澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「侵略戦争」は否定できない

日本国憲法は戦争の惨禍への反省から出発している。戦争への反省とは、それが大義のない侵略戦争だったことからのものであって、無謀にも負ける戦争をしたからではない。歴史認識とは、天皇制政府が起こした戦争が侵略戦争であったことと、植民地支配の不正義を認めるか否かの問題である。

朝日の報道によれば、維新の石原慎太郎は17日、先の大戦の旧日本軍の行為について「侵略じゃない。あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない。歴史に関しての無知」「正確な歴史観、世界観を持っていないとだめだ」と語って、橋下徹の見解を批判したという。この批判に対して、橋下は「石原代表は当時、命をかけて戦っていた(時代の)人。いろんな考え方があるだろう」と理解を示した、とのこと。

石原や西村慎吾の暴論は、「右には右があるもの」と呆れるしかなく、論外と切り捨ててよい。問題は、「いろんな考え方があるだろう」という橋下の一見ものわかりの良さそうな見解である。これを問題にしなければならない。

もちろん、いかなる内容の言論にも自由がある。「いろんな考え方」のあることも、事実としてはそのとおりだ。しかし、政治家が記者会見において公にする見解の内容としては、自ずから限度がある。そのような場では、「先の大戦の旧日本軍の軍事行為は侵略ではない」とも、「いろんな考え方があるだろう」とも、軽々に口にできることではない。それを口にするには、世界を敵に回す覚悟が必要であり、百万言の論述と万巻の資料とを要する。立証責任を背負わなければならないからだ。

我が国は、くり返し、公式に「アジア諸国に対する植民地支配と侵略の過ち」を認め、謝罪をしてきた。以下は、戦後50周年における村山談話の抜粋だが、中曽根も小泉も同様の発言をしている。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」
この見解は、戦後の日本には当然のことと言わねばならない。

第2次大戦の主要な性格は、民主々義陣営たる連合国と、全体主義陣営たる枢軸国の争いである。また、枢軸側各国は「遅れた持たざる帝国主義国家」として領土的野心を逞しくして戦火を開いた。

敗戦した枢軸側各国は、全体主義と領土的野望を清算して初めて、大戦後の国際秩序に組み入れられることを許容された。日本の場合、過ぐる大戦が侵略戦争であったことは、政府が受諾したポツダム宣言と降伏文書そして東京裁判に明らかであり、日本が独立を認められたサンフランシスコ講和条約11条にも、「極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判の受諾」との文言で、日本による東京裁判の受諾が明記されている。

ポツダム宣言には、「日本を世界征服へと導いた勢力を除去する」「捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されること」「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない」などと明記されている。

「捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されること」の実行として、東京裁判が開かれた。A級戦犯は極東国際軍事裁判所条例の第5条(イ)項の「平和ニ対スル罪」の被訴追者である。その構成要件は、「(イ)宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加」というものであった。

侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行したとして、戦争指導者28名が起訴され、判決前の病死者と精神障害発症者を除く25名に有罪判決が言い渡された。うち7名が絞首刑に処せられた。

前述のとおり、この東京裁判の受諾、すなわち侵略戦争としての戦争指導者の処罰を受け入れることによって、日本は国際舞台に復帰を認められたのである。今さらの侵略性の否定は、道義にもとるというほかはない。

なお、侵略の定義は、1974年12月の国連総会決議で明らかにされている。「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土的保全、政治的独立に対する、もしくは国連憲章と一致しないすべての武力的行使を指す」という常識的な定義規定のあとに、具体的な境界事例が列挙されている。

しかし、1974年に初めて厳格な定義ができて、侵略戦争が違法とされたわけではない。1928年の不戦条約は戦争一般を違法としたが、解釈において「自衛戦争は禁止の対象とされていない。その結果、侵略戦争のみが違法とされた」との見解が暗黙の了解となった。このとき既に、厳密な明文の定義如何はともかく「侵略戦争」の概念は存在した。当然のことながら、大戦の終了時に定義曖昧ということはあり得ない。「いろんな考え方があるだろう」で、済ませられる問題ではないのだ。

維新の内部紛争などはどうでもよい。問題は、憲法の基本理解に関わることだ。戦争への反省から日本国憲法が生まれた。その「戦争」の性格と「反省」の内実とをゆるがせにしてはならない。

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Published in 土曜日, 5月 18th, 2013, at 23:51, and filed under 未分類.

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