澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

『共謀罪法案』社説ー朝日・毎日・東京は「反対」、日経は「慎重」、読売は「賛成」、産経は掲載なし

昨日(3月21日)政府は「共謀罪法案」を閣議決定し、国会に上程した。政府と自公両党は、4月中に法案の審議に入り、通常国会の会期末(6月18日)までに成立を目指す、としている。そんなことをさせてはならない。

「共謀罪」という罪名の犯罪を新たに作ろうというのではない。既にある277罪について、実行行為に着手する以前の「共謀」の段階で処罰を可能としようというのだ。政府の説明では、「共謀」だけでなく、実行に向けた「準備行為」への着手が必要とされているのだから、「何が犯罪となるか不明確ではない」というが、なんの説得力もない。実行行為への着手の有無が処罰の可否の分水嶺であり、刑事処罰と強制捜査のための権力発動の分水嶺である。『共謀罪』の創設は、その分水嶺のはるか手前の段階で、普通は犯罪とは言えない行為を処罰対象とするもの。まさしく、現行刑法の基本原則を根こそぎ覆す暴挙と評する以外にない。

日本国憲法下、日本の国民は自由主義を信奉してきた。自由をかけがえのない価値とする社会を作ろうとしてきた。戦後の国政をになった保守政権も、政党名に自由を冠し、自由をスローガンとして、反対政党の政策を「自由の寡少」と攻撃してきたではないか。自由とは国家権力から守られるべきもの。自由主義とは、国家権力の発動による個人の行動への制約を極小化すべきとする原則である。アベ内閣は、本気でこれに挑戦しようというのだ。

国家権力が犯罪を処罰し、そのことを通じて社会の秩序の維持を図る役割を果たすべきは当然である。しかし、その必要を超えて、権力の恣意による国民の自由の制約があってはならない。国民の行為への処罰範囲の拡大は、厳密な立法事実を踏まえてのものでなくてはならない。

当初は676罪とした共謀処罰対象を277罪に絞ったという手柄顔の説明は、それこそ立法段階における政府の恣意性を自白するに等しい。277罪の共謀処罰についての必然性はなく、国民は、犯罪実行行為とは無縁の、無定型な日常行為を監視され、強制捜査され、処罰される不安の中で生活を余儀なくされる。これは、自由主義国家のありかたではない。

一方に、「政府を信頼せよ」「警察も検察も裁判所も、けっして法の濫用を許さないだろう」という論調がある。しかし、戦争法反対のデモに対する政府・与党の対応を見よ。沖縄での平和運動への弾圧を見よ。堀越事件・世田谷事件などで表面化した常軌を逸した尾行張り込みの監視の実態を見よ。数々の違法捜査に目をつぶってはならない。「政府も捜査機関も信頼してはならない」それが、健全な自由主義国家の国民の態度でなくてはならない。

のみならず、我々は戦前の治安維持法の猛威を、苦い教訓として知っている。構成要件曖昧な治安法規は、権力に好都合で、国民の人権には甚だしい害悪を及ぼすのだ。「天子様に弓引く非国民の極悪人の結社を処罰するだけ」だったはずの治安維持法が、処罰対象を拡散して、政府に不都合なあらゆる思想や行動を制圧したことを想起しなければならない。

本日の各紙社説(6全国紙)に目を通した。朝日・毎日・東京が批判の立場を鮮明にしている。日経も慎重な審議を求めており、読売だけが政権に提灯をもつ論説となっている。批判と提灯の数は3対1。東京が熱のある社説になっているし、朝日・毎日の論調にも説得力がある。それに比較して、読売の論説はおざなりで説得力に乏しい。せっかくの政権への提灯社説だが、大した明るさの提灯とはなっていない。産経は社説を掲載していないが、産経といえば読売と兄たり難く弟たり難い間柄。推して知るべしであろう。

地方紙は、軒並み原則的な社説を書いているようだ。論戦のスタート時の状況としては、悪くないのではないか。以下、全国紙5社説の概要を紹介する。

☆朝日社説のタイトルは、「『共謀罪』法案 疑問尽きない化粧直し」。

「化粧直しのポイントは、(1)取り締まる団体を「組織的犯罪集団」に限定する、(2)処罰できるのは重大犯罪を実行するための「準備行為」があった場合に限る、(3)対象犯罪を組織的犯罪集団のかかわりが想定される277に絞る―の三つだ。だが、いずれにもごまかしや疑問がある。」

