「求めるものは医療と教育」「必要なのは競技場でなく学校」ーブラジルは健全だ
サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会の開幕戦は6月12日、つまり本日。もっとも時差があって、日本時間では13日午前5時が初戦のキックオフになるという。
オリンピックとワールドカップ。国境を越えた人と人との交流の場として意味のないものだとは思わない。しかし、商業主義とナショナリズムの横行には白けてしまう。自分の近くには来て欲しくない。「日本人なら日本チームを応援するのが当然」という同調圧力にも辟易だ。
幸いにして、今回の会場は遠い。開幕式・開幕戦が行われるメインスタジアムは巨大都市サンパウロにある。そのサンパウロでの公共交通機関のストライキやワールドカップへの抗議行動が話題になっている。「開催に反対するデモは、今後も国内各地で計画されている。賛成派と反対派がせめぎ合う中で、4年に1度の祭典は開幕を迎える」と報道されている。ワールドカップに興味はないが、ストとデモには大いに興味をそそられる。
まずはストである。5月下旬からサンパウロ州営バスの運転手がストライキに突入し、市営の地下鉄がこれに続いた。市内の交通は大混乱の事態となった。ストライキを決行するからには、最小限の犠牲で最大限の効果を狙うのが戦術上の常道。ワールドカップ直前、あるいは盛りあがった真っ最中の時期を狙ってのストライキは、戦術としては上策となる。5路線ある同市地下鉄は一部運行しているが、開幕戦スタジアムの駅に向かう電車は全て運行を中止している状態が続いたという。
もちろん、争議は戦争ではない。いずれ復帰すべき職場を潰してしまっては元も子もなくなる。勤務先企業に決定的ダメージを与えるような争議戦術は当然に回避される。また、極端に世論を敵にまわす戦術もとりにくい。しかし、「ワールドカップ開催のこの時期にこそ効果的な戦術を」「いまは大々的にストを打っても大丈夫」という、労組の側の読みを支える状況があるのだ。
このようなさなかに、労働裁判所の命令が下された。
「5月28日、裁判所が混雑時間帯の完全稼動と通勤量が少ない時間帯に70%を維持するよう命令し、これに違反すれば毎日4万4000ドル(約450万円)の罰金を賦課すると警告したが、労働組合員のストライキの意志は折れなかった」と報じられた。サンパウロ地下鉄労組がストライキを強行する理由は、物価上昇率の高さのためだという。今年の上半期のブラジル物価上昇率は約6%だが、地下鉄労働者の初任給は停滞したまま。労組側の言い分は、「ワールドカップのための金はあるのに、なぜ大衆交通のための金はないのか」というもの。
6月8日には、「罰金」額の増額が命じられた。「ブラジルの労働裁判所は8日、サッカーW杯ブラジル大会の開幕戦を目前に控えたサンパウロの地下鉄職員らが賃上げを求め続けるストライキは違法だとして、職員らに対しスト続行1日当たり50万レアル(約2300万円)の罰金支払いを命じた。一方の職員らは投票で、この裁判所命令を無視し、ストを続行することを決めた」【AFP=時事】との事態になっている。ロイター通信などによると、「労組側は裁判所の命令を受けて実施した組合員投票で、スト続行を決定。W杯開催に反対する市民らとともに、デモを行う構えをみせている」という。
週明けの9日には地下鉄職員のストライキが続き市内中心部をデモ行進、街頭で治安部隊と衝突して催涙ガスなどが使われ、多くの駅が閉鎖されて道路は200キロもの渋滞となったという。興味深いことには、交通警察の一部が賃上げを要求してストライキに加勢したことが渋滞をさらに悪化させたという。そして、ストは一時中断しているが、大会開幕日の現地時間で12日にも実施される恐れがある(毎日)と報道されている。
次いでもう一つの関心がワールドカップへ抗議のデモである。
今回のワールドカップの施設は、多くの貧民地域において強制的に立退かされた住民の犠牲の上で行われているという。また、ワールドカップの費用は天文学的に増加し国民に重くのしかかっているともいう。
毎日新聞の昨日(6月11日)夕刊の「特集ワイド:W杯開幕直前、盛り上がるのはデモやスト どうしたブラジル」の掲載写真は、「『必要なのは競技場でなく、学校だ』と書いたプラカードを掲げ抗議する教師たち」である。
興味深い内容の記事となっている。たとえば、「W杯開幕が近づくにつれ、再びデモが頻発。参加者の多くは『パンを』と訴えているわけではない。1兆円を超えるW杯開催費用を『税金の無駄遣い』と批判し、『その金を医療と教育の充実に回せ』と主張する。一方、賃上げを求めるストも絶えず、バスや地下鉄がしばしば止まる。鈴木さん(地元紙編集局長)は『インフレで国民の生活は苦しくなるばかり。デモが続く背景には、医療と教育に投資するというルセフ大統領の約束が1年たっても実行されないことへの不満がある』と解説する」
さらに興味深いのは、次の指摘。
「それでも食べることにきゅうきゅうとしていた頃なら、人々はサッカーで憂さを晴らした。しかし、そこから脱した膨大な中間層は『医療や教育の改善という、より高度化した要求』を持つようになっていた」「多くのブラジル人はスタジアムなどの施設整備に使われた金の何割かは、政治家の懐に入ったと信じている。彼らの目には、W杯も『政治家の政治家による政治家のためのイベント』としか映っていません」というのだ。
真っ当な人は、パンとサーカスのみにて生きるものに非ず。「ワールドカップよりは、医療と教育を」という要求は、真っ当で健全なものではないか。また、賃金カット覚悟でストライキを決行する労働者の自覚も真っ当ですがすがしい。ワールドカップ自国開催のの機会に、ブラジルの真っ当さを世界に示したストとデモ。「どうした ブラジル」どころではない。「たいしたものだ ブラジル国民」と見出しを打つべきだろう。
(2014年6月12日)