「労働運動は場末のパブから始まった」とは社会史が語るところ。「労働組合は、安酒の麗しき結晶である」とは、私ひとりの語るところ。資本主義の勃興期に、法の保護なく過酷な搾取に喘いだ工場労働者たちがパブで不満を語り合う。これが労働運動と労働組合の起源なのだ。
だから、私が弁護士になった当時、労働運動に寄与したいと志す若手の弁護士には、「労働者と酒を飲め」「団結も信頼も、アルコールから生まれる」などと教えられ、実際によく飲んだ。私の付き合いの範囲では、組合費で幹部が酒を飲むことはなかった。もちろん接待もない。すべて自腹の割り勘の「団結と連帯の酒」だった。
酒食をともにし語り合うことで信頼関係が生まれる。同じ席で同じものを飲みかつ喰うことが、仲間と認めあう儀礼となっているのだ。「同じ釜の飯を喰う」「一宿一飯の恩義」などの言葉のニュアンスがよく分かる。「俺の酒が飲めないっていうのか」という酔漢の気持ちも、だ。
多くの「一流」マスコミ人が、安倍ら「二流」政治家と酒食をともにしているという。こちらは場末の安酒ではない。豪勢な料亭や寿司屋、あるいは一流のレストランでの話し。アベ友、スシ友、フグ友、飲み友の会席。この席で、政権とメディアとの「団結と信頼」「個人的な友情」あるいは「醜い癒着」の関係が育まれているのだ。勘定は誰が持っているのか、などと問題にするのは「ゲスの勘繰り」の類。
その効果は着実に現れている。NHKや産経・読売だけにではない。私の愛読する「毎日新聞」にもである。
本日の毎日新聞朝刊2面の「風知草」。このコラムは毎週月曜日に掲載されるが、この空間には他の記事とは違う風が流れている。「アベ風」の匂いである。本日のタイトルは、「ゲスの極み」。二流政治家と酒食をともにする「一流記者」山田孝男の筆になるもの。
「風知草」とは、風のまにまになびく草。疾風の中の勁草の対極である。もっとも、風向きを知る草に罪があるわけではない。風はいろんな方向から吹く。権力から吹く風もあれば、民衆が起こす風もある。そよ風も、突風も、爆風もある。いったい「風知草」はどこからの風を読もうとしているのか。風の向きを知って、覚悟を決めてこの風に抗おうというのか、それとも風に流されようというのか。
本日の「ゲスの極み」は、政権からの風を知って、暖かい迎合の風を返しているようだ。「一飯の恩義」を感じて、「スシ友へのエール」として書いた記事。
甘利明事務所に「1200万円のワイロが流れたという『週刊文春』特報」に関して、「違法な金銭授受は間違いなさそうだが、その意味と背景について、正確に見定める必要がある」という趣旨。こんな記事は、サンケイか夕刊フジに任せておけばよい。毎日新聞の紙面に、どうしてこんな「アベへのヨイショ」が躍るのか。
暴かれた「甘利スキャンダル」の威力は、アベ政権直撃のメガトン級。いまやその影響は激震となっている。アベの取り巻き連中が、この衝撃を緩和し、過小評価しようとして躍起になっている。
その典型が山東昭子の「ゲスの極み」発言であり、高村正彦の「わなにはめられた」論である。山東の発言はとりわけ悪質である。「ゲスの極みというような感じで、まさに、両成敗でただしていかなければならない気がする」。これは、告発者に対する「おまえも無傷では済まないぞ」という威嚇である。この威嚇は、今回の告発者に限られたものではなく、今後同様の例を抑止しようという効果を狙ったものである。
覚悟の告発を「ゲスの極み」とする山東に、「政権の疑惑を隠す暴言」などと批判が集中しているのは当然のことだが、アベと酒食をともにする「スシ友・山田孝男」は、「告発側も疑えーという山東の指摘は傾聴に値する」という。山田は、「ワイロは、もらう側も渡す側も、どだいゲス(下種(げす)=心卑しき者)の極み。だから両成敗……。いかにも芸能界出身の山東らしい機知だ。」と、山東の言わぬことまで付け加えて山東を持ち上げている。
それはおかしい。山田孝男の言の意味と背景を吟味すれば、政権擁護の弁でしかない。
山田は、「告発側も疑えーという山東の指摘は傾聴に値する」という理由を「なぜなら、一見、捨て身と見える告発者の所属企業は実態不明、あらかじめ紙幣番号を複写した札束を渡すなど、暴露を前提にした仕掛けにあざとい印象を受けるからである。」という。これは、高村の「わなにはめられた」論とまったく同じである。
「告発側も疑え」? いったい何をどう疑えというのだ。「政敵の陰謀にはめられた」とでも言いたいのだろうか。あちらこちらでの陰謀説には食傷だが、仮に陰謀であつたとしても、甘利の罪責が軽減されることにはならない。陰謀であろうとなかろうと、現金700万円を収受しているのは犯罪である。甘利は、50万円の現金を2回にわたって、自らのポケットに入れたと具体的に告発されて、これを否定できないのだ。
もしかしたら、今回の件は陰謀であれはこそ、表に出てきたのかも知れない。甘利に限らず、多くの政治家が、口利き料をポケットに入れて、「陰謀でないから裏に隠れたままになっている」のかも知れない。それなら、陰謀バンザイだ。
賄賂罪は、「公務員の職務の公正」と「公務員の職務の公正に対する国民の信頼」を保護法益とするものとして、贈賄も収賄もともに犯罪とされている。この犯罪は表に現れにくい。「アンダー・ザ・テーブル」といわれるように、賄賂の収受は隠密裡に行われるからである。疑惑ありとの指摘に対しては、贈賄側も収賄側も、団結固く口裏を合わせて否認することが通例で、立件は難しい。摘発には、リニエーションの制度導入が効果的だ。これは裏切りの奨励である。どちらか、先に犯罪を申告した方の立件を免除する制度である。賄賂罪摘発を容易にすることで、賄賂の収受をなくそうという発想である。
あっせん利得罪は、「賄賂罪」ではない。が、口利きをしてその報酬として利得を収受する政治家(甘利)だけでなく、政治家に口利きを依頼して利得を供与する者(S社)の行為も犯罪になる。S社は、このことをよく知りながら、自分の訴追を覚悟して告発に踏み切っている。山田の「あざとい印象」よりも、自分の訴追を覚悟して告発に踏み切ったことでの政治家の犯罪暴露を積極評価すべきが当然ではないか。
また、「告発者の所属企業は実態不明」はなかろう。政治資金収支報告書から社名も所在地も直ぐに分かる。新聞記者が可能な調査を手抜きして「実態不明」と「印象」を語るのは怠慢の誹りを免れまい。「あらかじめ紙幣番号を複写した札束を渡すなど、暴露を前提にした仕掛けにあざとい印象を受けるからである」とは驚いた。海千山千の政治家を相手に、このくらいのことをしても少しの不思議もない。この程度の「印象」で、山東を弁護し、甘利の罪責を薄めて政権を擁護しようというのだ。
山田のコラムに漂っているものは、政権中枢に位置する者に対する「捨て身の告発」への不快感である。そして、極端な言を避けつつ、告発者を誹ることで、被告発者を相対的に弁護し、告発の影響をできるだけ小さくしようとの政権への配慮が見える。この不快感は、アベ政権の不快感を毎日新聞の紙上に映したものといわざるを得ない。
なるほど。一緒に飯を喰うことの効果はあるものだ。信義に厚い。さすがは高級店での「君子の交わり」である。
(2016年1月25日)
「週刊新潮」2014年4月3日号が、「8億円裏金疑惑」を暴露するDHC吉田嘉明の手記を載せた。そして今回「週刊文春」16年1月28日号が、「甘利大臣1200万円賄賂疑惑」の記事である。
私は、「8億円裏金疑惑」事件の、吉田嘉明と渡辺喜美の関係を「大旦那と幇間 その蜜月と破綻」と喩えた。いまにして、まことに適切な比喩だったと思う。政治資金としての8億円は巨額である。そのカネを、小なりとはいえ政党の党首に渡して政治を動かそうとしたスポンサーの側と、頭を下げてこのカネを所望した政治家の関係は、「大旦那と太鼓持ち」でピタリだろう。幇間は所詮幇間、旦那の機嫌を損じてしくじったのだ。蜜月は破綻し、旦那が裏金を暴露して一騒動となった。
さて、この度の政治家甘利と千葉のS社との関係はどうだろう。立場の強さは、甘利の方がはるかに上だ。Sの側が頭を下げ菓子折をもって、甘利に口利きをお願いしている。とうてい、大旦那と太鼓持ちの関係ではない。
定めし、甘利は悪代官の役どころ。そして、とらやの羊羹に添えて50万円を持参したSは、エチゴヤの役回りだろうか。強勢な政商としての越後屋ではなく、政治家に小金を渡して、その上手な利用をたくらむ、小ずるい小悪党としてのエチゴヤ。大悪党対小悪党の、持ちつ持たれつの図である。
週刊文春の記事を読んで、保守の政治家とは、このような小ずるい小悪党との付き合いを常態としているのであろうとの印象をもたざるを得ない。そして、政治家のポケットに収まる現金の額は、50万円が相場なのだろう。もらい慣れているカネの収受であればこそ、「印象にない」「記憶を整理してみる必要がある」と言うことではないか。こぞって、甘利をかばおうとしている面々の対応を見て、ますますそうした印象を強くしている。
「DHC・渡辺事件」も、「甘利・S社」事件も、問題は光の届かない陰の世界でカネが動くということである。政治や行政が、見えない裏のカネで動かされてはならない。裏のカネで動かされているという疑惑で、政治や行政の公正の信頼を傷つけてはならない。
DHC吉田嘉明から渡辺喜美に渡った8億円の授受の趣旨は、明らかに政治資金としてのものであったにかかわらず、政治資金収支報告書への記載がない。にもかかわらず、その不記載が処罰されないのは「政治献金」ではなく「政治貸金」だったからということ。献金ではなく貸借なら、巨額のカネが動いても、これを裏のカネとしておいてお咎めなしなのだ。これこそ、政治資金規正法をザル法とする不備の最たるものではないか。
しかし、「甘利・S社」事件では、授受あったカネはすべて報告書に記載しなければならない。文春記事には、政治資金規正法違反を意識した次の一文がある。
