大晦日。2018年最後の日である。世のならいでは、この日に旧年を振り返る。
財団法人日本漢字能力検定協会が発表する恒例の「今年の漢字」は、「災」であった。災難・災厄・災害の「災」である。その選定は、公募によるもの。この年をイメージするにふさわしい漢字一字を公募し、その中で最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として発表するという。多くの人々にとって、2018年は「災」の年であった。
応募総数193,214通のうち、「災」は20,858票(10.80%)におよんだという。「災」は、自然災害だけでなく、当然に人災も意味する。協会の発表の中にも、「レスリング、体操などのスポーツ界に於けるパワーハラスメント問題や財務省の公文書改竄(書き換え)問題などといった人為的災害が顕著であったこと。免震装置のデータ偽装…などの出来事があったこと。」という一文が見える。
財務省の公文書改竄問題は、森友問題において顕著に表面化した。アベ政権の悪質な政治の私物化と、その構造的隠蔽を象徴する事件。これぞ人災の極み。加計学園事件とともに、未解明のまま、年を越すことになる。
私も、2018年は「災」の年であったと思う。その最大のものは、「安倍三選」である。こんな「ウソとごまかし」で遊泳してきた人物が政権与党の総裁で、行政府の長であり続けている。そして、国民がこれを許してもいる。この事態こそが我が国の災厄・災難にほかならない。この災厄の元凶を摘除せぬまま放置していれば、憲法が危うくなる。平和も人権も議会制民主主義も危殆に瀕することになる。
ところが、当の本人には、そのような自覚がない。12月12日、彼が2018年を表す漢字として「転」を選んだ、と報じられている。その理由として、「若い力が台頭した。新しい世代への転換を予感させる一年」と説明したという。漢字協会ほどの危機感はなく責任感もない。新しい世代も見くびられたものだ。
もうひとりの災厄の元凶・菅義偉官房長官は、今年の漢字に「成」を選んだ。約70年ぶりの改革となった「働き方改革法」や「改正漁業法」などを列挙し、『様々な改革を成し遂げることができたと思っている』と自賛したとのこと。悪法を手柄にしているのだから、始末に終えない。こうした傲慢な精神がアベ政権を支えて、「災」の原因となっている。
一方、玉城沖縄県知事は、今年の漢字に「激」「揺」「動」「展」の4字を選んだという。同知事は、「私にとっても県全体にとっても激動の1年だった」と振り返り、「『激』しかったし、『揺』れ『動』いた。未来へ向かって皆で協力していこうという意味では展開の『展』もある」と説明したという。
アベはアベなりに事態の「転換」を願い、玉城は玉城で「展開」「発展」を願っている。もちろん、両者の願う未来図はまったく様相を異にする。明年は、さらに事態は揺れ動き、政権と民衆の側のせめぎ合いは激しくなるだろう。
それにしても、災厄の張本人であるアベが、自身で「転」を掲げるのがブラックユーモア。故事では、「禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」という。そのためには「禍」「敗」の原因を突き止め除去しなければならない。「旧年の『災』を転じて、新年の『福』となす」も同じ。「災厄の元凶」を除去してこその『転』ではないか。何よりもアベ自身が身を引くことが、厄落しであり「福」なのだ。
旧年の災を、新年の福に転じるには、アベ政治を終わらせねばならない。2018年4月の統一地方選を前哨戦として、7月の参院選で自・公・維の「改憲ブロック」から「立憲野党ブロック」が議席を奪還して過半数を獲得すること。その決意が、年の終わりに求められている。自分にそう、言い聞かせたい。
みなさま、よいお年をお迎えください。
(2018年12月31日・連続更新2101日)
当ブログは、アベ2次内閣発足直後から書き始めたもの。筆を起こした動機は改憲の現実的危機感からである。なんと、本日で2100回の毎日更新となった。2000日を超えてなお、こんな憲法の理念とはほど遠い人物が行政のトップに居座り続けているのだ。いまだに改憲の危機は去らない。当ブログも、腰を落ち着けて「アベ政治を許さない」論陣の一翼を担い続けたい。
本日は息抜き。共感していただけたら、ありがたい。
友 情
ないしょ ないしょ
ないしょの話は あのねのね
ゴルフの合間に ね 晋ちゃん
お耳へこっそり あのねのね
加計のおねがい きいてよね
ないしょ ないしょ
もちつもたれつ あのねのね
グラス傾け ね 加計ちゃん
ほんとにいいでしょ あのねのね
秘密のおねがい きいてよね
ないしょ ないしょ
ないしょの話は あのねのね
お耳へこっそり ね ウフフ
知っているのは あのねのね
加計と晋ちゃん 二人だけ
神 風
誰が風を 見たでしょう
僕もあなたも 見やしない
けれど役所を 顫わせて
通りぬけたの 神風が
誰が現場を 見たでしょう
僕もあなたも 見やしない
けれど値引きは 8億円
誰の指示なの 関与なの
誰が風を 起こしたの
あなたも僕も 知っている
けれども彼は どこ吹く風で
風のおさまり 待つばかり
一強国会
汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕等をのせて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード まっしぐら
審議も とぶ とぶ 答弁もとぶ
走れ 走れ 走れ
採決だ 強行だ やっちまえ
汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
汽笛をならし
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆかいだ ゆかいだ いいながめ
ちからだ 多数だ ほら 成立だ
走れ 走れ 走れ
暴走だ 脱線だ 気にするな
汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
けむりをはいて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆこうよ ゆこうよ けちらして
強い お国が 目の前だ
走れ 走れ 走れ
改憲だ 強兵だ まっしぐら
辺野古の海
あした浜辺を さまよえば
ジュゴンの昔 しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 珊瑚の色も
ゆうべ浜辺を もとおれば
美ら海汚す 土砂の山
アベの仕打ちに 胸ひしぐ
月も涙や 星も泣く
はやてとなりて 波を吹く
民の怒りを アベや見よ
