澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

嘘で掠めとった東京五輪招致

私は、40年を超す弁護士生活の相当の時間と労力とを悪徳商法との対決に費やしてきた。その結果として学んだことは、どんな悪徳商法も一見悪徳とは見えないことだ。一見しての悪徳では人をだませない。外見において詐欺師面をした人に詐欺はできない。もちろん、強面ではなおさらできない。いかにも紳士的で、いかにも誠実そうで、いかにもあなたの利益のために尽くしますよという、人を信頼させる雰囲気がある人物において、初めて詐欺も悪徳商法も可能となる。

そのような目で見ると、安倍晋三という人物、その分野における資質には天性のものがある。たいしたものだ。その堂々たる嘘。みごとに、IOC委員を欺しおえた。その分野の人々が、大いに学ぶところが多かろう。

彼はこう述べた。(朝日デジタル版より)
【招致演説で】
状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えるようなことを許したりはしない。
【国際オリンピック委員会(IOC)委員の質問に対し】
結論から言うと、まったく問題ない。(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。
福島の近海で、私たちはモニタリングを行っている。その結果、数値は最大でも世界保健機関(WHO)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ。これが事実だ。そして、我が国の食品や水の安全基準は、世界で最も厳しい。食品や水からの被曝(ひばく)量は、日本のどの地域でも、この基準の100分の1だ。
健康問題については、今までも現在も将来も、まったく問題ない。完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している。
【演説後、記者団に】
一部には誤解があったと思うが、誤解は解けた。世界で最も安全な都市だと理解をいただいたと思う。

「状況はコントロールされている?」 
えっ? ご冗談でしょう。廃炉の工程も目途立たず、汚染水漏れがたいへんな事態だというのに? 自信ありげにこんなことをいえるのは、分かってない故の強みか、天性のふてぶてしさか。
「決して東京にダメージを与えるようなことを許したりはしない」
これは、フクシマにダメージを閉じ込めて、東京だけは守ろうという、やや本音の表れか。
「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。」
ほんとにこんなこと言っていいの? 港湾内の0.3平方キロメートル範囲って、どこのこと? 東電は、外海と完全にブロックされた状態ではなく、水が行き来していると説明しているのに? 20キロ先で捕れたアイナメからも2万5800ベクレルが検出されているのに? 一国の首相の嘘として歴史に残るんだろうね。

本日(10日)の朝刊では、「湾内のフェンス内の海水からベータ線を出すストロンチウムなどの放射線物質が1リットル当たり1100ベクレル、トリチウムが同4700ベクレル検出された」と報じられている。
東電は、「フェンス外の濃度は内側にくらべて5分の1まで抑えられている」と言うけれど、それは海水が内と外で1日50%入れ替わって、外へ出た汚染水が海水で薄まっているというだけのこと。完全にコントロールされて、完全にブロックされて、「私」の責任で解決に着手したはずなのに…。

東電自身が、完全にブロックできているとは考えていない。「私どもとして(首相の)お考えが同じかどうか確認」の問い合わせをしたと述べている。「完全にブロックしたいのはやまやまだけど、できないんです。完全ブロックができない責任は、大見得を切った安倍さん、あなたの方で取ってくださいね」。そう、東電は言いたいのだ。

私が引っかかるのは、「完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している」という、 「私が責任をもつ」という言葉。これも悪徳商法の手口の一つ。そもそも、責任をとりようのないことについて、ケロリと「責任をもつ」「保証する」と言ってのける。客観的に嘘をついていることになる。

安倍さん、あなたには放射線漏れの防止策について責任をとりようがない。あなたができるのはせいぜいが「知恵を集め、金を注ぎこんで全力を尽くす」ことだけ。今の日本の叡智を集めても、福島第一原発の後始末をうまくできるかどうかは、誰にも分からないのだ。

「うまくいかなかったら潔く辞任する」という責任のとりかたは、「あとは野となれ、山となれ」と言っているに等しい。あなたには、6年前いとも簡単に政権を投げ出した実績がある。同じことを繰り返すおそれが多分にあるが、それで責任を取ったことにはならない。

嘘は人を不幸にする。一国の首相の嘘は、その国の国民の信用を落とすことになる。とりわけ、トルコとスペインの国民には、日本国民全体がオリンピック招致を掠めとった嘘つきの一味と映ることになるだろう。悪徳商法の被害者は、誠実そうなセールスマンを信用したことをあとになって後悔する。世界も日本の国民も、あとになって、「アベノダマシ」に臍を噛むことになる。
(2013年9月10日)

都教委にもの申す

教育情報課長に申し上げる。あなたに怨みがあるわけではないが、あなたが窓口だ。あなたを通じて、あなたの背後にいる知事や教育委員長、教育委員、そして教育長に申し上げる。

ただ今、「被処分者の会」の代表者から9点の「請願事項」の説明があった。6日の最高裁判決を踏まえての「会」の要請は多岐にわたるが、大きくは二つのこととご理解いただきたい。

一つは、減給以上の処分の取り消しが最高裁で確定したということについてだ。
ご存じのとおり、最高裁は行政に甘い。めったなことでは行政のやることに批判がましいことをいわない。その最高裁が、さすがに都教委のやり方には目をつぶることができなかった。既に25人(30件)の処分を懲戒権の裁量を逸脱濫用しているとし、違法だから取り消すと判断した。「いくら何でもこれはひどい」「とんでもないやり過ぎだ」と言われたのだ。その重みを受けとめていただきたい。

最高裁の判決によって、減給・停職の処分が違法とされ取り消されたということは、都教委の基本方針が法体系に相容れないものと断罪されたということ。都教委の基本方針とは何だったか。我々が「思想転向強要システム」あるいは「改宗強要システム」と名付けたもの。思想的信条から、あるいは歴史観から、日の丸・君が代にたいする敬意の表明はできないという人に、その思想を変えるまで、処分を累積し加重する。信仰上の理由から、日の丸・君が代強制を拒否する人に対しても同様。

最高裁も驚いた。「都教委って、そこまでやるの?」「いくら何でもそれはやり過ぎ」。保守政権に任命された保守的裁判官が、そう言わざるをえなかったのだ。日本国憲法の精神に照らして、さすがにこれは暴走。違法なのだ。

最高裁から違法といわれた行政機関は、恥辱と思わねばならない。世に、ブラック企業というものがあって、違法を承知の経営を行って恥じない。教員の思想良心を蹂躙し、多数の早期退職者を排出している都教委は「ブラック官庁」だ。それでも最高裁に違法と言われることを、反省する気持ちはあるだろう。潔く自らの非を認め、衷心から謝罪し、反省し、責任を取らねばならない。それが、「間違ったことをした行政機関」の当然の対応。都教委の謝罪と反省とそして責任のとりかたを考えていただきたい。

繰り返すが、間違っているのはあなた方だ。反省すべきはあなた方だ。もう一度、憲法とは何か、教育法体系は何を理念としているか、地方公務員法はどうできているかをよく学び直し、再研修をしていただきたい。不起立者に対し服務事故再発防止研修を命じるなどは、天地が逆さまではないか。

もう一つは、日の丸・君が代強制は、戒告処分としてなら許されるのか、という問題。
確かに、最高裁は、戒告処分の違憲・違法までは認めなかった。だから、戒告処分をによる強制はやって良いといったのか。けっしてそうではない。このことをよく理解していただきたい。

裁判所は、よくよくのことがなければ行政に介入しない。司法消極主義とか、司法の謙抑的態度と言われる。それでも、戒告を違憲と判断した最高裁の裁判官が二人いる。違憲とした東京地裁の判決もある。戒告を受けた167名全員の処分を違法として取り消した東京高裁の判決もある。とても、「戒告程度なら処分も許される」というものではない。

最高裁の多数意見が戒告を違憲とまでは言わなかったことに、図に乗ってはならない。これまで、合憲判断に与した12人の裁判官のうち7人が、「違憲とまでは言えないが放置してはおけない」「現場の混乱を都教委側のイニシャチブで解決せよ」「現場で知恵を出し合い協議して解決すべきだ」と補足意見を書いている。声なき声ではない。明確に文字になっている。このことを重く受けとめていただきたい。

