澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「李下に冠を正してしまった」政治家の責任のとりかた

昨日(7月24日)、閉会中審査の衆院予算委員会において、安倍晋三はこう述べたという。
「『李下に冠を正さず』という言葉がある。私の友人が関わることで、国民から疑念の目が向けられることはもっともなことだ。私の今までの答弁ではその観点が欠けており、足らざる点があったことは率直に認めなければならない。常に国民目線に立ち、丁寧なうえにも丁寧に説明を重ねる努力を続けていきたい」

殊勝な言葉のつもりなのかも知れないが、なんとも軽く歯が浮く。責任の重さの観点が決定的に欠けている。

「李下に冠を正さず」の成語の出典は、『古楽府』の「君子行」だという。デンデン総理が、「ボクだってこれくらいのことは知っている」とひけらかして見せたわけだ。

出典の原文は、以下の短い文章。
「君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。」
《君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處(お)らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず》と読み下すようだ。君子たる者、嫌疑をかけられちゃおしまいよ、ということ。

また、調べて見ると、前漢の「列女伝」に、「経瓜田不納履、過李園不整冠」という成句があるという。
《瓜田を経るも履を納れず、李園をよぎるも冠を整さず》と読むのだろうか。これも同じ意味。

李園に実がたわわに成るころ、なにゆえ、その実の下において冠を正してはならないのか。答は自ずと明らかである。そんなことをする輩は、十中八九は李泥棒だからである。もう少し正確に言えば、「李下に冠を正す」行為は、李泥棒が嫌疑をごまかすための所作と相場が決まっているからである。収穫期の瓜田に入り込めばウリ泥棒。もっとも、必ずそうだと決めつけることは危険で例外の存在を否定できない。しかし、「李下に冠を正す」行為あれば明らかに嫌疑濃厚なのだ。

だから、原典も《君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らず》と言って、「李下に冠を正す」行為を厳にいましめ、嫌疑の間に陥った場合には言及していない。瓜田でも李園でも、嫌疑をかけられた君子たる身には、みっともない言い訳はそれ自体見苦しい。「いったん疑われたらアウト」ということなのだ。

安倍晋三の言葉は軽すぎる。まだ、自分が国民からアウトの宣告を受けていることに気付いていないようなのだ。彼は、自分に「李下に冠」の行為があったから反省するという。しかし、「李下に冠」の行為を見咎められることは、窃盗の嫌疑をかけられること。そのような恥辱は君子には耐えがたいことのだ。ましてや一国の総理。「李下に冠」の疑惑を自覚すれば、潔く身を引く以外にはない。

安倍晋三は言う。「私の友人が関わることで、国民から疑念の目が向けられることはもっともなことだ」と。しかし、これではごまかしの域を出ない。国民目線に立つというのなら、もっと率直に誠実にこう言うべきなのだ。

「私・安倍晋三は、腹心の友のために、友が経営する学校法人の獣医学部新設の認可に関し、国家戦略特区諮問会議委員長の任にあることを奇貨として、公正であるべき行政をゆがめ、本来認可すべきではない特区認定をしたのではないかと、国民の皆様から重大な疑惑を招きました。

この「えこひいき疑惑」「政治の私物化疑惑」は、信なくば立たない政治の信頼に癒すべくもない深刻な損傷をもたらしたもので、民主主義社会における政治家として万死に値する深い罪を自覚し、自ら相応の責任を取らねばならないと覚悟を固めました。

私は、この責任を取って国会議員としての職を辞すことにいたします。当然に内閣総理大臣としての欠格事由にあたりますので、内閣は総辞職をし、総選挙をしなければなりません。国民の皆様には、再び政治の私物化などという疑惑を招く国会議員や内閣が誕生することのないよう投票にはくれぐれもご注意いただきたく、ふつつかながらせめてもの希望を申しあげます。

また、加計孝太郎さんには、私の不徳によってご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申しあげ、新学部設立は諦めていただくようお願いいたします。そして、今後は慎重に友を選ばれるよう、《己に如かざる者を友とするなかれ》という論語の一節を贈らせていただきます。

以上のとおり、『李下に冠を正してしまった』政治家としての責任をとることを表明する次第です。」
(2017年7月25日)

永年の読者の一人として「赤旗」に要望します。元号併記はおやめいただきたい。

私は、長年の習慣として赤旗は丹念に読む。貴重な情報が提供されているからでもあるし、同紙の意見や論評に敬意を有してもいるからだ。

昨日(2017年4月1日)も、いつもと同じように赤旗に目を通したが、問題となった紙面の変化には気付かず、各紙夕刊の報道で初めて知った。あらためて読み直して各紙報道の正確性を確認し、いささか落胆した。第1面「しんぶん赤旗」の題字の右横、号数を特定する「2017年4月1日 土曜日 日刊第23800号」の表記に、小さな活字で「(平成29年)」と添えられていたのだ。

さらに注意して紙面に目を通すと、第2面の左下に小さな囲み記事。7行の「お知らせ」があった。「『しんぶん赤旗』は、読者のみなさまのご要望を受け、本日付より1面題字横の日付に元号(平成29年)を併記します」という、事務的な文章。

これは、いけない。いただけない。小さく目立たないようで、原則に関わる重大な変化。赤旗に元号は似つかわしくない。是非とも、元に戻して、赤旗紙面から元号を駆逐していただきたい。でなくては、赤旗に対する共感も敬意も失せてしまうことになりかねない。

私は1971年弁護士登録以来10年間は、業務として作成する書面の作成日付を慣行に従って元号で表示していた。作成日付だけでなく、文面の内容でも年の特定は元号で行っていた。引っかかるものはあったが、読み手のある文章。私だけが西暦表示では、独りよがりでもあり裁判所や相手方にも不便とも考えてのことであった。

転機は1981年に岩手靖国違憲訴訟を受任したことだった。この訴訟を通じて、あらためて天皇制や国家神道、それを支える諸々の大道具小道具のことを学び直し、真剣に考えた。明治維新をなし遂げた中央集権政府は、人民の精神の内奥にまで立ち入った支配のシステムを構想し、国家神道という時代錯誤の天皇教を作りあげた。この宗教国家を維持するために、硬軟さまざまな手法が編み出されたが、一世一元の制もその一つである。

敗戦によって天皇主権と、国家神道は制度上なくなったが、その残滓は至るところにある。日の丸・君が代・元号の存在が大きい。それだけでない。叙位・叙勲・祝日・賜杯・天皇賞・恩賜・「皇室御用達」の類。すべては、権威に従順な国民意識涵養のための小道具である。その影響力を可能な限り小さくすることが、憲法の理念を実践しようとする者の努めだと思い至った。

