気合いの入った5月3日憲法記念日の東京新聞社説は、「戦後70年 憲法を考える 『不戦兵士』の声は今」というもの。最初の小見出しが、「白旗投降した海軍中尉」とされている。戦後は、島根県浜田市で地方紙の主筆兼編集長として健筆を振るった「不戦兵士」・故小島清文を取り上げたもの。
社説は、「小島氏が筆をふるったのは約11年間ですが、山陰地方の片隅から戦後民主主義を照らし出していました」と戦後の生き方を評価している。しかし、私の関心は、もっぱら彼が太平洋戦争の最終盤で、ルソン島の激戦のさなかに米軍に降伏した、その決断と背景にある。
小島は戦時中、慶応大を繰り上げ卒業し、海軍に入って戦艦「大和」の暗号士官としてフィリピンのレイテ沖海戦に従う。その後、ルソン島に配属され、中尉として小隊を率いることになった。なんの実戦経験もなく、陸戦隊の指揮官として激戦の中に放り込まれたのだ。
戦況は絶望的だった。極限状況において、彼は部下を連れての降伏を決断する。この決断を、社説はこう解説している。
「小島氏は考えました。『国のために死ね』という指揮官は安全な場所におり、虫けらのように死んでいくのは兵隊ばかり…。連合艦隊はもはや戦う能力もない…。戦争はもうすぐ終わる…。考えた末に部下を引き連れて、米軍に白旗をあげ投降したのです。」
ルソン島の戦闘には日本軍25万が投入され、約22万人が戦死・戦病死したとされている。無傷の者は一人としてなかったろう。降伏したことによって、小島は辛くも生還し得た。そして、強烈な反戦・反軍主義者となって後半生を送ることになる。
玉砕か降伏か。国家のために命を捨てるか、国家に叛いて自らの生を全うするか。国家と個人と、極限状況で二者択一が迫られている。さて、どうすべきか。
戦争とは、ルールのない暴力と暴力の衝突のようではあるが、やはり文化的な規範から完全に自由ではあり得ない。ヨーロッパの精神文化においては、捕虜になることは恥ではなく、自尊心を保ちながら投降することが可能であった。19世紀には、俘虜の取扱いに関する国際法上のルールも確立していた。しかし、日本軍はきわめて特殊な「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓のローカルなルールに縛られていた。
しかも、軍の規律は法的な制裁を伴っていた。1952年5月3日、新憲法施行の日に正式に廃止となった陸軍刑法(海軍刑法も同様)は、その第7章に、「逃亡罪」を設けていた。以下はその全文である。
第七章 逃亡ノ罪
第七十五条 故ナク職役ヲ離レ又ハ職役ニ就カサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
二 戦時、軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ三日ヲ過キタルトキハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ニ於テ六日ヲ過キタルトキハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第七十六条 党与シテ前条ノ罪ヲ犯シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ首魁ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ死刑、無期若ハ七年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
二 戦時、軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ三日ヲ過キタルトキハ首魁ハ無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ一年以上十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ニ於テ六日ヲ過キタルトキハ首魁ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第七十七条 敵ニ奔リタル者ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮ニ処ス
第七十八条 第七十五条第一号、第七十六条第一号及前条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
(以上はhttp://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hm41-46.htm「中野文庫」で読むことができる)
敵前逃亡は「死刑、無期もしくは5年以上の懲役または禁錮」である。党与して(徒党を組んで)の敵前逃亡の首謀者は「死刑または無期の懲役もしくは禁錮」とされ、有期の選択刑はない。最低でも、無期禁錮である。
さらに、「敵に奔(はし)りたる者」は、「死刑または無期懲役・禁錮」に処せられた。単なる逃亡ではなく、敵に投降のための戦線離脱は、個人の行為であっても、死刑か無期とされていたのだ。未遂でも処罰される。もちろん、投降現場の発覚は即時射殺であったろう。
小島は、帝国軍の将校として叩き込まれた戦陣訓を捨て、敢えて軍法にも背いて「敗戦の結果が見えている無謀な戦争の犠牲」を避けようと、合理的な選択をしたのだ。もともと、小島は自由主義者であったという。欧米の文化にも理解があった。そして何よりも「大和」の暗号士官として、戦況が敗戦必至であることをよく認識していたのであろう。
投降の決断は部下に強制できることではなかった。説得に応じた兵ばかりではなく、降伏を拒否して自決を選択した兵も少なくなかったという。必ずしも生を希求する合理的判断が教育された道徳観念に優越するというものではない。刷り込まれた戦陣訓や軍の規律への盲従が、死の恐怖にも優越する選択をさせたのだ。
私が盛岡にいたとき、共産党県委員会の幹部であった柳館与吉という方と懇意になった。私の父の知り合いである。旧制盛岡中学在学の時代に社会科学に触れ、盛岡市職員の時代に治安維持法で検束を受けた経験がある。要注意人物とマークされ、招集されてネグロス島の激戦地に送られた。彼は、絶望的な戦況と過酷な隊内規律との中で、犬死にをしてはならないとの思いから、兵営を脱走して敵陣に投降している。
戦友を語らって、味方に見つからないように、ジャングルと崖地とを乗り越える決死行だったという。友人とは離れて彼一人が投降に成功した。将校でも士官でもない彼には、戦陣訓や日本人としての倫理の束縛はなかったようだ。デモクラシーの国である米国が投降した捕虜を虐待するはずはないと信じていたという。なによりも、日本の敗戦のあと、新しい時代が来ることを見通していた。だから、こんな戦争で死んでたまるか、という強い思いが脱走と投降を決断させた。
その顛末を直接聞いて、私は仰天した。世の中が「鬼畜米英」と言い、「出て来い。ニミッツ、マッカサー」と叫んでいた時代のことである。当時20代の若者が、迷いなく国家よりも個人が大切と確信し、適切に状況を判断して生き延びたのだ。予想のとおり、米軍の捕虜の取扱いは十分に人道的なものであったという。私は、「貴重な体験を是非文章にして遺してください」とお願いしたのだが、さてどうなっているだろうか。