9月6日第二小法廷の判決で、新任の鬼丸かおる裁判官が新たに補足意見を書いた。場合によっては、「戒告処分も裁量権の濫用あるいは逸脱となることもあり得る」と意見を述べている。そして、この裁判官も、都教委に対し「謙抑的な対応が教育現場における状況の改善に資するものというべき」と言っているのだ。明らかに、都教委に対して反省と改善を求めたものである。

もっとも軽い戒告処分と言えども、思想・良心の制約になっていることは最高裁の多数意見も認めているところ。最高裁裁判官の中に都教委のやり方を褒める姿勢を持つものはなく、「違憲とは言えないが望ましくはない」とする者が圧倒的多数なのだ。

もちろん、我々は違憲判決を言い渡さないことで、最高裁が間違っていると思っている。明確な違憲判決獲得まで闘い続けるつもりだ。しかし、今の最高裁判決のレベルでも、最高裁は都教委に対して、日の丸・君が代強制については、やり過ぎることのないよう、たしなめていることを知るべきなのだ。

少なくとも、最高裁の多くの補足意見が、現場でよく話し合えと言っている。話し合いの機会をもとうではないか。そして、教育の営みに関わる者同士にふさわしい、協議の場を作って、子どもたちのために、真の意味での日本の教育の再生のために、日本の民主々義の将来のために、教育現場の改善に知恵を出し合おうではないか。

そのことを申し入れている。教育委員の各氏によく伝えていただきたい。くれぐれも、事務レベルで握りつぶすようなことがないように申し添える。万が一にもそんなことがあれば、私の請願権をおろそかに扱われたことに我慢しかねる。憲法上の権利を侵害されたとして国家賠償請求も考えざるを得ない。このことをきちんとメモをしておいていただきたい。
(2013年9月9日)

平和と教育の伝道師ー幼いが偉大なマララさん

9月3日、ヒジャブ(イスラム女性が髪を隠すための被り物)と民族衣装に身を包んだマララ・ユスフザイさん(16歳)がイギリスのバーミンガムの公立図書館の開館式で訴えた。
「世界平和への唯一の道は読書と知識を得ること、そして教育だ。たくさんの本を読んで力をつけたい」「本とペンはテロを打ち負かす武器だ」と強調して、聴衆から大きな拍手を受けた。

マララさんは2009年11歳の時、パキスタンのタリバン支配地域スワートから、ペンネームでブログを書き続けた。タリバンがイスラム法によって、女子校を破壊(08年に150校爆破)し、それが自分の通う学校に及びそうなことを危惧している。「ヘリコプターの夢を見る。友人が移住してしまって11人しか残っていない」「タリバンがカラフルな服を禁止するので、地味な服を着なければならない」「アナウンサーが殺されたのではないかという噂」「明日から冬休みと校長から言われたが、再開日については話がない。タリバンが学校閉鎖を命じたからだ。もう二度と学校に来られないかと思って、いつもより友達と長く遊んで、学校を目に刻んだ」「大砲の音で夜3回も目を覚ました」などと戦時下の生活を綴っている。

その後パキスタン軍がタリバンをスワートから追い出した。マララさんは「勇気ある少女」とパキスタン政府から表彰され、本名も明かされた。CNNのインタビューに「私には教育を受ける権利がある。遊んだり、歌ったり、おしゃべりをし、市場に行き、発信する権利がある」と喜びを語っている。

しかし、その後が大変だった。マララさんは「本当の勇気ある少女」になるよう運命づけられた。2012年10月9日(15歳)、マララさんは帰宅途中のスクールバスに乗り込んできた数名の男に頭部と首を銃撃されたのだ。一緒にいた女子生徒とともに。タリバンが犯行声明を出した。重態のマララさんは治療と身の安全のためにイギリスのバーミンガムの病院に搬送された。世界中から救命を願う声が寄せられ、4カ月後マララさんは奇跡的な回復を遂げた。「私は生きています。話すこともできるし、みんなの姿を見ることもできます。私はこれからも人々のために、すべての少女、すべての子どもが教育を受けられるように尽くしていきます」と健気なお礼の言葉を述べた。

そして、今年7月13日16歳の誕生日を迎えたばかりのマララさんは、国連で演説をした。満場の拍手で迎えられたマララさんは小さな身体でちょっと恥ずかしそうに、しかし堂々と英語で感謝のスピーチを述べた。自分を撃ったタリバン兵士を許しますと述べたあと「『ペンは剣より強し』ということわざがあります。これは真実です。過激派は本とペンを恐れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。女性の声の力が彼らを恐れさせるのです」「すべての政府に全世界のすべての子どもたちへ無料の教育を確実に与えることを求めます。すべての政府にテロリズムと暴力に立ち向かうことを求めます。残虐行為や危害から子どもたちを守ることを求めます。先進諸国に発展途上国の女の子たちが教育を受ける機会を拡大するための支援を求めます」「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただひとつの解決です。エデュケーション・ファースト(教育第一で)」と訴えた。

マララさんの国連演説の1カ月前には、パキスタンのクェッタで女子大生のバスにリモート式爆弾が仕掛けられ、帰宅途中の14名の女子学生が殺害されている。そうしたなかでも、マララさんと一緒に銃撃された少女たちもひるまず、自分が倒れても続く者があると、命がけで女子の教育の必要性を訴えている。マララさんは「そうしたみんなの声をここ国連で代弁して訴えている」と述べている。

9月7日にはオランダのハーグで、人権団体「キッズライツ」による「国際子ども平和賞」がマララさんに授与され、「私はあらゆるところで教育が当然のものと考えられている世界に住みたい」と述べた。ノーベル平和賞も彼女に与えられるのではないかとまで言われている。

女性の教育を受ける権利を否定する「野蛮なタリバン」だが、神の教えに忠実に従っての「野蛮」なのだ。マララさんの小さな肩にのしかかる難題はあまりにも重すぎるようにみえて痛々しい。マララさんは、「タリバンの子どもたちにも教育を」と訴えている。なるほど、「教育こそがただひとつの解決です。エデュケーション・ファースト(教育第一で)」には頷かざるを得ない。

日本では、教育を受ける権利が当然のものと考えられてはいるが、「いじめ」「体罰」「自死」など、マララさんの想像もつかない問題が山積している。その解決も、「エデュケーション・ファースト」以外にはない。単に制度としての教育ではなく、教育の内容が問われている。

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  『オリンピック拒絶宣言』

目が覚めて、いつものようにラジオのスイッチを入れた。せっかくの日曜日の朝から不愉快なニュース。2020年オリンピック・パラリンピックは東京に決まったという。番組は、日本中が喜びに沸き立っているに違いないという、押しつけがましさ。世論調査でも、賛成は7割でしかなかったはず。あとの3割の意見は切り捨てなのか。

「これで一儲け」と、たくらんでいる連中が、誰よりも大喜びだ。土建屋・不動産屋・株屋に金貸し。そして、これで政権が安定すると鼻息荒い国政・都政の保守派の面々も。さらに、国策に躍らされることが大好きな人々も。

私の不愉快の源泉は、「国民こぞっての祝賀のムード」という、押し付けがましい雰囲気にある。慶事も弔事も、当事者だけのもの。無関係の人へ押しつけてはならない。感動の押しつけに至っては、迷惑千万。「君が代唱って、日の丸振って、みんなで万歳」なんて、虫酸が走る。好きな人だけ仲間内でやっていただきたい。

子どもたちを、祝賀行事やら、記念のイベントに動員することはやめてもらいたい。整列させて、日の丸もたせて、声を合わせて唱わせたり、歓呼の声を…、なんて悪夢の再来だ。

近代オリンピックの発足当初は、個人参加だった。その理念が素晴らしい。これを国別対抗ゲームにしたところから、各国のナショナリズムと結びついて大会は隆盛化した。スポーツとナショナリズム。本来は何の結びつきもないものを結合させたことが、このイベントの巨大化の原因となり、間違いにもなった。

古代オリンピックは、平和の祭典であったという。仮に戦争があっても、各ポリスは戦闘をやめてオリンピックに参加したという。この伝統を大切に思う立ち場からは、今回の招致レースでは当然にイスタンブールに花を持たせるべきだったろう。シリア・イスラエル・中東全域の平和に貢献するだろう。

