澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

日本国政府よ。核兵器禁止条約に署名し批准せよ。それこそが、被爆国の責務であり、被爆者に対する誠意ではないか。

73年前の8月9日午前11時2分、長崎の上空で核兵器が炸裂し広島に続く阿鼻叫喚のこの世の地獄が出現した。この1発の原子爆弾によって、7万人以上の命が奪われたという。そして、生き残った多くの人々が放射能による不安と苦しみを味わい続けている。

昨日(8月9日)が、長崎の「原爆の日」。長崎の平和への祈りの日でもある。長崎市が主催する原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が執り行われた。

今年の注目点は二つ。
まずは、今年の平和式典に、初めて国連のグテレス事務総長が出席したこと。もう一点が、国連での核兵器禁止条約が採択されて1年。いまだに署名・批准を拒む日本政府に、どう怒りの声をぶつけるか。

グテレス事務総長は、式典での挨拶で、核廃絶を平和と軍縮の課題と一体のものとして、国連の最優先課題と明確に述べた。そして、こうも述べている。
「核兵器保有国は多額の資金を費やして核兵器の最新鋭化を図っています。2017年には1兆7000億ドル以上を軍事費に使い、冷戦終結以来最大となっています。それは世界の人道支援に必要な金額の80倍です。」「一方で、軍縮の過程は遅れ、停止するに至っています。多くの国は昨年、核兵器禁止条約を採択して、その不満を示しました。」「あらゆる兵器の削減が急ぎ求められていますが、ことに核軍縮が必要です。そのことを背景に、私は5月、全世界の軍縮提案を行いました。」「軍縮は国際の平和と安全の維持の推進力です。国家安全保障を確保する手段です。」「私が軍縮で掲げる課題の根拠となっているのは、核による絶滅の危険を弱め、あらゆる紛争を防止し、兵器の拡散や使用が市民にもたらす惨害を減らすような具体的措置です。」「核兵器は世界の、国家の、人間の安全保障を損なうということです。核兵器の完全廃絶は、国連が最も重視する軍縮の優先課題です。」

そして、核兵器禁止条約批准の問題である。
田上富久市長の「長崎平和宣言」は、市民の声を背に政府に対して厳しい。昨年(2017年の平和宣言では、こう言っている。
「核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した『核兵器禁止条約』が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした」「ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています」「核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています」「日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています

さて、同じ田上市長による今年(2018年)の長崎平和宣言である。

「核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした『核軍縮に誠実に取り組む』という世界との約束を果たしてください。

そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。

日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。」

被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた田中熙巳さんも手厳しかった。

2017年7月、『核兵器禁止条約』が国連で採択されました。被爆者が目の黒いうちに見届けたいと願った核兵器廃絶への道筋が見えてきました。これほどうれしいことはありません。

 ところが、被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って『核兵器禁止条約』に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません。」

 「紛争解決のための戦力は持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です。」

アベは、これらの声を何と聞いただろうか。いたたまれない思いをしなかっただろうか。それとも、何とも思わぬ鉄面皮?

本日の赤旗の報じるところでは、「米西海岸カリフォルニア州の最大都市ロサンゼルス(約398万人)の市議会は8日、昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約を支持する決議を全会一致で採択しました。」とのこと。「全会一致」というのがすごい。

なお、アベが頼りの朝鮮半島緊張は、大局的に見て雪解けの展望を開きつつあるではないか。この事態での、核のカサ必要論固執に説得力があるだろうか。田口市長はこの点にも触れている。

「今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による『板門店宣言』や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する『北東アジア非核兵器地帯』の実現に向けた努力を求めます。」

アベよ、広島の声を聞け。長崎の声を聞け。被爆者の声を聞け。原爆で亡くなった20万の人の声を聞け。そして、侵略戦争の犠牲となった隣国の人々の声に耳を傾けよ。悔い改めて、核兵器禁止条約に署名と批准を決意せよ。まだ間に合う。遅過ぎることはない。
(2018年8月10日)

8月6日の広島で ― 核廃絶を願う人々と、核の傘に固執する為政者と。

1945年8月6日午前8時15分、広島上空で原子爆弾が爆発したそのとき以来、核廃絶こそが人類が取り組むべき最大の課題となった。愚かなことだが、人類は自らを滅ぼす能力を身につけたのだ。以来73年間、その能力を封じ込めることが、人類最大の課題としてあり続け、事態は今も変わらない。

冷戦のさなかに、核廃絶どころか核軍拡競争が続けられて、原爆は水爆となり、また多様な戦術核が開発された。核爆弾の運搬手段は飛躍的に性能を向上させ、人類は核戦争による絶滅の恐怖とともに生存してきた。73年間、人類は、首をすくめ息を潜めた「萎縮した小さな平和」の空間で生き延びてきた。そして今なお、核兵器による相互威嚇の均衡の上にかろうじて、生存を続けている。

すべての武力が有害で無意味であるが、核兵器こそは絶対悪である。今日、8月6日はそのことを確認すべき日にほかならない。

本日(8月6日)、広島市で開かれた平和記念式典で、子ども代表が「平和への誓い」読み上げた。その中に次の言葉があった。

人間は、美しいものをつくることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。

ほんとうにそのとおりだと思う。美しいものをつくり、人々を助け、人々の笑顔があふれる社会を作りたい。それなのに、どうして人間は、人を傷つけ、人々を嘆き悲しませる武器を作り、軍隊を作り、戦争をするのだろうか。この上なく恐ろしい、核兵器まで作って、これをなくすることができないのだろうか。

苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に生きてきた広島の人々。
その平和への思いをつないでいく私たち。
平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。
平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。
73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。

若いあなた方が救いだ。あなた方が希望の灯だ。被爆のむごさと被爆者の切実な思いの伝承者。核のない世を願う人類の願いを実現する運動の先頭に広島の人々がいることが心強い。今日の式典で「平和への誓い」を読み上げたお二人のうちの一人は、広島市立牛田小の6年生だという。牛田小学校は私の母校だ。私が一年生として入学したのが爆心地に近い牛田小学校で、担任の女性の先生はお顔にケロイドのある方だった。「平和への誓い」が、ことのほか心に沁みた。