病みし浜辺を いえさせて
真砂の浜よ よみがえれ
希 望
どこかで「春」が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで議論が 交わされて
どこかでデモも 起きている
どこかで声が 上がってる
くりかえさないぞ あやまちは
声と声とが響き合い
「春」の生まれは ここかしこ
(2018年12月30日・連続更新2100日)
昨日(12月27日)は盛岡だった。少し時間に余裕があったので、原敬記念館に足を運んでみた。初めての見学。年末だからであろうか、閑散として見学者は他になかった。
館自身の案内はこうなっている。
「大正時代に平民宰相として活躍した原敬(はらたかし)の生家に隣接して建設された記念館です。
原敬はわが国最初の本格的政党内閣を実現し民主政治の確立に命をかけて活躍しました。記念館には、原敬の業績をたたえ政界の貴重な資料や原敬日記(はらけいにっき)、遭難時の衣服、遺品、遺墨等を展示しています。」
郷土の有名人を顕彰したいという気持はよくわかる。できるだけ偉人として讃えたいのだ。そのキャッチフレーズが、終生爵位を受けなかったところからの「平民宰相」だ。が、「民主政治の確立に命をかけて活躍し」は本当だろうか。さて、讃えるほどの業績として、いったい何があるのだろうか。
盛岡出身の私だが、地元に原敬人気というものを感じたことはない。盛岡ゆかりの人として啄木や賢治を熱く語る人は無数にいる。しかし、「原敬を慕う」「尊敬する」などという風変わりな人物の存在は寡聞にして知らない。むしろ、「利益誘導型保守政治家の原型」「徹底して普通選挙に反対した宰相」というイメージが強い。アベ政治の原型を作った政治家と言ってもおかしくはない。展示物の中には、「民衆からの人気はない」という辛口の記事もあった。
記念館のリーフレットにある原についての解説は次のとおりである。
安政3年(1856)に生まれる。15歳の時、戊辰戦争の敗戦の屈辱を心に秘めて上京し勉学に励んだ。新聞記者を経て主として外務省を中心に明治政府の役人となり、井上馨や陸奥宗光にその才能を認められて活躍し外務次官にまで昇進した。
明治30年(1897)外務省を退官して再び言論界に戻り、大阪毎日新聞社長として論説及び経営に腕を振るった。明治33年立憲政友会の創設に関わり、政治家の道に入って、明治憲法のもとで政党政治の確立につとめた。明治35年、衆議院議員に立候補して以来故郷の盛岡より連続8回当選し、また中央政界では立憲政友会の幹事長から総裁となり、大正7年(1918)9月首相となった。
新聞社時代には署名論文に筆をとる一方、数々の著書を残した。
満19歳から、65歳の兇刃に倒れた当日までの記録「原敬日記」83冊は、学術上の貴重な文献となっている。
趣味として俳句をたしなみ、「一山」や「逸山」の号でその時々の心境を託したすぐれた作品が数多く残されている。
「勉学に励んだ」「役人となり活躍」「外務次官にまで昇進」「新聞社長として腕を振るった」「政党政治の確立につとめた」「数々の著書を残した」「『原敬日記』は、学術上の貴重な文献」が、褒め言葉なのだろうが、具体的に何をしたのかさっぱり分からない。丹念に展示品を見て回ったがやっぱり分からない。
分かったことは、ちょうど100年前の1918年に原敬が初めて本格的な政党内閣を組織したこと。1921年に彼は暗殺され、早くも政党政治は揺らぐ。そして、政党内閣時代は1932年の5・15事件で終焉を迎える。わずかに15年たらずのこと。
本日になって、ネットで検索をしてみた。ウィキペディアが肯ける内容の解説をしている。興味深いところだけを引用しておきたい。
原は政友会の結党前と直後の2度、貴族院議員になろうとして井上(馨)に推薦を要請している。…また、爵位授与に関しても実はこの時期に何度か働きかけを行っていた事実も明らかになっている(原自身が「平民政治家」を意識して行動するようになり、爵位辞退を一貫して表明するようになるのは、原が政友会幹部として自信を深めていった明治末期以後である)。
この人、ジャーナリスティックな感覚に優れていたのだろう。「平民宰相」のネーミングを有効に活用したのだ。しかし、「平民」は彼にとってそれ以上のものではなかったようだ。所詮は無産階級や無産政党とは異世界に住み、実のところ、「ポーズだけの平民政治家」「普通選挙に反対しとおした平民宰相」であった。
また、つぎの一文が目についた。
首相就任前の民衆の原への期待は大きいものだったが、就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが政商、財閥向けのものであった。また、度重なる疑獄事件の発生や民衆の大望である普通選挙法の施行に否定的であったことなど、就任前後の評価は少なからず差がある。普通選挙法の施行は、憲政会を率いた加藤高明内閣を待つこととなる。
100年後のアベ政権はこうなるだろうか。
首相就任前の安倍への期待は右翼や改憲勢力や歴史修正主義者において大きく、国民の大半は民主党政権への失望からの消極的支持に過ぎなかった。就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが大企業や金持ち階級、そして歴史修正主義派向けのものであった。また、森友事件や加計学園問題など、度重なる政治の私物化事件の発生や、公文書の隠匿・捏造・改竄を特徴として、民意の失望を招いた。さらに、立憲主義を理解することなく、首相自らが明文改憲を提唱し、解釈の変更による壊憲に奔走して、平和と民主主義の衰退をきたす元凶と指弾された。
この100年、議会制民主主義に進歩はあるのだろうか。そして、アベ政治後の議会制民主主義の危機を心配しなくてもよいのだろうか。
ところで、同館のリーフに、みごとな筆の「遺墨」が掲載されている。盛岡での戊辰戦争殉難50周年慰霊祭のあとの書だという。
焚く香の煙のみだれや秋の風
という句に添え書きがあり、「余は、戊辰戦争は政見の異同のみ、誰か朝廷に弓をひく者あらんやと云って、その冤を雪げり」と読める。
「冤を雪ぐ」(えんをそそぐ)は、「冤罪」を晴らして無実を明らかにすること。賊軍とされた南部藩の死者について、「官軍側と政治的見解の相違はあったが、どこにも天皇に刃向かう者などいるはずはない」と弁護してその無実を晴らした、という一文。
時代の制約と言えばそれまでだが、この人どっぷりと天皇制に浸りきった生涯を送った。それが、安全な時代だった。今の時代には恥ずかしい天皇を敬する歌や句を遺している。たとえば次のような。
大君の御面にかへて御かたみを 年のはじめにをがみつるかな
はれ衣着て御幸拝むや秋日和
