澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

9条改正「不要」57%ー北海道新聞世論調査の朗報

(2022年4月29日)
 本日は「昭和の日」。大型連休の初日だが、東京は生憎の本降りの雨。しかも肌寒い。ツツジも、サツキも、フジも、冷雨にうたれて気の毒の限り。
 
 このぐずついた天候のごとく、このところよいニュースがない。コロナ・ウクライナ・知床事故・道志村…。そして、諸式の物価高である。世の物価はなべて上がるが、賃金は上がらない、年金は下がる。株価だけが人為的な操作で持ちこたえ、持つ者と持たざる者との格差拡大に拍車がかかる。これでどうして、政権がもっているのやら。さらには、敵基地反撃能力だの、中枢機能攻撃だの、核シェアリングだの、防衛費倍増だの。ヒステリックで物騒極まりない見解が飛びかっている不穏さ。

 そう思っていたら、北海道新聞のデジタル版に、以下の記事。
 「改憲の賛否再び拮抗 9条改正「不要」57% 本紙世論調査」というのだ。これは朗報である。闇夜に一筋の光明とは大袈裟だが、元気が湧く。

  「5月3日の憲法記念日を前に、北海道新聞社は憲法に関する全道世論調査を行った。

 憲法を「改正すべきだ」は42%(前年調査比18ポイント減)、
 「必要はない」は43%(同13ポイント増)

 で拮抗(きっこう)した。
 前年は新型コロナウイルスへの不安の高まりなどを背景に改憲意見が強まったが、再び賛否が二分する状態に戻った。

 戦争放棄を定めた憲法9条については「改正すべきではない」が前年から横ばいの57%で、「改正すべきだ」の35%(同1ポイント減)を上回った

 自民党などはロシアによるウクライナ侵攻を機に9条改正に向けた議論の進展を図っているが、市民の間に改憲論は強まっていないことが浮き彫りになった。

 これが、憲法記念日直前の、全道の憲法意識なのだという。これから、順次全国の世論調査が実施され結果が発表されることになるだろうが、「市民の間に改憲論は強まっていないとは幸先のよい調査結果ではないか。

 いま、ロシアのウクライナ侵攻を奇貨として、反憲法勢力が懸命に笛を吹いている。曰わく、「自分の国は自力で防衛しなければならない」「平和を望むなら、軍事力の増強が不可欠である」「それに桎梏となっている憲法を、とりわけ9条を変えなければならない」と。

 この笛を吹いている側の勢力が、自・公・維・国の保守4党。しかし、国民はけっしてこの笛に踊らされてはいないのだ。むしろ、平和への危機意識が「9条守れ」の声に結実しているのではないか。道新の世論調査が、貴重なその第一報となった。さて、これから、メーデーがあり、憲法記念日となる。改憲阻止の世論を大きくしていきたいもの。

 ところで、「昭和の日」である。昭和という時代は1945年8月敗戦の前と後に2分される。戦前は富国強兵を国是とし、侵略戦争と植民地支配の軍国主義の時代であった。戦後は一転して、「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」から再出発した、平和憲法に支えられた時代。戦前が臣民すべてに天皇のための滅私奉公が強いられた時代であり、戦後が主権者国民の自由や人権を尊重すべき原則の時代、といってもよい。

 本日は、戦前の軍国主義昭和を否定し、戦後の平和主義昭和を肯定的に評価すべき日でなくてはならないが、なんと、本来の「昭和の日」に、もっともふさわしからぬ人物の誕生日を選んだことになる。疑いもなく、昭和天皇と諡(おくりな)された裕仁こそが、戦前の狂信的軍国主義を象徴する人物にほかならないのだから。

 あの昭和前期の軍国主義の時代、国民には裕仁や軍部の手口が、見えなかった。いま、プーチン・ロシアが、隣国ウクライナに侵略戦争中の「昭和の日」を迎えてこのことを思い起こすべきだろう。

 プーチンの国内世論の支持はすこぶる高いと報じられている。皇軍の侵略を支えた日本国民の民意はそれを圧倒するものだったろう。プーチンの手口はヒロヒトの軍隊とよく似ている。戦前の日本の歴史を見据えて、プーチン・ロシアの責任を見極めよう。そして、プーチンもヒロヒト同様に、内外に戦争の惨禍をもたらした戦争犯罪者であり、平和への敵であることを確認しなければならない。

 戦前の軍国主義昭和を否定し、戦後の平和主義昭和を肯定する立場からは、憲法の理念を擁護し、憲法の改正を阻む決意あってしかるべきである。そうであって初めて、「昭和の日」の意義がある。

批判されない権力は間違う。批判を許さない権力は間違いを修正できない。

(2021年12月9日)
 昨日の当ブログの記事「1941年12月8日、このときの過ちを繰り返さないために」を読み直すと不満足と言うしかない。本日はその補訂である。

 不満足は、なによりも「繰り返してはならない12月8日の過ち」のなんたるかが十分に語られていないことにある。いったい、あの時点において、どんな過ちがあっただろうか。

 天皇(裕仁)や東條らも、開戦後間もなく戦況が悪化した後は「取り返しのつかない過ち」を反省したに違いない。その反省は、「負ける戦を仕掛けた過ち」以上のものではない。「もっと慎重に時期を選び、もっと十分に準備をして、勝てる戦争をすべきだった」という反省なのだ。天皇(裕仁)は御前会議で、くりかえし「勝てるか」「本当に勝てるか」と軍部に念を押してゴーサインを出している。最高指導者の「過ち」と「反省」は、負けたことに尽きるのだ。決して、「戦争を仕掛けたことの過ち」でも、「平和を維持できなかった過ち」でもない。