「政治資金収支報告書によれば、S社名義で自民党神奈川県第十三選挙区支部には八月二十日付で百万円、神奈川県大和市第二支部には、九月六日付で百万円の政治献金がなされている。一色氏が(8月20日に)渡した五百万円のうち、少なくとも三百万円は闇に消えたのだ。」
また、本日の赤旗一面トップの「深まる甘利大臣疑惑 裏付け事実が次々・本人説明せず 首相の任命責任は重大」の記事には、「週刊文春」記事を丹念に読み込んで作られた一覧表が掲載され、記事にあらわれた具体的な金銭の授受と収支報告書の照合をしている。
文春記事のタイトルが「賄賂1200万円を渡した」となっており、S者側の発言として「口利きの見返りとして甘利大臣や秘書に渡した金や接待で、確実な証拠が残っているものだけでも1200万円に上ります」とされている。しかし、公表されている政治資金収支報告書と照合の対象となる、記事中の現金の授受として特定されている主なものは、次の4回である。
13年8月20日 公設秘書に 500万円
11月14日 甘利本人に 50万円
14年 2月1日 甘利本人に 50万円
11月20日 公設秘書に 100万円
以上の合計700万のうち収支報告書に記載されたのは、37回で合計394万円に過ぎない。トータルとしてみても300万円余が不記載なのだ。
自民党議員の中には、「こんなことは日常茶飯事。騒ぐほどのこともなかろう」という思いが強いのだろう。おそらくは、この程度の収入の不記載はありふれたこと。政治家の口利きと口利き料の収受もありふれた雑事でしかないと思われる。しかし、口利き料を支払った側が、これだけ肚をくくって証拠を集め、政治家に対する「覚悟の告発」におよぶという事例はきわめて珍しい。その意、その覚悟は壮とするに値する。一寸の虫にも五分の魂ではないか。せっかくの覚悟を実られたいものと思う。そのことが、政治とカネの浄化につながるでもあろうから。
(2016年1月23日)
普段は絶対に読まない「週刊文春」を今日だけは買って読んだ。
もちろん、このタイトルに惹かれてのことだ。「甘利明大臣(事務所)に賄賂1200万円を渡した(実名告発)」「口利きの見返りに大臣室で現金授受。現場写真・音声 公開!」。なるほど、確かに「衝撃告発」であり、「政界激震スクープ」だ。
何より驚いたのは、グラビアの「現金授受現場写真」。昨年(2015年)10月19日、大和市内の喫茶店で、「甘利事務所所長が現金に思わずニンマリ」の写真が表情豊かに大きく紙面を飾っている。ニンマリの主は、甘利大臣の清島健一(公設)秘書だという。そして、「私はこのお金を甘利大臣に渡しました」という、「私」と甘利大臣のツーショット写真。その際、大臣に手渡されたという「このお金」50万円の「ピン札」写真が添えられている。後々のためとして、ナンバーが分かるようにコピーされたものだ。文春編集部としては、周到な取材で、満を持して記事にしたことがよく分かる。
役者がすばらしい。被告発者は「経済再生兼TPP担当大臣」である。第一次安倍内閣以来の首相の僚友。閣内でも別格の重みをもつ人物。安倍政権への政治的衝撃は大きい。そのタイミングがすばらしい。TPP大筋合意ができたとされて調印式が目前のこの時期。辞めるに辞められない。さりとて辞めずに居座れば政権を破壊しかねない。さらに、告発者がすばらしい。これだけの用意周到な証拠の集積を以て、肚を決めての「実名告発」。
山東昭子が、この件に関連して「政治家自身も身をたださなければならないが、(週刊文春に)告発した事業者のあり方も『ゲスの極み』。まさに『両成敗』という感じでたださなければならない」と述べた、と報じられている。発言者である山東本人のゲスの本性を露呈しているだけではなく、自民党としての周章狼狽振りをよく表しているものではないか。
この「政界激震スクープ」記事。事実関係の叙述はきわめて詳細で具体的、リアリティに富んでいる。また、裏付けの取材も怠りない。何よりも、甘利自身が否定し切れていない。常識的に、この告発は本物といえよう。
甘利が事実を否定できないのは、告発者が周到に集積し保管してきたという「証拠」の内容をはかりかねているからであろう。軽々に事実を否認した場合に、証拠を突きつけられて、さらに深く傷がつくことを考慮せざるを得ないのだ。
結局、本日の段階でなし得ることとしては時間稼ぎが精一杯。「今後調査をした上で国民の皆さんに疑惑を持たれることないように説明責任を果たしていく」と答えたそうだ。「今後調査」とは、いったい誰について何を調査しようというのだろう。
まずは、甘利大臣自身の疑惑が具体的に問われている。たとえば、2013年11月14日のこと。「うちの社長が、桐の箱に入ったとらやの羊羹と一緒に紙袋の中に、封筒に入れた現金五十万円を添えて、『これはお礼です』と言って甘利大臣に手渡しました。紙袋を受け取ると、清島所長が大臣に何か耳打ちしていました。すると、甘利氏は『あぁ』と言って五十万円の入った封筒を取り出し、スーツの内ポケットにしまったのです。」とされているのだ。自分の調査は簡単だろう。
次は、ふたりの秘書の調査。一晩かかるほどのことはなかろう。「すべては秘書の所為」として逃げ切る算段をどうつけるかの相談とて、さほどの時間を要するはずはない。むしろ、潔く事実を認めたうえで、「自首」をお勧めする。今の段階なら「自首」成立の公算が高い。時を失して、捜査機関が疑惑の心証を固めると自首は成立しなくなる。
犯罪成立の疑惑は、政治資金規正法違反とあっせん利得処罰法違反である。甘利やその秘書の行為は刑法上の収賄行為に当たるとするにはハードルが高いが、政治家と秘書の「口利き行為」は、あっせん利得処罰法上の犯罪となり得る。同法は、第1条で政治家(国会議員)の、第2条で政治家秘書の、あっせん行為に関して財産上の利益を収受することを犯罪としている。
同法第1条(公職者あっせん利得)の構成要件は以下のとおりである。
(犯罪主体) 衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長(以下「公職にある者」という。)が、
(犯罪行為) 国若しくは地方公共団体が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、
請託を受けて、
その権限に基づく影響力を行使して公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、
その報酬として財産上の利益を収受したときは、
(刑罰)三年以下の懲役に処する。
また、同条2項は、「公職にある者が、国又は地方公共団体が資本金の二分の一以上を出資している法人が締結する売買、貸借、請負その他の契約に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して当該法人の役員又は職員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、その報酬として財産上の利益を収受したときも、前項と同様とする。」と定めている。
要件の該当性は、よく吟味しなければならないが、疑惑としては十分であり、政治的道義にもとる汚い行為であることは争いようもない。もし、口利きの報酬として金を交付させ、実際には何もしていなかったとしたら、場合によっては詐欺の疑惑にまで発展しかねない。
山東昭子のゲスの極み発言に関連して思う。独禁法には、法違反の制裁に関してリニエンシーという制度がある。談合、カルテルなどの不正に関わった企業であっても、公正取引委員会の調査開始前(場合によっては後にでも)に不正を自己申告すれば、課徴金の減免あるいは刑事告発の免除がなされるというもの。もちろん、闇に隠れた談合行為の摘発を直接の目的とし、ひいては談合をしにくくするという目的による。
贈収賄についても、このような制度が考えられないだろうか。贈賄者と収賄者とは対抗犯の関係に立ち、一蓮托生の運命共同体となる。お互いに沈黙しかばい合うことの利益を共通にする。しかし、当事者どちらかの覚悟を決めた事実暴露による立件は、政治の浄化、公務に対する国民の信頼を高めることになる。今回の「告発」も、政界に深く沈殿している澱の浄化に寄与するものとして、告発者側の処罰には慎重でよいのではないか。十分に情状を酌量してしかるべきだと思う。
ところで、週刊文春の記事の中に、甘利が告発者側に送ったという色紙の写真が掲載されている。「『得意淡然 失意泰然』経済再生大臣甘利明」というもの。今回ばかりは、失意にして茫然となってもらわねばならない。でなければ、いつまでも、政治とカネにまつわる不祥事を払拭することはできない。
(2016年1月21日)
本日、東京高等裁判所第2民事部(柴田寛之裁判長)でDHCスラップ訴訟の控訴審第1回口頭弁論期日が開かれ、控訴理由書と控訴答弁書の陳述ののち、弁論を終結した。次回判決言渡しとなった。判決言渡期日は、2016年1月28日(木)午後3時00分。822号法廷。
1回結審での、年末年始休暇をはさんでの1か月先の期日指定。常識的には控訴棄却の定番コースではあるのだが…。「典型的なスラップ訴訟」「DHC・吉田嘉明は、勝訴の見込みないことを知りながらの提訴」ではあるが、判決は水物。言い渡しあるまでは、心穏やかではない。
被控訴人の控訴答弁書の陳述は、私が要旨を朗読する方法でした。やや長文だが、下記に全文を掲載する。
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弁護士の澤藤です。思いがけなくも訴えられて被告となり、いまは被控訴人本人の立場にあります。被控訴人本人として、控訴答弁書を要約して陳述いたします。
最初に訴訟の進行について要請申し上げます。本件では当事者双方に、今後の主張・挙証の必要は考えられません。本日弁論終結の上、すみやかな控訴棄却の判決をお願いいたします。
