「浜の一揆」訴訟―漁協を守るために漁民にはサケを獲らせない?
本日は、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟の証人尋問。原告側・被告側それぞれ申請の学者証人の尋問が行われた。
原告側の証人は、サケの生態学については第一人者の井田齊さん。被告側は、漁業経済学者の濱田武士さん。原告側が自然科学者で、被告側が社会科学者。自然科学者が沿岸漁民の側に立ち、社会科学者が県政の側に立つ構図が興味深い。
今日の尋問で証拠調べは終了、次回12月1日(金)が最終弁論期日となる。
何度もお伝えしているとおり、岩手の河川を秋に遡上するサケは三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。ところが、現在三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収まである。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねが、なんの進展も見ることができなかった。
そのため、2014年に3次にわたって、岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をした。これが不許可となるや、所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。2015年11月のこと、その原告数ちょうど100人である。
請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいる。苛斂誅求の封建領主に対する抵抗運動と同根の闘いとする心意気からである。
三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点であることは、本日の被告側証人の証言においても確認されたところ。
漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。
この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。
この合理性・必要性に支えられた理由とは、二つのことに収斂される。
漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができる、とする。
これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。
ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。
したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。
本日の原告側証人は、サケの専門家として、孵化放流事業の実態を語って、本件申請を許可しても「水産資源の保護培養」に何の影響もない、と結論した。また、水産学者として、三陸沿岸の自然環境の多様性に即した多様な漁業形態があってしかるべきだという立場から、大規模な漁協の自営定置も零細漁民の刺し網漁も共存することが望ましいとして、定置網漁のサケ漁獲独占を批判した。
本日の被告側証人は、漁協の存立を重要視する立場から、漁協が孵化放流事業を行い、自営定置で漁獲することを不合理とは言えないとして、本件不許可処分を是認した。しかし、「漁業調整の必要」の存在を具体的に述べることには成功しなかった。そして、「漁業調整」の指導理念であるべき漁業法上の「民主化」を援用すれば、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することは不当ではないか、という立論にむしろ理解を示したように見受けられた。
問題は漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるか、という点に絞られてきた感がある。
定置網漁業者の過半は漁協です。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きるもの。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。
しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。
弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。
漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないか。
また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする。」これが、漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころが、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。
訴訟の進行は、本日まですこぶる順調である。11月10日までに原被告双方が最終準備書面を提出し、12月1日が最後の口頭弁論期日となる。勝訴を確実なものとするために、もう一踏ん張りしなければならない。
(2017年9月8日)