3月11日の各紙に溢れた被災関連記事の中で、もっとも心に響いたのが朝日川柳欄の次の一句。
泣くなとは無理をいうなよ千の風 (神奈川県 石井彰)
どんな説明も蛇足とする鎮魂の歌。心に刻んでおきたい。
3・11関連ではないが、並んだもう一句が目にとまった。
野党より司法が相手これからは (東京都 田中通祐)
こちらの句は、大いに説明を要する。議論の出発点にもなる。
この句をつぶやいているのは、与党というよりは政権である。アベがこうつぶやいているだろうという思い做しの句。その内容の大意は二通りに読むことができよう。
一つは、弱小野党の力量不足で国会には向かうところ敵なし。ところが、意外にも司法が政権の思惑実行の壁になっている。今後は野党ではなく、司法を政敵と意識して政治を構想しなければならないという諧謔。
もう一つは、政権の意思を貫徹するために司法が邪魔になっている。司法を政権のいうことに従順な機関につくり変えてゆかねばならない、という恐るべきたくらみ。
まずは前者。
「平家物語」には、権勢を誇った白河法皇の「わが心にかなわぬもの」が挙げられている。「賀茂川の水、双六の賽、山法師」の「三不如意」。アベにしてみれば、さながら司法が目の上の「山法師」というところなのだ。邪魔でしょうがないが、これだけは「賀茂川の水、双六の賽」と同様に、手を付けられない。だから、憲法の枠内での適法な政策をしようと考えるのなら、結構なことだが…。
アベの意に適わない司法の働きの具体例として、3月9日の大津地裁仮処分決定が挙げられる。稼働中の関西電力高浜原発原子炉が、29人の住民の申立を裁判所が認めたために運転停止を余儀なくされた。野党の力及ばず、国会では原発再稼働を阻止できないが、裁判所が稼働を停止する力量を持っているということを見せつけられた。
沖縄の辺野古新基地建設もそうだ。国家権力が、民意に支えられた沖縄県政を無視して強行した海水面埋立工事の続行ができなくなっている。福岡高裁那覇支部を舞台の訴訟で、3月4日政府は敗訴必至となって屈辱の和解に応じ、工事続行の停止を約束せざるを得ない事態となっている。
原発再稼働と米軍基地の建設、いずれも本来は最重要の政治課題である。政治のレベルではアベの暴走をストップできず、かろうじて司法が政権にブレーキをかけているのだ。川柳子は、これを皮肉な図として嘆いていると読める。
もう一つの解釈。
狷介なアベ政権が、司法を相手にこれを骨抜きにしようと画策していないはずはない。そういう川柳子の危惧が読み取れる。
アベは、憲法改正を悲願とする人物である。明文改憲ができなければ、憲法の理念を蹂躙することに躊躇する人物ではない。「司法権の独立」「裁判官の独立」は日本国憲法の理念実現を担保するための重要な大原則である。しかし、憲法を邪魔と考えるアベ政権が、憲法に従った裁判を忌み嫌い、司法を膝下におきたいと狙っていると考えざるをえない。
集団的自衛権行使容認の解釈改憲のためには、内閣法制局見解が邪魔として、異例の長官人事を強行までした安倍内閣である。「裁判所だけは意のままにならぬ」と嘆いているだけではなく、最高裁や下級裁判所の裁判官人事を通じての、司法の独立に挑戦することを警戒しなければならない。
1960年代の終わりから70年代の初頭に、「司法の嵐」が吹き荒れた。自民党政権の意を受けた最高裁内部の司法官僚(石田和外がその頭目だった)の裁判官人事を通じての裁判内容統制が行われた。具体的には、裁判官の思想差別による採用拒否・再任拒否、そして嫌がらせ配転等々である。当時、このことが国民的な憲法運動、民主主義運動の課題となった。
諸悪の根源は、アベ政権の非立憲主義にある。「アベ政治を許さない」は、あらゆる分野で必要なのだ。
(2016年3月12日)
古来、正義が勝つ…ことは稀である。正邪にかかわらず強い者が勝ち残る。また、狡い者が勝ちをおさめる。これが冷徹な現実だ。
大坂冬の陣では、手痛い反撃を受けた家康は、和睦して休戦中に大阪城の外堀ばかりか、内堀まで埋めてしまう。こうして、防御能力を失った秀頼側は、夏の陣ではあっけなく敗れる。狡い者が勝つ、典型例。辺野古基地訴訟の和解は、冬の陣後の和睦を思い出させる。もちろん、アベがタヌキおやじの役どころ。
今日(3月7日)午後、石井啓一国土交通相が、県の埋め立て承認取り消しは違法だとして翁長雄志知事へ是正を指示する文書を郵送した。
4日記者会見のアベ発言を思い起こそう。
「本日、国として、裁判所の和解勧告を受けて、沖縄県と和解する決断をしました。20年来の懸案である普天間飛行場の全面返還のためには、辺野古への移設が唯一の選択肢であるとの国の考え方に何ら変わりはありません。しかし、現状のように、国と沖縄県双方が延々と訴訟合戦を繰り広げているこの状況のままではこう着状態となり、家や学校に囲まれ市街地の真ん中にある普天間飛行場をはじめ、沖縄の現状がこれからも何年も固定化されることになりかねません。これは誰も望んでいない、そうした裁判所の意向に沿って和解を決断すべきと考えました。」
多くの人が、「国と沖縄県双方が延々と訴訟合戦を繰り広げているこの状況」を抜本的に解決するための和解受諾で、誠実な協議によって事態の打開をはかろうとしたものと考えたことだろう。NHKの岩田朋子(解説委員)なども、アベの「真意」をその言のままに解説していたのだから、NHKを一人前のメディアと信じる善男善女が「法的手続は脇に置いて、これから国と県との円満解決に向けた協議が始まるのだ」と、そう思い込んだのもむりはない。
ところがどうだ。和解成立が4日の金曜日。土・日をはさんでの週明けの今日、舌の根の乾かぬうちの宣戦布告である。早くも、「国と沖縄県双方の延々と訴訟合戦」再開を告げる鏑矢を打ち込んだのだ。その矢の射手となった石井啓一が公明党議員だということを確認しておこう。
国交相から、翁長雄志知事への文書の内容は、「3月15日までに、辺野古海面の埋立承認の取り消し処分を取り消す」べしとする是正の指示だという。
公用水面の埋立は県知事の承認がなければ着工できない。防衛施設局の埋立承認申請に、仲井眞前知事が承認を与えた。そのために、仲井眞は民意の支持を失って知事選に敗れた。代わって辺野古新基地建設反対の民意を担って新知事となった翁長雄志が、前知事の承認には瑕疵があるとしてこれを取り消す処分をした。「この『取消処分』を取り消せ」というのが、石井の指示なのだ。
まったくなんの話し合いもしないうちのアベの宣戦布告である。結局は、敗訴のリスクが高かった訴訟を取り下げ、最も安全な訴訟1本に絞るという思惑だけでの和解受諾であったことを満天下に示すことになった。
それでも和解によって沖縄県側が得たものは小さくない。
何よりも埋立工事が中断した。これからしばらく、工事の着工はできない。翁長県政の努力の成果が目に見える形となった。これは大きい。
また、アベ政権の無理は必ずしも通らないという自信にもつながっている。閣議決定までして拳を振り上げた代執行訴訟は結局取り下げざるを得なかった。このままでは敗訴となることを恐れての和解だと国民みんなが知ることとなったみっともなさ。アベ政権の強権的コケオドシ恐るにたりず、と印象づけられた。
さらに、この性急な宣戦布告は、アベ政権の狡さと汚さ、酷薄さを国民に強く印象づけるものとなった。県民世論だけでなく、心ある国民の多くの怒りを呼び起こし、拡大し、強固にするという効果ももたらすだろう。必ずや、国民の支持は大きく沖縄に向かうことに違いない。
さて、今後である。和解の内容に従って、3月15日に沖縄県は、国交相の指示に不服として、「国地方係争処理委員会」(係争委)に審査を申し出ることになる。そして、係争委の結論がどうなっても、訴訟合戦が続くことになる。
右手の拳を振り上げて、左手で握手はできない。アベの姿勢は、到底「円満解決」に向けた協議を行おうという姿勢ではない。
