澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「習総書記を安心させろ」は、「大御心を安んじ奉れ」に瓜二つではないか。

(2022年5月29日)
 注目の毎日新聞「新疆公安ファイル」報道。連載好調である。流出されたファイルの紹介だけでなく充実した関連取材にも期待したい。

 連日の報道に目を離せないが、私が最も興味深く読んだのは、「習氏の命令に忠実」「『全面的な安定』実現に発破」と表題された以下の記事。抜粋して、引用する。

「(敵対勢力やテロ分子には)断固として対応し、壊滅的な打撃を与えよ。情け容赦は無用だ」
 2017年5月28日。ラマダンの3日目だった。新疆ウイグル自治区トップの陳全国党書記(当時)は、自治区の「安定維持司令部」の会議でイスラム教徒の信仰心が高まるラマダン中の国内外の動静に警戒を求めた。

 習近平指導部はテロ対策の名目で、ウイグル族らへの抑圧を強めてきた。特に14年に区都ウルムチの鉄道駅で発生した爆発事件を切っ掛けに、強力な抑え込みにかじを切り、新疆を中心に暴力テロ活動を取り締まり、特別行動を始めた。

 「捕らえるべきものを全て捕らえるのだ」。演説で陳氏は当局が疑わしいと見る全員を拘束するよう要求。特に外国からの帰国者は手錠や覆面などをかけて「片っ端から捕らえるのだ」と指示している。

 国営新華社通信によると、共産党は同年末、党委書記を陳氏から元広東省長徴の馬興瑞氏に交代させた。馬氏が陳氏の路線を引き継ぐかは不明だ。ただ、陳氏は18年の演説でこう話している。「(分裂勢力は締め付けがしばらくすれば弛むと考えているが)『?梁の夢』(はかない夢)だ。5年で基本的な安定を達成したとしても、次の5年も厳しい取り締まりを続ける」。そして演説をこう締めくくっていた。「(習)総書記を安心させろ」

 この最後の「総書記を安心させろ」という言葉が、私の心の中に異物として突き刺さるのだ。どうして、「人民の安全のために」ではなく、「総書記を安心させろ」なのだろうか。どうして、こんな言葉で人が動くのだろうか。そして、この言葉はどこかで聞いたことがある、暗い記憶を呼び起こす。

 この記事、戦前の内務大臣の暴支膺懲訓示に大差ない。「敵対勢力」や「テロ分子」は、「不逞鮮人」「支那人」そして「非国民」に置き換えて読むことができる。むろん、「総書記を安心させろ」は、もったいぶった「陛下の大御心を安んじ奉れ」ということになる。

 近代以後の日本の権威主義は、天皇の権威を源泉とする。天皇の権威は、天皇を頂点とするヒエラルヒーを下位に向かって順次降下する。上位は天皇の権威を背負うことで下位に絶対の服従を求めた。かくして、この社会には小さな権力を振るう小天皇が乱立した。だからこそ、「上官の命令は天皇の命令と心得よ」が成立し得たのだ。

 だから、為政者にとっての天皇の権威というものは、この上なく使い勝手のよい便利な統治の道具なのだ。この権威主義は、自立した個人が権力を形成し監視する民主主義とは相容れない。日本の民主主義の成熟は、我が国にはびこる「天皇制=権威主義」の残滓を払拭せずにはあり得ない。

 今、中国は天皇制の代わりに共産党を、天皇に換えて習近平を据えたという感を否めない。ウイグルトップの陳全国は、習近平の権威を笠に着て、その部下に「習総書記を安心させろ」と言ったのだ。かつて、天皇制権力が臣民の徹底統治に成功したように、習近平中国も14億人民を、その権威をもって統治しようとしている如くである。社会主義とはまったく無縁で、野蛮な権威主義統治体制というほかはない。 

衝撃!ー ウイグルでの赤裸々な人権弾圧の実態

(2022年5月26日)
 昨日の毎日新聞朝刊のトップに、「逃げる者は射殺せよ」というおどろおどろしい横見出し。そして、主見出しは「ウイグル公安文書流出」。これは、衝撃的な記事だ。野蛮な中国共産党専制支配によるウイグルでの赤裸々な人権弾圧の実態。全世界の人々が、この記事を読むべきであり、権力と人権との緊張関係についての教訓を汲み取らねばならない。

 そして「内政干渉だ」「フェイクだ」「反中勢力の謀略だ」などという弁明を容れることなく、「人権擁護は人類共通の課題だ」との姿勢を貫いて中国批判の声を上げ続けなければならない。
 https://mainichi.jp/xinjiangpolicefiles/

 この記事のリードは以下のとおり、中国のウイグル族「再教育施設」内部資料が流出したというもの。その流出資料の量と内容が半端なものではない。そして、内容の信憑性は限りなく高い。このリードはけっして誇張ではなく、この記事の全体を真実と前提しての議論に憚るところはない。

 「中国新疆ウイグル自治区で少数民族のウイグル族らが「再教育施設」などに多数収容されている問題で、中国共産党幹部の発言記録や、収容施設の内部写真、2万人分以上の収容者リストなど、数万件の内部資料が流出した。「(当局に)挑む者がいればまず射殺せよ」などと指示する2018年当時の幹部の発言や資料からは、イスラム教を信仰するウイグル族らを広く脅威とみなし、習近平総書記(国家主席)の下、徹底して国家の安定維持を図る共産党の姿が浮かぶ。」

 毎日の記事では、まずこの資料の信憑性が語られている。

 「今回の資料は、過去にも流出資料の検証をしている在米ドイツ人研究者、エイドリアン・ゼンツ博士が入手した。毎日新聞を含む世界の14のメディアがゼンツ氏から「新疆公安ファイル」として事前に入手し、内容を検証。取材も合わせ、同時公開することになった。」

