都知事が2代続けて「汚れたカネ」でつまずいて、辞任に追い込まれた。今回都知事選は、いつにもまして候補者の「政治資金収支のクリーン度」が問われている。カネにキズ持つ候補者は、今回都知事選に出馬の資格がない。
昨日の当ブログで、「落選運動を支援する会」のサイトを引用して、小池百合子候補の「政治とカネ」疑惑4件をお伝えした。今日(7月24日)になって、そのうちの1件に進展があった。小池百合子の「政治資金疑惑」の色が一挙に濃くなったのだ。小池は、思想的に右翼というだけではない。「政治資金のクリーン度」不足についても徹底した批判を受けなければならない。赤旗と日刊ゲンダイが伝えているニュースだが、もっと多くの有権者に小池百合子「裏金作り疑惑」を知っていただきたいと思う。
政治資金の流れは、徹底して透明でなければならない。これをごまかそうというのが、「裏金作り」だ。適宜に調達した領収証を利用して、政治資金収支報告書には実体のない支出の報告をしておく。こうして浮かせた金が、国民の目から隠れた支出に使われる。計画的で組織的な、ダーティきわまるカネの使い方。もちろん、政治資金規正法における「収支報告書への虚偽記載の罪」に当たる。小池百合子にその疑惑濃厚なのだ。
昨日の当ブログの該当個所は、以下のとおりである。
小池百合子自民党衆議院議員(元防衛大臣)の政治資金問題その2
「不可解な「調査費」支出とその領収書問題
http://rakusen-sien.com/rakusengiin/6730.html
既にない企業へ世論調査を依頼し、「調査費」の領収証をもらったという不可解。
こんなことをしている政治家に、クリーンな都政を期待できるのか。」
落選運動のサイトから、疑惑を再構成してみよう。
☆政治資金収支報告書によれば、小池百合子議員の政党支部「自民党・東京都第10選挙区支部」(代表者・小池百合子)は、2012年から2014年まで、「M?SMILE」(当初、東京都新宿区新宿5?11?28、後に東京都渋谷区広尾5?17?11)という先に「調査費」合計210万円を支出している。
☆上記住所の「M?SMILE」は、インターネットで検索しても該当するものが見あたらない。会社としての登記もない。実在が怪しい。
☆「日刊ゲンダイ」の調査報道(「小池百合子氏に新疑惑 “正体不明”の会社に調査費210万円」2016年7月5日)によると、同紙の問合せに対する小池事務所の説明は次のとおり。
「当初は『M―SMILE』という会社名だったのですが、現在は『モノヅクリ』という名前に変更されています。・・・支出目的? 選挙の際、世論調査をお願いしました」
☆この説明は不自然で、疑惑が残る。
・『モノヅクリ』は実在するが、「オーダースーツ専門の株式会社」で、調査をする会社とは思えない。
・この点の疑惑に関して、『モノヅクリ』の代表者はこう説明している。
「私は09年ごろから、個人的に『M―SMILE』という名で世論調査の事業を始めました。小池さんから仕事をいただき、軌道に乗れば法人登録したかったのですが、うまくいかなかった。そのため、12年に『モノヅクリ』を立ち上げ、オーダースーツの事業をメーンにしています」(「日刊ゲンダイ」)
・小池事務所の「『M―SMILE』という会社名が、『モノヅクリ』という名前に変更された」と、『モノヅクリ』側の「12年に『モノヅクリ』を立ち上げた」は齟齬がある。「調査」と「スーツ」、事業目的の違いはあまりに大きく商号変更というには無理があろう。
☆2012年には既に企業としては存在しなくなっている『M―SMILE』に、2012年から2014年まで調査費を支払ったということはあまりに不自然。
・仮に、「『M―SMILE』という会社名が、『モノヅクリ』という名前に変更」されたとしても、13年・14年とも『M―SMILE』の領収証を添付し続けたことが、これまたあまりに不自然。
☆実は、調査の依頼などの事実はなく、存在しない(あるいは、存在しなくなった)会社の領収書が意図的に作成された疑惑が残る。政治資金収支報告書上は調査費支出としておいて、実は210万円を裏金とする操作をしたのではないか。これは、政治資金規正法上の収支報告書への虚偽記載に当たる可能性がある。
ここまでは、昨日まで判明の「疑惑」。ここからが「本日さらに濃くなった疑惑」である。
本日(7月24日)の赤旗・社会面のトップと、「日刊ゲンダイ」(デジタル)が、新たな調査で判明した疑惑を報道している。
「小池百合子氏「裏金疑惑」 都議補選に出馬“元秘書”の正体」(「ゲンダイ」)、「『調査費』210万円の実態不明会社 社長の正体は元秘書」(赤旗)という各見出し。
「ああ、やっぱり」というべきなのだ。「疑惑」は限りなくクロに近くなった。
赤旗の記事を引用しておこう。
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「東京都知事選(31日投票)に立候補している元防衛相、小池百合子氏の政党支部が、実態不明の会社に「調査費」名目で210万円を支出していた問題で、同社の社長は、小池氏の元秘書だったことが、23日までにわかりました。まさに政治資金の“横流し”といえるもの。しかも小池氏は、この元秘書を22日に告示された都議補選・新宿区に無所属で擁立しており、小池氏側に説明責任が浮上してきました。
政治資金収支報告書によると、小池氏が支部長を務める「自民党東京都第10選挙区支部」は、2012年?14年に計210万円を「調査費」名目で「M―SMILE」に支出しています。
本紙の調べによると、このM―SMILEなる会社は、当該住所に存在しませんでした。本紙の「架空支出ではないのか」との問い合わせに、小池事務所は「M―SMILEは現在、『ものづくり』という会社で、世論調査を発注、結果を受け取っていた」と文書で回答してきました。
今回、都議補選に立候補した小池氏の元秘書は、森口つかさ氏(34)。同氏のオフィシャルサイトによると、08年9月に「衆議院議員小池百合子事務所」に入所し、12年10月に「株式会社モノヅクリ設立」とあります。
登記簿やホームページによると、「モノヅクリ」は、東京都渋谷区広尾に「本店」を置き、資本金100万円のオーダースーツ専門会社。森口氏が社長でした。
元秘書のオーダースーツ専門会社に「調査費」名目で支出していたことになります。
第10選挙区支部は、12年?14年の3年間で4875万円の政党助成金を自民党本部から受け取っています。これは、同支部の収入総額(約9140万円)の53・3%にあたります。国民の税金が、「調査費」名目で自分の秘書の会社に流れていた可能性があります。
小池氏は、森口氏擁立にあたって、「都議会に私の仲間というか、方向性を同じくする者が存在するということは意義深いことだ」と語り、22日の告示日にも応援に立ちました。
小池氏は、知事選立候補表明直後に掲げていた「利権追及チームの設置」にいつのまにか言及しなくなりました。「しがらみなくクリーンな若い力で、不透明な都政を変えます」と主張している森口氏ともども、不透明な政治資金支出について、明確な説明が求められています。
以下は「日刊ゲンダイ」の記事
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「31日投開票の都知事選に出馬している小池百合子元防衛相(64)に新たな「政治とカネ」問題が浮上した。今回はナント! 「裏金づくり」疑惑だ。
日刊ゲンダイは小池氏が代表を務める「自民党東京都第十選挙区支部」の収支報告書に添付された領収書の写し(2012?14年分)を入手。この領収書を精査すると、不可解なカネの流れが判明した。
同支部は12?14年、「M―SMILE」という会社に「調査費」として計210万円を支出していたのだが、この会社は登記簿を調べても記載がなく、実体不明の会社だったからだ。
小池事務所は「現在は『モノヅクリ』という社名に変わっている。選挙の際の世論調査を依頼した」と説明。そこで日刊ゲンダイが改めて「M?SMILE」の代表者に確認すると、代表者の男性は「09年ごろ、個人的に『M―SMILE』という名で世論調査の事業を始めた。12年に、『モノヅクリ』を立ち上げ、オーダースーツの事業をメーンにしている」と説明。つまり、実体のないスーツ会社が、小池氏から多額の政治資金を受け取り、世論調査を請け負っていた――という怪しさを記事にした。