同じくフランス語とフランス文化を学びながら、中江兆民と原敬との天と地ほどの落差はどこからきたのだろうか。肝に銘じたい。「原敬なる勿れ、中江兆民たれ」と。
それでも、議会制民主主義にもとづく政党政治は大切だ。薩長藩閥政治よりも、軍閥政治よりも、よっぽどマシなのだ。今、原敬とアベ晋三とを比較して、この100年間の進歩のなさを確認しなければならないことが哀しい。
(2018年12月28日・連続更新2098日)
「金子みすゞ」。何という清澄な響き。その名を耳にすれば、心が洗われる。
「安倍晋三」。何という汚濁にまみれた響き。その名を聞くだに心がきしむ。
みすゞと晋三。およそかけ離れた、対照的な存在。住む世界が根本的に異なるのだ。聖なるものと俗なるもの。清らかなるものと穢れたもの。真実と嘘。善きこととと悪しきこと。そして、美しいものと醜いもの。
ところが、この両者に接点がないではない。繋ぐものは、出身地と鯨である。
よく知られているとおり、みすゞの生地は山口県大津郡仙崎村。今は、長門市の一部。長じてからは下関に出て、そこで幸薄い短い生涯を終えた。
晋三の生地は東京だが、本籍地は山口県大津郡油谷町。これも、現長門市である。その選挙地盤は、長門市と下関市からなる山口4区。
みすゞの詩には漁をうたったものが少なくない。仙崎が漁師町だったからだ。また仙崎は、捕鯨で知られた漁港でもあった。地元では、近代捕鯨の発祥の地と言っているようだ。みすゞの詩のなかには、鯨をテーマにしたものが見える。よく知られているのが、「鯨法会」だろう。
鯨 法 会
鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁夫が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いています。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
念のため、法会は「ほうえ」と読む。鯨の死を悼み供養する仏事が詩の題材になっている。みすゞの、獲られる側を思いやる気持が心に沁みて、何とももの悲しい。
もの悲しさとは異なる『鯨捕り』という詩も知られている。以下は、その一部。
むかし、むかしの鯨捕り、
ここのこの海、紫津が浦。
海は荒海、時季は冬、
風に狂うは雪の花、
雪と飛び交う銛の縄。
岩もこ礫もむらさきの、
常は水さへむらさきの、
岸さへ朱に染むという。
厚いどてらの重ね着で、
舟の舳に見て立って、
鯨弱ればたちまちに、
ぱっと脱ぎすて素っ裸
さかまく波におどり込む、
むかし、むかしの漁夫たち。
晋三には、引用すべき句も歌も詩もない。心に沁みるスピーチも、人を感動させるフレーズも皆無である。あるのは、ウソ、ごまかし、隠蔽、捏造、デンデン…。
しかし、選挙区の自分の支援者の声を聞くことには熱心なのだ。長門市と下関市からなる山口4区は、和歌山の太地と並ぶ捕鯨の拠点だという。なるほど、それがIWCを脱退して、商業捕鯨を始めようという理由と聞かされれば、合点がゆく。何とも唐突で、理解し難い政府の決定の、これか舞台裏であったか。
来年(2019年)7月開始が宣言された商業捕鯨は、沿岸捕鯨と沖合捕鯨(EEZ内)の2種があるという。沿岸捕鯨の中心地が、和歌山県の太地で、沖合捕鯨の基地は下関だという。つまりは、二階幹事長とアベ晋三の選挙区。たいへん分かり易い。
本日(12月28日)の「日刊ゲンダイ」が次の記事を掲載している。
「約30年ぶりの商業捕鯨再開に踏み切ったキーマンに、政府関係者は『山口と和歌山の政権ツートップ』を挙げ、安倍首相と二階幹事長の関与を示唆。太地町を選挙区に抱える二階幹事長は、この日も三軒町長に『(捕鯨を)徹底的にやれ』とハッパをかけたというが、日本の国際機関からの脱退は極めて異例だ。戦前に孤立化を深めた国際連盟脱退すら想起させる。
また、読売も、「自民推進派 脱退を主導」のタイトルの記事で、「二階氏中心的役割」をメインとしつつ、アベ晋三についても、こう書いている。
「安倍首相も、捕鯨の拠点がある山口県下関市を地盤としている。10月29日の本会議では、『一日も早い商業捕鯨の再開のため、あらゆる可能性を追求していく』と表明した」
今度は、鯨疑惑か。アベ晋三よ。鯨が泣いているぞ。
沖で鯨の子がひとり、その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、こいし、こいしと泣いています。
海のおもてを、鐘の音は、海のどこまで、ひびくやら。
この鐘は、議会制民主主義の弔鐘に聞こえる。鯨の子だけではない。みすゞも泣くだろう。民主主義も泣かざるを得ない。
(2018年12月27日・連続更新2097日)
表面上は至極真っ当な発言も、発言者が誰であるかでニュアンスは大きく変わってくる。「あれが真意であるわけはない」「裏があるに違いない」と勘繰りが先に立つのだ。場合によっては、字面とは真逆の真意が忖度されることにもなる。アベが言う「丁寧な説明」や「積極的平和主義」はその典型だろう。麻生太郎が口にした「セクハラ罪はない」や、河野太郎の「次の質問をどうぞ」も同類。
しかし他方、裏があるにせよ、真っ当なことには反論なしがたい。真っ当な発言はその内容ゆえに、真意の忖度とはかかわりなく、発言の重みをもつこともある。とりわけ、発言の相手がよほど真っ当ならざる場合には。
伝えられるプーチンの沖縄辺野古問題への言及も、その真意の忖度を超えた発言の重みを認めざるを得ない。なにせ、批判の対象が安倍晋三なのだから。
「ロシアのプーチン大統領は20日に開いた年末恒例の記者会見で、ロシアが北方領土を日本に返した場合に米軍基地が置かれる可能性について、『日本の決定権に疑問がある』と述べた。安倍晋三首相はプーチン氏に北方領土には米軍基地を置かない方針を伝えているが、プーチン氏は実効性に疑問を呈した形だ。」
さらにプーチンは、「(米軍基地問題について)日本が決められるのか、日本がこの問題でどの程度主権を持っているのか分からない」「平和条約の締結後に何が起こるのか。この質問への答えがないと、最終的な解決を受け入れることは難しい」と言及し、安倍晋三の言の実効性を疑問視する理由を、辺野古基地建設問題を挙げて、こう発言したという。
「(沖縄県)知事が基地拡大に反対しているが、何もできない。人々が撤去を求めているのに、基地は強化される。みなが反対しているのに計画が進んでいる」。これが、「日本の主権のレベルを疑ってしまう」につながる。だから、2島返還後米軍基地が置かれる可能性を否定できないではないか。アベの言は信を措けない、との結論となる。
毎日の記事が具体的である。
