澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその21

当ブログにおける訴えを「私憤・私怨」と誹り、これで問題を片づけようという宇都宮陣営の姿勢を情けないものと思う。

とあるブログに、下記の発言が掲載されていることを教えられた。筆者がどなかは存じないが、引用をお許しいただきたい。
「宇都宮氏擁護のための『澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解』を一読して失笑してしまいました。
 何の反論にもなっていないのみならず、澤藤氏の批判を『私憤、私怨』に依るものである、とこれが、弁護士の『論理』か、と疑うような記載があったからです。 凡そ、弁護士に依る論説とも思えません。
 これを書かれた弁護士諸子は、冤罪を償うべく国家賠償を請求される無実の人に『私怨』を晴らすのは罪とでも云われるのでしょうか。或いは、公害病に苦しむ患者を代理して公害企業に被害を償うべく訴訟を提起することは、『私怨』を晴らすことになり出来ない、と云われるのでしょうか。
 法学徒ならば、イェーリング(Rudolf von Jhering)の次の言葉を知っているのか、と問わねばなりません。
 即ち、『人格そのものに挑戦する卑劣な不法、いいかえれば、その実行の着手の仕方のうちに権利の無視、人格的侮辱といった性質をもっているような権利侵害に対する抵抗は義務である。それは、権利者の自分自身に対する義務である』と。
 澤藤統一郎氏は、この自己に課せられた義務を果たそうと『権利のための闘争』(Der Kampf ums Recht)に立ち上がられたのです。」

我が意を得たり、と快哉を叫びたい思い。

ところが、反対の論調もある。この正月に取材をお断りした「週刊新潮」が1月8日発売号で記事にした。私が取材を拒否したのは、右翼ジャーナリズムと結託して宇都宮陣営を批判しているなどとは思われたくなかったからだ。ところが、宇都宮君の方はそうではなかったようだ。宇都宮君への取材を経ての週刊新潮の記事は、「三弁護士の法的見解」の論調に符節を合わせた「私怨・私憤」論となった。

地の文章として、次のように述べられている。
「澤藤氏が、『動機の半分は私憤です』と書いているように、息子に対する冷遇がどうにもガマンがならなかったようなのである。感情のもつれからさらに亀裂が深まり、昨年12月、澤藤氏は後援会を追い出される。ブログで批判を始めたのはこの直後からだ」

そして、記事が紹介する宇都宮君のコメントは以下のとおり。
「要するに、(スタッフに対する)澤藤さんの息子さんの対応が非常に問題だった。しかし、途中から金権選挙だと言い出したので、皆怒ったのです。もちろん公選法違反には当たりません」

週刊新潮の記者は、私のブログを真面目に読もうともせずに、宇都宮君の言い分のとおりに「私憤」の筋書きで記事とした。「私怨・私憤」として立論することは、具眼の士には「一読して失笑してしまう」体のものであっても、週刊新潮の記者や読者には、問題の論点外しに有効なのだ。

見過ごせないのは、週刊新潮の記事の中に「運動員をしていた澤藤氏の息子がスタッフを怒鳴りつけるなどトラブルになったり、女性の随行員を勝手に採用した件などを理由に選対から外されてしまったことだ」とあること。これは、記者が宇都宮君から聞かされてのことと判断せざるを得ない。その他にニュースソースはあり得ない。

やはり、何があったかをはっきりさせておかねばならない。でないと、宇都宮君が言う「私憤論」、つまりは「息子の不祥事への制裁に、父親が切れてしまった」という筋書きを本気にする人が出て来るかも知れない。

もっとも、正確にお伝えするにはある程度の紙幅が必要となる。本日は、事件の発端の事情だけをご理解いただきたい。そのために、私の息子・大河が、随行員としての任務を外された日の翌日と翌々日に、上原公子選対本部長に宛てた文書を掲載する。「命令」の撤回と謝罪を求める内容だが、今日に至るまで、これに対する応答はまったくない。

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                「命令」の撤回と謝罪を求める         

