澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

政治とカネの関係を糺そう。カネで攪乱されることのない真っ当な政治の確立を。

本日(9月30日)、東京地検特捜部は「日本歯科医師連盟」(日歯連)の幹部3人を、「迂回寄付を巡る政治資金規正法違反」で逮捕した。しかし、ザル法ももたまには役に立つではないか、と言ってはおられない。改めて、政治資金規正法について考えてみたい。

選挙戦とは言論を武器とした闘いである。政治戦一般も同じことだ。候補者や政治家のそれぞれの陣営が、有権者に対して言論で働きかけ、「我が陣営こそ有権者に利益をもたらす政策をもっている」「そしてそれを確実に実行する」と力説して有権者からの支持を競い合う競争をしているのだ。運動の主体は候補者個人であるよりは各候補者を取り巻き支持する有権者集団であり、勝敗の審判は有権者の投票として現れる。

選挙戦の武器は言論に限られる。これが民主主義の公理としてあるルールだ。カネはその最大の攪乱要素である。政策の優劣ではなく、選挙資金の多寡で投票結果が決まり、議席が左右されるとしたら…トンデモナイ事態ではないか。とはいうものの、実は現実の政界は、とりわけ保守政界は、トンデモナイ事態になっていて、ここから抜け出せない現実にあることが公知の事実となっている。

たとえば、「規制緩和を目指して官僚と闘う政治家」に、行政からの規制に服する立場にある事業者から8億円ものカネが提供されたりするのだ。げに、民主主義の敵はカネである。カネに汚い政治家と、カネで政治を操ろうと陰でうごめくスポンサーと。このような輩がはびこって、害虫さながらに完全な駆除はなかなか難しい。

これを規制しようというのが政治資金規正法なのだが、これがザル法であることは天下に周知の事実である。この法律の理念はとても良く書けている。しかし、所詮はこの法をザルにした選挙で議席を得ている政治家たちが作った法律。ザルの目は粗く大きい。

本日の日歯連幹部3人の逮捕は、「迂回寄付を巡る政治資金規正法違反」容疑とされているが、「迂回寄付禁止違反罪」という犯罪構成要件があるわけではない。規制法の量的規制を脱法しようとして、不自然な迂回寄付の形式をとったが、その実質において「虚偽記載」であり、「量的制限超過」として同法違反になると認定されたのだという。やや分かりにくい。

被疑事実は、被疑者らにおいて「2013年参院選の際、日歯連が組織候補として擁立した石井みどり参院議員(自民)=比例代表=の関連政治団体『石井みどり中央後援会』に対して同年1月と3月に2回、日歯連から政治団体間の年間寄付上限額(5000万円)を超過した合計9500万円を寄付。さらに、うち5000万円については同年1月23日に西村正美参院議員(民主)=比例代表=の関連政治団体「西村まさみ中央後援会」に寄付し、石井後援会に同日、同額を寄付した。これが「迂回寄付」に当たり、政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたとされている。」(毎日)

よく読めば分からないでもないが、あまりに回りくどい。文章を読む意欲を失う。犯罪をもっと厳しく取締り、分かり易くするための法改正が必要だ。ザルの目を限りなく小さくする、あるいは目を塞いでしまおうということだ。

これも毎日新聞に、二人の有識者のコメントが紹介され、はからずも意見が一致している。私も大賛成だ。
「政治資金制度に詳しい神戸学院大の上脇博之教授(憲法学)は、04年の事件を踏まえ、『前回の事件をきちんと反省していない表れだ。(支援する候補を)当選させるために(資金が)いくら必要かをまず考え、それを実行するために、あの手この手を使って法の網をくぐり抜けようとしたのだろう』と組織としての問題を指摘。その上で政治資金規正法のあり方について、『企業・団体献金をまず禁止して、迂回献金についても厳格に制限すべきだ』と話す。」

「税理士の浦野広明・立正大法学部客員教授(税法学)は『政治活動が厳しく制限されている日歯のような団体が、政治団体(日歯連)を使って政治的な活動をしていること自体が問題。企業・団体献金という制度があるから事件が再び繰り返された。廃止を検討すべきだ』と話した。」

現行法は日歯連から政治家への寄付を認めたうえで、寄付の金額を規制している。これがよくない。企業や団体からの献金を認めていることが、ザルのザルたる所以なのだ。企業(株式会社や企業連合)献金も、団体(労組・業界団体)献金も禁止しなければならない。そうすることによって、日歯連から流れ出たカネが直接に石井後援会に入ろうが、いったんどこかの団体を経由し、いくつかの流れに分岐して迂回して政治家の手に渡ろうが、金額の多寡を問うこともなく、すべてアウトになる。つまり、政治資金や選挙資金は、個人の献金に限るとするのだ。個人のカネだけが浄財。もっとも、大金持個人が政治を左右することのないよう、現行法のとおりに年間の寄付額の上限を定めておく必要はあろう。

考えてもみよ。日歯連からの9500万円のカネの出所の源は、日本中の歯科医の懐ではないか。日本中の歯科医がこぞって自民党を支持しているはずがない。歯科医から強制徴収した金を、日歯連の財政とし、これを自民党や自民党候補の後援会の資金に回すなど、歯科医一人ひとりの思想良心・政治信条を侵害する所為ではないか。

政治資金の拠出は有権者個人に限る。政治資金の拠出はいかなる形でも強制されてはならない。そして、誰の目にも政治資金の動きが明瞭になるように、時を移さず公開すべきことが要請される(現在は、年1回の収支報告で足りる)。こうして、透明性を徹底することによってはじめて、カネが政治を支配する現状を変えていくことができる。これは世直しといってよい。

そしてもう一つの問題点。政治資金の貸付が、いまはエアポケット同然の規制外に放置されている。だから突然、スポンサーから政治家に8億円もの闇の金が渡ったことが明るみに出て、世間を驚かせることになる。この巨額のカネが、政治資金規正法に基づく政治資金収支報告書にも、公職選挙法上の選挙運動費用収支報告書にも、まったく記載がないことが咎められない。この法の不備を、整備しなければならない。

企業・団体献金の禁止と政党助成金制度の廃止。この二つが、政治とカネの関係を正常化する二大テーマなのだ。そして、政治資金・選挙資金の貸し付けの規制についても、しつこく主張し続けよう。
(2015年9月30日連続913回)

「民主主義が死に瀕した9月17日」この日の怒りを忘れてはならない。特別委員会「採決不存在」にこだわり続けよう。

9月25日午後1時。醍醐聰さんと私とで、「安保関連法案採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」の署名32,101筆を持参して、山﨑参院議長と特別委員会鴻池委員長の各議員事務室に赴いた。もちろん事前のアポを取ってのことである。醍醐さんの事前のアポは、ファクスで残されている。鴻池議員宛の文面は以下のとおり。

参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」
委員長 鴻池祥肇様
   申し入れ文書と署名提出のご連絡と面会のお願い
 先ほどお電話をし、金子様に応対いただきました東京大学名誉教授の醍醐聰と申します。
 このたび、私どもは9月17日の参議院安保特別委員会で行われたとされる5件の採決(いわゆる「安保関連法案」の「採決」を含む)は参議院規則で定められた表決等に関する規則に照らして種々、大きな問題を孕んでいると考え、貴職ならびに参議院議長・山崎正昭様宛に書面で申し入れをさせていただくこととしました。
 つきましては、先ほどのお電話でお伝えしましたように、急なお願いではありますが、明日、9月25日の午後1時過ぎに貴職の国会事務所へ有志の内の2,3名(今のところ、澤藤統一郎と醍醐聰)が出向かせていただき、申し入れ文書を提出させていただきたく、お願いいたします。
 なお、私どもは9月21日以降、この申し入れについて賛同署名を募りましたところ、本日9月24日13時の時点で2万6千筆を超える賛同が寄せられました。明日、これらの名簿も併せて提出させていただきたいたいと考えております。
 また、貴国会事務所に出向かせていただきました折には、短時間の面会もお願いしたく、ご検討をお願いいたします。
    池住義憲(元立教大学大学院特任教授)
    生方 卓(明治大学准教授)
    浦田賢治(早稲田大学名誉教授)
    小野塚知二(東京大学・経済学研究科・教授)
    奥田愛基(SEALDs)
    小中陽太郎(作家・ジャーナリスト)
    澤藤統一郎(弁護士) 
    清水雅彦(日本体育大学教授)    
    醍醐 聰(東京大学名誉教授)
    高麻敏子・高麻亘男(自営業)        
    藤田高景(村山首相談話を継承し発展させる会・理事長)
    森 英樹(名古屋大学名誉教授)

