今こそ憲法9条の旗を高く掲げよう
本日(2月5日)午後、衆院本会議で、「日本人殺害脅迫事件に関する非難決議」が成立した。決議の全文は以下の通り。
「今般、シリアにおいて、ISIL(アイシル、イスラム国)が2名の邦人に対し非道、卑劣極まりないテロ行為を行ったことを強く非難する。
このようなテロ行為は、いかなる理由や目的によっても正当化されない。わが国およびわが国国民は、テロリズムを断固として非難するとともに、決してテロを許さない姿勢を今後も堅持することをここに表明する。
わが国は、中東・アフリカ諸国に対する人道支援を拡充し、国連安全保障理事会決議に基づいて、テロの脅威に直面する国際社会との連携を強め、これに対する取り組みを一層強化するよう、政府に要請する。
さらに、政府に対し、国内はもとより、海外の在留邦人の安全確保に万全の対策を講ずるよう要請する。
最後に、本件事案に対するわが国の対応を通じて、ヨルダンをはじめとする関係各国がわが国に対して強い連帯を示し、解放に向けて協力してくれたことに対し、深く感謝の意を表明する。
右決議する。」
決議の内容を噛み砕けば、(1)今回の邦人2名の殺害を非難し、(2)テロを許さないとする国民意思を表明し、(3)人道支援を拡充して国際社会との連携を強化すると言い、(4)政府に邦人の安全対策を要請し、(5)ヨルダンに感謝の意を表明する、というもの。
この内容で間違っているはずはない。安倍首相のごとくに、「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせる」などと、感情的に息巻いているわけではない。全会一致もむべなるかな、とも思う。そして、明日(2月6日)は参院でも同様の決議採択の予定とのことだ。
しかし、どうしてもなんとなくしっくりしない。問題の複雑さに十分対応し切れていない紋切型の言葉の羅列の虚しさは明らかだ。しかし、それだけではない。どこかに引っかかるものを感じる。日本国憲法9条の精神に照らして、これでよいのだろうか。もっと違った姿勢、違った言葉が出て来るべきではないのか。議員の中で、一人くらいは、敢えて異を唱える人がいてもよいのではないか。そんな気持がわだかまり、澱となって消えない。
イスラム国が無辜の日本人二人に対してした所為は野蛮きわまりない。残虐非道と言ってもよい。何らかの制裁措置が必要と思いたくもなる。だから、「わが国およびわが国国民は、テロリズムを断固として非難するとともに、決してテロを許さない姿勢を今後も堅持することをここに表明する」と言いたくもなり、「わが国は、中東・アフリカ諸国に対する人道支援を拡充し、…テロの脅威に直面する国際社会との連携を強め」たいとの気持にもなる。しかし、本当にそれで問題の解決になるのだろうか、そう問いかけるもう一方の気持ちもある。
本日(2月5日)東京新聞朝刊の一面に、「殺りくの連鎖やめてー後藤さん兄が訴え」という記事がある。
「イスラム教スンニ派の過激派組織『イスラム国』を名乗るグループによるヨルダン軍パイロットの『殺害』と、ヨルダン当局による死刑囚の刑執行が明らかになった4日、イスラム国に殺害されたとみられる後藤健二さん(47)の兄純一さん(55)は、共同通信の取材に『殺りくの応酬、連鎖は絶対にやめてほしい。平和を願って活動していた健二の死が無駄になる』と語った」というもの。
同じ東京新聞の9面には、「『イスラム国』ヨルダン参加非難」「空爆への報復強調ーパイロットの殺害映像公開」「ヨルダン 対決姿勢強化」という、キナくさい見出しが躍っている。
同紙によれば、「自国軍パイロットの殺害映像公開に対する措置として、ヨルダン政府は4日、治安閣議を開き、イスラム国に対する攻撃を強化する方針を決めた」という。「殺害されたパイロットの出身地カラクでは、3日、街中に集まった市民らが、ヨルダンの国旗を手に、『イスラム国に死を』『復讐を』と叫びながら、既に暗くなった街の中を行進した」と報じられている。焼殺という残虐非道な行為にに対抗するその気持としてもっとも、と思わせるものがある。
しかし他方、イスラム国側からすれば、有志連合の空爆こそが残虐非道の行為であり、有志連合に加わったヨルダンは憎むべき「十字軍参加国」なのだ。「ヨルダン軍パイロットを焼殺したとされる映像には、空爆で怪我をした子どもたちの写真や泣き声なども流された」という。空爆による被害の場面を見せつけられれば、イスラム国の言い分ももっともだとの思いも湧いてこよう。
米軍は、空爆によって、これまで6000人のイスラム国戦闘員を殺害したと発表している。しかし、人口密集した都市への爆撃が戦闘員だけにピンポイントでおこなわれたとは考えられない。非戦闘員や子どもを含む一般市民にも多数の犠牲者が出ていることだろう。この報復の連鎖による、悲惨な被害の拡大を制止することこそが、いま、もっとも必要なことではないか。
これまで、武力の行使によって幾億人もが非業の死を遂げた。その非業の死の数だけの復讐の誓いがなされたに違いない。しかし、報復の連鎖は無限に続くことになりかねない。この報復の連鎖を断ちきろうというのが日本国憲法の精神であり、その9条が憲法制定権者の意思として日本国の為政者に一切の武力の行使を禁止しているのだ。
だから、国会の決議は、「我が国及び国民は、決してテロを許さない姿勢を今後も堅持する」という断固たる意思の表明よりは、「9条の精神に則って、殺りくの応酬、連鎖は絶対にやめなければ゜ならない」「平和を願って活動していた者の死を無駄にしてはならない」という基調のものにして欲しかったと思う。断固たる態度や、勇ましい言葉は不要なのだ。
(2015年2月5日)