日本が配備する米国製のミサイル防衛(MD)システムに関し、プーチン氏は「防衛目的だと(いう日本の説明)は信じていない。システムは攻撃能力を備えている」と語った。ロシアは、日本が配備予定の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」にも懸念を表明している。
また、沖縄県の玉城デニー知事や住民の反対にもかかわらず、米軍普天間飛行場の移設計画に伴い同県名護市辺野古沿岸への土砂投入が始まったことについて「日本の主権のレベルを疑ってしまう」と批判的な見解を示した。
さて、このプーチン発言。来月(19年1月)中旬から始まる日露の北方領土返還交渉の前哨戦と解説されているが、これが改憲問題に絡むかも知れないということで注目せざるを得ない。一部の観測では、今八方ふさがりの安倍政権にとって、唯一の点数稼ぎの展望が、「日露平和条約」の締結。「2島返還+α」を「現実的成果」として、ジリ貧挽回の解散だってないではないという。
安倍政権は、いまやあれもこれもうまく行っていない。経済も、原発も、沖縄も、国会運営も行き詰まっている。何よりも、ウソとごまかしにまみれたイメージが色濃く定着し、「信なければ立たず」という政治不信のジリ貧状態。トランプとも、習近平とも、韓国ともうまくやれない。そこに、プーチンの平和条約締結の提案。これがうまく行けば、タイミングを見計らっての解散総選挙。乾坤一擲の勝負に勝てば、改憲の目がまだ残されているというのだ。
興味深いのは、「沖縄県の玉城デニー知事や住民の反対にもかかわらず、…辺野古沿岸への土砂投入が始まったことについて『日本の主権のレベルを疑ってしまう』」とされたこと。安倍が、民主主義や地方自治の精神について、プーチンから諭されている図。さすがに、プーチンには言われたくないが、アメリカへの過剰な義理立てが、他国には尋常でない国における尋常ならさる事態と映っているのだ。
住民の意思を蹂躙して、宗主国への思惑忖度を優先する「独立国」にあるまじき奇矯な行動。プーチンにまで、『日本の主権のレベルを疑ってしまう』と言われたことを恥辱ととらえなければならない。そうではないか。首相よ、外務大臣よ。そして防衛大臣と国交大臣よ。
(2018年12月24日)
本日の毎日新聞第12面「オピニオン」の頁。「みんなの広場欄」の投書が目にとまった。「有権者の皆さん立ち上がろう」という、まことにストレートで、けれんみのないタイトル。投稿者は、滋賀県東近江市にお住まいの(無職・小西恵美子さん・70)。
まずは、その全文を引用させていただく。
内容が不十分にもかかわらず、まともな審議もせずに国の方向を左右する法案の採決を強行。さらに、体を張って「美(ちゅ)ら海」を守ろうとする沖縄の人たちを排除し、埋め立て工事を強行。これが我が国の政府のやり方です。どこに良識があるのでしょうか。
「さすがにこれでは良くない」と思っていても、長いものには巻かれろとばかりに「1強」になびき、異を唱えることさえできない与党の面々。しかし、その人たちは私たちが選んだ議員なのです。
有権者の皆さん、目覚めてください。立ち上がってください。こんな政治を静観せず、改めさせることができるのは有権者の一票一票なのです。それを無駄にせず、「物事を正しく考えて発言できる」人に投票しましょう。
来年は参院選が行われます。一人一人が政治に関心をもちましょう。そして、国民が安心して暮らせる平和な社会をつくるため、棄権せず、「正しい投票」をしましょう。
何とシンプルで力強い呼びかけだろうか。全面的に賛同したい。私も、「目覚めよう。立ち上がろう」と思う。そして、多くの人に、この思いを伝えたい。
この投書者は、今の政治に怒り心頭なのだ。よほど腹に据えかねている。しかし、絶望してはならないと自分に言い聞かせ、自分にできることを探して、新聞投稿という手段に訴えたのだ。まず、自らが立ち上がり、人に呼びかけることで一歩を踏み出したのだ。立派なことだと思う。
しかも、安倍や麻生を罵倒したい気持ちを抑えて、表現を抑制している。何よりも、多くの人の共感を得たいと考え抜いてのことだろう。
この投書者の現政権に対する危惧と批判は、何よりも議会制民主主義の劣化にある。誰が見ても明らかなとおり、重要法案の中身がいい加減だ。法案を必要とする根拠に関する資料は、捏造され、隠蔽され、改竄される。それでいて、まともな審議もすることなく、数を恃んでの採決強行が常套化している。議会は明らかに、形骸化させられている。恐るべき事態なのだ。これを「与党も野党もどっちもどっち」などと傍観していてはならない。真っ当な議会を、民主主義を取り戻さなければならない。
さらに、「体を張って「美(ちゅ)ら海」を守ろうとする沖縄の人たちを排除し、埋め立て工事を強行」。これは、住民の声を聞こうとしない権力の暴走以外のなにものでもない。しかも、公有水面埋立法では、海面の埋立は県知事の許可または承認が必要なのだ。その権限をもつ沖縄県知事が、国の埋立を違法と言っている。にもかかわらず、安倍政権は、問答無用で「沖縄の人たちを排除し、埋め立て工事を強行」しているのだ。誰もが納得できないことを「安倍一強」政権は強行している。いまや、安倍政権に一片の良識も見出すことはできない。
この劣化した政治の責任を負うべきは、まず「一強」と言われる安倍首相やその取り巻きにあり、次いで「長いものには巻かれろとばかりに「一強」になびき、異を唱えることさえできない与党の面々」にある。そのとおりだ。しかし、投書者の言いたいことはその先にある。
しかし、与党議員も、与党議員が選出した安倍内閣も、実は私たちが選挙で選んだ議員なのです。選挙で選んだ議員であり政権なのだから、選挙で覆すことができるはず。こんな、民意から離れた、あぶなくて、薄汚い政治は、有権者の意思で変えられるはずではないか。
だから、投書者の痛切な訴えとなる。「有権者の皆さん、目覚めてください。立ち上がってください。」という、声が絞り出される。改めて、その通りだと思う。「こんな政治を静観せず、改めさせることができるのは有権者の一票一票なのです。」
最近数回の国政選挙では、有権者は間違えた選択をしてしまった。自民党や公明党に多数の議席を与えてしまったのだ。残念ながらこの議員たちは、「物事を正しく考えて発言できる」人たちではなかった。この与党議員に対する投票は無駄になってしまった。いや、無駄どころか、その投票が腐敗した一強政治を育んでしまったのだ。民主主義の破壊、住民自治の破壊、憲法理念の破壊の進行をもたらしてきたのだ。今度こそ、自民党や公明党の候補者に投票することで過ちを繰り返してはならない。今度こそ、一票を無駄にすることなく、「正しい投票」をしなけれはならない。
