澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

都知事選の敗北から何を教訓として酌み取るべきか。

都知事選が終わった。開票結果は事前に各メディアが報じた情勢のとおりとなって、当確がはやばやと出た。野党統一候補は敗れて、新都知事には品のよくない右翼が就任する。最悪だ。石原慎太郎の時代に逆戻りではないか。チクチクと胸が痛む。

それにしても、4野党の候補統一ができたとき、これは勝てる選挙になると小躍りした。与党側が分裂という情報が伝わって、これこそ千載一遇のチャンスと思った。しかし、取りこぼしたのだ。千載一遇のチャンスを逃したのだ。敗因はどこにあるのか、徹底した検討が必要だろう。

一議席を争う与党と野党の一騎打ちは、憲法改正の国民投票に擬せられてよい。改正発議をするか否か、するとしていつのタイミングを狙うか、その選択の権利を今壊憲与党の側が握っている。勝算ありと考えれば、発議の実行はあり得るのだ。

そのような目で、都知事選における都民の選択を見つめると、極めて危うい。憲法問題について世論が明日はどう転ぶか、私には読めない。不安を感じざるをえない。

有権者は必ずしも理性的ではない。情報に操作され、たぶらかされるのだ。強いメッセージに踊らされ、つくられたイメージに流される。選挙結果はけっして冷静な選択ではない。民主主義とはそのよう危うさをもったものだ。戦前の歴史を思う。明治以来日本にも連綿と非戦論・平和主義はあった。しかし、開戦や事変のたびに、あっという間に崩れて主戦論・ナショナリズムが天下を席巻した。

国民が挙げて主戦論の熱気の中にあるとき、これに負けずに非戦論を貫いた人びとに心からの敬意を表する。北朝鮮がどういう行動をとろうとも、中国とのトラブルがどのように喧伝されようとも、そのようなときであればこその覚悟で9条を守り抜かなければならない、あらためての決意が必要なのだ。

4野党の統一ができたのは大きな成果だ。この共闘関係を継続して、信頼関係を深めていくことが、今後の最大の課題だ。この点に揺らぎがあってはならない。これ以外に野党勢力を伸ばす方策もなく、改憲阻止の展望も開けてこない。

しかし、期待されたほどの共闘効果は出なかった。各野党それぞれの支持勢力全体を統一候補者の支援のために総結集できたかははなはだ心もとない。そのような努力と工夫は十分になされたのだろうか。連合東京という組織には、脱原発のスローガンはタブーなのだろうか。これから先、ずっとそうなのだろうか。この点には、どう対応すべきなのだろうか。

今回4野党統一候補の支援をしなかっただけでなく、結果的には足をひっぱる側に回った宇都宮グループ。これに対する正確な事実を踏まえての徹底批判も必要であろう。

憲法改正発議があった場合の、発議側の世論操作への対抗策と、改正阻止側の統一した共同行動をどう組むかという視点からの総括が必要だと思う。負けた選挙、せめて教訓を酌み取りたい。
(2016年7月31日)

明日は、ミニ国民投票だ。平和と憲法を守り原発廃炉の一票を鳥越俊太郎候補に。

明日(7月31日)が都知事選の投票日。鳥越候補の「最後の訴え」は、新宿南口だった。甲州街道をはさむ広場を埋めつくす大群衆の熱気の中で、護憲や野党共闘を支持する運動の広がりと確かさを実感する。とはいえ、午後8時を過ぎて、拡声器を使った選挙運動が終わって、群衆が散ると普段と変わらぬ東京の土曜日の夜。あの大群衆を呑み込んで喉にも触らぬ東京の大きさ。あの群衆も実は一握りの人びとでしかないことを思い知らされる。さて、明日はどのような結果が出ることだろうか。

「最後の訴え」の応援弁士は、福島みずほ、小池晃、山口二郎、澤地久枝、そして岡田克也。いずれも力のこもった聞かせる演説。そして、鳥越俊太郎が渾身の語りかけ。三つのゼロ「待機児童ゼロ、待機高齢者ゼロ、そして原発ゼロ」の政策を高らかに宣言した。そして、一度終わった演説を、鳴り止まぬ鳥越コールの中で、「あと1分ある」として、短い話を最後にこう締めくくったのが、印象に残った。
「野党が共闘して参院選を闘い抜き、都知事選にまでつなげた。これを大切にしようじゃありませんか」
まったく、そのとおりだと思う。

明日の都知事選。1000万有権者による、たったひとつのポストをめぐる争い。これは、形を変えた首都の擬似国民投票ではないだろうか。

都民の声に耳を傾けて都政をおこなう、予算執行の透明性を高める、保育と介護を充実する、オリンピック予算を適正化する、くらいのことはどの候補も政策として掲げる。こんなことには、政策の独自性は出て来ない。鋭く対決するのは、「平和・憲法・原発」の3課題。実は、護憲の野党共闘と、自公改憲勢力の対決の様相なのだ。

核兵器も原発もない「非核都市東京」を目指すという鳥越と、「核武装の選択肢は十分にあり得る」という小池百合子のコントラスト。これは、決定的な対決課題なのだ。

昨日(7月29日)夕、フジテレビの「みんなのニュース」での討論会で、鳥越が小池氏を批判したという。
「小池さんは、かなり前の雑誌で、『軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分にあり得る』という風に言っておられますが、私は知事になったら早速すぐにやりたいのは『非核都市宣言』をやりたい。核武装論者である小池さんに『非核都市宣言』というのは果たしてできるのか」

小池は、「私が『核武装論者』と言い切られましたけれども、これこそ捏造」と反論。「でも実際に本に書いてある」(鳥越氏)と言われると、「いや、言ってませーん!日本語を読めるのであれば、よく読んでいただきたいと思います」と発言したという。

このテーマは、以前にも取り上げたが、憲法や安全保障に関わる基本政策の際だった差異を物語る象徴的な問題。しかも、小池が「いや、言ってませーん!日本語を読めるのであれば、よく読んでいただきたい」というのだから、みんなで読んでみよう。テキストは、小池の公式ウェブサイトに掲載されている、保守論壇誌『Voice』(PHP研究所)2003年3月号所収の田久保忠衛、西岡力との極右トリオ鼎談記事。タイトルは「日本有事 三つのシナリオ」。そして、当該個所の小見出しが、「東京に米国の核ミサイルを」という物騒なもの。日本語を読める人なら下記のURLで、鳥越の指摘と小池の否定の真偽を、直ちに確認することができる。

https://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/column2003/column030320.shtml

小池の発言は以下のとおりだが、ここだけでなく全体を読んでいただくと小池の政治姿勢や体質がよく分かる。右翼どっぷりであり、どっぷり右翼なのだ。

小池 軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません。今の国会は時間とのせめぎ合いがほとんどで、労働組合の春闘と同じです(笑)。それももうないのに。

