澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

えっ? 「沖縄全戦没者追悼式」での平和の詩に「令和時代」?

昨日(6月23日)は、「沖縄・慰霊の日」。本土決戦の時間稼ぎのためとされる旧日本軍の組織的戦闘が終結した日である。これで戦争が終わったわけではない。多くの悲劇がこのあとに起こる。沖縄県民にとっは、新たな形の悲劇の始まりの日でもあった。

あれから74年。糸満市摩文仁の平和祈念公園で、恒例の「沖縄全戦没者追悼式」(主催は沖縄県)が挙行された。敵味方なく、軍民の隔てなく、すべての戦争犠牲者を追悼するという次元の高いコンセプト。未来の平和を指向するものでもあり、国民感情にピッタリでもあろう。この点、「皇軍の戦没者だけを、天皇への貢献故に神として祀る」という、偏狭な軍国神社靖国の思想と対極にある。

全戦没者名を刻する「平和の礎」には、新たに韓国籍2人を含む42人の名前が刻銘された。二重刻銘による削除者も1人いて、総刻銘数は24万1566人となったという。24万1566人の一人ひとりに、それぞれの悲劇があり、その家族や友人の悲劇があったのだ。

玉城デニー知事の「平和宣言」は、うちなーぐちと英語を交えてのスピーチ。辺野古新基地建設を強行する政府を強く批判し、「県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は民意を尊重せず、地方自治をもないがしろにするものだ」とまで言っている。

そして、今年も「平和の詩」の朗読があった。糸満市兼城小6年山内玲奈さんの「本当の幸せ」と題するもの。次いで、これまた恒例の安倍晋三の首相としての官僚作文の朗読である。

安倍晋三の参列と式辞は、明らかにこの式典のトーンと異なるもので、違和感に包まれていた。案の定、首相挨拶の途中、会場から野次というレベルではない怒声が飛んだ。
「安倍は帰れ!」
「安倍はやめろ!」
「(近年の沖縄の発展は)あんたがやったわけじゃないよ」
「(基地負担軽減は〕辺野古を止めてから言え」
「戦争屋!」

式辞の朗読が進むとともに、ヤジは大きくなり、安倍首相が「私が先頭に立って、沖縄の進行をしっかり前へ進めたいと思います」と述べた途端に、やめてくれー」と大声が上がり、会場がどよめいたという。チヤホヤされるのが大好きで、忖度文化の頂点に立つ居心地を満喫している彼には、不愉快な体験だったろう。

日本は民主主義国家だという。民主的な手続で選任された日本のトップが首相であって、今その地位に安倍晋三がいる。しかし、日本の首相とは不思議な存在だ。国民を代表する立場で重要な式典に臨んで、来るな」「帰れ」と猛然と野次られ罵られる。警察が式場を取り巻いて威圧し監視する中でのことだ。ウソとごまかしにまみれ、国政私物化の疑念を払拭できない人物が、長期政権を継続している。この「来るな」「帰れ」と野次られるトップを国民自身が選んでいることになっている。日本の民主主義が正常に作動していないのだ。

6月23日、8月6日、8月9日は、いずれも国民が記憶すべき日として、式典が行われる。晴れやかな日でも、勇ましい想い出の日でもない。民族や国家が、独立した日でも戦勝の日でもない。自ら起こした侵略戦争に破れて、多くの国民が犠牲になったことを改めて肝に銘記すべき日である。

安倍晋三個人としては、そんなところに出たくはない。しかし、いやいやながらも出席せざるを得ない。その席で、辺野古新基地建設強行を語ることもできず、悪役ぶりを披露し、じっと野次に耐えるしかない。「安倍は帰れ!」と野次られても、帰るわけにはいかないのは、あたかも安倍とその取り巻きが日本国憲法大嫌いでありながらもこれに従わざるを得ないごとくである。安倍は6・23、8・6、8・9の各式典に、「帰れ!」と野次られつつも、出席を続けなくてはならない。そう、「悔い改めて、方針を転換します。新基地建設強行は撤回しました」と報告できるその日まで。

さて、いつも話題の平和の詩の朗読。今年も素晴らしいものではあった。引用しておきたい。

本当の幸せ (沖縄県糸満市立兼城小学校6年 山内玲奈)

青くきれいな海
この海は
どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ちこまれ
ほのおで包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか

緑あふれる大地
この大地は
どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか

青く澄みわたる空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え町が消え希望の光を失った島
体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか

平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私

海や大地や空が七十四年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲さんさを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島がこの国がこの世界が
幸せであるように

お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが
本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが
最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある

令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも

 素晴らしい詩だとは思う。しかし、引っかかるところがある。平成時代」「令和時代」というフレーズである。沖縄の小学生が、こんなにもあたりまえのように、無抵抗に元号を使わされているのだ。

昨年(2018年)12月13日の毎日新聞に、沖縄と元号」という興味深い記事が掲載されていた。「代替わりへ」という連載の第1回。1960……昭和35年!4月1日!」 という表題。米占領下、センバツ出場 宣誓、西暦で言いかけ」という副見出しがついている。

 兵庫県の甲子園球場で1960年4月1日にあった第32回選抜高校野球大会の開会式。戦後初めてセンバツに沖縄勢として出た那覇高主将の牧志清順(まきしせいじゅん)さんは、選手宣誓で日付を西暦で言いかけ、すぐに元号で言い直した。当時、米国統治下の沖縄の住民の多くは西暦で年代を考えていた。

 本土復帰(72年)後の80年に膵臓(すいぞう)がんのため37歳で亡くなった牧志さん。大会直後の手記に、本田親男・大会会長(毎日新聞社会長)の「いまだ占領下にある沖縄から参加した諸君たちに絶大な拍手を送ろうではないか」とのあいさつを聞き、「感激の涙がとめどもなく流れた」と記していた。その日の毎日新聞夕刊は「七万の観衆の万雷の拍手。那覇ナインはひとしお深い感激にひたっているようだった」と描写している。

 牧志さんの妻愛子さん(70)は「このあいさつの後の宣誓でしょ。いろんな感情がこみ上げて、緊張と感動で素に戻っていつもの西暦がスッと出てきたんじゃないの?」と推測する。愛子さんが大切に保存するアルバムには牧志さんの自筆コメントが残る。出場校の整列写真には「チョット恐ろしかった」との感想も。数カ所ある開会式の日付は「1960……!!昭和35年」と記され、言い直しを意識していたようだ。

 当時、アルプススタンドで応援した同級生の伊藤須美子さん(76)は「友達と『そもそも、なんで昭和と言わなきゃいけないの』と話していた。言い直しを聞き、沖縄と本土は違うと実感した」と語る。法政大の上里隆史・沖縄文化研究所研究員(42)は「元号は、その土地が元号を定めた主体に支配されているという目印」と指摘する。西暦か元号か。米国か日本か。牧志さんの宣誓は、当時の沖縄の状況を浮き彫りにしていた。

なるほど、復帰前の沖縄にとっては、「西暦か元号か」は、「米国か日本か」であったろう。しかし、復帰を実現してから47年の今、事情は異なる。「西暦か元号か」は、象徴天皇制の本土体制を容認するか否かではないか。

「『戦争終わったよ』投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺」という記事が、6月22日の琉球新報(デジタル)に掲載されている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190622-00000006-ryu-oki