                                    2012年12月12日
上原公子様
                                澤藤大河
 私は、12月11日午後9時ころ、上原公子さんから携帯電話で四谷の「会」事務所に呼び出されて、「あるボランティアの女性について、その活動からはずす」ことと、私の12日の行動について「休暇を取ること」の2点について口頭で指示された。その際上原さんは、「これは命令です」と明言した。これに対して、私は、「上原さんには「命令」する権限はなく、私には「命令」に従う義務もない」と返答した。
 この上原さんの指示は結論のみを一方的に告げるもので、理由の説明の求めに応じることもない点で手続的に不当極まるもので、内容においてもまったく合理性を欠くものであった。
 とりわけ問題とすべきこととして、ボランティア参加者に「命令」ができると考えているその一点で、市民運動の組織原則上到底看過できない根源的な誤りにもとづくものである。
 私たち「会」の参加者は、理念を共通にして自発的に参集した仲間である。いうまでもないが、誰もが対等平等な関係にある。その仲間どうしが、効率的に行動するために組織を形づくり、任務を分担している。選対本部長だの事務局長だのという任務は、既存の権力を配分しているのではなく、あくまで、参加者の合意に基づくものである。いかなる場合にも、他の参加者への行動の要請には合意と納得が必要で、誰にも他の者に対する「命令」の権限などはない。要請の実効性は、手続と内容の合理性に担保された説得と納得にのみ支えられている。上命下服、上意下達は、私たちの敵の論理であって、私たちには無縁である。
 権力者のごとく、使用者のごとく、ボランティア活動参加者に「命令」をする権限は誰にもない。市民団体内で「命令」権限があるとの考えはまったくの誤りであり、このような考え方は払拭しなければならない。なお、「命令」は用語の問題ではない。合意なく一方的に処分がなされた実態こそが問題なのである。
 上原さんには、速やかに自らの非を認めたうえ、私に対する「命令」の撤回と謝罪を求める。

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       再度、「命令」の撤回と謝罪を求める
                              2012年12月13日
上原公子様
                               澤藤大河
 12月12日、私はあなたに宛てて後記の通知を電子メールで送信したが、その返答に接していない。のみならず、あなたは12日には、私と女性随行員を街宣チームから意識的に排除する態勢を作るよう指示した。本日午前2時34分には、あなたの指示によるものと思われる熊谷伸一郎さんからの電子メールが届いており、「指揮系統」に入らない者には役割を担わせることはできないという内容であった。
 この件は、私の私憤だけで収まる問題ではなく、宇都宮選挙の総括に象徴的な意味をもつものとしても、また市民運動のあり方に関わる問題としても看過できないものと考える。あなたが選対本部長として、ボランティア参加者である私に、問答無用で「命令」できるとする、「人にやさしく」ないその体質が、多くの宇都宮選挙への参加希望者への障壁となり、失望を招いて現実に多くの離脱者を出し、本来もっと大きくなるはずの運動の輪を縮めたものと指摘せざるを得ない。
 現代の息苦しい社会の片隅で、「いじめ」「パワハラ」の被害に遭っている人々が、宇都宮都知事誕生に大きな期待を寄せ、ボランティアとして参加してきたのに、あなたの行動は、その期待を裏切るもので、まさに石原都政や東電と同質の論理に基づくものに他ならない。
 再度、速やかに「命令」の撤回を求めるとともに、「市民が市民に「命令」する権限などない」ことを確認する意味で自らの非を認めての謝罪を求める。
 もし、早急にあなたの誠実な対応が得られない場合には、今後の市民運動の健全な発展のために、選対組織が解散する前に、事実経過と私の問題意識を全関係者にお知らせして、深刻な問題としてお考えいただく手立てを講じるつもりであることを申し添える。

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以上の通知の中に、「私憤」という言葉が出てくる。「この件は、私の私憤だけで収まる問題ではなく、宇都宮選挙の総括に象徴的な意味をもつものとしても、また市民運動のあり方に関わる問題としても看過できない」という文脈においてである。

なぜ、大河と女性随行員(Tさん)が、「街宣チームから意識的に排除」されることになったのか、次回、次々回で述べることとしたい。問題は、「宇都宮選挙の総括に象徴的な意味をもつ」ものでもあり、「市民運動のあり方に関わる問題」とも思われるのであるから。

宇都宮君は、最初はこの選挙最終盤における「任務外し」の事実に驚いていた。大河とTさんに、随行員としての不適格や落ち度はなく、「とてもよくやってくれている」ことを認めてもいた。ところが、後に「要するに、(スタッフに対する)澤藤さんの息子さんの対応が非常に問題だった」と態度を一変させる。

宇都宮君、それはおかしい。理不尽な扱いによって尊厳を傷つけられたという訴えが、君の一番身近にいた随行員二人から訴えがあったのだ。君は、二人の訴えに誠実に向かい合うべきだったのに、それをしなかった。それは、君の革新共闘候補としての不適格を象徴している。だから、宇都宮君、立候補はおやめなさい。
(2014年1月10日)
 

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Published in 金曜日, 1月 10th, 2014, at 23:08, and filed under 宇都宮君おやめなさい.

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