松井市長の「平和宣言」は、事前に伝えられたとおりのもの。

世界は「自国第一主義」が台頭し東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況と懸念を示した上で、「核抑止や核の傘という考え方は世界の安全を保障するには極めて不安定で危険極まりないもの」と指摘。昨年(2017年)7月に国連で採択された核兵器禁止条約の発効に向け、日本政府に対し、憲法が掲げる平和主義を体現するため、国際社会で対話と協調を進める役割を果たすよう求めたが、一方で日本が条約に参加していないことについては昨年に続き直接批判はしなかった。今年(2018年)6月に史上初めて実現した米朝首脳会談を念頭に「朝鮮半島の緊張緩和が対話によって平和裏に進む」ことに期待を寄せたほか、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が昨年ノーベル平和賞を受賞したことを受け、被爆者の思いが世界に広まりつつあるとの認識を示した。

以下の言葉は、説得力があり、心に迫るものがあった。
世界にいまだ1万4千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が炸裂したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。

被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全てが死滅し、美しい地球は廃墟と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。

日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たしていただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます

9条改憲をたくらむアベ晋三の耳に、松井市長の平和宣言はどう聞こえたのだろうか。とりわけ、「日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するために」というくだり。

例年のとおり、式場外から「アベやめろ」「アベ返れ」コールが聞こえる中での、総理大臣挨拶であったようだ。感動のない、歓迎されざる「棒読みの式辞」。だが、首相も衆院議長も、この式典には出席せざるを得ないのだ。

その首相の挨拶は、朝鮮半島での新たな情勢の展開についても、国連で採択された核兵器禁止条約についても、一切触れるところがなかった。式典後行われた広島被爆者7団体との面談の席でも、被爆者側の「核兵器禁止条約批准要望」を「条約とは考え方、アプローチを異にしている。参加しない考えに変わりない」と不参加を明言した。

この席で広島県被団協の坪井直理事長は「原爆は人間の悪知恵が作ったもの。われわれが核兵器をなくすような力を発揮しなきゃいけない」と訴え、首相は「(核兵器廃絶という)ゴールは共有しているが、核保有国の参加が必要だ。橋渡し役を通じ、国際社会をリードしたい」と述べたている。

首相の言葉は白々しい。核廃絶というゴールに向けての姿勢が見えないではないか。「橋渡し役」という言葉が空しい。非核保有国でありながら、核保有国の走狗になっているとしか感じられない。言い募れば、詭弁にしか聞こえない。戦争法案審議以来からモリ・カケ問題での国会答弁を通じて、この人の言うことには真実味が欠けるという確信が形成されている。端的に言えばこの人は「嘘つき」と思われてしかるべきなのだ。不徳の致すところというほかはない。
(2018年8月6日)

「韓国の広島」陜川(ハプチョン)で在韓の被爆者と

人類の歴史は、1945年8月6日午前8時15分で、2分される。人類の絶滅という危機を自覚せずに過ごすことができた「前史」と、核によって人類の絶滅という危機の実感とともに過ごさねばならなくなった「後史」とにである。

人類絶滅の危険は瞬間的な核爆発によるものだけではない。核爆発のあとに、長く継続する放射線被害によってももたらされる。地球史の長い長い黎明期は、高放射線環境で生物が生息できる環境ではなかった。ようやく、生物の住める状態にまで自然放射線量が減少したのに、人類は自らの手で、人類の存続を危うくしているのだ。

繰りかえし言われているとおり、核兵器は絶対悪である。核兵器と人類は、共存し得ない。まずは核兵器をなくさなければならない。これが喫緊の課題。そして、核兵器を生み出す戦争をなくさなければならない。さらに、次元の異なる高度放射線被害をもたらす原子力発電も廃絶しなければ、人類の未来はない。

核廃絶運動の最前線に立つ人々が、被爆者である。あの悲劇の瞬間から70余年を経て、悲惨な被爆の実体験者はその数を減らしつつある。実体験を語る活動に参加も難しくなりつつある。我々は、その体験を継承し、その声を伝承しなければならない。

広島・長崎の被爆者は、日本国内だけでなく、韓国にも多くいる。当時、朝鮮は日本領とされていたのだから不思議はないが、朝鮮から渡って広島・長崎に居住していた人の数は、驚くほど多い。そして、戦後帰国した被爆者数も。このことが、あまり認識されていないのではないか。

3月下旬のピース・ツアー参加者の事前学習会で、以下のことを知った。

☆ 1945年8月の被爆直前、日本本土に居住していた朝鮮人数は230万人。うち、広島・長崎の居住者が約10万人だった。
☆ そのうち、約7万人が被爆している。約4万人が死亡、3万人が傷害を負いながらも生存した被爆者となった。被爆者の内2.7万人が韓国に帰国し、約3千人が日本に残った。
☆ 1954年ビキニ水爆実験で第五福竜丸が被爆し、その後に原水禁運動が興隆した。1956年には、「 被爆者団体協議会(被団協)」が結成され、今日まで約40回に渡る法改正が行われ、運動はさまざまな被害補償制度をつくってきた。
☆ 被爆者運動は、当然のこととして在日の被爆者も加わり、その成果の適用において、在日朝鮮人被爆者は日本人と同等であった(健康管理手当、被爆者手帳、生活保障手当等)。しかし、韓国に帰国した被害者には、何の補償もなかった。彼らは、働くこともできず、疎外され続けてきた。
☆ 1956年以後、日本人の平和団体、被爆者団体から被爆者への支援カンパや自立的な運動のよびかけがなされ、徐々に韓国でも被爆者団体の運動が始まった。
☆ 韓国の被爆者は、日本政府に対し、日本人被爆者と同等の補償や支援を要求したが、日本政府はほとんど何もしなかった。
☆ 繰り返しの運動の「成果」として、”日本政府は、在韓被爆者のうち、日本に来て治療を受ける人への若干の支援をはじめた。しかし、日本に行く費用もない人が多く、実質的に支援を受けることができないまま亡くなっていく人が多かった。

☆90年代に入って、日本政府は韓国政府に対し、40億円の支援を一括して行った。韓国政府は、そのうち20億円で陜川(ハプチョン)に被爆者支援施設を作り、生活困難な被爆者が入居(約70人)できる施設を作り、残金で韓国全土の生活支援基金にした。なお、陜川(ハプチョン)には広島に住んでいた帰国被爆者が多く、『韓国の広島』と呼ばれていた。古い統計ではあるが、1974年に原爆被害者援護協会の陜川(ハプチョン)支部が行った被爆者実態調査によると、同地域の当時の被爆生存者は3867人であった。
☆2015年、日本政府は世界中の被爆者に日本人被爆者と同等の補償をすることになり、日本政府から直接本人に送金する制度になった。厚労省によると、2015年3月現在、日本外に住んでいる被爆者手帳の所持者は約4300人で、このうち韓国居住者は約2500人(北朝鮮居住者1人)だという。被爆者の9割が亡くなってから、ようやく日本政府は腰をあげたことになる。