 沖縄戦で本島における日本軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日本軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。
  当時、島では日本軍の隊長からは「山に上がって来ない者は殺す」との命令が下されていた。上陸してきた米軍からは、日本兵が軍服を捨てて住民にまぎれこんでいることから「家に戻りなさい。戻らなければ殺す」と投降の呼び掛けが出ていたという。どちらを選択しても死を迫られるという苦しい状況に住民は置かれていた。
 渡嘉敷さんは「明勇さんは案内人として米軍に連れてこられていた。村人が隠れているところを回って、投降を説得するのが役割だった。明勇さんに命を助けられた。島の人にとっては恩人。それを、逃げるところを後ろから日本刀で切って殺されたと聞いた」と悔しそうな表情を浮かべた。

「一番怖かったのは日本兵だった」という述懐が、印象に残る。沖縄を本土防衛の捨て石とし、県民の4人に一人を殺した戦争を唱導したのが皇国日本だった。独立後も沖縄の占領を続けるようアメリカに提案したのが、天皇(裕仁)だった。そして今、本土復帰後も続く保守政治の中で、沖縄の人権も平和も蹂躙され続けている。その本土の保守政権は、象徴天皇制と積極的に結び付き、これを積極的に利用しようとしている。客観的に見て、天皇制は沖縄民衆の敵というべきであろう。しかも沖縄は、一度は元号離れの経験をしているのだ。

国民生活のレベルへの象徴天皇制の浸透が元号である。元号の使用は象徴天皇制の日常化と言ってよい。「平成の時代」「令和の時代」という言葉が、小学生の詩の中に出てきて、これが平和の式典に採用されるこの状況を深刻なものと受けとめなければならない。
(2019年6月24日)

東京「日の丸・君が代」強制拒否訴訟報告

どこの国にも国旗がある。日本には「日章旗」、韓国は「太極旗」、北朝鮮は「共和国旗」である。台湾は「青天白日旗」を国旗として、「五星紅旗」に対抗している。
国家は、その象徴として国旗を制定する。国家という抽象物は目に見えないが、国家を象徴する国旗は、国民の目の前で翻ってみせる。国民の目の前で翻る国旗は、国民のナショナリズムを刺激する。おなじ旗に集う者として国民を束ね、束ねた国民を国家に結びつけるよう作用する。
国家(より正確には国家を掌握している権力者)は、より強い国民の国家統合を求めて、国民に対して「国旗を尊重せよ」「国旗に敬意を表明せよ」と要求する。国家への忠誠を国旗に対する態度で示せということなのだ。場合によっては、国旗への敬意表明が国民の法的義務となる。わざわざ法的義務としなくても、国民多数派の社会的同調圧力が、全国民に国旗尊重を事実上強いることになる。
全国民が、無理なく受け入れられる国旗をどうデザインするかは難しい。東京朝鮮中高級学校のホームページを開くと、まず目に飛び込んでくるのは、「統一旗」である。在日の皆さんが求める国家的アイデンテティをよく表している。かつての枢軸3国の内、ドイツもイタリアも敗戦後の再出発にあたっては、国旗を変えた。国家が生まれ変わったのだから、国旗も国歌も変えるのが当然なのだ。しかし、日本だけが旧態依然である。あの神権天皇制の日本。侵略戦争と植民地支配に狂奔した軍国主義日本と、あまりにも深く一体化した旗と歌とが今なおそのまま国旗となり国歌となっている。
天皇代替わりの今、あらためて、敗戦と日本国憲法制定にもかかわらず、この国の変わり方が不徹底であったことを噛みしめざるを得ない。多くの国民が、天皇の戦争責任追及をしなかった。自らの侵略戦争や植民地支配への加害責任の自覚が足りない。旧体制を支えた天皇の権威への盲従に、反省がまことに不十分なのだ。そのことが、歴史修正主義者を跋扈させ、今日に至るも近隣諸国に対する戦後補償問題が未解決な根本原因となっている。
学校での「日の丸・君が代」強制も、主には歴史認識問題である。旧体制批判に自覚的な教員の多くが、「日の丸・君が代」強制に抵抗してきた。
「日の丸・君が代」は、あまりに深く旧体制と結びついた歴史をもつ。天皇主権・天皇の神格化・富国強兵・滅私奉公・軍国主義、そして侵略戦争と植民地支配である。「日の丸に向かって起立し、君が代を唱え」と強制することは、新憲法で否定されたはずの旧価値観を押し付けることではないか。一人ひとりの思想・良心の自由を蹂躙して、国家が良しとする秩序を優先することは受容しがたい。それが、圧倒的な教員の思いであった。
しかし、国は徐々に「日の丸・君が代」強制強化に布石を打っていった。文部省は1989年に「学習指導要領」を改訂し、従前は「指導することが望ましい」とされていた表記を、「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」とあらためた。さらに1999年8月には、国旗国歌法を制定して「日の丸・君が代」を国旗・国歌とした。
こうして、制度が整うと、強制の徹底を買って出る自治体が現れる。まずは、石原慎太郎都制下の東京都教育委員会が、2003年10月に、悪名高い「10・23通達」を発出した。以来、都内の公立学校では、式のたびに全教職員への起立斉唱の職務命令が発せられ、不起立の職員には懲戒処分が強行されることになった。今日まで、戒告・減給・停職の処分が延べ480名余に強行されてきた。これに関連するいくつもの訴訟が提起され、最高裁判決も積み重ねられている。
残念ながら、教員側は、最高裁で「いかなる処分も違憲」という判決を獲得し得ていない。しかし、最高裁は、戒告を超えて減給以上の実質的な不利益を伴う重い処分量定は苛酷に過ぎ、懲戒権の逸脱濫用にあたるとして、都教委の暴走に歯止めを掛けてきた。
今回、3月28日に最高裁は、都教委の上告受理申立を不受理として、現役教員の4回目・5回目の不起立に対する各減給処分(いずれも減給10分の1・1月)を違法とする原判決を容認した。不起立回数に関わりなく、君が代・不起立の処分は戒告にとどまることになった。
「日の丸・君が代」強制反対訴訟は、まだまだ続く。この訴訟と支援の運動は、児童・生徒のために自由闊達で自主的な教育を取り戻すための闘いとともにある。本来が、教育とは、国家の強制や政権の思惑からは独立した自由なものでなくてはならない。教育への公権力の介入を象徴するこの訴訟への関心と、ご支援を心からお願いしたい。

(日朝協会機関誌「日本と朝鮮」東京版・2019年6月号掲載)

(2019年5月29日)

 

「法と民主主義」4月号特集『日韓関係をめぐる諸問題を検証する』ご案内

日本民主法律家協会の機関誌・「法と民主主義」4月号【通算537号】は、来週中に発刊となる。特集の総合タイトルが、「日韓関係をめぐる諸問題を検証する」というもの。発刊に先だって、そのリードをご紹介する。