一審以来、本件における主要な争点は、名誉毀損とされた各表現が「事実の摘示」なのか、それとも「意見ないし論評の表明」なのか、という一点に集中しています。
当該表現が、「事実の摘示」か「意見・論評」か。この論点設定は、名誉毀損訴訟において最高裁が示した枠組みに従ってのものです。当事者双方が、それぞれの立場で、この枠組みにしたがった主張を展開しています。
しかし実は、問題の本質、あるいは実質的な判断基準は、別のところにあるように思われるのです。訴訟とは具体的な事例に則して、憲法あるいは法の理念をどう理解して適用すべきかという、優れて理念的な営みであり、憲法理念を社会にどう具現するのかという実践的な営みでもあるはずだと思うのです。その観点からは、判例の形式的な引用とは別の実質的な判断過程が必要と考えざるをえません。
憲法的視点から見れば、本件は憲法21条が保障している表現の自由と、13条によって憲法上の権利とされている人格権とが衝突する場面での調整のあり方を問うものにほかなりません。本件具体的事例においてこの調整はいかになされるべきか。被控訴人は言論の自由保障という憲法価値の優越を主張し、控訴人らはこのような人の名誉を侵害する言論は憲法の保障の埒外にある、と言っていることになります。
憲法が言論の自由を特に重要な基本権とし、その保障を高く掲げたのは、誰の権利も侵害しない、「当たり障りのない言論」を自由だと認めたのではありません。敢えて言えば、当たり障りのある言論、つまりは誰かの評価を貶め、誰かの権利を侵害する言論であってこそ、これを自由であり権利であると保障することに意味があるのです。
もっとも、弱者を貶めて強者に迎合する言論を権利と保障する意味はありません。言論の自由とは、本来的に権力者や社会的強者を批判する自由として意味のあるものと言わざるを得ません。私のブログにおける表現は、控訴人吉田嘉明らを批判するもので、吉田嘉明らの社会的評価の低下をきたすものであることは当然として、それでも憲法上の権利の保障が認めらなければなりません。
原判決は実質的に以上の理を認めました。
原判決は、私の名誉毀損15個の表現を、いずれも「一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば」というキーワードを介して、「意見ないし論評を述べたものであり,事実を摘示したものとはいえない」と判断しました。その上で、「本件各記述は,いずれも公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図ることにあって,その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており,前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできないから違法性を欠く」と結論しています。「長崎教員批判ビラ配布事件」平成元年12月21日最高裁判決が引用されていますので、明示はされていませんが、「公正な論評の法理」を採用したものと理解されます。
原判決の以上の説示に異論のあろうはずはありません。しかし、おそらくは、実質的な判断の決め手となったものは、憲法21条の重視のほかには、以下の3点だろうと思われるのです。第1点が言論のテーマ、第2点が批判された人物の属性、そして第3点が言論の根拠です。
その第1点は、私のブログでの各記述が政治とカネにまつわる、典型的な政治的言論であることです。
私は、控訴人吉田嘉明が、政治資金規正法の理念に反して自分の意を体して活動してくれると期待した政治家に、不透明な巨額の政治資金を「裏金」として提供していたことを批判したのです。このような政治的批判の言論の保障は特に重要で、けっして封殺されてはなりません。
第2点は、本件ブログの各記述の批判対象者となった控訴人吉田嘉明の「公人性」がきわめて高いことです。その経済的地位、国民の健康に関わる健康食品や化粧品販売企業のオーナーとしての地位、労働厚生行政や消費者行政に服すべき地位にあるというだけではありません。政治家に巨額の政治資金を提供することで政治と関わったその瞬間において、残っていた私人性をかなぐり捨てて、高度の公人としての地位を獲得したというべきです。このときから強い批判を甘受すべき地位に立ったのです。しかも、吉田は自ら週刊誌の誌上で巨額の政治資金を特定政治家に提供していたことを暴露しているのです。金額は8億円という巨額、政治資金規正法が求めている透明性のない「裏金」です。控訴人吉田嘉明が批判を甘受すべき程度は、この上なく高いといわざるを得ません。
そして第3点が、本件ブログの各記述は、いずれも控訴人吉田自身が公表した手記の記載を根拠として推認し意見を述べているものであって、意見ないし論評が前提として依拠している事実の真実性については、ほとんど問題となる余地がなかったことです。加えて、本件ブログの各記述は、いずれも前提事実からの推認の過程が、きわめて明白であり、かつ常識的なものであることです。
控訴人吉田はその手記において、行政規制を不当な桎梏と感じていることを表明しています。企業とは、何よりも利潤追求のための組織です。企業経営者が、行政の対企業規制に明確な不満を述べて、規制緩和を標榜する政治家に政治資金を提供したら、これはもう、規制緩和を推進することによる利潤の拡大を動機とするものと相場が決まっています。
このような常識的な推論に、立証を求められる筋合いはありません。まさしく、推論を意見として述べることが政治的言論の自由保障の真髄と言うべきで、控訴人吉田は、対抗言論をもって弁明や反批判をすべきであったのに、判断を誤ってスラップ訴訟の提起をしたのです。
以上の3点を実質的な決め手として請求棄却の判決に至った原判決には、いささかの誤りもありません。
控訴人らは、原判決を不満とし控訴理由書においても、「動機の推認も事実の摘示」だと繰り返しています。私のブログでの意見表明について、いまだに「動機の真実性の証明を求める」とか、「その証明ない限りは違法」という控訴人らの主張の蒸し返しは、児戯に等しいと言わざるを得ません。私がした程度の推論は、常識に属するものです。このような見解の表明が許されないとすれば、言論の空間は逼塞し表現の自由は枯渇してしまうでしょう。訴訟とはある最高裁判決の文章を具体的事例に有利に引用しあうゲームではありません。最高裁が示した字句を機械的に引用して、形式論理の整合性の優劣を争う愚かな競争ではないはず、だと申しあげておきたいと思います。
ところで、私は「澤藤統一郎の憲法日記」と題するインターネット・ブログを毎日連載しています。現在の形で立ち上げた、第1回が2013年4月1日。以来、一日も欠かさずに書き続けています。昨日のブログが連続997回目。明後日に1000回に到達します。このブログにおいて、私なりに憲法理念を書き連ねてきました。権力を担う者、社会的な力をもつ強者には、遠慮のない批判の言論を続けていますが、弱者を批判したことはありません。一貫して社会的弱者の権利を擁護する立場から、強者の側を批判する姿勢を堅持しています。私は弁護士として、社会から自由を与えられ、誰におもねることもない自由を享受しています。この自由を、弱者の人権を擁護し権力や強者を批判するために行使することが、弁護士としての使命だと考えてきました。私のブログはその立場で貫かれていることを自負しています。
その連載ブログの365回目となる2014年3月31日に、「DHC・渡辺 8億円事件」を取り上げました。続けて4月2日と、4月8日にもこの件を取り上げました。私がこの事件に反応した理由の一つとして、私が消費者問題に関心を持つ弁護士として、消費者行政の規制緩和に反対する運動に携わってきたことがあります。私は東京弁護士会の消費者委員会委員長も、日弁連の消費者委員長も経験しています。消費者に安全を提供すべき企業経営者が、行政規制を煩わしいと広言しながら、政治家に「裏金」を渡すなどと言うことが許されてはならないと強く思いました。それだけでなく、これを発言することは私の責務だとも思ったのです。
ところが、このブログの記述がDHCや吉田嘉明の名誉を侵害し、2000万円に相当する精神的損害を被ったとして損害賠償請求訴訟の対象とされました。私にとっては到底信じがたい訴訟です。私自身が典型的なスラップ訴訟の被告とされたことを自覚し、言論の自由のために、恫喝に屈してはならない、スラップに成功体験をさせてはならない、と決意しました。
これも弁護士の使命として、口をつぐんではならないと覚悟して、ブログで「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めました。途端に、請求が拡張され、6000万円に跳ね上がりました。この経過自体が、本件提訴のスラップ性を雄弁に物語っていると考えています。
私は、原審の法廷陳述でも担当裁判官にお願いしました。まずは、私の5本のブログを細切れにせずに、丸ごと全体をお読みいただきたい。その上で、日本国憲法が最高法規とされている現在の日本社会において、この私の言論が違法な言論として許されざるものであるのかをお考えいただきたい。言わば、まずは常識的な憲法感覚において、私のブログが違法なものかどうかを判断願いたいのです。
そして、お考えいただきたい。もし仮に、私の言論にいささかでも違法の要素ありと判断されることになれば、原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発される事態を招くことになるでしょう。社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行するそのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされることにならざるをえません。この社会の言論は萎縮せざるを得ません。およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