3月28日(水)、ピース・ツアーは慶尚南道の陜川(ハプチョン)を訪れた。「韓国の広島」の異名をもつ町。

昨年(2017年)完成した原爆資料館の生々しい展示の見学を終えて、前庭で休んでいたら、体格のよい老人に声をかけられた。「どちらからいらっしゃいましたか」。訛のない、正確な日本語だった。14、5分の話しが弾んだ。というよりは、「私の話を聞いてくれ」という熱意がほとばしる対話だった。

私自身が被爆者ですよ。広島で被爆したときは10歳だった。市内の国民学校に通っていました。

代々ハプチョンで暮らしていましたが、幼いころ父と兄に連れられて広島に渡りました。ハプチョンの近くからは、たくさんの人が広島に行きました。兵役で行った人も、徴用で行った人もいましたが、自分の意思で家族と一緒に広島に渡った人が多かったはずです。

自分の意思と言っても、本当の意思ではないと思いますよ。その頃、この辺の農家はみんな貧しかったんです。兵役や徴兵で若い者が少なくなって、なかなか農業が思うようにはできなくなった。日本に行けば何とか仕事があって食っていけると言われて、出かけた者が多かったんです。

で、日本のどこへ行くか。村の人で、広島に行った人が多かった。知っている人が先に行っているから、その人をたよりにして、なんとなくみんな広島に行きましたね。

広島で日本語も覚えましてね、国民学校に上がったけど、勉強どころではなかった。もう少し、きちんと勉強させてもらえたらよかった、あとあとそう思いましたね。

私は学校で被爆しました。爆心地から2キロと少しのところです。あの体験は忘れられません。でも、私自身は大きな怪我をしなかった。幸い、父と兄がすぐ来てくれて、私を連れて火災を避け西の方向に逃げました。6日の晩は野宿して、7日に己斐(こい)中学校の校庭で炊き出しを受け、手当もしてもらうことができました。そのときは、もう裸足でした。

行き道、道路に死体がごろごろと転がっていたんです。死体を踏まないように、除けて歩くという感じでした。そして、死んでいる人だけでなく、死にそうな人が大勢。幽霊みたいに歩いていました。本当に地獄の風景でしたね。

終戦後、間もなく親に連れられて韓国に帰りました。でも、やっぱり生活は苦しかった。そのあと、また日本に行きました。最初は宮崎、そしてそのあとはやっぱり広島。で、またハプチョンに戻りました。そうこうしているうちに、齢を取った。

いまは、陜川原爆被害者福祉会館に住んでいます。この会館は、日本の被爆者の運動で、日本政府が金を出してつくったものです。情けないのは、韓国の政府が十分な動きをしてくれないこと。

それから、もう一つ。どうしても言っておきたいのは、原発のことですよ。福島の事故には震えあがりました。あんな危険なものは絶対に作ってはいけない。私は被爆者一世ですが、子や孫の将来のために、核兵器も原発も絶対になくして欲しいと思います。

この方のお名前を伺ったところ、キム・ドシギと名乗られた。ゆったりと咲く白いモクレンの花の下でのキムさんのお話しを忘れることはないだろう。
(2018年4月9日)

3月1日 今日はビキニデー

今日、3月1日はビキニデーです。
1954年の今日、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行いました。広島に落とされた原爆の1000倍もの威力のあるものでした。この核実験で、多くの日本人が被爆しました。その最前線にいたのが、第五福竜丸の乗組員23名の方々です。その全員が急性放射線障害で入院され、久保山愛吉さんが半年後に亡くなられました。原爆に続いて、水爆でも、爆発の最初の犠牲者は日本人となったのです。

3月1日のビキニデーには、この世から恐ろしい核兵器をなくすことを誓い合いたいと思います。

是非東京夢の島にある第五福竜丸展示館にお越しください。そして耳を澄まして、保存されたこの船の、核の悲惨さを訴える声に耳を傾けてください。核のない平和な世の中を作ろうという呼びかけが聞こえてくるはずです。

「お互いに核兵器をもてば、戦争を抑止して平和を保つことができる」という意見はおろかしいのではありませんか。核に囲まれた平和なんてゴメンだ。世界中の原爆も水爆も、そして原発もなくしてほしい。第五福竜丸が、そう言っているように聞こえませんか。

夢の島まで足を運ぶ時間がないかたは、せめて展示館のURLを開いて、第五福竜丸の写真と資料をご覧ください。

 http://d5f.org/

こんな説明があります。

第五福竜丸とは
第五福竜丸は 1954 年3 月1 日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船です。爆心地より160キロ東方の海上で操業中、突如西に閃光を見、地鳴りのような爆発音が船をおそいました。 やがて、実験により生じた「死の灰」(放射性降下物)が第五福竜丸に降りそそぎ、乗組員23人は全員被ばくしました。
その後、第五福竜丸は放射能がへるのを待って東京水産大学(現・東京海洋大学)の学生の航海の練習船「はやぶさ丸」となりました。

水爆ブラボー
3月1日に、アメリカが炸裂させた水爆「ブラボー」は、広島に落とされた原爆の1000 倍(15メガトン)の破壊力でした。爆発によって砕けた珊瑚の粉塵はキノコ雲に吸い上げられ、放射能を帯びた「死の灰」となり周辺の海や島々に降り積もりました。放射能は広範な海と大気を汚染したのです。

漁船の被ばく
被害を受けたのは、第五福竜丸だけではありません。日本各地から多くの船が出漁し被害を受けました。54年末までに856隻が放射能に汚染されたマグロを水揚げしています。多くの乗組員が被ばくした可能性がありますが、健康被害など不明な点が多いのです。

マーシャル諸島の被害
マーシャル諸島は太平洋中西部に浮かぶ、たくさんの珊瑚礁からなる国です。アメリカは1946年から58年までここを核実験場とし、67 回もの実験を行いました。
実験場とされたビキニ環礁とエニウェトク環礁をはじめ、多くの環礁や島が被害を受けたとされていますが、アメリカ政府はビキニ、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリックの四環礁以外の被害は認めていません。
人びとの間ではガンや甲状腺異常、死産や先天的に障がいを持つ子どもが生まれるなど、被害が現れています。また、いくつかの環礁では故郷の島に戻ることができません。