■小池氏、元秘書とも問い合わせにダンマリ
そうしたら、小池陣営が22日、都議補選(31日投開票)で新宿選挙区から擁立した男性の名前を見て驚いた。何を隠そう「M?SMILE」の代表者、森口つかさ氏(34)だったからだ。しかも、肩書は小池氏の「元秘書」だったからビックリ仰天だ。
つまり、小池氏は自分の秘書がつくった“ペーパーカンパニー”に多額の政治資金(調査費)を支払っていたことになる。これほど不自然で、不可解なカネの流れはないだろう。政治資金に詳しい上脇博之・神戸学院大教授もこう言う。
「小池氏の政党支部が(M?SMILE)に調査費を支出した時期に森口氏が秘書を務めていたのなら大問題です。通常、議員のために調査を行うことは秘書としての業務の一環で、調査の対価は給与として支払い済みのはず。それを秘書が経営する(幽霊)会社に調査費用を支払うというのは、あまりにも不自然です。裏金をつくったり、不正な選挙資金を捻出していたと疑われても仕方がありません。そうでないのならば、小池氏は説明責任を果たすべきです」
果たして小池氏と森口氏はどう答えるのか。両者に何度も問い合わせても、ともに一切回答なし。知事が2代続けて辞職に追い込まれた「政治とカネ」問題は、今回の都知事選でも間違いなく重要な争点だ。それなのに小池氏、元秘書ともそろってダンマリでいいはずがない。
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以上の各報道が問題点を語り尽くしている。「M?SMILE」にせよ、「モノヅクリ」にせよ、その代表者(森口つかさ)は小池百合子の元秘書なのだ。現在も、小池が都議補選候補に擁立する間柄。小池百合子を代表者とする政治団体が、小池百合子の秘書(あるいは元秘書)に「調査」を依頼し、その秘書(あるいは元秘書)が作成した領収証を受領していたというのだ。領収証はどうにでも作れるではないか。到底些事として看過できることではない。
(2016年7月24日)
本日は、都内共産党支持者のうちの3割の方、そして民進党支持の2割の皆さんにお願いしたい。来たるべき都知事選に、この割合の方が小池百合子候補支持を表明しているという。それは大きな間違いだ。小池百合子が何者であるかを見きわめて、その誤解にもとづく支持を撤回し、是非とも鳥越俊太郎候補に支持を変更していただきたい。
2016年都知事選の様相はまだ混沌としている。基礎票の配分という王道の思考パターンでは、鳥越有利が明らかだ。参院選東京選挙区の保守系(自・公・維・こ)各候補の合計得票数も、これに対する4野党系(民・共・社・生等)の得票合計もほぼ280万票で拮抗している。これを基礎票と考えれば、保守が割れて野党が統一候補を擁立しているのだから、鳥越俊太郎悠々当選ということになる。それが千載一遇のチャンスという根拠。
しかし、そううまくは行かない。明らかに鳥越候補は出遅れた。事前の根回し活動も、知名度アップ作戦もまったくできなかった。公約の作成さえ必ずしも十分ではない。これに対して、先出しジャンケン作戦に成功した小池百合子が、今のところ先攻のメリットを十分に生かしている模様。自公や基礎自治体の組織に乗った増田寛也ではなく、小池が鳥越の対抗馬として有力という報道がなされている。
産経世論調査の報道に至っては、「民進党支持層の約2割、共産党支持層の約3割が小池氏を支持していた。」という。野党支持者に小池百合子への幻想ないし誤解があるのだ。あらためて、小池百合子Who?である。小池について、何者であるかを明らかにしなければならない。
私も、これまで小池百合子という政治家に注目したことはなかった。変わり身の早い「渡り鳥」政治家の典型という程度の認識。自民党政権で重用される女性政治家の常として保守的性向の強い人だとは思っていたが、どうもその程度ではなさそうだ。
小池は、今話題の超保守団体「日本会議・国会議員懇談会」の副会長である。会長が、平沼赳夫、会長代理が額賀福志郎、そして副会長が6名、石破茂・小池百合子・菅義偉・中谷元・古屋圭司・山崎正昭という面々。
そして、下記は7月9日付「日刊ゲンダイ」の記事。8日の外国人特派員協会での会見の報道だ。
「“シャンシャン会見”で終わろうとしていた時、ジャーナリストの江川紹子氏の質問が空気を一変させた。
『ヘイトスピーチ対策法が成立した。自治体の首長としてどう取り組むのか。小池さんは野党時代の2010年、ヘイトスピーチをやってきた“在特会”関連の講演をされていますが、事実ですか』
小池氏は一瞬表情をこわばらせたが、キッパリとこう言った。
『対策法にのっとってやるべきことはしっかりやっていきます。いろいろな講演に出ていますが、在特会がどういうものか存じ上げませんし、主催された団体と在特会の関係も知らない。したがって在特会の講演をしたという認識はありません』
当時、講演会の案内には〈演題:「日本と地球の護りかた」講師:「小池百合子衆議院議員」主催:「そよ風」協賛:「在日特権を許さない市民の会 女性部」〉とハッキリ書いてある。“潔さ”をウリにするオンナにゴマカシは似合わない。」
2010年に小池が在特会女性部の講演をしていたことは初めて知ったが、私も「在特会の講演をしたという認識はありません」はゴマカシだと思う。
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が「排外主義を掲げ執拗な糾弾活動を展開する右派系グループ」として知られるきっかけになったのは、2009年6月の徳島県教組業務妨害事件と、同年12月の京都朝鮮学校襲撃事件である。その後両事件とも逮捕、起訴を経て実行犯の有罪が確定している。民事の損害賠償請求訴訟も高額の認容判決が確定済み。2010年段階では、既に在特会はおぞましい排外主義団体として著名な存在だった。そのような団体と知らずに講演を引き受けたとは考え難い。もし、本当に認識がなかったというのなら、その迂闊さは政治家失格といわざるを得ない。
韓国人学校敷地貸し出し方針を白紙撤回するという、小池の迅速な対応は在特会の講演を引き受ける姿勢にいかにも親和的である。
「韓国人学校を増設するため、東京都が新宿区にある約6千平方メートルの都有地を韓国政府に貸し出す方針を固めたことに、批判が相次いでいる問題で、舛添要一知事は(3月)25日、報道陣の取材に対し『(見直す考えは)全然ありません』と計画を撤回しない考えを示した。」(産経)というのが、前知事の態度だった。
政府とは違う、ソウルとの首都間友好外交の理念にもとづくものだ。この点は、国際政治学者としての舛添の信念であったろう。小池はこれを簡単に覆すという。小池は、舛添よりもはるかに保守的な立場にあり排外的なのだ。
この人のホームページを開いてみた。「小池百合子が目指す『日本』」というページがいきなり出てくる。「小池百合子の政治活動において、一貫して訴え続けているものであり、政策実現のため、あらゆる可能性に挑戦する。」と勇ましい。
柱は7本立てられている。大方は、無難なものだが、いくつか見逃せない。
7本目の柱が「憲法改正」である。どんな憲法改正をたくらんでいるか。「小池百合子の政策」として並んでいる、右翼お定まりのフレーズの数々から明確になっている。以下はその抜粋。
「守る!家族の絆、主権・領土、日本の心と伝統」
「変える!憲法、歪んだ戦後教育」
「NSC(国家安全保障会議)創設で総合安全保障確立」
「拉致、領土問題など、主権死守と憲法改正」
さすが、日本会議所属議員ではないか。
そのほか、見逃せないのが、4本目の柱として掲げられている「教育改革と多様な文化の創造」。
ここに、「文化・伝統を重んじる、教育制度・教育行政への転換を図る」との一文があってギョッとさせられる。この人は、「変える!憲法、歪んだ戦後教育」なのだから、戦後の民主教育・平和教育は歪んでいるという認識のようだ。だから、憲法とともに「戦後教育」も変えなければならないという立場。