それ以来、陛下や殿下の呼称を拒否しよう。叙勲を祝うことはやめよう。君が代斉唱時には起立しない、そして元号使用をやめようと決意した。思想が変わったわけではない。思想を行動に移さなければならないと思いを定めたわけだ。私は弁護士だ。社会から行動の自由を与えられている。この自由を、憲法の理念を全うする方向で行使しなければならないという意識もあった。

こうして、元号使用をすっぱりとやめた。訴状も準備書面も、弁論要旨も告訴状も、内容証明郵便も、すべて西暦で書くようになって、既に35年ほどにもなる。元号使用をやめて西暦表示に切り替えた最初は、いろいろ面倒なこともあった。なにしろ、元号使用一色の世界に、強引に西暦表示を持ち込むという雰囲気。裁判官からいやな顔をされたことも再三ある。あからさまに、「西暦だと感覚的に分かりにくい。相手方の主張との対比も面倒なので、元号表示にしていただけないか」といわれたことが、記憶の限りで2度ある。もちろん、これを拒否して元号使用を強制されることはなく、そのことが私の依頼者の不利益となることは皆無だった。

いま、明らかに世の空気は変わった。ビジネスの世界では、世界標準である西暦の利便性が元号を圧倒している。メディアの世界も、NHKと産経だけはいざ知らず、西暦表示が席巻している。これを旧に復する愚を犯してはならない。

苦労して西暦表示に切り替え実践していたころ、思想的に同じ姿勢を貫いていた最有力勢力が赤旗だった。旧天皇制に最も苛烈な弾圧を受け、最も果敢に闘ったのが日本共産党だったのだから、当然といえば当然。その一貫した姿勢が、頼もしかった。

報道では、「赤旗は1947年以降、西暦と元号を併記してきたが、昭和天皇の死去以降、西暦のみにした」とのことだが、どの新聞よりも、西暦表示統一に熱心だったし、元号使用の強制に反対する立場だった。

それを、今頃元号併記に逆戻りとは情けない。西暦表示使用にがんばっている多くの人に失望を与える。政治的なインパクトは小さくない。赤旗は、軽々に動かしがたい原理原則をもつことで、固定層としての読者を獲得してきたはず。「利便」や「読者の要望」で、その原理原則をゆるがせにしていくと、核となる読者層から見離されることになりかねない。「この程度は原理原則とは関係なかろう」と譲歩を重ねていくと、ラッキョウの皮を剥いていくように芯が見えなくなってしまうのではないか。そのときは、誇り高き前衛の旗がしおたれてしまうことになる。

昨日の赤旗は、「読者のみなさまのご要望を受け、本日付より1面題字横の日付に元号(平成29年)を併記します」とあった。私も「読者のみなさま」の一人として申しあげる。
「天皇制に対するこれ以上の迎合も譲歩もやめ、国民主権や立憲主義の原理原則を徹底する立場を堅持して、元号表記はすっぱりとおやめいただきたい」
(2017年4月2日)

教育勅語とは、天皇のために死ねという教典である。これを持ち上げるイナダを防衛大臣に居座らさせてはならない。

今日は、3・11。震災・津波・原発の被害について、ぜひとも書かなければならないところだが、思いがまとまらない。PKO部隊の南スーダンからの撤退問題も、アベ友小学校設立認可問題の新局面も、共謀罪も沖縄も韓国も豊洲も軍学共同もトランプも…、書くべきことが山積している。しかし、残念ながら、読んでいただくに値するほどの文章を書ける自信がない。やむなく、イナダ防衛相の資質に関連して、教育勅語について書くことにする。

結論から言おう。イナダは自衛隊を統率する人物として明らかに失格だ。こんな偏頗な思想の持ち主を防衛省のトップに据えておくことは、危険極まりない。この人物、頼りないというだけではない。現行憲法の理念がまったく分かっていない。いや、頭の中が、完全に「反・日本国憲法」で「大日本帝国憲法ベッタリ」なのだ。

大日本帝国憲法時代の日本は、天皇を神とし教祖でもあるとした宗教国家であった。その宗教を国家神道と呼んでいる。国家神道とは、分かり易い言葉を使えば「天皇教」というオカルトである。その教典こそが、教育勅語だった。日本中の教場を布教所として、訓導たちが天皇教の布教者となって子どもたちを洗脳した。日本中が、あの「塚本幼稚園」状態であったわけだ。

いささかなりとも理性をもった目で読めば、神なる天皇から臣民に下しおかれたという、明らかにバカげたカルト文書。少しでも理性の持ち合わせがあれば、こんなものを持ち上げることもありがたがることもできるはずがない。普通の感覚からは、教育勅語を評価していると思われることは、知性も理性もないと言われることと同旨。「恥ずかしい」ことなのだ。

教育勅語は大日本帝国憲法と一対をなすものであった。大日本帝国憲法が失効して、なお妥当性を保つことは出来ない。1948年6月、両院でその廃絶の決議が成立している。とりわけ参議院の決議は、日本国憲法に則って教育基本法を制定した結果として、教育勅語は既に廃止されて効力を失っているとした。教育勅語に代わって、日本国憲法と一対をなす教育の大原則が教育基本法である。

教育勅語の中に、「國憲を重んじ」という一文がある。国憲とは大日本帝国憲法のことにほかならない。当時主権は天皇にあった。だから、エラそうに、天皇が上から臣民を見下して、「憲法を守れ」などと説教できたのだ。

日本国憲法は主権者である国民が作った。その宛名の筆頭は、憲法99条に明記されているとおり天皇である。「憲法を守れ」とは、主権者国民が天皇に向かって言う命令なのだ。だから「教育勅語にもいいところがある」などとは、口が裂けても言ってはならないのだ。

教育勅語の原文は、もったいぶった虚仮威しの言い回しによる読みにくさはあるが、深淵な思想や哲学をかたっているわけではない。さして長くはない文章。句読点をつけるべきところを一字空け、適宜改行して、読み易くしてみよう。

敎育ニ關スル勅語
朕惟フニ 我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ 徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ 億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ 此レ我カ國體ノ精華ニシテ 敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

爾臣民
 父母ニ孝ニ
 兄弟ニ友ニ
 夫婦相和シ
 朋友相信シ
 恭儉己レヲ持シ
 博愛衆ニ及ホシ
 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ
 以テ智能ヲ啓發シ 
 徳器ヲ成就シ 
 進テ公益ヲ廣メ 
 世務ヲ開キ 
 常ニ國憲ヲ重ジ 國法ニ遵ヒ
 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

是ノ如キハ 獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ 實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ 子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス 之ヲ中外ニ施シテ悖ラス 朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ 咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名(睦仁)御璽

ご覧のとおり、教育勅語には「我カ臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ」と、忠孝から始まる幾つかの徳目が書き込まれている。もちろん、天皇制権力に好都合な徳目を羅列して臣民に押しつける類のもの。個性・自主性・自律性の確立、貧困を克服し格差を是正する努力、個人の尊重、男女の平等、権力に対する抵抗、弱者の連帯や団結、平和への献身、国際貢献、自由・人権の重視、宗教や政治信条への寛容、政治的な関心の涵養などは、徳目として書き込まれるはずもないのだ。普遍性を欠いた教育勅語の一部の徳目を持ち上げ、「それ自体は悪くない」などと言うのは笑止千万というべきである。

