澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「10・23通達」発出からの11年

本日は、10月23日。東京都の教育委員会が悪名高い「10・23通達」を発出してから11年目となる。11年で舞台の役者はすっかり変わった。石原慎太郎は都知事の座を去り、米長邦雄や鳥海巌は他界した。当時の教育委員で残っている者は内舘牧子を最後にいなくなった。教育庁の幹部職員も入れ替わっている。しかし、「10・23通達」はいまだに、その存在を誇示し続け、教育現場を支配し続けている。

入学式卒業式に「日の丸・君が代」など、かつての都立高校にはなかった。それが、「都立の自由」の象徴であり、誇りでもあった。ところが、学習指導要領の国旗国歌条項の改訂(1989年)あたりから締め付けが強まり、国旗国歌法の制定(1999年)後には国旗の掲揚と国歌斉唱のプログラム化は次第に都立校全体に浸透していく。それでも、強制はなかった。多くの教師・生徒は国歌斉唱時の起立を拒否したが、それが卒業式の雰囲気を壊すものとの認識も指摘もなく、不起立不斉唱に何の制裁も行われなかった。単なる不起立を懲戒の対象とするなどは当時の非常識であった。

この非常識に挑戦して、敢えて「10・23通達」を発出したのは、石原慎太郎という右翼政治家の意向によるものだが、より根源的には2期目の石原に308万票を投じた都民の責任というべきであろう。

「10・23通達」発出直後、石原は、「今は、首をすくめて様子を見ている各県も、10年後には東京都の例にならうだろう。それが、東京から日本を変えるということだ」と発言している。今振り返ってみて、当たっているようでもあり、外れているようでもある。けっして、石原の思惑のとおりにことが運んだわけではない。しかし、「10・23通達」を梃子とした教育行政の教育支配は着実に進んでいる。かつての、公教育における自由闊達の雰囲気は大きく損なわれたと、現場の教員は口を揃えて言う。このような教育で、憲法が想定する、明日の主権者が育つのか、心配せざるを得ない。

ところで、「10・23通達」を発出した直接の責任者は、石原に抜擢され、その走狗となった教育長・横山洋吉である。およそ、教育とは無縁の人物。教育長をステップに、その後副知事になっている。この横山と、一度だけ顔を合わせたことがある。「君が代解雇訴訟」一審で、彼が証人として証言したときのこと。私も、尋問を担当している。記録では、2005年10月12日水曜日。この訴訟は、定年後の再雇用が既に決まっていた教員について、卒業式の「君が代・不起立」を理由に、再雇用を取り消したことを違法・無効として、その地位の回復を求めた訴訟である。当時の私たちは、これを解雇と同様の労働訴訟だと考えていた。

当の首切役人である横山の証言について、当時のブログが残っている。参考になろうかと思うので、お読みいただきたい。

「この男が横山洋吉(前・都教育長)か。「10・23通達」を発し、都下の全校長に「日の丸・君が代」強制の職務命令を出させた男。300人余の教員を懲戒処分し、本件原告10名の首を切った男。石原慎太郎(知事)の意を受けて、公教育に国家主義的イデオロギーと管理主義教育体制を持ち込んだ男。

君が代解雇訴訟で、この男が地裁103号法廷の証言席に座った。庁内最大の法廷も、今日は傍聴席の抽選倍率が3倍となった。原告側の反対尋問時間の持ち時間は2時間。私も30分余担当した。

主尋問への証言は無内容、粗雑なものであった。こんな粗雑なだけの証言をする人間に、教育行政を預け、教員の首を預けていることへの恐ろしさを禁じ得なかった。とんでもない人物に権力を握らせる恐怖である。

しかし、反対尋問では、意外に証人は挑戦的ではなかった。そして、証言の切れ味もなかった。ただただ粗雑に、首切り役人の役割を買って出たその姿を露わにした。憲法の理念に理解なく、なすべき検討を怠り、慎重さを欠いて、ひたすら蛮勇をふるった姿。

彼が語ることは、極めて単純。

『学習指導要領が法的拘束力を持っている。それに従って適正に国旗国歌の指導が必要だ。ところが、都立校では適正な指導がなされておらず、積年の課題として正常化が必要だった。だから、「10・23通達」が必要だった。「10・23通達」に基づいて、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」との職務命令を発したのは校長の裁量だが、職務命令が出た以上は、その違反を理由とする懲戒処分は当然』これだけである。

この道筋以外のことは彼の頭に入らない。検討もしていない。この彼の「論理」の道筋を辿った反対尋問がなされた。学習指導要領の性格について、旭川学テ訴訟最高裁大法廷判決の理解について。「大綱的基準」の意味について。創意工夫の余地が残っているかについて。学習指導要領と「10・23通達」の乖離について。教員への強制の根拠について。児童生徒の内心への介入について。強制と指導の差異について。内心の自由説明を禁止した根拠について。処分の量定の根拠について。比例原則違反について‥。

およそ、憲法上の検討などはしていないことが明らかとなった。彼は、「憲法19条の思想良心の自由は、純粋に内心の思想だけを保護するもの」という。では、「内心の思想良心が外部に表出されれば、21条の問題となる。21条についてはどのような検討をしたのか」と聞いたところ、「21条とは何でしょうか。私は法律家ではないから分からない」と言った。これには、本当に驚いた。21条は、9条と並ぶ憲法の看板ではないか。憲法のエッセンスである。本件でも、不起立を、象徴的表現行為との主張もしている。

突然に尋問が空しくなった。もっともまじめな教育者たちが、その真摯さゆえに、こんな程度の人物にクビを切られたのだ。およそ何の配慮も検討もなく。」

なお、10月25日(土)18時30分から、
お茶の水の連合会館(旧総評会館)大会議室で
「学校に自由と人権を!10・25集会」が開催される。

集会の趣旨は以下のとおり。
「都教委の10・23通達による463名もの教職員の大量処分。こんな異常な教育行政に屈せず闘い続けて11年。この闘いを通して学校での「日の丸・君が代」強制は、「戦争する国」のための人つくりの「道具」となっていることを実感しています。

都教委は、10・23通達を契機に学校現場を「屈服」させ、都立高校での自衛隊との連携に名を借りた宿泊防災訓練(自衛隊への「体験入隊」)、「学力スタンダード」など都教委の各学校の教育課程への介入、「生活指導統一基準」という名の「処罰主義」による画一的生徒指導の押しつけ、「国旗・国歌法」に関する記述を理由とした実教出版の日本史教科書の排除など、「戦争する国への暴走の先兵となっています。

私たちは、都教委と正面から対決して闘い続けてきました。その原点の1つが「子どもたちをを再び戦場に送らない」決意です。」

メインの講演は池田香代子さん「子どもとおとな 平和でつながろう」
私も特別報告で「『君が代』訴訟の現段階と今後の展望」を語る。 
ぜひ、集会にご参加を。
(2014年10月23日)

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