「徹底した死者の差別」ーそれこそが靖国の思想だ
本日の [産経・正論]欄に、「『和諧』を良しとする日本を誇る」という一文が掲載されている。著者は平川祐弘という相当のお歳の比較文化史家。東京大学名誉教授とのこと。「正論」の常連執筆者の一人である。
もちろん国民誰にも表現の自由は保障されている。だから、目くじら立てるほどのこともないではないか、と言われればそのとおり。が、この人のトンデモ憲法論に幻惑される被害が発生せぬよう、最低限の反論が必要と思われる。
1年ほど前に、彼は、「新しい憲法について国民的な議論を高めたい。比較文化史家として私も提案させていただく」として、やはり「正論」に寄稿している。「『和を以って貴しとなす』。この聖徳太子の言葉を私は日本憲法の前文に掲げたい。‥このような憲法改正には文句のつけようがないだろう」「憲法はそのように日本の歴史と文化に根ざす前文であり本文でありたい」との内容。今回の寄稿はその焼き直し。
よく知られているとおり、自民党改憲草案の前文には、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と書き込まれている。ここでの「和を尊び」は、現実に存在する権力や経済力による支配と被支配の対立構造、あるいは社会的な貧困や格差を隠蔽し糊塗する役割を担っている。
そもそも、十七か条の冒頭に位置する「以和爲貴」は、「無忤爲宗(逆らうことなきを旨とせよ)」や、「承詔必謹」とセットをなしている。「和」とは、対等者間の調和ではなく、「天皇を頂点に戴く権力構造の階層的秩序」と理解するほかはない。本気になって「憲法に『以和爲貴』を書き込もう」と言っているとすれば、甚だしい時代錯誤。近代立憲主義も現代立憲主義も、いや法の支配も、法治主義すらも理解していない人の言としか思えない。
その平川さんが本日の「正論」で靖国の祭神について述べている。未整理の文章で論旨不明瞭といわざるを得ないが、結論だけが「…だから日本は素晴らしい」というもの。どんな結論でもけっこうだが、靖国について「敵味方を超えて行われる鎮魂」と言っている点で、反論しておかねばならない。
平川さんの文章は、平将門を祭神とする神田明神への参拝の隆昌から説き起こされている。そして、次のように展開する。
「祟ると崇めるとは字も似るが、祟りが怖ろしいから崇めたのだ。だが、そんな荒ぶる御霊が鎮魂慰撫されて今では利生の神(平将門を指す)、学問の神(菅原道真を指す)として尊崇される。神道では善人も悪人も神になる。本居宣長は「善神にこひねぎ…悪神をも和め祭る」と『直毘霊』で説いた。鎮魂は正邪や敵味方の別を超えて行われてこそ意味がある」。ここまでの文意は明瞭で、敢えて異を唱えるほどのこともない。
その次からが突然の転調となる。
「読売新聞の渡辺恒雄氏は宗教的感受性が私と違うらしく、絞首刑に処された人の分祀を口にした。私は『死人を区別していいのか』と感じる。解決の目途も立たぬまま大陸に戦線を拡大した昭和日本の軍部は愚かだと思うが、だからといって政治を慰霊の場に持ち込むのは非礼だ。靖国神社は日本軍国主義の問題と決めてかかる人が国内外にいるが、そうした狭い視野で考えていいことか」
文意を繋げると、「神道では善人も悪人も神になる」のだから、「絞首刑に処された東條英樹以下の悪人も神になった」。「分祀とは神に区別を設けること」なのだから、「いかなる悪人であろうとも神になった死人を区別することはよくない」。こう言いたいのだと推測するよりほかはない。なお、それまでの説明と、「靖国神社」「日本軍国主義」「狭い視野」とは関連不明としか評しようがない。
文意がわかりにくいのは、論者が世の常識とは違うことを言っているからなのだ。
日本人の伝統的な死生観が「怨親平等」という言葉に表される死者の平等にあったことはよく知られている。例えば、蒙古襲来の際の犠牲者を、日本の民衆は敵味方の区別なく手厚く葬った。その象徴として円覚寺の存在が語られる。
この日本的伝統を真っ向から否定して死者の差別を公然化したのが、招魂社であり、靖国神社である。維新期の西南雄藩連合は、自軍を皇軍(すめらみいくさ)として、荒ぶる寇(あらぶるあだ)である賊軍との戰に斃れた自軍の戦死者だけを祀った。要するに、徹底した死者の差別であり、魂の差別である。ここには怨親平等のヒューマニズムはかけらもない。政治的な思惑から、天皇への忠誠故の死者を褒めそやし、未来永劫賊軍の死者を侮辱さえしたのである。
戊辰戦争の最大の山場は会津戦争であった。官軍の死者の遺体はこの地に埋葬され、「天皇のために闘った、忠義の若者たちがいたことを後世に伝えるために」石碑が建てられた。一方、賊軍側3000の戦死者には、埋葬自体が禁じられた。死体はみな、狐や狸や野鳥に食われ腐敗して見るも無惨な状態になった。(「明治戊辰殉難者之霊奉祀の由来」・高橋哲哉「靖国問題」による)
この天皇への味方か敵かを峻別し、死者をも徹底して差別することが靖国の思想である。明治維新が、国政運営にこのうえない便利な道具として神権天皇制を拵え上げたその一環として、靖国神社は天皇制政府の軍事におけるイデオロギー装置となった。天皇へ忠誠を尽くして死ぬことを徹底して美化し、その反対に天皇に敵対することを徹底して貶める、死の意味づけにおける差別の体系と言ってよい。この魂の差別については、既に古典と言ってよい「慰霊と招魂」(村上重良・岩波新書)に詳しい。
戊辰戦争で賊軍とされた奥羽越列藩同盟の戦死者も、西南戦争で敗れた西郷軍も、未来永劫靖国の祭神の敵として靖国神社に合祀されることはない。この内戦における死者への差別は、皇軍が対外戦争をするようになってからは排外主義の精神的基盤ともなり、また戦死者を「天皇への忠義を尽くしての戦死」か「しからざる(捕虜や逃亡兵としての)死」かに差別することにもなった。
平川「正論」が、日本人の伝統に反してまで徹底した「死者の差別」をしている靖国神社を引き合いに、祭神の平等、死者の平等を説くから、話がこんがらかってしまうのだ。
(2015年2月4日)