以上のとおり、アポの趣旨は明瞭である。署名の内容を摘記して、これを提出したい旨明記してある。電話番号もファクス番号も伝えている。にもかかわらず、9月25日約束の時刻に参議院議員会館の鴻池事務所に赴いた私たちは意外な「お・も・て・な・し」を受けた。鎌田亘顕(かまだひろあき)秘書は、「申入書だけは受けとるが、署名簿は受領してよいものかどうか判断できない。議員本人の判断を得るまで、お預かりできない」という対応に終始したのだ。「署名簿など受けとりたくはない」という態度が見え見えだった。

署名者の数は、わずか5日間で32,101。メディアも組織も介さない、メールの鎖で繋がった市民の一人ひとりの怒りや憂いや望みが、集積されて3万2000を超えたのだ。期限を区切って5日間としたのは、会期が終了する以前に議長と委員長とに提出しようとのことだったからだ。

この緊急の署名を鴻池事務所は受領せず、「いまは議員本人が不在なのだから署名を受けとる判断は私にはできない」と繰り返すのみ。「では今日中に議員と連絡を取っていただきたい」というと、「週明けにならなければお返事はできない」。やむを得ず、私の名刺を渡し、秘書氏からの名刺をもらって議員本人の指示を仰いだ上での回答期限を9月29日(本日)とした。回答の方法は鎌田秘書から澤藤の事務所に電話をいれることと約された。

ここまでが、9月25日の話。そして週明けの昨日と今日、当然に鴻池事務所から連絡があるだろうと待ち続けた。署名を受けとるとなれば、追加分を含めて議員の手許に持参しなければならないと思ってのことだ。

28日月曜日、何の音沙汰もなかった。本日29日午後4時になっても何の連絡もない。やむなく、こちらから電話をしてみた。女性職員が電話に出た。
「弁護士の澤藤と申します。秘書の鎌田さんをお願いします。」
『鎌田は本日は地元におりまして、事務所にはおりません。』

(えっ? いったいなんだ、それは。)
「25日にそちらに伺った者で、そのとき持参した署名簿を受領するか否かのお返事を29日までにいただけるということで、電話をお待ちしていたのです。連絡が取れませんか」
『折り返し電話をさせるよう伝えます』
私の電話番号を伝えて、
「4時半まで待ちますので、よろしくお願いします。」
といったん電話を切った。

4時18分に、鴻池事務所から電話がかかって来た。鎌田秘書からではなく、女性職員が次のように述べた。
『直接に鎌田とは連絡が取れませんでしたので、事務所としてお返事いたします。
申入書は受領いたしました。
しかし、署名簿は受領しません。
既に本会議も終わっている現在、この署名は鴻池が受領すべき内容ではないと思われます。鴻池ではなく、参議院なり、別のふさわしい機関に提出をしていただくようおねがいします。署名簿と言えば、大事なものですから、そのようにお願いいたします。』

「それは、鴻池さんから直接のご指示ですか。」
『そうです。議員から下りてきたものです。』

「鴻池さん、申入書には目を通されたのですか。」
『見ています。』

「いつご覧になったのですか。」
『25日から、今日までの間のいつかだと思います。』

「ちょうど『金帰火来』の期間にあたりますが、地元にいらっしゃっていたのではありませんか。」
『いえ、ずっと東京におりました」

「そちらからお電話いただけるということでお待ちしていたのですが、私が電話をしなければすっぽかされるところだったのでしょうか」
『内部の連絡態勢が悪くて申し訳ありません』

ざっと以上のやり取りで、これ以上の会話の継続は無駄と判断した。
鴻池議員には、国民の声に耳を傾けようという誠実さがない。彼に多少なりとも、議員として国民の声に耳を傾けねばならないという真摯さがあれば、署名簿を受領すべきであった。異論はあっても、耳に痛い批判でも、議員たる者は国民の声を誠実に聞く耳を持たねばならない。

電話とファクスによる事前のアポで、どのような署名を持参するかは伝えてあるのだから、受けとるべき署名であるか否かの判断がつかないはずはない。筋違いの署名であればともかく、議会制民主主義の根幹に関わる事態についての国民の批判ではないか。これに聞く耳を持たないとは、言語道断。恐るべき、聞く耳もたずの議員というほかはない。

繰り返すが、われわれがこの署名活動を急いだのは、会期内に持参しようとしてのことである。会期末が27日だから、25日午前10時で署名を締めて、集計して持参した。ところが、このときには受領せず、グスグスしておいて、あとになって「本会議は終わったから受領できない」とは何ごとか。

意見はいろいろ異なるところはあるだろう。言い分もあるに違いない。その意見を堂々と述べれば議論になる。ところが、「本会議は終わったから」では、議論を逃げたことにしかならない。こういう小ずるさ、姑息さは、意見の相違以前の問題として批判されねばならない。委員長として問答無用で、意見を封じた体質が滲み出ているのだ。

鴻池議員は、「もう本会議は終わった」「あの『強行採決』も過去のもの」とうそぶいているのだ。何度でも繰り返そう。国民にとって何よりも大切なことは、この違憲の法案審議が突然打ち切られて、暴力的に採決があつたとされてしまったこの事態を記憶し続けることだ。法案の廃止に向けてどんな対策を構想するにせよ、その原点にある法案審議の暴力を忘れず記憶し続けることだ。採決があったとされているあの混乱の事態が立憲主義と民主主義とそして平和主義を壊したのだ。決議など不存在、あったのは騒然たる混乱と自民党の「だまし討ち」の暴挙だけだ。

このことをけっして忘れず、こだわり続けよう。
(2015年9月29日・連続912回)

新宗教新聞1面に「安保法案 強行採決に反対、抗議」の記事(4面に「DHCスラップ訴訟」も)

いつものように、新宗教新聞(2015年9月25日号)が届いた。紙面に目をやって、多少の驚きと感動を禁じ得ない。

第1面が、「安保法案 強行採決に反対、抗議」の大見出しの記事と、「新宗連声明『立憲主義 根底から揺るがす』」という「安全保障関連法案の参議院強行採決に対する声明」の紹介・解説で埋めつくされている。

新宗連は、政教分離問題でこそ政治と関わらざるを得ないが、それ以外のテーマでは政治色を押さえた姿勢だったはず。その主張は、どちらかと言えば革新色であるよりは保守色が濃厚との印象だった。ただ、命を大切にする宗教者の立場から平和や人権問題に真面目に取り組んでいるという姿勢を好しく見ていた。

その新宗連が、第1面のほぼ全部を、安保法案強行採決に抗議の記事にした。その大要は以下のとおり。
「安全保障関連法案が9月17日午後の参議院平和安全法制特別委員会、翌18日の本会議で与党ほか賛成多数で可決された。新宗連は19日、保積秀胤理事長名で『安全保障関連法案の参議院強行採決に対する声明』を発表。採決を『わが国の最高法規である日本国憲法の規範性を毀損するもの』と憂慮し、立憲主義の危機を訴えた。今回の参議院採決に前後して、宗教界から反対声明が相次いで発表された。
 立正佼成会は9月19日、『安全保障関連法案可決に対する緊急声明』を発表。冒頭で『多くの国民が本法案に反対するなかでの強行採決は、誠に遺憾』と述べ、政府に対していかなる外交問題にも『安全保障関連法で容認された武力行使を回避し、対話による信頼醸成に基づく平和的解決に向けて、最大限の努力をするよう強く要望いたします』と訴えた。
 このほか、宗教界からの安保法案及び強行採決に対する抗議声明・見解は17日に日本バプテスト連盟理事会が、18日に日本福音ルーテル教社会委員会が発表。また、19日には真宗大谷派(東本願寺)が里雄康意宗務総長名で、日本カトリック正義と平和協議会は勝谷太治会長名で発表した。」

