人道的行為なのだ。
(2021年8月14日)
明日8月15日が敗戦の日である。76年前に国民が敗戦を知らされた日は、文字どおり新国家誕生の日。あるいは、神権天皇制の欺瞞の上に築かれていた旧体制を清算しての新生日本再出発の日。私たちの国の歴史の転換と、新生日本の成り立ちの原理を噛みしめ考えなければならない。
しかし、例年8月15日は、戦後長く続く保守政権とそれを支える勢力の復古の願望をアピールする日となっている。その象徴が、靖国神社への政府要人の参拝である。
靖国とは、天皇の神社であり、軍国神社であり、侵略の神社である。合祀されている祭神は、天皇が唱道する戦争で、天皇の将兵として戦い、天皇のために命を捧げた人物の霊である。これを英霊として尊崇する「靖国の思想」とは、天皇も戦争も侵略も美化するものにほかならない。
憲法20条が定める政教分離における、「政」とは国家と地方自治体を含むすべての公権力機関を言い、「教」とは形式上は宗教一般のこと。しかし、政治権力と分離を求められている宗教とは、何よりも天皇の祖先を神とし天皇自身を現人神とする荒唐無稽な「天皇教」(国家神道)を意味するもの。政府の要人が、「天皇教」(国家神道)の軍国主義を象徴する靖国との関わりを持ってはならないのだ。
にもかかわらず、安倍政権も菅政権も、折りあらば隙あらば、靖国に参拝したくて仕方がない。これは、日本国憲法の理念を理解しようという姿勢がないからだけではなく、支持勢力が右派に偏っているからなのだ。
今年はどうだろうか。報道では菅義偉自身の参拝はないようだ。また、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は、今年もコロナ蔓延に配慮して一斉参拝を見送るという。
ところが、昨日(8月13日)午前、西村康稔経済再生相が靖国神社を参拝した。菅内閣の現職閣僚で初の参拝だという。西村と言えば、《新型コロナウイルス感染症対策担当大臣》ではないか。政府のコロナ対策担当は、込み入って分かりにくいが、ここまでのコロナ対策の失敗に大きな責任をもつべき立場。
報道によると、西村は8月12日新型コロナの感染拡大の事態に、記者団の取材に対して「お盆の季節になっているが、ぜひとも自宅で家族でステイホームでお願いをしたい」と話していたという。「汝人民、自宅を出るな、ステイホームを実行せよ」と宣いつつ、「オレは別だ」と思ったか、「靖国はこの限りあらず」と思ったか。いずれにせよ、国民に対する説得力はない。
さらに、同日の午後、岸信夫防衛相が靖国神社を参拝した。岸信夫、安倍晋三の実弟で現職の防衛大臣の参拝。軍国神社に防衛大臣の参拝だから、穏やかでない。
この人、神社内で記者団の取材に応じ、「国民のために戦って命を落とされた方々に対して尊崇の念を表するとともに、哀悼の誠を捧げた。また不戦の誓い、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという決意を新たにした」と語ったという。弁解の決まり文句だが、とうてい納得しがたい。
この言葉には反省の弁がない。無益で悲惨な戦争を起こしたことについての反省は語られない。国家が国民の命を奪ったことへの悔恨の弁が欠けている。侵略先の民衆の厖大な被害への謝罪の念が見えない。「国民のために戦って命を落とされた方」は、間違いだろう。飽くまでも『君のため国のため』に戦ったとされているのだ。「尊崇の念を表する」が根本の間違い。「尊崇」は「皇軍」と結びついてのことなのだ。「哀悼の誠」は、誤った国策の犠牲となったこととに対してでなくてはごまかしに過ぎない。そして「不戦の誓い」も不自然極まりない。靖国の境内は、不戦の誓いにふさわしいところではない。「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」とは、「軍備を増強して次の戦争では勝つ」と聞こえる。
以下は、「政教分離の侵害を監視する全国会議」の穏やかな、要望である。お読みいただきたい。
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首相は靖国神社玉串料奉納及び参拝をしないでください
内閣総理大臣 菅義偉殿