「正しい投票」とは、一人一人が政治に関心をもち、政治を見つめ、話し合い、候補者を見極めての投票のことだ。具体的に、どの政党、どの政治勢力への投票が「正しい」投票であるかは、見解が分かれよう。しかし、今確実言えることは、諸悪の根源である安倍一強政治を生きながらえさせる投票であってはならないということだ。
来年(2019年)の4月には統一地方選挙、7月には参院選がある。現与党に大きな反省を迫る投票こそが、民主的で平和な社会を作るための「正しい投票」であると、私は確信する。
小西恵美子さん、ご活躍を。
(2018年12月20日)
「沖縄県民に寄り添う」っていう、私の例のフレーズ。最近とみに評判が悪い。冗談の分からない人々が真に受けちゃって、本気になって批判しているから始末にこまる。「沖縄県民に寄り添う気持があるなら、辺野古の埋立は直ちに中止して、県民投票の結果を待つべきだ」なんてね。私がそのとき任せの口先だけでものを言っているのが、分からないんだろうかね。
「県民の皆様に寄り添う」って、私がこの頃急に言い始めたわけじゃない。一昨年(2016年)6月23日の「沖縄全戦没者追悼式典」あたりが初めてのことだったように思う。このときの式辞で、私は「沖縄県民の皆様方の気持ちに寄り添いながら、成果を上げていきたいと考えています。」と言っている。少しも具体性はないけど、なんとなく上手にその場を取り繕うフレーズとして、よくできていると思うんだ。
なにしろ沖縄は、政権にとっては完全にアウエイの雰囲気。全国どこでもたいてい私が顔を出すところは、物欲しげな物わかりよい常識人ばかりが集まってくる。だから、みんなが私をチヤホヤもし、忖度もしてくれる。それが首相たる私に対するエチケットというものだろう。ところが、広島だの長崎だの沖縄となると話しが別だ。ガチな雰囲気なんだ。誰も物欲しそうにしていないから、始末に悪い。こんなところでは、「県民の皆様に寄り添う」って、リップサービスをせざるを得ない。そのときより前にも「寄り添う」をつかったかも知れないが、もう忘れてしまった。何しろ、口先だけのことなんだから。
今年(2018年)6月23日の、「沖縄全戦没者追悼式」でも、式辞を「今後とも沖縄の皆様の心に寄り添いながら負担軽減を進めていく考えであります。」と締めくくった。
「沖縄の皆様の心に寄り添い」って何のことだか、しゃべっている私にもよく分からない。でも、分からないなりに、なんとなくそれなりの雰囲気は出ているじゃないの。それに、ちゃっかり「今後とも」と入れたから、「これまでも皆様の心に寄り添ってきた」ことになる。うまくやったと思ったんだ。だけどあのとき、翁長雄志さんから、刺すような険しい目でにらまれて、正直恐かったね。鬼気迫るオーラが漂っていた。
今年8月6日の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」の挨拶でも、「寄り添う」の使い回しをした。「被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。」とね。ああ、このフレーズ便利だ。いろんなところで使える。
次は、10月9日。翁長雄志さんの県民葬。そこで、官房長官が私の弔辞を代読した。そのときの起案の中に、「県民の気持ちに寄り添いながら沖縄の振興・発展に全力を尽くす」というフレーズを入れたんだ。ところが、これに反応して怒声が飛んだ。県民参列者からの「帰れ!」「嘘つき!」「いつまで沖縄に基地負担を押しつけるんだ」などなど。葬儀の場で怒号が飛び交うのは珍しい光景だろう。県民の相当数が、翁長さんの命を縮めたのは、安倍と菅だと思い込んでいる様子なんだ。それにしても、「嘘つき」と言われるのは応える。思い当たるから、なおさらだ。
続いて10月12日官邸に玉城新知事を迎えての会談の席。変わり映えしないが、プロンプターを覗き込みながら、こう言った。
「戦後70年がたった今なお、米軍基地の多くが沖縄に集中しているという大きな負担を担っている。この現状は到底、是認できるものではない。今後とも、県民の皆さまの気持ちに寄り添いながら、基地負担の軽減に向けて一つひとつ着実に結果を出していきたい」
そして10月24日。臨時国会冒頭の所信表明演説にも、このフレーズを入れ込んだ。「今後も、抑止力を維持しながら、沖縄の皆さんの心に寄り添い、安倍内閣は、基地負担の軽減に、一つひとつ、結果を出してまいります」とやった。
「今後も」「抑止力を維持しながら」というんだから、これまでとすこしも変わらないつもりだったんだが、「沖縄の皆さんの心に寄り添い」がひとり歩きを始めたようだ。本気で言ってるわけじゃないから、痛し痒しというところ。
こんな風に「沖縄の皆さんの心に寄り添い」と繰りかえしながら、辺野古の海を埋め立てて新基地を作る方針を変えたことはない。こういうことは、ブレてはいけないんだ。
「沖縄の皆さんの心に寄り添い、安倍内閣は、基地負担の軽減に、結果を出してまいります」と国会で演説したのが10月24日。そして、11月1日には辺野古埋立の工事再開に踏み切ったのだから、まあ、少しは早かったかもしれないな。さらに、大浦湾に土砂投入を開始したのが12月14日。「嘘つき」呼ばわりも無理はなかろう。
でも、私も「ご飯論法」のアベだ。まったく言い分がないわけでもない。
まず、私は、確かに「沖縄の皆さんの心に寄り添い」とは言ったよ。だけど、「沖縄の皆さんだけの心に寄り添い」とは言っていない。わざわざ口に出さなくても、本土の皆さんや、私の支持基盤である右翼の皆さん。あるいは、アメリカ政府の皆さんなど、「多くの方々の心にも寄り添」わなくてはならない。だから、心ならずも、沖縄の皆さんを失望させることもあるのは、やむを得ない。
それだけじゃない。「沖縄の皆さん」も一色ではない。当然に、寄り添うべき心も千差万別じゃないか。かならずしも辺野古新基地建設反対だけが、寄り添うべき心だとは思えない。自然を破壊しても、騒音や事故が頻発しても、軍事基地を作っていただきたい、という沖縄の心だって、探せばあるはず。中国や北朝鮮の脅威から我が国を防衛するための基地建設なんだから、アベ政権に協力したいという「声なき声」をよく聞かなければならない。
耳を澄ますと、ほら、そういう右側からのかすかな声が、私だけにははっきりと聞こえてくるんだ。
(2018年12月19日)
暴走政権の辺野古土砂投入の強行が12月14日。翌15日付の琉球新報社説が、よく意を尽くして説得的であり印象的でもある。これは、県外の多くの人々に読んでもらうべきだろう。全文を引用したい。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-849072.html
社説の標題は、「辺野古へ土砂投入 第4の『琉球処分』強行だ」。
この光景は歴史に既視感を覚える。沖縄が経験してきた苦境である。
?
