澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないこと」ー グテーレス

(2022年8月6日)
 8月6日。「広島原爆の日」である。77年前の今日、広島市民の頭上で原子爆弾が炸裂した。人類史上最大規模の残虐な殺戮行為である。広島が軍都であったにせよ、明らかに過剰な民間人に対する虐殺と破壊。余りにも大きな「人間の悲劇」が今になお続いている。

 季語では「原爆忌」。怒り・悲しみ・祈りの句が詠まれる。本日の東京新聞「平和の俳句」欄に、黒田杏子選の次の一句。

 ノーモア ヒロシマ ナガサキ ウクライナ (冨田清継・名古屋市)

 これまでは、「ノーモア ヒロシマ ナガサキ ビキニの悲劇」であったが、今や「ウクライナ」なのだ。「ウクライナ」(実は、プーチンのロシア)が、差し迫った核の脅威の象徴となっている。ウクライナに限らず、世界は核をめぐる緊張の中にある。日本の国内にさえ、「核共有」論者が現れている現状。

 その緊張の中で、恒例の「広島・平和祈念式典」が開かれた。注目は、岸田文雄首相とグテーレス国連事務総長の「挨拶」。端的に言えば、この2人の核廃絶に対する熱意の落差だ。世界の良識が核廃絶を求める本気度に比較して、日本の政権の核廃絶に対する熱意のなさがいかに浮き彫りになるのかという関心である。

 原爆投下時刻の午前8時15分に参列者が黙禱を捧げたあと、松井一実市長が平和宣言で「一刻も早く、すべての核のボタンを無用のものにしなくてはならない」と訴えた。ほかならぬロシアの文豪トルストイが残したとされる「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない」という言葉を引用して、核保有国の傲慢を批判した。注目されたのは、核兵器禁止条約に否定的な日本政府に対する批判に言及したこと。岸田首相を目の前にして、来年の第2回締約国会議への参加や、条約への署名・批准を求めた。

 岸田文雄のあいさつ要旨は以下の通り。

 「あの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは唯一の戦争被爆国であるわが国の責務であり、被爆地広島出身の首相としての誓いです。
 核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、「核兵器のない世界」への機運が後退していると言われている今こそ、広島の地から「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と世界の人々に訴えます。
 いかに難しかろうとも、核兵器のない世界への道のりを歩みます。非核三原則を堅持しつつ、厳しい安全保障環境という「現実」を核兵器のない世界という「理想」に結びつける努力をします。
 私は先日、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に日本の首相として初めて参加し、世界の平和を支えたNPTを国際社会が結束して維持・強化すべきだと訴えました。
 来年は広島で主要7カ国首脳会議(G7サミット)を開催します。G7首脳と共に、平和のモニュメントの前で、自由、民主主義といった普遍的な価値観を守るために結束していくことを確認したいと考えています。
 核兵器のない世界の実現に向けた歩みを支えるのは世代や国境を越えて惨禍を語り伝え、記憶を継承する取り組みです。」

 聞いていて、訴えるところがない。まことに平板で熱意の感じられないあいさつであった。核禁条約には頑なにまで触れない。何かしら、特別の裏事情でもあるのだろうか。

さて、注目のグテーレスである。
 立派な演説だった。核禁条約を「希望の光」として、今年6月の第1回核兵器禁止条約の締約国会議の意義を強調した。そして、「広島の恐怖を常に心に留め、核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだ」と、核抑止力を明確に否定した。これが、世界の良識なのだ。以下、抜粋して要約する。

 「新たな軍拡競争が加速しています。世界の指導者たちは毎年数千億ドルもの資金を費やして、兵器の備蓄を強化しています。世界では約13,000発の核兵器が保有されています。そして深刻な核の脅威が、中東から、朝鮮半島へ、そしてロシアによるウクライナ侵攻へと、世界各地で急速に広がっています。

 核兵器保有国が、核戦争の可能性を認めることは、断じて許容できません。人類は、実弾が込められた銃で遊んでいるのです。

 希望の光はあります。
 6月には核兵器禁止条約の締約国が初めて集い、終末兵器のない世界に向けたロードマップを策定しました。そしてまさに今、ニューヨークでは、核兵器不拡散条約の第10回運用検討会議が開催されています。

 本日、私は、この神聖な場所から、この条約の締約国に対し、私たちの未来を脅かす兵器の備蓄を廃絶するために緊急に努力するよう呼びかけます。
 核兵器保有国は、核兵器の「先制不使用」を約束しなければなりません。また、非核兵器保有国に対しては核兵器を使用しないこと、あるいは使用すると脅迫しないことを保証するべきです。さらに、核兵器保有国はあらゆる面において透明性を確保しなければなりません。

 私たちは、広島の恐怖を常に心に留め、核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだと認識しなければなりません。」

「もう二度と、広島の悲劇を引き起こさないでください。
 もう二度と、長崎の惨禍を繰り返さないでください。」

NPTと核禁条約の落差 ー NPT再検討会議岸田演説が明るみに出したもの

(2022年8月3日)
 7年ぶりとなったNPT(核兵器不拡散条約)運用再検討会議。8月1日の岸田首相一般討論演説(日本語)が、官邸ホームペーに全文掲載されている。

https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0801enzetsu.html

 この演説、被爆者や原水禁活動家の間ではすこぶる評判が悪い。新聞の見出しに「NPT会議 首相演説、核禁条約を無視」「『核廃絶へもっと強いメッセージを』 首相NPT演説に被爆地の声」「被爆者ら冷ややか 『核禁条約無視した』『廃絶の思い本心か』 NPT会議首相演説」という具合。赤旗は「首相演説 憤る被爆者」と見出しを打った。何よりも、この時期最も重要な核禁条約に一言も触れていないことが致命傷。「核廃絶の思い本気か」「言ってることは本心なのか」と疑問視されて、当然といえば当然。

 被爆者や原水禁活動家の核廃絶を願う思いの深さ、真剣さからみれば、岸田の言葉の軽さに不満が募るのは当然なのだ。東京生まれで東京で育ちながら、「広島出身」をウリにしている岸田である。「一番大切な核兵器禁止条約について、一言も触れなかった」「そのことの重要性を知らないはずはないのにことさらに無視した」という不満は大きい。