最後に、本件の判断を射程距離に収めると考えられる、憲法21条についての最高裁大法廷判決(昭和61年6月11日・民集40巻4号872頁(北方ジャーナル事件))の一節を引用いたします。
「主権が国民に属する民主制国家は、その構成員である国民がおよそ一切の主義主張等を表明するとともにこれらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意思をもって自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としているのであるから、表現の自由、とりわけ、公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならないものであり、憲法21条1項の規定は、その核心においてかかる趣旨を含むものと解される」
この最高裁大法廷判例が説示する「公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利」との憲法理念に則った判決を期待いたします。
**************************************************************************
なお、控訴審から新たに弁護団に加わっていただいた弁護士の中に、徳岡宏一朗さんがいる。本日の法廷と報告集会に参加していただいた。
その徳岡さんのブログにDHCスラップ訴訟が紹介されている。ありがたいこと。下記のURLをご参照いただきたい。私のブログとは段違い。見栄えがよく、読み易い。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/0278962f4551fe0531c2218cb9b922d4
(2015年12月24日・連続第998回)
《DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール》
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日1審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC・吉田は全面敗訴となった。
しかし、DHC・吉田は一審判決を不服として控訴し、控訴事件が東京高裁第2民事部(柴田寛之裁判長)に係属している。
その第1回口頭弁論期日が、
クリスマスイブの明日12月24日(木)午後2時から。
東京高裁庁舎8階の822号法廷で開かれる。
ぜひ傍聴にお越しください。どなたでも、なんの手続も不要で、傍聴できます。
被控訴人本人の私が意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行います。
また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
午後3時から
東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちましょう。
弁護団報告は、表現の自由と名誉毀損の問題に関して、最新の訴訟実務の内容を報告するものとなることでしょう。また、消費者問題・医事問題としての健康食品・サプリメントに対する行政規制問題やカフェイン・サプリメント過剰摂取問題などの報告もあります。
表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加ください。歓迎いたします。
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《DHCスラップ訴訟経過の概略》
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12
2014年3月31日 違法とされたブログ(1)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 違法とされたブログ(2)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 違法とされたブログ(3)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
同年4月16日 原告ら提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
以下本日(12月23日)の第63弾まで
8月20日 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審
2015年9月2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
9月15日 DHC・吉田控訴状提出
11月2日 控訴理由書提出
12月17日 控訴答弁書提出
12月24日 控訴審第1回口頭弁論(822号法廷)
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《関連他事件について》
DHCと吉田嘉明が連名で原告となって提起した同種スラップ(いずれも、吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円提供を批判したもの)は合計10件あります。2000万円の請求から、2億円の請求まで。
最も早く進行したDHC対折本和司弁護士事件は、本年1月15日に地裁判決(請求棄却)、6月25日の控訴棄却判決(控訴棄却)、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
2番目の判決となったS氏(経済評論家)を被告とする事件は本年3月24日に地裁判決(請求棄却)、8月5日に控訴審判決(控訴棄却)、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
私の事件が、3番目の地裁判決になりました。
DHCスラップ訴訟澤藤事件控訴審で明らかになったことでは、他の1件で判決が出ています。1億円請求に対して100万円を認容した判決ですが、名誉毀損に当たるとされた業界紙の記事は、「DHC・渡辺」事件と無関係のものです。詳細報告は下記をご覧ください。
https://article9.jp/wordpress/?p=6084
判決が認定した「DHCに対する行政指導の数々」
ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第59弾
また、一人で2件のスラップの被告とされていた評論家については、1億円の請求に対して30万円での和解が成立したとのと。これも詳細は下記をご覧ください。
https://article9.jp/wordpress/?p=6086
別件DHCスラップ訴訟の和解調書から見えてくるもの
ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第60弾
なお、DHC・吉田は、関連して仮処分事件も2件申し立てていますが、いずれも却下。両者とも抗告して、東京高等裁判所での抗告審もいずれも棄却の決定。
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《仮にもし、一審判決が私の敗訴だったら…》
私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
何度でも繰り返さなければならない。
「スラップに成功体験をさせてはならない」と。
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《一審判決の構造》
※原審原告ら(DHCと吉田嘉明)は、5本の澤藤ブログのうちから16個所の記述を特定して、「事実を摘示して人の名誉を毀損した」と主張した。
※原判決は、名誉毀損の言論と特定された16個の記述のうち、1個は原告らの社会的評価を低下させるものではないからそもそも問題とならずとし、残る15個の記述はいずれも原告らの社会的評価を低下させるものとして名誉毀損に当たるとした。
※その上で、いずれの言論にも違法性はないことを明確に認めて全部の請求を棄却した。
原判決は最高裁判決の枠組みに従って、名誉毀損15個の表現をいずれも「一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば」というキーワードを介して、「意見ないし論評を述べたものであり,事実を摘示したものとはいえない」と判断した。実はこれで結論が決まった。
※その上で、「本件各記述は,いずれも意見ないし論評の表明であり,公共の利害に開する事実に係り,その目的が専ら公益を図ることにあって,その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており,前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできない」。だから違法性を欠くものとした不法行為の成立を否定した。
※1989(平成元)年12月21日「長崎教師批判ビラ配布事件」最高裁判決が引用されているので、「公正な論評の法理」を採用したものと理解される。
《控訴審での論点》
※控訴人ら(DHC・吉田)は、特に新たな主張はなく、「8億円交付についての動機は『事実の摘示』である」「これを『意見ないし論評の表明』とした原判決は最高裁判例に違反するもので間違っている」と蒸し返している。
