東京都の教育委員は事実を知らされていない
教育情報課長でいらっしゃいますね。弁護士の澤藤と申します。本日の要請行動の申し入れ団体である「被処分者の会」の訴訟事件を担当している弁護団の一員として、意見を申しあげます。
先ほど会の代表から、お手渡しした「申入書」、「要請書」、そして「補足説明書」はいずれも簡にして要を得た正確な内容となっています。極めて要領よく、訴訟の経過、そして昨年1月16日の最高裁判決の趣旨が要約されています。判決の結論だけでなく、最高裁が都教委に何を求めているのかを根拠を示して明らかにしています。その正確な理解の上に、これまで処分を受けて裁判をしてきた立ち場から、なんとか教育現場の紛争を解決したいとの願いを込めた具体的な申し入れや要請になっています。
まずは、その写しを、6名の教育委員の皆様にお渡しして、よくお読みいただきたい。
こんなことを申しあげるのは、教育委員6名は、教育委員会自身が被告になっている訴訟の判決書をまったく読んでいないのではないか。内容を知らないのではないか、そう疑問を持たざるを得ないからです。判決を読む意欲も能力もないのであれば、せめて本日お手渡しした書面に記載されている正確な要約を熟読いただきたい。
昨年1月16日の最高裁判決の直後に、都教委は臨時会議を開きました。開会から閉会までわずか8分。なんの議論も意見交換もなく、司会以外の委員の発言は、「異議なし」のひと言だけ。こんな教育委員では困る。こんな教育委員会では、なんの役にも立たない。
しかも、全員異議なしとしてなされた決議を見ると、あたかも都教委を被告として提起された訴訟において、原告の教員側が全面敗訴したごとく記載されている。もしかしたら、各教育委員は、その文書の記載が真実であると、本当にそう信じ込んでいるのではないか。そう危惧せざるを得ない。
その訴訟の控訴審では、当時168名いた一審原告の全員が勝訴判決を得た。一人ひとりの不起立や不伴奏の動機は、真摯な思想・良心の発露であって、これを懲戒処分の対象とすることは懲戒権の濫用として許されないという素晴らしい判決だった。このことを教育委員各氏はご存じだろうか。
1月16日最高裁判決は戒告の処分を受けた者については逆転判決としたが、減給・停職の処分を受けた者については、控訴審判決を維持して処分を取り消した。つまりは、戒告は認めたが、それ以上の重い処分は懲戒権の濫用として違法と判断した。このことを6人の教育委員は知らされていないのではないか。
あなた方教育庁の官僚は、自分たちに都合のよい情報しか教育委員に知らせようとしないのでないか。異議なしとしか言わない教育委員を、取捨選択した情報で操っているのではないか。そう疑惑を持たざるを得ない。だから、本日の各書面は教育委員に手渡してよくお読みいただきたい。
もう一つ申しあげたい。今日お渡しした各文書に記載されているとおり、日の丸・君が代強制事件の最高裁判決には、異例の補足意見がたくさん付いている。そこで裁判官の本音が語られている。違憲か合憲か、適法か違法か、という問題は別として、「教育を受ける子どもの立ち場を尊重して現場の混乱を解消する努力をせよ」という裁判官のつぶやきが聞こえる。都教委は、これを受けとめて問題を解決する方向に動こうという気持があるのか。それとも判決に背を向けて紛争を拡大しようとしているのか。
私どもも、きっぱりと違憲と言わない最高裁には大いに不満だ。しかし、行政に甘いその最高裁でさえ、都教委のやり方はいくら何でも酷すぎる、と減給以上は違法とした。ところが今回、敢えて最高裁に挑戦するごとくに減給処分を行い、さらに服務事故再発防止研修を格段に強化して、新たな紛争の火種を蒔いた。
これではいけない。各教育委員には、現場の実態も最高裁判決の内容もよく知っていただきたい。最高裁の示唆を正確に受けとめて、紛争を解決する方向に舵を取る決断をしていただきたい。
今月は新装開店サービス期間。もう1点のエッセイを。
『文京女性のパワーに期待』
7月には参院選。その結果次第では、改憲の動きに火が付くことになりかねない。なんとしても、改憲阻止の政党を選挙で勝たせたい。私は、もっとも頼もしい改憲阻止勢力として、日本共産党の力量に期待したい。