 だが、この演説にとるべきところがないわけではない。少なくとも、「核共有」などと口走っていた安倍晋三などと比較すれば、ずっと真面目だとは言える。安倍晋三なんぞと比較してどうするという叱責を覚悟で、まだましというべきであろう。何しろ、日本の首相として初めてこの会議に出席したのだから。

 以下、重要部分を抜粋して意見を述べておきたい。なお、小見出しは、原文にはなく、私が付けたもの。

《現状認識(現実)》
 国際社会の分断は更に深まっています。特に、ロシアによるウクライナ侵略の中で核による威嚇が行われ、核兵器の惨禍が再び繰り返されるのではないかと世界が深刻に懸念しています。
 「核兵器のない世界」への道のりは一層厳しくなっていると言わざるを得ません。

《目標(理想)》
 しかし、諦めるわけにはいきません。被爆地広島出身の総理大臣として、いかに道のりが厳しいものであったとしても、「核兵器のない世界」に向け、現実的な歩みを一歩ずつ進めていかなくてはならないと考えます。

《NPTの位置付け》
 そして、その原点こそがNPTなのです。NPTは、軍縮・不拡散体制の礎石として、国際社会の平和と安全の維持をもたらしてきました。NPT体制を維持・強化することは、国際社会全体にとっての利益です。この会議が意義ある成果を収めるため、協力しようではありませんか。我が国は、ここにいる皆様と共に、NPTの守護者として、NPTをしっかりと守り抜いてまいります。

 以上の《現状認識(現実)》《目標(理想)》はともかく、《NPTの位置づけ》はまことに物足りない。NPTは、5大国には核保有を認めて、それ以外の諸国への核拡散を防止することを主内容とする。もちろん核保有国には核軍縮の義務を定めるが、不公平甚だしい。

 これに反して、核兵器禁止条約は、核兵器の開発、保有、使用の全てを違法とし、これを禁じる内容である。被爆国である日本がNPTを持ち上げ、「NPTをしっかりと守り抜いてまいります」というのは、積極的に核兵器禁止条約に背を向け、核の温存をはかろうというに等しい。

 それでも、岸田演説を全面否定し得ないというのは、以下の具体的な提案があるからだ。

《理想と現実を結ぶロードマップ》
 「核兵器のない世界」という「理想」と「厳しい安全保障環境」という「現実」を結びつけるための現実的なロードマップの第一歩として、核リスク低減に取り組みつつ、次の5つの行動を基礎とする「ヒロシマ・アクション・プラン」にまずは取り組んでいきます。

(1) まず、核兵器不使用の継続の重要性を共有すべきであることを訴えます。ロシアの行ったような核兵器による威嚇、ましてや使用はあってはなりません。長崎を最後の被爆地にしなければなりません。
(2) 次に、核戦力の透明性の向上を呼びかけます。とりわけ、核兵器用核分裂性物質の生産状況に関する情報開示を求めます。これはFMCT(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の交渉開始に向けたモメンタムを得る上で重要な一歩であると考えます。
(3) 第三に、核兵器数の減少傾向を維持することです。「核兵器のない世界」に歩みを進める上で、この減少傾向を継続することは極めて重要です。全核兵器国の責任ある関与を求めます。
 この観点から、CTBT(包括的核実験禁止条約)やFMCTの議論を、今一度呼び戻します。CTBTの発効を促進する機運を醸成すべく、9月の国連総会に合わせて、私は、CTBTフレンズ会合を首脳級で主催します。また、FMCTの交渉の早期開始を改めて呼びかけます。
(4) 第四に、核兵器の不拡散を確かなものとし、その上で、原子力の平和的利用を促進していくことです。
 原子力の平和的利用は、原子力安全と共に進めるべきものです。この度のロシアによる原子力関連施設への攻撃は決して許されるものではありません。日本は、2011年の事故の教訓を基に、被災地復興や廃炉に関連する様々な課題に取り組みます。国際原子力機関始め国際社会と協力し、内外の安全性基準に従った透明な取組を進めます。
(5) 第五に、各国の指導者等による被爆地訪問の促進を通じ、被爆の実相に対する正確な認識を世界に広げていきます。この観点から、グテーレス国連事務総長が8月6日に広島を訪問することを歓迎します。
 また、国連に1千万ドルを拠出して「ユース非核リーダー基金」を設け、未来のリーダーを日本に招き、被爆の実相に触れてもらい、核廃絶に向けた若い世代のグローバルなネットワークを作っていきます。
 「核兵器のない世界」に向けた国際的な機運を高めるため、各国の現・元政治リーダーの関与も得ながら、「国際賢人会議」の第一回会合を11月23日に広島で開催します。
 また、2023年には被爆地である広島でG7サミットを開催します。広島の地から、核兵器の惨禍を二度と起こさないとの力強いコミットメントを世界に示したいと思います。

 以上の(1)と(2)は具体性に欠けるお題目に過ぎず、(4)は原発再稼働のたくらみとして用心しなければならないが、(3)と(5)には具体的な実行課題の設定が見える。これだけでも、安倍晋三なんぞよりはずっとマシだ。「広島を選挙区とする政治家」として、せめてこれくらいは実行していただきたい。さすれば、落ち込んだ支持率のいささかの回復も見込めよう。

核戦争防止と核廃絶の方針に揺るぎのない、日本共産党へのご支援をお願いします。

(2022年6月24日)
 ロシアのウクライナ軍事侵攻開始以来、今日でちょうど4か月。2月24日のあの衝撃を思い出す。国境を越えたロシア軍の侵攻に驚いたただけでなく、プーチンの核威嚇に驚いた。軍事侵攻開始演説で彼は、「ロシアは世界で最も強力な核保有国の一つ」とわざわざ言ってのけたのだ。おそらくは、NATO加盟国に対する威嚇であり恫喝である。凶暴、これに過ぐるものはない。

 さらに、プーチンは、NATOに対抗するとして、ロシア軍の「核抑止力部隊」の「特別態勢移行」を国防相らに命じている。明らかな、核による脅しである。暴力団まがい脅迫。法が支配する文明社会では、明らかな犯罪行為。国連憲章違反でもある。

 このプーチンによる核威嚇には生理的な嫌悪感を禁じえない。世界中で、プーチン・ロシアを徹底して批判しなければならない。言葉の真の意味でのゴロツキの行為として。

 核に対する嫌悪と拒絶の感情は、戦後の日本国民が共有したものでものである。ところが今、一部にもせよ、国内に「核には核を」「非核三原則の見直しを」「核共有の検討を」などという議論が起こっていることが信じがたい。私にはとうてい受け入れがたい。