現代オリンピックは、肥大化したコマーシャリズムとナショナリズムの祭典となった。そのうえに、各国の王族だの貴族だのが幅を利かせる奇妙なイベントに堕している。

私は、厳粛に宣誓する。
オリンピックを拒否する。東京オリンピックには何の協力もしない。

せめては、オリンピックを契機とした人と人との交流が、平和の礎とならんことを願うのみ。
(2013年9月8日)

改憲阻止の立ち場から注目の堺市長選

しばらく国政選挙がない。「もしかしたら、次の国政レベルの選挙は、憲法改正の国民投票かも」などと言われてギョッとする。そうならないとは思うが、3年後の参院選とそのころの総選挙は、憲法をめぐる天王山。あるいは、天下分け目の関ヶ原。その帰趨は、決定的なものとなる。

国政選挙並みに注目される地方選挙が、堺市長選。今月15日告示で29日投票の日程。市長選の争点は、堺市の「大阪都」構想への参加の是非である。が、これとともに、大阪維新の会の存亡を懸けた選挙戦となっている。橋下徹自身がそう言い、私もそう思う。もっとも、橋下は「存」を望み、私は「亡」を願う。「自民党の右からの補完勢力」の消長が注目の所以である。

現職竹山修身市長と「大阪維新の会」公認の新人西林克敏前市議との一騎打ち。竹山を推すのが、自民府連・民主・共産。反橋下徹統一戦線である。自民の中央は改憲勢力の一翼として維新を温存しておきたいところ。だから態度を決めかねている。中央と地元とのネジレは、この党らしいところ。公明はどっち付かずで、どっちにも付けない。自主投票とのこと。これもこの党らしい。

昨年暮れの衆院選がピークだった維新の会は、東京都議選に大量の立候補をさせて惨敗した。これが終わりの始まり。惨敗は今夏の参院選でも続いて、党勢の衰退は誰の目にも明らかになった。そして、大阪府内政令指定都市・堺での、いわば地元での選挙戦敗北は、本格的な政党消滅へのレッドカード。もしかすると、「トドメの選挙」「終わりの終わり」となるのかも知れない。

私は、中学・高校は大阪。市内ではなく、大阪府下南河内の小さな町で金剛葛城の山なみを眺めて過ごした。大阪人の気風はよく分かる。なによりも、アンチ中央、アンチ東京である。私も、阪神タイガースのファンだった。ジャイアンツは大嫌い。

堺を隣町とは思っていなかったが、自治体の合併でいつの間にか隣接市となっていた。堺の気風も分からないではない。大阪への対抗心がある。アンチ大阪である。

現在、大阪市の人口が250万、堺市が84万。堺は、大阪市の3分1の規模。規模は小さくても、プライドは高い。呑み込まれてなるものぞ、との気概が伝わってくる。

大阪都構想自体が、アンチ東京の情念の産物とすれば、堺の大阪都構想反対もアンチ大阪の産物。幾層もの地域ナショナリズムが複雑に拮抗している。堺市長選での、竹山側のスローガンが、「堺は一つ」「堺をつぶすな」「堺の乗っ取りを許すな」。おそらく、これで維新の勝ち目はない。維新は、堺市民に、都構想による具体的なメリットを示すことができない。単なる「維新の敗北」で終わるか、「党消滅に繋がる惨敗」となるか、関心はそこに集中する。

維新橋下の戦術は、専ら、「竹山市長は、あろうことか共産党の応援まで受けている」「竹山市長は共産党公認候補」「共産党の市長を誕生させるのか」などの反共攻撃である。これも、いかにも橋下らしい「手口」。既に、末期症状である。

橋下維新の支援者の多くは、理念に共感してのものではない。「何かをやってくれそうだ」「これから大きくなりそうだから乗り遅れまい」の2点での期待に基づく先物買である。「何をやろうとしているのか」が見えてきて、「もう先が見えてきた」となったら、風船の破裂同様、急速にしぼむことが目に見えている。

なんといっても、町衆の自治都市を支えた誇り高き歴史をもつ堺の人々である。橋下維新に打ち勝たずばおられまい。そのことが、改憲勢力に打撃を与えることにもなり、財界がたくらむ道州制を阻んで、「団体自治、住民自治」確立への第一歩ともなる。

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  『旧日本軍の化学兵器』
シリアでの化学兵器使用が大問題となっている。化学兵器といえばオウム真理教のサリン散布事件を思い出させる。もっと年齢が高い人なら、関東軍の731部隊を思い出すだろう。旧「満州」で石井四郎軍医(中将)以下3000人(終戦時3560人)もの部隊が、東京大学に匹敵する予算を使って生物化学兵器を研究していた。ペスト、コレラなどの細菌兵器やマスタード、イペリットなどの毒ガス化学兵器である。朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人を「マルタ(丸太)」と称して生体実験に使った。その数は3千人にものぼるといわれている。その戦慄すべき実態は、森村誠一の「悪魔の飽食」にくわしい。

化学兵器の使用を禁止した1925年ジュネーブ議定書を無視して、関東軍は大量破壊兵器(毒ガス弾)を生産し、使用した。「きい剤」(致死性びらん剤)「あか剤」(くしゃみ剤)「みどり剤」(催涙剤)などと名付けられて数百万発の化学兵器がつくられたといわれる。中国戦で使用されて残った兵器を、終戦時に、関東軍は中国に遺棄して逃げ帰った。終戦の混乱に紛れ、記録も隠滅廃棄され、生産数も遺棄数も廃棄場所も正確には把握しようもない。ソ連軍や中国国民党軍に引き渡したものもあったらしい。

それらが戦後しばらくして、中国各地で中国国民の死傷害事件を起こす原因になった。2003年には731部隊の本拠地のあったチチハルの建設現場で遺棄イペリットガスによって43人が被毒し、1人死亡という惨事が起こっている。中国側は遺棄化学兵器による事故は約1000件、2000人の死傷者が出ていると集計している。

日本は、1997年に発効した「化学兵器禁止条約」により、中国に遺棄された化学兵器を処分する義務を負った。遺棄した責任国の義務として資金、技術を提供し、2000年以来中国各地において処理作業を続けている。そして今年、2013年8月29日南京市での作業が終了したと発表された。専用装置内で化学兵器を爆破し、処理作業して、48000発の「あか筒」を無毒化したという。しかし、どうしてもヒ素だけは処分できないので、濃縮して密封容器に入れて保管してある。そのヒ素をどうするかという問題は未解決のまま残っていると報じられている。

さらに、南京市が終わっても、武漢市、広州市、石家荘市、ハルビン市での処理が続く。そのあとに、最大量(30?40万発)の埋設地である吉林省のハルバ嶺が手つかずで控えている。2022年が終了目標にされている。気が遠くなるような話。
日本国内でも、北海道屈斜路湖(96年)、広島県大久野島(99年)、さがみ縦貫道路工事現場(02年)、平塚市(07年)などで、旧日本軍由来の埋蔵遺棄化学兵器による事故が起こっている。

サリンなどの化学兵器は「貧者の核兵器」といわれるように、作るのが容易である。しかし、処分するのは難しい。旧日本軍のような道義心に欠ける集団が作り、悪魔の殺戮を行ったあとは、「我がなきあとに洪水は来たれ」となってしまう。

化学兵器だけではない。多くの遺棄兵器が洪水や怪物となっている。兵器ばかりではない。今や、「原発」が化学兵器の数百倍も手に負えない洪水や怪物となりつつある。福島の汚染水の現状を見れば、原発再稼働や輸出など愚かなことだ。
 
愚かな歴史を断ち切ろう。「我がなきあとにも、常に美しき緑の野を」。
(2013年9月7日)

「日の丸・君が代強制事件」最高裁判決に貴重な補足意見

弁護団の澤藤からご説明いたします。
本日,最高裁判所第二小法廷(鬼丸かおる裁判長)は、05年と06年の都立校卒業式で「日の丸・君が代」強制に服さなかったことを理由として懲戒処分(戒告,減給,停職)を受けた教職員62名が、処分取り消しを求めて最高裁に上告していた事件で、上告を棄却する判決を言い渡しました。

実は、停職処分(1件)と減給処分(21件)については、既に教職員側の勝訴判決が確定しています。東京高裁判決が裁量権の逸脱濫用の違法を認めて処分を取消し、これを不服とした都教委の上告受理申立が不受理となって確定しているのです。ですから、本日の最高裁判決は実質的に戒告処分の違憲を争うだけのもので、その口頭弁論が開かれなかったことから、結果は予測されたことでした。