 責任の所在と軽重は、常に権限の所在と軽重に対応している。厖大な内外の死者を出した悲惨な戦争の責任は、まず開戦の権限をもつ天皇(裕仁)にあり、次いでこれを補弼する任にあった内閣や軍部にも分有されていた。天皇(裕仁)を除く補弼の責任者は、戦後文明の名において裁かれその責任を生命をもって償った。ひとり、最高責任者である天皇(裕仁)のみが、まったく責任をとらなかった。

 いかなる戦争も、おびただしい無辜の人々にこの上ない不幸をもたらす。我々は戦後、戦争そのものを悪とする非戦の思想をわがものにし、これを日本国憲法に刻んだ。この視点から、太平洋戦争を開始した指導者たちの責任を厳しく追及しなければならない。日清・日露も韓国併合も日中戦争も、決して繰り返してはならないのだ。

 戦争責任の所在とは別に、12月8日の開戦に対する国民の意識や意見にどのような教訓があるだろうか。

 人の意見は、基本的にはその人のもつ思想の表れだが、その人のもつ情報によって大きく左右される。12月8日の国民の意見は、開戦後の戦況見通しの基礎となる情報をもっているかいないかで決定的に異なることになった。

 近衛文麿、松岡洋右らが「えらいことになった」「僕は悲惨な敗北を予感する」「僕は死んでも死にきれない」などと語ったというのは、しかるべき情報をもち、戦争の結果を予想し得たからであろう。南原繁の「人間の常識を超え学識を超えておこれり 日本世界と戦ふ」という下手な歌のごときものは嘆息とも感激とも読めなくはないが、いずれにせよこの開戦は「常識ではあり得ぬもの」と認識していたのだ。ある程度の情報はあったのだろう。そして、将来を見る能力も。

 他の多くの国民や作家たちは、判断の基礎となる情報をもたない。日本と米国との国力差、工業力差、兵力差、総合的な軍事力の格差、そして教育水準や、国民の戦意等々についての基礎情報を持たぬまま、日本型ナショナリズムの高揚に流されていた。

 小林秀雄が日本型ナショナリズムの高揚に流された典型だろう。開戦の詔勅を聞いて<眼頭は熱し、畏多い事ながら、比類のない美しさを感じた><海軍の戦果を「名人の至藝」とたたえた>という。知性あるように見える人も、ここまで洗脳されるのだ。

 市井の人々の中に、「英米を敵にまわして勝てるわけがない」と言った多くの人がいたことも記録されている。十分な情報はなくとも、真実を見ようという思想を持っていた人の真っ直ぐな目と意見である。

 そして最後が、十分な情報を持ちながら、間違った選択をした、最も愚かで責任の大きな一群。当然にその筆頭に天皇(裕仁)がいる。しかし、当時天皇(裕仁)とその官僚への批判は許されなかった。それが負け続け、被害を拡大しつつなお、戦争をやめることができない原因となった。

 権力は間違う。批判を許さぬ権力は大きく間違う。国民からの権力批判だけが間違いを修正しうるが、権力批判は封じられていた。12月8日に噛みしめるべき教訓である。

「お父さん、教えてください。なぜ戦争に行ったのですか」

(2021年8月17日)
 一昨日(8月15日)には、政府主催の式典だけでなく、東京都と都遺族連合会共催の戦没者追悼式が都庁で開かれている。知事や遺族ら90人が参列した。

 遺族を代表して追悼の言葉を述べたのは、遺族会女性部幹事の木村百合子さん。木村さんの父は、1944年の終わりに出征。当時、妻のおなかにいた木村さんの顔を見ることなく、45年4月にフィリピン・ルソン島で戦死したという。

 木村さんは「どんなに待っても、何年待っても、父は帰ってこない。毎日父を思っています。この心境は遺族でなければ分からない。戦争に行った兵隊さんだけでなく、留守を預かった母たちも大変だったことを伝えたい」と報道陣に語っている。誰もが、共感せざるを得ない。

 その木村さんは、式では献花台の前で「安らかにお眠りください」と追悼の言葉を述べ、最後にお父さん、教えてください。なぜ戦争に行ったのですか」と問いかけた。これは悲痛な言葉だ。この問は、次のように続けることができよう。

 お父さん、なぜ母や私を残して戦争に行ったのですか。お父さんが戦争に行くことさえなければ、母にも私にも、もっと幸せな別の人生があったはず。どうして見たこともない遠い外国にまで戦争に行ったのですか。どうして戦争に行くことを拒否しなかったのですか。どうして戦争が起きたのですか。誰が、なぜ、戦争を起こしたのですか。どうして、皆で戦争を止められなかったのですか。

 その問いは、今なお生々しく、新鮮である。

 明治政府は国民の抵抗を排しつつ国民皆兵の制度を確立していった。1873年に陸軍省から発布された徴兵令を嚆矢として累次の法整備を重ね、1927年4月1日に徴兵令全文改正の形式で兵役法の制定に至っている。

