澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

韓国総選挙での文在寅与党勝利に祝意

聯合ニュースの伝えるところでは、韓国主要紙の本日(4月16日)朝刊ヘッドラインは、以下のとおりである。
<朝鮮日報>共に民主党が前例なき圧勝 与党陣営180議席以上獲得
<東亜日報>「国難克服」に力を添えた民心 与党が圧倒的な過半数確保
<中央日報>共に民主党が圧勝 コロナ禍で民心は安定を選択した
<ハンギョレ>共に民主党170議席前後 民主化後で与党が最大の勝利
<京郷新聞>共に民主党が「単独過半数」 与党陣営180議席獲得の可能性
<毎日経済>与党が圧勝 国民は野党を審判した
<韓国経済>共に民主党 170議席以上を席巻…巨大与党独走体制

韓国の国会は一院制である。議席の定数は300、小選挙区比例代表並立制の選挙制度で議員の任期は4年。文在寅政権与党である「共に民主党」は、2016年4月の前回総選挙では、小選挙区110、比例13の合計123議席獲得にとどまっていた。比例の得票率は25.5%で3位だったという。今回総選挙直前には、「共に民主党」は120議席、連立与党の「共に市民党」の8議席を加えて、128議席の少数与党であった。

文政権の経済政策に目に見えた成果が上がらず、政権運営にも閣僚不祥事などがあって、国民の与党批判のなかで迎えるかに見えた今回総選挙だったが、新型コロナ問題で情勢は一変したという。

与党「共に民主党」は、友党「共に市民党」と合わせて改選前の128議席から50議席増の180議席を獲得して圧勝した。これが、各紙のヘッドラインとなっている。文在寅大統領は、自信をもっての政権運営を続けことになるだろう。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で不安が高まる中、有権者が現政権によるコロナ対策の実績に高い評価を与え、安定的な国政運営を望んだ結果とされている。確かに、文政権のコロナ対策は素早く果敢で、創意にあふれたものだった。WHOの賞讃するところでもある。次の記事における彼我の差は、どこから出て来るのだろうか。

本年2月段階で既に一日1万件を超すPCR検査を実施していた。それだけの国家と国民の力量が備わっているのだ。ドライブスルー方式や電話ボックス型検査所の設置など、現場のやる気と創意が伝えられている。

検査数の多さも世界を驚かせている。韓国疾病管理本部は13日基準で検査件数を51万4621名と発表していたが、実際はそれよりはるかに多い86万1216名であったことが報告された。13日行われた中央防疫対策本部チョン・ウンギョン本部長のブリーフィングによると、統計は疾病情報統合システムから報告された、疑わしい患者や症状が出ている検査対象者の数であり、医療機関や保健所からの申告件数を収集しているため、すでに感染が確定された患者などに対する調査件数は除いた統計を発表していたという。韓国全体の検査件数は日本をはるかにしのぐ件数行っていたこと示しながら、さらに積極的に国民の検査を行うとブリーフィングを締めくくっている。
医療崩壊を懸念し、数日間は家で様子を見るなどをすぐに検査を行わない日本の正反対を行く韓国は、疑わしきは即検査をして対処する方針だ。(ニューズウィーク・日本語ウェッブ版・4月16日

「韓国でできることがなぜ日本ではできないのか」と、問われている。当然できるはずではないかという思い上がりは禁物である。政権の姿勢が異なる。国民の力量も意欲も異なるのだ。日本が学ぶべきことが多々あるとしるべきである。

もっとも、韓国の手法がすべて学ぶべきものとも思えない。とりわけ、国民のプラバシーをさらけ出させての感染経路探査には、果たしてそこまでの必要があるものかと首を傾げざるを得ない。一歩間違うと中国型の統制社会となりかねない。この点の検証は、これからも続くことになろう。

とは言え、韓国国民は、政権選択を国民の生命に関わるものと受けとめたうえで、高い投票率において現政権与党に支持を表明した。<ハンギョレ新聞>の見出しのとおり、「韓国民主化後における与党の最大の勝利」として、祝意を表したい。
(2020年4月16日)

東京都内のPCR検査数なぜ減っている。

 新型コロナウィルス感染症対策の基本方針が見えてこない。政府のやることに信頼感がないのだ。それが多くの人の不安や焦慮の原因となっている。

誠実さのカケラもなく無能な総理には、もとより何の期待もしていない。国民に語りかけるその言葉の無内容さに呆れるばかり。しかし、日本の官僚の能力や使命感には期待できるのではないか。あるいは日本の医療水準や医療体制は信頼に足りるものではないか。ひそかに、そんな淡い期待をもっていた。それがどうやら、木に縁りて魚を求むの類であったようだ。日に日に、絶望感が深まっていく。

ことあるごとに、「日本すごい」という連中がいる。そのような連中の精神構造を軽蔑しつつも、そうであって欲しいという願望は私の中にもあった。単なる願望ではなく、日本は「中くらいの国」として、イザというときには国民にとって頼りになる存在ではあろうなどと思うところはあった。その幻想が音を立てて崩れつつある。

台湾・韓国・シンガポール、そして中国すらも、それぞれの流儀で新型コロナ感染の拡大を克服しているように見える。ヨーロッパではドイツだ。私は、中国の統制型統治には強い嫌悪感がある。韓国のプライバシー無視の政策も好きではない。しかし、それぞれの国がそれなりのやり方でコロナ対策に成功しつつあり、その過程で国家や国民の力量を示している。どうも、日本はその力量に乏しいようなのだ。

日本型の感染対策の基本は、クラスター潰しだと説明されてきた。しかし、今や、その手法の失敗が国民の実感として明らかになってきている。では、どうするのか。その基本方針が見えてこない。PCR検査は増やさなければならないのに、むしろ減っているのだ。これは、どうしたことだ

公表されている限りでだが、4月に入ってからの東京都内の各日の感染者数と検査者数の推移は以下のとおりである。まず、関心をもつべきは、驚くべき検査者数の過少である。しかも、最近は検査数が減少しているのだ。

