澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「あなたは、どこの国の総理か」「被爆者は満腔の怒りを込め、政府に強く抗議します」

本日(8月9日)、長崎原爆忌。
長崎原爆平和祈念俳句大会という催しが続いていて今年が第64回だという。
以下が、その第64回大会の、大賞以下、知事賞、県議会議長賞などの受賞作品。

 雑巾のねぢれて乾く原爆忌(小田恵子)
 空蝉をちちよははよと拾ひけり(山本奈良夫)
 八月の色紙は鶴になりたがる(牛飼瑞栄)
 焦げ臭い地球儀を拭く八月(山田紅蓮)
 浦上のまほらへ母の日傘行く(中川城子)
 八月の影の重さを曳いて老い(谷川彰啓)
 家中に昭和が歩いている八月(坂田正晴)
 できるコトは祈りだけです原爆忌(相川文子)
 長崎の傷痕のごと曼珠沙華(山本奈良夫)
 オバマ氏の鶴の飛び翔つ朱夏の天(草野悠紀子)
 戦争の卵ぷかぷか春の海(福島露子)

72年前の今日午前11時2分。市民の頭上で2発目の原子爆弾が炸裂した。その惨劇から72年。怒りのヒロシマ、祈りのナガサキと言われるが、もちろん長崎にも怒りは渦巻いている。

本日長崎市の平和公園で開かれた平和祈念式典での、田上富久市長の平和宣言は、今年7月国連総会本会議が採択した核兵器禁止条約への言及に多くの時間を割いた。被爆地の市長として、「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎するとともに、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と痛烈に批判した。

その部分は、以下のとおりである。
「ノーモア ヒバクシャ」 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。
 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにもかかわらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

なんとよく練られた、条理にあふれた宣言文ではないか。この訴えに対して、日本政府の首相は、何も答えない。6日広島で、そして今日長崎で批判されたにもかかわらず、である。言い訳はこうだ。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ(官邸ホームページから)
 真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。

共同通信が伝えるところでは、「安倍晋三首相は長崎市で開かれた『原爆犠牲者慰霊平和祈念式典』後に記者会見をし、国連で7月に採択された核兵器禁止条約に加わらない理由として『核兵器国の参加が不可欠だ。我が国のアプローチと異なることから署名、批准することはない』などと話した。」という。

被爆者ならずとも、怒らずにはおられない。被爆者の怒りの激しさ深さは、はかり知れない。

朝日(電子版)は、「長崎の被爆者、首相に『どこの国の総理か』 核禁条約で」と伝えている。以下の記事。

 「あなたはどこの国の総理ですか。私たちをあなたは見捨てるのですか」
 9日午後、長崎市で被爆者代表の要望を首相らが聞く会合があった。冒頭、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(77)は首相に要望書を渡す前に強い口調で言った。
 米国の「核の傘」に依存し、条約に冷淡な首相には面と向かってただしたかった。要望書は長崎の被爆者5団体がまとめたが、『(条約採択の場に)唯一の戦争被爆国である我が国の代表の姿が見えなかったことは極めて残念です。私たち長崎の被爆者は満腔の怒りを込め、政府に対し強く抗議します』と記した。

被爆者だけではない。国民こぞって、満腔の怒りを込め、政府に対し、安倍晋三首相に対して強く抗議しよう。「いったい、あなたはどこの国の総理なのか」「被爆者とともに満腔の怒りを込め、政府に強く抗議します」と。
(2017年8月9日)

「核廃絶を求める良心の勢力」と「核保有に固執する勢力」との対峙の構図

1945年8月6日午前8時15分。広島に投下された原子爆弾が炸裂したその時刻こそが人類史を二つに分ける瞬間となった。人類史上最大の衝撃の事件。悲惨きわまりない大量殺戮というだけではない。人類は、核エネルギーという、自らを滅ぼすに足りる手段を獲得したことを自らに証明したのだ。

以来72年。人類は、自らを滅ぼしてなお余りある手段を獲得したことを十分に自覚しているだろうか。人類は、自らを滅ぼすに足りる手段を「絶対悪」としてその廃絶に展望を見出しているだろうか。残念ながら、その答は「否」である。

世界の主要国は、自国の核は自衛のための核、自国の核保有は平和を維持するために必要という立場を捨てず、核の保有だけでなく戦術化に余念がない。

それでも、人類の良心は核兵器の廃絶に真摯な努力を傾け続けており、希望は見える。その希望の灯の一つが、本年(2017年)7月7日国連総会において122か国・地域の賛成多数により採択された核兵器禁止条約(「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」)である。

周知のとおり、主要な核保有国は不参加。アメリカの核の傘の下にある被爆国日本も、不参加となっている。一方に、「核保有に固執する少数派の大国とその従属国連合」があり、これに「核廃絶を求める良心多数派諸国」が対峙する構図ができあがっている。

核廃絶実現の課題は、この条約をどう実効あらしめるかにかかっている。核廃絶を求める国際世論をさらに大きくして、「核保有に固執する少数派大国とその従属国」を押し込まなければならない。日本国民の役割は、極めて重要である。

本日、その対峙の構造が国民の目に見えるものとなった。

原爆投下から72年目の「原爆の日」。広島市の平和記念公園では、午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。松井一実市長の平和宣言は、明確に核兵器禁止条約を評価し、これに与しない日本政府を批判するものとなった。対して、安倍首相挨拶はこの課題への直接の言及を避け、見苦しい努力放棄の言い訳逃げることで、「核保有に固執する少数派大国とその従属国」の立場を堅持するものとなった。

松井市長は、平和宣言で改めて核兵器を「絶対悪」と強調。「核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です」「絶対悪である核兵器の使用は人類として決して許されない行為であり、核保有は人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎない」と批判した。それだけでなく、集会参加の安倍首相の目の前で、日本国憲法の条文を引用して憲法が掲げる平和主義を体現して各国に条約締結を促すよう要求し、米国の「核の傘」に依存し条約採択に参加しなかった日本政府に対し、条約の締結促進を目指して「核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう」具体的な課題を突きつけた。

松井一実市長自身が、本年6月、国連本部で始まった核兵器禁止条約の第2回交渉会議に出席し、「条約草案は被爆者の苦しみや願いをきちんと受け止め、言及していることを心から歓迎する」と述べているのだ。これに対して、「唯一の被爆国」を自称する日本政府は、この条約の締結には最初から冷淡で議論への参加もしていない。

松井市長に続いてあいさつした安倍晋三首相は、条約に言及しないことで「核保有に固執する少数派の大国とその従属国連合」の立場に立つことをあらめて明確にした。「核廃絶を求める国際的多数派諸国」の良心に背を向けたといってもよい。

ひるがえって思う。どうしてこんな人物が、平和憲法をもつ日本の首相でいられるのだろうか。本当に日本の民主主義は機能しているのだろうか。
(2017年8月6日)

今の日本は、世界の良識に反人権・反国際協調の国と映っている。

野蛮なトランプが、パリ協定からのアメリカ離脱を表明した。この歴史的愚行の傷は深い。「愚かなアメリカ」「手前勝手なアメリカ」「国際倫理をわきまえぬアメリカ」「ごろつきアメリカ」の刻印が深い。かつてのアメリカの威信回復は、もはや不可能かも知れない。あんな大統領を選出した、アメリカの「デモクラシー」の質が問われている。さて、振り返って日本はどうだろうか。こんな首相を権力の座から引き下ろすことのできない日本の「民主主義」は、アメリカと兄たりがたく弟たりがたい。