翁長知事は、本日県庁で会見して、「『大変残念だ』と不快感を示した」と報じられている。抑制した談話だが、本心は「はらわたが煮えくりかえる思い」なのだろう。それでも、アベ流「ダ・マ・シ・ウ・チ」は両刃の剣だ。酷薄なアベ自身をも窮地に陥れることになるだろう。
(2016年3月7日)
昨日(3月2日)の「首相の改憲意欲発言」が各紙に大きく報道されている。参院予算委員会での答弁に際してのもの。安倍が何を口にしたかもさることながら、「安倍首相『改憲、在任中に』」と各紙が揃って報じたことが、実は大きなニュースとしてインパクトのあることなのだ。
たとえば朝日。「18年9月までを念頭」として、「安倍晋三首相は2日の参院予算委員会で、憲法改正について『私の在任中に成し遂げたいと考えている』と述べ、強い意欲を示した。夏の参院選で改憲勢力が3分の2を確保し、2018年9月までの自民党総裁任期を念頭に国会発議と国民投票による実現をめざす考えを示したものだ。」
たとえば毎日新聞。「『在任中改憲』首相表明」「参院選争点化確実」「衆院と同日選も視野」と見出しを打った。これだけで、政局へのインパクトは大きい。
もちろん、各紙とも「首相は同時に『我が党だけで(発議に必要な)3分の2を(衆参で)それぞれ獲得することは不可能に近い。与党、さらに他の党の協力もいただかなければ難しい』とも語り、改憲に向けたハードルが高いとの認識も示した。」との報道もしている。が、こちらは飽くまで付け足しでしかない。刺身のつまほどの存在感もない。改憲のスケジュールについて、「在任中」すなわち、「2018年9月まで」と期限を切ったことが、重要なのだ。
毎日は、年頭以来の安倍改憲発言を次のようにまとめている。
1月4日 「憲法改正はこれまで同様、参院選でしっかり訴えていく。訴えを通じて国民的な議論を深めていきたい」(年頭記者会見)
1月10日 「与党だけで(致憲発議に必要な衆参各院の)3分の2は難しい。おおさか維新もそうだが改憲に前向きな党もある。改憲を考えている責任感の強い人たちと3分の2を構成していきたい」(NHK番組、収録は9日)
1月21日 「いよいよ、どの条項を改正すべきかという現実的な段階に移ってきた。新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民的な議論、理解が深まるよう努めたい」(参院決算委員会)
3月1日「(自民党の憲法改正)草案には自衛隊を国防軍と位置付ける記述がある。私は自民党総裁だ。草案と私が違うことはあり得ない」(衆院予算委員会)
3月2日「自民党だけではなく、他党の協力もなければ(衆参での3分の2の獲得は)難しい。私も在任中に成し遂げたいと考えているが、そういう状況がなければ不可能だろう」(参院予算委員会)
アベ発言をこう並べてみると、なるほど、彼の改憲への執念の緊迫度を感じざるをえない。やる気満々なのである。
とはいえ、必ずしも成算あってのものとは考えにくい。今、あらゆる世論調査が、「改憲ノー」の回答を示しているではないか。「任期中改憲」の発言は、安倍晋三の焦りの表れと言わざるを得ない。
しかし、焦りであろうと、成算なかろうと、無鉄砲アベは、猪突猛進する可能性が高い。7月参院選は重い闘いとなる。これからは、衆参両院の憲法審査会が議論の舞台となる。ここから目が離せなくない。
衆議院憲法審査会
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/index.htm
参議院憲法審査会
http://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/
明文改憲阻止の闘いがもう始まっている。その緒戦の参院選では、自民と公明、そしておおさか維新を加えた改憲勢力に議席を与えてはならない。選挙の結果が憲法の命運を決める。憲法の命運は国民の生存と平和に関わる。
なお、アベ政権が狙う最初の改憲項目は、緊急事態条項からと言われている。緊急事態条項を憲法に新設しようという改憲勢力のたくらみを、深く学ぼう。この分野であれば水島朝穂さん。本日(3月3日)の赤旗に水島さんのレクチャーが出ている。読み応え十分だ。そして下記の本格的なブログの記事も。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0125.html
これを学んで自分のものとし、周囲に訴えようではないか。
(2016年3月3日)
本日の朝日川柳欄に
己こそ党名変えよ自由民主(西崎敦子)
なくてもがなの選者のコメントが「看板倒れ」。党名という看板と党の実態との大きなギャップが、川柳子の嘲笑の種になるのだ。
もっとも、「自由民主党」の党名は、「自由党」と「民主党」が合党したことによる安直なネーミング。「三菱東京UFJ銀行」だの「三井住友海上あいおい生命保険株式会社」などというノリなのだ。既に事実上は、「自由民主公明おおさか維新党」が結成されているとみて間違いがない。
民主党の党名変更の是非と、変更あった場合の新党名が話題となっている。
個人の命名は、「最短形式の詩」である。生まれいずる者への祝意と期待が、短い詩となって生涯その命を表すことになる。子をなした者が、いつくしみを込めた名を考えればよい。個人の命名に他人が介入する余地はない。命名される本人さえ、何も言わないし言えない。
政党名の命名はなかなかに難しい。党名自体が、政党に結集する多くの人々を統合する役割を担うことになるからだ。また、政党は多くの有権者に政策を発表して支持を得、票を獲得しなければならない。そのとき、党名の果たす役割はけっして小さくない。
最もオーソドックスには、その政党が実現を目指す社会や政治手法の理念を党名にすることだ。名は体を表すという常識に沿ったネーミング。これが王道である。
社会主義党・共産主義党・資本主義党・社会民主主義党・民主社会主義党・民主主義党・立憲主義党・平和党・自由党・平等党・友愛党・民生増進党・国民福利党・女性の権利党・子どもの福祉党・国家主義党・軍事大国化党・軍事緊張煽動党・経済的強者の自由を目指す党・経済格差拡大党・政党「大阪だけの繁栄を約束しまっせ」・アメリカ従属党・51番目の州を目指す党・大アジア主義党・政策は風向き次第票を頂戴党・株価上昇党・天皇親政党・復古党・祭政一致党・日本民族優越党・王仏冥合党…。
支持者・支持層をそのまま党名にしてもよい。
労働者党・勤労者党・政党「中小企業の権利のために」・貧困者党・農民党・漁業党・消費者党・青年党・女性党・奥羽越列藩同盟後継者党・賊軍末裔党・東北人の党・王党・金持ち党・右翼人脈党…。
政党のイメージをウリにした党名
清新党・親切党・誠実党・真理党・献身党・実行党・言行一致党・断固党・ぶれない党・政党みどり・青空党・元気いっぱい党・ゆるゆる党・新党・新新党・フレッシュ党・チェンジ党…。
特定の事件を想起させる党名
8月15日党・12月8日党・6月15日党・9月19日党・3月11日党・6日9日15日党・2月11日党…。
アメリカでは、共和党が、「移民拒絶党」か「世界のカネをアメリカに!党」に党名を変更しそうな勢い。民主党は、「格差解消党」か「格差容認党」か。
さて、政権与党「自由民主党」の党名問題である。「自由」と「民主」。
「自由」とは多義である。本来の「自由主義」は、国家権力の制約からの自由を意味する。フランス革命の理念とされた自由・平等・友愛の「自由」がまさしく王権からの自由であり、自由民権運動の「自由」も藩閥権力からの自由であった。
当時、「自由」は市民の権利とされた。市民とは新興ブルジョワジーを中心とするもので、彼らが市民革命の推進者となった。いま、新興ブルジョワジーの中の一部が、巨大企業となって様相が大きく変わっている。企業活動の自由は、多くの人の犠牲をもたらすのだ。これには、民主主義を武器にして、企業活動に厳重な規制をかけなければならない。
