澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

皇族諸君、お濠を飛び越せ。自由な外界に脱出せよ。

(2021年12月18日)
 「AERA dot.」が、週刊朝日の記事として、「皇室の今後はどうなる? 原武史、石川健治、河西秀哉、八木秀次の各氏が語るあるべき姿とは」を掲載している。
 https://dot.asahi.com/wa/2021120900077.html?page=1

 この4人が語る内容がそれぞれに興味深い。とりわけ原武史の語るところは傾聴に値する。そして、八木秀次の言が臆面もなく右翼の考え方をさらけ出して、たいへんに有意義である。

 原は、大要こう言っている。

 「西洋列強から開国を迫られた日本は、植民地化を免れるため急いで軍事国家をつくる必要があり、天皇を軍事的なシンボルにしたのです。京都にいたときは中性的な姿をしていた天皇が、ひげを生やし、軍服を着て馬や軍艦に乗るなど、男性化していった。

 敗戦によってこの路線は破綻した。陸海軍を解体し、憲法を改正し、女性参政権を認めるなど、男女平等が進められました。

 ところが、皇室については、根本の部分はまったく変えなかった。戦後の皇室典範でも依然として皇位継承者を男系男子のみに限っているのは、軍事国家の名残のようなものです。このため、時間が経つにつれ、お濠の内側と外側の「ズレ」が拡大していきました。」

 的確で分かり易い指摘ではないか。近代天皇制は、軍国主義日本における支配の道具として新造されたものである。だから、京都では中性的な「お公家さん」だった天皇が、東京では大元帥となり、ひげを生やした軍服姿で白馬に乗って、臣民の前に姿を現したのだ。

 明治維新とともに作られた天皇像は、敗戦によって瓦解を余儀なくされる。世は、軍国主義を捨て自由と平等が謳歌する時代となった。本来天皇という支配の道具を必要とした社会ではなくなった。にもかかわらず、天皇制は生き延びた。しかも、皇室制度の基本はまったく変えずにである。こうして、「お濠の内側と外側のズレ」が拡大して矛盾が露呈している。その矛盾が、「お濠の内側」の女性に集中して表れている。

 「今回の眞子さんの件で、特に女性にとって、お濠の内側がいかに窮屈で生きづらいかがわかってしまった。眞子さんだけでなく、現上皇后も現皇后も、失声症になったり適応障害に苦しんだりしました。」

 さて、どうするか。「今は存続が大前提になっていて、結婚後も女性皇族を皇室に残して女性・女系への道を開くのか、男系男子に固執して旧皇族の男子を養子に迎えるのかといった二者択一のような議論になっている」が、原は明快にこう言う。

 「皇室制度自体を続けるのかという考え方が抜けています。憲法1条には「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」とあります。国民の総意がもう皇室はいらないと考えるのであれば、なくていいという話になる。こうした選択肢は考慮されていません。それだけでいいのでしょうか。」

 原自身が、「皇室はいらない」と意見を述べているわけではない。が、国民の議論として、象徴天皇制そのものの存廃を視野に議論を呼びかけている姿勢は、立派なものだと思う。

 これに比して立派とは言いようもないが、それなりに有益な発言をしているのが八木秀次である。天皇や皇族の振る舞いについて、右翼は右翼なりの不満を持ち、天皇制の存続に危機感をいだいているのだ。八木は、秋篠宮の長女が皇族から脱出したことについて、ぼやいてみせる。そして、その原因を作った前天皇(明仁)に遠慮のない批判をする。右翼がそんな不敬を言ってよいの? と揶揄したくもなる事態。

 八木の語りの中で、最も興味深いのは天皇家の「特別な存在」の根拠をこう言っているところ。

 「代々続いてきた男系の継承は守るべきです。歴史の連続性の重みは無視できない。継承者が男系から外れると正統性がなくなるからです。天皇や皇族と国民との違いは、歴代天皇の男系の血統に連なるか、それ以外かです。女系は一般国民となる血筋であり、女系継承を認めれば、国民との間に質的な違いはなくなります。血統によって区別され、代わりがいないからこそ特別な存在として、敬愛の念を抱くのです。」

 これは野蛮極まる血への信仰である。しかも、男系の血のみ貴しとする倒錯した信仰。かつて天理教の分派である「ほんみち」は、「生きとし生けるものにして、万世一系にあらざるはなし」と血統に対する信仰の愚かさを喝破して不敬罪に問われた。この事件は、いびつな国家が、特殊な血統を大事とした時代の特殊な出来事であったはず。ところが、今の世に、男系の血に対する特殊な信仰が生き延びているのだ。現在のお濠の内側は、こういう倒錯した信仰によって成り立っている世界。原は、女性皇族の穢れの問題にも言及している。

 結局、目の前の選択肢は3本のように見える。
(1) 現行の男系男子の皇統維持に固執する
(2) 女性・女系天皇を認める。
(3) 天皇制を廃止する

現行の(1)を選択すれば立法作業は不必要である。(2)は国会で皇室典範を改正しなければならない。そして、(3)は憲法の改正を必要とする。

 実は、もう一つの選択肢もあるのではないか。天皇予備軍である皇族諸君が、次々と皇族から脱出をはかるのだ。お濠の内側は、こんなにも窮屈で暗く悲惨だ。人権を侵害されている皇族諸君が次々とお濠を飛び越して、自由な外界への脱出に成功すれば、世襲の天皇制は就位者を失って「自然死」することになる。

 これは、単なる夢想だろうか。

批判されない権力は間違う。批判を許さない権力は間違いを修正できない。

(2021年12月9日)
 昨日の当ブログの記事「1941年12月8日、このときの過ちを繰り返さないために」を読み直すと不満足と言うしかない。本日はその補訂である。

 不満足は、なによりも「繰り返してはならない12月8日の過ち」のなんたるかが十分に語られていないことにある。いったい、あの時点において、どんな過ちがあっただろうか。

 天皇(裕仁)や東條らも、開戦後間もなく戦況が悪化した後は「取り返しのつかない過ち」を反省したに違いない。その反省は、「負ける戦を仕掛けた過ち」以上のものではない。「もっと慎重に時期を選び、もっと十分に準備をして、勝てる戦争をすべきだった」という反省なのだ。天皇(裕仁)は御前会議で、くりかえし「勝てるか」「本当に勝てるか」と軍部に念を押してゴーサインを出している。最高指導者の「過ち」と「反省」は、負けたことに尽きるのだ。決して、「戦争を仕掛けたことの過ち」でも、「平和を維持できなかった過ち」でもない。