「修身斉家治国平天下」という中国・朝鮮伝来の儒教思想で固められ、その枠の中の「孝」であり「友」であり、「和」「信」ではないか。「親孝行も、夫婦仲良くも良いことだから、教育勅語も悪くない」は、ものを考えようとしない愚者の言か、人を騙そうとする扇動者の言でしかない。

教育勅語のすべての臣民の徳目は、「常ニ國憲ヲ重ジ 國法ニ遵ヒ 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂する。

私流に、これを現代語訳してみよう。なお、「朕」の訳語は「オレ様」、「爾臣民」は「おまえたち家来ども」がぴったりだ。
「おまえたち国民はオレ様の家来だということをよくわきまえて、オレ様が作った大日本帝国憲法と、オレ様の議会が作ってオレ様が公布するすべての法律に文句を言わずに従え」「もし戦争や内乱や革命など、一大事があるときには、必ずオレ様の兵隊となって命令のとおりに勇猛果敢に命を投げ出す覚悟をせよ。そのようにして、オレ様一族の繁栄が永遠に続くよう最善を尽くさなければならない。それこそがおまえたち家来が守るべき最高の道徳なのだ」

だから教育勅語は、軍国主義の核でもあり基礎でもあるというのだ。富国強兵の時代にはともかく、平和憲法の時代には失効するしかなかった。

以上が、常識的な見解である。ところが、このような常識をもちあせていないことを明言した大臣がいる。イナダ防衛大臣。

3日前の水曜日、3月8日の参議院予算委員会。福島みずほ議員が、教育勅語の評価に関して稲田朋美防衛大臣の認識を問いただして追及した。以下は、その抜粋である。

○福島みずほ 稲田大臣にお聞きをいたします。「ウイル」2006年10月号、228ページの下段、御自身の発言を読み上げてください。
○イナダ (抵抗したが、結局は読み上げる)「教育勅語の素読をしている幼稚園が大阪にあるのですが、そこを取材した新聞が文科省に問合せをしたら、教育勅語を幼稚園で教えるのは適当でないとコメントしたそうなんです。そこで文科省の方に、教育勅語のどこがいけないのかと聞きました。すると、教育勅語が適当でないのではなくて、幼稚園児に丸覚えさせる教育方法自体が適当ではないという趣旨だったと逃げたのです。しかし新聞の読者は、文科省が教育勅語の内容自体に反対していると理解します。今、国会で教育基本法を改正し、占領政策で失われてきた日本の道徳や価値観を取り戻そうとしている時期に、このような誤ったメッセージが国民に伝えられることは非常に問題だと思います。」

○福島みずほ この幼稚園というのは塚本幼稚園のことですか。
○イナダ 今報道等で取り上げられている状況等勘案いたしますと、ここで私が指摘をしているのは塚本幼稚園のことだと推測いたします。

○福島みずほ この後に教育勅語について発言をされているんですが、最後の一行も含めて教育勅語の精神は取り戻すべきという考えは現在も維持されていますか。
○イナダ 教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません。

○福島みずほ 最後の一行まで全部正しいとおっしゃっていますが、これでよろしいんですね。
○イナダ  私は、その教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行ですとか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして維持をしているところでございます。

○福島みずほ 念のため聞きます。この文章はこうです。稲田さんが、「麻生大臣は最後の一行が良くないと、すなわち『天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』といったような部分が良くないと言っているが私はそうは思わない」と言っているんです。つまり、これ全部ということなんですね。この部分も含めて全部ですね。
○イナダ 今申し上げましたように、全体として、教育勅語が言っているところの、日本が道義国家を目指すべきだというその精神ですね、それは目指すべきだという考えに今も変わっていないということでございます。

○福島みずほ 教育勅語が、戦前、戦争への道、あるいは国民の道徳の規範になって問題を起こしたという意識はありますか。
○イナダ そういうような一面的な考え方はしておりません。

イナダに比べれば、麻生太郎が常識的な人物に見えてくる。かくも、防衛大臣は非常識で危険なのだ。

なお、イナダは答弁の中で、執拗なまでに「道義国家」という言葉を繰り返している。教育勅語は、明らかに好戦的な軍国主義の宣言であって、国家としての道議を説くものとなっていない。もとより、「道義」も「道義国家」も教育勅語の原文にはない。

「実は、稲田が持ち出してきた『道義国家』は、『国民道徳協会』現代語訳教育勅語にある「私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます」から引いていると思われますが、教育勅語にはこんな文句はないわけです。明らかに教育勅語が〈読めてない〉」(早川タダノリ)というのが同氏の指摘。なるほど、指摘されて見るとそのとおりなのだ。イナダの答弁は、この現代訳からの借り物。

早川氏には、日民協の「法と民主主義」2017年3月号(3月下旬発刊)にその間の事情を詳しく寄稿いただいている。是非、ご一読いただきたい。

戦前、天皇のために死ぬことが誉れという、天皇教の教義を国民に叩き込んだ教典としては、教育勅語のほかに「軍人勅諭」があり、東条内閣の時代に「戦陣訓」も作られた。兵に天皇の命令のままに死ねと教えた「軍人勅諭」と「戦陣訓」。ともに今はないが、防衛大臣が、教育勅語を持ち上げるのは不気味で恐ろしい。

イナダが、ヌケヌケと教育勅語礼賛を語ることができるのは、アベ政権あればこそである。籠池という尻尾を切っただけでよしとすることはできない。頭も胴体も潰しておかねばならない。イナダのごとき、バランス感覚を欠いたこんな危険人物を防衛大臣にしておくことはゆるされない。
(2017年3月11日)

クロマグロ捕獲規制と民主主義

最近、漁業・漁民との関わりの機会が増えている。

本日(3月9日)午後、お誘いを受けて参議院会館1階講堂で行われた「沿岸漁民の視点からクロマグロの漁獲規制を考える」シンポジウムに参加した。「全国沿岸漁民連絡協議会」(JCFU)と、NPO法人「21世紀の水産を考える会」の共催。北海道から、壱岐・対馬までの沿岸漁民が参加して盛会だった。

シンポジウムのタイトルは、「クロマグロの漁獲規制を考える」だが、内容は、「規制による漁民の悲鳴」と、「漁民の怒り」が噴出した集会であった。沿岸漁民の水産行政への不信は根深い。