一握りの大企業とそれ以外の広範な国民との利害が鋭く対立するとき、「自由」の内実が問われる。自民党の看板の「自由」は何を表しているのか。大企業の「自由」擁護とは、労働者の搾取と収奪の自由のことであり、消費者の権利を蹂躙する自由にほかならない。いったい自民党とは誰の味方なのか。
たまたま今日の新幹線車内で開いた週刊朝日のトップの記事が「農協の逆襲」だった。「逆襲」とは、安倍政権に対する逆襲の意である。これまで、自民党に操られ虐げられてきた農協が、ついに自民党に叛旗を翻し、逆襲に転じたというのだ。痛快きわまる事態ではないか。
要因はいろいろあるが、要は自由民主党の「自由」が、大企業の横暴の自由で、農民を犠牲にする自由だということなのだ。農協こそは、長く自民党最大の大票田だった。特に、地方に強い自民党を支える屋台骨だったはず。
ところが、同誌が独自にした全国の農協組合長に対するアンケート調査(但し、悉皆調査ではない)では、「各地の組合長が本誌に激白『選挙で与党は推薦しない』」という。まさしく「安倍政権に対する農協の逆襲」の実態なのだ。
安倍政権の農政改革について
支持する 3.6%
支持しない 74.5%
どちらでもない 21.8%
今夏の参院選で与党候補を推薦するか
推薦する 37.7%
推薦しない 13.2%
決まっていない49.1%
自由記入のアンケート回答もなかなかのもの。
「自民党議員を減らさないといけない。驕ってもらっては困る。」
「組合員の与党への不信感が強い。県単位では自民党候補を推薦すると思うが、地域農協が推薦することはない」
「県としても応援しないと会長が明言している」
「自民党の政治家は官邸のいうとおり。日本国の展望や未来に対する政治家の信条は、地に落ちたように感じる」
「自民党議員には入れたくないが、個人的関係で推さざるをえない」
「農家の思いや情報が伝わっていない」
「他に頼れる政党がない。仕方がない」
これが、農協組合長の意見なのだ。かつては考えられなかったこと。事態急変の最大の理由は、「TPPは平成の売国」という見出しのフレーズが物語っている。さらに、必ずや石原伸晃担当相が「農協の逆襲」の火に油を注ぐ役割を果たしてくれるだろう。
要は、自由民主党の「自由」は、製造・流通・通信・金融の大企業の自由であり、社会的規制を取っ払った、儲けの自由である。その自由の確保のために、農業も漁業も酪農も犠牲にされようとしている。そのことが、「農協の安倍自民党への逆襲」の原因なのだ。おそらく、「逆襲」は農協だけでなく、これからあちこちで起きてくるだろう。安倍自民党が、現今の不幸な日本の総元締めであることが、今分かりつつあるからだ。
では、「党名変えよ自由民主」に応えて、安倍自民党が、正確に党名を変えたらどうなるだろうか。
理念のうえからは、
市場原理主義党・大企業の利益本位党・規制緩和推進党・規制撤廃主義党・平成の売国党・格差貧困容認党・地方切捨党・沖縄蹂躙党・歴史修正主義党・ビリケン(非立憲)党・大日本帝国体制復古党・戦後民主主義否定党・メディアの自由抑制党・原発推進党…。
支持勢力からは
大企業党・アメリカ追随党・極右党・靖國党・神社党・軍需産業党・右翼人脈結集党…。
イメージからは
国防色党・茶色党・オスプレイ党・日の丸君が代党・頑迷固陋党・非知性党・感じ悪いよねー党・停波党・口利きあっせん党・失言妄言党…。
自民党にふさわしい特定の事件を想起させる党名といえば、
4月27日党(自民党改憲草案発表記念日)
7月1日党(集団的自衛権行使容認閣議決定記念日)
9月18日党(戦争法強行成立記念日)
そして、「コントロールとブロック党」であろうか。
(2016年3月1日)
毎日新聞に、評論家若松栄輔の連続対談企画がある。「理想のかたち」という標題。
その第11回がゲストとして作家吉村萬壱を招いて「先進国でのテロ事件」を論じている。一昨日(2月27日)の朝刊。
リードは、「きれいごとでは済まない人間の姿を描いてきた吉村さん。昨年11月のパリのテロ事件を受けて、時代に抗する言葉はどう生まれるか、単なる反戦ではない「非戦」の意義などを話し合った」というもの。これなら読みたくなる。
吉村は、「『きれいな言葉』ってありますやんか。「愛」とか「平和」とか「祖国」とか。こういう言葉が流布するときは危ない。僕はきれいな言葉が、どうも好きになれない。小説ではそれを骨抜きにする作業をしています。」という。
これに、特に文句を言う筋合いはない。
若松「大事にしたいのは、反戦と非戦の違いです。目の前の戦争に反対して、その戦争を止めるまでが反戦。非戦は、戦うこと自体を徹底してなくそうと考える。反○○で解決はない。こちらが善で、こちらが悪の……。」
吉村「二項対立では解けない。犯罪者がなぜ犯罪を犯すのか。理由をさかのぼれば無限に遡行できる。刑法はそこに線を引いて直接の個人に罪を負わす。」
若松「限りなく不可能でも、敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれないでしょう。」
ここまでは、結構。若松の『敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれない』には共感する。ところが、次がおかしい。
吉村「インターネットでは、ISや中国や原発や安倍晋三首相や橋下徹氏……を『悪』と断罪して自分を善だと錯覚したい人ばかり目立ちます。でも、『自分は正しい』と思っている人が、自分は『悪人』だと自覚している人よりも善人だとは必ずしも言えない。」
なんだ。そりゃ。いったい。
吉村萬壱は「原発や安倍晋三首相や橋下徹氏……を『悪』と断罪して自分を善だと錯覚したい人ばかりが目立つ」ことを嘆いているのだ。これが、「敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれない」の文脈と同義として語られるから混乱せざるを得ない。
これが、「時代に抗する言葉」だというのか。二項対立では解けない問題提起だというのか。これが、時代に切り込む姿勢だというのか。それが文学だともてはやされるなら、私たちの社会の前途は暗い。
もっとも、この手の発言は、昔から掃いて捨てるほどある。リベラルな発言をしておいて、そのあとに「私はけっして反体制ではありません」「危険思想をもってはいませんよ」と毒消しの発言をしておくあの手だ。「だから安心して私を使ってください」というアピールにしか聞こえない。二項対立の一方に立つ姿勢を示すなんぞ、ダサイ。愚か。いや損ではないかという態度。そういう手合いの一群。立派な日和見主義ぶりではないか。保身は、よぼよぼの老人になってからでも遅くない。
原発も安倍晋三も橋下徹をも「悪と決めつけてはならない」とは、この世のすべてを相対化すること。理想を揶揄し、権力に対する批判を嘲笑し、よりよい社会を作ろうと努力する人たちへの、冷ややかな醒めた視線。
毎日新聞も、貴重な紙面を割いてつまらない対談記事を載せたものだ。
もっともっと、熱くなって原発批判をしよう。安倍晋三批判もやろう。橋下徹批判も徹底しよう。そのエネルギーでしか、社会や歴史を変えることができない。
(2016年2月29日)
私は、「論語」をたいしたものとは思わない。所詮は底の浅い処世術としか理解できないと公言して、顰蹙を買うことがしばしばである。しかし、警句として面白いとは思う。どうにでも自分流に解釈して便利に使えばよいのだ。多分、使い手によっては、切れ味が出てくるのだろう。アベ政治への批判についても使える。
よく知られている顔淵編の次の一節。
子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。
子貢、まつりごとを問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民これを信ず。
子貢曰く、必らず已むを得えずして去らば、この三者において何をか先にせん。
曰く、兵を去らん。
子貢曰く、必らず已むを得ずして去らば、この二者において何をか先にせん。