私たち「政教分離の侵害を監視する全国会議」は、首相や閣僚らが靖国神社に玉串料等を奉納、参拝する毎に抗議を続けています。特に「内閣総理大臣」および「自民党総裁」等の公職の肩書を提示して、靖国神社に玉串料奉納等を行う首相らの行為は、政府と同神社が特別な関係にあることを印象づけ、援助、助長、促進する効果をもたらす公人としての行為と言わざるを得ず、日本国憲法の定める政教分離原則の違反に当たるものです。私費で奉納料を支払ったとしても、公的肩書、政府関係者随行及び代行、更には公的立場を背景とする報道にて宣伝することは「公的」な行為との疑義は免れ得ません。
また、政教分離原則は、戦前・戦時下における国家神道体制の弊害の深い反省を基に、政府と宗教の厳格な分離を定めたものです。特に靖国神社の参拝を国民に一律に強いることを通して、日本政府は国民全体に皇軍として戦死することの意義を押し広め、戦没者の死を「英霊」として顕彰することにより軍国主義を徹底する思想統制を行いました。そのような役割を担った神社に、首相や閣僚らが、玉串料等の奉納及び参拝を行うことは、戦前の国家神道体制を再び導入しようとする意図を思わせ、国家神道体制の再来を防止するために定められた政教分離原則の趣旨を顧みないことと言わざるを得ません。靖国神社は、戦後も、戦前と同様の教義を広め、推進することを目的としており、首相らが公的な立場をもって行う参拝や奉納行為が、日本国政府が靖国神社と同じ見解に立つことを印象付けるものとなっています。アジア・太平洋戦争にて日本帝国の侵略によって甚大な被害を受けたアジア諸国が日本国政府に抗議するのも、同様の効果を感じ取っていることによるものです。首相個人の価値観はいずれであっても、公的立場での首相らの行為は日本国政府の見解を代表するものとして受け止められるのが当然です。
国政の長である首相や閣僚は、憲法尊重擁護義務を負う立場にある者として、政教分離原則を厳格に遵守し、8月15日の敗戦を記念する日に公的立場での靖国神社への参拝や玉串料奉納を決して行わないように強く求めます。
2021年8月12日
政教分離の侵害を監視する全国会議
代表幹事 木村庸五、古賀正義
事務局長 星出卓也
(2021年8月13日)
本日の新規コロナ感染者数、東京都が過去最多の5773人、重症患者も最多227人となった。全国では20293人と初めての2万人の大台超え。感染者の暗数は分からない。率直な感想として、この事態は恐ろしい。そして、こうまで事態をこじらせた政権や都政の無能に憤らずにはおられない。
腹の立つ名を順に挙げれば、安倍晋三・菅義偉・小池百合子、そしてトーマス・バッハである。私はこれまでバッハのことを疫病神と言ってきたが、今日からは呼び名を変更しよう。悪魔だ。尻尾のあるあの邪悪の象徴。
この悪魔が、祭の東京に来て笛を吹いた。政権も都政も制御できなかった。笛の音に合わせて、コロナが踊り出し蔓延し跋扈した。そして、祭が終わった今、東京5000、全国2万の新規感染者である。いったい誰だ、こんな愚劣な祭をやったのは。悪魔を呼び寄せたのは。悪魔に笛を吹かせたのは。
バッハの嫌われっぷりが凄まじい。分に過ぎたホテルに泊まっていると叩かれ、広島に行って嫌われ、挨拶が長いと嫌われ、広島原爆投下の日に選手の黙祷を要望されて拒否したと嫌われ、銀座をうろついてたたかれ、何をしても嫌われっぱなし、叩かれっぱなし。いまは、広島訪問「警備費」を県と市に押し付けたとして、国民的な悪役となり、悪罵を受け続けている。
念の入ったことに、丸川珠代が、五輪担当相として『銀ブラ・バッハ』擁護を呟いて大炎上とのことである。なにせ、「不要不急か否かはご本人が判断」との発言。国民の怒りが爆発するのは当然であろう。傲慢なバッハを嫌う国民感情は健全なものだ。そのバッハ擁護論へのバッシングも健全なものではないか。
それだけでない。この悪魔は笛を吹いて、アルファ株だけでなく、デルタ株を呼び寄せた。祭のさなかに、東京の感染は爆発し医療は着実に崩壊し続けた。さらに、国内初のラムダ株にまで、出番を与えた。さすが、悪魔の笛である。
ペルーに滞在歴があった大会関係者の女性(30代)が、7月20日に羽田空港に到着して、新型コロナウイルスの変異株で南米ペルー由来とされる「ラムダ株」の初感染者と確認された。ところが、その事実が一部メデイアに報道されたのが、8月6日のこと。それまで伏せられていたのだ。しかも、当人が大会関係者と発表されたのは、本日8月13日になってからのこと。