 その第1条は、「帝国臣民タル男子ハ本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス」と、男子の国民皆兵制度を定めていたが、当時は例外の範囲が広かった。しかし、アジア太平洋戦争の進展とともに、徴兵免除の範囲は狭められ、兵役の年齢幅は拡げられていった。徴兵の忌避には次のとおり、同法での罰則が科せられていた。

第74条 兵役ヲ免ルル為逃亡シ若ハ潜匿シ又ハ身体ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作為シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ三年以下ノ懲役ニ処ス

第75条 現役兵トシテ入営スベキ者正当ノ事由ナク入営ノ期日ニ後レ十日ヲ過ギタルトキハ六月以下ノ禁錮ニ処シ戦時ニ在リテ五日ヲ過ギタルトキハ一年以下ノ禁錮ニ処ス

 徴兵逃れの涙ぐましい工夫や、信仰上の信念からの徴兵忌避の事例はけっして少なくはない。しかし、多くの国民にとっては、徴兵は「しかたのないこと」「とうてい抗うことのできない宿命」として受けとめられた。「世間」は、徴兵による出征を「御国のための名誉」として送り出し、戦死さえも「名誉の戦死」と褒め称えた。その同調圧力には抗すべくもなく、徴兵逃れは法的に処罰の対象とされただけでなく、社会的に「非国民」の所業と指弾されたのだ。

 維新政府は、そのような軍事国家体制を作りあげた。天皇を利用し、教育とマスコミを統制することによって。

 「しかたなかったと言うてはいかんのです」は至言である。「しかたなかった」と言わざるを得なくなる前に、国民に不幸を強いる国家を拒否しよう。再び、不幸な子が、亡き父に「お父さん、教えてください。なぜ戦争に行ったのですか」と問いかけることのないように。

沈黙による共犯者となってはいけない。ー 本郷三丁目交差点で

(2021年2月9日)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、ご近所のみなさま。私が最後のスピーチを担当いたします。コロナ風吹く中のお騒がせですが、もう5分と少々の時間、耳をお貸しいただくようお願いします。

森喜朗という、昔首相だった化石のような人の東京五輪の組織委員会会長としての女性蔑視発言が話題となっています。この人の発言の不適切なことは、誰にも分かり易いところですが、今大きな問題とされているのは、この人がJOCの評議員会で発言していたとき、誰もこの発言を問題視せず、むしろ男性会員からの笑い声さえ漏れていたと報じられていることです。

森喜朗のあからさまな女性蔑視発言を批判する人が一人もいなかったということは、評議員会参加者が、その沈黙によって差別を肯定し賛同し加担したということにほかなりません。外部からそのように見られるというだけではなく、そのような方針で組織が動いていくことになるのです。評議員会出席者一人ひとりの責任は、まことに重大と言わねばなりません。

このことは、私たち一人ひとりに問題を投げかけています。時として沈黙は、権力者や社会的強者の大きな声に賛同したことになるということです。女性差別、民族差別、宗教差別、思想差別、家柄による差別、職業や収入による差別…、あらゆる差別を許してはなりません。許してはならないということは、差別を傍観してはならず、明確に反対だということを表明しなければならないということです。

かつて、日本は暴走して侵略戦争の過ちを犯し、外には2000万人、内には310万人もの犠牲者を出しました。その重大な責任はどこにあるのか。もちろん、誰よりも天皇がその責任を負うべきで、次いで天皇を操り人形として戦争遂行に利用した軍部や政治家やメディアの責任を曖昧にしてはなりません。しかし、多くの国民の加担なしには戦争はできません。自分は決して戦争に賛成ではなかったというのが、大多数の国民のホンネであったと思います。しかし、戦争に反対と声をあげたのは一握りの人々に過ぎませんでした。大多数の人々は、沈黙することで、戦争に賛成し、侵略に加担したのです。

東京オリパラや、原発政策は、聖戦完遂に似ているように思えてなりません。きちんと反対の意思表示をせず、沈黙していることは、結局のところ、政府の政策に賛成とみなされてしまうのです。いま、「森喜朗発言を許さない」「あらゆる差別に反対する」と、一人ひとりが声をあげることが大切だと思うのです。

さらに別の角度からも問題が指摘されています。森喜朗の女性蔑視発言を批判する世論に抗して、政権や与党から、森擁護の声が上がっていることです。

圧倒的な世論が「こんな発言をする人物は、組織委員会会長として不適任」「森さんは辞任すべきだ」「東京オリンピックもやめた方がよい」となっています。この世論に抵抗するように、多くの政治家や保守の言論人が、こう言っています。

「森発言は不適切ではあったが、既に本人は反省し謝罪し発言を撤回しているではないか」「いまは、批判しているときではない。オリンピックをどうしたら成功に導くことができるのか、皆で知恵を出すべきだ」

その代表が、菅義首相、萩生田文科大臣、二階自民党幹事長、などの面々。そして肝心のIOC自身が、これに同調するようないいかげんな姿勢なのです。果たして、これでよいのでしょうか。

JOCだけではなくIOCも、このようにいいかげんで、清潔さを欠いた組織であることが明らかになってきました。私たちは、黙っていることはできません。いま沈黙をすることは、森発言を許す、菅・萩生田・二階・JOC・IOC発言に賛同したことになってしまいます。何らかのかたちで、声をあげようではありませんか。