曰く、食を去らん。いにしえより皆死あり、民、信無くんば立たず。
私なりに訳せば、以下のとおり。
子貢が孔子に政治の要諦を尋ねた。
「経済を充実させ、軍備を怠らず、民意の支持を得ることだね」
「その三つとも全部はできないとすれば、まずどれを犠牲にしますか」
「そりゃ、軍備だね」
「残りの二つも両立は無理だとすれば、どちらを犠牲にすべきでしょうか」
「経済だよ。民生の疲弊はやむを得ないが、民衆の信頼がなければそもそも政治というものが成り立たないのだから」
孔子は、政治の要諦として、「食(経済)」・「兵(軍備)」・「民の信」の3者を挙げた。おそらくは、きわめて常識的な考え。しかし、面白いのは、重要性の順序が必ずしも、常識のとおりではないこと。政治の中心的課題を「民のため」の政治というにとどまらず、「民からの信頼」と考えている。もちろん民主主義ではない。しかし、読み方次第では、その思想的萌芽を感じさせる一文ではないか。
アベ政権は、平和主義を放擲して戦争法までつくり、近隣諸国の危険性を鼓吹して国民の不安を煽り、軍事予算を増額するというのだから「兵(軍備)」の充実にだけはご執心だ。
しかし、既に「食(経済)」を足らしむことにおいて失敗している。アベノミクスがアホノミクスであることについては、誰の目にも明らかになりつつある。経済を投機化したことによって、実体経済は停滞し、格差貧困は拡大し、株価の維持まで危うくなっている。
さらに、最大の問題は「民の信」である。アベ政権が、そして政権与党が、国民の信に耐え得るか。安倍自身もこの点は、気にしているようだ。過日不倫騒動で辞任した宮崎議員について問われた際に、「信なくば立たず」と口にしている。宮崎の辞任の弁にも「信なくば立たず」があった。宮崎がやめることで「信が立った」か。とんでもない事態である。閣僚の妄言はあとを絶たない。これは民主主義の問題であり、立憲主義の問題でもある。
要するに、「兵」だけが突出して、「食」も「信」も、アベ政権にはない。孔子の教えに逆行しているのだ。そこに、直接に民意を問う国政選挙が迫ってきている。アベ政権を総体としてとらえ、分析し、迫った参議院選挙の投票行動の意義を見定めなければならない。こんな事態で、明文改憲を許す議席をアベ政権に与えてはならない。
私も編集委員の一人となっている「法と民主主義」は、4月号を、アベ政権の総体を問う特集とする。
特集の編集責任者は、清水雅彦さん(日本体育大学教授・憲法学)。以下のラインナップで、すべての執筆者のご承諾をえた。発売は、4月20日頃となる予定。是非、ご期待いただき、憲法の命運に関わる大切な選挙にご活用をお願いしたい。
もし孔子が世にあれば、必ずやこれを薦める内容になるはず。そしてこう呟くことになる。
子曰く、必らず已むを得えずして、アベ政権を去らん。
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2016年『法と民主主義』4月号(№507)
特集●アベ政権を問う〈仮題〉
■企画の趣旨
今号は、4月号ながら、憲法記念日近くに発行される予定です。この間の安倍政権による憲法破壊を批判的に検討し、憲法理念の実現に向けた理論提供を行う憲法特集号として位置づけております。ただし、憲法の個別テーマを扱った論文が各号に掲載されていることを受けて、今号では、これまであまり触れていないテーマをとりあげております。安倍政権の総体を問う特集になることを期待し、企画いたしました。
■特集企画の構成執筆予定者(敬称・略)
◆特集にあたって(特集リード) 清水雅彦(編集委員)
◆安倍政権下の憲法情勢森英樹(名古屋大学名誉教授・憲法学) 2015年国会で戦争法の制定を強行するなど、この間のconstitutional change を進めてきた安倍政権が、いよいよconstitutionのchangeの必要性を堂々と何度も主張するようになった。このような安倍政権下で進む憲法情勢について検討していただく。
◆アベ改憲論を問う──緊急事態条項論の検討 植松健一(立命館大学法学部教授・憲法学)
参院選で与党3分の2以上の議席確保を狙い、場合によっては衆参同日選挙もありうる中で、安倍政権が主張している緊急事態条項論や改憲論について、これまでの憲法学における国家緊急権論やドイツなど外国との比較から検討していただく。
◆アベの政治手法を問う──安倍政治の検討 西川伸一(明治大学政治経済学部教授・政治学)
従来の自民党政治には見られなかった強権的で異論を認めず、極右色の強い安倍政治の内容・特徴や、メディアへの圧力、極端な内閣法制局人事等への介入など、その独特の「お友だち」の活用と批判派の排除といった政治手法について検討していただく。
◆選挙を問う?衆参同日選挙、小選挙区制度などの検討 小松浩(立命館大学法学部教授・憲法学)
場合によってはありうる衆参同日選挙の問題点や、衆議院の小選挙区制度の問題点について、この間の定数是正違憲訴訟やご専門のイギリス(可能であれば、他国も)との比較に触れつつ、検討していただく。
◆若者の政治参加を問う? 18 歳選挙権と政治教育などの検討 安達三子男(全国民主主義教育研究会事務局長)
今後の18歳選挙権の実施と文部科学省による高校生の政治活動についての新通知などについて、『18歳からの選挙Q&A』(同時代社)の執筆者の立場から、文部科学省や教育委員会の問題点などについて検討していただく。
◆『一億総活躍社会』を問う?社会福祉・医療政策の検討 伊藤周平(鹿児島大学法科大学院教授・社会保障法)
安倍政権が打ち出した「一億総活躍社会」論によって、国民の生活と権利はどうなるのか、この間、急激に進む医療介護保険「改革」や「子育て支援新制度」などの社会保障、医療制度改革の動向とあわせて検討していただく。
◆市民は問う─その1 菱山南帆子
◆市民は問う─その2 武井由起子(弁護士)
「法と民主主義」の各号のご紹介やご注文は、下記のURLへ。
http://www.jdla.jp/index.html
(2016年2月28日)
本日は、2月26日。80年前の今日、雪の降る東京の中枢部で、クーデターが起こった。翌2月27日、「戒厳」が宣せられている。今年の「2・26」は、「戒厳令」とともに話題にしなければならない。アベ政権の改憲構想が、緊急事態条項の新設から手を付けようとしているからである。
自民党改憲草案の緊急事態条項(「第9章」98条・99条)は、国家緊急権の発動の一態様としてある。戦争・内乱・大災害等の非常時に、憲法を一時停止して政権の専横を可能とするもの。戒厳もその一種類である。
大江志乃夫「戒厳令」(岩波新書・1978年)は、今読み直されるべき書である。戒厳令についての詳細を理解し、アベ改憲のたくらみの危険に警鐘を鳴らすために。
この書では、2・26の顛末を次のとおり、簡明にまとめている。
「いわゆる皇道派に属ずる青年将校が部隊をひきいて反乱を起こした「政治的非常事変勃発」である。反乱軍は、首相官邸に岡田啓介首相を襲撃(岡田首相は官邸内にかくれ、翌日脱出)、内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清、教育総監陸軍大将渡辺錠太郎を殺害し、侍従長鈴本貫太郎に重傷を負わせ、警視庁、陸軍省を含む地区一帯を占領した。反乱将校らは、「国体の擁護開顕」を要求して新内閣樹立などをめぐり、陸軍上層部と折衝をかさねたが、この間、2月27日に行政戒厳が宣告され、出動部隊、占拠部隊、反抗部隊、反乱軍などと呼び名が変化したすえ、反乱鎮圧の奉勅命令が発せられるに及んで、2月29日、下士官兵の大部分が原隊に復帰し、将校ら幹部は逮捕され、反乱は終息した。事件の処理のために、軍法会議法における特設の臨時軍法会議である東京陸軍軍法会議が設置され、事件関係者を管轄することになった。判決の結果、民間人北一輝、西田税を含む死刑19人(ほかに野中、河野寿両大尉が自決)以下、禁銅刑多数という大量の重刑者を出した。「決定的の処断は事件一段落の後」という、走狗の役割を演じさせられたものへの、予定どおりの過酷な処刑であった。