アベ政権は、参勤交代よろしく発足直後のトランプに擦り寄って、アメリカとの価値観の共有を強調して見せた。なるほど、野蛮で知性に乏しい、似た者同士。さて今後、両者の関係はどうなることやら。

「デンデンのアベ」に代わって、「ミゾユウのアソウ」が、えらそうにコメントした。
「もともと国際連盟をつくったのはどこだったか。アメリカがつくった。それでどこが入らなかったのか。アメリカですよ。その程度の国だということですよ。」

「この程度の政権」の副総理であるアソウによる、「その程度の国」への批判の言。だが、忘れてはならない。1933年3月、国際連盟脱退という愚挙を犯して国際的孤立化への道を歩んだのが、ほかならぬ日本だった。その程度の国だったのだ。

そしていま、日本は確実に国連との軋轢を拡大しつつある。世界の良識に背を向けつつあることにおいて、連盟脱退の時代に似て来たのではないか。これ以上再びの孤立化への危険な道を歩んではならない。

まずは、シチリア島におけるアベとアントニオ・グテーレス国連事務総長との懇談内容公表問題。日本側の公表内容を国連報道官側が否定した。国連側に、日本の公表内容は我田引水に過ぎるとのニュアンスが感じられる。問題となったテーマは、極めて重要な2点。「慰安婦問題に関する日韓合意評価」と、「『共謀罪』への懸念を表明した国連特別報告者の地位」に関するもの。

アベも、自分の都合のよいことについては、国連の権威を利用したいのだ。そこで、「安倍総理から慰安婦問題に関する日韓合意につき,その実施の重要性を指摘したところ,先方(グテーレス国連事務総長)は,同合意につき賛意を示すとともに,歓迎する旨述べました。」と発表した。しかし、国連側はこれを否定した。「(事務総長は、)慰安婦問題が日韓合意によって解決されるべき問題であることに同意した」が、「事務総長は、特定の合意内容については言及していない」、「問題解決の方向性や内容を決めるのは日韓両国次第だという原則について述べた」だけだという。

また、日本側は「(事務総長は、)人権理事会の特別報告者は、国連とは別の個人の資格で活動しており、その主張は、必ずしも国連の総意を反映するものではない旨述べました。」と発表した。しかし国連側は、「事務総長は安倍首相に対し、(人権理事会の特別報告者とは、)国連人権理事会に直接報告する独立した専門家であると述べた」という。

日本側は、反論しているようだが、無駄だし無意味だ。懇談の席でどう話されたのかが問題ではない。いま、オープンな場で、事務総長が日本側の公表内容を否定していることが重要なのだ。アベが深追いすれば、みっともなさの傷は深くなるばかり。

次に、デービット・ケイ報告問題。国連人権理事会の特別報告者であるこの人。担当は、表現の自由だ。昨年来日して、日本における言論の自由状況を精力的に調査して、深い懸念を表明した中間報告書を作成している。特定秘密保護法問題、担当大臣の停波発言等報道の自由の萎縮、そして教科書検定のあり方など問題とされた内容は具体的だ。この人の報告に接して襟を正さなければならない政権が、逆ギレしてしまっていることが異常な事態である。

さらに、プライバシー担当のジョセフ・カナタチ特別報告者の共謀罪に関するコメント。首相宛ての書簡が話題を呼んでいるが、政府は自らの姿勢を反省する姿勢はさらさらなく、抗議に及んでいる。国連の言うことなど聞く耳もたないという如くである。

そして、思い起こそう。世界の潮流が反核に動いているこのときに、被爆国日本が、核兵器禁止条約に反対の立場を鮮明にしていることを。日本政府は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明して実行している。国連の圧倒的多数国が、6月15日から7月7日まで、後半の交渉スケジュールで核兵器禁止条約を作り上げる交渉の予定だが、ここに日本政府が姿を見せることはない。

他国から日本政府の行動を見たら、日本は反人権国であり、反国連・反国際協調主義の国柄と映るだろう。そして、原水爆禁止にもまったく熱意のない国であるとも。
世界からこのように見られている日本が共謀罪を成立させれば、そして9条改憲を実現させれば、国際社会は1933年の過ちを再び繰り返す日本を想起することだろう。アベ内閣自身が、そのような「印象」をもたれるよう、せっせと「操作」を積み重ねているのだ。
(2017年6月4日)

肥田舜太郞医師の証言に感動した元裁判官の新聞投稿

昨日(3月29日)の毎日新聞「みんなの広場」欄に、元裁判官・森野俊彦さんの投書が掲載されている。「肥田舜太郎さんの遺志生かせ」という表題。全文を転載させていただく。

「広島原爆で被爆し、医師として被爆者医療に尽力した肥田舜太郎さんが亡くなられた。私は裁判官時代、原爆症認定訴訟に関与し、肥田さんの証言録に接した。自らの被爆体験を出発点として、長きにわたる被爆者の治療経験と、海外の文献研究に基づく証言内容に強い感動を覚えた。

 裁判官退官後、肥田さんの講演会があることを知り、会いに行ったことがある。訴訟に関与した者ですと名乗った私に、肥田さんは「よくぞ会いに来られた」と言われ、私の手を力強く握られた。

 肥田さんはその後も被爆者全員の救済実現のために貴重な提言を続けられた。残念なことに原爆症認定問題は司法判断と行政認定との間の溝が埋まらないままだ。仄聞するところ、被爆者側が相応の歩み寄りを示したものの、国側は従前の認定手法にこだわっているという。原爆投下から70年以上経過した今こそ、肥田さんの言葉に真摯に向き合い、全面的な解決を図るべきではなかろうか。」

森野俊彦さんは、私と司法修習同期生(23期)で裁判官として任官された方。定年退官の後に現在大阪で弁護士をされている。親しい間柄ではないが、身近な懐かしさを覚える。

森野さんのこの投書の動機を忖度してみたい。いま、「忖度」のイメージが悪いから、「考察」でも「推理」でも、あるいは「推測」でも「推量」でもよい。

森野さんは、「裁判官も感動する」ことをみんなに知ってもらいたいと考えたのだろう。少なくとも、「感動する裁判官もいる」ということを。裁判官とて、血の通った生身の人間だ。なかには、熱い血をたぎらした裁判官もいるのだ。投書の内容からすると、森野さんは法廷で直接に、肥田さんの謦咳に接したということではないようだ。他の法廷で作成された「肥田俊太郎証言録」を読んで感動したのだ。民事訴訟では、書証として提出された証言録が法廷で読み上げられることはない。森野さんは、裁判官室であるいは自宅に持ち帰って読みふけったのだろう。

その証言録には、「ヒバク医師肥田舜太郞自らの被爆体験を出発点として、長きにわたる被爆者への治療経験と、海外の文献研究の成果」が記録されており、これが森野裁判官を強く感動させたのだ。

おそらく、森野さんはこう言いたいのだと思う。あるいは知ってほしいのだ。「法廷でのあなたの声に、懸命に耳を傾ける裁判官もいるのですよ」ということを。そして、退官後も、その感動を持ち続け、その感動に基づいて行動し発言する裁判官もいるのだと。