小島や柳館の投降は、智恵と勇気にもとづく合理的な判断であった。この体験を経て、柳館は戦後共産主義運動に身を投じ、小島はジャーナリストとなって、「日本に民主主義を根付かせ、二度と戦争をしない国にするという思い」から筆を執った。小島は、新聞界を退いてから後、1988年に「不戦兵士の会」を結成し、最期までひたすら次のように『不戦』を説いた。
<戦争は(中略)国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであって、なんの解決の役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり、日本国憲法は、戦勝国のいわば文学的体験に基づく平和理念とは全く異質の、敗戦国なるが故に学んだ人類の英知と苦悩から生まれた血肉の結晶である>
<権力者が言う「愛国心」の「国」は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな「愛国心」は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない>
<われわれは、国歌や国旗で「愛国心」を強要されなくても誇ることのできる「自分たちの国」をつくるために、日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は亡びの道を歩むからだ>
東京新聞社説は最後を次のように締めくくっている。
小島氏は02年に82歳で亡くなります。戒名は「誓願院不戦清文居士」です。晩年にラジオ番組でこう語っています。
<戦争というのは知らないうちに、遠くの方からだんだん近づいてくる。気がついた時は、目の前で、自分のことになっている>
「不戦兵士」の忠告が今こそ、響いて聞こえます。
付言したい。「不戦兵士の会」は、今「不戦兵士・市民の会」と名称を変えて、貴重な活動を継続している。以下はその入会の呼びかけである。
戦場体験兵士が、「生き地獄絵図を見てきた数少ない証人」として、戦争だけは二度としてはならない」と、1988年1月に創立した「不戦兵士の会」は、憲法9条を生み出した源にある戦場・戦争体験を語り継ぐ活動が重要と考え、1999年2月、「不戦兵士・市民の会」に改称。今年(2013年)1月、創立25年を迎えました。
貴重な戦場体験者・老兵士はまもなく消え去ろうとしています。戦場・戦争体験世代とともに、戦後世代市民のご入会を心から訴えます。
292-0814 千葉県木更津市八幡台2?5 C?1
tel 0438-40-5941 fax 0438-40-5942
mail fusen@kmj.biglobe.ne.jp
http://www.home.f01.itscom.net/fusen
不戦兵士たちの「平和の語り部」としての活動を支え、戦後世代市民が「戦争体験の伝承」に心掛けなければならないと痛切に思う。ほかならぬ今だから、なおさらのこと。
(2015年5月6日)
第2次大戦の敗戦から70周年。この事情は日本もドイツも変わらない。そのドイツでは、ナチス・ドイツ降伏の5月8日を目前にして、メルケル首相の活発な動きが注目されている。
5月2日、メルケルは国民に歴史と向き合うよう呼びかける映像メッセージを政府ホームページに公開した。「『歴史に終止符はない。我々ドイツ人は特に、ナチス時代に行われたことを知り、注意深く敏感に対応する責任がある』と訴えている」「ドイツ国内のユダヤ系の施設を警官が警備している現状を『恥だ』とし、『意見を異にする人々が攻撃されるのは間違っている』と指摘。学校や社会でも歴史の知識を広めていくことの重要性を強調した」(朝日)という。このビデオでは、「独国内で戦争責任に対する意識が希薄になっていることについて『歴史に終止符はない』と強い口調で警告。『ドイツ人はナチ時代に引き起こした出来事に真摯に向き合う特別な責任がある』と述べ、戦後70年を一つの『終止符』とする考えを戒めた」「人種差別や迫害は『二度と起こしてはならない』と訴えた(毎日)とも報じられている。
また、メルケルは3日、4万人以上が犠牲となった独南部のダッハウ強制収容所の解放70年式典で演説し、「『我々の社会には差別や迫害、反ユダヤ主義の居場所があってはならず、そのためにあらゆる法的手段で闘い続ける』と述べ、ナチス時代の記憶を世代を超えて受け継ぐ重要性を訴えた」「式典には、収容所の生存者約130人や解放に立ち会った元米兵6人も参加。メルケル氏は『収容所の経験者が、まだ自らの経験を語ってくれるのは幸運なことだ』と述べた(毎日)。「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、そして将来の世代のために、決して忘れない」と語ってもいる(朝日)。
同所の演説では、「『われわれは、皆、ナチスのすべての犠牲者に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、国民に課せられた義務だ』と述べ、一部の若者らにみられる反ユダヤ主義や、極右勢力による中東出身者を狙った犯罪に強い懸念を示しました」(NHK)、「昨年起きたベルギーのユダヤ博物館のテロ事件などを例に、今もユダヤ人への憎しみが存在すると指摘。『決して目を閉じてはならない』と呼び掛けた(共同)」とも報じられている。
さらに、メルケルは、自身が10日にモスクワを訪れ、ロシアのプーチン大統領と無名戦士の墓に献花する。「ウクライナ危機でロシアと対立していても『第2次大戦の多数の犠牲者を追悼することは重要だ』と理解を求めた」(朝日)という。
世に、尊敬される指導者、敬服に値する政治というものはあるものだ、と感服するしかない。安倍晋三に、メルケルの爪の垢を煎じて飲ませたい。そうすれば、次のことくらいは言えるようになるのではないか。
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某日、安倍晋三は、こう語った。
「歴史に終止符はない。我々日本人は、過去天皇制政府がおこなった近隣諸国民に対する蛮行について、敗戦時意図的に隠滅し隠蔽された証拠を誠実に探し出して、よく見極め注意深く敏感に対応する責任がある。学校でも、社会でも過去の日本人がした行為について、歴史の知識を広めていくことの重要性は最大限に強調されなければならない」
「われわれは、皆、私たちの国がした蛮行のすべての犠牲者に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、日本国民に課せられた義務にほかならない」
「現在なお、歴史修正主義が横行し、被害者からの抗議の声やそれを伝える報道を『捏造』と切り捨て、あまつさえ排外主義の極みとしてのヘイトスピーチが野放しとなっている現状を大いに恥辱だと認識しなければならない」
「日本人は、旧天皇制の時代に引き起こした、侵略戦争と植民地支配に真摯に向き合う特別な責任がある。これまで、その責任に真摯に向き合って来なかったことに鑑みれば、戦後70年を一つの終止符として、『もうそろそろこの辺で謝罪は済んだのではないか』『いつまで謝れというのだ』『これからは未来志向で』などという被害者の感情を無視した無礼で無神経な発言は厳に慎まなければならない」
