昨日(5月10日)、森友問題での刑事告発人らや代理人弁護士らが、大阪地検特捜部の担当検察官と面会し、厳正な再捜査と起訴を要望した。
学校法人「森友学園」への国有地タダ同然売却問題、そしてそのことを隠蔽するための決裁文書改ざんや国会答弁問題で相次いだ告発がすべて不起訴となった。この安倍政権への忖度処分を不服として、大阪検察審査会への審査申立がなされ、その一部が「不起訴不当」の議決となった。大阪地検(特捜部)は、誠実に再捜査を遂げ、今度こそ政権への思惑を捨てて、厳正に起訴をすべきである。
共同配信記事は、こう伝えている。
大阪第1検察審査会が佐川宣寿前国税庁長官ら10人について不起訴不当と議決したことを受け、審査を申し立てていた醍醐聡東大名誉教授らは10日、大阪地検特捜部検事と面会し、厳正な再捜査と起訴を求める文書を出した。
約40分間の面会終了後、大阪市で報道陣の取材に応じた醍醐氏は「地検の不起訴理由と検審の議決内容は著しく食い違う」と強調。検事は醍醐氏らに対し「ご要望として承る」と応じたという。
醍醐さんの報告では、短い時間に準備した資料を検事に提示して、4点を強調して発言したとのこと。その中心は下記のとおり。
「安倍首相は2017年3月6日の参院予算委における答弁で『ゴミを取ることを前提に1億数千万円で売った」と答弁した。しかし、森友学園は埋設物をそのままにして校舎を完成した。特捜は安倍首相と、開学に向けた森友の工事の実態の重大な食い違いに強い関心を持って再捜査に当たると考えてよいか?」また、「上記の発言の中で安倍首相は何度も『ゴミがあるからディスカウントした』『瑕疵担保責任というのはそういうこと・・・』と発言している。専門家の特捜部が瑕疵の対象物を『ゴミ』などと世間話のレベルで捉えておられるとは、無論思わないが、国会でもマスコミでも、ゴミが、ゴミが、と語られてきた。私たちがこれまでに提出した申入文書で指摘したように、瑕疵担保責任が問題になる地下埋設物とは、買い受けた土地を目的の用に供する工事をする際に障害となる物を指すという解釈は判例でも定着している。特捜部は、瑕疵担保責任をこのような厳密な法的意味で解釈していると理解してよいか?」(以上は、参議院予算委の議事録の該当箇所を示しての発言)
これに対する検事の応答は、「ここで、こちらの考えを話すのは控える。ご要望として受け取める。」「4月1日にみなさんが提出された申入書は私も受け取っている。その他のことはご要望として受け止める。」というものだったという。
また、NHK記者時代に事件を追っていた相澤冬樹さんが次のように、報告している。
森友事件を一貫して追及してきた大阪の阪口徳雄弁護士は、応対する蜂須賀検事に見覚えがあった。12年前、奈良県生駒市の前市長が逮捕される背任事件があった。前市長が現職当時、タダ同然の山林を親しい業者から市の公社を使って1億3480万円で買い上げた。これが市に損害を与えた背任として立件された。阪口弁護士は市長が替わった後の生駒市の顧問で、新市長の意向を受けて特捜部にこの件を持ち込んだ。これを受けて大阪地検特捜部で捜査にあたったのが蜂須賀検事だったのだ。
阪口弁護士)あなた、生駒市の背任事件を担当したんじゃないですか?
蜂須賀検事)よく覚えてますねえ。
阪口弁護士)私は生駒市の顧問としてあの事件を特捜部に持ち込んだんですよ。たしかあのころお会いした記憶がある。
蜂須賀検事)あの事件は私も記憶に残っています。
阪口弁護士)あのころ、奈良市の市議会議長が贈賄で逮捕される事件もあったでしょう。あれも私が持ち込んだんですよ。
蜂須賀検事)あれも私が担当しました。
阪口弁護士)あのころの大阪特捜は頑張ってましたねえ。
この皮肉に、蜂須賀検事はただ笑っているだけだったが、雰囲気は和やかだった。阪口弁護士としては、かつて公職者の背任を手がけた検事に再び頑張ってほしいという思いもあった。申し入れはそこからが本題だ。ここから阪口弁護士は厳しく迫った。
・大阪地検がこれまで政治家や公務員の犯罪に毅然と対処し起訴に踏み切ったことを関西の我々は知っているし、期待もしてきた。
・しかし検察審査会は今回の検察の捜査について極めて恣意的で不十分だと指摘している。
・有権者から無作為に選ばれた委員がこのように判断したということは、これが国民の大多数の意向を反映したものだ。
・法律的にも、この事件は起訴して無罪になることなど、およそあり得ない。むしろ検察の不起訴の理由の方がとってつけた屁理屈としか思えない。
・検察が適当にお茶を濁す再捜査をして、またも不起訴にするなら、国民の信頼は喪失されるだろう。政権の関係者が関与するとして注目されるだけに、なおさらである。
・検察審査会の「不起訴不当」の議決は多くの国民の検察に対する批判、叱咤激励と受けとめ、徹底的に再捜査して起訴するよう強く要請する。
同じく申し入れを行った醍醐聰東大名誉教授は安倍首相の答弁の齟齬を指摘して捜査を求めた。
・森友事件が発覚した2年前の当初、安倍首相は国会で問題の国有地について「ごみを撤去することを前提に(8億円あまりを値引きして)1億3400万円で売却した」と答弁している。実際にはごみは撤去されていないのだから現実との間に重大な齟齬がある。
・あの土地にごみがあるというが、工事の妨げになるようなごみがなければ値引きの理由にはならない。実際にはごみは撤去されていない。
・「土地の瑕疵(欠陥)を見つけて価値を下げていきたい(値下げしたい)」などと、財務局側が値引きが背任にあたるという認識を持っていたことを示す証拠がある。
特捜部の蜂須賀検事は申し入れに対し、次のように答えたという。
・検察審査会の議決が出たことは重々承知しています。議決書を踏まえて適正かつ慎重に再捜査します。
・ご指摘の点はご要望として受けとめました。ここで我々がどうかはお答えすることができません。
ほぼこの答えを繰り返すだけだった。申し入れの参加者は、検察がひたすら慎重な姿勢に終始し、揚げ足をとられないようにしていると感じた。
国家公務員がなぜこれほどの不正行為に及んだのか? 政権や政治家に忖度したのか? 政権側の関与はないのか?小学校の名誉校長を務めていた安倍昭恵首相夫人の存在はどのように影響したのか?
