澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

次回法廷は、明後日金曜日(8月31日)午後1時30分~ 415号法廷で ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第136弾

民事訴訟の弁論期日は淡々と進行する。スリリングなことは起こらない。傍聴して手に汗握る見せ場などはない。それでも、この法廷という空間で国民の権利が具体化する。法の枠の中でのことではあるが、法廷とは国民の権利を増大し伸長させる場である。が、時には切り縮めることもある。本件は、表現の自由や消費者の権利がどうなるかという重要な事案。ぜひ、応援していただきたい。

DHCと吉田嘉明が、私(澤藤)に6000万円を請求したのが「DHCスラップ訴訟」である。いったい何を考えてこんな非常識なムチャクチャをやったのか。吉田嘉明は、自分に対する批判者を威嚇したのだ。恫喝したと言ってもよい。「オレを批判すると面倒なことになるぞ。オレに対する批判はやめておいた方が利口だ」という威嚇である。

民事訴訟とは、自分の権利が侵害されたときにその救済を求めてするものなのだ。権利の救済のための提訴はすべての人に保障された権利である。だが、その権利の行使に藉口して、実は他人の表現の自由を侵害することは許されない。DHCと吉田嘉明はそれをやった。

4年前の春、私は当ブログで吉田嘉明を3度批判した。今読み直してみて、実に真っ当な批判の言論である。吉田嘉明とDHCは、批判されるべきが当然で、私は、自覚ある主権者の一人として、必要でなすべき責務を果たした思いである。

また、私は当時DHCについても、吉田嘉明についても殆ど知るところがなかった。スラップ訴訟を提起されてから、DHC・吉田嘉明のレイシズムやデマの体質も、右翼陣営のスポンサーとしての役割も、少しずつ、知ることになった。4年前の春、当ブログで吉田嘉明を3度批判した当時は、個人的な怨みもなければ、ことさらに痛めつけようという意図など持ちようがなかった。批判の対象とした吉田嘉明の言動についての情報のすべてが、吉田嘉明自身が週刊新潮に発表した「手記」によるものであった。その手記の内容にふさわしい適切な批判をしたものであって、それ以上でも、以下でもない。

私の吉田嘉明に対する批判は「カネで政治を歪めてはならない」という純粋に政治的な言論である。歪められてはならないとしたのは、消費者のための政治であり、消費者行政であった。私は、常に消費者利益擁護の立場に徹しての言論を心がけている。このときもその立場からの立論だった。どこからどう見ようとも真っ当な言論で、違法と言われる筋合いはまったくない。

もとより、政治的・社会的強者は批判を甘受しなければならない。言論の自由とは、強者を批判する権利を意味する。ところが、吉田嘉明には批判甘受の度量がなかった。自分で発表した手記に対する批判がよほど応えたようだ。その結果、過度にうろたえての思慮を欠いた所業が、高額請求の訴訟提起。合計10件のスラップ訴訟の大量提訴だった。普通、こんな勝ち目のない提訴を大量に提訴することは考えられない。弁護士費用や訴訟費用が厖大になるからだ。侵害された権利回復を目的として、こんな濫訴はあり得ない。費用無視、コストパフォーマンス無視のスラップ訴訟なればこその高額請求訴訟の濫発である。自分の権利救済ではなく、批判者を脅かすことが目的なのだ。高額訴訟の提起で脅かせば、へなへなと萎縮して批判を差し控えるだろうと思い込んでのことなのだ。

私に対する「黙れ」という恫喝が、当初は2000万円のスラップ訴訟の提起だった。私が黙らずに、スラップ批判を始めたら、たちまち提訴の賠償請求額が6000万円に跳ね上がった。なんと、理不尽な3倍増である。この経過自体が、言論封殺目的の提訴であることを雄弁に物語っているではないか。

そのスラップ訴訟は私(澤藤)の勝訴で確定したが、DHC・吉田嘉明が意図した、「吉田を批判すると面倒なことになる」「面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ。だから吉田嘉明を刺激せずに批判は差し控えた方が賢い」という社会に蔓延した風潮は払拭されていない。スラップに応訴のための私の出費や労力も補填されてはいない。そこで、今私は、DHC・吉田嘉明を被告として、スラップ提訴が不法行為となるという主張の裁判を闘っている。これが「反撃訴訟」「リベンジ訴訟」などと呼んでいるもの。「反撃」とは、DHCスラップ訴訟の提訴自体が違法であることを理由とした、私からDHC・吉田嘉明に対する660万円の損害賠償請求。係属部は、東京地裁民事第1部合議係。