 時あたかも「3・1独立運動」から100周年といういま、日韓関係が過去最悪の事態と言われる。保守層の一部では、あろうことか、「日韓断交」の言葉さえ飛びかっているという。
 2018年10月30日、韓国大法院は新日鉄住金の上告を棄却して、元徴用工の賠償請求を認容した原判決を確定させた。この大法院判決は、韓国における三権分立が正常に作用していることを示すものである。しかし、それ以来の急激な日韓関係の軋みである。
 同年11月21日には、日韓「慰安婦」合意(2015年12月28日)によって設立された「和解・癒し財団」の解散が発表されて、同合意は事実上崩壊した。同月29日には、三菱重工に対しても、新日鉄住金と同内容の徴用工事件判決の言い渡しがあった。さらに、同年12月20日には、韓国海軍の広開土国王艦から自衛隊機に対する「レーダー照射」問題が生じ、これが外交問題となって日韓関係の悪化に拍車がかかった。
 その上、今年の2月7日には、韓国議会(一審制)の文喜相議長が、天皇に対する元慰安婦への謝罪要求発言があったとして物議を醸すに至っている。
 保守の朴槿恵大統領時代には、比較的「円満・良好」だった安倍政権との関係が、市民の「キャンドル革命」によって樹立された文在寅政権とは基本的に反りが合わないというべきか、軋轢が噴出している。
 その軋轢が、日本国民のナショナリズムの古層を刺激し、韓国に対する排外・差別感情を醸成している点で、看過しがたい。冷静に、問題を歴史の根本から見つめなければならない。
 問題の根源は、旧天皇制日本による朝鮮植民地化の歴史にある。そして、韓国の軍事独裁政権と日本の保守政権とで合意された、日韓の戦後処理の杜撰さにも大きな問題がある。また、現在進行しつつある、南北関係や米朝関係の大きな変化の反映という側面も見なければならない。
 現在の日本国内の事態は、政府に煽られた形で、メディアや世論が韓国批判の論調一色に染められていると言って過言でない。対韓世論悪化の元凶は、明らかに日本政府である。
 本特集は、法律家の任務として、かつて日本の植民地支配時代に侵害され蹂躙された朝鮮・韓国の人権回復の法理を再確認するとともに、これまでの日中・日韓の各戦後補償訴訟の到達点を踏まえて、政権のデマゴギーを許さない運動に役立てようとするものである。
 本特集の構成は以下のとおりである。

◆巻頭論文として、和田春樹氏の「日・韓・朝 関係の戦後史」(仮題)を掲載する。植民地支配を脱した韓国朝鮮が、東西対立の最前線として、朝鮮戦争を余儀なくされたところからの現代史を通覧して、軋んだ現状の原因となった日韓、日朝の戦後補償問題の経過と、米国を含む現状の国際関係までを把握するためである。
◆次に、植民支配の残滓を清算すべきでありながら不十分に終わった、「日韓の戦後処理の全体像と問題点」を、この点に精通している山本晴太弁護士の寄稿が明らかにする。
◆日韓の請求権問題は、中国の戦後補償訴訟との共通点をもつ。その訴訟実務を担当した森田大三弁護士が、「中国人強制連行・強制労働事件の解決事例」を踏まえて、韓国徴用工問題解決への展望を語っている。
◆また、「韓国徴用工裁判の経緯、判決の概要と今後の取り組みについて」は、専門実務家の立場から、川上詩朗弁護士が全体像を明確にしている。
梓澤和幸弁護士の「徴用工判決と金景錫事件」は、訴訟において和解による被害救済を実現した、貴重な実例の報告である。                 
大森典子弁護士「日韓合意の破綻──『慰安婦』問題と日韓関係」は、日本の朝鮮植民地支配時代の人権侵害を象徴する「慰安婦」問題における、2015年合意の脆弱な弱点を指摘するものである。
◆最後に、韓国側の事情を中心に、「文政権と南北宥和 ― その対日政策への影響」について、東京都市大学・李洪千准教授に解説をお願いした。

 以上のとおり、求めるところは人権尊重の原理が国境を越えた普遍性を有していることの再確認であり、日韓市民間の友誼と連帯を通じての北東アジアの平和の構築である。本特集が、その理解と運動に寄与することを強く願う。
                  (担当編集委員 弁護士 澤藤統一郎)

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「法と民主主義」は、毎月編集委員会を開き、全て会員の手で作っています。憲法、原発、司法、天皇制など、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいています。定期購読も、1冊からのご購入も可能です(1冊1000円)。

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(2019年4月21日)

本日、東京大空襲の日。10万の犠牲者の無念に合掌。

3月10日。胸が痛む日。74年前の今日、東京大空襲で一夜のうちに10万人の命が失われた。その一人ひとりに、個人史があり、思い出があり、夢があり、親しい人愛する人がいた。自然災害による被災ではない。B-29の大編隊が、東京下町の人口密集遅滞に焼夷弾の雨を降らせてのことだ。東京は火の海となって焼失し、都市住民が焼き殺された。

広島・長崎に投下された原爆も、沖縄地上戦も、この世の地獄に喩えられる惨状であったが、日本各地での都市空襲被害も同様であった。その中の最大規模の被害が東京大空襲である。

1945年3月10日早暁、325機のB-29爆撃機が超低空を飛行して東京を襲った。各機が6トンのM69ナパーム焼夷弾を積んでいたという。米軍が計算したとおり、折からの春の強風が火を煽って、人と町とを焼きつくした。逃げれば助かった多くの人が、防空法と隣組制度で消火を強制されたために逃げ遅れて、命を失った。

この空襲被害は避けることができなかったものだろうか。1941年に始まった対米戦争の終戦が早ければ貴重な人命を失うことはなかったのだ。当時既に、情報を把握している当局者には、日本の敗戦は必至の事態であった。

前年(44年)7月9日にはサイパンが陥ちている。続いて、8月1日にはテニアン、8月10日にグアム。こうして、B-29爆撃機の攻撃圏内に日本本土のほぼ全域が入ることになった。これらの諸島を基地としたB-29の本土襲来があることは当然に予想されており、東条内閣はサイパン陥落の責任をとる形で7月18日に総辞職している。

東条内閣の成立は、太平洋戦争に突入の直前。その前に首相の座にあったのが近衞文麿である。この人が、45年2月14日、東京大空襲の1か月ほど以前に、天皇(裕仁)に面会して、近衛上奏文と言われる文書を提出している。「敗戦は必至だ。早急に戦争終結の手を打つ必要がある」という内容。

やや長文のうえ候文の文体が読みにくいが、要所を摘記してみる。

敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。以下此の前提の下に申述候。
敗戦は我が国体の瑕瑾(かきん-傷)たるべきも、英米の與論は今日までの所国体の変革(天皇制の廃絶のこと)とまでは進み居らず(勿論一部には過激論あり、又将来如何に変化するやは測知し難し)随て敗戦だけならば国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体の護持の建前より最も憂うるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に御座候。

つらつら思うに我が国内外の情勢は今や共産革命に向って急速度に進行しつつありと存候。即ち国外に於てはソ連の異常なる進出に御座候。我が国民はソ連の意図は的確に把握し居らず、かの一九三五年人民戦線戦術即ち二段階革命戦術の採用以来、殊に最近コミンテルン解散以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相且安易なる見方と存候。ソ連は究極に於て世界赤化政策を捨てざるは最近欧州諸国に対する露骨なる策動により明瞭となりつつある次第に御座候。

戦局への前途につき、何らか一縷でも打開の望みありというならば格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込みなき戦争を之以上継続するは、全く共産党の手に乗るものと存候。随つて国体護持の立場よりすれば一日も速に戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信仕候。戦争終結に対する最大の障害は、満洲事変以来今日の事態にまで時局を推進し来りし、軍部内の彼の一味の存在なりと存候。彼等はすでに戦争遂行の自信を失い居るも、今までの面目上、飽くまで抵抗可致者と存ぜられ候。

此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく存奉候。以上

「勝利の見込みなき戦争をこれ以上継続することは、全く共産党の手に乗るものと考えます。従って国体護持(天皇制維持)の立場よりすれば、一日も早く戦争終結の方法を実行するべきものと確信しています」というのが、近衛の情勢観。