「人種差別や民族迫害は、絶対に再び犯してはならない。我々の社会には差別や迫害、他国への威嚇や武力行使があってはならず、そのような邪悪な意図の撲滅のために、あらゆる法的手段で闘い続ける覚悟をもたねばならない」
「天皇制政府と皇軍が被侵略国や植民地の民衆に与えた底知れない恐怖を、我々は今は声を発することのできない犠牲者のためだけでなく、我々自身のために、そして将来の世代のためにも、決して忘れてはならない」
「脱却すべきは戦後レジームからではなく、非道な旧天皇制のアンシャンレジームの残滓からである」「取り戻すべき日本とは、国民主権と人権と平和を大原則とする日本国憲法の理念に忠実な日本のことでなければならない」
「厳粛に宣言する。われわれは、日本と日本国民の名誉にかけて、決して過去に目を閉じることなく誠実にその責任に向かい合うことを誓う」
こうすれば、日本は近隣諸国からの脅威と認識されることなく、真の友好関係を築いてアジアの主要国として繁栄していくことができるだろう。もちろん、戦争法の整備による戦争準備は不要になろう。
ところで、国民はそれにふさわしい政府や政治家をもつ、という。ドイツはワイツゼッカーやメルケルの政府をもった。日本は、安倍や橋下のレベルの政府や政治家しか持てない。このレベルが、日本国民にふさわしいということなのだろうか。私も、恥の文化に生きる日本人の一人である。まったくお恥ずかしい限り。
(2015年5月5日)
今回の天皇(明仁)夫妻パラオ諸島訪問に言いたいこと、言うべきことは多くあるが、まずはその報道への「不快感」を表明しなければならない。
人は、それぞれである。それぞれに、快と不快の基準がある。「天皇皇后両陛下」という文字に出会うと、私の中の不快指数がピクンとはね上がる。「陛下」は無用、「天皇」だけで十分だ。もう一つ「玉砕」という用語も不快だ。
「陛」の字を訓では「きざはし」とよむ。階段一般だけではなく、特に天子の宮殿に登る階段を意味する。その階段の下の場所が「陛下」である。臣下が天子に直接にものを言うことはない。取り次の側近の居場所である階段の下が婉曲に天子を指す言葉となり、さらに天子の尊称となったという。殿下、閣下、台下、猊下など皆この手の熟語。人間の貴賎の格差を意識的に拡大し誇張しようとした文化的演出の名残である。
詳しいことは知らないが、手許の辞書には史記の「始皇帝本義」からの引用がある。中国の古代世界で、権力を獲得したものが自らを権威づけるための造語、あるいはいつの時代にも跋扈している「権力者におもねる文化人」たちがつくりだした言葉であろう。
これを明治政府が真似した。旧皇室典範第4章「敬稱」が次の2か条を定めていた。
第17條 天皇太皇太后皇太后皇后ノ敬稱ハ陛下トス
第18條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃?親王王王妃女王ノ敬稱ハ殿下トス
陛下は、「天皇」と「太皇太后」「皇太后」「皇后」(これを「三后」と言った)にだけ使われた。「皇太子」「皇太子妃」「皇太孫」「皇太孫妃」「親王」「親王妃」「?親王」「王」「王妃」「女王」などの皇族の敬称は殿下である。マルクスが喝破したとおり、国王の最大の任務は生殖にある。血統を絶やさないためのシステムとして皇室・皇族を制度化し、これを「陛下」や「殿下」と呼ばせた。
「陛下」の敬称をもつ人格は、そのまま大逆罪の行為客体ともされていた。
旧刑法第116条 天皇・三后・皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
未遂も死刑であり、死刑以外の選択刑はなかった。三審制度は適用されず、大審院のみの一審だった。天皇制国家は、法治国家の形式だけは整備したが、その内実が恐怖国家であったことがよく分かる。
大逆罪に加えて、使い勝手のよい不敬罪があった。こちらは戦後削除された現行刑法典旧条文を引く。
第74条1項 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス
同条2項 神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ
構成要件的行為が「不敬の行為」である。これなら自由自在の解釈が可能。なんだってしょっぴくことができる。権力にとっての魔法の杖だ。今の政権も、こんな便利なものが欲しくてたまらないことだろう。
皇室典範自体には「陛下」の敬称使用を強制する規定はない。不敬罪がその強制を担保していたといえよう。もちろん、いま不敬罪はない。にもかかわらず、なにゆえメディアはかくも「陛下」の使用にこだわるのか。
もう一つ。「玉砕」である。これは「瓦全」の対語。人が節義のために潔く死ぬることは、玉が砕け散るごとく美しい。価値のない瓦のごとく不名誉なまま生きながらえるべきではない、ということなのだ。沖縄に伝わる「ぬちどう宝」(命こそ、かけがえのない宝もの)とは正反対の思想。戦死を無駄死にではないと美化するために探してきた言葉が「玉砕」だ。「散華」も同じ。戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」も、瓦全を戒め玉砕を命じたもの。
この「玉砕」が、宮内庁のホームページの「パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)」に堂々と出て来る。(「陛下」だけでなく、「お言葉」も、私の不快指数を刺激する)
「終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました」という使われ方。サイパン訪問の際にも同様だったとのこと。
これも、古代中国での言葉を天皇制政府が探し出して再活用したもの。「戦死は無駄死にではない」という究極の上から目線で、国民の死を飾り立てるための大本営用語なのだ。太平洋戦争での軍人軍属戦没者の大半は、戦闘死ではない。惨めな餓死、あるいは弱った体での感染症死だったことが常識になっている(「飢え死にした英霊たち」藤原彰)。美しい死でも、勇ましい死でもなかった。これを美化してはならない。今ごろ、天皇が無神経に「玉砕」などという言葉を使ってはいけない。
差別用語の使用禁止が、時に言葉狩りとして煩わしく感じられる。が、指摘される度に襟を正そうと思う。過剰にならないよう抑制すべき面はあるものの、差別用語を禁止して死語にしようとする努力が差別をなくすることにつながることは否定し得ない。このことは既に社会の共通認識になっている。その一方で、「天皇皇后両陛下」「皇太子殿下」などの「(逆)差別用語」や、「玉砕」など戦争美化用語が大手を振っているのは何故か。
このような言葉を死語にしなくてはならない。私の不快指数だけの問題ではないのだから。
(2015年4月12日)
「国立大学の入学式や卒業式に国旗掲揚と国歌斉唱を」という参院予算委での安倍首相答弁(4月9日)に驚いた。下村文科相も「各大学で適切な対応がとられるよう要請したい」と具体的に語っている。「安倍右翼政権の粛々たる壊憲プログラムの進行の一つでしかない。今さら驚くにも当たるまい」という見解もあるのだろうが、あまりにも唐突だ。