小池百合子の平和や憲法ないがしろにする姿勢に恐ろしさを感じざるを得ない。明日は、ミニ国民投票だ。平和・憲法を大切に思い、原発は不要とする立場の都民は、ぜひともこぞって、鳥越俊太郎候補への投票を。間違っても、小池百合子にだけは投票してはならない。
(2016年7月30日)

「非核都市東京」を求める鳥越俊太郎を。 「核武装の選択肢」と「原発稼働」を容認する小池百合子はゴメンだ。

東京都知事選(7月31日投開票)最終盤である。選挙運動ができるのは、今日(7月28日)を含めても、あと3日を残すだけ。是非とも鳥越俊太郎を押し上げたい。

鳥越候補公約の目玉のひとつが「非核都市東京」の宣言である。非核とは、原水禁反対という平和のテーマでもあり、反原発のエネルギー政策でもある。ともに、人間の尊厳に根ざした課題であり、憲法の理念の具体策でもある。軍事大国化、経済大国化の路線は採らないという宣言なのだ。

この対極にあるのが小池百合子。こんな候補を知事にしてしまったら最悪だ。「反・非核都市東京」の路線を歩みかねない危うい政治家なのだから。

昨日(7月27日)、鳥越は新宿駅前の演説で「ある候補は、ある雑誌の対談で『日本は外交上、軍事上、核武装という選択肢はあり得る』と言ってる。そんな人が東京都知事になるなんて、あり得ないでしょう」と発言。続いて練馬駅前の演説では、「名前を言います。小池候補」と名指しした。

この鳥越の指摘に小池は反発して、「曲解してねつ造している。不正確なことをおっしゃるのはよろしくない、と不快感を示した」と報道されている。

ジャーナリストに対する「曲解」「捏造」発言は聞き捨てならない。ことは、政治家の基本姿勢にも関わる重大事だ。『日本は外交上、軍事上、核武装という選択肢はあり得る』と発言した事実があるか否か。現時点ではどう考えているのかを明確にすべきところだが、この点を小池は濁したまま。

鳥越発言の根拠は、雑誌『Voice』(PHP研究所、2003年3月号)での鼎談記事での発言のようだ。鼎談の相手がすさまじい。田久保忠衛(現・日本会議会長)と西岡力(「救う会」会長)なのだ。小池はこんなのとお仲間。「ぼくらは極右の3人組」、あるいはこの鼎談の中で名前が出ている西村真悟(「お国の為に血を流せ」で著名)も加えて、「極右4人組」というところ。

『Voice』(2003年3月号)の歴史的な鼎談を誰かが掲載してくれればありがたいのだが、私は孫引きするしかない。

本日の赤旗によれば、小池百合子の発言内容は、「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうる」「わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安倍晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった」「このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません」というもの。

それなら、鳥越発言の「『日本は外交上、軍事上、核武装という選択肢はあり得る』と言ってる」「そんな人が東京都知事になるなんて、あり得ないでしょう」を、曲解とも捏造ともいう筋合いはない。事実摘示の正確さは十分であり、その事実を前提とする意見の表明になんの問題もない。むしろ小池は、この指摘に噛み合う形での政治的見解を述べて有権者の判断を仰ぐべきであった。

最近適切な資料紹介で注目されているリテラは、もっと詳細に解説している。
見出しは、「小池百合子が日本会議会長らと『東京に核ミサイル配備』をぶちあげていた! 小池は『東京のトランプ』になる?」という、刺激的なもの。読み応え十分である。やや長いが、下記の引用をお読みいただきたい。

「2003年、保守論壇誌『Voice』(PHP研究所)3月号所収の田久保忠衛、西岡力両氏との鼎談記事…タイトルは『日本有事 三つのシナリオ』。内容は小池氏、西岡氏、田久保氏の3名がそれぞれ議題を提示して討論するという企画なのだが、くだんの“東京核ミサイル配備”は田久保氏の『日米同盟か、核武装か』なる問題提起から始まり、北朝鮮の核保有と日米安保がメインテーマになっている。
 そして、このなかで堂々と『東京に核ミサイルを』なる小見出しまでつけて、西岡氏が『アメリカがほんとうに利己主義的になれば、彼らはアメリカまで届くテポドンだけはストップさせるが、日本を狙うノドンは放置するでしょう』とぶつと、これに応じた小池氏はこう言い放つのだ。

 『軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真悟氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません』

 つまり小池氏は、“日本の核兵器保有を国会で現実的に議論せよ”と声高に主張しているのである。しかも、この小池氏の発言の直後には、田久保氏がこう続けている。
 「西村真悟氏が『日本は核をもて』といって批判されたのは、地球は平たいと思っている社会で『地球は丸い』と主張したからです。しかし、そのうちに誰が正しかったかが明らかになる」
 さらにこの田久保氏の弁を継ぐかたちで、今度は西岡氏がこんな雄叫びをあげるのだ。
 「私が九四年から主張してきたのは、『北朝鮮が核開発を続けているあいだは、日本は核武装ではなく、非核三原則における『核持ち込ませず』を凍結せよ』です。つまり、アメリカに核を持ち込んでもらうほうがいい。日本がアメリカの核の傘に入ることを望むのであれば、核ミサイルを東京にもってきてもらうのがベストです」

 東京に核ミサイルを。いったい、この人たちは何を言っているのだろう。お決まりの“核抑止力”を北朝鮮に見せびらかすために東京タワーの真横にでも核ミサイル発射施設をおっ建てるべきだとでも考えているのだろうか?そんなもの、国防でも外交の上でも、都民の生活を考えても、完全にデメリットしかないトンデモだ。

 ところが、小池氏は“東京核ミサイル配備”の与太話をなだめるどころか、記事の最後で『ところでこの座談会、北朝鮮側に読ませたくないですね(笑)。手の内が分かってしまうので』などと嬉しげに賛意を示している。しかもこの鼎談がよほど気に入ったのか、自分のホームページにテキストを全文転載し、現在でも閲覧できるように無料公開までしているのだ。

 もともと小池氏は一貫して日本の軍備増強を声高に主張し、核武装構想についても2003年の衆院選前に毎日新聞が行ったアンケートで「国際情勢によっては検討すべき」と回答しているが、しかし、東京に核ミサイルを配備する計画までこんな嬉しげに語り合っていたとは……。さすがにまともな神経をしているとは思えないが、こんな人物がいま実際に東京都知事選に立候補しているのだから笑えない。

なお、本日の赤旗は、もう一つの核である原発についての小池の意見を次のように紹介している。

見出しは、「福島原発事故直後『稼働中の原発は運転を』」。
小池氏はまた、東京電力福島第1原発事故直後に、「稼働中の原発は安全性を総点検した上で運転を続けていいと思います」と発言していました。雑誌『アエラ臨時増刊』(朝日新聞出版、2011・5・15号)の「『原発』の行方 20人の提言」の中で述べています。

石原慎太郎に勝るとも劣らぬ「トンデモ知事候補」というべきではないか。トンテモだけは、ゴメンをこうむる。
(2016年7月28日)

