澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その2)

10月30日韓国大法院(最高裁に相当する)の徴用工判決。原告である元徴用工の、被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求」を認容した。

この判決に対する日本社会の世論が条件反射的に反発しあるいは動揺している事態をたいへん危ういものと思わざるを得ない。政権や右派勢力がことさらに騒ぎ立てるのは異とするに足りないが、日本社会の少なからぬ部分が対韓世論硬化の動きに乗じられていることには警戒を要する。まずは、同判決を正確に理解することが必要だと思う。それが、「真摯な理解を」というタイトルの所以である。判決は、けっして奇矯でも、反日世論迎合でもない。法論理として、筋が通っており、条理にかなっていることも理解しなけばならない。

昨日のブログは、時間の足りないなか急いで書いた。文章が練れていない生硬な読みにくさがあるし、判決の全体像を語ってもいない。あらためて、大法院広報官室の本判決に関する「報道資料」(日本語)にもとづいて、紹介記事の続編を書き足したい。

同事件において、被告側は「原告の請求権は日韓請求権協定(1965年)の締結によってすべて消滅した」と抗弁した。この抗弁の成否、つまり、「日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか否か(上告理由第3)」を判決は核心的争点と位置づけている。

この核心的争点における原告の抗弁の根拠は、同請求権協定2条第1項「両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになるということを確認する」、及び同条3項「一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権として同日以前に発生した事由に起因するものに関しては、如何なる主張もできないことにする」との文言が、原告ら元徴用工の被告企業に対する一切の請求権を含むものであって、「解決済み」で、「如何なる主張もできないことになっている」ということにある。

しかし、この被告の抗弁を大法院は斥けた。その理由を、多数意見は「協定交渉の経過に鑑みて、原告の被告会社に対する『強制動員慰謝料請求権』は、協定2条1項の『両締約国の国民間の請求権』には含まれない」とし、だから同条約締結によって原告の請求権は消滅していない、との判断を示した。これは、論理としては分かり易いもので、昨日のブログで詳細に紹介したとおりである。
http://article9.jp/wordpress/?p=11369

この多数意見とは反対に、請求権協定における「両締約国の国民間の請求権」には、本件の「強制動員慰謝料請求権」も含まれる、とする5名の個別意見がある。

そのうちの2人は、「だから、協定締結の効果として、韓国国内で強制動員による損害賠償請求権を訴として行使することも制限される」「結論として、原判決を破棄して原審に差し戻す」という意見。要するに、原告敗訴の意見。いま、日本政府や産経などが主張しているとおりの判断。

残る3人の意見は、違ったものである。結論から言えば、「強制動員慰謝料請求権」も、「解決済み」ではあるが、解決の済みの意味は、国家間の問題としてだけのことで、国の国に対する権利は放棄されているものの、「個々の個人が持つ請求権は、この放棄の限りにあらず」ということなのだ。実は、この見解、日本政府の見解と同じなのだ。多数意見と理由を異にするが、上告棄却で原告徴用工勝訴の結論は同じものとなる。日本政府も反対しようがないのだ。

「報道資料」は、この3裁判官意見をこう紹介している。

「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれると解するべきである。ただし原告ら個人の請求権自体が請求権協定によって当然消滅すると解することはできず、請求権協定により、その請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみが放棄されたに過ぎない。したがって原告らは依然として大韓民国において被告に対して訴によって権利を行使することができる。」

 この3裁判官見解では、「請求権協定の締結によって『外交的保護権』は放棄された」が、「原告ら個人の被告企業に対する『請求権自体』は、請求権協定によって消滅していない」ということになっている。だから、韓国内での裁判による権利行使は可能という結論なのだ。

『請求権自体』とは異なる、『外交的保護権』という、一般にはなじみの薄い概念がキーワードとなっている。

『外交的保護権』(あるいは、「外交保護権」)とは、大法院の広報部の「報道資料」の表現によれば、

「自国民が外国で違法・不当な扱いを受けた場合、その国籍国が外交手続きなどを通じて、外国政府を相手に自国民の保護や救済を求めることができる国際法上の権利」と解説されている。

法律学小辞典(有斐閣)を引用すれば、

「自国民が他国によってその身体や財産を侵害され損害を被った場合に、その者の本国が加害国に対して適切な救済を与えるよう要求すること。国家がもつこのような権利を外交保護権という。」

この裁判官3人の意見は、

「原告らの個人請求権自体は請求権協定だけでは当然消滅すると見ることができず、ただ請求権協定によってその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されることにより、日本の国内措置により当該請求権が日本国内で消滅しても大韓民国がこれを外交的に保護する手段を失うことになるだけである。」ということ。

つまり、国家は自国民の特定の権利については、国民に代わって相手国に対して救済を求める国家自身としての権利をもつ。まさしく、徴用工の日本企業に対する請求権はそのようなもので、韓国が日本に対して「自国民である徴用工の権利について適切な救済を与えるよう」要求する国家としての権利をもっていた。この権利が外交保護権。しかし、65年請求権協定によってその「国家(韓国)の国家(日本)に対する権利」は消滅したのだ。しかし、「この国家間の協定によって、個人の権利が消滅させられたわけではない」というわけだ。

「報道資料」には、その理由としてこんな説明が付されている。

「請求権協定には、外交的保護権の放棄にとどまらず「個人請求権」の消滅について日韓両国政府の意思の合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない。」「国家と個人が別個の法的主体であるという近代法の原理は、国際法上も受け入れられているが、権利の『放棄』は、その権利者の意思を厳格に解釈しなければならないという法律行為の解釈の一般原則によるとき、個人の権利を国家が代わりに放棄する場合には、これをさらに厳格に解釈すべきである。」「請求権協定では『放棄(waive)』という用語が使用されていない。」

さらに重要なのは、以下の日本側の意思についての指摘である。

「当時の日本は請求権協定により個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみ放棄されると解する立場であったことが明らかである。」「日本は請求権協定直後、日本国内で大韓民国国民の日本国及びその国民に対する権利を消滅させる内容の財産権措置法を制定・施行した。このような措置は、請求権協定だけでは大韓民国国民個人の請求権が消滅していないことを前提とするとき、初めて理解できる。」

実はこの点は、日本政府がこれまで国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことなのだ。よく引用されるのは、1991年8月27日参院予算委員会における、当時の柳井俊二外務省条約局長答弁。

大事なところだ。正確に引用しておこう。清水澄子委員の質問に対する、政府委員谷野作太郎アジア局長と柳井俊二外務省条約局長の各答弁。

○清水澄子 そこで、今おっしゃいましたように、政府間(日韓間)は円滑である、それでは民間の間でも円滑でなければならないと思いますが、これまで請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。
○政府委員(谷野作太郎君) 先ほど申し上げたことの繰り返しになりますが、政府と政府との間におきましてはこの問題は決着済みという立場でございます。
○政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。
 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないこういう意味でございます。

極めて明瞭に、日韓請求権協定によって「最終かつ完全に解決し」「消滅した」のは、国家が有する外交保護権であって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではないことが述べられている。だから、個人が国内法に基づいて訴訟提起することは、当然に可能ということになる。