 責任の所在と軽重は、常に権限の所在と軽重に対応している。厖大な内外の死者を出した悲惨な戦争の責任は、まず開戦の権限をもつ天皇(裕仁)にあり、次いでこれを補弼する任にあった内閣や軍部にも分有されていた。天皇(裕仁)を除く補弼の責任者は、戦後文明の名において裁かれその責任を生命をもって償った。ひとり、最高責任者である天皇(裕仁)のみが、まったく責任をとらなかった。

 いかなる戦争も、おびただしい無辜の人々にこの上ない不幸をもたらす。我々は戦後、戦争そのものを悪とする非戦の思想をわがものにし、これを日本国憲法に刻んだ。この視点から、太平洋戦争を開始した指導者たちの責任を厳しく追及しなければならない。日清・日露も韓国併合も日中戦争も、決して繰り返してはならないのだ。

 戦争責任の所在とは別に、12月8日の開戦に対する国民の意識や意見にどのような教訓があるだろうか。

 人の意見は、基本的にはその人のもつ思想の表れだが、その人のもつ情報によって大きく左右される。12月8日の国民の意見は、開戦後の戦況見通しの基礎となる情報をもっているかいないかで決定的に異なることになった。

 近衛文麿、松岡洋右らが「えらいことになった」「僕は悲惨な敗北を予感する」「僕は死んでも死にきれない」などと語ったというのは、しかるべき情報をもち、戦争の結果を予想し得たからであろう。南原繁の「人間の常識を超え学識を超えておこれり 日本世界と戦ふ」という下手な歌のごときものは嘆息とも感激とも読めなくはないが、いずれにせよこの開戦は「常識ではあり得ぬもの」と認識していたのだ。ある程度の情報はあったのだろう。そして、将来を見る能力も。

 他の多くの国民や作家たちは、判断の基礎となる情報をもたない。日本と米国との国力差、工業力差、兵力差、総合的な軍事力の格差、そして教育水準や、国民の戦意等々についての基礎情報を持たぬまま、日本型ナショナリズムの高揚に流されていた。

 小林秀雄が日本型ナショナリズムの高揚に流された典型だろう。開戦の詔勅を聞いて<眼頭は熱し、畏多い事ながら、比類のない美しさを感じた><海軍の戦果を「名人の至藝」とたたえた>という。知性あるように見える人も、ここまで洗脳されるのだ。

 市井の人々の中に、「英米を敵にまわして勝てるわけがない」と言った多くの人がいたことも記録されている。十分な情報はなくとも、真実を見ようという思想を持っていた人の真っ直ぐな目と意見である。

 そして最後が、十分な情報を持ちながら、間違った選択をした、最も愚かで責任の大きな一群。当然にその筆頭に天皇(裕仁)がいる。しかし、当時天皇(裕仁)とその官僚への批判は許されなかった。それが負け続け、被害を拡大しつつなお、戦争をやめることができない原因となった。

 権力は間違う。批判を許さぬ権力は大きく間違う。国民からの権力批判だけが間違いを修正しうるが、権力批判は封じられていた。12月8日に噛みしめるべき教訓である。

「天皇信仰」も「皇室愛」も、押し売り押し付け御免蒙る。

(2021年11月22日)
 本日の毎日新聞夕刊一面のほぼ全面のスペースに、「ジャーナリストが見た眞子さん結婚」「揺らいだ私の『皇室愛』」「長年取材の久能靖さん」という記事。

https://mainichi.jp/articles/20211114/k00/00m/040/012000c

 結論から申し上げよう。なんという空疎でつまらない記事。毎日新聞は読者を見くびっているのではないか。こんな記事を、夕刊第一面の全面にあてがわれた読者としては、気分が悪い。覚悟して産経を読むのとは違うのだ。この精神的打撃は小さくない。本日夕刊分の購読料を返還してもらいたいくらいだ。「大きく揺らいだ私の『毎日新聞愛』」である。

 私は、皇室記事には関心がない。読みたくない。読む価値がないと思い込んで避けてきた。その私に不意打ちの、夕刊トップに巨大な見出しの皇室記事。思わず読んでしまったが、やっぱり読む価値のないつまらぬ記事。「長年にわたって皇室取材を続けてきたジャーナリスト」とリードにある久能靖という人物のことはまったく知らない。が、この記事に目を通す限り、皇室に阿諛追従する文章を書いて世過ぎとしてきた人のようだ。およそ私がイメージする「ジャーナリスト」ではない。

 この文章がこの上なくつまらなく、読者の心を打たない原因は、『皇室愛』に凝り固まった人だけを対象にした内輪の信仰告白に過ぎないからだ。オウム真理教の信者が内輪で「尊師は素晴らしい」と褒めちぎっているのと変わらない。これをオウムの外にもってきたら、読者は白けるだろう。この文章はそれと同じなのだ。

 オウムにしろ、天皇教にせよ、信仰の強制はできないし、してはならない。そして、愛情の押し売りもだ。私には、皇室信仰や「皇室愛」という時代錯誤の心理はない。日本人なら皇室を尊崇すべきだなどという、馬鹿げた謬論が通じる時代でもない。

 それでも、この記事を読むと、天皇制を支えている「皇室ジャーナリスト」たちの論理や心理やその水準が少し理解できるような気がする。要するに、何の実体もないものを何かありがたいものがあるかのごとくに書き連ねているのだ。その点で、おそらく戦前と戦後、「皇室ジャーナリスト」は不易なのだ。

 この文章の最後は、こう結ばれている。

 「私はこれまで、言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさを感じて生きてきた。一方、小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。それが非常に残念だ。」

 ここについてだけコメントしておきたい。

 「言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさ」というのは、この記者の本音なのだろう。彼は、「皇室の存在のありがたさ」を感じてはいるが、それは説明不能なのだ。「説明できないありがたさ」とは信仰である。あるいは、迷信である。盲信と言ってもよいが、もしかしたら端的に欺されている心理というべきなのかも知れない。

 かつて天皇は神の子孫であり自らも現人神であるとして、臣民を欺いた。今、「説明できないありがたさ」をもって善良な国民の迷妄に付け込んでいるのではないだろうか。

 彼の言う「皇室」はいくつもの言葉に置き換えることがができる。「私はこれまで、言葉で説明するのは難しいイエス・キリストの存在のありがたさを感じて生きてきた。」「仏陀の存在のありがたさを感じて生きてきた。」「尊師のありがたさを感じて生きてきた」「カネのありがたさを感じて生きてきた。」「イワシのアタマのありがたさを感じて生きてきた。」