世界遺産ビキニ環礁
2010年7月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により、ビキニ環礁は世界遺産に登録されました。その理由として「珊瑚礁の海に沈んだ船やブラボー水爆の巨大なクレーターなど、核実験の証拠を保持している。繰り返された核実験はビキニ環礁の地質、自然、人々の健康に重大な影響を与えており、平和と地上の楽園とは矛盾したイメージをもち核時代の夜明けを象徴している」と発表しています。同環礁の住民は、いまも帰ることはできません。

第五福竜丸の保存
第五福竜丸(当時は水産大の「はやぶさ丸」)は1967年に廃船処分となり、解体業者に払い下げられ、船体はゴミの処分場であった「夢の島」の埋立地に放置されました。これを知った市民のあいだから保存のうごきがおこり、「沈めてよいか第五福竜丸」の投書(朝日新聞68年3月10日)や原水爆禁止運動など全国で取り組みがすすめられました。
1976年6月に東京都立第五福竜丸展示館が開館し、船は展示・公開されました。

木造船第五福竜丸
第五福竜丸は1947年に和歌山県古座町(現・串本町)でカツオ漁船第七事代丸として建造されました。全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル、総トン数140トンの木造船です。
第五福竜丸は戦後の食糧難の時代に遠洋漁業に従事した木造船としてきわめて貴重です。

「第五福竜丸事件」と「ビキニ事件」
ビキニ水爆実験により、第五福竜丸一隻だけでなく多くの船舶が被害を受けたことから、当協会では「ビキニ事件」という呼称を使っています。マーシャル諸島での核実験は1958年までつづけられており、被害を限定的に捉えることは適切ではないと考えています。

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ビキニデーの今日、東京新聞が、核問題にちなんだ社説を掲載しました。
抜粋して紹介したいと思います。

ビキニ水爆実験の教え 記憶で未来を守れ
64年前、ビキニ水爆実験で第五福竜丸をはじめ多くの日本人漁船員や現地の住民が被ばくした。苦しみは今も続く。教訓を未来に伝えたい。

第五福竜丸の漁船員らが被ばくしたのは、米国の水爆実験「ブラボー」で、1954年3月1日にマーシャル諸島のビキニ環礁で実施された。漁船には23人が乗り組んでいて、実験場の約160キロ東にいた。

5月まで続いた6回の水爆実験で、周辺の海域にいた漁船や貨物船などの乗組員約1万人が被ばくしたとされる。漁船員は帰国後、検査を受けたが、そのデータは長い間、厚生労働省が「ない」としていた。情報公開請求で開示したのは2014年である。

◆治療はなかった
米国がマーシャル諸島で核実験を始めたのは、46年7月。58年までに原爆、水爆合わせて67回に達した。この地域は第二次大戦が終わるまでは日本の委任統治領で、南洋群島と呼ばれた。戦後、米国が施政権を握り、核実験場にされたのである。

 核実験は軍事機密なので、現地ではかん口令がしかれた。米国政府は住民の被ばくを隠す一方で、専門医らを送って放射線の健康影響調査を進めたといわれる。

たとえば、爆心地から百八十キロ東にあったロンゲラップ島では、ブラボー実験のとき、82人が暮らしていた。島民は下痢や嘔吐(おうと)、やけど、脱毛といった急性放射線障害に見舞われた。二日後、米軍が別の島にある基地に移送した。そこでは米人医師によって検査や写真撮影はされたが、特に治療はされなかったという。

米国は57年に「安全だ」と説明して住民を島に帰還させた。帰還したのは、被ばく者と核実験時には島にいなかった住民ら約250人。

人体実験という見方を米国は否定しているが、ブルックヘブン米国立研究所は「もっとも価値ある生態学的放射線被ばくデータを提供してくれる」ことを意義としていた。島では死産、流産が続き、やがて甲状腺がんが多発した。住民は85年に再び、島を離れた。

マーシャル諸島は86年にマーシャル諸島共和国として独立したが、経済は米国に依存している。ビキニ環礁核実験場は「負の世界遺産」に指定されたが、日米で情報が隠されていたこともあり、実態はあまり知られていない。
(以下略)

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今年のビキニデーは、世界中の国々が核兵器禁止条約の締結を目指して、「核兵器のない世界を」「非核平和の日本の実現を」という、運動の高まりの中で迎えることとなりました。

「ヒバクシャ国際署名」と「安倍9条改憲ノーの署名」運動をともに広げようという声も大きく広がっています。

被爆国日本こそが、核兵器の全面禁止・廃絶の先頭に立たねばなりません。まずは、日本政府に、広島・長崎の声と、第五福竜丸の声を聞かせなければなりません。そうして、情けない日本政府に、日本国民の声を集めて突きつけて、「核兵器禁止条約に署名せよ」と迫りましょう。

3・1ビキニデーの今日こそは、そのように思いをめぐらすべき日だと思います。
(2018年3月1日・連続1796回)

俺は持つ きみは捨てろよ 核兵器

あっ、これはすごい。これ、きっと古典になる。
毎日新聞・仲畑流万能川柳1月8日掲載の一句。

 俺は持つ きみは捨てろよ 核兵器 (東京 ホヤ栄一)

これが核大国のホンネだ。とりわけアメリカの。そしてトランプの。

多くの核非保有国が、こう言っている。これが世界の潮流だ。
 世界中 みんな捨てよう 核兵器

ところが、核保有国はみんなこう言うのだ。
 俺だけが 捨てたらヤバイ 核兵器

日本政府の立場はこうだ
 持ちたいが 持つとはいえない 核兵器
 揉み手して 入れてください 核の傘

トランプは、金正恩にこう言ってみろ。
 俺捨てる きみも捨てろよ 核兵器

金正恩もトランプにこう言えないか。
 約束だ 一緒に捨てよう 核兵器

核抑止力とはいったい何だろう。
 参ったか 俺は持ってる 核兵器
 参らない 俺も持ってる 核兵器
 
 参ったか 俺の前には 核ボタン
 きみよりも 俺のが大きい 核ボタン

 俺だけが 持ってたはずだ 核兵器 
 おれ持てば 周りも持つのか 核兵器
 どこよりも たくさん持つぞ 核兵器
 恐いから 俺は捨てない 核兵器 
 持って不安 持たれて不安 核兵器
 使えぬが 捨てるもできない 核兵器

