(2020年10月21日)
ネットを検索していると、時に思いがけない記事に出会う。
本日、偶然に下記の「つ・ぶ・や・き」を見つけた。DHC商品の愛用者であったという女性の5年前の投稿。しっかりした文章で、なるほどと思わせる。
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DHCとの決別。消費者が感じた、右翼経営者急増の弊害。
テーマ:★つ・ぶ・や・き★
カテゴリ:ささやき
私は、メイクや健康サプリメントを殆ど”DHC”の商品で賄って参りました。
当初は、”知る人ぞ知る”とでも言いたくなる様な地道なスタンスだったと思います。
化粧品から、健康食品。
会社は、歳月を重ねる毎に順風満帆に発展している様子でした。
私自身、これからも変わらず一緒に歩いて行けるものと確信しておりました。
先日。
見慣れたカタログとは違う、パンフレットが届きました。
新商品でも、掲載されているのかと思い何気無く開きました。
其処には、余りにも意外な”お知らせ”が大々的に報じられていました。
私共ユーザーに対し、「ニュースもサプリも化粧品も真実を伝えます」との宣言が掲載されておりました。
”日本のマスメディアは、間違っている!!”との叫びと共に、”DHC”が推薦する”知識人”達が並べられていました。
私は、戦慄を覚えました。
優しいイメージだった通販会社とは思えない、強硬な”顔”が唐突に突き付けられた気がしました。
女性の多くは、”ものを買う”際に自分ばかりでなく周囲の平安を願います。
家族や子供達の笑顔があればこその幸せだからです。
それは、ささやかな愛情であり”平和への祈り”と繋がっています。
各個人・各家庭のそれぞれの心の奥にある、”自由な価値観に基いた1人1人個別の”正義”です。
決して、特定の企業が選び限定した”文化人”達から真実や正義を”教えて貰う”ものではありません。
”正しい歴史認識を、教える”
告知に目を通すと、一方的に”日本は、中国に侵略されている”と非現実的な危機感を煽っています。
反論者・反対者に対しては、”攻撃する言葉”が並んでいました。
成功した人物が、お金や名誉や地位を得た上で”特別な思想”に染まる事もあると思います。
昨今、安倍晋三氏の”ブレーン”が口々に”右傾化(右翼)”を公言しています。
大手の病院の経営者や、ホテル業界の覇者・・・。
それは、自由です。
でも。
それを、そのまま唐突に”顧客”に向け”押し付ける”のはどうなのでしょうか。
時勢に乗り、日本の権力者の威光を浴びた途端自分達以外の感じ方や考え方を”間違っている”と決め付けるなんて。
彼等を栄えさせて来た購買層は、果たして”右翼”だけだったのでしょうか。
私は、違和感を覚えました。
私は、右翼でも左翼でもありません。
ただ、DHCの商品が好きだっただけなのです。
女性の多くは、まず”品質重視”です。
その点に於いて、この会社は大きな信頼を得て来ました。
”DHC”は、利用した人々の自然な”クチコミ”がシェア拡大の基盤になっていたと思います。
私は、本来品質そのものに明らかな欠陥が無い場合”不買運動”には反対です。
経営者の主義・主張が、私個人とどれ程かけ離れていたとしても消費者として無関係でいられるべきだと考えていました。
それなのに。
このチラシ一枚で、「一般的な歴史観は、誤りだ!!」「お前も、DHCの商品を購入する以上同じ思想を”正義”と思え!!」と襟首を掴まれた印象を受けました。
今回、”DHC”商品自体を愛用して来た者達全員に向けて事業主の考える通りの”方向性”が直接言い渡されました。
これでは、このTV番組を見ようが見まいが、商品を購入すれば事業主の思想を広める事に協力する形になってしまいます。
私は、”DHC商品”とお別れする羽目になりました。
悲しいですが、仕方がありません。
さようなら。
長い間、ありがとうございました。
TWITTER最終更新日 2015年11月23日 23時18分42秒
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以上の文章は、やや長文だが論旨は明快である。
企業は消費者の商品購買によって成り立っている。企業を発展させるのは、商品を愛用する消費者なのだ。ところが、その企業が、消費者の襟首を掴んで「右翼思想」注入を強制しようとする。その手段が、企業が金を出してのTV番組なのだ。このTV番組を見ようが見まいが、商品を購入すれば事業主の思想を広めることに協力する形になってしまう。だから、”DHC商品”とお別れなのだ。
この投稿者は、もともとは「私は、本来品質そのものに明らかな欠陥が無い場合”不買運動”には反対です。経営者の主義・主張が、私個人とどれ程かけ離れていたとしても消費者として無関係でいられるべきだと考えていました」という立場であった。
つまりは、「右翼が作ろうと左翼が作ろうと、商品としての包丁は切れ味だけが問題で、菓子は美味ければよい。」ということだ。しかし、自分の財布から出た金の一部が企業を経由して、右翼思想の宣伝に使われることには我慢ができない、と行動を起こしたのだ。
消費者は、自分の消費生活における選択が、社会にどうインパクトを与えるかに敏感でなければなない。環境問題に無頓着でCO?排出を抑制しようとしない企業、武器を作り輸出している企業、労働法無視の企業、パワハラ・セクハラの常習企業、フェアトレード重視の意識を欠いた企業などの製品を購入しないという日常の消費者行動で社会を少しでも良くしていくことができる。ちょうど、選挙民一人ひとりの1票が積み重なって政治を動かすように、消費者の行動も積み重なって社会を動かす。
これが、「消費者主権」の考え方である。良識ある消費者は、DHCのような、デマとヘイトと右翼思想喧伝と、そしてスラップ常習企業の商品を買ってはいけない。あなたが「DHC商品とお別れ」することは、この社会におけるデマとヘイトと右翼思想喧伝とスラップを抑制することにつながるのだから。
(2020年9月25日)
本年(2020年)3月18日に言い渡された「DHCスラップ『反撃』訴訟」控訴審判決。DHC・吉田嘉明両名の私(澤藤)に対する損害賠償請求の提訴を違法として、165万円の支払を命じた。その判決理由において、DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の違法を一審以上に明確に認めている点で、私にとって極めて満足度の高いものとなっている。
私の満足は、DHC・吉田嘉明の不満足。両名は、この判決を不服として上訴期限最終日の4月1日(水)に、最高裁宛の上告状兼上告受理申立書を原審裁判所(東京高裁)に提出した。6月1日付の各申立の理由書が最高裁に到着したという通知を9月15日に受け、同日副本送付の申請をして、これを同月17日に受領した。係属は第一小法廷である。その各要旨は、以下のとおりである。
上告理由要旨(R2年(オ)第995号)
原判決は,上告人ら(DHC・吉田嘉明)の提訴を不当提訴と判示したが,その判断は,憲法32条に違反する。
上告人ら(DHC・吉田嘉明)が,訴訟提起したのは,披上告人(澤藤)が,8億円を貸付けた動機について政治を金で買ったなどと事実無根の主張をし,それが犯罪動機についての最高裁判所の判例の考え方に従えば,事実の摘示となり,名誉毀損が成立すると考えたからであり,言論の萎縮効果を狙ったからでは毛頭ない。
また,債務不存在確認訴訟を提起したのは,前訴において,裁判所が,不当提訴には当たらないと判断したからである。
それにもかかわらず,裁判所が前訴と異なる判断をすることは矛盾挙動であるし,事実の摘示か意見ないし論評かの区別は,通常人が容易に判断できる事項ではない。
いずれにせよ,原判決は,結論ありきで,上告人ら(DHC・吉田嘉明)の主張に対して全く説得力のない判示をしており,上告人らの裁判を受ける権利(憲法32条)を侵害するものであり,原判決は,すみやかに破棄されるべきである。
上告受理申立理由要旨(R2年(受)第1245号)
原判決は,申立人ら(DHC・吉田嘉明)の提訴を不当提訴と判示したが,その判断は,不当提訴の要件を判示した最高裁判所の判例に違反しており,民法709条の違法性について重要な法令解釈を誤った違法がある。
また,対抗言論を経ないで訴訟提起したことを不当提訴の根拠としており,これは,東京高判平成21年12月16日(平成21年(ネ)第2519号)に違反する。
申立人らが,訴訟提起したのは,相手方(澤藤)が,8億円を貸付けた動機について政治を金で買ったなどと事実無根の主張をし,それが犯罪動機についての最高裁判所の判例の考え方に従えば,事実の摘示となり,名誉毀損が成立すると考えたからであり,言論の萎縮効果を狙ったからでは毛頭ない。