結局、一昨年来の最高裁判例を踏襲して、「日の丸・君が代強制は思想・良心に対する間接的な制約にはなるが、間接的な制約にしか過ぎないから一応の合理性必要性が認められる限り合憲。但し、思想・良心の制約という側面に配慮し、原則として減給以上の処分は裁量権の逸脱濫用にあたり違法な処分として取り消す」という結論となりました。

これは、「日の丸・君が代強制は辛うじて合憲。しかし、過酷な処分は違法」というもので、都教委の暴走に一定の歯止めを掛けたものではありますが、なお、合憲であるとしている点で納得できません。

10・23通達発出以後、都教委は「日の丸に正対して起立し、君が代を斉唱」するように命じる職務命令に従えない教職員に対して、1回目は戒告、2・3回目は減給(1?6ヶ月)、4回目以降は停職(1?6ヶ月)と処分回数を基準とする「累積加重システム」を作りあげ,これを実施してきました。これは思想転向強要システム、あるいは信仰改宗強要システムにほかなりません。さすがに、行政には甘い最高裁も、「いくら何でも都教委のやり方はひどい」と言ってくれたわけです。これが歯止め。

その反面、憲法学の通説的な理解では、思想・良心の侵害あれば、この侵害を合理化する厳格な根拠がない限り、違憲とります。厳格な根拠とは目的が真にやむにやまれぬものであるか、強制の手段が他に方法のないものであるかが吟味されなければなりません。こんな、いい加減な合憲判断にはとうてい納得できないところ。

本日の判決における収穫は、鬼丸かおる裁判官の補足意見がついていたことです。同裁判官は、「個人の思想及び良心の自由は憲法19条の保障するところであるから、その命令の不服従が国旗国歌に関する個人の歴史観や世界観に基づき真摯になされている場合には、命令不服従に対する不利益処分は、慎重な衡量的配慮が求められるというべきである」として、「当該不利益処分を課することが裁量権の濫用あるいは逸脱となることもあり得る」と判断しています。

文脈から見て、停職や減給だけでなく、懲戒処分の中では最も軽い戒告処分であっても「裁量権の逸脱濫用」として取り消される場合があることを示唆したものです。実際、東京高裁の大橋寛明判決(2011年3月10日)は、戒告を含む167人全員の処分を取り消しています。実質的に違憲判決と紙一重。

さらに同裁判官は、都教委に対し「謙抑的な対応が教育現場における状況の改善に資するものというべき」とも述べており,これは,教育行政による硬直的な処分に対して反省と改善を求めたものであることが明らかです。

弁護士出身の同裁判官が、日の丸・君が代訴訟に向かいあったのは初めてのこと。その裁判官は、違憲という判断にまでは踏み切ることができなかったものの、「合憲判決に署名するだけで済ませてはならない」と考えたのです。原告ら教職員の真摯さや悩みや勇気が、新任の最高裁裁判官の気持ちを揺り動かしたのだと思います。

同裁判官から見て、都立学校の教育現場は正常ではないのです。明らかに改善を要するものであることが見て取れたのです。その教育現場の改善は、権力をもつ立ち場の都教委が権力を行使するに謙抑的な対応が必要と戒めているのです。

こうまで言われた都教委は反省しなければなりません。改善しなければなりません。責任を感じなければなりません。それが、教育に携わる者の当然の在り方です。

10・23通達関連の大型訴訟としては、予防訴訟が終了し、東京君が代1次訴訟、そして本日の判決で2次訴訟が終わりました。戦って勝ちとった一定の積極面もあり、勝ち取れなかった無念も残っています。

一つの訴訟事件の区切りは付きましたが、問題は解決していません。もちろん、戦いも半ばです。学校現場での思想統制や行政による教育支配を撤廃させ,児童・生徒のために真に自由闊達で自主的な教育を取り戻すため、この戦いに参加した多くの人々は闘いをやめません。私も、関わり続けたいと思います。

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  『シリア・アサド政権への軍事攻撃』
シリアで化学兵器が使われ、多数の死傷者が出た。これを咎めて、アメリカのアサド政権に対する軍事制裁が今にも加えられようとしている。

民間人を戦闘に巻き込み、化学兵器まで使用したアサド政権が「悪」だということには世界中異論がない。シリア国民の3分の1に当たる600万人以上が国内外の難民となっているという。内戦の死者は11万人にのぼるといわれている。誰もが何かをしなければとは思う。オバマ大統領がアサド政権に対する軍事攻撃を言い出せば、国際法的に何の正当性もない武力行使ではあっても、追随する国が出てくるだろうと予想したところ。

イギリスのキャメロン首相とフランスのオランド大統領が即座に応じた。しかし、イギリス議会がキャメロン首相にストップをかけ、イギリスは手を引かざるをえなくなった。そして今、アメリカ議会が議論を始め、オバマ大統領もそれを無視できなくなっている。アサド政権に対する軍事攻撃が本当に問題の解決になるのか、もしやイラク戦争の二の舞になりはしないかということを懸念して激論している。世論調査では、もともとアメリカ国民の6割以上が攻撃に反対しているのだから。

EU議長、ドイツ、ポーランド、インドなども外交的解決をさぐるべきだといっている。最初からアサド支援の中国、ロシアは軍事攻撃断固反対。ロシアなどは地中海に軍艦まで繰り出して牽制している。そして、国連の潘基文国連総長も国連容認のないオバマ大統領の武力行使を制止した。唯一攻撃参加を言挙げしていたフランスのオランド大統領も「単独では攻撃に踏み切らない」といいはじめた。オバマ大統領は攻撃に着手できない。

当初は、オバマ大統領に支援を伝えていた安倍首相もイギリスのキャメロン首相と会談し、「シリアにおける暴力の停止と政治対話をつくるため、国際社会の協力が不可欠だ。日英連携して、難民支援や周辺国支援を呼びかけていくことは非常に有意義だ」などと述べている。

こうした牽制意見に囲まれても、アメリカによる軍事攻撃がどうなるかは予断を許さない。化学兵器を使用したかどうかはともかく、国民をこうした悲惨な状況に突き落としたアサド大統領を許すことはできない。しかし、トマホークや無人機や爆撃機による軍事攻撃はアメリカ兵士には戦死傷がないかもしれないが、シリア市民の大量の殺傷なしに行われるはずはない。自暴自棄になったアサドによる「人間の盾」作戦によって、悲惨な結果が起こることも当然予想される。

家族を殺され傷つけられ、家を捨てて逃れる600万人もの流浪の民の悲惨は想像を絶する。難民の「アサドもオバマもいらない」という叫びは胸に突き刺さる。この事態に、スウェーデン政府が名乗りを上げた。9月3日、同国へ亡命を希望するシリア難民全員を受け入れると発表したのだ。一時的滞在はもとより、希望する人には永住権も付与するとのことである。なお、スウェーデンはすでに2012年以降、14700人のシリア人難民を受け入れている実績がある。その善意、想像を絶する。

潘基文国連総長も軍事攻撃を止めたのだから責任がある。安保理が駄目なら、一刻も早く国連総会を開いて世界中の善意を掘り起こす努力をせよ。ロシアと中国を説得して政治解決をする知恵を出せ。

この夏、太平洋戦争についてたくさんの本を読んだ。人間はどのくらい家を焼いて、どのくらい弱い者をいじめて、どのくらい人を殺したら、もうたくさんというのだろうか。気分が悪くなる。スウェーデンに移住したい。
(2013年9月6日)

東京が語る苦い真実

東京オリンピック招致委員会を代表して、IOC委員の皆様に心から訴えます。自腹を切ることなく、人の金を使って、遠くブェノスアイレスまでやってきました。とても手ぶらでは帰れません。ですから、泣いてのお願いです。

いまや、ブェノスアイレスの関心事は、フクシマの原発汚染水漏出事故と東京の安全性に集中しています。もちろん、東京の放射線量は今のところ心配しなければならない数値ではありません。そんなことは皆様ご存じのとおりです。問題は7年後の東京に放射線の心配がないかどうか。それは分かりません。全く分からないとしか申し上げようがありません。