政府は、名護市辺野古沿岸に米海兵隊の新基地を造るため埋め立て土砂を投入した。昨年4月の護岸着工以来、工事を進める政府の姿勢は前のめりだ。9月の知事選で新基地に反対する玉城デニー知事誕生後わずか約1カ月後に工事を再開し、国と県の集中協議中も作業を進めた。手続きの不備を県に指摘されても工事を強行し土砂を投入したのは、基地建設を早く既成事実化したいからだ。
県民の諦めを誘い、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票に影響を与えたり、予想される裁判を有利に運ぼうとしたりする狙いが透けて見える。
辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった。
ところが返還は県内移設が条件であるため曲折をたどる。関係した歴代の知事は県内移設の是非に揺れ、容認の立場でも、使用期限や施設計画の内容などを巡り政府と対立する局面が何度もあった。
5年前、県外移設を主張していた仲井真弘多前知事が一転、埋め立てを承認したことで県民の多くが反発。辺野古移設反対を掲げる翁長県政が誕生し玉城県政に引き継がれた。県内の国会議員や首長の選挙でも辺野古移設反対の民意が示されている。
今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。
その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を「南の関門」と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の「琉球処分」と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の「琉球処分」の強行である。
歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。
土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。
「琉球処分」は、明治政府の強権による沖縄に対する廃藩置県である。1879年3月、政府は軍隊と警察力を動員した威嚇のもと、琉球藩を廃し沖縄県設置を強行した。旧国王尚氏は東京移住を命じられ、琉球王国は約500年にわたる歴史を閉じた。
これに、擬して「第2の琉球処分」と言われるものが、第2次大戦後1952年のサンフランシスコ講和条約発効で、本土とは切り離されて米軍の統治下におかれたことを指す。これがなぜ「琉球処分」なのか。昭和天皇(裕仁)の沖縄切り捨ての意向が、米国に伝えられていたからだ。1947年9月20日付のいわゆる「天皇メッセージ」(宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモ)によれば、既に政治的権能を失ったはずの天皇が、「米軍の沖縄駐留について『25年ないし50年あるいはそれ以上の長期』を求めた。訪米する外相に向かって『米軍撤退は不可なり』とわざわざ念を押した」ともいう。
さらに、1972年の沖縄返還は、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰となった。「核と基地」を沖縄に押しつけ続けてきた政府の姿勢を「第3の琉球処分」と表現したのだ。
琉球新報社説は、辺野古土砂投入の蛮行を、「歴史に既視感を覚える」とし、「第4の『琉球処分』強行だ」とした。「この光景は沖縄が経験してきた」という苦境は、自然災害による苦境ではない。戦争による苦境ですらない。本土の政府から民意を蹂躙され続けた歴史を「苦境」と言っているのだ。
県外の我々は、沖縄に「苦境」を押しつけた側として、真摯に襟を糺さなければならないと思う。
もう一つ。沖縄県の公式ホームページが玉城知事の12月14日コメント全文を掲載している。これも意を尽くした内容で、国民みんなが目を通すべきものだと思う。その内容に共感して、これを引用する。
?https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/henoko/documents/301214chijikomento.pdf
知事コメント(土砂投入について)
本日、普天間飛行場代替施設建設事業に係る名護市辺野古の工事現場に職員を派遣したところ、土砂投入作業が行われたことを確認しました。沖縄県が去る8月31日に行った埋立承認撤回に対して沖縄防衛局が、行政不服審査制度を悪用し、自らを「固有の資格」ではなく私人と同様の立場であるとして、審査請求及び執行停止申立てを行ったことは違法であり、これを受けて国土交通大臣が行った執行停止決定もまた、違法で無効であります。
県は、このような違法な執行停止決定の取消しを求めて去る11月29日に国地方係争処理委員会に審査を申し出ておりますが、同委員会での審査は済んでおらず、現時点において何ら、本件執行停止決定に係る法的な判断は示されておりません。
また、県は、去る12月12日に、沖縄防衛局に対して行政指導文書を発出し、違法無効な本件執行停止決定を根拠として埋立工事を行うことは許されないこと等から、エ事を進めることは断固として容認できず、ましてや土砂を投入することは絶対に許されないとして、直ちに工事を中止するよう強く求めたところであります。
私は、昨日、菅官房長官及び岩屋防衛大臣と面談し、行政指導文書の内容を説明するとともに、違法な土砂投入を行うことは決して容認できないことを伝え、改めて土砂投入の中 止を強く要求しました。それにもかかわらず、国が、このような県の要求を一顧だにすることなく土砂投入を強行したことに対し、激しい憤りを禁じ得ません。
国は、一刻も早く工事を進めて既成事実を積み重ね、県民をあきらめさせようと躍起になっていますが、このような行為は、逆に沖縄県民の強い反発を招き、工事を強行すればするほど県民の怒りはますます燃え上がるということを認識するべきであります。
数々の違法な行為を行い、法をねじ曲げ、民意をないがしろにし、県の頭越しに工事を進めることは、法治国家そして国民に主権があるとする民主主義国家において決してあって はならないことであります。
国が、地方の声を無視し、法をねじ曲げてでも国策を強行するやり方は、地方自治を破壊する行為であり、本県のみならず、他の国民にも降りかかってくるものと危惧しております。
沖縄県民、そして全国民の皆様には,このような国の在り方をしっかりと目に焼き付け、心に留めていただき、法治国家そして民主主義国家としてあるまじき行為を繰り返す国に対し、共に声を上げ、共に行勤していただきたいと思います。現時点ではまだ埋立工事全体の一部がなされているにすぎず、また、工事の権限のない者によって違法に投入された土砂は、当然に原状回復されなければなりません。