開戦も終戦も、権限のすべてを握るものが天皇であった。「元首相」の立場では、精一杯のことだったろう。終戦のためには軍の実権を握る勢力(近衛は「此の一味」と言っている)を一掃しなければならず、それはなかなかに困難ではあったろうが、それができるのは天皇だけなのだ。

この日、天皇は「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う。」と言い、近衛は「そういう戦果が挙がれば、誠に結構と思われますが、そういう時期がございましょうか。それも近い将来でなくてはならず、半年、一年先では役に立たぬでございましょう。」と述べたとされている。

その後の経過において、天皇が言った「もう一度、戦果を挙げてから」のという機会は一度もなかった。すべては、近衛が「そういう戦果が挙がれば、誠に結構と思われますが、そういう時期がございましょうか」と危惧したとおりとなった。

このあと1か月ほどで、3月10日を迎える。首都が壊滅状態となり、10万の人命が失われても本土決戦の絶望的作戦は変更にならない。4月1日には、本土への捨て石としての沖縄地上戦が始まり6月23日に惨憺たる結果で沖縄守備隊の抵抗はやむ。ここで日本側だけで19万人の死者が出ているが、まだ戦争は終わらない。全国の主要都市は、軒並み空襲を受け続ける。そして、ポツダム宣言の受諾が勧告されてなお、天皇は国体の護持にこだわり、広島・長崎の悲劇を迎え、ソ連の対日参戦という事態を迎えてようやく降伏に至る。

すべての戦争犠牲者が、天皇制の犠牲者ではあろうが、敗戦必至になってからの絶望的な戦闘での犠牲者の無念は計り知れない。とりわけ、空襲の犠牲者は、同胞から英霊と呼ばれることもなく、顕彰をされることもない。その被害が賠償されることも補償されることすらもない。

広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦、そして東京大空襲‥。このような戦争の惨禍を繰り返してはならないという、国民の悲しみと怒りと、鎮魂の祈りと反省とが、平和国家日本を再生する原点となった。もちろん、近隣諸国への加害の責任の自覚もである。2度と戦争の被害者にも加害者にもなるまい。その思いが憲法9条と平和的生存権の思想に結実して今日に至っている。

3月10日、今日は10万の死者に代わって、平和の尊さを再確認し、平和憲法擁護の決意を新たにすべき日にしなければならない。
(2019年3月10日)

ある日の待合室で話題となった、天皇の責任。

えらく、待たせられますな。いつものことですがね。

きちんと予約制にしてもらいたいものですね。

でも、毎回、ここで結構知らない人とのお話しが弾んで、楽しいこともあるんですよ。

最近、楽しい話題なんて思い当たらないじゃないですか。

児童虐待だの、イジメ自殺だの、統計偽装だの…。

そうなんですよ。私は去年、定年になったんですが、それまではテレビの国会中継なんて観る暇もなかった。今は、よく観るんですが、政府のいい加減さには、ほとほと呆れて腹が立ちますね。

安倍さんの政治は確かにひどい。でも、安倍さんに限らず、アメリカも中国も、イギリスもみんなひどい。韓国もひどいじゃないですか。

韓国の何がひどいんですか。

韓国の国会の議長が、天皇陛下に謝罪を要求したでしょう。天皇陛下に謝罪を、ですよ。怪しからん話じゃないですか。

天皇への謝罪要求はどうして怪しからんのでしょうか。安倍首相は12日の衆院予算委員会で、「甚だしく不適切な内容を含み、極めて遺憾である旨、厳しく申し入れた。強く抗議するとともに、謝罪と撤回を求めた」と怒って見せています。河野太郎外相も同委員会で、「極めて無礼な発言だ」とは言うのですが、何がどうして無礼で、甚だしく不適切なんでしょうかね。

国会議長の発言の中に、天皇を指して『戦争犯罪の主犯の息子ではないのか』という言葉がありましたね。あれが、日本の国民を刺激したのではないでしょうか。

そう、天皇陛下を「戦争犯罪の主犯」、今上陛下を「戦犯の息子」なんて、日本人なら許せないと思うのが当たり前。

そうでしょうかね。天皇が戦争を始め、天皇の軍隊が近隣諸国に攻め入って人々を殺し、天皇の役人が徴用工を募集し、天皇の軍人が強制力を用いて慰安婦を募集して管理した。天皇が、侵略戦争と植民地支配の最高責任者であることは、ごまかしも言い逃れもできない事実でしょう。その戦争や植民地支配に伴う数々の戦争犯罪について、天皇を「戦争犯罪の主犯」と言って、ちっともおかしくないと思いますが。

東京裁判でも、天皇陛下は裁けなかった。陛下に責任はなかったからですよ。

当時、GHQは天皇を占領統治に使おうとしていました。日本を反共の防波堤にしたいという思惑もあった。だから、かなり無理をして、訴追を避けたのではないのでしょうか。

それでも、少なくとも現在の天皇陛下には何の責任もないはず。その陛下に謝罪要求の根拠はあり得ません。

ここに、新聞記事がありますが、こんな風に報道されていますね。
 「文喜相氏は『日本を代表する(安倍)首相から(謝罪の)一言でいい。近く退位されるのだから、天皇がそれを行うことを願う』とし、陛下は『戦争犯罪の主犯の息子ではないのか』と指摘。『そのような人が、高齢の元慰安婦の手を握り本当に申し訳なかったと言えば、これを最後に問題は解決する』と語った」(10日付各紙=共同配信)
 朝日新聞は、「文氏は(天皇に関し)『戦争犯罪』という表現は使っておらず、『戦争当時の天皇の息子』と述べたと思う」と共同配信の記事の一部を否定したとしています

正確に言えば、ストレートな「謝罪要求」ではないのですね。でも、親のしたことを子に謝らせる、という発想に違和感がありますね。

敗戦後の日本国民自らが戦争責任追求をしてこなかったことが諸悪の根源となっているように思います。韓国など被害国の側から見れば、あの被害や屈辱を与えた日本が、本心から謝罪したことはない。だから、問題が片付かないまま、現在に至っている。
 今できる解決のための謝罪の仕方として考えられるのは、首相か天皇かのどちらかだろう。安倍首相は、人格的に大いに問題のある人物だから、この人に謝られたところで真摯の謝罪だとは受け取りにくい。ならば、天皇の謝罪を、ということではないでしようか。気持ちはよく分かる。

しかし、安倍さんも、国会で言っていましたよね。「今回の(文・韓国国会議長の)発言に多くの国民が驚きかつ怒りを感じたと思う」と。多くを言う必要はないんじゃないでしょうか。私もそう思いますよ。

実は、それこそが一番深い、根本にある問題ではないでしょうか。あの戦争は、天皇の命令で行われた戦争でした。神である天皇が神国日本を防衛するためとして、臣民に命じて他国を侵略した奇妙な戦争。その敗戦の責任を天皇自らがとろうとはせずに生き延びた。その天皇を日本国民が責任追及することなく、天皇制を残してもいる。ナショナリズムの中心に、常に天皇が位置し続けている。

たしかに、韓国との問題となると、排外的なナショナリズムを感じますね。天皇が絡むと一段とその色が濃くなる。安倍さんや河野さんの立場としては、天皇の神聖を傷つける無礼は許せないと言うわけなのでしょうね。

右翼がそう言うのは度しがたいところですが、政権が右翼と同じことを言ってはならんと思います。

でも、今上陛下は、追悼と鎮魂の旅を続けこられた。戦争を反省する立場でも一貫しておられる。国民からの支持は当然ではありませんか。

ああ、現天皇の追悼と鎮魂は、皇軍の将兵に対する限りですね。けっして、侵略された側、敵とされた側の将兵に対する追悼と鎮魂はない。それから、現天皇が昭和天皇の戦争責任に言及したこともありません。