シンポジウム開催の趣旨は、次のように述べられている。
「現在、沿岸漁業にクロマグロ漁獲の半減規制がすすめられていますが、各地漁村では様々な混乱が生じています。水産庁のプレスリリース、それをベースにした中央マスコミの報道を見る限り沿岸漁民が違反者・悪者になっています。しかし、そもそもこの混乱を引き起こしている原因は沿岸漁民にあるのでしょうか? 漁獲規制の仕組み、実行体制そのものに問題なしといえるのでしょうか?
各地の沿岸漁民は、『規制をやるなら混乱が生じない内容でやってほしい。規制中にはきちんとした所得補償対策を実施してほしい。このままのマクロ規制では沿岸漁民の経営は成り立たない』と言ってきました。日本の沿岸漁家は近年減少を続けていますが、クロマグロ漁獲規制が沿岸漁家経営を一層困難にさせ、経営体減少に拍車をかけてしまうのでは、真の水産政策とはいえないでしょう。
本フォーラムでは沿岸漁民の立場からより良いクロマグロ漁獲規制になるよう現在の施策の問題点をさぐります。」

問題は深刻であり解決は難しい。当然のことながら水産行政は「国際条約による規制だ。しかも、水産資源保護のための合理的な規制なのだから、やむをえない」という姿勢。これに漁民が苛立っている。

水産資源の保護に必要と納得できれば、現場の漁民が受け入れないはずはない。資源を保護して漁業の存続を願うのは、だれよりも漁民自身である。漁業の持続のために、今は我慢せざるを得ないとするのは、当然と考えるはず。しかし、現在の規制のあり方に苛立ちがあるのは、水産資源の保護の必要という根拠に納得できないものを感じているからであり、何よりも規制の公平性に不満を持っているからだ。

いくつもの不満が噴出している。「マグロを漁獲制限されたら、私たちに代わりの魚種はない」「漁民の生活を守ってもらいたい」「生活のための漁と儲けのための漁を同視するようでは困る」「自分たちの零細な釣り漁法はけっしてマグロを捕りすぎることはない」「乱獲して資源を減らしたのは、大規模な巻き網業者ではないか」「規制は大規模な巻き網漁からにしてもらいたい」…。

中に、こんな報告があった。
「水産庁交渉のさなかに、漁民の一人が職員の態度に思わず大声を上げた。『何をエヘラエヘラ笑っているんだ』」「私には、この漁民の気持ちが良く分かる。水産庁の役人にとっては所詮他人事。自分の給料が減ることはない」「しかし、マグロ漁で食っている漁民にとっては、職員が給料を半減されるのと同じ目に遭っている。本当に笑っていられるような場合ではないのだ」

マグロの規制に関連して、印象に残った報告があった。千葉勝浦のキンメ漁師からのもの。
「我々キンメ漁師は、父親の時代からキンメ資源を漁師自ら大事にしてきました。40年前から勝浦沖キンメ漁場では、7月、8月、9月の3か月間を自主的に禁漁期としています。この3か月はキンメの産卵期と重なることから禁漁とすることで漁民全体の納得を得ているのです。そのほかにも、操業時間の短縮、釣数の制限など、現在まで30数回も自主的に規則を作りかえてきました。この会議は全員一致を原則としています。反対の船団があっても、多数決にはしません。反対の船団に説明に行き、その人たちの意見も聞いて、しこりを残さぬよう解決して、全員一致の規約づくりをしています。みんなで決めたルールですから、みんなが守ることになります」

行政による上からの押しつけ規制に対する、この上ない批判となっている。なるほど、これが民主主義というものか。少数意見者に多数決を押しつけることなく、全員一致を目指しての話し合いの継続。その姿勢が結実しているのだ。

先日、まったくのその反対の事例に接した。岩手県では、大規模定置網漁者の利益を損ねてはならないとして、零細漁民の小規模サケ漁が禁じられている。「これが民主的な漁業調整のあり方か?」という、「浜の一揆訴訟」における原告からの問に、被告岩手県(知事)側はこう答えている。「民主的手続は、海区漁業調整委員会という場で保障されている」。問題はその海区漁業調整委員会の運営の実態である。

会議で、議長が少数派の委員二人にこう言うのだそうだ。「あんた方はどうせ採決で負ける。だからムダな発言はしない方が良い。それが民主主義だ」。そして、実際少数派委員二人以外の発言はない。有識者委員が一度だけ、「県が提案した原案に一字の間違いがある」と言ったのが印象に残っている、とのこと。

多数決で押し切る「民主主義」とは行政の道具となっているまがい物。全員の一致点を見極めようという話し合いこそが、有効な本物の民主主義。案外分かり易いのではないか。アベ政権に、民主主義の片鱗やある。
(2017年3月9日)

学術・科学の分野におけるアベ政権との対峙

昨日(3月7日)、日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」が、「軍事的安全保障研究に関する声明(案)」をとりまとめて発表した。その全文を、末尾に掲載する。この案は、3月24日の学術会議幹事会での議論を経て、4月13日から開かれる総会で確定するものと見られている。

このような声明案が検討されるきっかけは、アベ政権の軍事大国化政策である。具体的には、2015年度に防衛省が創設した「安全保障技術研究推進制度」である。初年度3億円の予算規模で始まり17年度には110億円に膨張して話題と憤激を呼んだあの制度。研究者を金で締め上げ、政権に身をすり寄せる矜持のない者についてだけ、紐付きの研究費を恵んでやろうという発想である。

学術会議は、この防衛省の紐付き研究資金公募制度開始を機に、新たな声明案作成の作業に着手した。当初は、学術会議の方針が軍事研究容認に傾くのではないかと懸念されたが、結局はアベ政権のこの卑劣な手口にたいする科学者集団の危機感が、今回の声明案に結実したと言ってよい。その内容を吟味してみたい。

日本学術会議は、1948年7月公布の日本学術会議法に基づいて、1949年1月に設立された公法人である。同法は前文を持ち、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」と宣言している。教育基本法などと並んで、戦後民主主義の息吹にあふれたもの。平和憲法の学術科学版でもある。

人間に幸福をもたらすはずの科学が、いびつな発達を遂げて、数多くの残虐な兵器をつくり出した。1945年8月6日の広島で明らかにされたとおり、人類は遂に人類自身を消滅させるに足りる科学力を手にしたのだ。間違った科学は人類を破滅させる。

学術会議は、1950年4月の総会で、科学者が戦争に協力した戦前の反省に立って法の目的を具現すべく、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を総会で決議している。その決意のみずみずしさが今読む者の胸を打つ。「科学者としての節操」の言葉が輝いている。

  戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)
 日本学術会議は,1949年1月,その創立にあたって,これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学文化国家,世界平和の礎たらしめようとする固い決意を内外に表明した。
  われわれは,文化国家の建設者として,はたまた世界平和の使徒として,再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに,さきの声明を実現し,科学者としての節操を守るためにも,戦争を目的とする科学の研究には,今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する。
  昭和25年4月28日 日本学術会議第6回総会