大江の2・26事件理解は、「実際に起こった二・二六事件は、『国家改造法案大綱』の実現をめざすクーデターが「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」にもとづくカウンター・クーデターに敗北し、カウンター・クーデター側の手によって軍部独裁への道が切り開かれるという筋書をたどった。」というものである。このことを書き留めておきたい。
この書の冒頭に、「戒厳」に関しての刺激的な2文書の紹介がある。
まず、「天皇ハ全日本国民ト共二国家改造ノ根基ヲ定メンガ為ニ、天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ両院ヲ解散シ、全国ニ戒厳令ヲ布ク」(北一輝『日本改造法案大綱』)。
2・26事件を起こした反乱青年将校たちが自分たちの政治綱領として信ずることが厚かった『日本改造法案大綱』の第一条である。これは、大江によれば、初めてクーデターの手段としての戒厳を公然と主張したものだという。天皇親政を実現するために、憲法を停止する。具体的には、「貴衆の両院を解散し、全国に戒厳令を布く」というのだ。これが、皇道派青年将校が企図したクーデター。
そして、もう一つの文書が、カウンター・クーデター派のもの。
「現下の世相に鑑み政治的非常事変勃発に際しては、軍部は之を契機として国内事態改善の為常固なる決意を以て目的の貫徹を期す。(中略)国内非常に際し、軍の行う警備は皇室の擁護、資源の確保、軍の対立防止及大衆の保安を主とし、且つ、軍の企図する革新遂行を容易ならしむ。(中略)騒動中に軍隊の参加を当然予想せらるる事態にいたらばすみやかに戒厳を令す」(参謀本部第二部片倉衷大尉を座長とする幕僚将校グループが作成した「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」1934年1月成稿)。
「政治的非常事変勃発」「軍の騒動参加」をきっかけに、「断固、軍の企図する革新を遂行」というのだから、穏やかではない。これは、「『日本改造法案大綱』を奉ずる青年将校グループとは対立する陸軍中枢の少壮幕僚グループの研究成果をまとめたもので、かれらは、クーデターにたいするカウンター・クーデター(逆クーデター)として戒厳を宣告し、かれらなりの″国家革新″を実現することを期していた。これら幕僚グループの研究成果は成文化され、参謀本部の課長・部長に提出された。いわば、半公式的な性格のものである。」という。クーデターにたいするカウンター・クーデターにおいて、両者とも戒厳令を構想していたことに注目せざるを得ない。
大江は、「このように、戒厳令は、憲法を停止し、議会を破壊し、軍事独裁政権を樹立し、維持していくのに、もっとも好都合な法令である。」とまとめている。
戒厳令(太政官布告)の第14条だけを抜粋しておきたい。(「戒厳地境内」とは戒厳布告の範囲のこと)
第一四条 戒厳地境内ニ於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト
戒厳令下、司令官は軍部独裁者として振る舞うことができる。人民に対してなんでもできる。
自民党改憲草案も読み較べておきたい。
第99条
1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2項 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
緊急事態宣言下、内閣は国会を無視して独裁者として振る舞うことができる。国民は内閣のいうことを聞かねばならなくなる。内閣は、政令を作って「集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト」ができる。もちろん、テレビの放送の停波など簡単なこと。
(2016年2月26日)
2016年2月15日(月)の衆議院予算委員会の議事の記録を掲記する。政権与党の総裁であり、内閣総理大臣となっている安倍晋三という人物の反知性とそれを必死で覆い隠そうという低俗な人間性がよく表れている。これは国民必見の内容である。こういう人物が、日本の政治と行政のリーダーになっているという現実を、国民は見つめねばならない。
歴史を美化すること、歴史の恥部から目を背けることは許されない。過去に目を閉ざすものは未来に盲目となって、過ちを繰り返すことになるのだから。同様に、安倍晋三を美化し、アベ政治の恥部から目を背けることは許されない。政治の現状にも改革すべき未来にも盲目とならざるを得ないのだから。
正式な会議録はまだ公表されていない。しかし、中継動画で発言の正確性を確認することが出来る。質問者は民主党の山尾志桜里議員。以下は抜粋だが、出来るだけ恣意に陥らないように心掛けての掲載である。
○安倍首相
…それと、テレビ番組に出演していて、私は当然、自民党総裁として呼ばれているわけであります。私も呼ばれれば、他の党の人たちも呼ばれる。その中にあっては、党として、この編集の仕方はどうなんですかということは当然言う。これは、言えば、いや、そんなことは安倍さん、ありませんよ、こうこうこうですよと反論すればそれで済む話じゃないですか。
私は、当該番組に大分昔に出たことはありますが、そのときも、拉致問題について、大きな大会をやってもおたくの番組は全然取り上げませんでしたねということを言って、当時の、筑紫さんだったかな、全く黙り込んでしまったこともございました。私は、必ずしもテレビ番組の制作方向、こういう番組をつくりたいという方向に常に協力するわけではありません。私の考え方を勇気を持って申し上げますよ。
テレビ局に対して物を言うというのは結構大変なことなんですよ。私は、それを言ったがために、当該番組から、かつて総裁選挙のときに、七三一部隊の石井中将と顔をリンクさせられて、イメージ操作されたこともあったんですよ。そういうことすらあったんですよ。これは、私にとっては相当のダメージだった。それは、私が議論をしたからなんですよ。議論をすればそういうこともあるんですよ。そういうこともあるということは、どちらの方が大きな権力を持っているか。
私は別に総理大臣として、裏において、権力を行使するときにこの番組は問題があるからといって行政組織に指示したんじゃないんですよ。この番組に一出演者として出ていて議論をしているわけであります。そういう議論がおかしいということ自体が私は、全く間違っているな、このように思います。
○山尾委員
安倍総理がそういった答弁をされるのは、自分自身が内閣総理大臣であり、そしてまた政権与党のトップであるということ、自分がどういう力を持っているのか、政治権力とは何なのかということに全く無自覚であるから、そういう答弁ができるんだと思いますよ。
もし、自覚しておられてそういう答弁をしているのなら、総理は、憲法、特に21条、表現の自由について全く理解が足りないのではないかと思いますので、これに関して質問をさせていただきたいと思います。
総理、そもそも、時の政治権力がテレビ局の政治的公平性の判断権者となり、電波停止までできる、この制度解釈自体が検閲に当たり、許されないのではないか、こういう懸念の声もあります。総理、この電波停止ができるということは検閲に当たりますか、当たりませんか。
(高市が延々と答弁をする。)
○山尾委員
委員長が3回注意されて、私が尋ねてもいないことを延々と述べられて、それに与党が大拍手でこの質疑を遮るというこの運営、委員長、どうなっているんですか。質疑妨害もいいかげんにしてください。
私は、憲法の21条、表現の自由、これに対する総理の認識を問うているんです。総理がちゃんと憲法21条をわかっているかどうか、国民の皆さんの前で説明をしていただきたいと思っているんです。