※被控訴人(澤藤側)は、原判決の誤りはないとして、一回結審を申し出ている。
(2015年12月23日・連続第997回)
昨日(10月9日)、小渕優子議員の元秘書2名に対する政治資金規正法違反(虚偽記載など)被告事件の判決が言い渡された。東京地裁(園原敏彦裁判長)は、被告人・折田謙一郎(群馬県中之条町の前町長)に禁錮2年執行猶予3年(求刑禁錮2年)、被告人加辺守喜(小渕議員の資金管理団体の元会計責任者)に禁錮1年執行猶予3年(求刑禁錮1年)の判決を言い渡した。
「判決によると、両被告は小渕氏の資金管理団体『未来産業研究会』(東京)の2009?13年分の政治資金収支報告書で、未来研から地元・群馬側の政治団体に計約5600万円の寄付があったように装ううその記載をした。また、折田被告は群馬側の政治団体の収支報告書でも、計約2億円のうその記載をするなどした。」(朝日)
同裁判長は「政治資金の収支について、国民の疑惑を回避できさえすればいいとする姿勢が垣間見え、厳しい非難に値する」「政治活動に対する国民の監視と批判の機会をないがしろにする悪質な犯行」と述べたという。私には、この裁判所の「国民の監視と批判の機会」という指摘が、たいへんに心強い。
戦争法案に賛成した違憲議員の落選運動が話題となっている今、改めて政治資金規正法第1条を掲げておきたい。まずは、この条文を熟読玩味しなければならない。
第1条(目的) この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。
法は、「国民の不断の監視」の条件を整える。「不断の監視」の上の批判は、主権者国民がそれぞれになすべきことだ。そのことを法が期待していると言うべきであろう。
ところで、小渕優子の秘書2人は有罪になった。議員自身はどう責任を取るのか。また、国民がその責任をどう追及するか、それこそが問題ではないか。
私は、これまで小渕を「ドリル姫」と呼んできた。「東京地検特捜部が(14年)10月に小渕氏の関係先に家宅捜索に入る以前に、関係先にあったパソコンのハードディスク(HD)が壊されていたことが、関係者への取材で分かった。一部のパソコンのHDは電気ドリルで穴が開けられた状態で見つかった」(毎日)からである。わざわざ、ハードディスク(HD)をドリルで破壊することは通常あり得ない。証拠隠滅の意図からなされたとするのが常識的な考え方。今回、その責任についての報道がないのが気にかかる。
しかし、ドリル姫の呼称は引っ込めてもよい。今後は、尻尾2本を切って生き延びようとしている「トカゲ姫」ではどうだろうか。
本日の各紙の中では、毎日と読売の社説がこの問題に触れている。読み較べて、さすがに毎日の社説に説得力があるが、この問題に限っては読売の姿勢も悪くない。なかなかの迫力。タイトルは、「元秘書2人有罪 小渕氏はいつ説明するのか」と、小渕優子の責任を徹底して追求している。
冒頭の一文が、「議員自らが説明責任を果たしていない中で、元秘書への判決が出た。閣僚を2回も務めた政治家として、みっともないと言うほかない。」というもの。
そう、小渕優子は「みっともない」のだ。分かり易く、言い得て妙である。「小渕氏自身は嫌疑不十分で不起訴となったが、実態を見過ごしてきた責任は極めて重い。」「小渕氏は昨年10月の経産相辞任の際、『説明責任を果たす』と約束した。それから約1年が経過しながら、自らの口で説明していないのは、どうしたことか。」と、読売社説も手厳しい。
読売社説の結論はこうだ。
「政治資金を巡る問題が浮上する度に、『知らなかった』『秘書に任せていた』といった政治家の弁明が繰り返されてきた。その姿勢が、国民の政治不信を増幅させたのは否めない。政治家が自らの政治資金の流れに責任を持つよう、政治資金規正法にも、公職選挙法のような連座制の導入を検討すべきだろう。」
一方、毎日である。タイトルは、「元秘書有罪 小渕氏の重い政治責任」
小渕自身の責任を次のように、まとめている。
「問題の表面化から約1年になる。小渕氏は弁護士ら第三者にまず調査を委ね、自ら説明責任を果たすと約束した。だが、約束はいまだ果たされていない。」
「巨額の簿外支出の使途は何だったのか。報告書に目を通し、秘書たちを指導・監督する政治家としての役割をなぜ放棄してきたのか。」
そして、かなり具体的に問題が小渕だけに留まるものでないことに言及する。
「小渕氏の関係政治団体では、父の故恵三元首相時代から、飲食・交際費の簿外支出が行われ、これを具体的な使途の説明がいらない『事務所費』に紛れ込ませて処理してきたとされる。しかし、国会議員の不適切な事務所費問題が発覚して以後、こうした処理が難しくなり、今回のような関係団体を使ったつじつま合わせが始まったという。」
「他の議員事務所でもこうした処理が行われているとの指摘がある。」
「国会はそうした疑念を呼ばぬよう、でたらめな処理の抜け道をふさぐ方策を考えなくてはならない。」
「1人の政治家が複数の政治団体を持ち、その間で資金移動できる制度が適切なのか。資金移動が必要だとしても、それを公開してチェックできるようにする仕組みが不可欠だ。」
「また、こうした事件のたび、秘書だけが刑事責任を問われ、事件の幕が引かれることでいいのか。」
そして、最後をこう締めくくっている。
「会計責任者の選任・監督に『相当な注意を怠った場合』しか政治家が罰せられない現行法のハードルが高すぎる。少なくとも秘書や会計責任者の有罪が確定すれば、一定期間、政治家本人の公民権を停止して政治の舞台から退場させるべきだろう。」
両社説とも、現行法での小渕の法的責任追求は困難との前提での政治資金規正法改正の提案となっている。具体的には、会計責任者が有罪になっ場合の、当該管理団体代表者となっている議員ないし候補者の公民権を停止する連座制の創設である。大歓迎だ。是非、実現してもらいたい。
しかし、このことは現行法でも可能なのだ。
政治団体(当然に、資金管理団体を含む)の会計責任者に収支報告書に虚偽記載等の犯罪が成立した場合、「代表者が当該政治団体の会計責任者の選任及び監督について相当の注意を怠つたときは、50万円以下の罰金に処する。」(政治資金規正法第25条第2項)と定める。秘書2人が会計責任者として有罪になったのだから、その選任及び監督について相当の注意を怠つたとされれば、代表者・小渕優子の犯罪も成立する。
しかも、この政治団体の責任者の罪は、過失犯(重過失を要せず、軽過失で犯罪が成立する)であるところ、会計責任者の虚偽記載罪が成立した場合には、当然に過失の存在が推定されてしかるべきである。資金管理団体を主宰する政治家が自らの政治資金の正確な収支報告書に責任をもつべき注意義務が存在することは当然だからである。
当該代表者において、特別な措置をとったにもかかわらず会計責任者の虚偽記載を防止できなかったという特殊な事情のない限り、会計責任者の犯罪成立があれば直ちにその選任監督の刑事責任も生じるものと考えてしかるべきべきである。
なお、資金管理団体を主宰する議員・小渕優子が有罪となり罰金刑が確定した場合には、政治資金規正法第28条第1項によって、その裁判確定の日から5年間公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権を失う。その結果、小渕は公職選挙法99条の規定に基づき、衆議院議員としての地位を失うことになる。
以上の措置は、現行法でも可能なのだ。問題は、政治資金規正法25条2項適用のハードルが運用上高くなっているというだけのことである。しかし、毎日社説が言うとおり、「会計責任者の選任・監督に『相当な注意を怠った場合』しか政治家が罰せられない現行法のハードルが高すぎる。」のであれば、政治家無過失でも公民権を失わしめる連座制を創設することが望ましいのは当然のことである。
政治資金規正法をその目的規定に沿うべく厳格に改正して、遷座制導入には大いに賛成するにしても、法改正までは政治家の責任を追及することが困難だと躊躇するようなことがあってはならない。落選運動では、現行法を徹底して活用しよう。
(2015年10月10日・連続923回)
本日(9月30日)、東京地検特捜部は「日本歯科医師連盟」(日歯連)の幹部3人を、「迂回寄付を巡る政治資金規正法違反」で逮捕した。しかし、ザル法ももたまには役に立つではないか、と言ってはおられない。改めて、政治資金規正法について考えてみたい。
選挙戦とは言論を武器とした闘いである。政治戦一般も同じことだ。候補者や政治家のそれぞれの陣営が、有権者に対して言論で働きかけ、「我が陣営こそ有権者に利益をもたらす政策をもっている」「そしてそれを確実に実行する」と力説して有権者からの支持を競い合う競争をしているのだ。運動の主体は候補者個人であるよりは各候補者を取り巻き支持する有権者集団であり、勝敗の審判は有権者の投票として現れる。
選挙戦の武器は言論に限られる。これが民主主義の公理としてあるルールだ。カネはその最大の攪乱要素である。政策の優劣ではなく、選挙資金の多寡で投票結果が決まり、議席が左右されるとしたら…トンデモナイ事態ではないか。とはいうものの、実は現実の政界は、とりわけ保守政界は、トンデモナイ事態になっていて、ここから抜け出せない現実にあることが公知の事実となっている。
たとえば、「規制緩和を目指して官僚と闘う政治家」に、行政からの規制に服する立場にある事業者から8億円ものカネが提供されたりするのだ。げに、民主主義の敵はカネである。カネに汚い政治家と、カネで政治を操ろうと陰でうごめくスポンサーと。このような輩がはびこって、害虫さながらに完全な駆除はなかなか難しい。