8月30日の総がかり国会包囲大行動の模様を伝える記事の中に、「メーンステージの国会正門前には『南無妙法蓮華経』と『南無阿弥陀仏』ののぼり、創価学会の三色旗もはためき、僧侶や創価学会員が一般参加者とともにシュプレヒコールを繰り返した。…『宗教者九条の和』を代表し宮城泰年聖護院門跡が法案反対を訴えた」とある。

新宗連の「安全保障関連法案の参議院強行採決に対する声明」を紹介しておきたい。
「新日本宗教団体連合会は、日本の行方に大きな影響をもたらす安全保障関連法案が、参議院特別委員会で強行採決され成立したことに対し、わが国の最高法規である日本国憲法の規範性を毀損するものと深く憂慮いたします。国民主権を定める憲法のもと、正規の憲法改正手続きを経ず、政府による『解釈改憲』によって国の基本政策を大きく変えることは、わが国の立憲主義を根底から揺るがすものといわざるを得ません。
 同法案については、多くの憲法学者から『憲法違反』となることが指摘され、また、内閣法制局長官経験者からも『憲法違反』との指摘がなされました。しかし、国会審議では国民が納得する説明がなされず、さらに審議の結果、法文の定義、解釈が不明確であることが判明するなど、数々の問題を有していることが明らかになりました。こうしたなかで『良識の府』、参議院においても採決が強行されたことは、与野党による広範な議論と合意によって成案を得る議会制民主主義を破壊するものであります。
 政府及びすべての国会議員に対して、戦後、わが国が培ってきた自由と民主主義、それを支える立憲主義が政府の『解釈改憲』によって二度と損なわれることがないよう、重ねて強く訴えるものであります。
       平成27年9月19日
         新日本宗教団体連合会
          理事長 保積 秀胤」

真面目に社会と関わろうする姿勢を持ち、真面目にものごとを考えようとする集団は、必然的にこのような政権批判の声明を出すことになるのだ。かつては、「真面目な集団=反自民」ではなかった。しかし今や、宗教団体でも平和団体でも、女性団体でも消費者団体でも、「真面目な集団=反安倍政権」の図式が確立していると考えざるをえない。新宗連がそのよい実例ではないか。願わくは、この姿勢をぜひ来年夏の参院選挙まで持続して、安倍政権の追い落としに力を貸していただきたい。
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同じ、新宗教新聞の4面に私の名前が出ていた。
9月11日の全国霊感商法対策全国弁連(事務局長・山口広弁護士)全国集会の紹介記事。スラップ訴訟ミニシンポでの私の発言が次のような記事になっている。
「澤藤統一郎弁護士は、健康食品会社DHCが渡辺喜美・みんなの等代表(当時)に8億円を貸し付けたことをブログで批判。現在、同社から損害賠償を求める提訴を受け、係争中であることを説明した。スラップ訴訟の対応策に、『萎縮しないこと、却下を求めること、反訴を認容させること』などを挙げ、言論の自由を奪うスラップ訴訟を抑える立法に向かうべきと方針を示した」

私は、スラップ訴訟という言葉を社会に浸透させたいと思っている。そして、スラップを恥ずべき行為であり、訴訟の原告を恥ずべき人物・企業と指弾する世論をつくりたいとも願っている。その恥ずべきスラップの常連企業としてDHCの名が、至るところで話題となることを熱烈に歓迎する。新宗教新聞には、感謝を申しあげたい。

が、この記事だけだとややインパクトを欠く。DHC・吉田嘉明からの損害賠償請求額が6000万円だと具体的な金額を挙げていただけたら、もう少し世間に注目したいただける記事になったのではなかろうか。また、「係争中」はそのとおりだが、原告(DHC・吉田)全面敗訴の一審判決が既に出ていることも、DHCは同種他事件でも敗訴続きであることなども書いて欲しいところではあった。ここまで、書いていただけたら、被告にされた私の気持ちも晴れやかになるのだが。
(2015年9月28日・連続911回)

無責任な「中国脅威論」への説得力ある反論

同窓の村田忠禧さん(元横浜国大教授)から、「データに基づく『中国脅威論』批判」という興味深い未発表論文をメールでいただいた。小さな文字でA4・10頁びっしりというかなり長文のもの。ごく一部を摘出して概要をご紹介したい。

安倍政権は、最後まで戦争法案の立法事実を示すことができないまま、「採決を強行」した。が、この間「安全保障環境の変化」「日本を取り巻く国際環境の変化」は、再三強調された。そして最終盤に至って中国脅威論を公言するようになった。そこでは、近年の中国の国防費の伸長が語られた。村田論文は、この「国防費の伸長を根拠とする中国脅威論」に対する批判である。時宜を得た重要なものだと思う。どこかの雑誌に掲載してもらいたいと思う。

この論文の基本的立場は、小見出しを拾い出して、「事実に基づく判断の必要性」「中国の軍事費の増大は異常なのか」「経済発展と並行して考察すべき」「『防衛白書 2015』の恣意的な分析」「これから中国は軍事大国の道を歩むのか」「平和と発展こそ時代の潮流」とつなげると、ほぼご理解いただけるものと思う。

政権や右翼が喧伝する中国脅威論は、「9月1日付け『朝日新聞』に「安倍晋三首相が安全保障関連法案を審議する参院特別委員会で『中国は急速な軍拡を進めている。27年間で41倍に軍事費を増やしている』と述べた」(同論文からの引用)という如くのものである。この安倍答弁の数値の出所は「防衛白書2015」であるが、村田論文は、その数値操作のからくりを明らかにして、「客観的姿勢に欠けた、きわめて恣意的な情報操作であり、中国脅威論を煽る安倍政権の体質をよく表現している。」と言う。

この安倍答弁の対極に次のような見解があるという。

自衛隊陸上幕僚長を務めた経験のある冨澤暉氏は近著『逆説の軍事論』(バジリコ出版、2015年6月刊)において日本で盛んに喧伝されている「中国脅威論」の誤りを次のように指摘している。
「第一に、中国の軍事力を総合的に捉えずに、断片的な情報で判断していることです。例えば、中国の軍事費は20年近く10%以上の伸びを続けているという情報だけで動揺し、冷静な判断力を失ってしまう。私が自衛隊に入隊した1960年から1978年まで、わが国の防衛費も10%以上の伸び率で増加していました。(1968年だけは9.6%ですが四捨五入で10%とします)。私はまさに、その最中にいた者ですが、我が自衛隊が軍拡しているという実感を味わったことは一度もありませんでした。また、外国から『日本は軍拡しており、けしからん』と非難された記憶もありません。『自衛隊の予算も少しはよくなったものだ』と感じるようになったのは、1982年頃からの数年でしたが、当時の防衛費の伸び率は5~7%程度だったと思います。経済の高度成長期には、どんな数字も伸びるものです。その数字の背景や中身がどのようなものかを確かめてから議論しなければ何もわかりません。」(126~7頁)
安倍首相をはじめ、多くの「中国脅威論」を喧伝する面々は、この軍事専門家の意見に耳を傾けるべきではなかろうか。

軍事費の増大=軍備拡張、海外進出と短絡的に捉えると大きな判断ミスを犯す…判断ミスを犯さないようにするには、客観的な判断ができるよう、可能な限り多角的、重層的、客観的、総合的な分析を加える努力が必要である。

この基本姿勢に立って、同論文は、米・中・日・独4カ国の国防費の推移を、多角的、重層的、客観的に検証している。ストックホルム国際平和研究所が発表する各国軍事費のデータによれば、1990年を基準として2014年における国防費の伸びは、下記のとおりであるという。
  米  1.99倍
  中 21.12倍
  日  2.11倍