 各日の感染者数 検査者数
 1(水) 66  164
 2(木) 97  469
 3(金) 89  551
 4(土)116   65
 5(日)143   62
 6(月) 83  356
 7(火) 79  271
 8(水)144  366
 9(木)178  344
10(金)188  362
11(土)197  503
12(日)166   57
13(月) 91  250
14(火)161   91
15(水)127  未発表
(死者累計47、累計感染者に対して2%)

緊急事態宣言の出る寸前の土・日の検査人数は、65人・62人である。12日(日)もわずかに57人。昨日14日は91人。牧歌的な数ではないか。ドイツや韓国と比較すべくもない。

また、3月中の各日曜日の検査者数は、以下のとおり。日曜はほとんど検査をしていない。担当職員が休まなければならないからであろうが、緊迫感は感じられない。なお、29日(日)だけが331名と突出している理由は分からない。永寿総合病院の患者や職員を対象としたものであったのかも知れない。

 1日 14
 8日  0
15日  0
22日  1
29日331

検査者数に対する陽性率は、下記のとおり上昇している。検査対象を有症者に絞る方針を採っているからであるとしか考えられない。

3月末日現在の累計感染者数 521,累計検査者数3173  陽性率16%
4月8日現在の累計感染者数1338,累計検査者数5111  陽性率26%
 14日現在の累計感染者数2319,累計検査者数7084   陽性率33%

なぜこのような検査者数の推移になっているのか、合理的な説明はない。まず知りたいことは、「専門家委員会の基本方針にもとづいて検査対象を絞り込んでいるのでこの検査数で十分だ」と考えているのか、あるいは、「不十分だが、人的物的な条件整備が調わないのでやむを得ない」のか。誰もが疑問に思っていることである。説明責任を果たさねばならない。次の疑問、次の提言は、そこから始まる。

以上の検査人数の推移と陽性確認者数の推移を見れば、いま検査対象は、明らかな有症者とその周りの濃厚接触者だけに限られているごとくである。そのことは無症状の感染者を追うことも隔離することもあきらめたということを意味する。検査の無力を認めたに等しい。

あるいは、受け入れ診療機関の有床数に見合った感染者数を考慮して、検査者を絞っているのではないのだろうか。

官僚だけではない。都知事にも聞きたい。テレビで顔見せするだけが能ではない。多数の検査希望者が拒否されている実態があるにもかかわらず、この検査者数推移はどうしたことか。緊急事態宣言後も検査者が増えていないのはどうしてなのか、納得できるよう聞かせていただきたい。

国民の納得を得ることなくして、危機の克服はあり得ない。
(2020年4月15日)

コロナ風強く吹く、本郷三丁目交差点での訴え。

ご近所のみなさま、ご通行中の皆さま。こちらは本郷湯島九条の会です。日本国憲法とその理念をこよなく大切なものと考え、毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、ここ本郷三丁目交差点の「かねやす」前で、雨にもまけず風にも負けず、ささやかな訴えを続けています。

本日は、天気晴朗ですが、コロナ風が強く吹く中の訴えとなりました。緊急事態と言われる今だからこそ、国民の声が封じ込められるようなことがあってはならない。このようなときにこそ、大切な表現の自由を錆び付かせてはならない。そのような思いからの、宣伝活動です。

もっとも、本日は、私たちからご通行中の皆様に、署名を求めたり、ビラの配布のために近づいたりはいたしません。基本的には、スタンディングのスタイルで訴えます。横断幕や、スローガンを書いたポスターをご覧ください。そして、昼休みの限られた時間、マイクでの訴えに耳をお貸しください。

今、私たちは新型コロナウィルス感染拡大の脅威にさらされています。たいへん恐ろしい事態。このときだからこそ、二つのことを訴えたいと思います。

一つは、この感染症の脅威をどう乗り切るべきかです。政権や都政にお任せして安心ではないことは、国民の誰もが肌で感じているところです。私たちは、なんのために国を作って、なんのために税金を支払っているのか。今のままでは、無能な政権に何もかも犠牲にされてしまいそうではありませんか。

とりわけ、政府は、「人的接触の機会を8割減らせ。そのために、経済活動は自粛せよ。家に閉じこもれ」と言っています。この言のとおりにしたら、国民の多くは餓死しかねません。みんなが、家にこもり犬を抱いてコーヒーを飲んでおられる余裕はないのです。

自粛の要請には補償が必要だ、と大きな声を上げなければなりません。この危機的状況を弱い立場にある者の犠牲で乗り切ろうというたくらみは許されません。コロナ禍の対策に、店を閉じなければならず、あるいは通勤もしてはならないとなれば、休業による減収も、賃金のカットも、補償してもらわねばなりません。経済的な補償がなければ、休業できるはずはありません。

この期に及んで、財源がないとは言わせません。国の財政も、東京都の財政も、すべてわれわれの懐から出たものではありませんか。国や都の財政を傾けても、必要な金は出さなければなりません。その補填は、国民がこの危機を乗り切ったあとに考えればよいことです。

「この非常時だ、国を信頼して思いきったことをやらせるべきだ」という声もあります。しかし、それは明らかに間違っています。権力には常に批判が必要です。このようなときにお上にお任せしていては、徹底した弱者の切り捨てが行われます。しかも、安倍晋三政権です。政治と行政を私物化し、ウソとごまかしに明け暮れ、散々に公文書を隠し改竄してきた、薄汚い政権ではありませんか。こんな政権を信頼してお任せできるはずはありません。

そして、小池知事です。オリンピック開催に熱心な時には、コロナを問題にもしなかった。オリンピック開催の来年への延期が決まった途端に、東京は危ないと言い始めた。本当に、それまで「コロナによる東京の危機」はなかったのでしょうか。オリンピック実施のためにコロナの危機の情報を押さえたということではないのでしょうか。オリンピック延期となったら、今度はコロナ感染の危機を叫んで、自分を目立つ場におき、事実上の選挙運動をしている。そのようにしか見えません。こういう飽くまでも自分ファーストの政治家を信頼できるはずはない、いや警戒しなくてはなりません。

もう一つ、訴えたいことは、このどさくさに紛れて火事場泥棒的な憲法改正を許してはならないということです。

憲法改正は、国民みんなが理性的な議論を経て、慎重に自分たちの未来を決めるプロセスです。今、憲法改正の議論ができるような環境ではありません。新型コロナウィルス感染症の蔓延を克服するためにこそ、議論を重ねなければならないとき。社会不安を利用して、どさくさ紛れの改憲策動を許してはなりません。