実は、核兵器に限らない。通常兵器による防衛力一般が同じことなのだ。
 俺は持つ きみは捨てろよ 軍事力 
 俺だけが 捨てたらヤバイ 軍事力
 禁止され それでも持ってる 軍事力
 俺捨てる きみも捨てろよ 軍事力
 みんなして 一緒に捨てよう 軍事力
 参ったか 俺は持ってる 軍事力
 参らない 俺も持ってる 軍事力
 参ったか 俺は持ってる 新兵器
 参らない 俺はもってる 新新兵器 
 おれ持てば 周りも持つんだ 軍事力 
 どこよりも たくさん持つぞ 軍事力
 恐いから 俺は捨てない 軍事力 
 持って不安 持たれて不安 軍事力
 使えぬが 捨てるもできない 軍事力

 おまえより 俺のが大きい 防衛費
 生活費 ギリギリ削って 防衛費
 貧困にあえぐ社会の防衛費
 試射なんてしません 一発10億円
 当たるも八卦当たらぬも八卦で1000億
 きっと当たります ミサイルと宝くじ
 価値感だけでなく財布も同じと武器を買い

だから、日本国憲法9条が輝く。
 おれ捨てる きみも捨てろよ 軍事力
 防衛費なくせばくるぞ 豊かな社会
 軍事力なくした地球に真の春
(2018年1月18日)

「核こそは人類と共存し得ない絶対悪」 ― サーロー節子さんの演説に9条の精神を見る。

ノーベル賞に良いイメージは持ちあわせていない。とりわけ、あの佐藤栄作が平和賞を受章という衝撃以来、「そんな程度のものか」という思いが強い。

しかし、今回のICANの平和賞受賞については、被爆者の運動が世界に注目され、核兵器禁止条約の正当性の強力なアピールとなったものと素直に喜びたい。その意味で、昨日(12月10日)オスロで行われた授賞式でのサーロー節子さんの演説は素晴らしいものだった。誰に遠慮することもなく、「核兵器は必要悪ではなく人類と共存し得ない絶対悪です。」と言い切った。これは、制憲議会で語られた日本国憲法9条の精神ではないか。これをこそ被爆者の魂の叫びと受けとめたい。

「私たちは、被害者であることに甘んじていられません。私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。核兵器と人類は共存できない、と。

今日、私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。…その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。

広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。

私たち被爆者は、苦しみと生き残るための真の闘いを通じて、灰の中から生き返るために、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。くり返し、私たちは証言をしてきました。

それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。

9カ国が、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。

今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最良のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

 責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。

 核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

 世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。」

この演説は核廃絶の障害となっている犯人を挙げている。まずは核保有の「9カ国」。つまり、米・露・英・独・仏・中の核保有5大国(P5)に、イスラエル・インド・パキスタン・北朝鮮を加えた「強請9人組」である。いずれの国も、他国の核は危険極まりないもので、自国の核は対抗措置としてやむをえないものであり、平和のための核という。サーローさんは、この核保有9カ国を「都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。」と厳しく指弾する。

サーローさんの指摘は、これにとどまらない。「強請9人組」を主犯として、その共犯者に警告を発している。その筆頭が明らかに日本だ。
「『核の傘』なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。」

もう少しはっきり言い直してみよう。
「『アメリカの核の傘』なるものの下で共犯者となっている日本の安倍晋三さんと行政府の皆さんに申し上げたい。私たち広島・長崎の被爆者の証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、日本政府も真剣に行動すべきことになるでしょう、核兵器禁止条約を早期に批准しなければならないことを知るでしょう。安倍晋三さん、そして行政府の皆さん。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。あなたたちは、自分に言い訳しながら犯している悪事について、その罪の大きさに気づかなければなりません。」
(2017年12月11日)

「核兵器のない世界を求めてー反核平和をつらぬいた弁護士 池田眞規」出版記念の会

池田眞規さんが亡くなられたのは、昨年の今日・2016年11月13日。
池田さんをご存じない方は、当ブログの下記記事(2016年11月16日)をご覧いただきたい。

池田眞規さんを悼む
http://article9.jp/wordpress/?p=7705

没後1年の今日(2017年11月13日)を発行日付とする下記の書が日本評論社から発刊された。
「核兵器のない世界を求めてー反核平和をつらぬいた弁護士 池田眞規」
池田眞規著作集刊行委員会の編になるもの。反核平和をつらぬいた、一人の弁護士の人生とその情熱がこの一冊に凝縮されている。没後一年をかけて、反核法協を中心とする後輩弁護士が中心となって編集したもの。

一昨日(11月11日)、この書物の出版記念会があった。被爆者・反核運動・弁護士・医療者等々の多彩な関係者の集いだった。湿っぽさのない「楽しい集会」と言って不謹慎でないのは、池田さんの人徳だろう。

会の冒頭に池田さんの生涯がスライドで紹介された。朝鮮の大邱で生まれ、釜山の中学生だった池田さんがどのように敗戦を迎え、どのように戦後を生きたか。なぜ、何を目指して弁護士となり、どのようにして「反核」弁護士となったのか。どのように人との輪を作り、繋げていったのか。よくできたナレーションだった。

資料を集めてこのスライドを作った佐藤むつみさん、この書物の中で「池田眞規小伝」を書いた丸山重威さんらが、「さながら、戦後史を見るような人生」と言っていたのが印象に深かった。

個人的には、懐かしい顔ぶれとも出会うことができ、文字には残せないエピソードの数々も聞けて、楽しいひとときだった。眞規さん、ありがとう。
(2017年11月13日)

総選挙公示の日、本郷三丁目交差点にて。

本日(10月10日)が、戦後25回目となる総選挙の公示日。憲法の命運を左右しかねない政治戦のスタート。アベ政権という国難除去が主たる課題だ。その主役は有権者であって、けっして政党でも政治家でもない。

当然のことながら、候補者もメディアも、そして選挙管理行政も、有権者が正確な政治的選択に至るように清潔で自由な環境を整備しなければならない。カネや利益誘導で民意を歪めてはならない。嘘とごまかしで、有権者をたぶらかしてはならない。虚妄の政権を作りあげてはならない。

強調したいことは、選挙という制度において投票はその一半に過ぎないということである。多様な国民の言論戦の結果が有権者の投票行動に結実する。投票の前には、徹底した言論戦が展開されなければならないのだ。今回の選挙では、まずはアベ政権という国難の実態が徹底した批判に曝されなければならない。それに対する防御の言論活動もあって、しかる後に形成された民意が投票行動となる。