小池は、憲法問題については、「憲法問題は自民党で議論されている流れでよい」と明言している。「自民党で議論されている流れ」とは、自民党改憲草案(2012年4月27日)のこと。「日本固有の歴史・文化・伝統」が強調されているが、その内実は、前文冒頭の「天皇を戴く国」ということに尽きる。「文化・伝統を重んじる、教育制度・教育行政」とは、戦前回帰のベクトルと考えざるをえない。人類の叡智が「人類普遍の原理」とした方向性は見えてこない。
都内共産党支持者3割の諸君、そして民進党支持の2割の諸君、あなた方は、「自民党に迫害されて孤立無援で闘っているけなげな女性」などという、小池自作自演のイメージ操作に欺されてはいないか。あなたが、小池に投ずる票は、「憲法改正」賛成票になってしまう。目を見開いていただきたい。こんな右翼政治家に、貴重な票が投じられるか。もう一度、じっくりと考えていただくようお願い申しあげる。
(2016年7月18日)
選挙は戦争によく似ている。昨日(4月12日)開戦の、北海道5区の「選挙戦」について、本日の朝日トップは、「衆院2補選告示 参院選前哨戦」と見出しを打った。天下分け目の総力戦の前哨戦。しかも、アベ自民と野党・市民連合の一騎打ちである。
続いて、「アベノミクスの評価 焦点」という大見出し。関連の記事は以下のとおり。
「安倍首相はこれまで、経済が好調であることを前面に掲げて国政選挙を連勝してきた。ただ、今年に入り世界経済の減速を受けた円高・株安の影響で、政権が掲げる「経済の好循環」の実現が見通せなくなっており、アベノミクスの評価が改めて問われる。安全保障関連法が昨年9月に成立してから初めての国政選挙でもあり、同法の是非をめぐる論戦も焦点だ。環太平洋経済連携協定(TPP)への賛否も争われる。」
結局対立軸となる争点は、「アベノミクス」「安全保障関連法」「TPP」の3本というわけ。3本ともアベ側が放った矢だが、色褪せ、折れている。「アベノミクスの失敗」「戦争法の違憲性」「TPPの秘密主義と地域経済切り捨て」の3本の矢が、返り討ちの矢となっている。
谷垣幹事長の街頭演説が紹介されている。
「野党統一候補を『何党に所属して政治をやるのかも分からない』と批判。一方で『アベノミクスを力の限りやってきた。あと一歩のために、政治の安定が何よりも大事だ』と訴えた。」という。この人、性格上大言壮語は似合わない。結局、これくらいのことしか言えないのだ。
アベ側候補の出陣式で読み上げられた安倍晋三自身のメッセージは次のとおり。
「国民に責任を持つ自民党、公明党の連立政権か、批判だけの(旧)民主党、共産党勢力かの選択を問う極めて重要な戦いだ」。
防戦一方のメッセージ、積極的な武器も戦略も戦術もなんにもない。迫力ないことこの上ない。総大将がこれでは、士気は上がらない。
戦は、勢いだ。いま自公側に勢いはなく、野党・市民側には勢いがある。緒戦の戦況、我が軍に大いに有望ではないか。
ところで、野党連合軍に新兵器はないのか。敵の放った矢を的外れとし、あらためて射返すだけでも大いに意気が上がってはいるが、さて、果たしてこれで十分だろうか。
常々、不思議に思っていたのは、アベ自民の評判はよくない。よくないどころではなく、悪いと言いきってよい。アベの性格もよくない。政策もよくない。個別の政策では明らかに世論の支持を得ていない。ところが、内閣支持率はなかなか落ちない。落ちそうになりながらも、落ちきらない。その理由が実感しにくい。
本日の東京新聞「本音のコラム」欄に、斉藤美奈子が「一発逆転の秘策」という記事を書いている。中身は、松尾匡『この経済政策が民主主義を救うー安倍政権に勝てる対案』(大月書店)の紹介。斎藤美奈子をして、「安倍自民党に勝つための起死回生ともいうべき本を見つけた。」と言わしめている。
大筋ははこんなことだ。「安保法制も改憲も問題だけど、人々が求めているのは景気と福祉だ。対抗勢力はそこがわかってない。個別の案件では反対者が多いのに安倍政権の支持率が落ちないのはなぜか。人々が不況に戻るのを恐れているからだ」というのが、この書の基本視点。確かにそうだと頷かざるを得ない。
自民党は長期低落傾向にあって、国民から見放された。国民の輿望を担って、民主党政権ができたが、国民の意識としては大きな失敗をしたのだ。この失敗の失望が大きい。
自民党の方がまだマシだった。アベ自民に戻って、なにか民主党政権よりはマシなことをやっているようだ。自分の生活は少しも楽にはならないが、いつかはよくなることを期待できそうだ。自民以外の政権に委ねるのは冒険ではないか。そんな気分が、安倍の評判の悪さにもかかわらず、内閣支持率を支えているのだろう。
「英労働党の党首選でコービン氏が勝ったのも、米大統領選の民主党候補者指名争いでサンダース氏が躍進したのも、庶民に手厚い政策ゆえだった。」ことから学べ、というのが松尾書のコンセプト。
「よって野党が勝つには『こんなものでは足りない』『もっと好景気を実現します』『日銀マネーを福祉・医療・教育・子育て支援にどんどんつぎこみます』というスローガンを掲げる以外に方法はない!」というのだ。なるほど。それは基本的に正しいと思う。
アベノミクスは、「パイを大きくしましょう。そうすれば、貧者にも分け前が期待できる」とした。しかし、パイもさして大きくはならず、むしろいびつな形に変形した。何よりも3年待っても分け前は来ない。ならば、アベノミクスとはおさらばして、徹底してパイの分け前優先に切り替えよう。国民1%の利益にではなく、99%の利益のために。ここから、社会は活性化する。経済の好循環が始まる第一歩ともなる。
いま、野党・市民連合の池田まき候補が、「誰一人置いてきぼりにしない政治をつくる」としているのは、結局はその路線だ。一人ひとりの人間を大切にする政治の実現こそが、社会全体の経済を活性化し、パイの拡大にも繋がるということなのだ。
池田まき候補の公式ウェブサイトを何度も開いて宣伝に努めたい。
http://ikemaki.jp/mypolicy
同候補はこう言っている。
「飢餓、貧困、格差、紛争、難民、テロ。立憲主義、民主主義の危機。
世界の、そして日本の大きな課題です。
強い者による強い者たちのための政治が、
こうした問題を深刻化させています。
権力の暴走を止めなければなりません。
声なき声をもよく聞き、政治に反映させなくてはいけません。
『誰一人、置いてきぼりにしない』
『誰もが安心して暮らせる社会をつくる』
私、池田まきはそれをモットーに、福祉の現場で、
既成概念にとらわれず、行動を起こしてきました。
さらに、環境、経済、政治など広い分野で
社会的な危機の解決に取り組んでいくために。
ここ北海道から、より良い日本をつくりたい。
池田まきは、皆さんと共に、
平和、いのち、暮らしを守る戦いに挑みます。」
がんばれ。野党市民共闘候補。安倍の「強い者による強い者たちのための政治」に負けるな。
(2016年4月13日)
「季刊フラタニティ(友愛)」(発行ロゴス)の宣伝チラシの惹句を起案した。6人が分担して、私の字数は170字。最終的には、下記のものとなった。
経済活動の「自由」が資本主義の本質的要請。しかし、自由な競争は必然的に不平等を生み出す。「平等」は、格差や貧困を修正して資本主義的自由の補完物として作用する。「フラタニティ」は違う。資本主義的な競争原理そのものに対抗する理念ととらえるべきではないか。搾取や収奪を規制する原理ともなり得る。いま、そのような旗が必要なのだと思う。
いかにも舌足らずの170字。もう少し、敷衍しておきたい。
典型的な市民革命を経たフランス社会の理念が、『リベルテ、エガリテ、フラテルニテ』であり、これを三色旗の各色がシンボライズしていると教えられた。日本語訳としては、「自由・平等・博愛」と馴染んできたが、今「フラテルニテ」は、博愛より友愛と訳すのが正確と言われているようだ。この雑誌の題名「フラタニティ」は、その英語である。
「自由・平等」ではなく、「友愛」をもって誌名とした理由については、各自それぞれの思いがある。市民革命後の理念とすれば、「民主」も「平和」も「福祉」も、「共和」も「共産」も「協働」もあるだろう。「共生」や「立憲主義」や「ユマニテ」だってあるだろう。が、敢えて「フラタニティ(友愛)」なのである。
