東京「君が代」裁判第四次訴訟の冒頭意見陳述
本日は東京「君が代」裁判第四次訴訟(原告14名)の第1回口頭弁論期日。係属は東京地裁民事11部。527号法廷の傍聴席は抽籤による傍聴者で埋まり、真摯な緊張感がみなぎった。
本日の法廷では、原告の教員3名と、原告ら代理人を代表した平松真二郎弁護士が、堂々の意見陳述を行った。約30分、合議体の裁判官3名のどなたもが真剣に耳を傾けてくれたという印象がある。
本日に限らないが、原告教員の陳述には襟を正さざるを得ない。多くの原告が、生徒に恥ずべきことはできないという、教育者としての真っ当な自覚から「日の丸・君が代」強制に従えないことを切々と述べることになる。人が人であるために、自分が自分であるために、そして教師が教育者であるために、生徒の信頼を裏切ってはならないとする動機から、「日の丸・君が代」強制に屈することができないというのだ。
書面にして裁判官に読んでも同じことかといえば、決してそうではない。法廷での立ち居振る舞いや肉声は、書面とはひと味もふた味も違った直接のコミュニケーション手段となる。原告3名の今日の意見陳述は、私の胸に重く響いた。
平松弁護士の陳述は、これから審理を担当する裁判所に向かって、「『既に言い渡されている同種事件の最高裁判決を踏襲して処理すればよい』などという安易な態度での審理や判決であってはならない」というもの。懲戒処分をめぐる事実関係は、これまでの最高裁判決事案とは大きく異なってきている。「日の丸・君が代」強制を違憲違法とする法的根拠は多岐にわたるが、最高裁判決は憲法19条論にしか触れていない。本件では最高裁が示した19条解釈の誤りを糺し、さらに公権力の教育への介入禁止などのその他の論点についても十分な審理をお願いしたい、というもの。
既に定年退職された男性教員原告お一人の陳述と、平松弁護士の陳述を抜粋してご紹介する。
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38年間の教員人生の中で、2003年に出された「10・23通達」の衝撃を忘れることはできません。それまでの都立高校では、生徒の目線に立った人学式・卒業式が、創意工夫を凝らして行われてきました。それが突然、一片の通達で「日の丸・君が代」強制の場に変えられたのです。それから10年以上が過ぎました。 今もなお、その強制と処分行政が続いていることに驚きます。
「10・23通達」以前の卒業式を思い出します。私は夜間定時制に長く勤務しましたが、定時制では途中で学校を去っていく生徒も少なくありません。ですから、困難を乗り越えて4年後にゴールにたどり着いた時の喜びは、言葉では言い表せないほどです。卒業式では、卒業証書を高々と掲げる者、ガッツポーズをする者、また、在学中に生んだ子どもを抱えて証書をもらう者、様々で、その姿に一人一人の人生が凝縮されるのです。私たち教師は、自主的に卒業式の役割分担を決め、生徒の動きに合わせて臨機応変に動きました。子連れの生徒の場合は、預かってあやすこともしました。年配の方や車椅子の生徒には近くに行って介助しました。式の会場も体育館ではなく、食堂を使ってフロア形式で行いました。形式的な「儀式」ではない、心を合わせて卒業生を祝うアットホームな式でした。
しかし、「通達」で、卒業式は一変しました。処分と脅しを背景とした職務命令が出され、式の形態や進行は通達通りの画一的なものになりました。会場である食堂に、意味のない「演壇」が持ち込まれ、校長が見下ろす形にされました。各学校の事情や工夫は一切認められず、生徒主体の式は圧殺されました。
生徒にまで「君が代」の起立斉唱が強制され、最近では生徒の「送辞」や「答辞」にも管理職のチェックが及ぶと聞きます。さらに、その命令体制は卒入学式にとどまらず、教育活動の隅々にまで及ぶようになりました。
退職直前の卒業式の時、私は3年生の担任でした。定時制は4年卒業が原則ですが、3年で卒業する道もあるので、3年の担任も卒業生を送り出します。
最後の卒業式で私は、「君が代」斉唱時に起立せず、処分を受けました。
私は「通達」以降、「日の丸・君が代」の強制には強い批判を持ちながらも、あえて不起立はしませんでした。生徒や同僚に与える影響も考え、踏み切れなかったのです。しかし、教育現場はどんどん息苦しくなり、「何を言ってもムダ」という気分が広がっていきました。退職を控え、私が半生をささげてきた都立高校教育とは何だったのか、これでいいのか、と思い悩みました。最後くらいは自分の気持ちに素直でありたい・・これが私の結論でした。
卒業式の2日後に東日本大震災が勃発し、日本国中が大混乱に陥りました。