論戦の対象とすべきものは、
アベ政権の非立憲主義。
アベ政権の反民主主義。
アベ政権の好戦姿勢。
アベ政権の政治と行政私物化の体質。
アベ政権の情報隠匿体質。
アベ政権の庶民無視の新自由主義的経済政策。
アベ政権の原発推進政策。
アベ政権の対米追随姿勢。
アベ政権の核の傘依存政策。
アベ政権の核廃絶条約に冷ややかな姿勢。
アベ政権の沖縄新基地対米追随姿勢。
………
いまここにある、アベという存在自体の国難を、具体的に指摘し摘除しなければならないとする壮大な言論戦において、有権者は積極的なアクターでなくてはならない。「よく見聞きし分かる」ことを妨げられない「知る権利」だけでなく、自分の見聞きしたこと考えたことを発信する権利も最大限保障されなければならない。まさしく、憲法21条の表現の自由が、最大限に開花しなければならないのが、選挙における言論戦なのだ。

ところが、公職選挙法は基本構造が歪んでいる。憲法が想定する建て付けになっていないのだ。だから、総選挙公示とともに、さまざまな不都合が生じる。

私たちは、地域で「本郷湯島九条の会」を作って、ささやかながらも地道な活動を続けている。毎月第2火曜日を、本郷三丁目交差点「かねやす」前での、護憲街頭宣伝活動の日と定めて4年以上になる。この間、厳冬でも炎天下でも、街宣活動を続けてきた。ところが、たまたま本日が10月の第2火曜日となり、予定の「本郷湯島九条の会」街頭宣伝行動が選挙期間と重なった。

その結果、奇妙な政治活動規制がかかることになる。その根拠は、「公選法201条の5」。まことに読みにくい条文だが、そのまま引用すれば、以下のとおり。

(総選挙における政治活動の規制)
第201条の5 「政党その他の政治活動を行う団体は、別段の定めがある場合を除き、その政治活動のうち、政談演説会及び街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類(政党その他の政治団体の本部又は支部の事務所において掲示するものを除く。以下同じ。)の掲示並びにビラ(これに類する文書図画を含む。以下同じ。)の頒布(これらの掲示又は頒布には、それぞれ、ポスター、立札若しくは看板の類又はビラで、政党その他の政治活動を行う団体のシンボル・マークを表示するものの掲示又は頒布を含む。以下同じ。)並びに宣伝告知(政党その他の政治活動を行う団体の発行する新聞紙、雑誌、書籍及びパンフレットの普及宣伝を含む。以下同じ。)のための自動車、船舶及び拡声機の使用については、衆議院議員の総選挙の期日の公示の日から選挙の当日までの間に限り、これをすることができない。」

分かり易く要約すると、
「(政党に限らず)政治活動を行う団体は、その活動のうち、街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラ頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、総選挙期間中に限り、これをすることができない。」

つまり、「本郷湯島九条の会」も、政治的な主義主張をもって活動している以上「政治活動を行う団体」と見なされるとすれば、これまで4年間やってきた街頭宣伝行動のスタイルをとることができない。

私たちは、会の横断幕を掲げ、会のポスターを掲示し、毎回会が作成した手作りのビラを配布し、スピーカーを使い、場合によっては宣伝カーを借りて訴えをしてきた。条文を素直に読む限り、これが違法というのだ。

念のために付言しておくが、本郷湯島九条の会が、特定政党や特定候補の応援をしたことはない。もちろん、投票依頼などしたこともなければする意思もない。それでも、公選法第201条の5が介入してくる。これは、「選挙運動」規制ではなく、選挙期間中に限ったことだが、「政治活動」を対象とする規制なのだ。

そこで、対策を相談した。

第1案 急遽日程を繰り上げて、街宣行動をしてはどうか。これなら、予定の通り、いつものとおりの憲法擁護の宣伝活動が可能だ。

第2案 「九条の会」としてではなく、徹底して個人として行うことなら、201条の5が介入してくる余地はない。スピーカーは使える。。署名活動もできる。しかし、そうすれば、会の名のはいったビラは一切撒けない。横断幕もないことになる。

第3案 「九条の会」として街宣活動をし、合法主義を貫く。ビラなし。横断幕なし。スピーカーなし。肉声ないしメガホンでの宣伝活動をする。

第4案 公選法第201条の5の「政治活動を行う団体」を限定して解釈する。あるいは条文を無視する。憲法に違反している法が有効なはずはない。また、現実的に逮捕や起訴はあり得ないのだから、警告や指導が入るまで予定の通りにやればよい。

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結局、第2案を採用することとなった。たまたま、このとき、ここに集まった個人が、それぞれ個人としての意見を表明するということ。このことに、文句を付けられる筋合いはない。

 

冒頭、私がマイクを握って、次のような発言をした。

ご近所のみなさま、ご通行中の皆さま、私は、本郷5丁目に在住する弁護士です。
日本国憲法とその理念をこよなく大切なものと考え、いま、憲法の改悪を阻止し、憲法の理念を政治や社会に活かすことがとても大切との思いから、志を同じくする地域の方々と、本郷湯島九条の会というささやかな会を作って、憲法を大切しようという運動を続けて参りました。

会は、毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、これまで4年以上にわたって、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前で、護憲と憲法理念の実現を訴えて参りました。とりわけアベ政権の憲法をないがしろにする姿勢を厳しく糾弾しつづけまいりました。この4年間、厳冬でも炎天下でも続けてきた、「本郷湯島九条の会」街頭宣伝行動ですが、本日は理由あって中止いたします。

会は、毎回会の名を明記したビラを作成し配布してきましたが、本日はビラはありません。毎回、「九条の会」の横断幕と、幟を掲げてきましたが、本日横断幕も幟もないのはそのためです。

会としての街頭宣伝活動を中止するのは、本日総選挙の公示がなされたからです。公職選挙法にはまことに奇妙な規定があります。
公職選挙法201条の5は、「(政党に限らず)政治活動を行う団体は、その活動のうち、街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラ頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、総選挙期間中に限り、これをすることができない。」としています。

つまり、選挙期間中は、団体としての政治活動のうち、看板の掲示やビラの配布、スピーカーの使用が禁じられているのです。私は、これは明らかに憲法に違反した無効な規定だと考えますが、「本郷湯島九条の会」としては違法とされていることはしないことにいたしました。

ですから、今私は「本郷湯島九条の会」の会員としての発言をしていません。飽くまで個人としての意見を表明しています。

選挙期間中といえども、個人として政治的見解を表明することに何の制約もありません。むしろ、選挙期間中は、有権者が最大限に表現の自由の享受を発揮しなければならないと思います。本日、ここに幾つかのポスターがあります。「いまこそ、9条守るべし」「核廃絶運動にノーベル平和賞」などのもの。中にはやや大型のポスターもありますが、すべて個人の意見表明としてなされているもので、団体の意思表明ではありません。