これを規制しようというのが政治資金規正法なのだが、これがザル法であることは天下に周知の事実である。この法律の理念はとても良く書けている。しかし、所詮はこの法をザルにした選挙で議席を得ている政治家たちが作った法律。ザルの目は粗く大きい。
本日の日歯連幹部3人の逮捕は、「迂回寄付を巡る政治資金規正法違反」容疑とされているが、「迂回寄付禁止違反罪」という犯罪構成要件があるわけではない。規制法の量的規制を脱法しようとして、不自然な迂回寄付の形式をとったが、その実質において「虚偽記載」であり、「量的制限超過」として同法違反になると認定されたのだという。やや分かりにくい。
被疑事実は、被疑者らにおいて「2013年参院選の際、日歯連が組織候補として擁立した石井みどり参院議員(自民)=比例代表=の関連政治団体『石井みどり中央後援会』に対して同年1月と3月に2回、日歯連から政治団体間の年間寄付上限額(5000万円)を超過した合計9500万円を寄付。さらに、うち5000万円については同年1月23日に西村正美参院議員(民主)=比例代表=の関連政治団体「西村まさみ中央後援会」に寄付し、石井後援会に同日、同額を寄付した。これが「迂回寄付」に当たり、政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたとされている。」(毎日)
よく読めば分からないでもないが、あまりに回りくどい。文章を読む意欲を失う。犯罪をもっと厳しく取締り、分かり易くするための法改正が必要だ。ザルの目を限りなく小さくする、あるいは目を塞いでしまおうということだ。
これも毎日新聞に、二人の有識者のコメントが紹介され、はからずも意見が一致している。私も大賛成だ。
「政治資金制度に詳しい神戸学院大の上脇博之教授(憲法学)は、04年の事件を踏まえ、『前回の事件をきちんと反省していない表れだ。(支援する候補を)当選させるために(資金が)いくら必要かをまず考え、それを実行するために、あの手この手を使って法の網をくぐり抜けようとしたのだろう』と組織としての問題を指摘。その上で政治資金規正法のあり方について、『企業・団体献金をまず禁止して、迂回献金についても厳格に制限すべきだ』と話す。」
「税理士の浦野広明・立正大法学部客員教授(税法学)は『政治活動が厳しく制限されている日歯のような団体が、政治団体(日歯連)を使って政治的な活動をしていること自体が問題。企業・団体献金という制度があるから事件が再び繰り返された。廃止を検討すべきだ』と話した。」
現行法は日歯連から政治家への寄付を認めたうえで、寄付の金額を規制している。これがよくない。企業や団体からの献金を認めていることが、ザルのザルたる所以なのだ。企業(株式会社や企業連合)献金も、団体(労組・業界団体)献金も禁止しなければならない。そうすることによって、日歯連から流れ出たカネが直接に石井後援会に入ろうが、いったんどこかの団体を経由し、いくつかの流れに分岐して迂回して政治家の手に渡ろうが、金額の多寡を問うこともなく、すべてアウトになる。つまり、政治資金や選挙資金は、個人の献金に限るとするのだ。個人のカネだけが浄財。もっとも、大金持個人が政治を左右することのないよう、現行法のとおりに年間の寄付額の上限を定めておく必要はあろう。
考えてもみよ。日歯連からの9500万円のカネの出所の源は、日本中の歯科医の懐ではないか。日本中の歯科医がこぞって自民党を支持しているはずがない。歯科医から強制徴収した金を、日歯連の財政とし、これを自民党や自民党候補の後援会の資金に回すなど、歯科医一人ひとりの思想良心・政治信条を侵害する所為ではないか。
政治資金の拠出は有権者個人に限る。政治資金の拠出はいかなる形でも強制されてはならない。そして、誰の目にも政治資金の動きが明瞭になるように、時を移さず公開すべきことが要請される(現在は、年1回の収支報告で足りる)。こうして、透明性を徹底することによってはじめて、カネが政治を支配する現状を変えていくことができる。これは世直しといってよい。
そしてもう一つの問題点。政治資金の貸付が、いまはエアポケット同然の規制外に放置されている。だから突然、スポンサーから政治家に8億円もの闇の金が渡ったことが明るみに出て、世間を驚かせることになる。この巨額のカネが、政治資金規正法に基づく政治資金収支報告書にも、公職選挙法上の選挙運動費用収支報告書にも、まったく記載がないことが咎められない。この法の不備を、整備しなければならない。
企業・団体献金の禁止と政党助成金制度の廃止。この二つが、政治とカネの関係を正常化する二大テーマなのだ。そして、政治資金・選挙資金の貸し付けの規制についても、しつこく主張し続けよう。
(2015年9月30日連続913回)
スペイン内戦で、反ファシズム陣営の合い言葉となったのが、「No Pasarán(奴らを通すな!)」。国会前の集会でも、たびたび演説者の決意として引用もされ、コールもされた。
そうだ。奴らを通してはならない。奴らはファシストなのだ。立憲主義をないがしろにし、民主主義を踏みにじり、教育の国家統制をはかり、労働法制をずたずたにして貧困と格差を生み出している。それだけではない。沖縄に新たな恒久的米軍基地をつくり、全国にオスプレイを配備しようとしている。この国を軍事大国にしようとしているではないか。明日にはいよいよ明文改憲にも手を付けかねない。
国会内では、奴らは数の力を押し通したが、今度は押し戻さねばならない。選挙の関門を通してはならない。奴らを通すな。奴らを落とせ。たたき落とせ。
奴らとは、今国会で戦争法案に賛成した自・公の与党議員全員だが、当面の目標は来夏の参院選だ。参議院議員として、戦争法案に賛成した、自・公・次世代・元気・改革の議員の中で、来年7月に6年の任期が満了して、「選挙区」から立候補しようとしている者が下記の42名だという。これがターゲットだ(党名記載ないのはすべて自民)。堂々たる市民主体の落選運動を展開して、奴らを落とそう。そうして、立憲主義と民主主義を回復しよう。
北海道 長谷川岳
青森 山崎力
宮城 熊谷太
秋田 石井浩郎
山形 岸宏一
福島 岩城光英
茨城 岡田弘
栃木 上野通子
群馬 中曽根弘文
埼玉 関口昌一 西田実仁(公明)
千葉 猪口邦子
東京 竹谷とし子(公明)中川雅治 松田公太(元気)
神奈川 小泉昭男
新潟 中原八一
富山 野上浩太郎
石川 岡田直樹
長野 若林健太
岐阜 渡辺猛之
静岡 岩井茂樹
愛知 藤川政人
京都 二の湯智
大阪 北川イッセイ 石川博宗
兵庫 末松信介
和歌山 鶴保康介
鳥取 浜田和幸(次世代)
島根 青木一彦
広島 宮澤洋一
山口 江島潔
徳島 中西祐介
香川 磯崎任彦
愛媛 山本順三
福岡 大家敏志
佐賀 福岡資麿
長崎 金子原二郎
熊本 松村佑史
宮崎 松下新平
鹿児島 野村哲郎
沖縄 島尻安伊子
具体的にどうするか。大きくは二つの柱がある。一つは、直接に奴らの票を減らすこと。そしてもう一つは、統一候補者を擁立して反安倍陣営全体で押し上げることだ。
奴らの票を減らす方法の王道は言論戦である。何よりも、言論戦を重視しなければならないことは言うまでもない。しかし、王道だけでは芸が無い。できることはなんでもやろう。何かないか。
弁護士・研究者・公認会計士などの専門家集団から成る「政治資金オンブズマン」が、たいへん興味深い運動の準備を始めているという。私もこれに参加しよう。
http://blog.livedoor.jp/abc5def6/archives/1040526008.html
政治資金オンブズマンは、政治とカネにまつわる問題で、多くの政治家を刑事告発し、あるいは大きくマスコミ公表するなどの経験を積み重ねている。この経験を生かして市民運動体の落選運動に役立てようというのだ。
具体的な最初の取り組みとしては、次のようなアウトライン。
? 奴らが所属する政党からの寄付金(政策推進費、交付金)などの調査、及び奴らが代表を務める政党支部や資金管理団体、後援会の各収支報告書の収入と支出、及びそれに添付している領収書類のコピーを徹底して調査する。(調査方法はHPに公表するが、同時に運動団体に弁護士などを無料で派遣することを検討中)
? そこから違法事実が判明すれば、政治資金規正法違反、公職選挙法違反などで告発することのアドバイス、告発状の作成なども無料で行うことも検討中。(なお政治とカネ問題だけでなく、どこかの議員のように未公開株式などの問題もおこれば法的なアドバイスも行う)
? 仮に違法でなくても、不当、不透明な収入や支出などが判明すればその情報をHPなどに公表し拡散することで、落選運動に寄与する。
奴らと言論でたたかうだけでなく、叩いてホコリを出そうというアイデアだ。徹底した身体検査をこちらでやって、不合格者をはねつけようという企画なのだ。非立憲・反民主の議員を叩くことが、同時に政治とカネとのつながりを断って政界を浄化することにもなる。一石二鳥ではないか。
もう一つ。奴らを落とすには、対抗馬として強力な反ファシズム統一候補が必要となる。完勝したオール沖縄方式、善戦もう一歩だったオール山形市方式だ。少なくとも、候補者調整が必要だ。
憲法が決壊し、日本の立憲主義と民主主義の危機なのだ。市民が一丸となって、奴らと闘い、奴らを叩き、そして強力な対抗候補を押し上げる。こうして、奴らを落とさねばならない。No Pasaránだ。
(2015年9月19日・連続902回)
明後日(9月2日)東京地裁で、私自身が被告にされている「DHCスラップ訴訟」の判決が言い渡されます。報道に値する判決になるはずですので、ぜひ取材のうえ報道されるよう要請いたします。
そして、この判決を契機として、表現の自由保障の重要性や、経済的強者が民事訴訟を濫発して自分に不都合な言論を封殺しようという「スラップ訴訟」の弊害と防止策などについて、ぜひ掘り下げて言論界の話題にしていただくようお願いいたします。