世銀のPPPレート(購買力平価)に引き直すと、以下のとおりだという。
  米  1.99倍
  中 12.97倍
  日  2.41倍

この間の、各国のGDPの伸びには次のように、著しい差異がある。
  米  2.91倍
  中 32.95倍
  日  2.21倍

日本だけが、GDPの伸びを上まわる国防費の伸びを示していることになる。

その結果、GDPに占める軍事費の割合が、注目すべき数値となっている。
  90年     00年     10年     14年
  米 5.12% 米 2.93% 米 4.57% 米 3.50%
  中 2.53% 中 1.86% 中 2.07% 中 2.08%
  日 0.80% 日 0.97% 日 0.98% 日 0.99%
中国には、経済発展とそれによる国力の伸張に相応した以上の軍事力の拡大は見られないことになる。

なお、GDPに占める軍事費の割合の90年~14年の平均値は、
  米  3.86%
  中  2.02%
  日  0.96%
  独  1.15%
であるという。アメリカが突出した軍事国家であることが明瞭であり、このことは国民一人あたりの軍事費負担(14年)が、次のとおりであるという。
  米  1891ドル
  中   155ドル
  日   360ドル
  独   560ドル

  
14年の一人当たり軍事費を、中国を1とした場合、米国は12.2、日本は2.3、ドイツは3.6となる。もし日本の一人当たり軍事費を「正常」である、と仮定するなら、中国の軍事費は14年の値の2.3倍になっても「正常」の範囲内にあり、大騒ぎすることはないことになる。

軍事費は国土面積の大きさにも関係する。14年の軍事費をそれぞれの国の面積で除した値(1000ha当たり)は次の通りとなる。
  米国62、 中国23、 日本121、 ドイツ130。
  中国を1とすると米国2.7、日本5.3、ドイツ5.7となる。
中国は国土面積では米国とほぼ同じだが、一人当たり軍事費では米国の37%に過ぎない。むしろ中国の国土面積の25分の1ほどしかない日本の軍事費の多さが目につく。もちろん領海をも含めれば得られる値は変わってくるが、大幅な違いにはならないであろう。

  
同論文は、中国の軍事力の質の問題には触れるところがないが、安倍流無責任中国軍拡脅威論には、十分な反論になっているものと思う。

中国は、既に世界第二の大国になった。アメリカをも追い越すときがくる。その軍事力が規模において日本を凌駕するものとなることは、当然のことと受容せざるを得ない。その中国を「脅威」とする視点だけでは、日本の進路の安定は望めない。村田論文は、最後を次のように結んでいる。

「人民解放軍の30万人削減宣言は中国が『平和大国』として発展する方向を示したものと捉えことができる。ただし軍事費の削減は一方的に実現できるものではない。関係する国々が同一歩調を採らないと目標は実現できない。この機会に日本も積極的姿勢を示し、日中の相互信頼関係の回復に役立つ具体的措置を打ち出すべきである。」

「中国の発展は改革開放政策のたまものである。おりしも科学技術革命の進展と経済のグローバル化が全世界的規模で展開される時代と重なった。中国はこの時代の潮流に積極的に対応し、今では世界経済の重要な牽引力、エンジンになっている。隣国である日本は大国となった中国の変化、発展の影響を大いに受ける。中国の発展を日本の発展にとって『脅威』と見るのか、それとも『好機』と見るのか。安易な『軍事脅威論』に惑わされず、時代の潮流をしっかり見据え、事実に即した冷静、客観的は判断をすべきである。」

中国を礼賛するつもりはない。その人権状況には批判の目を向けたいと思う。また、いかなる国に対しても、軍拡に反対する国際世論を形成しなければならないと思う。
しかし、安倍流の中国脅威論の煽動や、これをさらに煽り立てる右翼潮流には、具体的な反論が必要であり、その点で村田論文は貴重なものになっていると思う。
(2015年9月27日・連続910回)

再度の宣言ー「奴らを通すな」「奴らを落とせ」

戦争法「成立」の痛みが身に沁みる。常々、「私の身体の組成は、タンパク質と日本国憲法」などと言ってきた。その憲法が乱暴に破壊されたのだ。身に沁みて痛くもなるわけだ。しかも、最終盤は雨が続いた。雨中のデモに、すっかり風邪を引き込み、今日は近所の診療所に駆け込んだ。安倍政権の暴走の被害は、我が身に直接およんでいる。

国会の外にある民意と、議会内の議席数が明らかにネジレた事態だった。常識を弁えた政権であれば、無理を通すことはしなかっただろう。これだけ反対があるのだから、法案を出し直すか、修正案を探るか、次期に回すか。妥協の道を考えるのが当たり前。

ところが、安倍政権の考え方は、「今にして、これだけ反対があるのだから、時間を経過すればもっと反対の声が大きくなる。今強行突破するしかない」というものだった。民意に基づく政治という姿勢の片鱗ももちあわせていない。「法案が成立したあとに、国民の皆さまには丁寧なご説明をする」という前代未聞のセリフに、あきれ果てた。この恨みを晴らすには、安倍政権与党の議席を少数に追い落とすしかない。

まずは、来年夏の参院選での違憲立法加担者落選運動だ。落選運動が選挙運動にあたり、事前運動としての取締対象となるのではないかというご心配はご無用だ。「憲法を蹂躙した議員を落選させよう」という運動は、今日からでもできる。名指しで、「憲法をだまし討ちにした鴻池祥肇を落とせ」「佐藤正久を落選させよう」「竹谷とし子(公明)を通してはならない」「浜田和幸(次世代)・松田公太(元気)に議席を与えるな」と公言していっこうに差し支えない。

もちろん、デモでシュプレヒコールをしてもよいし、街頭で拡声器で叫んでもよい。ビラを撒いてもよい。各団体の機関紙・誌に掲載してもよい。戸別訪問したってよいのだ。ネット運動も、大いにけっこう。たとえば、落選運動ターゲット議員の金銭スキャンダル一覧表をサイトに掲載するなどは、法の精神に適合した立派な政治浄化運動だ。

弁護士が、その実務法律家としての職能を生かす形で、落選運動に乗り出そうという話しが進んでいる。その中心にいるのが、政治資金オンブズマン運動を長く続けてきた大阪の阪口徳雄君。政治資金オンブズマンは、政治とカネにまつわる問題で、多くの政治家を刑事告発し、あるいは大きくマスコミに公表するなどの経験を積み重ねている。この経験を生かして市民運動体の落選運動に役立てようというのだ。

彼を中心に、「安保関連法賛成議員を落選させよう・弁護士の会」(仮称)を結成しようという呼びかけが始まっている。略称を「落とそう会」とでもいうことになるだろう。

とりあえずは来夏の参院選だ。参議院議員として、戦争法案に賛成した、自・公・次世代・元気・改革の議員の中で、来年7月に6年の任期が満了して、「選挙区」から立候補しようとしている者がターゲットだ。余裕があれば比例区議員にもターゲットを広げる。市民主体の落選運動を展開して、奴らを落とそう。そうして、立憲主義と民主主義を回復しよう。

表舞台での正規戦では、堂々たる言論の応酬が行われる。まったくそれとは別の、われらはゲリラだ。違憲議員を落とすことに専念する。ターゲットとした議員を叩いてホコリを出そうということだ。脛の傷を徹底して暴こうということなのだ。非立憲・反民主の議員を叩くことが、同時に政治とカネとのつながりを断って政界を浄化することにもなる。一石二鳥ではないか。

この弁護士の会の目標は以下のとおり
① 落選運動の法的正当性についての確信を有権者に提供し、支えること、
② 賛成議員に関する情報公開請求や告発等の法的手続で落選運動団体や市民の活動を支援すること、
③ 有権者の落選運動において具体的な問題が生じたときに法的なアドバイスやサポートをすること、
④ 会自身も、また会員も落選運動に参加すること

具体的な行動としては
①  各落選運動対象者の政治資金収支報告書や選挙運動費用収支報告書などの公開資料を読み込み、問題点を洗い出すこと。
②  もし違法事実や不透明な収支が判明すれば、徹底して糾明し可能なものは法的手続を検討すること。
③  各候補者についてのあらゆる情報を交換することにより、落選運動に寄与すること
などを考えている。