朝日と毎日が、素早く本日の社説に取り上げた。いずれも明確な批判の論調。朝日は「政府による大学への不当な介入と言うほかない。文科省は要請の方針を撤回すべきである」とし、毎日は「判断や決定は大学の自主性に委ね、(国旗国歌実施の)『要請』は見送るべきだ」と結論している。両紙の姿勢に敬意を表しつつも、驚きとおぞましさが消えない。
安倍政権のスローガンが戦後レジームからの脱却である以上は、国民主権や民主主義を支えるすべての制度を敵視していることは明らかだ。安保防衛問題だけでなく、学問の自由も大学の自治も、国民の思想良心の自由も、すべてを押し潰して「富国強兵に邁進する日本を取り戻したい」と考えているだろうとは思っていた。
しかし、安倍とて愚かではない。そうは露骨になにもかにもに手を付けることはできなかろう。そのような甘い「常識」を覆しての「国立大学に適切な国旗国歌を」という意向の表明である。やはり驚かざるを得ない。
安倍晋三の頭のなかは、「いつ、いかなる事態においても、時を移さず武力を行使しうる国をつくらねばならない」「いざというときには、躊躇なく戦争のできる日本としなければならない」という考えで凝り固まっているのだ。「強い国家があって初めて国民を守ることができる」。「平和も人権も、実際に戦争ができる国家体制なくては画に描いた餅となる」。単純にそう考えているのだろう。
そのためには法律の制定だけでは足りない。「戦争のできる国作り」のためには、何よりも国民をその気にさせなければならない。国民意識を統合し、挙国一致して国運を隆昌の方向にもっていかなくてはならない。安倍政権にとって、ナショナリズムの鼓舞は大きな課題なのだ。国民こぞって、自主的に国旗を掲揚し、国歌を斉唱する国をつくらねばならない。これにまつろわぬやからは非国民と排斥されてしかるべきだ。そのようにして初めて、戦争を辞さない精強な国民と国家ができあがる。強い国日本を中心としたる新しい国際秩序をつくることができる。祖父岸信介が夢みた五族共和の東洋平和であり、八紘一宇の王道楽土だ。
政権が根拠とする理屈は、結局のところ、「国立大学が国民の税金で賄われている」ということ。「国がカネを出しているのだから、国に口も出させろ」「スポンサーの意向は、ご無理ごもっともと、従うのが当然」という理屈。これは経済社会の常識ではあっても、こと教育には当てはまらない。教育行政は教育の条件整備をする義務を負うが、教育への介入は禁じられている。このことは、戦前天皇制権力が直接教育を支配した苦い経験からの反省でもあり、世界の常識でもある。
問題は、安倍・下村の醜悪コンビがこの非常識な発言を恥ずかしいと思う感性に欠けていることだ。なりふり構わずスポンサーの意向を押しつけ、「要請」に従わない大学には国からのイヤガラセが続くことになるだろう。
「国旗掲揚国歌斉唱の実施要請に法的な根拠はありません。ですから飽くまでお願いをしているだけで、文科省の意見に従えとは口が裂けても申しません。とはいえ、予算を握っているのは私どもだということをお忘れなく。要請に対する、貴大学の協力の姿勢次第で、どれだけの予算をお回しできるか、変わってくることはあり得るところです。『魚心あれば水心』というあれですよ。よくおわかりでしょう」
もう一つ、安倍第1次内閣が改悪した新教育基本法の目的条項が根拠とされている。
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
第5号 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
ここに、「我が国と郷土を愛する」がある。だから、「入学式や卒業式では、日の丸・君が代を」というようだ。国を愛するとは、「国旗に向かって起立し、口を大きく開いて国歌を斉唱する」その姿勢に表れる、という理屈のようだ。
国家の権力から強く独立していなければならないいくつかの分野がある。教育、ジャーナリズム、司法などがその典型だ。弁護士会の自治も重要だが、大学の自治はさらに影響が大きい。国立大学は、けっして安倍政権の不当な介入に屈してはならない。
もう、いかなる国立大学も、政権の方針に従うことができない。この件は大学の自治を擁護する姿勢の有無についての象徴的なテーマとなってしまった。政権への擦り寄りと追従と勘ぐられたくなければ、学校行事の日の丸・君が代は、きっぱり拒絶するよりほかはない。そうでなくては、際限なく日本は危険な方向に引きずられていくことになってしまう。
(2015年4月11日)
統一地方選挙前半戦の投票日(4月12日)が近づいている。各道府県や政令指定都市の個別地域課題が争点となっていることは当然だが、色濃く国政を問う選挙ともなっている。改憲(壊憲)色を強めた安倍政権に対する信任投票という性格を払拭できない。いま、自・公両政党へ投票することは、平和を危うくする方向に国を動かすことだ。あなたが平和を望むのであれば、自・公両党に投票してはならない。
我が国民は、今次の戦争での敗戦を痛苦の悔恨の念をもって省み、「再び戦争の惨禍を繰り返してはならない」「戦争の被害者にも加害者にもけっしてなるまい」と誓いを立てた。その誓いは、自らに対するものでもあり、また侵略戦争や植民地主義の被害者となった近隣諸国の民衆に対するものでもあった。
敗戦の反省の仕方には二通りある。一つは、戦争をしたことではなく負けたことだけを反省の対象とすること。そしてもう一つは、勝敗に関わりなく戦争したこと自体を反省することである。
前者の反省の仕方では、「次の戦争ではけっして負けてはならない」とする軍事大国路線の選択となり、後者の反省は平和主義をもたらす。我が国は、非武装の徹底した平和主義を国是とし、そのような国民の総意を憲法に書き込んだ。こうして戦後の70年間、国民は平和憲法を擁護して戦争をすることなく過ごしてきた。国民自らの不再戦の誓いと、平和憲法の恩恵である。
ところが、それが今危うい。安倍晋三という極右の政治家が首相となって以来、碌なことはない。今や、憲法の平和主義の保持が危ういと心配せざるを得ない。「できれば憲法の条文を変えたい」。「それができなくても、法律を変えてしまえば同じこと」。「法律を変えることができなくとも、行政が憲法の解釈を変えてしまえばこっちのものだ」というのが、安倍晋三一味のやり口なのだ。
憲法9条は、武力の行使を一切禁止している。私たちのこの国は、いかなる場合にも対外紛争を武力による威嚇あるいは武力の行使によって解決することはしない。そのような選択肢を自ら封じているのだ。その智恵と方針の遵守が我が国の平和を70年間保ってきたのだ。その大方針を転換して、「戦争という選択肢をもちたい」と安倍政権は明らかに言っているのだ。
憲法9条の平和主義は傷だらけだと言われる。そのとおりではあろう。しかし、傷は負っていてもけっして致命傷には至ってない。憲法9条はまだ生きている。まだまだ、有効に軍国主義者たちの前に立ちはだかっている。戦争のできるような国にしたい安倍一味にとって、9条はまだまだ手強い不倶戴天の敵であり、打倒の目標なのだ。
戦争という手段を選択肢としてもちうる国にするためには、明文の改憲をおこなって9条を変えることが正攻法である。しかし、これはあまりにハードルが高い。もっと手っ取り早い簡便な方法として、憲法はそのままに、憲法をないがしろにする法律を作ってしまえという乱暴な手法がある。いわゆる「立法改憲」である。