 私は、戦後民主主義の空気を胸いっぱいに吸って育った。私の周りに、とりたてて進歩的な人がいたわけではない。革命の理想など聞かされた経験はない。それでも私は時代の空気を吸い、時代によって育てられた。

 全ての人が例外なく平等であることは当然で疑問をもったことはない。そして、戦争は愚かなことで平和が尊いものであることも、すんなりと受け入れた。愚かで悲惨な戦争の象徴が原爆だった。

 私は、小学校1年生時は広島で過ごした。爆心地近くの幟町小学校に入学し、その後牛田小学校、三篠小学校と転校した。当時、原爆ドームは整備されておらず、瓦礫が散乱していた。立ち入りの制限もなく、そこを遊び場にしていた記憶がある。

 どの学校の先生だったか、担任の女性教師の顔にはケロイドがあった。広島がピカでやられたこと、ピカを許してはならないことが深く心に刻み込まれた。そして、小学校4年生の3月、当時清水に暮らしていて焼津港の第五福竜丸の被害を身近に知った。放射能の雨に恐怖をおぼえた。

 以来、何よりも核兵器の廃絶こそが人類が生き延びるための喫緊の最重要課題であると考えるようになった。幣原喜重郎の制憲国会での答弁の言い回しを借りれば、「人類が核兵器を廃絶しなければ、核兵器によって人類は滅亡に至る」のだ。

 この点、日本共産党は「人類の死活にかかわる核戦争の防止と核兵器の廃絶」を綱領にかかげ、その実現のために力を尽くしてきている。そして、現状の認識としては、「ロシアのプーチン大統領が核兵器使用の威嚇をくりかえしていることに世界が懸念を強めています。今日の核兵器使用の現実的危険を絶対に許さず、『核兵器のない世界』へと前進することが急務です」と述べている。国政選挙に際してはこの政党を投票先とせざるを得ない。

 折も折、ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議は最終日の23日、核廃絶への決意を示す政治宣言と、批准国の方針を記した50項目に及ぶ「ウィーン行動計画」を採択して閉幕した。

 政治宣言は「核兵器の完全な廃絶を実現するという決意」を再確認のうえ、核禁条約を「その基礎となる一歩」と表現した。核兵器の人道的影響について「壊滅的で対処することができない」とし、核兵器を「生命に対する権利の尊重とは相いれない」と断じた。また、宣言では核保有国の「核の傘」の下にある国も「真剣な対応を取っていない」と批判。一方で、核保有国との対話もめざす内容になった。

 さらに、核抑止論について「地球規模の破滅的な結果をもたらすリスクを前提としたもの」として、「誤り」と明確に断じた。核保有国や「核の傘」にある同盟国について「真剣な対応を取っていないどころか、核兵器をより重視する過ちにある」と批判している。

 条約非締結国で、オブザーバー参加のドイツの発言が注目を集めた。「NATO加盟国としての立場と一致しない条約には参加できない。しかし、ロシアによる核威嚇に関し、核使用を禁止する規範の強化が必要だ。条約の賛否を越えて、肩を並べて協力することが出来る。核廃絶に向けて、心を開き、誠実に対話することが必要不可欠だ。そのためにドイツはここにいる」というもの。

 どうして、被爆国である日本が、ドイツと同じように、「核廃絶に向けて、心を開き、誠実に対話することが必要不可欠だ。そのために日本はここにいる」と言えないのだろうか。

 政府の核政策の矛盾を果敢に追求する、今後の国会論戦に期待したい。そのためには、日本共産党の国会内での勢力が小さいままでは、迫力に欠ける。核戦争防止と核廃絶を願う有権者の皆様には、核廃絶の方針に揺るぎのない日本共産党の候補者への投票をお願いしたい。

 7月10日投開票の参院選。比例代表では「日本共産党」という政党名を。あるいは「にひそうへい」「田村智子」などの候補者名を記載して投票してください。

「ラッセル・アインシュタイン宣言」 ー その今日的な意味の再確認を

(2022年3月13日)
 本日、公益財団法人・第五福竜丸平和協会の理事会。年度末だから、決算・予算案を確定しなければならない。新年度の事業計画も策定しなければならない。全理事と監事が揃っての会合となった。

 事務局が作成した「2022年度事業計画(案)」の中に、次の一節がある。

 「核兵器禁止条約の発効に見られる核なき世界への努力の一方で、核兵器の増強や核使用が危惧される事態などを視野に入れ、核使用・核開発がもたらす惨禍を広く知らせる。」

 その具体策、《企画展【展示替え】等のとりくみ》として、こう提案され、了承された。

 「本年度最初の春の展示替えは、「ラッセル=アインシュタイン宣言」のコーナーをリニューアルする。宣言の持つ今日的意義、出された経緯、署名者の紹介などを説明する。これと結び人類的課題である気候変動問題などをマーシャル諸島の実情などと関連づけてとりあげる。」

 第五福竜丸の被ばく被害の衝撃が、日本国内の原水爆反対の国民的大運動となり、これが海外へも波及して「ラッセル・アインシュタイン宣言」、さらには「パグウォッシュ会議」となった。この、世界の核廃絶世論形成の経過は、現在常設展示されてはいる。しかしいま、その今日的意味の再確認と積極的な訴えが必要なのだ。ウクライナに武力侵攻したロシア自身が敢えて核の脅迫を辞さず、これに触発された内外の核武装論も危険この上ない。

 同宣言は、1955年7月9日、英国の数学者・哲学者ラッセルと米国の物理学者アインシュタインを中心とする11人がロンドンで署名した宣言。核兵器による人類の危機を訴え、紛争解決のために平和的手段を見出すよう勧告したもの。

 「ラッセル=アインシュタイン宣言」は、誰もが知っているが、訳文でもきちんと目を通した人は意外に少ない。これがかなりの長文であることもその原因の一つではなかろうか。

 その一部を抜粋して、「今日的意義」を訴えたい。

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 私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。

 私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。

 一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。

 水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。

 現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。

 さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?

 たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。

 人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。

 私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

決議
私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」

参院予算委中央公聴会 松井芳郎氏の公述から ー ロシアはどう間違っているのか

(2022年3月12日)
 松井芳郎・名古屋大学名誉教授は、国際法の権威として知られる。かつて国際法学会の理事長(2000~2003年)を務め、現在は名誉理事(2003年~)である。その人が、3月8日参院予算委中央公聴会でロシアのウクライナ侵攻問題について公述人として発言した。国際法から見たロシアの違法。そして、核抑止論、敵基地攻撃論、核共有論にまで論点は及んだ。できるだけ正確に、要点をご紹介したい。

※陳述の概要について
 私に与えられた課題は、ウクライナ危機についての国際法的な問題点について話をしろという御注文でありましたが、参議院予算委員会の議論でありますので、日本ともどういう関わりがあるかということを最後に簡単に触れることができればいいと思っております。

※ ロシアの国際法違反を確認する意味
 まず最初に、ウクライナ危機について、国際法とか国連がどのように関わるかという問題でありますが、ロシアの行動が国際法を踏みにじった暴挙であるということはもう国際社会で一般に行き渡っておりまして、日本でも、政府もそう言っておりますし、衆議院、参議院でもその趣旨の決議をしておられるという状況でありまして、今更国際法学者が出向いて国際法に違反しているよというふうな議論をしても余り意味がないようにも思われます。しかし、やっぱりどの点にどのように違反しているかということを確認するのは、この問題、解決を考える際に必要なことだろうというふうに思っております。

※ 国連は無力ではない
 それから、国連無力論というのも一部に登場しておりまして、ロシアがあんなひどいことをやっているのに国連何もできないじゃないかという議論であります。これについても是非考えておく必要があるだろうと思っております。
 それで、3月2日の国連の緊急特別総会の決議がロシアに対してどういう非難をし、どういう要求をしているかということを簡単に箇条書をいたしました。ここに含まれているような論点がこの危機が示す国際法上の論点だろうというふうに思って箇条書にしたわけであります。時間が詰まっておりますので一々読み上げませんが、御覧をいただきたいと思います。

※ 触れない論点
 なお、国際法の問題を取り上げると申しましたが、最近特に問題になっている原発への攻撃ですね、それから、これは紛争の始まった当時からずっと言われている文民とか民用物への攻撃、これは国際人道法に違反するのではないかという議論がございますが、残念ながらこれには触れることができない。
 それからもう一つ、この紛争で行われている、特にロシア側の様々な戦闘行為が戦争犯罪に該当するんじゃないかということで、これを処罰しようという動きが国際刑事裁判所等でも行われておりますが、これにも触れることはできません。
 紛争自体、ロシアの武力行使自体が国際法的にどういう問題を含んでいるかということに絞りたいと思います。

※ ロシアの武力行使正当化の論拠
 ロシアがこの作戦をどういう根拠で説明しているのかということであります。まだ紛争始まってそんなにたつわけではありません。つまり、武力が使われてそんなにたつわけ ではありませんので、系統立った国際法的な説明というのはロシア側はやっておりません。準備の時間が余りなかったので十分調べられておりませんけれども、プーチン大統領の幾つかの演説が新聞紙上でも大きく報道されました。それから、国連機関、安保理事会とか総会で議論が行われておりまして、もちろんロシア代表が発言しております。そういうところから大体ロシアはこういうつもりだろうというところを取り上げてみたのがその次の項目であります。
 まず、何よりも先頭に来るのが国連憲章第51条、プーチンさんの演説も具体的にこの条を援用しておりますが、これに基づく自衛権の行使だということです。これが中心的な議論だろうと思います。
 これに二つの側面がありまして、一つはロシアが承認したと言っておりますウクライナの東部地域の、ロシア系の人たちがつくった国ですね、そういう国からの要請に基づいて集団的自衛権を行使しているという議論であります。もう一つは個別的自衛権の議論でありまして、ウクライナが核兵器の取得を追求している、あるいはNATO加盟を求めている。それから、ロシアに対して様々な領土要求を行っているというふうなことを挙げまして、これに対する自衛だということは、つまり個別的自衛という主張であります。
 とりわけNATOの加盟については大変敏感でありまして、越えてはならない一線だと。それを越えたじゃないかという言い方をしております。
 もう少し一般的に申しますと、ウクライナの「非軍事化」と「非ナチ化」ということを何度かいろんな場所で言っておりまして、これは要するにウクライナの体制自体を変更するという要求あるいは意図を示しているというふうに思われるわけであります。

※ 武力行使禁止原則違反
 それでは、こういった根拠による武力行使が国際法上どのように評価されるかという問題であります。
 何よりも武力行使禁止原則違反であります。このことは総会決議も非常に強調して、侵略行為という非常にきつい言葉を使って非難しているところであります。
 50年ぐらい前になりますが、「侵略の定義」という国連総会決議がありまして、「一国の軍隊による他国の領域に対する攻撃、侵入、占領は侵略行為になる」ということで、これに責任を負う指導者は個人としても刑事責任を負うという考えが確立しております。
 もっとも、幾つかの違法性阻却事由が考えられるわけでありますが、自衛権については、自衛権の行使を主張する国は相手国が自国に対して武力攻撃を行ったということ、そして、自国の対応は攻撃に対して必要であり、かつ均衡が取れたものであるということを証明しなければならないというふうにされております。
 しかし、ロシア自身がウクライナによる武力攻撃があったとは言っておりません。これはもう客観的にもそういう攻撃があったとは言えないと思いますが、ロシアの言い分では、自国に向けられた脅威に対して自衛をしているという言い方であります。しかし、単なる脅威では自衛権の発動は正当化できません。

※ ジェノサイドの防止は国連の役割
 それからもう一つ、これもプーチン大統領等がしばしば言うことでありますが、ジェノサイドの防止、つまり東部諸国、ロシアが承認した東部諸国でウクライナ政府がロシア系の住民に対してジェノサイドを行っているという、これをやめさせるんだという議論であります。
 確かにジェノサイドは国際法上の犯罪でありまして、これも刑事責任が発生する問題でありますが、これに対処するのは国際社会全体、とりわけ国連の役割でありまして、個々の国家が自称お巡りさんのようにしゃしゃり出て武力を使うというようなことを正当化するわけではありません。
 実際にジェノサイドが行われているかどうか、行われているとすれば、ロシアがそのジェノサイドをやめさせるためにいろんなことをやる、そういうことができるのかどうかということをウクライナが国際司法裁判所に提訴をしておりまして、裁判が始まるかどうかはなお未知数でありますけれども、もし判決が出れば、その辺りのことは司法的に明確になるというふうに考えております。