その参院選の前哨戦として6月に都議選がある。ここでも日本共産党の議席増を期待する。都議選で弾みを付けての、参院選での勝利が改憲阻止につながる。日本の将来の希望を開く。
4月16日開かれた「文京女性のつどい」で、共産党の都議選候補者として小竹ひろ子さんが紹介された。文京区は定員2名の激戦区。小竹さんは過去に第一位で2回の当選を果たした輝かしい実績を持っている。残念ながら現在は浪々の身。
経歴を見れば私より3歳年上のお姉さん。その若々しさに、びっくりする。「何としても困っている人の役に立ちたい」「そのための政策を実現させたい」という熱意に圧倒される。ちょっと無骨で、丈夫そうで、頼りがいがあるところもいい。
東京都には認可保育園に入所できない3万人の待機児童がいる。特別養護老人ホームの入所待ちも4万3千人という。財源がないのではない。8700億円の都債の積み立てがあるという。問題はそれをどう使うかだ。子どものこと老人のことをわがこととして真剣に考えれば、選挙には真剣にならざるを得ない。国益なんか横に置いて、まずは私益を優先して考えよう。投票は遠慮することなく私益を優先で。
口先でごまかす、不誠実な猪瀬知事にはまったく期待できない。都議会の方も125議席中、日本共産党8議席ではあまりにも非力。ここはなんとか小竹さんに当選してもらわなければならない。知的で、たくましい文京の女性の力で何とかしたいものだ。
さて、この頃、選挙の候補者というものについてしみじみ考えさせられる機会があつた。選挙は候補者で当落が決まるものでないことは承知だ。武田信玄だって、上杉謙信だって時の利なくば敗れざるを得ない。しかし、破れた者のうち後世の人気者として語り継がれる者がいる。それはその人物の魅力に人々の胸が躍るからだ。
候補者は選挙の顔だ。選挙の勝敗はさておいても、悔いなき戦いが出来るかどうかは、おおいに候補者の資質、魅力にかかっている。候補者たる者、人を魅了する人物を演じようとする覚悟が必要だ。
当たり前のことながら、候補者は立候補する前に合理的で説得力のある公約、スローガンをもたなくてはならない。そしてそれを吟味し、まず自分が納得し、支援者はもとより、選挙民を説得できる確信にまで高めなければならない。自分の腹に落ちて初めて、選挙民に届くのだ。
公約を実現するための方策や手段についても、綿密に考えることが必要だ。そんなことは周りがあとで考えてくれるなどと期待する甘ったれは厳禁。そして、選挙期間になったら、周りを自分の熱意に巻き込み、励まし、時々刻々起きていることに気配りし、不都合なことが起きれば、自分が責任をとる覚悟で臨まなくてはならない。そうしなければ、支援者は安心して選挙運動ができない。
選挙資金のためのカンパも集めなければならない。協力やカンパに感謝する愛嬌も必要だ。ここではいわゆる腰の低さが力を発揮する。
そのうえ、いかなる情勢にもかかわらず、何が何でも勝利するという気概と信念は不可欠だ。応援している者にそれを感じ取らせる熱情が必要だ。
良きに計らえという殿様選挙など論外だが、以上のことを全部一人で出来るはずはない。そこで有能で信頼に足る、協力者が是非とも必要になる。多ければ多い方がいい。推薦者がたいていその役を担う。なまじ候補者に虚名がある場合は悲惨だ。はじめは選挙運動が盛り上がるが、虚名と知らずに推薦し協力したものは、しばらくは踏みとどまるが、離れていく。結局は虚名を利用せんとする者が残って選挙運動を壟断する。不快な選挙結果がまっている。
誠実で信頼に足る候補者には、政策と人柄に共鳴したしっかりした協力者ができて、たとえ選挙に負けても、次回を期そうという継続的な期待が残る。
そんな宮沢賢治の「アメニモマケズ」のようなことなんて、自分には出来るものかというなら、はた迷惑な立候補などして、カンパを集めたりしないことだ。人には向き不向きというものがある。候補者、政治家以外の道を選ぶべきだ。
以上はあくまで私が応援できる候補者の基準だ。いまの世の中、そんな基準に合わない人ほど当選しているじゃないかという不快な現実がある。それならなおさら、負けても負けてもチャレンジし続ける、誠実で愚直な候補者にこそ期待し、応援を大きくしていかなければ、私たちの夢の実現などかなわない。
小竹さんの必死の訴えと朗らかな熱意に巻き込まれたのか、以上のようなことを感じた次第。