この運動は、公職選挙法や政治資金規正法の理念に則った、民主主義運動として意義のあるものである。日本の政治地図を塗り替え、政治にまつわる雰囲気を変える運動にもなるだろう。

多くの弁護士に参加を呼びかけるとともに、多くの市民運動との連携をもって、実効性ある運動を形づくっていきたい。
(2015年9月26日・連続909回)

戦争法案特別委員会決議不存在署名32,101筆を受けとろうとしない鴻池議員の頑なさ

本日、「安保関連法案採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」(メール署名)の束を抱えて、山﨑参院議長と特別委員会鴻池委員長の各議員事務室に赴いた。その署名の内容は、9月21日の当ブログを参照されたい。

9月20日に始まったメールによる本署名運動は、メディアを介することなく組織に頼ることもなく、メールからメールへ、ブログからブログへと、市民の手だけで拡散され拡がった。一応締め切り時刻として設定した本日(9月25日)午前10時までの集計で、31,159筆となった。これに、同旨をプリントアウトして紙ベースでの署名を寄せていただいたものが942筆。合計32,101筆である。

わずか5日間での32,101筆とは素晴らしい数ではないか。メールの鎖で繋がるのは、市民の一人ひとりだ。一人ひとりの怒りや憂いや望みが、一つにまとまって力を得ている。メッセージ欄への丁寧な書き込みも特徴の一つ。

会期内に議長と委員長とに提出しようとのことで、期限を区切っての5日間。初日にして約5000、その後はほぼ毎日7000ほどの署名を得たことになる。あの採決には、多くの人が怒りあるいは憂えて、何か意思表示をしたと考えていたことの証左である。期限後も、しばらくは署名が続くだろう。呼びかけ人としては、これも誠実に再度議長と委員長に届けなければならない。

本日、午後1時、醍醐聰さんと私とメール署名のフォームを作成していただいた事務担当者とでまず会館1201号の山﨑正昭議長を訪ねた。事前のアポで、本日の面会は無理だということだったが、秘書嬢が応接した。醍醐さんから丁寧な趣旨説明の上、手渡しする場面の写真の撮影にも応じていただいた。この間、秘書嬢はにこやかに話を聞いていた。そして、「議員本人にお伝えします」との発言を得て、われわれは部屋を退出した。この間5分と少々だったろうか。至極、常識的な対応だった。

次いで、1001号・鴻池議員の控え室を訪れたところ、思いがけなくもまったく異なった応接を受けた。まずは、事務室の中に招き入れられなかった。硬い表情の女性事務員がわれわれを廊下に待たせたあと、男性の秘書氏が出てきて、われわれを近くのロビーに案内して、そこでの立ち話となった。

秘書氏は、「申入書は受けとるが署名簿は受けとれない」という。
醍醐さんから、「申入書と署名簿とは一体のものだ。申入書には市民有志としか書いていない。この市民有志の名を連ねたものが署名簿だが、一体のもので切り離すことはできない。」「多くの人々の気持ちのこもった大事な署名簿だ。ぜひとも受けとっていただきたい。」「そもそもどうして署名は受けとれないというのか。理由を聞かせていただきたい」。などの要望と説得が繰り返された。

これに対する秘書氏の回答は、「申入書だけはいただいて議員に見せる。」「議員の判断で署名を受けとると言うことになれば、そのときに改めてご連絡して受けとることにする」「私の判断で受けとることはできない」「署名が大事なものだということは分かる。大事なものだからこそ、慎重に判断してから受けとることになる」

私も黙ってはおられない。
「われわれは、憲法16条が保障する国民の公務員への請願権の行使として、申入書を持参している。」「国会議員が国民の声に真摯に耳を傾けるべきは当然の義務ではないか。」「耳に快い意見だけでなく、痛い意見にも聞く耳を持たねばならないだろう」「あなたは、鴻池議員から国民からの意見はブロックしろと命じられているのか」「私は、思想はともかく人間味のある人として、鴻池議員には多少の親近感を持っていたが、こんな応対をされたのでは考えが変わる。」「鴻池さんを国民の声を聞く姿勢のない議員として、署名者や協力者に説明をしなければならない。それでもよいのか」「議員は来年が改選期になってはいないようだが、その3年後には落選運動のターゲットにもすることになる。」

件の秘書氏は、「どう思われても、なんと言われてもけっこうだ」「ともかく、申入書だけについては受け取る。署名は受けとらない」「いまは議員本人が不在なのだから署名を受けとる判断は私にはできない」と繰り返すのみ。

やむを得ず、「では今日中に議員と連絡を取っていただきたい」というと、「週明けにならなければお返事はできない」。そこで、私の名刺を渡し、秘書氏からの名刺をもらって29日(火)までに返事をもらう約束とした。

最後は、「これが、受けとっていただくために持参した3万2101筆の署名簿の綴りだ。ご確認いただきたい」と見せておいて、「たいへん不愉快な体験をさせていただいた。鴻池議員については、国民の声を聞こうとしない議員であると、これからは公言することになる」と言い残して別れた。醍醐さんも、「普通の社会における言葉や論理が通じない」と憮然たる表情。このような人が議員で、あのような議事運営をする人なのだ。

なお、渡された名刺には、「参議院議員鴻池祥肇秘書 鎌田亘顕(かまだひろあき)」と記されていた。

午後2時から、衆議院第二議員会館で記者会見。醍醐さんと私から、山﨑・鴻池両議院の対応を報告し、小中陽太郎・清水雅彦・生方卓・藤田高景の各氏からスピーチがあった。なお、この運動の呼びかけ人は、記者会見出席者以外にも、池住義憲・浦田賢治・小野塚知二・奥田愛基・高間敏子・高間亘男・森英樹の諸氏。

醍醐さんの力のこもった以下の発言が印象に残った。
「この法案は、あんな無様なやり方で成立したとされています。しかし、私たちはあんなやり方を認めてはならない。法は既に成立しまったと諦め、認めてはならない。強行採決がなされたというのは不正確で、採決は不存在だとこだわり続けたい。何よりも大切なことは、この法案の審議が突然打ち切られて暴力的に採決があつたとされてしまったこの事態を記憶し続けること。いま、この違憲の法律にどう対抗すべきかという議論が重ねられていますが、その原点には常に法案審議の暴力を忘れず記憶し続けることにあると思います」

また、「NHKは、何が起こっているか把握できていないうちに、はやばやと『法案可決』というテロップを流した。現場の記者も、『何が起こったか分からない』と言っているのにです。これは犯罪行為に等しい。この責任を追及してまいりましょう」。もちろん、異存はない。

採決があったとされているあの混乱の事態が立憲主義と民主主義とそして平和主義を壊したのだ。決議など不存在、あったのは騒然たる混乱と自民党の「だまし討ち」の暴挙だけだ。このことをけっして忘れず、こだわり続けよう。
(2015年9月25日・連続908回)

「憲法の季節」から「経済の季節」へー意識的な転換に警戒の目を

さあて、本日(9月24日)は、自民党総裁再選に伴う記者会見の日だ。これを、安保関連法の軋轢と混乱に終止符を打つセレモニーとしなければならない。

憲法の季節は終わりだ。安保関連法のことなど、みんな早くきれいさっぱりと忘れてもらいたい。立憲主義違反だとか、平和主義にもとるとか、非民主的だとか、いろいろ言われたけれど、法案が成立してしまえば、もうこっちのもの。あとは、目立たないところで、制服組と外務省の官僚諸君が良きにはからうだろう。最初から国民を刺激する愚策は講じない。少しずつ、小出しになし崩していくんだ。これが安倍晋三流。

しばらくは、憲法や安全保障の課題を離れよう。この法案審議の中で生まれた、「数々の安倍およびその取り巻きたちの名言集」は見たくも聞きたくもない。一刻も早く忘れたいし忘れてもらいたい。問題は、国民がいつまで覚えているかだ。国民の記憶力、どうせ大したものじゃない。