ラムダ株は致死率が高いとされている。2週間も報告しなかったのは、オリンピックの閉幕まで伏せていたのではないかとの疑惑がつきまとう。自民党外交部会長の佐藤正久は、テレビ番組で「もっと早く問い合わせがあれば答えた」と釈明したという。
すべては、祭のさなかに吹き続けられていた悪魔の笛の調べのなせる業。再びの祭はごめんだ。再びの悪魔も、その笛も。
(2021年8月12日)
アヘン戦争で中国から割譲された香港は、1997年7月1日再び強引に中国に編入された。2047年まで50年間の「一国二制度」による高度の自治を約束されてのことである。イギリス統治の時代に、香港に根付いた民主的な諸制度は、50年間は安泰である…はずだった。
当時はこう思われていただろう。50年も経てば、中国も変わっているに違いない、21世紀中葉には中国にも香港並みの民主主義が育って円満な香港統合が実現することになるだろう。つまりは、「中国が香港化する」ことを期待されての「一国二制度」だった。しかし、現実はそうなっていない。野蛮な強権支配の中国が、民主的な香港を呑み込む形で、「一国二制度」は既に事実上崩壊している。香港の自治は潰え、中国の強権支配が香港の民主主義を蹂躙しているのだ。嘆かわしいと言うほかはない。
さらに、追い打ちをかけるようなニュースが続いている。「香港 教員組合解散 中国政府の圧力受け」「香港の教員組合解散 国安法のもと『巨大な圧力』」「香港民主派の教員組合が解散 デモ扇動と中国側が批判」という報道。
野蛮な強権中国は、香港の教育に介入を強めてきたが、とうとう教育労組の弾圧に乗り出した。香港最大の教員組合(「香港教育専業人員協会」)が、中国の圧力に抗えず、一昨日(8月10日)解散に追い込まれたというのだ。教員組合弾圧は、労働運動の弾圧というにとどまらず、教育の自由への権力介入として強く批判されなければならない。
民主主義社会では教育の自由が当然視される。真理の伝達が権力の統制を受けてはならない、という自明の大原則が尊重される。国家は教育条件の整備に責任をもつが、教育の内容に介入してはならないのだ。これに対して、専制国家ほど教育に介入し、教育を統制して国家の僕とする。
戦前の天皇制日本が、典型的な教育統制国家であった。何しろ、非科学的な神話と信仰を国家の成り立ちの基礎としている。教育の制度も教育の内容も、強権的なデマゴギーを国民に吹き込む手段とする以外に、国家の権威を保つ術がなかったのだ。この戦前日本の神聖な天皇制神話を、現代中国の神聖共産党無謬神話に置き換えると、やってることの共通性が理解可能となる。どちらも、「愛国教育」にことさらに熱心である。愛国の名で、天皇の名による統治や、中国共産党による支配を貫徹しようというのだ。
香港の教育界は、医療や法律界とともに民主派が圧倒的な基盤を持っていた。「香港教育専業人員協会」(略称は「教協」)は1973年に設立され、約9万5千人の教員を擁する最大の教職員組合。有力民主派団体として、香港や中国本土の民主化運動を支援してきた。当然に権力側には嫌われる存在。同組合は国安法(「香港国家安全維持法」)が求める「愛国教育」に関連して、警察が摘発を示唆していたという。
権力に従順な親中派メディアは、教協を「反中で香港を乱す」組織とレッテルを貼って、連日大々的な批判キャンペーンを続け、警察幹部も「確実に捜査する」と述べていた旨報じられている。
権力支配貫徹を目論む中国政府や党から見れば、教協はその邪魔者。「学生らを洗脳して反政府活動に駆り立てた」ということになる。7月31日、中国の国営新華社通信や中国共産党機関紙・人民日報は「教協というがんを取り除かなければならない」と題する論評を発表。「反中と香港の混乱とを助長」し、「香港に災いをもたらす震源地」などと批判したという。同論評を受け、香港政府教育局は教協との関係を停止すると発表、香港当局の独立性などはまったく存在しないことを示した。
どうして、中国国内に、香港の民主派と連帯する勢力が育たないのだろうか。どうして中国国内から、香港の民主主義弾圧に抗議する声が上がらないのだろうか。暗澹たる気分になるばかりである。