すべては当事者を起訴しなければ法廷で明らかにされない。そして起訴されるかどうかは、国民世論が高まるかどうか、国民1人1人の声が大阪地検に届くかどうかにかかっている。森友事件を追及してきた阪口徳雄弁護士は、そう考えている。
共同通信配信
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/418296
「関西NEWS WEB」(動画付き)
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190510/0015393.html
相澤冬樹さん記事
https://news.yahoo.co.jp/byline/aizawafuyuki/20190510-00125569
森友問題を「再捜査し起訴を」不起訴不当で弁護士ら要望
https://www.asahi.com/articles/ASM5B4RKKM5BPTIL00Z.html
なお、醍醐さんらが提出した、申し入れ書は以下のとおり。
**************************************************************************
?2019年5月10日
大阪地方検察庁特捜部 御中
申 入 書
大阪第一検察審査会の議決を真摯に受け止め、背任の嫌疑について厳正な再捜査のうえ、起訴処分を求める
平成30年大阪第一検察審査会審査事件(申立)第13号
審査申立人 醍醐 聰 他18名
申立人ら代理人弁 護 士 澤 藤 統一郎
同 佐 藤 真 理
同 杉 浦 ひとみ
同 ?澤 藤 大 河
被疑者 池田 靖(近畿財務局管財部統括国有財産管理官・当時)
私たちは本年4月1日、貴庁に対し、「大阪第一検察審査会の議決を真摯に受け止め、真相解明のために厳正な再捜査と起訴処分を要望します」と題した申入書を提出しました。
貴庁特捜部が、森友学園への国有地売却に係る背任の嫌疑につき、大阪第一検察審査会(以下、「大阪検審」)が示した不起訴不当の議決を受けて再捜査をされるにあたり、改めて申入れをいたします。
1. 本件土地には値引きで補償すべき法的意味での瑕疵は実在しなかったこと、その事実を被疑者は十分認識していたことを徹底究明されるよう求める。
貴庁は、本件土地売買契約書に、買主が今後、損害賠償請求をできなくする特約が盛り込まれたことを理由に挙げて、被疑者には違法な値引きをした背任があったとはいえないとして、被疑者を不起訴処分としました。
しかし、大阪検審議決は、問題にされた地下埋設物撤去費用試算にあたって、検察官が小学校校舎建設を前提とする検証をしていないことを指摘し、今後、客観性のある捜査を尽くすべきだとしています。この指摘は、当然に当該地下埋設物は校舎建設にあたって、撤去を必要とするようなものではなかったこともありうることを示唆しています。国交省航空局長も国会で同様の答弁をしています。
また、大阪検審は森友学園の代理人弁護士も、被疑者ら自身も、かりに森友学園が国を相手に損害賠償の訴訟を起こしても訴えが認められる可能性は極めて低いことを認識していたと指摘しています。
私たちも過去の類似の事案の判例等をもとに、本件土地には、法的な意味で損害賠償を必要とするような瑕疵(それを撤去しなければ土地を目的の用に供せないような地下埋設物)はなかったこと立証する資料を提出しました。
再捜査にあたっては、これらを証拠資料として、本件土地には瑕疵にあたるものは実在しなかったこと、被疑者らはその事実を十分、認識していたことを明らかにされるよう、強く求めます。
2.限りなく起訴相当に近い大阪検審の議決の重みを真摯に受け止め、公判で事の真相を明らかにする徹底した審理が行われ、公正で社会的正義を踏まえた判決に道を開くよう、起訴処分を求める。
大阪検審の議決要旨は随所で、具体的な事実を上げながら、貴庁の不起訴処分に強い疑問を投げかけています。そして結びでは、本件背任の嫌疑について公判の場で真実を明らかにする意義がきわめて大きいと指摘しています。長期にわたる審査を経て大阪検審が示したこのような指摘は極めて重いものです。
また、本件は、国会審議の報道などを通じて社会的にも大きな関心を集め、各種世論調査において、政府や財務省当局の説明に納得できないと答える人々は一貫して7割を超えています。
貴庁におかれましては、こうした世論を納得させるためにも厳正な再捜査を尽くされるよう要望します。そのうえで、公判で事の真相を明らかにする審理が行われ、公正な判決に道を開くよう、起訴処分を求めます。
さらに私たちは、被疑者に係る背任の捜査を端緒として、被疑者らに背任の罪を負わせるような力がどこから、どのように働いたのか等についても毅然と解明され、社会正義にかなった判断を示されるよう、強く要望するものです。
以上
(2019年5月11日)
本日は、1947年5月3日に日本国憲法が施行されてから、72回目の憲法施行記念日。もとより、この憲法が理想の憲法というわけではない。一字一句、永遠に手を付けてはならないとする「不磨の大典」でもありえない。旧憲法の残滓を多分に引き継いで、改正を要する部分もあることは当然である。
しかし、72年前に実定憲法となった日本国憲法の主要部分は、人類の叡智の結実というべき近代憲法として、現代日本に有用で貴重なものと言わねばならない。憲法規範とは、社会の現実をリードすべきものであるのだから、社会が憲法に追いついていない以上、規範としての日本国憲法はその貴重な存在価値を失わないのだ。
憲法にはコアの部分の体系とは相容れない大きな例外領域を残している。それが象徴天皇制という憲法の飛び地とも、番外地とも、ブラックホールともいうべき制度。憲法本来の体系とはなじまないこの夾雑物を廃絶することは、真の意味での「憲法改正」である。
政治勢力を革新と保守に二分すれば、日本国憲法制定以来、革新の側は憲法を理想の方向に「改正」する力量を持ちえなかった。いま、天皇制廃絶の「改憲」を提起する実力をもっていない。将来の課題としておくほかはない実情なのだ。
さりとて、保守勢力による「憲法改悪」を許さないだけの力量は、革新が身につけてきたところである。現にこの72年間、保守ないし右翼勢力の改憲策動を封じて、日本国憲法は一字一句変えられていない。
革新陣営に憲法改正を実現する力量なく、さりとて保守勢力にも憲法改悪の実力を欠くことが、長く憲法を改正のないまま推移させてきた。
今また、憲法は、保守ないし右翼の側からの攻撃に曝されて試練の時にある。が、けっして改憲実現が容易な事態ではない。改憲を阻止し憲法を擁護しようという市民の力量には侮りがたいものがある。
本日、この憲法を擁護しようという護憲派の市民集会が、全国の各地でもたれた。東京有明では、その中央集会が開催され、盛会だった。
「2019 平和といのちと人権を! 5・3憲法集会 ?許すな!安倍改憲発議?」の会場は人の波で埋まった。天候にも恵まれ、主催者発表で6万5000人の大集会だった。
集会のスローガンは、以下のととおりである。
私たちは
安倍政権のもとでの9条改憲発議は許しません
日本国憲法を守り生かし、不戦と民主主義の心豊かな社会をめざします
二度と戦争の惨禍を繰り返さないという誓いを胸に、
「戦争法」の廃止を求めます
沖縄の民意を踏みにじる辺野古新基地建設の即時中止を求めます
被災者の思いに寄りそい、原発のない社会をめざします
人間の平等を基本に、貧困のない社会をめざします
人間の尊厳をかかげ、差別のない社会をめざします
思想信条の自由を侵し、監視社会を強化する「共謀罪」の廃止を求めます
これらを実現するために行動し、安倍政権の暴走にストップをかけます
メインステージでのスピーチは、耳を傾けるに値する気合いのはいったものだった。沖縄・原発・格差・貧困・教育・外国人・差別、そして選挙共闘が話題となった。中でも、永田浩三さんと本田由紀さんの発言は出色だった。東京朝鮮学校生徒の訴えとコーラスも胸に響くものだった。
永田浩三さんのやや長いスピーチを、産経が全文文字に起こしている。「こんな怪しからんことを言っている」という趣旨なのかも知れないが、文字で読み直すと、あらためて覚悟を決めた発言の迫力が伝わってくる。しかもその迫力を包み込んだユーモアが耳に心地よい。主要なところを抜粋して、紹介させていただく。これで、会場の雰囲気を感じていただきたい。
「皆さん、こんにちは。32年間、NHKでプロデューサー、ディレクターをしていました。今は大学の教員として若者とともにドキュメンタリーを作ったりしています。今日は、総理の仕事をしている安倍晋三君について話したいと思います。知らない人は、あの嘘つきといえば思い出されるかもしれません。
私と安倍君は同じ1954年生まれです。同じ学年には志位和夫君、前川喜平君、ドイツの首相、メルケルさんがいます。安倍君は福島原発事故の後、すぐに原発をやめると決めたメルケルさんとは相性が良くないみたいですし、加計学園の獣医学部を作るのが、いかに無理筋だったかを証拠立てて語る前川君が苦手なようです。あと志位和夫君も苦手みたいです。
私たち1954年生まれは、皆、戦後民主主義教育の申し子です。日本国憲法の3つの柱、『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』がどれほど大事なのか、小学校や中学校でしっかり学んだんです。先生たちも熱心でした。
?
小学校4年生のとき、東京五輪がありました。オリンピックは参加することにこそ意義がある。日の丸が上がるかどうかは関係ない。優れた競技やすごい記録に拍手を送るんだ。アベベ、チャフラフスカ、ショランダー…。柔道で神永昭夫がオランダのヘーシンクに負けたときも、ショックはなくて、ヘーシンクに私は拍手を送りました。『日本を、取り戻す。』『がんばれ! ニッポン!』。その旗を振る安倍君、少し了見が狭すぎませんか」