「私は、女性蔑視を許さない」「性差別だけでなく、あらゆる差別に反対する」「差別発言の責任を明確にして、森喜朗は組織委員会会長の職を辞任せよ」「森喜朗が辞職しないのであれば、組織委員会は解任せよ」「政府や与党は、森を擁護するな」「差別者が推進する東京オリパラを返上せよ」

戦争における死を、「尊い犠牲」と美化してはならない。

(2020年8月15日)
8月15日。75年前の今日、「戦前」が終わって「戦後」が始まった。時代が劇的に変わった、その節目の日。天皇の時代から国民の時代に。国家の時代から個人の時代に。戦争と軍国主義の時代から平和と国際協調の時代に。そして、専制の時代から民主主義の時代に…。

その時代の変化は、「敗戦」によって購われた。「敗戦」とは、失われた310万の国民の生命であり、幾千万の人々の恐怖や餓えであり、その家族や友の悲嘆である。人類にとって、戦争ほど理不尽で無惨で堪えがたいものはない。敗戦の実体験をへて、国民は戦争の悲惨と愚かさを心に刻んで、平和を希求した。

再びの戦争の惨禍を繰り返してはならない。その国民の共通意識が、平和憲法に結実した。日本国憲法は、単に9条だけではなく、前文から103条までの全ての条文が不再戦の決意と理念にもとづいて構成されている。文字どおりの平和憲法なのだ。

以下のとおり、憲法前文は国際協調と平和主義に貫かれている。8月15日にこそ、あらためて読み直すべきある。

「日本国民は、…われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果…を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する。」(第1文)

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(第2文)

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(第3文)

とはいえ、日本国憲法を理想の平和憲法というつもりはない。この前文には、日本の加害責任についての反省が語られていない。そして、この戦争の被害・加害を作り出した国家の構造と責任に対する弾劾への言及がない。

「戦争の惨禍」という言葉は、戦争による日本国民の被害を意味する。政府と国民が近隣諸国に及ぼした、遙かに巨大な被侵略国の被害を含むものと読み込むことはできない。日清戦争以来日本が関わった戦争の戦場は、常に「外地」であった。敗戦の直前まで、「本土」は戦場ではなかったのだ。日本本土の国民にとって、戦争とは、外征した日本の軍隊が、遠い外国で行うものだった。その遠い外国に侵略した皇軍に蹂躙された近隣諸国の民衆の悲嘆に対する認識と責任の意識が欠けている。

また、日本の植民地支配・侵略戦争をもたらし支えた日本の国家機構が天皇制であり、その最大の戦争責任が天皇裕仁にあることは自明というべきである。にもかかわらず、日本国憲法は、その責任追及に言及することなく、象徴天皇として天皇制を延命してさえいる。敗戦の前後を通じ、大日本帝国憲法と日本国憲法の両憲法にまたがって、裕仁は天皇でありつづけたのだ。

国民を戦争に動員するために、聖なる天皇とはまことに便利な道具であった。神なる天皇の戦争が万が一にも不正義であるはずはなく、敗北に至るはずもない。日本男児として、天皇の命じる招集を拒否するなど非国民の振る舞いはできない、上官の命令を陛下の命令と心得て死をも恐れず勇敢に闘う。ひとえに陛下のために。天皇制政府はこのように国民をマインドコントロールすることに成功していたのだ。

3代目の象徴天皇(徳仁)が、本日全国戦没者追悼式に臨んだ。主権者国民を起立させての発言の中に、「過去を顧み、深い反省の上に立って」との一節がある。「過去天皇制が自由や民主主義を弾圧したことに顧み、その罪科の深い反省の上に立って」との意であれば立派な発言なのだが…。

また、同式典では、アベ晋三がいつものとおり、こう式辞を述べた。

 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。

 この言い回しに、いつも引っかかる。「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたもの」とはいったいどういうことなんだ。

天皇のための死も、国家のための死も、死はまことに嘆かわしく虚しいものだ。これを「尊い犠牲」などと美化してはならない。天皇と政府は、戦没者とその遺族にひたすら謝罪するしかないのだ。特攻の兵士の死が、レイテで餓死した将兵の死が、東京大空襲や沖縄地上戦での住民の死が、何故「尊い犠牲」であろうか。全ては強いられた無意味な死ではないか。その死を強いた者の責任をこそ追及しなければならない。

「昭和の日」に戦争と戦争責任を考える。

コロナ禍のさなか、世の人の憂いをよそに季節はめぐる。里桜も終わってツツジが咲き、蓮の浮き葉が水面を覆い始めた。少し歩くと汗ばむ陽気。天気も申し分ない本日、「昭和の日」だという。いったい、それは何だ。

1948年制定の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)は、その第1条で、「国民の祝日」の趣旨を述べる。

第1条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

なかなか意味深長ではないか。日本国民は、「自由と平和を求めてやまない」というのだ。自由も平和も、富国強兵の戦前にはなかった。挙国一致・滅私奉公は、臣民の自由を抹殺した。天皇の神聖性を否定する思想も信仰も言論も結社も弾圧された。そして、戦前の日本は軍国であった。侵略戦争も植民地主義も国是であった。

天皇は国民皆兵の臣民に向かって、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」などと、超上から目線でエラそうに言って、臣民には死ねと命じて、自らは生き延びた。こんな不条理に怒らずにはおられない。