1992年2月26日 衆議院外務委員会での柳井俊二外務省条約局長答弁は、さらに踏み込んでいる。質問者は土井たか子。さすがに切り込んだ質問をしている。

○柳井政府委員 … …
 しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。

○土井委員 (あなたは、)るるわかりにくい御説明をなさるのが得意なんですが、これは簡単に言えば、請求権放棄というのは、政府自身が持つ請求権を放棄する。政府が国民の持つ請求権のために発動できる外交保護権の行使を放棄する。このことであぅて、個人の持つ請求権について政府が勝手に処分することはできないということも片や言わなきやいけないでしょう、これは。今ここ(日韓請求権協定)で請求権として放棄しているのは、政府白身か持つ請求権、政府が国民の持つ請求権に取ってかわって外交保護権を発動するというその権利、これでしょう。だから、個々の個人が持つ請求権というのは生きている。個々の個人の持つ請求権というのはこの放棄の限りにあらず、これははっきり認められると思いますが、いかがですか。

○柳井政府委員 ただいま土井先生が言われましたこと、基本的に私、正確であると思います。この条約上は、国の請求権、国自身か持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したかって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます。
 ただ、先ほど若干長く答弁させていただきましたのは、もう緩り返しませんけれども、日韓の条約の場合には、それを受けて、国内法によって、国内法上の根拠のある請求権というものはそれは消滅させたということが若干ほかの条約の場合と違うということでございます。したがいまして、その国内法によって消滅させていない請求権はしからば何かということになりますが、これはその個人が請求を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。

同様の問題は、ソ連との間でも、中国との間でも起きている。
1991年3月26日参議院内閣委員会での、シベリア抑留者に対する質疑では、「条約上、国が放棄をしても個々人がソ連政府に対して請求する権利はある、こういうふうに考えられますが、本人または遺族の人が個々に賃金を請求する権利はある、こういうことでいいですか」という質問に対して、高島有終外務大臣官房審議官が、こう述べている。

私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。

国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることにはならない。このことは、韓国・ソ連・中国との関係において、日本政府自身が繰り返し言明してきたことなのだ。

徴用工訴訟・韓国大法院判決を法的に批判することは、少なくも日本政府のなし得るところではない。22万人と言われる強制動員された徴用工。過去の日本がいかに大規模に、苛酷で非人道的な振る舞いを隣国の人々にしたのか。まず、その訴えに真摯に耳を傾けることを行わない限り、公正な解決はあり得ない。

また、政府も企業も肝に銘じなければならない。戦争も植民地支配も、けっしてペイしないものであることを。ツケは必ず回ってくる。それは、けっして安いものではあり得ないのだ。
(2018年11月2日)

絵本『花ばぁば』の作者が語る日本軍従軍慰安婦問題のとらえ方

足を踏んだ程度のことでも、踏まれた側と踏んだ側とのとらえ方は大きく異なる。往々にして、踏まれた側の痛みは大きく、当然に大きな事件、大きな責任問題と考える。しかし、なかなか踏んだ側には痛みが伝わらない。往々にして、たいしたことでもないことを、なにを大袈裟に騒ぐのかと考えられる。

殴られた方や、いじめられた方は痛みや怨みを忘れない。殴った方やいじめた方には、痛みも怨みも伝わらず、早々に忘れられてしまう。ましてや、戦争での加害と被害、植民地支配における差別や人権蹂躙ともなれば、その溝は大きい。個人と個人のレベルでも、民族と民族の間でも、国家対国家の関係でも…。加害・被害の歴史のとらえ方は大きく異なることにならざるをえない。

無責任な加害者・加害国に対しては、被害の当事者は、「加害行為を忘れるな。被害者の痛みを忘れてはならない。加害の責任を認めよ」と言い続けることになる。そうしなければ、加害の事実も責任も、この世から忘れ去られてしまうことになるからだ。絵本「花ばぁば」もそのような文脈での作品だろうと、手に取るまでは思っていた。読んでみて、少しちがうようだという感想を持った。

昨日(6月24日)、韓国の絵本作家クォン・ユンドクの「絵本『花ばぁば』」の制作過程を描いたドキュメンタリーDVD「わたしの描きたいこと」(販売元「ころから」)を観て、日本軍従軍慰安婦問題についての被害者側での問題のとらえ方が通り一遍ではないことを認識させられた。この絵本の作家の「わたしの描きたいこと」とは、決して皇軍の蛮行の告発ではない。日本軍のあの戦争における具体的な野蛮な行いではなく、戦争というものが、女性という弱い存在に及ぼす暴力の忌まわしさというものである。だから、どこの国のどの時代も平和でなくてはならない。すべての人に関してそうなのだが、とりわけ女性への性暴力を防ぐためには平和が不可欠なのだ。

ナレーションではなく、独白と議論が作者の考え方を物語っていく。
作者は、躊躇しながらも語る。「私には性暴力被害の体験がある。だから、誰よりも私が慰安婦とされた女性の気持ちがよく分かる。私こそが、この絵本を作る作家として最もふさわしい。そう思っていた」

しかし、次第にその気持ちが空回りしているのではないかと悩み始める。被害者に思いいれる気持ちと、本来伝えるべき作品のありかたのとの溝を意識するようにもなる。

最初、彼女の描く絵は生々しさにあふれるものだった。加害の責任を追求する姿勢もストレートで厳しい。天皇(裕仁)の肖像が描かれる。すべての加害行為の責任の象徴のごとくに。しかし、天皇の肖像は消えて菊となり、さらに桜に変わっていく。軍艦の旭日旗や、飛行機の「日の丸」も消える。直接の加害者であった旧天皇制国家や日本軍に対する怒りや怨みが、昇華されていく。

韓国の出版社のスタッフは、怪訝な思いでこの変化を見つめて問う。「どうしてわざわざ、現実にあったものを消すのか」。彼女は、説明を繰りかえしながら、自分を納得させる答を探す。「日本がすべて敵なのではない」「日本の国民が悪というわけでもない」「日本には良いところも、学ぶべきところもある。この本を読む子どもたちに日本はすべて悪いと誤ったメッセージを与えてはならない」「憎むべきは戦争であり、戦争をもたらした支配者であり、国家の体制ではないか」「そのことをこそ伝えたい」

このドキュメンタリーの最後で、作家は韓国の子供たちに伝える。「ベトナム戦争では、韓国も日本軍と同じようなことをしたのよ」と。戦争を高みで見ることなく、最も弱い立場に視座を据えてみる戦争。「あの戦争だから」ではなく、「戦争だからやむを得ない」でもなく、弱い者が理不尽に虐げられる一切の戦争をなくさなければならない。

料理や掃除をしながらの思索と繰り返される試行錯誤。日韓の子供たちとの会話や出版社スタッフとの議論。また、作品のモデルとなった元日本軍「慰安婦」シム・ダリヨンさんとの温かい交流…。こうした営みの結晶としてこの絵本は完成している。作家の訴えが、加害国の側に生まれた私の心に重く響く。
(2018年6月25日)

黙ってはならない ― 天皇制批判にもセクハラにも

4月29日。かつての天皇誕生日で、その前は天長節だった。戦争責任を免れた昭和天皇裕仁が誕生したこの日を選んで、「春の叙勲」受賞者が発表されている。その数4151人。かたじけなく、うやうやしく、天皇から格付けられたクンショウをもらってありがたがっているのだ。

この4151人に、芥川龍之介の言葉を贈ろう。

「軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなったものではない。勲章も―わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」

勲章をもらうのは軍人だけでない。なぜ良い齢をした大人が酒にも酔わずに、勲章をもらったことを人に知られて、それでも恥ずかしげなく往来を歩けるのであろうか。

たまたま、本日の東京新聞9面「読書」に、「沖縄 憲法なき戦後」(古関彰一・豊下楢彦共著)の書評が出ている。表題が、「米軍にささげた『捨て石』」というもの。沖縄を「捨て石」として米軍に捧げた人物、それがほかならぬ天皇裕仁である。