学術会議は、さらに重ねて67年の総会でも下記の声明を出している。今こそ、読んで噛みしめるべき内容ではないか。

   軍事目的のための科学研究を行わない声明
 われわれ科学者は、真理の探究をもって自らの使命とし、その成果が人類の福祉増進のため役立つことを強く願望している。しかし、現在は、科学者自身の意図の如何に拘らず科学の成果が戦争に役立たされる危険性を常に内蔵している。その故に科学者は自らの研究を遂行するに当って、絶えずこのことについて戒心することが要請される。
 今やわれわれを取りまぐ情勢は極めてきびしい。科学以外の力にょって、科学の正しい発展が阻害される危険性が常にわれわれの周辺に存在する。近時、米国陸軍極東研究開発局よりの半導体国際会議やその他の個別研究者に対する研究費の援助等の諸問題を契機として、われわれはこの点に深く思いを致し、決意を新らたにしなければならない情勢に直面している。既に日本学術会議は、上記国際会議後援の責任を痛感して、会長声明を行った。
 ここにわれわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を声明する。
 昭和42年10月20日第49回総会

以上の理念が、長く日本の科学者の倫理と節操のスタンダードとされ、これに則って大学や公的研究機関の研究者は軍事研究とは一線を画してきた。当然のことながら、日本国憲法の平和主義と琴瑟相和するもの。ところが、いま、この科学者のスタンダードに揺るぎが生じている。言うまでもなく、アベ政権の平和憲法への攻撃と軌を一にするものである。

問題は深刻な研究費不足であるという。政権や防衛省が紐をつけた軍事研究には、予算がつく。アベ政権の平和崩しは、ここでもかくも露骨なのだ。

さらに大きな問題は、大西隆現会長ら政権に近い筋が、「1950年、67年の声明の時代とは環境条件が異なって専守防衛が国是となっているのだから、自衛のための軍事研究は許容されるべき」「デュアルユースなら許されてよい」などと発言していることだ。

「デュアルユース」とは、技術研究を「民生用」と「軍事用」に分類し、「軍事用研究」も「民生」に役立つ範囲でなら許容されるというもの。ところが、「軍事用研究」の中に「専守防衛技術」というカテゴリを作ると、「専守防衛のための軍事技術は国是として許容されるのだから、民生に役立つかどうかを検討するまでもない」となる。結局は限りなく、許容される軍事技術の研究分野を広げることになる。

そのような経過で、今軍事と科学の関係に関する、3番目の声明案がとりまとめられたのだ。この声明案は、学術会議が1950年と67年に出した過去の2声明にについて、「科学者コミュニティーの戦争協力への反省と再び同様の事態が生じることへの懸念があった」と指摘のうえ、「軍事的安全保障研究」は学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあるとして、過去の「2つの声明を継承する」と明記した。

私は、学術会議が科学者の総意をこの内容の声明案に結実させたことを高く評価したい。過去の二つの声明の継承を明記した上、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)を、名指しで批判している。今後は、この声明の精神を具体化していくこととなろう。

ここにも重要なアベ政権との対峙の運動がある。
(2017年3月8日)
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       軍事的安全保障研究に関する声明(案)
日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究が学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。
 科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政府によって制約されたり動員されたりしがちであるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性が担保されなければならない。軍事的安全保障研究では、研究の期間内および期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
 防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多い。むしろ必要なのは、科学者の自主性・自律性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。
 研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる。大学等の各研究機関は、施設・情報・知的財産等の管理責任を有し、自由な研究・教育環境を維持する責任を負うことから、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである。学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる。
 研究の適切性をめぐっては、学術的な蓄積にもとづいて、科学者コミュニティにおいて一定の共通認識が形成される必要があり、個々の科学者はもとより、各研究機関、各分野の学協会、そして科学者コミュニティ全体が考え続けて行かなければならない。科学者を代表する機関としての日本学術会議は、そうした議論に資する知見を提供すべく、今後も率先して検討を進めて行く。

師走の街角で、平和憲法の擁護を訴える。

恒例の「本郷湯島九条の会」の街頭宣伝活動です。是非、しばらくの時間耳をお貸しください。風は吹いていますが、好天に恵まれたまずまずの師走の入りです。75年前の今日、12月6日も、きっとこんな日だったと思います。

当時、中国との戦争は、「満州事変」から数えれば10年余、日支事変から数えても4年余も続いていました。日中戦争は膠着状態にあり、都会に暮らす人びとにとって戦争は外地でのこと。天皇の軍隊が、「満州」で「北支」で、また南京で、どんなことをしでかしていたか、知らされてはいませんでした。重慶に対する日本軍の度重なる空襲は伝えられていましたが、それは赫々たる戦果としての報道。3年と少し後には、大空襲によって反対に東京が焼け野原になるとは、想像もしていなかったのです。

75年前の今日12月6日は太平洋戦争2日前にあたります。しかし、明後日の早朝に、日本がアメリカやイギリスに突然の戦争を仕掛けることになるとは、誰にも情報はありませんでした。国民の知らぬうちに、着々と戦争の準備が進められ、真珠湾への奇襲作戦や、英領のマレー・シンガポール侵略の策が練られていたのです。

75年前、1941年の12月8日午前7時に、NHKラジオは第1回の大本営発表を報じました。これが同日の宣戦布告なき対米英開戦の報道でした。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は今8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」

この日、NHKは「ラジオのスイッチを切らないでください」と国民に呼び掛け、9回の定時ニュースと11回の臨時ニュースを緒戦の大戦果の報で埋めつくしました。そのほかに、「宣戦の詔書」や、東条首相の「大詔を拝し奉りて」などが繰りかえし放送されました。この日が、大本営発表の始まり。そして、この日が敗戦まで続く灯火管制の始まりの日ともなりました。

こうして「東条内閣と軍部はNHKを最大限に利用し、巧みな演出によって国民の熱狂的な戦争支持熱をあおり立てた」のです。その後、NHKの大本営発表は846回行われたということです。発表の形式はアナウンサーが読み上げるものと、陸海軍の報道部長が読み上げるものとの2種類がありました。戦争遂行にNHKはなくてはならぬものとなり、NHKと大本営発表との親密な関係は、戦時下の日本国民の意識に深く刻みこまれたのです。

12月8日にNHKが放送した「宣戦の詔勅」というのは、天皇が述べた開戦の理由です。やたらに難しい虚仮威しの漢語を並べた文章で、99%の国民には聞いても意味が分からない、国民を煙に巻くための代物。