(2021年8月11日)
不定期刊の「風のたより」を送ってくれる石川逸子さんから、新刊書をいただいた。「もっと生きていたかった ー 風の伝言」という33編の詩集。
出版した一葉社の解説には、「『生きたいのに生きられなかった 数え切れないほどの ひとたち』― 打ち捨てられた死者たちに想いを馳せてきた詩人・石川逸子の哀悼小詩集。」とある。
あとがきにはこうある。「この国はなんと歴史に学ばない国でしょうか。一旦、世界に目を転じれば、其処にも、かしこにも、いわれなく殺戮され、恐怖に怯えるひとびとがいて…。(性懲りもなく、再び屍の山を築く気かよ)――地底から聞こえてくる、もっと生きていたかった、ひとびとのかすかな呟きに耳を傾けねばと思うこの頃です。」
この世に生を受けた誰もが望むことは何よりも生きること、生きながらえること。できることなら、家族の愛に包まれて育ち、親しい友と交わり、友人とともに学び、そして人を愛し働き、また家族をなして子をもうけ育てること。そのような生を断ち切られた人々を静かに見つめ、その思いを代弁する33編。
生を断ち切られた人は、さまざま…。戦没者、ナチスの収容所で犠牲となったユダヤ人、日本軍に殺された朝鮮人、従軍慰安婦とされた女性、終戦間近の特攻兵、沖縄戦の犠牲者、広島・長崎の爆死者、ナバホ族の放射線死者、パレスチナで殺された少年、イラク戦空爆の死者…。ヒトでないのは、ひそひそとささやき交わす福島の牛の遺体。どの詩からも、「もっと生きていたかった」というつぶやきが聞こえる。
一編だけ、笑っている遺骨の詩がある。他とは異なる不思議な宗教詩ともいうべき雰囲気の詩。これだけを紹介させていただく。
笑 い 声
輜重兵特務一等兵 キタガワ・ショウゴ
1937年5月14日 銃弾に左胸部を貫かれ
戦死 享年24
幼い甥・姪たちへの手紙
「いまかうして戦ひあってゐる人々の中には
一人もいけない人は居やしない
ただ戦争だけがいけないことなのだ」
若者は 一発の銃も「敵」にむけないことを
おのれに課した
中国の子どもたちとのんびり遊び 里人にタバコを分ける
家の中に彼を 招待し 飴をもてなし
入浴まですすめる 里人たち
「おじさんは 憎い敵兵はただ一人も見やしなかった」
「おじさんは 戦友に文句を言われても 自分では
とてもいい気分なのさ」
「次には ロバの話 水牛の話 豚の話を書こう」
記した 若い「おじさん」は
小さな骨になって 生家に帰ってきた
骨は(だれ一人殺さずに済んだ)と
嬉しそうに 笑っていた
「僕は一つの解決を射止めて、気軽に帰ってきた。
この嬉しそうな白木の箱の中で、赤ん坊のように
喚き立てている僕の声を聴いて呉れたまへ」
夜更け耳をすまし ひそやかな若者の
笑い声を聴こう
発売日:2021年07月12日
著者/編集:石川 逸子
出版社:一葉社 価格1100円
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(2021年8月10日)
8月は、あの戦争を振り返り、平和を語るべきとき。まさしく、そのような8月の企画として、「平和を願う文京・戦争展」(主催・日中友好協会文京支部)が今年も開催された。一昨年、昨年に続く3回目の企画である。
文京・真砂生まれの故村瀬守保の貴重な「日本兵が撮った日中戦争」の写真展示を中心に、「重慶爆撃と東京大空襲」を組み合わせた、戦争加害と被害両面の実相を訴える写真展。コロナ禍のさなかではあったが、8月7・8・9日の3日間の日程での企画が終了した。
あの戦争は侵略戦争だった。だから、主たる戦争被害は「外地」に生じた。中国、仏印、ビルマ、インド、フィリピン、そして南洋諸島。辛いことではあるが、あの戦争を振り返ることは、まずは我が国の戦争の加害責任を確認することとなる。次いで、敗戦間近となってからは日本の国土が戦地となり、あるいは非人道的な無差別大空襲と原爆投下の被害が生じた。その悲惨は、忘れようにも忘れられるものではない。何度でも繰り返し、戦争の実相をあるがままに語り続けなければならない。
「平和を願う文京・戦争展」は、戦争の実相を知るための企画として、この上ないものである。文京区(教育委員会)が、自ら主催してもおかしくはない。少なくとも、後援を求められれば、当然に後援してしかるべきである。ところが、文京区教育委員会は、展示企画主催者の後援申請(正式には、「後援名義使用申請」)を今年も不承認とした。なんということだ。