尋ねます。
総理、この前、大串議員に、「表現の自由の優越的地位って何ですか」と尋ねられました。そのとき総理の答弁は、「表現の自由は最も大切な権利であり、民主主義を担保するものであり、自由のあかし」という、かみ合わない謎の答弁をされました。法律の話をしていて自由のあかしという言葉を私は聞いたことがありません。
もう一度尋ねます。優越的地位というのはどういう意味ですか。
私が聞きたいのは、総理が知らなかったからごまかしたのか、知っていても勘違いしたのか、知りたいんです。どっちですか。表現の自由の優越的地位って何ですか、総理。言論の自由を最も大切にする安倍政権、何ですか。
事務方がどんどんどんどん後ろから出てくるのはやめてください。
○安倍首相
これは、いわば法的に正確にお答えをすれば、経済的自由より精神的自由は優越するという意味において、この表現の自由が重視をされている、こういうことでございます。
○山尾委員
今、事務方の方から教わったんだと思います。
なぜ精神的自由は経済的自由に優越するのですか。優越的地位だということは何をもたらすのですか。
○安倍首相
いわば表現の自由が優越的であるということについては、これはまさに、経済的な自由よりも精神的な自由が優越をされるということであり、いわば表現の自由が優越をしているということでございますが、いずれにせよ、そうしたことを今この予算委員会で私にクイズのように聞くということ自体が意味がないじゃないですか。
それと、もう一言言わせていただくと、先ほど、電波について、とめるということについては、これは民主党政権、菅政権において、当時の平岡副大臣が全く同じ答弁をしているんですよ。その同じ答弁をしているものを、それを高市大臣が答弁したからといって、それがおかしいと言うことについては、これは間違っているのではないか、このように思うわけでございます。
○山尾委員
総理、ふだんは民主党政権よりよくなったと自慢して、困ったときは民主党政権でもそうだったと都合よく使い分けるのは、いいかげんやめてもらえませんか。
ちなみに、民主党政権では、個別の番組でも政治的公平性を判断し得るなどという解釈はしたことがありませんし、放送法四条に基づく行政指導もしたことがございません。明らかに、安倍政権と比べて、人権に対して謙虚に、謙抑的に、穏やかに向き合ってきました。
総理、もう一度お伺いします。
精神的自由が経済的自由より優越される理由、総理は、優越されるから優越されるんだと今おっしゃいました。これは理由になっておりません。これがわからないと大変心配です。もう一度お答えください。どうぞ。
○安倍首相
内心の自由、これは、いわば思想、考え方の自由を我々は持っているわけでございます。
○山尾委員
総理は知らないんですね、なぜ内心の自由やそれを発露する表現の自由が経済的自由よりも優越的地位にあるのか。憲法の最初に習う基本のキです。
経済的自由は大変重要な権利ですけれども、国がおかしいことをすれば、選挙を通じてこれは直すことができるんです。でも、精神的自由、特に内心の自由は、そもそも選挙の前提となる国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができないから、優越的な地位にある。これが憲法で最初に習うことです。それも知らずに、言論の自由を最も大切にする安倍政権だと胸を張るのはやめていただきたいというふうに思います。
(略)
○山尾委員
最後に、報道の自由度ランキングを御紹介して終わりたいと思います。
自民党時代、報道の自由は、42位、37位、51位、37位、29位。そして、民主党政権になって、メディアに対して大変オープンになり、11位まで上がりました。現在の安倍政権は61位、最悪のランキングです。憲法と人権に関する総理の認識を聞くと、ある意味当然の結果ではないかと私は思いました。
ぜひ、総理、もう一度憲法の趣旨をしっかり考えていただいて、本当の意味で豊かではつらつとした議論をしていただきたいと思います。
以上です。
山尾議員の問題関心は、「首相が、憲法の最初に習う基本のキがわからないでは大変心配」「総理が知らなかったからごまかしたのか、知っていても勘違いしたのか、知りたい」ということだった。これは、山尾議員ならずとも、国民の大きな関心事である。
国会で、権力によるメディアへの弾圧が話題とされているときに、一国の首相の憲法認識がこんな情けないレベルでは困るのだ。いや、情けないにとどまらない。実は、国民にとって恐ろしい事態といわざるを得ない。
安倍は、「今この予算委員会で私にクイズのように聞くということ自体が意味がないじゃないですか」と逃げを打ったが、これは「クイズ」ではない。国民が知りたい「首相の資格」の当否である。権力を預かる地位にある者が、委託されるにふさわしい資質を持っているか否かの確認であり検証なのだ。
結果は、明らかに落第である。安倍晋三には、表現の自由の重さ貴さに対する認識がないのだ。我が国の首相が、事務方のメモ(カンニングペーパー)に助けられてもなお、法学部1年生終了時の憲法理解のレベルに達していないことも明らかとなった。所轄の大臣が「歯舞」を読めないとか。環境大臣が放射線量の規制基準根拠を知らないとか、かつての首相が「未曾有」の読みを間違えるとか、そんなレベルの問題ではない。国民の基本的人権にとって、恐るべき事態が、現にここにあることを認識しなければならない。
なるほど、知らないということは恐ろしい。同時に、知らないということほど強いこともない。アベ政権が、表現の自由攻撃にかくも果敢であり、憲法改正にかくも積極的な理由も、無知ゆえとすれば合点が行く。
事態はおそるべきものであることを正確に認識しつつも、このような反知性の蛮勇に負けていてはならない。
(2016年2月23日)
ボクたち「放送法順守を求める視聴者の会」。顔ぶれに新味のない、いつもの右翼の常連ですが、アベ政治応援団としてまたやりました。どうです、「放送法4条守れ」のキャンペーン。2月13日付読売新聞への全面広告ですよ。あのぎらぎらする目で睨みつける意見広告。「キモい」「感じワルーイ」「センスゼロ」「恐ろしい」…。そんな読者の声もありますが、恐がってもらうのも、われわれの狙いのうち。大きなインパクトで、テレビが萎縮してくれれば、それが何より。
しかも、高市早苗総務相の「停波あり得る発言」が2月8日だから、13日の全面広告は絶好のタイミングで援護射撃になったでしょ。
ボクたち、アベのやることなんでも賛成。アベ政治親衛隊です。なんと言っても、アベこそが右翼の星なのですから。教育基本法改正・特定秘密保護法・自虐史観攻撃・靖國神社公式参拝・従軍慰安婦の強制性否定・内閣法制局人事介入・集団的自衛権行使容認・安保法制強行成立・沖縄辺野古新基地建設強行…、そして断固高市総務相発言の容認。何よりも、戦後レジームからの脱却、そして美しい日本を取り戻す。天皇を戴く国を目指す「自民党・日本国憲法改正草案」に大賛成。
この全面広告の大きな活字のフレーズは、「視聴者の目はごまかせない」「ストップ!“テレビの全体主義”」「放送法第4条が守られ、知る権利が保障されなければ、表現の自由や、民主主義は成り立ちません」「誰が国民の『知る権利』を守るの?」というもの。そして、円グラフで特定秘密保護法や安保法制などで、「TVの電波は独占状態!」と訴えています。苦心の作だって思うでしょ。ちょっと見だと、右翼の宣伝文書に見えないところがミソ。
ボクたちも学びました。まずは、古くさい仲間内だけの右翼用語を使っていてはダメだということを。偏向だの、反日だの、ブサヨなどという用語は一切避けたのです。ボクたちの顔ぶれを見れば、大きな英断だとお分かりでしょう。
次に心掛けたのは、左翼・リベラル用語の取り入れ。内容は換骨奪胎にしても、これまでは敵の陣営が使っていた言葉を使ったのですから、どうもしっくりは来ないけれども、凄いことだと思いません?