その夜は職員室にごろ寝し、翌日からは生徒への連絡に忙殺されました。多くの方が津波で亡くなり、原発が爆発するという非常時に、都教委の職員が私の事情聴取のために学校を訪れました。震災の支援どころか、不起立教員への処分を最優先するこの対応は常軌を逸しています。
退職して1年後、私は教え子の卒業する姿を見たくて、副校長に何度も卒業式の問い合わせをし、やっと直前に形ばかりのお知らせが届きました。
当日、3年まで担任をした生徒たちが目の前にいるのに、会場にいる私の紹介は全くありませんでした。都教委の命令によるものです。卒業生退場の時に、私は出口に走って行って、生徒だちと握手して別れを惜しみましたが、退職した後まで不起立教員を排除し、生徒と教師の触れ合いを断ち切ろうとした都教委の卑劣さに、今でも怒りを感じます。
定時制での経験を少々話します。女子のAさんは、いじめをきっかけに中学3年間ほとんど学校に行かず、引きこもりの生活をしていました。定時制入学当初の彼女は、一人で電車に乗ってどこかに行くこともできませんでした。つまり、社会的な経験が極めて少ないのです。そんな彼女でしたが、心の通う友達ができると、休まず学校に通うようになりました。最後は生徒会の役員にまで立候補し、優秀な成績で卒業していきました。引きこもりだった生徒が、定時制というコミュニティーの中で自己を回復していく過程は本当に感動的です。
問題行動の多かった男子のB君は、学校外で事件を起こし、警察に補導され、鑑別所に入ってしまいました。彼はそれ以前も鑑別に入ったことかあり、今度は少年院送致もありうる状況でした。私は、彼を学校に戻したい一念で鑑別所に面会に行き、励ましました。家庭裁判所の審判の日、私も傍聴しましたが、裁判長が私に向かって「B君を学校で受け入れる用意があるか」と質問、私は「全力をあげます」と答えました。休憩を取った後、保護観察との結論が出ました。学校に戻った彼は、しだいに心を開くようになり、無事卒業しました。
生徒がどんな問題を抱えていようと、教師は生徒に寄り添い、彼らの成長のために全力を尽くします。しかし、都教委は、それとはまったく逆に、問題を抱えた生徒は切り捨てる、という姿勢を強めています。現場では自由闊達な教育実践が衰弱し、それが生徒の活動に否定的な影響を及ぼしています。一番の被害者は生徒なのです。この現状こそまさに「10・23通達」以来の職務命令体制の帰結です。生徒と教師の触れ合いを再び教育現場に取り戻すために、裁判官の皆様の賢明な判断をお願いして陳述を終わります
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1 2003(平成15)年10月23日のいわゆる10・23通達以来,東京都の公立学校において,卒業式等の儀式的行事において国歌の起立斉唱が義務付けられ,これに従わない教職員に対する懲戒処分が繰り返されています。これまでに延べ462名の教職員が懲戒処分を受けています。
10・23通達を巡っては,これまでに多数の訴訟が提起され,2011(平成23)年5月から2013(平成25)年9月までの間にいくつもの最高裁判決が出されました。これまでの最高裁判決の結論は,国歌の起立斉唱の義務付けは思想良心の自由に対する間接的制約であるが,義務付けの必要性,合理性があれば憲法上許容されるというものでした。
2 もとより,原告らは,国歌の起立斉唱の義務付け,その義務違反に懲戒処分をもってのぞむこと自体違憲であり,戒告処分を含めたすべての懲戒処分が違法であると考えて本件訴訟の提訴に至りました。
本件訴訟で問われている主要な論点は二つあります。
一つは,教育という社会的文化的営みに,国家がどこまで介入することが許されるのかという問題です。
戦前の教育は,神である天皇が唱導する戦争に参加することこそが忠良なる臣民の道徳であると教え込むものでした。富国強兵,殖産興業,植民地支配といった国家主義的国策の正当性を児童生徒に刷り込む場として教育が利用されました。国家のイデオロギーそのものが教育の内容となり、民族的優越と忠君愛国が全国の学校で説かれたのです。その結果が,無謀な戦争による惨禍となりました。
歴史の審判は既に下っています。教育を国家の僕にしてはならない。国家が教育内容を支配し介入してはならない。国家が特定のイデオロギーを国民に押し付けてはならない。
この普遍的な原理が日本国憲法26条,23条,そして13条として結実しています。そして教基法16条が教育内容に対する「不当な支配」を禁ずることを確認しています。あまりに大きな代償と引き換えに得たこの憲法上の理念をゆるがせにしてはなりません。
