澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

平和主義についての国民的学習の成果を

憲法96条先行改正問題を機に、「立憲主義」というやや固い法的概念が人口に膾炙することになった。「国民が権力を縛るのが立憲主義本来の姿。縛られるべき立ち場にある権力が拘束を嫌って、『縛りを緩くせよ』と要求することは本末転倒も甚だしい」と、至るところで述べられるようになった。国民的な憲法学習の効果として、日本国憲法とその理念が国民に確信として定着することはまことに喜ばしい。

「96条改憲の先には9条改憲が控えている」というフレーズも、ごく当然なものとして社会が受け入れるようになった。「9条改憲」のなんたるかについても、国民的な学習効果を期待したい。ここが、正念場だ。

「日本をめぐる国際環境が険悪になってきたから9条の平和主義の拠って立つ土台が崩れ、その実効性が薄らいできた」という論調が多少なりとも幅を利かすのは、平和主義についての国民的な学習効果が未熟だからだ。9条の平和主義は、国際紛争が現実化するときにこそ生きた規範となる。国際紛争のないときには、その解決手段としての「武力による威嚇」も「武力の行使」もそもそも必要がない。どんなに国際環境が悪化し、たとえ国際紛争が現実化しようとも、けっして武力に訴えることはしないと、予め覚悟をもって決めたのだ。それが、日本国憲法9条の平和主義だ。領土問題が深刻化したときにこそ出番の9条なのである。

いま9条は、「明文改憲」においてだけでなく、その内容を崩壊させる「立法改憲」と「解釈改憲」という形においても攻撃されている。具体的には、「国家安全保障基本法案」の提案と、集団的自衛権の行使を可能とする政府解釈変更の策動である。

昨日(7月30日)の毎日新聞は、「政府は、憲法解釈で禁じている集団的自衛権の行使について、秋の臨時国会での答弁で容認を表明する検討に入った。複数の政府関係者が明らかにした。安倍晋三首相の私的懇談会『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』(安保法制懇)が秋に報告書をまとめるのを受け、首相か関係閣僚が解釈変更を表明。あわせて行使の具体的な範囲を巡る議論を加速し、法的裏付けとなる『国家安全保障基本法案』などの来年の通常国会への提出を目指す」と報道している。

恐るべき事態であって今後当面の憲法問題の焦点は、「安保法制懇報告⇒集団的自衛権解釈変更⇒新防衛大綱策定⇒国家安全保障基本法」となるだろう。そして、この動きと並行して、軍事機密擁護を主目的とする「秘密保全法」制定が目論まれ、その阻止が独立の重要課題となる。

これが、「自民圧勝」がもたらした結果。「躍進共産」に、反対運動の先頭になっての活躍を大いに期待したい。

少し心強いのは、安倍自民や安保法制懇などの集団的自衛権についての憲法解釈の見直し策動は、けっして世論の支持を受けていないことだ。一昨日(7月29日)の毎日新聞世論調査報道は、「集団的自衛権『行使容認に反対』51% 『景気優先を』35%」という見出し。「現在は憲法解釈上行使できないとされる集団的自衛権について、行使できるようにした方がいいと『思わない』とした人が51%に達し、『思う』の36%を大きく上回った。一方で、安倍晋三首相に一番に取り組んでほしい国内の課題は『景気回復』が35%と最多で、首相がこだわる『憲法改正』は3%にとどまった。首相は改憲や集団的自衛権の行使容認など保守色の強い政策に意欲を示しているが、世論の関心は経済に集中している」というのが記事の内容。

安倍自民の「圧勝」の内実は、実のところ「景気回復期待票」に過ぎない。安倍がはしゃいで出過ぎたことをすれば、たちまち民意は離れ政権は瓦解する。国民が平和主義について十分に学習して、学習効果が目に見えるようになるまで、けっして時間がないわけではない。平和を大切に思う人々の努力次第である。

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  『ヘルマン・ヘッセの百日草』
昔の田舎の庭にはかならず百日草(ヒャクニチソウ)が植わっていた。花の少なくなる真夏につぎつぎと咲き続ける、あの強靱な花。蕾のときは、花びらが固く集まって、アルマジロの背中のような模様をした、コロンとした緑色のボール状になっている。花開けば、裏と表の色の違う厚紙で作られたような花びらが、ドライフラワーのように、何日間も色と形を保ちつつける。蕾が後から後からでてくることと、開いた花がいつまでも色あせないので、百日草と名付けられた。また、そのせいで、ちょっと野暮ったい花として軽んじられてきた感がある。

その花がヘッセに賞賛されると次のようになる。
「私は百日草の花束の、とりたての新鮮なときから枯れるまでの変化を、この上ない幸せな気持ちと好奇心を持って見守るのです。花の世界でも、切り取ったばかりの1ダースもの多種多様な色彩の百日草ほど晴れやかで、はつらつとしたものはありません。この花の色彩はもう強烈に内部から輝きを発し、色彩そのものが歓声をあげているのです。この上もなく派手な黄色と橙色、無類に陽気な赤と比類なく素晴らしい赤紫色、それらは、よく素朴な田舎娘のリボンや日曜日の民族衣装の色のように見えることもあります。私はこれらの強烈な色彩を望みのままに並列したり、互いに混ぜ合わせたりするのですが、それらはいつもうっとりするほどの美しさです。」

「花瓶の中でゆっくりと色あせて枯れてゆく百日草を見ていると、私はひとつの死の舞踏を、無情との半ば悲しい、半ば甘美な合意を体験するのです。まさにこの上なくはかないものが最も美しく、死んでゆくことさえこんなに美しく、こんなに華麗で、こんなに愛すべきものだということがあるからです。愛する友よ、一度、切り取ってから8日、ないし10日たった一束の百日草を観察してみてごらんなさい!・・新鮮なうちはきわめて派手で強烈な色彩をもっていたこの花たちが、今や比類なく上品で、きわめてもの憂げな、この上もなく繊細なニュアンスをもった色彩になってゆくのをごらんになるでしょう。一昨日のオレンジ色は、今日はネイプルズイエローになります。明後日には淡いブロンズ色を帯びた灰色になるでしょう。」

「花弁の裏側もよく注意してごらんなさい!・・この陰になった側で、このような色彩の変化の戯れが演ぜられるのです。この昇天が、死んでますます霊的なものになっていく過程が、花冠そのものにおけるよりもいっそう薫り高く、いっそう驚異的に演じられるのです。ここでは他の花の世界では見られない失われた色彩が、独特の金属的で鉱物的な色調が、灰色、灰緑色、ブロンズ色などの変わった色が見られるのです。」
「あなたは、高貴なヴィンテージワイン独特のほのかな芳香や、桃の皮とか美しい女性の肌のうぶ毛の光沢を高く評価なさるのとまったく同じように、このようなものをきっと評価してくださるでしょう。私が枯れてゆく百日草の色彩や、野の花の優美な、消えてゆく色調への愛に燃えたとしても、あなたから感傷的なロマンチストだといって笑われることはないと思います。」

もしあなたが百日草をまだ知らなければ、ヘッセの魔術にかかったまま、ほんものの百日草を見ない方がいいかもしれない。花屋では切り花として売っていないかもしれないほど、田舎くさい花なんですから。
(2013年7月31日)

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Published in 水曜日, 7月 31st, 2013, at 23:45, and filed under 未分類.

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