「大学を卒業し、安倍君はサラリーマンを経て、政治家になり、私はNHKのディレクターになりました。ある時、思いがけない接点ができました。2001年のことです。私は、日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組の編集長でした。一方、その時、安倍君は内閣官房副長官。君は放送の直前にNHK幹部たちにちょっかいを出し、番組が劇的に変わってしまいました。永田町でどんなやりとりがあったのか。その後、朝日新聞の取材で輪郭が明らかになっています。私は抵抗しましたが、敗れました。体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました。悔しく、また恥ずかしいことです。あのとき君はそれなりの権力者でした。放送前に番組を変えさせるなんて、憲法21条の言論の自由、検閲の禁止を犯すことになり、そのことが世の中にさらされれば、君は今のような総理大臣になっていなかったことでしょう」
「今、官邸記者会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が菅(義偉)官房長官からさまざまな圧力を受け、質問が十分にできない中、それでも、われわれの知る権利の代行者であろうと必死で頑張っています。私には人ごととは思えません。でも、私と大きく違うのは、望月さん自身が勇気を出してSNSや集会で状況を発信し、市民とともに事態を共有することで、ジャーナリストを含めた連帯の輪が広がっていることです。市民とジャーナリストの連帯、メディアを市民の手に取り戻す。希望の光がわずかに見える思いです」
?「安倍君の話に戻ります。君が以前アメリカを訪問したとき、キャロルキングの『You’ve Got a Friend』という曲が好きだと言いましたね。『どんなに苦しいときでも友達でいようよ』。僕も大好きですし、その感覚はわかります。でも、残念だけど、君とトランプ米大統領は友達なんかじゃない。欠陥だらけの高額な兵器を買わされるカモにされているだけです。君には戦争の中で傷ついた人、声を上げられない弱い人を思いやる気持ちが欠けています。君の『You’ve Got a Friend』は友達にえこひいきをし、国の仕組みを私物化することです。それは友情ではない!」
「友情とはもっと気高く素晴らしいものです。君は実力以上に大事にされました。これ以上、何を望むことがあるでしょうか。同い年、同じ学年として忠告します。『これ以上、日本社会を壊すことはやめなさい! これ以上、沖縄をいじめるのはやめなさい! 大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい!』
?「今日は5月3日、32年前、朝日新聞阪神支局で小尻知博記者が銃弾に倒れました。言論の自由が脅かされる社会なんてあってはなりません。ここにお集まりの皆さんが思っておられるのは多分、こうだと思います。リセットすべきなのは、元号ではなく、今の政権なのだと」「今の政権は嘘をつく、今の政権は嘘をついているのです。嘘にまみれた安倍政権こそ終わりにすべきです。心あるジャーナリストとの連帯で、安倍政権を今年中に終わりにさせましょう。ありがとうございました」
(2019年5月3日)
一国の国民は、栄光と屈辱、歓喜と無念、慶事と凶事を共有する。それであればこその国民国家であり、国民である。もちろん、これはタテマエであって現実ではない。しかし、統治をする側がこのタテマエを壊しては、国民国家はなり立たない。本日、4月28日は、厳粛にそのことを噛みしめるべき日である。しかも、天皇代替わりを目前にしての、国民統合に天皇利用が目に余るこの時期の4月28日。国家と天皇と国民の関係を考えさせる素材提供の日である。
本日の琉球新報に、「きょう『4・28』 沖縄『屈辱の日』を知ってますか?」という解説記事。同紙の本日の社説は、「4・28『屈辱の日』 沖縄の切り捨て許されぬ」というタイトル。さらに、「皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 『屈辱の日』67年」という、沖縄への天皇の関わりに触れた署名記事も掲載している。また、沖縄タイムスの社説も、「きょう『4・28』今も続く『構造的差別』」である。
1952年の今日・4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効して、敗戦後連合国軍の占領下にあった日本は「独立」した。しかし同時に、沖縄や奄美は日本から切り離されて、米軍の施政権下におかれた。沖縄の本土復帰には、さらに20年という年月を要した。この間、沖縄に日本国憲法の適用はなく、米軍基地が集中し、過重な基地負担の既成事実が積み上げられた。だから、この日は沖縄県民にとって「屈辱の日」と記憶される日なのだ。しかも、このアメリカへの沖縄売り渡しを主導したのが、既に主権者ではなくなっていた、天皇(裕仁)である。
2013年4月28日には、安倍政権がこの日を「主権回復の日」として、政府主催の式典を挙行した。当然のこととして、沖縄からは強い反発の声が上がった。この間の事情を、本日の琉球新報「皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 ― 『屈辱の日』67年」の記事から抜粋する。
沖縄にとって4月28日は「屈辱の日」として深く刻まれている。
2013年4月28日には、安倍政権が主催し「主権回復の日」式典が開かれた。式典には首相、衆参両議長、最高裁長官の三権の長とともに天皇皇后両陛下も臨席された。
サンフランシスコ講和条約を巡り、昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた47年の「天皇メッセージ」が沖縄の米統治につながるきっかけになったとも言われる。
昭和天皇の「戦争責任」と講和条約による「戦後責任」を感じている県民の間には、皇室に対して複雑な感情もある。「4月28日を巡る式典は、沖縄と皇室の在り方をあらためて問い掛ける出来事となった。
◇ ◇ ◇
「天皇陛下、バンザーイ」「バンザーイ」
? 2013年4月28日、東京都の憲政記念館で開かれた政府主催の「主権回復の日」式典。天皇皇后両陛下が退席される中、会場前方から突然、掛け声が上がった。つられるように、万歳三唱は会場中にこだまし、広がった。
? だが、講和条約締結を巡っては昭和天皇による「天皇メッセージ」が沖縄の米統治に大きな影響を与えたといわれる。沖縄戦で悲惨な戦禍を受け、その後も日本から切り離された沖縄にとって、皇室への複雑な感情は今もくすぶっている。
こうした中で開かれた式典に、県内の反発は激しかった。一部の与党国会議員からも異論の声が上がった。「主権回復の日」式典と同日・同時刻に政府式典に抗議する「『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市内で開かれ、県民は結集し怒りの拳を上げた。「万歳」と「拳」。本土と沖縄の温度差が際だっていた。
琉球新報の社説は、あらためて沖縄地上戦の凄惨な犠牲を思い起こし、平和な沖縄を願うものとなっている。
<社説>4・28「屈辱の日」 沖縄の切り捨て許されぬ
この「屈辱の日」を決して忘れてはならない。沖縄は去る大戦で本土防衛の時間稼ぎに利用され、日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。戦いは凄惨を極め、日米合わせて20万人余が犠牲になった。このうち9万4千人が一般人で、現地召集などを含めると12万2千人余の県出身者が亡くなった。民間人の死者が際だって多いことが沖縄戦の特徴である。
激戦のさなか、日本軍はしばしば住民を避難壕から追い出したり、食糧を奪ったりした。スパイの嫌疑をかけられて殺された人もいる。戦後は米統治下に置かれ、大切な土地が強制的に接収された。米国は、講和条約の下で、軍事基地を自由に使用することができた。
72年に日本に復帰したものの、多くの県民の願いを踏みにじる形で米軍基地は存在し続けた。沖縄戦で「捨て石」にされたうえ、日本から切り離された沖縄は、今に至るまで本土の安寧、本土の利益を守るために利用されてきたと言っていい。
そのことを象徴するのが、名護市辺野古の海を埋め立てて進められている新基地の建設だ。2月24日の県民投票で「反対」票が有効投票の72・15%に達したが、政府は民意を黙殺した。
1879年の琉球併合(琉球処分)から140年になる。沖縄はいまだに従属の対象としか見なされていない。基地から派生する凶悪事件、米軍機の墜落といった重大事故が繰り返され、軍用機がまき散らす騒音は我慢の限度を超える。有事の際に攻撃目標になるのが基地だ。この上、新たな米軍基地を造るなど到底、受け入れ難い。そう考えるのは当然ではないか。
これまで繰り返し指摘してきた通り、県民が切望するのは平和な沖縄だ。政府はいいかげん、「切り捨て」の発想から脱却してほしい。
そして、沖縄タイムス社説
講和条約第3条が、基地の沖縄集中を可能にしたのである。「構造的差別」の源流は、ここにあると言っていい。「4・28」は、決して過ぎ去った過去の話ではない。
安倍政権は講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」と定め、2013年、沖縄側の強い反対を押し切って、政府主催の記念式典を開いた。
ここに安倍政権の沖縄に対する向き合い方が象徴的に示されていると言っていい。講和・安保によって形成されたのは「沖縄基地の固定化」と「本土・沖縄の分断」である。それが今も沖縄の人びとの上に重くのしかかっている。