もちろん天皇(明仁)が、これまで朝鮮の元「慰安婦」にも、元徴用工にも、創氏改名を強制された多くの人々にも、謝罪したことはありません。

では、退位を目前にした天皇が、いま、元「慰安婦」や元徴用工に謝罪すべきだとお考えですか。

わたしは、それは明らかに天皇の政治利用だと思います。象徴天皇とは、存在するだけのもので、機能すべきものではない。役に立ってはいけないと思うのです。

ほう、ずいぶんお堅い。私は、日韓関係改善の役に立つのなら、内閣の責任できちんと謝罪させればよいと思いますがね。

韓国議長の発言は、大きな問題を投げかけています。私たちは、過去の朝鮮侵略の歴史をきちんと想起することで、これを受けとめなければならないと思います。重要なことは、今にして未解決な慰安婦問題や徴用工問題や天皇の責任問題を考えることであって、天皇の謝罪の是非ではないと思うのです。

おや、呼出がありました。お先に失礼。
(2019年2月16日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その2)

10月30日韓国大法院(最高裁に相当する)の徴用工判決。原告である元徴用工の、被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求」を認容した。

この判決に対する日本社会の世論が条件反射的に反発しあるいは動揺している事態をたいへん危ういものと思わざるを得ない。政権や右派勢力がことさらに騒ぎ立てるのは異とするに足りないが、日本社会の少なからぬ部分が対韓世論硬化の動きに乗じられていることには警戒を要する。まずは、同判決を正確に理解することが必要だと思う。それが、「真摯な理解を」というタイトルの所以である。判決は、けっして奇矯でも、反日世論迎合でもない。法論理として、筋が通っており、条理にかなっていることも理解しなけばならない。

昨日のブログは、時間の足りないなか急いで書いた。文章が練れていない生硬な読みにくさがあるし、判決の全体像を語ってもいない。あらためて、大法院広報官室の本判決に関する「報道資料」(日本語)にもとづいて、紹介記事の続編を書き足したい。

同事件において、被告側は「原告の請求権は日韓請求権協定(1965年)の締結によってすべて消滅した」と抗弁した。この抗弁の成否、つまり、「日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか否か(上告理由第3)」を判決は核心的争点と位置づけている。

この核心的争点における原告の抗弁の根拠は、同請求権協定2条第1項「両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになるということを確認する」、及び同条3項「一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権として同日以前に発生した事由に起因するものに関しては、如何なる主張もできないことにする」との文言が、原告ら元徴用工の被告企業に対する一切の請求権を含むものであって、「解決済み」で、「如何なる主張もできないことになっている」ということにある。

しかし、この被告の抗弁を大法院は斥けた。その理由を、多数意見は「協定交渉の経過に鑑みて、原告の被告会社に対する『強制動員慰謝料請求権』は、協定2条1項の『両締約国の国民間の請求権』には含まれない」とし、だから同条約締結によって原告の請求権は消滅していない、との判断を示した。これは、論理としては分かり易いもので、昨日のブログで詳細に紹介したとおりである。
http://article9.jp/wordpress/?p=11369

この多数意見とは反対に、請求権協定における「両締約国の国民間の請求権」には、本件の「強制動員慰謝料請求権」も含まれる、とする5名の個別意見がある。

そのうちの2人は、「だから、協定締結の効果として、韓国国内で強制動員による損害賠償請求権を訴として行使することも制限される」「結論として、原判決を破棄して原審に差し戻す」という意見。要するに、原告敗訴の意見。いま、日本政府や産経などが主張しているとおりの結論。

残る3人の意見は、違ったものである。結論から言えば、「強制動員慰謝料請求権」も、「解決済み」ではあるが、解決済みの意味は、国家間の問題としてだけのことで、国の国に対する権利は放棄されているものの、「個々の個人が持つ請求権は、この放棄の限りにあらず」ということなのだ。実は、この見解、日本政府の見解と同じなのだ。多数意見と理由を異にするが、上告棄却で原告徴用工勝訴の結論は同じものとなる。日本政府も反対しようがないのだ。

「報道資料」は、この3裁判官意見をこう紹介している。

「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれると解するべきである。ただし原告ら個人の請求権自体が請求権協定によって当然消滅すると解することはできず、請求権協定により、その請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみが放棄されたに過ぎない。したがって原告らは依然として大韓民国において被告に対して訴によって権利を行使することができる。」

 この3裁判官見解では、「請求権協定の締結によって『外交的保護権』は放棄された」が、「原告ら個人の被告企業に対する『請求権自体』は、請求権協定によって消滅していない」ということになっている。だから、韓国内での裁判による権利行使は可能という結論なのだ。

『請求権自体』とは異なる、『外交的保護権』という、一般にはなじみの薄い概念がキーワードとなっている。

『外交的保護権』(あるいは、「外交保護権」)とは、大法院の広報部の「報道資料」の表現によれば、

「自国民が外国で違法・不当な扱いを受けた場合、その国籍国が外交手続きなどを通じて、外国政府を相手に自国民の保護や救済を求めることができる国際法上の権利」と解説されている。

法律学小辞典(有斐閣)を引用すれば、

「自国民が他国によってその身体や財産を侵害され損害を被った場合に、その者の本国が加害国に対して適切な救済を与えるよう要求すること。国家がもつこのような権利を外交保護権という。」

この裁判官3人の意見は、

「原告らの個人請求権自体は請求権協定だけでは当然消滅すると見ることができず、ただ請求権協定によってその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されることにより、日本の国内措置により当該請求権が日本国内で消滅したことにはなるが、その意味するところは、大韓民国がこれを外交的に保護する手段を失うことになるだけである。」ということ。

つまり、国家は自国民の特定の権利については、国民に代わって相手国に対して救済を求める国家自身としての権利をもつ。まさしく、徴用工の日本企業に対する請求権はそのようなもので、韓国が日本に対して「自国民である徴用工の権利について適切な救済を与えるよう」要求する国家としての権利をもっていた。この権利が外交保護権。しかし、65年請求権協定によってその「国家(韓国)の国家(日本)に対する権利」は消滅したのだ。しかし、「この国家間の協定によって、個人の権利が消滅させられたわけではない」というわけだ。

「報道資料」には、その理由としてこんな説明が付されている。

「請求権協定には、外交的保護権の放棄にとどまらず「個人請求権」の消滅について日韓両国政府の意思の合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない。」「国家と個人が別個の法的主体であるという近代法の原理は、国際法上も受け入れられているが、権利の『放棄』は、その権利者の意思を厳格に解釈しなければならないという法律行為の解釈の一般原則によるとき、個人の権利を国家が代わりに放棄する場合には、これをさらに厳格に解釈すべきである。」「請求権協定では『放棄(waive)』という用語が使用されていない。」

さらに重要なのは、以下の日本側の意思についての指摘である。

「当時の日本は請求権協定により個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみ放棄されると解する立場であったことが明らかである。」「日本は請求権協定直後、日本国内で大韓民国国民の日本国及びその国民に対する権利を消滅させる内容の財産権措置法を制定・施行した。このような措置は、請求権協定だけでは大韓民国国民個人の請求権が消滅していないことを前提とするとき、初めて理解できる。」

実はこの点は、日本政府がこれまで国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことなのだ。よく引用されるのは、1991年8月27日参院予算委員会における、当時の柳井俊二外務省条約局長答弁。