おそらく皆様は、フクシマの原発事故には大きな関心をもって、事故以来今日までの経過を追ってこられたのだと思います。だから、ご存知のとおりです。事故を起こした電力会社も、日本の政府も言ってることにはまったく信用がおけません。情報は常に後出しです。隠しきれなくなるまで隠して、渋々とあとから小出しにします。しかも、過小評価に色づけされた情報としてです。昔、「大本営発表」というものがありました。あれと変わりがありません。

3・11直後の水素爆発とメルトダウンについても、また大量の放射性物質が大気に放出されたことについても国民が知らされたのは、ずっとあとになってからのことです。ですから、日本の国民の誰もが、政府や電力会社の発表を信用していません。今回の汚染水の漏出も、参議院議員選挙が終わるのを待って公表されました。しかも、最初は海への流出はないと言い、今は回収できない汚染水が毎日300?400トンの規模で地下や海に流出していることを認めています。それでも、「大したことはない」のだそうです。東電は2011年5月から今年7月までに20兆から40兆ベクレルのトリチウムが海に出たと試算しています。ご存じのとおり、トリチウム除去の技術が確立していないからです。でも、「20兆から40兆ベクレル」の線量は大海で拡散すれば「大したことはない」とされています。

おそらく、安倍晋三さんが日本の政府を代表して、「政府が安全のために予算措置をした以上はご安心を」というでしょう。しかし、政府が事故の「収束宣言」をしたのが2011年12月16日。当時から誰も「収束」を信じませんし、事態の推移は「収束」の間違いを明らかにしています。しかも、安倍さんはまったくの素人です。自信をもっている振りをすることにおいてはプロでしょうが、原子炉の構造も、安全のための土木作業の内容も、放射線の生体に及ぼす影響についても、海洋での食物連鎖における濃縮も、ほとんど何も知りません。それでも、笑顔をふりまき、安全対策の予算額を述べれば、招致レースを乗り切れるだろうと多寡を括っているのです。

とはいえ、彼の笑顔の裏に潜む焦慮は透けて見えるでしょうし、大金を注ぎこまなければならないということはそれだけ危険だということなのです。IOC総会が終わったタイミングを見はからって、またまた新たな事故の報告が後出しでなされる可能性も否定できません。仮に、不利な情報がことさらに伏せられて東京招致が決定されたとなったら…。いったいどうなるのでしょうか。

フクシマでは、昨日も震度4の地震がありました。再度の大地震がいつ来るか予測はできません。今後7年の間には相当に高い確率で大地震がフクシマや東京を襲うものと考えざるをえません。そのとき何が起こるのか。とりわけ、メルトダウンした核燃料の残骸や、崩壊した建屋の中に放置されている核燃料がどうなってしまうのか。予断を許さないところなのです。

また、政府の原子力規制委員会は、福島第1原子力発電所の汚染水は放射能濃度を薄めて海に放出する以外にないと言い出しています。おそらくは、そうして廃棄物を呑み込んだフクシマの海の放射線量は、しばらくのあいだは十分に低いものと考えられます。しかし、7年後はどうなっているか、これも分かりません。フクシマの海と繋がっている東京湾の放射線量がどうなるか。誰にも予測がつかないことなのです。そこがトライアスロンの舞台になります。

だから、敢えて申し上げます。政府の言っていることが信用できないことは明白です。安倍さんの言を信用しろというのが無理なことももっともです。2020年の東京が、放射線被害のリスクあることはハッキリと認めた上で、お願いします。東京を見捨てることなく、東京との絆を大切にしていただきたいと思うのです。

いま、日本も東京も、多くの困難な課題を抱えています。原発、消費税、改憲、格差貧困、財政危機、近隣諸国との軋轢‥。政府や都政への人民の不満もまことに大きいのです。これを何とか、かわしたい。東京オリンピック招致こそはその切り札なのです。はっきりいえば、愚民政策。これにご協力いただきたいのです。

オリンピックのもつ経済効果でマドリードの経済を支えることができるでしょう。オリンピックのもつ政治的効果でイスタンブールに平和や治安をもたらすことも可能でしょう。そして、オリンピックの熱気で、閉塞感に喘いでいる東京に、束の間の幻想を与えていただくようお願いします。

政府の嘘を嘘と見抜いて、東京が安全だなんて軽々に言えないことを承知のうえで、それでなお、十分な覚悟と自己犠牲の隣人愛の精神を発揮され、ぜひとも、2020年東京オリンピック誘致にご支援をお願いいたします。お互い、うるさい人民に対して、どう統治すべきか苦労を重ねている、上から目線の仲間の皆様ではありませんか。私の願いに、ご理解いただけないはずはありません。よろしくお願いします。
(2013年9月5日)

婚外子差別違憲判決に思う

婚外子の遺産相続分を、法律上の夫婦の子の半分とする民法の規定が、憲法に違反するかどうかが争われた遺産分割事件で、最高裁大法廷は本日、「当該規定の合理的な根拠は失われており、法の下の平等を保障した憲法に違反する」との決定を出した。合憲とした1995年大法廷(10対5)の判例変更をしたもの。

家庭裁判所が民法の規定どおりの遺産分割審判をし、婚外子側がこの審判を不服として高裁に抗告をしたが棄却されたので、最高裁に特別抗告をしていた。本日の決定は、原決定を破棄して高裁に差し戻した。高裁は、最高裁の判断に拘束された再決定をすることになる。

大法廷の決定は、下記のサイトで読むことができる。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20130904154932.pdf
法務省の民事局長だった寺田逸郎判事が審理を回避して決定に加わらず、裁判官14人全員一致の意見だった。これはやや意外。なお、時の人・山本庸幸氏ではなく、前任の竹内行夫判事が決定に加わっている。

決定理由の枠組みは、「憲法14条の法の下の平等を大原則とし、その制約を合理化する根拠があるか」という立論をするものではない。「相続制度をどう定めるかは立法府の合理的な判断に委ねられている」ことを前提に、「裁量権を考慮してもなお、そのような区別に合理的な根拠が認められない場合には、憲法14条違反となる」という。原則は国会の裁量、それを逸脱している場合にのみ違憲となる、という枠組み。

だから、「それぞれの国の伝統,社会事情,国民感情、…その国における婚姻ないし親子関係に対する規律,国民の意識等」について総合的に考慮が必要であり、「これらのことがらは時代とともに変遷するもの」ともいう。

「これまで民法の改正が行われてこなかった理由の主たるものは、家族等に関する国民の意識の多様化がいわれつつも,法律婚を尊重する意識は幅広く浸透しているとみられることにあると思われる」「しかし,嫡出でない子の法定相続分を嫡出子のそれの2分の1とする本件規定の合理性は,…個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らし,嫡出でない子の権利が不当に侵害されているか否かという観点から判断されるべき法的問題である」という。

国民意識の変化・多様化、世界各国の立法例、国際条約や国際機関の動向、などに鑑みて、「家族の中で個人の尊重がより明確に認識されてきた。子に選択の余地がない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されないとの考え方が確立されてきている」と述べ、遅くとも(今回の裁判の被相続人が死亡した)2001年7月には規定が違憲だったと結論付けた。

考えねばならないことはたくさんある。人権とは、平等とは、時代で変わるものだろうか。国民意識の変遷や他国の法制度の動向に左右されるべきものなのだろうか。

1995年には、5対10だった裁判官の意見分布が、今回は14対0となった。これはどうしてだろうか。以前よりは人権感覚が優れた裁判官が選任されるようになったのか、それとも時代が変わったのか、あるいは雪崩現象なのか。

明日(9月5日)と、明後日(9月6日)には、第一小法廷と第二小法廷で、続けて「日の丸・君が代」強制問題での判決が予定されている。婚外子問題では、違憲判決のできる最高裁が、どうして「日の丸・君が代」強制問題では違憲と言えないのだろうか。

本日の判決では、外国の動向と、自由権規約・子どもの権利条約の締結が、違憲判断の要因として挙げられている。規約委員会からの勧告の事実にも関心が払われている。国旗・国歌問題についても、これは応用が出来そうではないか。

司法消極主義を批判されていた最高裁が、ともかく積極方向に動いた。このことだけでも喜ばなければならない。日の丸・君が代強制問題においても、判例変更はあり得ることではないか。