その最たるものが、集団的自衛権の行使を容認する安保法制に関する諸立法である。首相の私的諮問機関という「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告後の自公摺り合わせを経て、昨年7月1日「集団的自衛権行使容認の閣議決定」に至った。そして、今度はその立法化である。3月20日に与党協議が整い、必要な法案は統一地方選終了後に国会に提出の予定とされる。
キーワードは「切れ目のない安全保障」である。安倍政権は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備」を謳っている。これは、とりもなおさず、いつでも、どこでも、何が起こっても、武力の行使による対処を可能とするということにほかならない。
敗戦の惨禍というあまりに高価な代償をもって購った憲法9条の平和主義を、シームレスに捨て去ろうということなのだ。これまでは、日本は軍隊を持てないというお約束は、タテマエにもせよ大切にされてきた。自衛隊は軍隊ではなく、飽くまで専守防衛に徹した自衛のための実力組織であって、海外で武力行為をすることはまったく想定されてはおらず、専守防衛を超える装備や編成はもたないものとされてきた。これを安倍晋三は、挑戦的に「我が軍」と言ってのけた。驕慢も甚だしい。
集団的自衛権行使容認だけではない。教育の国家管理化、マスコミ統制のための特定秘密保護法の制定。靖国神社参拝、憲法改正草案と憲法改正国民投票法の整備…。
「戦後レジームを打破」して、「日本を取り戻そう」、というのが安倍政権の基本スローガンである。戦後レジームとは、現行の憲法秩序のことにまちがいない。安倍一味は日本国憲法が大嫌いなのだ。もちろん、平和主義も国民主権も人権の尊重も、である。そして、彼が取り戻そうというのは、一君万民・富国強兵の戦前の国内秩序であり、八紘一宇・五族共和・東洋平和の国際秩序としか考えようがない。
安倍自民党への投票は、平和を失う一票となりかねない。あなたが平和を望むのなら、国の内外に大きな不幸をもたらし、自らの首を絞める愚かな投票をしてはならない。
この安倍自民に「どこまでも付いていきます、下駄の雪」となっているのが公明党である。安倍自民の悪業の共犯者となってこれを支えている公明党に投票することも同様なのだ。
権力につるんで甘い汁を吸っている者はいざ知らず、庶民は、自・公両党に投票してはならない。自分の首を絞める愚をおかしてはならない。
(2015年4月9日)
沖縄は、近代以後唯一地上戦の舞台となった日本の国土である。70年前の今ころ、沖縄は「鉄の嵐」が吹きすさぶ戦場であった。
近代日本の一連の対外戦争はすべて侵略戦争であったから、戦場は常に「外地」にあった。日本人にとって、戦地とは遠い「外地」のことであり、男は海を越えて戦地に出征し、女と子どもは内地で銃後を守った。
ところが、太平洋戦争の末期、本土の都市や軍事施設が空襲や艦砲射撃を受けるようになり、ついに沖縄が凄惨な戦地となった。まったく勝ち目のない戦争。時間を稼いで本土への米軍の進攻を遅らせることだけが目的の絶望的な戦場。沖縄は本土の捨て石とされたのだ。
1945年3月26日、米軍は慶良間諸島の座間味島に上陸する。日本軍の指示による住民の集団自決の悲劇があったとされるのはこのときだ。本年3月2日の当ブログで紹介した松村包一さんの詩が次のように呟いている。
集団自決せよとは
誰も命令しなかった??という
が 生きて虜囚の辱めを受けるなと
手榴弾を配った奴はいる
そして、4月1日早朝、米軍は沖縄本島読谷村の楚辺海岸に上陸する。この日、日本軍沖縄守備隊の反撃はなく、その日の内に米軍は読谷、嘉手納の両飛行場を制圧する。以来、米軍は南北両方向に進攻を開始し沖縄全土が戦場と化した。6月23日に日本軍の組織的抵抗が終息するまで、沖縄の地形が変わるほどの苛烈な戦いが続いて、3か月間での死者数は20万人余におよんだ。知られている、ひめゆり部隊や健児隊の悲劇は、そのほんの一部に過ぎない。
沖縄県平和祈念資料館のホームページに、「平和の礎」に刻銘された戦死者の総数と国(県)別の内訳について次の記載がある。
「平成25年6月23日現在の241,227名(の内訳)は次のようになっています。沖縄県149,291名、県外77,364名、米国 14,009名、英国 82名、台湾 34名、大韓民国 365名、朝鮮民主主義人民共和国82名です。」
生身の人間の命を統計上の数字と化してはならない。戦死者数24万余。これだけの数の痛み・恐れ・悲しみ、そして絶望の末の死という悲劇があったのだ。
翁長・菅会談がおこなわれた4月5日は70年前小磯国昭内閣が政権を投げ出した日に当たる。4月7日に急遽鈴木貫太郎内閣が成立し、この内閣が降伏を決意することになる。小磯は陸軍大将、鈴木は海軍大将、ともに最高級の軍人であった。
鈴木は、後継首班指名の重臣会議では主戦論を力説している。戦後、彼はこれを陸軍を欺くためのカムフラージュだというが真偽のほどは分からない。沖縄で、20万の命が失われているそのとき、最高責任者である天皇とその重臣たちの関心は、沖縄県民の命ではなく、天皇制護持のみにあった。主戦論も和平論も、国体護持にどちらが有益かという観点から述べられたものである。
1944年7月、3万の死者を出したサイパン玉砕を契機に東条英機内閣が辞職した。以来、誰の目にも日本の敗戦は必至であった。しかし、天皇とその部下たちが戦争終結を決断できなかったのは、何よりも国体の護持にこだわったからである。
近衛奏上文が下記のごとく述べているとおり、支配層は敗戦よりも戦後の民主化に恐怖を感じていた。近衛の早期和平論は、その方が国体護持に有利だからというものである。
「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。敗戦は我が国体の瑕瑾たるべきも、…敗戦だけならば国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体の護持の建前より最も憂うるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に御座候」
国体護持に保証を得る時間を稼ぐために、沖縄は捨て石とされ無辜の住民が殺害された。終戦が半年早ければ、あるいは1945年の年頭から本気で降伏交渉を開始していれば、東京大空襲の無残な被害も、沖縄地上戦の惨劇も、広島と長崎の悲劇も防げたのである。
その責任を負うべきは、まずは天皇であり、その側近である。このことを曖昧にしてはならないが、沖縄を犠牲にして焦土化をまぬがれた本土の国民も応分の責任と負い目を感じなければならない。
太平洋戦争を遡って、沖縄の受難の歴史は島津侵攻から始まる。さらに武力を背景とした明治政府の琉球処分があって、戦前の差別と抑圧がある。沖縄地上戦の悲劇のあとには占領の悲劇が続く。このときも、昭和天皇(裕仁)のGHQ宛て「天皇メッセージ」によって沖縄占領が継続され、米軍の土地取り上げと基地被害が深刻化する。そして、1972年の本土復帰は基地付き核付きのものとなって現在に至っている。