 「説明できないありがたさ」には、十分な警戒が必要なのだ。

 また、彼の「小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。」という一文。「多いだろう」ではなく、ほとんどの人がそう考えたに違いない。

 あの記者会見と回答文から見える光景は、皇室という檻の非人間性である。おそらくは、普通の感覚をもった人格が皇室にとどまることは無理なのだ。「そこまでして」というのはよく分からないが、皇室が「離れたい」「つらい、大変な」檻であることは、少しでも想像力があれば、誰にでも分かること。

 この記者のこのつまらない一文の最後が、「それが非常に残念だ。」という締めくくり。彼にしてみれば、愛する皇室が袖にされたのだから「残念」なのだが、檻に閉じ込められた若者の脱出劇には、喝采が送られるのが定番なのだ。

 この文脈で対比の対象になっているのは、「皇室への愛」と、「若者の自由」である。もう少し具体的には、「若者を閉じ込める皇室への愛」と、「閉じ込められた檻から脱出する若者の自由」である。前者には普遍性がない。後者には誰にもよく分かる普遍性がある。自由への脱出という歴史の必然に「残念」と言っても、勝ち目はない。

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眞子さん日本「脱出」 皇室ジャーナリスト久能靖さんに聞く

 秋篠宮家の長女小室眞子さん(30)と夫の圭さん(30)=10月26日に結婚=が14日、圭さんの拠点がある米ニューヨークで新生活を始めた。結婚をめぐっては、皇室伝統の儀式や行事がなく、記者会見も質疑応答が直前で中止された。元日本テレビアナウンサーで、長年にわたって皇室取材を続けてきたジャーナリストの久能靖さん(85)は2人の結婚をどう受け止めたのか。【聞き手・山田奈緒】

揺らいだ私の「皇室愛」
 眞子さんにとって皇族として生きた時間はなんだったのだろう。それが伝わってこないまま、眞子さんは日本を離れた。あらゆる困難を乗り越えて眞子さんにはお幸せになってほしいと心から思っている。ただ、結婚をめぐる一連の言動に、私の「皇室愛」は揺らいでいる。

 眞子さんの公務に臨む姿勢は素晴らしく、国内外で子どもとふれ合う優しい姿が印象に残る。最後まできっちりと皇族としての務めを果たされていた。それだけに、伝統的な手順を踏んで、皇室を去ってもらいたかったと強く思う。

 儀式や行事を行わなかったのは、秋篠宮さまの苦渋の決断だろう。小室さん側の金銭トラブルにどう対応していくかは、あくまで秋篠宮家と小室家の問題だった。しかし、世間の関心が広がり、皇室全体を巻き込むことになった。皇室に批判の声が向く影響を考慮し、秋篠宮さまは父親として結婚を認めるが、皇室として結婚を認めないという結論を出さざるを得なかったのだろう。

 天皇陛下の判断で決まる「朝見の儀」などの儀式もなかった。これも同じ理由だろう。儀式を行えば、眞子さんが今後も皇室と関わりやすい道を残せたかもしれない。伊勢神宮の祭主として陛下を支えている黒田清子さん(上皇ご夫妻の長女)のように、結婚後も皇室との関わりが続く場合もある。ただ、批判的な声を踏まえ、儀式を行えば世論の分断を招くかもしれないという陛下の判断があったのかもしれない。

「断絶」の決意感じた

 そもそも眞子さんは今後は皇室と関わるつもりはないだろう。小室さんとの記者会見や回答文書は、「皇室との関わりを絶つ」と力強く宣言したように感じられる内容だった。

 文書では「私にとって皇族の立場は、たくさんの人から助けられ、見守られ、支えられ、あたたかい気持ちをいただくことで成り立っているものでした」「皇族として過ごした時間は、数々の出会いで彩られ、ひとつひとつの思い出が宝物」と記していたが、具体的ではない。

 「感謝」の言葉もあったが、自分たちにとって都合の良い人のみに向けられていたように思えた。批判的な声の中にも愛はあるのに、そうした批判は切り捨ててしまうような言葉選びだった。

 小室さんの金銭トラブルへの対応や受け止め方についての説明は詳細で、「自分たちは悪くない」という主張をしたかっただけなのではないかとの印象を受ける。

 一方、皇室への言及は少なかった。自由のない環境で育ち、結婚を巡って批判を受け、皇室が嫌になったのかもしれない。だが、嫌なことばかりではなかったと信じたい。得がたい経験をいくつもされたのではないのか。皇室をこれからも支えたいという思いを一言でいいから聞きたかったが、その発言はなかった。

 眞子さんが自分の言葉で話すことで、結婚を巡って社会に吹いていた冷たい風が和らぎ、穏やかな日が差し込むと期待していたが、風は強まってしまったのではないか。ご自身の立場に息苦しさがあったのなら、その素直な思いも教えてほしかった。

 記者会見の前、宮邸で眞子さんを見送る秋篠宮ご夫妻の表情がとてもさびしそうに見えた。娘の晴れ姿を見られない寂しさはいかばかりだろうか。車が見えなくなるまで手を振っていたご夫妻の姿と表情は胸に迫るものがあった。儀式をしないという異例の決断をしながらも、見守ってくれたご両親や天皇、皇后両陛下に対し、「今までありがとうございました」という感謝の言葉を会見や文書に盛り込まなかったのはなぜなのだろう。

際立つ思い、残念
 かつて高円宮さまに皇室はどうあるべきか尋ねた時、「皆さんの先頭に立ってはいけない。真ん中ぐらいにいて、周りの人の話や望みを肌で感じながら、皆さんと一緒に歩みたい」とおっしゃっていた。良い言葉だと思った。皇室の誰もが、国民とどう歩むべきなのか思いを巡らせている。私は上皇ご夫妻と同年代。平成の時代のお二人を見て、人を思いやる大切さを感じてきた。お二人の姿に感動し、お二人を通して皇室への愛が深まった。今の天皇、皇后両陛下にも同じようなぬくもりを感じている。

 私はこれまで、言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさを感じて生きてきた。一方、小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。それが非常に残念だ。

「大嘗祭支出、高裁も適法」(産経)というミスリード。

(2021年11月18日)
 天皇の交替に伴う儀式を違憲とする幾つかの訴訟の中で、最も規模の大きなものが、東京地裁に提訴された「即位・大嘗祭違憲訴訟」。これが、1次・2次訴訟とあり、各訴訟がいくつかに分離され、さらに高裁の差し戻し判決もあって、複雑な経過をたどっている。

