自民党憲法草案は、「君が代・憲法」だ。
自民党が昨年4月27日に発表した「日本国憲法改正草案」のネーミングを考えていて、今日思いついた。そうだ、これは「君が代・憲法」だ。
日本国憲法前文の冒頭の文章は以下のとおりである。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
常識的に、ひとまとまりの文書の冒頭には、起草者のもっとも関心あることが書かれる。日本国憲法においては、国民主権と、国際協調主義と、自由と平和と、そして不再戦の決意とが述べられている。
では、自民党改憲草案には、同じ位置に何が書いてあるか。
「草案」の前文第1段落の冒頭は、「日本国は、長い歴史と固有の文化をもち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、…」と始まる。
「草案」は、現行日本国憲法が「国民主権と、国際協調主義と、自由と平和と、そして不再戦の決意」を述べた同じ場所に、「日本国は天皇をいただく国家である」と書き込んだのだ。自民党にとっては、天皇を戴く国であることこそが、何にも替えがたい重要な憲法事項だというのだ。なんたるアナクロニズム、なんたる志の低さであろうか。
さらに、自民党草案前文の第5段落は、「日本国民は、よき伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」という。日本国民がこの憲法を制定するのは、「よき伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」だというのである。憲法制定の目的を、国民の福利や自由の獲得・維持とはせずに、「国家を継承するため」という恐るべき無内容の国家主義の露呈である。しかも、よき伝統とは、「天皇を戴く国柄」以外には考えられない。結局、第5段落を意味あるものとして読めば、「日本国民は、天皇を戴く国家を、末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」ということになる。
どこかで聞いた言葉だ。そう、「君が代は千代に八千代に細石の苔のむすまで」。あれを条文の用語に翻訳して憲法前文に挿入したものだ。これからは、「自民党草案」を「君が代・憲法」と呼ぶことにしよう。
自民党の思想水準は、その程度のものでしかないのだ。