国旗国歌強制を当然とする小池百合子は、都知事としてふさわしくない。

世論調査では都知事選での小池百合子優勢が伝えられているが、この人の何が都民にとっての魅力なのか理解に苦しむ。石原慎太郎よりは猪瀬が少しはマシかと思い、石原後継の呪縛から逃れがたい猪瀬よりも舛添が数段マシだろうとも思った。しかし、小池は最悪だ。また、振り出しに戻って、暗黒都政の再来となりかねない。

本日の赤旗が、小池百合子の国旗国歌に対する姿勢を取り上げている。「沖縄での『国旗』『国歌』扱い攻撃」「強制とたたかう人々非難 小池百合子都知事候補」という見出し。その記事の全文を紹介しておきたい。

「東京都知事候補の小池百合子元防衛相が、2013年5月26日に自民党本部内で行った講演で、沖縄県内での「国旗」「国歌」の扱いを批判し、沖縄タイムス、琉球新報の論調を攻撃していたことが分かりました。
 講演は、改憲右翼団体「日本会議」と連携して改憲や「教育再生」を主張する「全国教育問題協議会」が主催した「教育研究大会」で行ったもの。
 当時自民党広報本部長だった小池氏は『日本の教育を変えていく最大のポイントはメディアにある』と主張。サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日を記念して安倍政権が政府主催の「主権回復の日」式典を開催したことに関連し、4月28日を祝日にすべきだと述べつつ、沖縄の2紙が同日を「屈辱の日」だとする論調で報じたことを批判しました。

 その上で、『沖縄では国旗が非常に粗末に扱われ、国歌でさえまともに歌われていない』『国歌は当然のことながら、大切に手を胸に当てて歌うものだ。それを立つの、立たないのと裁判をしているような国は私は聞いたことがない。これらをあたかも正当化するような報道をし続けているのがメディアだ』などと、「国旗」「国歌」強制を当然視する発言を繰り返しました。
 小池氏の発言は、沖縄戦で悲惨な被害を出し、戦後もサンフランシスコ平和条約で本土から切り離され、米国の支配や基地問題に苦しめられた沖縄の人々への攻撃であり、憲法が保障する思想信条の自由に基づいて「国旗」「国歌」の強制とたたかう全国の人々まで攻撃するものです。」

国旗国歌は国家の象徴である。個人が、国家をどう認識するかが、そのまま国旗国歌にどのように接するかの態度としてあらわれることになる。国家を大切に思う人は、国旗国歌を大切に扱えばよい。国家一般を、あるいは現政権が運営する国家を、個人の自由の敵対者だと思う者は、国旗国歌に抗議の意志を表明することになる。これは、純粋に思想の自由の問題であり、自由な思想を表現する自由の問題である。

問題は、国旗国歌を尊重する思想を強制したいという「お節介で、困った人びと」が、国旗国歌を大切に扱うよう他人の行動に介入しようということだ。典型的には、戦前の国防婦人会の面々の如くに。この「お節介で、困った人びと」が権力を握ると、「恐るべき超国家主義国家」への歩みが始まることになる。小池百合子は、そのような歩みを進める危険な政治家ではないか。

価値観の多様性への寛容は民主主義社会の中核に位置する。国家に関する価値観の自由はさらにその根幹に関わる。国旗国歌に対する姿勢における寛容度は、その国や社会の民主主義到達度のバロメータと言ってよい。

「国歌は当然のことながら、大切に手を胸に当てて歌うもの」という小池の思い込みは、個人の思想としては自由でそれで咎められることはない。しかし、「国歌は当然のことながら、大切に胸に手を当てて歌う人もいれば、黒い手袋の拳を上げて抗議の意思を表明する人もいる。また、国旗を焼き捨てることが国家への批判を表明する手段となることもある」のだ。

「立つの、立たないのと裁判をしているような国は私は聞いたことがない」ですって? ならば、聞きたい。国歌斉唱時に起立を強制している国をご存じだろうか。かつての文部省が調査をしている。韓国と中国には、そのような強制があるようだ。当然韓国と臨戦状態にある北朝鮮にもあるだろう。しかし、欧米の民主々義を標榜する先進諸国に関する限り、「国家が国民に対して、立てだの、唱えだのと強制をしているような国があろうとは、私は聞いたことがない」。

この点に関心を持って、ちょっと調べたら、次の記事が目にとまった。『文藝春秋』2008年1月号の小池寄稿を引用するウィキペディア記事。
「小池が自由党を離党して保守党に参加し、小沢と決別した理由については、「ここで連立政権を離れて野党になれば、小沢氏の『理念カード』によって、政策の先鋭化路線に再び拍車がかかることは想像できる。一方で、経済企画庁の政務次官の仕事を中途半端に投げ出すことには躊躇した」「少々心細くもあったが、実は『政局』と『理念』の二枚のカードに振り回されることにも、ほとほと疲れていた。」「かつて小沢さんは、自由党時代に取り組んだはずの国旗・国歌法案について、自民党との連立政権から離脱するなり、180度転換し、『反対』に回った。国旗・国歌法案は国家のあり方を問う重要な法案だ。政治の駆け引きで譲っていい話ではない。同じく外国人地方参政権の法案についても自由党は反対だったはずだが、公明党の取り込みという目的のために、『賛成』へと転じたことがある。国家の根幹を揺るがすような重要な政策まで政局運営の“手段”にしてしまうことに私は賛成できない。これが私が小沢代表と政治行動を分かとうと決意する決定打となった」と説明している。

小池にとっては、国旗国歌の強制は、「国家のあり方」を決定づける重要な理念なのだ。かつて「政界渡り鳥」との揶揄に対して、「変わったのは、私を取り巻く環境であって、私の信念は一貫している」と弁明したことがある。一貫している小池の信念とは、ウルトラナショナリズムの理念にほかならない。こんな人物を、いやこの人だけは、知事にしてはならない。
(2016年7月25日)

カネにキズ持つ小池百合子の「裏金作り疑惑」を徹底追及しようー猪瀬・舛添同類の知事はゴメンだ。

都知事が2代続けて「汚れたカネ」でつまずいて、辞任に追い込まれた。今回都知事選は、いつにもまして候補者の「政治資金収支のクリーン度」が問われている。カネにキズ持つ候補者は、今回都知事選に出馬の資格がない。

昨日の当ブログで、「落選運動を支援する会」のサイトを引用して、小池百合子候補の「政治とカネ」疑惑4件をお伝えした。今日(7月24日)になって、そのうちの1件に進展があった。小池百合子の「政治資金疑惑」の色が一挙に濃くなったのだ。小池は、思想的に右翼というだけではない。「政治資金のクリーン度」不足についても徹底した批判を受けなければならない。赤旗と日刊ゲンダイが伝えているニュースだが、もっと多くの有権者に小池百合子「裏金作り疑惑」を知っていただきたいと思う。