自由と平等との関係をどう考えるべきか、実はなかなかに難しい。「フラタニティ」の内実と、自由・平等との関係となればさらに難解。されど、「フラタニティ」が漠然たるものにせよ共通の理解があって、魅力ある言葉になっていることは間違いのないところ。
「フラタニティ」は、この社会の根底にある人と人との矛盾や背離の関係の対語としてある。競争ではなく協同を、排斥ではなく共生の関係を願う人間性の基底にあるものではないか。多くの人が忘れ去り、今や追憶と憧憬のかなたに押しやられたもの。
市民革命とは、ブルジョワの革命として、所有権の絶対と経済活動の自由を最も神聖な理念とした。市民革命をなし遂げた社会の「自由」とは、何よりも経済活動の「自由」である。その後一貫して、経済活動の「自由」は資本主義社会の本質的要請となった。経済活動の自由とは、競争の自由にほかならず、競争は勝者と敗者を分け、必然的に不平等を生み出した。そもそも持てる者と持たざる者の不平等なくして資本主義は成立し得ない。
したがって、資本主義社会とは、不平等を必然化する社会である。本来的に自由を重んじて、不平等を容認する社会と言ってもよい。スローガンとしての「平等」は、機会の平等に過ぎず、結果としての平等を意味しない。しかし、自由競争の結果がもたらす格差や貧困を修正して、社会の矛盾が暴発に至らないように宥和する資本主義の補完物として作用する。一方、「フラタニティ」は、資本主義的自由がもたらした結果としての矛盾に対応するものではなく、資本主義的な競争原理そのものに対抗する理念ととらえるべきではないだろうか。
人が人を搾取する関係、人が人と競争して優勝劣敗が生じる関係、そのような矛盾に対するアンチテーゼとしての、人間関係の基本原理と考えるべきではないだろうか。いま、貧困や格差が拡がる時代に、貧困・格差を生み出す「自由」に対抗する理念となる「旗」が必要なのだと思う。
なお、「博愛」か「友愛」か。
「愛」は、グループの内と外とを分けて成立する。外との対抗関係が強ければ強いほど、内なる「愛」もボルテージの高いものとなる。社会的には許されぬふたりの仲ほどに強い愛はない。家族愛も、郷土愛も、民族愛も、愛国心も、排外主義と裏腹である。外に向けた敵愾心の強さと内向きの愛とは、常に釣り合っている。
「友愛」は、「仲間と認めた者の間の愛情」というニュアンスが感じられる。最も広範な対象に対する人類愛は「博愛」というに相応しい。もっとも、「博愛」には慈善的な施しのイメージがつきまとう一面がある。ならば「友愛」でもよいか。訳語に面倒がつきまとうから、「フラタニティ」でよいだろう。
(2016年3月30日)
3月11日である。この日が、特別の感慨をもって語り合われるようになってから、今日が5回目の「3・11」。この日私は、沿岸の漁民の皆さんと盛岡にいた。午後2時46分、集会を中断して一分間の黙祷を捧げた。今日は、何よりも鎮魂の日である。
このような特別の日は、「8月15日」以来のこと。その前には、9月1日くらいしか思いうかばない。「3月10日」「6月23日」「8月6日」「8月9日」。そのいずれも絶対に忘れてならぬ鎮魂の日ではあるが、8月15日の敗戦体験に収斂させることが可能だろう。
震災被災の体験は、戦争体験を思い起こさせる。とりわけ原発事故は国策の誤りとしてよく似ている。その反省のあり方、責任の所在の曖昧さは、酷似しているといってよい。
8・15の悲惨な体験の反省は、「再び戦争を繰り返さない」という非戦の誓いとなった。「再び、負けてはならない」「負けないように戦争の準備をしよう」と反省したのではない。3・11の反省も「再び、原発を稼働してはならない」というものであるべきなのだ。「再び事故を起こさないように原発を稼働しよう」「今度は、事故が起こっても、適切に避難できるようにしておこう」などというのは愚の極みではないか。
戦争への反省において寡少なる者は、原発事故への反省にも寡少である。いまだに汚染水処理もできず、「トイレのないマンション」状態も未解決のまま。それでも、福島第1原発の爆発やメルトダウンの恐怖を忘れ、「アンダー・コントロール」だの「ブロック」だのと強弁して再稼働を進め、さらには原発の輸出までしようという政権の神経に暗澹たる思いである。こんな政権を放置し、許しておいてよいのか。
幸いにして岩手には原発はない。しかし、津波の被害の甚大さは語り尽くせない。いまだに復興は遅々として進まない。本日の盛岡での集会で、今日の東京新聞の次の記事が話題となった。
「岩手県では、沿岸の全12市町村で人口が減少。復興の進み具合で自治体間に差がついている現状が浮き彫りになった。首都大学東京の山下祐介准教授は、『5年たっても完了しない復興政策は失敗』と生活再建の遅れを問題視する。『ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めても傷口を広げるだけで、被災者のためにはならない』と厳しい見方を示した」
「ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めても傷口を広げるだけ」という指摘が、胸に響く。浜の一揆訴訟では、「小型漁船の漁師にもサケを獲らせろ」という沿岸漁民の切実な要請に、県の水産行政は、旧来の政策を固守しようとしている。「ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めて」いるのだ。
本日の浜の一揆訴訟第2回法廷で、原告の一人である漁師(70歳)が、次の通りの堂々の意見陳述をした。
陸前高田市小友町の漁師です。中学をあがってすぐ漁師になりました。北洋サケマス,サンマ巻網など、様々な漁をやってきました。その中でも長年やってきたのは、小型漁船漁業です。ドンコ,スイ,カレイなどの小魚を採って暮らしてきましたが、今では到底生活できません。
5年前の3月11日、自分はカレイの刺網を上げていました。突然、軽トラで砂利道を走っているような振動が来て、何ごとかと思いましたが…。しばらくして地震だと気づき、津波が来るから、沖からさらに沖へと船を出し、岡に上がったのは次の日でした。倉庫は影も形もなく、もちろん漁具はすべて流され、船も2艘消えていました。
これまでのように小魚で生活していけないので、季節ごとに来る回遊魚に頼るしかありません。サケ,タコ,タラ,カニなどです。
問題は秋です。カゴ漁がダメになります。
そこで、9月から12月はタラのはえ縄漁をおこなっています。いま、5.5トンの船に乗っています。タラのはえ縄は、水深300メートル?500メートルの海域でおこなわれ、波も高く、風も強い。9.9トンや19トンの船ならばいいのですが、5.5トン程度の船でやるのは命がけです。
この時期にサケ刺網漁ができれば、そんな危険な思いをしなくてもと、何度思ったかわかりません。サケでいくらかでも収入があれば、9月?12月の漁をつなぐことができます。小型漁船の経費は決して安くはないのです。
私が漁をしているすぐ近くに宮城県との境があります。隣の宮城県などでは目の前で小型漁船がサケ刺網を堂々としています。宮城県などでは小型漁船に柔軟に対応しています。
今は定置網に入るサケの漁も減っていますが、放流も行われていて資源も戻りつつあります。規模の小さな小型船舶が採りつくして資源をなくしてしまうとは思えません。
うちには後継者がいます。23歳になる息子です。津波の恐ろしい波を見ても、私を助けるために会社をやめてまで漁師になる決意をしました。しかし今その息子に、小遣い程度しかあげられません。会社の給料の半分以下かと苦笑いされます。11月に訴えを起こしたときに息子や地元の若い数少ない後継者に言われた言葉は「弁護士の先生や支援してくれる皆さん方と力を合わせて、何とか漁師で生活していけるようにがんばって欲しい」とのことでした。私はその思いを託されて、こうして声をあげています。
小型漁船漁師の多くは船が小さく、金額が上がるサンマやイサダを採ることは無理です。少し大きい船は無理をしてやってはいますが、規模が格段と違うので、危険と背中合わせです。しかし、その小型漁船漁業者がいるからこそ常に浜は守られているのではないでしょうか?その漁師を守ろうという気持ちが県にはまったくないのでしょうか?