 世界の14のメディアとは、以下のとおり、信頼に足りる世界のビッグネームである。およそ、フェイクとも、偏向とも無縁と言ってよい。
 BBC News(英)▽ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)▽USA TODAY(米)▽Finnish Broadcasting Company YLE(フィンランド)▽DER SPIEGEL(独)▽Le Monde(仏)▽EL PAIS(スペイン)▽Politiken(デンマーク)▽Bayerischer Rundfunk/ARD(独)▽NHK WORLD-JAPAN(日本)▽Dagens Nyheter(スウェーデン)▽Aftenposten(ノルウェー)▽L’Espresso(イタリア)▽毎日新聞

 「14のメディアは、収容者リストに載っている人の家族への取材や流出写真の撮影情報の確認、衛星写真との比較、専門家への鑑定依頼などを行った。毎日新聞は検証で確認された情報の信ぴょう性と社会的意義から報道する価値があると判断した」「流出文書を検証した14のメディアは、事前に内容について共同で中国外務省にコメントを求めたが、直接回答はなかった」

 本文の内容は厖大で、とうてい全体を紹介しきれない。そのごく一部を引用する。

 「流出した内部文書は、ウイグル族など少数民族の収容政策を厳しく推進した新疆ウイグル自治区トップの陳全国・中国共産党委員会書記(当時)ら発言記録や、収容施設の管理マニュアル、不審人物がいないか調べた報告書など多岐にわたる。」

 幹部の発言記録は、公安部門トップの趙克志・国務委員兼公安相や自治区トップの陳全国・党委書記(当時)らが会議で行った演説。
 収容政策で重要な役割を果たした陳氏は17年5月28日の演説で、国内外の「敵対勢力」や「テロ分子」に警戒するよう求め、海外からの帰国者は片っ端から拘束しろと指示していた。「数歩でも逃げれば射殺せよ」とも命じた。

 また、18年6月18日の演説では、逃走など収容施設での不測の事態を「絶対に」防げと指示し、少しでも不審な動きをすれば「発砲しろ」と命令。習氏を引用する形で「わずかな領土でも中国から分裂させることは絶対に許さない」と述べ、「習総書記を核心とする党中央を安心させよ」と発破を掛けていた。

 内部の写真が流出したのは、自治区西部イリ・カザフ自治州テケス県の「テケス看守所(拘置所)」とされる収容施設。手錠や足かせ、覆面をつけられ連れ出された収容者が、「虎の椅子」と呼ばれる身動きができなくなる椅子で尋問を受けている。また、銃を持つ武装警察らが制圧訓練をしているとみられる写真や、収容者が注射のようなものを受けている写真もある。
 これらは、中国当局が過激思想を取り除くためなどとして運用した「再教育施設」の元収容者が証言した内容とも一致した。

 収容者のリストには、身分証番号や収容の理由、施設名などが記されている。主に自治区南部カシュガル地区シュフ県在住のウイグル族など少数民族のもので、ゼンツ氏は、数千人分を含む452枚のリストを検証。17〜18年の時点で、シュフ県の少数民族の成人のうち12・1%(2万2376人)以上が「再教育施設」、刑務所、拘置所に何らかの形で収容されていると推計した。別に警察署などで撮影された収容者約2800人の顔写真も流出した。驚くべきは、「新疆南部では過激な宗教思想の浸透が深刻なグループが200万人以上いる」といった趙克志・国務委員兼公安相の発言。 これまで、「再教育施設」の規模は「100万人を超える」と言われてきたが、この推測に根拠を与えるものとなった。

 2017年5月28日、陳全国(新疆ウイグル自治区トップ)党委書記の「安定維持司令部」会議での演説の中で、下記のとおり発言しているという。

 「苦難を恐れず、疲労を恐れず、犠牲を恐れぬ精神でそれぞれの責任を果たせ。特に神経をとがらせているのは海外からの帰国者の動向だ。片っ端から捕らえ、手錠や覆面をつけ、必要なら足かせもしろ」と指示。「逃げるものは射殺しろ」とまで言い切っている。

 ウィグル人権弾圧問題をめぐっては、国連のバチェレ人権高等弁務官(元チリ大統領)が今月23日から6日間の日程で中国を訪問中である。この国連の代表に対して、習近平は、「教師面して偉そうに説教するな」と述べたという。本日の東京新聞が「ウイグル訪問中の国連人権高等弁務官にクギ刺す」と報道している。

 「中国の習近平国家主席は25日、新疆ウイグル自治区の視察のため訪中しているバチェレ国連人権高等弁務官とオンライン会談した。習氏は「人権を口実に内政干渉するべきではない」と訴え、中国が少数民族ウイグル族の人権を弾圧しているとして批判を強める欧米をけん制した。
 中国外務省によると、習氏は「国ごとに異なる歴史文化や社会制度を尊重するべきだ」と主張した上で、「教師面して偉そうに他国を説教するべきでなく、人権問題を政治化してはならない」と国際社会の非難に反論した」

 世界の良識を代表する国連人権高等弁務官に対しての「教師面して偉そうに説教するな」である。恐るべき野蛮、唾棄すべき夜郎自大。今、世界はプーチン・ロシアを非難の的としているが、習近平・中国も、兄たり難く弟たり難し、と言わねばならない。

香港の次期行政長官に、民主派弾圧の警察トップ

(2022年5月8日)
 本日、香港の次期行政長官が決まった。就任は7月1日だという。
 この人事、形式は選挙だが実質は中国共産党の任命である。任命された李家超(ジョン・リー)とは、「北京への忠誠」故に取り立てられ、共産党支配の手駒となった人物。これまでもこれからも、露骨に民意を抑圧しようという姿勢を隠そうともしない。