文京区は、1979年12月に、「文京区平和宣言」を発出している。宣言の文言は、下記のとおりである。
「文京区は、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、ここに平和宣言を行い、英知と友愛に基づく世界平和の実現を希望するとともに人類福祉の増進に努力する。」
さらに、1983年7月には、下記の文京区非核平和都市宣言を発している。
「真の恒久平和を実現することは、人類共通の願いであるとともに文京区民の悲願である。文京区及び文京区民は、わが国が唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないことを強く主張するものである。
文京区は、かねてより、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、平和宣言都市として、永遠の平和を確立するよう努力しているところであるが、さらに、われわれは、非核三原則の堅持とともに核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴え、「非核平和都市」となることを宣言する。」
文京区も、形の上では平和を希求する姿勢をもつている。戦争を考える企画を自ら主催することもないわけではない。しかしその企画は、戦争被害についてだけ、あるいは日本に無関係な他国間の戦争についてのものにとどまり、日本の加害責任に触れる企画はけっしてしようとしない。後援すら拒否なのだ。
本音は知らず。その表向きの理由は、教育委員会議事録から抜粋すると次のとおりである。
教育長(加藤裕一)「皆さんのご意見をまとめますと、中立公正という部分と、あと見解が分かれているといったところ、あるいは政治的な部分、そういったところを含めて総合的に考えると、今回についてお受けできないというご意見だと思います。それでは、この件については承認できないということでよろしいでしょうか。(異議なし)それではそのように決定させていただきます。」
この結論をリードしたのは次の意見である。
坪井節子委員(弁護士)「今の情勢の中で、この写真展、南京虐殺があった、あるいは慰安婦の問題があったという前提で行われる催しに教育委員会が後援をしたとなりますと、場合によってはそうでないという人たちから同じようなことで文京区の後援を申請するということが起きることは考えられると思います。シンポジウムをしますからとか、文京区は公平な立場であるのであれば、あると言った人も後援したんだから、ないと言っている人も後援しろというジレンマに陥りはしないか。そういうところに教育委員会が巻き込まれてしまうのではないか。そこにおいて私は危惧をするんです。教育の公正性ということを教育委員会が守るためには、シビアに政治的な問題が対立するところからは一歩引かないとならないんじゃないかと…。」「そういう意味において、今回の議案については同意しかねるという風にさせていただきたい。」
この「中立・公正」論は、いま全国で大はやりである。歴史修正主義者の主張を口実に、真実から目をそらす手口なのだ。結果として、歴史修正主義に加担することになる。
たとえば、ナチスのホロコーストの存在は歴史的事実と言ってよい。しかし、ホロコースト否定論は昔からある。動かしがたいナチスの犯罪の証拠に荒唐無稽な否定論を対峙させて、「中立・公正」な立場からは、「両論あるのだから歴史の真実は断定できない」と逃げるのだ。
小池百合子の「9・1朝鮮人朝鮮人犠牲者追悼」問題も同様である。右翼団体に、「自警団による朝鮮人虐殺はウソだ」「朝鮮人が暴動を起こしたのは本当だ」と騒いでいることを奇貨として、それまで毎年追悼式典に出していた都知事による追悼文を撤回する口実に使った。
天動説と地動説、両論あるから「中立・公正」な立場からは真実は不明と言うしかない。科学者は進化論を真理というが人間は神に似せて作られたという考えも有力だ。「中立・公正」な立場からは、どちらにも与しない。