同じ朝刊の紙面に、「高浜原発再稼働へ」「大阪高裁 稼働停止仮処分覆す」の記事が出ている。社会面に、住民サイドの弁護団長として、井戸謙一さんが高裁決定を強く批判している。井戸さんも、元裁判官。金沢地裁の裁判長として担当した事件で、志賀原発2号機運転差し止め認容判決を出したことで知られている。裁判官として原発訴訟を担当し、そのときの知見から反原発の立場をとるようになった。退官後弁護士となってからは、住民サイドでの原発訴訟をライフワークとしておられる。

家永教科書裁判の東京地裁杉本判決(1970年)を起案したことで知られる中平健吉さんも、退官後は著名な人権派弁護士として活躍された。「人間裁判」と言われた、朝日訴訟第一審判決(1960年)を起案した小中信幸裁判官も、退官後は朝日訴訟判決の意義を語り続けた。当事者の熱意は、裁判官を動かし得る。そのような例は、探せばいくらもあるだろう。

森野さんは、私に語りかけているのではないか。「担当裁判官に共鳴し感動してもらえるような、そんな語りかけを工夫した訴訟活動をしなさいよ」「裁判官を味方につけるようでなくては、人権の擁護も憲法の理念尊重も絵に描いた餅」。その忖度、多分当たっていると思う。
(2017年3月30日)

「被爆者である私は、日本政府の姿勢に心が裂ける思いです。」

世の中には、落ちついて耳を傾けると「なるほどそういうことだったのか。よく聞いてみて初めてわかった」と納得できることがある。しかし、その反対に、聞けば聞くほど「さっぱり分からん。やっぱりおかしい」と思うこともある。日本政府の核兵器禁止条約に反対という理屈は、「いくら聞いても分からない」「聞けば聞くほど、やっぱりおかしい」の典型というほかはない。

この日本という国の政府は、確かに私たち日本の国民が作ったはずの政府なのだが、本当はだれの政府なのだろうか、そしてどこを向いているだれのための政府なのだろうか。何とも釈然としない。その思いは、被爆者の熱い訴えと、政府を代表しての軍縮会議代表部大使の冷たいスピーチを対比させるときに、ますます募ることとなる。

ニューヨークの国連本部で、昨日(3月27日)から「核兵器禁止条約」制定に向けての交渉会議が始まっている。核兵器の存在を違法とし、法的に禁止しようという試みである。その会議の冒頭、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を代表して、藤森俊希事務局次長が壇上から訴えた。「1945年8月6日、米軍が広島に投下した原爆に被爆した一人です」と自己紹介してのことである。以下、その内容を抜粋して紹介する。

 被爆者は「ふたたび被爆者をつくるな」と国内外に訴え続けてきました。被爆者のこの訴えが条約に盛り込まれ、世界が核兵器廃絶へ力強く前進することを希望します。

 被爆した時の私は、生後1年4カ月の幼児でした。母に背負われ病院に行く途中、爆心地から2・3キロ地点で母とともに被爆しました。私は、目と鼻と口だけ出して包帯でぐるぐる巻きにされ、やがて死を迎えると見られていました。その私が奇跡的に生き延び、国連で核兵器廃絶を訴える。被爆者の使命を感じます。米軍が広島、長崎に投下した原爆によって、その年の末までに21万人が死亡しました。キノコ雲の下で繰り広げられた生き地獄後も今日3月27日までの2万6166日間、被爆者を苦しめ続けています。

 同じ地獄をどの国のだれにも絶対に再現してはなりません。私の母は、毎年8月6日子どもを集め、涙を流しながら体験を話しました。辛い思いをしてなぜ話すのか母に尋ねたことがあります。母は一言「あんたらを同じ目にあわせとうないからじゃ」と言いました。母の涙は、生き地獄を再現してはならないという母性の叫びだったのだと思います。 

 ねばり強い議論、声明が導き出した結論は「意図的であれ偶発であれ核爆発が起これば、被害は国境を超えて広がり」「どの国、国際機関も救援の術を持たず」「核兵器不使用が人類の利益であり」「核兵器不使用を保証できるのは核兵器廃絶以外にあり得ない」ということでした。多くの被爆者が、万感の思いをもって受け止めました。

 核兵器国と同盟国が核兵器廃絶の条約をつくることに反対しています。世界で唯一の戦争被爆国日本の政府は、この会議の実行を盛り込んだ決議に反対しました。被爆者で日本国民である私は心が裂ける思いで本日を迎えています。しかし、決して落胆していません。会議参加の各国代表、国際機関、市民社会の代表が核兵器を禁止し廃絶する法的拘束力のある条約をつくるため力を注いでいるからです。法的拘束力のある条約を成立させ、発効させるためともに力を尽くしましょう。

核廃絶こそは民意だ。広島・長崎、そして第五福竜丸の悲劇に戦慄した日本国民は、全国民的な規模で原水爆禁止運動を巻き起こし、切実に核兵器のない世界の実現を願い、行動を積み重ねてきた。今回の国連を舞台とした核兵器禁止条約交渉会議も、その成果の一端ではないか。被爆者の発言に表れたこの思いは、日本国民全体のものと言ってよい。

ところが同じ日に、日本政府を代表する立場で、高見沢将林軍縮会議代表部大使は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明する演説をしたのだ。棄権ではない、明確な反対の立場。被爆者の心を逆撫でにし、「心が裂ける」までにすることを承知の上でのことである。

日本政府は、昨年以来このような立場で一貫してきた。その理由とするところに耳を傾けてみるのだが、およそ理解し難い。

「交渉には核軍縮での協力が不可欠な核兵器保有国が加わっておらず、日本が『建設的かつ誠実に参加することは困難』」、「核保有国抜きの禁止条約は実効性がないばかりでなく、『核兵器国と非核兵器国、さらには非核兵器国間の分裂を広げ、核なき世界という共通目標を遠ざける』」あるいは、「核軍縮と安全保障は切り離せない」「禁止条約がつくられたとしても、北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」「実際に核保有国の核兵器が一つも減らなくては意味がない」「日本は核拡散防止条約(NPT)強化や核実験全面禁止条約(CTBT)早期発効に努力する」などなど…。理解可能だろうか。

外務行政のトップである岸田文雄外相(広島一区選出!!)も本日(28日)午前、東京での記者会見で、「我が国の主張を満たすものではないことが明らかになった。日本の考えを述べたうえで今後この交渉に参加しないことにした」「核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう深めるという意味で逆効果にもなりかねない」と弁明したという。さて、はたしてこれも理解できるだろうか。

政府も国民と同じく、核廃絶あるいは核軍縮という目標を共通にしているはずという前提でものを考えるから、理解ができないのかも知れない。「核は、安全保障に有効だから、どこの国にも保有の権利がある。」「核あってこそ平和が保たれるのだから、核あってもよい。いや、核はこの世にあった方がよい」。そう政府が考えているのなら、政府の発言はストンと腹に落ちるのだ。

核保有国が、易々と核兵器違法という条約に賛成するはずはない。いやいやながらも、賛成せざるを得ない条件を作っていくしかない。今回の条約交渉は、そのような努力の一つである。「核保有国が賛成しないから実効性を欠く」「だから反対」では、百年河清を待つに等しい。この日本政府の姿勢では、核兵器の違法化、核廃絶の目標に一歩も進まない。