今私たちは次の世代に、漁業をつないでいかないといけません。
裁判官の皆さまには、岩手の漁業の未来のためにもサケ刺網漁を許可していただけるようにお願いします。
残念ながら行政は頼りにならない。憲法22条で保障された営業の自由を行政が侵害しているのだ。漁民たちは司法に頼らざるを得ない。侵害された営業の自由の回復のために。
(2016年3月11日)
水島朝穂さんのメルマガ「直言」は、胸のすくような鋭い切れ味に貴重な情報が満載。教えられることが多い。
http://www.asaho.com/jpn/index.html
その最近号は、明日(2016年1月11日)付の「メディア腐食の構造―首相と飯食う人々」というタイトル。ジャーナリストたる者が、「首相と飯食う」ことを恥ずべきことと思わず、むしろ、ステイタスと思っている節さえあるのだ。この人たちに、アベとともに喰った飯の「毒」が確実にまわっているという指摘である。その指摘が実に具体的であるところが切れ味であり、胸のすく所以である。
かなりの長文なので、私なりに抜粋して要点をご紹介する。ぜひ下記の原文もお読みいただきたい。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0111.html
水島さんは、「10年でメディアの批判力はここまで落ちたのか。劣化度は特にNHKに著しい」と嘆く。アベ政権は、「政府が右と言うときに、左とはいえない」という会長人事や、経営委員会に百田・長谷川のような右翼を送り込むだけでなく、論説委員や記者への接触によって籠絡していることを具体的に語っている。
批判力の劣化を嘆かざるを得ないNHK政治部記者3人の名が出て来る。まずは、ご存じ岩田明子(解説委員・政治部)。
この人は、安倍首相の「想い」を懇切丁寧に読み解いて、「安倍総理大臣は、日本が再び戦争をする国になったといった誤解があるが、そんなことは断じてありえないなどと強調しました。安倍総理大臣は行使を容認する場合でも限定的なものにとどめる意向で、こうした姿勢をにじませ、国民の不安や疑念を払拭すると同時に、日本の平和と安全を守るための法整備の必要性、重要性を伝えたかったのだと思います」と言っている。客観報道ではなく、「忖度報道記者」なのだ。
ついで、田中泰臣(記者・政治部)。
「その『解説』はひどかった。例えば、採決を強行した安倍首相を次のように『弁護』していた。
『安倍総理大臣とすれば、安全保障環境が厳しさを増しているなか日米同盟をより強固なものにすることは不可欠であり、そのために必要な法案なので、いずれ分かってもらえるはずだという思いがあるものとみられる。また集団的自衛権の行使容認は、安倍総理大臣が、第1次安倍内閣の時から取り組んできた課題でもあり、みずからの手で成し遂げたいという信念もあるのだと思う。』」これも典型的な忖度記者。
そして3人目が、島田敏男(NHK解説副委員長)。この人の名は、まずはアベの「寿司友」の一人として出て来る。もっぱら、西新橋「しまだ鮨」での会食なのだそうだ。
「メディア関係者との会食も、歴代政権ではかつてなかった規模と頻度になっている。このことを正面から明らかにしたのは、昨年の『週刊ポスト』5月815日号である。それによると、安倍首相は2013年1月7日から15年4月6日まで、計50回、高級飲食店で会食している。記事の根拠は、新聞の「首相動静」欄である。首相と会食するメンバーは、田崎史郎(時事通信解説委員)、島田敏男(NHK解説副委員長)、岩田明子(同解説委員)、曽我豪(朝日新聞編集委員)、山田孝男(毎日新聞特別編集委員)、小田尚(読賣新聞論説主幹)、石川一郎(日本経済新聞常務)、粕谷賢之(日本テレビメディア戦略局長)、阿比留瑠比(産経新聞編集委員)、末延吉正(元テレビ朝日政治部長)などである。
首相とメディア幹部がかくも頻繁に会食するという「腐食の構造」は、それまでの政権には見られなかったことである。「毒素」は、メディアのなかにじわじわと浸透していった。」
島田敏男への「毒素」のまわり具合については、水島さん自身の体験が語られている。
「NHKの『日曜討論』に呼ばれたのは、安保法案が衆議院で採決される4日前という重要局面だった。『賛成反対 激突 安保法案 専門家が討論』。控室での打ち合わせの際、司会の解説委員(島田敏男・澤藤註)は、『一つお願いがあります。維新の党の修正案には触れないでください』と唐突に言った。参加した6人の顔ぶれからして、私に向けられた注文であることは明らかだった。自由な討論のはずなのに、発言内容に規制を加えられたと感じた。実際の討論でも、私が発言しようとすると執拗に介入して、憲法違反という論点の扱いを小さく見せようとした節がある。結局、『法案が成立したら自衛隊は国際社会で具体的にどう活動していくか』という方向で議論は終わった。採決を目前にして、『違憲の安保法案』というイメージを回避しようとしたのではないか。それを確信したのは、帰り際、送りのハイヤーに乗り込んだ私に対して、その解説委員がドア越しに、『維新の修正案は円滑審議にとてもいいのですよ』と言ってにっこり微笑んだからである。車内でその言葉の意味に気づくのにしばらく時間がかかった。」
こうして、水島さんは「『日曜討論』は私の『島』だという顔をしている島田解説副委員長」について、「これ以上、『日曜討論』の司会を彼に続けさせてはならない。」ときっぱり言っている。はっきりものを言うことのリスクを承知の上での発言である。
さらに、水島さんは、浅野健一著『安倍政権言論弾圧の犯罪』(社会評論社、2015年)を高く評価して、その一読を勧める書評の中で、こう書いている。
「本書は著者(浅野)の最新刊。『戦後史上最悪の政権』が繰り出す巧妙かつ露骨なメディア対策の数々を鋭く抉りながら、他方、メディア側の忖度と迎合の実態にも厳しい批判を速射する。特に、一部週刊誌が暴露した安倍首相とメディア関係者のおぞましい癒着の実態を、本書はさらに突っ込んで剔抉する。」
「本書によれば、安倍首相は第2次内閣発足後、親しいメディア関係者と30数回も会食している」「時事通信解説委員(田崎)が最も多く首相と会食しているが、彼はTBSの番組で、『政治家に胡蝶蘭を贈るのは迷惑。30ももらって置くところがない。もらってくれと 言われ、もらった。家で長くもった』と言い放ったという。こんなジャーナリストは米国では永久追放になる、と著者は厳しく批判する。政権とメディアの関係を正すためにも、本書の一読をおすすめしたい。」
「米国では永久追放になる」という「こんなジャーナリスト」には、NHKの3記者も含まれることになるのだろう。
ジャーナリズムは、社会の木鐸っていうじゃないか。権力を叩いて警世の音を響かせるのが役目だろう。政権の監視と批判が真骨頂さ。権力と癒着しちゃあおしまいよ。安倍晋三なんぞと親しく飯喰って、それでズバリと物が言えるのかい。自分じゃどう思っているか知らないが、世間はそんな記者も、そんな記者を抱えているメディアも、決して信頼できないね。
民俗学では共同飲食は祭祀に起源をもって世俗的なものに進化したというようだ。「一宿一飯」「同じ釜の飯」という観念は世俗社会に共有されている。酒食を共にすることは、その参加者の共同意識や連帯感を確認する社会心理的な意味を持つ行為である。親しく同じ飯を喰い、酒を酌み交わしては、批判の矛先が鈍るのは当然ではないか。ジャーナリストが、権力を担う者と「親しく同じ席の飯を喰う」関係になってはいけない。