「自由と平和を求めてやまない」という、この国民の祝日の趣旨は、明らかに戦前の不合理を否定した新憲法の価値を謳っている。

その祝日法は数次の改正を経て、現行法では「昭和の日」をこう定めている。

第2条 「国民の祝日」を次のように定める。
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。

これも意味深である。「激動の日々」とは、あの戦争のこと以外に考えようがない。敢えて「戦争」と言わないのは、「戦争の日々」だけではなく、「戦争を準備し、戦争に突き進んだ戦前の日々」を含むとの含意であろう。日本国憲法の言葉を借りれば、「政府の行為によって戦争の惨禍を起した」反省の対象たる日々である。

昭和の日の定めの文言は、昭和という時代を「戦前」と「戦後」に二分して対比し、戦前を否定し戦後を肯定している。しかし、戦前を「激動」としか言わず、戦後を「復興を遂げた」としか言わない。国民主権も、民主主義も、人権尊重も、天皇制も、自由も、平和も出てこない。なんとも、いいかげんで不満の募るところではある。

何よりも、どうして昭和の日が4月29日なのか。それが語られていない。戦前と戦後を対比するにふさわしい日は、8月15日であろう。あるいは、ポツダム宣言受諾の8月14日。この日を境に、日本という国の拠って立つ基本原理が大転換したのだ。

昭和を戦争の時代と顧みるならば、8月6日の広島市民の被害の日、あるいは12月13日の南京市民に対する加害の日がふさわしかろう。

昭和を戦争開始の責任反省の観点から顧みるならば、9月18日か、7月7日か、あるいは12月8日となるだろう。

なぜ、4月29日なのか。なぜ、国民を不幸に突き落とした最高戦争責任者の誕生日なのか。なぜ、戦前天長節として臣民に祝意表明を強要された日が昭和の日なのか。

コロナ禍で、外出自粛を要請されている今日の「昭和の日」である。昭和という時代をよく考えてみたい。自ずから、戦争を考え、戦争の責任を考え、とりわけ天皇の戦争責任を考え、戦後国民が手にした貴重な自由や平和の価値を考えなければならない。
(2020年4月29日)

靖国神社での「南京大虐殺を忘れるな!」抗議に懲役10月の有罪判決。

昨日(10月10日)の午後、東京地裁で建造物侵入の罪に問われた香港人2人の被告に有罪判決が言い渡された。
被告の1人は郭紹傑(グオ・シウギ55才)、言い渡しの量刑は懲役8月・執行猶予3年(求刑1年)。もう一人は厳敏華(イン・マンワ27才)、懲役6月・執行猶予3年(求刑10月)。2人は即日控訴したという。

2人は何をしたのか。昨年(2018年)12月12日、南京大虐殺への抗議活動のために靖国神社(東京都千代田区)の敷地に入って、郭氏が横断幕を広げて抗議のパフォーマンスをし、厳氏がこれを撮影した。「サンデー毎日」記事に拠れば、「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳で『南京大虐殺を忘れるな! 日本の虐殺の責任を追及する』と中国語で書かれた横断幕を広げ、東條英機元首相の位牌を模した紙を燃やし、もう一人はそれを撮影していた」という。南京大虐殺は、1937年12月13日皇軍の南京占領に始まる。12月12日の靖国での行動は、翌13日に「南京大虐殺を忘れるな!」という放映のためであったろう。彼らにとっては、その撮影場所は靖国神社でなければならなかった。

靖国神社の開門時刻は午前6時という。この撮影時刻は早朝7時のこと。混乱はまったく起きていない。実害のない行為だった。2人に気づいた守衛に制止されて、2人は撮影を止め境内から退去の寸前に、現行犯逮捕され、起訴された。以後10か月間,保釈申請と却下が繰り返され、長期勾留が続いた。支援団体は、この事態を「見せしめ勾留」と抗議し続けてきた。実に、300日間の長期勾留となった。

問題はいくつもある。まず、犯罪構成要件の解釈。本来厳格であるべき解釈が、こんな緩い解釈でよいのだろうか。

 刑法第130条(住居侵入等)「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」

 公訴事実は、「被告人両名は、共謀の上、正当な理由がないのに、…(靖国神社の)「外苑」と称される敷地内に、同神社神門前、参道入り口から侵入した」というもの。2人は、施錠を壊しあるいはドアを破って建造物に侵入したわけではない。だれもが平穏にはいることのできる「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳」まで足を運んだことが、「建造物」に「侵入」したとされた。朝日は、「靖国神社境内は「建造物」 侵入し抗議の中国人2人有罪」と見出しを打った。「敷地」が「建造物」であり、だれもが平穏に入れるところに「侵入」とされたわけだ。

判決理由で野沢晃一裁判長は「抗議活動は宗教施設の平穏な環境を害する」と指摘し、「管理権者は参拝以外の目的による立ち入りを禁止しており、管理権を侵害している」と述べたという。はたして、本当にそうなのか、これでよいのだろうか。

この事件では、靖国神社になんの実害もない。2人の靖国神社境内立ち入りの意図が、靖国神社に何らかの実害をもたらすことにあったわけでもなく、表現の自由行使という側面は否定しえない。この微罪に対して、逮捕し、起訴し、さらに10か月に及ぶ勾留を敢えてしたのだ。まさしく「見せしめ弾圧」というにふさわしい。カルロス・ゴーンのケースよりも、はるかに深刻な「人質司法」弊害の典型例というべきだろう。

