驕れる慎太郎は久しからずー無間の底に落ちたまふべし
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる慎太郎も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には亡びぬ、ひとへに風の前の豊洲の塵に同じ。
近く歴代都知事をとぶらへば、先代舛添要一、先々代猪瀬直樹、これらは皆、心ある人びとの諫めをも思ひ入れず、都政の乱れんことを悟らず、民間の愁ふるところを知らずして、あるいは都下の病院経営者から5000万円もの現金の提供を受け、あるいは私事に公費の混同目に余りしかば、久しからずして、都民に見捨てられて亡じにし者どもなり。しかれども、奢れる慎太郎にくらぶればその罪さしたることなしというべきならん。
舛添、猪瀬の両名に先だつて、13年もの長きにわたって都庁を伏魔殿とし、その魔物巣窟の主として君臨せし石原慎太郎と申しし人の、おごれる心たけきことのありさま、伝え承るこそ、心も言葉も及ばれね。
この慎太郎、人を人とも思わぬ傍若無人の振る舞いで知られてければ、部下にも記者にも、敬して遠ざけられておりしは、軽い御輿のありさまとぞ覚えけり。またこの人、常に手柄は我が物として記者会見では得意満面となりつれど、不祥事の責任はすべて部下になすりつける卑劣漢として音に聞こえけり。
しかれども、この慎太郎の強面、強引、恫喝の数々を、いかんせん愚昧なる都民が許せしかば、ますます増長して、都政と都民の重ね重ねの不幸のみなもととなりにけり。
しかるに、今ようやく天網恢々疎にして漏らさず、応報因果は我が身にめぐるのたとへのとおり、ここに慎太郎の命運も尽きんとするこそ、あはれなれ。
慎太郎こそ、当時の知事として、豊洲新市場移転問題のすべての責めを負うべきが、その土壌汚染対策瑕疵の責めを問われるや、まずは「僕はだまされたんですね。結局、してない仕事をしたことにして予算を出したわけですから。その金、どこ行ったんですかね?」と、平然当時の部下に責任を押しつけにけり。卑怯未練の本領発揮というべきなるらん。
しかるに、かつての都知事時代の定例記者会見の記録で、新事実が浮上せり。
豊洲の土壌汚染対策について、慎太郎は得意げにかく語ってあり。「担当の局長にも言ったんですがね。もっと違う発想でものを考えたらどうだと。どこかに土を全部持っていって(略)、3メートル、2メートル、1メートルとか、そういうコンクリートの箱を埋め込むことで、その上に市場としてのインフラを支える。その方がずっと安くて早く終わるんじゃないか」「(盛り土案より)もっと費用のかからない、しかし効果の高い技術を模索したい」「担当の局長に言ったんですがね。もっと違う発想でものを考えたらどうだと」。
こうして慎太郎。「私はだまされた」の被害者面をしてみせたものの、なんじょう被害者などであるべきか。一転、盛り土案潰しの『真犯人』に擬せらるに至れり。
さすれば慎太郎は一計案じて前言翻して、「シタ(=部下)から箱をつくると上げてきたので、それを会見で報告しただけ」「私は建築のイロハを知らないので、そんな工法思いつくはずがない。素人だから他人任せにしてきた」と居丈高に開き直り、最後は「東京都は伏魔殿だ」と捨てぜりふ。この伏魔殿の主の言に、聞く人一同笑いさざめけるは、既に慎太郎がかつての勢いなきしるしなり。
かつて勢い盛んなるときなれば、誰もが慎太郎の暴言には目をつぶれり。しかれど、今は昔の彼ならず、シタ(=部下)も黙ってはおられない。黙っていれば悪役ともならんずらん。
比留間英人なる人は、当時の都中央卸売市場長なりけるとぞ。メディアに向かって申し開きをこころみにけり。「『こんな案があるから検討してみてくれ』と知事から指示を受けました」と。慎太郎こそはウソをのたまひけれ。「下から上への地下室案」ではなく、「上から下への提案」とのことなりき。
ウソ付きは閻魔の劫火に焼けてあれ。慎太郎の夢に見給ひけるこそおそろしけれ。田園調布の某所に、猛火おびたたしく燃えたる車を、門のうちへやり入れたりて、牛の面のようなる者、馬の面のようなる者の言うよう。「閻魔より、慎太郎殿の御迎へに参りて候」と申す。「さて、なんの迎えぞ」と問はせ給へば、「南閻浮提、都民の善男善女をたぶらかし、都政を混乱させ給へる罪によって、無間の底に落ち給ふべきよし、閻魔の庁に御さだめ候ふなり」とぞ申しける。夢さめてのち、これを人に語り給へば、聞く者、身の毛もよだちけり。
(2016年9月16日)