安倍政権は、沖縄を切り捨てた日を、式典で祝ったのだ。たいへんな神経である。そこには、三権の長だけでなく天皇も参加させ、「テンノーヘイカ、バンザーイ」となったのだ。一方の沖縄では、同日・同時刻に政府式典に抗議する「『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市内で開かれ、県民は結集し怒りの拳を上げた。東京では、「テンノーヘイカ、バンザーイ」であり、沖縄はこれに抗議の「拳」を挙げた。
琉球新報の「皇室に県民思い複雑」は、ずいぶんと遠慮した物言いではないか。アメリカへの沖縄売り渡しを提案した裕仁の「天皇メッセージ」は、明白な違憲行為であり、天皇という存在の危険性を如実に露呈するものである。これこそが、現在の県民の重荷の元兇なのだから。
そして、沖縄屈辱の日の政府式典において、現天皇への「テンノーヘイカ、バンザーイ」は、別の意味での天皇の危険性をよく表している。天皇は式典出席で、安倍政権の沖縄切り捨て策に利用され加担したのだ。もとより、天皇は憲法の許す範囲で政権の手駒として、政権の指示のとおりに行動するしかない。けっして、ひとり歩きは許されない。沖縄切り捨てを含意する祝賀の式典での「テンノーヘイカ、バンザーイ」は、政権に対する、県民・国民の批判を天皇の式典出席が回避する役割をはたしたことを物語っている。
民主主義にとって天皇はないに越したことはない。直ちに、憲法改正が困難であれば、その役割を可能な限り縮小すべきである。そのためには、天皇や、政権の天皇利用に、批判の声を挙げ続けなければならない。
(2019年4月28日)
ご存知「望月衣塑子劇場」が大きな人気を呼んでいる。舞台は官邸記者会見場である。主役は、いかにも正義の味方の、滑舌流暢なヒロイン。これに配する仇役が、いかにも悪玉の菅義偉官房長官とその手下の上村秀紀内閣官房総理大臣官邸報道室長の二人。もちろんこの二人の背後に、大黒幕のアベシンゾーが控えている。
ヒロインは、アベ・スガ一家の悪事を暴こうと果敢に菅に切り込む。これを、上村秀紀が必至になって妨害する。「質問は簡潔に?!」というのが、悪役どもの武器。妨害にめげずにヒロインが奮闘する姿を観衆が一体となって応援している。その拍手が、この舞台のロングランを支えている。
但し、このヒロインも、所詮は宮仕えの身。お抱えの社が配役交替を指示すれば舞台を下りざるを得ない。その会社は、黒幕の動きと観客の反応をともに見ている。ロングラン実現のためには、観客の応援の継続が必要なのだ。国民の多数がヒロインを応援しているぞ、と可視化して見せなければならない。そのための手段の一つとして、法律家6団体が、集会を開いた。望月衣塑子記者個人の問題を超えて、国民の知る権利や民主主義に関わる重大事であることを確認するためでもある。
それが、今夕(4月22日)、衆院第1議員会館での「安倍政権と取材の自由」シンポジウム。「?官邸による取材の自由と国民の知る権利の侵害を跳ね飛ばす院内集会」という副題が付いている。会館の大会議室を満席にした盛会であり、副題のとおりの「跳ね飛ばす」元気の出る集会となった。
集会の趣旨は、「安倍政権による取材の自由侵害を許すな」「特定の記者の質問を封じてはならない」というもの。このことは、民主主義の根幹に関わることとして、看過できない。
民主主義は、報道の自由に支えられて成立する。メディアの取材と報道の自由があってはじめて、国民は知る権利を獲得することができる。国民が国政に関する重要情報を知らずに、主権を適切に行使することはできない。
官邸の記者クラブにおける官房長官記者会見の様子がおかしい。当然に、権力中枢に対する取材では、記者と権力との間に厳しい緊張関係があってしかるべきである。記者とは、政権に不都合な事実を聞き出すことが本来の任務である。政権に迎合するような質問しかしない忖度記者は、似非記者でしかない。あるいは失格記者。権力に迎合する記者は、国民の目からは用なし記者なのだ。
政権側は、記者から不都合な取材あることを覚悟しなければならない。記者会見での不都合な質問にも、誠実に答えなければならない。記者への回答は国民への開示ということ。開示した事実に対する評価は、国民の判断に委ねなければならない。政権が記者会見で、「政権に不都合な質問は控えろ」「そんな記者には、質問させるな」などというのは、もってのほかなのだ。
ところが、安倍政権の姿勢はこのような民主主義の常識とはかけ離れたものとなっている。昨年(2018年)暮れ、菅官房長官会見の司会を担当する官邸側の上村秀紀(内閣官房総理大臣官邸報道室長)は、東京新聞望月衣塑子記者の質問にクレームを付けた。同記者の「辺野古基地工事における投入土砂として、許可条件違反の赤土が使用されているのではないか」という質問に事実上回答を拒否して、内閣記者会に「事実誤認がある」とした文書を示し、「問題意識の共有」を求めるなどとした。これは、安倍政権の傲慢さを示すものというだけてなく、国民の知る権利をないがしろにする重大問題ではないか。
政権が、記者の質問を「事実誤認がある」「問題意識の共有を求める」として、封殺しようとしているのである。こんなことが横行すれば、世は忖度記者ばかり、アユヘツライ記者ばかりになって、国民は知る権利を失い、真実から疎外される。民主主義は、地に落ちる。これは、「跳ね飛ば」さねばならない事態ではないか。
集会第1部の望月衣塑子講演が、「民主主義とは何か?安倍政権とメディア」と表題したもの。詳細な経過報告とともに、政権の理不尽にけっして負けない、という元気を感じさせる頼もしいものだった。
第2部がパネル・ディスカッション。「安倍政権によるメディア攻撃をどう考えるか、どう立ち向かうか」
梓澤和幸(弁護士)、永田浩三(元NHKディレクター)、望月記者の各パネラーの持ち味を引き出すよう、清水雅彦さん(日体大)が上手なコーディネーターを務めた。
そして、6人の現役記者やジャーナリストの連帯・激励の挨拶があった。これがいずれも興味深く、印象に残るものだった。下記に掲載のアピールを採択して、日民協代表の右崎正博さんが、閉会の挨拶をされた。
繰り返されたのが、「この事件を、望月記者対官房長官問題と矮小化してはならない。」「政権の傲慢が国民の知る権利侵害の危機を招いていと認識しなければならない」「元凶は政権の理不尽にある。しかし、それをはねのけるだけのメディアの力量がないことが歯がゆい」「跳ね返すメディアの力は、国民の後押しなくしては生まれない」ということだった。
安倍政権の酷さ醜さが、ここにも露呈している。ここでも、国民の力を結集して闘わなければならない。「望月衣塑子劇場」のヒロインには、まだまだ活躍願わねばならない。
**************************************************************************
4.22「安倍政権と取材の自由」集会アピール
1 2018年12月28日、上村秀紀内閣官房総理大臣官邸報道室長は、内閣記者会宛てに、記者会見における菅義偉官房長官に対する東京新聞望月衣塑子記者の質問(沖縄県辺野古基地工事における赤土問題)について「事実誤認がある」とした文書(以下「内閣記者会宛て文書」という。)を示し、「問題意識の共有」を求めるとしました。
政府の一方的な認識を前提として、質問者から寄せられた事実認識を「事実誤認」と断定し説明や回答を免れることは、何が事実であるかを時の権力者が決め、そして政府の意に沿わない記者を排除することにつながるものであって、決して許されません。
こうした行為が見過ごされるのであれば、記者による取材は大きな制約を受け、国民の知る権利(憲法21条)はないがしろにされ、また、自由な言論によって政治的意思決定に参加する権利も奪われてしまいます。
2 もっとも、本件は唐突になされたものではありません。これまでも、2001年1月NHKのドキュメンタリー番組「戦争をどう裁くか 問われる戦時性暴力」の内容に対し安倍晋三内閣官房副長官(当時)らが介入した事件をはじめとして、2015年5月の自民党によるNHKとテレビ朝日経営幹部への聴取問題、同年6月の沖縄2紙への自民党議員らによる暴言、2016年2月の高市早苗総務大臣(当時)による電波停止発言、2018年9月自民党総裁選に関する「公平・公正報道」要求、2018年通常国会における安倍首相による朝日新聞への執拗な攻撃など、与党・政府によるメディアへの直接間接の介入攻撃事例は後を絶ちません。
3 本日の集会では、本件の直接の当事者である望月氏による講演が行われ、また望月氏とジャーナリストで元NHKプロデューサーの永田浩三氏、弁護士で報道の自由に詳しい梓澤和幸氏の3名によるパネルディスカッションが行われました。さらには、多くのメディア有志による応援スピーチも行なわれました。
それぞれの発言を通じて、与党・政府によるメディアへの介入・攻撃がいかに組織的でかつ巧妙であるかを知るとともに、これら一連の報道の自由の危機は、憲法違反の秘密保護法や安保法制の制定、自民党などのもくろむ明文改憲の動き、「戦争する国づくり」と連動していることも知ることができました。
そして、こうした権力の腐敗や濫用を監視し、暴走を食い止めることこそがジャーナリズムの本来の使命であること、権力からの介入・攻撃に対して、すべてのメディアが連帯してこれを「跳ね飛ばす」ことの重要性を学ぶことができました。
また、この問題を単に望月記者一人への攻撃として捉えるのではなく、メディア全体、ひいては市民への攻撃として理解し、メディアと市民とが共同して反対の声を挙げる運動が重要であるということも学ぶことができました。