そして、たまたまこの場に居合わせた方が、ご自分の個人的な意見を表明したいとおっしゃっています。その方々に、順次マイクをお渡しします。

今日が大事な総選挙の公示日で、10月22日が投票日となります。このスピーカーを通じて流れる個人的なご意見は、その選挙の意義に関わる訴えになろうかと思いますが、あくまで本郷湯島九条の会としての発言ではないことをご理解ください。
(2017年10月10日)

ICANのノーベル平和賞受章に官邸の不快感

ノーベル賞の季節である。例年ほとんど関心はないのだが、今年は別だ。平和賞に国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の受賞が決まった。核兵器の非合法化と廃絶を目指す活動、とりわけ今年の核兵器禁止条約成立への貢献に対する顕彰だという。

朝日デジタルが、第五福竜丸平和協会をインタビューして、安田和也事務局長の「核廃絶への期待だ」「核兵器廃絶に向けた取り組みに対する期待へのあらわれだと思う」とのコメントを記事にし、「受賞を喜んだ」と報じている。私も、平和協会の活動に携わる者の一人として、そして核廃絶を強く願う立場の一人として、「核兵器禁止条約推進運動の受賞」を喜ぶべき立場にある。

しかし、こんなとき「本多勝一はどう言うのだろうか」と思う。彼こそは、私の尊敬するジャーナリスト。この人ほど、ブレのない筋を通す人も珍しい。その本多が、ノーベル賞について、「もともと『賞』というものはすべて基本的に愚劣なのだろう。その中でも特に愚劣なノーベル賞は、かくのごとく、言語的文化的には『人種差別賞』であり、平和に関しては逆に『侵略賞』である。こんなものに断じて幻想を抱いてはならない」(「ノーベル賞という名の侵略賞・人種差別賞」)と言っているのだ。

文中に、その具体例として次の一節がある。1973年11月の文章。
「さて、このたび、その合衆国のキッシンジャー氏、あのB52によるハノイ市絨毯爆撃・大虐殺に最も貢献したキッシンジャー氏に、こともあろうにノーベル『平和』賞が決定した。私は心底から『おめでとう』を言いたい。なぜなら、ノーベル賞というものがいかに愚劣きわまるものかを、大衆に理解されるためにこれは大変役立つからである。これほど明快に本質を見せつけてくれた例は、これまで少なかった。」

また、本多は1978年に、「笹川良一氏にノーベル賞を」という過激な一文をものしている。これが傑作だが、長くなるので引用を控える。さわりは、「笹川良一氏というバクチの胴元と、同氏が受章した勲一等」とを「犬の糞と馬の小便」の取り合わせにたとえるところ。「実にピッタリ、こんなによい受賞者は他に少ない」としたうえで、「笹川氏には、そろそろノーベル賞などいかがであろうか。私は心から推薦したい。それによってノーベル賞の『馬の小便』ぶりが一層みんなに理解される…」という。なお本多には、「天皇にこそノーベル賞を!」(1974年)というエッセイもある。核付き沖縄返還の佐藤栄作が受章したノーベル平和賞である。そのイメージがよかろうはずはない。

だから、「反核運動にノーベル平和賞」を素直に喜ぶことにやや躊躇を覚えるのだが、今回はわが国の政府のお陰で、この躊躇を払拭できそうなのだ。

これも、朝日デジタルの記事から。
「日本政府は、核兵器禁止条約の採択に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞の報を複雑な思いで受け止めている。核廃絶へ向けた意義を認める一方、核・ミサイルの脅威を高める北朝鮮に触れ「遠く離れた国と、現実の脅威と向き合っている我々とでは立場が違う」といら立ちを見せる外務省幹部も。首相官邸と同省は受賞を受けてのコメントを出さなかった。

核禁条約は9月に50カ国以上が署名し、早ければ来年中の発効が見込まれる。ICANの受賞は、核禁条約を政治的に後押しする可能性があるが、日本政府の不参加の立場は変わらない見通しだ。

ただ、日本政府内では受賞を契機に新たな懸念も出始めている。核兵器廃絶に向けて、欧州は2015年にイランが核開発を制限する見返りに経済制裁を解除する合意を米国などとともに結んだ。欧州にはイラン核合意と同様のアプローチが北朝鮮にも有効との主張もあり、今回の受賞で北朝鮮との「対話」を促す機運が高まれば、圧力強化を呼びかけてきた日本の方針がつまずきかねない。」

客観的にみて今年のICANへのノーベル平和賞は、核保有大国に政策転換を迫る力をもつものだ。トランプ政権にもアベ政権にも大きな打撃となり、一方国際的な反核運動のうねりにこの上ない励ましとなるだろう。

朝日はこうも伝えている。
「共産党の小池晃書記局長は6日、朝日新聞の取材に「核兵器禁止条約を主導したNGOの受賞は核兵器のない世界を目指す動きを励ますことになる。逆に日本政府の異常ぶりが際立つことになった」と述べた。」

今回のノーベル平和賞については、「侵略賞・人種差別賞」ではないことを確認しよう。そして、素直に大いに喜ぼうではないか。
(2017年10月6日)

韓国内の核武装容認論台頭を憂うる

憲法9条の恒久平和主義は、抑止論と対決し続けてきた。

抑止論は、「自国の武力の整備は、相手国の武力行使抑止の効果を持つ」「武力の整備を欠いた非武装無防備は、相手国の武力行使を誘発する」「武力の権衡あってこそ相互の攻撃を自制させる」「したがって、相互に均衡をした武力の整備こそが平和の条件である」という。

これが、論理においてまったく成り立たない愚論だとは思わない。しかし、過去の苦い歴史が、このような考え方こそが、軍拡競争をもたらし、恐怖の均衡に人々を陥れ、偶発的な均衡の破綻が悲惨な戦争をもたらしてきた。戦力の不保持を宣言する憲法9条の恒久平和主義は、過去の悲惨な歴史への真摯な反省からの決意であり、唯一の平和の保障策である。

核抑止論ともなれば、さらに問題は深刻である。冷戦終了後も、使う予定もなく、現実には使うこともできない核兵器の廃棄がいまだにできない。相互不信から核軍縮が十分に進展せず、核抑止論の克服ができないうちに、公然と核抑止論の有効性を掲げて核開発を進める北朝鮮の暴挙である。