この件で被告になっているのは私ですが、実は私だけでなく「政治的言論の自由」「政治とカネにまつわる問題についての批判の自由」「消費者利益の擁護に向けた言論の自由」なども、私と一緒に被告席に立たされています。その意味では、すべてのディアがご自分の問題としても関心をもたざるを得ない訴訟であり判決だと思います。
《当日の予定》は以下のとおりです。
午後1時15分 判決言い渡し(631号法廷)
午後1時30分 判決勝利報告集会(一弁講堂・弁護士会館12階)
午後3時30分 記者会見(司法記者クラブ)
《判決を迎える事件の特定》
東京地方裁判所民事第24部合議A係
平成27年(ワ)第9408号
原告 吉田嘉明 DHC(株)の両名
被告 澤藤統一郎(職業・弁護士)
裁判長裁判官 阪本勝
陪席裁判官 渡辺達之輔 大曽根史洋
原告代理人弁護士 今村憲 木村祐太 山田昭
被告代理人弁護士 光前幸一 外110名(計111名)
《この事件が持つ意味》
*政治的言論が保障されなければならないこと。
*「政治とカネ」をめぐる論評の自由が特に保障されねばならないこと。
論評の内容は「カネで政治を買う」ことへの批判。
*消費者利益をめぐる論評の自由が強く保障されねばならないこと。
論評の内容はサプリメント販売の規制緩和(機能性表示食品問題)への批判。
*公権力だけでなく、経済的社会的強者も言論による批判を甘受すべきこと。
*高額損害賠償請求訴訟を提起しての言論妨害が許されないこと。
《予想される判決の内容》
この日の判決は、DHC・吉田嘉明の自己に不都合な言論を封殺しようとした不当な意図を挫いて、政治的言論の自由を再確認し、市民や消費者の立場からの、企業や行政や経済的強者への批判の権利を保障する内容になるはずです。判決の主文もさることながら、理由がより注目されるところ。
《DHCスラップ訴訟経過の概略》
2014年3月31日 違法とされたブログ(1)掲載
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 違法とされたブログ(2)掲載
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 違法とされたブログ(3)掲載
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
同年4月16日 原告ら提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月 4日 答弁書提出(本案前・訴権の濫用却下、本案では棄却を求める)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
以下本日の第50弾まで
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生講演)
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12
『DHCスラップ訴訟』関連記事
2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審
2015年9月 2日 判決言い渡し期日
《本日の勝訴報告集会》
13時30分?15時 第一東京弁護士会講堂
弁護団長 経過と判決内容の説明 今後の展望 質疑応答
常任弁護団から、あるべきスラップ訴訟対策提言試案
弁護団・支援者・傍聴者 意見交換
スラップ常習提訴者や提携弁護士に対する抑止・制裁のあり方
スラップ対策の制度つくり など
被告本人 お礼とご挨拶
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《関連他事件について》
DHCと吉田嘉明が連名で原告となって提起した同種スラップ(いずれも、吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円提供を批判したもの)は合計10件あります。その内の1件はDHC・吉田が自ら取り下げ、9件が現在係属中です。
最も早く進行したDHC対折本和司弁護士事件は、
本年1月15日に地裁判決(請求棄却)、
6月25日の控訴棄却判決(控訴棄却)、
その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
2番目の判決となったS氏(経済評論家)を被告とする事件は
本年3月24日に地裁判決(請求棄却)、
8月5日に控訴審判決(控訴棄却)、
やはり、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
私の事件が、3番目の地裁判決になるようです。
DHC・吉田は、同種2事件で各一審と控訴審計4回の判決を受けてすべて敗訴となっています。
DHC・吉田は、関連して仮処分事件も2件申し立てていますが、いずれも却下。両者とも抗告して、抗告審も敗訴。これで、合計8連敗です。
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《スラップに成功体験をさせてはならない》
私は、多くの人の支援や励ましに恵まれた「幸福な被告」です。しかし、被告が常に法的、財政的、精神的な支援に恵まれる訳ではありません。スラップの被害に遭った者がペンの矛先を鈍らせることも十分にあり得ることと言わざるを得まらん。だから、恵まれた立場にある私は、声を大にして、DHC・吉田の不当を叫び続けなければならない。そして、スラップの根絶に力を尽くさなければならない、そう思っています。
その思いを、下記のとおり結審法廷の被告陳述書で述べています。
《被告本人意見陳述》(2015年7月1日結審の法廷で)
口頭弁論終結に際して、裁判官の皆さまに意見を申し述べます。
私は、突然に被告とされ、応訴を余儀なくされています。当初は2000万円、現在は、6000万円を支払え、とされる立場です。当然のことながら、心穏やかではいられません。このうえなく不愉快な体験を強いられています。理不尽極まる原告らの提訴を許すことができません。
私は、憲法で保障された「表現の自由」を行使したのです。本件で問題とされた私の言論の内容は、「政治をカネで歪めてはならない」という民主主義社会における真っ当な批判であり、消費者利益が危うくなることに関しての社会への警告なのです。むしろ私は、社会に有益で有用な情報や意見を発信したのだと確信しています。被告とされる筋合いはありえません。この点について、ぜひ十分なご理解をいただきたいと存じます。
関連してもう一点お願いいたします。原告の訴状では、私の書いた文章がずたずたに細切れにされ、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけをして、「違法な文章」に仕立て上げようとしています。細切れにせずに、各ブログの文章全体をお読みください。そうすれば、私の記事が、いずれも非難すべきところのない真っ当な言論であることをご理解いただけると存じます。
私は、45年の弁護士生活を通じて、政治とカネ、あるいは選挙とカネをめぐる問題を、民主主義の根幹に関わるものととらえて、関心を持ち続けてきました。また、消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤めています。消費者問題に取り組む中で、「官僚規制の緩和」や「既得権益擁護の規制撤廃」などという名目で、実は事業者の利益のために、消費者保護の制度や運用が後退していくことに危機感を募らせてきました。そのことが本件各ブログに、色濃く反映しています。
私の「憲法日記」と表題するインターネット・ブログは、弁護士としての使命履行の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。現在のものは、2013年4月1日に開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新821日を記録しています。このブログは権力者や社会的強者に対する批判の視点で貫かれていますが、そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
昨年3月「週刊新潮」誌上に吉田嘉明手記が発表される以前は、私はDHCや原告吉田への関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的での言論であることに、一点の疑義もありません。
原告らは、私の言論によって社会的評価を低下した、と主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つく人のあろうことは、法が想定していることなのです。誰をも傷つけることのない人畜無害の言論には、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。仮に原告両名が、私の憲法上の権利行使としての言論によって、名誉や信用を毀損されることがあったとしても、これを甘受しなければならないのです。
そのことを当然とする根拠を3点上げておきたいと思います。
その第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。行政の規制と対峙しこれを不服とする立場にもあります。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与しました。さらに、そのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったのです。自らの意思で「私人性」を放棄し、積極的に「公人性」を獲得したのです。自分に都合のよいことだけは言っておいて、批判は許さないなどということが通用するはずはありません。