政治資金の流れは、徹底して透明でなければならない。これをごまかそうというのが、「裏金作り」だ。適宜に調達した領収証を利用して、政治資金収支報告書には実体のない支出の報告をしておく。こうして浮かせた金が、国民の目から隠れた支出に使われる。計画的で組織的な、ダーティきわまるカネの使い方。もちろん、政治資金規正法における「収支報告書への虚偽記載の罪」に当たる。小池百合子にその疑惑濃厚なのだ。

昨日の当ブログの該当個所は、以下のとおりである。
 小池百合子自民党衆議院議員(元防衛大臣)の政治資金問題その2
 「不可解な「調査費」支出とその領収書問題
    http://rakusen-sien.com/rakusengiin/6730.html
  既にない企業へ世論調査を依頼し、「調査費」の領収証をもらったという不可解。
  こんなことをしている政治家に、クリーンな都政を期待できるのか。」

落選運動のサイトから、疑惑を再構成してみよう。
☆政治資金収支報告書によれば、小池百合子議員の政党支部「自民党・東京都第10選挙区支部」(代表者・小池百合子)は、2012年から2014年まで、「M-SMILE」(当初、東京都新宿区新宿5-11-28、後に東京都渋谷区広尾5-17-11)という先に「調査費」合計210万円を支出している。
☆上記住所の「M-SMILE」は、インターネットで検索しても該当するものが見あたらない。会社としての登記もない。実在が怪しい。
☆「日刊ゲンダイ」の調査報道(「小池百合子氏に新疑惑 “正体不明”の会社に調査費210万円」2016年7月5日)によると、同紙の問合せに対する小池事務所の説明は次のとおり。
「当初は『M―SMILE』という会社名だったのですが、現在は『モノヅクリ』という名前に変更されています。・・・支出目的? 選挙の際、世論調査をお願いしました」
☆この説明は不自然で、疑惑が残る。
・『モノヅクリ』は実在するが、「オーダースーツ専門の株式会社」で、調査をする会社とは思えない。
・この点の疑惑に関して、『モノヅクリ』の代表者はこう説明している。
「私は09年ごろから、個人的に『M―SMILE』という名で世論調査の事業を始めました。小池さんから仕事をいただき、軌道に乗れば法人登録したかったのですが、うまくいかなかった。そのため、12年に『モノヅクリ』を立ち上げ、オーダースーツの事業をメーンにしています」(「日刊ゲンダイ」)
・小池事務所の「『M―SMILE』という会社名が、『モノヅクリ』という名前に変更された」と、『モノヅクリ』側の「12年に『モノヅクリ』を立ち上げた」は齟齬がある。「調査」と「スーツ」、事業目的の違いはあまりに大きく商号変更というには無理があろう。
☆2012年には既に企業としては存在しなくなっている『M―SMILE』に、2012年から2014年まで調査費を支払ったということはあまりに不自然。
・仮に、「『M―SMILE』という会社名が、『モノヅクリ』という名前に変更」されたとしても、13年・14年とも『M―SMILE』の領収証を添付し続けたことが、これまたあまりに不自然。
☆実は、調査の依頼などの事実はなく、存在しない(あるいは、存在しなくなった)会社の領収書が意図的に作成された疑惑が残る。政治資金収支報告書上は調査費支出としておいて、実は210万円を裏金とする操作をしたのではないか。これは、政治資金規正法上の収支報告書への虚偽記載に当たる可能性がある。

ここまでは、昨日まで判明の「疑惑」。ここからが「本日さらに濃くなった疑惑」である。
本日(7月24日)の赤旗・社会面のトップと、「日刊ゲンダイ」(デジタル)が、新たな調査で判明した疑惑を報道している。

「小池百合子氏「裏金疑惑」 都議補選に出馬“元秘書”の正体」(「ゲンダイ」)、「『調査費』210万円の実態不明会社 社長の正体は元秘書」(赤旗)という各見出し。
「ああ、やっぱり」というべきなのだ。「疑惑」は限りなくクロに近くなった。

赤旗の記事を引用しておこう。
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「東京都知事選(31日投票)に立候補している元防衛相、小池百合子氏の政党支部が、実態不明の会社に「調査費」名目で210万円を支出していた問題で、同社の社長は、小池氏の元秘書だったことが、23日までにわかりました。まさに政治資金の“横流し”といえるもの。しかも小池氏は、この元秘書を22日に告示された都議補選・新宿区に無所属で擁立しており、小池氏側に説明責任が浮上してきました。
政治資金収支報告書によると、小池氏が支部長を務める「自民党東京都第10選挙区支部」は、2012年~14年に計210万円を「調査費」名目で「M―SMILE」に支出しています。

 本紙の調べによると、このM―SMILEなる会社は、当該住所に存在しませんでした。本紙の「架空支出ではないのか」との問い合わせに、小池事務所は「M―SMILEは現在、『ものづくり』という会社で、世論調査を発注、結果を受け取っていた」と文書で回答してきました。

 今回、都議補選に立候補した小池氏の元秘書は、森口つかさ氏(34)。同氏のオフィシャルサイトによると、08年9月に「衆議院議員小池百合子事務所」に入所し、12年10月に「株式会社モノヅクリ設立」とあります。

 登記簿やホームページによると、「モノヅクリ」は、東京都渋谷区広尾に「本店」を置き、資本金100万円のオーダースーツ専門会社。森口氏が社長でした。
 元秘書のオーダースーツ専門会社に「調査費」名目で支出していたことになります。
 第10選挙区支部は、12年~14年の3年間で4875万円の政党助成金を自民党本部から受け取っています。これは、同支部の収入総額(約9140万円)の53・3%にあたります。国民の税金が、「調査費」名目で自分の秘書の会社に流れていた可能性があります。

 小池氏は、森口氏擁立にあたって、「都議会に私の仲間というか、方向性を同じくする者が存在するということは意義深いことだ」と語り、22日の告示日にも応援に立ちました。

 小池氏は、知事選立候補表明直後に掲げていた「利権追及チームの設置」にいつのまにか言及しなくなりました。「しがらみなくクリーンな若い力で、不透明な都政を変えます」と主張している森口氏ともども、不透明な政治資金支出について、明確な説明が求められています。

以下は「日刊ゲンダイ」の記事
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「31日投開票の都知事選に出馬している小池百合子元防衛相(64)に新たな「政治とカネ」問題が浮上した。今回はナント! 「裏金づくり」疑惑だ。

 日刊ゲンダイは小池氏が代表を務める「自民党東京都第十選挙区支部」の収支報告書に添付された領収書の写し(2012~14年分)を入手。この領収書を精査すると、不可解なカネの流れが判明した。

 同支部は12~14年、「M―SMILE」という会社に「調査費」として計210万円を支出していたのだが、この会社は登記簿を調べても記載がなく、実体不明の会社だったからだ。

 小池事務所は「現在は『モノヅクリ』という社名に変わっている。選挙の際の世論調査を依頼した」と説明。そこで日刊ゲンダイが改めて「M-SMILE」の代表者に確認すると、代表者の男性は「09年ごろ、個人的に『M―SMILE』という名で世論調査の事業を始めた。12年に、『モノヅクリ』を立ち上げ、オーダースーツの事業をメーンにしている」と説明。つまり、実体のないスーツ会社が、小池氏から多額の政治資金を受け取り、世論調査を請け負っていた――という怪しさを記事にした。