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   『並木道』
「昔恋しい 銀座の柳 あだな年増を誰が知ろ」「植えてうれしい 銀座の柳 江戸の名残のうすみどり」「巴里のマロニエ 銀座の柳 西と東の恋の宿」
「銀座柳並木」を歌った流行歌の歌詞だ。シダレヤナギは銀座通りの並木道を飾り、江戸情緒の名残だった。関東大震災、東京大空襲などで焼かれてしまい、その後、復活を計っているが、昔の風情は戻っていない。今はイチョウが植えられているようだが、木が小さくて見栄えはいまいちだ。御幸通りには早春に白い花をつけるコブシの木が植えられているが、木の生長が悪くてあまりパッとしない。銀座にはやっぱりヤナギがふさわしい。

パリのマロニエは日本のトチノキの仲間。霞ヶ関の桜田通りが立派なトチノキ並木で、秋になるとツヤツヤした栗の実ほどの栃の実が街路にころがる。一度は手に取るけれど、しばらく置いておくと、艶もなくなってしなびてしまい、がっかりしてしまう。いくらでも拾えるけれど、トチ餅などは都会人には難しくて作れない。トチノキは栃木県の「県の木」で、宇都宮市の県庁前に立派なトチノキ並木がある。5月にはシャンデリアのようなクリーム色の花をたくさん咲かせる。県庁の屋上で8万匹のミツバチを飼って、41キログラムもの蜂蜜を収穫したそうだ。トチノキ並木をつくりたいとおもっても、ヤナギと違って、すぐには造れない。宇都宮県庁前のトチノキは1939年に植えたもの。年期が必要なのだ。

ところが今、街路樹としては「シダレヤナギ」も「トチノキ」も人気がない。プラタナス(鈴掛の木)、ポプラ、ニセアカシア(エンジュ)も以前ほど見かけなくなった。街路樹は排気ガスに強く、人に踏まれてもものともせず、病害虫もよせつけず、剪定されても夏までには葉を茂らせて、成長が早くないとお役が務まらない。そのうえ、美しい花を咲かせ、できたら蜂蜜を恵み、真夏の炎熱をさえぎり、都市をクールダウンし、色とりどりに紅葉して町を飾り、冬の小鳥たちに赤い実をプレゼントすることまで期待される。

今の並木の人気は、イチョウ、サクラ、ケヤキが上位を占めている。明治神宮外苑のイチョウ並木の黄葉は、毎年、秋の風物詩として報道される。燃え立つような黄色い炎は冬に立ち向かう都会人の気持を表現しているようだ。春の喜びはどうしてもサクラに限る。それまで何の変哲もなかった町や道路を華やかに包んで、人の気分を浮きたたせ解放する。毛虫がついたり、欠点がないわけではないが、他の木に植え替えることは住民が許さない。ケヤキは堂々たる大木になるので、よほど広い道路に植えないとピッタリしない。春の芽吹きは遅いけれど、煙立つようにたくさんの若葉を開いて、真夏にはたっぷりした緑陰を提供してくれる。黄色や柿色の紅葉もボリュームがあるので圧倒される美しさだ。ケヤキは仙台の「市の木」で、青葉通りのケヤキ並木は有名だ。駅に降り立ちこの並木を見たとたん、さすが「杜の都」と納得する。明治神宮の表参道のケヤキ並木は葉を落としたあとまで、ご苦労さんにもイルミネーションで大都会東京の冬の夜を飾り立ててくれる。

実用に特化した並木ならキョウチクトウとタブノキだ。キョウチクトウは高速道路に植えられる。真夏の暑さにますます元気で、長い間遠目にも美しい花を咲かせる。冬の寒さにも夏の日照りにも耐える。剪定に強く、挿し木でいくらでも増える。そしてなによりも自動車の排ガスや大気汚染物質にびくともしない。
タブノキは常緑広葉樹で、地味な高木だ。花は小さく緑色で目立たないが、大木の枝先を飾るオレンジ色の新芽は花が咲いているのかと見まごうほど美しい。冬の間も分厚い葉っぱで覆われているので、防風・防火の役に立つ。1976年の酒田の大火のあと、焼けただれて火伏せをしてくれたタブノキをみて、酒田市では「タブノキ1本、消防車1台」と言ったそうだ。

地域限定なら、気温の低いところにはナナカマドだ。マイナス41℃の記録を持つ旭川市には無論ナナカマド並木がある。春は白い花をたっぷりとつけ、秋の紅葉は燃え立つように美しく、房のように成る赤い実は冬鳥のキレンジャクを賑やかに集めてくれる。
南国なら、沖縄のヤシや宮崎のフェニックスが異国情緒をさそう。冬は南国の暖かさを夏は涼風を連想させてくれる。

樹木は、人の心をひろやかで穏やかにしてくれる。大きな樹の下は冬は暖かく、夏は涼しい。猛暑つづきの都会にはとくに並木を植えたい。熱中症も減るだろう。維持費がかかるといっても、「オスプレイ」や「オリンピック」ほどかかりやしない。日本が花綵(はなづな)列島といわれているのなら、北海道から沖縄まで、樹木を植え、花を咲かせ、紅葉を愛で、隅々まで「花を連ねた綱」や「木々の錦」で飾ってみたいものだと思う。
(2013年9月4日)

三題噺「東京五輪・皇族招致活動・放射線汚水漏れ」

いま、日本はたいへんな問題を抱えている。東京オリンピック招致なんて浮かれている場合ではない。スポーツは明らかに愚民政策として利用されている。改憲・原発・消費増税・TPP・格差貧困…、諸々の矛盾をカムフラージュするための東京オリンピックではないか。そんなもの止めていただきたい。そんなところに予算を使うのはよしてくれ。

なによりも、福島原発の汚染水問題。政府が予算を出せば何とかなるという性質のものではない。原発は「トイレなきマンション」と言われてきた。今、福島では、マンション本体は爆発で見る影もなく、トイレの垂れ流しだけが際限なく続けられている。「マンションなきトイレ」になってしまっている。

この汚染水の放射線量は半端なものではない。メルトダウンした核種によって直接汚染されたと思われる線量なのだ。その汚染水で、あの巨大な1000トンタンクが2日半でいっぱいになる。25日で10個、250日で100個。さらに増え続けたら…。フィンランドの「オンカロ」は、地下400メートルの岩盤を掘削して放射性廃棄物を10万年間閉じ込めようという世界唯一の施設だ。福島では、地上でこのまま10万年となりかねない。IOCの各委員は、福島の現状をよく知っているのだろうか。

そのオリンピック開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会に、高円宮妃久子なる皇族が出席してスピーチをするのだという。私は天皇制については大いに関心をもっているが、この人のことは知らなかった。何のイメージもない。亡くなった高円宮憲仁氏の妻と言われてもまだよくは分からない。高円宮が三笠宮の三男と説明されてようやく系図を了解。私が疎いのだろうか、その程度の知名度なのだろうか。

「皇族の政治利用」ではないかと問題だとか。問題なら止めれば良さそうなものだが、宮内庁は「苦渋の決断で政権側の要請を受け入れた」のだそうだ。「神聖なる皇族を、東京オリンピック招致ごとき俗事に使ってまことに申し訳ない」とのニュアンス。

この人のスピーチは、東日本大震災に各国からの支援があったことに感謝する内容の予定とか。どうして、IOC総会がそのようなお礼をする場としてふさわしいのかはよく分からないが、こんなスピーチはどうだろうか。

