日本国憲法9条を保持する日本国民にノーベル賞を
「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動が話題になっている。憲法9条にノーベル賞という発想だけでなく、一人の主婦の発案からはじまった運動としても話題性十分。
ノルウェーのノーベル賞委員会から、署名を集めた市民実行委員会や推薦人の大学教授らに、2014年のノーベル平和賞候補として正式に受理したとの通知が届いたと報じられている。今年の候補は278件で、10月10日に受賞者が発表されるという。
「この活動は神奈川県座間市の鷹巣(たかす)直美さん(37)が発案し、昨年1月から署名活動を始めた。市民実行委が昨夏発足、推薦資格のある大学教授らに呼びかけた。今年2月1日の締め切りまでに学者ら42人が賛同し、約2万5000分の署名と共に応募した。」
「受賞資格は個人または団体のため『憲法九条を保持する日本国民』としてノミネートされている。実行委メンバーは『改憲を目指す安倍政権を、国際的な力で穏便に止められる手段だと共感を得た。多くの人が平和憲法を尊び、危機感を持っていると実感した』と話している。」(東京新聞)
「憲法9条を世界遺産に」という大田光さんの著書がある。古賀誠元自民党幹事長の「9条は平和憲法の根幹で、世界遺産だ」という話題の発言もあった。こちらの方が普通の発想。だが、ユネスコに世界遺産登録申請の具体的な運動が起きたことは聞かない。一人の主婦がノーベル平和賞の受賞を目指す運動を始めたこと、それがノミネートの段階まで漕ぎつけたことに脱帽するしかない。
しかもこの発案者の発想は、極めて真っ当なのだ。「『戦後70年近くも日本に戦争をさせなかった9条に(平和賞受賞の)資格がある』とひらめいた。安倍政権が改憲への動きを活発化する中、『受賞すれば9条を守れる』と思ったことも大きかった (1月3日東京)」という。しっかり応援をしたい。
もっとも、多少の引っかかりを感じないわけでもない。「憲法9条にノーベル賞を」という発想は、ノーベル賞のもっている権威を前提に、憲法9条に権威のお裾分けをいただこうというものではないか。はたして、ノーベル平和賞とは、そんなに権威ある存在だろうか。また、憲法9条とは、ノーベル平和賞よりも権威のないものなのだろうか。
私の記憶では、佐藤栄作の受賞がノーベル平和賞のイメージを決定づけている。キッシンジャーが受賞し、オバマが受賞したこのノーベル平和賞の政治性は覆いがたい。はたして、ノーベル平和賞はその権威において、日本国憲法9条を凌ぐものだろうか。
ところで、法の歴史において、近代立憲主義の嚆矢となったものはアメリカ合衆国憲法(1787年)であり、輝かしく基本的人権を宣告したのはフランス人権宣言(1789年)である。ともに、過去の遺産ではなく、いまだに実定法として生きている憲法の一部である。
合衆国憲法は、後に「権利章典」部分を修正条項として付加して今日に至っている。フランスの第5共和国憲法は統治機構部分を有してはいるが、独自の人権宣言部分をもたない。前文で「1946年憲法で確認され補充された1789年宣言によって定められた、人権および国民主権の原則に対する愛着を厳粛に宣言する」として、1789年人権宣言の各条項に基づいて違憲立法審査権を行使しているとのことだ。
これらこそノーベル賞ものであり、世界遺産当確と思うのだが、アメリカ人やフラン人にしてみれば、合衆国憲法も、人権宣言もノーベル賞よりも権威ある存在として、ノーベル賞にノミネートという発想にはならないにちがいない。日本国憲法9条が、合衆国憲法や人権宣言のごとくに、歴史的にも地理的にも尊敬を勝ち得、やがてはノーベル賞など足元にも及ばない権威を獲得する日の来たらんことを願う。
なお、ひとつ提案がある。憲法第9条が受賞した場合、授賞式に臨む日本国民の代表者を選任しなければならない。これまで運動を担ってきた関係者とは別に、「9条を保持する日本国民」の代表としてふさわしい人物を。
戦争責任者の長男である天皇は、「9条を保持する日本国民」の代表としては、最もふさわしからぬ存在である。9条破壊に専念している安倍もその資格を欠く。