 選挙とは、民意が権力を構成する作用をいう。民意のあるところを見定め、民意が選任する人物に権力を託す手続である。残念ながら、香港では、徹底して民意が押さえ込まれてしまっている。選挙の条件が破壊されているのだ。国外からの武力侵略を受けて傀儡政権が作られたのとまったく同じ構図である。

 民意を反映する公正な選挙の実現のためには、公正な普通選挙制度のみならず、政治的言論の自由、政治活動の自由、政治的結社の自由、報道の自由、教育の自由、等々の諸条件の整備が必要である。その総体を民主主義と呼ぶ。香港にはこの諸条件が備わっていたが、残念ながら野蛮な暴力によってこれを奪い取られたのだ。

 その民主主義諸条件強奪の尖兵となったのが李家超にほかならない。200万人のデモを鎮圧したと言われる。こんな人物を行政トップに据える手続を選挙というのは、ひどいブラックジョークというほかはない。こんな手続が選挙の名に値するものではありえない。
 
 この人、本日の記者会見で、「内外の脅威から香港を守る」と語ったと報じられている。聞いてみたい。あなたのいう守られるべき香港とは、いったいその実体は何なのか。そして、いったい誰から守ろうというのだ。

 伝えられるこれまでの彼の言動からすれば、「内外の脅威」とは、「これまで香港に根強く育ってきた民主主義と、それを支援する民主的な国際世論」である。強権的な為政者にとっては、香港に民主主義が育つことが脅威なのだ。だから、「守られるべき香港」とは、民主主義の対立物としての一党専制ないしは個人独裁以外にはない。

 香港の民意を制圧しての安定的な中国共産党支配の確立、これこそが北京の意を受けた警察トップ・李家超の役割である。これまでも、そのために民主派弾圧の先頭に立ってきた。北京に抜擢されて行政トップの地位を得た以上は、今後その期待に応えて、なお一層、民主派と民主主義の弾圧に精を出すことにならざるを得ない。

 新行政長官は何をしようとしているのか。まずは、「フェイクニュース法」の制定を目指しているという。これまでも、李家超は、民主主義を奉じジャーナリズムの矜持を貫いたメデイアに対する弾圧を敢行してきた。だから、李が「フェイク」を取り締まるといえば、当局に不都合なニュースは全て「フェイク」とされるだろうと考えるべきが当然なのだ。合わせて、記者の個人情報を登録させ、政府が管理することも検討されていると報じられている。目指すは、報道管制社会である。

 のみならず、国安法を上回る弾圧を可能とする、「国家安全条例」の制定について「必ずやる、迅速に制定する」とも述べているという。そこには、「反逆罪」や「国家機密窃取罪」などの創設も含まれているとか。民主主義の香港は、弾圧の香港に様変わりしつつあるようだ。

 ロシアといい、中国といい、革命を成し遂げた大国の末路に唖然とするしかない。 

プーチンはウクライナに侵攻し、習近平は香港の民主主義を蹂躙した。

(2022年4月16日)
 一般には、「現状」の墨守は革新への妨げである。とりわけ、「不合理な現状」であれば変更して悪かろうはずはない。だが、どんな方法を用いてでも「現状」を変えてよいことにはならない。むしろ、実力による現状の変更は、通常は違法となる。また、現状が変更を合理化するほど不合理であるか否かの判断は難しい。間違いのないことは、力の強い者が一方的に決めてよいことではないということ。

 国家が力づくで不満とする現状を変えようとすれば侵略戦争になる。かつて、旧日本帝国は朝鮮を侵略し、続いて満州を占領して中国に攻め入り、遂には真珠湾を攻撃して太平洋戦争の引き金を引いた。そして今、現状を不満とするプーチンのロシアが、隣国ウクライナの主権を侵している。

 どの戦争についても言えることだが、開戦を合理化する理屈はどうにでも拵え上げることができる。戦争を起こした側の国民の大多数はその理屈を受け入れて、圧倒的に戦争を支持する。自国に正義があると思い込みたいのだ。その基礎をなす愛国心だの祖国の栄光を讃える心情などほど危険なものはない。

 さて、香港である。「一国二制度」とは、中国自身が受容した「現状」であったはず。これが、一方では中国の独裁体制が深刻化し、もう一方では香港の民主化の進展が著しく、「二制度」の乖離が大きくなった。この「現状」を容認しがたいとする中国共産党が実力で「変更」に乗りだした。相手が独立国ではないから、戦争にはならない。野蛮な弾圧となっている。

 権力とは人民から委託され、人民に奉仕すべきものという文明世界の共通原理はここでは通用しない。剥き出しの暴力と、暴力による威嚇が、文明社会では大切にされる言論の自由、政治活動の自由を遠慮なく蹂躙する。蛮族の支配さながらに、全ては実力を掌握した一党の幹部の思いのままである。

 香港には人民の意思を政治に反映するシステムとしての三権分立の制度が整備されており、近年まで立派に機能していた。その文明が、無惨にも野蛮の暴力に屈せざるを得ない。中国共産党は、香港議会の選挙に介入し、司法に圧力をかけ、民主主義を支える言論の自由を古典的な手口で弾圧した。そして今、総仕上げとして、行政のトップを意のままになる人物に変更しようとしている。

 香港政府トップの行政長官選挙は5年に1度行われる。新型コロナの感染拡大の影響で延期されたが、5月8日予定となり、立候補の受け付け期間は4月3日から2週間とされ、14日夕に締め切られた。立候補は、党の眼鏡にかなった李家超ただ一人。既に「当選確実」である。その去就が注目された現職の林鄭月娥も立候補しなかった。

