澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

平和を望む者は、自・公両党に投票してはならない

統一地方選挙前半戦の投票日(4月12日)が近づいている。各道府県や政令指定都市の個別地域課題が争点となっていることは当然だが、色濃く国政を問う選挙ともなっている。改憲(壊憲)色を強めた安倍政権に対する信任投票という性格を払拭できない。いま、自・公両政党へ投票することは、平和を危うくする方向に国を動かすことだ。あなたが平和を望むのであれば、自・公両党に投票してはならない。

我が国民は、今次の戦争での敗戦を痛苦の悔恨の念をもって省み、「再び戦争の惨禍を繰り返してはならない」「戦争の被害者にも加害者にもけっしてなるまい」と誓いを立てた。その誓いは、自らに対するものでもあり、また侵略戦争や植民地主義の被害者となった近隣諸国の民衆に対するものでもあった。

敗戦の反省の仕方には二通りある。一つは、戦争をしたことではなく負けたことだけを反省の対象とすること。そしてもう一つは、勝敗に関わりなく戦争したこと自体を反省することである。

前者の反省の仕方では、「次の戦争ではけっして負けてはならない」とする軍事大国路線の選択となり、後者の反省は平和主義をもたらす。我が国は、非武装の徹底した平和主義を国是とし、そのような国民の総意を憲法に書き込んだ。こうして戦後の70年間、国民は平和憲法を擁護して戦争をすることなく過ごしてきた。国民自らの不再戦の誓いと、平和憲法の恩恵である。

ところが、それが今危うい。安倍晋三という極右の政治家が首相となって以来、碌なことはない。今や、憲法の平和主義の保持が危ういと心配せざるを得ない。「できれば憲法の条文を変えたい」。「それができなくても、法律を変えてしまえば同じこと」。「法律を変えることができなくとも、行政が憲法の解釈を変えてしまえばこっちのものだ」というのが、安倍晋三一味のやり口なのだ。

憲法9条は、武力の行使を一切禁止している。私たちのこの国は、いかなる場合にも対外紛争を武力による威嚇あるいは武力の行使によって解決することはしない。そのような選択肢を自ら封じているのだ。その智恵と方針の遵守が我が国の平和を70年間保ってきたのだ。その大方針を転換して、「戦争という選択肢をもちたい」と安倍政権は明らかに言っているのだ。

憲法9条の平和主義は傷だらけだと言われる。そのとおりではあろう。しかし、傷は負っていてもけっして致命傷には至ってない。憲法9条はまだ生きている。まだまだ、有効に軍国主義者たちの前に立ちはだかっている。戦争のできるような国にしたい安倍一味にとって、9条はまだまだ手強い不倶戴天の敵であり、打倒の目標なのだ。

戦争という手段を選択肢としてもちうる国にするためには、明文の改憲をおこなって9条を変えることが正攻法である。しかし、これはあまりにハードルが高い。もっと手っ取り早い簡便な方法として、憲法はそのままに、憲法をないがしろにする法律を作ってしまえという乱暴な手法がある。いわゆる「立法改憲」である。

その最たるものが、集団的自衛権の行使を容認する安保法制に関する諸立法である。首相の私的諮問機関という「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告後の自公摺り合わせを経て、昨年7月1日「集団的自衛権行使容認の閣議決定」に至った。そして、今度はその立法化である。3月20日に与党協議が整い、必要な法案は統一地方選終了後に国会に提出の予定とされる。

キーワードは「切れ目のない安全保障」である。安倍政権は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備」を謳っている。これは、とりもなおさず、いつでも、どこでも、何が起こっても、武力の行使による対処を可能とするということにほかならない。

敗戦の惨禍というあまりに高価な代償をもって購った憲法9条の平和主義を、シームレスに捨て去ろうということなのだ。これまでは、日本は軍隊を持てないというお約束は、タテマエにもせよ大切にされてきた。自衛隊は軍隊ではなく、飽くまで専守防衛に徹した自衛のための実力組織であって、海外で武力行為をすることはまったく想定されてはおらず、専守防衛を超える装備や編成はもたないものとされてきた。これを安倍晋三は、挑戦的に「我が軍」と言ってのけた。驕慢も甚だしい。

集団的自衛権行使容認だけではない。教育の国家管理化、マスコミ統制のための特定秘密保護法の制定。靖国神社参拝、憲法改正草案と憲法改正国民投票法の整備…。

「戦後レジームを打破」して、「日本を取り戻そう」、というのが安倍政権の基本スローガンである。戦後レジームとは、現行の憲法秩序のことにまちがいない。安倍一味は日本国憲法が大嫌いなのだ。もちろん、平和主義も国民主権も人権の尊重も、である。そして、彼が取り戻そうというのは、一君万民・富国強兵の戦前の国内秩序であり、八紘一宇・五族共和・東洋平和の国際秩序としか考えようがない。

安倍自民党への投票は、平和を失う一票となりかねない。あなたが平和を望むのなら、国の内外に大きな不幸をもたらし、自らの首を絞める愚かな投票をしてはならない。

この安倍自民に「どこまでも付いていきます、下駄の雪」となっているのが公明党である。安倍自民の悪業の共犯者となってこれを支えている公明党に投票することも同様なのだ。

権力につるんで甘い汁を吸っている者はいざ知らず、庶民は、自・公両党に投票してはならない。自分の首を絞める愚をおかしてはならない。
(2015年4月9日)

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