昨年12月国連総会で、核兵器禁止条約の制定を目指す交渉会議開催が決議された。その決議を受けて、昨日から交渉会議が始まり、日本はこれに不参加の態度をとったのだ。昨年12月決議の提案者となったのは、オーストリアなど核兵器を保有しない50余りの国々。決議での賛否の内訳は、賛成113、反対35、棄権13という票差だった。被爆の歴史をもち今なお被爆者を抱える日本は、提案国にならないばかりか、賛成にもまわらなかった。棄権ですらなく、核廃絶を求める世界の世論に敢えて敵対する立場をとったのだ。日本の政府は、核廃絶を求める国際運動の妨害者として批判されている。

ある被爆者が怒りを込めてこう語っている。
「核保有国に抗議するのではなく、アメリカの側に立って非核保有国と敵対するという恥知らずな姿勢に怒りを感じる。安倍首相は“自主憲法を”といって憲法改定まで主張しているが、どこに自主性があるのか。広島出身の岸田外相は市民の前に出てきて説明すべきだ」

「核兵器禁止条約」制定に向けての交渉会議の前半スケジュールは3月27日から31日まで。その後5月ごろに最初の条約案を作成し、6月15日から7月7日までの後半の交渉スケジュールで条約を作り上げる見通しだという。核保有国や、日本政府の妨害に負けることなく、世界の反核勢力が力強い成果を生み出すことを期待して、見守りたい。
(2017年3月28日)

古稀を迎えた第五福竜丸ー負の遺産忘却の潮流に負けずに

本日(3月12日)は、江東区夢の島で公益財団法人第五福竜丸平和協会の理事会。私は協会の監事として、理事会にも評議員会にも出席する立場。もっとも、私の実務はたいしたことはない。理事・評議員の役員全員が核廃絶の理念に共鳴したボランティア。当然のことのごとく、まったくの無償での活動に頭が下がる。

席上、2016年4月から17年2月まで11か月の第五福竜丸展示館の入場者数が、98,389人と報告された。6年前の東日本大震で入館者数が激減した。いま、震災前までの回復までには至らないものの、ようやく年間入館者数10万人台突破確実の見込みとなった。

関連して、小・中学校の先生たちに、原水禁運動や核廃絶問題についての関心が薄れているのではないかとの議論があった。本当にそうなのだろうか。原発と核兵器との関連や、核拡散問題は大きな社会的関心事となっていると思うのだが。

子供も大人も、多くの人に第五福竜丸展示館に足を運んでいただき、歴史の生き証人である巨大な船体を眺めながら、充実したパネル展示やガイドの説明で、1954年3月1日のできごとの意味をお考えいただきたいと思う。

なお、第五福竜丸展示館の公式ホームページは以下のとおり。
http://d5f.org/

さて、東京都から第五福竜丸展示館運営の委託を受けているのが公益財団法人第五福竜丸平和協会。その協会が、「都立第五福竜丸展示館ニュース 福竜丸だより」を発行している。最新号が、2017年3月1日付の398号(3・4月号)。8頁建ての充実した内容。

今号トップは、「70年を記念して 福竜丸をつくる」という、今年の展示内容の紹介の記事。
「この3月、第五福竜丸は建造から70年を迎えました。
展示館の開館にあたり東京都は『木造船での近海漁業は現在でも行われていますが、当時はこのような船で遠くの海まで漁を求めて行ったのです……遠洋漁業に出ていた木造船を実物によって知っていただく」と展示の趣旨を掲げています。
 70年は、人でいえば古稀です。木造船は本来20年前後の耐用年数ですが、『原水爆による惨事をふたたび起こさないように(都の展示趣旨)』との市民の願いをこめて、本造船の実物の保存が実現したのです。
 今年は木造船・第五福竜丸を発信していく企画展示をすすめます。現在の『この船を知ろう~建造70年の航跡』につづき6月からは、『第五福竜丸・木造船をつくる』(仮称)と題して、どのように船が造られるのかをたどります。建造の地和歌山県古座(串本町)、練習船改修の旧強力造船(三重県伊勢市)などから資料の提供をうけ、船大工、研究者の協力で船造りの工程や船大工の技、大工道具などを展示します。
          *
 「福竜丸だより」は来る7月号で400号を迎えます。展示館開館時の「福竜丸ニュース」「平和協会ニュース」に代わり1978年4月に「都立第五福竜丸展示館ニュース」を冠して刊行されました。福竜丸と来館者、展示館の模様や協会の取り組みをたどる貴重な積み重ねの記録です。今号は、「3・1ビキニ記念のつどい」でのフランスの核実験と被害について、講演録を収録。これからも皆さんと第五福竜丸をつなぐ「たより」として編集したいと思います。

その「たより」7頁に、「ワシントンからの通信(1)」が掲載されている。連載第1回のタイトルが「オバマの広島訪問と謝罪問題」。執筆者名は、私には馴染みのない、樋口敏広という方。肩書に、「ジョージタウン大学外交学院助教」とある。若い人なのだろう。

ジョージタウン大学といえば、著名な私立大学。ビル・クリントンの卒業校であり、現在「下院議員16名及び、上院議員6名が同大学の卒業生」だとのこと。とりわけ、外交関係への影響は飛び抜けて大きいようだ。

その大学の学生、つまり「将来のアメリカ外交を担う若者」の核に対する意識についての報告が興味深い。

「昨年5月27日、バラク・オバマが現職の米国大統領として初めて公式に広島を訪問した。当時、アメリカでは国論を二分する大統領選が行われていたが、主要政党とメディアはこの訪問を好意的に評価した。しかし、それは主に日米和解の証として捉えられ、原爆投下に対する謝罪の必要性が正面から論じられることは皆無であった。オバマの広島訪問の「成功」は、むしろ原爆投下に関するアメリカの『神話』、すなわち原爆が終戦をもたらし、現在の日米友好につながったとの通説を一層強化したと言えよう。
では、将来のアメリカ外交を担う若者は原爆投下をめぐる歴史と記憶をどのように考えているのか。昨秋、私は大学一年生向けのゼミでオバマの広島訪問をとりあげた。驚いたことに多くの学生は謝罪問題を原爆投下の必要性や人道的影響といった従来の論点だけでなく、加害者としての歴史を否定する現在の世界的な潮流の一環として論じていた。ある学生は、日米両国が負の遺産を常に直視し謝罪し続けない限り、加害と犠牲の上に成りたっている自国を盲目的に肯定する思想が若者の間で台頭する、とその危険を指摘した。
 事実、アメリカでも先住民征服と奴隷制の過去と現在まで続く構造的暴力の存在を忘却し、自国を無条件に礼賛する歴史修正主義が高まっている。アメリカの多様性の象徴として登場したオバマ大統領が原爆投下に対する謝罪を避けることで国民統合を図ったとすれば、それは誠に皮肉だと言えよう。
負の遺産を否定し忘却しようとする動きが国内外で強まる中、その遺産をどのように展示し継承するかは、第五福竜丸展示館をはじめとする各資料館に共通する課題ではなかろうか。(ひぐちとしひろ ジョージタウン大学外交学院助教)」

短い文章だが、歴史修正主義蔓延の指摘だけでなく、その克服の希望をも語っている点で読み応えを感じさせ、連載2回目以後が楽しみではないか。

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(2017年3月12日)