郭被告は、昨年(2018年)12月『長期勾留』に抗議して、約100時間絶食し、その結果同27日体調不良で検査のため病院に運ばれた」という。また、第1回公判の罪状認否では、「戦争責任を認めないことへの抗議行動で、表現の自由の範囲内だ」と主張したと報道されている。

この事件の被告2人の立場は極めて弱い。天皇代替わりで日本のナショナリズムが沸騰しているこの時期、政権と靖国と日本社会の圧倒的多数派世論を直接の敵にまわしているからだ。しかも、外交的に困難な事情として、中国は味方になってくれないということもある。しかし、最も弱い立場の人権こそが擁護されなければならない。ゴーンのように注目されないこの事件に、世論の関心を期待したい。

むしろこの機会に、2人が訴えたいとした香港の人びとの、靖国に象徴される日本の加害責任追及の声に耳を傾けたい。

以下、9月24日東京新聞朝刊「こちら特報部」「市民運動弾圧のにおい」から抜粋して引用する。

 まず、香港事情に詳しいジャーナリスト和仁廉夫氏の説明。
 米国と開戦した日本が最初に占領したのが、イギリス領だった香港だ。1941年12月25日から3年8ヵ月、軍政下に置いた。殺りくや略奪も多発したという。厳被告も、香港で暮らしていた祖母が日本兵にレイプされないよう、泥墨を顔に塗って男の子のように装い、難を逃れたという経験を聞いて育った。

 「72年に日中の国交は正常化した。その後、日本社会は加害の歴史に目を背けてきた。最近はその傾向か強まっている。謝罪も償いも受けられなかった人々に不満が高まっている」と和仁さんは語る。

 「靖国神社はアジアの人々にとって先の戦争の象徴だから、日本社会が戦争責任に向き合わない限り、同様の抗議は繰り返されるだろう」

 そして、これも「特報部」からの抜粋。

 立命館大学法科大学院の松宮孝明教授(刑法)は検察側の解釈に疑問を持つ。
  「建造物内部に侵入したのと同じ程度に建物内の平穏が乱されたのでなければ、建造物侵入罪を適用すべきではない」。そして「建造物侵入を唯一の罪として、検察官の裁量で適用が拡大されるなら、市民運動の弾圧にも使える」と問題点を指摘する。

 すでに弾圧のにおいがする事件も起きている。
 一つは「立川テント村事件」。東京・立川の自衛隊官舎の集合ポストに反戦ビラを投函した市民グループの3人が住居侵入罪に問われた。もう一つが「政党ビラ事件」。こちらは、葛飾区のマンションのドアポストに日本共産党の議会報告ビラなどを入れていた男性が同罪に問われた。いずれも2004年に起きた。

 松宮氏は「立川の事件では日中に平穏のうちに行われたビラまきが住居侵入だとして逮捕され、長期間、拘束された。住居でも建物でも、付随した土地での管理者の意に反する行動はすべて侵入罪に問われかねない。特に政治色を帯びた活動が狙われ、思想弾圧の道具にも使われるようになる」と批判する。

 さらに松宮氏は香港の2人の勾留が長期に及んだことに疑問の目を向ける。「建造物侵入しか罪状がなくても、ここまで取り締まれるという先例をつくるための裁判ではないか」「日本の市民社会を萎縮させる可能性を持つ、大変危険な裁判だ」。

昨日の判決は、この疑念を払拭することなく、むしろ疑念を確認するものとなってしまった。控訴審の帰趨にも、注目しなければならない。
(2019年10月11日)

《東電の天皇》の責任と、《本家の天皇》の責任と。

《東電の天皇》と異名をとって業界に君臨し、原発を推進してきたのが勝俣恒久元会長。福島第1原発事故の未曽有の規模の被害について、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたが一審無罪の判決を得た(9月19日)。

 「被害者らが提起した民事訴訟では、東電の過失を認める判決が相次ぐ。一方、個人に刑罰を科す刑事裁判では、具体的な予見可能性や結果の回避可能性など、より厳格な立証が求められる。判決は、個人の過失を問う刑事裁判のハードルの高さを改めて印象づけたとも言える(河北新報社説)」ことはそのとおりだが、何とも納得しがたい。

「政府の事故調査委員会は、事故の背景について政府や東電に『複合的な問題点があった』と指摘した。国会事故調などは『人災』と判断した。今回の判決でそれがくつがえるわけではない(東京新聞社説)」こともそのとおりだが、何ともおさまりが悪い。

これだけの規模の大災害である。原発とは管理をあやまれば壊滅的被害あるべき危険物であるとは、誰もが知っていること。あの規模の津波の発生も、設備の浸水にともなう事故の発生も警告はされていた。そして、その結果回避も可能ではあった。しかし、判決は、さらに具体的なレベルでの予見可能性を要求しているようだがその判断に疑問なしとしない。

検察官役の指定代理人の下記コメントに賛同する。
「国の原子力行政をそんたくした判決だといわざるをえない。原子力発電所というもし事故が起きれば取り返しがつかない施設を管理・運営している会社の最高経営者層の義務とはこの程度でいいのか。原発には絶対的な安全性までは求められていないという今回の裁判所の判断はありえないと思う」