大事なところだ。正確に引用しておこう。清水澄子委員の質問に対する、政府委員谷野作太郎アジア局長と柳井俊二外務省条約局長の各答弁。

○清水澄子 そこで、今おっしゃいましたように、政府間(日韓間)は円滑である、それでは民間の間でも円滑でなければならないと思いますが、これまで請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。
○政府委員(谷野作太郎君) 先ほど申し上げたことの繰り返しになりますが、政府と政府との間におきましてはこの問題は決着済みという立場でございます。
○政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。
 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないこういう意味でございます。

極めて明瞭に、日韓請求権協定によって「最終かつ完全に解決し」「消滅した」のは、国家が有する外交保護権であって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではないことが述べられている。だから、個人が国内法に基づいて訴訟提起することは、当然に可能ということになる。

1992年2月26日衆議院外務委員会での柳井俊二外務省条約局長答弁は、さらに踏み込んでいる。質問者は土井たか子。さすがに切り込んだ質問をしている。

○柳井政府委員 … …
 しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。

○土井委員 (あなたは、)るるわかりにくい御説明をなさるのが得意なんですが、これは簡単に言えば、請求権放棄というのは、政府自身が持つ請求権を放棄する。政府が国民の持つ請求権のために発動できる外交保護権の行使を放棄する。このことであぅて、個人の持つ請求権について政府が勝手に処分することはできないということも片や言わなきやいけないでしょう、これは。今ここ(日韓請求権協定)で請求権として放棄しているのは、政府白身が持つ請求権、政府が国民の持つ請求権に取ってかわって外交保護権を発動するというその権利、これでしょう。だから、個々の個人が持つ請求権というのは生きている。個々の個人の持つ請求権というのはこの放棄の限りにあらず、これははっきり認められると思いますが、いかがですか。

○柳井政府委員 ただいま土井先生が言われましたこと、基本的に私、正確であると思います。この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます。
 ただ、先ほど若干長く答弁させていただきましたのは、もう繰り返しませんけれども、日韓の条約の場合には、それを受けて、国内法によって、国内法上の根拠のある請求権というものはそれは消滅させたということが若干ほかの条約の場合と違うということでございます。したがいまして、その国内法によって消滅させていない請求権はしからば何かということになりますが、これはその個人が請求を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。

同様の問題は、ソ連との間でも、中国との間でも起きている。
1991年3月26日参議院内閣委員会での、シベリア抑留者に対する質疑では、「条約上、国が放棄をしても個々人がソ連政府に対して請求する権利はある、こういうふうに考えられますが、本人または遺族の人が個々に賃金を請求する権利はある、こういうことでいいですか」という質問に対して、高島有終外務大臣官房審議官が、こう述べている。

私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。

国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることにはならない。このことは、韓国・ソ連・中国との関係において、日本政府自身が繰り返し言明してきたことなのだ。

徴用工訴訟・韓国大法院判決を法的に批判することは、少なくも日本政府のなし得るところではない。22万人と言われる強制動員された徴用工。過去の日本がいかに大規模に、苛酷で非人道的な振る舞いを隣国の人々にしたのか。まず、その訴えに真摯に耳を傾けることを行わない限り、公正な解決はあり得ない。

また、政府も企業も肝に銘じなければならない。戦争も植民地支配も、けっしてペイしないものであることを。ツケは必ず回ってくる。それは、けっして安いものではあり得ないのだ。
(2018年11月2日)

絵本『花ばぁば』の作者が語る日本軍従軍慰安婦問題のとらえ方

足を踏んだ程度のことでも、踏まれた側と踏んだ側とのとらえ方は大きく異なる。往々にして、踏まれた側の痛みは大きく、当然に大きな事件、大きな責任問題と考える。しかし、なかなか踏んだ側には痛みが伝わらない。往々にして、たいしたことでもないことを、なにを大袈裟に騒ぐのかと考えられる。

殴られた方や、いじめられた方は痛みや怨みを忘れない。殴った方やいじめた方には、痛みも怨みも伝わらず、早々に忘れられてしまう。ましてや、戦争での加害と被害、植民地支配における差別や人権蹂躙ともなれば、その溝は大きい。個人と個人のレベルでも、民族と民族の間でも、国家対国家の関係でも…。加害・被害の歴史のとらえ方は大きく異なることにならざるをえない。

無責任な加害者・加害国に対しては、被害の当事者は、「加害行為を忘れるな。被害者の痛みを忘れてはならない。加害の責任を認めよ」と言い続けることになる。そうしなければ、加害の事実も責任も、この世から忘れ去られてしまうことになるからだ。絵本「花ばぁば」もそのような文脈での作品だろうと、手に取るまでは思っていた。読んでみて、少しちがうようだという感想を持った。

昨日(6月24日)、韓国の絵本作家クォン・ユンドクの「絵本『花ばぁば』」の制作過程を描いたドキュメンタリーDVD「わたしの描きたいこと」(販売元「ころから」)を観て、日本軍従軍慰安婦問題についての被害者側での問題のとらえ方が通り一遍ではないことを認識させられた。この絵本の作家の「わたしの描きたいこと」とは、決して皇軍の蛮行の告発ではない。日本軍のあの戦争における具体的な野蛮な行いではなく、戦争というものが、女性という弱い存在に及ぼす暴力の忌まわしさというものである。だから、どこの国のどの時代も平和でなくてはならない。すべての人に関してそうなのだが、とりわけ女性への性暴力を防ぐためには平和が不可欠なのだ。

ナレーションではなく、独白と議論が作者の考え方を物語っていく。
作者は、躊躇しながらも語る。「私には性暴力被害の体験がある。だから、誰よりも私が慰安婦とされた女性の気持ちがよく分かる。私こそが、この絵本を作る作家として最もふさわしい。そう思っていた」

しかし、次第にその気持ちが空回りしているのではないかと悩み始める。被害者に思いいれる気持ちと、本来伝えるべき作品のありかたのとの溝を意識するようにもなる。

最初、彼女の描く絵は生々しさにあふれるものだった。加害の責任を追求する姿勢もストレートで厳しい。天皇(裕仁)の肖像が描かれる。すべての加害行為の責任の象徴のごとくに。しかし、天皇の肖像は消えて菊となり、さらに桜に変わっていく。軍艦の旭日旗や、飛行機の「日の丸」も消える。直接の加害者であった旧天皇制国家や日本軍に対する怒りや怨みが、昇華されていく。

韓国の出版社のスタッフは、怪訝な思いでこの変化を見つめて問う。「どうしてわざわざ、現実にあったものを消すのか」。彼女は、説明を繰りかえしながら、自分を納得させる答を探す。「日本がすべて敵なのではない」「日本の国民が悪というわけでもない」「日本には良いところも、学ぶべきところもある。この本を読む子どもたちに日本はすべて悪いと誤ったメッセージを与えてはならない」「憎むべきは戦争であり、戦争をもたらした支配者であり、国家の体制ではないか」「そのことをこそ伝えたい」

このドキュメンタリーの最後で、作家は韓国の子供たちに伝える。「ベトナム戦争では、韓国も日本軍と同じようなことをしたのよ」と。戦争を高みで見ることなく、最も弱い立場に視座を据えてみる戦争。「あの戦争だから」ではなく、「戦争だからやむを得ない」でもなく、弱い者が理不尽に虐げられる一切の戦争をなくさなければならない。