学術・科学の分野におけるアベ政権との対峙

昨日(3月7日)、日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」が、「軍事的安全保障研究に関する声明(案)」をとりまとめて発表した。その全文を、末尾に掲載する。この案は、3月24日の学術会議幹事会での議論を経て、4月13日から開かれる総会で確定するものと見られている。

このような声明案が検討されるきっかけは、アベ政権の軍事大国化政策である。具体的には、2015年度に防衛省が創設した「安全保障技術研究推進制度」である。初年度3億円の予算規模で始まり17年度には110億円に膨張して話題と憤激を呼んだあの制度。研究者を金で締め上げ、政権に身をすり寄せる矜持のない者についてだけ、紐付きの研究費を恵んでやろうという発想である。

学術会議は、この防衛省の紐付き研究資金公募制度開始を機に、新たな声明案作成の作業に着手した。当初は、学術会議の方針が軍事研究容認に傾くのではないかと懸念されたが、結局はアベ政権のこの卑劣な手口にたいする科学者集団の危機感が、今回の声明案に結実したと言ってよい。その内容を吟味してみたい。

日本学術会議は、1948年7月公布の日本学術会議法に基づいて、1949年1月に設立された公法人である。同法は前文を持ち、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」と宣言している。教育基本法などと並んで、戦後民主主義の息吹にあふれたもの。平和憲法の学術科学版でもある。

人間に幸福をもたらすはずの科学が、いびつな発達を遂げて、数多くの残虐な兵器をつくり出した。1945年8月6日の広島で明らかにされたとおり、人類は遂に人類自身を消滅させるに足りる科学力を手にしたのだ。間違った科学は人類を破滅させる。

学術会議は、1950年4月の総会で、科学者が戦争に協力した戦前の反省に立って法の目的を具現すべく、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を総会で決議している。その決意のみずみずしさが今読む者の胸を打つ。「科学者としての節操」の言葉が輝いている。

  戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)
 日本学術会議は,1949年1月,その創立にあたって,これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学文化国家,世界平和の礎たらしめようとする固い決意を内外に表明した。
  われわれは,文化国家の建設者として,はたまた世界平和の使徒として,再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに,さきの声明を実現し,科学者としての節操を守るためにも,戦争を目的とする科学の研究には,今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する。
  昭和25年4月28日 日本学術会議第6回総会

学術会議は、さらに重ねて67年の総会でも下記の声明を出している。今こそ、読んで噛みしめるべき内容ではないか。

   軍事目的のための科学研究を行わない声明
 われわれ科学者は、真理の探究をもって自らの使命とし、その成果が人類の福祉増進のため役立つことを強く願望している。しかし、現在は、科学者自身の意図の如何に拘らず科学の成果が戦争に役立たされる危険性を常に内蔵している。その故に科学者は自らの研究を遂行するに当って、絶えずこのことについて戒心することが要請される。
 今やわれわれを取りまぐ情勢は極めてきびしい。科学以外の力にょって、科学の正しい発展が阻害される危険性が常にわれわれの周辺に存在する。近時、米国陸軍極東研究開発局よりの半導体国際会議やその他の個別研究者に対する研究費の援助等の諸問題を契機として、われわれはこの点に深く思いを致し、決意を新らたにしなければならない情勢に直面している。既に日本学術会議は、上記国際会議後援の責任を痛感して、会長声明を行った。
 ここにわれわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を声明する。
 昭和42年10月20日第49回総会

以上の理念が、長く日本の科学者の倫理と節操のスタンダードとされ、これに則って大学や公的研究機関の研究者は軍事研究とは一線を画してきた。当然のことながら、日本国憲法の平和主義と琴瑟相和するもの。ところが、いま、この科学者のスタンダードに揺るぎが生じている。言うまでもなく、アベ政権の平和憲法への攻撃と軌を一にするものである。

問題は深刻な研究費不足であるという。政権や防衛省が紐をつけた軍事研究には、予算がつく。アベ政権の平和崩しは、ここでもかくも露骨なのだ。

さらに大きな問題は、大西隆現会長ら政権に近い筋が、「1950年、67年の声明の時代とは環境条件が異なって専守防衛が国是となっているのだから、自衛のための軍事研究は許容されるべき」「デュアルユースなら許されてよい」などと発言していることだ。

「デュアルユース」とは、技術研究を「民生用」と「軍事用」に分類し、「軍事用研究」も「民生」に役立つ範囲でなら許容されるというもの。ところが、「軍事用研究」の中に「専守防衛技術」というカテゴリを作ると、「専守防衛のための軍事技術は国是として許容されるのだから、民生に役立つかどうかを検討するまでもない」となる。結局は限りなく、許容される軍事技術の研究分野を広げることになる。

そのような経過で、今軍事と科学の関係に関する、3番目の声明案がとりまとめられたのだ。この声明案は、学術会議が1950年と67年に出した過去の2声明にについて、「科学者コミュニティーの戦争協力への反省と再び同様の事態が生じることへの懸念があった」と指摘のうえ、「軍事的安全保障研究」は学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあるとして、過去の「2つの声明を継承する」と明記した。

私は、学術会議が科学者の総意をこの内容の声明案に結実させたことを高く評価したい。過去の二つの声明の継承を明記した上、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)を、名指しで批判している。今後は、この声明の精神を具体化していくこととなろう。

ここにも重要なアベ政権との対峙の運動がある。
(2017年3月8日)
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       軍事的安全保障研究に関する声明(案)
日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究が学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。
 科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政府によって制約されたり動員されたりしがちであるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性が担保されなければならない。軍事的安全保障研究では、研究の期間内および期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
 防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多い。むしろ必要なのは、科学者の自主性・自律性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。
 研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる。大学等の各研究機関は、施設・情報・知的財産等の管理責任を有し、自由な研究・教育環境を維持する責任を負うことから、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである。学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる。
 研究の適切性をめぐっては、学術的な蓄積にもとづいて、科学者コミュニティにおいて一定の共通認識が形成される必要があり、個々の科学者はもとより、各研究機関、各分野の学協会、そして科学者コミュニティ全体が考え続けて行かなければならない。科学者を代表する機関としての日本学術会議は、そうした議論に資する知見を提供すべく、今後も率先して検討を進めて行く。

核をもてあそぶ者の言い分と思惑

今宵は、クリスマスイブ。キリスト教世界だけではなく、全人類が平和というプレゼントを待ち望んでいる。しかし、いま世界は憎悪と諍いに満ちている。「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という詩人の直感のとおり、この世に平和がない限り、人々の幸福の実現はない。その平和は、いま急速に遠のいている印象が強い。とりわけ、核という絶対悪が、存在感を増している。各国為政者それぞれの愚かな言い分が、もしかしたら世界を破滅に追いやるかも知れないのだ。

☆まずは、愚かなトランプ(次期米大統領)の言い分はこんなところだ。

 「世界は、あるべき核に関する良識を持ち合わせていない。核に関する良識が世界に浸透するいつの日か先の先まで、米国は核能力を大いに強化・拡大しなければならない。

 世界の現状を冷静に見つめれば、核が不要な時代は遠い先のことだ。前任のオバマは、就任早々プラハ演説で『核なき世界』を掲げたが愚かなことだ。さらに任期切れ間近になって、被爆地・広島を訪問して核軍縮を訴えたが、そんなことが平和にも米国の安全にもつがりはしない。私は同じ愚を繰り返すことはしない。