そこで、一般国民の中から、もっともふさわしい「9条国民代表」を選任するための大イベントを企画してはどうだろうか。年齢・性別・国籍・居住地・職業等の属性一切関係なく、日本国民としての自覚だけを要件とすればよい。そして、9条についての思いを作品にして、募集するのだ。論文・散文・小説・詩・短歌・俳句・絵画・彫刻・工芸・写真・動画・作曲・落語・浪曲・能・狂言…。要するに何でもよい。大会場で、自薦他薦のスピーチ大会を開催して、投票で代表を選任する。いかがだろうか。
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安倍晋三の「観桜会」に思う
樋口一葉に「闇桜」という作がある。幼い頃から隣どおし、兄妹のように育った二人の物語。この二人は伊勢物語の「筒井筒」のように結ばれることはない。
娘は「一粒ものとて寵愛はいとど手の内の玉かざしの花に吹かぬ風まずいといて願うはあし田鶴の齢ながかれとにや千代となづけし親心にぞ見ゆらんものよ栴檀の二葉三つ四つより行く末さぞと世の人のほめものにせし姿の花は雨さそう弥生の山ほころび初めしつぼみに眺めそはりて盛りはいつとまつの葉ごしの月いざよう」と美人薄命を暗示される。終章、男はなすすべもなく、病床の娘の手をとりて、「風もなき軒端の桜ほろほろとこぼれて夕やみの空鐘の音かなし」でおわる。何ともじっれたい話。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」は山賊の話。「この山賊はずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ちましたが、こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖ろしくなって気が変になりました」。そんな男が、例のとおり身ぐるみはごうとした女のあまりの美しさに、身も心も奪われて女房にしてしまう。ところが、この女が「外面如菩薩内心如夜叉」で、男は都に出て悪逆非道を尽くすことを強いられる。盗み、殺し、贅を尽くした都暮らしを続けるが、いつしかむなしさを感じた山賊は山に帰ろうと決意する。女はいやがるが、仕方なく山へ帰ることに同意する。花びらが一面に散り敷いた桜の木の下にたどり着いたとき、背負ってきた女が「鬼」に変わっているのに気づいた山賊は、女をくびり殺してしまう。「彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変わったことが起こったように思われました。すると、彼の手の下にはふりつもった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も、伸ばしたときにはもはや消えていました。あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした。」悪い女に迷った男のよくある話。しかし、男は繊細で感じやすい人間であり、救いがある。
次は国家権力による「桜の利用」。「桜・・それはすこやかに輝く命の花であった。そこに死の翳などの入りこむ余地はなかった。その花を、明治政府のかつての志士の幸運な生存者たちである薩長の軍事官僚たちが、勝手に武人の花、死の花に変えてしまった。明治中期、九段坂上に、戊辰・西南の内戦での戦死者たちを祀った招魂社(現・靖国神社)を建立した際、その社前に桜が植樹され、明治後期の二度の外征での若い死者たちもここに合祀されて、桜は『九段の花』として軍事国家時代の国民に深く印象づけられた」(「桜と日本人」小川和佑著)
周知のとおり、東京の開花宣言の標準木は靖国神社の境内にある。その花の盛りが過ぎたころの4月12日、新宿御苑で安倍首相が「観桜会」を催した。14000人の人が招かれ、盛大なものであったと報じられた。その席で、安倍は「給料の上がる春は八重桜」と、信じがたい駄句を披露している。
安倍は、可能であれば、九段の靖国神社に参拝し、靖国での観桜会をしたかったであろう。新宿御苑の観桜会はこれに代わるものだが、美しい「八重桜」もことのほか迷惑顔。そして、心なし安倍の駄句に赤面した風情だった。悪逆を尽くした山賊も、その害悪と責任の大きさにおいて、靖国に合祀されている戦犯には足もとにも及ばない。その戦争に無反省な安倍晋三らにも。
花は、確かに人を狂わせる。一葉のえがく余りにも繊細でか弱い人たちのようでもなく、坂口安吾のえがく孤独で内省的ではあるが残虐な山賊のようでもなく、そして安倍晋三のごとく臆面もなく策と思惑を露わにしてのことでもなく、美しいものを美しいとして、こころしずかに花見をしたいものである。
(2014年4月14日)