この書評が指摘するとおり、「沖縄に基地が集中したのは地政学上の理由ではなく、そこが『無憲法状態』にあったからだ」「沖縄の運命を決める政策決定の〈現場〉に、当の沖縄は不在だった。」「アメリカにフリーハンドを与えることを提案した昭和天皇の『沖縄メッセージ』の役割は大きい」(評者・田仲康博)。まことにそのとおりだ。今日は、この指摘を噛みしめるべき日だろう。

昭和天皇(裕仁)は、自由なき国家の主権者の地位にあったことだけで、責任を問われねばならない立場にある。のみならず、国の内外にこの上ない戦争の惨禍をもたらしたことについての最大の責任者でもある。さらに、敗戦後には何の権限もないはずの身で、沖縄を米国にささげたのだ。なんのために…。保身以外には考えられない。

そんな人物ゆかりの日に、クンショウもらってニコニコなどしておられまいに。

いま、天皇や天皇制を批判する言論に萎縮の空気を感じざるを得ない。アベやその取り巻きにおもねる言論が大手を振って、権力や権威の批判が十分であろうか。「国境なき記者団」が今月25日に発表した「報道の自由度ランキング・18年度版」では日本は67位とされている。昨年の72位よりも5ランク上げた理由は理解し難いが、43位の韓国や45位の米国の後塵を拝しているのは納得せざるを得ない。

言うべきことは言わねばならない。空気を読んで口を閉ざせば、空気はいっそう重くなるばかり。萎縮せず、遠慮せず、躊躇せず、黙らないことが大切だ。「私は黙らない」と宣言し続けねばならない。

昨日の新宿「アルタ」前での若者たちの『私は黙らない』行動。セクハラ批判に声を上げた彼らの行動を頼もしいと思う。持ち寄られたカラフルなプラカードには、「With You」「どんな仕事でもセクハラは加害」「私は黙らない」などの文字。

ここでも「勇気を出して声をあげる」ことが大切なのだ。一人の声が、他の人の声を呼ぶ。多くの人が声を合わせれば、社会の不合理を変える。「萎縮して黙る」ことは、事態をより悪くすることにしかならない。

集会は「いつか生まれる私たちの娘や息子たちが生きる社会のため、ここから絶対に変えていきましょう」との言葉で締めくくられたそうだ。

安倍や麻生が権力を握るこの時代。ときに絶望を感じざるを得ないが、社会の不当に黙ることなく声を上げる人々がいる限り確かな希望は消えない。天皇や天皇制や叙勲についての不合理の指摘や批判の言論についても、黙してはならない。
(2018年4月29日)

3月11日に読む「ドイツ人が見たフクシマ:脱原発を決めたドイツと原発を捨てられなかった日本」

3月10日と、3月11日。偶然並んだこの両日は、いずれも忘れられない日であるが、同時に忘れてはならない日でもある。この両日に起こったそれぞれの出来事は、さまざまに関連して、今の私たちの生き方や社会のありかたを問い続けている。

3・10東京大空襲は明らかな人災であり、3・11大震災と原発事故は天災に人災が重なったものだ。空襲被害と原発事故被害とは、その責任の性質がよく似ている。その責任の本質をどう考え、どう対処すべきか。まずはドイツに学ぶべきだろう。

日独両国とも、敗戦の惨禍から再出発している。その原点は加害責任の認識であり、侵略戦争をもたらした旧体制への反省だったはず。ドレスデン爆撃と東京大空襲とは、侵略戦争が結局は自国民に惨憺たる運命を強いることになるという好例である。ドレスデン爆撃にはゲルニカへの無差別爆撃が先行し、東京大空襲には執拗な重慶爆撃が先行している。ドイツも日本も、自分がやったようにやり返されたのだ。しかも、何層倍もの規模においての報復だった。

ここまでは、日独は肩を並べての同罪である。天皇制日本と、ナチスドイツの両体制の失敗である。しかし、その後はちがっている。戦後ドイツをことさらに美化するつもりはないが、自国の戦争責任追及の姿勢の真摯さは、我が国には見られないものだ。両国には大きな、越えがたい落差がある。残念ながらこの姿勢の違いは、政治家の質の違いと言って済まされない。国民意識の落差がもたらしたものだ。改めて、アベや麻生を政権の座に据えていることを日本国民の恥辱と思う。

その両国の落差が、3・11後の原発への対応にも表れている。そのことを上手な語り口で、解説しているのが、「ドイツ人が見たフクシマ:脱原発を決めたドイツと原発を捨てられなかった日本」(16年3月11日発行)。

著者は、熊谷徹。元はNHKの記者だったというフリージャーナリスト。ドイツ・ミュンヘン市に在住。ドイツの過去との対決や、ドイツのエネルギー・環境問題を、日本との対比の視点で書き続けている人。「脱原発を決めたドイツと、原発を捨てられなかった日本」をテーマの執筆者として最適の人だろう。同じテーマの著書に、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「脱原発を決めたドイツの挑戦」などもあるようだ。

この書の問題意識が、宣伝文句に的確にこう語られている。
「世界中に大きな衝撃を与えた…福島原子力発電所の事故、その衝撃を最も深刻に受け止めたのは、日本人ではなくドイツ人だった!」「なぜ日本から1万キロメートル離れたドイツが、大胆なエネルギー転換に踏み切ることができ、深刻な原子力災害を経験した日本が、ドイツのような本格的なエネルギー転換に踏み切れなかったのか?」

まったく日独の原発に関する意識の格差は対照的だ。日本では、愚かな首相が、東京オリンピック招致のために、事故後の放射性廃棄物の環境への流出について「アンダーコントロール」と言ってのけた。なんの知識もなく事実の確認もないままの、世界に発信された大きな嘘。そんな口先だけの政治家が、まだ首相を続けているのだ。

事故後7年を経て、廃炉の見通しさえ立っていない。「アンダーコントロール」どころか、廃棄物処理の方針もない。にもかかわらず、原発再稼働が順次実行されている。さらには、自国でコントロールができない原発プラントの他国への売り込みまで熱心に行われている。なんということだ。この国は没道義の国になり果てている。

地震国日本での原発の容認と、地震のないドイツの原発の拒否。その対比は、文化史的に興味深いテーマといえよう。この書では、原発推進派だったメルケルは、フクシマの事故後、率直に自らの政策を反省して転換し、脱原発派に「寝返った」。このことは、彼女の資質でもあろうが、そのような政策転換なくしては、対立政党に政権を奪われるという、世論の動向があったという。特に「緑の党」の存在の重みが語られている。

「原発は安全」という神話は崩れた。ドイツに似た資質を持っている日本国民が設営する設備での事故は、ドイツに衝撃だったという。安全のためには、エネルギーが高価になっても良いという国民合意が形成されているともいう。原発でも化石燃料でもなく、環境に負荷とならない再生可能エネルギーを。これがドイツの世論であり、政策であるという。

この書の第1章が「ドイツ人に強い衝撃を与えた福島事故」となっている。その最初の見出しが、「NHKでは遅れた爆発映像」となっている。この記述は、私にとって衝撃だった。

事故翌日の3月12日、日本国外のテレビやインターネットの世界では、既に1号機の建屋が爆発する瞬間の映像が繰りかえし流されていた、という。この衝撃が大きかった。ドイツだけでなく、英国のBBC、米国のCNNもこの映像を流していた。ところが、肝腎のNHKだけがこの映像を放映していなかった。著者がドイツで見たリアルタイムでのNHKの放送では、アナウンサーが「福島第一原発で爆発音がして、建屋の天井の一部が崩れたという情報があり、確認中」という原稿を読んでいたという。しばらくして、NHKは1号機の爆発後の写真を放映したが、爆発の瞬間の動画は流さなかった。

