澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

これが「唯一の被爆国」の核政策なのか

子育ては難しい。褒めるか叱るか、その兼ね合いが悩ましい。手に余る悪さを重ねてきた子どもがいるとせよ。これまで幾ら言いきかせても聞く耳をもたなかった。ところが、周りの非難に耐えかねてであろうか、この度、ちょっぴりいい子ぶりを見せた。こんなときに、親として、あるいは教師として、この子にどう声をかけるべきだろうか。

国連総会第一委員会(軍縮)で、核兵器の非人道性と不使用について訴える、ニュージーランドなど125か国参加の共同声明が発表された。10月21日午後(日本時間22日午前)のことである。同様の声明はこれまで3回出されたが「唯一の戦争被爆国」である日本の参加は初めて。日本が従来、この声明に賛同しなかったのは、「米国の核抑止力に依存する安全保障政策と合致しない」ことが理由とされた。

日本が「唯一の被爆国」として、国内世論を背景として、国際舞台で主導的に核軍縮世論の喚起に熱意をもっていたと誤解していた向きも多かったのではないか。これまで、「核兵器の非人道性と不使用について訴える共同声明」を主導的に呼び掛けていたのではない。呼び掛けられて消極的に賛同していたのでもない。熱心に呼びかけを受けて、明示的に拒否をしていたのだ。当然に、被爆地や被爆者らから批判の声が上がっていた。

それが今回、批判にいたたまれず、声明の文言が修正されたとして方針転換した。核軍縮熱意度において、日本は世界で、およそ100番目というところなのだ。これが、国内に、広島、長崎、そして第五福竜丸を有する日本の政府の寒々しい現状なのだ。

菅義偉官房長官は22日の記者会見で「段階的に核軍縮を進める日本の取り組みと整合性が取れていることが確認できた」と説明。また、同日岸田外相は、「我が国の安全保障政策や核軍縮アプローチとも整合的な内容に修正されたことを踏まえ、同ステートメントに参加することにしました」と述べたという。なによりも大事なのは、「安全保障政策」つまりは「核の傘」であるという。そして、我が国のとるべき核政策は、「段階的な核軍縮」であって、「核廃絶」でも、「核軍縮」でも、「核の不使用」でもない、というわけだ。

同日、125か国声明に対抗する形で、オーストラリアなど18カ国声明が発表されている。こちらは、「核の傘・命」連盟。明らかに125か国声明の効果の減殺を狙ってのもの。日本は、世界で唯一の両声明参加国となった。日本の国際的な立ち位置を象徴する出来事と言えよう。

こんな「悪さをし続けてきた子ども」。その子が、これまでよりは少しはマシと言える「良い子ぶり」を見せたことに、どう接するか。これまでのダメぶりと、まだまだ不十分なところを強く指摘して叱責するか。それとも、よいところを褒めて育てることとするか。

広島市長は「歓迎したい」と評価の談話。
広島市の松井一実市長は「核兵器の非人道性を踏まえ、核兵器廃絶を訴える国々とともに行動する決意の表明と受け止め歓迎したい。日本政府には声明に参加した国々をリードして、被爆地の思いを世界に発信し核兵器廃絶に向けてより一層積極的に取り組んでもらいたい」という談話を発表している。

長崎市長は「ようやく先行集団に合流」という評価の談話。
長崎市の田上富久市長は「被爆地としてこれまで核兵器の非人道性を訴えてきたので、今回の声明の参加については被爆者の皆さんとともに喜びたい。これでようやく日本が、核兵器廃絶に向けて取り組んできた集団に合流できたことになり、今後は被爆国の政府として、北東アジア地域の核兵器廃絶に向けてリーダーシップをとることを強く期待したい」と述べました。

被団協は「核の傘からの離脱」「核保有国に核兵器廃絶を迫るべき」の談話
日本被団協は「共同声明に参加した日本政府に求められるのは、いかなる状況下でも核兵器が使われないため、速やかにアメリカの核の傘から離脱し、核保有国に核兵器廃絶を迫る責務を果たすことだ」との声明を発表。

坪井直氏は「前進」の評価
被団協の代表委員である坪井直氏は「平和に向かって一歩も二歩も前進したと思っていて、日本の参加を大いに評価している。被爆者としては国とも協力して今後の運動を進めたい」との談話。

山田拓氏は「取り繕っただけの可能性」の指摘
長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長は、一定の評価をしつつ、岸田外相が「(共同声明の修正で)我が国の立場からも支持しうる内容に至った」と述べていることに「政府を批判する世論に押されるような形で取り繕っただけの可能性もあり、声明の中身を慎重に見ないといけない」と話したという。

志位和夫氏は、「核の傘に頼る政策からの脱却」を強調。
共産党の志位和夫委員長は22日、核不使用共同声明に日本が賛同したことを受けて談話を発表し、「ヒロシマ・ナガサキの悲劇を経験した国の政府として、遅すぎたとはいえ当然のことだ」と評価した。その上で「核兵器使用を前提とした核抑止力論にしがみつく立場は矛盾している。米国の『核の傘』に頼る政策から脱却することが不可欠だ」と主張している。

総じて、これまでのこの子の悪さ加減に呆れながらも、今回は少しはマシな良いことをしたとして褒めてやり、同時にこの子のこれからをきちんと戒めておこうというものだ。

さて、これまではどれだけ悪い子だったのか。今回どれだけマシなことをしたのか。これから良い子になれるのか。そもそも、この子が悪い子に育ったのはなにゆえなのか。褒めるだけで性根を変えることができるのか。これを機会に、しっかりと見極めたい。
(2013年10月22日)

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