 昨日(11月17日)東京高裁(第23民事部)で、「即位・大嘗祭違憲訴訟(第2次)」の分離された《人格権に基づく差止請求の訴え》に対する判決が言い渡された。残念ながら、主文は控訴棄却。原審の却下判決が維持された。

 私はこの弁護団に入っていないが、そのニュースに注目している。ここまでの経過は、以下のとおり相当に込み入っている。

 第2次提訴(慰謝料の国家賠償と、違法支出差止の請求)⇒東京地裁が、国家賠償請求と支出差止請求とを弁論分離⇒東京地裁支出差止請求を却下判決⇒控訴⇒東京高裁原判決破棄・差し戻し判決⇒東京地裁差戻審が、支出差止を《納税者基本権に基づく請求》と《人格権に基づく請求》とに弁論分離⇒(《納税者基本権に基づく請求》は、東京地裁却下・東京高裁控訴棄却で確定)⇒東京地裁《人格権に基づく差止請求》を却下⇒控訴⇒昨日(2021年11月17日)東京高裁棄却判決

 さて、大手新聞はこの判決にさしたる関心を払っていない。違憲合憲ないしは違法合法の判断をまったく含んでいないからだ。中で、産経の報道だけが際立っている。その全文を引用する。

大嘗祭支出、高裁も適法 市民団体の訴え棄却
 皇位継承に伴う「即位の礼」や「大嘗祭(だいじょうさい)」への国費支出は憲法が定めた政教分離の原則に反するとして、市民団体メンバーらが国に支出しないよう求めた訴訟の差し戻し控訴審判決で、東京高裁は17日、支出を適法とした1審東京地裁判決を支持し、メンバーらの控訴を棄却した。

 小野瀬厚裁判長は「公金支出に不快感を抱くことがあるとしても、思想良心や信教の自由の侵害と認めるには、思想の強制などで直接不利益を受けることが必要だ」と指摘した。

 この記事の主眼は、「国費支出を適法とした1審東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した」という点にある。だから見出しも、「大嘗祭支出、高裁も適法」となっている。産経読者の記憶には、「皇位継承に伴う「即位の礼」や「大嘗祭」への国費支出は憲法が定めた政教分離の原則に反するものではなく適法な支出であると、1審東京地裁が認め、控訴審東京高裁もこれを支持する判決を言い渡した」と刷り込まれることになる。

 「その記事は間違いだ」と言うよりは、「それは嘘だ」と指摘するべきだろう。あるいは「フェイク記事」と。我田引水も甚だしく、産経の記事の世界に浸っていると洗脳されることになる。

 本件控訴事件の原判決は、東京地裁民事第25部(鈴木昭洋裁判長)が本年3月24日に言い渡した却下判決である。弁護団のコメントでは、「残念ながらこれまでのやりとりが何だったかと思わせる不当判決」「13ページのうち実質的理由は2ページにすぎませんが、諸儀式は「個々の国民」に向けられたものではなく、たとえ宗教的感情を害するものであったとしても、「具体的権利侵害」はないとする、全く紋切り型の、国の主張をそのままなぞったもの」だという。

 一見して明らかなとおり、一審判決も控訴審判決も、大嘗祭支出の合違憲判断には踏み込んでいない。人格権に基づく差止請求の適法要件として、原告の具体的権利侵害を要求し、その具備がないとして、実体審理に入ることなく「却下」とされたのだ。

 人格権に基づく差止請求が認められるためには、第一段階として「思想の強制などで直接不利益を受けることが必要だ」というのである。原告に、「直接不利益」という「具体的権利侵害」があって初めて、大嘗祭支出の合違憲について実体的審理を求める訴訟上の権利が発生する。そこまでの証明がない以上、違憲・違法判断するまでもなく差止請求は却下となった。

 一方、慰謝料を求める国家賠償請求には却下はない。本件の第1次請求と第2次請求の国家賠償請求部分は併合されて、東京地裁で本格的な審理が進んでいる。こちらも、決して低いハードルではないが原告団・弁護団の熱意に期待したい。

「愛国無罪」などあってはならない。大村知事リコール署名偽造に厳正な捜査を。

(2021年11月16日)
 いま振り返って、2019年9月の「あいちトリエンナーレ・表現の不自由展その後」は、日本社会の嘆かわしい現状をあらためて教えてくれた。

 問われたのは、この日本の社会に表現の自由がどれほど根付いているかという問題である。天皇を批判する表現の自由はあるのか。従軍慰安婦問題を根底から考えようという表現についてはどうなのか。その困難を知りつつ果敢にこの企画の実行に挑戦した人たち、そして問題が顕在化してからは懸命にこの企画を守ろうとした多くの人たちの真摯さ熱意に讃辞を送らねばならない。

 しかし、これを妨害しようという心ない勢力が、我が国の表現の自由の水準を教えてくれた。その勢力の中心に、高須克弥、河村たかし、吉村洋文、田中孝博らの名があった。右翼とポピュリストたちの反民主主義連合である。

 彼らが、「不自由展」を主宰した責任を問うとして始めた大村知事リコール運動を担った署名活動団体「愛知100万人リコールの会」の会長が高須克弥であり、その事務局長を務めたのが田中孝博。当時田中は、日本維新の会・衆議院愛知5区選挙区支部長(総選挙予定候補者)であった。

 その会が提出した署名のおよそ8割に当たる約36万人分が偽造だったとして、世を驚愕させた。右翼とポピュリストたちの薄汚さを晒して余すところがない。今、田中は地方自治法違反(署名偽造)の罪名で起訴されて公判中であるが、河村や高須がどう関わったかは、まだ明らかにされていない。

 かつて中国に「?国无罪」(愛国無罪)というスローガンがあった。河村や高須には、「自分たちは愛国者だ。天皇を誹謗する不逞の輩を糾弾する愛国心の発露に違法の謂われはない」という思い上がりがあるのではないだろうか。