今日からは、政治を離れて「経済の季節」だよ。国民に憲法改正問題を忘れてもらうには、政権の目標を経済の復興におくことしかないということだ。

とはいえ、どうにも力がはいらない。自分でも、自分の言葉が空虚だと思えてならない。何か、国民にアピールするものが欲しいところだが、そんなうまい話があるわけないから仕方がない。ああ空しい。言葉だけが宙に浮いている。そう思いながらの記者会見だから、迫力に欠けることこの上ない。

ホントなら、東京オリンピックを語って盛り上げたいところだ。だってそのために招致した国民統合のためのイベントだろう。国威発揚の舞台だ。端的に言えば、国民が政権に反抗しないように与えておく娯楽として、これに優るものはないじゃないか。ところが、これはダメだ。使えない。ブエノスアイレスでの招致演説で、「放射能は完全にコントロールされ、ブロックされている」なんて私自身がデタラメ言っちゃったし、その後の国立競技場建設問題も、エンブレムもみんなおかしくなってきた。このネタ、古傷を思い出させて、とても使えない。

それで、苦し紛れの「アベノミクスは第2ステージに移る。『1億総活躍社会』をめざす」なーんちゃって。こういう普通の感覚ではとても恥ずかしくて口にできないことを、堂々と言ってのけるのが、やっぱり総理総裁たる私の器なんだな。

アベノミクスは、このところすこぶる評判が悪い。アホノミクスという揶揄の言葉が定着しつつある。とりわけ、アベノミクスの本丸となる「第3の矢・成長戦略」の成果がまったく見えないではないか、という批判が強い。いつまでも、「もう少し待て」「その内に、地方も良くなる、庶民の懐も暖かくなる」と言って来たけれど、結局は貧困と格差の拡大だけが現実となっているというわけだ。そう言われてもやむを得ないね。そのとおりなんだもの。

だからここで、趣向を変えてみよう。アベノミクスの第3の矢に替えて、「新3本の矢」だ。これぞ、矢のインフレ、デフレからの脱却の術。またの名を安倍流忍法「国民の目先・目眩ましの術」。「強い経済(GDP600兆円)」「子育て支援」「社会保障」だ。少子高齢化の社会に挑戦して、女性の活力も高齢者の労働能力も活用して、強い経済をつくっていこうという呼びかけ。「えっ? いままでそんなことも考えて来なかったの?」と言われると、グサッと胸を抉られる思い。「問題はどうやって実現するかの具体策でしょう? 何か名案があるの?」と聞かれると、グサッグサッと来る。さらに、「安定した財政再建のためとして、庶民増税を実行し、社会保障を削ってきたのは安倍政権じゃないの」などと言われると、グサグサグサッと3本の矢が方向を変えて、私の顔に突き刺さる。

でも、国民のほとんどが私の言うことを素直に聞いてくれるお人好しばかり。NHKや産経・読売のような、政権を批判しないことを身上とする御用メディアが、大いに頼りになる。だから、これでもなんとか持ちこたえられる。

もっとも、話題を経済だけで済ませるわけにはいかない。記者の質問に応じて、「憲法改正は自民党の党是」だと言っちゃった。「改正に支持が広がるように努力を重ねていく」とも述べておいた。来夏の参院選では一応「公約に掲げていくことになる」と言わざるを得ない。ホントは言いたくはなかったのだけど、逃げているように見られるのもみっともないからね。「安倍政権の間は憲法改正の議論はしないというかたくなな態度ではなく、未来の日本、今の日本のために何が必要か勇気を持って(憲法改正の)議論に参加してほしい」と呼びかけたが、まずかったかな。この頃、何もかもうまくいかなくて、さっぱり自信がないんだ。

それでも、これからは「経済問題」を前面に押し出して、ビリケン(非立憲)安倍といわれないように、点を稼がなくてはならない。とりあえずは、来年夏の参院選までが勝負だ。安保関連法案での安倍内閣へのバッシングを国民が忘れてくれるかどうか。そこが勝敗の分かれ目だ。
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戦争法案採決の不存在を主張し審議の続行を申し入れる緊急のメール署名は、醍醐聰さんが提唱し、一昨々日の当ブログでも拡散を呼びかけたもの。
    http://form1.fc2.com/form/?id=009b762e6f4b570b
署名数は本日(9月24日)の17時現在で27,000筆を超えたとの報告である。
    http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-bd74.html
「あんな採決は認めない」という市民の怒りの声を、明日(9月25日)参院議長と特別委委員長に届けたい。私も、醍醐さんに同道する。未署名の方は、ぜひ緊急にお願いしたい。
(2015年9月24日・連続907回)

祝・「法と民主主義」創刊500号

日本民主法律家協会の機関誌「法と民主主義」創刊500号の記念誌が発刊となった。いまは、佐藤むつみさんに編集長をお任せして楽をさせてもらっているが、私も5年ほど編集長を務めている。そんなことで、500号のリードは、私が書いた。本日のブログはこれを転載して宣伝としたい。
 ご注文は、下記のURLから。
   http://www.jdla.jp/

 「法と民主主義」500号の記念特集号をお届けする。
 創刊号から、ほぼ毎月一号ずつを積み重ねての500号到達である。この間半世紀余。編集に携わった者には、いささかの感慨を禁じ得ない。
 本誌は、この間半世紀余の法律家運動を紙面に反映させ続けてきた。積み重ねられた500号は、60年代以後の「平和と民主主義と人権」を目指した闘争の集大成である。それゆえ、本記念号は半世紀を振り返っての民主的諸運動について、とりわけ法律家が何をなしてきたかについての総括という壮大な特集となっている。

 本誌の創刊号発行は、1962年1月である。その前年61年10月に結成された日本民主法律家協会の機関誌として、当時の誌名は組織名そのものの「日本民法協」であった。また、当時は隔月の発行であった。本誌が、単なる機関誌を脱皮したのが第46号(1970年4月号)以後のことである。誌名が改題されて、理念を冠した現題名となった。その新誌名第一号の巻頭には「『法と民主主義』創刊の辞」が掲載されている。以来年10回刊が定着して現在に至っている。今号は、通算しての500号となった。

 よく知られているとおり、日本民主法律家協会は、歴史的な60年安保闘争の昂揚の中から生まれた。安保改定に反対した壮大な国民運動の一翼を担った「安保改定阻止法律家会議」が協会の前身である。当時、戦争の記憶は多くの人々に鮮明で、新たな日米軍事同盟の締結が憲法9条の理念を否定して、再びの戦争の惨禍を日本にもたらす危惧が多くの人に共有された。日本国憲法の理念と日米安保条約の論理との矛盾は、そのまま保守と革新、平和勢力と戦争推進勢力との拮抗を意味するものと認識された。

 安保闘争が、平和と民主主義を求める統一戦線的国民運動であったことの反映として、日本民主法律家協会は多様な法律家運動の統一体となった。こうして発足した協会は、「独立と平和と民主主義を確立し、人権の擁護伸長をはかる」という目的のもと、運動団体であるとともに、運動に資する法的理論団体ともなった。そのことから、「法と民主主義」は、単なる機関誌であることを越えて、運動と法理論を結ぶ、他にない特徴を持つ定期刊行物となった。特に近年は、毎号特集テーマをもつ理論誌として定着している。

 60年安保の国民運動の中で生まれた日民協の機関誌が、創刊55年を経たいま、安保関連法(戦争法)案の廃案を求める国民的運動の昂揚の中で、500号を迎えた。安保に始まり今の安保に至るこの半世紀余。本誌が、この半世紀を「独立と平和と民主主義」を掲げて歩んできたことの意義をあらためて本号で再確認したい。

 本記念号の総合タイトルを「憲法の危機に抗し続けて」とした。改憲を党是とする保守政党による長期政権下、日本国憲法は危機にあり続けた。平和も、民主主義も危機の連続であり、私たちはこの危機に抗してのたたかいを続ける中で、日本国憲法やその理念を私たち自身のものとしてきた。そのようなたたかいの意義と誇りを込めてのメッセージである。