世界がリアルタイムで見ていた爆発の衝撃画像は、福島中央テレビが撮影したもので、NHKは撮影に成功していなかったという。だから、NHKを見続けていた多くの日本人は衝撃映像の目撃者とならなかった。日本人の目には、外国の反応が過剰と映ったわけがあったのだ。

12日午後5時47分の枝野幸男官房長官会見も、「何らかの爆発的事象があった」という、“奥歯に物がはさまったような発表”となっていたという。

この書には、日独間のパーセプションギャップ(意識の隔たり)が頻りに語られるが、その原因の第一が、情報のギャプである。世界に配信されたこの爆発シーンは、「石橋を叩いて渡るような政府の公式発表や、市民に不安を与えまいとする『安心報道』を粉砕してしまった」という。

また、一部の視聴者のこととして、政府とNHKの『安心報道』の姿勢を「これでは大本営発表をそのまま流しているようなものだ」「日本政府の情報は信じられない」という批判が紹介されている。

3月12日の時点では、政府の公式声明のなかでは「炉心溶融(メルトダウン)」という言葉すらタブーになっていた、とも言う。
NHK出身の著者は、さぞかしもどかしい思いであったろう。

一方、ドイツのメデイアには「安心報道」の配慮はまったくなかったという。悲観的情報、悲観的予測があふれていた、と紹介されている。おそらく、地元日本は情報において世界から孤立していたのだ。

3月10日一夜にして10万人の死者を出した東京大空襲被害も、もとをただせば聖戦と欺された国民の侵略戦争加担が原因となっている。大本営発表さながらの、原発安全神話に欺されたところから、3・11原発被害も生じている。そして、事故後も安全神話の延長としての《安全報道》が、原発への厳格な国民的批判を温いものとしてしまっている。ドイツに倣って、日本国民も政府やメディアが誘導する《安全神話》や《安全報道》に、もっと懐疑的でなければならない。

最終章に、著者の結論めいた記述がある。ごもっとも、というほかはない。
「ドイツ語には、《政治の優位》という言葉がある。これは、民意を反映する政治が、経済や科学技術など他の分野に優先するという意味だ。ドイツ人たちは、福島事故後の脱原子力決定によって、この国に《政治の優位》という原則が生きていることを、全世界に対して示した。つまり原子力技術の専門家たちが、「ドイツの原子炉は安全であり、直ちに停止するべき理由はない」という結論に達しだのに、メルケルは原発全廃を求める倫理委員会の提言を採用した。彼女は「木よりも森を見て」、原発全廃が公益にかなうと判断した。
メルケルは、この決断によって《政治の強さ》を示した。市民の代表が行う政治の決定が、企業や科学者、技術者の意思よりも優位性を持っているのだ。
我々日本人が一番最初に行うべきことは、民意を反映する政治を実現し、《政治の優位》を回復することではないだろうか。」

(2018年3月11日)

12月23日・A級戦犯処刑の日に。

本日、12月23日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において死刑の宣告を受けたA級戦犯7名が処刑された日として記憶される。69年前の今日のことだ。

判決が言い渡されたのは、同年11月12日。刑の執行の日取りについて特に定めはなかったが、皇太子明仁の誕生日を選んでの執行と伝えられている。

GHQと極東委員会は、諸般の事情や思惑があって天皇(裕仁)の戦争責任訴追はしないこととしたが、連合国の圧倒的世論は天皇(裕仁)の戦争責任追求を求めていた。A級戦犯7名の死刑の日を次期天皇の誕生日としたのは、国際世論との関わりがあるのだろう。将来の天皇の誕生日の都度、日本国民に日本の戦争責任を想起させる意図は当然あっただろう。あるいは、天皇に代わっての戦犯たちの死の意味を、国民に突きつけたいとしたとも考えられる。

「平和に対する罪」など、55の訴因で裁かれて死刑の判決を受け執行された7名は以下のとおりである。
東條英機 – 総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃)
板垣征四郎 – 陸相・満州国軍政部最高顧問・関東軍参謀長
木村兵太郎 – ビルマ方面軍司令官・陸軍次官
土肥原賢二 – 第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
武藤章 – 第14方面軍参謀長
松井石根 – 中支那方面軍司令官(南京事件)
広田弘毅 – 唯一の文民(南京事件の残虐行為を止めなかった不作為の責任)

1978年に至って、靖国神社はこの7名に獄中死の下記7名を加えた14名を「昭和殉難者」として合祀した。この14名は、いずれも戦死者でも戦病死者でもない。死亡の理由は「法務死」とされている。広田弘毅に至っては軍人軍属でさえなく、軍への協力死でもない。

梅津美治郎
小磯国昭
白鳥敏夫
東郷茂徳
永野修身
平沼騏一郎
松岡洋右

当時の皇太子はその後40年を経て天皇となった。本日は、その地位に就任して29回目の天皇誕生日である。今日、A級戦犯の刑死はさしたる話題にならず、もっぱら明後年(2019年)の天皇の生前退位だけが話題である。GHQと極東委員会の思惑ははずれたことになるのだろうか。しかし、今日は昭和天皇の戦争責任を考えるとともに、国民精神を戦争に動員した天皇制の危険性について、思い語り合うべき日であろう。

その天皇(明仁)は昨日(12月22日)記者会見をした。自身の退位日が2019年4月末に決まったことに関して、「このたび、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います。」と話したという。

「私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。」を翻訳すれば、「内閣も国会も、天皇への忖度ありがとう」「私が一言メッセージを発したら、皇室典範特例法を作って私の退位の希望を叶えてくれたことに感謝」ということだ。国政に関する権能を一切有しないはずの天皇の「実力」に触れた大いに問題ある発言。

さらにおおきな問題は、「象徴としての務め」だ。本来、「象徴」とは存在するだけのもの。「務め」も、「努め」も不要なのだ。天皇が自分で天皇のあり方を解釈し、ひとり歩きするようなことを憲法は想定していない。

国民意識の中に、次第に天皇の存在感が増しているのではないか。このことに、不気味さを禁じえない。
(2017年12月23日)

本夕澁谷で慰安婦に献げるキャンドルアクション 「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にちなんで

ご存じだろうか。本日11月25日は、国連で定めた「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にあたる。本日澁谷で、この日にちなんだ従軍慰安婦に献げるキャンドルアクションが行われる。

この日の由来は、ドミニカの独裁者ラファエル・トルヒジョの命令によって、ドミニカ共和国の政治活動家ミラバル三姉妹が惨殺されたこと。その日が1960年11月25日だったという。世界各地の女性団体は、1981年からこの日を女性に対する暴力撤廃デーとして共同の活動を始め、1999年に至って国連がこの日を「女性に対する暴力撤廃の国際デー」と定めた。以来、毎年11月25日から12月10日(世界人権デー)までの16日間、女性への暴力の撤廃を呼びかける催しが世界中で取り組まれているという。

本日、ソウル清渓広場ではこの日にちなんで大規模なキャンドル集会が開かれる。「女性に対する暴力」の象徴的被害者である、従軍慰安婦とされた女性に灯が献じられる。そして、その場が全ての日本軍「慰安婦」被害者への女性人権賞授与の式場になるという。