 この選挙の投票権は、一般の市民にはなく、親中派が99・9%を占める1500人の選挙委員が投票して選ぶ仕組みだという。しかも、立候補には188人以上の選挙委員の推薦を受けることが必要とされ、李は13日に届け出をした際、半数を超える786人の推薦者名簿を提出している。

 李家超(ジョン・リー、64)とは、警察出身で現政府ナンバー2だった人物。民主派に対する「弾圧の急先鋒」「強硬派」として知られ、「選挙の形骸化も決定的」と報じられている。

 香港メディアによると、「中国政府は、李氏が唯一の候補者だと選挙委員に伝えて結束を求めており、投票前から当選者が事実上、決まったも同然」だという。

 さらに朝日が伝えるところでは、李は、「香港の治安機関トップとして、2019年の逃亡犯条例改正案をめぐる反政府デモの後、民主活動家らに催涙弾を使って取り締まりを指揮。中国共産党に批判的だった香港紙「リンゴ日報」を廃刊に追い込んだ強硬派として知られる。こうした中国政府の方針に忠実な態度が評価され、昨年6月に政府ナンバー2の政務長官に抜擢されていた」とのこと。なるほど、さもありなん。

 プーチンはウクライナに侵攻し、習近平は香港の民主主義を蹂躙した。ともに、文明社会のルールを無視して、現状を実力で変更した。いつの日か、歴史の審判を受けるであろうか。

ロシアの侵略に抗議する人と、その抗議の声明を削除する権力と。

(2022年3月10日)
 3月10日、東京大空襲の日。日本人が戦争の悲惨さを、自らのこととして身に沁みて知った日である。この日、一夜にして10万人の東京の住民が焼き殺された。悲劇の極みである。東京の下町を歩けば、あちこちに77年前の劫火の爪痕を見ることができる。もちろん、日本も被侵略国に同様の惨禍を与えたではないか、という批判にも謙虚に耳を傾けなければならない。

 いかなる戦争も容認してはならない。いかなる理由があろうとも、武力に訴えることを許してはならない。戦争は、限りのない悲劇の連鎖を生む。愚かな戦争を、けっして繰り返させてはならない。その思いが、日本国憲法第9条に結実した。

 今年は、ウクライナの人々に進行中の惨劇と重なる3月10日となった。ロシアという専制国家が新たな侵略戦争を起こし、ウクライナの民衆に無数の悲劇をもたらしている。連日新聞の紙面を大きく飾る砲撃・爆撃の犠牲者、無数の避難民の写真に胸が痛む。が、この戦争に胸を痛めている者ばかりではない。この経過を冷徹に見守っている国もあり、指導者もいる。その落差は大きい。

 毎日新聞デジタル 2022/2/28 19:09の記事が、こう伝えている。
 「中国の歴史学者ら、ウクライナ侵攻は「不義の戦争」 閲覧制限でも称賛」

 「中国の歴史学者5人が26日、ロシアのウクライナ侵攻を「不義の戦争」と批判し、撤退を求める声明を通信アプリの微信(ウィーチャット)で発表した。中国政府はロシアの立場には一定の理解を示し「侵攻」と呼んでいない。声明はまもなく閲覧できなくなったが、保存された画像はインターネット上で繰り返し転載され、国内外で「歴史家のあるべき姿」「勇気ある行動だ」と称賛の声が相次いでいる。」

 当然のことだが、中国にもロシアのウクライナ侵略を「不義の戦争」と言い切り、これを公表する人がいる。しかし、その見解は、すぐに削除されたというのだ。ウクライナの民衆の悲劇に胸を痛めるて寄り添おうという人と、冷徹にこれを許さないとする人と、落差は大きい。

 「声明を出したのは北京大、南京大など中国本土や香港の大学の教授5人。『ロシアにどんな理由があろうとも、武力で主権国家に侵攻するのは、国連憲章を基礎とする国際関係のルールを踏みにじるものだ』と指摘。祖国を守るウクライナ人の戦いを支持するとともに、プーチン大統領や露政府に対し、戦争をやめて交渉で問題を解決するよう強く求めた。」「5人は、ウクライナの戦禍とその苦痛は、かつて戦争で国土を踏みにじられ、家や家族を失った中国人として『我がことのようだ』と表現。声を上げることが必要だと説明した。」

 ところが、この声明は数時間後、「『ネットユーザーの情報サービス管理規定』に違反するとして閲覧できなくなった。中国政府は、ロシアの安全保障面での要求は重視されるべきだとの立場を取る一方で、ウクライナの主権と領土も尊重すべきだとし『侵攻』かどうかについて言及を避けている。5人の声明は政府方針にそぐわないと当局が判断し、削除した可能性がある。」

 この声明はその後、中国ネットユーザーらの手でコピーされ、中国政府側の手の及ばないツイッターなどで国内外に拡散。注目すべきは、「中国語でのツイートには『中国の知識人の見識を示した』『5人に心からの敬意を表する』などと賛辞が並ぶ一方で『国の恥だ』と批判する声もあった」という。