 本号は3部構成となっている。
 第1部「日本国憲法をめぐるたたかいと私たちの課題」は、500号記念誌を飾るにふさわしい3本の論文から成っている。巻頭論文にあたるものが、森英樹理事長の「日民協の『原点』と『現点』」。本誌500号時点に立って、日民協発足の理念とこれまでの法律家運動を振り返って、「原点」と「現点」に通底するものを見極めようとするもの。次いで、渡辺治前理事長の「日本国憲法をめぐる攻防の70年と現在」。法律家の役割に目配りの重点を置いて、日本国憲法の誕生から今日までの憲法運動を概観するもの。そして永く憲法裁判実務に携わってきた新井章弁護士「戦後70年・憲法裁判と私」である。この貴重な3本の論文を通じて、当協会発足の原点となった砂川闘争から60年安保、そしてその後の半世紀を通じた国民運動の中での法律家の役割を確認することができるだろう。

 本号のメインとなるものが、第2部の企画「平和・民主主義・人権のバトンを引き継いで」である。
 民主的な法律家運動の経験交流と意見交換、そしてその運動の記録による承継と発展こそが「法と民主主義」の関心事であり使命である。この半世紀、500号の紙面の積み重ねの中から重要テーマを選定して、バトンを引き渡す者と引き継ぐ者とに登場していただいた。具体的な諸課題について、かつてはどのようにたたかわれ、そしていまどのように承継され、発展したかの検証である。各課題について、先輩法律家がかつての経験を語り、そのバトンを受け継いだ若手が生き生きと現在の活動を語っている。
 選定したテーマは、平和的生存権・核廃絶・基地撤去・歴史認識・国家秘密・表現の自由・子どもの権利・公務員の政治活動・教育の自由・生存権・労働基本権・労災職業病・女性差別・公害・薬害・消費者・納税者の権利、そして司法の独立等々。日本の民主的運動の中での法律家の役割が具体的に語られている。地域を越え、世代を越えての運動の交流と承継の成果を確認したい。

 そして、第3部。貴重な資料や連帯のメッセージにも、目を通していただきたい。

 本記念号は、安保関連法案(戦争法案)反対運動の盛り上がりの中で編集され発刊された。その運動の結果を盛り込むことはできていない。500号、飽くまで通過点である。今後の運動の糧にご利用いただきたい。(編集委員会・澤藤統一郎)

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戦争法案採決の不存在を主張し審議の続行を申し入れる緊急のメール署名は、醍醐聰さんが提唱し、一昨日の当ブログでも拡散を呼びかけたもの。
   http://form1.fc2.com/form/?id=009b762e6f4b570b
署名数は昨日(9月23日)の24時00分現在で24,081筆となったとの報告である。23日の1日で7,256筆増えたことになるという。
   http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-bd74.html
「あんな採決は認めない」という市民の怒りの声を参院議長と特別委委員長に届けたい。未署名の方は、ぜひ緊急にお願いしたい。
(2015年9月23日・連続906回)              

戦争法反対運動継続のためにー正規戦とゲリラ戦の両様を

孫子の兵法に「兵は詭道なり」とある。安倍政権と与党とは、政治を「兵」とこころえて、「詭道」に奔った。しかし、民主主義の政治過程に詭道が持ち込まれてはならない。とりわけ、権力を有する政権与党が詭策を弄することなど、あってはならないことではないか。

政権が憲法を閣議決定で蹂躙し、与党の数の力で違憲立法を押し通すことは、究極の詭道にほかならない。10法の改正案を1本にまとめ、立法事実についての説明はあとになって引っ込めた。挙げ句の果てに、怒号と混乱の中、スクラムを組んで「採決」を強行するなどは、民主主義国の政権与党にあるまじき愚行。安倍政権と自公両党は、してやったりとほくそ笑んでいるのであろうが、この「だまし討ち」が、国民の怒りの火に油を注ぐ結果となったことを思い知らねばならない。

さて、これからどうするか。
迂遠なようでも、運動を継続することによって世論を喚起し続けて、自公の与党を少数派に追い込み、立憲主義・民主主義・平和主義を標榜する政治勢力を選挙で勝たせることが王道。当面は、来年(2016年)7月の参院選が目標となる。ここで、「オール沖縄」に倣っての「オール日本」で選挙に勝たねばならない。弾みを付けて、次の総選挙で安倍内閣を打倒することが目標だ。これが正規軍による正規戦。デモ・集会・ビラ・チラシ・インターネットなどによる言論戦、そして各政党を結集しての選挙戦、その王道をこそ堂々と推し進めなくてはならない。

しかし、総力戦においては、正規軍だけが兵力ではなく、ゲリラもパルチザンも便衣隊も、大いに活躍しなければならない。王道以外に何ができるだろうか。

まずは、あの「暴力的強行採決」の不存在ないしは無効を主張する運動。そして種々の局面での違憲訴訟の提起、さらに議員立法による戦争二法の廃止法案上程や、「賛成議員の落選運動」などが考えられる。

採決の不存在を主張し審議の続行を申し入れる緊急のメール署名は、醍醐聰さんが提唱し、昨日の当ブログでも拡散を呼びかけたもの。
   http://form1.fc2.com/form/?id=009b762e6f4b570b
本日午後9時時点で、既に1万5000筆を超えたと報告されている。
   http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-bd74.html
「あんな採決は認めない」という市民の怒りの意思表明として、大いに意味がある。

次いで、種々の局面での違憲訴訟の提訴である。
民事訴訟は、原告の具体的な権利侵害を回復しあるいは予防するためにある。具体的な権利侵害を離れての訴訟の提起は、訴えの利益を欠くものとして不適法とされ、却下判決をもって打ち切られる。

この点を「警察予備隊違憲訴訟・最高裁(大法廷)判決」は、「わが現行の制度の下においては、特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所にその判断を求めることができるのであり、裁判所がかような具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲牲を判断する権限を有するとの見解には、憲法上及び法令上何等の根拠も存しない。」とされている。

このハードルを越えて、いま誰もが提訴できる方法としては、市民一人ひとりがもっている平和的生存権が侵害されたという構成を採ることが考えられる。平和的生存権は、日本国憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」に根拠をもつ。憲法は、本来人権の体系である。第9条の戦争の放棄・戦力の不保持も、平和的生存権という基本権を保障するための制度と読むべきなのだ。9条をないがしろにする安倍内閣の行為によって平和的生存権が侵害されたとして、戦争法が違憲であることの確認や慰謝料請求が考えられる。

自衛隊員が戦争法によって海外への派兵を命じられる事態となれば、違憲な法律によって権利侵害が差し迫っていることになるのだから、派兵命令の差し止め請求が可能であろうし、派兵命令拒否による懲戒や刑事罰を争う訴訟がおこわれることにもなるだろう。

さらには、海外で活躍しているNGOの諸君が、法改正によって危険にさらされる事件が起これば、国家賠償訴訟を提起することができる。

すみやかに、成立した戦争2法を廃止する法案の国会上程をすべきことも提唱されている。現在、その法案成立の見込みはないが、国会での審議の過程で、国民にこの無法な戦争法成立過程をあらためて思い出させる効果を狙ったものだ。政権は、国民の忘却を期待している。私たちは、記憶を呼び起こし、忘れない努力を持続しなければならない。

そして、戦争法に賛成した議員の落選運動である。各地・各分野で、大いに盛り上げようではないか。誰かを当選させるための落選運動ではなく、徹底した純粋の落選運動をやろう。

私は、大阪の阪口徳雄君らとともに、弁護士として「賛成議員を落選させよう・弁護士の会」あるいは、「戦争法案賛成議員を落選させよう・弁護士の会」を立ち上げたいと思っている。「安保連法案賛成議員を落選させよう・弁護士の会」でもよい。「憲法違反議員はいらない・弁護士の会」「違憲議員を落とそう・弁護士の会」という案も出ている。略称を「落とそう会」とでもしようか。「落選させる会」「落選させよう会」でもよい。

所詮は非正規軍のゲリラ戦であって、正規軍にふさわしい運動ではないと思う。が、私は法が主権者に要請している運動スタイルだと確信している。

落選運動の中心は、議員の徹底した「身体検査」である。権力が行うプロファイリングではなく、市民が非権力的手段で行う情報収集と情報交換と情報分析である。そして、その結果をホームページやブログなどを通じて公開する。メディアにも取材してもらう、違法があれば遠慮せずに告発をする。