 本日の夕刊に、久しぶりに高須克弥の名を見た。「高須院長の秘書ら2人を書類送検 リコール署名偽造の疑い」というタイトル。

 毎日新聞は、こう報道している。

 「愛知県の大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動を巡る署名偽造事件で、県警が署名活動団体「愛知100万人リコールの会」会長、高須克弥氏(76)の女性秘書(68)と50代女性の2人を地方自治法違反(署名偽造)の疑いで書類送検していたことが16日、関係者への取材で判明した。いずれも容疑を認めているという。
 送検容疑は同会事務局長の田中孝博被告(60)=同法違反で公判中=と共謀し、2020年10月ごろ、愛知県内で数人分の署名を偽造したとしている。
 署名偽造を巡っては佐賀市内でアルバイトを雇い、署名を書き写したとして田中被告らが逮捕、起訴されているが、佐賀市以外での署名偽造に関して立件されるのは初めて。
 女性秘書については田中被告の指示で押印のない署名簿に自身の指印を押していたことが既に判明。県警は5月に女性秘書の関連会社を家宅捜索し、任意で事情を聴いていた。地方自治法は署名偽造について罰則がある一方、他人の署名に押印する行為への罰則や過失規定はないため、立件は見送られていた。
 秘書が書類送検されたことについて、高須氏は16日、毎日新聞の取材に「僕はリコールのノウハウもなく、(署名活動団体事務局に)全部丸投げでお願いしますと言っていた。秘書には捜査に協力するようには言ったが、僕には細かいことは全く知らされていない」と自身の関与について否定した。」

また、産経の報道にこうある。

 「大村秀章愛知県知事へのリコール(解職請求)運動を巡る署名偽造事件に関わったとして、地方自治法違反(署名偽造)の疑いで書類送検された高須克弥・高須クリニック院長の女性秘書(68)が、自身が役員を務める企業の従業員らにそれぞれ数万円の報酬を支払って署名を偽造させた疑いがあることが16日、捜査関係者への取材で分かった。」

 取材に対して、高須は、「秘書には捜査に協力するようには言ったが、僕には細かいことは全く知らされていない(だから、僕には責任はない)」「全く知らなかった。私自身は全く関与していない」と話している。安倍晋三を典型とする政治家に真似た、秘書という尻尾切り捨ての術である。

 また、河村たかしも、「報道で知ってびっくりした。とんでもない話ですわ。県警は誰にも遠慮せず、きちんと事実を明らかにしてほしい」と話したという。

 私は知らなかったが、愛知県警は今年2月以降、秘書への任意の事情聴取を複数回実施。同5月には、秘書の自宅や秘書が役員を務める関係会社を同法違反容疑で捜索し、パソコンや携帯電話などを押収していたという。

 遅々としてではあるが、着実に捜査の手が高須の身辺に迫っている印象を受ける。愛国無罪などあってはなない。厳正な捜査を尽くしてもらいたいと願う。

女性・女系天皇容認論の立ち位置

(2021年11月15日)
 秋篠宮家の長女が結婚して皇族から離脱した。皇族の女性が一人減ったということは、女性天皇を認めた場合の有資格者が一人減ったことにもなる。

 天皇という地位は世襲とされている(憲法第2条)。世襲とは血統でつながるということだから、血統でつながる者がいなければ、天皇という地位はなくなる。いわば、天皇制が自然死を迎えることになる。もちろん、無理に傍系をたどれば血統のつながりは無限に広がるが、天皇の場合そうはいかない。

 皇室典範第1条が皇位継承の資格を「皇統に属する男系の男子たる皇族」に限定していることから、天皇候補の有資格者払底のリスクが高まっている。これに関連して、女性・女系天皇の可否をめぐる議論が盛んである。つまりは、皇統の絶滅防止の観点からの女性・女系天皇容認が議論の発端なのだ。

 男系男子にこだわれば、傍系を探して天皇に就けることになるが、右翼にとっても、天皇信仰者にとっても、血統愛護者にとっても、ちっともありがたくない天皇が生まれることになる。

 マルクスが喝破したとおり、君主の主要なる任務は生殖にある。しかも、天皇家の場合、男子を産まなくてはならない。これは、皇位継承者とその妻にとって大きなプレッシャーである。大正天皇(嘉仁)以来、側室制度はなくなった。今さら復活も出来まい。

皇統大事の保守派は「天皇制自然消滅」への危機感をもった。その危機感が、小泉政権時の「皇室典範に関する有識者会議」となり、女性・女系に皇位継承資格を拡大する内容の報告書をまとめている(2005年11月24日)。

 しかし、この保守派の思惑に対する右翼の抵抗は大きい。たとえば、産経新聞コラム「政界徒然草」(2021.4.7)は、《有識者会議があぶり出す「革命勢力」 女性天皇と「女系天皇」が持つ意味》というおどろおどろしいタイトルで、こう言っている。
 

 「皇位は初代の神武天皇から現在の天皇陛下まで126代にわたり、一度の例外もなく父方に天皇がいる男系が維持されてきた。「女系天皇」はその大原則を破るのだが、肯定する勢力がこの機に乗じて動きを活発化させている。」

 これ、100年前の記事ではない。へ?え、右翼って大真面目にこう思っているんだ。ところで、この論者から「革命勢力」という讃辞を得た女性(ないし女系)天皇容認論だが、リベラルなものだろうか。あるいは憲法適合的なものだろうか。

 女性(ないし女系)天皇容認論は、天皇や天皇制の存在を前提とする保守性と、性による差別を否定する進歩性を併せもっている。天皇就位の性差別を是正したところで、所詮は天皇や皇族という身分差別容認の枠内でのこととして迫力はない。むしろ、女性天皇容認は「安定的な皇位継承策」の一策として語られ、天皇制の自然死を防止する役割を期待されるものとなっている。

 リベラルな論調で知られる東京新聞の社説(2021年8月10日)が「皇位継承論議 新しい皇室像を視野に」(2021年8月10日)、「皇位継承策 議論の先送りをせずに」(2021年8月10日)などの社説を掲げている。同旨なので、後者を抜粋して紹介する。

「安定的な皇位継承策を議論する政府の有識者会議が中間整理案をまとめた。女性宮家案か、旧宮家の皇籍復帰案かの二つだ。」

「現在、皇位継承権を持つのは秋篠宮さまと悠仁さま、八十代半ばの常陸宮さまの三人だけだ。悠仁さまの時代に十分な皇族の数を維持できなくなる…。そんな危機意識を踏まえた論議である。」「そもそも論点は既に出尽くしており、議論の先送りはもう避けたい」