与党・政府によるメディアへの介入・攻撃に対して、市民が共同して、「政権によるメディアへの介入攻撃は許さない」、「国民の知る権利と報道、取材の自由を守れ」の声を大きく広げていくことが、今、緊急に求められています。
4 安倍首相がもくろむ明文改憲が争点となる参議院選挙を3か月後に控え、与党・政府によるメディアへの介入とメディア側の一層の「自己規制」「萎縮」「忖度」がとりわけ懸念されます。
こうした事態に対抗すべく、私たちは、今後とも、権力を監視し権力の暴走をくいとめるメディアを応援し、メディアに携わる人々と連帯して憲法の保障する取材の自由を守り抜き、与党・政府からの介入・攻撃を「跳ね飛ばす」ことを誓います。
そして、私たちは、政府に対して、内閣記者会宛て文書を撤回するよう求めるとともに、今後、取材の自由を最大限尊重し、メディアに対する不当な圧力を加えないことを強く求めます。
以上
2019年4月22日
「4.22安倍政権と取材の自由集会」参加者一同
主催団体 改憲問題対策法律家6団体連絡会
構成団体
社会文化法律センター ?? 代表理事 宮里 邦雄
自 由 法 曹 団 団 長 舩尾 徹
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議 長 北村 栄
日本国際法律家協会? 会 長 大熊 政一
日本反核法律家協会 会 長 佐々木猛也
日本民主法律家協会 理? 事 ?長 右崎 正博
(2019年4月22日)
私はトカゲだ。変種のトカゲ。保守の政治風土の中で特殊な進化を遂げてこの形にたどりついた。特徴は、数え切れない舌の枚数と尻尾の本数。舌禍のたびにその舌を切り離す。不都合あれば、次々に尻尾を切り捨てて、生きのびる。そして、面の皮の厚さに、左右の非対称。もちろん、右半身のみ異様に発達している。利権と忖度とヘイトをエサに肥え太っている。
何本もある尻尾の一本として、塚本一郎がある。正確に言えば、「ある」ではなく、「あった」。もう切り捨てた、新潟のあの参院議員。麻生派で、昨日までの国土交通副大臣。ナニ、大して大事な尻尾ではない。大した尻尾ではないが、切り捨てれば当然に傷ができる。尻尾の行く末に関心はないが、トカゲ本体の傷の深さが心配なのだ。
さて、この尻尾。切るべきか、切らざるべきか。昨日まで、それが問題だった。逡巡の結果、思い切って切り捨てた。意外にも尻尾を切った傷痕からの出血が多量だ。この血かおさまるかどうか。切ったは正解だったか間違いだったか。実はまだ自信がない。
問題の、私の地元下関市と北九州市とを結ぶ予定の「下関北九州道路」。これが通称「安倍・麻生ルート」。地元ブロック紙「西日本新聞」本日朝刊の解説記事のタイトルが、「政権、逆風に屈す 塚田副大臣辞任 選挙控え地方悲鳴」だ。これは、まずいじゃないか。新聞はどうしてもっと私に忖度しないのか。その他のメディアもこぞって、「一強の驕り」「緩み」「たるみ」の政権姿勢批判だ。たかが、道路くらいで、何を騒ぐか。
あ?あ、森友事件、加計問題とおんなじだ。「国政の私物化」「財政の私物化」「忖度政治の弊害」と追及されることになる。根も葉もないことなら大したことではない。火のないところに立った煙なら面倒なことにはならない。しかし、しっかりと根も葉もあり、燃え盛る火あればこその煙だから、何とか手を打たなければならない。でないと、国政調査権の発動やら、文書公開請求やらを武器に、またまたこじれそうではないか。
当然、野党は「これまで、かばってきた総理の責任」を厳しく追及するだろう。私の面の皮は相当に厚いけど、シンゾウにまで毛が生えているわけではない。やっぱり面白くはない。同様の事件がないか徹底して調べられたら、そりゃ安閑としてはいられない。
この尻尾、余りに無防備で、あっけらかんとホントのことを言っちゃったんだ。それはないよな。なんてったって、自民党の政治家なんだから。これ言っちゃまずいくらい、分かりそうなもんだと思うがね。
総事業費が2000億円ともそれ以上とも試算されているこの道路。その必要性や採算性には、疑問符が付けられてお藏入りだった。それがどうして復活したのか。そこが問題だ。こんなことは、灰色のままにしておけばよい。安倍・麻生の権勢は推測されるだけでよいのだ。あからさまに内幕を暴露することはない。
この件の報告を受けて、私も驚いた。こんなにあからさまに内幕をぶちまけられては、できる道路もできなくなる。私も麻生も大いに迷惑だ。もっと上手に、こっそりと、陰でやってもらわなきゃならん。こんなに下手な政治家を育てたキョーイクが悪いんじゃないか。ニッキョーソの責任。やはり、学校では教育勅語を教えなくっちゃ。
塚田が言ったのは、こんなことだったそうじゃないか。福岡県知事選自民党推薦候補の応援演説の中でのことだ。事実上の麻生派集会だった。
「麻生太郎衆院議員にお仕えして、はや20年近く。最初の総裁選は大変でした。その時代から麻生太郎いのち一筋でやってきた、筋金入りの麻生派です」
「国土交通副大臣ですから、ちょっとだけ仕事の話をさせていただきますが、大家敏志さん(福岡の自民党参院議員)がですね、私のもうひとり逆らえない吉田博美さんという参議院の(自民党)幹事長と一緒に、私の副大臣室にアポを取って来られました。『地元の要望がある』。これが下関北九州道路です。
じつはこれ、経緯がありまして、11年前に凍結されているんです。なんでかわかります? 『コンクリートから人』っていう、とんでもない内閣があったでしょ。総理は『悪夢のようだ』と言いましたが、まさにそのとおりでございます。公共事業はやらないという民主党政権ができて、こういう事業は全部フリーズ、凍結しちゃったんです」
「何とかしないといけない。下関と北九州ですよ。よく考えてください。下関は誰の地盤ですか? 安倍晋三総理です。安倍晋三総理から麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まっているわけです。
吉田幹事長が私の顔を見たら、『塚田、わかってる? これは総理の地元と副総理の地元の事業なんだよ』と。『俺が何で来たかわかるか』と。私、すごく物わかりがいいんです。すぐ忖度します。『わかりました』と。
? そりゃ総理とか副総理はそんなこと言えません、地元の。そんなこと、実際ないんですよ? 森友とかいろいろ言われていますけど、私は忖度します」
「それでですね、この事業を再スタートするためには、いったん国で調査を引き取らせていただくということになりまして、これを、今回の新年度の予算に国で直轄の調査計画に引き上げました! 別に知事に頼まれたからではありません。大家敏志が言ってきた、そして私が忖度したということですので」
誰が聞いても、彼が話したことは臨場感十分で信憑性が高い。またまた、「総理のご意向」「首相案件」と責めたてられる。せっかく、新元号フィーバー演出で、うまく国民を欺せたと思っていたのに、最悪のタイミング。そりゃ傷口が痛む。
アベ政権一期目の終盤のトラウマが頭をよぎる。失言で、次々と閣僚が辞めていった。12年前のあの悪夢の二の舞はごめんだ。だから、できることなら、この尻尾切りたくはなかった。「尻尾よ、尻尾。責任を感じて、しっかり職責を全うせよ」とよく分からん論理で激励もし、ごまかしもしてきた。
ところが、この汚れた尻尾を抱えたままでは、地方選も参院選も闘えない、と陣営全体が悲鳴を上げた。切っても切らずでも傷は大きい。比較して、どちらの傷が浅いか。
結局は、国民の健忘症に期待して、切る方に賭けることにした。できるだけ、迅速に切って、後は国民の忘却を待つ作戦。しかし、この尻尾切り作戦うまく行くだろうか。明日は、統一地方選前半戦の投開票日だ。尻尾を切ったは、吉と出るかそれとも凶か。尻尾を切った傷口の痛みはまだ癒えない。出血も止まらない。
(2019年4月6日)
春。暖かい風が心地よい。しかも、この上ない好天。早朝、不忍池をめぐる。万物が蘇生している。花は紅柳は緑だ。上野の桜は五分咲きというところか。
1963年ちょうど今頃の春の盛りに、私は目黒区駒場にある学生寮の住人となった。北寮と名付けられた棟の3階の壁のペンキの匂いを今も覚えている。完全自治制のその寮の6人定員の各部屋は、部活動の単位で割り当てられていた。私が所属したのは中国研究会。略して「中研」だった。東西対立の厳しい時代、西側陣営には英国以外に新中国を承認する国のなかった当時のことだが、社会主義革命をなし遂げた中国に関心もあり、ここに明るい未来があるように見てもいた。
私は熱心な会のメンバーではなかったが、一通りは中国の近代史を学んだ。そのなかで興味をそそられたのは、国共合作である。誰かがこう言った。「抗争の相手と手を結んで間違わない、中国共産党の戦略と判断力はすごい」「いや、誰が考えても当時はそうするしか選択の余地がなかっんだろう」。さて、どうなんだろうか。
また、誰かが言った。「敵の敵は味方なんだ。そう考えなければ、味方はやせ細るばかり。国民党だって味方と考えなければ、大きな力にはなれない」。うん、そうかも知れない。「いや、敵の敵は味方なんて言っていると、敵と味方の境界が分からなくなる。何のために闘っているのかぼやけてしまわないか」。なるほど、そうなのかも知れない。
私には戦略・戦術の是非はよく分からなかったが、第2次国共合作においては、日本という侵略者が主たる敵であることが明らかで、国民党も共産党もこの主敵と闘うためには協力せざるを得ない歴史的状況があった。その少し前にはフランスで、反ファシズム、反帝国主義、反戦を統一スローガンとして掲げる人民戦線政府が誕生している。
「敵の敵は味方」というテーゼの一般化は難しい。先日、本郷三丁目で「NHKから国民を守る党」を名乗る人物が旗を立てビラを配っていた。この政党は、明らかに「NHK」を敵としている。私も、NHKを敵とみる立場。では、「NHKから国民を守る党」は、敵の敵として私の味方か。どうもそうではなさそうだ。この政党とお友達とみられたくはない。