また,債務不存在確認訴訟を提起したのは,前訴において,裁判所が,不当提訴には当たらないと判断したからである。
それにもかかわらず,裁判所が前訴と異なる判断をすることは矛盾挙動であるし,事実の摘示か意見ないし論評かの区別は,通常人が容易に判断できる事項ではない。
いずれにせよ,原判決は,結論ありきで,申立人らの主張に対して全く説得力のない判示をしており,申立人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利をも侵害するものであり,原判決は,すみやかに破棄されるべきである。
裁判所を説得しようという迫力はない。すべきではなかった提訴をしてしまったことについての言い訳に終始しているとしか読めない。
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ところで、本日(9月25日)配達された『週刊金曜日』の「金曜アンテナ」欄に、ジャーナリスト北健一さんの「美々卯がスラップ訴訟」「東京都内一斉閉店・従業員解雇の報道に社長が激怒」の記事。このスラップの被告が北さんご自身なのだ。同病相憐れむの強い親近感を抱かざるを得ない。
北さんには、私のDHCスラップ訴訟の公判傍聴や報告集会にも参加していただいた。勝訴判決に祝意のメールもいただいた。ジャーナリストとしての関心からか、出版労連役員としての行動なのかは分からない。この人、とても落ちついた雰囲気で、筆を滑らせるような人には見えない。それでも、スラップの被害者となっているのだ。
私のスラップ訴訟は、DHCと吉田嘉明が原告だった。北さんは、美々卯とその社長薩摩和男が原告。私は6000万円を請求された。北さんは1100万円だが、大阪地裁で応訴を強いられている。私の事件は被告は私一人。北さんは、記事を掲載したダイヤモンド社と編集長も訴えられているという。
美々卯スラップの訴状には、薩摩社長の「平気で従業員の生活の糧を奪い、その人生を踏みにじる人物である、という仮にこれが真実であれば会社経営者として万死に値する恥ずべき汚名を着せられた」との述懐があるそうだ。
こういうことであろうか。「私・薩摩は、決して平気で従業員の生活の糧を奪い、その人生を踏みにじる人物などではない」。にもかかわらず、「平気で従業員の生活の糧を奪い、その人生を踏みにじる人物と描写されてしまった」。「仮に私が真実そのような人物であるとすれば、会社経営者として万死に値する恥ずべきことである。」しかし、それは事実と異なるので、「私は、その記事によって不実の汚名を着せられた」。
これは、DHC・吉田嘉明の言い分とたいへんよく似ている。今回の上告理由書・上告受理申立理由書にも、まったく同文でこんなことが書いてある。
「真実は,脱官僚を目指して頑張っている政治家を支援するためにお金を貸したのに,これを政治を金で買ったなどの誹膀中傷がなされた」
つまりこういうことだ。「真実は,(吉田嘉明は)脱官僚を目指して頑張っている政治家(渡辺喜美)を支援するためにお金(8億円)を貸したのに,これを(澤藤から)『政治を金で買った』などの誹膀中傷がなされた」。美々卯事件の薩摩社長と同じことだ。
「私・吉田嘉明は、決して『政治を金で買う』などと考える人物ではない」。にもかかわらず、「脱官僚を目指して頑張っている政治家(渡辺喜美)を支援するためにお金(8億円)を貸したことを捉えて、あたかも私が、『政治を金で買った』人物と描写されてしまった」。「仮に私が真実『政治を金で買う』人物であるとすれば、まことに恥ずべきことである。」しかし、それは事実と異なるので、「私は、その記事によって不実の汚名を着せられた」。
問題は、吉田嘉明が、政治家(渡辺喜美)に8億円もの裏金を提供したことを、常識的にどう捉えるかということである。政治資金収支報告書にも、選挙運動費用収支報告書にもまったく記載しない、明らかに選挙のための巨額のカネの交付である。これを『政治を金で買った』と表現するに何の差し支えがあろうか。これを司法が咎めるようなことになれば、民主主義社会は崩壊する。
美々卯スラップ訴訟を知っていただくために、また、北さんを支援する意味で、金曜日の記事を紹介しておきたい。
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「東京都内一斉閉店・従業員解雇の報道に社長が激怒」
美々卯がスラップ訴訟
うどんすきの老舗として名高い美々卯(本社・大阪市)とその社長・薩摩和男氏が筆者(北)を訴えた名誉毀損訴訟が波紋を広げている。筆者が執筆した記事が対象で、原告は被告の筆者と記事を掲載したダイヤモンド社、編集長にI100万円の支払いと記事削除、謝罪を求めている。
問題の記事はウェブ媒体「ダイヤモンド・オンライン」に掲載の「『美々卯』 一斉閉店の裏に再開発利権か コロナ便乗解雇の深層」(6月26日付)。美々卯から暖簾分けした東京美々卯が今年5月20日に解散、全6店を閉鎖し約200人の従業員を退職、解雇させた事件の背景を探っている。同社は無借金で、雇用調整助成金も申請することなく解散を決めた。
訴状には薩摩氏が「平気で従業員の生活の糧を奪い、その人生を踏みにじる人物である、という仮にこれが真実であれば会社経営者として万死に値する恥ずべき汚名を着せられた」とある。薩摩氏らは他方で東京美々卯解散や退職・解雇は問題なかったと主張している。問題のないことへの関与がなぜ「汚名」になるのだろうか。
9月16日、大阪地裁で第1回目頭弁論が開かれた。新型コロナ感染防止で一人置きに座る形の傍聴席は関心を持った市民でいっぱいに。薩摩氏は法廷に姿を見せなかったが、被告側の意見を受け、金地香枝裁判長は次回以降も公開の口頭弁論とすることを決めた。
弁論後のミニ報告集会で美々卯元店長が出汁づくりの苦労にふれると、交響楽団でバイオリンを弾く音楽ユニオンの斎藤清さんは「いい味といい音とは共通する。同じ職人として解決を望む」。不当配転と闘う連帯ユニオン・十三市民病院分会の大西ゆみさんは「職人さんは素晴らしい。私も問題が解決したら美々卯に食べにいきたい」と会場を沸かせた。批判封じのスラップ訴訟に見える提訴が却って連帯の輪を広げた格好だ。
次回弁論は‥11月18日13時10分から大阪地裁807号法廷の予定。
北健一 ジャーナリスト
佐賀県の東端に位置して鳥栖市がある。「鳥栖(とす)」という地名には、他にない独特の古代の響きがある。昔は「鳥の巣」と言ったとのこと。九州陸路での交通の要衝であり、朝鮮通信使の立ち寄る場所でもあったという。
鳥栖は、私には懐かしい地名だ。父が奉職していた宗教団体の立教の地としてである。この教団は、戦前大きな勢力を誇っていたが、教義が不敬にあたるとして、天皇制政府から徹底した弾圧を受けて壊滅した。初代教組は不敬罪確定前に死亡し、2代目は有罪確定して下獄したが敗戦で釈放された。その2代教祖が、敗戦の翌年1946年に教団を再建した。その本部が置かれたのが鳥栖であった。幼いころ、父から、鳥栖という地名を何度も聞かされた。
その鳥栖をホームタウンとして、「サガン鳥栖」というプロサッカークラブが誕生したことは知っていた。しかし、誰がスポンサーであるかに関心はなかった。私が、DHCからスラップ訴訟を提起された後に、「サガン鳥栖」のメインスポンサーがDHCであることを知った。そのユニフォームの胸に、「DHC」の3文字が入っているのだ。
「DHC」とは、言うまでもなく「デマとヘイトのカンパニー」である。これにスラップまで加わって、3拍子揃った珍しい企業。そのDHCが「サガン鳥栖」のスポンサーになった事情については知らない。おそらくは吉田嘉明が唐津の出身であった縁からであつたろう。
鳥栖は、さして大きな街ではないが、「サガン鳥栖」はまぎれもなく、佐賀県を代表するスホーツチームである。今スポンサー一覧のリストを眺めるとなんと「佐賀大学」(国立)まで入っている。その佐賀県代表の選手の胸に「デマとヘイトのカンパニー」なのだから、佐賀県の恥ではないか。さすがに、文字には書きにくいが、佐賀に縁のある人にはそうしゃべってきた。
ところが、目出度いことに、DHCと「サガン鳥栖」との縁が切れた。2020年1月でDHCがスポンサーから撤退。2月からの「胸スポンサー」は佐賀新聞となった。「サガン鳥栖」の選手の胸に、DHCの3文字はなくなり、「佐賀新聞」が取って代わっている。
「デマとヘイトとスラップ」のDHCとの縁が切れたことを、佐賀県民のために、心から「おめでとう」と申しあげたい。これからは、サガンの選手から目を背けなくてもよくなるのだから。
なぜ、DHCがサガンから撤退したのか、その理由はよく分からない。よく分からぬままにネットを検索していたら、次の記事にぶつかった。2020年2月1日付のもの。原文のまま、一部を転載する。
【悲痛】J1鳥栖スポンサー相次ぐ撤退その真相は?胸スポのDHCまで!
