2月1日(木)10時30分「DHCスラップ2次訴訟」第2回法廷 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第118弾
私(澤藤)自身が被告とされた「DHCスラップ訴訟」。今、「DHCスラップ第2次訴訟」となり、これに反訴(リベンジ訴訟)で反撃している。
その第2回口頭弁論期日(形式的には3回目)の法廷が近づいている。
2018年2月1日(木)午前10時30分
東京地裁415号法廷・東京地裁4階(民事第1部)
今回の法廷では、反撃訴訟訴状(反訴状)に対する反訴被告(DHC・吉田)側の答弁書の陳述が行われる。
どなたでも、なんの手続も必要なく傍聴できます。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。なお、現在東京地裁庁舎では一部のエレベータが稼働していません。エレベータに行列ができています。少し早めに、お越しください。
なお、いつものとおり、傍聴された方には、これまでの進行の解説文と今回口頭弁論期日に陳述となるDHC・吉田側の答弁書のコピーを配布いたします。
また、閉廷後の報告集会は今回に限って行いません。閉廷後に控え室で多少の時間をとってご挨拶と、意見交換をいたしたいと思います。実は、2月1日は東京弁護士会役員選挙の真っ最中。東京弁護士会の会議室はすべて選挙事務所に割り当てられて借りることができません。しかも、アスベスト問題で裁判所のエレベータが満足には動かない事態。加えて、法廷でなすべきことは反訴被告側の陳述のみ。そんなわけで、これまでは毎回行ってきた報告集会を今回は行わず、法廷終了後に裁判所控え室で小さな報告会を行うことにします。
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この反撃訴訟において、何が問題とされているのか。是非とも、ご理解をいただきたい。ご理解だけではなく、ご支援もお願いしたい。言論の自由の保障のために、ひいては民主主義のために。
DHCと吉田嘉明は、私を被告としてスラップ訴訟を提起した。実は私だけでなく、同じ時期に少なくとも10件の同種の提訴をしている。提訴はせずに同種の言論妨害も行っているが、その件数は分からない。
吉田嘉明の私への提訴は、侵害された権利の回復を求めてのものではない。自分(DHCと吉田嘉明)への批判の言論を封じるための提訴だから違法なのだ。言論の自由をこよなく大切なものとするこの民主主義社会において、訴訟を言論封殺の手段としてはならない。これが、「スラップ訴訟を許さない」という意味である。
私は、当時吉田嘉明という人物については何も知らなかった。興味もなかった。だから、格別に先入意識はなく、吉田嘉明に対する侮蔑感も反感も持ってはいなかった。吉田の思想や差別的言動について知ることになったのは、スラップ訴訟の応訴の過程においてのことである。
私は、純粋に、彼が書いた週刊新潮手記を論評する限度で3本のブログ記事を書いた。典型的な政治的言論と言ってよい。中心は政治とカネの問題である。そして、カネの力での規制緩和に警鐘を鳴らし、消費者問題にも言及した。それが、経営者として規制緩和を目指す吉田嘉明にとっては不愉快な内容となった。しかし、だからといって私を訴えるのは筋違いも甚だしい。
当然のことながら、彼にも言論の自由はある。私の批判に異論や反論があれば、堂々と反批判の言論を行えばよい。富豪の彼には、私のブログとは較べものにならない、強力な反批判の言論のツールを持ち合わせている。
ところが、言論に対して批判の言論のツールを駆使することなく、いきなりの提訴。しかも6000万円という明らかに過大な請求。言論をもっての反論ではないこの提訴は、自分を批判するとこのような面倒なことになるぞ、という恫喝以外のなにものでもない。これがスラップというものだ。批判の言論の萎縮を狙っての提訴というところに、その本質がある。
私が事実無根の記事を書いたか。私が彼の人格を攻撃したか。いささかもそのようなことはない。だから、DHC・吉田の私に対するスラップ訴訟は請求棄却となった。一審も控訴審もそして最高裁もだ。しかし、吉田嘉明は負けることが明らかな提訴を敢えてして負けた、それだけのこと。なんの制裁も受けていない。むしろ、「私(吉田嘉明)を批判してみろ。高額損害賠償請求の提訴をするぞ」という威嚇の実績をつくったのだ。提訴した得は確保している。一方、私は故ない提訴を受けてこれを斥けて勝訴はしたが、私に生じた金銭的、時間的、精神的な損失は回復されていない。
だから、DHCと吉田嘉明にはしかるべき制裁措置が必要だし、私の損害は回復されなければならない。こうしてこそ、世にスラップが横行することを防止できる。典型としてのDHCスラップ訴訟にはきちんとしたケジメが必要だ。DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)とは、そのような意味を持つ訴訟なのだ。
次回法廷で陳述予定の反訴答弁書の中に、いくつかDHC・吉田嘉明側の興味深い言い分が記載されている。以下は、その一節。
「反訴被告吉田は,日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註?渡辺喜美)を応援するために,大金(註?8億円)を貸し付けたのであって,政治を金で買うなどという気持ちなど微塵もなかった。当該貸付について,いろいろな意見を言うのはよいとしても,このような反訴被告吉田の純粋な思いを踏みにじるような事実無根の過激な罵倒に対して,名誉毀損だと主張して損賠賠償請求訴訟を提起することが違法になる余地など全くない。」
吉田嘉明には、「純粋な思い」があったのに、これを澤藤のブログの記載によって「踏みにじられた」という。澤藤は、「事実無根の過激な罵倒」をしたのだという。まるで私(澤藤)が、年端の行かぬ子どもをいじめているかのごとき言い分。これを、針小棒大とは言わない。誇大妄想と言うほかはない。
「反訴被告ら(註?DHC・吉田嘉明)は,8億円という貸付動機について事実と異なる言動をした者のうち,反訴原告(註?澤藤)のようにあまりにも酷い表現をした者に限定して訴訟提起しているのである。」
吉田嘉明が最も力んで主張しているのは、8億円の「貸付」動機である。吉田嘉明によれば、「日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註?渡辺喜美)を応援するために,大金(註?8億円)を貸し付けた」というのである。
今さら言うまでもないが、吉田嘉明は化粧品とサプリメントを製造販売する会社の経営者として厚労省の規制に服する。ところが、新潮手記の冒頭には、「厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と無邪気に書き連ねているのだ。
並みの文章読解能力を持つ人がこの手記の記載を読めば、吉田嘉明が「国をより良くする」とは「脱官僚」と同義であり、「日本をダメにしている監督官庁の規制をなくすることを意味している」と理解することになる。彼が「国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家を応援するために、8億円もの大金を政治家に渡した」のは、「他の省庁と比べても特別煩わしい厚労省の規制チェックを緩和する」期待を込めてのことと考えざるをえない。彼の手記は、そのように理解を誘導する文章の筋立てとなっているのだ。
「政治家を金で買う」は、もちろん比喩である。8億という政治資金規正法上の手続に隠れた巨額の金を「脱官僚を掲げる政治家」に渡して、官僚による規制の緩和を期待することを、「政治家を金で買う」と比喩したのだ。この比喩を捉えて「事実無根」などということは意味をなさず、およそ反論になっていない。こんなことでの提訴は言いがかりも甚だしく、違法と認定してもらわねばならない。
(2018年1月29日)