■小池氏、元秘書とも問い合わせにダンマリ
 そうしたら、小池陣営が22日、都議補選(31日投開票)で新宿選挙区から擁立した男性の名前を見て驚いた。何を隠そう「M-SMILE」の代表者、森口つかさ氏(34)だったからだ。しかも、肩書は小池氏の「元秘書」だったからビックリ仰天だ。

 つまり、小池氏は自分の秘書がつくった“ペーパーカンパニー”に多額の政治資金(調査費)を支払っていたことになる。これほど不自然で、不可解なカネの流れはないだろう。政治資金に詳しい上脇博之・神戸学院大教授もこう言う。

 「小池氏の政党支部が(M-SMILE)に調査費を支出した時期に森口氏が秘書を務めていたのなら大問題です。通常、議員のために調査を行うことは秘書としての業務の一環で、調査の対価は給与として支払い済みのはず。それを秘書が経営する(幽霊)会社に調査費用を支払うというのは、あまりにも不自然です。裏金をつくったり、不正な選挙資金を捻出していたと疑われても仕方がありません。そうでないのならば、小池氏は説明責任を果たすべきです」

 果たして小池氏と森口氏はどう答えるのか。両者に何度も問い合わせても、ともに一切回答なし。知事が2代続けて辞職に追い込まれた「政治とカネ」問題は、今回の都知事選でも間違いなく重要な争点だ。それなのに小池氏、元秘書ともそろってダンマリでいいはずがない。
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以上の各報道が問題点を語り尽くしている。「M-SMILE」にせよ、「モノヅクリ」にせよ、その代表者(森口つかさ)は小池百合子の元秘書なのだ。現在も、小池が都議補選候補に擁立する間柄。小池百合子を代表者とする政治団体が、小池百合子の秘書(あるいは元秘書)に「調査」を依頼し、その秘書(あるいは元秘書)が作成した領収証を受領していたというのだ。領収証はどうにでも作れるではないか。到底些事として看過できることではない。
(2016年7月24日) 

小池百合子の恐るべき憲法観-「いったん廃止し、その上で新しいものを」

「1に平和、2に憲法、3に脱原発。東京都はまず非核都市宣言を」この鳥越俊太郎のスローガン。シンプルで力強い。

もちろん都政独自の政策あってのもの。それについては、「住んでよし」「働いてよし」「環境によし」「学びによし」を実現する東京を! という政策を掲げている。これから、多くの支持者の提言で、この政策を充実して行かねばならない。

「平和、憲法、脱原発」と唱える鳥越に対峙して、小池百合子のスローガンはどうなっているのだろうか。ホームページを開いてみても、平和・憲法・脱原発に関連するなんの政策もなく、その姿勢も窺えない。

小池の歴史観・国家観については、「日本会議」の機関誌『日本の息吹』(2003年9月号)の記事が話題となっている。

「当時、自民党衆院議員だった小池氏は、東京・九段の靖国神社境内で開かれた「戦没者追悼中央国民集会」で、「国家への帰属意識や伝統への尊敬の念」などが失われると「国家は内部崩壊を始める」と主張し、当時社会問題化していた「親殺し、子殺し、少年による幼児殺し」を列挙。「家族に対する愛情なき人に国家への愛を求めるのは土台無理な話。これも自虐的な戦後教育の結果です」と決めつけています。」(7月20日付赤旗)

国家への愛を求め、自虐的な戦後教育の結果を憂うるのが小池百合子流。この人は保守ではない。明らかに右翼なのだ。

さらに、昨日(7月22日)の赤旗が、小池百合子の憲法に関する姿勢について、以下のように報じていた。
「2000年11月30日の衆院憲法調査会で、当時保守党所属議員だった小池氏は、参考人の石原慎太郎東京都知事(当時)が現行憲法を『歴史的に否定すること』こそ国会がすべきことだと主張したのに呼応し、『結論から申し上げれば、いったん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていく』ことに『基本的に賛同する』と表明しました。」

2000年11月30日の衆院憲法調査会の議事録が、今はすぐにネットで検索が可能だ。この日の憲法調査会(現行の憲法審査会とは違う)審議は、「二十一世紀の日本のあるべき姿」として、なんと石原慎太郎と、櫻井よしこの二人を参考人として呼んでしゃべらせている。

各参考人に小池が最後の質問をしている。以下はその抜粋。
「石原都知事、本日はありがとうございます。
 いろいろと御示唆いただきました。結論から申し上げれば、一たん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていく、私はその方が、逆に、今のしがらみとか既得権とか、今のものをどのようにどの部分をてにをはを変えるというような議論では、本来もう間に合わないのではないかというふうに思っておりますので、基本的に賛同するところでございます。」
「きょうはいろいろと、憲法調査会でございますから憲法問題に関連してお話しいただいているわけですが、私は、むしろアメリカの戦略とすれば、日本にこの憲法を変えさせないのが最大の戦略になってくるんじゃないか。つまり、いろいろな点でがんじがらめにしておいて、そしてそのたびに出おくれるような形にして、最後は小切手外交をさせようというのが、これは一番アメリカにとっていい方法で、なおかつ思いやり予算というような形で置いて、ありがたくそこに海兵隊の人たちが住んでいるというような状況。ですから、アメリカの側から見れば、それが戦略なのかなと思ったりもするわけでございます。」
「二十一世紀を見詰める上で、今後の日本がどうあるべきかということを踏まえた、ある意味では帰納法的な憲法の創憲ということを目指すべきではないかという私の意見を申し上げまして、質問を終わらせていただきます。」

石原慎太郎の憲法観に賛成して、「いったん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていく」だと? 現行日本国憲法を停止し廃止して、それとは異なる別の憲法を作ろうというのだ。

現行日本国憲法は、普遍性に充ち満ちたものだ。これを廃止して、「現行憲法とは異なる別の憲法」をつくるとすれば、この普遍性を投げ捨てなければならない。國体を書き込んだ大日本帝国憲法か、五か条のご誓文か。あるいは、武家諸法度か、和をもって貴しとなすの類か。

ところで、小池百合子に関しては、憲法観・歴史観だけが問題なのではない。政治とカネの問題もある。こちらの情報もご覧いただきたい。

「安保関連法賛成議員の落選運動を支援する・弁護士・研究者の会」(略称 落選運動を支援する会)のホームページである。都知事選候補者の政治資金問題を順次取り上げている。小池百合子関連では、下記の4記事がある。その記事の内容の真偽については、同サイトに引用されている、小池が代表者を務めている各政治団体の政治資金収支報告書の記載をじっくりとご覧いただきたい。

都知事選候補者の政治資金問題
  http://rakusen-sien.com/topics/6765.html

コラムその1
自民党豊島区議団が小池百合子・元防衛大臣(自民党)を支援する理由~6年間で計2390万円を受け取ってきた豊島区議団~
  http://rakusen-sien.com/rakusengiin/6825.html