 この声明の全文を読みたいと思っていたら、「リベラル21」のサイトに掲載された、阿部治平さんという方の訳文を教えてもらった。引用させていただく。

 http://lib21.blog96.fc2.com/

「ロシアのウクライナ侵攻と我々の態度」 

2022年2月26日

                     孫 江 南京大学教授
                     王立新 北京大学教授
                     徐国埼 香港大学教授
                     仲偉民 清華大学教授
                     陳 雁 復旦大学教授
 戦争は暗闇の中で始まった。
 2月22日夜明け前(モスクワ時間21日夜)、ロシア大統領プーチンはウクライナ東部の民間武装組織、自称ドニエツク人民共和国とルガンスク人民共和国を独立国として承認することを宣言し、これに続き24日には陸海空三軍によるウクライナへの大規模侵攻を開始した。
 国連常任理事国であり核兵器を保有する大国が、意外にも弱小兄弟国に対して大打撃を与え、国際社会を驚愕させた。ロシアは戦争をしてどうするつもりなのか?大規模な世界大戦をやるのか?過去の大災害はしばしば局部的な衝突から始まっている。国際世論はこの事態に心を痛めることこの上ない。
 この数日、ネット上ではリアルな戦況を伝えているが、廃墟・砲声・難民……ウクライナの傷口はことごとく我々を痛めつけている。かつて戦争によって踏みにじられたわが国では、家族が離散し、肉親を失い、多くが餓死し、領土を奪われ、賠償を取られた……。この苦しみと屈辱が我々の歴史意識を鍛えた。我々はウクライナ人民の苦痛をわが身のものとして受け止める。
 連日、到るところで戦争反対の声がわき上がっている。
 ウクライナ人民は立ち上がった。ウクライナの母親は激しくロシア兵をとがめ、ウクライナの父親は戦争の罪悪を激しく非難している。ウクライナの9歳の女の子がなきながら平和を叫んでいるではないか。
 ロシア人民は立ち上がった。モスクワでもサンクトペテルスブルクでも、ほかの町々でも市民は街頭に出た。科学者たちは反戦を声明した。平和、平和、反戦の声は国境を超え、人の心を揺り動かしている。
 我々が注目してきたことの推移が、過去を思わせ、未来を心配させる。人々の叫びの中、我々もこの思いを声にしなければならない。
 我々は、ロシアがウクライナに仕掛けた戦争に強く反対する。ロシアにはそれなりの訳があろうが、すべては言い訳に過ぎない。武力による主権国家への侵入は、すべて国連憲章を基礎とする国際関係の準則を踏みにじるものである。現有の国家間の安全の仕組みを破壊するものである。
 我々は断固としてウクライナ人民の自衛行動を支持する。我々はロシアの武力行使がヨーロッパと世界全体の情勢を動揺させ、さらに大きな人道上の災難を引き起こすことを憂えている。
 我々はロシア政府とプーチン大統領に対し、即時停戦と対話による紛争解決を強く強く呼び掛ける。強権行動は文化と進歩の成果と国際正義の原則を破壊し、ロシア民族にさらに大きな恥辱と災禍をもたらすであろう。
 平和は人心の渇望するところである。我々は不正義の戦争に反対する。
                        以上

 「強権行動は文化と進歩の成果と国際正義の原則を破壊し、ロシア民族にさらに大きな恥辱と災禍をもたらすであろう」という言葉は重い。当然のことながら、強権行動の主体はプーチンに限らない。 「ロシア民族」は、他の民族に置き換えても理解できるのだ。だから、この声明はすぐに消されたのであろう。

「台湾に国際法の保護は及ぶ」 ? 伊藤一頼論文紹介

(2022年2月19日)
 50年前、1972年9月29日に日中共同声明が発出されて日中間の国交が回復した。そのとき、私は無条件にこれを歓迎した。「一つの中国」論にもとづき、台湾が中国の一部であることを当然と考えた。声明に盛られた「平和五原則」や「国連憲章の原則」の確認、「覇権主義に対する反対」等々は、東アジアに明るい未来を開くものとまぶしささえ感じた。帝国主義国アメリカの干渉さえなければ、中国の統治は即刻台湾に及ぶことになろう。中国の台湾統治は疑う余地もなく望ましいことだった。

 当時、人民が主人公となった革命中国と、蒋介石が君臨する反動台湾という対比のイメージ。それが、両者ともに少しずつ変わってくる。とりわけ、中国側の天安門事件が衝撃だった。さらに、チベット・ウィグル、内モンゴル、そして香港における民主主義圧殺の信じがたい事態である。一方、台湾の民主化は進んだ。今や、民主・台湾と、専制・中国との対峙の構図。ささやかれる台湾有事とは、民主主義の一角が独裁体制に飲み込まれる危機のこととなった。

 中国は、台湾併合の方針を「核心的利益」に関するものとして、絶対に譲ろうとしない。そして振りかざすのが、「中国は一つであり、台湾併合は内政問題。国連憲章にも明記されているとおり、内政干渉は違法だ。台湾併合への干渉は誰であっても許さない」という国際法上の『論理』。

 はたして、台湾に居住する2300万の人々は、圧倒的な実力による中国の併合圧力に対抗する国際法上の権利はないのだろうか。この素朴な疑問に対する良質の回答として、「台湾に国際法の保護は及ぶか」(伊藤一頼)という「法律時報」(22年2月号)の論文の存在を教えられた。伊藤一頼は、東大の国際法教授である。その概要を紹介したい。

 「台湾に国際法の保護は及ぶか」? その問いに対する答は、疑いもなく「イエス」である。その根拠として挙げられているのが、台湾を「事実上の統治体」という概念で捉え得ること。そして、もう1つとして「自決権」があるという。それゆえ「台湾が受けうる国際法上の保護が通常の国家に比べ大きく見劣りすることは(理論上は)ないはずである」という結論。

 論文は、「台湾は国家ではないのか」から説き起こす。台湾は、客観的には国家の要件を満たしているが、「台湾自身がみずからを(台湾という領域のみを領土とする)国家であると主張していないことから、多くの論者は台湾の国家性を認めていない」という。