 要するに、天皇制を維持するためには、一刻も早く、女性・女系天皇を容認せよというのだ。両性の平等の主張の如くに見えて、実は家制度を守ろうという主張ではないか。

 個人の尊厳や法の下の平等が常識となっているこの時代に、憲法上の世襲の制度を守ろうというのが、時代錯誤の奇妙さの根源なのだ。

湯島天神菊まつりでの天皇談義

(2021年11月13日)
 抜けるような青空。高い空というべきか、深い空というべきか。風はなく、寒さもない。今後のことはいざ知らず、コロナも小康状態である。こんな日は、アリも巣穴から這い出してくる。鳥も鳴き交わす。人も同じ。外へ出て、人と話しをしたくもなる。時には会話も弾む。

 湯島天神は菊まつりで賑わっている。妻にくっついて菊の品定めをしていると、少し年嵩の男性との会話になった。

「その花めずらしかないよ。こっちの方がいいんんじゃない」
「そっちは、去年買ったもので」
「じゃあこれは? でもこの鉢、持って帰るのたいへんじゃないの」
「いえ、ウチはすぐ近くですから」
「電車に乗るわけじゃないんだ。わたしはスカイツリーの方だ」
「そちらも菊まつり盛んじゃないですか」
「いや最近どこもダメ。ここ湯島の菊まつりが一番だね」
「亀戸天神はお近くじゃないですか」
「昔は立派だったけど今はちょっとね。両国の慰霊堂公園なんかも盛んだったけど今はダメだ」
「横網町の慰霊堂ですね。あそこには、毎年9月1日に行くように心がけているんですよ。虐殺された朝鮮人の追悼式にね」
「おや、そうなの。私も、その式典には多少関わりがある。日本人は朝鮮人に対してひどいことをしたもんだ。あのとき罪もないたくさんの人が殺されている」
「やっぱり間違ったことは、ごまかさずにきちんと認めて謝罪をしなくてはならないと思うんですよ」
「そのとおりだ。ところが小池百合子だよ、ひどいのは。これまでは追悼式に知事の追悼文が届けられていた。あの、石原慎太郎ですら、追悼文を送っていたのに、小池百合子はやめたんだ。石原慎太郎にも劣るひどいやつだ」
「おっしゃるとおり、右翼とつるんだあんなひどいのが知事になっているんだから、東京はおかしい」
「もっとひどいのが安倍晋三だよ。戦争の反省をまったくしていない。あんなのに長く首相をやらせたんだから、東京だけじゃない日本全体がおかしい」
「植民地に対する反省も、戦争の反省もしていないから、安倍なんかを首相にしちゃうし、いまだに天皇が威張っている社会になったまま」
「そうだよ。あの戦犯、数え切れない人の命に責任をとらなきゃならない立場じゃないか。本当なら処刑されて当然なのに、部下を犠牲にして自分は生き延びた」
「ところが、そんな天皇の責任を追及しようという声がなかなか大きくならない」
「今度の選挙には期待したんだけれど、結局負けちゃって…」
「だけど、めげていてもしょうがない」
「そうだよ。安倍は派閥の親分になって、また3度目の首相復帰を狙っているというじゃないの。そんなことをさせちゃいけない。粘り強く、がんばらなくっちゃ」

握手して、お別れ。お互いに名乗り合うこともなかったが、励まし合って気分は爽快。

 そのあと、菊を売っていた「文京愛菊会」の女性が、二鉢の菊を買ったサービスに、スマホの写真を見せてくれた。自分の家の屋上に並べたみごとな菊の鉢の数々…、まではよかった。が、その写真の最後に、皇室の菊のマークが出てきた。

「せっかくの菊の美しさが、天皇のお陰でだいなしだね。この菊のマークを見ると不愉快この上ない」
「えっ? そんなに皇室が嫌いなんですか」
「だいっきらい。侵略戦争の責任者で、何百万、何千万の人々の死に責任負わねばならないのに、みんな部下のせいにして、ちっとも責任とらなかったでしょう」
「でも、しょうがなかったんじゃないですか。東条英機など、周りが悪かったから戦争になったんで、天皇のセイじゃないように思ってますけど」
「東条英機もお気の毒。たしかに、彼は東京裁判では、全部自分のセイで天皇に責任はないと言ってますよ。だけど、別のところでは自分は天皇の命じるままに行動したまでで、天皇の意向に背いたことは一度もない、とも言っている」
「天皇は、戦争のことなどなんにも知らされていなかったんでしょう」
「それはない。むしろ、陸軍と海軍は仲が悪かったから、それぞれ相手のことはよく知らない。全部のことを、一番よく知っていたのは天皇ですよ。開戦の前には、陸軍にも海軍にも、何度も『それで勝てるか』『本当に勝てるか』と念を押してから、ゴーサインを出している。それは天皇の伝記を読めばすぐに分かる」
「でも、今の天皇や皇室は、戦争当時とはまるっきり違うでしょう」
「戦争の指導はしていないし、政治に口出しは出来ない。でも、エラそうにしているのは戦前と同じ。そして、国民の税金で喰っていることにも変わりはないと思いますよ」
「まあ、あの人たちには、自由も権利もないから、お気の毒と言えばお気の毒だけど」
「宮内庁の経費も含めれば、皇室の予算は年額200億円を超しますよ。あの広い皇居や赤坂御所を占拠もしている。兎小屋に住み、低賃金の中から税金を納めている国民が不満を言わないことが、私には不思議でならない」
「あの人たちは雲の上の人ですから、自分と較べることなんて出来っこないんじゃないですか」
「天皇の地位は国民が認めているからあるので、自分と較べてもいいんです。あんなのに税金を使いたくないと国民多数が言えば、天皇制をなくすることも出来るんですから」
「そう言う話はどこまで行っても尽きないんでしょうが、今日は菊を買っていただいてありがとうございました」

握手することはなく、お別れ。もちろん、お互いに名乗り合うこともない。気分は爽快とまではいかないが、天気のせいか、菊のおかげか、あるいは弾んだ会話の効用か、特に不愉快ということもなかった。

75年前に三笠宮(崇仁)が語った女性天皇時期尚早論

(2021年11月11日)
 昨日に続いて、裕仁の末弟・三笠宮(崇仁)の「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」(1946年11月3日、新憲法公布の日)からの引用である。「女帝について」と表題した個所。当然に彼は女帝容認論かと思う向きもあろうが、さに非ず。ややねじれている。

 下記に【D】とあるのは、憲法14条に記載の「すべて国民は法の下に平等であつて人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係において差別されないこと」である。これでは煩瑣なので、【D】に「両性の平等」を代入して読んでいただけば、意味を損ねない。

