「日の丸・君が代強制事件」最高裁判決に貴重な補足意見
弁護団の澤藤からご説明いたします。
本日,最高裁判所第二小法廷(鬼丸かおる裁判長)は、05年と06年の都立校卒業式で「日の丸・君が代」強制に服さなかったことを理由として懲戒処分(戒告,減給,停職)を受けた教職員62名が、処分取り消しを求めて最高裁に上告していた事件で、上告を棄却する判決を言い渡しました。
実は、停職処分(1件)と減給処分(21件)については、既に教職員側の勝訴判決が確定しています。東京高裁判決が裁量権の逸脱濫用の違法を認めて処分を取消し、これを不服とした都教委の上告受理申立が不受理となって確定しているのです。ですから、本日の最高裁判決は実質的に戒告処分の違憲を争うだけのもので、その口頭弁論が開かれなかったことから、結果は予測されたことでした。
結局、一昨年来の最高裁判例を踏襲して、「日の丸・君が代強制は思想・良心に対する間接的な制約にはなるが、間接的な制約にしか過ぎないから一応の合理性必要性が認められる限り合憲。但し、思想・良心の制約という側面に配慮し、原則として減給以上の処分は裁量権の逸脱濫用にあたり違法な処分として取り消す」という結論となりました。
これは、「日の丸・君が代強制は辛うじて合憲。しかし、過酷な処分は違法」というもので、都教委の暴走に一定の歯止めを掛けたものではありますが、なお、合憲であるとしている点で納得できません。
10・23通達発出以後、都教委は「日の丸に正対して起立し、君が代を斉唱」するように命じる職務命令に従えない教職員に対して、1回目は戒告、2・3回目は減給(1?6ヶ月)、4回目以降は停職(1?6ヶ月)と処分回数を基準とする「累積加重システム」を作りあげ,これを実施してきました。これは思想転向強要システム、あるいは信仰改宗強要システムにほかなりません。さすがに、行政には甘い最高裁も、「いくら何でも都教委のやり方はひどい」と言ってくれたわけです。これが歯止め。
その反面、憲法学の通説的な理解では、思想・良心の侵害あれば、この侵害を合理化する厳格な根拠がない限り、違憲とります。厳格な根拠とは目的が真にやむにやまれぬものであるか、強制の手段が他に方法のないものであるかが吟味されなければなりません。こんな、いい加減な合憲判断にはとうてい納得できないところ。
本日の判決における収穫は、鬼丸かおる裁判官の補足意見がついていたことです。同裁判官は、「個人の思想及び良心の自由は憲法19条の保障するところであるから、その命令の不服従が国旗国歌に関する個人の歴史観や世界観に基づき真摯になされている場合には、命令不服従に対する不利益処分は、慎重な衡量的配慮が求められるというべきである」として、「当該不利益処分を課することが裁量権の濫用あるいは逸脱となることもあり得る」と判断しています。
文脈から見て、停職や減給だけでなく、懲戒処分の中では最も軽い戒告処分であっても「裁量権の逸脱濫用」として取り消される場合があることを示唆したものです。実際、東京高裁の大橋寛明判決(2011年3月10日)は、戒告を含む167人全員の処分を取り消しています。実質的に違憲判決と紙一重。
さらに同裁判官は、都教委に対し「謙抑的な対応が教育現場における状況の改善に資するものというべき」とも述べており,これは,教育行政による硬直的な処分に対して反省と改善を求めたものであることが明らかです。
弁護士出身の同裁判官が、日の丸・君が代訴訟に向かいあったのは初めてのこと。その裁判官は、違憲という判断にまでは踏み切ることができなかったものの、「合憲判決に署名するだけで済ませてはならない」と考えたのです。原告ら教職員の真摯さや悩みや勇気が、新任の最高裁裁判官の気持ちを揺り動かしたのだと思います。
同裁判官から見て、都立学校の教育現場は正常ではないのです。明らかに改善を要するものであることが見て取れたのです。その教育現場の改善は、権力をもつ立ち場の都教委が権力を行使するに謙抑的な対応が必要と戒めているのです。
こうまで言われた都教委は反省しなければなりません。改善しなければなりません。責任を感じなければなりません。それが、教育に携わる者の当然の在り方です。