 しかし、「国際法上、完全な主権国家には当たらないものの、何らかの(中間的な?)法主体性を観念することはできる」という。それが、「事実上の統治体(de facto regime)」の概念だという。「現実に一定の領域を統治している主体に国際法上の地位を全く認めないことは様々な不都合を生む。そこで、国際社会で正式に国家として扱われていない主体にも『部分的な国際法主体性』を認め、状況に応じて必要な権利義務を付与しようとするのが事実上の統治体の概念である」と説明されている。

 国連の「友好関係原則宣言」(国連総会決議2625)や、「侵略の定義に関する決議」(国連総会決議3314)でも、武力行使禁止原則の対象になりうることが示唆されており、「仮に台湾が完全な国家としての地位を持たないとしても、それにより武力行使からの保護が全く受けられないわけではなく、事実上の統治体として国家と同等の保護の下に置かれると考えてよいだろう」とされている。

 また、自衛権を定めた国連憲章51条では、国連加盟国が権利主体となっているが、自衛権は慣習国際法においても存在する権利であって、「事実上の統治体」も政治的独立を守るため自衛権を行使しうると考えられている。とすれば、台湾からの要請を受けて他国が集団的自衛権を行使することも可能になるだろう、という。

 台湾が主張しうるもう1つの国際法上の権利として「自決権」がある。自決権は、一般的な「人権」としての性格を認められるようになった。もし台湾の人々が自決権を持つとすれば、その自己決定・自己統治の機会を奪うような行為は禁止されることになり、これは台湾の安全保障にとっても大きな意味を持つ。

 「自決権の法的基盤は、国連憲章1条2項に規定された「人民の同権及び自決の原則」であり、そこでの権利主体は「人民(people)」である。仮に台湾が国家の地位を持たなくとも、その住民が人民に該当すれば自決権の主体となることができる。

 台湾の社会は、植民地支配、一党独裁、民主化、自由主義改革といった形で、本土とは全く異質の政治経済的発展を遂げてきた。何よりも、台湾は共産党政府の支配を一度も受けることなく自律的に統治されてきたのであり、この経験が台湾の人々に、自己の政治的将来をみずから決定する「人民」としての地位を与えることになろう。

 人民から自決権・自由・独立を奪ういかなる強制的な行為をとることも禁じており、台湾は武力行使禁止原則による保護を、事実上の統治体としてのみならず、自決権の主体という形でも受けることができる。また、ここでいう強制的な行為(forcible action)には、武力行使だけでなく、自決権行使を困難にする他の強圧的措置も含まれると考えられ、様々な形態の非軍事的圧力に対して抗議するための根拠となりうる。」

 この短い論文は大きな影響をもつことになるだろう。そして、大国となった中国に、その地位にふさわしい、真摯な国際法遵守の姿勢を期待したい。

「NO WAR IN UKRAINE」「NO WAR IN THE WORLD」「FUNDAMENTAL RIGHT IN CHINA」

(2022年2月14日)
 北京オリンピックで大きく印象に残るものといえば、中国当局の強権的姿勢、それに対する各国の宥和的態度、不公正な審判、ドーピング等々、白けることばかり。人権を無視したこの国でのこんなオリンピック、どこにやる意味があるのか。何ともつまらぬと思っているところに、たった一つだけ興味のある「事件」が生じた。

 2月11日のスケルトン男子に出場したウラジスラフ・ヘラスケビッチ(ウクライナ)が3回戦のレース後、「NO WAR IN UKRAINE(ウクライナに戦争はいらない)」と英語で書いたプラスターをテレビカメラに向けた。ロイター通信などによると、2度目の五輪となる23歳のヘラスケビッチは「私は戦争を望んでいない。母国と世界の平和を願っている。それが私の立場だ」と訴えたという。

 言うまでもなく、ウクライナはロシア軍による軍事侵攻の危険に曝されており、米国のサリバン大統領補佐官は、「五輪期間中にもロシア軍による侵攻が始まる可能性がある」と表明している。その危機のさなかでの、「NO WAR IN UKRAINE」である。インパクトは大きい。

 五輪憲章第50条は、「政治、宗教、人種的な意思表示」を禁じている。が、昨夏の東京五輪では、試合前や選手紹介中などであれば、節度ある範囲での行為は容認する方針に変わったとされる。東京五輪では、サッカー女子の試合開始前に人種差別に抗議するために片ひざをつく所作(ニーダウン)が見られた。

 ヘラスケビッチのこの日の行動について、「IOCは『選手とこの件について話し合った。一般的な平和への願いなので、この件は決着した』としている」(朝日)。あるいは、「『平和を求める一般的な呼びかけだ』として、処分の対象にはならないという見解を示したということです」(NHK)と報じられている。

 平和を求めることを「政治的意思表示」というだろうか。さすがにIOCも『平和を求める一般的な呼びかけ』を「政治的意思表示」として禁止するとは言えなかった。その意味するところは大きい。

 「NO WAR IN UKRAINE」が許されるのだから、「NO WAR IN THE WORLD」が許されないはずはない。平和を求める一般的な呼びかけだけでなく、自由や人権や人種間の平等という普遍的な価値を求める一般的な呼びかけが、許されないはずはない。

 オリンピックは世界から切り離された特殊な空間ではない。ここでも、人間の尊厳が確保され、人権が尊重され、差別が禁止され、そして表現の自由が保障されてしかるべきではないか。

 とすれば、「世界に基本的人権を」「中国に表現の自由を」「新疆ウイグル自治区になきなき民族間の平等を」などというスローガンの意思表示が禁止されてはならない。

北京「オミクリンピック」始まる。

(2022年2月4日)
 本日、北京オリンピック開会式。覇権主義中華人民共和国の、一党独裁中国共産党による、専制君主習近平のための、これ以上はない政治イベントである。1936年ベルリン大会でのドイツ・ナチス・ヒトラーを彷彿させる。