県としては、国地方係争処理委員会への審査申出など、執行停止の効力を止めることに全力をあげているところであり、今回土砂を投入したとしても、今後、軟弱地盤等への対応が必要であり、辺野古新基地の完成は見通せないものであります。
普天間飛行場の5年以内運用停止を含む危険性の除去は喫緊の課題であり、県としては、今後13年以上にも及ぶ固定化は認められません。今後も引き続き、同飛行場の一日も早い閉鎖・返還・県外・国外移設及び運用停止を含む危険性の除去を政府に対し、強く求めてまいります。
私は、多くの県民の負託を受けた知事として、ぶれることなく、辺野古新基地建設に反対するという民意に添い、その思いに応えたいと思いますので、県民・国民の皆様からも一層の御支援、御協力をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
平成30年12月14日 沖縄県知事 玉城デニー
(2018年12月17日)
今日も、辺野古の海が泣いている。大浦湾に土砂が投入されたことの怒りがおさまらない。何もできなことがもどかしいが、せめて声を上げよう。「アベ・無法政権の暴走を糺弾する」と。
昨日(12月15日)、玉城知事は、就任後初めて辺野古のキャンプ・シュワブゲート前を訪問して、座り込みの人々を激励した。安倍政権による辺野古埋め立て土砂投入強行に対して、知事は「打つ手は必ずある。われわれのたたかいはとまりません」と力説。「国の暴挙に対して、本当の民主主義を求めるという私たちの思いは全国のみなさんも共感しています。そのことも確かめてがんばっていきましょう」「(政府との)対話の気持ちはこれからも継続していく。しかし、対抗すべき時は対抗していく」「われわれは決してあきらめない。勝つことはあきらめないことです」と呼びかけ、拍手に包まれたという。
ある報道では、知事は「勝つことは難しいかもしれないが、絶対に諦めない」とも述べたという。これは、示唆に深い。「勝てるから闘う」のではない。理不尽に、怒りを燃やして闘うのだ。相手は強く大きい。だから、「もしかしたら勝つことは難しいかもしれない」。しかし、「絶対に闘い抜く。諦めない」。「あきらめるとは、自ら勝利を放棄することだ」「あきらめることなく、できることはすべてやる」という闘いの決意なのだ。
本日(12月16日)、共同通信の世論調査結果が発表された。
辺野古の土砂投入、支持しないは56%。
共同通信の世論調査によると、政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部への土砂投入を始めたことについて、移設を進める政府の姿勢を支持しないとの回答は56.5%だった。支持は35.3%。
私は、この調査の結果に頗る不満である。支持派の35%の諸君、恥を知れ。キミたちには、県民に寄り添うと言いながらこの暴挙に出た政権に対する怒りはないのか。沖縄が本土のための犠牲になり続けてきた歴史を知らないとでもいうのか。やっかいなものを沖縄に押しつけて安閑としていることを、やましいとも後ろめたいとも思わないのか。取り返しのつかない自然環境の破壊に心が痛まないのか。
ところで、闘争はときに名文句を生む。砂川では、「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない」が人々の口にのぼった。今度は、「民意は海に埋められない」だ。期せずして、朝日・毎日・東京の各社説が似たフレーズを記事にした。
この件では、各紙の社説に情も熱もこもっているものが多い。
朝日と毎日とは、はからずもタイトルがそろった。朝日が「辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか」とし、毎日が「辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない」とした。両紙とも、ボルテージが高い。
朝日 「『辺野古ノー』の民意がはっきり示された県知事選から2カ月余。沖縄の過重な基地負担を減らす名目の下、新規に基地を建設するという理不尽を、政権は力ずくで推進している。」「政府の振る舞いはこの1年を見るだけでも異様だった。」「その首相をはじめ政権幹部が繰り返し口にするのが『沖縄の皆さんの心に寄り添う』と『辺野古が唯一の解決策』だ。本当にそうなのか。」
そして、本土の人々に「わがこと」として考えようと呼びかけ、最後をこう締め括っている。
「沖縄に対する政権のやり方が通用するのであれば、安全保障に関する施設はもちろん、『国策』や『国の専権事項』の名の下、たとえば原子力発電所や放射性廃棄物処理施設の立地・造営などをめぐっても、同じことができてしまうだろう。そんな国であっていいのか。苦難の歴史を背負う沖縄から、いま日本に住む一人ひとりに突きつけられている問いである。」
毎日 「わずか2カ月半前に示された民意を足蹴にするかのような政府の強権的姿勢に強く抗議する。米軍普天間飛行場の辺野古移設工事で、政府は埋め立て予定海域への土砂投入を開始した。埋め立てが進めば元の自然環境に戻すのは難しくなる。ただちに中止すべきだ。9月末の沖縄県知事選で玉城デニー氏が当選して以降、表向きは県側と対話するポーズをとりつつ、土砂投入の準備を性急に進めてきた政府の対応は不誠実というほかない。
……
沖縄を敵に回しても政権は安泰だと高をくくっているのだとすれば、それを許している本土側の無関心も問われなければならない。仮に将来、移設が実現したとしても、県民の憎悪と反感に囲まれた基地が安定的に運用できるのか。埋め立て工事は強行できても、民意までは埋め立てられない。」
東京新聞は、さらに厳しい。
「辺野古に土砂 民意も法理もなき暴走
群青の美(ちゅ)ら海とともに沖縄の民意が埋め立てられていく。辺野古で政権が進める米軍新基地建設は法理に反し、合理性も見いだせない。工事自体が目的化している。土砂投入着手はあまりに乱暴だ。
重ねて言う。
新基地建設は、法を守るべき政府が法をねじ曲げて進めている。なぜそこに新基地が必要か。大義も根底から揺らいでいる。直ちに土砂投入を中止し虚心に計画を見直す必要があろう。
これ以上の政権の暴走は、断じて許されない。」
これと対極にあるのが、言わずと知れた産経である。街頭右翼ががなり立てているあの大音量のスピーカーを聞かされている心地である。
「辺野古へ土砂投入 普天間返還に欠かせない