10・23通達は,教育内容を教育行政機関が定めるものであって,公権力による教育への支配介入にほかなりません。しかしながら,この重大な問題について、最高裁の各判決は,いまだに判断を示しておりません。
3 本件訴訟におけるもう一つの問題が,個人の精神の内面に国家はどこまで介入することが許されるのかという問題です。
前述のとおり,最高裁判決の結論は,国歌の起立斉唱の義務付けは,その必要性,合理性があれば憲法上許容されるというものでした。私たちは,この点に関する一連の最高裁判決には、その判断の枠組みにおいても、一定の必要性、合理性が認められるという点においても承服しがたいと考えて、司法判断の変更を求めて,本件の訴訟活動をおこなっていく所存です。
4 ところで,一連の最高裁判決には,数々の個別意見が付されています。補足意見においてもその多くが国歌の起立斉唱の「強制」に慎重な姿勢が示されています。
たとえば,2011(平成23)年5月30日第二小法廷判決(平成22年(行ツ)第54号事件)では,須藤正彦裁判官は,
「教育は強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって,……卒業式などの儀式的行事において,『日の丸』,『君が代』の起立斉唱の一律強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が生ずることが予見されることからすると……あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれる」
と述べています。
そのほか,2011年の一連の最高裁判決では竹内行夫裁判官,千葉勝美裁判官,大谷剛彦裁判官,金築誠志裁判官,岡部喜代子裁判官が,2013年1月最高裁判決では桜井龍子裁判官が,2014年9月最高裁判決では鬼丸かおる裁判官がそれぞれ補足意見を述べています。
これらの各最高裁裁判官の補足意見では,国歌の起立斉唱の義務付けを推し進めても,不起立と懲戒処分との果てしない連鎖を生むだけであり,それがもたらす教職員の萎縮と教育現場の環境悪化を憂慮し,その連鎖を断ち切るために,寛容の精神のもとに思想良心の自由の重みを考慮して,「全ての教育関係者の慎重かつ賢明な配慮」を求め,「全ての関係者によってそのための具体的な方策と努力が真摯かつ速やかに尽くされていく必要」が説かれていました。
5 しかるに,都教委は,これらの最高裁判決を真摯に受けとめようとする姿勢を欠き、免罪符を得たとばかりに国歌の起立斉唱命令に従えない教職員に対する圧力を一層強めています。従前よりも処分内容が加重された懲戒処分を科すことにより教職員に対する強制を押し進めています。
本件の原告の中にも,複数回の不起立というだけで減給処分が科せられた者がいます。そこには,ただただ国歌の起立斉唱の義務付けを貫徹しようとする思惑だけが見て取れ、最高裁判決の各補足意見が,教育環境の改善を図るために寛容の精神及び相互の理解を求めたことについての配慮はみじんもみられません。不起立とそれに対する懲戒処分が繰り返される結果,教育現場の環境が悪化しようが,永続的に紛争が続くことになろうが,起立できない教職員に対して徹底的に不利益処分を科し,根絶やしにすることに固執する姿しか見られません。
このような姿は,最高裁裁判官の各補足意見の真意に沿うものではないことが明らかです。
6 それを措いても,本件訴訟においては,これまでの最高裁判決の多数意見の判断,結論に漫然と従って判断されてはなりません。
2011年の一連の最高裁判決以降,都教委の再発防止研修の強化など,より精神的自由に対する制約が強められていること,原告らに科された各懲戒処分の実質的内容が加重されていることなど事実経過を正確に認識したうえで,憲法19条が保障する思想良心の自由が侵害されているか否かが判断されなければなりません。また,都教委による教育内容介入が,教基法16条が禁ずる「不当な支配」に該当するか否かが判断されなければなりません。そして,懲戒処分を繰り返している被告の真の意図を直視した判断がなされなければなりません。
最高裁判決の多数意見の結論のみに漫然と従い,硬直した判断を行うことは,「いたずらに不起立と懲戒処分の繰り返しが行われていく事態」を黙過し,各最高裁裁判官が危惧した国歌の起立斉唱の義務付けに端を発する教育現場の荒廃をも容認するものにほかならず,はからずも貴裁判所の判断が,教育環境を悪化させる一端を担う結果となるのです。
訴訟の冒頭に当たって,このことをくれぐれも強調し,教育の本質についての深い洞察に基づいた的確な訴訟指揮を求めるものであります。
この陳述が実る日の来たらんことを。
(2014年6月11日)