「世界中の皆様。わが日本は、世界で最も地震被害が頻発している国でありながら、安全神話のもと、54基もの原子力発電所を稼働させてまいりました。そのツケが、2013年3月11日の福島第一原発の爆発事故となって、世界中に放射性物質をばらまいて、皆様に多大なご心配とご迷惑をお掛けいたしました。にもかかわらず、温かい復興へのご援助をいただき、お礼の言葉もございません。あらためてお詫びと感謝を申し上げます。
原発事故の被害は甚大で、事故後2年半を経たいまも終熄の見通しはまったく立っていません。とりわけ、メルトダウンした原子炉内の核燃料がどうなっているのか、どうしたらこれを安全に取り出して廃炉にできるのか、確たる方針を見出すことができない現状でございます。もし今、再び、大規模な地震や津波が起きたら…、考えるだに恐ろしい現状です。おそらく、そのときは、東京でオリンピックを開催することなど到底考えも及ばぬ惨状となりましょう。
さらに、現在、放射能汚染水問題がクローズアップされております。福島第一原発敷地には、1日800トンの地下水が流入し、この地下水が核燃料と接触して高濃度の線量をもつ汚染水となっています。この汚染水のうち、毎日400トンだけは回収して水槽に貯めていますが、回収できない400トンはどうなっているか、実はよく分かりません。相当量が海に流れていることでしょう。
一方、汚染水を回収した水槽は、数限りもなく殖えて敷地を埋め尽くさんばかりとなっています。そして、いま、その水槽から放射線汚水が漏出しているのです。その汚染水の線量は、水槽の近くでは、毎時1800ミリシーベルトという、数時間で致死量になりうる信じられない高値なのです。しかも、水槽の強度保持の設計はわずか5年間、実際には3年しかもたないとも言われています。汚染水漏出水槽の数は、どんどん殖えていくことになりましょう。
東京と福島原発の直線距離は約200?。もちろん、福島の海は東京湾に繋がっています。それでもなお、世界の皆様が、福島と日本の復興のために、リスクをご承知で東京オリンピックを実現していただけるようご支援を心からお願い申し上げる次第です。
これまでのご厚情に感謝申し上げるとともに、原発事故が安全に終熄するまでには今後相当の年月を要することをご承知おきいただき、いっそうのお心遣いをお願い申しあげます。」
(2013年9月3日)

憲法に試練の秋

秋9月。夏休みが終わって2学期が始まる。7月参院選後の束の間の休戦が終わって、いよいよ改憲に向けてのスケジュールが動き出す。抵抗運動も黙ってはおられない。

改憲だけでない。シリア状勢は緊迫しているし、福島第1原発の汚染水漏れ事故もたいへんな事態だ。安倍内閣と猪瀬都政は今月間もなくの東京五輪誘致で勢いを得ようとしているし、維新は堺市長選で党勢挽回を狙って懸命だ。

秋の臨時国会の開会は未定だが10月15日以降。ちょうど、靖国神社秋季例大祭(10月17日?20日)のころ。それまでに消費増税決行か否かが決まる。TPP問題も正念場を迎える。

臨時国会開会以前に、衆参の憲法審査会が動き出す。臨時国会が始まれば、下記の予定が目白押しだ。どれもこれも、一つ一つが、安倍自民にとっても、抵抗運動にとっても、容易ならざる問題。

*改憲手続き法(国民投票法)の「三つの宿題」実行
*集団的自衛権行使容認の解釈変更
*秘密保全法案の上程
*国家安全保障基本法案の上程
*日本版NSC設置法案(提出済み)の審議
*防衛計画の大綱の改定
*日米ガイドラインの改定

さて、今日は、夏休み明けの宿題提出の日。その日の朝刊が、与党も6年越しの宿題に本格的に手を付け始めると報道している。夏休み明けに提出の宿題には、優劣の差が大きい。一夏の時間をたっぷり掛けての出来映えもあれば、夏休みが押し詰まってからやっつけ仕事での間に合わせもある。与党が提出した宿題は、どうやらやっつけ仕事の類。しかも、全部ではなく、一部のみ。

周知のとおり、改憲手続き法(国民投票法)は2007年5月に成立した。3年後を施行期日とし、その間に「選挙年齢を18歳に引き下げ」「国民投票運動における公務員の政治的行為の制限緩和」「改憲以外にも国民投票のテーマ拡大」という「三つの宿題」の結論を出すよう定められた。第一次安倍内閣の政権投げ出しで、今日まで手付かずのままとなっている。

毎日の報道では、「自民、公明両党は1日、憲法改正の手続きを定めた国民投票の投票年齢を『18歳以上』に確定する国民投票法改正案を秋の臨時国会に共同で提出する方針を固めた」とのこと。成人年齢の引き下げか、少なくとも公職選挙法における選挙権年齢を18歳に引き下げることが予定されていたのを、改憲を急ぐために、改憲手続においてだけ、「18歳以上」としようというもの。それはないだろう。何をそんなに慌てふためいての宿題の提出なんだろうか。

「衆院憲法審査会は9月12?22日の日程で、9人がドイツなど欧州3カ国を視察する」そうだ。視察には保利氏のほか自民、民主、日本維新の会、公明、みんな、共産、生活の7党の幹事や委員が参加。ドイツでは憲法裁判所、イタリアでは原発を巡る国民投票について、チェコでは12年2月の憲法改正について実情を調査するという。臨時国会で再開する憲法審査会も最初の焦点は改憲手続き法(国民投票法)となる見通しだと報道されている。

さあ、私も、できることを探して、できるだけのことをしなければならない。

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  「ジブチ」 唯一の自衛隊海外派兵基地
8月27日中東訪問中の安倍首相が「ジブチ」の自衛隊基地を慰問、自衛隊員を激励した。ジブチ共和国は紅海、アデン湾に面した元フランスの植民地でソマリアの隣国。ソマリアといえば海賊、そう私たちの頭にすり込まれている。2009年成立の「海賊対処法」に従って、ソマリア沖に出没する海賊から、日本関連の船舶を守るためとして、自衛隊の護衛艦2隻とP3C対潜哨戒機2機が派遣された。はじめアメリカ軍の基地を有料で借りていたが、2011年にはジブチの国際空港内に12haの敷地を借りて、自前で、280人用宿舎、駐機場、整備用格納庫を設置した。「海賊対処」を口実に、しっかり根を下ろした自衛隊の初の恒久的海外基地ができたわけである。

2009年「海賊対処法」成立時には、自衛隊の海外派遣について世論調査も行われた(海賊対策なら良し63%、それでも反対29%)が、恒常的海外駐留基地化は「ワーワー騒がれないうちに」「静かに行われた」ので、いつの間にか完成していた。軍艦や対潜哨戒機や200人からの自衛隊員が常駐しているのにだ。

最近は「ソマリアの海賊」の話もとんと聞かない。海賊活動は沈静化しているが、自衛隊が引き上げる気配は見えない。それどころか、今までは日本関連船舶のエスコートをしていた自衛隊だが、今年12月からは護衛艦の内の一隻がアメリカなどの多国籍部隊(CTF151)と一緒にペルシャ湾でも活動(ゾーンディフェンス)することになっている。そのうえ、安倍首相は今回のバーレーン訪問中、米第5艦隊司令官からP3Cを回すよう要求され、「前向きに検討したい」と約束したとのことである。

産経ニュース(8月29日)は「他国部隊との間で国際貢献活動を円滑に進めるには、集団的自衛権の行使を容認し、さまざまな事態に対応できるようにしておくことが望ましい。・・安倍首相は憲法解釈の変更など部隊が機能を十分に発揮できるよう、判断を急ぐべきだ」と言っている。
そういう観点からの布石が着々と打たれていると言えよう。貸したくない軍艦や哨戒機をシブシブ貸すわけではなく、渡りに船と、海外派兵も集団的自衛権も既成事実化しようというわけだ。もしかしたら、内閣法制局長官の国会答弁での解釈変更などなどないままに、既成事実は着々と進行してしまいかねない。

ところで、ジブチの自衛隊基地提供の根拠となっているのは、「ジブチ共和国における日本国の自衛隊等の地位に関する日本国政府とジブチ共和国政府との間の交換公文」。日米行政協定では自国内の基地を強国に提供する側だった日本が、この協定では逆に基地の提供を受ける側となる。その協定に注目したい。

その第8条は次のとおりである。
「日本国の権限のある当局は、ジブチ共和国の領域内において、ジブチ共和国の権限のある当局と協力して、日本国の法令によって与えられたすべての刑事裁判権及び懲戒上の権限をすべての要員について行使する権利を有する。」(外務省ホームページより)

すなわち、「自衛官、海上保安官らの日本人要員が任務中・任務外を問わず事件を起こした場合の刑事裁判権を、全面的に日本側に委ねるという、極度の治外法権が取り極められているのである」「日本人要員がジブチ国内でジブチ国民を強姦しようが暴力を振るおうが殺そうが、ジブチ側に一切の裁判権はないのである。これを書いている2012年10月段階で、沖縄における米兵のレイプ事件が大きな問題となっているが、仮に日本人要員の誰かがジブチの街中でジブチの女性をレイプした場合、裁判および処分はすべて日本側が日本の法により執り行い、ジブチ警察当局が基地内の捜索や証拠差押えをすることも認められない。これでは公正な判決が行われる保障など全くない」(高林敏之氏)という指摘がもっともである。