 何よりも優先すべきは米国の安全だ。そのためには、核能力の強化・拡大が不可欠なことは分かりきったこと。民主党政権が安閑としている内に、ロシアに比較して米国の核開発計画は後れをとっているではないか。これはよいことではない。米政府はこうしたことを許すべきではない。核軍拡でロシアに後れをとってはならない。

 ロシアは、米国のミサイル防衛(MD)システムによって迎撃されない核ミサイルの開発・配備を進める考えを強調しているではないか。それなら、米国は、ミサイル防衛(MD)システムをより高度なものとし、ロシアのミサイル防衛システムによって迎撃されない核ミサイルの開発・配備を進めなければならない。

 そのような発想は、止めどのない核軍拡の競争を招くという批判もあるが、軍拡競争になってもいいじゃないか。米国は、どんな国にも核能力強化競争で負けることはない。どんな局面でも必ず優位に立って見せる。以上が、一昨日(12月22日)のツィッターと昨日(23日)MSNBCニュース番組で私が語ったことのあらましだ。

 もっとも、大きな声では言えないが、核軍拡の理由は実はそれだけじゃない。核開発も、核兵器運搬手段の製造も、米国の巨大重要産業だ。核軍縮は景気の後退と失業の増大をもたらす。仮想敵国との緊張はなくてはならないし、テロの脅威が持続することも大切だ。私が大統領でいる限り、国内経済を活性化するために、核軍拡はどうしても必要な政策なのだ。」

☆あの油断ならぬプーチンの言い分はこんなところだ。

 「ロシアは飽くまでも平和を願う立場だ。世界最強の米軍と争う考えはない。だから、自国の資産を費やす軍拡に引き込まれるような愚かなことはしない。アメリカの次期政権と友好的な関係を築くことも大歓迎だ。

しかし、現実の米ロ関係は甘いものではない。アメリカとの軍拡競争は、何もいま始まったことではなく、MD整備のために米国がABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約から離脱した2002年からのことで、全面的にアメリカに責任がある。

そのような現実を踏まえれば、自国の防衛のためには安閑としてはおられない。一昨日(12月22日)、「戦略核の3本柱の強化」を命じたところだ。3本柱とは、ロシアの核戦力を新しいレベルに引き上げる必要性に応えるための、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、戦略爆撃機、核搭載原子力潜水艦による核攻撃手段のことだ。米国が配備を進めているミサイル防衛(MD)システムに対抗するための措置であり、このわれわれのシステムは、米国主導のMDよりはるかに効果的なのだ。

アメリカがMDを整備すれば、ロシアはこれを破る核攻撃力を構築する。アメリカのMDが進歩すれば、こちらもかならずさらに進歩して打ち負かす。アメリカは核能力の開発競争ではどこにも負けないと言っているか、ロシアも負けてはおられないのだ。だから、核軍拡競争の泥沼に陥りたくはないが、どうなるかはアメリカ次第だ。」

☆冷戦の負の遺産として、米ロ両国は今も多数(米9000余、ロ13000)の核弾頭保有を公言している。外務省のホームページには、2001年12月現在のSTART Iに基づく義務履行完了時点で、米国の戦略核弾頭保有数は5949発、ロシアは5518発であるという。そこから、核軍縮の進展が止まっている。

両国ともに、自国の安全のために、相手国に対抗せざるを得ないという「理屈」を振りかざしている。両国ともに、相手国を上回る「戦略核兵器の戦闘能力増強」なければ、自国の防衛は危ういという。これでは、永久核軍拡路線のスパイラルを抜け出すことができない。まさしく、核のボタンを握る大国の為政者が、正気を失っている事態だ。

米ロ両国に限らない。5大国(米・ロ・英・仏・中)が同じ理屈だ。イスラエルも、北朝鮮も、インド・パキスタンも同様だ。それぞれの国の為政者が、「邪悪な敵からの自国の安全を守る」として、核をもてあそんでいる。しかも、唐突な核をめぐる米ロ両大国首脳の危険な発言。

さて、クリスマスイブである。神を信じる者は、核なき世界の実現を祈るがよい。神を信じぬ者は、反核の世形成を決意するしかない。
(2016年12月24日)

池田眞規さんを悼む

池田眞規さんが亡くなられた。11月13日のこと。本日(11月16日)が通夜。明日告別式がある。享年88。つい最近まで、そんなお歳とは見えない壮健な活躍ぶりだった。そして常に明るく、周囲を励ます人でもあった。今は、ご冥福を祈るばかり。

以前、事務局長・会長を務めた日本反核法律家協会の機関誌、「反核法律家」に「人生こぼれ話」を連載しておられた。昨年秋号に、その第6話「忘れっぽい人間に原爆の記憶の継承は大丈夫でしょうか?」が掲載されている。

その冒頭の文章が次のとおり。
「個々の『人の死』は相続によって継承されます。しかし、『人類の死』には相続はありません。核兵器を造った少数の人間、戦争の開始を決定した少数の人間、戦争の開始を阻止しなかった多数の人間、これらの人間の仕業の総仕上げが核戦争です。
核戦争になると『人の種』は地球上から消えてなくなります。その結果に至るすべてが人間の仕業である以上、人間の判断で『核兵器も戦争もない世界』を実現することは可能なはずです。だがそれは容易ではありません。何故なら、原爆被害の忘却、核による巨大な利得、核大国米国の軍事基地など、大きな障害があるからです。」

この文章は、続いて親鸞と浄土真宗の歴史を教訓として、「闘い続けることによる原爆の記憶の承継」を論じている。本論はともかく、『個々の人の死』と『人類の死』とを対比して、前者の扱いが、あまりに淡泊な印象を受ける。この頃、眞規さんは既に「自分の死」を予期し、受容していたのだろうか。自分の死は受容しえても、『原水爆による人類の死』を受け容れがたいとする池田さんの思いを、私も相続し継承しなければらないと思う。

眞規さんとの最初の出会いは、私が司法修習生になったばかりのころ。同期で作る青年法律家協会の企画として、何人かの先輩弁護士を呼んで、弁護士の生きがいやあり方などを語ってもらった。その中の一人として、まだ弁護士になって日の浅い眞規さんがいた。

長沼や百里の経験を聞きたいとしてお呼びしたものだが、その点のお話しの印象はない。眞規さんは、あの独特の語り口で、冒頭にこう言った。「弁護士とは、資本という汚物にたかるギンバエである」。どぎつい言い方が印象的だが、弁護士の卵たちに対して、「弁護士としての理念をもて」「理念なき弁護士は、自ずと資本の手先になりさがる」「弁護士という存在は客観的にそういうものだ」「意識的に自分を律することなければ、流されてしまうぞ」という警告と受けとめた。その後、私も弁護士となって、眞規さんの後輩として「プライド捨てたギンバエ」にはならぬよう、気をつけながら歩み始めた。

私が弁護士になって20年目。1991年に湾岸戦争が起きた。日本政府(海部内閣)は、戦地に掃海部隊を派遣し、90億ドル(1兆2000億円)の戦費を支出しようとした。平和的生存権と納税者基本権を根拠に、これを差し止めようと「ピースナウ・市民平和訴訟」と名付けた集団訴訟が実現した。東京では1100人を超える人々が原告となり、80名ほどの弁護団が結成された。私が弁護団事務局長を務め、団長は正式に置かなかったが、明らかに眞規さんが「団長格」だった。

