東京「君が代」裁判(第4次訴訟)、控訴理由書作成中。
「10・23通達」関連訴訟の中核に位置づけられる東京「君が代」裁判(第4次訴訟)。9月15日に東京地裁民事第11部(佐々木宗啓裁判長)の判決があり、今12月18日を提出期限と定められた控訴理由書を鋭意作成中である。
同判決は、減給以上の全処分(原告6名についての7件)を取り消した。この点については評価しうるのだが、戒告処分(9名についての12件)については取り消し請求を棄却した。不当であり無念というほかない。
原告団・弁護団は、何よりも違憲論を重視している。
《「10・23通達」⇒起立斉唱を命じる校長の職務命令⇒職務命令違反を理由とする懲戒処分》という、行政の一連の行為が違憲だという主張。違憲の根拠を、「客観違憲論」と「主観違憲論」に大別した。
立憲主義に基づく憲法の構造上、そもそも公権力が国民に対して、「国に敬意を表明せよ」などと命令できるはずはない。また、憲法26条や23条は教育の場での価値多様性を重視しており、公権力が過剰に教育の内容に介入することは許容されず、本件はその教育に対する公権力の過剰介入の典型事例である。というのが、客観違憲論。誰に対する関係でも都教委の一連の行為は違憲で、違法となる。
憲法で規定され保障された、思想・良心の自由(憲法19条)、信仰の自由(20条)、教育者の自由(23条)などを根拠に、各原告の基本権が侵害されたことを理由とする違憲の主張が主観的違憲論。特定の思想・良心・信仰を持つ人との関係でのみ違憲となる。
また、必ずしも違憲判断に踏み込まずとも、戒告処分を含む全処分を処分権の逸脱濫用として取り消すことが可能である。これが6年前の1次訴訟控訴審の東京高裁『大橋判決』だ。しかも、これまでの最高裁判決は、「戒告はノミナルな処分に過ぎず、被戒告者に実質的な不利益をもたらすものではない」ことを前提としていた。しかし、実は戒告といえども、過大な経済的不利益、実質的な種々の不利益をともなうようになってきた。とりわけ、最近になって都教委は意識的に不利益を増大させている。しかし、この不利益も同判決が採用するにはいたらなかった。
事案の全体像のとらえ方を示している同判決の一部をご紹介しておきたい。 *******************************************************************
☆ 事案の要旨
(1) 被告(東京都)の設置する高等学校又は特別支援学校の教職員である原告らが,その所属校において行われた卒業式又は入学式において,国歌斉唱時には指定された席で国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することを求める校長の職務命令に違反して起立しなかったところ,東京都教育委員会は,かかる不起立は地方公務員法32条及び33条に違反するものであるとしたうえ,同法29条1項1号ないし3号に基づき,原告らに対し,戒告,減給又は停職の懲戒処分を行った。
(2) 本件は,原告らが,起立斉唱命令,その前提とな’った都教委の通達ないしそれらによる原告らに対する起立斉唱の義務付けは,原告らの思想・良心の自由,信教の自由,教育の自由を保障した憲法及び国際条約の規定に違反し,公権力行使の権限を踰越するものであり,「不当な支配」を禁じた教育基本法の規定にも抵触するから,原告らに対する起立斉唱命令は重大かつ明白な瑕疵を帯びるものとして無効であり,その違反を理由とする懲戒処分も違法であることに帰するし,仮に起立斉唱命令が有効であるとしても,その違反に対して戒告,減給又は停職の処分を科したことについては手続的瑕疵及び裁量権の逸脱・濫用があるから違法であるなどと主張して,被告に対し,各処分の取消しを求めるとともに,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償(懲戒処分1件につき55万円)及びこれに対する訴状送達日(平成26年4月14日)の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
☆ 争点
(1)原告Xに対する起立斉唱命令(本件職務命令)の有無
(2)本件職務命令等の憲法19条違反(思想・良心の自由の侵害)の有無
(3)本件職務命令等の憲法20条違反(信教の自由の侵害)の有無
(4)本件職務命令等の憲法26条,13条及び23条違反(教師の教育の自由の侵害)の有無
(5)本件職務命令等の国際条約違反の有無
(6)本件職務命令等の公権力行使の権限踰越ゆえの違憲・違法の有無
(7)本件職務命令等の教基法16条1項(不当な支配の禁止)違反の有無
(8)本件処分の手続的瑕疵の有無
(9)本件職務命令違反を理由として少なくとも戒告処分を科することの裁量権の逸脱・濫用の有無
(10)本件職務命令違反を理由として減給又は停職の処分を科することの裁量権の逸脱・濫用の有無
(11)国賠法1条1項に基づく損害賠償請求の当否
今進めている作業は、上記の(1)?(11)までの原判決の判断に対する反論である。
上記(10)に関する裁判所の判断だけが納得しうるもので、その余の判断は全て納得しがたい。
憲法は、国家と国民の関係を規律する。国家象徴(国旗・国歌)と国民個人の価値的な優劣の関係は、憲法の最大関心事のはず。主権者国民の僕に過ぎない国家が、その主人である主権者国民に向かって、「吾に敬意を表明せよ」と命じることなどできるはずがない。これは憲法価値の序列における倒錯であり、背理でもある。真っ当な憲法判断を獲得すべく弁護団・原告団は努力を重ねている。
(2017年12月6日)