そのことを心から皆様に訴えます。ご静聴ありがとうございました。(澤藤)

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改定新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」が発令されて初の「本郷・湯島九条の会」の昼街宣になりました。

12名の方々が参加し、風の強い蒼天のもと元気よく活動を展開しました。特殊な事情に鑑み、フライヤーは配らず、署名もせず、横断幕をみんなでもち、手書きのプラスターをそれぞれがもち訴えました。

新型コロナウイルス感染症COVID-19で国民に自粛・休業を要請するのであれば補償を完全におこなえと。さらに世界中でコロナとたたかっているさなか、国家緊急権を内容とした緊急事態条項を憲法に書き込もうと画策する安倍政権を告発しました。

強風のなか、みなさまほんとうにご苦労さまでした。コロナや安倍政権に何としても打ち勝ち、新生日本をつくり、世界平和の発進駅にする新しい政権をわたしたち自身の手で作ろうではありませんか。

(湯島本郷9条の会世話人 石井彰)

(2020年4月14日)

トランプ・安倍・小池の「国難」便乗支持率アップの行方

3月14日に、トランプが「国家非常事態宣言」を発出してからちょうど1か月。新型コロナ感染症の猛威はいまだおさまらない。これに取り組むニューヨーク州知事クオモの名声が高まって、国民の目がそちらに集まるのと反比例して、トランプの存在感が稀薄化し、支持が低迷していると伝えられている。

通例、「国難」は為政者の統治のための最強のアイテムである。とりわけ、国民からの信頼薄く、無能な為政者にとっては神風に等しい。

「国難」・「非常時」・「緊急事態」の勃発によって国民が共有する恐怖は、強く国民の一体感の醸成や統合に作用し、時の政権の求心力を強化する。「この難局を乗り切ることが喫緊の最優先課題」「そのためには、この為政者を中心に一致団結するしか選択肢はない」「その大事なときに、為政者を批判している暇はない」と吹聴されるのだ。為政者にとっての願ってもないチャンス。

だから、「国難」の克服を国民に訴えて支持を回復しようとすることが、評判の悪い政権の常套手段となる。思い出そう、前回総選挙が、安倍晋三によって「国難突破総選挙」と銘打たれていたことを。2017年9月の臨時国会冒頭で、安倍は北朝鮮からのミサイル飛翔の脅威を「国難」として、その「突破」のための解散・総選挙に踏み切った。そして、その思惑は一定の成功をおさめたのだ。その後今日に至るまで、「国難」の真否の検証はなされていない。

戦時の為政者には国民からの支持が集まるのが歴史の常識。無能を囁かれていた子ブッシュの支持率が、9・11事件直後には80%を超える高値を示している。政権運営には国難活用が有効なのだ。

今、パンデミックの危機下に、これを国難として利用しようとしている3名、トランプ・安倍晋三・小池百合子について、その国難活用事情を見ておきたい。

新型コロナ感染症は中国だけの問題で対岸の火事と軽視していたトランプだったが、3月なかばに一転して方針を変えた。コロナ対策を大統領選挙の材料にしようとの思惑からである。積極策を打ち出して、連日のブリーフィング(説明会)でTVに出まくることにして一時は成功したかに見えた。世論調査支持率は急上昇し、49%と就任以来最高の数字をたたき出したことが話題となった。

しかし、4月に入ってからは調子が変わった。いずれの世論調査も支持率は以前並みに低下し、今や不支持の世論が支持を上回っている。また、11月大統領選で、共和党トランプと民主党バイデンのどちらに投票するかという問に、主要な各世論調査のすべての結果が、バイデン有利を示しているという。

結局トランプは、ブッシュのようにこの「国難」を活かせていないのだ。その原因は、どうやらトランプ自身の無能にあるとみられているようなのだ。

斎藤彰(ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長)氏らが伝えるところでは、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は9日、「トランプの無駄なブリーフィングTrump’s Wasted Briefings」と題する異例の社説を掲載したという。

「今国民が大統領の口から聞きたがっていることは、身近かにいる人たちの生命をいかに救い、失職者たちをどう救済するかといった具体策だ。彼は連日自分でブリーフィングをすることで、バイデン候補に勝利できると思い込んでいるが、それは間違いだ。11月大統領選挙の唯一課題、それはすなわち、大統領としてこの危機をいかにうまく収拾し、経済を再生できるかということにほかならない」
要するに、トランプには、国民が求める具体策を語る能力がないと言うことなのだ。

また、ニューヨーク・タイムズ紙など有力紙の間でも、大統領によるブリーフィングでは虚言、事実の曲解、前言撤回などが多すぎることを理由に、「ジャーナリストがいつまでも政治利用され続けていいのか」といった自省の声も上がり始めたという。トランプと安倍、どこまでもよく似ているのだ。

つまりは、為政者の国難利用も、決していつも思惑の通りには行くものではない。国難打開の成果が期待できないまま、国民に無能をさらけ出せば、却って強い反感を招くことにもなるのだ。

いま、安倍と小池は、トランプと同じ運命をたどっているようではないか。何よりも、「東京オリパラ」優先を至上命題として、コロナの蔓延を隠蔽していた疑惑が濃厚なのだ。情報を隠し早期に感染を防ぐ手立てを怠った責任は極めて重い。

「オリパラ」の1年延期を発表したのは3月24日。手のひらを返したように、その翌日には小池百合子が緊急記者会見を開き、唐突に「東京はオーバーシュートの重大局面にある」と危機を説き始めた。不自然で、当然裏があると考えざるを得ない。

3月26日には、厚生労働省が「新型コロナウイルスが蔓延しているおそれが高い」とする報告書をまとめ、その記述のとおり以後PCR検査結果での感染確認者が急増している。この検査結果が感染蔓延の推移を正確に反映した信頼できるものか、あるいは意識的に操作されたものか、厳密な検証を待たねばよく分からない。検査対象数が極端に絞り込まれていたのだから操作は可能であろう。しかも、オリンピック延期決定を境にこの急変である。疑惑は濃厚と指摘されて当然であろう。