産経のように、ジャーナリズムの理念を放擲し政権の広報紙として生き抜く道を定めた「企業」の従業員が、喜々として首相と飯を喰うのなら、話は別だ。しかし、仮にもジャーナリズムの一角に位置を占めたいとするメディア人の、「腐食の構造」への組み込まれは到底いただけない。とりわけ「公正」であるべきNHKのアベ政権との癒着振りは批判されなけばならない。
アベ政権だけにではなく、アベと癒着したメディアに対しても、冷静な批判の眼を持ち続けよう。
(2016年1月10日)
私の手許に一冊の書物がある。これは、私にとっての特別のものだ。
表題は、「花巻が育んだ救世軍の母 山室機恵子の生涯」。「宮沢賢治に通底する生き方」と副題が付いている。社会事業者であり、キリスト者であった山室機恵子の400頁におよぶ本格的な評伝。著者は、知人の安原みどりさん。
鎌倉市雪ノ下の「銀の鈴社」からの出版で、発行日が2015年9月25日とされているが、そのとき著者は既に亡くなっている。この著の「あとがき」のあとに、異例の「お礼の言葉」という1頁が添えられている。
お礼の言葉は、「『山室機恵子の生涯』を出版することができ、望外の幸せを感じております」と始まっている。多方面の著作への協力者に対して、「皆さまには、言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。心よりお礼申しあげます」と結ばれている。「2015年8月」とだけあって、日の特定はない。みどりさんは、8月28日に逝去されている。癌での覚悟の死であったという。毛すじほども取り乱すところのない、「お礼の言葉」を書いたのはいったい何日だったのだろうか。
9月3日の告別式での夫君・安原幸彦さんのご挨拶で、みどりさんがこの著書の最後の校正稿を脱稿したのは逝去の2日前、8月26日であったと知らされた。この評伝の著作に取りかかったのが、死を宣告され覚悟して後のことだという。自分の生きた証しとして、最期に一冊の著書を書き上げた、その壮絶にしてみごとな生き方に感服するしかない。
この著作は評伝であるから、著者は、41歳の若さで帰天した山室機恵子の臨終の場面に触れざるを得ない。その描写はかなりの長文にわたるものであるが、夫・山室軍平(牧師)は後に「私は、今日までいまだかつてあれ程、生死を超越した高貴なる最期をみたことがない」と感嘆していた事実を紹介し、「聖職者として多くの人の最期を看取った軍平に、かく言わしめた機恵子の精神性の高さ」を称賛している。おそらくは、自らの最期もかくあれかしと意識しての執筆であったろうし、それを現実のものとされたのであろう。
安原みどりさんは、私と同郷岩手県の生まれ。賢治の母校である盛岡一高(旧制盛岡中学)を卒業後、賢治の妹・宮沢トシの母校である日本女子大学を卒業している。機恵子を、自己を犠牲にして生涯を弱き者のために捧げ尽くした宗教者として、賢治の生き方に通底するものを見て、世に紹介したいと思い立ったのであろう。実は、賢治と機恵子とは、ともに生家は花巻市豊沢町。宮澤家と、機恵子の実家佐藤家とは、わずか数軒をへだつだけの近所で、親しい間柄だったという。
この書の最後に、5頁余におよぶ参考文献リストが並んでいる。この厖大な資料を渉猟しての労作を簡単には紹介できない。前書きに当たる「はじめに」が、著者自身の要約とも読める内容となっている。ここから抜粋して、この著の紹介としたい。
日本救世軍の歩みは、そのまま日本の社会福祉の歩みであるといわれる。その「日本救世軍の母」と呼ばれる山室機恵子は、1874(明治7)年12月5日に花巻で生まれた。機恵子の生家のすぐ近所に宮沢賢治の実家がある。機恵子の先祖は南部藩の家老で、機恵子は武士道の精神で育てられ、生家の家風は「世のため身を捨てて尽くす」であった。機恵子はこの使命感を持って明治女学校に進み、桂村正久から洗礼を受けキリスト者になった。
機恵子が明治女学校を卒業した1895(明治28)年は、くしくもイギリスの救世軍が日本に進出し、山室軍平が救世軍に挺身した年でもある。救世軍は1865年にロンドンのスラム街でウィリアム・ブース夫妻によって創設され、貧民救済の社会事業と、救霊事業(キリスト教伝道)を世界に広めていた。当時の救世軍は「西洋法華」と嘲笑され、迫害を受け、山室軍平はその真価もまだ世に知られない、無名の青年にすぎなかった。
機恵子は明治女学校出の才媛にふさわしい良縁には目もくれず、「山室となら世のために尽くすという信念を実現できる」と決心し、山室軍平と結婚した。機恵子は花嫁道具を揃える両親に「50歳まで着られる地味な着物を作って下さい。救世軍で着物をこさえるつもりはありませんから」と言い、軍平の収入が7円、家賃3円50銭、11畳半だけの広さしかない伝道所兼自宅の長屋生活に突入した。いわばシンデレラ・ストーリーとは逆の人生を果敢にも選択したのである。
機恵子は8人の子を生み育てながら、貧民救済・廃娼運動・東北凶作地子女救済・結核療養所設立などの先駆的社会事業のため東奔西走したが、病に倒れ41歳で逝去した。
機恵子は「私が救世軍に投じた精神は、武士道をもってキリスト教を受け入れ、これをもって世に尽くすことにありました。お金や地位を求める生活を送らなかったことを満足に思っています」「幸福はただ十字架の傍にあります」と遺言して帰天した。
機恵子の生き方は質素な生活をし、自分を勘定に入れずに、東奔西走し困窮した人のため自分を犠牲にして尽くすもので、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩を彷彿とさせる。賢治が「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」として羅須地人協会を設立し農民と共に生きた精神も、宗教は異なるが機恵子と通底するものがある。
賢治の実弟、宮沢清六は著書『兄のトランク』の中で「若い頃の賢治の思想に強い影響を与えたものに基督教の精神があった。私共のすぐ後には日本救世軍の母とよばれた山室軍平夫人、機恵子が居られた。私の祖父と父が『佐藤庄五郎(機恵子の実父)さんと長女のおきえさんの精神は実に見上げたものだ』と口癖のように言っていたから、若い賢治がこの立派な基督教の実践者たちの思想と行動に影響されない筈はなかったと思われる。そしてその精神が、後年の賢治の作品の奥底に流れていることが首肯されるのである」と書いている。
宮沢賢治を知らない人はいないが、機恵子没後百年になる現代では、機恵子を知る人はほとんどおらず、故郷岩手ですら知られていない。機恵子は「よいことをする時は、なるべく目立たないようにするのですよ」とこどもに教え、右手の善行を左手にも知らせず天に財を積んだ。
津田梅子、羽仁もと子、矢島揖子、新渡戸稲造、内村鑑三など、多くの著名人が軍平、機恵子を支援したが、善行を当然の事として黙すキリスト者に代って、関係性を詳らかにするのも意義があることだろう。家庭を持ち働く女性の元祖でもあった機恵子の生涯を顕彰してみたいと思う。