DHCの吉田嘉明会長
DHCの吉田会長を調べると…色々なスキャンダルが出てきました。
吉田会長が政治家に資金をを貸し付けた事を弁護士がブログで批判した事で、吉田氏側から自由な言論を封じる脅し目的の訴訟を起こされ、精神的苦痛を受けたとして損害賠償を求めている。
吉田会長といえば、2014年にみんなの党・渡辺喜美氏に8億円もの供与し大問題に発展。渡辺氏を通じて安倍晋三首相にも接近しようとしていたとも言われている。
吉田氏が自社株を買い戻したときの金額を国税局が低すぎるとし約6億円の追徴課税を行った際には、処分取り消しの訴訟を起こしただけでなく、国税庁職員の調査によって精神的な苦痛を受けたとして国を相手に約1億4000万円の損害賠償訴訟を起こすなど、『けんかっ早いフィクサー』『ワンマン経営者』などと呼ばれてきた吉田会長。
1992年には六本木に元社長秘書をママに据えた会員制クラブを開店したことが「週刊新潮」で取り上げられている。
このようなスキャンダルが今回のスポンサー撤退理由になのかは解らないがDHC側に有るに[の]では無いかなとも思ってしまう。
DHCの商品は僕は好きなのでなんだか微妙な気分ですね。
DHC商品を一つ買えば、デマとヘイトの番組作りを後押しして、日本の民主主義が一歩後退することになる。反対に、DHC商品の購入を控えれば、デマとヘイトの番組作りは一歩後退し、日本の民主主義が一歩前進することになる。『DHC不買』運動は、デマとヘイトを抑制する民主主義運動なのだと2017年1月18日に記事になっていた。
このブロガーは率直に述べている。「このような吉田嘉明の度重なるスキャンダルが今回のスポンサー撤退理由だと断定はできないが、DHC側に問題があるのだろうと思えてしまう」と言うのだ。
《DHC商品を一つ買えば、デマとヘイトの番組作りを後押しして、日本の民主主義が一歩後退することになる。反対に、DHC商品の購入を控えれば、デマとヘイトの番組作りは一歩後退し、日本の民主主義が一歩前進することになる。『DHC不買』運動は、デマとヘイトを抑制する民主主義運動なのだ》は、私の文章である。このように拡散されていることは欣快の至りである。
「DHCスラップ訴訟」を許さない・シリーズを重ねて本日が第177弾。書き続ければ何らかの影響を確認できるようになる。書かなければ何も生まれない。DHCとの闘いはまだしばらく終わらない。本シリーズもまだまだ終わらせるわけにはいかない。
(2020年4月19日)
3月18日(水)に言い渡された「DHCスラップ『反撃』訴訟」控訴審判決。一審判決も会心の内容だったが、控訴審判決はさらに素晴らしいものとなった。これを不服としたDHC・吉田嘉明は、上訴期限最終日の4月1日(水)に、最高裁宛の上告状兼上告受理申立書を原審裁判所(東京高裁)に提出した。
4月7日(火)、東京高裁第5民事部から私宛に、上告提起通知書・上告受理申立通知書の特別送達があった。5月28日が、上告理由書・上告受理申立理由書の提出期限となる。
DHC・吉田嘉明が不服とする控訴審判決の主文は、「(DHC・吉田嘉明両名は連帯して、澤藤に対して)165万円を支払え」とするだけの素っ気ないものであるが、その判決理由において、DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の違法を一審以上に明確に認めている点で、私にとって極めて満足度の高いものとなっている。
言うまでもないことだが、『スラップ訴訟の提起を受けて被告の立場で闘って請求棄却の勝訴判決を得ること』と、『スラップを違法と主張してスラップの張本人に損害賠償請求の『反撃』訴訟を提起して勝訴判決を得ること』とは、ハードルの高さが決定的に異なる。
スラップをかけられれば、「売られたケンカ」として受けて立たざるを得ない。しかし、圧倒的にハードルの高い『反撃』訴訟を提起することには、誰しも躊躇を感じるところ。万が一にも高いハードルを乗り越えられないときのデメリットの影響を慮ってのことである。さらに、その背景には現在の裁判所への不信がある。判例の傾向が決して表現の自由という民主主義社会の根幹をなす大原則の擁護に親和的とは思えないのである。
私の場合も、『DHCスラップ訴訟』の判決が勝訴として確定したあと、直ちにDHC・吉田嘉明に対する『反撃訴訟』を提起したわけではない。いずれ時効完成までにはと思いつつも、煩わしい訴訟の提起には躊躇がなかったわけではない。ところが、DHC・吉田嘉明の方から、債務不存在確認訴訟の提起があって、2度目の「売られたケンカ」を買わざるを得ない立場となり、結果として満足すべき一審判決を得るに至った。
そして、『反撃』訴訟の一審判決に満足した私は、弁護団の意見もあって、敢えて控訴を見送った。DHC・吉田嘉明にとっては、わずか110万円の給付判決。これで確定するだろうという思いが強かった。ところが、DHC・吉田嘉明は控訴した。言わば、3度目の「売られたケンカ」である。私は、附帯控訴して一審以上に満足すべき控訴審判決を得た。
以上のとおり、この極めて満足すべき控訴審判決は、半ばはDHC・吉田嘉明の提訴・控訴のお蔭で獲得に至ったものなのだ。具体的には以下のとおりである。
DHC・吉田嘉明が、私のブログを名誉毀損と決めつける理由の主たるものは、以下のとおりである。
「控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が主張する(吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円貸付の)動機は,《脱官僚,規制緩和を掲げる政治家を応援するために8億円を貸し付けた》というものであるのに対して,被控訴人(澤藤)は、貸付動機を《金儲けのためだと断定している》ことが名誉毀損である。」
この8億円という巨額の裏金(政治資金収支報告書にも、選挙運動収支報告書にも未記載)の貸付動機についての私のブログでの記載が、DHC・吉田嘉明のいう「名誉毀損」言論であった。私はこう言ったのだ。6年前のブログの一部をそのまま抜粋する。
吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。
DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。
選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。
この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。
DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。(2014年3月31日)
この点を反撃訴訟の控訴審・秋吉判決は、こう判断している。
「控訴人吉田自身が,
平成20年3月27日付け日本流通産業新聞への特別寄稿において,控訴人会社の創業以来成長のー途をたどってきた健康食品市場の停滞につき指摘し,その主要な原因が厚労省による監視の強化にある旨を述べた上で,その解決のため,健康食品に関する議員立法を目指す国会議員の動きにつき「先生方には藁にもすがりたい思いである」として,立法による解決を期待する旨の意見を表明していたこと,
本件手記において,控訴人会社の主務官庁(厚労省)による規制が煩わしいものであったことを述べ,官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革であり,それを託せる人こそが私の求める政治家であると述べて,脱官僚を主張し,行政改革に取り組む渡辺議員と意気投合し,その選挙資金融資の依頼に応じて8億円を貸し付けたこと,
その後渡辺議員と決別したが,その志を援助するために行った貸付の意義についてもう一度彼自身に問うてみたいと記載していたことに照らせば,
本件貸付の動機,目的は,窮極的には規制緩和を通じて控訴人会社(DHC)の利益を図るものと推認できるのであって,仮に本件各記述が本件貸付の動機についての事実を摘示したものであったとしても,これが真実に反するということはできない。(中略)
前示のとおり,被控訴人(澤藤)の本件各記述が,いずれも公正な論評として名誉殼損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められること,
それにも関わらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHCスラップ訴訟のこと)を提起し,その請求額が,当初合計2000万円,本件ブログ4掲載後は,請求額が拡張され,合計6000万円と,通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであったこと,