これに呼応して、東京渋谷でも、キャンドルアクションが行われる。主催団体は、次のように呼びかけている。

「慰安婦」問題は外交問題ではなく、女性の人権問題です。戦時中、日本軍の「慰安婦」になることを強要された女性たちの名誉回復も未だになされていません。私たちは、戦後半世紀もの間沈黙を強いられてきた女性たちが、1990年代以降、勇気を持って名乗り出たことの意味を深く受け止めます。この声に応答することこそ、今、一番やるべきことだと考えています。性暴力のない社会、被害を受けた人が声を上げやすい社会を一緒に築くため、このキャンドルアクションにご参加ください。

とき:11月25日(土)
   リレートーク&歌:18時30分 19時30分
発言者
柴洋子(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)
田中雅子(上智大学教員/16 Days Campaign-Sophia University)
池田恵理子(女たちの戦争と平和資料館(wam)館長)
伊藤和子(ヒューマンライツ・ナウ事務局長)
佐藤香 (女性と人権全国ネットワーク共同代表)
亀永能布子or柚木康子(安保法制違憲訴訟・女の会)
青木初子(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)

キャンドルアクション:19時、19時30分
 青信号の間、キャンドルを持って、交差点を埋め尽くします(2回ずつ)
 集合場所:渋谷駅 ハチ公広場
※キャンドルは配布します
※主催 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動
参照下記URL
http://www.restoringhonor1000.info/

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※賛同団体募集
賛同団体は、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動のブログにて
公表します。賛同金(任意)1口千円(複数口歓迎)
郵便振替口座
加入者名 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010
口座番号 02760-1-84752
「11.25キャンドルアクション賛同金」とご記入ください。
領収書は振込取扱票右側の振替払込受領証をもって替えさせていた だきます。

他銀行から振り込む場合
ゆうちょ銀行 店番279
店名:二七九(ニナナキユウ)
口座番号:当座 0084752

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最近慰安婦問題日韓合意(2015年12月28日)の破綻を物語る報道が増えている。問題の真の解決を回避して、見せかけだけの解決をはかろうとしても無理なことが明確になりつつあるのだ。被害者を置き去りにした解決ができないことは当然のこと。加害者側の形だけの「謝罪の振り」も見透かされている。「真の解決」とは何か。「被害者に受けいれてもらえる真の謝罪」とは何か。それを探る真摯さが重要ではないか。

昨日(11月24日)、韓国国会は、毎年8月14日を『日本軍慰安婦被害者の日』とする法案を採択した。

【ソウル聯合ニュース】韓国の国会は24日の本会議で、毎年8月14日を「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」とし、慰安婦被害者への支援を拡大することを盛り込んだ慰安婦被害者生活安定支援法の改正案を可決した。
 改正案は8月14日を法定記念日とし、慰安婦問題を国内外に伝え、被害者を記憶するための行事などを行う内容が盛り込まれている。8月14日は故金学順(キム・ハクスン)さんが1991年に慰安婦の被害を初めて公の場で証言した日だ。
 また、政府が被害者に関連した政策を策定する場合、被害者の意見を聴取し、政策の主な内容を国民に積極的に公開するようにした。
 追悼施設設置などの事業を支援し、被害者の死去時に遺族へ葬儀費を支給することなども盛り込まれた。

これは、日本にとっても大きなインパクトをもつ重大ニュースだ。

また、昨日には、大阪市長がサンフランシスコ市に慰安婦像を市有化した問題で、姉妹都市解消を表明したことも報道されている。

戦後今日まで、侵略戦争や植民地支配について、我が国の国民が真に反省せず、被害者の琴線に触れる謝罪も償いもしてこなかったことのツケなのだ。加害者側からの居丈高な対応は問題をこじらせるだけ。加害者は、真摯に被害者の心情を汲む努力をしなければならない。
(2017年11月25 日・連日更新第1700回)

百合子さん、百合子さん、右のお耳がよろしいのね。そうよ、そっちの人だもの。

「小池都知事の英断に感謝します!」という、声明が現れた。もちろん右翼のもの。8月25日のことのようだ。
「私達は、この度の小池都知事の関東大震災朝鮮人慰霊式への追悼文送付を断るという大英断に、心より称賛の言葉を送りたいと存じます。
40年の長きに渡った、都の慣例を打ち破るという事がどれほど難しい選択だったか想像に難くありません。この横網町の碑の問題に取り組んできたそよ風としては感謝の言葉しか御座いません。
又、この問題を都議会で取り上げて下さった、自由民主党古賀俊昭議員の勇気ある質問がなければここまで来られなかったことは間違いありません。古賀議員の元には抗議が来ているそうですが、それでも毅然としていらっしゃる御姿はまさに日本を護る守護神のように思えてなりません。又、何より、これまでご支援下さった皆様、関心を持ち続けて下さった皆様に、御礼を申し上げます。
しかし、戦後自虐史観との闘いは緒に就いたばかりです。
今後とも、どうか宜しくお願い致します。
 そよ風代表  鈴木 由喜子  他一同 

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関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付の問題は、「戦後自虐史観との闘い」だという位置づけ。だから、追悼文送付の取りやめは大英断として小池百合子に感謝する、というのだ。右翼からの小池へのオマージュである。なるほど、あの極右・石原慎太郎もできなかったことを小池百合子がやってのけたのだから、感謝感激であり、心からの称賛ということになるわけだ。

「そよ風」とは、真正右翼の模様。こんな調子だ。
「マスコミの偏向報道、教育の場での自虐史観授業等に日本の危機を感じています。もう男性達だけには任せておけない!
日本を護る為に私たち女性は立ち上がります。先人達が命をかけて築きあげてきたこの素晴らしい国、日本を失わないために、今、私達が頑張らないといけないのではないでしょうか。
語るだけでは何も変わらない、私達は行動します。
そよ風は日本を愛する女性の会です。」

こういう歴史修正主義派の右翼連中が、小池百合子の本性を褒めそやしているのだ。

もっとも、小池自身はそう広言しているわけではない。いかにもポピュリストらしく、「これまでも都知事として関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表し、全ての方々への慰霊を行なってきました」「今回は全ての方々への法要を行いたいという意味から、特別な形での追悼文提出を控えた」というのだ。いかにも控えめ。

しかし、本当にこれが小池の本心なら、右翼が「大英断」などと持ち上げようはずもない。ここは、想田和弘(米国在住)が、下記のごとく言うとおりではないか。

「政治性を排除することが、極めて政治的であることの好例。『震災の犠牲者すべてを追悼する』という一見中立的・公平にみえる言説が、朝鮮人に対する暴力を隠蔽する。実は全く中立でも公平でもない。最近、こういうことがあちこちで起きている。」

そのそよ風が、朝鮮人犠牲者慰霊式の場所と時間に合わせて、カウンターの行事を行うという。下記のとおり。

9月1日午前11時より私達の悲願であった都立横網町公園・真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭ですが、都立公園での開催申請が受け付けられましたのでご報告申し上げます。
真実の慰霊祭を執り行いますので皆様ぜひご参集下さいませ。
 日時 平成27年9月1日午前11時より
 場所 都立横網町公園関東大震災石原町慰霊碑前

同じ公園内の目と鼻の先の距離で、対抗集会を開こうというのだ。「虐殺犠牲者の縁故の者が慰霊・追悼の儀式を行う」ということはわかりやすい。しかし、右翼の連中は「虐殺はでっち上げだとして『真実の慰霊祭』を執り行う」という。これは極めて分かりにくい。なんでもアンチの右翼が、ことを起こそうとしている可能性を否定し得ない。無用な衝突なく、充実した行事が平穏に運ぶように、朝鮮人犠牲者追悼式典に圧倒的な多数者が参列することを期待する。両国駅下車の横網町公園、午前11時である。