政治資金規正法上の政治資金収支報告書、公選法上の選挙運動収支報告書を中心に、自公の議員の政治資金・選挙資金の流れを徹底して洗い出す。これは、法が主権者である市民に期待する活動なのだ。

政治資金規正法・第一条(目的)は、「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。」と定めている。「国民の不断の監視と批判」こそが、求められているのだ。

具体的には、ターゲットの候補者(自民・公明・次世代・改革・元気)を定めて、多くの市民や団体・メディアに、落選運動への参加を呼びかける。主としてインターネットサイトを舞台に、公開資料分析のノウハウを提供し、各ターゲットごとに、各地の担当班をつくって、徹底したプロファイリングを行う。そして、遠慮なく公開質問状の送付や告発を行い、メディアに情報を提供する。メディアも、素人に負けてはならじとがんばるだろう。相当に効果を期待できるのではないか。

採決不存在の確認を求めるメール署名は15000筆を超えたという。25日午前10時の締め切りまで、まだまだ増えることだろう。

多くの人が何かをしたいと待ち構えている。受け皿をつくることが大切だ。戦争法案賛成議員の落選運動。飽くまで、王道とは別の非正規活動分野だが、多くの人々の感覚にフィットして、違憲の戦争法成立を暴力的に強行した安倍政権と与党の暴挙を記憶に留めるための優れた活動形態ではないだろうか。
(2015年9月22日・連続905回)

「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」(メール署名)への賛同のお願い

読者の皆様へのお願いである。下記のURLを開いて、要請の署名にご協力いただきたい。要請の内容は、戦争法案強行採決への最大限抗議の意思表示として、その採決不存在を主張し、あらためて審議の再開を求めるもの。
  http://form1.fc2.com/form/?id=009b762e6f4b570b

参議院の山崎正昭議長と、安保関連特別委員会鴻池祥肇委員長の両者を名宛人として、市民有志から「安保関連法案の採決不存在の確認」と「法案審議の再開」とを求める申し入れとなっているが、今通常国会の会期(9月27日・日曜日)を過ぎれば不可能な申し入れとなるから、25日(金)午後に申し入れねばならない。連休中に至急のお願いとなる。

戦争法は、一昨日(9月19日)未明参院本会議の採決で成立したことにはなっている。しかし、どうしても納得しがたい。17日夕刻の安全保障特別委員会の、あの「だまし討ち」による混乱を「採決」と認めてはならないという思いが強いからだ。この思いは、多くの人に共有されているはずだと思う。

戦争法をその内容において違憲と批判し、その廃止を求める今後の運動の継続が本筋ではあるが、民主主義の手続的正義を蹂躙した自・公両党の暴挙を看過できない。糾弾せずにはおられない。

多くのところで、その声があがっているが、9月18日のうちに若手弁護士有志225名が素早く発表した声明(参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」での安保関連法案の議決の不存在確認および審議の再開を求める弁護士有志声明)が代表的なもの。

同声明は、「傍聴者や国会中継視聴者からは、およそ外形的に見て採決が存在したとは到底言い難い状況であった。また,速記録(未定稿)では,鴻池委員長が席に戻った後は『発言する者多く,議場騒然,聴取不能』と書かれている」との認識を前提に、参議院規則136条1項「議長は,表決を採ろうとするときは,表決に付する問題を宣告する」、同137条1項「議長は,表決を採ろうとするときは,問題を可とする者を起立させ,その起立者の多少を認定して,その可否の結果を宣告する」に照らして、これらの手続きを欠く「議決」は、「そもそも意思表明の対象を特定することができないのであるから,議決は外形的に不存在というほかない」と断じている。

しかし、世論の指弾を省みることなく、自公両党はこの「採決」を有効なものとして参院本会議を開き可決してしまった。いったい、いつ、どのように採決があったというのか。議長周辺での「議場騒然」をもって、安保関連2法案ほか計5件の案件が「採決」されたとは、到底言い得ない。「強行採決」に抗議しなければならないところだが、抗議の対象となるべき「採決」がなかったというのが真相ではないか。だから、採決を不存在と確認した上、特別委員会を再開して審議を進めていただきたい、という要請になっている。以下に、要請書の案文を掲載する。

                         2015 年9 月25 日
参議院議長 山崎正昭 様
参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」委員長 鴻池祥肇 様

安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の続行を求める申し入れ
                                          市民有志

 参議院に設置された「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」(以下「特別委」)は、2015 年9 月17 日、同特別委に審議を付託された安保関連法案等計5 件の採決を行い、いずれも賛成多数で可決されたと言われています。
 しかし、採決が行われたとされる同日16時30分頃の委員会室の模様を参議院のインターネット中継やテレビの中継・録画で視る限り、鴻池委員長席の周囲は与野党議員によって何重にも取り囲まれ、委員長の議事進行の声を委員が聴き取れる状況になかったことは一目瞭然です。また、委員長も動議提出の声を聴き取り、各委員の起立を確認できる状況になかったことは明らかです。
 こうした状況の中で、採決というに足る手続きが踏まれたとは到底言えません。また、委員会室にいた特別委の委員自身も、「可決はされていません。・・・・委員長が何を言ったかわからない。いつ動議を出したのか、採決されたのかわからない」(福山哲郎委員)、「いったい何がおきたのか、そもそも動議が出たのかどうかも、委員長が何を発言したのかも誰もわからない。そして、私は自民党席の前にいたが、彼らも何もわからないまま立っていただけですよ」(井上哲士委員)と語っています。実際、速記録(未定稿)でも「議場騒然、聴取不能」と記されるのみで、議事の進行を記す委員長の発言も質疑打ち切り動議の提案も記されていません。
 参議院規則の「議長は、表決を採ろうとするときは、表決に付する問題を宣告する」(第136条)、「議長は、表決を採ろうとするときは、問題を可とする者を起立させ、その起立者の多少を認定して、その可否の結果を宣告する」(第137条)との定めは、当然のこととして委員会審議については「議長」を「委員長」と読み替えて理解すべきで、一連の事実と状況に照らせば、上記5件の「採決」なるものは、表決の要件を充たしていないことが明らかです。
 なお、同規則49条は、委員会審議に関して136条と同様の定めをし、参議院委員会先例録第2章第9節・155には、「採決は、挙手又は起立の方法によるのを例とする」との表題で、「委員会における採決は、挙手又は起立の方法によるのを例とするが、異議の有無を諮ってこれを行った例も多い。挙手又は起立により採決するときは、委員長は、問題を可とする者を挙手又は起立させ、挙手又は起立者の多少を認定して可否の結果を宣告する。なお、記名投票によった…例もある」とされており、いずれにせよ当該「採決」なるものが表決の要件を充たしていないことは明らかです。
 国会での審議が進めば進むほど違憲の疑いが深まった安保関連法案を参議院規則まで踏みにじり、締め括りの質疑も省いて、「採決」なるものを強行したことは憲政史上、稀にみる暴挙です。
 以上から、私たちは貴職に対し、次のことを申し入れます。
                       記
1. 私たちは5件の「採決」と称されるものは、すべて採決の要件を充たさず、採決は不存在であると考えます。貴職がこうした私たちの見解を受け入れないのであれば、参議院規則にもとづいて反証されるよう、求めます。
2. 「採決」が存在しない以上、安保関連法案の審議は未了です。よって、改めて所定の手続きを取り、法案の審議を再開されるよう求めます。

 なお、この要請運動の主唱者である醍醐聰さんからのご連絡では、昨日(9月20日)午ころから呼びかけを始め、およそ24時間で5000人からの賛同を得たという。素晴らしい反応ではないか。有志代表が議長と委員長への申し入れの際には、私も同道する。民主主義の手続的正義を蹂躙した「だましうち」に黙っておられないからだ。多くの方の賛同の署名を、お願い申しあげる。
(2015年9月21日・連続904回)

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