「皆さん、お盆もステイホームで」 ー でも、コロナ担当大臣は別、靖国参拝は例外
(2021年8月14日)
明日8月15日が敗戦の日である。76年前に国民が敗戦を知らされた日は、文字どおり新国家誕生の日。あるいは、神権天皇制の欺瞞の上に築かれていた旧体制を清算しての新生日本再出発の日。私たちの国の歴史の転換と、新生日本の成り立ちの原理を噛みしめ考えなければならない。
しかし、例年8月15日は、戦後長く続く保守政権とそれを支える勢力の復古の願望をアピールする日となっている。その象徴が、靖国神社への政府要人の参拝である。
靖国とは、天皇の神社であり、軍国神社であり、侵略の神社である。合祀されている祭神は、天皇が唱道する戦争で、天皇の将兵として戦い、天皇のために命を捧げた人物の霊である。これを英霊として尊崇する「靖国の思想」とは、天皇も戦争も侵略も美化するものにほかならない。
憲法20条が定める政教分離における、「政」とは国家と地方自治体を含むすべての公権力機関を言い、「教」とは形式上は宗教一般のこと。しかし、政治権力と分離を求められている宗教とは、何よりも天皇の祖先を神とし天皇自身を現人神とする荒唐無稽な「天皇教」(国家神道)を意味するもの。政府の要人が、「天皇教」(国家神道)の軍国主義を象徴する靖国との関わりを持ってはならないのだ。
にもかかわらず、安倍政権も菅政権も、折りあらば隙あらば、靖国に参拝したくて仕方がない。これは、日本国憲法の理念を理解しようという姿勢がないからだけではなく、支持勢力が右派に偏っているからなのだ。
今年はどうだろうか。報道では菅義偉自身の参拝はないようだ。また、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は、今年もコロナ蔓延に配慮して一斉参拝を見送るという。
ところが、昨日(8月13日)午前、西村康稔経済再生相が靖国神社を参拝した。菅内閣の現職閣僚で初の参拝だという。西村と言えば、《新型コロナウイルス感染症対策担当大臣》ではないか。政府のコロナ対策担当は、込み入って分かりにくいが、ここまでのコロナ対策の失敗に大きな責任をもつべき立場。
報道によると、西村は8月12日新型コロナの感染拡大の事態に、記者団の取材に対して「お盆の季節になっているが、ぜひとも自宅で家族でステイホームでお願いをしたい」と話していたという。「汝人民、自宅を出るな、ステイホームを実行せよ」と宣いつつ、「オレは別だ」と思ったか、「靖国はこの限りあらず」と思ったか。いずれにせよ、国民に対する説得力はない。
さらに、同日の午後、岸信夫防衛相が靖国神社を参拝した。岸信夫、安倍晋三の実弟で現職の防衛大臣の参拝。軍国神社に防衛大臣の参拝だから、穏やかでない。
この人、神社内で記者団の取材に応じ、「国民のために戦って命を落とされた方々に対して尊崇の念を表するとともに、哀悼の誠を捧げた。また不戦の誓い、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという決意を新たにした」と語ったという。弁解の決まり文句だが、とうてい納得しがたい。
この言葉には反省の弁がない。無益で悲惨な戦争を起こしたことについての反省は語られない。国家が国民の命を奪ったことへの悔恨の弁が欠けている。侵略先の民衆の厖大な被害への謝罪の念が見えない。「国民のために戦って命を落とされた方」は、間違いだろう。飽くまでも『君のため国のため』に戦ったとされているのだ。「尊崇の念を表する」が根本の間違い。「尊崇」は「皇軍」と結びついてのことなのだ。「哀悼の誠」は、誤った国策の犠牲となったこととに対してでなくてはごまかしに過ぎない。そして「不戦の誓い」も不自然極まりない。靖国の境内は、不戦の誓いにふさわしいところではない。「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」とは、「軍備を増強して次の戦争では勝つ」と聞こえる。
以下は、「政教分離の侵害を監視する全国会議」の穏やかな、要望である。お読みいただきたい。
**************************************************************************
首相は靖国神社玉串料奉納及び参拝をしないでください
内閣総理大臣 菅義偉殿
私たち「政教分離の侵害を監視する全国会議」は、首相や閣僚らが靖国神社に玉串料等を奉納、参拝する毎に抗議を続けています。特に「内閣総理大臣」および「自民党総裁」等の公職の肩書を提示して、靖国神社に玉串料奉納等を行う首相らの行為は、政府と同神社が特別な関係にあることを印象づけ、援助、助長、促進する効果をもたらす公人としての行為と言わざるを得ず、日本国憲法の定める政教分離原則の違反に当たるものです。私費で奉納料を支払ったとしても、公的肩書、政府関係者随行及び代行、更には公的立場を背景とする報道にて宣伝することは「公的」な行為との疑義は免れ得ません。
また、政教分離原則は、戦前・戦時下における国家神道体制の弊害の深い反省を基に、政府と宗教の厳格な分離を定めたものです。特に靖国神社の参拝を国民に一律に強いることを通して、日本政府は国民全体に皇軍として戦死することの意義を押し広め、戦没者の死を「英霊」として顕彰することにより軍国主義を徹底する思想統制を行いました。そのような役割を担った神社に、首相や閣僚らが、玉串料等の奉納及び参拝を行うことは、戦前の国家神道体制を再び導入しようとする意図を思わせ、国家神道体制の再来を防止するために定められた政教分離原則の趣旨を顧みないことと言わざるを得ません。靖国神社は、戦後も、戦前と同様の教義を広め、推進することを目的としており、首相らが公的な立場をもって行う参拝や奉納行為が、日本国政府が靖国神社と同じ見解に立つことを印象付けるものとなっています。アジア・太平洋戦争にて日本帝国の侵略によって甚大な被害を受けたアジア諸国が日本国政府に抗議するのも、同様の効果を感じ取っていることによるものです。首相個人の価値観はいずれであっても、公的立場での首相らの行為は日本国政府の見解を代表するものとして受け止められるのが当然です。
国政の長である首相や閣僚は、憲法尊重擁護義務を負う立場にある者として、政教分離原則を厳格に遵守し、8月15日の敗戦を記念する日に公的立場での靖国神社への参拝や玉串料奉納を決して行わないように強く求めます。
2021年8月12日
政教分離の侵害を監視する全国会議
代表幹事 木村庸五、古賀正義
事務局長 星出卓也