案の定、この判決はすこぶる評判が悪い。巷の声は、次のようなものだ。

 「ふざけるな」「不当判決だ」「市民常識とかけ離れている」「被災として怒りと失望を感じる」「ふるさとに帰りたいと思って亡くなった方がたくさんいることを考えれば、こんな判決は受け入れることができない」「裁判官の常識と一般市民の常識が違う」「裁判所は福島の被害者に真摯に向き合ったのか」「司法が死んでいることが証明された。世界中に恥ずかしい」「あれくらいの事故を起こして無罪ということはない」「それだけの責任ある立場の方々です」「それが知らなかったでは済まされないと思う」「とうてい理解できない判決だ。被災者の思いを東京電力も裁判所も受け止めてくれない結果」「誰も責任を取らないなんて納得いかねえよ」「事故を繰り返さないため、トップの責任をはっきりして欲しかった」「本当に残念でなりません」…。

「これだけのことをしでかして、トップが責任を取らなくていいのか」という声が日本中に渦巻いている。その市民感情は健全で、当然のことと思う。私が注目したのは、誰も責任を取らない日本社会の文化が続いてしまう」という、市民のコメント。当然に天皇(裕仁)の戦争責任を念頭に置いての一言。

《東電の天皇》ならぬ《本家本元の天皇(裕仁)》の戦争責任も、同様のトップの責任。「あれだけのことをしでかして、トップが責任を取らなくていいのか」という声が日本中に渦巻いてよいのに、そうはならなかった。これが不思議。戦後最大のミステリー。おそらく、天皇本人も戸惑っていたに違いない。次のような声が飛びかってもよかったのだ。

 「天皇無責とは到底考えられない」「戦争被災者として怒りと失望を感じる」「望郷の念にかられながら果たせず、外地で亡くなった方がたくさんいることを考えれば、天皇無責は受け入れることができない」「天皇は、国内外の戦没者に真摯に向き合ったのか」「天皇無責は、日本社会の秩序が崩壊していることの証明だ。世界中に恥ずかしい」「あれだけの戦禍を引き起こして無責ということはない」「それだけの責任ある立場の方です」「それが知らなかったでは済まされないと思う」「天皇の免責は、とうてい理解できない。戦没者の思いを受け止めてくれない結果」「天皇が責任を取らないなんて納得いかねえよ」「戦争の惨禍を繰り返させないために、天皇の責任をはっきりして欲しかった」「本当に残念でなりません」…。

原発の責任と戦争の責任。企業トップの責任と天皇の責任は、実によく似ている《東電の天皇》を免責したのは裁判所。《本家の天皇》を免責したのはマッカーサーだ。せめて、《東電の天皇》の責任については、健全な世論の追及が続けられることを期待したい。

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ところで、日課にしている早朝の散歩。この3か月、不忍池の蓮の華を愛でてきた。昨日最後の一華を見つけたが、今日はなくなっている。9月19日をもって、岸辺から目視の限りだが、今年の華との別れの日としよう。

実は、不忍池には、折々に薀蓄オジさんが出没する。桜の時期には「桜の薀蓄オジさん」、水鳥の時期には「水鳥の薀蓄オジさん」、そして当然のことながら「蓮華の薀蓄オジさん」も。

このオジさんによると、今年の蓮の開花は6月11日だった。昨年の最後の華は、9月17日だったという。このあたりを諳んじているのが、薀蓄オジさんたる所以。

今年の華の命は去年よりも2日長かったということになるが、華のない不忍池はまことに寂しい。サルスベリも、カンナも、キョウチクトウも終わった。季節は、確実に遷っている。政権も遷ればよいのだが。

(2019年9月20日)

「平和を願う文京戦争展」総括会議ご報告

日中友好協会・文京支部が、8月8日~10日の3日間、文京シビック内のアートサロン(展示室2)で開催した、「平和を願う文京戦争展―日本兵が撮った日中戦争」の総括会議が8月28日夕刻に開かれた。ノモンハンから帰日したばかりの私も参加した。

この企画、3日間で1500人の熱心な入場者を得てたいへんな盛況だった。開会時間は延べ24時間で、1時間当たり55人の入場者が途切れず続いた計算になるという。その盛況の原因の第一は、文京区教育委員会が後援を拒否したことが話題となったから。とりわけ、東京新聞がそのことを大きく記事に取りあげたことから知られるところとなった。この企画を「新聞」で知った方が36%にも達していた。アンケートにそのことに触れた人が多かったことが報告された。

だから良かったかというとそうではない。入場者のほぼ4割が70代以上の高齢者、10代・20代は極めて少ない。教育委員会後援があれば、学校の生徒に呼びかけることができるという。戦争の実態を若者に知ってもらうために、次回は粘り強く各教育委員に要請し説得する活動をしようという意見が交わされた。

任意のアンケート回答要請に、427人の方が回答してくれた。これは、たいへんな高率である。その中に、
☆毎年やってほしい
☆もっと若い人に見てもらえるように
☆全国色々な所で開催して欲しい
☆3日では短い、展示期間をもっと長く
☆もっと広い会場で
などの提案が書き込まれていた。

また、アンケートの中で、次の中学生の感想文が目を惹いた。
「なんでも武力で解決しようとした日本はもう少し他の解決策があったのではないかと思った。」
「日中戦争のことについては、あまりくわしく知りませんでしたが、罪のない人、子どもや老人が沢山殺されてしまったという事実を知り、このようなことは二度と起こしてはいけないと思いました。」
「罪のない人が大勢まきこまれる戦争がもう二度と起こらないようになってほしいと思う。村瀬が残してくれた写真で当時の状況が知ることが出来ました。」
「日本の戦争の仕方や武力で解決しようとする姿勢に納得がいかなかった。」