控訴人吉田が自ら本件手記を公表したのであれば,その内容からして,本件各記述のような意見,論評,批判が多数出るであろうことは,控訴人らとしても当然予想されたと推認されるところ(なお,前件訴訟の提訴前に,控訴人らの相談に当たった弁護士から,本件貸付が規制緩和目的のためなのか,私利私欲のためなのか分からない人たちから批判が出ることは当然あり得るとの意見が出ていたことが認められる(証人内海〔原審〕35頁)。),控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,それに対し,言論という方法で対抗せず,直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という’手段で臨んでいること,
ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し,判決に至ったものは,いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては,控訴人らの損害賠償請求が認応られずに確定していることからすれば,
前件訴訟(DHCスラップ訴訟)等の提起前に控訴人会社(DHC)の担当者と弁護士との間で訴訟提起等に関する相談がされたこと等を考慮しても,前件訴訟(スラップ訴訟)の提起等は,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり,不法行為と捉えたとしても,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。
したがって,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の前件訴訟の提起等は,請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易に知り得たといえるのに,あえて訴えを提起したものとして,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ,被控訴人(澤藤)に対する違法行為と認められる。
まことに胸のすく判決理由の説示である。これなら、スラップ訴訟を提起された言論人は、勇気をもってスラップ訴訟の提起者に対して、反撃訴訟を提起できるではないか。私は、素晴らしい判決であると思う。DHC・吉田嘉明は、あらためてこの判決をよく噛みしめて、自分のしたことの誤りを反省しなければならない。
(2020年4月10日)
3月18日(水)に言い渡された「DHCスラップ『反撃』訴訟」の控訴審判決。その上訴期限最終日の昨日(4月1日・水)、DHC・吉田嘉明が最高裁に上訴した。控訴審判決の「連帯して165万円を支払え」とする命令を不服としてのもの。
高裁の控訴審判決に不服ある場合の上訴(上級審への不服申立)には、「上告提起」と「上告受理申立」の両手段がある。「上告提起」は、原判決に憲法違反や重大な訴訟手続の違法があることを理由とする場合、「上告受理申立て」は、原判決に判例違反や法令の解釈に関する重要な間違いがあることを理由とする場合に認められる。DHC・吉田嘉明は、両手段を併用して申し立てている。
「上告提起」も「上告受理申立」も最高裁宛となるが、上告状兼上告受理申立書の提出先は、原審の東京高裁第5民事部である。これから速やかに、同民事部から両当事者に「上告」「上告受理申立」の受理通知が送付される。その通知が到達後50日以内に、DHC・吉田嘉明は、「上告理由書」「上告受理申立理由書」を作成して同民事部に提出しなければならない。一件記録が最高裁にまわるのは、その後のことになる。
実務家の常識からは、このDHC・吉田嘉明の上告も上告受理申立も、無理筋の展望のない上訴というほかはない。最高裁が耳を傾けるはずもない。敗訴確定先延ばしに過ぎない無駄な努力。かくて、圧倒的な優勢のうちに、DHC・吉田嘉明と私との訴訟上の争いは、最終第6ラウンドを迎えることになった。
2014年4月16日 DHC・吉田嘉明は、私(澤藤)を被告とする訴状を東京地裁に提出した。その請求の趣旨において、私の3件のブログ記事の削除を求めるとともに謝罪を要求、さらに2000万円の損害賠償金を支払えとした。この訴状が私に届いたのが、同年5月13日。この日、私は初めてDHC・吉田嘉明から、無謀な宣戦布告があったことを知らされた。そして、DHC・吉田嘉明にその愚行を後悔させなければならないと受けて立つことを決意した。これが第1ラウンドの始まりである。
私はこの提訴を、DHC・吉田嘉明の「黙れ」「オレを批判するな」という野蛮な恫喝と理解した。絵に描いたような悪役登場の典型的スラップ訴訟である。まずは、黙ってはならないと決意し、ブログに「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズを書き始めた。
もちろん、私憤がエネルギーの原動力である。吉田嘉明ごときに、脅せば黙り込むだろうと舐められたのが腹に据えかねたのだ。もっとも、怒りは私憤ばかりでもない。スラップは表現の自由の敵である。その意味では、スラップとの闘いは大いに公共の意義をもつ。また、DHC・吉田嘉明はヘイトとデマの源泉であることも少しずつ分かってきた。この闘いのエネルギーには、私憤だけでなく公憤も加わった。
こうしてブログに「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズを書き始めたら、DHC・吉田嘉明の代理人弁護士今村憲から警告があり、続いて請求が拡張された。同年8月29日に、なんと請求額は4000万円跳ね上がった。あらためて、6000万円を支払えというのだ。DHC・吉田嘉明・今村憲が、一体となってこの訴訟提起の動機を自白しているに等しいではないか。
今は175弾に及んでいる「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズの最初は下記のとおりである。私のブログを検索していただければ、すべてを読むことができる。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12
2014年7月
13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
18日 第5弾「この頑迷な批判拒否体質(1)」
19日 第6弾「この頑迷な批判拒否体質(2)」
20日 第7弾「この頑迷な批判拒否体質(3)」
22日 第8弾「グララアガア、グララアガア」
23日 第9弾「私こそは『幸せな被告』」
25日 第10弾「『表現の自由』が危ない」
27日 第11弾「経済的強者に対する濫訴防止策が必要だ」
31日 第12弾「言論弾圧と運動弾圧のスラップ2類型」
同年8月
3日 第13弾「スラップ訴訟は両刃の剣」
4日 第14弾「スラップ訴訟被害者よ、団結しよう。」
8日 第15弾「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ」
10日 第16弾「8月20日(水)法廷と報告集会のご案内」
13日 第17弾「DHCスラップ訴訟資料の公開予告」
20日 第18弾「満席の法廷でDHCスラップの口頭弁論」
21日 第19弾「既に現実化しているスラップの萎縮効果」
22日 番外「ことの本質は『批判の自由』を守り抜くことにある」
31日 第20弾「これが、損害賠償額4000万円相当の根拠とされたブログの記事」
同年9月
14日 第22弾「DHCが提起したスラップ訴訟の数々」
15日 第23弾「DHC会長の8億円拠出は『浄財』ではない」
16日 第24弾「第2回口頭弁論までの経過報告」
17日 第25弾「第2回口頭弁論後の報告集会で」
(以下略、現在175弾まで)
以上のとおり、私は怒りを持続して猛烈にDHC批判のブログを書き継いで本日に至っている。その怒りが訴訟にの経過にもみなぎっているはずだ。怒りこそが、エネルギーの源泉である。今、読み直すと、このブログはなかなかに読み応えあって面白い。吉田嘉明も読んでいるだろうか。未読であれば、ぜひお読みいただきたい。感想文などいただけたら、なおありがたい。
こうして、2015年9月2日 東京地裁での請求棄却判決言い渡しがあった。当然に私(澤藤)全面勝訴であった。これが第1ラウンドの勝利。
DHC・吉田嘉明はこれを不服として控訴したが、2016年1月28日控訴審は控訴棄却判決を言い渡した。再びの私の全面勝訴である。第2ラウンドの勝利。
DHC・吉田嘉明は、なんの成算もないまま無意味な上告受理申立をしたが、2016年2月12日最高裁はこれを不受理とした。第3ラウンドの勝利。
さらに、2017年9月4日、DHC・吉田嘉明は私を被告として、債務不存在確認請求訴訟を提起した。つまりは、スラップ提起による損害賠償債務はないことの確認を求める訴訟。これが、第4ラウンドとなった。これに、澤藤から反訴提起を行い、これを前訴と区別して「DHCスラップ『反撃』訴訟」と名付けた。2019年10月4日、反訴について一審判決言い渡しがあり、明確にスラップの違法を認め、認容額110万円とした。第4ラウンドの勝利である。