市街地に囲まれた普天間飛行場の危険を取り除くには、代替施設への移設による返還が欠かせない。日米両政府による普天間飛行場の返還合意から22年たつ。返還へつながる埋め立てを支持する。
翁長雄志前知事や玉城デニー知事らの反対や、「最低でも県外」と言った鳩山由紀夫首相(当時)による迷走が、返還に結びつく移設を妨げてきたのである。玉城知事は「激しい憤りを禁じ得ない。県民の怒りはますます燃え上がる」と土砂の投入に反発して、移設阻止に取り組む考えを示した。だが、知事は、移設が遅れるほど普天間飛行場周辺に暮らす宜野湾市民が危険にさらされ続ける問題を無視してはならない。
沖縄の島である尖閣諸島(石垣市)を日本から奪おうとしている中国は、空母や航空戦力、上陸作戦を担う陸戦隊(海兵隊)などの増強を進めている。北朝鮮は核・ミサイルを放棄していない。沖縄の米海兵隊は、平和を守る抑止力として必要である。安倍晋三首相ら政府は反対派から厳しい批判を浴びても移設を進めている。県民を含む国民を守るため現実的な方策をとることが政府に課せられた重い責務だからだ。沖縄を軽んじているわけではない。
来年2月24日には辺野古移設の是非を問う県民投票が予定されている。普天間返還に逆行し、国と県や県民同士の対立感情を煽(あお)るだけだ。撤回してもらいたい。」
おそらくは、この産経社説の論調がアベ政権のホンネ。アベ政権のホンネをあからさまに語る論説として貴重なのだ。恐るべきかな産経、恐るべきかなアベ政権。
(2018年12月16日)
本日(12月14日)、アベ政権は辺野古新基地建設のための大浦湾埋立工事を強行して、護岸から海中に土砂の投入を開始した。
土砂投入が始まったのは本日午前11時ごろ。名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブの南側で、護岸からダンプカーが土砂を下ろし、その土砂をブルドーザーが海へ押し出した。工事は午後も続き、埋め立ての土砂が次々と運び込まれた。(朝日デジタル)
緊急に辺野古で1000人の抗議集会が組まれた。「埋め立てやめろ」だけでなく、「あきらめない」がスローガンになっていたという。
政権は、沖縄県民の、そして全国の平和を願う人々の「あきらめ」を狙っている。それが、人々の共通認識だ。だから、今、「あきらめることなく、抗議の声をあげ続けること」それが最も大切なことではないか。
玉城知事は県庁で緊急記者会見を開き、「法をねじ曲げ、民意をないがしろにして工事を進めるのは、法治国家、民主主義国家としてあるまじき行為だ」と厳しく批判。「国は一刻も早く工事を進めて既成事実を積み重ねて県民を諦めさせようと躍起だが、工事を強行すればするほど県民の怒りは燃え上がる」と指摘し、移設阻止のために「あらゆる手段を講じる」と強調した。?(毎日)
朝日は、稲嶺進・名護前市長の声をこう紹介している。
「沖縄に『もう引き返せない』という空気を作りたいのだろうが、あまりに乱暴だ。移設工事が進んでいると見せるための、国民と米国に向けたパフォーマンスでしかない」。
「沖縄は戦後ずっと民主主義も地方自治もない、憲法の『番外地』だった。その上、さらに「新たな基地」を受け入れることはできない」。
「2010年の初当選後、政府から市への米軍再編交付金が打ち切られ、中学校体育館の建て替え事業など市の13事業が宙に浮いた。むき出しの「アメとムチ」を肌身で感じた。」
「政府が悪いことをした時、止める方法がこの国にはない。無人のダンプカーが暴走するようだ」
「あきらめはない。土砂投入が始まったといっても、私たちは何も変わらないですよ」
私(澤藤)は、今年(2018年)5月、辺野古でグラスボートに乗り、1時間近く、辺野古近海海底の珊瑚礁を目にした。あの美ら海が壊されるのかと思うと、胸が痛む。毎日夕刊は、「大浦湾には、生物5806種の生物が確認され、うち262種が絶滅危惧種」と報じている。世界遺産となった屋久島や小笠原諸島よりも多いのだという。「『やめろ』美ら海に叫び」という見出しが痛々しい。
アベ政権が押し通そうとしている「辺野古の海を壊す」ことは、「平和を壊す」ことでもあり、「沖縄県民の民意を蹂躙する」ことでもあり、そして「民主主義を壊す」ことでもある。まだまだ闘う手段は残されている。決してあきらめることなく、声をあげ続けたい。
下記は、昨日付の自由法曹団の声明である。私の気持ちにピッタリなので、これを転載しておきたい。
(2018年12月14日)
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?日本政府の辺野古海域への土砂投入方針の撤回を求める声明
今年9月に行われた沖縄県知事選挙で、辺野古新基地建設反対を掲げ、「オール沖縄」の支援を受けた玉城デニー現沖縄県知事が、安倍政権の全面支援を受けた佐喜真淳候補に8万票以上の圧倒的大差をつけて勝利した。辺野古新基地建設反対は圧倒的多数の沖縄県民の意思である。
しかし、日本政府は、行政不服審査法を悪用して、埋め立て承認撤回の効力を停止させた上、12月14日にも辺野古新基地建設に伴う埋め立て土砂の投入を強行しようとしている。こうした日本政府の方針は、沖縄県知事選挙で示された沖縄県民の意思を真っ向から踏みにじるものであり、断じて許されない。
しかも、日本政府は、土砂投入のため、12月3日に名護市安和にある民間桟橋から土砂搬出作業を開始したが、同桟橋は沖縄県規則で定められている桟橋設置工事の完了届がなされておらず、桟橋内の堆積場についても沖縄県赤土等流出等防止条例で必要とされている届出がなされてないなど、違法に違法を重ねている。
また、今回計画されている土砂投入は、埋め立てに必要な2100?のうち、辺野古側の約129?分にすぎない。地盤の強さを示すN値がゼロという”マヨネーズ並み”の軟弱地盤が大浦湾側の護岸の建設予定地で見つかっているところ、軟弱地盤の改良には公有水面埋立法に基づき沖縄県に届け出ている設計概要の変更と玉城デニー沖縄県知事の承認が必要であり、かかる承認がなければ日本政府は大浦湾側で埋め立て工事を進めていくことはできない。
このように埋め立て工事を進めていく展望が全くないにもかかわらず、日本政府があえて土砂投入にこだわるのは、来年2月24日に予定されている辺野古新基地建設の是非を問う県民投票、3月以降に予定されている衆議院沖縄3区補選の前に、少しでも土砂を投入したことを見せつけて埋め立てを既成事実化し、新基地建設に反対する沖縄県民を諦めさせることを狙っているからである。
自由法曹団は、二重三重に沖縄県民の意思を踏みにじる土砂投入の強行を許さず、日本政府に対して、土砂投入方針の撤回を強く求めるものである。
2018年12月13日 自由法曹団 団長・船尾徹