にもかかわらず、安倍も小池も開き直って、国難を背負った「戦時のリーダー」を演じている。とりわけ、小池のはしゃぎぶりは目に余る。露骨に、「オリンピックで目立つことができなくなったのだから、コロナ対策で目立たなくっちゃ」という、みっともないトランプ亜流である。

コロナ禍の被害が長引いて国民・都民の不満が高じ、さらにコロナの蔓延に責任を免れないとなれば、トランプ同様「国難」便乗支持率アップも急速にしぼんでゆくことにならざるを得ない。

安倍や小池の、「オリンピック開催のためのコロナ感染隠し疑惑」を暴こう。そして、「コロナ対策便乗支持率アップ」のたくらみを許してはならない。
(2020年4月13日)

新型コロナウィルス感染症蔓延対策覚え書き

新型コロナウイルス感染の拡大の報が重苦しい。その対策についての行政の説明に隔靴掻痒の感あるうちに、患者数と死者数の増加が伝えられて無力感が募る。
しかし、誰にも明らかな、幾つかの喫緊の課題が浮かび上がってきている。必要なことに声を上げなければならない。多くは、医療行政と財政に関わるもので、内閣の責任が大きい。非体系的だが、課題を備忘録的にまとめておきたい。

第1 医療を崩壊させるな
1 この事態、すべての国民にとって何よりも医療が頼りである。検査・診断・隔離・治療・救命に万全を期していただきたい。伝えられる医療従事者の献身に心からの敬意を表するが、その医療現場から脆弱な医療の実態と危機的状況について切迫した声が上げられている。中には、既に医療崩壊が始まっているという深刻な現場の声もある。
医療行政は現場の声に耳を傾けその実態を的確に把握し、現場の医療と医療従事者を支援しなければならない。絶対に医療現場を感染の場としてはならない。

2 全医療従事者の感染の有無を検査せよ
PCR検査対象を拡充することが必要である。問題は優先順位である。まずは、医療従事者を検査対象とせよ。再び、医師や看護師が感染源となってはならない。コロナ感染疑いの患者に接する頻度の高い医療従事者から、順次全員の検査を行い、必要に応じて医師らの判断で繰り返さなければならない。

3 医療従事者を感染から守れ。
医療従事者が自らへの感染を心配することなく患者に対応できるよう、必要な感染防護の態勢を整備せよ。これは、医療行政の喫緊の課題である。医療用マスク、防護服、減圧室等の物的整備が必要であり、そのための経済支援を惜しんではならない。

第2 検査態勢を充実せよ
1 クラスターを見つけて感染経路を追跡調査するという感染拡大防止戦略が崩壊して、感染源の不明の患者が増加している以上、PCR検査対象を拡大せざるを得ない。あるいは抗体の有無を確認する血清検査を拡大充実しなければならない。そのための、人的物的態勢整備が必要である。
2 現在、PCR検査の能力の活用すらできていない。検査能力を拡大して、医療従事者、老健介護施設職員、保育園職員などから順次検査し、陽性者は業務から除外しなければならない。
3 さらに、発熱・発咳・嘔吐などの症状で感染が疑われる者は、近医の判断で検査を受けることができるよう態勢を整えるべきである。ドイツ並みは無理としても、韓国並みの検査態勢ができないはずはない。

第3 治療薬とワクチンの開発に全力を
1 現在、新型コロナウィルス感染症に有効な治療薬も予防方法もない。感染患者を入院させるのは他への感染を予防するための隔離の意味が大きく、治療は対症療法で救命し、苦痛を緩和することで患者がもつ免疫機能がウィルスを克服するのを待つほかはない。
この感染症克服の最終ゴールはワクチンの開発である。開発されたワクチンが投与可能となるまでに必要な期間として1年説もあるが、2年を覚悟しなければならないようである。それまでに、既存の抗ウィルス薬で有効なものを特定しなければならない。
2 ワクチンと治療薬。その開発を全世界の共通イベントとしなければならない。個別の製薬企業、研究機関、国家の枠を越えて、共同作業として実現してはどうか。
少なくとも、予算措置を惜しむようなことがあってはならない。

第4 休業要請には損失補償の大原則を
1 人と人との接触機会を低減することが感染拡大に有効だとしても、人は生きていくために最低限の経済活動を休止することができない。接触機会低減のための経済活動の自粛要請には、当然に損失補償が伴わなければならない。感染症拡大阻止には接触機会低減が必須であれば、それを可能とするために、ワクチンや特効薬開発までは、あらん限りの財政を注ぎ込むしかない。国民の生命の維持のために、国富を傾ける覚悟が必要ではないか。
2 国富とは、結局のところ国民の財産である。最終的には、大企業や富裕層のもつ財産を国民全体の利益のために活用するという構図を描かなければならない。

第5 もっと情報の公開を。もっと丁寧な説明を。
1 なぜ、医師が必要と判断してもPCR検査が拒否されるのか。永寿総合病院の院内感染はどうして起きたのか、それが慶應病院にどう波及したのか。死亡した国民的コメディアンはどこでどうして感染したのか。なぜ、医療現場に医療用マスクが払底しているのか。人工呼吸器が不足なのか。まことに、情報が不足である。これでは、人は納得して行動できない。
2 そして、ことは予防医学・感染症学に関わる。決して自明の常識的知見だけでの理解が当然とは言い難い。行政が、国民に「行動変容」を求める以上は、もっと真摯にもっと丁寧に、国民に望まれる「行動変容」の根拠を噛み砕いて説明しなければならない。
3 これまで、情報開示と説明責任については、極端に否定的な実績を積み上げてきた安倍内閣である。国民の信頼を勝ち得ることは客観的には絶望的であるかも知れない。しかし、自分の播いた種である。安倍晋三には自分で刈り取って始末を付けるべき責任から逃れる術はない。