これに、DHC・吉田嘉明が控訴し、澤藤が附帯控訴したのが、第5ラウンドである。2020年3月18日東京高裁511号法廷で、DHCスラップ反撃訴訟控訴審判決言い渡しがあった。DHC・吉田嘉明の控訴を棄却し、澤藤請求の認容額を165万円に増額した。第5ラウンドにおける、赫々たる勝利である。これで、5選5勝となった。
さて、第6ラウンドがどうなるか。DHC・吉田嘉明は、控訴審判決を不服として上訴するのだが、控訴審判決は手堅い。唐突にこれまでと違うことは言いようもなく、さりとて同じことを述べて判決を覆すことなどできようはずもない。
控訴審判決の核心部分は以下のとおりである。
前示のとおり、
被控訴人(澤藤)の本件各(ブログでの)記述が、いずれも公正な論評として名誉毀損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められること、
それにも関わらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHC・吉田嘉明によるスラップ訴訟)を提起し、その請求額が、当初合計2000万円、本件ブログ4(「DHCスラップ訴訟を許さない・第1弾」)掲載後は、請求額が拡張され、合計6000万円と、通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであったこと、
控訴人吉田が自ら本件手記を公表したのであれば、その内容からして、本件各記述のような意見、論評、批判が多数出るであろうことは、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)としても当然予想されたと推認されるところ?なお、前件訴訟の提訴前に、控訴人らの相談に当たった弁護士(今村憲)から、本件貸付が規制緩和目的のためなのか、私利私欲のためなのか分からない人たちから批判が出ることは当然あり得るとの意見が出ていたことが認められる(証人内海〔原審〕35頁)。?、
控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、それに対し、言論という方法で対抗せず、直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という’手段で臨んでいること、
ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し、判決に至ったものは、いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の損害賠償請求が認められずに確定していることからすれば、
……前件訴訟(DHCスラップ訴訟)の提起等は、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり、不法行為と捉えたとしても、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。
したがって、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の前件訴訟の提起等は、請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易に知り得たといえるのに、あえて訴えを提起するなどしたものとして、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ、被控訴人(澤藤)に対する違法行為と認められる。」
この判決は、以上の認定において、表現の自由保障についての貴重な一石を投ずる判決となり得ていると私は満足している。私の6年間の怒りは無駄ではなかったという充実感がある。
そのような圧倒的に優勢な状態で、第6ラウンド開始のゴングが鳴った。私は、もうしばらく余裕の怒りを持続しつつ、守勢に回らずDHC・吉田嘉明を攻撃し続けることができる。消費者問題としての観点から、あるいは忌まわしいデマとヘイト規制の観点から、また政治資金や選挙資金規正の視点から、そして何よりも表現の自由擁護の立場から、DHC問題・吉田嘉明問題を語ってゆきたい。
(2020年4月2日)
本日(3月18日)、コロナ禍のさなかの東京高裁511号法廷で、DHCスラップ反撃訴訟控訴審判決言い渡しがあった。おそらくはこれが、DHC・吉田嘉明と私との一連の訴訟において開かれる最後の法廷となる。
この事件が起きたのが2014年の春。あれから6年にもなる。あのとき私はDHC・吉田嘉明に怒り、今日まで怒り続けてきた。その怒りのエネルギーで、5度の訴訟を継続してきた。まずはDHC・吉田嘉明の起こした典型的なスラップ訴訟を被告として受けて立って、一審に勝訴し、2審も勝訴した。DHC・吉田嘉明は、最高裁への上告受理申立までしたが不受理となって、私の勝訴が確定した。これで3勝。続いての攻守ところを替えた反撃訴訟での一審勝訴に続く、本日の控訴審勝訴。これで、5選5勝である。
控訴審判決は、DHC・吉田嘉明が起こしたスラップの違法を再確認の上、一審では110万円であった損害賠償認容額を、165万円に増額した。一審では認めなかった前件訴訟(DHC・吉田嘉明のスラップ訴訟)における応訴弁護士費用負担分を50万円だけ認めたもの。
金額はともかく、明確にDHC・吉田嘉明がしたスラップ提訴の意図と違法を認めた判決に満足している。反撃訴訟をやってよかった。附帯控訴もやった甲斐があった。
一審判決は、スラップの違法を明晰に認定してはいたが、私のブログによる言論を恫喝し萎縮させる意図の有無には無関心だった。本日の控訴審判決の理由はこの点に踏み込んでいる。判決の末尾の部分をやや長文だが引用しておきたい。なお、以下の()は、私の書き足しである。
「前示のとおり,被控訴人(澤藤)の本件各(ブログでの)記述が,いずれも公正な論評として名誉毀損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められること,それにも関わらず控訴人らが,被控訴人に対し前件訴訟(DHC・吉田嘉明によるスラップ訴訟)を提起し,その請求額が,当初合計2000万円,本件ブログ4(「DHCスラップ訴訟を許さない・第1弾」)掲載後は,請求額が拡張され,合計6000万円と,通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであったこと,控訴人吉田が自ら本件手記を公表したのであれば,その内容からして,本件各記述のような意見,論評,批判が多数出るであろうことは,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)としても当然予想されたと推認されるところ?なお,前件訴訟の提訴前に,控訴人らの相談に当たった弁護士から,本件貸付が規制緩和目的のためなのか,私利私欲のためなのか分からない人たちから批判が出ることは当然あり得るとの意見が出ていたことが認められる(証人内海〔原審〕35頁)。?,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,それに対し,言論という方法で対抗せず,直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という’手段で臨んでいること,ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し,判決に至ったものは,いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては,控訴人らの損害賠償請求が認められずに確定していることからすれば,……前件訴訟(DHCスラップ訴訟)の提起等は,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり,不法行為と捉えたとしても,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。したがって,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の前件訴訟の提起等は,請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易に知り得たといえるのに,あえて訴えを提起するなどしたものとして,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ,被控訴人(澤藤)に対する違法行為と認められる。」
以上の認定で、私の6年間の怒りは無駄ではなかったという充実感がある。表現の自由保障に一石を投ずる判決を得たと思う。
DHC・吉田の側から本日の判決を不服とする上告受理申立があるか否かは予想の限りではない。しかし、仮に申立があったとしても、もう不受理決定を待つだけで、精神的な負担感はまったくない。
あらためて、私は日本一幸福な被告であったことを再確認している。
弁護団の皆様、お世話になりました。支援をしていただいた皆様、本当にありがとうございました。