※ 不干渉原則の侵害
 それから、不干渉原則の侵害ということがありまして、ウクライナがどのような対外政策、例えばNATOに入るかどうかですね、どのような対内政策を取るかということは、国際法が認める範囲内でウクライナ自身が決めることでありまして、これらの問題について何らかの圧力を掛けて、武力には限りませんが、圧力を掛けてああしろこうしろと言うことは不干渉原則に違反をいたします。
 それから、東部諸国の独立承認という問題ですが、これらの諸国、中身をお話しする時間はありませんけれども、国家として国際法上国家と認められる要件を備えていないというふうに思われますし、国家でなくても自決権を有する人民と認められれば、これに対する援助をするということも違法ではありませんけれども、そういう人民でもない。むしろ、ロシアが言わばでっち上げた、日本の歴史を思い起こせば、満州国のようなかいらい政権であろうというふうに見られます。
 そういう政権に対して承認を与えることはウクライナに対する違法な干渉となります。
 それから、ウクライナの「非ナチ化」、つまり体制変更を求めるというのは、実はイラク戦争のときにもアメリカはちらっとそういうことを言ったんですが、これは同盟国からもう全て、例えば英国等からも総スカンを食いまして、少なくとも表立った目標として体制変更を掲げるのは妥当ではないということが確認されたと思われます。もちろん、ウクライナの政治的独立の侵害となります。

※ 大ロシア主義を思わせる拡張政策
 その次の問題は、周辺諸国に対して昔の大ロシア主義を思わせるような拡張政策を繰り返して取っていること。
 最近では、ウクライナについても、「あれは実は昔はロシアの一部であったので、ロシア革命の際にレーニンが間違って独立を認めちゃった、それが問題なんだ」ということをプーチン大統領などは言っておりますから、これはひょっとして「昔の領土だから返せ」という議論につながっていくのかもしれません。
 それから、もちろん国連憲章でいえば紛争の平和的解決義務にも違反しております。NATOの、ウクライナNATO加盟はロシアの安全保障上の懸念になっているということは、国連の議論でも幾つかの国が認めているわけです。しかし、そういう懸念があるからといって、それは平和的な交渉等で解決するべき問題でありまして、そのために武力を使うということの根拠にはならないというふうに考えます。
 この紛争自体の国際法上の問題、これに尽きませんが、主要な論点は以上のようなことかと思います。

※ 国連は正常に機能している
 国連における討論の経過は、ロシアの行動が国際社会の圧倒的多数の世論によって批判され、やめるように求められているということを明らかにしています。「国連は結局何もしていないじゃないか」と言われる方もありますけれども、国連は一応、国連憲章と関連の決議が定めるとおりに機能しております。
 確かに、総会決議は法的な拘束力を持たないわけですけれども、国際世論を結集するという意味では非常に重い道義的、政治的意義を有するわけでありまして、今回の緊急特別総会の決議もそのような意味が大きいだろうと思われます。
 確かに、具体的な措置は何もとられていないわけですが、これは国連憲章の欠陥とか国連の落ち度ということではなくて、むしろロシアが核大国であって、しかもしばしば核兵器を使うという脅しを掛けている、このことがやっぱり一定の効果を上げているという側面が否定できませんで、むしろそちらが問題だろう。

※ 核抑止論こそが問題
 で、その裏返しとして、国連が機能していないということを理由にして、核抑止でやっぱりやらなきゃ駄目だという議論が一部に登場しておりますが、核抑止というと大変現代的な概念のように思われますが、歴史的に見れば、十九世紀の国際社会を支配していた勢力均衡の考え方と基本的には同じでありまして、その勢力均衡がうまくいかなかったからこそ国際連盟で集団安全保障がつくられたという経過があります。したがって、核抑止論でいこうという議論は、実は十九世紀的な古い古い国際関係に戻るべきだと主張でありまして、これはとても取ることはできないだろうというふうに思われます。 

※ 敵基地攻撃論はロシアと同じ過ち
 で、それとも関わりまして、現在、日本ではいわゆる敵基地攻撃論が検討の対象になっておりますが、下手をすると、敵基地攻撃をやれば今回のロシアと同じ立場に立つ危険があるということを認識しておく必要があるだろう。つまり、自衛権の行使である、敵基地攻撃を自衛権の行使であるという説明をしようとすれば、そのことは事実において立証しなければいけませんが、今回ロシアが全くできていないように、日本も、もし、そういう場合、立場に立てば、立証が非常に困難であろうというふうに思われます。で、立証できなければ日本が侵略者だということになってしまうわけであります。

※ 核共有論の危うさ
 それから、もう一つ、これも懸念されることでありますが、ごく一部のようですけれども、核共有という議論があるように見受けます。つまり、非核三原則を外して核を持ち込ませて、そしてその引き金に日本も手を掛けるというふうな仕組みをつくるべきだという議論です。言うまでもなく、これは日本の国是である非核三原則に反する、少なくとも一原則はほごにするということになるわけでありますが、それだけではなくて、核拡散防止条約ですね、NPT、この第二条で非核兵器国の義務というのが幾つも定められておりますが、そのうちの一つに核兵器の管理を直接又は間接に受領しないことという義務がありまして、これに違反するだろうというふうに考えております。

 もう時間が過ぎましたので、取りあえず、以上でお話終わります。どうもありがとうございました。

ウラジーミルとシンゾー、僕たち「核こそ大事」の2人組み。一緒に核を背負ってゴールまで、駆け抜けようね。

(2022年3月1日)
 「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」

 ウラジーミルとは言わずもがなのプーチンのこと。読むだに恥ずかしいこのセリフをシラフで口にしたのは、ウラジーミルの親友アベシンゾーである。2019年、ウラジオストク「東方経済フォーラム」でのスピーチの一節。

 「カムパネルラ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」「うん。僕だってそうだ」「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」「僕わからない」「僕たちしっかりやろうねえ。」
 「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」

 カムパネルラとジョバンニだから、美しい寓話となる。プーチンとシンゾーでは、醜悪極まるというだけではなく、危険この上ない。

 プーチンとシンゾーは「2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けた先のゴールに、何を想定していたのだろうか。どうやら、相互に核を保有し、相互に核の威嚇を容認する新たな世界秩序のことのようなのだ。