ところで、TBSラジオ「荻上チキSession22」に、加藤直樹が出演した「小池都知事・関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文送付取りやめを語る」。
https://www.tbsradio.jp/177037
下記では読むことができる。
http://miyearnzzlabo.com/archives/44795

たいへん分かり易く、貴重な意見を語っている。以下だけを引用する。
「(加藤直樹)焦点になっているのは追悼碑だと思うんですけど、もともとこの追悼碑は1973年に民間で作られたものなんですけど、ただ非常に広範な人々の協力でできたんですね。(当時の)美濃部都知事を筆頭に、当時の自民党の各区の区議団や共産党、社会党は当然としても公明党、民社党も含めて地域レベルでは協力する。そして寺院とか学者、学術団体、病院、労働組合。そういった幅広い人たち。数えてみたら個人で約600人。団体で240団体が協力者に名を連ねる形で当時作られたんですね。

(荻上チキ)ええ、ええ。

(加藤直樹)それは東京で起きたそういう事件を……要するに、民族差別によって殺してしまうという事件を二度と起こしてはいけないという思いがあったからだと思うんです。だからこそ、歴代の都知事はメッセージを送ってきたと思うんですね。それを取りやめるということは、歴史的な教訓を忘れるということですから。要するに、東京はいつ大地震が起きるかもわからない都市ですし、また非常に多民族的な都市なんですよね。そういう都市で「民族差別による暴力は許さないんだ」っていうメッセージが非常に後退してしまうんじゃないか?っていう気はしますよね。」

小池百合子には、耳に痛い言葉ではないか。とりわけ、右耳に。

また、「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」のホームページが以下のとおり。
https://www.shinsai-toukai.com/
「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」(以下、「問う会」)は、虐殺された犠牲者を悼み、真相を究明してきた地域の市民と研究者により、2010年9月に発足しました。日本政府が流言の流布と虐殺に主体的に関与したことを認めて遺族に謝罪し、真相究明の調査を行なうこと、そして資料の恒久的な公開と保存を求めています。

「問う会」役員(共同代表)
石田貞(埼玉県朝鮮人強制連行真相調査団顧問)
石橋正夫(日朝協会会長)
姜徳相(滋賀県立大学名誉教授、在日韓人歴史資料館館長)
山田昭次(立教大学名誉教授)
吉川清(千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会代表)

このサイトに、次の一文がある。
1923年9月1日、関東地方をマグニチュード7.9の大地震が襲いました(関東大震災)。この時、朝鮮人や社会主義者が暴動を起こす等の流言が流され、多くの朝鮮人や中国人、そして日本人が殺されました。なかでも朝鮮人については各地で広範囲に、多くの犠牲者が出ました。
 流言を流したのは、国家と民衆でした。また、国家と民衆双方が朝鮮人を虐殺しています。とりわけ国家は、地方行政機関や無電を使うなど、組織的・広範囲に流言を流布し、軍隊による多数の朝鮮人の虐殺事件を引き起こしました。
 しかし、当時の日本政府は自らの責任を回避するために事件を隠蔽し、遺族に対する謝罪も真相を明らかにすることもしませんでした。今なお、朝鮮人犠牲者数も多くの犠牲者の名前も不明のままです。

 本来犠牲者の調査は、当時の日本政府が責任を持ってなすべきことでした。ところが、政府は調査を行なうどころか遺体の損壊を始めとした隠蔽工作を行ない、事件直後の朝鮮人による調査や追悼の妨害まで行ないました。
朝鮮人虐殺の問題については、日本弁護士連合会が調査を行ないました。同会は震災から80 年目の2003 年に『関東大震災人権救済申立事件調査報告書』を作成し、小泉首相に対して国家責任を認めて遺族に謝罪し、真相調査を行なうよう勧告しました。しかし、政府はこれを無視たまま現在に至っています。
以上のような状況を変えようと、これまで各地で追悼・調査に携わってきた市民が連帯して地域を越えた大きな枠組みによる会を作ろうという気運が高まりました。こうして2010年、「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」(以下、「問う会」)が生まれました。

歴史の闇に光を。ぜひとも邪悪な妨害をはねのけて。切にそう思う。
(2017年8月28日)

8月15日 あらためての決意

8月15日。国民の感覚では、72年前の本日に15年続いた戦争が終わった。戦争に「負けた」ことの不安や悔しさもあったろうが、戦争が「終わった」ことへの安堵感が強かったのではないか。これ以上の戦争被害はひとまずなくなった。空襲の恐怖も、灯火管制もこの日で終わった。非常時に区切りがついて、ようやくにして日常が戻ってきた日。

法的には、8月14日がポツダム宣言受諾による降伏の日だ。そして、降伏文書の調印は9月2日。しかし、多くの国民が戦争の終結を意識したのは8月15日だった。

この日の正午、NHKが天皇の「終戦の詔書」を放送している。1941年12月8日早朝の「大本営発表」からこの終戦の日まで、終始NHKは太平洋戦争遂行の道具であり続けた。天皇や軍部に利用されたというだけではない。国民に対する煽動と誤導への積極的共犯となった。

ところで、この「玉音放送」の文章は、官製悪文の典型という以外にない。こんなものを聞かされて、「爾臣民」諸君の初見の耳に理解できたはずはない。持って回った、空虚な尊大さと仰々しさだけが印象に残るすこぶる付きの迷文であり駄文というべきだろう。ビジネス文書としてこんな文章を起案したら、上司にどやされる。

あのとき、天皇はまずこう言わねばならなかった。
「国民の皆様に、厳粛にお伝えいたします。昨日、日本政府はアメリカ・イギリス・中国・ソ連連名の無条件降伏勧告書(ポツダム宣言)に対する受諾を通告して、無条件降伏いたしました。戦争は日本の敗北で終わったのです。」

そして、こうも付け加えなければならなかったろう。
「戦争を始めたのは、天皇である私と、政府と軍部です。戦争で大儲けした財閥はともかく、一般国民の皆様が戦争責任の追及を受けるおそれはありません」
「天皇である私と政府は、何千万人もの外国人と、何百人もの日本国民の戦没者に対して、戦争をひき起こした者としての責任を痛感しております。誠実に戦後処理を行ったあとは、命をもってもその責任をとる所存であります」
「私の名による戦争を引き起こして、取り返しのつかない事態を招いたことを、幾重にもお詫びもうしあげます。そして、国民の皆様に日本の復興に力を尽くしていただくよう、よろしくお願いいたします。」

72年後の本日。戦争責任を引き受けることのないまま亡くなった当時の天皇の長男が、現天皇として全国戦没者追悼式で式辞を述べた。そのなかに次の一節がある。

「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対して、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります。」

「深い反省」の言葉があることに注目せざるを得ない。同じ場での安倍晋三の式辞には、反省も責任もないのだから、十分に評価に値する。また、憲法前文のフレーズを引用して、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い」と言っていることにも、同様である。

なお、天皇の式辞のなかに宗教的な臭みのある用語のないことに留意すべきだろう。この点は、よく考えられていると思う。これに比して、安倍の式辞には、御霊(みたま)が3度繰り返されている。「御霊(みたま)の御前(みまえ)にあって、御霊(みたま)安かれと、心より、お祈り申し上げます。」という調子。靖国神社参拝と間違っているのではないか。非常に耳障りであるし、意識的な批判が必要だと思う。

さて、天皇の「深い反省」について考えてみなければならない。誰が、誰に、何を反省しているのか、である。

まず、反省の主体は誰なのだろうか。天皇個人なのだろうか。天皇が象徴する日本国民なのだろうか。あるいは、戦争当時の天皇(裕仁)を代理しているのだろうか。それとも、抽象的な日本国の漠然たる反省だということなのだろうか。