東京地裁に訴状提出後、担当裁判長(後に最高裁裁判官となった涌井紀夫判事)から 「訴状に貼付すべき印紙が不足しているのではないか。原告弁護団の手数料計算方法に疑義がある」という指摘を受けた。裁判所の考え方を文書で示していただきたいと要望したところ、ファクスが届いた。これがなんとも素敵なものだった。

本件の係争にかかる経済的利益を差し止め対象の支出金額である1兆2000億円とし、これを訴額として1人あたりの手数料を算出して、 原告の人数を乗ずるという算定をすべきだという。

驚くなかれ、この算定方法では訴状に貼付すべき印紙額は3兆4000億円(当時の司法総予算の15年分)になる。 最高額の印紙(10万円)で貼付して、東京ドームの天井にも貼りきれない。

私と眞規さんとで、手を叩いて喜んだ。さっそく記者会見を開き、これは当時格好の話題となった。それまで、この訴訟に目もくれなかったすべてのマスメディアが、俄然注目し社説を書いた。天声人語も、余録も取り上げた。

その時の眞規さんの思い出はそれだけではない。眞規さんは、自ら書証の整理担当をかって出た。第1回期日以前に、1000点を超える甲号証を整理して提出している。本来なら事務局長の私の仕事なのだが、眞規さんの仕事にのめり込む姿勢に驚いた記憶が鮮明である。

もう一つ。下記は「法と民主主義」2003年11月号に掲載された、佐藤むつみ編集長の「とっておきの一枚」という連続インタビュー、池田眞規さんの巻である。「楽しきコスモポリタン 憲法九条を連れて」と標題されている。
ご供養に、この記事を引用させていただく。

 池田先生は弁護士になって四〇年。この一〇年が一番充実した楽しい仕事が出来たという。弁護士になるまで病気をしたり風早八十二先生の事務所を手伝っていたりちょっと寄り道をして、一八期、七五才になる。ここ二〇年、先生は全然年を取らず髪も真っ黒。アジア集団安全保障共同体構想を語る時、コスタリカのことを語る時、ほとばしる思いが凛々と伝わってくる。独特のテンポののんびりとした口調にだまされてはいけない。人を食ったような語り口は昔のNHKの子ども番組「チロリン村とクルミの木」の渋柿じいさんみたいだ。素朴な土のにおいが濃厚にする。
 私の事務所は東京四谷、池田先生とは同じご町内。時々ばったりとお会いする。これがただじゃすまない。コスタリカに行く前の日に会った時など「コスタリカはすごいよ。あんたも行きなさい。あんな小さな国が戦争放棄してるんだ。俺たちも学ばなくちゃ。」と遠足に行く前の子どもみたいである。うれしいな、うれしいな。アジア集団安全保障構想の話しの時は悲劇だった。遅れた昼食を取っているとそこに現れた池田先生「ふっふっ」と私のテーブルにくる。「朝鮮半島と日本と中国が共同体を作る。みんな非核宣言をする。俺は昔からこう言ってたんだ。あんたはどう思う。」私はご飯が食べたいの。どう思うって言われたってね。いい加減に聞いていると「あんたもう俺の話を聞きたくなくなったな」とギロリと威嚇する。これで嫌われたかなと思っていたら本人はすっかり忘れている。
 池田眞規先生は一九二八年に韓国の大邱で生まれ釜山で育った。兄一人姉三人の末の次男坊である。父佐忠は天草出身の事業家で釜山の港湾建設事業を取り仕切っていた。豪放磊落な自由人で目端の利く面白い人物だった。メキシコから石油を輸入しようとしたり、蔚山(ウルサン)と山口県の油谷町に港を作り新航路開発事業を計画したり、何とも闊達である。山本五十六連合艦隊司令官とお友達で、真珠湾攻撃の前日、旗艦長門から山本が書いた書を送ってもらたりしている。
 マキちゃんは小さいとき引っ込み思案の少年で、たまにしか会わない父親に恥ずかしくてあいさつもできなかった。中学四年終戦間近の三月、マキちゃんは明治大学付属の専門学校造船科に進むために最後の関釜連絡船に乗って上京。東京は大空襲で焼け野原だった。八月玉音放送を聞く。何のことだかわからなかった。教授が泣くのをみて負けたんだと思った。翌日丸の内の交通公社で釜山行きの切符を手に入れマキちゃんはさっさと学校をやめ釜山に帰ってしまう。仙崎から出る船に予科練の制服借りて復員兵になりすまして乗船、無事帰宅。「まさちゃんが帰ってきた」みんなびっくりした。
 マキちゃん一七才。コルト六連発を尻ポケットに突込んで毎日デモをみたり、引揚日本人の世話会長だった父親の仕事を手伝ったりしていた。一一月父親がCIAにつかまる。アメリカ軍にワイロを渡して日本人を守ってくれと接待した容疑。二四時間以内の追放命令、身の回りのものをリックにつめてすぐに引き揚げ船に乗った。油谷町の広大な土地でマキちゃんは農業でもしようと思っていた。ところが「バカでも入れる学校がある」と従兄弟から勧められ「まさ、行ってこい」の父の一声でマキ青年は熊本語学専門学校に入学。そこでマキ青年は東洋哲学の俊英玉城康四郎先生に出会い、哲学を学ぶ。一年結核で休み四年かかって専門学校を卒業、また従兄弟に勧められ九州大学に進学することとなる。
 五〇年マキ青年は九州大学法学部に入学する。入学したらあまりに授業がつまらなくてやめようかと思ったが、法律学科から政治学科に移り何とか留まった。そしてマキ青年は左翼の洗礼を受け学生運動に邁進する。ところが結核が再発、中野の組合病院で手術を受けることになる。大学は取れていた単位で五三年に卒業した。父親も死亡し経済的にも大変な療養生活だったが、マキ青年はどんなときにも落ち込まない。今もそうである。ものにこだわらない楽天性は父親譲りである。
 病院を退院した時、風早事務所で事務員を募集しているから行ってみたらと進められる。行ってみると風早先生は九州大学の恩師具島兼三郎先生の師であった。人生の巡り合わせは不思議なもの。池田青年に「君は弁護士になってわしの手伝いをしろ」と風早先生の命。風早事務所で弁護修習、六六年から弁護士となる。風早事務所の大番頭として約一五年間、勤める。
 弁護士になると、何も知らずにうっかりと「地獄の百里弁護団」に入り、事務局を押しつけられ、これを二〇年勤める。訴訟活動はもちろん大衆的裁判闘争の運動を引っ張る要でもあった。池田先生は「生きた憲法九条の平和の思想」を百里の農民の地をはう戦いのなかで血肉とする。土の匂いはここから生まれたのかも知れない。
 百里裁判と平行して、日本被団協に押しかけて、「被爆者の望むことは、何でもやります」と誓うそそっかしさ。原爆を裁く国民法廷運動も楽しくやり、一九八九年には国際反核法律家協会のハーグでの創立総会に参加。日本での反核法律家運動にも関わるようになる。九一年に国際反核法律家協会(IALANA)の呼びかけで始まった「世界法廷運動」が日本では国民的な大運動となり、九六年国際司法裁判所のすばらしい「勧告的意見」に結実。九九年ハーグ市民社会会議に参加し、その平和アピールでは公正な世界秩序のための第一原則として「各国議会は、日本国憲法第九条のような、政府が戦争を禁止する決議を採択すべき」とまで言わしめたのである。
 しかし国内では憲法九条は改悪の危機。二〇〇〇年池田先生らは軍隊を捨てた国コスタリカに出かけるのである。名カメラマン池田先生が撮った軍隊廃止を宣言した亡フィゲーレス大統領夫人のカレン女史の写真がある。とてもいい。先生とカレン女史との関係がそこに出ている。日本にお客様を呼ぶとき池田先生は成田に迎えに行き日本にいる間中一緒に行動する。そして成田まで送る。この熱い心を「幸せはささやかなるを極上とする」妻ゆきさんがかたわらで支えているのである。
 「ボクは人にいつも恵まれるの。すばらしい人が現れて運動を支えてくれる。すごいよ」