第6 今こそ行政に発言しなければならない。
1 「国難」は独裁の温床である。「国難」を口実に権力者はより強力な権限を求め、国民に積極的な服従を求める。しかし、国難を克服することは独裁ではできない。また、弱者を切り捨てての「国難」対処を許してはならない。とりわけ、火事場泥棒のごとくたくらまれる安倍改憲策動を警戒しなければならない。
2 惨事便乗型独裁煽動の言論が横行している。「今はリーダーの決断を批判する時ではない。危機管理の最中における非難や批判は有害無益であり、結果的に自分達の首を絞めるだけである。国民には、リーダーの決断に対し、積極的、自主的に協力するフォロアーシップが求められる。」という類のもの。なんとも権力者に好都合な馬鹿馬鹿しい「論理」。
実は、真反対である。今こそ、積極的に行政にものを言わなければならない。災害回避の国民的力量の源泉は、主体的な意思をもった国民一人ひとりにほかならない。もの言わぬ無批判な衆愚には何の力量もない。また、被支配者がリーダーの決断に唯々諾々と追随していれば、大量の弱者を切り捨てた強者の生き残り策が強行されることになってしまうのだ。

強く行政にものを言おう。提言を続けよう。この災厄を乗り越えて生命と生活を守るために。そして、民主主義を擁護するために。
(2020年4月12日)

児玉龍彦さんの緊急の問題提起に耳を傾けよう

おなじみになった、米ジョンズ・ホプキンズ大の集計。新型コロナウイルス感染症による死者数が本日(4月11日)、世界全体で10万人を超えたという。5万人を超えたのが今月2日。9日間で倍増したことになる。9日ごとに倍増というこの勢いがしばらく続くと仮定すれば、世界中が恐るべき事態となる。人の悲劇が数の大きさだけで表される深刻さに戦慄する。

身近には、東京都内本日の新たな陽性確認患者が197人だという。その推移は、
 8日に144人
 9日に178人
 10日に189人
 11日に197人
で、「4日連続過去最多更新」とされている。
しかし、この推移をどう評価すべきか私にはよく分からない。絶対数として無視し得ないことは明らかだが、指数関数的に爆発的な増加ではない。果たして、「オーバーシュート」寸前なのか、よく抑えている成果が現れているとみるべきなのか。危機的なのか危機的とは言えないのか、危機的であるとしてどの程度のものなのか。

専門家諸氏が、いったい何をどれだけ分かっているのか、実は分かってはいないのか。将来予測をするためにはどのようなデータが必要で、そのデータを得る努力はどのようにされているのか。あるいはそれどころではなく、何もされてはいないのか。中国、台湾、韓国、イタリア、スベイン、フランス、ドイツ、アメリカ各国の、積極消極の各教訓はどのように認識され、生かされているのか。ドイツや、韓国に比較して、日本の検査率が、かくも極端に低いのはなぜなのか。

政府は、「接触機会の低減に徹底的に取り組めば、事態を収束に向かわせることが可能であり、以下の対策を進めることにより、最低7割、極力8割程度の接触機会の低減を目指す。」という。「接触機会の低減」だけが有効対策なのか。「接触機会」とは何を言うのか。どう計測するのか。いつを規準に8割というのか。家族間の人的接触や施設での介護は、あるいは公共交通機関の利用はどうカウントするのか。生存に絶対必要な食料品調達や受診による医師との接触も分母に入るのか。それを除いての8割なのか。

この間、安倍・小池や、そのスジの専門家の言うことは、到底納得しがたい。とりわけ、日本のPCR検査のハードルがかくも高く実施率がかくも低度であることがどうしても理解できない。

この間、専門家として説得力のある解説をしているのは、児玉龍彦さん(専門は分子生物学、システム医学。東大アイソトープ総合センター長)である。彼は、分かっていることと分からないことをきちんと区分して語っている。下記の各動画は、政権の政策への問題提起として、必見といえよう。

新型コロナ重大局面 東京はニューヨークになるか (4月3日)
https://www.youtube.com/watch?v=r-3QyWfSsCQ

自分で考え いのちを守れ! 新型コロナと闘う その先の未来へ(4月8日)
https://www.youtube.com/watch?v=RUrC57UZjYk

ここで語られていることは、専門家委員会(個人ではなく)の胡散臭さである。安倍・小池が都合よく使っている「専門家」だが、これを至急に取り換えねばならないという彼の提言には、頷かざるを得ない。

あらためて思う。権力を握る者の責任の重さである。今の時期、日本国民も東京都民も、とんでもない人物を頼らざるを得ない窮地に陥ってしまっている。せめて、背後霊のようにくっついている「専門家」の適格性を至急検証しなければならない。

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なお、本年2月25日時点で、ネットにアップされた「サンデー毎日」の記事の一部を抜粋して引用したい。児玉さんの主張の骨格が見えると思う。

新興感染症にどう対応?
「予防ワクチンと、重症化抑止の抗ウイルス剤がまだできていない。従って、入り口の『ウイルス診断』と出口の『重症呼吸不全』への対応が致命的に重要だ」

今回はどんなウイルス?
「風邪のような症状と、嘔吐(おうと)と下痢をおこすタイプと2種類あるが、武漢からの報告では、今回のは両方起こす。そのため予防策が混乱する。飛沫(ひまつ)感染が中心だが、食事を介する感染が目立つ。武漢は食品市場で起こり、日本でも屋形船で感染した。SARSではクラスBの対応だったが、コレラ並みのクラスAを推奨する論文も出ており、感染予防に特別の注意が必要だ」

感染か否かの診断は?
「咽頭(いんとう)のぬぐい液などからウイルスの中にある遺伝子情報であるRNAを増幅して診断するリアルタイムPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)という方法が有効だ。これはゲノム診断でもよく用いられる簡易的な方法で、測定機械は一般の大学や研究機関、民間の検査企業にかなりの台数がある。さらにシークエンサーで見れば偽陽性か本当の感染か、比較的簡単に区別できる

クルーズ船対策。どこで間違った?
安倍首相が突然入国拒否と言い出したところだ。今までインバウンド、クルーズ船誘致と言ってきたのが、入国拒否という一種のヘイト的非人道措置を打ち出した。WHO(世界保健機関)がやるべきでないというところに飛びついてしまった。汚染船内に閉じ込めるということは、感染拡大につながる。少なくともいったん船から降ろして全部消毒すべきだったが、閉じ込めたままにした。専門家ではない厚労官僚が対応、PCRや重症化の対応も知らなかったことで、『監禁船での感染実験』と批判される羽目になった」