また、「深い反省」を語りかけている相手は、軍人軍属の戦没者だけなのだろうか。「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」という表現は、原爆や空襲被害者も含まれているのだろうか。また、日本人戦没者だけなのだろうか。被侵略国の犠牲者ははいっているのだろうか。戦没者以外の傷病者はどうなのだろうか。

さらに、いったい何をどう反省しているのだろうか。まさか、負けるような戦争をしたことではあるまい。戦争をしたこと自体であろうし、戦争するような国を作ったことなのだろう。「反省」には責任がともなうことは自覚されているだろうか。どのように責任をとるべき考えているのだろうか。

巨大な惨禍をもたらした戦争の反省のあり方が、一億総懺悔であってはならない。
まず、統治権の総覧者であり宗教的権威をもって戦争を唱導した天皇に最大の戦争責任があることは論を待たない。そして、天皇を御輿に担いで軍国主義国家を作って侵略戦争と植民地支配に狂奔した政治支配層の責任は明確であろう。これに加担したNHKや各紙の責任も大きい。そして、少なからぬ国民が、八紘一宇や大東亜建設、五族協和などのスローガンに浮かれて戦争に協力し、戦争加害国を作りあげたことの責任と反省も忘れてはならない。

国民それぞれが、それぞれことなる質と量との責任を負っていることを確認すべきなのだ。一般国民は、天皇や軍閥との関係では被害者であり、近隣諸国との関係では加害国の一員としての立場にある。

そして思う。今、私たちは、再びの戦前の過ちを繰り返してはならないことを。言論の自由を錆びつかせてはならない。好戦的な政府の姿勢や、歴史修正主義の批判に躊躇があってはならない。附和雷同して、国益追求などのスローガンに踊らされてはならない。近隣諸国への差別的言動を許してはならない。平和憲法「改正」必要の煽動に乗じられてはならない。

かつての臣民に戻ることを拒否しよう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者にも、権威あるとされる者にも、操られることを拒否しよう。平和を擁護するために。
8月15日、あらためての決意である。
(2017年8月15日・連続第1598回)

施行70年「いいね!日本国憲法-平和といのちと人権を!」5・3憲法集会

今年(2017年)の憲法記念日は、日本国憲法施行からちょうど70周年となる。70年の間、けっして憲法は安泰ではなかった。むしろ、恒常的に憲法は危機に瀕していたと言って過言でない。戦後連綿と続いた保守政権は憲法を攻撃し続け、日本国憲法を大切に思う多くの人々が、それぞれの局面で多様な闘いを組んで、憲法を守り抜いてきた。

その過程で、日本の民衆は憲法を活用し憲法を自らのものとしてきたのだ。この70年間の歴史を通じて、憲法は着実に民衆のものとなってきた。今年の憲法記念日に盛大に祝うべきは、民衆が憲法を我がものにしたことである。「押しつけ」などとは言わせない。民衆が守り抜き、勝ち取ったともいうべき憲法の古稀の祝典。併せて、その日を今後の壊憲の動きに最大限の警戒を確認し合う日としたい。明文改憲を阻止するだけでなく、憲法の諸理念を封じ込めようとする政権を交替させる決意の日ともしなければならない。

政府は憲法の永続に祝意なく民衆が憲法擁護を叫び続ける図は、国家権力に対する主権者の命令という憲法の基本構造を浮かびあがらせるもの。今後ますます、「政権は反憲法」「民衆が親憲法」という図式が明確化することになるだろう。憲法をめぐっての綱引きが熾烈化することにならざるをえない。それを浮かびあがらせる「70周年の5月3日」となる。

憲法をめぐっての以上の状況下、最大規模の5月3日記念集会は、有明・東京臨海防災公園で行われる。「施行70年『いいね!日本国憲法-平和といのちと人権を!』5・3憲法集会」というのが集会名。

その呼びかけ文の出来がよい。「わたしたちがめざすこと」と題しての8行。これをご紹介する。

私たちは、日本国憲法を守り生かし、不戦と民主主義の心豊かな社会をめざします。
私たちは、二度と戦争の惨禍を繰り返さないという誓いを胸に、戦争法の廃止をめざします。
私たちは、沖縄県民と思いを共にし、辺野古新基地建設の撤回を求めます。
私たちは、被災者の思いに寄りそい、原発のない社会をめざします。
私たちは、人間の平等を基本に、貧困のない社会をめざします。
私たちは、人間の尊厳をかかけ、差別のない社会をめざします。
私たちは、思想信条の自由を侵し、監視社会を強化するいわゆる「共謀罪」に反対します。
私たちは、これらを実現するために行動し、安倍政権の暴走にストップをかけます

私たちのめざすものとして、第1行には「日本国憲法を守り生かす」大目標と、「不戦(平和)」と「民主主義」を掲げて「心豊かな社会」が目標とされている。
第2行には、不戦(平和)の誓いに基づき、「戦争法の廃止」という具体的課題が提起されている。第3行には、「辺野古新基地建設の撤回」。第4行には、「震災復興」と「版原発」。第4行は、「格差・貧困の解消」。次いで、「差別の克服」。さらに「共謀罪反対」を明示。そして、最終第8行での、「安倍政権の暴走にストップ」の呼びかけ。

ないものを探せば…、教育の課題が抜けている。表現の自由やメディアの状況への危機感が足りない。どうして選挙制度への言及がないのか。労働問題は、福祉は、環境問題は…。突っ込めば、不満はいくつもあるだろう。しかし、「わたしたちがめざすこと」の8行が重点的な憲法理念に関する課題と言ってよいのだろう。

具体的な憲法課題は、戦争法廃案・沖縄辺野古新基地建設撤回・反原発と復興・格差貧困の克服・あらゆる差別に反対、そして共謀罪の成立阻止だ。

このような時々の課題への闘いを継続しての憲法を守り抜いた70年。これからも憲法を擁護する運動は、時々の課題と取り組みながら、続くことになる。

なお、集会成功と新聞広告のためのカンパを募っています(一口1000円、なるべく複数口で)。ご協力をお願いします。
【郵便振替】 口座記号番号:00160-7-586990
加入者名:5・3憲法集会
【銀行振込】 ゆうちょ銀行〇一九(ゼロイチキユウ)店
店番019 当座預金 口座番号:0586990
口座名:5・3憲法集会
(2017年4月5日)

戦争の原因と責任から目をそらしてはならない

12月8日。再びの戦争を起こさない決意を確認すべき日。そのためには、戦争に至る歴史を振り返って、戦争の原因を再確認しなければならない。いま、あの大戦の前と同様の危険な動きはないだろうか。悪夢の歴史を繰り返す徴候はないだろうか。そのことに鋭敏でありたいと思う。

あからさまに「戦後レジームからの脱却」を語り、「戦後の歴史から『日本』という国を日本国民の手に取り戻す」と広言する「トンデモ首相」が君臨する今の世である。立憲主義も人権も平和も国民主権もなげ捨てようという憲法改正草案を掲げる政党が政権与党となっているこの時代。平和の危うさは、誰の目にも明らかではないか。