その「反撃訴訟」の次回口頭弁論期日が、明後日金曜日(8月31日)午後1時30分から、東京地裁415号法廷で開かれる。ぜひ傍聴いただきたい。

次回閉廷後には、いつものとおり、短時間だが資料も配布して弁護団からの経過説明や意見交換をしたいと思う。公開の法廷は、だれでも、なんの手続も不要で傍聴できる。報告集会への参加も自由。よろしくお願いします。

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ところで、私はDHCに対する責任追及の訴訟を継続しているだけでなく、DHC商品の不買運動を提唱している。ことあるごとに、「DHC商品を買うのはおよしなさい」「デマやヘイト、スラップを常習とするような企業は社会から退場させなければならない」「あなたが、DHCの製品を買えば、その分だけデマやヘイト、スラップを助長することになる」「あなたが、DHC製品の購入をやめれば、その分だけ民主主義や社会正義を助長することになる」と発言し続けている。

私の弁護士としての活動の大きなテーマの一つが、消費者利益の擁護である。弁護士の仕事としての個別事件としての消費者被害救済の重要性はいうまでもないが、弁護士会活動の、あるいは消費者問題に取り組む弁護士集団の課題は、消費者主権の確立にある。

消費市場における消費者とは、実は労働者であり、勤労市民であり、中小業者であり、年金生活者であり、学生・児童などなど…。生活者としての国民にほかならない。その生活者が、自覚的な消費者として市場における賢い行動によって、よりよい社会を築くことができるのではないか。これが「消費者主権」の基本的な考え方。

宣伝に操られて少しでも安いものを求める受動的な消費者から一歩抜け出て、自らの消費行動における選択が社会の持続性や平和や民主主義にどう関わるかということを考える「賢い消費者」となろう、という運動の提唱でもある。

まさしくDHCこそが、典型的な「賢い消費者が排斥すべき企業」であり、「賢い消費者が買ってはならない商品を販売している企業」である。ヘイトやスラップを事として恥じない企業には、賢い自覚的な消費者の選択によって、社会から退場してもらわねばならない。

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消費者主権の考え方が、世に浸透してくると、賢い消費者をターゲットにした市場戦略を練る企業が現れる。そのような企業のなかでカタログハウスに注目したい。あの「通販生活」誌で有名な通販業者。取り扱い商品として、食品もあれば化粧品もある。DHCと競合している部門に焦点を当てたい。

この会社のホームページでは、自らの企業思想を「下を向いて歩こう」と表現している。「下」とは地べたのこと、有限な地球環境を意味している。地球環境の持続可能性を第一義とし、その持続を可能とする企業であることが謳われている。

同じことが、「20世紀型経済成長論の破綻」とも表現されている。つまりは、「消費増加は善」ではないというのだ。「消費増加⇒生産増加⇒雇用増加⇒貧困解消」というサイクルを良しとする抜きがたい発想への深刻な疑問である。「ビジネス満足」と「地球満足」とは対立するものととらえられ、『どれだけ消費すれば満足なのか』(アラン・ダーニング1996)が紹介されている。この書物は、「地球は「消費」に耐えられるか。環境と公正と文化の視点からの消費社会論」「過剰消費が環境を危機に追いやっている。消費をエコロジーの観点から問い直し、真の充足を得る脱消費型ライフスタイルを探る」というキャッチコピーで売り出されているもの。こんな書物をホームページに掲げるのだから、そもそも、「売らんかな」の精神に乏しい。「売れれば売れるほど、儲かるからよし」ではないのだ。

この基本姿勢で、この企業は幾つかの「憲法」をもっている。まずは、2018年版カタログハウスの「商品憲法」というもの。
第1条 できるだけ、「地球と生物に迷惑をかけない商品」を販売していく。
第2条 できるだけ、「永持ちする商品」「いつでも修理できる商品」を販売していく。
第3条 できるだけ、「寿命が尽きた商品」は回収して再資源化していく。
第4条 できるだけ、「ゴミとCO2 を出さない会社」にしていく。
第5条 できるだけ、「メイド・イン・ジャパン」の買い物で雇用を増やしたい。
第6条 大型家具は「震度6強」テストを受けて倒れにくかったものにかぎり販売していく。
第9条 できるだけ、核ミサイル、原子力潜水艦、戦闘機、戦車、大砲、銃器のたぐいは販売しない。

さらに、「食品憲法」というものもある。
第1条 「自然の食材だけでつくった食品」以外は売りません。
第2条 にがり、かんすいのような「伝統的添加物」および珊瑚カルシウムのような「天然由来添加物」以外の食品添加物を使った食品は売りません。
第3条 農薬の使用実態や残留量を調べて、はっきりしない食品は売りません。
第4条 放射性物質(セシウム134/137)は国の基準(100ベクレル/キロ)よりも厳しい小社基準(20ベクレル/キロ)を定めて、これを超えている食品は売りません。
第5条 食品の廃棄ロスをできるだけ減らすために、賞味期限が6ヵ月以上残っている食品は出荷します。

