「大嘗祭支出、高裁も適法」(産経)というミスリード。
(2021年11月18日)
天皇の交替に伴う儀式を違憲とする幾つかの訴訟の中で、最も規模の大きなものが、東京地裁に提訴された「即位・大嘗祭違憲訴訟」。これが、1次・2次訴訟とあり、各訴訟がいくつかに分離され、さらに高裁の差し戻し判決もあって、複雑な経過をたどっている。
昨日(11月17日)東京高裁(第23民事部)で、「即位・大嘗祭違憲訴訟(第2次)」の分離された《人格権に基づく差止請求の訴え》に対する判決が言い渡された。残念ながら、主文は控訴棄却。原審の却下判決が維持された。
私はこの弁護団に入っていないが、そのニュースに注目している。ここまでの経過は、以下のとおり相当に込み入っている。
第2次提訴(慰謝料の国家賠償と、違法支出差止の請求)⇒東京地裁が、国家賠償請求と支出差止請求とを弁論分離⇒東京地裁支出差止請求を却下判決⇒控訴⇒東京高裁原判決破棄・差し戻し判決⇒東京地裁差戻審が、支出差止を《納税者基本権に基づく請求》と《人格権に基づく請求》とに弁論分離⇒(《納税者基本権に基づく請求》は、東京地裁却下・東京高裁控訴棄却で確定)⇒東京地裁《人格権に基づく差止請求》を却下⇒控訴⇒昨日(2021年11月17日)東京高裁棄却判決
さて、大手新聞はこの判決にさしたる関心を払っていない。違憲合憲ないしは違法合法の判断をまったく含んでいないからだ。中で、産経の報道だけが際立っている。その全文を引用する。
大嘗祭支出、高裁も適法 市民団体の訴え棄却
皇位継承に伴う「即位の礼」や「大嘗祭(だいじょうさい)」への国費支出は憲法が定めた政教分離の原則に反するとして、市民団体メンバーらが国に支出しないよう求めた訴訟の差し戻し控訴審判決で、東京高裁は17日、支出を適法とした1審東京地裁判決を支持し、メンバーらの控訴を棄却した。小野瀬厚裁判長は「公金支出に不快感を抱くことがあるとしても、思想良心や信教の自由の侵害と認めるには、思想の強制などで直接不利益を受けることが必要だ」と指摘した。
この記事の主眼は、「国費支出を適法とした1審東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した」という点にある。だから見出しも、「大嘗祭支出、高裁も適法」となっている。産経読者の記憶には、「皇位継承に伴う「即位の礼」や「大嘗祭」への国費支出は憲法が定めた政教分離の原則に反するものではなく適法な支出であると、1審東京地裁が認め、控訴審東京高裁もこれを支持する判決を言い渡した」と刷り込まれることになる。
「その記事は間違いだ」と言うよりは、「それは嘘だ」と指摘するべきだろう。あるいは「フェイク記事」と。我田引水も甚だしく、産経の記事の世界に浸っていると洗脳されることになる。
本件控訴事件の原判決は、東京地裁民事第25部(鈴木昭洋裁判長)が本年3月24日に言い渡した却下判決である。弁護団のコメントでは、「残念ながらこれまでのやりとりが何だったかと思わせる不当判決」「13ページのうち実質的理由は2ページにすぎませんが、諸儀式は「個々の国民」に向けられたものではなく、たとえ宗教的感情を害するものであったとしても、「具体的権利侵害」はないとする、全く紋切り型の、国の主張をそのままなぞったもの」だという。
一見して明らかなとおり、一審判決も控訴審判決も、大嘗祭支出の合違憲判断には踏み込んでいない。人格権に基づく差止請求の適法要件として、原告の具体的権利侵害を要求し、その具備がないとして、実体審理に入ることなく「却下」とされたのだ。
人格権に基づく差止請求が認められるためには、第一段階として「思想の強制などで直接不利益を受けることが必要だ」というのである。原告に、「直接不利益」という「具体的権利侵害」があって初めて、大嘗祭支出の合違憲について実体的審理を求める訴訟上の権利が発生する。そこまでの証明がない以上、違憲・違法判断するまでもなく差止請求は却下となった。
一方、慰謝料を求める国家賠償請求には却下はない。本件の第1次請求と第2次請求の国家賠償請求部分は併合されて、東京地裁で本格的な審理が進んでいる。こちらも、決して低いハードルではないが原告団・弁護団の熱意に期待したい。