「旧来の共謀罪についても、政府は『組織的な犯罪集団に限って成立する』と言ってきた。だとすれば(1)は新たな縛りといえない。安倍首相の「今度は限定している。共謀罪との大きな違いだ」との国会答弁は、国民を誤導するものに他ならない。(2)の「準備行為」も何をさすのか、はっきりしていない。共謀罪は組織犯罪防止の国際条約に加わるために必要とされた。そして条約の解釈上、重い刑が科せられる600超の犯罪に一律に導入しないと条件を満たせないというのが、政府の十数年来の主張だった。(3)はこれを一転、半減させるというものだ。融通無碍、ご都合主義とはこのことだ。」

「犯罪が実行されて初めて処罰するという、刑法の原則をゆるがす法案である。テロ対策の名の下、強引に審議を進めるようなことは許されない。」

朝日社説の『共謀罪』法案批判のキーワードは、「化粧直し」「融通無碍」「ご都合主義」である。これからも、このキーワードが多用されそうだ。

☆毎日社説の表題は、「『共謀罪』法案 説明の矛盾が多過ぎる」と厳しいもの。

「政府はかつて『共謀罪』新設の関連法案を3度提出したが、廃案になった。名称を変えた今回の法案も、組織犯罪が計画段階で幅広く処罰可能となる本質は変わらない。」
「こうした処罰の規定は人の内心に踏み込む。捜査側の対応次第で国民生活も脅かされる。」「日本の刑法は、犯罪行為に着手した時点で処罰の対象とするのが原則だ。…今回の法案は従来の原則からかけ離れている。」

「それにしても、これまでの政府の説明には矛盾が目立つ。最大のほころびは対象犯罪数だ。条約が法整備を求める4年以上の懲役・禁錮の刑を定める犯罪数は676あり、選別はできないと政府は説明してきた。だが、公明党の意見をいれ、今回の法案では対象犯罪を277に絞り込んだ。これでは過去の説明と整合しない。」

「法案の再提出に当たり、唐突にテロ対策の看板を掲げたことも理解できない。条約はマフィアによる犯罪収益の洗浄などへの処罰を目的としたものだ。」「安倍晋三首相が、東京五輪・パラリンピックのテロ対策を理由に『法整備ができなければ開催できないと言っても過言ではない』などと発言するに至っては、まさに首相が批判する印象操作ではないか。」

毎日社説のキモは、「『共謀罪』提案はテロ対策」というアベの説明を、「まさに首相が批判する印象操作ではないか。」と言い放っているところ。

☆東京社説は長い。タイトルは「『共謀罪』閣議決定 刑法の原則が覆る怖さ」と本質を衝くものとなっている。

「政府が閣議決定した組織犯罪処罰法改正案の本質は『共謀罪』だ。277もの罪を準備段階で処罰できる。刑事法の原則を覆す法案には反対する。」

「共謀罪の考え方は、日本の刑事法の体系と全く相いれない。日本では既遂を処罰する、これが原則である。心の中で考えただけではむろん犯罪たり得ない。犯罪を実行して初めて処罰される。未遂や予備、陰謀などで処罰するのは、重大事件の例外としてである。
だから、この法案は刑事法の原則を根本からゆがめる。しかも、277もの罪に共謀罪をかぶせるというのは、対象犯罪を丸暗記していない限り、何が罰せられ、何が罰せられないか、国民には理解不能になるだろう。」

「安倍晋三首相は国会答弁で『東京五輪のために必要な法案だ』という趣旨の発言をした。これは明らかな詭弁というべきである。そもそも日本はテロに対して無防備ではない。テロ防止に関する13もの国際条約を日本は締結している。ハイジャック防止条約、人質行為防止条約、爆弾テロ防止条約、テロ資金供与防止条約、核テロリズム防止条約…。同時に国内法も整備している。例えば爆発物に関しては脅迫、教唆、扇動、共謀の段階で既に処罰できる。サリンなど化学物質などでも同じである。
むしろ、政府は当初、『テロ等準備罪』の看板を掲げながら、条文の中にテロの定義も文字もなかった。批判を受けて、あわてて法案の中に『テロリズム集団』という文字を入れ込んだ。本質がテロ対策でない証左といえよう。『五輪が開けない』とは国民に対する明白な誤導である。本質は共謀罪の創設なのだ。」