その第2点は、私の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマであることです。「原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱している」というのが、私の批判の内容です。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となり、民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論が、すべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づくものであることです。本来、真実性の立証も、相当性の立証も問題となる余地はありません。私は、その事実に常識的な推論を加えて論評しているに過ぎないのです。意見や論評を自由になしうることこそが、表現の自由の真髄です。私の論評がどんなに手痛いものであったとしても、原告吉田はこれを甘受しなければならないのです。
にもかかわらず、吉田は私をいきなり提訴しました。しかも、私だけでなく10人の批判者を被告にして同じような訴訟を提起しています。カネをもつ者が、カネにものを言わせて、裁判という制度を悪用し、自分への批判の言論を封じようという試みが「スラップ訴訟」です。本件こそが、典型的なスラップ訴訟にほかなりません。原告吉田は、私をだまらせようとして、非常識な高額損害賠償請求訴訟を提起したのです。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、と決意しました。もっともっと大きな声で、何度でも繰りかえし、原告吉田の不当を徹底して叫び続けなければならない、これも弁護士としての社会的使命の一端なのだ、そう自分に言い聞かせています。
その決意が、私のブログでの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日(6月30日)までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
貴裁判所には、本件のごとき濫訴は法の許すところではないことを明確に宣言の上、訴えを却下し、あるいは請求を棄却して、司法の使命を果たされるよう要請申し上げます。
**************************************************************************
なお、メディア関係者以外の一般の方に訴えます。
法廷傍聴も、法廷後の勝訴報告集会も、どなたでも参加ご自由です。言論の自由を大切に思う多くの皆さま、政治とカネの問題や、消費者問題に関心のある方、ぜひご参加ください。
(2015年8月31日)
自民党公認で滋賀4区から出馬し当選した武藤貴也・衆議院議員。世に埋もれた無名の存在だったが、学生たち(シールズ)の戦争反対の声を「利己的」と言って俄然全国的な有名人となった。安倍チルドレンの内実とレベルの程度を天下に知らしめた点において、その功績は大きい。
さらに、8月19日発売の週刊文春で「未公開株詐欺」まがいの集金手口を暴露されて、政治家としての知名度ランキングのトップレベルに躍り出た。しかもそのあと自民トカゲのシッポとなって、安倍自民党の「イヤーな感じ」高揚に大いに貢献してもいる。
が、この問題それだけではない。もしかしたら…、政治とカネの薄汚い関係を壮大に暴露する発端であるのかも知れない。その意味では事件の奥行きはもっと深く暗いものなのかも知れないのだ。
8月19日以来、私の仲間内では「武藤のやったことは典型的な未公開株詐欺だろう」「『国会議員枠』なんてあるはずがないものを目玉にしての勧誘なのだから詐欺」「もし、欺していなければ、委託の趣旨に反した預り金の流用として横領は確実なところ」「金融商品取引法の無登録業者の違法勧誘行為や、出資法1条の『出資金の受入の禁止』にもあたるだろう」「こんなひどい議員は告発に値する」「安倍政権への打撃にもなるはずだから、告発したらどうだ」。「詐欺・横領・金商法違反・出資法違反を射程に告発すべきだ」と声は出ている。
しかし、大方は口だけは動くが、なかなかそれ以上には進まない。誰かやってくれるだろう、と他を期待しているからだ。こういうときに頼りになるのが、「政治資金オンブズマン」(共同代表、阪口徳雄弁護士・上脇博之神戸学院大学教授ら)。よく調べ、果敢に行動する。今回も動いた。
興味深いのは、彼らが「いきなり告発」ではなく、問題となった未公開株の上場手続幹事を務めた証券会社に対する公開質問状の発送という形で、宣戦を布告したことである。主たる質問内容は、未公開株の配分割当に関して、「国会議員枠」(あるいはそれに類するもの)があるのかどうかということである。
公開質問状は、昨8月24日付で「エイチ・エス証券株式会社 代表取締役社長 和田智弘」宛に発送された。公開質問状の全文は、共同代表である上脇教授のサイトに掲載されている。URLは以下のとおり。
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51811709.html
上脇さんは、公開質問状を発信した趣旨に関連して「自民党が詳細な内部調査をすることなく議員辞職もさせず除名もせず離党させたのは不可解な対応であり、自民党は株の購入につき「国会議員枠」(あるいはそれに類するもの)があるのかどうかの論点を話題にさせることを回避しようとしたのではないかの疑惑が生じる」と述べている。
「国会議員枠」という表だった制度が存在するわけはない。しかし、問題は、表向きの制度がどうなっているかではない。いかなる態様にせよ、証券会社が未公開株の割当をする際に、政治家に甘い汁を吸わせている運用の実態はないのか、ということなのである。
「国会議員枠」を明示の制度として理解すれば、そんなものはないとニベもなくはねつけられるに決まっている。しかし、運用の実態が問題なのだ。未公開株の配分という美味しい手続に、政治家への手心が加えられている実態があれば、「国会議員枠(あるいはそれに類するもの)」が存在することになるということだ。
エイチ・エス証券株式会社には、幹事社として未公開株上場を担当する際の手続については「募集等にかかる株券等のお客様への配分にかかる基本方針」(公開質問状では「本基本方針」と言っている)という内部基準がある。
http://www.hs-sec.co.jp/book/haibun.pdf
公開質問状の質問事項は、次のとおりこの基準の運用についてのものとなっている。
1 本基本方針では「新規公開株の配分について、
?抽選による配分、
?抽選によらない配分、
という2種類の配分方法があります。
抽選又は抽選によらない配分の中に「国会議員枠」又はこれに類する配分方法があるのですか。
2 国会議員、又はその秘書について、本基本方針第3項(2)??「当社と継続的にお取引を頂いていること、又はお取引拡大が期待できること」に該当するとして事実上国会議員枠又はそれに類する配分方法を設定することがありますか。
3 (1)貴社が主幹事を務めた2014年11月の株式会社CRI・ミドルウェアの新規公開株につき、抽選又は抽選によらない方法で、武藤議員又は政策秘書の宮崎資紹氏から、何らかの配分を受けたいという申し入れがありましたか。
(2)その場合に武藤議員又は政策秘書の宮崎資紹氏に現実に配分しましたか。又は配分がなかったですか。
この「基準」には、「公平」と「公正」そして「適切」が何度も繰り返されている。
たとえば、「株券等の配分を行うに際しては、…適切な募集等の取扱いを行うとともに、公平かつ公正な配分に努めることを基本方針としております」「以上のような配分の基本方針に基づき、公正な配分を通じて証券市場の発展に寄与していくことが、当社の使命であると考えております。」という具合。
但し、その運用が公平・公正、かつ適正に行われているかはよく分からない。この基準が公平・公正かつ適正な運用を担保するほどのものとなっているとは考えられない。そして、「国会議員枠」を明示的に排除しているとは読めないのだ。
但し、「当社は、当社の役職員、当社に対して特定の利便を与え得るなど社会的に不公平感を生じせしめる者、暴力団員又は暴力団関係者、いわゆる総会屋等社会的公益に反する行為をなす者及び配分を行うことが適切ではないと当社が判断するお客様への配分を行いません。」という一文がある。暴力団・総会屋には配分しないとは明記されているが、国会議員に対する除外は明記されていない。もっとも、「当社に対して特定の利便を与え得るなど社会的に不公平感を生じせしめる者」には国会議員が含まれる可能性がある。しかし、仮にはいるとすれば、なぜ端的に「国会議員」を配分対象から外すと明記しないのだろうか。
本当に国会議員枠は、ないのだろうか。換言すれば、「未公開株の配分において、国会議員に便宜を図る運用がなされてはいないのだろうか」。「議員枠的なもの」が本当にないのか、実はあるのではないか。本件では、エイチ・エス証券が武藤に、そのような便宜を図ろうとしたのか否か。それが問題なのだ。
「イエス」の回答があれば、世の中がひっくり返るほどの大騒ぎとなるだろう。「ノー」である場合には、武藤の詐欺が濃厚となる。回答拒否も考えられるが、これは何らかの不都合があって回答ができないと考えざるをえない。何らかの形での「国会議員枠」存在が推認されるといって差し支えなかろう。
実は、こんなことは自民党が自ら調査すべきなのだ。天下の与党に、自浄の意思も能力も欠けているばかりに、民間が代わってこんなことまでしなければならないのだ。安倍自民党無責任体質、ここに極まれりではないか。
(2015年8月25日)