安原みどりさんが、機恵子の生き方のどこに感銘を受け共感し、この書を執筆しようと思い立ったのか、痛いほど伝わってくる。この著作を完成させたみどりさんの感受性と生き方にも学びたいと思う。
また、機恵子が伴侶として山室軍平を選んだことを、自分が安原幸彦さんを選んだことと重ね合わせてもいたのだろう。機恵子も、みどりさんも、自らの意思で幸せな人生を送ったのだと思う。
合掌。
(2015年10月5日・連続第918回)
安倍晋三とは、日本国憲法に限りない憎悪をもつ人物である。憲法改正こそが彼の終生の悲願にほかならない。日本国の首相としてこの上なくふさわしからぬこの人物が首相の任についている。憲法擁護義務を負う首相であるにかかわらず、憲法の平和主義に敵意を露わにし、戦後レジームからの脱却を呼号している。9条の改憲が無理なら、議席の多数を恃んでの解釈改憲・立法改憲のたくらみに余念が無い。こうして安倍は特定秘密保護法を成立させ、今戦争法を成立させようと躍起になっている。
私たち国民の側の課題は、戦争法案を廃案に追い込むことと安倍内閣を打倒することの2点となっている。この2点は分かちがたく一体となった課題なのだ。澤地久枝の依頼によって金子兜太が筆をとったという「安倍政治を許さない」が時代のスローガンととして定着しつつある。許されざる安倍政治とは、あらゆる分野に及んでいるが、何よりも憲法を破壊し平和を蹂躙する「戦争法案」の成立を許してはならない。
安倍政権の危険性と、戦争法の危険性。その両者がともに国民の間に広く深く浸透しつつある。安倍政権にかつての勢いはない。相当のダメージを受けてふらふらの状態となっている。が、いまだにダウンするまでには至っていない。「水に落ちた犬は打て」というが、まずは水に落とさねばならない。ようやく水辺にまでは押してきた。もう一歩で水に落とすことができそうではないか。大きな世論の批判で、安倍を水に落とそう。
世論調査で、「戦争法案に反対」は圧倒的多数だ。しかし、これだけでは安倍政権に廃案やむなしと決断させるには十分でない。むしろ強行突破の決意をさせることになりかねない。政権の側に、「反対運動の高揚は法案の成立までのこと。法案が成立してしまえば、みんな諦めるさ」という国民への見くびりがあるからだ。
今は何よりも、安倍内閣の支持率を低下させることが重要だ。30%の危険水域以下となれば、水に落ちた犬状態といってよいだろう。
さらに、重要な指標が与党である自民・公明両党の支持率だ。安倍政権の支持率低下の顕著さに比較すると、自民党支持率低下の傾向はさほどではない。これに火がつけば、事態は大きく変わることになるだろう。今でも腰の引けている自民党参議院議員が、安倍を見捨てることになるからだ。法案を批判し、内閣を批判し、与党を批判する。このことによって法案を廃案に追い込む展望が開けつつあると思う。議席の数がすべてを決めることにはならないのだ。
安倍政権のヨタヨタぶりは、国立競技場建設計画の白紙撤回となって表れた。次いで、辺野古新基地計画の凍結である。仙台市議選での「自民党後退、共産党前進(3人トップ当選)」の結果も手痛い。8月6日広島平和記念式典での非核三原則言及せず問題もあり、70年談話も安倍カラーは押さえこまれそうな雲行き。TPPも思惑のとおりには行かない。埼玉知事選も、川内原発再稼働への風当たりも強い。そこに、礒崎や武藤のオウンゴールが重なる。安倍晋三、こころなし精気に欠ける。疲れ切った表情ではないか。相当にこたえているのだろう。
さらに今日になってのできごとだ。今月20日に告示9月6日投開票予定の岩手県知事選挙に立候補を表明していた、元復興大臣の平野達男参議院議員が立候補を取り消した。相当にみっともない戦線離脱なのだ。そして、政権への痛手である。
平野達男は、民主党政権の復興大臣との印象が強いが、今は民主党を離脱して無所属の参議院議員。今回は自民・公明の推薦で立候補表明をして、現職達増拓也との保革一騎打ちの構図が描かれていた。100万を超す県内有権者を対象に、自民・公明の与党連合と、民主・生活に共産までくっついた野党連合との票の取り合い。戦争法案の賛否を問うミニ国民投票の様相であった。
ところが、このところ自・公の評判がすこぶる悪い。自民党独自の最新世論調査シミュレーションでは、ダブルスコアの水が開いたという。戦争法案参院審議のヤマ場に、与党がダブルスコアで野党連合に敗北ではなんとも惨めなことになり、法案成立の大きな支障になる。「だから平野達男君、立候補はおやめなさい」と声がかかったのだ。結局は現職達増の無投票当選という白けた結果となる。
本日の平野の立候補記者会見では、平野はあけすけに「国の安全保障の在り方が最重要課題へと浮上し、県政の在り方が論点になりづらい状況が生じてきた」と述べたという。翻訳すれば、「知事選でありながら、戦争法案の賛否を問うワンイシュー選挙になりそうで、そうなれば自公に推された立場で勝てるわけがない」ということなのだ。
加えて、参議院議員である平野が知事選に立候補すれば、参院選の補選をしなければならない。これが10月になるが、この選挙も自公の衰退を天下にさらけ出すことになるというのが、「立候補はおやめなさい」のもう一つの理由だったという。ダブルの敗戦を避けて、不戦敗を選んだというわけだ。
これまでは、こう報道されていた。
「衆院での安保法案の強行採決に対する世論の反発が広がり、法案を推進する与党側にとって逆風となっている。県内各地であいさつ回りを重ねる平野氏も『法案に対する反応は厳しい。自民の支援をなぜもらったのかと聞かれることもある。国政と県政は別のことと説明すれば理解はしていただいている』と話す。参院で審議入りした安保法案について平野氏は『慎重な審議が必要』との考えだ。
一方、達増陣営は『法案は違憲』との立場を前面に出し、強行採決した与党陣営が推す平野氏と、反対の野党勢力の対立構図を強調する。達増氏は後援会の集会などで『県民が正しい選択をすることで国政も変えられる』と訴え、安保法案の是非を問う主張を繰り広げている。」(朝日・岩手版)
明らかに、安倍と距離を置いた戦争法案反対がプラスイメージ、安倍にベッタリはマイナスイメージとなって、立候補すら見送らざるを得ないのだ。
9月6日投開票の岩手県知事選はなくなった。しかし、岩手県議選は同日投開票される。戦争法案推進勢力と反対勢力の票の奪い合いがどうなるか。100万有権者の審判を待ちたい。
岩手だけではない。アチラもコチラも、安倍に冷たく、憲法に暖かい風が吹いている。
(2015年8月7日)
8月13日(木)11時?14時 日弁連講堂「クレオ」で、下記のシンポジウムを開催し、「国民の70年談話」を採択する。日本国憲法の視座から、各分野の戦後70周年を検証し、「安倍政権の戦後70周年談話」に対峙する「国民の側からの70年談話」を決議し採択しようという企画。
この企画への参加を呼びかけるチラシのPDFファイルを、ここからダウンロードして、ぜひ拡散していただくようお願いしたい。
コンセプトは、あくまで安倍政権と対峙する国民の側からの、戦後70年という来し方の総括であり、今後の展望である。各人それぞれの個性ある総括ではなく、「国民」の総括であり展望。国民とは、主権者であると同時に被治者である人々の総体。権力者との対概念にほかならない。