 今日は、3月1日ビキニデー、8月6日・8月9日とならんで、世界の人とともに核廃絶の誓いを新たにすべき日である。大戦終了から10年を経ない1954年3月1日、南太平洋のマーシャル群島ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験で第五福竜丸の乗組員23名が被爆した日。
 
 今年のビキニデーは、これまでにない緊迫感に包まれている。ウクライナに侵攻したプーチンが、作戦展開の遅延に苛立ってのことか、ロシアの核兵器抑止部隊を高度警戒態勢として、核による威嚇をチラつかせる事態となっているからだ。そして、親友アベシンゾーが、これに呼応するごとくに、米国が日本に配備した核兵器を日米が共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)」について検討すべきだと言い始めたのだ。

 2月27日、プーチンは「西側諸国が経済面でも不法な制裁をすると攻撃的な発言をしている。したがってロシア軍の抑止力部隊を特別戦闘準備態勢に移すことを命令する」と、明らかに核兵器使用を示唆する威嚇の発言。経済制裁には核の使用もあるぞ、という脅し。

 同日、これに呼応する親友シンゾーはフジテレビの番組に出演して、「この世界はどう安全が守られているのかという現実の議論をタブー視してはならない」「米国の核兵器を国内に配備し、日米共同で運用する『核共有』政策の導入について議論すべきだ」と発言。核保有容認のタカ派ぶりを露わにした。

 この「アベ好核発言」に対して、被爆者から、「あきれた。被爆者で国会議事堂を取り囲んで、『発言を取り消せ』と訴えたい」。「核も戦争もない日本を76年間守ってきたけれど、政治が危険な方向に進んでいる気がする。死んでも死にきれんで」「原爆の日にはいつも『非核三原則を堅持する』と述べていたが、彼の本音が出たと感じた。日本は戦争被爆国として核廃絶をリードする立場にあるのに」「すごく怖い。核で平和は絶対に保てない。核開発競争で恐怖が増大し、悪循環に陥るだけ。非常に危険な考え方で、根本から変える必要がある」「核戦争の危機が高まっている今、核を一つでも二つでも減らす、軍縮のテーブル作りを日本がすべき時だ。軍拡競争に拍車をかけかねない発言で到底許されない」などと強い怒りと非難の声が寄せられている(毎日)。

 多少の救いは、首相の国会答弁である。昨日(2月28日)の参院予算委員会で、岸田文雄は「核共有」政策の導入を明確に否定した。「平素から自国領土に米国等の核兵器を置くといった枠組みを想定しているなら…『持たず、つくらず、持ち込ませず』という非核三原則堅持という我が国の立場から考えて認められない」と明言した。この答弁は田島麻衣子議員(立憲民主)の質問に答えたもの。首相が、アベでなくて本当によかった。

 また、首相はロシアの核兵器抑止部隊が高度警戒態勢に入ったことについて「事態を更に不安定化させる危険な行為だ。唯一の戦争被爆国である我が国としても、厳しく問題点を指摘しなければならない」とした。ロシアのウクライナ侵略は国際法違反であり断じて許容できないと厳しく非難した。こちらは、自民党議員への答弁。

 アベシンゾーの発言を否定した形だが、首相としては、政権維持のためには、核廃絶の世論に耳を傾けるべき以外にないと考えたに違いない。非核三原則を堅持し「核なき世界」実現への姿勢を堅持しなければ、政権はもたないことを知るべきなのだ。

 ウラジーミルとシンゾー、僕たち2人の力で、一緒に、駆けて、駆け抜けようではありませんか。世界の世論に見捨てられる淋しいゴールまで。

岸田首相よ。核保有国の声ではなく、ヒバクシャたちの声を聞け。

(2022年1月23日)
 核兵器禁止条約は、昨年1月22日に発効した。それから1年である。条約の批准国・地域は現在59。この3月には、オーストリア・ウィーンで第1回締約国会議が開かれる。日本は唯一の「戦争被爆国」として、この条約への姿勢が問われている。当然にこの条約を締結すべきでもあり、少なくも締約国会議にオブザーバー参加をしなければならない。被爆者団体も、原水禁運動団体も、広島・長崎の市民も、国内の平和運動も、一斉に声を上げている。

 核禁条約はあらゆる核軍備を違法とする内容である。初めて、核兵器の開発、実験、生産、保有、使用などを全面的に禁じた画期的な内容。国連加盟の6割にあたる122カ国・地域の賛成で2017年7月に採択された。世界の122か国が賛成して採択されたこの条約を日本が批准できなはずはない。いや、日本がこの条約に背を向けることは許されない。締約国以外では、ドイツがオブザーバー参加する方針を表明して話題となっている。日本政府も決断すべきだ。

 岸田首相や林外相の言うところは、「(核禁条約は)核兵器のない世界に向けての出口にあたる重要な条約だ」との認識を示しつつ、「世界最大の核兵器国である米国を動かすことを日本としてやらなければならない」「核兵器保有国が1カ国も参加していない。最終的なゴールを目指すには、核を持っている国と持っていない国がしっかりと話をしていくことが重要だ」というだけのことである。核禁条約に加盟できない理由になっていない。

 「核禁条約に米国が入っていない。核兵器保有国が1カ国も参加していない。だから日本も参加できない」はまったく理解不能である。日本が締約国になって、国民の核廃絶の大きな世論を背景に、核保有国との協議を続ければよいではないか。それができないとする考えは理解しがたい。

 岸田内閣は、核禁条約は敬遠して、核不拡散条約(NPT)大事に執着しているようだが、とうてい納得できない。かつて部分核停条約ができたとき、その平和への一歩前進は、大きく評価された。しかし、部分核停条約からNPTに至る国際条約は、核保有大国の核兵器所持を合法化する側面を持ち続けてきた。それでよいはずはなかろう。

 今、日本の政府が、核不拡散条約(NPT)体制擁護に固執して、核超大国の核独占合法化を支援すべきときではない。なすべきことは、《核保有独占を許容する核不拡散条約(NPT)の島》から、《核廃絶の理念に立った核禁条約の島》に、橋を渡して移らねばならない。いつまでも、核保有国と一緒に《不拡散条約(NPT)の島》に留まっていては、この先導役を果たすことはできない。理想を示す先に、自らの位置を置くべきが当然ではないか。