だって、「全体主義」を攻撃しているのですよ。「知る権利」でしょう。「表現の自由」でしょう、そして「民主主義」なのです。これまでは、左翼・リベラルに独占させていた言葉をボクたちの陣営にもぎ取ったのですから、たいしたものなんですよ。もう少ししたら、「平和」も、「立憲主義」も、「反権力」も「ヘイトスピーチ反対」も、「歴史修正主義糾弾」だって、我が手にしてしまおうかと思っています。いや、ホントに。
さらなる工夫は、アベ政権応援を隠していること。もちろんボクたちアベ政治の応援団で、そのことはバレバレなんだけど、ロジックとしてはアベ政権応援は前面に出さないことにしたの。ホントは、テレビ局がアベ政権に反抗していることが怪しからんので、「アベに代わって局を打つ」の気概なんだけど、それじゃアベの人気をまた下げちゃうことになる。そこで頭をひねってね。政権ではなくて、視聴者が批判しているという形にしたの。アタマいいでしょ。
なんたって、アベ政治がポシャれば、憲法改正も夢と終わる。天皇陛下を元首とし、堂々たる国防軍を持って近隣諸国から舐められない、軍事大国を作るための憲法改正。二度とこんなチャンスはやってこない。ところがアベの人気がイマイチだ。これはみんなテレビのせい。だから、テレビを脅かして、「アベを持ち上げないと免許を取り上げる」「アベの悪口言えば、電波の停止もありうるぞ」とたしなめているの。
高市早苗総務大臣は立派だ。堂々と、テレビ局締め上げの発言をしているのだから。ボクたちアベ応援団、心一つに高市を孤立させずに支援をしよう。よいタイミングで、全面広告出せてほんとによかった。
ところで、「政治的公平」ってなんだか知ってる? そう、政権の言うとおりの報道と意見が公平で公正なんだ。だってさ、世の中にはいろんな意見がある。勝手気ままでまとまらなければこの国が滅びる。意見は政権の言うとおりにまとまることが大切で、これを公平・公正という。「それって全体主義」って言われればそうかも知れないけど、民主主義に支えられた全体主義なら悪くないんじゃない。なんてったって選挙で勝った者が国民の代表者だもの。アベ政権が国民の意見の代表者で、アベ政権の言うとおりが公平・公正で間違いないでしょ。
NHKだけがボクたちのメガネに適っている。籾井会長が言うとおり、「政権が右と言っているのに、局が左といっちゃいけない」に決まっているはずじゃない。ボクたちアベ応援団だから、権力批判はしないの。アベが、NHKの人事に介入し、番組の内容まで変えようとしているのことに、「視聴者の目はごまかせない」って声は上げない。その点は、目をつぶる。もちろん、安倍晋三と一緒に飯を喰う仲の「ジャーナリスト」の批判もしない。
えっ? ボクたちの言うこと、どこかおかしい? いや、おかしいというキミの方が、偏っているのさ。
(2016年2月19日)
2月8日と9日の衆議院予算委員会における総務相高市早苗発言。放送メディアを威嚇し恫喝して、アベ路線批判の放送内容を牽制しようという思惑の広言。あらためて、これは憲法上の大問題だと言わざるを得ない。政治とカネの汚い癒着を露呈した甘利問題もさることながら、表現の自由・国民の知る権利、そして民主主義が危うくなっていることを象徴するのが高市発言。もっと抗議の声を上げなければならない。
表現の自由こそは、民主主義社会における最重要のインフラである。これなくして、民主主義も平和も、社会の公正もあり得ない。そして、この表現の自由とは、何よりも権力からの自由である。表現の自由の主たる担い手であるメデイアは、常に権力からの介入に敏感でなくてはならない。いま、放送というメディアに権力が威嚇と恫喝を以て介入しているときに、肝心のメディア自身に危機感が見えない。もっと真剣に対峙してもらいたい。
残念ながらメディアの反応は鈍く、中央紙の社説では下記の3本が目につく程度。
毎日社説 2月10日 総務相発言 何のための威嚇なのか
読売社説 2月14日 高市総務相発言 放送局の自律と公正が基本だ
東京新聞 2月16日 「電波停止」発言 放送はだれのものか
政府寄り・アベ御用達と揶揄されるスタンスの社も、メディアのプライドをかけて高市発言を批判しなければなるまい。この事態を放置しておけば、確実に「明日は我が身」なのだから。しかも、各紙とも系列の電波メディアを持っている。とうてい他人事ではないのだ。
メディアの反応が鈍ければ、主権者が直接に乗り出すしかない。そこで、ご提案したい。ぜひ皆さま、抗議の声明を出していただきたい。個人でも、グループでも、組合でも、民主団体でも…。声明でも、要請でも、抗議文でも、申入書でも…形式はなんでもよい。宛先は高市早苗と安倍政権。あるいは、各放送メディアへの要請もあってしかるべきだろう。手段は、ブログもよし。手紙でもファクスでもメールでもよい。
問題は、文面である。在野・市民団体の側の危機感は鋭く、高市発言以来昨日(2月16日)までに、多くの抗議の声が上げられている。その内、下記4本の声明や申入れが代表的なもので、ほぼ問題点を網羅している。いずれも、日頃からの問題意識あればこその迅速な対応としての声明文だ。それぞれに特色があるが、並べて読めば網羅的に問題点を把握できる。これを読み比べ、議論の叩き台として、見解をまとめてみてはいかがだろうか。
官邸の宛先は
〒100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1
内閣総理大臣 安倍晋三殿
下記アドレスから官邸へのメール発信が出来る。
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
総務大臣の宛先は、
〒100?8926東京都千代田区霞が関2-1-2
中央合同庁舎第2号館
総務大臣 高市早苗殿
総務大臣宛には、下記URLからメールで。
https://www.soumu.go.jp/common/opinions.html
なお、2月8日衆院予算委員会議事録のネットでの公開はまだないが、下記のサイトで、記録を起こした全文が読める。「高市早苗氏『電波の停止がないとは断言できない』放送局への行政指導の可能性を示唆」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160209-00010000-logmi-pol
また、参考とすべき放送法は
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html
電波法は、
http://www.houko.com/00/01/S25/131.HTM
代表的な4本の抗議声明とは、下記のA?D。いずれも、信頼できる団体の信頼できる内容。
A 2月10日 民放労連声明
「高市総務相の「停波発言」に抗議し、その撤回を求める」
http://www.minpororen.jp/?p=293
B 2月12日 放送を語る会・日本ジャーナリスト会議
「高市総務大臣の「電波停止」発言に厳重に抗議し、大臣の辞任を要求する」
http://jcj-daily.seesaa.net/article/433733323.html
C NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ 申入れ
「高市総務相の「停波」発言の撤回と総務大臣の辞職を求める申し入れ」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-e9fb.html
D 2月16日 東京弁護士会・会長声明
「高市早苗総務大臣の「放送法違反による電波停止命令を是認する発言」に抗議し、その撤回を求めると共に、政府に対し報道・表現の自由への干渉・介入を行わないよう求める会長声明」