なお、韓国のテレビ局2社が取材に訪れたという。中国のメディアは来なかった。

意見交換の中で、印象に残ったのは、戦争を語る上での被害面と加害面のどちらを語るかの姿勢の問題についてである。

今回の「文京戦争展」は、文京区(当時は本郷区)出身の兵士が撮った中国戦線での写真展示と、文京の空襲被害の展示と語り部の2本立て。前者には、南京虐殺の現場写真や生々しい従軍慰安婦の写真もある。加害者としての皇軍が映し出されている。後者は、戦争被害による区民の辛苦。おそらく、後者だけなら、文京の教育委員会が後援を拒否することはなかっただろうという。

実は、文京区自身が戦争展をしたことがあるという。その内容は、空襲被害、原爆被害に限られた、徹底した戦争の被害実態についてのものだったとのこと。しかし、侵略戦争による近隣諸国への加害責任を語らずして、あの戦争を全面的に語ることはできない。

我々は、加害責任を避けることなく、戦勝・敗戦に関わりなくすべての国の民衆の戦争被害の悲惨さを、あるがままに訴えよう。官製戦争展が自国の被害だけの展示にこだわるのなら、我々は加害責任をこそ戦争を知らない世代に見てもらわねばならない。そのような合意がほぼできたように思う。
(2019年8月31日)

権力や権威を批判する「言論の自由」を死守しよう ― 74年目の敗戦記念日に

8月15日である。74年前のこの日に戦争が終わった。

日中戦争・太平洋戦争が手痛い敗北によって終わったというだけでなく、明治維新以来幾たびも繰り返された、飽くなき侵略戦争もこの日以後はない。あの日以来74年、曲がりなりにも、日本は平和を享受してきた。

戦争こそ、最大の人権侵害であり、最大の環境破壊である。そして、最大最悪の凶悪犯罪でもある。明治維新以来今日まで、およそ150年の前半は、我が国が戦争に明け暮れた歴史だった。野蛮な天皇制が支配する軍国主義国家として侵略戦争を繰り返してきたのだ。富国強兵のスローガンのもと、国民には滅私奉公が強いられた。故なく、近隣諸国民を憎悪し侮蔑する差別感情が煽動される国家でもあった。

74年前の8月、敗戦とともに国家の原理は転換した。ポツダム宣言第6項は、「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。」という。この「勢力」の頂点に天皇が位置することに争いの余地はない。8月14日ポツダム宣言受諾をもって、主権は天皇から国民に転換したものと考えられる。

74年前の敗戦の日は、日本の近代を分かつ日であった。戦争と平和と。天皇主権と国民主権と。国家主義と人権尊重と。戦争終結の記念日は、天皇支配終焉の記念日でもあり、国民主権・民主主義・人権尊重の国家が再出発した記念日とも重なる。

本日。戦争責任を自覚することも表明することもないままに亡くなった当時の天皇(裕仁)の孫が、天皇(徳仁)として全国戦没者追悼式で式辞を述べた。そのなかに前天皇(明仁)の式辞とほぼ同文の次の一節がある。

「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、全国民とともに、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」。

この文言が、内閣の助言と承認を経てのものであるかについて疑義なしとしないが、「深い反省」の言葉があることは、注目に値する。同じ場での首相・安倍晋三の式辞には、反省も責任の一言もないのだから、印象際だつものがある。憲法前文のフレーズを引用して、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い」と言っていることも、同様である。

ただし、天皇の「深い反省」は曖昧模糊としたものである。天皇は、「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と述べたが、過去を顧み」とは、どのような過去の歴史をどのように顧みたのだろうか。戦争の惨禍をもたらした天皇の責任についての自覚はあるだろうか。過去の侵略戦争が、天皇が唱導した聖戦とされていた歴史的事実を十分に顧みているだろうか。「上官の命令は天皇の命令」として軍規を律した過去についてはどうか。天皇制否定の思想を死刑に値する犯罪とした治安維持法をもって平和運動を弾圧した過去などは、天皇の脳裏にあるだろうか。

「深い反省」とは、いったい何をどう反省しているのだろうか。まさか、負けるような戦争をしたことではあるまい。戦争をしたこと自体であろうし、戦争するような国を作ったことの反省でなくてはらない。「反省」には責任がともなうことは自覚されているだろうか。どのように責任をとるべきだと考えているのだろうか。

今、私たちは、再び戦前の過ちを繰り返してはならないことを自覚しなければならない。言論の自由を錆びつかせてはならない。好戦的な政府の姿勢や、歴史修正主義の批判に躊躇があってはならない。附和雷同して、国益追求などのスローガンに踊らされてはならない。近隣諸国への差別的言動を許してはならない。平和憲法「改正」必要の煽動に乗じられてはならない。

かつての臣民に戻ることを拒否しよう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者からも、権威あるとされる者からも、操られることを厳格に拒否しよう。

権力や権威を批判する「言論の自由」を死守しよう。そして、一切の差別につながる言論を拒否しよう。平和を擁護するために。次代に、平和な社会を手渡すために。
(2019年8月15日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2019. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.