昨日は、各地で、被爆者団体、平和運動体が、「核兵器禁止条約に全世界の参加を」と訴え、日本政府の署名・批准などを求める声明を発表した。「最も被害を知る日本が世界に向けて発信しなければ、核兵器廃絶はできない」と声を上げている。

 岸田首相にはこの声が聞こえないのだろうか。このことに関しては聞く耳はなく、聞く力もないというのだろうか。核保有国の声だけに耳を傾けていては、政権もたないことを知らないのだろうか。

ドイツ新政権、核禁条約会議に参加へ。日本は何もしない起承転結。

(2021年11月26日)
 ドイツが変わる。アンゲラ・メルケルからオラフ・ショルツへ。首相の所属政党は、キリスト教民主同盟(CDU)から民主社会党(SPD)へ、である。

 9月のドイツ総選挙で第1党となったのが中道左派の社会民主党(SPD)。同党はこれまでメルケルを首班とする大連立政権に参加していたのだが、今回、緑の党、自由民主党(FDP)との3党連立内閣を作ることとなった。その3党連立の合意が24日に成立した。12月上旬に、民主社会党(SPD)党首であるショルツを首班とする新連立政権が誕生する。

 新政権での幾つかの変化が報じられているが、最も注目されるのが《核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加》である。3党連立の合意文書は、「国際的な核軍縮において主導的な役割を果たしたい」と表明。「核兵器のない世界、ドイツを目指す」としている。「メンバーではなくオブザーバーとして参加し、条約の意図に建設的に寄り添っていく」という姿勢。もっとも、同時にロシアなどの脅威を念頭に、米国と核兵器の運用を「共有」する仕組みを維持する姿勢も明確にされているという。

 核禁条約は全ての核兵器を違法とし、核の使用だけでなく、製造・保有も禁止している。今年1月に正式に発効。これまでに50以上の国・地域が批准の手続きを終え、来年3月にウィーンで第1回締約国会議を開催する。ドイツは、同会議でのオブザーバー参加国となる。その参加表明は、主要7カ国(G7)で初めてのことであり、NATO加盟国としてはノルウェーに次いで2番目だという。

 国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のフィン事務局長は「何十年もの間、核兵器に反対してきたドイツ国民にとって、重要な一歩を踏み出したことを意味する」と歓迎する声明を出した。日本国内の被爆地や被爆者団体はこのニュースに湧いている。日本も、ドイツに続くべきだし、一歩前進が現実的に可能だという期待の確信が高まっている。

 米国の「核の傘」に依存し国内に米軍基地を置くドイツのオブザーバー参加表明である。唯一の戦争被爆国・日本がドイツに続くべきは当然で、ここで動かなければ、ドイツに比較しての岸田政権の後ろ向きの姿勢への批判が高まることは目に見えている。

しかし、日本政府が動く気配はない。松野博一官房長官は25日の記者会見で、まずは、「条約に核兵器国は一国も参加していない」と強調した。その上で、核兵器禁止条約締約国会議について、「オブザーバー参加といった対応よりも、我が国としては唯一の戦争被爆国として、核兵器国を実質的な核軍縮に一層関与させるよう努力しなければならない」と述べている。要するに、何もしませんという宣言である。

 日本政府は、一貫して核禁条約に背を向けてきた。本当は一顧だにする気もないのだ。しかし、核廃絶を願う世論を無碍にもできない。そこで、こういう起承転結の論法を編み出した。

(起) 「日本は唯一の戦争被爆国として、世界の核廃絶を目指す」
(承) 「そのためには核保有国に核廃絶を決意させることが必要だ」
(転) 「非核国による核保有国批判は、核保有国刺激の逆効果だけ」
(結) 「日本は両者間の橋渡しをして核保有国に核廃絶を決意させる」

 まずは、目標をはるか遠くに設定する(起)。次いで、そのはるかな目標に密接した困難な条件を提示する(承)。その困難な条件をクリヤーするためには目前の実現可能な課題の効果を否定する(転)。そして、何もしないことを合理化する(結)。

ちゃんと原稿読めたから、菅義偉君の総理大臣としての評価は一応の合格点。

(2021年8月9日)
 昨夜は台風9号が九州を襲った。コロナ禍はさらに深刻な様相。東京五輪の喧噪は昨日ようやくにして終わったが、五輪禍はまだ続く。昨日の万能川柳に、「おもてなし出来ず おみやは五輪株」(吹田 のんさん)とあるとおりだ。世の中、安穏ではない。

 コロナ禍を押しての東京五輪強行の理由はいくつか数えられるが、その中の一つに、政権浮揚の思惑があったことは間違いない。明らかに政権は、国民やメディアを舐めていた。「オリンピック開催に突っ込めば、メディアは感動の記事一色だ。国民の関心も意識も変わる。そうすれば、低迷する内閣支持率も復活する」との読みである。

 この読みは、半分は当たった。確かに、メディアは「メダルラッシュ」「感動大安売り」の記事で埋められた。しかし、沈みかけた政権の浮揚の思惑は当て外れとなった。本日発表の朝日世論調査、内閣支持率28%・不支持率53%という結果である。政権の危機、いよいよ深刻である。

 太平洋戦争末期の事情に似ていなくもない。敗戦必至の戦況となって、近衛文麿が天皇(裕仁)に「早期の敗戦受容」を勧告した。しかし裕仁はこれに従わず、「もう一度戦果をあげてから」と講和の時期を失した。そのため、彼は厖大な国民の生命損失に有責の刻印を押されることとなった。なくもがなの、その後の各地の大空襲、沖縄地上戦、2発の原爆投下によってである。菅義偉も、衆院の解散時期を失することになりそうな雲行きである。もっとも、こちらは裕仁ほどの責任の重さはない。

 ところで、誰が言ったか「8月は 6日9日15日」。今日はその9日、長崎の原爆投下の日。長崎市が主催する「被爆76周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が挙行された。
 
 本日も、菅義偉は来賓の立場で挨拶を述べたが、針のムシロの心境だったろう。3日前の広島の式典で、信じがたい失態を犯したばかり。被爆者団体から、「不誠実極まりない」と叱責を受けた身だ。彼は、確かに心ここにあらず、ボーっとしていた印象だった。無能総理というだけではなく、不誠実の烙印も消えることはないだろう。

 それだけではない。広島・長崎の両市長も被爆者団体も声を揃えて、「日本も核禁条約の締結を」「せめて、条約締結国会議にはオブザーバー参加を」と悲痛なまでの声を上げているが、菅はまったく無視の姿勢を崩さないのだ。