日本国民は地位協定の不平等に怒ってきたはず。今度は、自らが海外に基地を作り、しかも他国に不平等を押し付けているのだ。こんな「手口」は許しておけない。海外基地など撤去せよ。
(2013年9月2日)

震災時の朝鮮人虐殺から90年

本日は関東大震災発生から、ちょうど90年目にあたる。10万の人命を失った自然災害への記憶を喚起し、いかに備えるべきかの教訓を確認すべき日として重要な日である。しかし、それだけではない。この災害の混乱の中で、多数の在日朝鮮人・中国人と、社会主義者が殺害された記憶を留めおかねばならない。被害者にとっては悲嘆の日であり、日本の民衆の多くが暴虐な加害者となった恥辱の日でもある。

記憶に留めおくべき日はいくつもある。戦争被害を象徴する、東京大空襲の日、広島・長崎原爆投下の日、沖縄戦終了の日、終戦の日。戦争加害責任を象徴する日としては、南京大虐殺の日、重慶爆撃開始の日、柳条湖事件の日、パールハーバー急襲の日。そして、日本人として忘れてならない、9月1日震災から始まる軍と警察と民衆とによる朝鮮人虐殺である。

資料は夥しくあるが、吉村昭の「関東大震災」(文春文庫)と、姜徳相の「関東大震災」(中公新書)の両書がコンパクトで信頼できる。前者が客観性にすぐれ、後者が在日の立ち場から「死者の怨念が燃え立つような」情念を感じさせる。そして、ちょうど10年前、2003年8月に日弁連(会長本林徹)が、「関東大震災人権救済申し立て事件調査報告書」をまとめている。

朝鮮人虐殺の主体は、日本刀・木刀・竹槍・斧などで武装した自警団であった。仕込み杖、匕首、金棒、猟銃、拳銃の所持も報告されている。自警団とは日本の民衆そのものである。「彼ら」と客観視はしがたい。自警団をつくったのは「私ら」なのだ。その自警団は、朝鮮人を捜索し誰何して容赦なく暴力を加え殺害した。「武勇」を誇りさえした。その具体的な残虐行為の数々は判決にも残され、各書籍にも生々しい。姜徳相の書は、「単なる夜警ではなく、積極果敢な人殺し集団であったことまた争う余地がない」「天下晴れての人殺し」と言いきっている。さらに、「死体に対する名状しがたい陵辱も、忘れてはならない。特に女性に対する冒涜は筆舌に尽くしがたい」「『日本人であることをあのときほど恥辱に感じたことはない』との感想を残した目撃者がいる」と紹介している。

事後の内務省調査によれば、自警団は東京で1593、神奈川603、千葉366、群馬469など、関東一円では3689に達した。ひとつの自警団が数十人単位だが、中には数百人単位のものもあった。全体として、恐るべき規模と言わねばならない。

在日朝鮮人の被害者数はよく分からない。公的機関が調査を怠ったというだけでなく、妨害までしたからである。一般に、その死者数は6000余と言いならわされている。上海在住の朝鮮独立運動家・金承学の、事件直後における決死的な各地調査の累計数が6415人に達しているからである。

当時、東京・神奈川だけで、ほぼ2万人の朝鮮人がいた。事件のあと、当局は、朝鮮人保護のためとして徹底した朝鮮人の「全員検束」を行った。この粗暴な検束の対象として確認された人数が関東一円で11000人である。少なくとも、9000人が姿を消している。これが、殺害された人数である可能性があるという。

一部犯罪者傾向のある少数者の偶発的犯罪ではない。恐るべき、一民族から他民族への集団虐殺というほかはない。なにゆえ3世代前の日本人(私たち)が、かくも朝鮮人に対して、残虐になり得たのだろうか。当時、「混乱に紛れて、朝鮮人が社会主義者と一緒に日本人を襲撃しに来る」「朝鮮人が井戸に毒を入れてまわっている」「爆弾を持ち歩き、放火を重ねている」などの、事実無根の流言飛語が伝播し、これを信じて逆上した自警団が、朝鮮人狩りに及んだとされている。ではなぜ、そのような流言が多くの人の心をとらえたのだろうか。

歴史的には、朝鮮併合が1910年、最大の独立運動である3・1事件が1919年である。3・1事件には、200万人を超える民衆が参加し、7500人の死者を出す大弾圧が行われた。関東大震災が発生した1923年は、多くの日本人にとって、朝鮮独立運動の記憶生々しい時期に当たる。「不逞鮮人の蜂起」「日本人への報復的加害」の流言飛語は、それなりのリアリティをもつものであった。

自警団の犯罪は、形ばかりにせよ検挙の対象となり、起訴され有罪判決となっている。その件数は資料によって異なり判然としないが、「東京震災録」によれば、検挙者数として、東京1300、神奈川1730などの数値があるという。

各地で裁判を受けた被告人の職業別統計を見ると、ほとんどが「下層細民」に属する人々であるという。「米騒動のとき政府批判の先頭に立った立役者たちが、朝鮮人虐殺の下手人になっている」(姜徳相)という。「おのれ自身搾取され、収奪された人々が、自分たちの受けた差別への鬱積した怒りの刃をよそ者に向けた」「これは、日本帝国主義が植民地を獲得したことの盲点であり、植民地制度によってさずけられた特権であった」「朝鮮人は、軽蔑し圧迫するに適当な集団と見られたのである」という同氏の指摘は重い。

いま、「朝鮮人は殺せ」などと、ヘイトスピーチを繰り返して恥じない集団がいる。おそらくは、彼らは90年前の「都市下層細民」にあたるのだろう。「おのれ自身搾取され、収奪された人々が、自分たちの受けた差別への鬱積した怒りの刃をよそ者に向けたい」「自分たちよりも、もう少し圧迫されている存在を見下して安心したい」心情なのだ。しかし、今やそんなことが許される時代ではない。もともと、「在日コリアンは、軽蔑し圧迫するに適当な集団」ではあり得ない。平等の人格をもつ人権主体であることを知らねばならない。

日弁連の報告書は、朝鮮人・中国人虐殺への国の関与とその責任に焦点を当てたもので、当時の刑事判決書(山田昭次氏提供)と軍・警察関係の公的文書を資料として作成されており、極めて信頼性が高い。

人数は明確にし得ないが軍隊による朝鮮人虐殺があったこと。流言飛語の大きな原因として、内務省警保局発の虚偽内容の各地への打電があったことを認定している。
その打電内容は以下のとおり。
「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。 既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於いて十分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」

90年前の日本人(私たち)がした民族差別に基づく集団虐殺である。けっして忘れてはならない。日本人自身の震災被害の甚大さに埋没させ、隠してはならない。その事実を見つめ、そこから教訓を酌まなければ類似の事件が起きかねない。日韓・日朝の友好関係を築くことも困難になる。

事件は、疑心暗鬼から生じている。日本の朝鮮に対する苛酷な植民地支配があり、これに抵抗する独立運動があった。その独立運動の激しさは、日本人に「朝鮮人は日本人を憎み、折りあらば復讐を企てようとしている」という疑心を生んでいた。このような背景があって、官憲がマッチを擦って、火は一気に燃え上がった。民族間の相互不信が募れば、かくにも爆発しうるという、余りに悲惨な好例ではないか。

しかも、最前線で「活躍」したのは、国内の貧困層であった。支配階級としてみれば、朝鮮人や貧困層の不満が体制批判に及ばないのだから、願ってもないことであったろう。

事件は、植民地支配や民族蔑視の矛盾の表出である。日本人としては、大きな負債を背負っていることを自覚しなければならない。極めて現在的な課題として、民族間の平等意識の回復をはからねばならない。マイノリティの人権を擁護する具体的な措置を講じなければならない。また、日本国内の格差や貧困、さらには差別の存在を解消すべきが課題である。

改めて、憲法前文を想起しよう。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

韓国・朝鮮との間において、疑心暗鬼を生むことのない、平和で平等な国際関係を形成しなければならない。でないと、不幸は繰り返されかねない。

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