10・23通達関連の大型訴訟としては、予防訴訟が終了し、東京君が代1次訴訟、そして本日の判決で2次訴訟が終わりました。戦って勝ちとった一定の積極面もあり、勝ち取れなかった無念も残っています。
一つの訴訟事件の区切りは付きましたが、問題は解決していません。もちろん、戦いも半ばです。学校現場での思想統制や行政による教育支配を撤廃させ,児童・生徒のために真に自由闊達で自主的な教育を取り戻すため、この戦いに参加した多くの人々は闘いをやめません。私も、関わり続けたいと思います。
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『シリア・アサド政権への軍事攻撃』
シリアで化学兵器が使われ、多数の死傷者が出た。これを咎めて、アメリカのアサド政権に対する軍事制裁が今にも加えられようとしている。
民間人を戦闘に巻き込み、化学兵器まで使用したアサド政権が「悪」だということには世界中異論がない。シリア国民の3分の1に当たる600万人以上が国内外の難民となっているという。内戦の死者は11万人にのぼるといわれている。誰もが何かをしなければとは思う。オバマ大統領がアサド政権に対する軍事攻撃を言い出せば、国際法的に何の正当性もない武力行使ではあっても、追随する国が出てくるだろうと予想したところ。
イギリスのキャメロン首相とフランスのオランド大統領が即座に応じた。しかし、イギリス議会がキャメロン首相にストップをかけ、イギリスは手を引かざるをえなくなった。そして今、アメリカ議会が議論を始め、オバマ大統領もそれを無視できなくなっている。アサド政権に対する軍事攻撃が本当に問題の解決になるのか、もしやイラク戦争の二の舞になりはしないかということを懸念して激論している。世論調査では、もともとアメリカ国民の6割以上が攻撃に反対しているのだから。
EU議長、ドイツ、ポーランド、インドなども外交的解決をさぐるべきだといっている。最初からアサド支援の中国、ロシアは軍事攻撃断固反対。ロシアなどは地中海に軍艦まで繰り出して牽制している。そして、国連の潘基文国連総長も国連容認のないオバマ大統領の武力行使を制止した。唯一攻撃参加を言挙げしていたフランスのオランド大統領も「単独では攻撃に踏み切らない」といいはじめた。オバマ大統領は攻撃に着手できない。
当初は、オバマ大統領に支援を伝えていた安倍首相もイギリスのキャメロン首相と会談し、「シリアにおける暴力の停止と政治対話をつくるため、国際社会の協力が不可欠だ。日英連携して、難民支援や周辺国支援を呼びかけていくことは非常に有意義だ」などと述べている。
こうした牽制意見に囲まれても、アメリカによる軍事攻撃がどうなるかは予断を許さない。化学兵器を使用したかどうかはともかく、国民をこうした悲惨な状況に突き落としたアサド大統領を許すことはできない。しかし、トマホークや無人機や爆撃機による軍事攻撃はアメリカ兵士には戦死傷がないかもしれないが、シリア市民の大量の殺傷なしに行われるはずはない。自暴自棄になったアサドによる「人間の盾」作戦によって、悲惨な結果が起こることも当然予想される。
家族を殺され傷つけられ、家を捨てて逃れる600万人もの流浪の民の悲惨は想像を絶する。難民の「アサドもオバマもいらない」という叫びは胸に突き刺さる。この事態に、スウェーデン政府が名乗りを上げた。9月3日、同国へ亡命を希望するシリア難民全員を受け入れると発表したのだ。一時的滞在はもとより、希望する人には永住権も付与するとのことである。なお、スウェーデンはすでに2012年以降、14700人のシリア人難民を受け入れている実績がある。その善意、想像を絶する。
潘基文国連総長も軍事攻撃を止めたのだから責任がある。安保理が駄目なら、一刻も早く国連総会を開いて世界中の善意を掘り起こす努力をせよ。ロシアと中国を説得して政治解決をする知恵を出せ。
この夏、太平洋戦争についてたくさんの本を読んだ。人間はどのくらい家を焼いて、どのくらい弱い者をいじめて、どのくらい人を殺したら、もうたくさんというのだろうか。気分が悪くなる。スウェーデンに移住したい。
(2013年9月6日)