教育勅語は天皇絶対主義の遺物として受け容れがたいと言う意見もあるが、普遍的道徳を説いたものという見解もある。放射線は少量であっても人体に有害という常識に対して一定量の放射線は人体に有益という異論もある。「中立・公正」な立場から、立ち入らない。
中華民国の臨時首都であった南京で、皇軍が行った中国人非戦闘員や投降捕虜に対する虐殺には多くの証言・証拠が残されている。その規模についての論争は残るにせよ、この史実を否定することはできない。日本軍従軍慰安婦の存在も同様である。個別事例における強制性の強弱は多様であっても、日本軍の関与は否定しがたい。あったか、なかったかのレベルでの論争が存在するという文京教育委員諸氏の発言が信じ難く、その認識自体が、政治学的な研究素材となるべきものと指摘せざるを得ない。
今年の「戦争展」では、来場者に文京区長宛の「要望書」(2020年12月14日付)が配布された。A4・7ページの分量。南京事件も、従軍慰安婦も、史実である旨を整理して分かり易く説いたもの。この件についての歴史修正主義者たちのウソを明確に暴いている。
「史実」の論拠として挙げられているものは、まずは外務省のホームページを引用しての詳細な日本政府の見解。そして、家永教科書裁判第3次訴訟、李秀英名誉毀損裁判、夏淑琴名誉毀損裁判、本多勝一「百人斬り訴訟」などの各判決認定事実の引用、元日本兵が残した記録や証言、南京在住の外国人やジャーナリスト、医師らの証言、この論争の決定版となった偕行社(将校クラブ)のお詫び、日中両国政府による日中歴史共同研究…等々。
それでも、文京区教育委員会は頑強に態度を変えなかった。この展示の中で、一番問題となったのは、揚子江の畔での累々たる死体でも、慰安所に列をなす日本兵の写真でもなく、中国人捕虜の写真に付された下記のキャプションであったという。
捕虜の使役 「漢口の街ではたくさんの捕虜が使われていました。南京の大虐殺で世界中の非難を浴びた日本軍は漢口では軍紀を厳重に保とうとして捕虜の取り扱いには特に気を使っているようでした。捕虜の出身地はいろいろです。四川省、安徽省などほとんど全国から集められているようで、中には広西省の学生も含まれていました。貴州の山奥に老いた母と妻子を残してきたという男に、私はタバコを一箱あげました。」
この文章の中の「大虐殺」「世界中の非難」がいけないのだという。とうてい信じがたい。2年前の8月2日東京新聞朝刊の記事をあらためて思い出す。「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。
主催者のコメントとして、「このままでは歴史の事実に背を向けてしまう。侵略戦争の事実を受け止めなければ、戦争の歯止めにならないと思うが、戦争加害を取り上げることに、行政は年々後ろ向きになっている」との懸念が掲載されている。
戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民全体が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」に不承認というのは、あまりの不見識。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得してでも、後援実施してこその教育委員の見識ではないか。
「戦争の被害実態はともかく、加害の実態や責任に触れると、右翼からの攻撃で面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。
不名誉な教育委員5氏の氏名を明示しておきたい。すこしは、恥ずかしいと思っていただかねばならない。そして、ぜひとも、来夏にはその汚名を挽回していただきたい。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
(2021年8月9日)
昨夜は台風9号が九州を襲った。コロナ禍はさらに深刻な様相。東京五輪の喧噪は昨日ようやくにして終わったが、五輪禍はまだ続く。昨日の万能川柳に、「おもてなし出来ず おみやは五輪株」(吹田 のんさん)とあるとおりだ。世の中、安穏ではない。
コロナ禍を押しての東京五輪強行の理由はいくつか数えられるが、その中の一つに、政権浮揚の思惑があったことは間違いない。明らかに政権は、国民やメディアを舐めていた。「オリンピック開催に突っ込めば、メディアは感動の記事一色だ。国民の関心も意識も変わる。そうすれば、低迷する内閣支持率も復活する」との読みである。