PCR検査も遅れた。
先述したように簡易な検査だ。もっと民間の検査機関を活用すべきだったが、厚労省が自分たちの組織内でやることにこだわった。厚労技官や国立感染症研究所が予算確保の好機と考えた節もある。政権は(2月)14日、153億円の緊急対策を決めたが、最大の問題であるウイルス診断と、重症呼吸不全の緊急対応問題がほとんど理解されていない」

(2月)17日発表の「相談・受診の目安」では、「37・5度以上の熱が4日以上」続けば受診しろというが。
普通の人が4日熱を出して重い症状になると病院に行けなくなる。武漢の例を見ると、呼吸不全が突然重症化する例が多い。まずやるべきはPCR検査のできる場所を大量に増やすことだ。研究機関レベルのスクリーニングでもいい。偽陽性になった人が専門的な外来でチェックする。つまり、スクリーニング自体のやり方を変える必要がある。今は検体をいったん国立感染研に集める形式を取っているが、官僚統制はすぐにやめ、迅速に動ける民間企業にやらせた方がいい」
「ただ、検査の問題は時間とともに解決する。最大の問題は、一定数で発生する重症者、特に高齢者、合併症保持者への対策だ。大量の排気をするし、一般の人工呼吸器でやると大量のウイルスを出す。重症者を受け入れる病棟を特設しないと院内感染は防げない」

ミスの重なりが痛い。
医療行政としては薬害エイズに匹敵する失態だ。80年代血友病患者に対し、加熱処理してウイルスを不活性化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用、多数のHIV感染者を生み出した。 「医療の問題というのは、分子レベルから社会レベルまでいろんな階層があるが、全体状況を統合できる専門家が必要だ。ある意味で正しい政策が別の面では失敗を招く。薬害エイズでは、血友病治療に熱心だった医師に血液製剤の知識がなく、今回は検疫をするにあたり、船内の人のことを考える人がいなかった。ただ、日本の医学界にも心ある人は大勢いるし、日本の科学技術の水準は今回のように低いものではない。医学界全体が大きく反省し目を覚ますべき時だと感じる。医療従事者を助けるためにも行政にPCR検査体制整備や重症施設特設を早急にやらせる必要があり、言論の役割も非常に大きい

(2020年4月11日)

緊急事態宣言の発出がもたらす「副作用」

明日(4月7日)にも、インフル特措法に基づく緊急事態宣言の発出がなされるとの報道に気が重い。とは言うものの、宣言の効果として可能となるべきことの多くが既に前倒しで実行されてきたのだから、今さらの宣言で変わるところは小さい。

もっとも、宣言の法的効果は小さくとも、宣言自体がもつ社会心理的効果には大きなものがあるだろう。損失補償のないままに、民間諸団体への営業や興行への自粛の要請や指示が横行することになるに違いない。そして、危惧されることは、政府の要請や指示に従わない者に対するバッシングや同調圧力の強化である。それこそが、緊急事態条項のもつ最大の副作用である。

本来行政のなすべきことは医療態勢の充実でなければならないが、ここで露呈したものは、日本の医療の脆弱さである。にもかかわらず、行政はコロナ禍の蔓延を国民の行動に転嫁しようとしているのだ。行政も自治体も、これまでの医療行政の怠慢を率直に認めた上で、たらざるところに国民の協力をお願いするという真摯な姿勢を貫かねばならない。国民・都民からの信頼薄い安倍・小池である。至難の業であることを肝に銘じなければならない。

なお、この間の厖大なコロナ関連報道の中で見えてきたものがある。感染症予防策とは、臨床医療とはまったくの別物だということである。両者は、相補う関係であるよりは、どうやら相反するものであるらしい。専門家には常識なのかも知れないが、門外漢にはこのことの自覚が重要ではないか。

感染症予防が保護対象として関心をもつのは個人ではなく社会である。未罹患者も患者も、個人は統計上のサンプルとして扱われる存在に過ぎない。常に、社会防衛のためには個人の犠牲は甘受せざるを得ないと割り切られる危険を背負っている。政策としてのコロナ対策も、感染症予防に力点を置きすぎると、患者を切り捨てる弊害を招きかねない。安倍や小池のやることである。常に、批判の視点が必要なのだ。

感染症予防には、社会全体としての利益の最大化が大切なので個人の犠牲は些事であるという匂いを感じる。社会の多数者の生き残りと対処こそが大切なので、そのための施策で患者個人に不利益があったとしてもやむを得ないとする。

臨床診療は、医療従事者の目の前にある患者個人の生命と健康の救済が課題のすべてである。この患者を見捨てることは許されない。

今回のような緊急時に、両者の矛盾が露わとなる。
陽性患者となったあるタレントが、自覚症状発現後PCR検査を受けるまでの経過が次のように報道され、身近な人がこう語っている。
https://lite-ra.com/2020/04/post-5352.html(リテラ)

 「3月21日に発熱があり医師の指導で2日間自宅待機、その後25日に仕事復帰。26日に味覚障害・嗅覚障害があったことから、以降仕事をキャンセルし自宅待機。その後4月1日にCTで肺炎の診断、ようやくPCR検査を受け、3日夜に陽性が確認された。」
〈先週、味がしない・匂いがしないの症状が出て、26日木曜日から仕事を休んでいます。〉〈そこから病院に診察に行っても、コロナ検査をしてもらえず。自分で保健所に電話しても、その症状だけだと検査してもらえなくて。でも、不安で、今週水曜日、いくつめかの病院で、頼み込んで頼み込んで頼み込んで、ようやく検査してもらえました。やっとです。発熱して、体温が高ければ検査してもらえたのかもですが、これが一番怖いです。検査してもらえない。〉

感染症対策は、大量患者の観察から検査規準を設定して、規準該当者だけを要PCR検査対象とし、この規準からはずれた者は敢えて検査対象としない。検査態勢が脆弱で数的限界があるからでもあり、あるいは、規準からはずれた厖大な者までを検査対象とすることは、コストパフォーマンスの視点から効率的ではないと割り切るのだ。

さらに、検査対象を拡大することによる陽性患者の大量輩出には診療態勢が追いつかないのだから、検査対象は絞り込まざるを得ないことになる。医療行政は得てしてこのような視点に立ちやすい。