料理や掃除をしながらの思索と繰り返される試行錯誤。日韓の子供たちとの会話や出版社スタッフとの議論。また、作品のモデルとなった元日本軍「慰安婦」シム・ダリヨンさんとの温かい交流…。こうした営みの結晶としてこの絵本は完成している。作家の訴えが、加害国の側に生まれた私の心に重く響く。
(2018年6月25日)

黙ってはならない ― 天皇制批判にもセクハラにも

4月29日。かつての天皇誕生日で、その前は天長節だった。戦争責任を免れた昭和天皇裕仁が誕生したこの日を選んで、「春の叙勲」受賞者が発表されている。その数4151人。かたじけなく、うやうやしく、天皇から格付けられたクンショウをもらってありがたがっているのだ。

この4151人に、芥川龍之介の言葉を贈ろう。

「軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなったものではない。勲章も―わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」

勲章をもらうのは軍人だけでない。なぜ良い齢をした大人が酒にも酔わずに、勲章をもらったことを人に知られて、それでも恥ずかしげなく往来を歩けるのであろうか。

たまたま、本日の東京新聞9面「読書」に、「沖縄 憲法なき戦後」(古関彰一・豊下楢彦共著)の書評が出ている。表題が、「米軍にささげた『捨て石』」というもの。沖縄を「捨て石」として米軍に捧げた人物、それがほかならぬ天皇裕仁である。

この書評が指摘するとおり、「沖縄に基地が集中したのは地政学上の理由ではなく、そこが『無憲法状態』にあったからだ」「沖縄の運命を決める政策決定の〈現場〉に、当の沖縄は不在だった。」「アメリカにフリーハンドを与えることを提案した昭和天皇の『沖縄メッセージ』の役割は大きい」(評者・田仲康博)。まことにそのとおりだ。今日は、この指摘を噛みしめるべき日だろう。

昭和天皇(裕仁)は、自由なき国家の主権者の地位にあったことだけで、責任を問われねばならない立場にある。のみならず、国の内外にこの上ない戦争の惨禍をもたらしたことについての最大の責任者でもある。さらに、敗戦後には何の権限もないはずの身で、沖縄を米国にささげたのだ。なんのために…。保身以外には考えられない。

そんな人物ゆかりの日に、クンショウもらってニコニコなどしておられまいに。

いま、天皇や天皇制を批判する言論に萎縮の空気を感じざるを得ない。アベやその取り巻きにおもねる言論が大手を振って、権力や権威の批判が十分であろうか。「国境なき記者団」が今月25日に発表した「報道の自由度ランキング・18年度版」では日本は67位とされている。昨年の72位よりも5ランク上げた理由は理解し難いが、43位の韓国や45位の米国の後塵を拝しているのは納得せざるを得ない。

言うべきことは言わねばならない。空気を読んで口を閉ざせば、空気はいっそう重くなるばかり。萎縮せず、遠慮せず、躊躇せず、黙らないことが大切だ。「私は黙らない」と宣言し続けねばならない。

昨日の新宿「アルタ」前での若者たちの『私は黙らない』行動。セクハラ批判に声を上げた彼らの行動を頼もしいと思う。持ち寄られたカラフルなプラカードには、「With You」「どんな仕事でもセクハラは加害」「私は黙らない」などの文字。

ここでも「勇気を出して声をあげる」ことが大切なのだ。一人の声が、他の人の声を呼ぶ。多くの人が声を合わせれば、社会の不合理を変える。「萎縮して黙る」ことは、事態をより悪くすることにしかならない。

集会は「いつか生まれる私たちの娘や息子たちが生きる社会のため、ここから絶対に変えていきましょう」との言葉で締めくくられたそうだ。

安倍や麻生が権力を握るこの時代。ときに絶望を感じざるを得ないが、社会の不当に黙ることなく声を上げる人々がいる限り確かな希望は消えない。天皇や天皇制や叙勲についての不合理の指摘や批判の言論についても、黙してはならない。
(2018年4月29日)

3月11日に読む「ドイツ人が見たフクシマ:脱原発を決めたドイツと原発を捨てられなかった日本」

3月10日と、3月11日。偶然並んだこの両日は、いずれも忘れられない日であるが、同時に忘れてはならない日でもある。この両日に起こったそれぞれの出来事は、さまざまに関連して、今の私たちの生き方や社会のありかたを問い続けている。

3・10東京大空襲は明らかな人災であり、3・11大震災と原発事故は天災に人災が重なったものだ。空襲被害と原発事故被害とは、その責任の性質がよく似ている。その責任の本質をどう考え、どう対処すべきか。まずはドイツに学ぶべきだろう。

日独両国とも、敗戦の惨禍から再出発している。その原点は加害責任の認識であり、侵略戦争をもたらした旧体制への反省だったはず。ドレスデン爆撃と東京大空襲とは、侵略戦争が結局は自国民に惨憺たる運命を強いることになるという好例である。ドレスデン爆撃にはゲルニカへの無差別爆撃が先行し、東京大空襲には執拗な重慶爆撃が先行している。ドイツも日本も、自分がやったようにやり返されたのだ。しかも、何層倍もの規模においての報復だった。

ここまでは、日独は肩を並べての同罪である。天皇制日本と、ナチスドイツの両体制の失敗である。しかし、その後はちがっている。戦後ドイツをことさらに美化するつもりはないが、自国の戦争責任追及の姿勢の真摯さは、我が国には見られないものだ。両国には大きな、越えがたい落差がある。残念ながらこの姿勢の違いは、政治家の質の違いと言って済まされない。国民意識の落差がもたらしたものだ。改めて、アベや麻生を政権の座に据えていることを日本国民の恥辱と思う。

その両国の落差が、3・11後の原発への対応にも表れている。そのことを上手な語り口で、解説しているのが、「ドイツ人が見たフクシマ:脱原発を決めたドイツと原発を捨てられなかった日本」(16年3月11日発行)。

著者は、熊谷徹。元はNHKの記者だったというフリージャーナリスト。ドイツ・ミュンヘン市に在住。ドイツの過去との対決や、ドイツのエネルギー・環境問題を、日本との対比の視点で書き続けている人。「脱原発を決めたドイツと、原発を捨てられなかった日本」をテーマの執筆者として最適の人だろう。同じテーマの著書に、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「脱原発を決めたドイツの挑戦」などもあるようだ。

この書の問題意識が、宣伝文句に的確にこう語られている。
「世界中に大きな衝撃を与えた…福島原子力発電所の事故、その衝撃を最も深刻に受け止めたのは、日本人ではなくドイツ人だった!」「なぜ日本から1万キロメートル離れたドイツが、大胆なエネルギー転換に踏み切ることができ、深刻な原子力災害を経験した日本が、ドイツのような本格的なエネルギー転換に踏み切れなかったのか?」

まったく日独の原発に関する意識の格差は対照的だ。日本では、愚かな首相が、東京オリンピック招致のために、事故後の放射性廃棄物の環境への流出について「アンダーコントロール」と言ってのけた。なんの知識もなく事実の確認もないままの、世界に発信された大きな嘘。そんな口先だけの政治家が、まだ首相を続けているのだ。

事故後7年を経て、廃炉の見通しさえ立っていない。「アンダーコントロール」どころか、廃棄物処理の方針もない。にもかかわらず、原発再稼働が順次実行されている。さらには、自国でコントロールができない原発プラントの他国への売り込みまで熱心に行われている。なんということだ。この国は没道義の国になり果てている。