沖縄の本土に対する怒りは察するにあまりある。「上からの目線で『粛々』ということばを使えば使うほど、沖縄県民の心は離れ、怒りは増幅していく」という、昨日(4月5日)の翁長知事の発言は、よほど腹に据えかねてのこと。これは、長い沖縄県民の受難の歴史が、知事の口を借り語らせたものと知るべきだ。心して聞かねばならない。
沖縄の痛みは日本国民の痛み。沖縄の平和は日本の平和だ。新基地建設を拒否する毅然たる沖縄の態度に心からの拍手で、連帯の気持を表したい。
(2015年4月6日)
嗚呼 沖縄よ
うるまの島よ
幾世代ものいくさゆを経し
悲劇の島よ
いまだに新たな傷癒ゆることなき
怒りの島よ
しかして、美ら海に浮かぶ
ニライカナイのこの島
終わりなき闘いのその末に、
美しの世を我が手にすることを疑わぬ
逞しき人々の
嗚呼 沖縄よ
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明日(4月5日)の午前中に「翁長・菅会談」がおこなわれる。その席で、翁長知事はこう言いたいと語っている。
「知事選で県内移設反対を公約した翁長氏は、『沖縄県は自ら基地を差し出したことは一度もない。戦争のどさくさに銃剣とブルドーザーで接収されたのが全てだ。基地返還を多くの国民に理解してほしい』と語った。また、知事選や名護市長選、衆院選の沖縄4小選挙区でいずれも県内移設反対派が勝利したことを挙げ、移設反対が沖縄の『民意』だと訴えた」(毎日)
これを意識して、菅長官は沖縄の選挙を「基地の賛否の結果ではない」と反論している。
「菅義偉官房長官は3日の記者会見で、翁長雄志沖縄県知事が米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設阻止が『民意』だと訴えていることに反論した。菅氏は『(知事選などの)選挙結果は基地賛成、反対の結果ではないと思う。振興策、世代など色々なことが総合されて結果が出る』と語った」(朝日)
事実を曲げること甚だしく、無茶苦茶というほかはない。こんな発言が飛び出すようでは、政権も末期の症状ではないか。
この菅発言は、沖縄の民意をいたく刺激した。琉球新報・沖縄タイムスの両紙とも、本日の社説でこの問題を取り上げた。しかも、このうえない痛烈な批判の論調となっている。やるかたなき憤懣の噴出をようやく理性で抑えたという激しさである。「新基地建設が最大の争点となった名護市長選や知事選、衆院選で建設反対の候補が全て勝利した。これで建設反対の『民意』が示された」というのが、地元沖縄の常識、むしろ真実・真理と言っても過言でない。なんとしてもこれを否定したいのが安倍政権。地元は、「どうして政府は分からないのか、分かろうとしないのか」その無念さのボルテージが極めて高いのだ。私の解説など抜きにして、両紙の社説抜粋をお読みいただきたい。
琉球新報社説はこう言っている。
「耳を疑うとはこのことだ。
菅義偉官房長官が、米軍普天間飛行場の辺野古移設について『反対する人もいれば、逆に一日も早く解決してほしいという多くの民意もある』と述べた。翁長雄志知事が『民意を理解していただく』と述べたことへの反論である。
菅氏から『民意』を尊重するかのような発言を聞くとは思いもよらなかった。選挙で選ばれた人との面会を避け続け、反対の声を無視して新基地建設を強行してきた人物が民意を持ち出すとは、どういう了見か。
よろしい。それではどちらの民意が多いか比べてみよう。
県民は昨年、明瞭に意思を示した。辺野古の地元の名護市長選と市議選、知事選でいずれも辺野古反対派が勝利した。衆院選では名護市を含む3区だけでなく、普天間の地元である宜野湾市を含む2区も反対派が大勝した。当の宜野湾市でも6千票の大差だ。選挙という選挙でことごとく示した結果を民意と言わずして何と言うか。
政府が辺野古の海底掘削を始めた昨年8月の世論調査では『移設を中止すべきだ』が8割を超えた。『そのまま進めるべきだ』は2割にとどまる。そもそも、かつて県民世論調査で辺野古反対が5割を切ったことなど一度もない。
選挙結果も世論調査も無視する内閣がことさらに賛成の民意を言い立てている。自らに反対の声は無視し、賛成の声を過大評価するさまは、『針小棒大』『牽強付会』と呼ぶしかあるまい。
菅氏は知事選後も衆院選後も『粛々と移設作業を進める』と述べた。県が掘削作業停止を指示した際には『この期に及んで』とも述べた。沖縄がどんな民意を示しても、どんな異議申し立てをしても、『問答無用』と言うに等しい。
…およそ非論理的な発言の数々は滑稽ですらある。これ以上、詭弁を続けるのはやめてもらいたい」
これが、沖縄の怒りだ。心して耳を傾けたい。
沖縄タイムス社説の一部も抜粋しておこう。「菅氏きょう来県・作業中止し対話進めよ」というタイトル。
「菅氏の一連の発言にちらつくのは、政権のおごりと、都合のいい解釈である。
辺野古移設に賛成の声が一定数あるのは否定しないが、忘れてはならないのは、昨年の名護市長選、県知事選、衆院選で示された『新基地ノー』の圧倒的民意である。
特に知事選では現職候補に10万票近い大差をつけるなど、これまでにない住民意識の変化を明確にした。その民意のうねりが、衆院選県内4選挙区の全てで移設反対派を勝利させたのである。
移設反対だけではなく『総合的な政策で選ばれる』とする菅氏の主張は、あきれて検討にも値しない。政治的な誠実さや謙虚さも感じられない。
もう一つのフレーズ『辺野古が唯一の選択肢』という言い方も、海兵隊の沖縄駐留の必要性が専門家によって否定される今となっては、本土が嫌がるから沖縄に置くことの言い換えと受け取れる。
安倍晋三首相が好んで使う『この道しかない』という言葉…を政権は恐らく辺野古推進の哲学にしている。なぜ辺野古なのか、県外はどうなったのか。詳しい説明がないまま、県の頭越しに現行案を決め『唯一の選択肢』や『危険性の除去』を脅し文句のように繰り返している。
選択肢のない政策はない。国と県が今後も協議を継続するのであれば、辺野古での海上作業を一時中断し、対話の環境を整えるべきである。」
ここで指摘されているのは、「圧倒的民意」を無視した「政権のおごり」であり、「都合のいい解釈」「あきれて検討にも値しない」「誠実さや謙虚さも感じられない」「脅し文句のように繰り返す」お粗末な政権の姿勢である。「転換すべき選択肢のない政策はありえない」という指摘にも謙虚に耳を傾けなければならない。
今、全沖縄が固唾を飲んで明日の会談に注目している。安倍政権が、辺野古新基地建設を強行するのか、それとも沖縄の民意を汲んで真摯な協議のうえ、政策転換に応じるのか。沖縄問題は、安保法制問題の要をなす。だからこの問題は、全国の統一地方選の勝敗に大きく影響を与える。沖縄だけでなく全国も注目しているのだ。
(2015年4月4日)
辺野古新基地建設工事をめぐって、翁長沖縄県知事と菅官房長官とが会談の予定となった。4月5日午前中になるものと報じられている。仲良く話し合いで問題を解決しましょうなどというものではない。それぞれの思惑を秘めての「会談パフォーマンス」である。会談の席を舞台のアピール合戦でもあろう。
誰が見ても、安倍政権の沖縄イジメのイメージが定着している。しかも、統一地方選挙の真っ最中。政権の側は、現状を打開しなければならないとの思いから、何らかのアクションを起こさざるをえない。だから、会談の申し入れは官房長官側からとなった。これは当然のこと。