このワンイシュー政党、どう見ても胡散くさい。この党の党首は、立花孝志という人物。この人のホームページを見ると、「私はNHKから被害を受けている視聴者・国民を全力で、命がけで、お守り致します」と威勢がよい。その具体的に被害の内容は3類型あるというが、なかなか理解が難しい。
?経済的被害者【受信料支払い者 約50%】
支払い者【不払い者の分まで支払わされている】
?精神的被害者【受信料不払い者 約50%】
24時間体制でやって来るNHK集金人【反社会勢力関係者も多数在籍】からの脅迫行為や裁判の被告になってしまうかも?という不安による精神的被害
たった一つよく分かるののは、「?情報的被害者」なる類型の中の、「反日的な報道をされている」という一項目。立花らの立ち位置から見ると、NHKの報道姿勢は「反日」であり、「左に偏向している」ことで、国民に被害を与えている。このNHKの反日・偏向報道被害から国民を全力で守るというのだ。これには驚ろかざるを得ない。
NHKの報道姿勢は、その総体的傾向において政権ベッタリ、対米追随、皇室礼賛というほかはない。その権力批判を忘れさったNHKを、「反日」「偏向」というのがこの政党。「敵の敵」ではあるか、こんな政党を味方と見るわけにはいかない。
また、大阪府・大阪市を牛耳っている大阪維新。私は、維新を民主主義に危険な敵と見続けてきた。ところが今、維新を敵とする主たる勢力は自民である。いうまでもなく、自民党も、私にとっての敵である。改憲を目論む勢力として敵リストの筆頭に位置する。
「敵の敵は味方」という公式は、「維新と敵対している自民は味方」とも、「自民と敵対している維新は味方」とも言いうる。さて、今行われているクロス選挙戦どう対応すべきか。
「敵の敵は味方」という一般論は、実は何の指針にもならない。そのときどきで、何が主要なテーマであるかを考え、各勢力の力関係に鑑みて、方針を決するしかない。大阪では、知事・市長を押さえて、大阪都構想を打ち出している維新が主敵。自民大阪と組んでも、維新を倒さねばならない。この判断においては、一般論的公式はなんの役にも立たない。
思えば戦国の昔、七雄は合従連衡を繰り返した。各国の目的は、自国の安泰・他国の併呑という単純さだったが、誰が味方かは、情勢次第で複雑に変化した。
今、改憲阻止が最大の政治課題であり獲得目標である。明文改憲阻止は、現実的に可能な課題であり、万が一にも明文改憲を許すと、取り返しのつかないことになる。そのためには、アベ改憲推進勢力の敵はすべて味方とするしかない。
9条改憲を推し進めようとする者が敵、これを阻止する者が味方。改憲を阻止するためには、味方を増やして敵を孤立させるしか方法はない。ここでは、「敵の敵はすべて味方」だ。国共合作もよし、統一戦線でも人民戦線でもまたよし。肝要なのは、「安倍政権下での改憲阻止」の一点で結集した味方を増やすことに専念するすることだ。
こうして、改憲勢力を孤立させ、7月参院選で改憲勢力から議席を奪うことができれば、しずかな心で、来年の桜を観ることができるだろう。
(2019年3月27日)
日本語という言語世界の豊穣さを表すものに枕詞というものがある。もっとも、ギリシャ神話にも、すね当てよろしきアカイア人、全知全能のゼウスなど、よく似た形容詞・形容句がいくつも出てくるから、枕詞を日本語特有のものとするのは、井の中の蛙のたわ言なのかも知れない。
昔は、類型化してものを見ることを強いるつまらぬものと思っていたが、他者とのイメージ共有化の手段として、便利なものと考えを変えている。節度なく転向したのだ。
あかねさす日、あらたまの年、ちはやぶる神代、ぬばたまの闇、うつせみの命、たらちねの母、ひさかたの光、あしひきの山、くさまくら旅、あまざかる鄙…などの類が典型的なものだが、固有名詞にも枕詞はつく。圧倒的に多くは地名であるが、人名につく枕詞もあるそうだ。
そらみつ大和
八雲立つ出雲
飛ぶ鳥の明日香
玉藻よし讃岐
不知火筑紫
隠りくの泊瀬
神垣の三室
神風の伊勢
押し照る難波
青丹よし奈良
雨隠り三笠
秋津洲大和
百伝ふ磐余
まだすき畝傍
鶏鳴く吾妻
細波の志賀
などなど。
いずれも、「あの」「ほら、例の」という、話者と聴き手の共通のイメージを呼び起こす効果をもっている。語りかけるときの、この効果は貴重なものだ。
そして、日本語の豊穣は、悪態・罵倒語にもあらわれている。詩人川崎洋が「かがやく日本語の悪態」という好著を出している。 日本人は、悪態・罵倒語の豊穣にも恵まれている。
そこで、安倍政権に枕詞を奉ろうと思う。もちろん、悪態の枕詞。誰もが安倍政権を話題にする際に、話者と聴き手の共通のイメージを呼び起こす適切な形容詞としてのもの。歌に読み込もうというものではないから、5音ないし4音である必要はない。もっと長い形容詞句でも良い。
これまで、人口に膾炙するものとしての筆頭は、
「ウソとごまかしの安倍政権」だろう。
あるいは、「偽造・捏造・隠蔽・改竄の安倍政権」
そのほかにも、
「忖度跋扈の安倍政権」
「トモダチ優遇アベ政権」
「政治私物化の安倍政権」
「説明しません安倍政権」
「審議打ち切り安倍政権」
「歴史歪曲の安倍政権」
「反省無縁の安倍政権」
「憲法嫌いなアベ政権」
「改憲ゴリ押し安倍政権」
「原発大好きアベ政権」
「格差拡大安倍政権」
「暴走止まらぬ安倍政権」
「軍隊大好き安倍政権」
「トランプ追随安倍政権」
「ポチさながらの安倍政権」
「統計偽造の安倍政権」
「国民なめてる安倍政権」
「森羅万象支配の安倍政権」
「万事閣議決定の安倍政権」
「立法府長のつもりの安倍晋三」
欺瞞とデタラメのオンパレード。東京五輪もこの手のウソで招致した。要するに汚いのだ。これでどうして政権が持っているのかが、現代の不思議。
しかし、今は、このレベルではおさまらない。
「沖縄県民に寄り添う」「真摯に県民世論に耳を傾ける」と口では神妙なフリをして、沖縄県知事との協議継続を拒否したアベ晋三。「断固として沖縄に敵対し、大浦湾の美ら海に赤土を投入して埋立を強行する」「週明け25日にも、新たな海域に土砂搬入する」と明言している。この安倍政権をどう形容すれば良いのだろうか。
「嘘つき内閣」「恥知らず内閣」「民意無視内閣」「県民敵視内閣」「性悪内閣」「破廉恥内閣」「悪辣内閣」いや、「極悪非道の安倍政権」と言ってしかるべきではないか。
うそつきのしんぞうのしたはぬかれたり にまいさんまいこれでおしまい
うそつきはあべのはじめといましめよ あべになるまいうそつくなゆめ
(2019年3月23日)
本日(3月19日)の赤旗社会面に、「ユダヤ人大虐殺は史実」「現地博物館が高須氏に反論」という記事。さして長いものではないので、全文を引用する。
「第2次大戦下でのナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)についてのアウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館(ポーランド南部)が14日、美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長のアウシュビッツは「捏造(ねつぞう)」とのツイート(2015年10月)に対し、公式にツイートで「史実」だと反論しました。
博物館は高須氏への「返信」に、異例の日本語で「アウシュビッツは世界中の人々の心に絶えず忠告する史実です。ナチス・ドイツによって造られたその強制・絶滅収容所の史跡は、人類史上最大の悲劇を象徴しています」と述べました。博物館の公式ツイートは主に英語やポーランド語です。
博物館はナチスが推定約110万人を虐殺したアウシュビッツ強制収容所(1940?45年)を管理し、歴史教育の活動などを行っています。ホロコーストや虐殺の否定論についてはホームページで、「多くの国で社会の秩序を脅かすと認識され、法的にも処罰されている」と指摘し、虐殺者こそ虐殺を否定してきたと警戒を呼び掛けています。」
通信社の配信記事だろうが、赤旗は掲載に値するニュースと判断したのだ。私も、この件を見過ごしてはならないと思う。
高須克弥という人物については、かつて当ブログで1度だけ取りあげたことがある。できれば、こちらもお読みいただきたい。「『落とし前をつけます』と宣告して始められた、議員に対するスラップ訴訟」という表題のもの。(2018年4月24日)
https://article9.jp/wordpress/?p=10258
この人は医師だというが、この人の発言は、およそ医学的な専門性とは無縁。自然科学的教養に裏付けられたものでもない。一市民として、政治や経済あるいは歴史や社会や文学や芸術に、傾聴に値する見識があるかといえば、その片鱗も窺うことができない。
「売られたら買います。僕はアホで馬鹿です。喧嘩強いです」というのが、この人自身の言葉だが、おそらくはその言葉のとおりなのだろう。典型的な、「トンデモ医者」の「トンデモ発言」の類なのだ。
この人はツイッターで、こんな発言をしている。
その時代に生きていた人は真実を知っています。
洗脳された人たちは真実がわかりません。
誤解された父祖の名誉を回復するのは子孫の義務だと思います。
僕はこのドイツを祖国に持つ女性に負けず、従軍慰安婦も徴用工も南京大虐殺も捏造だと勇気を持って世界に叫びます。
投獄されてもかまいません
「このドイツを祖国に持つ女性」とは、ホロコーストを否定することで刑事訴追された人物を指している。周知のとおり、国際人権B規約(20条2項)には、「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」とある。