 それでも菅は、式典出席見合わせとは言えない。やはり、イヤでも出席せざるを得ないのだ。式典出席が、圧倒的な世論の求める内閣総理大臣としての任務なのだから。思い出す。安倍晋三という人物、沖縄の平和勢力からは蛇蝎の如く嫌われている。それでも、6月23日「慰霊の日」の「沖縄全戦没者追悼式」には出席せざるを得なかった。On-line出席で済まそうとて、できることではない。

 安倍晋三は(菅義偉もだが)、沖縄の民意に逆らって新基地建設を遮二無二強行する首謀者。言わば、本土のエゴで沖縄に戦争リスクの負担を押し付けているのだ。だから、「沖縄平和祈念」の式典にはまったく似つかわしくない。それ故に、式場周辺からあからさまに、「何しに来たのか」「カエレ、カエレ」と罵倒されることになる。それでも、「じゃあ帰るよ」とは言えない。罵倒されながらも、式典出席を継続せざるを得ない。これが、民心と離れ、心服されることのない為政者のつらいところ。

 菅義偉は、本日長崎の式典に遅刻はしたようだが、読み飛ばすことなく、挨拶の原稿全文を恙なく読み通したという。よくできた。それくらいの能力はあるんだ。ねえ、菅君。人間、優れていることよりは、真面目であることが大切なんだよ。真面目にやればちゃんと仕事ができるじゃないの。

 社会人には、「有能ー無能」、「誠実ー怠慢」の評価軸がある。できることなら、有能で誠実と言われたいものだが、なかなかそうはいかない。菅君も、努力次第で「有能」の評価を獲得することは可能だが一朝一夕には無理なこと。任期を考えると間に合いそうもない。一方、緊張次第で「誠実」の評価は得やすいのだが、広島での菅君、君は無能で怠惰と評価せざるを得なかった。今日長崎の君は、まずまず誠実といってよい。だって原稿読めたのだから。

 では菅君、君は有能か。総理大臣として求められる能力とは、何よりも官僚が作成した原稿を滑舌よく、聞いてる人に分かるよう朗読できることだ。安倍晋三のように、漢字が読めなかったり、読み間違えたりしなければ立派なものだ。今日の君については、原稿を間違いなく読めたのだからまずまず合格点としたい。採点としては、「可」だ。

 今日の式典で、田上富久市長も、被爆者代表の岡信子さんも、切実に訴えていた、核兵器禁止条約の署名と批准そして第1回締約国会議にオブザーバーとして参加することを真剣に考えなくては。それができたら、「良」の判定になるよ。がんばりたまえよ、菅君。残りの任期は長くもないんだから。

コロナ禍・五輪禍、そして「菅義偉禍」の8月6日広島。

(2021年8月6日)
 あの日から76年、例年のとおり猛暑の8月6日。例年と違うのは、コロナ禍のさなか、そして五輪禍のさなかでの広島である。菅義偉にとっては初めての(そして、おそらくはこれが最後の)広島平和式典(「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」)出席であり、核禁条約が発効して初めての8月6日でもある。

 広島市長は、事前にIOC会長バッハに対して、原爆犠牲者へのこの日の黙祷を要請した。具体的には、下記の内容である。

「選手村などそれぞれ居られる場所において8月6日午前8時15分に黙祷を捧げることで、心の中で同日開催される広島での平和記念式典に参加するよう呼び掛けていただくことはできないものでしょうか。」

 が、ささやかなこの願いは聞き届けられなかった。オリンピックとは何なのだろうか。IOCとは何者だろうか。これが平和の祭典のあり方とは思われない。

 菅義偉は、暑いさなかをいやいや式典に出席して、いつもながらの原稿棒読みだった。最近何もかもうまく行かないという苛立ちもあったのであろうか、最初から少しおかしかった。冒頭「広島市」を「ひろまし」と噛み、原爆を「げんぱつ」と読み違えた。さらに、原稿1ページ分を読み飛ばし、ほかに「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」とのくだりも読まなかったという。

 毎日新聞によると、「私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない……」と読み上げた後、「世界の実現に向けて力を尽くします、と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、核兵器のない世界の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく」という部分を読み飛ばした、という。

 一番大事なところの読み飛ばしである。しかも、これでは文意が通らない。被爆者や遺族に対して礼を失することこの上ない。コロナ禍・五輪禍に加えての「菅義偉禍」と指摘せざるを得ない。

 コロナ感染を警戒して、出席者の人数は制限されていたが、首相挨拶以外は真っ当だった。松井市長の平和宣言では、以下のとおり、核禁条約の締結要望が明示された。

「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。」

そして、恒例の子ども代表が「平和への誓い」を読み上げた。もちろん、読み飛ばしなどはなく。印象深いその一部を引用しておきたい。

「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。
私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。
私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。

私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。
そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。
誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません。

争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます。

広島で育つ私たちは、使命を心に刻み、この思いを次の世代へつないでいきます。」

 菅義偉よ。この子どもたちの清浄な決意を聞いたか。平和への使命の発言に耳を洗ったか。
 実は私も、戦後広島で育った一人だ。小学校1年生を市内の3校に通った。いずれも爆心地に近い幟町(のぼりちょう)小学校、牛田(うした)小学校、三篠(みささ)小学校である。その間にピカ(原爆)の絶対悪を確信した。

 1945年8月6日午前8時15分をもって、人類史は二分される。私は、漠然としてではあるが、少年時代からそう思ってきた。あの原爆が炸裂した瞬間、人類は疑いなく自殺の能力をもち、そのことを自覚したのだ。

 以来、人類が身につけた自らを滅ぼす能力を封じ込めることが人類が取り組むべき最大の課題となった。核廃絶こそが人類共通の願いであり、最大の課題としてあり続け、事態は今も変わらない。

 にもかかわらず人類は、核廃絶どころか核軍拡競争を続けてきた。原爆は水爆となり、多様な戦術核が開発された。核爆弾の運搬手段は飛躍的に性能を向上させ、人類は核戦争による絶滅の恐怖とともに生存してきた。人類は、いまだに首をすくめ息を潜めた「萎縮した小さな平和」の空間で生き延びている。

 すべての武力が有害で無意味であるが、核兵器こそは絶対悪である。今日、8月6日はそのことを確認すべき日。「この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続け」ようと思う。

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