核保有の5大国には、声を大にして核廃絶を迫らなければならない。米・韓・日の合同演習など軍事挑発行為にも反対しなければならない。しかし、同様に北朝鮮の核開発を批判しなければならない。防衛的なものだからとして容認してはならない。北朝鮮の核抑止論と核開発は、容易に他国に飛び火する。まずは韓国、次いで日本に、同じ論理での核開発を誘発しかねない。

北朝鮮の核とミサイル開発。北に直接対峙している韓国世論の動揺が深刻なようだ。以下は、発行部数韓国最大の朝鮮日報が報じるところ。
「韓国ギャラップが(9月)5~7日に実施した調査では『核武装に賛成』が60%で、『反対』の35%を上回った。野党・自由韓国党支持者で核武装に賛成する人は82%、同・正しい政党支持者で賛成する人は73%、与党・共に民主党支持者でも賛成(52%)の方が反対(43%)を上回っている。韓国社会世論研究所(KSOI)が8日と9日に成人男女1014人を対象に調査した結果も、『北朝鮮の核の脅威に対応して防衛の観点から戦術核を再配備すべきだ』という人が68.2%だった。『南北間関係をさらに悪化させるから戦術核再配備に反対する』という人は25.4%、「分からない・無回答」は6.4%だった。」
韓国世論は、いま深刻な事態にあるのだ。

同じく、日本語で読める朝鮮日報のサイトでは、「(保守系最大野党の)自由韓国党は9月10日、『戦術核再配備と核兵器開発のためのオンライン・オフライン1000万人署名運動』を開始した」と報じている。

また、9月16日付で、朝鮮日報は北朝鮮の核についての主筆のコラムを掲載している。「全く、国とは言えない」という表題の長文のもの。自国のこれまでの核政策を「国とは言えない」と強く批判するもの。1991年に韓国が在韓米軍の核を全面撤去して以来の、歴代韓国大統領による北朝鮮核開発への対応を具体的に無策と批判している。朝鮮日報が保守論壇を代表する立場にあるにせよ、これは見過ごせない。その一部を引用する。

1991年より前は、韓国に核(米軍の戦術核)があり、北朝鮮には核がなかった。それが、韓国から核がなくなり、北朝鮮に核があるという、あべこべの形になった。国際政治の歴史上、こんな逆転はない。一体どうしてこんなことが可能だったのか気になり、91年の本紙を読み直してみた。11月9日付、1面トップは『在韓米軍の核、年内に撤収』だ。その横にある、もっと大きな記事が『盧泰愚(ノ・テウ)大統領、韓半島(朝鮮半島)非核化宣言』だ。韓国国内の核兵器を全面撤去し、今後核を保有・製造・使用しないという内容で、『非核の門をまず南が開け、北に核の放棄を迫る』というものだった。
続いて12月19日付、1面トップは盧大統領の『韓国国内の核不在』宣言だった。米軍の戦術核が全て引き揚げられたという意味だ。92年1月1日付、1面の冒頭記事は『南北非核宣言完全妥結』だ。南北双方が核兵器の試験・生産・受け入れ・保有・貯蔵・配備・使用を禁止するという内容。北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れると約束した。その日、盧泰愚大統領は新年のあいさつで『われわれの自主的な努力により核の恐怖がない韓半島を実現しようという夢で、大きな進展が実現した』と語った。『北が核兵器製造技術を持たないと表明したことは、本当に喜ばしい』とも語った。
全ては、北朝鮮による完全な詐欺だった。南北非核化宣言に合意したその日も、北朝鮮は寧辺でプルトニウムを抽出していた。金日成(キム・イルソン)主席は米軍の戦術核が撤収したのを確認した後、韓国の鄭元植(チョン・ウォンシク)首相と会談した席で『われわれには核がない。在韓米軍を撤収させよ」と要求した。『核査察の約束を守れ』という韓国側の要求には答えなかった。韓国という国の間抜けなドラマと、北朝鮮の核の悪夢が同時に開幕した。
北朝鮮の核問題の過程は、歴代韓国大統領の北朝鮮に対する無知と幻想が国家の安全保障を崩壊へと追いやっていく、完全に『国家の失敗』の歴史だ。盧泰愚大統領の後を継いだ金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、北朝鮮が核爆弾を作っているにもかかわらず、就任演説で『いかなる同盟国も、民族より勝るということはあり得ない』と語った。金大中(キム・デジュン)大統領は、金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談を終えた後、『われわれにも新しい日が差してきた。分断と敵対に終止符を打ち、新たな転機を開く時期に至った』と語った。『北は核を開発したこともなく、能力もない。私が責任を持つ』という発言が報道されたこともあった。…」

NHK(WEB)によれば、「北朝鮮外務省でアメリカを担当する幹部(北米局のチェ・ガンイル副局長)は、15日の弾道ミサイル発射について、『核抑止力強化のための正常な過程の一環だ』と述べ、アメリカのトランプ政権が北朝鮮政策を転換しない限り、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「そのうえで、『アメリカがわれわれを敵視し続け、核で脅し続けるかぎり、われわれは絶対に核兵器とミサイルを協議のテーブルに載せない。まずアメリカが敵視政策と制裁をやめてこそ、対話になる』と述べ、トランプ政権が北朝鮮政策を転換しないかぎり、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「また、『核・ミサイル開発は自衛的な措置だ』とする主張を改めて示」した、という。

北朝鮮の、「自国の核開発は自衛的な措置だ。凶悪なアメリカの核攻撃を抑止する唯一の手段だ」という主張は、韓国や日本の好戦勢力や防衛産業にまことに好都合。同じ理屈で核武装や核持ち込みのシナリオを描くことができる。

金正恩。その世襲制、個人崇拝、反人権、非民主的な体制だけでなく、絶対悪としての核をもてあそぶその姿勢においても批判されなければならない。

北朝鮮の地下核爆発実験の報には心が凍りつく。どうして、笑っていられのだろうか。金正恩も開発に携わった科学者たちも。広島や長崎の被爆者の叫びを聞け。叫ぶ術もなく死んでいった多くの人々の声を聞け。核抑止論を主張する人々は、原爆資料館に足を運ばねばならない。丸木美術館で原爆の図を凝視しなければならない。

いまは、関係各国に無条件で和解のテーブルに着くべきだとする国際世論を喚起するしかない。「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」(核兵器禁止条約)の締結が、国際世論の本流になっているいま、その声が巻きおこらぬはずはない。
(2017年9月17日)

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