小池百合子自民党衆議院議員(元防衛大臣)の政治資金問題その1
セコイ支出、不適切な支出?
  http://rakusen-sien.com/topics/6671.html

小池百合子自民党衆議院議員(元防衛大臣)の政治資金問題その2
不可解な「調査費」支出とその領収書問題
  http://rakusen-sien.com/rakusengiin/6730.html
既にない企業へ世論調査を依頼し、「調査費」の領収証をもらったという不可解。
こんなことをしている政治家に、クリーンな都政を期待できるのか。

小池百合子・元防衛大臣(自民党)の政治資金問題その3
政治資金パーティ収入・支出の不記載問題
  http://rakusen-sien.com/topics/6819.html
これは、指摘されて、辻褄の合わない政治資金パーティの収入・支出が書き直されたという件。政治資金規正法上の報告書不記載や虚偽記載の罪科は、後の訂正で治癒されない。

やっぱり、小池百合子に投票をしてはならない。
(2016年7月23日)

憲法は、「二度と飢えた子供の顔は見たくない」ーこのたった一行でよい。

永六輔に続いて、大橋巨泉が亡くなった。その前には野坂昭如、小澤昭一、水木しげる、菅原文太、米倉斎加年、愛川欽也、あるいは松谷みよ子…。みんな、当然の如く、平和や戦後民主主義を大切にし、真っ当な積極的発言をしてきた人たち。直接に反権力や護憲を口にしないときにも、そのような雰囲気が滲み出る人たちであり、それが大衆からの支持を得ていた。この世代が去って行くことが実に淋しい。淋しいだけでなく、この世代の終焉とともに、日本の社会が戦争の恐怖や平和・民主主義の貴重さを忘却していくことにならないだろうか。

永六輔は、「九条の会」ができたあと、半分これにあやかり、半分は対抗して、「ひとり九九条の会」を名乗っていた。憲法というものを真剣に考え、よく分かっている人だった。

「憲法議論でいうとね。第9条ばかりに目がいきがちだけど、条文の最後のほうの第99条には、憲法をまとめるように、『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』とあるんですよ。この大事な99条にまで議論が及ばない」(「現代」05年8月号)
「(自民党改憲草案が)国民に義務を課すなんてちゃんちゃらおかしいですよ。憲法は国民を守るためのルール。それなのに99条を変えると言い出すなんて、政治家が憲法を勉強してこなかった証しです」(毎日新聞13年5月23日付夕刊)
「僕は憲法はこれでいいと思うんです。条文を書き連ねるんじゃなくて、この言葉の中に全部盛り込まれていると思う。戦争の問題、貧困の問題、教育・福祉の問題。僕は戦争が終わって、最初に選挙する時、興奮したし感動もしました。その感情がいまは無くなってしまった。だからもう一度元に戻して、『二度と飢えた子供の顔は見たくない』という、たった一行、世界でいちばん短い憲法にしたらどうかと思うんです」(「創」13年9・10月号)

大橋巨泉は、かねがね、こう言っていた。
「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない」「彼にとって、経済はムードをあおる手段に過ぎず、本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」「マトモな批判さえ許さない戦前みたいな“空気”を今の日本に感じる」(「日刊ゲンダイ」14年5月)

そして、絶筆となった「週刊現代」7月9日号掲載の連載コラム「今週の遺言」最終回で、参院選を意識して読者に次のように「最後の遺言」を残している。

「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」

野坂昭如は、死の直前に「安倍政権は戦前にそっくり」「国民よ、騙されるな」と言ったそうだ。
「戦争で多くの命を失った。飢えに泣いた。大きな犠牲の上に、今の日本がある。二度と日本が戦争をしないよう、そのためにどう生きていくかを問題とする。これこそが死者に対しての礼儀だろう。そして、戦後に生まれ、今を生きる者にも責任はある。繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか」「どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年前の犠牲者たちへ、顔向け出来ない」(引用はリテラから)

この世代の呼びかけに答えたい。アベ政治を終わらせ、多少なりともまともな政権を誕生させたい。憲法を大切にし、これを生かす政治を獲得したい。その第一歩として、都知事選の護憲派勝利を目指したい。
(2016年7月21日)

「病み上がり」発言に小池百合子の本性を見る。

小池百合子の「病み上がり」発言が波紋を呼んでいる。
鳥越俊太郎をさして、「病み上がりの人を連れてきてどうするんだ」という街頭演説。これは、明らかに「失言」である。冷静に考えれば言うべきではなかったこと、言ってはならないことを、うっかりと場の勢いで口にしてしまったということだ。

実は、練りに練ったタテマエとしての発言ではなく、失言にこそホンネがあらわれる。隠している人間性が露呈する。もうすこしはっきり言えば、本性が見えるのだ。

私自身が肺がんの病歴をもっており、背に7寸の手術痕を持つ身なので、小池発言には過敏とならざるを得ない。小池百合子という人物の本性は、政敵を「病み上がり」と表現することが有効な攻撃材料になると心底で思っていること、それを口に出すことをはばからないということから見て取れる。決定的に優しさに欠ける。病者に対するいたわりのこころがない。これは、社会的弱者一般に対する姿勢に通じるものであろう。

実は、失言にはもう一つの側面がある。失言を咎められたときに、どう対応するかである。ごまかすか、居直るか、あるいは率直に非を認めて謝罪するか。この点でも、人間性がはかられる。本性が現れるのだ。

昨日(7月19日)のフジテレビ・番組でのやり取りを下記のとおり、日刊スポーツが報道している。

鳥越氏が小池氏にかみ付いた。
鳥越氏 小池さんは街頭演説の中で、「病み上がりの人を連れてきてどうするんだ」と言われましたか。
小池氏 言ってないですね。
鳥越氏 ここに証拠がある。日本テレビのニュース番組でテロップが入っている(テレビ番組の画像のコピーを見せる)。
小池氏 でも、今、お元気になられてるじゃないですか。
鳥越氏 こういうことをおっしゃったかどうか聞きたいんですよ。
小池氏 記憶にないですよ。
鳥越氏 まあ、実際にはテロップに出てますからね。
小池氏 それは失礼しました。
鳥越氏 これはガン・サバイバーに対する大変な差別ですよ。偏見ですよ。
小池氏 もし言っていたならば、失礼なことを申しあげました。
鳥越氏 失礼で済まされますか。僕に対する問題じゃない。ガン・サバイバーは何十万、何百万といるんですよ。そういう人たちに「1回がんになったら、あなたはもう何もできないんだ」と決めつけるのは…。
小池氏 いや、そこまでは言ってないですよ。それを決めつけているのは鳥越さんでしょ。これが選挙なんですよ、坂上さん。
司会の坂上忍 急に僕に振られましたね。
鳥越氏 病み上がりというレッテルを人にはって、差別をする。ガン・サバイバーは何もできないというイメージを与える。
小池氏 そこまで広げて言っておりません。大変お気遣いをしているわけです、鳥越さんに対して。
鳥越氏 え?
小池氏 これから長い(選挙戦の期間)がありますから。逆に言えば、そこの部分しかご質問はないんですか。(以下略)