たとえば、こんな風です。
「中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解(かい)せず、濫(みだり)に事を構えて東亜(とうあ)の平和を攪乱(こうらん)し、遂(つい)に帝国をして干戈(かんか)を執(と)るに至(いた)らしめ、茲(ここ)に四年有余を経たり。幸(さいわい)に、国民政府、更新するあり。帝国は之(これ)と善隣(ぜんりん)の誼(よしみ)を結び、相(あい)提携(ていけい)するに至(いた)れるも、重慶(じゅうけい)に残存(ざんぞん)する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ牆(かき)に相鬩(あいせめ)ぐを悛(あらた)めず。
 米英両国は、残存政権を支援して、東亜(とうあ)の禍乱(からん)を助長(じょちょう)し、平和の美名(びめい)に匿(かく)れて、東洋制覇(とうようせいは)の非望(ひぼう)を逞(たくまし)うせんとす。剰(あまつさ)え与国(よこく)を誘(さそ)い、帝国の周辺に於(おい)て、武備(ぶび)を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害(ぼうがい)を与へ、遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存(せいぞん)に重大なる脅威(きょうい)を加う。」

要するに、「中国とそれに加勢する英米が悪いから、戦争せざるを得なくなった」というのです。こんな支離滅裂の無茶苦茶を、当時の国民が納得したことに驚かざるを得ません。
大陸での戦争も太平洋での戦争も日本から仕掛けたもの。にもかかわらず、暴支膺懲と言い、鬼畜米英と言ったのです。

特に有名なのは次のくだり。
 朕(ちん)は、政府をして事態(じたい)を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、此(こ)の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、軍事上の脅威(きょうい)を増大し、以って我を屈従(くつじゅう)せしめんとす。
 斯(かく)の如くにして、推移(すいい)せんか。東亜安定(とうああんてい)に関する帝国積年(せきねん)の努力は、悉(ことごと)く水泡(すいほう)に帰し、帝国の存立(そんりつ)、亦(またこ)正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。事既(ことすで)に此(ここ)に至る帝国は、今や自存自衛(じそんぼうえい)の為、蹶然(けつぜん)起(た)って、一切の障礙(しょうがい)を破砕(はさい)するの外(ほか)なきなり。

日本は平和を求めて我慢に我慢を重ねているのに、英米には譲歩の姿勢がない。このままでは、これまでの日本の努力は水泡に帰すことになるから、「自存自衛のため」相手をやっつけるしかなくなった、というのです。「自存自衛」は、未だに靖國派と言われる人々の戦争観となっています。

こうして、太平洋戦争が始まり、国民が勝利に湧いたのは最初の半年間だけ。やがて戦局は傾き、戦果の報道は「転進」と「玉砕」だらけとなり、日本は戦争の惨禍を味わい尽くして敗戦を迎えます。早期に戦争終結の進言を受けながら、天皇は「もう一度戦果をあげてからでないと難しい」として、敗戦直前の夥しい悲劇を招いた末に無条件降伏に至りました。

再び戦争を繰り返してはならない。恒久の平和を打ち立てたい。その国民の切実な思いが、日本国憲法に結実しています。国民が恒久の平和を願って、再び戦争はしないとの固い誓いを込めて作った憲法。これこそ平和憲法と呼ぶことがまことにふさわしいとものと思います。憲法9条は、戦争を放棄し、戦力の不保持を定めました。また、前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と平和的生存権の思想を明文化しています。

しかし、それだけではありません。日本国憲法は、頭から尻尾の先まで平和主義が貫かれています。戦前の軍国主義・侵略戦争・植民地主義・民族差別を徹底して反省して、これを繰り返さぬ決意の上に成り立つ、文字どおりの「平和憲法」にほかなりません。戦争は、これを唱導した天皇を抜きにして語ることはできません。国民主権も民主主義もなかったことが戦争の原因でもあったのです。憲法の国民主権原理も平和憲法の重要な構成部分と考えなければならないと思います。

この平和憲法を壊そうとたくらみを推し進めている安倍政権の暴走に、大きな批判の声を上げていただきますよう訴えて、本日の街頭宣伝活動を終了いたします。
(2016年12月6日)

文京母親大会講演「戦争はごめん! いのち輝く平和な社会を」ー憲法公布・女性参政権70年

女性こそ母親こそ、最も戦争を憎み平和を望む者。アジア太平洋戦争では230万人の兵士が死んだ。230万回も母の涙が流れた。また、この兵士たちによって殺された近隣諸国の犠牲者は2000万人と見積もられている。この国々の母の涙は、はかり知れない。
「誰の子どもも殺させない」「誰の子どもも戦場に送ってはならない」そして、「世界中のすべての母親に悲しい思いをさせてはならない」。

日本国憲法は、筆舌に尽しがたい戦争の惨禍のすえに、この惨禍をけっして繰り返してはならないとする決意として生まれた。母の涙から、生まれた憲法と言っても間違っていない。

1945年12月に衆議院議員選挙法が改正され女性参政権が実現した。そして、歴史的な総選挙が行われたのが46年4月10日。初めて女性が投票所に足をはこび、39人の女性議員が誕生した。

この総選挙のあとに、第90帝国議会が開かれて制憲議会となった。この議会の審議で形の上では憲法改正、実質的には新憲法制定となった。

新憲法は、揺るがぬ平和を構築するために、前文では平和的生存権を唱い、9条1項で戦争を放棄しただけでなく、同2項で戦力の不保持を宣言した。国際協調によって平和を維持するという歴史的な選択が採択され、武力均衡による平和や抑止論は考慮されなかった。自衛のための武力の保持も行使も否定されている。

しかも、その日本国憲法は、前文から本文のすべてが、一切戦争を想定することなく、戦争を起こさぬように、平和を維持するように作られている。個人の尊厳、国民主権、国民の政治参加、表現の自由・知る権利、政教分離、違憲審査権、教育の自由、教育を受ける権利、地方自治…、全て平和を支え平和に通ずる。まさしく日本国憲法は平和憲法なのだ。

憲法9条2項の発案者とされている幣原喜重郎は、議会の答弁において「文明と戦争とは両立しない。文明が戦争を廃棄しなければ、戦争が文明を廃棄してしまう」と9条の意義を述べている。

また、吉田茂は、「戦争抛棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。」
 
平和憲法を支える女性の役割は大きい。かつて「家」制度が、「国家」主義を支えていた。男性中心の修身斉家治国平天下の思想と心理は、国家の差別構造になぞらえられた「家」に支えられていた。天皇→国家→家→個人の価値序列は、徹底して個人が軽んじられる社会。戦前、戸主でない女性は民事上の無能力者であり、参政権を持たなかった。期待されたのは、銃後を守る女性像であり、精強な兵士を生み育てる役割を担う女性像であった。

戦後、憲法24条は、女性を解放し、男性との対等性を回復した。家制度は崩壊し。女性参政権は平和をもたらした(はず)である。

ところが、今平和・女性の権利が危うい。憲法それ自体も危うくなっている。
自民党改憲草案(2012年4月)の思想は、国防国家・国家主義と人権抑圧・立憲主義の否定である。民族の文化・歴史・伝統が強調されているが、その内実は天皇を中心とした「國體」以外になにもない。これが、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」の正体にほかならない。