池田眞規
1928年 韓国大邱に生まれる
1953年 九州大学法学部卒業
1966年 弁護士登録・百里裁判・被爆者運動に没頭。
1990年 日本反核法律家協会初代事務局長。
2016年 逝去(惜しまれつつ)

(2016年11月16日)

似た者同士、トランプ・アベの「日本核武装化新時代?」

敬愛するドナルド・トランプ次期大統領閣下。
貴国の従属的同盟国の総理・アベでございます。

大統領選の結果判明のその瞬間まで、私ども官邸は閣下を当選の見込みない泡沫と決めこんで、貴国の次期大統領はヒラリー・クリントン氏と予定した行動をとっておりました。これは、ワタクシの無能な部下の愚行とご寛恕いただきたく、非礼をお詫びするための拝謁の機会を得たくご連絡するとともに、併せて厳粛に属国並みの忠誠を誓約申しあげます。

思えば、ワタクシと閣下とは、人種差別の心情や反知性の粗暴な人格において、また反リベラルの右翼思想においても、排外的なナショナリストとしても、似た者同士と申しあげてよろしいかと存じ、僭越ではありますが、頗る親近感をいだいております。ホンネのところで、これほどぴったりと価値観を共有する同盟国の首脳は他にないとの思いを強くしているところでございます。

閣下同様ワタクシも、従来の保守・中道政権が国民から飽きられたことを奇貨として、右翼を基盤に政権を獲得したのでございます。政権の支持基盤が極端に右傾化しましたから、ワタクシもリベラル派からは悪評噴出して「私の首相ではない」「私たちの政権ではない」「アベ政治を許さない」と悪評さくさく、反発は今なお根強いところでございます。とりわけ、ワタクシの政権になって以来、ヘイトスピーチ・ヘイトデモ・ヘイトクライムが、社会に蔓延いたしました。これも、閣下の場合と兄弟相和するものとして、親近感を強くする所以のひとつなのでございます。

そのような思いから、属国の身をかえりみず、多少はお役に立つべきことを申しあげたいと存じます。

今、閣下は、合衆国大統領への就任を目前として頗る緊張のご様子とお見受けいたします。しかし、ナニ、ご心配には及びません。ワタクシごときに日本国首相が務まるのです。文字通り浅学非才、人格低劣、政治的見識皆無。単なる「右翼の軍国主義者」に過ぎないワタクシにおいてです。閣下に大統領職が務まらぬはずはありません。政策の立案・実行は、すべてしかるべき官僚が行うのですから、御輿の上の木偶人形が緊張したり心配したりの必要はございません。トップというものは、しゃべって物議を醸す生身よりは、しゃべらぬ木偶の方がずっとマシなのでございます。

ただ、これだけはやっかいです。閣下の支持基盤の中核は右翼ないし極右です。激しい人種差別の感情に駆られた排外主義者が貴政権の最も熱狂的な支持者となっています。この支持者の熱狂に応えたいのが、閣下の真意ではあろうと忖度申しあげますが、実はそれがなかなかやっかいなこと。「公約を破るのか」「選挙民を欺したのか」「おまえには何枚舌があるのか」という非難を覚悟で、この右翼勢力を宥めなければなりません。ここがたいへんに難しいところ。

ワタクシも靖国派や日本会議や、諸々の極右勢力の支援によって政権に就きました。この勢力の要望こそがワタクシの政治信条のホンネなのです。ですから、直ぐにでも9条改憲を実現したい。天皇の元首化をはかりたい。全国民に国旗国歌尊重を強制したい。核武装もしたい。沖縄を押さえつけて米軍基地の拡充を実現したい。「神武は実在した」「南京事件は幻だ」という教科書を津々浦々に普及したい。NHKを官邸の広報チャンネルとして純化したい。全閣僚の堂々の靖国神社参拝を実現したい。…願望は、やまやまですができないのです。第1次アベ内閣当時、ワタクシは権力の座にあればなんでもできると思っていまして、憲法改正の序章と位置づけた教育基本法改正には手を付けましたが、それも不十分なままで、結局はそれまで。それ以上のことはできなかったのです。結局は選挙に負けて、前代未聞のみっともないありさまで政権を放棄しました。是非、その轍を踏まれることのないよう、ワタクシを反面教師としてご用心ください。

ところで、問題は日米軍事同盟です。閣下は、選挙期間中日米軍事同盟の片務性を大いに問題にし、「アメリカが日本を守ってやっているのに、日本はそのコストを払っていない」「コストの全額を払わないなら米軍は撤退する」「日本は、核兵器でも何でも持って自国を守るべきだ」と繰り返して来られました。

失礼ながら、閣下が日米軍事同盟やガイドライン、そして沖縄を中心とする目下の基地問題にどれだけ通暁しておられるのか懸念なしとはしませんが、おっしゃっていることには一理あると感服しています。

とりわけ、日本の核武装の問題。日本国民の核アレルギーにはなかなかに根の深いものがあり、残念ながら直ぐには実現する見通しは薄いと考えざるをえません。しかし、これまでの貴国大統領とはまったく立場を異にし、我が国に核武装を促すとは、さすがに見上げた見識。閣下とワタクシとで、日本の民衆の核アアレルギー解消を目標とする「新日米同盟関係」を打ち立てることにご賛同いただけたら幸甚に存じます。

おっしゃるとおり、中国のみならず北朝鮮までが核をもっている北東アジアの軍事環境下で、日本が核に関して丸腰では軍事バランスを欠いて平和が危ういと言わざるを得ません。日本をめぐる国際環境が核開発を許すのなら、幸いに日本はプルトニゥム保有大国です。一部は貴国の要請に応じて返還したとは言え、未だに核弾頭5000発分と見積もられているプルトニゥムは他の用途なく、処理に困っておるところでございます。潜在的核保有国と言われる我が国が、核武装することにさしたる時間は要しません。核爆弾の運搬技術は種子島で実験を重ね、既に軍産学協調の成果として完成の域に達していますから北朝鮮に対して核優位に立つことはいともたやすいこと。

これこそ、新しい核の抑止力に基づく平和を切り開く、「トランプーアベ親密外交新時代」。是非とも国民の核アレルギーの払拭を通じての核抑止力均衡に基づく積極的平和の実現に向かってともに努力を重ねていこうと、かように愚考いたしております。
 誠惶誠恐頓首々々謹言
(2016年11月12日)

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