この勝訴判決が確定したときには、記念のイベントを企画したいと思います。その際には、ぜひともご協力をよろしくお願いいたします。
(2020年3月18日)
来週の水曜日・3月18日13時15分。東京高裁511号法廷で、DHCスラップ反撃訴訟控訴審判決言い渡しがある。おそらくはこれが、DHC・吉田嘉明と私との一連の訴訟において開かれる最後の法廷となる。
事件が起きたのが、2014年の春。あれから6年にもなる。あのとき私は怒り、その怒りを持続してきた。不当・不正義・愚劣・愚昧・傲岸・不条理に対する憤りである。これまで、その怒りのエネルギーで訴訟を継続してきた。
まずはDHC・吉田嘉明の起こした典型的なスラップ訴訟を被告として受けて立った。圧倒的に優秀な弁護団の力量で一審を勝訴し、2審も勝訴した。敗訴のDHC・吉田嘉明は、通常はあり得ない最高裁への上告受理申立までしたが不受理となって、私の勝訴が確定した。
ついで、攻守ところを替えた「反撃訴訟」を準備中に、DHC・吉田嘉明から、「損害賠償債務不存在確認の請求」が提起された。これに私が反訴を提起して、「DHCスラップ反撃訴訟」一審の審理が展開され、裁判所は澤藤側からの申請にもとづく吉田嘉明の尋問を決定して呼び出した。彼にとっては、堂々と自説を述べるチャンスであったが、彼は出廷命令に応じなかった。私は、心底がっかりした。私が怒りを燃やした相手が怒りをぶつけるに値する人物ではなく、なんともプライドを欠いた、口ほどにもない怯懦な小物に過ぎないありさまをさらけ出したからだ。
こうして、昨年(2019年)10月4日、反訴(反撃訴訟)について判決言い渡しがあり、DHC・吉田嘉明のスラップ提起の違法を認めて110万円の支払いを命じた。4度目のDHC・吉田嘉明の敗訴である。
この判決を不服として、DHC・吉田嘉明が控訴を提起し、澤藤が附帯控訴した。本年(2020年)1月27日控訴審は、第1回口頭弁論期日を開いて、同日結審した。
以上の経過で、3月18日(水)の控訴審判決言い渡し期日を迎えることになる。判決が、DHC・吉田嘉明の控訴を棄却することは確実である。私からの附帯控訴に対する一審の110万円を上回る金額の損害賠償命令が期待される。
この判決は、DHCスラップ訴訟一審判決・控訴審判決・上告受理申立不受理決定、DHCスラップ反撃訴訟一審判決に続く、5回目の裁判となる。このあとに、最高裁への上訴が考えられないではないが、原則として最高裁の審理では法廷は開かれない。来たる18日が最後の法廷となる。
目には見えないコロナウィルスが心配の折柄ですが、できたら、判決法廷の傍聴に足をお運びください。閉廷後、懇談いたしましょう。
下記は、控訴審における私の陳述書(抜粋)の再掲である。
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2020年1月27日
意見陳述要旨
東京高裁第5民事部御中
2014年5月、私は突然に不法行為損害賠償訴訟の被告とされました。吉田嘉明という人物が、私のブログでの批判を快く思わぬことからの提訴で、2000万円の慰謝料を支払えというものです。
裁判官の皆様には、違法とされた私の3本のブログの全文に改めて目を通していただきたいのです。万が一にも、私のこのような言論が違法とされるようなことがあれば、誇張ではなく民主主義は死滅してしまいます。また、このような言論を民事訴訟を道具として攻撃することが許されてはならないことをご確認いただきたいのです。
前件提訴(DHCスラップ訴訟)が、私を恫喝して批判の言論を封殺しようという典型的なスラップ訴訟であることは明らかというべきです。私は、大いに怒りました。こんな訴訟を起こす人物にも、そしてこんな訴訟提起の代理人となる弁護士にも、です。
そして、怒るだけでなく徹底して闘うことを決意しました。これは私一人の問題ではない。けっして、この恫喝に屈してはならない。この提訴が違法であることを法廷で明らかにしなければならない。DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の試みを失敗させ、反省させなければならない。まさしく、表現の自由を守るために。
私は、自分のブログに、「DHCスラップ訴訟を許さない」というシリーズを猛然と書き始めました。そうしたら、代理人弁護士からの警告に続いて、DHC・吉田嘉明は請求を拡張しました。2000万円の請求を6000万円にです。DHC・吉田嘉明も代理人弁護士も、言論封殺の目的を自白しているに等しいと指摘せざるを得ません。
当然のことながら、前件訴訟は請求棄却の判決となり確定しました。そして、前件訴訟の提訴を違法とする本件訴訟の提起となり、その一部認容の原判決を得るに至っています。原判決の責任論に異存はありません。吉田嘉明のスラップ提訴を明確に違法と断じた判断には、半分までは提訴の目的を果たし得たとの感慨があります。
しかし、問題は損害論です。経済的強者によるスラップを違法とする判決の認容額がわずか110万円では、ペナルティとしてあまりにも低廉で、十分な違法行為の抑止効果を期待し得ません。とりわけ、応訴費用をまったく認めていない点は、原判決の誤りとして是正されなければなりません。これには、最近の「N国」という政党関係者のスラップに対する判決例が参考になります。N国側がNHKを被告として提起した《10万円請求のスラップ訴訟》に対して、東京地裁は応訴のための弁護士費用54万円満額を損害として認容しているのです。こうした判断あってこそ、DHC・吉田嘉明らスラップ常習者に対する適切なペナルティとなり、スラップ防止の実効性のある判決となりえます。
スラップの本質は「民事訴訟という《市民の公器》を、《強者の凶器》として悪用する」ことにあります。司法が毅然たる態度で、公共的言論をして「不当な裁判から免れる権利」を保障しなければなりません。
まさしく、本件において司法の役割が問われています。控訴審判決が、スラップの害悪を防止し、表現の自由を保障するものとなるよう期待してやみません。
(2020年3月13日)
本日(1月27日)、DHCスラップ「反撃」訴訟の控訴審が、第1回口頭弁論で結審となった。
判決言い渡しは、3月18日(水)13時15分から。東京高裁511号法廷で。
DHC・吉田嘉明の控訴を棄却し、私からの附帯控訴では一審の110万円を上回る損害賠償命令が期待される。
本日の進行は以下のとおり。
DHC・吉田嘉明側 控訴状・控訴理由書の陳述
澤藤側 控訴答弁書の陳述
澤藤側 附帯帯控訴状の陳述
DHC・吉田嘉明側 附帯控訴に対する答弁書の陳述
DHC・吉田嘉明側 1点の書証提出
澤藤側 4点の書証提出
被控訴人(附帯控訴人)本人 口頭での意見陳述
当事者双方とも新たな人証や追加の証拠提出の予定はなく、
結審して判決言い渡し期日の指定
私の意見陳述は、以下のとおり。
**************************************************************************
2020年1月27日
意見陳述要旨
東京高裁第5民事部御中
澤 藤 統一郎
2014年5月、私は突然に不法行為損害賠償訴訟の被告とされました。吉田嘉明という人物が、私のブログでの批判を快く思わぬことからの提訴で、2000万円の慰謝料を支払えというものです。
裁判官の皆様には、違法とされた私の3本のブログの全文に改めて目を通していただきたいのです。万が一にも、私のこのような言論が違法とされるようなことがあれば、誇張ではなく民主主義は死滅してしまいます。また、このような言論を民事訴訟を道具として攻撃することが許されてはならないことをご確認いただきたいのです。
前件提訴が、私を恫喝して批判の言論を封殺しようという典型的なスラップ訴訟であることは明らかというべきです。私は、大いに怒りました。こんな訴訟を起こす人物にも、そしてこんな訴訟提起の代理人となる弁護士にも、です。
そして、怒るだけでなく徹底して闘うことを決意しました。これは私一人の問題ではない。けっして、この恫喝に屈してはならない。この提訴が違法であることを法廷で明らかにしなければならない。DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の試みを失敗させ、反省させなければならない。まさしく、表現の自由を守るために。
私は、自分のブログに、「DHCスラップ訴訟を許さない」というシリーズを猛然と書き始めました。そうしたら、代理人弁護士からの警告に続いて、DHC・吉田嘉明は請求を拡張しました。2000万円の請求を6000万円にです。DHC・吉田嘉明も代理人弁護士も、言論封殺の目的を自白しているに等しいと指摘せざるを得ません。
当然のことながら、前件訴訟は請求棄却の判決となり確定しました。そして、前件訴訟の提訴を違法とする本件訴訟の提起となり、その一部認容の原判決を得るに至っています。原判決の責任論に異存はありません。吉田嘉明のスラップ提訴を明確に違法と断じた判断には、半分までは提訴の目的を果たし得たとの感慨があります。