以上の発言経過が、見事なまでの不誠実きわまる対応の典型パターンとなっている。
まずは、発言自体を否定する。
次に、「記憶にない」と言い逃れを試みる。
証拠を突きつけられると「もし言っていたならば」という条件をつけて、「失礼」の程度でかわそうとする。
発言の悪質さを指摘されると、記憶にないはずの発言の真意を取り繕う。
さらには、自分の失言の指摘自体を不当とし攻撃する。

以上の討論で、小池百合子は「病み上がり」発言に対する反省は絶対にするものか、という姿勢を見せた。二度、その本性を見せつけたことになる。

それにしても、小池の「これが選挙なんですよ、坂上さん。」は、意味深で、小池の政治観選挙観を表すものではないだろうか。「これが選挙」という発言には、社会的な道義や良識からは許容されない発言も、選挙ならば、あるいは政治ならば許される、というダブルスタンダードの論理を読み取らざるを得ない。「坂上さん」は有権者の代表と解してよい。小池は有権者に、こう語りかけたように思われる。

「なんであれ相手の弱点を攻めあうのが、政治であり選挙なのだ。相手候補がガンの病歴あれば、これを攻撃材料とするのは当然ではないか」
あるいは、
「この程度の失言攻撃にオタオタすることなく嘲笑してみせるのが、選挙戦というものではないか。それができなくては政治家ではない」

小池百合子の本性を見据えるとともに、今後はこの候補者の発言を、選挙特有のダブルスタンダードではないかと警戒しなくてはならない。
(2016年7月20日)

異常な都知事の異常な教育委員人事で始まった都教育行政の異常ー都知事選がこの異常をただすチャンスだ

 本日、服務事故再発防止研修受講を強制されている都立高校教員Yさんに代わって、弁護士の澤藤から、東京都教員研修センターにご意見と要望を申しあげる。

私が申しあげたいことは、何よりも東京都教育行政の異常ということだ。本日の再発防止研修は、今年(2016年)3月の卒業式での国歌斉唱時の不起立を理由とする懲戒処分(戒告処分)にともなうものだ。全教職員に対する卒業式での起立・斉唱を強制する職務命令が異常であり、その違反への懲戒処分が異常であり、さらに服務事故再発防止研修の強制が異常なのだ。この異常に慣れてしまって、異常を異常と感じない感覚もも、これまた異常といわざるを得ない。

戦後の教育は戦前教育の反省から出発した。戦前の、天皇の権威を道具として、国家主義や軍国主義のイデオロギーを注入する教育が否定され、教育が公権力の統制から自由でなくてはならない、という原則が確認された。個人の尊厳は国家に優越する価値であって、国家によって侵害されてはならないという、18世紀市民社会の常識としての個人主義・自由主義が、ようやく20世紀中葉になって我が国の憲法が採用されるところとなり、1947年教育基本法が、教育の国家統制からの自由を宣言した。

こうして、生き生きとした戦後民主主義教育が発展した。その中心をなすものは、子どもの人格の尊重であり、これに寄り添う教師の専門職としての自由の尊重である。憲法と教育基本法がもっとも深い関心を寄せ、あってはならないとするものが、国家の教育支配であり、教育現場への権力の介入である。
国旗国歌こそは権力を担う国家の象徴として、その教育現場での取り扱い如何は、教育が国家からの自由を勝ち得ているか否かのバロメーターであると言わなければならない。

かつて、都立高校は「都立の自由」を誇りにした。誇るべき「自由」の場には国旗も国歌も存在しなかった。国旗国歌あるいは「日の丸・君が代」という国家象徴の存在を許容することは、「都立の自由」にとっての恥辱以外のなにものでもなかったのだ。

事情が変わってくるのは、1989年学習指導要領の国旗国歌条項改定からだ。1999年国旗国歌法制定によってさらに事態はおかしくなった。都立高校にも広く国旗国歌が跋扈する事態となった。それでもさすがに強制はなかった。校長や副校長が、式の参列者に「起立・斉唱は強制されるものではない」という、「内心の自由の告知」も行われた。教育現場にいささかの良心の存在が許容されていたと言えよう。

この教育現場の良心を抹殺したのが、2003年石原慎太郎都政2期目のことである。悪名高い10・23通達が国旗国歌への敬意表明を強制し、違反者には容赦ない懲戒処分を濫発した。この異常事態をもたらしたのは、極右の政治家石原慎太郎と、その腹心として東京都の教育委員となった米長邦雄(棋士)、鳥海巌(丸紅出身)、内舘牧子(脚本家)、横山洋吉(都官僚)らの異常な教育委員人事である。

処分は当初から累積加重が予定され、教員の思想や良心を徹底して弾圧するものとして仕組まれていた。多くの教員が、やむを得ず強制に服しているが、明らかに教育の場に面従腹背の異常な事態が継続しているのだ。

さらに、「服務事故再発防止研修」の異常が強調されなければならない。面従腹背を潔しとせず、自己の教員としての良心の命ずるところに従った尊敬すべき教員に、いったい何を反省せよというのか。

思い起こしていただきたい。10・23通達の異常は、異常な都知事の異常な人事がもたらしたものだ。今、この異常を糺すべく都知事選が行われている。その有力候補者の中の一人が、「人権・平和・憲法を守る東京を」という公約を掲げている。この候補者は「憲法を生かした『平和都市』東京を実現します。」と訴えている。かなり高い確率で、この候補者の当選が見込まれる。憲法の光の当たらない暗い都政と教育行政に、明るい光が射し込もうとしている。異常事態是正の希望が湧きつつある。

状況が劇的に変化しうる事態に、相変わらずの今日の異常な研修なのである。運用に宜しきを得るよう、こころしていただきたい。

異常はいつまでもは続かない。いずれ、知事も教育委員も教育長も変わる。センターの職員諸君に申しあげたい。現在の教育委員会に過度の忠誠を示すリスクについて、よくお考えいただきたい。そして、本日研修を受けるYさんに、敬意をもって接していただくようお願いする。
(2016年7月19日) 

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  「服務事故再発防止研修」に抗議する声明

 本日(7月19日)、東京都教育委員会(都教委)は、3月の卒業式での「君が代」斉唱時の不起立を理由として懲戒処分(戒告処分)を受けた都立高校教員に対する「服務事故再発防止研修」を強行した。
この「研修」は、自己の「思想・良心」や、教師としての「教育的信念」に基づく行為故に不当にも処分された教職員に対して、セクハラや体罰などと同様の「服務事故者」というレッテルを貼り、精神的・物理的圧迫により、執拗に追い詰め「思想転向」を迫るものである。私たちは、このような憲法に保障された「思想・良心の自由」と「教育の自由」を踏みにじる「再発防止研修」の強行に満身の怒りを込めて抗議するものである。