 習近平の盟友になっているのが、政治的にはプーチンであり、商業的にはボッタクリ・バッハ。彼らの手駒に使われているのが、羊のごときアスリートたち。この構図を支えているのが、メディアとメディアに煽られた民衆である。

 北京の光は、ウィグル・チベット・内モンゴル・香港そして台湾に暗い影を落としている。華麗な北京オリンピックのパフォーマンスは、多くの人々が流した涙の上に浮かんでいる。

 コロナ禍のさなかの北京オリンピックは、ひたすらに国家と党と習近平の利益のための無理に無理を重ねた奇矯な演し物となってしまった。しかし、習近平の威信を賭けた五輪強行の目は、吉と出るか凶に終わるか。中国共産党はいまウィルスと闘っている。まさしくこのイベントは、「オミクリンピック」と呼ぶべきものなのだ。

 不遜なことに、ウィルスは党中央の命令を聞かない。オミクロンは習近平に忖度しない。にもかかわらず、敢えて国家と党の威信を賭けてのゼロコロナ作戦。本日から17日間、果たしてバブルの中での平穏を保つことができるだろうか。

 既に本日の報道では、「中国への入国時やその後の検査で、選手団9人を含む21人の陽性がきのう(2月3日)確認され、先月(1月)23日から集計した感染者の合計は308人となった。これまでに選手団の感染は、あわせて111人となっていて、影響が広がっている」という。こうまでして、オリンピック開催を強行する意味がどこにあるのだろうか。

 本来、オリンピックは平和の祭典である。オリンピック憲章が想定するとおりに挙行されば、意味のないはずはない。各国のアスリートやアーチストや民衆の交流は貴重な平和に資するものとなる。しかし、国威発揚や為政者の野心のためのオリンピックでは、メリットを凌駕するデメリットを指摘せざるを得ない。無理に無理を重ねた「オミクリンピック」は、そのデメリットの象徴というべきであろう。

北京では上がらない、「ワクチン接種強制はファシズム」の声。

(2022年1月26日)
 昨日(1月25日)、習近平とトーマス・バッハが北京(釣魚台国賓館)で会談したという。かたや権力欲の巨魁、こなた商業主義の権化。それぞれが腹に一物の醜悪な相寄る魂。その両者が五輪利用の思惑では一致しての、持ちつ持たれつ。

 習近平にとっては「中華人民共和国の、中国共産党による、習近平自身のための北京五輪」であり、ボッタクリ・バッハにとっては「カネの、カネによる、さらなる儲けのための北京五輪」なのだ。民衆は、脇役としてさえ出る幕がない。

 会談で、習は「コロナ対応の徹底ぶりをアピール。選手や関係者の健康を守ることに自信を示した」と報じられている。コロナ対応現場の担当者はさぞや気の重いことだろう。バッハは、習におもねって、「北京五輪は幅広い支持を十分に得ている。国際社会もスポーツの政治化には反対している」と述べたそうだ。

 そりゃ間違いだ。正しくは「北京五輪にたいする国際世論の風当たりが厳しいが、我々の権力とカネの力とを共同すれば恐くない。お互い、がんばって世論の批判をはねのけよう」と言うべきだった。そして、「この際、国際世論には『スポーツの政治化反対』と悪罵を投げつけ、実のところは徹底したスポーツの政治化で、北京オリンピックを権力浮揚と金儲けのイベントとして成功させよう」が正しい言葉づかいだ。

 その北京五輪開幕まで、あと9日。大会関係者は、コロナ対策に懸命のご様子。なにせ、ゼロコロナの成功に党と習との威信がかかっているのだ。失敗すると、秋の党大会での習の3期目が吹き飛ぶ。

 昨日(1月25日)APが現地から伝えるところでは、

「北京市内で新型コロナウイルスの新規感染者が確認されたため、該当する行政区に住む約200万人全員にPCR検査が命じられた。豊台区で25例、その他の区で14例の新規感染者が確認されたことを受けて、北京市当局は、感染リスクが高いと思われる行政区の全住民に対して、首都を離れないよう命じた。
 2月4日に迫った北京五輪の開幕を前に、中国共産党は感染者全員の隔離を目指して、「感染者ゼロ」対策の実施をさらに強化。そのため、冬季五輪はアスリート、スタッフ、報道関係者など全員を住民から隔離する厳格な管理下で開催され、選手全員は入国時にワクチン接種を受けるか、隔離されることになる。」

 そんなにまでしての五輪、どこにやる意味があるというのか。すっぱりと、やめた方が良かろう。選手役員をバブルに詰め込み、習近平もお一人用のバブルに閉じ込めての、長丁場のオリパラ。いつ、どこで、どんなことが起きるやら。

 共産党政権によるゼロコロナ政策の強権的な押し付けに、中国の民衆は唯々諾々と従っているかのようだ。傍目には痛々しく映るばかり。これに対して、欧米ではワクチン強制反対運動が活発化している。

 ワクチン強制反対派の主張の根拠は、自己決定権にある。いかなる医療を受けるか、あるいは拒否するか、その可否を決定する主体は自己以外にはなく、権力的強制を受ける筋合いはない、というシンプルなもの。

 これに対して、自己決定権も公共の利益に譲らなければならないとするのが、ワクチン強制許容派の言い分となる。説得による同意が得られない場合、強制ができるか。微妙な問題となる。

 最初に目立った動きが出たのは、オーストリアだった。先月(12月)9日、オーストリア政府はワクチン接種の義務化に関する法案を発表した。妊婦などの例外を除く14歳以上の全国民に、ワクチン接種を義務付け、違反者には罰金を科すというもの。