この読みは、半分は当たった。確かに、メディアは「メダルラッシュ」「感動大安売り」の記事で埋められた。しかし、沈みかけた政権の浮揚の思惑は当て外れとなった。本日発表の朝日世論調査、内閣支持率28%・不支持率53%という結果である。政権の危機、いよいよ深刻である。
太平洋戦争末期の事情に似ていなくもない。敗戦必至の戦況となって、近衛文麿が天皇(裕仁)に「早期の敗戦受容」を勧告した。しかし裕仁はこれに従わず、「もう一度戦果をあげてから」と講和の時期を失した。そのため、彼は厖大な国民の生命損失に有責の刻印を押されることとなった。なくもがなの、その後の各地の大空襲、沖縄地上戦、2発の原爆投下によってである。菅義偉も、衆院の解散時期を失することになりそうな雲行きである。もっとも、こちらは裕仁ほどの責任の重さはない。
ところで、誰が言ったか「8月は 6日9日15日」。今日はその9日、長崎の原爆投下の日。長崎市が主催する「被爆76周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が挙行された。
本日も、菅義偉は来賓の立場で挨拶を述べたが、針のムシロの心境だったろう。3日前の広島の式典で、信じがたい失態を犯したばかり。被爆者団体から、「不誠実極まりない」と叱責を受けた身だ。彼は、確かに心ここにあらず、ボーっとしていた印象だった。無能総理というだけではなく、不誠実の烙印も消えることはないだろう。
それだけではない。広島・長崎の両市長も被爆者団体も声を揃えて、「日本も核禁条約の締結を」「せめて、条約締結国会議にはオブザーバー参加を」と悲痛なまでの声を上げているが、菅はまったく無視の姿勢を崩さないのだ。
それでも菅は、式典出席見合わせとは言えない。やはり、イヤでも出席せざるを得ないのだ。式典出席が、圧倒的な世論の求める内閣総理大臣としての任務なのだから。思い出す。安倍晋三という人物、沖縄の平和勢力からは蛇蝎の如く嫌われている。それでも、6月23日「慰霊の日」の「沖縄全戦没者追悼式」には出席せざるを得なかった。On-line出席で済まそうとて、できることではない。
安倍晋三は(菅義偉もだが)、沖縄の民意に逆らって新基地建設を遮二無二強行する首謀者。言わば、本土のエゴで沖縄に戦争リスクの負担を押し付けているのだ。だから、「沖縄平和祈念」の式典にはまったく似つかわしくない。それ故に、式場周辺からあからさまに、「何しに来たのか」「カエレ、カエレ」と罵倒されることになる。それでも、「じゃあ帰るよ」とは言えない。罵倒されながらも、式典出席を継続せざるを得ない。これが、民心と離れ、心服されることのない為政者のつらいところ。
菅義偉は、本日長崎の式典に遅刻はしたようだが、読み飛ばすことなく、挨拶の原稿全文を恙なく読み通したという。よくできた。それくらいの能力はあるんだ。ねえ、菅君。人間、優れていることよりは、真面目であることが大切なんだよ。真面目にやればちゃんと仕事ができるじゃないの。
社会人には、「有能ー無能」、「誠実ー怠慢」の評価軸がある。できることなら、有能で誠実と言われたいものだが、なかなかそうはいかない。菅君も、努力次第で「有能」の評価を獲得することは可能だが一朝一夕には無理なこと。任期を考えると間に合いそうもない。一方、緊張次第で「誠実」の評価は得やすいのだが、広島での菅君、君は無能で怠惰と評価せざるを得なかった。今日長崎の君は、まずまず誠実といってよい。だって原稿読めたのだから。
では菅君、君は有能か。総理大臣として求められる能力とは、何よりも官僚が作成した原稿を滑舌よく、聞いてる人に分かるよう朗読できることだ。安倍晋三のように、漢字が読めなかったり、読み間違えたりしなければ立派なものだ。今日の君については、原稿を間違いなく読めたのだからまずまず合格点としたい。採点としては、「可」だ。
今日の式典で、田上富久市長も、被爆者代表の岡信子さんも、切実に訴えていた、核兵器禁止条約の署名と批准そして第1回締約国会議にオブザーバーとして参加することを真剣に考えなくては。それができたら、「良」の判定になるよ。がんばりたまえよ、菅君。残りの任期は長くもないんだから。