「危惧するのは、この法案の行く末である。政府は普通の市民団体でも性質を変えた場合には適用するとしている。米軍基地建設の反対運動、反原発運動、政府批判のデモなどが摘発対象にならないか懸念する。」

「英米法系の国ではかつて、共謀罪が労働組合や市民運動の弾圧に使われたという。市民団体の何かの計画が共謀罪に問われたら…。全員のスマートフォンやパソコンが押収され一網打尽となってしまう。もはや悪夢というべきである。実は捜査当局が犯行前の共謀や準備行為を摘発するには国民を監視するしかない。通信傍受や密告が横行しよう。行き着く先は自由が奪われた『監視社会』なのではなかろうか。」

東京社説のキーワードは、「監視社会化」である。

☆日経社説は、「十分な審議が必要な『共謀罪』」というもの。
「この法案の必要性や意義について、そもそも国民の間に理解が深まっているとは言いがたい。国会審議の場では成立を急ぐことなく、十分な時間をかけて議論を尽くす必要がある。」

「今回政府は国民が理解しやすいテロを前面に出して必要性を訴えてきた。」「当初の法案の中に「テロ」の文言がなく、与野党から指摘を受け慌てて盛り込むことになった。」

「テロも組織犯罪の一形態とは言えるが、国会審議ではまず、資金洗浄や人身売買、薬物取引など条約がうたう「本来」の組織犯罪対策のあり方などについて十分に議論すべきではないか。現に日本は暴力団犯罪など組織犯罪の脅威にさらされている。」

ともかく、日経も法案に賛成はしていない。慎重審議も、今は政権のやり方批判となり得ている。

☆そして読売社説である。「テロ準備罪法案 政府は堂々と意義を主張せよ」という、自民党広報紙並みのタイトル。興味深いのは、政権の肩をもちながらも、法案の問題点や弱点を問わず語りに告白していること。そして、このあたりが世論説得のポイントと教えてくれているところである。その意味では、貴重な資料というべきだろう。敢えて、全文を転載しておきたい。

「テロ対策の要諦は、事前に犯行の芽を摘むことである。政府は、法案の早期成立に万全を期さねばならない。
テロ等準備罪の創設を柱とする組織犯罪処罰法改正案が国会に提出された。2020年東京五輪を控え、テロ対策は喫緊の課題だ。改正案が成立すれば、国際組織犯罪防止条約への加入が具体化する。締約国間で捜査共助や犯罪人の引き渡しが円滑にできるようになるなど、メリットは計り知れない。
法案化の過程で、対象となる「組織的犯罪集団」が「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」に修正された。テロの文言がなく、与党の批判を招いたためだ。
組織的犯罪集団は「共同の目的が一定の犯罪を実行することにあるもの」と定義される。修正により、テロ対策という立法の趣旨は、より明確になったと言える。
「その他」に想定されるのは、暴力団や振り込め詐欺集団だ。犯罪の抑止効果が期待できよう。テロ等準備罪の成立には、犯行計画に加え、資金調達などの準備行為の存在が不可欠だ。要件を満たさない限り、裁判所は捜索や逮捕に必要な令状を発付しない。適用範囲が恣意的に拡大される、といった民進党などの批判は当たるまい。「一般市民も対象になりかねない」という指摘も殊更、不安を煽るものだ。

対象犯罪について、政府は当初の676から、組織的犯罪集団の関与が現実的に想定される277に絞り込んだ。「対象の団体を限定した結果、犯罪の絞り込みも可能になった」との見解を示す。公明党が「対象犯罪が多すぎる」と主張したことにも配慮した。理解を広げるために、一定の絞り込みは、やむを得ない面もある。政府は過去に「条約上、対象犯罪を限定することは難しい」と説明している。これとの整合性をどう取るかが課題だ。

今国会の審議では、共謀罪法案との違いを際立たせようと腐心する政府の姿勢が目立つ。共謀罪法案を3度も提出したのは、必要性が高かったからだろう。差異を付けることを優先するあまり、今回の改正案が捜査現場にとって使い勝手の悪いものになっては、本末転倒である。国民の安全確保に資する法案であると、堂々と主張すべきだ。

金田法相の答弁は不安材料だ。要領を得ない受け答えが多く、「成案を得てから説明する」と繰り返してきた。緊張感を持って、審議に臨んでもらいたい。」

読売社説を対象にしてこそ、説得力のある反論を組み立てられる。そのような目で、これを読み込みたい。
(2017年3月22日)

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