反論 ー「弔意」を強制して「生前の罪業批判」に蓋をする論調に。
(2022年7月21日)
「たかまつなな」さん。朝日デジタルで、あなたの投稿を拝見しました。「【提案】政治的な評価と暗殺(ご冥福をお祈りする)をわけて考えませんか」という表題のもの。7月16日の「西木空人選・朝日川柳」欄に掲載された7句についてのご意見。〈2022年7月18日23時52分 投稿〉というタイムスタンプが付されています。
実は、このタイトルだけを目にして、うかつにもこの川柳作者の立場を励ますものと早とちりしてしまいました。冷静に「政治的な評価」と「弔意(ご冥福をお祈りする)」とを分けて考えようというご提案であれば、「元首相に対するいかに深い弔意」あろうとも、元首相の生前における「目に余る政治的な罪業の評価」に遠慮があってはならない、という論旨になるはずと誤解したのです。
同時に、てっきり元首相についての国葬反対のご意見かとも思いました。なにせ今巷に溢れているのは、元首相に対する「弔意(ご冥福をお祈りする)」と「政治的な評価」とをごっちゃにする意見。国民全体に「安倍さんお気の毒」という「弔意(ご冥福をお祈りする)」を強調して「政治的な評価」を口にしにくくするものが圧倒的。その風潮に悪乗りしての総仕上げが「国葬」なのですから。
「たかまつなな」さん。あらためて、あなたのご意見の全部を拝読して、まったく逆の文意であることに気が付き、強烈な違和感をもちました。けっしてネトウヨ風の文体ではなく、政治的なバランス感覚ももっていますとアピールしながらの偏った結論。その手法に危険なものを感じて、あなたと同様に「言っておかなくてはいけないと思いあえて」批判の一文をしたためました。
以下に、あなた(たかまつ)のご意見を引用し、逐語的に私(澤藤)の意見を申し述べます。
「安倍元総理の功罪はどちらもとても大きいと思います。」
⇒安倍元総理の「罪」がとても大きいということには同感ですが、私には、彼の「おおきな功」の方は思い浮かべることができません。しかし、このことは今さしたる問題ではありませんので、あなたのご意見として承っておきます。
「私は森友・加計・桜、官僚の忖度体質などたくさんの「罪」があったと思います。ですが、安倍さんは暗殺されてしまった。暗殺されていい人などこの世にいません。暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのかと少しこの川柳を拝読して、悲しくなりました。」
⇒あなたは「暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのか」と嘆いて見せていますが、難しいはずはありません。現に、実に多くの人々が、犯行の現場で献花し、葬儀に出向き、沿道に詰めかけて葬列を見送るなどして「ご冥福をお祈り」しているではありませんか。あなたが嘆いているのは、「みんなして深くご冥福をお祈りすべきなのに、ご冥福の祈り方の足りない人がいることが嘆かわしい」ということではありませんか。それこそが、弔意の強制以外のなにものでもないのです。おそらく、このことが、あなたの文章の決定的な問題点なのです。
「無念の死に対して、あの世までというのは、さまざまな考えがあると思いますが、私は違和感を覚えました。」
⇒あなたの違和感は、「政治的な評価」と「弔意」を分けて考えないところからのものではないでしょうか。あなたが、あなたご自身の思想や感性に基づいて「弔意」の表明を大事なものと考え、元首相の死を「暗殺されてお気の毒」「ご冥福をお祈りしたい」とすることの自由は保障されています。しかし、だからと言って、「弔意よりは、政治的な評価」を大切に思う立場の人たちに、あなたのご意見を強制することはできません。
「忖度はどこまで続く あの世まで」が、死者を冒涜するとか、死者を鞭打つ表現とはとうてい考えられないところです。この程度のことを言って攻撃を受けるとすれば、それこそ政治家の死を利用した言論弾圧というべきであり、「たかまつなな」さん、あなたもそれに加担していると言わねばなりません。
「こちらの川柳は、twitter上でも、さまざまな意見があり、投稿された方にも誹謗中傷などが及んでいないかと心配で、このようなコメントをすることもさらに追い討ちをかけてしまうのではないかと悩んだのですが、コメントプラスをしているメンバーとして、いっておかなくてはいけないと思いあえて投稿します。」
⇒失礼ですが、何をおっしゃっているのか、なにをおっしゃりたいのか、理解できません。あなたは、この川柳作者たちに「誹謗中傷などが及んでいないかと心配」しながら、さらに敢えてムチを加えたというのでしょうか。ぜひとも、自分の発言への責任をご自覚ください。
「暗殺されたことを受け、ご冥福をお祈りした上で、政治的な功罪を議論するということをしませんか。」
⇒これは、まことに露骨な弔意の強制。「暗殺された人にはご冥福をお祈りしなさい」などとは、さすがに権力の座にある者としては恥ずかしくて言えることではありません。まさしく、政権の意を忖度して代弁している発言というほかはありません。亡くなった元首相の政治的な功罪の議論に今は蓋して、まずは「国民みんなでご冥福をお祈りしましょうよ」という、弔意強制のご意見。はからずも国葬実施のホンネを語っています。たかまつさん、あなたがそのことに何の疑問もお持ちでないことが恐ろしい。あなたが、元首相の死を悼むことは結構だが、本来人の死を悼むも悼まないも、純粋に私的な領域に属すること。他からの強制になじむものではありません。とりわけ政治家の死は、利用されやすく強制されやすいもの。「ご冥福をお祈りしましょう」という弔意の強制には最大限の警戒を要します。
「投稿者の方というよりも、これを選び掲載された朝日新聞側に問題提起をと思い投稿します。」
⇒これはひどい。「これを選び掲載された朝日新聞側への問題提起」とはいったい何ですか。こんな川柳の選句は以後あってはならない、朝日は今後こんな川柳を掲載するな、とでもいうのでしょうか。「私は違和感を覚えました」から数段飛躍しての恐るべきコメント。
「たかまつなな」さん。あなたには、ご自分が表現の自由抑圧の尖兵になっていることの自覚がありますか。表現の自由とは、権力をもつ者、社会的に強い者、多数者を批判する自由のことです。あなたがあげつらう川柳作者の皆さんは、まさしく、弔意の強制に抵抗して権力を批判する表現を実践しています。あなたは、権力の手先になって、これを圧殺する側の立場なのです。
あなたが批判する川柳の第7句がこう言っています。「ああ怖いこうして歴史は作られる」。この川柳作者にとって、権力も怖いが、その権力を支えているあなたこそが怖いのです。私も、あなたが怖いと言わざるを得ません。