「官邸は岩礁破砕許可の取り消しをめぐり県と政府が対立したことで、政府への世論の批判が強まってきたことを警戒する」「翁長氏との面会をめぐり与党内からも政府の対応を疑問視する声が出始め、首相官邸は『6月の慰霊の日まで引っ張れば、国会論戦がもたない』(政府高官)と早期の会談が必要との判断に傾いた」(沖縄タイムス)という状況判断は肯けるところ。にもかかわらず、官房長官側は高姿勢を崩していない。何らかの具体的な妥協案をもって会談に臨むとは到底思えない。
メディアは、「菅官房長官は、普天間基地の危険性の除去などに向けた唯一の解決策だとして理解を求める方針」「普天間基地の危険性を除去するとともに、沖縄の基地負担を軽減するためには、名護市辺野古への移設計画が唯一の解決策だとして、理解を求める方針」と伝えている。この会談を舞台に、「国は沖縄をいじめてなどいない。沖縄の負担を軽減する唯一の策を講じているのだ」というアピールをしようというわけだ。
一方、当然のことだが、翁長知事側も一歩も引く様子はない。「(政府には)沖縄県の民意にしっかりと耳を傾けてもらいたいという気持ちで臨む」「多くの県民の負託を受けた知事として、辺野古に新基地は作らせないという公約の実現に向けて全力で取り組む私の考えを、政府にしっかり説明したい」という高い調子だ。
双方とも相手方を説得できるとは思っていない。いや、相手方が納得するはずはないと分かっている。それでも、天下注視の舞台において、メデイアを通じて国民に語りかけようというのだ。知事側は「新基地建設反対がオール沖縄の総意である」と訴え、官房長官側は「普天間基地の返還のためには辺野古への移設しか方法がない」「沖縄全体とすれば基地の負担は減ることになる」と語ることになる。それぞれが、国民の理解と支持を得ようということなのだ。
双方とも、沖縄県民だけでなく日本全土の国民を聴衆と想定して語ることになるが、知事側が県民世論を、政府側が本土の世論を、より強く意識するだろうことは否めない。従って官房長官のセリフには、「日本全体にとって抑止力はどうしても必要だ。地理的条件から、沖縄に基地の負担をお願いせざるをえない」というホンネがにじみ出てくるだろう。本土のために沖縄の犠牲を求めるおなじみのパターン。強者に好都合の「大所高所論」なのだ。
かくして、「軍事によらない平和を希求する」沖縄県民世論と、「軍事的抑止力に支えられて初めて我が国の平和が維持される」という本土政府との「温度差」が露わにならざるを得ない。
実は、ここが分水嶺だ。菅官房長官は「普天間飛行場の危険除去について知事はどう考えているのか、そういうことを含めて議論をしたいと思います」という姿勢。基地の「移転」だけが頭にあって、「撤去」「削減」という選択肢は、まったく考えられていないのだ。菅官房長官は「沖縄基地負担軽減担当大臣」を兼ねているが、「負担軽減担当相が負担を押しつけにくるだけだ」との至言を沖縄タイムスが伝えている。
私は提案したい。政府が世論に配慮して、口先だけでなく真摯に話し合いの席に着こうというのであれば、その旨を行動で表すことが必要だ。そのためには、辺野古沖のボーリング工事を一時中止して、県側の岩礁破砕許可条件遵守の有無についての調査を見守らなくてはならない。右手で工事を進捗させながらの左手で握手をしようなどとは、本来あり得ない不真面目な姿勢というほかはない。粛々と、実は疾っ疾と、あるいは着々と工事を進捗させながらの交渉は、既成事実作りを目論んでの時間稼ぎでしかない。沖縄県側の調査の進展を粛々と見守りつつの会談であって初めて、本気になって妥協点を探る交渉当事者の姿勢というべきであろう。
それ以外に、政権側が「沖縄イジメはやめよ」という世論に応えるすべはない。工事をいったん中止することによって初めて、政権の側がこの問題で世論の支持を獲得できるものと知るべきである。
(2015年4月3日)
70年前に、未曾有の敗戦の惨禍から日本を再生させた国民は、平和を誓ってこの理念を憲法に刻み込んだ。今度は負けない強い軍事国家をつくろうとしたのではない。誰もが平和のうちに生きる権利のあることを確認し、戦争を放棄し戦力の不保持を宣言したのだ。国の方針の選択肢として戦争を除外する、非軍事国家として再出発した。そのことが、日本を平和愛好国家として権威ある存在としてきた。
それが、今大きく揺るぎかねない事態を迎えている。安倍内閣と、自公両党によってである。憲法に刻み込んだはずの誓いが、憲法改正の手続ないままにないがしろにされようとしている。
人に上下はないが、法形式には厳然たる上下の階層秩序がある。上位の法が下位の法を生み、その妥当性の根拠を提供するのだから、法の下克上は許されようはずもない。
法の階層秩序の最高位に憲法がある。憲法を根拠に、憲法が定める手続で、法律が生まれる。法律が憲法に反することはできない。このできないことをやってのけようというのが、「安全保障法制整備に関する与党合意」にほかならない。しかも、法律ですらない閣議決定を引用し、これに基づいて違憲の立法をしようというのだ。
憲法を改正するには、憲法自身が定める第96条の手続によらなければならない。内閣や国会が憲法の内容に不満でも、主権者が憲法を改正するまではこれに従わなければならない。むしろ、立憲主義は、憲法の内容をこころよしとしない為政者に対峙する局面でその存在意義が発揮されるというべきである。
改憲手続きを経ることなく、閣議決定で許容される範囲を超えて憲法解釈を変更することは、憲法に従わねばならない立場にある内閣が憲法をないがしろにする行為であって、言わば反逆の罪に当たる。憲法の範囲内で行使されるべき立法権が、敢えて違憲の立法をすることは、主権者の関与を抜きにした立法による改憲にほかならない。
解釈改憲や立法改憲が憲法の核心部分を破壊するものであるときは、違法に憲法に致命傷を与えるものとして、憲法の暗殺と言わねばならい。
閣議決定による集団的自衛権行使容認と、その違憲の閣議決定にもとづく安保法制の立法化のたくらみは、まさしく平和憲法の暗殺計画ではないか。立憲主義、平和主義、そして民主主義を擁護する立場からは、この憲法の暗殺を許してはならない。
昨日公表された与党合意、正確には「安全保障法制整備の具体的な方向性について」に関して、本日の各紙が問題の重要性に相応しく大きく取り上げている。報道、解説、社説がいずれも充実している。なかでも、東京新聞の全力投球ぶりが目を惹く。朝日も、さすがと思わせる。
朝日の社説は「安保法制の与党合意―際限なき拡大に反対する」という見出しで、「米軍の負担を自衛隊が肩代わりする際限のない拡大志向」に懸念を表明している。また、「抑止力の強化」の限界を指摘して、「抑止力への傾斜が過ぎれば反作用も出る。脅威自体を減らし紛争を回避する努力が先になされなければならない。」とも主張している。結論は、「戦後日本が培ってきた平和国家のブランドを失いかねない道に踏み込むことが、ほんとうに日本の平和を守ることになるのか。考え直すべきだ。」というもの。異論のあろうはずはない。
しかし、気になる一節がある。