しかし、問題は損害論です。経済的強者によるスラップを違法とする判決の認容額がわずか110万円では、ペナルティとしてあまりにも低廉で、十分な違法行為の抑止効果を期待し得ません。とりわけ、応訴費用をまったく認めていない点は、原判決の誤りとして是正されなければなりません。これには、最近の「N国」という政党関係者のスラップに対する判決例が参考になります。N国側がNHKを被告として提起した《10万円請求のスラップ訴訟》に対して、東京地裁は応訴のための弁護士費用54万円満額を損害として認容しているのです。こうした判断あってこそ、DHC・吉田嘉明らスラップ常習者に対する適切なペナルティとなり、スラップ防止の実効性のある判決となりえます。
スラップの本質は「民事訴訟という《市民の公器》を、《強者の凶器》として悪用する」ことにあります。司法が毅然たる態度で、公共的言論をして「不当な裁判から免れる権利」を保障しなければなりません。
まさしく、本件において司法の役割が問われています。控訴審判決が、スラップの害悪を防止し、表現の自由を保障するものとなるよう期待してやみません。
**************************************************************************
これまでの経過概要は以下のとおり。
2020年1月27日
DHCスラップ訴訟・反撃訴訟経過の概略
発端は、吉田嘉明自身の週刊新潮手記の掲載である。
自らの渡辺喜美への8億円裏金提供を暴露する記事となっている。その直後に、私がブロクで吉田嘉明を批判する3件のブログ記事を書いた。この「言論」を封殺する意図で、吉田嘉明と株式会社DHCの両名が原告となって、私を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起した。これが先行の「DHCスラップ訴訟」。同訴訟の請求額は提訴時2000万円だったが、提訴直後に請求が拡張されて6000万円となった。
DHCスラップ訴訟では、東京地裁一審判決が請求を全部棄却し、東京高裁の控訴審が控訴を棄却、さらにDHC・吉田嘉明は最高裁に上告受理を申立てたが不受理となって私の勝訴が確定した。
確定後、私からDHC・吉田嘉明の両名に、スラップ提起を違法として訴訟外で600万円の損害賠償請求をしたところ、この両名から債務不存在確認請求訴訟が提起され、再び私は被告の座に着くこととなった。
「反撃」訴訟はその反訴としてなされたもので、「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、私からDHC・吉田嘉明に損害賠償請求を求めたのもの。判決は、手堅くきっぱりとスラップの違法性を認定した。
なお、私の吉田嘉明批判は、吉田自身の週刊誌の手記の内容を対象とするもので、同様の批判の言論は数多くあった。吉田は、そのうちの10件を選んで、同時期にスラップの提訴をしている。時系列での経過は下記のとおり。
2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日・4月2日・4月8日 違法とされた3本のブログ掲載
2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起(請求額2000万円)
7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円に増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定
2017年 9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴提起。その後、吉田嘉明ら本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決言い渡し。スラップの違法を認める。
2019年10月15日 反訴被告ら控訴。
2020年1月14日 澤藤側、附帯控訴状提出
2020年1月27日 (本日)控訴審口頭弁論期日 結審
2020年3月18日 控訴審判決(予定)
(2020年1月27日・連続更新2492日)
長かったDHCスラップ訴訟も、先が見えてきた。DHC・吉田嘉明が昨日(1月24日)附帯控訴に対する答弁書を提出した。分量は1ページのみ。その内容から見て、1回結審となる公算が高い。
1月27日(明後日・月曜日)午前11時、東京高裁511号法廷での《DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論期日》が、弁論の行われる最後の機会となると思われる。あとは控訴審判決を待つだけ。
この日の進行予定は以下のとおり。
控訴状・控訴理由書の陳述
控訴答弁書の陳述
附帯帯控訴状の陳述
附帯控訴に対する答弁書の陳述
DHC・吉田嘉明側が1点の書証提出
澤藤側が4点の書証提出
当事者双方とも新たな証拠提出の予定はなく、
結審して判決言い渡し期日の指定
DHC・吉田嘉明が、私(澤藤)を被告としてスラップ訴訟を提起したのが2014年4月16日。あれからもう少しで6年にもなる。
2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起
同年7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
同年8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円の請求に増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決 被控訴人(澤藤)全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定
2017年9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴(『反撃』訴訟)提起。本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決。スラップの違法を認める。
澤藤一部勝訴。110万円の認容。
同年10月15日 DHC・吉田嘉明控訴。
2020年1月14日 澤藤附帯控訴。
2020年1月27日 DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論期日。
月曜日・1月27日午前11時、東京高等裁判所511号法廷(高裁庁舎5階)には、是非、多くの方の傍聴をお願いします。どなたでも、何の手続もなく傍聴できます。閉廷後のミニ集会にもご参加ください。
控訴答弁書と附帯控訴状作成のための弁護団会議のなかで、だんだんと分かってきたのは、原判決における、「責任論についての切れ味の良さ」と、「損害論についての出来の悪さ」のコントラスト。
原判決の責任論の構成は、弁護団の主張とはスタンスが違う。
弁護団は、提訴の違法判断の要件として「意図・目的」という主観的要素を重視すべきと主張した。DHC・吉田嘉明の本件スラップ提訴の目的が「吉田嘉明の批判者を恫喝して言論を萎縮せしめるところにある」ことを違法の第一要件とすべきだという、スラップの本質論からの立論である。
しかし、一審判決は「提訴の意図・目的」の有無など問題とするまでもない、勝訴の見込みのない提訴をしたという客観違法ある以上は、主観要素としては「故意・過失」のレベルだけを問題にすることで十分、という構成だった。
控訴審が、この原判決の責任論の枠組みを変更することは考えにくく、責任論での逆転はあり得ないと意を強くしている。
問題は損害論。DHC・吉田嘉明のやったことについて、違法の認定があっただけでは足りない。110万円の賠償命令ではペナルティとして軽すぎる。違法行為の抑止機能を持ち得ない。賠償額の上積みをしたい。そうしてこそ、スラップ防止の実効性のある判決になる。
最近のN国のスラップ違法判決が参考になる。N国側がNHKに対して提起した《10万円請求のスラップ訴訟》に対して、東京地裁は54万円の弁護士費用を損害として認容している。こうした判断あってこそ、DHC・吉田嘉明らスラップ常習者に適切なペナルティを課し、スラップ抑止、即ち表現の自由の保障を期待しうることになる。
(2020年1月25日)
DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論期日が1週間後に迫った。来週の月曜日・1月27日の午前11時開廷となる。法廷は、東京高等裁判所511号法廷(高裁庁舎5階)である。是非、多くの方に傍聴いただきたい。どなたでも、何の手続もなく傍聴できる。閉廷後のミニ集会にもご参加をお願いする。
この訴訟の、ことの中心は表現の自由という問題だが、政治とカネの問題とも関わり、消費者の利益侵害という問題でもある。