地震国日本での原発の容認と、地震のないドイツの原発の拒否。その対比は、文化史的に興味深いテーマといえよう。この書では、原発推進派だったメルケルは、フクシマの事故後、率直に自らの政策を反省して転換し、脱原発派に「寝返った」。このことは、彼女の資質でもあろうが、そのような政策転換なくしては、対立政党に政権を奪われるという、世論の動向があったという。特に「緑の党」の存在の重みが語られている。

「原発は安全」という神話は崩れた。ドイツに似た資質を持っている日本国民が設営する設備での事故は、ドイツに衝撃だったという。安全のためには、エネルギーが高価になっても良いという国民合意が形成されているともいう。原発でも化石燃料でもなく、環境に負荷とならない再生可能エネルギーを。これがドイツの世論であり、政策であるという。

この書の第1章が「ドイツ人に強い衝撃を与えた福島事故」となっている。その最初の見出しが、「NHKでは遅れた爆発映像」となっている。この記述は、私にとって衝撃だった。

事故翌日の3月12日、日本国外のテレビやインターネットの世界では、既に1号機の建屋が爆発する瞬間の映像が繰りかえし流されていた、という。この衝撃が大きかった。ドイツだけでなく、英国のBBC、米国のCNNもこの映像を流していた。ところが、肝腎のNHKだけがこの映像を放映していなかった。著者がドイツで見たリアルタイムでのNHKの放送では、アナウンサーが「福島第一原発で爆発音がして、建屋の天井の一部が崩れたという情報があり、確認中」という原稿を読んでいたという。しばらくして、NHKは1号機の爆発後の写真を放映したが、爆発の瞬間の動画は流さなかった。

世界がリアルタイムで見ていた爆発の衝撃画像は、福島中央テレビが撮影したもので、NHKは撮影に成功していなかったという。だから、NHKを見続けていた多くの日本人は衝撃映像の目撃者とならなかった。日本人の目には、外国の反応が過剰と映ったわけがあったのだ。

12日午後5時47分の枝野幸男官房長官会見も、「何らかの爆発的事象があった」という、“奥歯に物がはさまったような発表”となっていたという。

この書には、日独間のパーセプションギャップ(意識の隔たり)が頻りに語られるが、その原因の第一が、情報のギャプである。世界に配信されたこの爆発シーンは、「石橋を叩いて渡るような政府の公式発表や、市民に不安を与えまいとする『安心報道』を粉砕してしまった」という。

また、一部の視聴者のこととして、政府とNHKの『安心報道』の姿勢を「これでは大本営発表をそのまま流しているようなものだ」「日本政府の情報は信じられない」という批判が紹介されている。

3月12日の時点では、政府の公式声明のなかでは「炉心溶融(メルトダウン)」という言葉すらタブーになっていた、とも言う。
NHK出身の著者は、さぞかしもどかしい思いであったろう。

一方、ドイツのメデイアには「安心報道」の配慮はまったくなかったという。悲観的情報、悲観的予測があふれていた、と紹介されている。おそらく、地元日本は情報において世界から孤立していたのだ。

3月10日一夜にして10万人の死者を出した東京大空襲被害も、もとをただせば聖戦と欺された国民の侵略戦争加担が原因となっている。大本営発表さながらの、原発安全神話に欺されたところから、3・11原発被害も生じている。そして、事故後も安全神話の延長としての《安全報道》が、原発への厳格な国民的批判を温いものとしてしまっている。ドイツに倣って、日本国民も政府やメディアが誘導する《安全神話》や《安全報道》に、もっと懐疑的でなければならない。

最終章に、著者の結論めいた記述がある。ごもっとも、というほかはない。
「ドイツ語には、《政治の優位》という言葉がある。これは、民意を反映する政治が、経済や科学技術など他の分野に優先するという意味だ。ドイツ人たちは、福島事故後の脱原子力決定によって、この国に《政治の優位》という原則が生きていることを、全世界に対して示した。つまり原子力技術の専門家たちが、「ドイツの原子炉は安全であり、直ちに停止するべき理由はない」という結論に達しだのに、メルケルは原発全廃を求める倫理委員会の提言を採用した。彼女は「木よりも森を見て」、原発全廃が公益にかなうと判断した。
メルケルは、この決断によって《政治の強さ》を示した。市民の代表が行う政治の決定が、企業や科学者、技術者の意思よりも優位性を持っているのだ。
我々日本人が一番最初に行うべきことは、民意を反映する政治を実現し、《政治の優位》を回復することではないだろうか。」

(2018年3月11日)

12月23日・A級戦犯処刑の日に。

本日、12月23日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において死刑の宣告を受けたA級戦犯7名が処刑された日として記憶される。69年前の今日のことだ。

判決が言い渡されたのは、同年11月12日。刑の執行の日取りについて特に定めはなかったが、皇太子明仁の誕生日を選んでの執行と伝えられている。

GHQと極東委員会は、諸般の事情や思惑があって天皇(裕仁)の戦争責任訴追はしないこととしたが、連合国の圧倒的世論は天皇(裕仁)の戦争責任追求を求めていた。A級戦犯7名の死刑の日を次期天皇の誕生日としたのは、国際世論との関わりがあるのだろう。将来の天皇の誕生日の都度、日本国民に日本の戦争責任を想起させる意図は当然あっただろう。あるいは、天皇に代わっての戦犯たちの死の意味を、国民に突きつけたいとしたとも考えられる。

「平和に対する罪」など、55の訴因で裁かれて死刑の判決を受け執行された7名は以下のとおりである。
東條英機 – 総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃)
板垣征四郎 – 陸相・満州国軍政部最高顧問・関東軍参謀長
木村兵太郎 – ビルマ方面軍司令官・陸軍次官
土肥原賢二 – 第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
武藤章 – 第14方面軍参謀長
松井石根 – 中支那方面軍司令官(南京事件)
広田弘毅 – 唯一の文民(南京事件の残虐行為を止めなかった不作為の責任)

1978年に至って、靖国神社はこの7名に獄中死の下記7名を加えた14名を「昭和殉難者」として合祀した。この14名は、いずれも戦死者でも戦病死者でもない。死亡の理由は「法務死」とされている。広田弘毅に至っては軍人軍属でさえなく、軍への協力死でもない。

梅津美治郎
小磯国昭
白鳥敏夫
東郷茂徳
永野修身
平沼騏一郎
松岡洋右

当時の皇太子はその後40年を経て天皇となった。本日は、その地位に就任して29回目の天皇誕生日である。今日、A級戦犯の刑死はさしたる話題にならず、もっぱら明後年(2019年)の天皇の生前退位だけが話題である。GHQと極東委員会の思惑ははずれたことになるのだろうか。しかし、今日は昭和天皇の戦争責任を考えるとともに、国民精神を戦争に動員した天皇制の危険性について、思い語り合うべき日であろう。

その天皇(明仁)は昨日(12月22日)記者会見をした。自身の退位日が2019年4月末に決まったことに関して、「このたび、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います。」と話したという。

「私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。」を翻訳すれば、「内閣も国会も、天皇への忖度ありがとう」「私が一言メッセージを発したら、皇室典範特例法を作って私の退位の希望を叶えてくれたことに感謝」ということだ。国政に関する権能を一切有しないはずの天皇の「実力」に触れた大いに問題ある発言。

さらにおおきな問題は、「象徴としての務め」だ。本来、「象徴」とは存在するだけのもの。「務め」も、「努め」も不要なのだ。天皇が自分で天皇のあり方を解釈し、ひとり歩きするようなことを憲法は想定していない。

国民意識の中に、次第に天皇の存在感が増しているのではないか。このことに、不気味さを禁じえない。
(2017年12月23日)

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