http://www.toben.or.jp/message/seimei/post-425.html
それぞれの特色があるが、下記の点では、ほぼ共通の認識に至っている。
(1) 高市発言の「放送法の規定を順守しない場合は行政指導を行う場合もある」「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」の部分を問題として取り上げ、これを不要不適切というのみならず、放送メディアに対する威嚇・恫喝と把握していること。
(2) 高市発言が、「放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した」ことについて法の理解を間違いとしている。憲法・放送法の研究者においては放送法第4条は放送事業者に法的義務を課す規範ではなく、放送事業者の内部規律に期待した倫理規定とみなすのが定説であって、権力規制に馴染まないこと。
(3) 高市発言は、安倍政権の報道の自由への権力的介入の姿勢の象徴であるとともに、高市自身の日頃の政治姿勢の問題の発露でもあること。
(4) 電波管理行政を所管する大臣からの、メディアへの威嚇・恫喝は、憲法21条の理念に大きく違背するものとして、憲法上重要な問題であること。
(5) 高市には閣僚としての資質が欠けているとして、本人には辞任を、政権には更迭を求めていること。(弁護士会声明だけは別)
以下、各声明・申し入れの特徴を略記しておきたい。
A 2月10日 民放労連声明
さすがに、対応が迅速である。高市発言を放送の自由に対する権力的介入と捉え、これを我がこととしての当事者意識が高い。その自覚からの次の苦言が印象的である。
「今回のような言動が政権担当者から繰り返されるのは、マスメディア、とくに当事者である放送局から正当な反論・批判が行われていないことにも一因がある。放送局は毅然とした態度でこうした発言の誤りを正すべきだ。」
また、問題の根源が未熟な政府の放送事業免許制にあるとして、次の提案がなされている。
「このような放送局への威嚇が機能してしまうのは、先進諸国では例外的な直接免許制による放送行政が続いていることが背景となっている。この機会に、放送制度の抜本的な見直しも求めたい。」
B 2月12日 放送を語る会・日本ジャーナリスト会議声明
高市総務大臣の「個性」に着目して背景事情を語り、その資質を問題として糾弾する姿勢において、もっとも手厳しい。
「もし高市大臣が主張するような停波処分が可能であるとすれば、その判断に時の総務大臣の主義、思想が反映することは避けられない。
仮に高市大臣が判断するとした場合、氏はかつて『原発事故で死んだ人はひとりもいない』と発言して批判をあび、ネオナチ団体代表とツーショットの写真が話題となり、また日中戦争を自衛のための戦争だとして、その侵略性を否定したと伝えられたこともある政治家である。このような政治家が放送内容を『公平であるかどうか』判定することになる。
時の大臣が、放送法第4条を根拠に電波停止の行政処分ができる、などという主張がいかに危険なことかは明らかである。」
「我々は、このような総務大臣と政権の、憲法を無視し、放送法の精神に反する発言に厳重に抗議し、高市大臣の辞任を強く求めるものである。」
C NHKを監視・激励する視聴者コミュニティの総務大臣宛申入れ
小見出しを付した3パラグラフから成る。もっとも長文であり、叙述も広範囲に亘っている。
1.倫理規範たる放送法第4条違反を理由に行政処分を可とするのは法の曲解であり、違憲である。
「最高裁判決は、放送法4条の趣旨を、『他からの干渉を排除することによる表現の自由の確保の観点から,放送事業者に対し,自律的に訂正放送等を行うことを国民全体に対する公法上の義務として定めたもの』と言っている。権力的な介入を認める余地はない。」
2. 停波発言は2007年の放送法改正にあたって行政処分の新設案が削除され、真実性の確保をBPOの自主的努力に委ねるとした国会の附帯決議を無視するものである。
「高市総務相は『BPOはBPOとしての活動、総務省の役割は行政としての役割だと私は考えます』と答弁し、BPOの自立的な努力の如何にかかわらず、行政介入を行う意思を公言した。しかし、権力的介入を防止し、社会的妥当性を踏まえた自律機能を発揮するのがBPOの存在意義。高市発言は、BPOの存在意義を全面的に否定するものにほかならない。」
3. 放送法第4条に違反するかどうかを所管庁が判断するのは編集の自由の侵害である。
「政治的に公平だったかどうか、多角的に論点を明らかにしたかどうかは往々、価値判断や対立する利害が絡む問題である。そして報道番組の取材対象の大半は、時の政権が推進しようとする国策であり、報道番組では政府与党自身が相対立する当事者の一方の側に立つのがほとんどである。放送に関する許認可権を持つ総務大臣が、放送された番組が政治的に公平かどうかの審判者のようにふるまうのは、自らがアンパイアとプレイヤーの二役を演じる矛盾を意味する。その上、放送事業者に及ぼす牽制・威嚇効果は計り知れず、そうした公言自体が番組編集の自由、放送の公平・公正に対する重大な脅威となる。」
D 2月16日 東京弁護士会・会長声明
高市問題に関する最初の弁護士会声明である。憲法21条についての実践的重要課題として迅速に取り上げた執行部に敬意を表したい。
最後は、「よって、報道・表現の自由を萎縮させ、国民の知る権利を侵害し立憲民主主義を損なう高市早苗総務大臣の発言に強く抗議し撤回を求めると共に、政府に対し報道・表現の自由への干渉・介入となり得るような行政指導や発言を行わないよう求める。」と結ばれている。ここにも見られるとおり、高市よりは、むしろ政府に対する抗議と要請になっていることに特色がある。
「菅官房長官や安倍総理も、この(高市)発言を『当然のこと』『問題ない』として是認している。しかし、このような発言や政府の姿勢は、誤った法律の解釈に基づき放送・報道機関の報道・表現の自由を牽制し委縮させるもので、我が国の民主主義を危うくするものである。」というのが基本姿勢。
「憲法21条2項は検閲の禁止を定めているが、これは表現内容に対する規制を行わないことを定めるものでもある。1950年の放送法の制定時にも、当時の政府は国会で「放送番組については、放送法1条に放送による表現の自由を根本原則として掲げており、政府は放送番組に対する検閲、監督等は一切行わない」と説明している。
放送法4条が放送内容への規制・制限法規範になるものではなく、放送事業者の自律性における倫理規定に過ぎないことは明らかである。」「政府が、放送法4条の「政治的に公平」という言葉に部分的に依拠しそれが放送事業者に対する規制・制限法規範であると解釈して、行政指導の根拠とすることは許されず、さらに違反の場合の罰則として電波法76条1項による電波停止にまで言及することは、憲法および放送法の誤った解釈であり許されない。」とする。
その上で、「放送法4条についての今般の解釈を許すならば「政治的に公平である」ということの判断が、時の政府の解釈により、政府を支持する内容の放送は規制対象とはならず、政府を批判する内容の放送のみが規制対象とされることが十分起こり得る。さらに、電波停止を命じられる可能性まで示唆されれば、放送事業者が萎縮し、公平中立のお題目の下に政府に迎合する放送しか行えなくなり、民主主義における報道機関の任務を果たすことができなくなる危険性が極めて高くなるものである」とたいへん分かり易い。
安倍政権は、今や誰の目にも、存立危機事態ではないか。アベノミクスは崩壊だ。閣僚不祥事は次々と出て来る。そして、メディアを牽制するだけが生き残りの道と思っているのではないか。なんとか生き延びて、悲願の改憲をしたいというのがホンネであろう。
一つ一つの課題に、抗議の声を積み上げたいものと思う。
(2016年2月17日)