その下位法に当たるのであろう「「食品」の売らないルール」という具体的規則もある。
1.食品添加物を添加した食品は売らない。
2.主要原料に遺伝子組み換え作物を使用した食品は売らない。
3.主要原料に農薬の使用実態や残留が不明な農作物を使用した食品は売らない。
4.輸入牛やそれらを由来とする素材を使用した食品は売らない。
5.主要原料に抗生物質など、薬品類の使用実態や残留が不明な畜産物・海産物を使用した食品は売らない。
6.食品に触れる包装材に塩化ビニル、ポリカーボネート、エポキシ樹脂が使われているものは売らない。
7.製造工程と生産管理体制(金属検出の対策など)の確認ができない食品は売らない。
8.放射能残留検査で「小社基準」を上回った食品は売らない。

「化粧品憲法」は次のとおり。
第1条 【トレーサビリティ】全ての成分について、由来原料と主要産地を公開しています。
第2条 【敏感肌成分基準】石油由来成分やシリコーン、紫外線吸収剤は原則、使っていません。肌負担につながる成分は極力避けています。
第3条 【安心仕様ルール】敏感肌の人でも安心して試せます。1ヵ月使ってみて肌に合わなかったときは全額返金します。
第4条 【6人の専門家チェック】6人の専門家たちのチェックに合格しない商品は販売しません。

「化粧品」の売らないルール
1.石油由来成分(界面活性剤、色素、香料)を使用しているものは売らない。
2.旧表示指定成分を使用しているものは売らない。
3.紫外線吸収剤を使用しているものは売らない。
4.光毒性のリスクある成分を使用しているものは売らない。
5.シリコーンを使用しているものは売らない。
6.牛由来成分、ホルモン類を使用しているものは売らない。
7.放射線量測定で厚生労働省の「乳幼児食品の安全基準」を超えるものは売らない。
8.ヒトパッチテストによる皮膚刺激性試験で、肌への刺激が極力弱いことが確認できないものは売らない。
9.目に入りやすい化粧品は動物を使わない眼刺激試験で、「無刺激性」または「軽度刺激性」と確認できないものは売らない。
10.6名の専門家による商品チェックに合格しない商品は売らない。

これと対極にあるものが、話題になった「電通十訓」。これこそ、企業の本音。経営体が、資本主義の荒波を乗り切るための体消費者基本戦略である。

 1 もっと使わせろ
 2 捨てさせろ
 3 無駄使いさせろ
 4 季節を忘れさせろ
 5 贈り物をさせろ
 6 組み合わせで買わせろ
 7 きっかけを投じろ
 8 流行遅れにさせろ
 9 気安く買わせろ
10 混乱をつくり出せ

体系的な整序がイマイチだが、要は、「消費者には無駄使いさせても、使える物を捨てさせてでも、少しでも多く物を買わせろ」「不要なものでも、欺してでも、消費者に物を買わせろ」という鉄則である。この姿勢なくしては、企業が消費市場で生き残れない。しかし、この「ビジネス満足」は、大きな「地球不満足」を招いて、地球環境の持続性を失わしめることになる。

この「十訓」は、褒められたものではないが、違法とまでは言い難く、経営者の本音であって外的強制なくしてこれを捨てさせることは難しい。当面は賢い消費者の行動を通じての批判を高めるしかない。

強調すべきは、隠れた、禁じ手としての「第11訓」があることだ。これに手を染めれば、違法となり、悪徳といわれる。

11 政治家を利用しろ。政治家に金を渡せ。もちろん禁じ手だから慎重に裏金として。額は多ければ多いほどよい。できれば8億円ほども。その金は生きてくる。いずれは自分の会社の事業を規制する官庁の規制を緩和し、さらには規制そのものを撤廃する企業の自由第一の政治の実現にもつながる。そのために、政治家に渡す金を惜しんではならない。

吉田嘉明が渡辺喜美に8億円を渡したのは、この「第11訓 」の実践である。繰り返そう。「DHC商品を買うのはおよしなさい」「デマやヘイト、スラップを常習とするような企業は社会から退場させなければならない」「あなたが、DHCの製品を買えば、その分だけデマやヘイト、スラップを助長することになる」「あなたが、DHC製品の購入をやめれば、その分だけ民主主義や社会正義を助長することになる」。そして、「カネにまみれた汚い政治を一掃したければ、DHC商品を買うのはおよしなさい」。
(2018年8月29日)

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