国民の戦後70年の総括が安倍政権と同様となるはずはなく、今後の展望も安倍政権とは異なるものとなる。その国民の総意を、憲法の立場に立脚するものとして確認したい。もっともオーソドックスな憲法の解釈と、その憲法が踏まえた歴史認識を前提とするのが「国民の70年談話」の基本となる。それが、「日本国憲法の視座から」と副題をつけた意味である。
政権の側の「談話」の内容は、安倍首相独特の個性から、歴史認識の記述がきわめて独善的で不十分になることが予想されている。自ら選定した有識者懇談会の意見をさえ聞こうとしていないと報道されている。私たちは、憲法の視座から、公表された安倍談話と対峙させた内容の「国民の談話」を作成して、安倍政権のあり方を根底から批判するものとしたいと思う。
おそらく、彼我の最大の対決点は平和主義のとらえ方となるだろう。憲法9条が指し示す「武力によらない平和」か、安倍政権が打ち出している「積極的平和主義」すなわち武力による抑止力に期待する平和か。この思想の対立を浮かびあがらせることが課題となると思われる。また、この点の理解は、歴史認識の違いから導き出されると考えられる。侵略戦争や植民地支配についての加害者としての真摯な反省を表明するか否かも鋭く対立するところとなるだろう。
期間はきわめて切迫しているが、可能な限り原案を広く世に問うて、多くの人の意見に耳を傾けて成案としたい。この過程にも、ぜひご参加いただきたい。
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(企画の総合タイトル)
「『国民の70年談話』ー日本国憲法の視座から
過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして
(企画の趣旨)
戦後70周年を迎える今年の夏、憲法の理念を乱暴に蹂躙しようとする政権と、あくまで憲法を擁護し、その理念実現を求める国民との対立が緊迫し深刻化しています。
この事態において、政権の側の「戦後70年談話」が発表されようとしていますが、私たちは、安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要だと考えます。
そのような場としてふさわしいシンポジウムを企画しました。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏まえるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、平和・民主主義・人権・教育・生活・労働・憲法運動等々の諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものです。
ときあたかも、平和憲法をめぐるせめぎ合いの象徴的事件として安全保障関連法案阻止運動が昂揚しています。併せて、この法案の問題点を歴史的に確認する集会ともしたいと思います。
ぜひ、多くの皆さまのご参加をお願いいたします。
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(プログラム)
◆それぞれの分野における「戦後70年」検証の発言
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
高橋哲哉 (東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
堀尾輝久 (元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
暉峻淑子 (埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い──砂川・長沼訴訟の経験から
新井章 (弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である
杉原泰雄 (一橋大学名誉教授)
◆「国民の70年談話」案の発表と参加者による採択
主催※「国民の70年談話」代表・新井章
※事務局長・加藤文也 (連絡先 東京中央法律事務所)
以上
(2015年7月28日)
「自公の与党幹部が、昨日(7月1日)東京都内で会談し、衆院特別委員会で安全保障関連法案を7月15日を軸に採決をめざす方針を確認した。」
朝日の報道である。「会期末をにらみ、参院審議も念頭に衆院での再議決が可能な60日以上の日程を確保して衆院を通過させ、関連法の確実な成立をめざす。」という解説。そりゃ、ないよ。
丁寧に説明すると聞いた憶えがあるが、まだ丁寧な説明には遭遇していない。もう、先を決めての審議だというのか。形だけの説明、形だけの丁寧。国民が理解しようとしまいと、スケジュールのとおりに粛々と採決に持ち込む算段。そりゃなかろう。
60年安保を思い出そう。あの大運動が本格的に盛りあがったのは、5月19日衆院安保特別委員会での強行採決、そして翌5月20日衆議院本会議強行採決を契機としてのことだった。平和の問題だけでなく、民主主義の問題までが、国民の前に突きつけられたのだ。今回、様相が似て来つつあるではないか。
そもそも、本当に採決強行などできるのか。自公に次世代だけではみっともない。せめて維新を抱き込みたいというのが政府与党の願望だろうが、いよいよ世論の支持が細りはじめている。維新も自公と心中はしたくないだろう。ダメージは大きいぞ。本当に内閣がつぶれかねない。手を貸した政党もだ。
各社の世論調査で安倍内閣の支持率が軒並み低下している。戦争法には反対、集団的自衛権は容認しない、法案は違憲だ、内閣の説明はまったく不十分、というのが圧倒的な世論となっている。朝日の調査を皮切りに、共同、産経、日経、テレビ朝日と、軒並み同様だ。それに重ねて、「若手勉強会+百田」の「マスコミを懲らしめろ」「沖縄2紙を潰せ」の発言問題。このオウンゴールがよく利いている。説明すればするほど支持率低下する。だから、世論に耳を傾けて譲歩せざるを得ないとするか、早めに強行採決した方がよいと開き直るか。
こんな折、 福島民報社・福島テレビ共同の県民世論調査結果に驚いた。この調査、6月29日時点のものだが、全国にさきがけての激動の予兆なのかも知れない。
法案「違憲」54.3% 「違憲ではない」15・3%
まず、この数値の差に驚かざるを得ない。
集団的自衛権行使容認に「反対」51・7% 「賛成」14・5%
これにはさらに驚いた。極めつけは、内閣支持率だ。
安倍内閣を「支持する」28・4% 「支持しない」50・6%
この圧倒的な内閣不支持率は、既に事件だ。安倍にとっては驚愕の数字だろう。今後の各紙各社の調査が楽しみだ。
福島民報は県内最大のメディアである。福島だけが突出しているというよりは、これが最近の世論の動向とみるべきだろう。もしかしたら、この調査結果、安倍政権の凋落を知らせる桐の一葉なのかも知れない。
常識的には、弱い立場の安倍政権、強気の強行採決などできようはずもない。しかし、坐してジリ貧を待つよりは今のうちに乾坤一擲、ということもないではない。すべては党利党略で、民意が国会にも、内閣にも届いていないもどかしさを感じる。
もとはと言えば、小選挙区制のマジックのなせるわざ。民意の風が国会にも官邸にも、さわやかに吹いてもらいたい。
(2015年7月2日)