澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

集団的自衛権行使容認に与党内の異論

「神は人の上に人を造り給わず」とは、ミルトン「失楽園」の一節だそうだが、この上ない至言である。神を持ち出すことについての幾分かの違和感には目をつぶろう。すべての人に上下なく、本来的に平等であることが、私たちが社会を見る目の原点であり公理である。家門だの、家柄だの、先祖だの、尊い血筋だの、やんごとなきお生まれだの、世が世であれば…など、鼻先で嗤おう。

人には上下の差別はない。しかし、法には厳然たるヒエラルヒーがある。憲法が、一番エライのだ。憲法が定める手続により、憲法に反しない範囲で、憲法の理念を具体化するものとして下位の法形式が制定される。下位法が憲法に逆らうことは許されない。そのようにして、法の体系性が維持される。

法のヒエラルヒーに相応して、各法形式の制定改廃の権限が決められている。憲法を作るのは主権者である国民が直接に行う。その改正手続も同じこと。法律の制定・改廃は国会が行う。法律よりも下位の行政法規の制定は、内閣や各省あるいは自治体が行う。各制定権者は定められた権限以上のことはなしえない。内閣が法律を作ることはできないし、国会が憲法の改正はできない。これは憲法が定めた厳格な掟であって、公務員たる者にはこの掟を遵守すべき義務がある。

この理を弁えない掟破りの公務員が出てくるとまことに面倒なことが起こる。整然たる法の体系性が壊される。保守も革新もなく、このような法体系破壊の厄介者には、苦言を呈さざるをえない。できれば退場してもらわねばならない。
 そのようなことが現実に起きている。安倍晋三の「集団的自衛権行使容認を閣議決定で」という暴挙は、事実上の憲法改正を内閣の手でやってのけようということなのだ。この、立憲主義を解さない法体系破壊の厄介者に対して、批判の声が自民党内からも上がっている。

本日(3月19日)付の琉球新報の社説は、「集団的自衛権 解釈変更は権力の暴走だ」というもの。この標題のとおり、とても歯切れがよい。

「安倍晋三首相が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、自民党の意思決定を担う総務会メンバーらによる総務懇談会で異論や慎重論が相次いだ。
 村上誠一郎元行政改革担当相は「解釈変更は憲政に汚点を残す。憲法改正で堂々と議論するのが筋だ」と反対する考えを明言した。憲法9条の解釈変更という“禁じ手”にまい進する安倍政権に対し、お膝元からブレーキがかかった格好だ。
 共同通信の今年2月の世論調査でも、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認は、「反対」51%、「賛成」38・9%だった。党内の異論や慎重論は国民の反発を警戒していることの表れだ。
 首相は、総裁直属機関を新設して党内論議を続ける方針を示しており、異論や慎重論を押し切る構えも見え隠れする。しかしながら、国民の声を聞かず、党内からの忠言も無視するとなれば、権力の暴走と言われても仕方あるまい。首相は、異論や苦言を真摯に受け止めるべきだ。
 憲法は国の最高規範である。時の政権の一存だけで憲法解釈を変更することは、憲法が国家権力に制約をかける「立憲主義」を否定することにほかならない。それは法治国家や議会制民主主義の否定にもつながる。歴代政権が解釈変更による集団的自衛権の行使容認を、禁じ手としてきた重みをかみしめるべきだ。」

また、本日の東京新聞の社説も「集団的自衛権 与党内の慎重論は重い」との同旨の指摘。
「自民党総務会は党の意思決定を担う重要機関だ。そのメンバーから「集団的自衛権の行使」容認に向けた憲法解釈変更に慎重論が相次いだ意味は重い。安倍晋三首相は真摯に受け止めるべきである。

 戦争や武力による威嚇、武力の行使を放棄した平和主義は、戦後日本の国是である。集団的自衛権を行使しなければ国民の生命、財産や国益が著しく毀損されるという切迫した事情も見当たらない。にもかかわらず、政府の憲法解釈を変えてまで行使を認めようというのは、いかにも乱暴だ。

 国家権力の暴走を防ぎ、国民の自由と権利を保障するため、政治権力が最高法規の憲法を順守する「立憲主義」は、明治憲法制定以来、日本政治の根本原理である。
 長年の議論の積み重ねで定着した憲法解釈を、時の政権の思惑で変える「解釈改憲」という手法は立憲主義と議会制民主主義に対する重大な挑戦にほかならない。」

さらに、目を引くのは次のパラグラフ。
「政府の憲法解釈を実質的に担うのは内閣法制局だが、安倍内閣に行使容認派として起用された小松一郎長官が適格かは疑問だ。委員長の制止を振り切って答弁を続けたり、質問にないことを答えたり、国会議員と口論を繰り返したりと、その言動は尋常でなく、まともな国会審議が続けられる状況でない。
 首相はまず自らの任命責任を率直に認めた上で、小松氏を交代させたらどうか。それが立憲主義を「取り戻す」第一歩である。」

よくぞ言ってくれた。まったく同感。

もうひとつ、同旨の「沖縄タイムス」16日社説を引用する。こちらは、小松一郎法制局長官だけでなく、籾井勝人NHK会長の不適格にも言及している。

「安倍晋三首相の肝いりで要職に抜擢された人たちの物議を醸す言動が止まらない。NHK会長らの問題発言がくすぶる中、今度は小松一郎内閣法制局長官である。
 内閣法制局は政府の憲法解釈を事実上担い、「憲法の番人」と呼ばれる。小松氏は外務省出身で、これまで歴代内閣が認めてこなかった集団的自衛権の行使容認に道を開くため、安倍首相が「禁じ手」の手法で法制局以外から異例の形で長官に起用した。その小松氏の議場内外での言動に、内閣法制局長官としての適格性に疑問が出ている。国会答弁をめぐって「場外乱闘」をしたり、職責ののりを超えたりしているからだ。

 例えばこんな振る舞いである。今月4日の参院予算委員会で、共産党議員から「憲法の番人なのに、政権の番犬みたいなことをしないで」と注文をつけられた。
 これに対し5日、関係のない社民党議員へ答弁する中で「公務員にも人権がある」などと反論した。7日の予算委終了後には国会の廊下で別の共産党議員に「番犬の表現は不適切だった」「共産党に直接抗議してほしかった」と言われ、衆人環視の場で口論となった。問題はこれで終わらない。
 共産党議員の事務所に謝罪に行きながら、「法制局長官を辞任し、病気療養に専念すべきだ」と諭されたことに対し、「そういうことはいうべきではない」と「逆ギレ」。再び口論となり、謝罪どころではなくなった。野党は罷免を要求し、自民党からも厳しい見方が出ている。

 籾井勝人NHK会長は就任会見で「従軍慰安婦」は「どこの国にもあった」と発言、百田尚樹経営委員は東京都知事選の応援演説で他候補を「人間のくず」と中傷し、「南京大虐殺はなかった」などと発言した。安倍首相の「お友達人事」の当事者らがなぜ問題となる言動をするのか。
 首相の信条に近いことを代弁しているか、首相の信条に近い人を登用した結果と考えるしかない。安倍首相は擁護するばかりだ。だが、首相の任命責任は免れない。」

これまで、高支持率をキープして順調に見えた安倍政権。明らかに潮目が変わりつつある。与党議員も、安倍べったりでは国民からの批判が恐いと思い始めた。安倍内閣と自民党執行部にものを言う姿勢を見せなければ、地元の支持者も納得しない。そんな空気が感じられる。

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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い

下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。

(2014年3月19日)

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Published in 水曜日, 3月 19th, 2014, at 22:58, and filed under 未分類.

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