ここには、近代社会が克服したはずの優生保護思想や社会ダーウィニズムと通底する反人権的な考え方がひそんでいる。社会として持続するに必要なだけの生命の確保は必須だが、その余の犠牲はやむを得ないとするものである。

医療従事者にも、感染症対策の専門家にも、そして医療行政にも政治家にも、決して国民の命の選別は許されない。今こそ、その当然の道理について、声をあげなければならない。
(2020年4月6日)

《惨事便乗型政治》に警戒を

「ショック・ドクトリン」《惨事便乗型資本主義》と訳される。「ショック=大惨事」が多くの人を震えあがらせる事態に付け込む経済政策を批判的にいう。権力が国民を震えあがらせてその意思を貫徹することでもあり、資本主義の歪みが大きな惨事の際に増幅されて顕在化することでもある。

多くの人の心理的な不安に付け込もうという輩は、この世に満ちている。惨事便乗型悪徳商法、惨事便乗型政治手法、火事場泥棒的な改憲提案や立法策動が絶えることはない。惨事が蔓延する非常事態には、常にも増して為政者に欺されぬよう警戒が必要である。市民の側に、「ショック・ドクトリン」への耐性が必要なのだ。

コロナウイルス禍は、今や陽性者が増加し、死者も増えている。多くの人に危機意識が募っている。これは、戦時を除けば、滅多にない惨事であり非常事態である。このようなときにこそ、身構えよう。この危機意識に付け込まれてはならない、非常事態宣言がなされたとして、すべてを行政に委ねてはならない。口を封じられてはならない。批判を続けなければならない。

一昨日(4月3日)の毎日新聞夕刊『特集ワイド』が、「この国はどこへーコロナ禍に思う」シリーズとして島田雅彦のインタビュー記事を掲載している。

彼の危機感は、こう整理されている。
<新型コロナウイルスの政治利用例
 1 検査をせず感染者数を抑え、対策は万全とアピール
 2 政府の無為無策隠し
 3 対策に乗じた関係企業への利権誘導
 4 経済政策失敗の隠蔽
 5 議員に感染即国会中止
 6 緊急事態宣言、大政翼賛復活 
服従は悪への加担。抗議するなら今のうち>

そして、島田はこうも言う。
「安倍政権は数の論理にあぐらをかいて、(自衛隊の中東派遣など)国の重要方針を閣議決定だけで決め、国家予算にしても私的な乱用が目立ちます。ナチス・ドイツや米ブッシュ政権もそうでしたが、政治が密室化し、限りなく独裁に近い状態です」。
《何をやってもヨイショしてくれるマスメディア、不正を常に不起訴にしてくれる検察、逮捕されそうな仲間を助けてくれる警察(中略)、これだけ揃えば……》

コロナ禍なくしてこのとおりなのだ。いま人びとの危機感高まりつつあるこの非常時には、「挙国一致」「国家総動員」などという国民統合への同調圧力が強まることになろう。その最悪の事態が、島田雅彦も言及する「緊急事態宣言⇒大政翼賛復活」である。

既に悪質な右派勢力から、「今、悠長に議論を重ねているときではない」「政党同士が角突き合わせている時期ではない」「政府が効率よく果敢なコロナ対策ができるよう環境を整えなくてはならない」という、大政翼賛型政治を望む論調が出始めている。

大政翼賛政治が政府の専横を許し、国の方針を誤らしめ、国民を塗炭の苦しみに陥れたことを忘れてはならない。

「ショック」たる事実を冷静に正確に受けとめて議論を重ねることで、政府の恣意的な専横を許容する「ドクトリン」を防ぐことが可能となる。「ショック・ドクトリン」の成果として、大政翼賛型政治を許してはならない。また、そのような議論と対決しなければならない。
(2020年4月5日)

専門家に対する信仰はやめ、その言を吟味しよう。

「コロナおたく」を志そう。「感染症マニア」になろう。その道の専門家になる必要はないが、専門家の説明を正確に理解する能力を身につけよう。それ丈でなく、専門家の言を問い質す力量を身につけなければならない。そのために、基礎的な知識が必要なのだ。誰かの指図を鵜呑みにし受け入れるのではなく、自立した主権者として自主的な判断をするためである。面倒でも「おたく」「マニア」となろうではないか。

コロナ蔓延のこの時期。安倍や小池に欺かれてはならない。タヌキにも狐にも化かされないためには、相応の心構えが必要なのだ。感染症のなんたるか、新型コロナのなんたるか、そして日本の医療体制や製薬業界事情についての基礎知識を身につけておくことが必要なのだ。面倒でも、ある程度の学習がどうしても不可欠なのだ。

私も、にわか勉強だ。そして考える。この難局を切り抜けるために何が必要なのか、この難局を奇貨としての為政者たちの逸脱した行動をどう抑制するか。そのために何が必要なのか。誰を頼ったところで、正解を得られるものでもない。自分自身で考えるしかない。

感染症法は、その対象となる感染症を 一類から五類に分類している。
(一類感染症)エボラ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、痘そう、南米出血熱、ペスト、マールブルグ病、ラッサ熱、(二類感染症)急性灰白髄炎、ジフテリア、重症急性呼吸器症候群(SARS)、結核、鳥インフルエンザ(H5N1)、(三類感染症) 腸管出血性大腸菌感染症、コレラ、細菌性赤痢、腸チフス、パラチフス(以下、略)

「指定感染症」とされた新型コロナウイルス感染症は、これらの知られた感染症に比較して、感染力がとりわけ強いわけでも、致死率が特に高いわけでもない。しかし、これまでになかった感染症であることから、人類の誰もこの感染症に対する抗体をもっていない。もちろん、ワクチンも治療薬もないことから、恐怖の疫病となっている。

もっとも、この感染症がいかに猖獗を極めようとも、、人間集団に感染し尽くせば、自然の抗体を獲得した人類は、やがてこの感染症を克服する。しかし、それまでどれだけの生命が奪われることになるのか、計り知れない。何より大切なのは、これらの生命の損失を最小限に押さえることにある。

