澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

戦争法案特別委員会決議不存在署名32,101筆を受けとろうとしない鴻池議員の頑なさ

本日、「安保関連法案採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」(メール署名)の束を抱えて、山?参院議長と特別委員会鴻池委員長の各議員事務室に赴いた。その署名の内容は、9月21日の当ブログを参照されたい。

9月20日に始まったメールによる本署名運動は、メディアを介することなく組織に頼ることもなく、メールからメールへ、ブログからブログへと、市民の手だけで拡散され拡がった。一応締め切り時刻として設定した本日(9月25日)午前10時までの集計で、31,159筆となった。これに、同旨をプリントアウトして紙ベースでの署名を寄せていただいたものが942筆。合計32,101筆である。

わずか5日間での32,101筆とは素晴らしい数ではないか。メールの鎖で繋がるのは、市民の一人ひとりだ。一人ひとりの怒りや憂いや望みが、一つにまとまって力を得ている。メッセージ欄への丁寧な書き込みも特徴の一つ。

会期内に議長と委員長とに提出しようとのことで、期限を区切っての5日間。初日にして約5000、その後はほぼ毎日7000ほどの署名を得たことになる。あの採決には、多くの人が怒りあるいは憂えて、何か意思表示をしたと考えていたことの証左である。期限後も、しばらくは署名が続くだろう。呼びかけ人としては、これも誠実に再度議長と委員長に届けなければならない。

本日、午後1時、醍醐聰さんと私とメール署名のフォームを作成していただいた事務担当者とでまず会館1201号の山?正昭議長を訪ねた。事前のアポで、本日の面会は無理だということだったが、秘書嬢が応接した。醍醐さんから丁寧な趣旨説明の上、手渡しする場面の写真の撮影にも応じていただいた。この間、秘書嬢はにこやかに話を聞いていた。そして、「議員本人にお伝えします」との発言を得て、われわれは部屋を退出した。この間5分と少々だったろうか。至極、常識的な対応だった。

次いで、1001号・鴻池議員の控え室を訪れたところ、思いがけなくもまったく異なった応接を受けた。まずは、事務室の中に招き入れられなかった。硬い表情の女性事務員がわれわれを廊下に待たせたあと、男性の秘書氏が出てきて、われわれを近くのロビーに案内して、そこでの立ち話となった。

秘書氏は、「申入書は受けとるが署名簿は受けとれない」という。
醍醐さんから、「申入書と署名簿とは一体のものだ。申入書には市民有志としか書いていない。この市民有志の名を連ねたものが署名簿だが、一体のもので切り離すことはできない。」「多くの人々の気持ちのこもった大事な署名簿だ。ぜひとも受けとっていただきたい。」「そもそもどうして署名は受けとれないというのか。理由を聞かせていただきたい」。などの要望と説得が繰り返された。

これに対する秘書氏の回答は、「申入書だけはいただいて議員に見せる。」「議員の判断で署名を受けとると言うことになれば、そのときに改めてご連絡して受けとることにする」「私の判断で受けとることはできない」「署名が大事なものだということは分かる。大事なものだからこそ、慎重に判断してから受けとることになる」

私も黙ってはおられない。
「われわれは、憲法16条が保障する国民の公務員への請願権の行使として、申入書を持参している。」「国会議員が国民の声に真摯に耳を傾けるべきは当然の義務ではないか。」「耳に快い意見だけでなく、痛い意見にも聞く耳を持たねばならないだろう」「あなたは、鴻池議員から国民からの意見はブロックしろと命じられているのか」「私は、思想はともかく人間味のある人として、鴻池議員には多少の親近感を持っていたが、こんな応対をされたのでは考えが変わる。」「鴻池さんを国民の声を聞く姿勢のない議員として、署名者や協力者に説明をしなければならない。それでもよいのか」「議員は来年が改選期になってはいないようだが、その3年後には落選運動のターゲットにもすることになる。」

件の秘書氏は、「どう思われても、なんと言われてもけっこうだ」「ともかく、申入書だけについては受け取る。署名は受けとらない」「いまは議員本人が不在なのだから署名を受けとる判断は私にはできない」と繰り返すのみ。

やむを得ず、「では今日中に議員と連絡を取っていただきたい」というと、「週明けにならなければお返事はできない」。そこで、私の名刺を渡し、秘書氏からの名刺をもらって29日(火)までに返事をもらう約束とした。

最後は、「これが、受けとっていただくために持参した3万2101筆の署名簿の綴りだ。ご確認いただきたい」と見せておいて、「たいへん不愉快な体験をさせていただいた。鴻池議員については、国民の声を聞こうとしない議員であると、これからは公言することになる」と言い残して別れた。醍醐さんも、「普通の社会における言葉や論理が通じない」と憮然たる表情。このような人が議員で、あのような議事運営をする人なのだ。

なお、渡された名刺には、「参議院議員鴻池祥肇秘書 鎌田亘顕(かまだひろあき)」と記されていた。

午後2時から、衆議院第二議員会館で記者会見。醍醐さんと私から、山?・鴻池両議院の対応を報告し、小中陽太郎・清水雅彦・生方卓・藤田高景の各氏からスピーチがあった。なお、この運動の呼びかけ人は、記者会見出席者以外にも、池住義憲・浦田賢治・小野塚知二・奥田愛基・高間敏子・高間亘男・森英樹の諸氏。

醍醐さんの力のこもった以下の発言が印象に残った。
「この法案は、あんな無様なやり方で成立したとされています。しかし、私たちはあんなやり方を認めてはならない。法は既に成立しまったと諦め、認めてはならない。強行採決がなされたというのは不正確で、採決は不存在だとこだわり続けたい。何よりも大切なことは、この法案の審議が突然打ち切られて暴力的に採決があつたとされてしまったこの事態を記憶し続けること。いま、この違憲の法律にどう対抗すべきかという議論が重ねられていますが、その原点には常に法案審議の暴力を忘れず記憶し続けることにあると思います」

また、「NHKは、何が起こっているか把握できていないうちに、はやばやと『法案可決』というテロップを流した。現場の記者も、『何が起こったか分からない』と言っているのにです。これは犯罪行為に等しい。この責任を追及してまいりましょう」。もちろん、異存はない。

採決があったとされているあの混乱の事態が立憲主義と民主主義とそして平和主義を壊したのだ。決議など不存在、あったのは騒然たる混乱と自民党の「だまし討ち」の暴挙だけだ。このことをけっして忘れず、こだわり続けよう。
(2015年9月25日・連続908回)

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Published in 金曜日, 9月 25th, 2015, at 23:48, and filed under 戦争法.

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