 この法案に対して、同月11日には、首都ウィーンの道路を埋め尽くすほどの人々が抗議デモを行ったという。その数、およそ4万4000人。プラカードに書かれたスローガンは、「強制接種はファシズム」だった。

 今年にはいってからは、米連邦最高裁の「企業へワクチン接種義務化措置差し止め命令」が話題となった。バイデン政権が、企業に新型コロナウイルスワクチンの接種を義務化した措置について、各州政府からの違憲を根拠とする差し止めの訴えが提起され、今月13日連邦最高裁判所は、連邦政府の機関の権限を逸脱しているとして、差し止めを命じている。これは、バイデン政権にとって、大きな痛手と報じられている。
 
 そして、欧州連合(EU)が本部を置くベルギー・ブリュッセルで23日、新型コロナウイルスのワクチン接種の強制やこれに伴う規制に抗議する約5万人(警察推定)のデモが行われた。

 さらにフランスである。1月24日の月曜日から、フランスでは「ワクチンパス」が施行されることとなった。これが、実質的なワクチン接種強制であるとして、5万を超える人々が抗議と反対の意思を示すデモに参加した。

 問われているのは、徹底した個人主義の当否である。自分の主人公は自分自身であって、自分が納得できることには従うが、他から強制されて納得できない薬物を自身の体内に注入させるようなことは絶対にあり得ない、という強烈な個人主義。

 個人主義の対義語は、いうまでもなく「全体主義」である。だからこそ、ワクチン強制反対派のスローガンが「強制接種はファシズム」となる。私は、このワクチン強制反対派の心情や主張に首肯するところ大きいが、断乎北京五輪成功に突っ走っている中国共産党には聞く耳はないだろう。今なお、習近平共産党を支持している人々にも。

国威発揚目的の北京冬季五輪自体が「スポーツの政治利用」である。中国は、平和のイベント開催国にふさわしくない。

(2022年1月20日)
 間もなく、北京冬季五輪が始まる。けっして世界から歓迎され祝福されるスポーツ大会ではない。露骨な国威発揚と習近平政権賛仰の政治イベントとなるだろう。とりわけ、中国から弾圧の対象とされている人々からは、「中国での五輪開催、本当にそれでいいのか」という声が上がっている。

 本日の毎日新聞朝刊の《北京2022》という特集連載に、「揺れる五輪 『平和の祭典、人権守れ』 在日ウイグル人『中国で開催、いいのか』」という記事が掲載されている。取材の対象は日本ウイグル協会副会長のハリマト・ローズさん(48)。日本への留学生だったが、戻った故国は変わっていた。兄から、「捕まる可能性がある。日本に帰りなさい」と諭されて、現在は千葉県内で飲食業を営んでいるという。素顔と実名を明かして、講演や街頭デモで中国の人権弾圧に抗議してきたという。その訴えに胸が痛む。

 自身や日本で暮らす多くの同胞がウィグル現地の家族と連絡が取れなくなっているとして、彼はこう言う。「中国が平和の象徴であるオリンピックをやっていいのか、考えるべきだ」。おそらく中国は、国威と中国共産党の威信を発揚することだけを目的としてオリンピックを開こうとしている。それでよいはずはなかろう。

 現地の状況が悪化したのは17年ごろだという。中国政府が「再教育」を名目にウイグルの人らを収容所に入れる政策を始め、在日ウイグル人にも家族と連絡が取れなくなるケースが相次いだ。彼は、日本社会に訴えるため、18年から街頭などで中国への抗議活動を始めた。故郷に住む家族に危害が及ぶのを恐れ、重要なとき以外は連絡を取らないようにと決めたという。以下の彼の記者への話が生々しい。

 20年5月、唐突に自治区に住む兄から「話がしたい」と連絡が来た。翌日、兄とビデオ電話で話し始めて10分ほどが経過したとき、兄の横から見知らぬ男性が現れた。男性は中国の当局者を名乗り、在日ウイグル人に関する情報提供を要求。「協力してくれればお兄さんと家族の安全は守る」と続けた。

 8人兄弟で早くに父親を亡くした自身にとって、兄は税務署で働きながら家族を養ってくれた恩人だ。要求への回答を避けて通話を終えたが、「兄の命が危ない」と頭の中はパニックを起こした。

 1カ月後、再び兄から連絡があり電話で話した。前回と同じ男性に身分証を見せるよう求めたところ、中国の情報機関「国家安全省」とみられる「国安」と書かれた手帳のようなものを示した。最後まで要求には応じず、以降、家族と連絡が取れなくなった。

 ローズさんから見れば、家族が人質とされた状況。在日の彼は、黙ることで家族の安全を図るべきなのだろうか。それとも、彼が国際世論に訴えることで中国の人権状況を改善する努力を継続すべきなのだろうか。非情な権力に翻弄される悲劇というしかない。

 この記事で、深く頷けるところがある。米国などが表明した北京五輪への『外交的ボイコット』について、中国は「スポーツの政治利用だ」と強く反発しているが、ローズさんはこう反論している。

 「中国は国民に自分の国が世界のトップだとアピールするために五輪を開催している。五輪を政治利用しているのは中国の方だ」「五輪は平和のイベント。中国が開催したら意味が変わってしまう。IOCは人権を大切にする国を開催都市に選んでほしい」

 そのとおり「五輪を政治利用しているのは中国の方」であろう。その北京冬季五輪を何の批判もせず、何の異議もとどめず、粛々とその進行に協力することは、中国による「五輪の政治利用」に加担することではないか。せめて、『外交的ボイコット』を試みることで、「中国によるスポーツの政治利用」の成功度を幾分なりとも、弱めることができるだろう。

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