「肝要なのは、憲法と日米安保条約を両立させながら、近隣諸国との安定した関係構築をはかることだ。」という。日米安保条約を「憲法と両立させるべきもの」と位置づけている点。かつて、好戦的なアメリカとの軍事同盟は、我が国を戦争に巻き込む恐れの強いものとして、「アンポ、ハンタイ」の声は津々浦々に満ちた。いま、安倍政権と自公両党がやってのけようという乱暴な企図に較べると日米安保などはおとなしいものということなのだ。
本日の東京新聞の見出しを拾えば、「戦争参加の懸念増す」「事実上の海外武力行使法」「国民不在の『密室安保』」「戦える国作り 加速」「海外派遣 どこへでも」「政府判断でいつでも」などというもの。東京新聞の姿勢が歴然である。
その東京新聞の社説の標題は、「『専守』変質を憂う」となっている。与党合意の内容が、これまでの政府の方針であった「専守防衛路線」から大きく逸脱するものと考えざるをえないと批判するトーンである。「『専守防衛』は、日本国民だけで310万人の犠牲を出した先の大戦の反省に基づく国際的な宣言であり、戦後日本の生き方そのものでもある」とまで言っている。
米の軍事力で我が国の安全を守ろうというコンセプトの日米安保条約も、自衛権の発動以上の戦力を持つことのない専守防衛の自衛隊も、かつては違憲とする有力な論陣があって、政府が専守防衛は違憲にあらずとする防戦に務めていた。ところがいま、安倍政権と自公の与党は、自衛隊を専守防衛のくびきから解放して、世界のどこででも戦うことができる軍事組織に衣替えしようというのだ。
今、自衛隊違憲論者と専守防衛合憲論者とは、力を合わせスクラムを組まねばならない。安倍政権と自公両党による、憲法暗殺計画を共通の敵とし、憲法を暗殺から救出するために。
(2015年3月21日)
本日(2月5日)午後、衆院本会議で、「日本人殺害脅迫事件に関する非難決議」が成立した。決議の全文は以下の通り。
「今般、シリアにおいて、ISIL(アイシル、イスラム国)が2名の邦人に対し非道、卑劣極まりないテロ行為を行ったことを強く非難する。
このようなテロ行為は、いかなる理由や目的によっても正当化されない。わが国およびわが国国民は、テロリズムを断固として非難するとともに、決してテロを許さない姿勢を今後も堅持することをここに表明する。
わが国は、中東・アフリカ諸国に対する人道支援を拡充し、国連安全保障理事会決議に基づいて、テロの脅威に直面する国際社会との連携を強め、これに対する取り組みを一層強化するよう、政府に要請する。
さらに、政府に対し、国内はもとより、海外の在留邦人の安全確保に万全の対策を講ずるよう要請する。
最後に、本件事案に対するわが国の対応を通じて、ヨルダンをはじめとする関係各国がわが国に対して強い連帯を示し、解放に向けて協力してくれたことに対し、深く感謝の意を表明する。
右決議する。」
決議の内容を噛み砕けば、(1)今回の邦人2名の殺害を非難し、(2)テロを許さないとする国民意思を表明し、(3)人道支援を拡充して国際社会との連携を強化すると言い、(4)政府に邦人の安全対策を要請し、(5)ヨルダンに感謝の意を表明する、というもの。
この内容で間違っているはずはない。安倍首相のごとくに、「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせる」などと、感情的に息巻いているわけではない。全会一致もむべなるかな、とも思う。そして、明日(2月6日)は参院でも同様の決議採択の予定とのことだ。
しかし、どうしてもなんとなくしっくりしない。問題の複雑さに十分対応し切れていない紋切型の言葉の羅列の虚しさは明らかだ。しかし、それだけではない。どこかに引っかかるものを感じる。日本国憲法9条の精神に照らして、これでよいのだろうか。もっと違った姿勢、違った言葉が出て来るべきではないのか。議員の中で、一人くらいは、敢えて異を唱える人がいてもよいのではないか。そんな気持がわだかまり、澱となって消えない。
イスラム国が無辜の日本人二人に対してした所為は野蛮きわまりない。残虐非道と言ってもよい。何らかの制裁措置が必要と思いたくもなる。だから、「わが国およびわが国国民は、テロリズムを断固として非難するとともに、決してテロを許さない姿勢を今後も堅持することをここに表明する」と言いたくもなり、「わが国は、中東・アフリカ諸国に対する人道支援を拡充し、…テロの脅威に直面する国際社会との連携を強め」たいとの気持にもなる。しかし、本当にそれで問題の解決になるのだろうか、そう問いかけるもう一方の気持ちもある。
本日(2月5日)東京新聞朝刊の一面に、「殺りくの連鎖やめてー後藤さん兄が訴え」という記事がある。
「イスラム教スンニ派の過激派組織『イスラム国』を名乗るグループによるヨルダン軍パイロットの『殺害』と、ヨルダン当局による死刑囚の刑執行が明らかになった4日、イスラム国に殺害されたとみられる後藤健二さん(47)の兄純一さん(55)は、共同通信の取材に『殺りくの応酬、連鎖は絶対にやめてほしい。平和を願って活動していた健二の死が無駄になる』と語った」というもの。
同じ東京新聞の9面には、「『イスラム国』ヨルダン参加非難」「空爆への報復強調ーパイロットの殺害映像公開」「ヨルダン 対決姿勢強化」という、キナくさい見出しが躍っている。
同紙によれば、「自国軍パイロットの殺害映像公開に対する措置として、ヨルダン政府は4日、治安閣議を開き、イスラム国に対する攻撃を強化する方針を決めた」という。「殺害されたパイロットの出身地カラクでは、3日、街中に集まった市民らが、ヨルダンの国旗を手に、『イスラム国に死を』『復讐を』と叫びながら、既に暗くなった街の中を行進した」と報じられている。焼殺という残虐非道な行為にに対抗するその気持としてもっとも、と思わせるものがある。
しかし他方、イスラム国側からすれば、有志連合の空爆こそが残虐非道の行為であり、有志連合に加わったヨルダンは憎むべき「十字軍参加国」なのだ。「ヨルダン軍パイロットを焼殺したとされる映像には、空爆で怪我をした子どもたちの写真や泣き声なども流された」という。空爆による被害の場面を見せつけられれば、イスラム国の言い分ももっともだとの思いも湧いてこよう。
米軍は、空爆によって、これまで6000人のイスラム国戦闘員を殺害したと発表している。しかし、人口密集した都市への爆撃が戦闘員だけにピンポイントでおこなわれたとは考えられない。非戦闘員や子どもを含む一般市民にも多数の犠牲者が出ていることだろう。この報復の連鎖による、悲惨な被害の拡大を制止することこそが、いま、もっとも必要なことではないか。
これまで、武力の行使によって幾億人もが非業の死を遂げた。その非業の死の数だけの復讐の誓いがなされたに違いない。しかし、報復の連鎖は無限に続くことになりかねない。この報復の連鎖を断ちきろうというのが日本国憲法の精神であり、その9条が憲法制定権者の意思として日本国の為政者に一切の武力の行使を禁止しているのだ。
だから、国会の決議は、「我が国及び国民は、決してテロを許さない姿勢を今後も堅持する」という断固たる意思の表明よりは、「9条の精神に則って、殺りくの応酬、連鎖は絶対にやめなければ゜ならない」「平和を願って活動していた者の死を無駄にしてはならない」という基調のものにして欲しかったと思う。断固たる態度や、勇ましい言葉は不要なのだ。
(2015年2月5日)