「先づ問題になるのは女帝を認めないことと【D】との関係であらう。純粋に【D】を解釈すればどうしても女帝を認めねばならぬ。しかし之については私は現在としては政府案で結構と考へる。その理由として法律論でない実際論から一つだけ述べておく。今の女子皇族は自主独立的でなく男子皇族の後に唯追随する様にしつけられてゐる。之は決して御本人の罪ではなく周囲が悪いのであるが之では仮令象徴でも今急に全国民の矢表に立たれるのは不可能でもあり全くお気の毒でもある。其の上天皇を補佐すべき各大臣が皆男子である。従つて当分女帝は無理と思はれるが何と考へても【D】は全世界に共通の傾向であり今や婦人代議士も出るし将来女の大臣が出るのは必定であつて内閣総理大臣にも女子がたまにはなる様な時代になり、一方今後男女共学の教育を受けた女子皇族が母となつて教育された女子皇族の時代になれば女子皇族の個性も男子皇族とだんだん接近して来るであらうからその時代になれば今一応女帝の問題も再研討せられて然るべきかと考へられる。」

 これを素材にいろんな議論が出来そうである。これと真逆なのが、憲法学者・故奥平康弘の「『萬世一系』の研究」(岩波書店)に紹介されている、1882年当時の有力紙・東京横浜毎日新聞が掲載した「女帝を立(たつ)るの可否」の議論。その中に、「立憲主義国では平凡な君主で構わないから女性でも務まろう」という立論があったという。「立憲主義国では平凡な君主で構わない」までは卓見だが、「女性でも務まろう」がいただけない。

 三笠宮、今あれば、女性天皇問題にどう発言するだろうか。案外、「仮令象徴でも全国民の矢表に立たれるのは、男でも女でも負担が大きく全くお気の毒でもある。象徴天皇制そのものを廃止してはどうか」と言うのではないだろうか。

この議論を上手にまとめた、ある行政書士さんのブログに、子どもにも分かるようにと、こう記されている。

「天皇に女性がなること」 について…

日本では昔から
あーでもない、こーでもないと
議論が続けられてきた歴史がある。

少なからず、そこには
“男尊女卑”(だんそんじょひ)
という考え方があった。

海外では、
英国のエリザベス女王をはじめ
女帝が君臨する例もあったが
日本では、明治憲法で、
天皇を男性に限定していた。

昭和時代に制定された 現在の憲法である
日本国憲法では

条文上は、世襲とされ 男性には限定していない。

なぜなら、新憲法では 「法の下の平等」
つまり、「男女平等」を 原則としているから。

天皇家・皇族にも
自由や人権があって当然である。

では、日本の天皇制は どうあるべきか?

個人の尊重
男女平等
人権、民主主義…

全て踏まえて 考えていく必要がある。

この文章は、《日本国憲法の趣旨を正確に踏まえるなら、女性天皇容認論が結論とならざるを得ない》という論旨。それも一理であろうが、果たしてそうだろうか。本当に正確に憲法の理念を把握するなら、天皇制そのものが、個人の尊重・人間の平等・人権・民主主義…に背馳するものではないか。女性天皇も、天皇である以上、差別構造の上にしか成立し得ない。

天皇制の存在は憲法の容認するところだが、世襲の天皇の血統が絶えれば、天皇制はなくなる。言わば自然死することになる。女性天皇の拒否は、天皇制の自然死への道として歓迎すべきことではないだろうか。

三笠宮(崇仁)の《天皇皇族・籠の鳥》論。

(2021年11月10日)
 大正天皇(嘉仁)には4人の男子があった。長男が昭和天皇(裕仁)で、裕仁の末弟が三笠宮(崇仁)である。オリエント史学者として知られた人だが、リベラルで硬骨な発言者でもあった。

 その三笠宮が、1946年11月3日の「新憲法公布記念日」に、「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」という私案を発表している。今読んでも興味深い内容。

 この中で、最もよく知られ、よく引用されるのは、皇族の結婚に関しての下記の一文。
 <種馬か種牛を交配する様に本人同士の情愛には全く無関心で(中略)人を無理に押しつけたものである。之(これ)が為(ため)どんなに若い純情な皇族が人知れず血の涙を流し(中略)たことであらうか>

 しかし、この部分的抜粋では三笠宮も不本意であろう。「皇族の婚姻」と表題された節の全文を引用しておきたい。この口調の激しさには、驚かざるを得ない。

(4)皇族の婚姻
 「私は皇族の婚姻を皇室会議にかける案には抗議を申込む。勅許も削除したい。新民法(案)では婚姻に親の同意さへ必要としなくなつた。当然皇族も同様に取扱はるべきである。皇族だけこの自由を認めないのは皇族の人格に対する侮辱である。抑、物事を会議にかけるといふことは常に可決を期待するのでなく否決あるを予期しての話である。愛といふものは絶対に第三者には理解出来ないし、又理論でも片付けられないものである。婚姻が不成立の場合でもその原因が当事者のどちらか一方の反対による時には仮令片方の愛が強くても「愛する相手の自由意志を尊重することこそ、即ち相手を最も愛することだ」といつたあきらめも出来るが、それが第三者の而も会議といふ甚だ冷い無情な方法で否決されたら決して承知出来るものではなく、寧ろ反抗心を燃え立たすばかりで、下手をすると其の本人の一生をあやまらせる原因となるかもしれない。さういふと「でも其の婚姻の相手が皇族たるにふさはしくない者だつたら困る」といふ人が出てくるであらうが私はそれはその皇族に対する小さい時からの性問題に関する教育なり指導なりが悪かつた最後の結果で、そこ迄に立至つてから結婚して悪いの何のと言ふのは既に手遅れであることを強調したい。従来の皇族に対する性教育はなつて居なかつた。さうしていざとなつてから宛も種馬か種牛を交配する様に本人同志の情愛には全く無関心で家柄とか成績とかが無難で関係者に批難の矢の向かない様な人を無理に押しつけたものである。之が為どんなに若い純情な皇族が人知れず血の涙を流し果は生死の境をさ迷ふたことであらうか?私は言ふ。皇室典範で「皇族の婚姻に判定を必要とする」と書くのはまるで「皇族が物品を取得する時は正当に買つたのか、盗んだのか裁判する」と書くのと同じであると。しかも之からの皇族は小さい時から男女共学となり、指導に依つては立派に自分自身で皇族の配偶者としてふさはしい立派な人を選び得るのであるから何卒若い皇族の純情を最後の関門でふみにじらない様に心からお願ひする。若しどうしても皇族に信用がない場合でも親たる皇族の同意に止めたいものである。」