政権は憲法を壊すことに血道を上げ、自衛隊という名の実力組織は次第に攻撃用の武器を装備し、海外での武力活動に道を開きつつある。学校は日の丸・君が代を強制し、大学では軍学共同が大手を振るう。NHKは「政府が右と言えば左とは言えない」体質を露わにし、政権は停波の脅しまでしてメディアを統制する。しかも、権力への忖度と自己規制の空気が瀰漫している。新聞・雑誌・出版界には排外的な右翼論調があふれ、巷にはヘイトデモが闊歩する。インターネットには醜悪なネトウヨ族が棲息して歴史の捏造に喝采を送る。あの活気に満ちた戦後民主主義は、いつからこんなふうにねじ曲がってしまったのだろうか。

しかし、まだ言論の自由はなくなっていない。軍国主義の本格的な復活にも至っていない。それぞれの分野で民主主義や平和を守るために努力を重ねている少なからぬ人々の献身によって、今の平和はようやくにして保たれている。この人々の力量に期待し自信をもちたいと思う。

ところで、日本国憲法は、戦争の惨禍をもたらしたものを抉りとってこれと訣別した。軍隊、軍国主義、国家主義、滅私奉公、経済の集中、政治弾圧、軍機保護、家父長制、男女差別、民族差別、国民間にも貴賤の差別、人権の軽視…。その中で最も重大なものが、旧天皇制である。それは、国民に大きくのしかかった政治権力であり権威でもあった。民主主義の敵対物であり、人権の抑圧者であり、しかも天皇制こそが平和の障害であった。

天皇制が戦争をもたらした大きな要因であっただけでなく、昭和天皇個人が戦争に直接の責任を有していた。太平洋戦争の開戦に重大な責任があり、終戦を遅らせて戦禍を拡大させたことにも大きな責任を負っている。12月8日には天皇の開戦の責任を、8月15日には終戦遅滞の責任を問い返さねばならない。

この問題意識に、最も明瞭に回答を出しているのが、「天皇の戦争責任」(井上清・現代評論社、後に岩波)である。その「第Ⅴ章 天皇裕仁が対英米開戦を決定した」において、天皇(裕仁)がいかに積極的に深く開戦に関与していたかが活写されている。紹介したいのは、その章の末尾にある次の指摘。「宣戦の詔書は国際法を無視」という小見出しの叙述である。戦争の違法を天皇が認識していたことを明らかにしている。

「12月8日、日本海軍は、政府の対米最後通牒が先方にとどく前に、真珠湾を奇襲攻撃して対米英戦の火ぶたを切った。海軍の対米不意打ちが、国際法違反とか、日本の侵略性の証拠とか、いってさわがれる。だが私は、これはたいした問題ではないと思う。アメリカがわが上手に日本を挑発して先に発砲させただけのことである。
真珠湾奇襲とは質的にちがう、日本の国際法違反は、12月8日未明、日本が軍隊をタイ国の同意なしに同国領に進駐させ、同国南部を占領して、そこからマレー半島に南下していったことである。またそれとは別に、日本は8日正午にはタイ国政府を軍事的に脅迫して、日本軍のタイ国通過を認めさせたが、これほど明白な公然たる侵略がまたとあろうか。タイ国はこれまでどんな小さな対日挑発もしなかったし、日本の敵国と同盟してもいなかった。そのタイ国に日本は不意打ちをかけ、さらに12月21日には日泰軍事同盟を強制した。天皇と軍部は、本章の前節でのべたように大義名分をすて、国際法をもふみにじり、奇襲の成功を選んだ。」

「天皇裕仁は開戦の日、日本国民に「米英両国に対する宣戦の詔書」を発した。裕仁はこの詔書で、「朕が陸海軍将兵」、「朕が百僚有司」、「朕が衆庶」がそれぞれの持場で全力をつくし戦争目的を達成せよと、全国民に号令した。この詔書こそ、日本国民にこの戦争は日本の自存自衛のためにやむをえない戦争であると信じさせ、国民を戦争にかりたてた最大の原動力であった。
この詔書は、これまでに明治天皇と大正天皇が発したすべての対外宣戦の詔書とくらべて、きわだった相違がある。以前の詔書は必ず「国際法に俘らざる限り」(日清戦争)、「凡そ国際条規の範囲に於て」(日露戦争、日独戦争のさいも同文言)、いっさいの手段をつくして勝利をかちとれというが、裕仁天皇の宣戦の詔書には、そのような限定が一字もない。裕仁は詔勅に何を書くかはとくに慎重に配慮したことは前にものべた(第Ⅲ章第三節)。その慎重な裕仁が、この詔書で日本の軍隊・国民の戦争行為を従来のすべての宣戦詔書とはちがって、国際法のゆるす範囲内に限定しなかったのは、意味深いことである。天皇も政府も国際法をふみにじって宣戦以前に奇襲攻撃をかけることを予定していたのだから、「国際法に俘らざる限り」とか「凡そ国際条規の範囲に於て」とか、詔書に書きこむことはできなかったのである。」

なお、井上清は、その書全体の末尾に、「天皇の戦争責任を問う現代的意味」という項を設けて次のように結んでいる。

「天皇は輔弼機関のいうがままに動くので責任は輔弼機関にあり、天皇にはないという論法に、何の根拠もない。
東条首相はそのひんぴんたる内奏癖によって、天皇の意向をいちいち確かめながら、それを実現するように努力したのであって、天皇をつんぼさじきに置いて、勝手に戦争にふみ切り、天皇にいやいやながら裁可させたのではない。」
「占領軍の極東国際軍事法廷は、天皇裕仁の責任をすこしも問わなかった。それはアメリカ政府の政治的方針によることであったとはいえ、われわれ日本人民がその当時無力であったためでもある。降伏決定はもっぱら日本の支配層の最上層部のみによって、人民には極秘のうちに、『国体』すなわち天皇制護持のためにのみ行なわれた。人民は降伏決定に何ら積極的な役割を果すことがなかった。そして降伏後も人民の大多数はなお天皇制護持の呪文にしばりつづけられた。日本人民は天皇の戦争責任を問う大運動をおこすことはできなかった。
アメリカ帝国主義は、天皇の責任を追及するのではなく、反対に天皇をアメリカの日本支配の道具に利用する道を選んだ。しかも現代日本の支配層は、自由民主党の憲法改定案の方向が示すように、天皇を、やがては日本国の元首とし、法制上にも日本軍国主義の最高指揮者として明確にしようとしている。」

「この状況のもとで、1931~45年の戦争における天皇裕仁の責任を明白にすることは、たんなる過去のせんぎだてではなく、現在の軍国主義再起に反対するたたかいの、思想的文化的な戦線でのもっとも重要なことである、といわざるをえない。」

立憲主義を破壊したアベ政権下、天皇責任論タブー視の言論状況の中で、井上清が1975年に発した警告を一層深刻に受け止めなければならない。天皇制とは、国民主権・民主主義の対立概念である。主権者国民の自立意識と民主主義の成熟が、国際協調と平和に親和的である。天皇制と天皇の責任を歴史の中に確認することが、再び権力や権威に操られない自立した国民の自覚を形成する上で必要不可欠だと思う。

アベ首相のパールハーバー参りは「謝罪抜き」だということである。戦争の原因や責任を語ることもないのだろう。自然災害による死者に対しては、「慰霊」で十分であろう。しかし、天皇と東条内閣がたくらんだ不意打ちの奇襲による戦死者に、謝罪抜きの「慰霊」で向き合うことがはたして可能であろうか。安倍晋三は、東条内閣の商工大臣であった岸信介の孫でもある。どうしても責任はまとわりついて離れない。戦没者は、戦争の悲惨とその原因を重く問いかける。戦争を反省しようとしない安倍晋三は、はたしてパールハーバーで亡くなった米軍の兵士たちに届く言葉を発することができるだろうか。
(2016年12月8日)

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