自民党草案24条は「家族の尊重と相互扶助の義務付け」を謳う。これは家制度の復活を目指すものといわざるを得ない。

安倍政権の壊憲政策は、それでも足りずに明文改憲路線を明確にしている。憲法は、単に理想を書き連ねた文書ではない。個人の尊厳・自由・平等、そして何よりも平和を実現するためのこの上ない有効なツールである。けっして、これを手放してはならない。

女性の力は世界の半分を支えている。平和を支える母親の力は半分よりもはるかに強いはず。是非とも、憲法を我が子の如くお考えいただきたい。平和と個人の尊厳を擁護するために、憲法改正には絶対反対という立場を貫いていただきたい。
(2016年10月1日)

憲法は、「二度と飢えた子供の顔は見たくない」ーこのたった一行でよい。

永六輔に続いて、大橋巨泉が亡くなった。その前には野坂昭如、小澤昭一、水木しげる、菅原文太、米倉斎加年、愛川欽也、あるいは松谷みよ子…。みんな、当然の如く、平和や戦後民主主義を大切にし、真っ当な積極的発言をしてきた人たち。直接に反権力や護憲を口にしないときにも、そのような雰囲気が滲み出る人たちであり、それが大衆からの支持を得ていた。この世代が去って行くことが実に淋しい。淋しいだけでなく、この世代の終焉とともに、日本の社会が戦争の恐怖や平和・民主主義の貴重さを忘却していくことにならないだろうか。

永六輔は、「九条の会」ができたあと、半分これにあやかり、半分は対抗して、「ひとり九九条の会」を名乗っていた。憲法というものを真剣に考え、よく分かっている人だった。

「憲法議論でいうとね。第9条ばかりに目がいきがちだけど、条文の最後のほうの第99条には、憲法をまとめるように、『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』とあるんですよ。この大事な99条にまで議論が及ばない」(「現代」05年8月号)
「(自民党改憲草案が)国民に義務を課すなんてちゃんちゃらおかしいですよ。憲法は国民を守るためのルール。それなのに99条を変えると言い出すなんて、政治家が憲法を勉強してこなかった証しです」(毎日新聞13年5月23日付夕刊)
「僕は憲法はこれでいいと思うんです。条文を書き連ねるんじゃなくて、この言葉の中に全部盛り込まれていると思う。戦争の問題、貧困の問題、教育・福祉の問題。僕は戦争が終わって、最初に選挙する時、興奮したし感動もしました。その感情がいまは無くなってしまった。だからもう一度元に戻して、『二度と飢えた子供の顔は見たくない』という、たった一行、世界でいちばん短い憲法にしたらどうかと思うんです」(「創」13年9・10月号)

大橋巨泉は、かねがね、こう言っていた。
「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない」「彼にとって、経済はムードをあおる手段に過ぎず、本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」「マトモな批判さえ許さない戦前みたいな“空気”を今の日本に感じる」(「日刊ゲンダイ」14年5月)

そして、絶筆となった「週刊現代」7月9日号掲載の連載コラム「今週の遺言」最終回で、参院選を意識して読者に次のように「最後の遺言」を残している。

「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」

野坂昭如は、死の直前に「安倍政権は戦前にそっくり」「国民よ、騙されるな」と言ったそうだ。
「戦争で多くの命を失った。飢えに泣いた。大きな犠牲の上に、今の日本がある。二度と日本が戦争をしないよう、そのためにどう生きていくかを問題とする。これこそが死者に対しての礼儀だろう。そして、戦後に生まれ、今を生きる者にも責任はある。繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか」「どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年前の犠牲者たちへ、顔向け出来ない」(引用はリテラから)

この世代の呼びかけに答えたい。アベ政治を終わらせ、多少なりともまともな政権を誕生させたい。憲法を大切にし、これを生かす政治を獲得したい。その第一歩として、都知事選の護憲派勝利を目指したい。
(2016年7月21日)

「ストップ・アベ暴走」の都政を目指してー千載一遇のチャンスを逃がすな

本日(7月14日)告示の都知事選がスタートした。投票日は7月31日、猛暑のさなかの文字通り熱い選挙戦である。

今回都知事選は、リベラル勢力にとっては千載一遇のチャンスである。この絶好のチャンスを逃してはならない。これまで、革新統一といえば「社共+市民運動」が最大幅だった。2012年選挙でも、2014年選挙でも、ようやく実現した「社共+市民」の枠組み。しかし、結果は惨敗に終わった。200万票を取らねば勝負にならないところ、この枠組みでは100万票に届かない。これでは勝てないことが手痛い教訓として身に沁みた。3度同じ愚を犯すわけにはいかない。

今回は、幅広く4野党共闘でのリベラル派統一候補の推挙が実現した。昨年の戦争法反対運動の盛り上がりの中で、デモに参加した市民の声として湧き起こった「野党は共闘」というスローガンが、参院選にも、そしてこのたびの都知事選にも結実しているのだ。

しかも、これまでの選挙とはまったく違って、リベラル派が候補者を統一し、保守の側が分裂しているのだ。まさに天の時は我が方にある。傍観者で終わることなく、この歴史的な闘いに何らかの方法で参加しようではないか。都民でなくても、選挙への協力は可能なのだから。

選挙の性格のとらえ方を統一する必要はない。私は、この都知事選を「ストップ・アベ暴走選挙」と命名したい。そして、「ストップ・アベ暴走都政」を実現させたい。美濃部革新都政第2期の選挙が、「ストップ・ザ・サトウ」選挙であった例に倣ってのことだ。ベトナム反戦の時代の空気を都知事選に持ち込んでの成功例。この選挙で美濃部は361万票を得て、保守派候補(秦野章)にダブルスコアで圧勝している。一昨日(7月12日)の鳥越俊太郎出馬会見は、意識的に改憲問題や国政批判を都知事選のテーマに持ち込むものであった。

この会見を報じた朝日の見出しは、「鳥越氏『時代の流れ、元に戻す力に』 都知事選立候補」というもの。今の時代がおかしいのだ、元の流れに戻さなければならない。そのような思いを日本の首都の選挙で訴えて広く共感を得たい。これが、朝日の理解した鳥越出馬の真意。

記事本文での当該部分の会見発言の引用は次のようになっている。
「『あえて付けくわえるなら』としたうえで、立候補を決めた理由を『参院選の結果で、憲法改正が射程に入っていることがわかった。日本の時代の流れが変わり始めた。東京都の問題でもある。国全体がそういう方向にかじを切り始めている。元に戻す力になれば。それを東京から発信したい』と語った。