DHCというサプリメント製造の大手企業と、そのオーナー経営者である吉田嘉明が、私(澤藤)を被告として、6000万円の高額慰謝料請求訴訟を提起した。私のブログ記事がDHC・吉田嘉明の名誉を毀損するというのだ。これが典型的なスラップ訴訟である。DHC・吉田嘉明は、私のブログ記事の内容が面白くないのだ。「黙れ」という代わりに、裁判を起こしたのだ。
吉田嘉明にしてみれば勝訴の見込みの有無などどうでもよい。高額の賠償請求をすれば、被告にされた者は驚いて批判の言論を慎むことになるだろう。被告にされた本人だけではなく、被告にされなかった多くの人々が、「DHC・吉田嘉明を批判すると裁判までされて面倒なことになる」「DHC・吉田嘉明に対する批判は遠慮した方が賢明だ」と思うだろう。そこが狙いだ。自分に対する批判の言論の封殺、あるいは萎縮を狙っての民事訴訟の提起なのだ。
DHC・吉田嘉明は、スラップ訴訟の常習者として知られる。今回も、甘い気持で、スラップを掛けて来た。事件の発端は、吉田嘉明が週刊新潮に独白手記を掲載したことにある。この記事の内容が凄まじいものだった。厚労省の規制下にあるサプリメント製造の大手企業経営者が、規制緩和をスローガンとする政治家に、8億円もの選挙資金を用立てたというのだ。もちろん、裏金である。
カネを渡した方が吉田嘉明。受け取ったのが「みんなの党」(当時)の渡辺喜美である。政治を金で操ろうというこの汚いやり口を、私だけでなく、多くの言論が批判した。DHC・吉田嘉明はこのうち、10人を選んで、スラップを提起したのだ。もちろん、こうすれば、黙るだろうとの思惑あってのこと。
しかし、私はけっして黙ってはならないと決意した。むしろ、徹底してDHC・吉田嘉明の批判を続けようと覚悟を決めた。日本国憲法の表現の自由は、私の言論を保障している。その権利を行使しないでは、せっかくの表現の自由が錆び付いてしまうことになる。こうして始めた、DHC・吉田嘉明を批判するブログの「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズは、本日で第170弾となった。
そして、スラップ訴訟に被告として勝訴しただけでは足りない。DHC・吉田嘉明のスラップ訴訟提起を違法行為として、損害賠償を求める反撃訴訟を提起した。そして、一審では勝訴し、これを不服とするDHC・吉田嘉明の控訴を受けて、被控訴人として控訴審に臨もうというのが、今の段階である。
なお、私の吉田嘉明批判の言論の内容は、経済的強者がそのカネで政治を動かしてはならないと言うことにある。一人の富者がカネで政治を動かしてはならない、政治に絡むカネの動きには透明性を確保して、国民の批判に曝さなければならない。こういう理念にもとづく法が、政治資金規正法である。吉田嘉明の行為は、明らかにこれを僣脱している。改めて批判が必要なのだ。
また、吉田嘉明は、その手記の中で、無邪気に「厚労省の規制が厳しすぎる」と表白している。常識的に推論して、吉田嘉明の渡辺喜美への8億円の裏金提供は、DHCへの行政規制を嫌ってのものである。
言うまでもなく、薬品や食品に対する行政規制は、消費者の健康を擁護するためにある。私の言論は、消費者利益擁護のために有益なものなのだ。
この訴訟において私が勝つことは、言論の自由の勝利であり、民主主義の勝利であり、また消費者利益擁護の理念の勝利でもある。仮に、DHC・吉田嘉明が勝つようなことがあれば、敗北するのは、言論の自由であり、民主主義であり、また消費者の利益である。
スラップとはなんであるか。弁護団長の光前幸一弁護士が、いみじくもこう言っている。「『社会の公器』を『強者の凶器』とすることにほかならない」と。
民事訴訟は、本来『社会の公器』である。権利を侵害された者は、法や司法の助力を得て侵害された権利を回復することが可能となる。しかし、経済的な強者が私益のためにこの公器を凶器として濫用することがある。それがスラップである。
民事訴訟を『強者の凶器』とさせてはならない。今、控訴審を迎えているDHCスラップ「反撃」訴訟では、DHC・吉田嘉明の意図を挫いて、『強者の凶器』としての制度利用が許されないことを確認しなければならない。
(2020年1月20日)
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DHC・吉田嘉明の控訴理由書に対する反論の書面を本日提出した。
その中の一部だけを抜粋してご紹介したい。
本件ブログは人身攻撃ではない
(澤藤の)本件ブログは,控訴人吉田が公表した政治家への金8億円の密かな貸付行為について,「民主政治とお金」という視点から警鐘を鳴らす公共性の高いものであり,その批判は峻厳なものとならざるをえない。このテーマにおいて,生半可な批判は論評として価値を持たないし,さりとて,生硬な表現のみでは一般読者の関心や理解は得難い。
この観点から,本件ブログについて控訴人らが問題視する表現を見れば,いずれも,あくまでも控訴人吉田が公表した吉田自身の行為への徹底した批判にとどまるものであって,これを超えた人身攻撃ではない。
勿論,行為は人柄の表出という側面を否定できないから,当該行為の批判は行為者の人格評価の低下につながる可能性があることは避けがたい。しかし,上記最判や控訴人らが引用する東京地裁判決が言明するとおり,論評の本来的性格や役割を重視すれば,その表現が論評を超えた人身攻撃を意図していると評価されるのは,極めて例外的な場合に限られ,本件ブログの表現が,論評としての域を超えていないことは,上記各裁判例の判断を踏まえれば明らかなことであり,先例を検討すれば,容易に判断できたことである。
民事訴訟法208条の適用について
控訴人ら(DHC・吉田嘉明)は,吉田が原審裁判所の呼び出しに応じず,出頭しなかったものの,内海証人の証言及びその他の証拠によって,不当提訴でないことは明らかで,民訴208条(不出頭のペナルティとして、裁判所は尋問事項に関する相手方の主張を真実と認めることができる)を適用することは相当でないという。
すなわち,控訴人らは,名誉毀損となる記述について訴訟提起することの判断は控訴人吉田によることを認めつつも,具体的に違法性のある記事をピックアップし,どの記事が違法となり,損害賠償請求額をいくらにするかの判断は証人らがしており,控訴人吉田はその過程に関与していないし,そのことについては,内海証人の法廷証言等で明らかとして,民事訴訟法208条の適用を否定する。
しかし,内海証人は,弁護士から確実に勝てるとの助言を受けたものを提訴対象としたと述べているが(内海証人尋問調書17頁),「確実に勝てる」とされた根拠について,「法的に名誉毀損の程度が著しいので。」と答えた以外の点については何ら言及しなかった(同17頁)。また,「法的な評価は弁護士のほうに任せて,我々は事実無根ここが違うというようなことの説明をいたしました。」とも述べているが(同19頁),「事実無根」以外の点について相談したという証言はなかった。さらに,内海証人は,控訴人吉田は弁護士との相談には参加していなかったとも証言しており(同12頁),控訴提起についても内海証人と弁護士が決めたことを控訴人吉田に「追認」してもらうだけで(同27?28頁),訴訟の遂行の経緯について「会長に聞いたところで本件訴訟の細かいことは全然わからない」という(同26頁)。
加えて,内海証人は,「吉田の視野は,凡人とは異なる高いところにあり,これまで同人の意見や指示が不合理であったことなど一度もなく,いつも日本国をよりよくしたいという大きな視点から,社会に問題提起しているのである。」(原審での控訴人らの準備書面3)との主張は会社の共通認識であり,控訴人吉田の言うことは絶対であるとも述べ(同25?26頁),控訴人吉田の権威が,いかに批判を許さない絶対的なものであるかを強く示唆した。
いずれにしても控訴人吉田は本件手記を自ら公表した者であり,本件手記に記載された事実の真偽について最もよく知っているはずの者である。
この絶対的存在である控訴人吉田を差し置いて,一社員である内海証人の上述のあいまい且つ不合理な証言などを信用することなどできないのであり,内海証人の証言などをもって訴訟提起に至る控訴人吉田の内心を立証できたとは到底言い得ない。
本件訴訟(原審)は,控訴人吉田の正当な理由なき不出頭により,証人内海のあいまい且つ不合理な証言だけを残して終了した。控訴人吉田の不出頭は,それ自体が被控訴人の主張を立証する重要な間接事実であるが,これに加えて,民事訴訟法208条の適用によっても,尋問事項に関する被控訴人の主張を真実と認めることができるものである。
すなわち,被控訴人は,控訴人らがその主張する権利等が根拠を欠くものであることを知りながら,言論封殺の不当な目的をもってあえて前件訴訟等を提訴し追行してきたものであると主張し,その具体的な意思決定過程において十分な検討がなされていないことを明らかにするために控訴人会社の代表者でもある控訴人吉田本人の尋問を請求し,裁判所はこれを採用した。しかるに、控訴人吉田は正当な理由なく出頭を拒否したのである。したがって,控訴人らが被控訴人の言論封殺のため十分な検討を行うことなくあえて前件訴訟等を行ったことは,民事訴訟法208条に基づき真実と認めることができるものである。