これを具体化するかたちで、ドイツだけでなく、フランス、オーストリア、ベルギーなど10か国が、「ナチスドイツの犯罪」を「否定もしくは矮小化」したことを構成要件として刑事罰を科している。イスラエルには、「ホロコースト否定禁止法」があり、外国に対して「ホロコースト否定」の言動をした者の身柄引渡しを要求できるという法制が整備されている。
なぜ、このような犯罪類型が必要になるのか。歴史を真っ当に見ようとしない民族的偏見の持ち主が、差別の言論を繰り返すからである。夥しい証拠に目を背けて、歴史の真実を否定し、あるいは修正しようという勢力が絶えないからである。たとえば、高須克弥のごとき。
前記の高須の舌足らずのツイートは、こう読むことができる。
ナチスの時代に生きていた人だけが、ホロコーストがなかったという真実を知っています。
後世の史観で洗脳された、ホロコーストがあったといっている人たちには真実がわかっていないのです。
あたかもホロコーストがあったかのごとくに誤解された父祖の名誉を回復するのは子孫の義務だと思います。
僕はこの「ホロコーストはなかった」と言うドイツの女性に負けず、従軍慰安婦も徴用工も南京大虐殺も捏造だと勇気を持って世界に叫びます。
要するに、高須の発言は、ホロコーストの史実を言葉の上で抹殺することによって、最悪の民族差別、最大のヘイトクライムを隠蔽し、その犯人を擁護しようとするものである。のみならず、同じ手法で朝鮮や中国に対する近代日本の歴史的罪科を免責しようというものなのだ。これが、歴史修正主義者の常套手段。
「従軍慰安婦も徴用工も南京大虐殺も捏造だと世界に叫びます」が、彼の発言の本意なのだ。残念ながら、いま、歴史修正主義的発言は、「勇気を持って」言わねばならない時代ではない。むしろ、歴史的真実に基づいて、天皇の戦争責任や、9・1朝鮮人虐殺、3・1独立宣言運動大弾圧、従軍「慰安婦」、徴用工、南京大虐殺、三光作戦等々の責任に言及することの方が、ある種の覚悟を要する時代になってはいないか。
高須のホロコースト否定発言は、耳を傾けるべき根拠に基づくものではない。にもかかわらず、歴史修正主義派の有象無象がこれを持ち上げる構図が、時代の空気を物語っている。この時代の空気が、歴史修正主義派の首魁である安倍晋三を首相にまでまつりあげたのだ。この時代の空気を作ってアベを支えている連中の中に、歴史の認識において甚だしく知性に欠けた高須や、これを取り巻く無知蒙昧の輩が位置している。
赤旗は、たかが高須の言動と言わずに、社会面の記事として取りあげた。面倒ではあっても、機敏に反論することが求められている。そして、あらためて、政府の介入によらない歴史教育と、日韓や日中の民間交流の必要性を痛感する。民族差別を露わにした、トンデモ発言を許さないために。
(2019年3月19日)
2017年5月3日に始まる、「アベ9条改憲」提案。これが、今は4項目の『条文イメージ(たたき台素案)』となっている。『条文イメージ(たたき台素案)』とは、なんとも締まりのないグズグズの体。今の時点で、こんなものしか示せないことが、アベとその取り巻きの苦衷をものがたっている。
この4項目の『条文イメージ(たたき台素案)』なるもの、実は、自民党内部でも手続的に確定したものとは言い難い。党内でも固まっていないこの案を与党協議にかけて、公明との摺り合わせを経なくては与党案作成には至らない。与党案の作成ができたとしても、各議院での議席数は十分ではないから、維新にも擦り寄ってもらわねばならない。自・公・維の「改憲3兄弟」の合意案ができても、ことは憲法改正である。ゴリ押しにはなじまない。野党との協議なしには、「憲法改正原案」の確定には到達しえない。改憲の実現には、迂遠な道のりが必要なのだ。
当初、アベ改憲スケジュールは、「2020年を改正憲法施行の年に」というものだった。誰の目にも、これはもう不可能といってよい。
アベ一人笛吹けど自民党議員すら踊ろうとしないのが今の事態。とりわけ、公明党は、アベと同類のイメージを警戒するに至っている。9条改憲の右翼色を前面に出して、「アベ友一味」「改憲一派」とレッテルを貼られることは、選挙戦に大きなマイナスと読んでいる。むしろ、アベ改憲に抵抗の姿勢を見せることで、「平和の党」「福祉の党」のイメージを取り戻してこそ、統一地方選と参院選を闘えるという算段。
だから、レームダック状態が進行しつつあるアベには、もはや改憲主導の力はない。アベ改憲は無理だろう。これが大方の見方。
ではあるが、安心してよいかと言えば、そうもいかない。アベは、相変わらず、ことあるごとに改憲を吹聴し続けている。もちろん、改憲断念と見られたときには、彼の支持勢力から見捨てられ政治生命が終わる宿命なのだから、「まいった」とも、「改憲方針撤回」とも言えないのだ。そのような事態ではあるが、窮鼠は猫をも噛むというではないか。手負いの猪を侮ってはならない。
窮鼠は、本年2月20日、自民党憲法改正推進本部作成による「日本国憲法改正の考え方?『条文イメージ(たたき台素案)』Q&A?」を広報ツールとして、同党所属の国会議員等に配布し、改憲に向けた国民運動に活用するよう指示を出している。あわよくば、これで猫を噛もうというのだ。
窮鼠も手負猪も、侮らずにトドメを刺さなければならない。その手立ての一つとして、改憲問題対策法律家6団体連絡会が、「Q&A」に対する徹底批判を末尾のとおりにまとめた。このPDFをプリントアウトすれば、22ページのパンフレットとなる。
この「徹底批判」の「Q」は、「自民党Q&A」のQをそのまますべて転載している。「A」は自民改憲案の改正がなされると実際にはこんなに変わってしまうというオーソドックスな法律家の考えを述べたもの。
昨年5月には、『〔解説〕自民党改憲案の問題点と危険性』というパンフ(100円)を刊行している。「徹底批判」の最終ページにその注文方法が掲載されているので、併せて活用をお願いしたい。このPDFは、自由にお使いいただき、ぜひとも、宣伝・拡散にご協力いただきたい。
なお、改憲問題対策法律家6団体とは、下記のとおり。
社会文化法律センター 代表理事 宮里邦雄
自由法曹団 団長 舩尾徹
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 北村栄
日本国際法律家協会 会長 大熊政一
日本反核法律家協会 会長 佐々木猛也
日本民主法律家協会 理事長 右崎正博
以下に、このPDF版パンフの目次と、自衛隊明記に関する「Q4」と「Q5」の部分を摘記し、最後にPDFを添付する。
**************************************************************************
?< 目 次 >
《総論》
Q1 なぜ、今、憲法を改正しようとしているのですか?
Q2 どのような憲法改正を考えているのですか?
Q3 条文イメージの位置付けはどのようなものですか?
《各論 1》「自衛隊の明記」について
Q4 憲法9条について、どのように考えているのですか? ・
Q5 自衛隊を憲法に明記する必要はあるのですか?・・
Q6 シビリアン・コントロール(文民統制)って何ですか?
それについては、どのような規定を置きますか?・
Q7 徴兵制は復活するのですか?・・
《各論 2》「緊急事態対応」について
Q8 緊急事態条項ってなんですか?
それがないと困ることがあるのですか?
Q9 どのような場合に緊急政令を定めることができるのですか?・・・・
Q10 緊急政令によって、普段よりも国民の権利が
制限されることになるのではないですか?
Q11 緊急政令は悪用されないでしょうか?
独裁などの危険はないのでしょうか?
Q12 大地震によって国政選挙ができない場合はどうするのですか?・・・
Q13 憲法を改正して国家議員の任期の特例を設けなくても、
今ある仕組みで対応できるのではないですか?
《各論 3》 「合区解消・地方公共団体」について
Q14 なぜ、憲法改正により、参議院の合区を解消する必要があるのですか?
Q15 投票価値の平等については、どのように考えているのですか?
改正は、投票価値の平等との関係で問題はないのですか?
Q16 改正により、参議院議員の代表としての性格は、変わりませんか?
Q17 地方公共団体に関する改正は、どのような意味があるのですか?
《各論 4》「教育充実」について
Q18 なぜ教育に関して憲法改正が必要なのでしょうか?
Q19 憲法改正によって、教育無償化が実現されるのでしょうか?
Q20 憲法改正に伴い、教育について具体的に
どのような措置がとられることになるのでしょうか?
Q21 私学助成って何ですか?
私学助成に関わる規定(89条)を改正するのはなぜですか?
**************************************************************************
Q4 憲法9条について、どのように考えているのですか?
A 憲法9条が掲げる徹底した平和主義に替えて、日米安保条約などによ
る軍事的対応の強化・拡大を考えています。
「自民党Q&A」は、憲法9条の徹底した平和主義は、「国連の集団安全保障体制の下で日本の平和が守れることを想定して」いたものであるが、「国連安保理が期待どおりに機能を果たさなくなっ」たため、自衛隊を作り、安保条約によって、日本に対する武力攻撃には日米両国が共同で対処することになったとし、これを「現実を踏まえた対応」と位置付けています。
しかし、日米安保条約は、変則的ではあるものの軍事同盟条約の一種であり、国連の集団安全保障体制とは別物の、「同盟による平和」の時代の遺物です。自民党の9条改憲案は、この日米の軍事同盟体制をより一層強固にして、自衛隊の海外での武力行使をさらに拡大することを狙うものであり、「武力によらない平和」を希求する憲法9条の精神に反するものです。
Q5 自衛隊を憲法に明記する必要はあるのですか?