 これは、新憲法(24条)が「婚姻を両性の合意のみで成立する」とし、戦後の新民法が家制度を解体して新憲法に沿った婚姻制度を作ったことに鑑みて、皇族の婚姻を皇室会議の同意を条件とするのは差別ではないかという、皇族の側からの異議である。

 この差別を解消するには、差別を甘受しなければならない皇族をなくすに越したことはない。天皇制と家制度は、家父長制として密接につながっているのだから、天皇制を残したままの家制度の廃止は、中途半端で画竜点睛を欠くものだった。

 しかし、三笠宮も「天皇制を解体せよ」とまでは言わない。同じ「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」の冒頭、「はしがき」で、こんなことを述べている。

 「終戦以来今迄世間での皇室に関する議論を見聞するのに之を富士山の議論にたとへて言へば皆遠くから富士山を眺め時としては頭だけ見て或は雲のかゝつた所を見ての議論が多く、せいぜい近くても御殿場あたりから見た程度で中腹なり頂上から見た富士山論が殆んどない。唯私の記憶に残つてゐるものでは民衆新聞社長の小野氏の「天皇は籠の鳥で窮屈でお気の毒だから天皇制を止めた方がよい」といふ議論である。之は私には非常にピンと響いた。何故ならば私は約三十年間此の籠について考へ続けて居るのだから。と言つて私が此の議論に賛成といふのでは絶対にない。全国民の為否世界全人類の為にほんとうに役立つならどんな狭い籠の中でも我慢をせねばならぬのだ。」

 興味深いのは、三笠宮は「籠の鳥で窮屈」を否定していないことだ。むしろ、肯定して我慢を要求している。三笠宮は本心から「天皇制の存置が、全国民の為、世界全人類の為にほんとうに役立つことになる」と考えて、享年100までを「狭い籠の中で窮屈を我慢し」て皇族として生きたのだろうか。だとすれば、「お気の毒な」生涯であったというしかない。

象徴天皇制とは、誰をも幸福にしない制度である。

(2021年10月26日)
 秋篠宮の長女が本日婚姻届を提出した。本来結婚は私事でしかない。当事者の周囲だけが祝意を表すれば良いだけのこと。にもかかわらずの、なんという大騒ぎ。そして、目出度い様子はない。

 婚姻当日の新婦が、記者の質問に対して、「一番大きな不安を挙げるのであれば、私や私の家族、圭さん(夫)や圭さんのご家族に対する誹謗中傷がこれからも続くのではないかということ」とコメントをせざるを得ない事態。これは穏やかではない。意地の悪い大衆の非情さの所為か、あるいは愚かな天皇制のしからしむるところなのか。

 いずれにせよ、竹の園生に生まれた出自が、決して幸福にはつながらないのだ。なんの苦労もなく「特権を享受する立場にある人物」にも、宿命的にデメリットがつきまとう。楽あれば苦あり。良いとこ取りは許されない。

 身分差別の残滓としての象徴天皇制である。天皇や皇族は、生まれながらにしてその地位に縛られ、『その立場からの脱出の自由』はない。天皇制とは誰をも幸せにしないシステムである。一刻も早くなくするに越したことはない。

 旧憲法は天皇の正統性の根拠を神の末裔であることに求めた。いい大人たちが、本気でそう考えていたとしたら噴飯物で滑稽至極というほかはない。日本国憲法が国民主権原理を宣明したとき、天皇制を廃棄すべきが至当であったが、いくつもの思惑が重なって、天皇制は生き延び戦犯裕仁も天皇位を保持した。

 日本国憲法は、天皇の地位を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」とし、その根拠を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とした。が、天皇の人権に関する規程はない。

 天皇の具体的な人権の保障とその制約のあり方は、可能な限り国民と同一のものとすべきであろう。「象徴」とは特別の権限も権能もないことを表現するための用語で、「象徴」から演繹される特権も不利益もない。

 なにせ、神であることを否定した「生身の人間」を無理やりに象徴としたのだ。天皇の私的生活の領域を認めざるを得ない。その私的領域においては、天皇も私人として当然に権利義務の主体となり得る。

 裁判所も、できるだけ天皇の私人としての権利を認めてやればよいのにと思うが、現実には、その逆の立場をとっている。その典型が、前回の天皇交代の際に、天皇を被告として起こされた「不当利得返還代位請求訴訟」(住民訴訟)の判決。天皇は民事訴訟の被告たり得ないと判断された。論理の必然として、天皇は原告として民事訴訟を提起する資格もないとされたことになる。事件は、次のようなもの。

 昭和天皇(裕仁)は1988年9月に吐血して重体に陥った。このとき千葉県知事沼田武は1988年9月23日から1989年1月6日までの間、昭和天皇の病気快癒のために県民記帳所を設けた。当然そのための公費の支出を要し、その支出の合法性が争われた。天皇(裕仁)は1989年1月7日に死亡し、その地位は長男である明仁が継承した。

 千葉県民である原告は当該公費支出は違法であり、明仁(第125代天皇)は記帳所設置費用相当額を不当に利得したとして、地方自治法第242条の2第1項第4号に基づいて、千葉県に代位して裕仁の相続人である明仁に対して損害賠償請求の住民訴訟を提起した(現在は少し制度が変わっている)。曲折はあったが、結局天皇の裁判を受ける権利が否定された。

 1989年7月19日に東京高裁は「仮に天皇に対しても民事裁判権が及ぶとするなら、民事及び行政の訴訟において天皇と言えども被告適格を有し、また証人となる義務を負担することになるが、このようなことは日本国の象徴であるという天皇の憲法上の地位とは全くそぐわないものである。そして、このように解されることが天皇は刑事訴訟において訴追されるようなことはないし、また公職選挙法上選挙権及び被選挙権を有しないと一般に理解されていることと整合する」として控訴を棄却した。説得力のない相当に無理な説示である。

 1989年11月20日に最高裁判所はこれを基本的に是認して、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることに鑑み、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法とした第一審判決を維持した原判決はこれを違法として破棄するまでもない」として上告を棄却した。

 「象徴」という言葉からこのような結論を引き出したことにおいて、この判決は学説から頗る評判が悪い。評判は悪いが、この「記帳所事件」判決は、天皇に民事裁判権がないとした判例として語られている。

 天皇予備軍としての皇族の立場は天皇とは違ったものではある。が、その私的な領域を狭められ否定されることによって、非人間的な境遇を強いられることにおいては同様である。国民の人権意識の成熟までは、同じような皇族バッシングが続くことにならざるを得ない。

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