 都教委は、「服務事故再発防止研修」と称して2012年度より、センター研修2回(各210分)と長期にわたる所属校研修を被処分者(受講者)に課している。しかも該当者(受講者)は、既に、4月5日に卒業式処分を理由にした「再発防止研修」を都教職員研修センターで受講させられており、今回で2回目となる。またこの期間に、所属校研修と称して、月1回の所属校への指導主事訪問による研修の受講も強制させられている。
これは、「繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容される範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性があるといわなければならない」と判示した東京地裁民事19部決定(2004年7月23日)に反することは明らかである。

 また、教育環境の悪化を危惧して、「自由で闊達な教育が実施されていくことが切に望まれるところであり・・そのための具体的な方策と努力が真摯かつ速やかに尽くされていく必要がある」という最高裁判決の補足意見(櫻井龍子裁判官 2012年1月16日最高裁判決)、「謙抑的な対応が教育現場における状況の改善に資するものというべき」と述べ、教育行政による硬直的な処分に対して反省と改善を求めている補足意見(2013年9月6日最高裁判決 鬼丸かおる裁判官)などの司法の判断に背く許されない行為である。

 受講対象者は、東京「君が代」裁判第四次訴訟原告であり、都人事委員会の処分取消請求事件の請求人でもある。係争中の事案について「服務事故」と決めつけ、命令で「研修」を課すことは、「研修」という名を借りた実質的な二重の処分行為であり、被処分者に対する「懲罰」「イジメ(精神的・物理的脅迫)」にほかならない。

 更に重大なのは、教員を本来の職場である学校から引きはがし、「不要不急」の研修を課し、午前中の学校での勤務、特に授業や生徒への指導を不可能とすることによって、生徒の授業を受ける権利を侵害し、かつ「教諭は児童の教育をつかさどる」とする学校教育法や「教員は、授業に支障のない限り…勤務場所を離れて研修を行うことが出来る」とする教育公務員特例法に明白に反していることである。
このように都教委が、教育活動よりも違憲・違法な研修を優先していることは教育条件の整備に責任を持つ教育委員会として断じて許されるものではなく、教育行政に対する都民の期待に背くものである。

 私たちは、決して都教委の「懲罰・弾圧」に屈しない。東京の異常な教育行政を告発し続け、生徒が主人公の学校を取り戻すため、広範な人々と手を携えて、自由で民主的な教育を守り抜く決意である。「日の丸・君が代」強制を断じて許さず、「再発防止研修」強行に抗議し、不当処分撤回まで闘い抜くものである。

     2016年7月19日
  「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
   東京「君が代」裁判原告団

日本国憲法と民主々義と日民協の発展のためにカンパーイ!

皆さま、日本民主法律家協会第55回定時総会にご参集いただきありがとうございます。恒例の懇親会の冒頭、乾杯の発声の前に若干のお話しをさせていただきます。

参院選の結果が出た直後、そして都知事選が始まった時点での総会となりました。右往左往の状況ですが、本日の総会の討議と広渡清吾さんの記念講演「安倍政権へのオルタナティブー個人の尊厳を擁護する政治の実現を目指す」とで、何が起こっているのか、何をなすべきか、整理ができてきたのではないかと思います。

この間、「アベ政治を許さない」「立憲主義・民主主義・平和を守れ」という大きな市民の声が巻きおこり、学者も弁護士もそれなりの役割を果たしてきました。とりわけ昨年(2015年)9月「戦争法案」強行採決の直後に立ち上げられた、「戦争法廃止を求める市民連合」の役割には大きなものがありました。日本民主法律家協会も改憲問題対策法律家6団体の中核にあって、野党共闘の成立に力を尽くしてきました。

もっとも、参院選の結果は、重大なものとして受け止めなければなりません。衆院だけでなく、参院でも憲法改正発議に必要な3分の2の議席を改憲派に与えることとなってしまった。このことは率直に衝撃と言わざるを得ません。

かつては、国会の中に日本社会党を中心に堅固な「3分の1の壁」が築かれていました。憲法改正発議などは許さない。そんな国会情勢は、今や忘却のかなたの古きよき時代の語りぐさ。

改憲問題だけを思うと、こんなふうに愚痴が出ます。

 ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき

あの頃だって、政権に文句を言いたいことはうんとあった。でも、今にして思えば随分とマシな保守政権だったではないか。アベ政権のような、ごりごりの改憲姿勢や好戦性はもっていなかった。情勢はどんどんひどくなっていく。もしや、もう少し経って今日を振り返ると「あの頃はまだマシだった」なんて思うことにならないだろうか。

一昔前には、保守政治家の典型だった小澤一郎が、今や護憲勢力の一員なのですから、いつの間にか政治の重心が大きく右にぶれてしまったのでしょう。ここ数年そのように思い続けていましたが、ようやく希望の灯を見るに至りました。それが、市民の後押しによる4野党共闘です。これこそが、パンドラが開けた箱に残っていた希望というべきもの。

この共闘のでき方について広渡さんに詳しく語っていただきましたが、会場からの質問に対する回答の中での、次のご指摘が印象に残りました。

「安倍政権を追い詰めた市民と野党の共同運動は、九条の解釈においては『専守防衛論』でまとまってのものでした。ここで幅広い勢力の意見の統一ができたものです。しかし、私は、この運動に結集した人びとの多くが『自衛隊違憲論』であったと思っています。むしろ、『自衛隊違憲論』派が運動の中心にいて、この人たちの確信を持った運動あればこそ、そのまわりに『専守防衛論』派の人びとの広がりができたものと言うべきだと思います」

意見の違いはあっても、闘う相手を見きわめて、共闘によって味方を大きくする努力の枠組みができてきたことを心強く思います。この枠組みは、参院選地方区の東北6県では、5勝1敗の大成功を収めました。象徴的に特別の意味をもつ沖縄と福島では、いずれも現職大臣を落としての勝利を勝ち取っています。

これが希望の灯。この希望の灯を絶やしてはならないと思います。いま、この灯は都知事選に受け継がれました。鳥越候補支援の声は急速に拡がりつつあります。本日の特別アピールのタイトル「市民と野党の共闘を支援し、改憲勢力3分の2の危機を乗り切り、東京都知事選での勝利で日本を変えよう」は、今日の総会に集まった人たちの気持ちを的確に反映するものとなっています。

このアピールは、参院選を「市民と野党の共闘」の第1回のチャレンジとしています。もちろん第2回目が「33年ぶりの都知事選での野党統一候補」を生みだした都知事選。さらに、3回目総選挙に続けなければなりません。小選挙区の選挙で、立憲派と壊憲派の一騎打ちが実現すれば、日本が変わるチャンスです。

そのような展望を見据えて、日民協は改憲阻止を標榜する法律家団体として、可能な限りその役割を果たしていくことの決意をかためましょう。それでは、ご唱和をお願いします。

日本国憲法と民主々義と、そして日民協の発展のために、カンパーイ!
(2016年7月17日)

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