いま、感染患者に対する積極的な治療方法はなく、PCR検査で確認された患者には入院が義務付けられているが、入院の意味は感染防止のための隔離と自然治癒を期待しての対症療法を行うことしかない。

何よりもワクチンの開発が求められている。ロイターの伝えるところでは、「米ピッツバーグ大学医学部の研究者は、開発中のワクチンに感染予防に役に立つ水準で免疫力を高める効果があることをマウスを使った動物実験で確認したと発表した」という。おそらくは各国の研究者が工業化にしのぎを削っていることだろう。が、その実用化は、早くとも来年の初めであろうという。

そして、治療薬である。幾つかの既存の薬剤が、新型コロナに有効と期待されている。たとえば、エボラ出血熱の治療薬として開発されていた抗ウイルス薬であるレムデシビル(米ギリアド)。抗インフルエンザウイルス薬として、200万人分が備蓄されているファビピラビル(富士フイルム富山化学の「アビガン」)。 気管支喘息治療薬として承認された吸入ステロイド薬シクレソニド(帝人ファーマの「オルベスコ」)など。

これらのワクチンと治療薬の開発を急ぐとともに、これが完成するまでの間に感染を可能な限り予防し、罹患患者を早期に確認して感染拡大防止のために隔離するとともに、対症療法を行う。とりわけ重症者への救命治療が中心的課題となる。

医療がなすべきことは、まずは可能な限り広範な検査である。主訴のある人、罹患の可能性の高い人を中心に、積極的な検査が必要である。

いま、東京の感染者数の拡大が大きな話題となっている。昨日(4月2日)までのところ、検査陽性者の状況(チャーター機帰国者、クルーズ船乗客等は含まれていない)は、以下のとおりである。

陽性者数(累計)  684 人
そのうち入院中 628 人
  軽症・中等症 610 人
  重症?      18 人
そのうちの死亡  16 人
そのうちの退院 40 人

公表されている検査実施人数(累計) 3336人である。そのうちの陽性者が684人(20%)であり、その陽性者の死亡者と現在入院中の重症者は合計して34名(陽性者の5%)である。

この数値を眺めているだけでは、大きな危機感は出てこない。この患者数で、医療崩壊間近ということであれば、入院医療はICU設備の充実した専門病院に重症患者対応としてお願いし、あとの95%は症度に応じた隔離と観察ができるケアをすべきだろう。空き部屋となっているオリンピックの選手村の活用などを真っ先に考えるべきであろう。

問題は、公表されたこの数値のバイアスである。検査者数の極端な少なさが不自然である。意図的に検査者を少なくして陽性者数を抑えてきたとの疑惑は払拭できない。累計死者数(16人)も、極端に少ない。死因が肺炎とされる死亡者は全国で年間14万件にも及ぶ。東京だけでも1万人以上。実はこの間の肺炎死者の中に、コロナウイルス死者が紛れていたのではないか。

いずれにせよ、行政がこれから爆発的感染者拡大が起こると予測をするのであれば、その根拠を示してもらわねばならない。国民は、専門家という名の占い師を信仰しているのではない。
(2020年4月3日)

桜の受難、安倍と小池とコロナと雪と。

驚いた。花の盛りを過ぎて、東京に雪である。ソメイヨシノは散り始めてはいるが、まだ見頃といってよい。その花に、ぼた雪である。花のついたままの枝折れもあったろう。今年の桜は御難だ。

月に叢雲、花に風。のどかなはずの春にコロナの災厄。これに、時ならぬ雪までが桜をいじめた。新宿御苑の桜にも、上野の桜にも罪はない。罪はもっぱら、安倍晋三と小池百合子にある。責められる桜が哀れではないか。

東京でのコロナ蔓延急浮上の原因の一つに、先週彼岸の連休での人出が数えられている。とりわけ、上野の花見が目の仇だ。こうなると、桜の味方をしたくなる。花見は屋外でのものだ。密閉された空間ではない。今年の上野では、しゃべったり歌ったりもない。酒宴もなく、ごった返すほどの人混みもない。そんなささやかな花見の楽しみ、なんぞ非難さるべきや。

ところが、目立ちたがり屋の無風流都知事は、自分の力を誇示したい。上野公園の桜通りを封鎖するという。えっ? ほぼ毎日散歩している私に相談もなく? いったい何故、小池百合子が上野の桜を封鎖するなんてことができるのか私には理解し難いが、こちらの力は足りない。争う手段もなさそうだ。せめて、その封鎖の場面を見届けようと散歩がてら現場に赴いた。

一昨日(3月27日)、午後3時。ロープがめぐらされ、立ち入り禁止の札が貼られた。30分近くかかって、桜通りから人影が消えた。そうして、なんとも景色がすっかり変わった。花だけではない、人がいてこその上野の春の景色なのだ。通行人がいない見頃の桜だけの景色は不気味以外のなにものでもない。

上野東照宮のヤマザクラや、輪王寺の名物・御車返しの見事な満開の様を堪能して元に戻ると、テレビのレポーターが、封鎖の場所で何やらしゃべっていた。そして、「この封鎖をどう思いますか」と聞いてきた。

 「行政が何をするにも、権力をふりかざしてうまく行くはずはない。市民の納得を得る工夫と努力が必要だ。この封鎖が必要な根拠と理由を丁寧に説明しなければならないのに、そんなことにはお構いなし。こういう、小池百合子のやり方は都民の一人として不愉快だ」。妻が、少しマイルドに付け加えた。「私たち近所ですから、ほぼ毎日散歩しているんです。楽しみにしてきた桜の開花時期はとても短いので、この封鎖はとても残念です。せっかく咲いた桜も見てもらえなくて、とてもかわいそう」

レポーターは、「それをカメラの前でしゃべってくれませんか。『せっかく咲いた桜がかわいそう』というのが胸に刺さります」。桜と封鎖された無人の通りを背景に妻がしゃべった。「去年は、新宿御苑の桜。今年は、上野の桜。罪のない桜が、安倍や小池に罪を着せられてかわいそう」というトーンでのコメント。さて、放送になったかどうか、うちにはテレビがないから分からない。

  憂かりける人を みやこのコロナ風
       はげしかれとは いのらぬものを

(2020年3月29日)

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