読売も、朝日とよく似た見出しとなった。「鳥越氏、都知事選出馬表明『流れ元に戻す力に』」というもの。記事本文は、次のとおり。

鳥越氏は12日午後、都内のホテルで記者会見を開き、「残りの人生を『東京都を住んで良し、働いて良し、環境良し』とすることにささげたい」と語った。出馬理由については「参院選の結果を見て、平和の時代の流れが変わり始めたと感じた。国全体がかじを切る中、流れを元に戻す力になりたいと思った」と説明した。

毎日の見出しは、「野党統一鳥越氏が出馬」と無骨だが、次のように会見の内容を紹介している。これが、一番よく、鳥越の気持ちを伝えているのではないか。

「私は昭和15年、1940年の生まれです。防空壕にいたこともよく記憶しています。戦争を知る最後の世代、戦後の第1期生として、平和と民主主義の教育の中で育ってきました。憲法改正が射程に入ってきているというのが参院選の中で分かりました。『それは国政の問題で東京都政とは関係ないだろう』という方もいると思いますが、日本の首都だから大いに関係があると思う。戦争を知る世代の端くれとして、都民にそういうことも訴えて、参院選と違う結果が出るとうれしいというのが私の気持ちです。」

国政と都政が無関係なはずはない。都政は国政を補強もすれば減殺もする。また、都知事選を、多くの都民が国政に感じている危ない時代の空気を批判する機会と位置づけて悪かろうはずがない。時代の危うさとは、アベ政治の暴走にほかならない。アベ政治の暴走の中身には二つの軸がある。一つは新自由主義の経済政策であり、もう一つは軍事大国化の政治路線だ。

新自由主義の経済政策が格差と貧困をもたらし、雇用の形にも福祉の切り捨てにも、教育や保育や介護にも、都民の生活に大きく影響していることは論を待たない。経済や福祉・労働等々に関する都政は、アベ政治を批判するものとならざるを得ない。

軍事大国化とは、戦後民主主義の否定であり、集団的自衛権行使容認であり、立憲主義の否定であり、さらには9条改憲の政治路線である。鳥越は、これに抗する姿勢を明確にしている。自分を「戦争を知る最後の世代であり、戦後の第1期生として、平和と民主主義の教育の中で育ってきました」として、「憲法改正が射程に入ってきている」この恐るべき時代を看過し得ないとしているのだ。

都政は、軍事大国化路線と無関係ではない。政府に協力してこれを補強もすれば、政権に抵抗して平和を志向することもできる。鳥越会見では、横田基地へのオスプレイ導入の阻止、米軍管理下の「横田管制」の正常化。政権の意向から独立した各国首都間の友好交流が平和に大きな意味を持つなどの発言があった。首都の原発ノー政策は核軍縮と関わるものとなる。

さらに、民主主義を大切にする真っ当な教育行政は、反アベ政治の色彩を持たざるを得ない。第1次アベ政権は教育基本法の「改正」に手を付けた。第2次では、教育委員会制度の骨抜きもした。鳥越都政はこれに対抗して、地教行法が想定する真っ当な教育委員を選任して、荒廃した東京都の公教育を改善することができる。教科書採択も、現場の教員の声を反映したものにすることができる。これだけでも、アベ政治に対する大きな打撃になる。

今回の都知事選挙を、「前知事の責任追及合戦」に終始し、「新都知事のクリーン度」を競い合うだけのものとするのではもの足りない。行政の公開や監視のシステム作りという技術的なテーマは、4野党のスタッフにまかせて上手に作ってもらえばよい。

都知事は、憲法の精神を都政に活かす基本姿勢さえしっかりしておればよい。その基本姿勢さえあれば、細かい政策は、ブレーンなりスタッフなりが補ってくれる。4野党が責任もって推薦しているのだ。そのあたりの人的な援助には4野党が知恵をしぼらなければならない。
(2016年7月14日)

アベ政権が描く「美しい国・日本」とはこんなものだ

今日は7月10日、参院選の投開票の日。まだ、開票結果の確定報はない。しかし、望ましからざる民意が示されたことは疑いがない。日本国憲法の命運は危くなってきた。これはたいへんな事態だ。既に、アベが「憲法改正、憲法審査会できっちり議論」と言い出したと報道されている。

民主主義とは何であるか。またまた、考え込まざるを得ない。私が物心ついたころ、戦後民主主義と平和とは不即不離のイメージだった。戦前には国民主権も民主主義もなかった。だから、誤った軍部に引きずられて民衆が心ならずも戦争の被害者になった。民主主義さえあれば、あの惨禍をもたらした愚かな戦争を再び民衆が望むはずはない。多くの人がそう思い、私もそう思って疑わなかった。

しかし今、アベのごとき人物が民意に支えられて首相になっている。正真正銘「右翼の軍国主義者(a right-wing militarist)」たるアベである。そのアベによる壊憲・教育介入・メディア支配・沖縄の民意蹂躙・原発再稼働・強引な国会運営が強行されている。世は忖度と萎縮に満ちている。にもかかわらず、アベ政権の支持率が下がらない。憲法が想定した民主主義は、どうなってしまったのだろう。

民意が独裁を望み、民意が戦争を辞せずとし、民意が少数派を差別するとき、民主主義とは一体なんなのだ。どうすれば、もすこしマシな、理性的な社会を作ることができるのだろうか。私たちの国の民主主義はどこで間違ってしまったのだろう。どうすれば軌道を修正できるのだろうか。それとも、最初から日本には民主主義が根付く土壌がなかったということなのだろうか。

アベ政権がどのような社会を作ろうとしているのか。自らが分かり易く示している。
7月7日のことと思われるが、自民党がそのホームページに、「学校教育における政治的中立性についての実態調査」というタイトルの記事を掲載した。その本文は、次のとおりである。

《党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』、あるいは『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。
 学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。》

これには一驚を禁じ得ない。「子供たちを戦場に送るな」との主張は、戦後平和教育の出発点であり、広く国民の支持を受けたスローガンだった。これを、「不偏不党」にも「政治的中立性」にも反し逸脱したというのだ。これでは、「平和は尊い」「戦争を繰り返してはならない」「原爆は禁止すべきだ」も、特定のイデオロギーに染まった結論として排斥されることにならざるを得ない。

自民党は、「子供たちよ、勇ましく戦場を目指せ」と言いたいのだとしか考えられない。もっとも、「子供たちを戦場に送るな」の部分は、その後「安保関連法は廃止にすべき」と、こっそり書き換えられたようだ。姑息千万である。

このホームページの問題はさらに大きい。次のように続けられているのだ。
《そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いします。》として、投稿フォームを設置。氏名や性別、連絡先などとともに、《政治的中立を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください。》という書き込みができる入力欄を設けている。

ちくり、密告の奨励である。子どもたちや父母をスパイに育てようということではないか。あるいは、教員同士の相互監視と密告体制。ジョージ・オーエルの「1984年」を思い出させる。これでは教育が成り立たない。これがアベが取り戻すという「美しい国・日本」の正体なのだ。
(2016年7月10日)

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