A 自衛隊が今まで以上に海外で軍事活動を拡大するためには、憲法に明記
することが必要です。
「自民党Q&A」は、自衛隊明記の必要性として、以下の理由をあげています。自衛隊が「多くの国民の支持を得ているにもかかわらず、?合憲と言う憲法学者が少なく、?中学校の大半の教科書(7社中6社)が違憲論に触れており、?国会に議席を持つ政党の中には自衛隊を違憲と主張するものもあるので、「自衛隊違憲論」を解消するために憲法の改正が必要である。
しかし、こうした状況は、憲法9条の歪曲が、朝鮮戦争の勃発などによるアジアでの対立の激化、米軍の日本駐留の継続、警察予備階から保安隊を経て自衛隊の創設に至るなかで始まり、そして日米の軍事同盟体制が、今日の新「防衛計画の大綱」のように自衛隊の大軍拡を引き起こすところまで進んできたことを端的に示すものです。自民党は、現在の学界や教育界での状況や、他党の自衛隊違憲論などを苦々しく思っているかもしれませんが、そうした状況は、何ら不自然でも不正なことでもありません。こうした状況があったからこそ、これまで9条改憲は阻止されてきたのです。「自衛隊違憲論」に対する敵視は、自らの日米軍事同盟の強化のための9条改憲という企みへの注目をはぐらかし、改憲を容易にすることを狙ったものです。
また、「自民党Q&A」は、「条文イメージは、9条1項・2項を一字一句変えずにそのまま維持するとともに、自衛権行使の範囲を含め、9条の下で構築されてきたこれまでの憲法解釈についても全く変えることなく、国民に信頼されている等身大の自衛隊をそのまま憲法に位置づけるものです」などと述べていますが、これはまったくのウソでしょう。そもそも、自衛隊と自衛権行使の範囲を「全く変えない」のであれば何のための憲法改正でしょう。2015年の安保法制(戦争法)でも、従来は「違憲」としてきた集団的自衛権の行使に、一定の限定を付けながらも踏み切りました。法律でさえできることを憲法の改正で「しない」などという言い訳はとても信じることができません。安保法制をこえる集団的自衛権の行使の解禁がねらわれていると見るべきでしょう。
**************************************************************************
「徹底批判」の全文は、下記をクリックしてください。
(完成版)自民党Q&A批判
(2019年3月18日)
「2011年3月11日」から本日で8年になる。岩手を故郷とする私にとって、あのときの衝撃は生涯忘れることができない。例年、「3・1・1」という数字の連なりに特別の感傷が湧いて、 胸が痛む。例年、震災・津波・原発に関して何かを書かねばならないと思いつつ、筆が重い。
8年前の災害の直後に、石原慎太郎の「震災は天罰」という発言に接して、私は怒りに震えた。「天罰はオマエにこそふさわしい」と慎太郎に怒るとともに、この社会の慎太郎的なメンタリティに怒り、石原慎太郎ごときを都知事に選任している東京都民にも怒った。筆を抑えつつも、その怒りのほとばしりを、「石原慎太郎天罰発言・糾弾」の記事として書き連ねた。
そして、8年後の日刊ゲンダイが報じているのは、原発推進のための処理費用偽装である。当時は、「震災は天罰」とする天譴論をタチの悪い政治家の発言と怒ったが、今また、さらにタチの悪い原発偽装に怒らねばならない。
当時の私の「天譴論批判」記事から、2編だけを引用しておきたい。
「天は誰を咎めているのか」(2011年3月28日)
地震・津波・原発と続く災害のさなかに、「天譴」 という言葉を知った。辞書を引くと、漢籍では宋書(5世紀)に用例があり、和書では九条兼実の「玉葉」 (12世紀)に見えるという。 譴とは、譴責の熟語から推察されるとおり、咎めるということ。「天帝による咎め」は、為政者が過ったときに凶事としてあらわれる。ここには、権力批判のニュアンスが濃い。つまり、天の譴責は時の権力者に向けられる。
関東大震災後後にも、多くの人が 「天譴」 を論じた。このときの天譴論の多くは、時の権力を譴責するのではなく、国民や人類を批判するものだったという。
例えば、内村鑑三。「時々斯かる審判的大荒廃が降るにあらざれば,人類の堕落は底止する所を知らないであろう」。 あるいは山室軍平。「此度の震災は、物慾に耽溺していた我国民に大なる反省を与える機会であった。堕落の底に沈淪せる国民に対して大鉄槌を下した」。 あるいは北原白秋。「世を挙り 心傲ると歳久し 天地の譴怒いただきにけり」(以上、仲田誠 「災害と日本人」)など。
さらに警戒すべきは、自然の力に萎縮する人々の心理に付け込んで、強力に人心を誘導しようという、権力側からの天譴論である。都立高の歴史の先生から、陸軍のトップエリートであった宇垣一成が綴った日記の一節を教えられた。「物質文化を憧憬し思想壊頽に対する懲戒として下されし天譴としか思えぬ様な感じが、今次の震火災に就いて起りたり。 然り、かくのごとく考えて今後各方面に対する革新粛清を図ることが緊要である」
? 権力による人心の支配への災害利用の意図を読み取ることができよう。 かくて、「関東大震災を機に大正デモクラシーが終焉して、ファシズムの時代に向かう」 との図式を描くことが可能となる。
? 首都の都知事が言った 「震災は天罰」 は、その亜流である。しかも、国民による権力批判という本来の天譴論とは正反対の、権力による国民批判である。 これを新たな全体主義への第一歩としてはならない。
災害を「天罰」とするオカルティズムの危険(2011年03月19日)
未開の時代、人は災害を畏れ、これを天の啓示とした。個人の被災は個人への啓示、大災害は国家や民族が天命に反したゆえの天罰とされた。
董仲舒の災異説によれば、天は善政あれば瑞祥を下すが、非道あれば世に災異をもたらす。地震や洪水は天の罰としての災異であるという。洋の東西を問わず古くは存在したこのような考え方は、人間の合理的思考の発達とともに克服されてきた。
天罰思想とは、実は何の根拠もない独断にすぎない。天命や神慮の何たるかを誰も論証することはできない。だから、歴史的には易姓革命思想として利用され、政権簒奪者のデマゴギーとして重用された。
このたびの石原発言の中に、「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。村山内閣もそうだった」との言葉があったのに驚いた。政権簒奪をねらうデマゴギーか、さもなくば合理的思考能力欠如の証明である。このように、自然災害の発生を「無能な内閣」の存在と結びつける、非合理的な人物が首都の知事である現実に、肌が泡立つ。
また、天罰思想は災害克服に無効である。天の罰との理解においては、最重要事は災害への具体的対応ではなく、天命や神慮の内容を忖度することに終始せざるをえない。また、災害は天命のなすところと甘受することにもならざるをえない。
本来、災害や事故に対しては、まず現状を把握して緊急に救命・救助の手を差し伸べ、復旧の方策を講じなければならない。さらに、事象の因果を正確に把握し、原因を分析し、再発防止の対策を構築しなければならない。このことは科学的思考などという大袈裟なものではなく、常識的な合理的思考の姿勢というだけのことである。この常識的思考過程に、非合理的な天罰思想がはいりこむ余地はない。
アナクロのオカルト人物が、今、何を間違ってか首都の知事の座に居ることが明白となった。このままでは、都民の命が危ない。
都民は、愚かな知事をいだいていることの「天罰」甘受を拒絶しなければならない。都民の命と安全のために、知事には、即刻その座を退いていただきたい。
あれから8年。我が故郷岩手の復興は、まずまずというべきだろうか。問題はあらためて福島の原発事故の重さとその復旧の困難である。
本日付、日刊ゲンダイの報ずるところを抜粋する。
またデタラメ数値だ―。民間のシンクタンク「日本経済研究センター」は7日、廃炉や賠償などの処理費用が、総額35兆?81兆円になるとの試算を発表した。経産省が16年に公表した試算額は22兆円。経産省は思いっきり過少試算して、原発をゴリ押ししてきたのだ。
核燃料デブリを取り出して廃炉にした場合は81兆円、デブリを取り出さずコンクリートで閉じ込め、廃炉を見送った場合は35兆円とされている。35兆円には廃炉見送りで生じる住民への賠償や管理費は含まれていない。
?「原発を推進したい経産省は、変動要因をすべて楽観的に見て試算しています。『日本経済研究センター』は、反原発でも推進でもなく、試算は客観的にはじかれています。81兆円は経産省の22兆円よりも、圧倒的に信頼性がある数値といえます」「世耕経産相は22兆円を前提に『いろいろな費用を全部含めても、原発が一番安い』と繰り返しています。しかし、その22兆円が“真の数値”から懸け離れていた。つまり、国民はミスリードされていたのです。賃金やGDPをカサ上げしてアベノミクスの“成果”を見せかけた構図と同じ。原発推進も偽装の上に進められていたわけです」(横田一氏)
地震・津波は自然災害だが、原発事故は人災である。天譴論は愚かで底が浅いが、原発偽装は客観性を装ってる点の罪が深い。この期に及んでなお、原発推進政策を合理化しようとするものなのだ。慎太郎のオカルトよりも、ウソとごまかしのアベ政権恐るべし、なのだ。
(2019年3月11日)